クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フランス

 しばらく前から Winds Cafe は師走の月を除いてクラシックの室内楽のコンサートになっている。今回はピアノの百武恵子氏を核にしたプーランク作品ばかりのライヴだ。

 あたしなんぞはプーランクと聞いてなんとなくバロックあたりの人と思いこんでいて、19世紀も最末期に生まれて死んだのは1963年、東京オリンピックの前の年というのにびっくり仰天したのが、2、3年前というありさま。クラシックに狂っていた中学・高校の頃にその作品も聴いたことがなかった。あるいはその頃はプーランクは死んでからまだ間もなく、注目度が落ちていたのかもしれない。

 あわててプーランクをいくつか聴いて、こんなに面白い曲を書いた人がいたのかと認識を新たにしていた。そのきっかけはこの百武氏と今回も登場のチェロの竹本聖子氏によるラフマニノフとプロコフィエフのチェロ・ソナタである。主催の川村さんに泣きついてこの日の録音を聴かせてもらって、この2曲、とりわけラフマニノフにどハマりにハマってしまった。この録音を繰り返し聴くだけでなく、図書館のCD、ストリーミングをあさりまくり、聴きまくった。図書館にはコントラバス版のCDもあって、なかなか良かった。

 そこで発見したことは、この20世紀前半という時期のクラシックの楽曲が実に面白いということだ。まだ現代音楽になる前で、しかもその前の煮詰まったロマン派とは完全に一線を画す。モダンあるいはポスト・モダン以降にかたまったあたしの感性にもびんびん響くとともに、音楽の「流れ」の要素を無視するまでにもいたっておらず、リニアな曲として聴くことができる。思えばかつてクラシックに溺れこんでいたとき、最終的に行きついたバルトーク、コダーイ、ヤナーチェック、シベリウス、ショスタコヴィッチなどもこの時期の人たちだ。マーラーやハンス・ロットを加えてもいい。あの時そのままクラシック聴きつづけていれば、ラフマニノフ、プロコフィエフ、そしてこのプーランクなどを深堀りしていたかもしれない。一方で、その後、あっちゃこっちゃうろついたからこそ、この時期、音楽史でいえば近代の末になる時期の曲のおもしろさがわかるようになったのかもしれない。

 この日の出演者を知って、これは行かねばならないと思ったのは、プーランクで固めたプログラムだけではない。ラフマニノフのチェロ・ソナタの様々なヴァージョンを聴いても、結局あたしにとってベストの演奏は百武&竹本ヴァージョンなのである。これは絶対に生を体験しなければならない。

 いやあ、堪能しました。会場は急遽変更になり、サイズはカーサ・モーツァルトよりもちょっと狭いけれど、音は良い。演奏者との距離はさらに近い。ロケーションも日曜日の原宿よりは人の数が少ないのがありがたい。もうね、田舎から出てゆくと、あの人の多さには最近は恐怖を覚えたりもするのですよ。

 驚いたのは小さな、未就学児のお子さんを連れた家族が多かったこと。Winds Cafe の客はあたしのような爺婆がほとんどなのが普通で、一体何がどうしたのかと思ったけれど、後で聞いたところでは百武氏のお子さんがその年頃で、同じ年頃の子どもたちを通じてのご友人やそのまたお友だちが「大挙」して来場したのだった。必ずしもこういう音楽になじみのある子どもというわけではなく、演奏中はもじもじしたり、退屈そうな様子をしたりする子もいた。それでも泣きわめいたりするわけではなく、とにかく最後まで聞いていたのには感心した。こういうホンモノを幼ない頃に体験することは大事だ。音楽の道に進まなくても、クラシックを聴きつづけなくても、ホンモノを生で体験することは確実に人生にプラスになる。ホンモノの生というところがミソだ。ネット上の動画とどこが違うか。ネット上ではホンモノとフェイクの区別がつかない。今後ますますつかなくなるだろう。生ではホンモノは一発で、子どもでもわかる。これが一級の作品であり、その一級の演奏であることがわかる。

 子どもたちが保ったのは、おそらくまず演奏者の熱気に感応したこともあっただろう。また演奏時間も1曲20分、長いチェロ・ソナタでも30分弱で、いわゆるLP片面、人間の集中力が保てる限界に収まっていたこともあるだろう。そして楽曲そのものの面白さ。ゆったりした長いフレーズがのんびりと繰返されるのではなく、美しいメロディがいきなり転換したり、思いもかけないフレーズがわっと出たりする。演奏する姿も、弦を指ではじいたり、弓で叩いたりもして、見ていて飽きない。これがブラームスあたりだったら、かえって騒ぎだす子がいたかもしれない。

 あたしとしては休憩後の後半、ヴァイオリンとチェロの各々のソナタにもう陶然を通りこして茫然としていた。やはり生である。ヤニが飛びちらんばかりの演奏を至近距離で浴びるのに勝るエンタテインメントがそうそうあるとは思えない。加えて、こういう生楽器の響きを録音でまるごと捉えるのは不可能でもある。音は録れても、響きのふくらみ、空間を満たす感覚、耳だけではなく、全身に浴びる感覚を再現するのは無理なのだ。

