クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ボックスセット

 註文からほぼちょうど3ヶ月で、待望のボックスセットがやってきた。早速開封。





 しかし凝りに凝ったパッケージではある。こんなにでかくする必要があるのか、と思えるくらいだ。CDの収められた三つ折が四枚あって、その下に同じサイズのブックレット。これにはデヴィッド・レミューとニコラス・メリウェザーがそれぞれエッセイを書いている。それにトラック・リストとクレジット。写真がたくさん。

 さらにその下にスペーサーにはさまれてハードカヴァーが1冊。このボックスに合わせてコーネル大学出版局から出た、バートン・ホール・コンサートをめぐる1冊。ただ1本のライヴをめぐって1冊の本が書かれるというのもデッドらしい。著者 David Conners は10代でデッドヘッドになった回想録 GROWING UP DEAD, 1988 の著者でもある。なお、この本はボックスセットとは独立に刊行されていて、普通に買うことができる。





 Deadlist にある曲目と照合してみると、ボックスセットはこの4本のショウを完全収録している。少なくとも楽曲は収録している。

 この頃のデッドのショウの会場は収容人数1万を若干超えるくらいのヴェニューだ。コーネル大学バートン・ホールは例外で、5,000弱。なぜ、ここがツアーに組込まれたかも興味深いところだ。この4ヶ所ではボストン・ガーデンが最大で15,000までの収容能力を持つ。ニューヘイヴンとバッファローの会場は老朽化などで解体されて現在は存在しない。

 ピーター・コナーズは上記 CORNELL '77 のイントロで、1980年代に「遅れてきた」デッドヘッドとして、先輩たちの自慢たらたらの回想をいかにうらやましく聞き、嫉妬と焦燥に身悶えしたかを書いている。それと同じことを、今、あたしはコナーズに対して感じる。なにはともあれ、かれはデッドのショウを身をもって体験している。その音楽とデッドヘッドのコミュニティにどっぷり漬かって育っている。1980年代後半のバンドのピークを生で聴いているのだ。

 80年代にデッドの音楽にはまっていたとしても、それを追いかけてアメリカにまで行っていたか。たぶん、あたしは行かなかっただろう。松平さんではないが、あたしも思想というより性格が保守的で、自分から動くということをしない。住居を移したことは片手ではきかないし、旅行もずいぶんしたが、いつも外からの作用で必要に迫られたり、誘われたりして初めて動いた。

 いや、やはりあの時にデッドにはまることは、たとえテープを聴いていたとしても、起こらなかっただろう。一周忌になる星川師匠の導きで、世界音楽に耳と眼を開かれていたし、アイルランドやスコットランドやヨーロッパの他の地域の音楽も新たな段階に入っていた。デッドが80年代後半、ガルシアが昏睡から恢復した後、ミドランドの死までピークを作ってゆくのは、偶然ではないし、孤立した現象でもなかったはずだ。行ったとすればやはりヨーロッパで、アメリカではなかっただろう。

 出会うのは時が満ちたからだ。50歳を過ぎてデッドにはまり、今、こうして40年前のショウの録音に接するのも、それにふさわしい時が来たのだ。30代、40代にこれらの録音を聴いたとしても、良いとは思ったかもしれないが、ハマるところまではいかなかったにちがいない。

 それにしても、ボックスセットの最初のショウ、1977-05-05のニューヘイヴンを聴くと、1977年はデッド最高の年というコナーズの評価に双手を挙げて賛成する。以前、四谷のいーぐるでデッドの特集をやらせてもらった時、そこでかける1本まるまるのショウとして選んだのは、当時リリースされて間もない MAY 1977 のボックスセットからの1本05-11セント・ポールだった。今回のボックスセットのすぐ次の5本を収録したものだ。あの時も1977年が驚異の年だと実感した。

 しかしこのニューヘイヴンはまた何か別に思える。オープニングのロックンロールの調子の良さに浮かれていると、2曲めにとんでもないものが控えていた。〈Sugaree〉がこんなになるのか。難しいことは誰もやっていない。一番複雑なことをやっているのはたぶんベースだが、技術的に難しいことは何もない。ギターやピアノは、シンプルな音を坦々と刻んでゆくだけだ。それが絡み合い、よじれあってゆくうちに、緊張感が増してくる。ガルシアのうたも力を入れるべきところで入り、抜くところはさらりと抜く。盛り上がり、さらに盛り上がり、しかしあくまでも冷静で、コントロールが効き、しかもどこまでも盛り上がる。こんなものを生で聴いたら、どうかならない方がおかしい。

