クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フルーツ

05月04日・水
 河内晩柑が今年も旨い。品のよい、抑えた甘味がいい。
 河内は大阪の南の河内かと思ったら、熊本の河内町で、この町で発見されたのだそうだ。1905年というから日露戦争の頃、文旦の偶発実生と呼ばれる現象。種からできた樹に成ったものが親のものよりも良かったのをこう呼ぶ。突然変異の一種なわけだ。
 いつも買っている生協では4月中旬から1ヶ月くらいの短かい扱いなのでそのシーズンだけかと思ったら、夏まで食べられるそうだ。その頃になると、袋から実が離れやすくなるらしい。生協で扱わないなら試してみるか。
 


 晩春から初夏にかけて、晩柑、甘夏などの柑橘類が旨いことを数年前に発見して、毎年の愉しみになっている。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月04日には1968年から1991年まで、8本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版1本。

1. 1968 Pritchard Gym, State University Of New York, Stony Brook, NY
 土曜日。セット・リスト不明。ストーニーブルックはロングアイランドの中程、北岸にある街。

2. 1972 Olympia Theatre, Paris, France
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされるとともに、第一部2曲目〈Deal〉、第二部2曲目〈Next Time You See Me〉と8曲目〈Sugar Magnolia〉が《Europe ’72, Vol. 2》に収録された。
 この時期のショウの性格として、全体の構成や流れなどを考えているとは思えない、まさしく行き当たりばったりを絵に描いたようなケースが多いことがある。元来、デッドのショウは行き当たりばったりで、その場で何をやるか決めているわけだが、ショウによっては構成がうまくいったり、流れができたりするし、第二部で曲を次々につないでゆくときには、おのずから流れはできる。一方、そういう流れができず、構成もへったくれもなく、延々と続くこともある。この日のショウは構成が破綻というよりも存在しないショウの1本。各々の曲や塊の演奏の質は最高でお腹はいっぱいになるが、ああ、いいショウを聴いた、という満足感はほとんどない。その点では前日の方がよい。
 構成がなくなるのはこれまでにもあるが、この日はその印象が強い。とりわけ、〈Dark Star〉から間髪いれずに移る〈Sugar Magnolia〉の後、〈Sing Me Back Home〉〈Mexicali Blues〉〈Big Boss Man〉と並べるところが、腹一杯で次の皿が出てきた気分。このツアーではショウの第一部ではガルシア、、ウィア、ピグペン各々がリードをとる曲を順番にならべる、それを終り近くでまたやろうとしたとも見える。〈Uncle John's Band〉以降は、今度は本当に終りにしようという意図がはっきりする。
 〈Sugar Magnolia〉で終っているはずが、その後、短いショウをまた最初から1本やっている、と言えなくもない。
 文句をつけているわけではなく、これもまたデッドのショウではあるのだ。とにかく目一杯、状況の許す限り、バンドでの演奏を続けようとする。あるいはできるだけ長く演奏できる状況を作ろうとする。このツアーの頃になると、好きなだけ長く演奏できるようになっている。駆け出しの1967年、68年、あるいは69年頃でも、会場の都合で時間を制限され、機器のコンセントを引き抜かれることも一度や二度ではなかったことに比べれば、雲泥の差とも言える。
 各々の曲の演奏はどれもすばらしい。ガルシアのギターの調子が良く、すばらしいソロ、あるいは伴奏が次から次へと出てくる。第一部〈Playing In The Band〉〈It Hurts Me Too〉第二部オープナーの〈Good Lovin'〉は特筆ものだ。〈It Hurts Me Too〉では弦を錆びた釘でこするようだ。〈Big Boss Man〉〈Uncle John's Band〉、クローザーの〈One More Saturday Night〉、いずれもギターが美味しい。〈Dark Star〉でも、ガルシアのギターが引張る。
 この日はピグペンも元気だ。第一部クローザー前の〈The Stranger〉がまずハイライトで、ここまでのベスト・ヴァージョン。後半、コーラスをバックに熱唱する。第二部では冒頭〈Good Lovin'〉から〈Next Time You See Me〉と連投し、ラスト〈Not Fade Away〉後半でウィアと掛合いをする。〈Good Lovin'〉で中間の即興部分、力を抜いてその分長くやる。ガルシアがすばらしいギターでこれに答える。このツアーはピグペン最後の華だが、その中でも大輪。
 〈Jack Straw〉はガルシアがイントロを弾いてから歌が始まり、またウィアが終始ソロで歌う形。この後はまたいきなり歌から始まって、ガルシアとウィアが歌いわけるようになるので、いろいろな形を試していたのだろう。
 ビッグ・ジャムは〈Dark Star〉で、この日はこの曲にしてはフリーな時間が少なく、ビートがキープされる。どの楽器も音量を抑え、音数も少なめで、不安、凶暴よりは穏やかに流れる。美しい。
 〈Sugar Magnolia〉後半の Sunshine Daydream はドナとウィアのデュエットで、ウィアはあまりわめかないのが良い。まだまだ少ないが、ドナの貢献はやはり大きい。この後、ドナの参加はどんどん増えてゆき、1977年になると、無くてはならぬものになる。
 次は3日後、イングランドに一度戻り、Bickershaw Festival での演奏。