 今回はとりわけヴァイオリンの方の第二楽章冒頭に現れた摩訶不思議な響きに捕まった。この曲はダブル・ストップの嵐で、この響きも複数の弦を同時に弾いているらしいが、輪郭のぼやけた、ふわりとした響きはこの世のものとも思えない。

 どちらも名曲名演で、あらためてこの二つはまたあさりまくることになるだろう。ラフマニノフもそうだが、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタといいながら、ピアノが伴奏や添えものではなく、まったく対等に活躍するのもこの時期の楽曲の面白さだ。プーランクもピアニストで、時にピアノが主役を張る。ヨーロッパの伝統音楽でもフィドルなどの旋律楽器とギターなどのリズム楽器のデュオはやはりモダンな展開のフォーマットの一つだが、そこでも両者が対等なのが一番面白い。近代末の「ソナタもの」を面白いと感じるのは、そこで鍛えられたのかもしれない、と思ったりもする。かつてクラシック少年だった時にはオーケストラばかり聴いていた。室内楽は何が面白いのかわからなかった。今は小編成の方が面白い。

 小さい子どもが来ることがわかっていたのか、百武氏はプログラムの前半にプーランクが絵本『象のババール』につけた音楽を置いた。原曲はピアノで、プーランクの友人がオーケストラ用に編曲したものを、この日ヴァイオリンを弾かれた佐々木絵里子氏がヴァイオリン、チェロ、ピアノのトリオのために編曲された特別ヴァージョン。この音楽がまた良かった。ピアノ版、オーケストラ版も聴かねばならない。

 『ババール』の絵本のテキストを田添菜穂子氏が朗読し、それと交互に音楽を演奏する。ババールの話はこれを皮切りに15冊のシリーズに成長する由だが、正直、この話だけでは、なんじゃこりゃの世界である。しかし、これも後で思いなおしたのは、そう感じるのはあるいは島国根性というやつではないか。わが国はずっと貧乏だったので、なにかというと世の中、そんなうまくいくはずがないじゃないかとモノゴトを小さく、せちがらくとらえてしまう傾向がある。ババールの話はもっとおおらかに、そういうこともあるだろうねえ、よかったよかったと楽しむものなのだろう。それにむろん本来は絵本で、絵と一体になったものでもある。それはともかく、プロコフィエフの『ピーターと狼』のように、プーランクの曲は音楽として聴いても面白い。

 アンコールもちゃんと用意されていた。歌曲の〈愛の小径〉を、やはり佐々木氏が編曲されたヴァージョンで、歌のかわりに最初の一節を田添氏が朗読。

 田添氏が朗読のための本を置いていた、書見台というのか、譜面台というのか、天然の木の枝の形を活かした背の高いものが素敵だった。ここの備品なのか、持ちこまれたものなのか、訊くのを忘れた。

WindsCafe300


 百武氏とその一党によるライヴはまたやるとのことなので、来年の次回も来なくてはならない。演る曲が何かも楽しみだが、どんな曲でも、来ますよ。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

田添菜穂子: narration
佐々木絵里子: violin
竹本聖子: violoncello
百武恵子: piano

Francis Jean Marcel Poulenc (1899-1963)
1. 15の即興曲第15番「エディット・ピアフを讃えて」FP176, 1959
2. 「子象ババールのお話」FP129, 1945
3. ヴァイオリン・ソナタ FP119, 1943
4. チェロ・ソナタ FP143, 1948
アンコール 愛の小径 FP 106-Ib, 1940

04月24日・日
 アルテスのニュースレターで優河の新譜を知り、OTOTOY で購入。しかし、ちゃんと CD もアナログも出るのだった。
言葉のない夜に
優河
インディーズメーカー
2022-03-23


 創元推理文庫から出るアンソロジー『宇宙サーガSF傑作選』にアリエット・ド・ボダールの「竜が太陽から飛び出す時」が収録されるので来た再校ゲラを点検。1ヶ所、校閲者からの指摘に、どうして自分で気がつかなかったかと地団駄を踏んで、提案にしたがう。
 『茶匠と探偵』に入れるために選んで訳したもの。このアンソロジーの原書 John Joseph Adams 編の Cosmic Powers, 2017 に初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集に選ばれた。
茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



##本日のグレイトフル・デッド
 04月24日には1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ローディング・ゾーン共演。セット・リスト不明。

2. 1970 Mammoth Gardens, Denver, CO
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。ジョン・ハモンド? とニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、出回っているテープの音はひどいが演奏は面白い。〈The Eleven〉をこの時期にやるのも珍しい。

3. 1971 Wallace Wade Stadium, Duke University, Durham, NC
 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシアはここで2時間、主にペダルスティールを弾き、さらにデッドで4時間、演奏した。このイベントはさらにポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ビーチ・ボーイズと続き、トリがマウンテン。これが昼間の屋外のこの会場で、夜は屋内に移り、タジ・マハルが出た、という証言もある。
 ビーチ・ボーイズはデッドと共演するまで4年待ったとコメントした。ある証言によれば、会場で会った男と、デッドの演奏がいかにすばらしいかで意気投合したが、相手はフェリックス・パッパラルディと判明した。

