クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ブズーキ

 日曜日の昼下がり、梅雨入りしたばかりで、朝のうちは雨が降っていたが、会場にたどり着く頃には上がっていた。木村さんからのお誘いなら、行かないわけにはいかない。

 Shino は大岡山の駅前、駅から歩いて5分とかからないロケーションだが、北側への目抜き通りとその一本西側の道路にはさまれた路地にあるので、思いの外に奥まって静かだ。駅の改札を出てもこの路地への入り口がわからず、右側のメインの商店街を進んで左に折れ、最初の角を右に折れてちょっと行くと左手にそれらしきものが見えた。帰りにこの路地を駅までたどると入り口は歩道に面していた。

 木村さんはむろんアコーディオンだが、福島さんは今日はフィドルは封印で、ブズーキと2、3曲、ギターに持ち替えて伴奏に徹する。どちらかというと聴衆向けというよりは木村さんに聞えればいいという様子。アイリッシュの伴奏としてひとつの理想ではある。もっとも、2曲、ブズーキのソロでスロー・エアからリールを聞かせたし、もう1曲ブズーキから始めて後からアコーディオンが加わってのユニゾンも良かった。このブズーキは去年9月に、始めて3ヶ月と言っていたから、ちょうど1年経ったところのはずだが、すっかり自家薬籠中にしている。その前回の時にすでに長尾さんを感心させただけのことはある。やはりセンスが良いのだ。

 初めにお客さんにアイリッシュ・ミュージックを聞いたことのある方と訊ねたら、半分以下。というので、アイリッシュ・ミュージックとは何ぞやとか、この楽器はこういうものでとかも説明しながら進める。木村さんは MC がなかなか巧い、とあらためて思う。こういう話はえてして退屈なものになりがちだが、あたしのようなすれっからしでも楽しく聞ける。ひとつには現地での体験のからめ方が巧いからだろう。単なる説明よりも話が活き活きする。

 ふだんアイリッシュ・ミュージックなど聞いたことのない人が多かったのは、この店についているお客さんで、ポスターなどを見て興味を持たれた方が多かったためだ。この店でのアイリッシュ・ミュージックのライヴは二度目の由。

 MC は客層に合わせていたが、曲目の方はいつもの木村流。ゴリゴリとアイリッシュで固める。もっとも3曲目に〈The Mountain of Pomroy〉をやったのはちょっと意表を突かれた。インストだけだが、なかなかのアレンジで聞かせる。その次のブズーキ・ソロも良かったが、さらにその次のスリップ・ジグ、2曲目がとりわけ良い曲。後で曲名を訊ねたら、アイルランド語で読めない。しかも、若い人が最近作ったものだそうだ。

 後半でもまず Peter Carberry の曲が聞かせる。前回、ムリウィで聴いたときもやった、途中でテンポをぐんと落とす、ちょっとトリッキィな曲。いいですねえ。アンコールは Josephine Marsh のワルツでこれも佳曲。木村さんが会ったマーシュはまことにふくよかになっていたそうだが、あたしが見たのはもう四半世紀前だから、むしろほっそりしたお姉さんでした。ロレツもまわらないほどべろんべろんになりながら、すんばらしい演奏を延々と続けていたなあ。

 木村さんぐらいのクラスで上達したとはもう言えないのだが、安定感が一段と増した感じを受けた。貫禄があるというとたぶん言い過ぎだろうが、すっかり安心して、身も心もその音楽に浸れる。マスターやカウンターで並んでいたお客さんにも申し上げたが、これだけ質の高い、第一級の生演奏をいながらにして浴びられるのは、ほんとうに良い時代になったものだ。これがいつまで続くかわからないし、その前にこちらがおさらばしかねないけれど、続いている間、生きて行ける間はできるかぎり通いたい。

 Shino はマスター夫人の実家、八戸の海鮮問屋から直接仕入れたという魚も旨い。カルパッチョで出たタコは、食べたことがないくらい旨かった。外はタコらしく歯応えがあるのに、中はとろとろ。実はタコはあまり好きではないが、こういうタコならいくらでも食べられる。サバも貝もまことに結構。ギネスも美味だし、実に久しぶりにアイリッシュ・ウィスキーのモルトも賞味させてもらった。Connemara という名前で、醸造元はラウズにあるらしい。ピートの効いた、アイレイ・モルトを思わせる味。これを機会にこれから時々、ライヴをやってもらえると嬉しい。こういう酒も食べ物も旨い店でアイリッシュ・ミュージックの生演奏を間近で浴びるのは極楽だ。

 まだまだ明るい外に出ると雨は降っていない。大岡山からは相鉄経由で海老名までの直通がある。ホームに降りたらたまたまそれが次の電車。これまたありがたく乗ったのであった。(ゆ)

 シンガーでブズーキ奏者のショーン・コーコランが5月3日に74歳で亡くなったそうです。JOM の記事では死因は明かされていません。追記:別の記事では短期間病床にあって、穏かに旅立った由。なお、8年前に今の奥さんの Vera と結婚してイングランドに住み、亡くなったのは北イングランド、ダービーシャの Buxton というところでした。 

 コーコランはぼくらにとってはまず何よりも Cran のメンバーであり、来日もしました。ぼくは残念ながら行けませんでしたが、東京でのコンサートはすばらしかったそうです。



 JOM の記事によるとコーコランはミュージシャンだけでなく、音楽のコレクターであり、出身地ラウズ州はじめノーザン・アイルランドの音楽を精力的に集めました。この方面では Mary Ann Carolan (1902–85) の発掘が大きな功績でしょう。この人は良い歌をたくさん伝えましたが、ぼくにとっては〈Bonnie Light Horseman〉の別ヴァージョンのソースとして忘れられません。Topic盤のコーコランのライナーによれば二つのヴァージョンは南版と北/西版があるそうで、カロランは南版。ドロレス・ケーンが歌っているのが北/西版になるらしい。

