クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ホラー

5月20日・木
 
 Book Depository から買う本に付いてくる Problems only readers have… のコミック付き栞、5枚シリーズになっているものの #3 が初めて来た。他は何枚も来ている。これは傑作。#1 がこれに次ぎ、#2、#5、#4 の順。#6以降続くのか。続いて欲しい。これまでのシリーズものの中ではとびぬけて面白い。

#1 You talk out loud to the characters of your favourite books
#2 Your book is over but the characters you love, live on
#3 When you can't do anything until you finish your chapter
#4 Getting new books delivered is a really big deal
#5 You keep forgetting where you've left the books you're reading

 #4はよくわかる。注文した本が来るのは本当に嬉しい。新刊古本、関係無い。すぐには読めないことはわかっていても嬉しい。何らかの理由で来るはずのものが来ないとイライラする。

 Elizabeth Hand の Available Dark はこれまで二度注文して二度とも来なかった。どちらも AMP 経由で最初はインドの本屋、二度めはアメリカの本屋だったが、発送通知は来たものの、待てど暮らせど、来ない。シリーズ既刊4冊のうち、これだけが来ない。二度めも到着予定期日を1ヶ月以上過ぎたので、ついに諦めて返金請求をする。幸い、どちらも返金された。三度目は AbeBooks 経由にする。三度目の正直なるか。

 上記栞の #3 はそのハンドの傑作 Fire を思わせる。可笑しいが、怖い。恐怖と笑いは同じものの両面か。(ゆ)

が発表になっている。

 Locus 執筆陣はじめ、編集者、書評家、ブロガー、批評家など、主に読みのプロのグループ約40名の合意によるリストだ。900を超えるタイトルから、サイエンス・フィクション、ファンタジィ、ホラー各々の長篇、デビュー長篇、ヤング・アダルト長篇、短篇集、アンソロジー、ノンフィクション、画集・アートブック、それにノヴェラ、ノヴェレット、ショートストーリィの部門で、各々20〜30本(中短篇は合計で124本)のタイトルがリストアップされている。英語圏のSFFの昨年の収獲としてはまずこれが土台になる。発表もいつもこの時期で早いから、ヒューゴー、ネビュラの候補作もこのあたりが中心だ。

 このリストは上記プロたちがそれぞれに出した推薦リストを擦り合わせたもので、当然、あれがない、これがないというものは多々ある。すでに最終候補が発表になっているフィリップ・K・ディック賞の候補6本のうち、ここにも入っているのは半分だけだ。

 このリストは同時にローカス賞の候補作リストでもあり、読者の投票で受賞作が決まり、6月に発表になる。今やヒューゴー、ネビュラに並ぶ賞になってきた。投票数からいえば、おそらく Goodreads のものが一番多いのだろうが、あちらは人気投票でベストセラーに票が集まる傾向がある。

 ざっと見て、中短篇のリストではオンライン・マガジンからのものが圧倒的なのはあいかわらずだ。今年のリストでは Beneath Ceaseless SkyUncanny Magazine の活躍が目につく。ここ2、3年、急速に内容を充実させてきていて、LightspeedClarkesworld と「四強」になってきた観がある。もう一つ Tor.com もあるが、これは基本無料なので別枠。他の4つもネット上でタダで読めるが、定期購読ないし各号ごとに販売している。これからも質の高い、愉しい中短篇が読めるように、ちゃんと払うものは払いましょう。直接でなくても、アマゾン、Apple Bookstore、楽天 kobo ストアでも買える。

 紙版からの三誌、AnalogF&SFAsimov's の質がとりわけ落ちたとも思えないが、オンライン・マガジンは今の時代、やはり目につきやすいということだろうか。この三誌も今や紙よりも電子版での定期購読の方が多いそうだが、ネット上での存在感が薄いことは否めない。F&SF の編集長が Shere Renee Thomas に変わることがどう出るか。


