クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ホイッスル

 須貝さんのフルートの音は太い、とあらためて思う。こういうのには人格が出る。須貝さんは人間が太いのだ、きっと。その太さはMCにも出ていて、全体としてはのほほんとして押しつけがましくない。それでいて、押えるところはちゃんと押えている。駘蕩としていて、聴いているとこちらも朗らかになってくる。体の中が熱くなるよりも、底のほうからぽかぽかしてくる。

 母親になったこと、お腹に赤ちゃんを抱えていることもまったく影響が無いとは言わないが、おそらく、もっと土台の、人間としての存在の部分が太いのだろう。もっとも、お腹の赤ちゃんが音楽にどれくらい影響があるのか無いのかは、興味深いところではある。人によっても違うだろうが、須貝さんの場合には、あるとしても良い影響のはずだし、たぶん逆も真だろう。

 フルートは楽器の中でも人間の肉体と最も密接に結びついている。マラソンしているようなものです、と須貝さんも言う。同様のことはパイプの野口さんも言っていたし、それもまたむべなるかなではあるが、フルートやサックスのような、息を吹きこむ楽器は、生命と直結している。マット・モロイが肺の病気に気がついたのもフルートを吹いていたからだった。女性のサックス奏者から、基礎訓練で毎日腹筋千回やってましたと聞いたこともある。フルートは息がそのまま音になる。人となりが一番ストレートにはっきりと出るとも思える。

 CDではハイトーンに移るときは、かなり明瞭に、ちょうど裏声になるようにぱっと切り替わって聞えるが、生で聴くとそれほどでもない。むしろ連続している。すうっと上がってゆくのは、ちょっと面白い。もっとも上がった先のハイトーンはやはり綺麗で、陶然とさせられる。前半ラストのスロー・エアからリールにつなげるメドレー、そしてアンコールでのハイトーンがすばらしい。

 録音してから演奏を重ねているのだろう、CDからさらに良くなっている。〈Mother's Lullaby〉もアンコール前のスロー・エアも、CDよりもさらにテンポを落とす。ゆったりとしたタメがいい。そしてこういう曲のラストの余韻がきれいに消える。

 余韻が消えるのがよくわかるのには、左右のサポート、左のアニーと右の梅田さんの配慮もあるらしい。CDでもそうだが、ライヴでも音は控え目にして、フルートの細かい息遣いや余韻を際立たせる配慮をしたそうだ。アンコールは na ba na から〈雨あがり〉をやるが、ここでは梅田さんのパープの音が急に大きくなった。

 須貝さんは Toyota Ceili Band にも参加していて、それで鍛えられているのだろう、アップテンポのダンス・チューンでも安定している。どちらかというと、ジグの方が合っているように、あたしには聞える。後半冒頭の〈Bird's Tiara〉のメドレーがハイライト。

 フルートをやっていると、たまには休みたくなるそうで、1曲、コンサティーナを演る。ここでは他の二人も楽器を換え、アニーはアコーディオン、梅田さんはホィッスルという編成の〈Planxty Irwin〉で、これがまた良い。そこからジグ、スリップ・ジグのメドレーでは、サポートはギターとハープにもどり、須貝さんはコンサティーナを弾きつづけて、やはりハイライトになる。須貝さんの演るジグがいいのだ。

 前半に梅田コーナーがあり、スロー・エアの〈Lark in the Clear Air〉を独奏する。梅田さんのハープはユニゾンしたり、裏に回ったり、かなり多彩な演奏を聞かせる。後半、低いC管の時に、高域をキープするのがたまりまへん。

 後半ではアニーが1曲うたう。いつものように〈夢のつづき〉で、須貝さんはこれを家でアカペラでノリノリのテンポでうたっていたそうだが、一度聴いてみたいものではある。この歌は生でも何回か聴いているが、やはりフルートの間奏がベスト。情感たっぷりのウェットな響きと、さっぱりとしたドライな手触りがよい具合にブレンドされている。

 ラスト2曲はトシさんがバゥロンで加わる。さすがに帽子を飛ばしたりはしない。良かったのはラストで、ここではアニーがアコーディオンにまわり、フルートとユニゾンをする。どういうわけか、アコーディオンの響きがすばらしく滑らかで、気持ちいい。別に特別のことはしていないそうだが、この会場との相性だろうか。

