クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ホィッスル

06月04日・土
 Tina Jordan Rees, 《Beatha》CD着。



 ランカシャー出身でリマリックでアイルランド伝統音楽を学び、現在はグラスゴーをベースに活動する人。フルートがメインでホィッスル、ピアノもよくする。これまでにも4枚、ダンス・チューンのアルバムを出しているが、今回は全曲自作で、ギター、ベース、バゥロンのサポートを得ている。初めクラウドファンディングで資金集めをした時に参加したから、先立ってファイルが来て、今回ようやくブツが来る。正式な一般発売は今月24日。

 中身はすばらしい。この人、作曲の才能があって、曲はどれも面白い佳曲揃い。中には名曲となりそうなものもある。楽器の腕も確かだし、明るく愉しく演奏するから、聴いていて気分が昂揚してくる。タイトルはアイルランド語、スコティッシュ・ゲール語の双方で「いのち」を意味する由。

 CD には各曲の背景も書かれていて、中には香港やタイのプーケット島に観光に行った印象を元にした曲もある。タイトル・チューンはやはりパンデミックがきっかけだろう。あたしもパンデミックをきっかけにあらためて「いのち」を身近に感じるようになった。

 このタイトルの発音は今一よくわからないが、デッドの定番ナンバー〈Bertha〉に通じるのがまた楽しい。こちらはデッドのオフィスで、スイッチが入ると勝手にあちこち動きまわる癖があった古い大型の扇風機の愛称。曲も明るく、ユーモラスな曲で、ショウのオープナーによく演奏される。「バーサ」がやってくるのは縁起が良いとされていて、「バーサ、きみはもうぼくのところへは来てくれないのか」と呼びかける。

 リースはこれから愉しい音楽をたくさん聴かせてくれるだろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月04日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続のの2日目。開演9時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、マザーズ。セット・リスト不明。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー10日連続の4日目。セット・リスト不明。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。3ドル。Southern Comfort、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。
 第一部はアコースティック・デッド、第二部がエレクトリック・デッド。間にニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのセットが入るのがこの時期の形。
 Southern Comfort はイアン・マシューズのあのバンドだろう。この年デビュー・アルバムを出している。
 第二部終り近く、ガルシアが客席に、俺たちがこれまでやったことのある曲で聴きたいものはあるかと訊ねた。〈It's All Over Now, Baby Blue〉と叫ぶと、レシュが指差して、笑みを浮かべた。という証言がある。アンコールがこの曲。

4. 1976 Paramount Theatre, Portland, OR
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部11曲目で〈Mission In The Rain〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。この月の29日シカゴまで5回だけ演奏され、その後はジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして演奏された。スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections》収録。

5. 1977 The Forum, Inglewood, CA
 土曜日。5.50, 6.50, 7.50ドル。開演7時。
 春のツアーとウィンターランド3日間の間に、ぽつんと独立したショウではあるが、出来としてはその両者と肩を並べる由。とりわけ第二部後半。

6. 1978 Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA
 日曜日。9.75ドル。開演12時。
 アンコール2曲目〈Sugar Magnolia〉が2010年の、第一部クローザー〈Jack Straw〉が2012年の、その一つ前〈Tennessee Jed〉が2019年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。どれも録音が良い。
 〈Jack Straw〉のクローザーは珍しい。
 第二部 Space でステージの上でオートバイが排気音を出した。
 Wah-Koo というバンドがまず演奏し、次にエルヴィン・ビショップが出てきて、そのアンコールでガルシアと Wah-Koo のリード・ギタリストが参加して、各々ソロをとった。次がウォレン・ジヴォン、そしてデッド。

7. 1995 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。第一部6・7曲目〈Mama Tried> Mexicali Blues〉でウィアはアコースティック・ギター。
 ベイエリア最後のショウで、これが最後に見たショウになった人は多い。この時点では、まだ2ヶ月後にガルシアが死ぬことは誰にもわかっていないが、アンコール〈Brokedown Palace〉を歌うガルシアは自らの挽歌を歌っていたように見えたという。(ゆ)