4. 1972 Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany
 月曜日。12マルク。開演8時。全体が《Rockin' The Rhein With The Grateful Dead》でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》でもリリースされた。3時間半。全体を3枚の CD に収め、かつ長く続くトラックを切らないために、曲順が若干変更されている。この日は三部に別れた上にアンコール。
 ドイツはヨーロッパ大陸ではデッドのファン層が厚いところで、このツアーでも最多の5ヶ所を回っている。一つの要因は、冷戦の当時、ドイツには多数の米軍が駐屯していて、そこの兵士たちがデッドを聴いていたことがあるらしい。ショウによっては、聴衆の多くが近くの米軍基地の軍人だったこともあるようだ。とはいえ、場内アナウンスなどはドイツ語であり、外国にいることはバンドにも意識されていただろう。曲間に時折りはさまる MC はゆっくり明瞭に話すよう努力しているようだし、演奏も全体にゆったりとして、歌詞をはっきり歌うようにしていると聞える。あるところでウィアが、おれたちは曲間が長い、ひどく効率が悪いんだよ、とことわってもいる。次にやる曲をその場で決めているために、時に5、6分空くこともあるからだ。
 このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音は特に良い。ピアノがこれまではセンターにいたのが、ここでは右に位置が移っている。またCD化にあたってのミックスだろうか、初めはヴォーカルをシンガー各々の位置に置いているが、9曲目の〈Loser〉からセンターに集める。コーラスではこの方が綺麗に聞える。
 コペンハーゲン以来ほぼ10日ぶりのフルのショウで、バンドは絶好調である。〈Truckin'〉から始めるのはツアーでは初めてだし、一般的にも珍しい。ガルシアのソロがすばらしく、これを核にした見事なジャムで10分を超える。ガルシアはギターも歌もノリにノッていて、ソロがワン・コーラスで収まらずにもうワン・コーラスやったり、歌ではメロディを自在に変えたりする。5・6曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から本当に火が点く。ガルシアのソロがメインのメロディから外れだし、全体のジャムが長くなって、このペア本来の面白さが顔を出している。ショウとしても、このペアの演奏としても、ターニング・ポイント。ショウとしてはここから10曲目〈Playing In The Band〉、そしてクローザー前の〈Good Lovin'〉と全体での集団即興が深さとからみと長さを増してゆく。ハイライトは〈Good Lovin'〉で、歌が一通り終ってから、これとはほとんど無関係なジャムがガルシアのソロを先頭に繰り広げられる。やがて、そこにピグペンがこれまた元の歌とは無関係に即興のラップを乗せだして、これにバンドが様々の組合せであるいは支え、あるいは応答して延々と続く。一級のヴォーカルが前面に立ち、バンドがジャムでこれを押し上げる、というこの形は、グレイトフル・デッドのひとつの理想の姿だ。しばらく続いた後、ガルシアがテーマのリフを弾きだし、バンドが戻るのに、ピグペンはなおしばし別の歌をうたい続ける。
 ピグペンはこのツアーで決定的に健康をそこね、帰ってからは入退院を繰返すようになるのだが、自分が限界にきていることを覚っているのか、歌もオルガンもハーモニカもすばらしい演奏を披露している。このヨーロッパ・ツアーをデッド史上でも最高のものにしている要因の小さくないものの一つはピグペンのこの捨て身の演奏だ。それは原始デッドの最後の輝きであると同時に、アメリカーナ・デッドとしても確固とした存在感を放っている。
 第二部は〈Dark Star〉から始まる。歌までのジャムがまず長く、10分以上ある。ガルシアの歌唱はかなりゆっくりで、その後はスペーシィなジャムになる。ピアノの音が左右に動くのは、どういう操作か。ビートがもどってからのメロディ不定のジャムがすばらしい。
 そこに〈Me and My Uncle〉がはさまる。ここでウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターが愉しい。曲が終ると喝采が起きるが、曲は止まらずに再び〈Dark Star〉にもどっている。ドラムレスでガルシアとレシュとキースがそれはそれはリリカルなからみを聴かせ、しばらくしてウィアも加わり、1度テーマにもどってから、2番の歌はなくて〈Wharf Rat〉へ移る。ここでのガルシアのソロは明く、心はずむ。〈Sugar Magnolia〉で再び休憩。
 後のデッドならここでアンコールになるところだが、この時期はさらに第三部を30分以上。ここでのハイライトはスロー・ブルーズ〈It Hurts Me Too〉。ブルーズというのはシンガーによって決まるところがあって、デッドでこの後、これに近いところまで行くのはブレント・ミドランドの後期になる。ただ、ミドランドの声には、ピグペンのこの「ドスを呑んだ」響きは無い。締めはこの頃の定番〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉をはさんだ〈Not Fade Away〉。後のパートではウィアとピグペンが掛合いをし、その裏でガルシアがギターを弾きまくる。
 アンコールの〈One More Saturday Night〉は、このツアーではほとんどのショウで最後の締めくくりを勤める。
 次は1日置いてフランクフルト。