 あたしとしては中短篇にアリエット・ド・ボダールが4篇も入っているのは嬉しいが、ノヴェラ部門に2篇入っているのは、票が割れて、受賞には不利だろう。この2つはアリエットが書いている2つのシリーズ「シュヤ」と "Dominion of the Fallen" 各々に属するもので、どちらも優劣つけがたい。

 1人で4篇をこのリストに送りこんでいるのはアリエットだけで、続くのは上記 Shere Renee Thomas と  Usman T. Malik の各々3篇。アリエットの作品は玄人受けするところがあるとも言えよう。確かに Seven of Infinities などは、フランスの心理小説を読んでいる気分になるところもあって、英語圏SFFとしては珍しい部類かもしれない。

 昨年のものとしてはあたしは Adrian Tchaikovsky の Firewalkers を大いに愉しんだので、長篇ないしノヴェラに出てこないのは不満ではあるが、この人はアリエットとは対照的で、いささかあざといところもあって、プロにはあまり評価されていない。ディック賞の候補になっている The Doors Of Eden もこちらのリストには無い。Firewalkers はそのあざとさが良い方に作用して、ラストのどんでん返しが見事に決まり、読後感の爽やかさは、近頃ちょっと珍しい部類。

 このリストにもどれば、もちろんあたしなどはほとんど読んでいないので、よりどりみどりなのだが、とりあえずぱっと目についたアンソロジーの A Sinister Quartet を注文した。Mike Ashley, C.S.E. Cooney, Amanda J. McGee & Jessica P. Wick の4人のノヴェラを集めたもの。冒頭クーニィのは長篇の長さのもので、デビュー長篇のリストにも上がっている。Amazon の読者レヴューではクーニィの1作でも5倍の値段の価値があるとも言われているから、期待しよう。


A Sinister Quartet (English Edition)
Wick, Jessica P.
Mythic Delirium Books
2020-06-09

 

 ローカス賞投票締切は4月15日で、それまでにどれくらい読めるかなあ。(ゆ)

 漱石の『夢十夜』の朗読に音楽をつける。ただし音楽は朗読の「伴奏」や「バック」では無い。朗読と対等の位置付けだ。音楽は作曲しているところと即興のところがあるが、その境は分明でない。それぞれの話で、朗読と音楽の構成の大枠は決まっているが、朗読がいつどこに入るか、は即興の場合もある。これまた、決まっているところと即興の部分は分明でない。

 音楽を担当するのはピアノの shezoo、パーカッションの相川瞳、サックスの加藤里志。朗読を担当するのは西田夏奈子と蔵田みどり。そして、各挿話からイメージを育み、イラストとして描き、スライドで上映するのが西川祥子。

 蔵田さん以外のメンバーはこれに先立つアンデルセン『絵のない絵本』全篇を朗読と音楽とイラストで体験するイベントを成功させている。これがあまりに面白かったので、もう少しやろうということになり、その対象として『夢十夜』を選んだ。まことにふさわしいものを対象にしたものだ。『夢十夜』は『絵のない絵本』と同じメンバーで2回に分けてやり、その後、蔵田さんを加えて全夜上演をやっている。今回は全夜一挙上演の2回めになる。

 前回の全夜上演は見られなかったので、蔵田さんのパフォーマンスに接するのは初めてだが、彼女の参加は大成功ではある。一挙上演となると、朗読者が一人では単調になるかもしれないという配慮から出たアイデアかもしれない。西田さんとは対極にあるアプローチで、西田さんが俳優という本業を活かして、朗読を演じるのに対し、蔵田さんはシンガーという本業を朗読に持ちこんで、唄うように読む。その対照がまことに鮮やかで面白い。二人は交互にメインの役割を担当し、蔵田さんが奇数、西田さんが偶数の夜を読む。時には、各々一部の声を分けたりする。その呼吸が絶妙だ。

 音楽は基本は同じだが、テキストのどこで入るかや、楽器同士の受け渡しなど、細かいところをいろいろ変えているようだ。このトリオは実に切れ味がいい。音楽をシャープにしているのは主に相川さんのパーカッションだが、加藤さんのサックスやクラリネット、リコーダーまでがこれによく応えている。shezoo さんのピアノもリリカルの演奏がすぱすぱとキレる。