 ボブ・ウィアが、コナーズに訊ねられて、コーネルのライヴについて覚えていることは何もない、と答えた由だが、それもむべなるかな。演っている方は、演っている間はおそろしく気持ち良かったにちがいない。そして終ればきれいさっぱり忘れてしまったこともまた想像がつく。失敗はいつまでも記憶に残るが、本当にノって演ったことは記憶には残らないのだ。

 コナーズはコーネルより、翌日のバッファローの方が良いという。あるいは、コーネルとバッファローはひと続きのショウで、バッファローはコーネルの第三、第四のセットだという人もいる。ネット上にはコーネルの録音が17種類あり、総計180万回再生されているそうだ。今度の公式録音で2時間40分ある録音がだ。これまでにコピーされたテープの数は誰にもわからない。デッドの2300回を超えるショウで、最も数多く聴かれたショウであることは、動くまい。

 そのコーネルに向けて、さあ、次は1977-05-07のボストンだ。(ゆ)

 眼が覚めて、寝足りないながら、何となく呼ばれている気がして iPhone を見るとデッドの新譜で MAY 1977 の告知。あの1977-05-08 コーネル大学が入った1977年5月初めのツアー4日間のコンプリート。

 こりゃ、寝ていられないと飛び起き、飯も食わずにサイトにアクセスするが、カートに入れようとすると、いきなり 403 が出る。コメントを見ると、どうやらアクセス集中でサーバがオーバーヒートしているらしい。

 これは長びくぞと腰を据え、朝食を用意し、食べながら何度も試みる。ようやくカートに入るが、チェックアウト・ページに行かない。表示されたと思うと瞬間的に 403 になる。メシも食べ終え、一仕事やりながら、なおアクセスを試みる。なんとかチェックアウト・ページに入って送付先を入れるが、今度は送料計算のところでリングがぐるぐる回って一向に進まない。30分以上放置しても変化がない。

 ひょっとしてと、別の Mac であらたに公式サイトにアクセスし、カートに入れようとすると今度は Dead.net のストアではなく Rhino のストアに跳ぶ。キャパシティのずっと大きな Rhino のストアに転送するようにようやくしたらしい。こちらもちょっともたつくが無事注文が通って、確認メールも来る。結局2時間かかった。

 いや、もう、大騒ぎだ。何せ、デッド史上最高のコンサートとして伝説となり、アメリカの「国宝録音集」にも収録されたライヴだ。アーカイヴ・シリーズが始まって以来、ダントツでリクエストが最も多かったコンサートだ。そりゃ、リスナー録音はネット上にある。しかし、これはベティ・カンターによるマスターだ。音源だけならデジタルでも、しかもハイレゾで手に入る(たぶんそちらも買うことになるだろう)。05-08だけのCD/LPも出る。しかし、この新たにリリースされるコーネルのコンサートについての本が読みたい。この本はボックス・セットにしか付いていない。

 30 TRIPS AROUND THE SUN でも、音楽は別として、ボックス・セット附録の本があたしなどにはまことに貴重なものだ。正直言えば、CD版だけでなく、デジタル版も買ってしまい、CD版は売ろうかとも思ったのだが、この本だけは売れないので思い直した。デジタル版には PDF も付いているが、ここにあふれるファン・アートの図版は、紙に印刷された形で持っていたい。アメリカでは30本の各コンサートをバラ売りした猛者もいるが、そこまで阿漕にはなれん。

 それにしても楽しみだ。リリースは5月5日。このボックスの最初のコンサート、ニュー・ヘイヴンに合わせた日付だ。実際に届くのはやはり少々遅れるから、あと約3ヶ月。これこそは聴かずには死ねないぞ。(ゆ)