5. 1978 Horton Field House, Illinois State, Normal, IL
 月曜日。開演7時半。第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 7》で全体がリリースされた。
 当初、ライヴ録音に参加しよう、と宣伝されていたそうだが、《Dave's Picks》で出るまで、公式リリースはされなかった。《Live/Dead》や《Europe '72》の成功があったにもかかわらず、デッドは現役時代、ライヴ・アルバムのリリースにあまり積極的ではなかったように見える。このあたりも伝統音楽のミュージシャンに通じる。

6. 1984 New Haven Coliseum, New Haven, CT
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。前日やこの次に比べると全体として落ちるが、初めてデッドのショウを体験した人間にとってはライフ・チェンジングなものだった由。

7. 1988 Irvine Meadows Amphitheatre, Irvine , CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 同じ日に近くで航空ショウがあり、ジェット戦闘機が低空で飛びまわっていた。そのうちの一機は低く突込んだまま上がってこなかった。その機体は胴体着陸したが、パイロットは助かったそうな。と証言しているのは、元空軍で消防官をしていたデッドヘッド。(ゆ)

 アリエット・ド・ボダールの作品集『茶匠と探偵』再校ゲラの点検をやっている。どの話も強力で、次から次へとやることができない。一篇かたづけると、何か、まったく別のこと、掃除とか、食事の支度や後片付けとか、散歩とかをやって息を抜かねばならない。

 「哀しみの杯三つ、星明かりのもとで」Three Cups of Grief, by Starlight。傑作ぞろいのなかで、どちらかというと地味な話だ。Clarkes World 2015年新年号、通巻100号に発表、翌年ドゾアの年刊ベスト集に収録されている。出たばかりの著者初の本格的作品集 Of Wars, And Memories, And Starlight にも収録。

 ある偉大な科学者で母でもあった人物が死に、その長男、研究の後を継いだ科学者、そして娘でもある有魂船 mindship の3人がそれぞれに死者を悼み、哀しみを抱えながら、前へ進んでゆく様を描く。この3番目の有魂船の哀しみには、何度読んでも涙が出てくる。人間とはまったく異なる哀しみは、人間である兄にもわからず、同僚の有魂船にもわからない。ひとりで哀しまねばならない。とりわけ、死の直前の母がふらりと乗ってきたときのこと。

 初読のときに泣いたのはしかたがないとして、訳しながら涙が出てきたのには参った。おまえはそれでもプロか、と自分に言ってみても、出てくるものは止まらない。泣きながらやって、時間を置いて、改訂のために読みなおすと、また泣いてしまう。

 わんわん泣くわけではない。じわじわと胸の奥の方からなんとも名付けようのないものが沁みだしてきて、気がつくと目がうるんで、喉が詰まっている。どうにも始末が悪い。

 編集が検討した初稿の改訂のときに泣いて、初校でも泣く。そして今回、再校でも泣いた。何なんだ、これは、と思いながら、不快なわけではむろん無い。読後感はさわやか、というほどカラっとはしていないが、カタルシスとはこういうことだなと納得できる。

 有魂船はむろんSF的仕掛けであって、人と機械の合体、広い意味でのサイボーグ、その哀しみは本来、人間にはわからないはずのものだ。にもかかわらず、彼女の哀しみは、他の二人の人間の哀しみよりも胸に迫る。異質な存在の哀しみゆえに、哀しみの本質、失なった人を悼むことの本質が、素のままに提示されるからだろうか。だとすれば、ここはサイエンス・フィクションならではの醍醐味だ。そしてその異質の哀しみを説得力をもって描ききる作者の想像力に、読む方が翻弄されている。いや、まいりました。

 もちろん、誰も彼もがこれを読んで同じように泣くわけはない。どんな人間でも読めば必ず泣くという話があるとすれば、それ自体がホラーだ。たとえ同じく哀しみを感じとるとしても、別の形、異なる角度で感じる人もいるはずだ。あるいは哀しみではなく、まったく別の感情を汲みとる読者もいるだろう。あたしの場合はたまたま、涙が出てくるような形でこの話と波長が合ったにすぎない。

 さて次は「魂魄回収」A Salvaging of Ghosts。2016年3月、Beneath Ceaseless Skies 195号に発表。翌年、ストラーンとドゾア各々の年刊ベスト集に収録。こちらは対象的に、特異な宇宙空間での娘の死体の回収におのれの命を危険にさらす母親の話だ。上記 Of Wars, And Memories, And Starlight にも収録。この作品集に添えられた著者の注記によれば、これは「哀しみの杯」と対になるものとして書いた由。別にそうと企んだわけではなく、発表順にならべたらこうなったのだが、なかなかうまい具合になった。(ゆ)

 毎月恒例のディスク・ユニオン新宿とユニヴァーサル・レコードによる新譜紹介イベント。今回は復刻・未発表録音がお題。

 ディスク・ユニオンの羽根さんが持ってきた5枚の中で、今回の目玉はビル・エヴァンスの「モントルー・トリオ」、エディ・ゴメスのベース、ジャック・ディジョネットのドラムスのスタジオ録音<<SOME OTHER TIME>>。1968年の『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』はライヴ音源でその出演の5日後、ドイツのMPSのスタジオで録音されたものを全部収録した2枚組。契約の関係で長らくオクラ入りしていたものが、ようやく陽の目を見たというのはよくあるが、これくらいオイシイのはジャズでもなかなか無いらしい。