 


 また過去のコレクターについての研究家でもあったそうです。Edward Bunting やオニールのような有名人だけでなく、John Sheil (1784–1872) や Rev. Richard Henebry (1863-1916) といった隠れた存在にも光を当てました。テレビ、ラジオのドキュメンタリー番組へも貢献しています。

 わが国にも来てくれた縁のあるミュージシャンが亡くなるのは格別の寂しさがあります。冥福を祈ります。合掌。(ゆ)

 デ・ダナンの創設メンバーであり、アイリッシュ・ミュージックにブズーキを導入した張本人の一人、そして、デ・ダナンのアルバム・ジャケットも手掛けたアーティストでもあったアレック・フィンが74歳で亡くなった、とのニュースが入ってきました。つい先月、フランキィ・ゲイヴィンとの40年ぶりのデュエット・アルバムを出したばかりでした。

 デ・ダナンはプランクシティ、ボシィ・バンドに続いて、ほぼ時を同じくして現われました。この二つがかなりきっちりとアレンジした音楽をつくっていったのに対し、デ・ダナンはコネマラの入口スピッダルの町のバブでのセッションから、いわば自然発生的に生まれ、セッションの雰囲気を濃厚に残した、ややルーズなスタイルの音楽を作りました。フランキィ・ギャヴィンのフィドル、チャーリー・ピゴットのバンジョー、ジョニィ・リンゴ・マクドノーのバゥロンを柱にして、地に足の着いたドライヴが効いた、ユーモラスな味わいが身上でした。そのアンサンブルを裏で支えていたのが、アレック・フィンのブズーキです。

 かれのブズーキはギリシャ伝来のラウンドバック、複弦3コースのもので、アンディ・アーヴァインやドーナル・ラニィたちが改造・発展させたフラットバック、4コースの、後に「アイリッシュ・ブズーキ」と呼ばれたものとは異なります。

 またアレック・フィンはほとんどストロークをせず、メインのメロディの裏でピッキングをつけるのが基本です。カウンター・メロディやハーモニーに近いのですが、明瞭にそういうものというよりは、曲を推進するような作用をします。まったく独自のスタイルで、フォロワーと言える人もほとんどいません。

 このブズーキがフロントのユニゾンのつんのめりを引きとめて、ゆったりと聞えるようなタメを生んでいます。デ・ダナンの音楽の「ゆるさ」の源泉はここにあるとぼくは思っています。

 アレック・フィンはまたすばらしいグラフィック・アーティストでもあり、そのおかげでデ・ダナンのアルバム・ジャケットは同時代のアイリッシュ・ミュージックのアルバムの中でかけ離れて質の高いものになりました。たとえば3枚目《Mist Covered Mountain》の、若冲を髣髴とさせる鳥の群像には、初めて手にしたとき息を呑みましたし、アイリッシュ・ミュージックのアルバム・ジャケットとして歴代ベストの一つであります。

 リアム・オ・フリン、トミィ・ピープルズに続いて、1970年代半ばにこんにちのモダンなアイリッシュ・ミュージックを生み出していったアイルランド・フォーク・リヴァイヴァルの第一世代の一人を、今年失ったことになります。そういう時期に来ていることをあらためて思い知らされます。アイリッシュ・ミュージックは着実に新たな時期に入ろうとしています。

 追悼の意味もこめて、デ・ダナン初期の傑作アルバムがCD化されますように。とまれ、アレック・フィンの冥福を祈るものです。合掌。(ゆ)

 ドーナル、あなたは偉い。

 ボシィ・バンドのあの切迫感きわまるビートを生みだしていたのは、あなたのブズーキだったのだね。

 ということは、この40年間のアイリッシュ・ミュージックのビートを生みだしたのは、あなたのブズーキだったのだ。

 古希も近くなって、おさまりかえることなどみむきもせず、若いとき以上につっこんでゆく様には熱くなる。

 あなたの演奏を生で体験する恩恵には何度もあずかってきたけれど、これほど切迫感、緊張感に満ちた演奏は初めてだった。あなたの核心にある熱い塊に触れた実感をもてたのも、これが初めてだった。

 それにはおそらく、パディのまったるこゆるぎもしないフィドルのせいもあるのだろう。そのおちつきはらった演奏によって、全体の切迫感がさらに強くなる。

 これもまたまぎれもなくアイリッシュ・ミュージックの本質にちがいない。アイリッシュ・ミュージックの核心にあるビート、メロディの奥底に潜む熱い鼓動を、誰の眼にもあきらかな形で引き出してみせるのが、あなたのブズーキなのだ。

 その様子を見ていると、こちらの方が先にいってしまいそうだが、どうか、80になっても90になっても、その熱いビートを、鼓動をたたきつづけられんことを。

 この姿をまのあたりにする機会をもうけてくれたのざきようこさんに感謝する。(ゆ)

というおいしいライヴがあることに、つい先日、教えられるまで気がつきませんでした。

 まあ、金子さんのファンの方はご存知だったでしょうが、一応。

 詳しくはこちら

06/19(木)18:30 open 19:30 start
東京・祐天寺 FJ's

 小さな店なので、予約しないと入れないかもしれないそうです。


 なお、ドーナルは22日に、上野・水上音楽堂での「ピース・ミュージック・フェスタ」に、梅津和時、近藤ひろみ両氏とのトリオで出ます。本誌には載せていますが、念のため。(ゆ)

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