 パディ・モローニの訃報は晴天の霹靂だった。死因はどこにも出ていないようだ。Irish Times には比較的最近のビデオがあるから、あるいは突然のことだったのかもしれない。

 先日の「ショーン・オ・リアダ没後50周年記念コンサート」のキョールトリ・クーラン再編にモローニが参加しなかったことについて、オ・リアダの息子との確執を憶測したけれど、あるいは健康状態もあったのかもしれない。あの時、不在の原因としてモローニの健康を思いつかなかったのは、かれが死ぬなどということは考えられなかったからだ。他が全員死に絶えようと、モローニだけは生きのこって、唯一人チーフテンズをやっていると思いこんでいた。こんなに早く、というのが訃報を知っての最初の反応だった。


 パディ・モローニがやったことのプラスマイナスは評価が難しい。見る角度によってプラスにもマイナスにもなるからだ。まあ、ものごとはそもそもそういうものであるのだろう。それにしても、かれの場合、プラスとマイナスの差がひどく大きい。

 出発点においてチーフテンズが革命であったことは間違いない。そもそもお手本としたキョールトリ・クーランが革命的だったからだ。モローニはクリエイターではない。アレンジャーであり、プロデューサーだ。オ・リアダが始めたことをアレンジし、チーフテンズとして提示した。クラシカルの高踏をフォーク・ミュージック本来の親しみやすさに置き換え、歌を排することで、よりインターナショナルな性格を持たせた。たとえ生きていたとしても、オ・リアダにはそういうことはできなかっただろう。クラシックとしてより洗練させることはできたかもしれないが、それはアイリッシュ・ミュージックとはまったく別のものになったはずだ。

 チーフテンズもアイリッシュ・ミュージックのグループとは言えない。ダブリナーズ、プランクシティ、ボシィ・バンドのようなアイリッシュ・ミュージックのバンドと、キョールトリ・クーランのようなクラシック・アンサンブルの中間にある。もちろんこの位置付けは後からのもので、モローニが当初からそれを意図してわけではないだろう。かれはかれなりに、自分がやりたいこと、面白いだろうと思ったことをやろうとした。キョールトリ・クーランを手本としたのは、それが手近にあったことと、オ・リアダが目指したことを、モローニもまた目指そうとしたからだろう。それが結果としてチーフテンズをアイリッシュ・ミュージックとクラシックの中間に置くことになった。

 当初はしかしむしろモローニは自分なりのアイリッシュ・ミュージックのアンサンブルを構想したと見える。チーフテンズだけでやっていた時はそうだ。1977年頃までだ。《Live!》は今聴いても十分衝撃的だ。アイリッシュ・ミュージックのアルバムの一つの究極の姿と言ってもいい。

Live!
The Chieftains
CBS
1977T

 

 チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックとクラシックの中間にあり、様々な他の音楽とのコラボレーションに使えるといつモローニが気がついたのかはわからない。少なくとも中国に行く前に確信していたことは明らかだ。そして以後、モローニはチーフテンズのマーケットをコラボレーションによって拡大することに邁進する。その際、ポリシーとしたことは二つ。チーフテンズの音楽、レパートリィと手法は変えないこと、そしてチーフテンズの音楽を「アイリッシュ・ミュージック」として売り込むこと。それによってモローニはチーフテンズをビジネスとして成功させる。

 チーフテンズのコンサートは判で押したようにいつも同じだ。やる曲も順番も演奏も時間も MC もすべてまったく変わらない。わが国以外でチーフテンズのコンサートを見たことはないから言明はできないが、場所によって多少変えていただろうことは想像はつく。ただ、基本は同じだっただろう。そして共演する相手に変化がある。録音はもっと手間暇をかけられるし、テーマも立てやすいから、もっとヴァリエーションを作れる。チーフテンズのコンサートは何度か見れば、後は見ても見なくても大して違いはなくなる。もっとも、その違いが無いことを確認するために見るというのはありえた。録音の方には繰返し聴くに値するものがある。