 もちろん各々の話にふさわしい音楽を作り、演っているわけだが、音楽だけでも独立している。聴いて愉しい。愉しい音楽がそのまま舞台設定ともなり、朗読を増幅もする。話が立体的に立ち上がってくる。イメージがより鮮明に湧く。同時に言葉の響きがより明瞭になる。話の世界に引きこまれ、没入させられる。話の伝えようとするところが、ひしひしと伝わってくる。それは論理ではない。教訓でもむろん無い。名状しがたい感覚だ。ひょっとすると、そのキモを感じとるには、ただ読むだけではダメで、こうして音楽とパフォーマンスが一体となって初めて感得が可能になるのかもしれない。

 西川さんのイラストは古書の1ページをきりとり、裏から線香の火を近づけて焦がして描く。今回は『夢十夜』の文庫のそれぞれの話の1頁だったようだ。

 十篇一気に体験して気がついたのは、全体としてピーンと張りつめた話から始まるのが、徐々にゆるんできて、最後はほとんど落語になっている、という構成の妙である。一夜ずつは独立した話だが、通してみると、全体として一本の筋が通っている。そして、その筋から覗けるのは、この話はずいぶんと奥が深いということだ。ファンタジィの常として、いかようにも読めるが、これまたすぐれたファンタジィとして、おそろしく根源的なところまで掘りさげている。人間が生きることの玄妙さを具体的に浮き上がらせる。そして少なくともその一部は、こうしたパフォーマンスでしか垣間見ることができない。

 もちろん音だけではない。朗読者たちの演技、表情だけでもない。ミュージシャンたちの姿、画面の絵、そしてこの場の空気、雰囲気まで含めての、全体体験だ。その場に立ちあわなければ味わえない体験だ。

 だから、また別の作品、たとえば足穂の『一千一秒物語』あたりを見たいと思う一方で、この『夢十夜』全夜一挙上演を、また見たいとも思う。これは何度も体験したいし、見る方も数を重ねることで、あらたに見えたり感じたりするところがあるはずだ。そしてその体験の蓄積の上にようやく感得できるものがあるはずだ。

 今回、意表をつかれたのはラストの蔵田さんと shezoo さんによる「からたちの花」だった。これがこんなに切実に、染々と心に流れこんできたのは初めてだ。歌そのものの美しさに眼を開かれた。ゆっくりと、決して声を上げず、ささやき声になる寸前の声で、ていねいに唄う。

 この歌をラストのしめくくりとして唄うことは shezoo さんのアイデアだそうだが、蔵田みどりといううたい手を得て初めてどんぴしゃの、これ以上無い幕引きになっている。漱石が聴いたなら、大喜びしたにちがいない。同時に、古いこの歌が、時空を超えて輝いていた。この歌を聴くためだけにでも、『夢十夜全夜上演会』を再演して欲しい。あの十篇のパフォーマンスがあって、その後に唄われるところが良いのだ。

 これは狭い空間で体験すべきものではある。観客100人でも多すぎるかもしれない。朗読者やミュージシャンたちの表情の微妙な変化も見えるくらいの、近いところで見たい。もちろんオペラグラスで見てはぶち壊しだ。

 それにしても、こういう、新しい形を思いつき、形にしてゆくアーディストたちには心からの敬意を表さざるをえない。ありがとうございました。(ゆ)

 英国の Kitschies の第6回の最終候補が発表になっている。受賞作発表は3月7日。選考は部門別の選考委員会。

 英国のゲーム、ウエブ・サイト開発会社がスポンサーの賞で、「スペキュラティヴで、ファンタジィの要素を含む、先進的で知的で面白い作品」に与えられる。小説、デビュー作、カヴァー・アート、デジタルの4つの部門。デジタル部門は電子本だけでなく、インタラクティヴ・フィクション、ゲームなども含む。

