JOM の記事 "'It's a macho scene': Irish Traditional Music Continues to 'privilege the contribution of men', says New Research"。パイパーの水上えり子さんも指摘していたが、女性差別は外国人に対してだけでなく、内部にすでにある。そりゃまあ、そうだ。ただ、外国人の場合、差別の度合いがさらにひどくなる。
ここでは演奏家の話がメインのようだが、水上さんとのやりとりでは、楽器製作者、たとえばパイプ・メーカーに女性がいないことも話題になった。そういえば3、4年前だったか、ハープの製作を習いに渡愛するという女性を紹介されたことがあった。あの人はその後、どうしたろう。
しかし、これは伝統音楽特有の性格というよりはアイルランドの伝統的な社会、価値観の問題だ。伝統音楽にはクラシックやジャズよりも立脚している社会の性格がより直接に出るから、社会の問題もモロに出る。クラシックやジャズにもある問題がより先鋭的に出る。これをきっかけとして、伝統音楽世界でのジェンダーの問題の改善を通して、アイルランド社会全体の問題の改善をはかることは一つの方策だが、最終的には社会そのもの、社会全体の話であるという認識も必要だろう。
例によって女性や外国人の参加によって音楽伝統が「崩れる」という反論が出てくるだろうが、これもいつものことながら「崩れる」というのはどういうことか。よし、それで本当にアイリッシュ・ミュージックが消えるような伝統なら崩れるべし。社会の一部のみが「楽しめる」ような伝統、他の部分を差別、蔑視することが基本的性格の一部であるような伝統は、あるとしても過去のものだ。そして伝統とは古いものをそのまま残すのではなく、常に自らを刷新して生き延びてきたのだし、これから生き延びてゆくにもそれしかない。時代は変わっている。多様性を確保できない伝統は消える。
確かにこれは「危機」の一つではある。こういう問題提起が出てくるのも、伝統音楽が盛んだからだ。誰も見向きもしないものなら、騒ぎはしない。アイリッシュ・ミュージックがかつてなく元気で健康で栄えているように見えるから、問題も大きくなる。そしてこの「危機」を乗りこえられなければ、つまり古いままのジェンダーをあくまでも引きずってゆくならば、伝統音楽は衰退する。
一つ危惧するのは、わが国のアイリッシュ・ミュージック・シーンで、同じことが起きていないか、ということだ。国外出身者は地元アイルランド人以上に音楽伝統に忠実であろうとする傾向がある。その「音楽伝統」に古いジェンダー意識も含まれていないか。わが国の社会はまた、アイルランド以上に男尊女卑が強い。それが反映されていないか。プロやセミプロでやっている人たちでは、女性の存在感は大きいけれど。この傾向が続いて、ともすれば閉じこもろうとするわが国社会に蟻の一穴になることを願う。
Nnedy Okorafor, Remote Control 着。
散歩の供は Show Of Hands, Lie Of The Land。前作はドラムス、ベースも入って、バンド形式のサウンドだったが、これは打って変わって、ほとんど2人だけの印象。ラストの Exile のイントロとアウトロで遠くピアノが入るのが目立つくらい。このピアノは Matt Clifford。他に Nick Scott のイリン・パイプと Sarah Allen のホィッスルがクレジットされているが、気をつけていないとわからない。Nick Scott は Chris Sherburn & Denny Bartley とのライヴが1枚ある。
ナイトリィのソング・ライティングが冴えわたり、ヴォーカルも絶好調、ビアのフィドルとマンドリン、ギターも隙がなく、これと次の Dark Fields はかれらの最初のピーク。Exile のスタジオ版、The Preacher、The Keeper など、レパートリィの根幹を成してゆく。冒頭 The Hunter も佳曲。ビアのマンドリンが強い印象を残す。次の Unlock Me のビアのフィドルもこの人ならでは。こういうダイナミックな歌伴のフィドルはスウォブリックと肩を並べる。
それにしても Exile は名曲だ。
染井吉野がなかなか散らない。散りはじめてはいるが、花が保っている。夜は散らない。このあたり、どこの樹も同じ。
ぬるみず幼稚園先の一軒家に燕がもどってきていた。