 ただし、録音にしても変わるのはモチーフや構成、共演のアレンジで、チーフテンズの音楽そのものはコンサートと同じく、いつもまったく同じだ。変わらないことによって、どんな音楽が来ても、共演できる。そして誰と一緒にやっても、それは否応なくチーフテンズの音楽になる。

 モローニのやったことのマイナス面の最大のものは、チーフテンズの音楽をアイリッシュ・ミュージックそのものとして売り込んだことだろう。この場合チーフテンズの音楽以外はアイリッシュ・ミュージックでは無いことも暗黙ながら当然のこととして含まれた。チーフテンズの音楽がアイリッシュ・ミュージックの位相の一つだったことはまちがいない。しかし、アイリッシュ・ミュージックの中心にいたことは一度も無かった。むしろアイリッシュ・ミュージックの中では最も中心から遠いところにいて、1970年代末以降はどんどん離れていった。Irish Times でのモローニの追悼記事が「音楽」欄の中でも「クラシカル」に置かれていることは象徴的だ。チーフテンズの音楽は「チーフテンズ(チーフタンズ)」というブランドの商品だった。それをイコール・アイリッシュ・ミュージックとして売り込むことに成功したことで、商品としてのアイリッシュ・ミュージックのイメージが「チーフテンズ(チーフタンズ)」になった。


 チーフテンズを続けていることは、モローニにとって幸せだっただろうか。幸せではないなどとは本人は口が裂けても言わなかったはずだ。幸せかどうかはもはや問題にならないレベルになっていたのでもあるだろう。そう問うことには意味が無いのかもしれない。

 しかし、一箇の音楽家としてのパディ・モローニを思うとき、チーフテンズを始めてしまったことは本人にとっても不運なことだったのではないか、と思ってしまう。アイリッシュ・ミュージックの傑出した演奏家として大成する道もとれたのではないか、と思ってしまう。

 パディ・モローニはパイパーとして、そしてそれ以上にホィッスル・プレーヤーとして、他人の追随を許さない存在だった。と、あたしには見える。《The Drones And The Chanters: Irish Pipering》Vol. 1 でかれのソロ・パイプを聴くと、少なくとも1枚はソロのフル・アルバムを作って欲しかった。そしてショーン・ポッツとの共作ながら、彼の個人名義での唯一のアルバム《Tin Whistle》に聴かれるかれのホィッスル演奏は、未だに肩を並べるものも、否、近づくものすら存在しない。この二つの録音は、まぎれもなくアイリッシュ・ミュージックの真髄であり、とりわけ後者はその極北に屹立している。

 あたしが訳したチーフテンズの公式伝記の末尾近く、パディがダブリンのパイパーズ・クラブのセッションに参加するシーンがある。久しぶりに参加して、ひたすらパイプを吹きまくり、パディは指がツりそうになる。たまたまそこへフィドラーのショーン・キーンが現れ、セッションにいるパディを見て、大声でけしかけ、励ます。どうした、パディ。もっとやれえ。パディはあらためてチャンターを手にとる。そこでのパディはそれは幸せそうに見える。だからショーン・キーンも嬉しくなって思わず声をかけたのだろう。


 さらば、パディ・モローニ。チーフテンズはこれでめでたく終演を迎え、一つの時代が終った。あなたはクリスチャンのはずだから、天国に行って、楽しく、誰はばかることなく、大好きなパイプやホィッスルを思う存分吹いていることを祈る。合掌。(ゆ)