 会場の手紙舎は京王線・西調布の駅から歩いて5分ほどの、ふだんは1階がカフェ、2階はアパレルの店らしい。比較的天井が高く、アコースティックな楽器の響きが良い。この日は夕食付きで、ランチ・ボックスにグラタンの一種、パン三種、葡萄が数粒入っているものをいただく。滅法旨い。サイズは小さめに見えるが、あたしなどは結構おなか一杯になる。会場の後ろで、花屋さんが店を出している。これは特別の手配の由。結構珍しい花を扱っていたようだ。中藤さんが買った花束の花の名前を訊いているのを脇で聞くともなく聞いていたが、さっぱり知らないものばかりだった。調布ビールなるものを売っていたので、飲んでみる。これまたすこぶる旨い。アーモンドやピスタチオを大きく砕き、エジプト産の塩、クミン、コリアンダーとあえたものの壜詰があるので、買ってみる。またまた結構な味だ。香料が絶妙に効いている。

 終って外に出ると、来るとき降っていた雨はあがって、空には仲秋の明月。わずかに雲がかかっているのか、ほのかにぼんやりしている。こういう月は、ライヴの後味を一層良くしてくれる。(ゆ)


Thousands of Flowers
須貝知世
TOKYO IRISH COMPANY
2018-09-02


はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


Gathering Cloud
Toyota Ceili Band
TOKYO IRISH COMPANY
2017-04-09


 とても初めてのギグとは思えない息の合い方だ。レベルの高いミュージシャン同士だからといって、いつも息が合うというものでもないはずだ。これはひょっとするとミホール・オ・ドーナル&ケヴィン・バークとか、アリィ・ベイン&フィル・カニンガムとかと肩を並べるコンビになるかもしれない。

 いろいろな意味でかなり細部まで練られているのも、いつものアイリッシュ・ミュージックのギグとはいささか趣を異にする。音楽はすばらしいが、それ以外は結構ルーズで、いい加減で、だらだらしている、というのも、アイリッシュらしくてあたしは嫌いではないが、なるほど、アイリッシュでもやろうと思えばこういう風にもできるのだ。

 演奏曲目が印刷された洒落たカードや関係のある映像のスライドが用意され、カードには数字が書かれた別の小さなカードが付随していて、これでビンゴをやる。賞品はマイキィ特製のソーダ・ブレッドと紅茶のセットや、次回ギグのチケットだ。

 このコンビならフィドルとギターを延々と聴けるものと予想していたら、これも良い方に裏切られる。同じ楽器ばかりだと飽きますよね、と高橋さんは言うが、あたしはそうでもない。演奏の質がある閾値を超えると、おんなじ組合せでもいくらでも聞いていられる。もっとも、様々に楽器を変えるのももちろん楽しい。マイキィがホィッスルも巧いのは以前 O'Jizo のライヴにゲストで出たのを聞いて承知していた。

 マイキィのフィドルには良い意味の軽みを感じる。俳諧の、それも蕉風というよりは蕪村や一茶の軽みだ。剽軽というのとはちょと違う。強いて似たものをあげれば、Ernie Graham の〈Belfast〉のバックのフィドルが一番近いか。マイキィがもっと年をとると、あの飄々とした、可笑しくて、しかも哀愁に濡れた響きを聞かせるかもしれない。不思議なことにあたしはアイルランドのフィドルに哀愁を感じたことがない。スロー・エアでも、フィドルで奏でられると明るくなる。明るくて哀しい演奏もないではないが、哀しさはずっと後景に退く。これがパイプとかフルートとかだと哀愁に満ちることもあるのだが、フィドルはどうやっても哀しくならないところがある。アイルランドでは。スコットランドのフィドルは対照的に陰が濃いときがある。マイキィのフィドルの軽みは、あるいはアイルランドでは最も哀愁に近くなってゆくかもしれない。

 面白いのはホィッスルの音色にも同様の軽みが聞えることだ。これもどうもあまりこの楽器で聞いた覚えがない。

 高橋さんの演奏は芯が太く、どちらかというと重い。鈍重というのではもちろん無く、重みがあるということだ。高橋さんのギターの師匠は城田じゅんじさんだそうだが、城田さんのギターはむしろ軽い。このあたりは音楽家としての性格で、良し悪しの話ではないが、相性はそれによって変わってくる。たぶんマイキィと城田さんではあまり合わないだろう。高橋さんの重みを含んだ音がマイキィの軽みにちょうどぴったりなのだ。