 エヴァンスのブートはたくさん出ている由で、このトリオもこの前後、ヨーロッパをツアーしたから、ブートの1枚や2枚あってもよさそうなものだが、そういうものもなかったそうな。それにしても、契約で出せないことはわかりきっているのに、録音だけはしておく、というのはたぶんジャズ以外では考えられないだろう。ミュージシャンはカネをもらえればスタジオに入るだろうが、レーベルはいつか出せると思っていたのか。結局出せたのは半世紀近く経ち、原盤権の所有者も息子の代になっていた。ところでこのリリースで、ミュージシャンの側にはいくらぐらい渡るのか。

 あたしはと言えば、いずれは買うだろうが、エヴァンスはそんなにファンでもないので、飛びつきはしない。この録音ではむしろディジョネットの若い頃の演奏に関心がわく。

 今回の5枚で面白かったのはまず Dave Pike というヴィブラフォン奏者の1971年ケルンでのスタジオ・ライヴ<<AT STUDIO 2>>。2というからには1もあるのだろう。ギター、ベース、ドラムスのカルテットで本人以外は皆ドイツ人の名前。面白いのはまずその演奏がガムランそっくりなのだ。あの超高速演奏は複数のプレイヤーが少しずつずらして叩いてやっているわけだが、それを一人でやっている。他のも聴きたかったが、2枚組でちょと高いので今回は保留。なにせ、再来週の「イスラームの音楽2@いーぐる」のために、散財しているのだ。

 オルガンの Larry Young の1965年頃のパリでのライヴ、クインシー・ジョーンズのビッグ・バンドの1961年ドイツでのライヴはまっとうなジャズで、あたしはなるほどと思うけど、進んで買おうとは思わない。いーぐるで聴ければいいや。後藤さんはヤングが気に入って買われていた。

 それよりもびびんときたのは高柳昌行がベースの井野信義、ドラムスの山崎比呂志と組んだアングリー・ウェーヴスというトリオの1984年8月26日、横浜エアジンでの録音。本人が記録のために録っていたカセットから起こしたものだが、多少ヒスノイズがあったり、少し音が割れているところがあるくらいで、生々しい。そして演奏がすごい。第二次オイルショックの後、まだバブルが表面化しない頃ということになるが、そういう時代の雰囲気か、あるいは大病から復帰した本人の意識か、固い地面をがりがりと掘るようなギターが突きつけてくる音に共鳴するものが自分の中にあると気づかされる。2月のこのイベントで聴いたマット・ミッチェルとクリス・スピードの音楽にも通じる。カネもないのに思わず買ってしまった。

 ユニヴァーサルの斎藤さんが紹介されたのは、2月からリリースが始まったブルーノートのモノーラル復刻。CDはこれまでにもあったSMHだが、プラチナを使った新素材だそうで、「究極の紙ジャケ再発」とうたっている。なるほど音は良い。リーダー楽器はもちろんだが、ベースやドラムスの音がきりっとしてエネルギーがある。空間も透明で音楽が際立つ。

 こういう再発を買うのは、このあたりの音源はそれこそ「擦りきれるまで」聴いて、ソラで一緒にうたえるくらいのマニアが主なんだろうが、これでジャズを聴きはじめるというのもいいんじゃないかと思う。入門だからより質の低い再生環境でいい、ということにはならない。むしろ、入門だからこそ、きちんとしたシステムと入念に調整された音源で聴くべし。弘法は筆を選ばずというが、それは弘法大師のレベルに達することがでければの話で、そこには遠く及ばないあたしら凡人は、せめて筆くらい、それにできれば墨と硯と紙も手の届く範囲で最高のものを使うべきだ。

 それにしてもこういう音源の違いが一発でわかるのはいーぐるのシステムの優秀さもある。音が出た瞬間、ああいい音だなあ、気持ちよいなあ、と思えるのはこのシステムと、そしてこの空間のサイズあってこそのものだろう。こうなってくると、やはりいーぐるでハイレゾを聴いてみたくなりますね。

 次回は連休明けの5月12日、お題は「鍵盤」特集。ピアノだけでなく、いろいろな鍵盤が出るらしい。(ゆ)

三重県松坂をベースとするバンド、カンランのライヴ情報です。ニッケルハルパの鳥谷さんの率いるバンド。北欧を中心にひじょうに幅の広い音楽をやってます。ジョンジョンフェスティヴァルとの共演もありますね。それもメキシカン・レストランで、というのが面白い。
    
    秋に mini CD も出るそうですが、もう秋なんですけど(笑)、いつかな。楽しみ。


★09/08(木)カンラン 三重TV生放送出演!
 18:00の番組で2曲演奏します。
 <演奏予定曲>
 ノルウェー語のトラッド『アレモドゥ』/オリジナル新曲『モグモング』
 2曲とも秋に新レーベルよりリリースするminiCDに収録予定です。