 小説のうちN・K・ジェミシンの THE FIFTH SEASON はネビュラ、Dave Hutchinson の EUROPE AT MIDNIGHT が英国SF作家協会賞の候補にもなっている。この2冊と Adam Roberts の THE THING ITSELF はローカスの推薦リストにも収録。また、デビュー作はすべて他のリストには無い。 

 賞の名前の "kitschy" は「キッチュ」から来ているのだろう。わざと古めかしい装いをまとった、浅薄で俗物的なものをさす。この場合はむろん逆説的用法。"bad" がすごく良いことであるのと同じ。


 オーストラリア国内で、またはオーストラリア市民によって発表された、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、障碍をテーマとする優れたスペキュラティヴ・フィクションに与えられる。主催はオーストラリア・サイエンス・フィクション財団(ASFF)。2010年、メルボルンの第68回世界SF大会 Aussiecon 4 で第1回の受賞作が発表・授与された。選考は選考委員会による。ASFF は1975年、オーストラリア初の世界SF大会 Aussiecon の運営のために設立された。受賞作発表は3月末のオーストラリアSF大会 Contact 2016。ディトマーと、サイエンス・フィクションでなみはずれた業績に与えられる A. Bertram Chandler Award と同時。ノーマ・キャスリン・ヘミング (1928-1960) はオーストラリアの女性SF作家のパイオニア的存在。

 7本の最終候補のうち2本が Aurealis の候補と重なる。1本はヤングアダルト長篇、もう1本は短篇。


 受賞作発表は5月17日の StokerCon。1987年創設で、主催は Horror Writers Association。対象は全世界で英語で発表されたもの。HWA の会員資格は国籍を問わない。ただ、ストーカー賞の対象は基本的に英語による作品。ノミネートは協会員の推薦と各部門別の推薦委員の推薦。ここから会員の投票により最終候補と受賞作が決まる。この賞は「最優秀作品 best」を選ぶのではなく、「すぐれた作品 superior」を選ぶとわざわざ断わっている。複数の受賞作が可能なようにルールを作っている由。

 ホラー、ダーク・ファンタジィの分野は専門の書き手が多く、媒体も別で、他のリストとはほとんどまったくといっていいほど重ならない。サイエンス・フィクションやダークではないとされるファンタジィでもホラーやダークな要素を重要なモチーフにしている作品はあるが、それとはどうも選ぶ基準が違うようでもある。例外的に Alyssa Wong の "Hungry Daughters of Starving Mothers” はネビュラの短篇部門最終候補に入り、ローカスの推薦リストにもある。また Stephen Jones 編 THE ART OF HORROR: An Illustrated History がローカスの推薦リストにある。

 なお、賞のノミネートの参考として推薦リストが発表されている。こちらにはサイエンス・フィクション、ファンタジィとして出ているものも含まれる。


 こうして並べてくると、前年の成果を確認・表彰する各賞の発表は3月から始まり、8月のヒューゴー賞発表はその締めくくり、総仕上げになるわけだ。(ゆ)

 英国SF作家協会賞Asimov's 誌読者賞、それにディトマー賞のそれぞれ最終候補が発表されている。

 前二者は『ローカス』の推薦リストと重なるところも多いが、もちろん独自のものもある。
英国SF作家協会賞では

Novel
Chris Beckett, Mother of Eden, Corvus

Short stories
Paul Cornell, “The Witches of Lychford”, Tor.com
Gareth L. Powell, “Ride the Blue Horse”, Matter

がローカスのリストにはない。それにノンフィクション部門はほとんどが雑誌などに発表された短かいものなので、『ティプトリーへの手紙』以外は重ならない。

 『アシモフ』誌の方はローカスのリストにあって読者賞の候補にないものもある。これも当然ではあるが、このあたりを読み比べるのも面白い。大部分が PDF の形でネット上に公開されている。

