クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ブラジル

    (ゆ)も何度か担当させていただいている四谷のジャズ喫茶「いーぐる」連続講演荻原和也さんの「ショーロの午後」。『ポップアフリカ700』の著者として名を挙げた荻原さんだが、音楽遍歴の出発点はラテンで、中でもショーロには当初から親しみ、以後、こんにちまでずっと聞いてきた、アフリカよりもこちらが「本業」とおっしゃる。
    
    ショーロはわが国でもショーロ・クラブがあるくらいだし、もうすぐ本国からベテラン・バンドが来日もするそうで、荻原さんはしきりに「無名」のジャンルと繰り返しておられたが、ファンは結構多いのではないか。とはいえ、「いーぐる」が久々に満席になって、しかもふだんの常連がほとんどまったくいないという、なかなか興味深い集客になった。
    
    ショーロはブラジル北東部の伝統をベースに、リオ・デ・ジャネイロで発達した即興音楽、後にはサンパウロにも広がったが、基本的に都市の音楽だそうだ。とはいえ、ジャンルとしてはしっかり存続しているものの、主流になったこともなく、むしろシーンの背後でミュージシャンたちが自分たちの楽しみのために演奏を続けていたもので、ブラジルでは今でも積極的に聴く人はほとんどいない。
    
    とはいうものの、ショーロが消滅するということもまたなく、優れたミュージシャンたちが、その時々にすぐれた演奏をし、録音したものが浮上してくる。折りに触れて、思わぬミュージシャンがショーロへの傾倒を音楽で表現する。録音もインディーズであり、在り方としてはアイリッシュに近いようにも見える。
    
    また、ショーロという名称自体はポルトガル語の「ショナール」=泣くが語源とされているが、明確な規定、定義があるわけではない。リズムも複数あるし、楽器編成も戦前はフルートやサックス、戦後はバンドリンをはじめとする弦楽器が中心となるくらいで、固定されてもいない。ただ、数を聞いてゆくうちに経験的に体得されて、そのうち、それがショーロか、あるいはショーロの要素を持っているか、聞けばわかるようになる。その点で、終わりに近くかかったスコット・ジョプリンの〈The Entertainer〉やラストのビートルズ・ナンバーのショーロ化に、ショーロの特徴が現われていた。この辺も、アイリッシュ・ミュージックの在り方に通底するところがある。
    
    これまでショーロを聞いた経験は数えるほどだが、どちらかというとマイナー調の、「泣き」のメロディ、昏いサウンドというイメージを持っていた。今日聞かせていただいた音源はしかし、結構明るい調子のものが多く、名前とは裏腹に哀愁を帯びたものばかりではないそうだ。ビートルズ・ナンバー(ちなみにかかったのは「ヘルプ!」)をショーロで料理したものなど、実に楽しかった。これは、音楽的にも高度だし、しかもビートルズとショーロ伝統双方へのリスペクトもあり、決して受け狙いの企画では終わらない、気合の入ったもので、こういうシャレっ気は大好きだ。
    
    ショーロ自体は19世紀末、録音の発明前にはすでに成立していたそうで、実はここで音楽としての生命を終えていたのかもしれない、という荻原さんのコメントは興味深かった。それが生きながらえたのは、偉大なミュージシャンが出て、これを大成したことが主な要因ではあるだろうが、録音メディアの出現も大きかったにちがいない。
    
    録音によって音楽のジャンルの消長は速度が遅くなった、というのが筆者の仮説だが、ショーロの存続はさしづめ、その好例になるかもしれない。
    
    最も古い録音が蝋管なのもアイリッシュと同じだが、録音の初期にはこうした特徴的な音楽や楽器の録音が多かった。アイリッシュ・ミュージックの場合も19世紀末のイルン・パイプの録音が最初とされている。SP時代になると「レイス・レコード」として、明確に対象を絞った録音が大量に作られる。
    
    ショーロの音源はしかし、本国でのジャンルの評価の低さを反映して、復刻も少なく、すぐに廃盤になってしまうようだ。昨日かかった中では客の間で評価の高かったギタリストの Garoto や、ショーロ史上ほとんど唯一のシンガー Ademilde Fonseca の音源も今は入手が難しいそうな。
    
    アデミルジには一同驚嘆したが、後継者も一切現れず、ワン&オンリーの存在だったそうだ。最近になって、ついに後継者が現われたが、それが何と日本人女性だった、というのはいろいろな意味で興味深い。ひょっとすると、数十年たつと、アイリッシュ・ミュージックの伝統を最も良く受け継いでいるのは、アメリカではなく、日本ということになるかもしれない、と半ば本気で思う今日この頃ではある。
    
    その女性、片山叔美さんも会場にいらしていたが、うたは聞けなかった。05/22(土)に吉祥寺・Alvorada(アウボラーダ)でライヴがあるそうだ。

    片山さんはCD《私はショーロを歌う》も出され、その中では、89歳でまだまだ元気なアデミルジ本人も共演されている由。ブラジル音楽といわず、ヴォーカルに興味のある向きは聞いて損はないはずだ。
    
    非ブラジル人によるショーロ展開という点で、フランス人 Nicolas Krassik によるヴァイオリンも面白い。ショーロの歴史では、一人だけ、戦前にいたそうだが、本格的にヴァイオリンでショーロを演奏するのは初めてといって言いそうだ。
    
    他に印象に残った演奏では戦前の、ショーロの大成者 Pixinguinha のサックスと Benedicto Lacerde のフルートの共演、戦後すぐの Jacob Do Bandolim、この人は生涯公務員でプロにならなかったそうだが、バンドリンという楽器はこういう風に弾かれるために作られたのだと思わせる。一個の天才だろう。それに A Cor De Som というバンドのショーロ・ロックと、Hamilton de Holanda Quintet のショーロ・ジャズ《Brasilianos 2 (W/Dvd)》。
    
    ショーロはブラジル音楽の底流として、日の当たらないところに流れているらしい。軽快で、おしゃれで、即興には聞こえないが即興で、しかも複雑。しかし芸術性を追求するのではなく、あくまでも娯楽としての一線ははずさず、一方で自己顕示欲とも無縁だし、経済的見返りも大きくはない(《BEATLES 'N' CHORO》は大ヒットして4集まで出たそうだが)。気安く聞けるが、聞きこもうとすればいくらでも深くなる。
    
    これでショーロに開眼した、とまでは言えないが、ショーロがまた少し身近になったことは確かで、ブラジル音楽のそれこそ底知れぬ密林にわけいる、一筋の水脈になるかもしれないという期待が出てきた。
    
    それにしても荻原さんの博識と、それを縦横に操る話術にはあらためて脱帽。(ゆ)

アルボラーダ・ド・ブラジル    本日21時からの予定で今月号を配信しました。届かない方はご一方ください。


    今月号からこぼれた情報ひとつ。
    カルロス・ヌニェスの新譜《アルボラーダ・ド・ブラジル》が10/21にソニーから国内盤が出ています。今回はブラジル音楽とのコラボ。もともとガリシアはポルトガル文化の影響が濃いところですから、ブラジルはいわばいとこというところでしょうか。編集部はこれから聞きます。(ゆ)

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