★09/15(木)ル・バルーシュ(France)来日公演 with カンラン
【会場】松阪M'AXA 松阪市市場庄町1148-2
【時間】開場18:30/開演19:30
【料金】前売¥3,500/当日¥4,000(drinkチケット別)
フランスからお洒落なミュゼットシャンソンバンド、ル・バルーシュが再来日!!!
フランスの黄金時代と呼ばれた1930-1950年代に、シャンソンと同時期に愛されたダンス音楽「ミュゼット」をこよなく愛す「ル・バルーシュ」。念願の再来日が決まり、またまたM’AXAにやってくる!
アコーディオンの哀愁漂う音色とアンナのボーカルがハマリにハマって
まるで飛び出すスクリーン?!のように映画のワンシーンを観ているような感覚になるくらい。
ライブが始まれば、彼らのおしゃれな雰囲気と魅せ方にすぐさま引き込まれることでしょう。
伝承音楽に新しい感覚を取り入れた他にはない色濃いバンド。
この感動を一度味わうとやみつきになるでしょう。
地元からは、今回も北欧ミュージックと伝統音楽をこよなく愛す kanran が参戦。
一体これ何?!という見た事もない弦楽器(ハーディガーディ)を巧みに操り見
事な演奏で楽しませてくれます。
ぜひライブでこの感動をあじわってください!!!

★09/19(月祝)『国際姉妹都市音楽祭2011』
カンラン
かとうかなこ with 青木研
キングコロンビア
ル・バルーシュ
【会場】京都駅ビル 室町小路広場
【時間】開演17:00

★09/24(土)ジョンジョンフェスティバル/ カンラン
【会場】チャベリータ 津市久居北口町972-1
【時間】開場19:00/開演20:00
【料金】前売2,000円/当日2,500円(要1オーダー)
 東京のアイリッシュバンド「ジョンジョンフェスティバル」を招いてのレストランライブ!
美味しいメキシコ料理と共に美味しい音楽を♪


《10月のピックアップ》
★10/16(日)北欧音楽 Cafe
【出演】あらひろこ(カンテレ)/トリタニタツシ(Nyckelharpa)・イケヤマアツシ(Gt)
【会場】カルティベイト 三重県松阪市嬉野下之庄町1688-5
【時間】開場15:00/開演15:30
【料金】未定
フィンランドの民族楽器カンテレ奏者のあらひろこ、トリタニ&イケヤマによる北欧三昧の cafe time

★10/22(土) アンジェロ・アクリーニ with トリタニタツシ(Nyckelharpa)
【会場】5/R Hall&Gallery 名古屋市千種区今池1-3-4
【時間】開場18:30/開演19:00
【料金】全席自由: 一般 3,500円
アコーディオンの魔術師アンジェロのソロコンサートの2部にトリタニがゲスト出演!


ご予約,お問い合わせはサハラブルーまで
発行:サハラブルー*トリタニタツシ
090-8072-9498


Thanx! > トリタニさん

Nebaon 以下は本誌昨年6月号に掲載した、ブルターニュのバンドネオン奏者フィリップ・オリヴィエのインタヴュー記事です。フィリップ本人から、リンクを貼りたいので記事を公開してほしいとの要請があったので、ここに転載します。(ゆ)

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 Bugel Koar に聞くブルターニュ音楽の未来

                                                      おおしまゆたか
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 ブルターニュからヴォーカルのマルト・ヴァッサーロ、バンドネオンのフィ
リップ・オリヴィエのデュオ、ビューゲル・コーアルが来日しました。
http://bugel-koar.stalig.com/
http://www.philippeollivier.com/

 ブルターニュといえば、数年前、ヤン=ファンシュ・ケメナーが来日して、
すばらしい「カン・ハ・ディスカン」を聞かせてくれました。これは元々二人
(ないし二組)のシンガーや楽器奏者によって交互に演奏されるものなので、
一人でやるのはなかなかたいへんな様子でしたが、ケメナーさんの飄々として
熱い「カン・ハ・ディスカン」は強烈な体験でした。

 今回来日した二人から見ると、ケメナーさんは大先輩のいわゆる「ソース・
シンガー」の一人です。アイルランドでいえばエディ・バチャーやダラク・オ・
カハーン、あるいはレン・グレアム、スコットランドならばジョック・ダンカ
ンやアーチー・フィッシャーに相当します。イングランドならばやはりイワン・
マッコールやA・L・ロイドというところ。その存在や活動自体が伝統のコア
をなすような人です。

 ビューゲル・コーアルはブルターニュ音楽の現在最前衛を引っぱっています。
あまりに前衛すぎて、地元では今ひとつ理解されにくいらしく、むしろラテン・
アメリカはじめ海外での評価が高いそうです。こういう存在は、以下の記事で
も明らかなように、アイルランドやスコットランドには見あたりません。イン
グランドのベロウヘッドやスウェーデンのフリーフォート、イタリアのバンディ
タリアーナなどに通じるところがあります。

 今回の来日は、わがキキオンとの交流の結実の由。日仏学院でのライヴでは、
第一部キキオン、第二部ビューゲル・コーアル、第三部両者共演の形で得難い
体験をさせてくれました。

 ポセイドンの増田洋氏のご尽力でフィリップ・オリヴィエにインタヴューす
ることができました。以下はこのインタヴューによるものに、他からの情報も
加えてまとめたものです。