 菜花は西調布の駅からほど近いところで、ふだんはレストランらしい。トシバウロンがプロデュースして、ここでケルトや北欧の音楽のライヴを定期的に開く企画「菜花トラッド」の皮切りがこのデュオである。

 ここは須貝知世さんのデビュー・アルバム《Thousands of Flowers》レコ発で来たことがある。広々とした板の間で、テーブルや椅子もいずれも木製。生楽器の響きがいい。このイベントは食事付きとのことで、この日は二人が演奏するアイリッシュ・ミュージックに合わせてアイリッシュ・シチュー。実に美味。量もあたしのような老人にはちょうどいいが、トシさんには足らないかもしれない。

 この二人ではしばらく一緒にやっていなかったとのことで、ゆったりと始める。ホーンパイプからスローなリールのセット。次もゆったりとしたジグ。そのゆったり具合がいい。

 マイキーはクレアの出で、フィドルもそちらだが、西クレア、ケリィに近い方だろう。ポルカやスライドの盛んな地域で、もちろんそれも演るのだが、この日はとにかく走らない。勢いにのって突っ走るのは、まあ誰でもできるが、こんな風にゆったりと、充分にタメて、なおかつ曲の備えるグルーヴ、ノリが湧き出るように演奏するのは、そう簡単ではないはずだ。このあたりはやはりネイティヴの強み、血肉になっている伝統から、どっしりと腰のすわった安定感がにじみ出る。安定しきったその流れにただひたすら身をまかせられるのは、アイリッシュ・ミュージックの醍醐味のひとつではある。

 伝統音楽にはそれぞれに固有のグルーヴ、ノリがある。アイリッシュにはアイリッシュの、スコティッシュにはアイリッシュと似ているが、やはりスコティッシュならではのノリがある。スウェーデンのポルスカのノリはまた別だ。そういうノリを身につけるのは、ネイティヴなら幼ない頃から時間をかけられるし、どっぷりと浸ることもできるが、伝統の外では難易度は高い。一つの方法はダンスの伴奏、アイリッシュならケイリ・バンドなどで、ダンスの伴奏をすることかもしれない。トヨタ・ケーリー・バンドのメンバーは一晩で何時間もぶっつづけで、それも半端ではないテンポで演奏することで鍛えられていて、他のアンサンブルで演るときも抜群の安定感を体験させてくれる。

 それでもやはり、優秀なネイティヴが備える安定感は次元がまた別だ。マイキーがこの国に住んで、音楽をやってくれていることは、あたしなどには本当にありがたい。

 かれはまったくの1人でもすばらしい音楽を聴かせてくれるだろうが、アイリッシュは基本的にソーシャルな音楽だ。つまり、一緒にやって初めて本当に面白くなる。だから高橋さんのような相手がいることはマイキーにとっても嬉しいことだろう。

 高橋さんはこの日は得意のバンジョーは弾かず、ギターに徹していたが、かれのギターはミホール・オ・ドーナルを祖型とする従来のものからは離れている。ストロークで使うコードやビートの刻み方も違うし、ピッキングでメロディを弾くことも多い。フィドルやホィッスルとユニゾンしたりさえする。あるいは前半の最後にやったスロー・エアのように、アルペジオからさらに音を散らして、ちょっとトリップでもしているような感覚を生む演奏。かれは長年、アイルランドでプロの伝統音楽家として活動していて、伝統のコアをきちんと身につけているが、一方で、というよりもおそらくはそれ故に、実験にも積極的だ。そのギターは相当にダイナミックで、マイキーのむしろ静謐な演奏と好一対をなす。

 ライヴのプロデュースをするトシさんももちろんプロデュースだけして、黙って腕組みして見ているはずはない。バゥロンで参加して、ソロまでとる。こういう時にはジョンジョンフェスティバルのようなバンドの時よりもかれの個性が現れる。そして、見るたびに進化しているのには感心する。いつも新鮮な響きを、あのシンプルな太鼓から叩きだしてみせる。