 この日はギターの方が音が大きめで、その動きがよくわかる。相当に複雑なことをしている。ビートをキープするだけでなく、時にはユニゾンでメロディを奏でたり、ハーモニーをつけたりもする。それが音楽をエキサイティングにする。聴いていると熱くなってくる。いつもは否が応なく耳に入ってくるフィドルは、軽さもあってか、耳を傾むけさせる。集中を促すのだ。なかなか面白い体験だ。

 楽器の選択だけでなく、選曲もバラエティに富み、テンポも変える順序にしている。まずリールのセットで始め、次はスローな曲、その次はジグのセット、という具合。前半にギターの、後半にフィドルのソロも入れる。これが各々にまた良い。ハイライトはまず前半のワルツ。その次のスロー・エアで、ひとしきり演奏してからマイキィがそのメロディのもとになっている歌のアイルランド語詞を朗読する。なかなか良い声だ。それからジグにつなげるのも良い。

 後半で、ひきたかおりさんがゲストで入り、この前の高橋さんのギグの折りにも唄った〈Down By The Sally Garden〉の日本語版を、ロゥホィッスルとギターの伴奏でうたう。この歌詞はすばらしいし、ひきたさんの唄もまた良し。ぜひ、唄がメインのギグもやってください。

 アンコールは何も考えていなかったらしく、その場で楽器は何を聴きたいかと客席に問いかける。結果、フィドルとバンジョーの組合せでのリールのセットになり、これがもう一つのハイライト。良いセッションを聴いた気分。

 正直、客の入りは心配していたのだが、お二人の人脈は幅広く、満杯。新しいデュオの、まずは上々の出だしではなかろうか。来年ぐらいには録音も期待しよう。(ゆ)

 先日のグレイトフル・デッドのイベントの準備でてんてこ舞いしているところへ、もう一つ仕事が重なってパニックになり、酒井さん宛欠席届けを出したら、次のライヴはいつになるかわからない、来ないと後悔しますよ〜とほとんど脅迫状が返ってきた。ならばと褌を締めなおして仕事を片付けて駆け付けた。結論から言えば、やはり来て良かった。

 メンバーが各々忙しく、このバンドのライヴは久しぶりで、1曲め〈かぼちゃごろごろ〉はまるで挨拶のようなものですね、と熊谷さんからコメントがでる。かつてはフロントとリズム・セクションの役割分担が明瞭で、そこが面白みであったのだが、こうして聴くと、バンドとしての一体感が濃厚になっている。面白くなくなったわけではなく、バンド内部のやりとりが、表面からは見えなくなっているので、音楽そのものはより肌理が細かく、滑らかになり、深く入ってくる。

 それが最も発揮されたのは前半4曲目の〈Fanny Power; しゃぼん玉〉で、ここで熊谷さんがスティックでサイド・ドラムの縁を叩いたのが実に美味しかった。この曲はカロラン・チューンから童謡につなげて、なおかつ、コーダでは高梨さんのコンサティーナがファニー・パワーを、酒井さんのフィドルがしゃぼん玉を、同時に奏でる。もう、こたえられません。
 
 わが国のメロディを採用するのは、後半、最後近く、確かアイリッシュの伝統曲(だったと思う、もう記憶が曖昧)と長崎民謡のでんでれでーこーを組み合わせる曲でも使われて、これまた実に良い。

 こういう試みは《DUO!》の〈月夜の台所〉にもあって、このバンドのウリの一つになってきた。ぜひ、どんどんやっていただきたいものだ。うまい組合せさえ見つかれば、あとはそう難しくないはずだ。もっとも、そういううまい組合せを見つけるのが、センスと根気の要るところではあるが。

 今回は新曲披露会でもあって、北海道ツアーに取材したものが多かった。〈知床の夜〉はロシア風味のある変拍子の曲、フィドル、コンサティーナ、アコーディオンによるジンギスカン鍋の曲、蟹、氷下魚(コマイと読む)、ヤマベの魚セット、それに〈鮭三景〉改め〈鮭の神話〉、いずれも美味。ジンギスカン鍋は、熊谷さんの故郷鹿追のおおさかやという店独特のものだそうだ。こういう曲を聴くと食べたくなる。

 ハーディングフェーレの曲ももちろんあって、〈とりとめのない話〉が前半のラスト、新曲〈理不尽な話〉が後半のオープナー。後者はハーディングフェーレとロウ・ホイッスルの二人だけで、この二つは案外よく合う。とはいえ、今回は前者の壮大なスケールを実感できたのが収獲。