 ビューゲル・コーアルを見ても、ブルターニュ音楽はどうやらたいへん面白
いことになっているようです。なお、通訳は黒木朋興さんが担当してください
ました。

 黒木、増田の両氏に、心から御礼申し上げます。


 ブルターニュでバンドネオン?とは誰しも思うところです。フィリップによ
ればブルターニュでプロとしてバンドネオンを弾いているのは、フィリップの
他にはかれの師匠でもある人物ぐらい。当然、タンゴが盛んな土地柄でもあり
ません。

 全体にケルト圏は自身の体温が高いせいか、ラテン系の音楽にはあまり関心
を示しません。タンゴやポルカ、ギリシアや東欧など「南」の音楽が大好きな
北欧は、やはり比較的体温が低いのかもしれません。

 フィリップはタンゴをやろうとしてバンドネオンを手にしたわけではありま
せん。ブルターニュ音楽の表現の幅を広げるために、バンドネオンの楽器とし
ての特性に眼をつけたのでした。それまで主に使っていたアコーディオンでは
できないことが、バンドネオンではできるのではないか。

 フィリップがバンドネオンを聞いていたのはもちろんピアソラをはじめとす
るアルゼンチンの演奏者ですが、音楽とは切りはなして楽器だけを導入するの
は、まさに伝統音楽の動作原理に忠実です。ブズーキを採りいれながら、ギリ
シア音楽はかけらも入れなかったアイリッシュにも通じます。

 ブズーキのように、バンドネオンもブルターニュ音楽に不可欠の楽器になる
かどうかはわかりませんが、少なくともビューゲル・コーアルの音楽として、
ブルターニュ音楽に新しい次元を開いて見せたことは確かです。

 それ以前の流れとは断絶したこうした展開は、アイルランドやスコットラン
ドとはいささか様相を異にします。あえて言えばアイルランドのプランクシティ
革命に相当するものでしょう。とはいえ、プランクシティにおいてもイルン・
パイプに象徴される伝統の連続性があります。

 ビューゲル・コーアルの音楽はより大胆に、伝統の換骨奪胎を徹底していま
す。このあたりはむしろファーンヒルに代表されるウェールズ音楽に通じるよ
うにも見えます。言語面でウェールズのキムリア語とブルターニュのブレイス
語が近縁であることは、ここにも顔を出しているのかもしれません。

 フィリップは1969年、ブルターニュ半島北端の海辺ペンヴェノンに生まれま
した。7歳から11歳までピアノを習いましたが、身は入らず。16歳で地元のバ
ガドに参加してボンバルドを始め、17歳のとき、弟が借りてきたダイアトニッ
ク・アコーディオンに心を奪われます。

 しかし、かれにとってほんとうの転機は13歳のときでした。名付け親の女性
が2枚のレコードをプレゼントしてくれたのです。ニール・ヤングの《ハーヴェスト
とマイク・オールドフィールドの《Five Miles Out》。前者は「カントリーと
クラシックの融合」、後者は現代音楽に、フィリップの眼を開くことになりま
す。

 ブルターニュの若者として伝統音楽に漬かりながらも、フィリップはより広
い視野をはじめから備えていたわけです。ダイアトニックからクロマティック
のアコーディオンに移っても、次第に満足できなくなっていったのは、こうし
た広い素養と志向をもっていたからでしょう。

 いっぽうでまたブルターニュ音楽内部でも新しい動きが始まっていました。
1990年代に入り、ブルターニュ音楽を展開する枠組みが、アイリッシュ・ミュー
ジックからクラシックに代わったのです。1970年代のアラン・スティヴェル
来、ブルターニュ音楽はブリテンやアイルランドの音楽の手法を手本として展
開されていました。80年代には時代の流れに沿って使われる楽器が電気増幅の
ものからアコーティックなものに変わりますが、この時にも本来ブルターニュ
の伝統にはなかったウッド・フルートが採用されたりもします。

 フィリップは90年代の変化に感応し、またこれを担うことになります。かれ
のお手本はスティーヴ・ライヒであり、フィリップ・グラスであり、アルヴォ・
ペルトであり、クセナキスです。

 この変化の根柢にあったのは、アイリッシュ・ミュージックの枠組みを借り
ることへの疑問でした。スティヴェルがアイリッシュ・ミュージックにモデル
を仰いだのは、やむをえないところもあったでしょう。ですが、アイリッシュ・
ミュージックの手法はブルターニュ音楽にとってほんとうにプラスなのか。両
者はやはり違うものではないのか。

 マルト・ヴァッサーロもクラシックの訓練を受けています。オペラをうたっ
てもいるそうですから、スウェーデンのレーナ・ヴィッレマルクのような存在
でしょう。レーナが伝統のコアをも伝えているように、マルトも一方で ロワネ
ド・ファル Loened Fall というバンドでフェス・ノーズのためにうたってもい
ます。

 フェス・ノーズはブルターニュのうたと踊りを中心とした集まりで、ブリテ
ン諸島の「ケイリ」に相当する催しです。ただし、ブルターニュではうたは基
本的にダンス伴奏であり、人びとはうたに合わせて踊ります。ブルターニュ伝
統音楽の根幹をなす「カン・ハ・ディスカン」とは、何よりもまずこのダンス
のためのうたです。