 実は最近、あるきっかけでザッパに復帰したり、ジミヘンとかサンタナとか、今でいう「クラシック・ロック」熱が再燃していて、アイリッシュはほとんど聴いていなかったのだが、こういうライヴを見聞すると、カラダとココロがすうっとして、落着いてくるのを実感する。このレベルのライヴが期待できるのなら、この「菜花トラッド」は毎回来たくなろうというものだ。とりあえず次回は来月23日、奥貫史子&梅田千晶、フィドルとハープのデュオだそうだ。この組合せで見たことはないから楽しみだ。ケープ・ブレトン大会になるのか、クレツマー祭になるのか。

 それにしても、菜花のアイリッシュ・シチューはおいしかった。次は何か、とそちらも楽しみ。ごちそうさまでした。(ゆ)

 アコーディオンとヴォーカルの服部阿裕未さんが、演りたい人を集めてトリオを組むシリーズの1回目。初回のお相手は高梨菖子さんと久保慧祐さん。

 ミュージシャンにもいろいろなタイプがあって、演奏を好むことでは同じでも、演奏自体を好む人と自分が出す音を好む人がいる。と服部さんの演奏を見聞して思う。つまり、こういう曲を演りたいというよりも、こういう音を出したいので、好みの音を出せる楽曲と演奏スタイルを選ぶという人だ。この二つは截然と別れるわけではむろんなく、音楽家は皆どちらの要素も持っていて、どちらかが濃いわけだ。TPOでそれが出る人もいる。

 とはいえ、ある楽器を選びとるのは、やはりその楽器の音、音色、テクスチャ、音の運びが好きだからではないか。

 服部さんはたまたまその好みが比較的はっきり出るタイプなのだろう。たとえばその好きな音を延ばしたり、アクセントをつけたりするし、またそういう音型がフレーズが出てくる曲を選んでいるようにもみえる。たとえば前半のポルカのセットで、3曲目が高梨さんの〈柏餅〉なのだが、これだけ独立して選んだのは、ああ、この音が出したかったのだな、とあたしは納得した。高梨さんの曲はフィドルや笛で聴くことが多く、アコーディオンで聴くのはとても新鮮だ。ちなみにこのセットの一曲目はAパートのシンコペーションが面白くて、これも出したい音に聞える。好きな音を出す歓びがあふれる。

 好みの音を出したいというのは、その音を聴きたいことでもあって、だから無闇に急がない。リールでもゆったりしたテンポで、自分たちの演奏にじっくりと耳を傾けている感じだ。聴いていると胸のうちがおちついてくる。後半のマーチではそれがうまくはまっていて、この方面のハイライト。

 服部さんのもう一つの顔はこういううたをうたいたい、声を出したい、といううたい手だ。この方面ではなんといっても高梨さんの〈春を待つ〉。高梨さんの東京音大作曲科の卒業製作用の曲だそうだが、これをうたいたいといううたい手の気持ちが、もともとの佳曲をさらに良くする。歌詞を書くのが気恥ずかしいと高梨さんはいうが、ならば作詞は他に頼んでも、もっとうたを作って欲しい。それを服部さんがうたって一枚アルバムを作ってもいいのではないか。

 高梨さんは例によって、ある時はユニゾンに合わせ、ある時は裏メロをつけ、ある時はハーモニーを作って、アコーディオンを盛りたてる。高梨さんのホィッスルとアコーディオンの組合せも珍しく、その音の動きがよくわかるのが愉しい。これがコンサティーナではやはり違う。サイズも違うが、コンサティーナの音はもともと繊細だ。音自体はシャープではあるが、細い。服部さんはリードのピッチをわずかにずらして、倍音を響かせるようにしているせいもあるだろうが、音の存在感がどっしりとある。アコーディオンとホィッスルだけの組合せというのは、あまり聴いた覚えがないが、おたがいの音が際立っていいものだ。