3. 1977 The Palladium, New York, NY
 水曜日。このヴェニュー5本連続のランの楽日。8.50ドル。開演8時。
 第二部オープナー〈Estimated Prophet〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 アンコールは無いが、このランのベストのショウの声もある。ということは、デッド史上最高のショウの一つ。

4. 1979 Hampton Coliseum, Hampton, VA
 金曜日。7ドル。開演8時。
 第一部9曲目〈Loser〉からクローザーの〈Around And Around〉まで、第二部の drums、space を除く13曲が《Live At Hampton Coliseum》でリリースされた。2014年のレコードストア・ディ向けのアナログ2枚組限定版。残念ながら持っておらず。
 会場は1968年5月にオープンした多目的屋内アリーナで、収容人員はコンサートで13,800。ここで演奏するのはこれが最初で、1992-03-06まで計19本のショウをしている。ほとんどは春のツアーの一環。

5. 1980 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
 日曜日。9.50ドル。開演7時。
 第二部がとりわけ良い由。

6. 1981 The Spectrum, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10ドル。開演7時。
 第二部が良い由。

7. 1986 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 日曜日。このヴェニュー2本連続の2本目。16ドル。開演2時。
 前日、ガルシアのアンプが「凍りついた」ため演奏できなかったアンコール〈One More Saturday Night〉で演奏を始めた。第二部にガルシアが欠席したらしい。

8. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。
 抜群の出来というわけではないが、非常に面白い由。(ゆ)

 昨日で大腸がんの開腹手術を受けてから丸5年経過しました。この間、再発、転移の徴候はなく、まず大腸がんは治ったといえることになります。

 抗がん剤治療の後遺症は、意識してみると足先の痺れはまだ残っているなというのと、体の表面があちこちいきなり痒くなるのがあります。後者は抗がん剤なのか、老化現象かわからないですが。
 
 ほっとしたというよりは、不思議に生きながらえた、という想いです。手術前に言われた最悪のケースならば、とっくにこの世におさらばしていたわけで、そうならずにここまでこれたのはやはりありがたい。どんなクソったれな世の中でももう少し、生きられるところまでは生きていたい。手術後1年くらいは、とにかく生きていること、まともにものが食べられて、それがきちんと排泄されることだけで嬉しかったものですが、だんだん慾が出てきました。お迎えがいつ来てもいいというよりは、今日はまだ来てほしくないという方が強いです。
 
 心がけているのは無理はしない。動作はゆっくり着実に。適度の負荷をカラダとココロに毎日かける。エレベーター、エスカレーターは使わず、階段はチャンスと思う。歩幅を大きめに意識して歩く。野菜を多く、肉は少なく、緑茶を粉にして飲む、夜9時過ぎたらものを食べない。竹踏みは毎日欠かさない。水分をとる。
 
 これで効果があるぞ、と大声で言えるようなことはありませんが、こういうことをしている方が気持ちがよい、調子が良いと思えるようにはなりました。

 課題としてはもう少し歩くのを増やしたい。毎日歩いてはいますが、4,000歩前後で、長時間歩くのを増やしたい。入院する前は1万歩以上、ほとんど休まずに歩くことも多く、すれすれでセーフだったのもそのおかげかとも思っています。歩くといろいろ発見もあって楽しいんですが、本を読みながらは歩けないのでねえ。

 肉食が増えて、わが国でも大腸がんは増えているそうです。自覚症状が無いことが多いので、健康診断はきちんと受けましょう。ぼくも腸閉塞になるまで、自覚症状はまったくありませんでした。少なくともおなかがおかしいという自覚はありませんでした。それと野菜を食べましょう。野菜が高いとかいったって、がんになるよりはマシじゃないですか。スイーツはなるべくフルーツを。シュークリームよりリンゴの方が安い。"An apple a day keeps the doctor away." という諺もあります。

 手術前に言われた最悪のケースというのは、がんが腸から外へ出て、がん細胞が腹腔内に飛び散った状態です。がん細胞が腹腔内に散っているかどうかは開腹してみないとわからないそうです。ぼくの今回の場合はがんは腸を破って外へ出ていましたが、まだまとまっていて、飛散してはいませんでした。腹腔内に溜まっていた水の中にもがん細胞はありませんでした。またがんが1ヶ所だったことも幸いだったでしょう。

 現在わが国では二人に一人はがんにかかると言われて、がんは特別な病気ではなくなりました。またぼくのように治ることも珍しいことではない。とはいえ、やはりならないですめばその方がいいものではあります。抗がん剤治療というのはほんとうに「治療」といえるのかという疑問も残りました。

 近所には別々の部位のがんの摘出手術を3回受けた人もいます。元気に飛びまわっておられます。それに比べればぼくなどはかけだしですが、こればかりはかけだしで終りたいものであります。(ゆ)

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