 アンコール用のはずだった〈蕎麦喰う人びと〉を本番ラストにやってしまったのでやる曲がないということでリクエストを募ってアンコールは〈ラムチョコレート〉。高梨さんの作る曲にはほんとうに食べ物がインスピレーションの源になったものが多い。魚の名前の曲も、泳いでいるやつよりは食べ物としてみている。前半には〈Tea Time Polka〉もやった。どれも聴いていると、タイトルになっているものを食べたくなるから不思議だ。そうしてみると、アイリッシュにもスコティッシュにも、食べ物や飲物がタイトルに入っている曲はほとんど無いなあ。Whiskey はいくつかあるけれど。

 この直後に録音に入るとのことで、この日のライヴはそのための助走の意味もあったらしい。秋には出るそうで、これは実に楽しみだ。国内アーティストの録音は昨年も豊作だったけれど、今年はわかっているだけでもそれに輪をかけた充実ぶりだ。収獲の周期が来ているということか。

 家でひたすらデッドを聴いているのもそれはそれで極楽だが、やはりこうして生で良い音楽に浸れるのは、何物にも換えがたい。いや、ほんとにごちそうさまでした。(ゆ)


duo!!
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2016-04-10


Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


 ヴィン・ガーバットが今月6日に亡くなっていました。享年69歳。心臓の僧帽弁を人工のものに交換する手術を受け、手術自体は成功しましたが、人工の弁がうまく作動しなかったらしい。

 マーティン・カーシィやアーチー・フィッシャーや、あるいはディック・ゴーハンが死ぬのはやはりショックではありましょうが、ヴィン・ガーバットが亡くなるのは、あたしにとってはまた格別の哀しみであります。死なれてみるとあらためてそう思います。もちろんそうした人たちの大ファンでもありますし、おそらく全体の業績から言えばカーシィやゴーハンの方がいろいろな意味で大きいでありましょう。しかし、ガーバットはもっとずっと個人的なレベルで親しみを感じていました。一度も会ったこともなく、連絡をとったこともなく、ライヴもついに見られなかったわけですが、それでもかれはどこか遠くにいる人ではなく、いつでもそこにいて、頼めば、人懐こさがそのまま声になったかのように人懐こい声と独特の巻き舌で、味わいふかいうたをいくらでも聴かせてくれる。あたしにとっては上にあげた人たちの誰よりも、ブリテンのフォーク・ミュージック、フォーク・ソング、うたの伝統をいまここに受け継ぎ、うたい続け、つくり続けてくれる近所のおっさんでした。

 50年近いキャリアを経て、ガーバットは英国ではまぎれもないスターの一人で、葬儀には800人が参列して地元の教会はあふれたそうですが、スターらしさというものが欠片もない人でもありました。カーシィにしてもゴーハンにしても、フォーク・ミュージシャンは皆そうですが、その中でもガーバットの「近所のおっさん」度の高さはちょっとない。

 そのうたは、フォーク・ミュージックの伝統をしっかり継いで、虐げられた人びと、踏みつけられた人びとになりかわり、その苦しみ、哀しみ、嘆きをうたうものです。というよりも、自分もその一人であるところからずっとうたっていました。けれどかれのうたは拳を上げて怒ったり、お涙頂戴を誘うものではない。そのかわりにからりとしたユーモアにくるんだり、あるいは冷静なロマンティシズムにのせたりします。聴いていて涙が出るとしても、それは感傷的なものではなく、心の底から湧いてくるわけのわからないものが形をとるのです。そうして笑ったり泣いたりしているうちに、そのうたによって確実に世界はよりよくなったと感じる。そうしてもう一度生きていこうという気になる。

 そしてうたのうまさ。いつだったか、何かの記事にポール・ブレディとタメを張ると書いたことがありますが、依怙贔屓を入れれば、あたしはポールよりうまいとすら思います。ガーバットは出身の北東部イングランドの訛がきつく、また極端な巻き舌で、あたしなどは歌詞を見ながら聴いてもわからないくらいですが、そうしたものを超えてうたの肝を伝えてくる説得力で右に出るものはちょっと無いでしょう。

 1970年代初めにデビューしたうたい手の常として、かれはギターも達者ですが、母親がアイリッシュだったことから手にしたホィッスルも無類に上手い。若い頃は地元のアイリッシュ・コミュニティで腕を磨いたそうですが、この楽器の名手がまだほとんどいなかった頃に、穴のあいたパイプ1本でどれほどのことができるか、そしてまたどれほど楽しい音楽がそこから生まれるか、最初に教えてくれた人でもあります。