 この二人を見事に支えていたのが久保さんのギター。前半ではギターをミュージシャンの方に向けていて、アルジーナに注意されたのか、後半は客側に向けるようにしていた。まあ、ライヴとしてはその方がいいだろうが、ギターは客に聞えなくてもかまわないものではある。というのに語弊があれば、ギターは客よりもミュージシャンに向けて演奏しているのだ。デニス・カヒルのライヴを見ると、かれは客のことなぞ眼中にない。そのギターはひたすらマーティン・ヘイズのために弾かれている。

 クボッティと呼ばれるそうだが、リールのセットでは冒頭、単音弾きでリールを弾きこなして見事だった。何人か、ワークショップなどで学んだギタリストはいるようだが、基本的に独学だそうで、そうだとすると、豊田さんの言うとおり、天才と呼んでおかしくはない。豊田さんのソロではデニス・カヒル顔負けのギターを弾いてもいて、まことに末頼もしい。今は John Blake がマイブームの由。04/08の豊田さんのソロのアルバム・リリース・ライヴがたのしみではある。

 ライヴ当日になってようやくトリオとしての形ができてきた、と服部さんは言っていたが、アイリッシュ・ミュージックは音楽そのものよりも、コミュニケーションつまりおしゃべりが一番の目的だから、それもまたアイリッシュ的ではないか。隅々まできっちりと作るのではなく、基本のメロディとして提示して、たとえばきゃめるの仲間が、思いもよらないコード進行をつけたり、ハーモニーを編み出したりするのが何よりも愉しいと高梨さんも言う。音楽で楽器でおしゃべりしながら、ああでもないこうでもないといろいろ試し、やってみて、だめなものは捨て、うまくゆくものを拾ってゆく。そういうプロセスが透けて見えるのもアイリッシュの魅力だし、この日のライヴには、そうして出来上がってゆくときの愉しさが現れていた。完成した、非のうちどころのない演奏を聴くのも楽しいが、綱渡りしながら音楽を作ってゆくところが見えるのもまた楽しからずや。

 トリオ・シリーズの次回はまだ未定だそうだが、季節が変わる頃に、またホメリでということなので、たのしみに待ちましょう。音楽が愉しいと、ビールも旨い。(ゆ)

 バゥロンの成田有佳里、ホィッスルの高梨菖子のデュオ、豆のっぽのライヴと聞いて、実はかなりストイックなものを予想したのだが、その予想が嬉しく裏切られたのは、まあ、当然でしょうな。

 やりたいこと、やってみたいことをとにかくやってみるのが、このユニットの趣旨。なるほど、デュオというのは自由度の高い形式ではある。その気になれば、ほとんど何でもできる。担当楽器を決めていても、応用の幅は相当に広い。これがトリオとかカルテットになると、それぞれの役割は収まるところに収まってきて、フォームとしては固まる傾向にある。むろん、それはそれでまたできることが異なるわけだが、自由度という点ではデュオにまさるものはない。

 二人ともコンサティーナを達者にこなすのは知っていたが、成田さんがギターも持ち出し、高梨さんはコンサティーナとロウ・ホイッスルとホィッスルを持ち替える。さらに、ゲストの梅田さんまでが、ホィッスルを吹き、トライアングルを叩く。始めた時と終る時で、全員異なる楽器を持っている、というのは、見て楽しいだけでなく、音楽としてもなかなかに面白い。これは肝心のところで、ヴィジュアル系ではあるまいし、やはり音楽が面白くなくては、どんなことをやってみせても、意味はない。