 うたとダンスが截然と分かれているアイルランドやスコットランドとは対照
的です。ダンスもペアあるいはソロによるものでなく、多数の男女が手をつな
いで長い列を作ります。ロワネド・ファルの最新作《DIWAR LOGODENN 'VEZ
KET RAZH》の DVD で、この模様が見られます。YouTube でも、たとえばこの動画
の後半に踊っている人びとが現れます。

 マルトはこうした活動も積極的に続けながら、これとは別のブルターニュ音
楽の可能性を考えていました。フィリップとマルトは直接共演したことは無い
ながら、たがいの存在や活動は知っていました。フィリップは一時演奏活動を
離れ、録音エンジニアとして働いており、ロワネド・ファルの録音も手がけて
います。ちなみにフィリップはこの方面でも優秀で、ビューゲル・コーアルの
アルバムの録音は秀逸です。

 フィリップは新しいブルターニュ音楽を模索するなかで、マルトとやれば面
白いのではないか、次に会った時誘ってみようと考えていました。ところが実
際にイニシアティヴをとったのはマルトの方でした。むろんフィリップは二つ
返事でオーケーし、かくてビューゲル・コーアルが生まれます。

 最初の一年はレパートリィ作りとリハーサルのみに費やしました。オリジナ
ルはフィリップが曲を書き、マルトが詞をつけます。マルトの書く詞はエスプ
リとユーモアと諷刺にあふれ、時に悽愴な美しさを感じさせます。ビューゲル・
コーアルの音楽の大きな魅力の一つです。アルバムにはブレイス語原詞、フラ
ンス語対訳、英語による大意が載っています。

 アルバムではサポートを入れていますが、ライヴは二人だけが基本です。コ
ンビとして息がぴったり合い、たがいに過不足を感じていないからですが、実
際、日仏学院でのライヴでは、二人だけで一つの宇宙を生みだしていました。

 もっとも次のアルバムでは、サックスのヤニック・ジョルディを加えたトリ
オの形を試してみる計画だそうです。ビューゲル・コーアルの 2nd《NEBAON!
の[06]〈ケンパー・グウェツェネグの漁師たち〉を展開したものになるようで
す。

 フィリップはマルトとならぶブルターニュの最重要シンガー、アニー・エブ
レルを擁したバンド Dibenn のメンバーでもあり(録音には参加せず)、ベー
シストのアラン・ジェンティ(もうすぐ来日するスコットランドのトニィ・マ
クマナスとも共演しています)、アコーディオンのアラン・ペネックなどとも
旧知の仲。とすれば、ビューゲル・コーアルとは別の活動も期待しましょう。

 オリジナルが格段に増えた《NEBAON!》は、ビューゲル・コーアルの個性を確
立し、その可能性を見せてくれています。しかし、このユニットのほんとうの
姿が現れるのはおそらくこれからです。それはまたブルターニュ音楽の潜在能
力がまたひとつ解放される瞬間でもありましょう。

 今年の春にマルト・ヴァッサーロとのデュオ Bugel Koar として来日したブルターニュの革新的なバンドネオン奏者フィリップ・オリヴィエが、この年末に、今度は一人でやってきます。今回の来日はわが国の音楽に接し、また音楽家に会うことが主な目的のようですが、関西ではライヴもします。

 ブルターニュでは他にはほとんど演奏者のいないバンドネオンを操るところからも想像されるように、フィリップは伝統音楽をベースにしながらも、つねに表現とレパートリィの幅を拡大している、真の意味で「前衛的」なミュージシャンのひとりです。ビューゲル・コアールの音楽も相当おもしろいものですが、フィリップ独自の音楽もなかなか他では聞けない類のものでしょう。

--引用開始--
フランスでケルト人の文化が残るブルターニュ
地方出身。

17の歳の時にボタンと蛇腹の楽器に魅了され、
演奏、作曲活動を開始する。
演劇や映画への演出、作品提供も多数。

2008年夏に慶応大学の招聘で歌手のマルト・
ヴァサロとともに来日、日本のミュージシャンと
共演するなどで好評を博した。

2008年12月 関西ツアー日程

12/13(土)大阪市生野区 bar tanatraja
19:30 Start
charge: 1,000円
with/ hatao , みどり( fiddle )

12/14(日)大阪市西区 fiddle club
Open 13:00  Start 14:00
2,000円1ドリンク付  
with/ hatao ( fl ) 
☆コンサートと、ブルターニュのダンスや音楽のワークショップです、

12/15(月)京都 Irish pub field
Start 20:00
Charge Free
with / hatao

12/16(火)京都 C. Coquet
Start 20:00
Charge 1,500円 1ドリンク込 
with /都丸智春(acco)

12/18(木)神戸 blue fox  
Start 21:00
Charge Free
with / hatao 

12/19(金)西宮 Capulluisce
Start 21:00
Charge 300円(!)
with / hatao 
--引用終了--


Thanx! > hatao さん

 今月号を本日17時に配信しました。未着のかたは編集部までご一報ください。

 先月号にインタヴューを載せたブルターニュのデュオ Bugel Koar が今晩、NHK教育テレビのフランス語講座に出ます。放送は 23:30〜23:55。再放送は 10/25(土)06:00〜06:25。

 思い出させてくれてありがとうございます。>粕谷さん@金沢

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