 Vincent Paul Garbutt は1947年11月20日にイングランド北東部ティーズ川南岸のミドルズブラに、アイリッシュの母親とイングリッシュの父親に生まれました。ボブ・ディランやクランシー・ブラザーズの影響でうたいはじめ、学校を出ると大陸にバスキングの旅に出ます。おもにスペインで過ごし、1970年代初めに帰郷すると、地元のフォーク・グループに参加しますが、一人でやる方が性に合っていたのでしょう。録音では大所帯のバンドを自在に操ったりもしますが、基本的にソロ・アーティストで通しました。

 スペインにいた頃からうたをつくりはじめていましたが、本格的になったのは帰郷してからで、Graeam Miles や Ron Angel など、地元のうたつくりたちに刺戟を受けました。1972年、ビル・リーダーの Trailer から出したデビュー・アルバム《THE VALLEY OF TEES》はそうした自作と伝承曲が半分ずつで、伝承曲の歌唱もすばらしいものの、タイトル曲をはじめとする自作曲の印象が強烈で、その印象は時が経つにつれて深くなりました。幸いこの自作曲はほとんどが後に《THE VIN GARBUTT SONGBOOK Volume One》として録音しなおされています。


The Vin Garbutt Songbook Vol.1
Vin Garbutt
Home Roots
2003-03-24



 以後、コンスタントにライヴと録音を重ね、独自の世界を築いてきました。最新録音は一昨年の《SYNTHETIC HUES》でこれが16作め。


Synthetic Hues
Vin Garbutt
Imports
2014-12-16



 下のビデオはあちらの死亡記事のいくつかに掲載された2009年8月のもの。うたっているのは《THE VALLEY OF TEES》のタイトル曲。ティー渓谷はかれが愛してやまなかった故郷です。本人の姿はさすがに歳月を経ていますが、うたと声はデビュー録音そのままです。




 昔、松平維秋さんと電話で話していて、ガーバットのあの明るさは貴重だよね、と言われていたのが印象に残っています。カーシィやゴーハンや、クリスティ・ムーアやポール・ブレディや、あるいはシャーリー・コリンズやジューン・テイバーは昏いというのが背景にあっての発言ではありますが、ガーバットの音楽のユニークな魅力を一言で言いあらわしてくれたと感心しました。時間が経つにつれて、その明るさに、めげない精神、辻邦生が「積極的な楽天主義」と呼んだ態度が見えるように感じ、あらためて貴重だと思うようになりました。不撓不屈というよりは、柳のような、がじゅまるの木のような粘り強さでしょう。ますますお先真っ暗な、不安ばかりが増す世界と時代にあって、ガーバットの音楽は、一隅を照らす灯にも見えます。

 さらば、ヴィン・ガーバット。御身の魂の安らかなることを。合掌。(ゆ)

 昨日配信しました本誌12月号の目次に、hatao さんの記事が抜けていました。正しくは以下のようになります。

 hatao さんと読者の皆様にはご迷惑をおかけし、まことに申し訳ありません。

--引用開始--
                            CONTENTS

Part 1
- ニュースの重函

Part 2
- ハウゴー&ホイロップのラスト・クリスマス ……………………… 石井達也
- Great 10 Years 再び〈Bear's Chain〉で辿る H&H ………………新藤直子
- シャナヒー《time blue》……………………………………… いくしまとおる
- ミケル・ラボアを偲んで…………………………………………………植野和子
- ティン・ホイッスル教則本が出ました…………………………………… hatao
- ドレクスッキップのインタビュー …………………………… field 洲崎一彦

Part 3
- 人は去り、人はつながる。………………………………………………中山義雄
- 『聴いて学ぶアイルランド音楽』の使い方……………………おおしまゆたか
--引用終了--

 ホイッスルの安井敬さんのバンド、ホイッスリング・ブリーズが東京駅八重洲口のアイリッシュ・パブに出るそうです。今年3月にオープンした店だそうな。あの界隈だと初めてでしょうか。


08/02 (水) 19:00〜22:00
Whistling Breeze Live!
安井 敬(ホイッスル)、庄司祐子(ホイッスル&キーボード)、畑内 浩(ギター) 
 「CELTS(ケルツ)八重洲店
チャージ無料
お問い合わせ:TEL.03-5205-3801

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