 この二人であれば、まずはオリジナルが聴き所になる。二人が属するきゃめるでやっている曲、この日のために書き下ろした曲、どれもやはり面白い。まずは〈おもちセット〉で、2曲目の〈さくらもち〉は名曲だとあらためて思い知らされる。成田さんの新曲は相当の難曲で、吹きおわって高梨さんは息を切らしていた。故意に難しくしようとしているわけではもちろんあるまい。一方で、新しい表現、新しい面白さを追求すると、従来考えられなかったような高度な技が要求されるものになってしまう傾向は、現代に作られる曲の宿命なのかもしれない。シニフィアン・シニフィエがとりあげている、メシアンやペルトにも通じるところがある。

 しかし、案外と言っては失礼になるだろうが、ホィッスルとバゥロンだけでやるトラディショナルが、オリジナルと同じくらい面白かったのは、見事だ。作曲をする人として、新たに作るようにアレンジをしているとも思えたりする。こういう時、伝統曲の柔軟さないし頑丈さが顕わになる。どんな扱いを受けても、曲としての佇まいはゆるがないから、演るほうとしては、むしろ安心して何でもできる。どんなことをしても、受け入れられるのだ。

 しかしあたしにとって最大のサプライズは梅田さんのうただった。せっかくだから1曲ソロで、と言われてやったハープの弾き語り。藤野由佳さんとのデュオでは1年くらい前からやっているそうだが、そちらはまだ見るチャンスが無かったから、初めての体験。すばらしいのは、梅田さんの歌唱はちゃんとうたとして成立していることだ。これはちょっと説明が難しい、というのはあたしもまだやくわかっていないのだが、うたになっているかどうかは、うまさとか、声の良し悪しとかとはまったく別の話のようなのだ。かつてシャロン・シャノンが引っぱりだした、デジー・オハロランのうたが一つの例になろうか。

 オハロランは声は地声で押し出しはないし、音程はふらふらとはまらないし、通常の意味ではお世辞にもうたがうまい、あるいはうたえるとは言えない。しかし、そう、かれには歌心がある、と言ってみようか。その一点で、かれのうたは独自の味わいのあるうたとして聞える。ヘタウマですらない。巧いヘタとは次元が異なる。

 梅田さんのうたはずっときちんとしている。音程がはずれるなんてことはありえない。しかし、やはり巧いヘタとは別のところでうたとしての魅力をしっかりと伝えてくる。聴きごたえがある。もっと聴きたくなる。あるいは、うたが巧いとは本当はそういうことなのかもしれない。

 成田さんと高梨さんは仲が良い。音楽をやっていなくても、きっと仲は良かったと思うと言うが、確かに息が合っている。ひょっとすると、きゃめるも出発はこの二人が軸になったのかもしれない。成田さんは、作曲しながら、ここはこういう風に演ってくれるといいなと思うことがある。一方で、そういうことを演奏者には言わない。演奏者の想像力をそういう形で縛るのは避けたいからだ。ところが、高梨さんはその秘かな願望のとおりに演奏してしまう。

 これもまた仲の良いこととは別のことかもしれない。が、そういうことがあれば、たとえ元は仲が悪くても、だんだん良くなるものではあるだろう。

 梅田さんも含めて、音楽を演っているとき、この人たちはどこか人間ばなれしている。妖怪とかいうと、恐しげな外見で、人間には悪さをするイメージだが、そうではない存在もいるのではないか、と彼女たちの演奏する姿を見ていると思えてくるのはいつものことだ。沖縄のキジムナーはこんな感じなのだろうか。異界の存在にもたぶんいろいろいるのであろう。

 高梨さんは直前に別のバンドに参加してPVを撮っていて、そのために髪を後ろでひっつめてまとめていた。むろんプロの仕事だ。和服を着たらさぞかし似合ったことだろう。その別のバンドの話も伺って、楽しみがまた増えたのだが、それはまた別の機会に。

 このデュオがどうなってゆくかがまず楽しみだ。きゃめるともティプシプーカとも違う、より自由度を高くすることを求めて、最先端へ突出する可能性もある。命ながらえて、見届けたいものではある。