 ディトマーはオーストラリアのヒューゴーに相当する賞で、対象はオーストラリア国籍または在住の人の作品と業績。挙がっている作品はほとんどが他では見ない。発表媒体では Tor. com と F&SF が重なるくらいだが、どちらの作品もローカスの推薦リストには入っていない。こういう視点の多様性はここでも大事。この賞に付随する賞として批評作品に与えられる William Atheling Jr 賞の候補に『ティプトリーへの手紙』が入っているのが目を引く。これ、どこか邦訳を出さんかねえ。それぞれの書き手によって訳者を分けて。


 一方、ようやくローカスのリストの作品を読みだした。まずは Tamsyn Muir, The Deepwater Bride。F&SF, 2015-07+08号掲載のノヴェレット。タムシン・ミュアーはニュージーランド出身で、アメリカを経て今は英国在住。ISFDB によれば発表した作品はこれが4作目。これまではネット・マガジンで、紙の雑誌には初登場。最近作は Lightspeed に短篇がある。Clarion 2010 の卒業。

 話は異界の王が花嫁を娶りにやってくるお伽話のヴァリエーションで、地球温暖化と LGBT をからめたところが斬新。加えて、語り手の高校生が未来が見えてしまう女性の家系の一人というのも面白い。未来は見えるが、見えたことを「予言」しても未来は変わらない。唯一、自分がいつどうやって死ぬかは見えない。ただし、長生きできないことだけは先例からわかっている。こういう存在にとっては日常は退屈そのものになり、それを破るものに関心を持つのも自然ななりゆき。したがって、海底の王が花嫁を娶りにやってくるという事態が「見えた」とき、花嫁候補を探しにでかけ、候補に目星がつくとその相手につきまとうのもまた当然ではある。つまりこれはほとんど純粋なラヴ・ストーリーなのだが、それをそうと感じさせない語り口はなかなかのものだ。他の作品も読みたくなる。もっともこれが昨年のベストだ、とまではいかない。

 余談だが、海底の王がやってきて街が水没するというのは『十二国記』序章の『魔性の子』のラストにシチュエーションがそっくりだ。ただし、こちらはむしろユーモアたっぷりで、読みながら何度も吹き出してしまう。


 続いては Jeffrey Ford, The Winter Wraith。F&SF, 11+12月号掲載の短篇。今からすれば一昨年の冬の寒さがとても厳しく、乗り切るのに難儀したということをキット・リードとネット越しにしゃべっていて、リードがふと "the Winter Wraith" という文句を出した。それって、短篇のタイトルとしてはすてきじゃないか、と返すと、どうぞ、やってみなはれ、と言われたので書いたのがこれ。ということで、大平原の真只中に一軒だけ建つ家のクリスマス・ツリーがおかしくなる、というところから話が始まる。ホラーというよりも怪談の趣。ただ、オチがない。どうも近頃の短篇にはオチがないものが結構あるように思う。そりゃ、確かにオチがなくちゃならないというのは一昔前の、いわば前世紀的な考えで、一つの作品として完結していればオチは必要ない、というのはわからないでもない。これも別に煽っているわけではない。しかしどうも話が尻切れトンボのように、ポカンと放りだされてしまうのはやはり腑に落ちないのだ。それともこちらの読み方が間違っていて、これはそもそもそういう話ではなく、むしろ法螺話、ダークなユーモア綺譚というべきものなのか。それとも筋で読む話ではなく、雰囲気にひたるべきものか。

 フォードの作品は The Coral Heart、それで斬られると真赤な珊瑚になって死ぬという妖剣とその持主の話、ムアコックのストームブリンガーのパスティッシュから出発しているソード&ソーサリーものが良くて、あちらではちゃんと話にケリをつけていた。もう一篇、Tor.com に発表されたノヴェレット The Thyme Fiend がやはりローカスのリストにある。この人は1981年にデビューしているが、本格的に書きだしたのは90年代、40代後半からだ。ウルフとかマッキリップ、シェパード、ジョン・クロウリー、ポール・パークといった書き手に肩を並べるとのことで、いずれちゃんと読もう。(ゆ)

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