 次はこの土曜日。同じホメリで、「春のゲンまつり!」。梅田さん、中藤さんに、巌裕美子氏のチェロが初見参。アイリッシュやスコティッシュだけでなく、クラシックもあるらしい。(ゆ)

 矢野あいみという人は知らないが、後の3人が出るんなら行かにゃなるめえと出かけると、やはり発見がありました。こういう発見ないし出会いは楽しい。tipsipuca プラスを追い掛けてふーちんギドと出会ったのに通じる。

 矢野氏はハープの弾き語りであった。梅田さんのものより小型の、膝の上にも載せられるサイズ。実際には膝の上に載せては弾きにくかろう。音域は当然高く、また響きもシャープ。この楽器を選んだきっかけは訊きそこなったが、声に合っているのも理由の一つだろう。

 矢野氏はこの声のアーティストだ。シンガーというよりも、声を使った表現という方がより正確だろう。うたは大きな割合を占めるが、うたうことがすべてではない。最もめだつのはホーミーのように2つの声を同時に出すテクニックで、ホーミーとは違うそうだが、効果は似ている。ホーミーの場合、高い方が倍音で額のあたりから出てくる感じだが、矢野氏のは2つの音の差がもう少し小さく、両方とも口のあたりから出てくる。これをうたの中に組込む。ホーミーの場合、それが行われている間はアーティストの表現のすべてを覆ってしまい、その場を支配する。それとはやはり異なって、うたの一部の拡大、表現の形としてはあくまでもうただが、その表情を多彩に豊かにする。

 このオーヴァートーンだけでなく、様々なテクニックないしスキルを駆使して、様々な声を出す。一番得意というか出しやすい声というのはあるようで、ここぞというところに使われると、倍音成分の多い声に、それだけで他は要らなくなる。不遜かもしれないが、歌詞もどうでもよくなる。

 シンガーというのは声の質だけで決まってしまうところがある。この声がうたってくれれば、歌詞の内容も、極端な場合にはメロディすらも要らなくなることがある。あたしにとってはアイリス・ケネディの声などはその例だ。絶頂期のドロレス・ケーンの声にもそういう瞬間がある。

 矢野氏はその気になればそれだけで勝負できる声をお持ちではないかと思う。それとも今の声は訓練の結果、得たものなのだろうか。いずれにしても、この声とテクニック、そしてハープの響きの相乗効果はかなりのもので、陶酔のひと時を過ごさせてもらった。おそらくハープを使っていることが一層効果を高めているので、ピアノやギターでも聴いてみたいが、隙間の大きい、発音と余韻の差が大きいハープの響きが効いているのだろう。

 あまりライヴはされていないようだが、ソロでも、あるいはこの日のようなバンドと一緒でも、もっと聴きたくなる。

 この日のプログラムは矢野氏が、ヴォイス・トレーニングの「お弟子さん」である服部氏に声をかけ、服部氏が高梨、梅田両氏に声をかけたということのようだ。服部氏も4曲うたったが、なんといっても中村大史さんの〈気分〉がいい。うたそのものもいいが、それを演奏する3人の「気分」がちょうどいい。それが一番よく出ていたのは高梨さんの笛。

 ライヴといっても、拳を握って、よおし聴くぞ、というのばかりがいいとはかぎらない。こういう、のんびりした、インティメイトな、友人の家のサロンのようなものもいいものである。ホメリだとその感じがさらに増幅される。強烈な感動にカタルシスをもらう、とか、圧倒的パフォーマンスに押し流される、とかいうことがなくても、ほんわかと暖かくなって、体のこわばりがとれてゆくのもまた良きかな。

 別にアイリッシュとうたう必要もないし、スコティッシュでもイングリッシュでもアフリカンでもいいわけだが、アイリッシュを掲げると親しみが増すというはどうもあるらしい。知らない人でも気軽に聴いてみようか、という気になりやすい。アイリッシュに人気があるのは、そういうところもあるのだろう。(ゆ)

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