 今回の30本の内容はすでに公式サイトには発表されているが、あらためて書き出してみる。

01. 1966-07-03, Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
02. 1967-11-10, Shrine Exposition Hall, Los Angeles, CA
03. 1968-10-20, Greek Theatre, Berkeley, CA
04. 1969-02-22, Dream Bowl, Vallejo, CA
05. 1970-04-15, Winterland, San Francisco, CA
06. 1971-03-18, Fox Theatre, St. Louis, MO
07. 1972-09-24, Palace Theater, Waterburry, CT
08. 1973-11-14, San Diego Sports Arena, San Diego, CA
09. 1974-09-18, Parc Des Expositions, Dijon, France
10. 1975-09-28, Golden Gate Park, San Francisco, CA
11. 1976-10-03, Cobo Arena, Detroit, MI
12. 1977-04-25, Capitol Theatre, Passaic, NJ
13. 1978-05-14, Providence Civic Center, Providence, RI
14. 1979-10-27, Cape Cod Coliseum, South Yarmouth, MA
15. 1980-11-28, Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
16. 1981-05-16, Cornell University, Ithaca, NY
17. 1982-07-31, Manor Downs, Austin, TX
18. 1983-10-21, Centrum, Worcester, MA
19. 1984-10-12, Augusta Civic Center, Augusta, ME
20. 1985-06-24, Riverbend Music Center, Cincinnati, OH
21. 1986-05-03, Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
22. 1987-09-18, Madison Square Garden, NY
23. 1988-07-03, Oxford Plains Speedway, Oxford, ME
24. 1989-10-26, Miami Arena, Miami, FL
25. 1990-10-27, Le Zenith, Paris, France
26. 1991-09-10, Madison Square Garden, NY, NY
27. 1992-03-20, Copps Coliseum, Hamilton, Ontario, Canada
28. 1993-03-27, Knickerbocker Arena, Albany, NY
29. 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA
30. 1995-02-21, Delta Center, Salt Lake City, UT

 メンバーは歴代11人に加え、1990〜1992年はブルース・ホーンスビィが参加し、1991年にスペシャル・ゲストとしてブランフォード・マルサリスが加わる。

 全米各地13の州、カナダ、それにフランス。収容人員1,000人のフィルモア・オーディトリアムから2万人のデルタ・センターまで。

 カリフォルニア、8本
 ニューヨーク、4本
 マサチューセッツ、3本
 フロリダ、メイン、フランス、各2本
 ロード・アイランド、コネチカット、ニュー・ジャージー、ミシガン、ミズーリ、オハイオ、テキサス、ユタ、オンタリオ、各1本

 全米に散らばってはいるが、カリフォルニアを除けば、やはり東部が多い。またニューヨークは特別で、サンフランシスコ以外でデッドの最も強固な地盤があり、ファンの絶対数ではサンフランシスコを上回っていた。ニューヨークでデッドのショウが売り切れにならない日が来るとは思えない、と70年代初めにあるプロモーターが言っていた。1992年のカナダは最後の海外公演。

 2月、2本
 3月、3本
 4月、2本
 5月、3本
 6月、1本
 7月、3本
 9月、5本
 10月、8本
 11月、3本
 1月、8月、12月は無い。

 8月にも12月にも、デッドは優れたショウを残している。8月は <<SUNSHINE DAYDREAME>> として出た1972年のオレゴン州ヴェネタがあるし、12月は毎年大晦日の年越しショウがある。1月だけはショウ自体が少ない。だいたいにおいて、1月は休息の時期だ。一方秋は文字通り収獲の季節だった。

 7月3日と10月27日はそれぞれ2本ある。前者は1966年と1988年、後者は1979年と1990年。

 ヴェニューが重なるのはマジソン・スクエア・ガーデンで、1987年と1991年。

 こうした結果は意図的であるよりは偶然のなせるところがある。すでに100本以上のショウが公式にリリースされており、重複を避けたからだ。

 1968年のグリーク・シアターがCD1枚。
1966、1967、1969、1970、1975、1977、1986、1987の各年が2枚組。
その他が3枚組。
一番短いのが1968年、グリーク・シアターでの65分14秒、7トラック。
時間が一番長いのは1974年、フランスはディジョンの3時間25分12秒。
トラック数が一番多いのは1972年、コネチカット州ウォーターベリィの27トラック。
30本合計73時間41分32秒、575トラック。
平均2時間27分23秒、19トラック。
時間の計測は iTunes による。

 各CDのジャケットは共通デザインでそれぞれ色を変えている。似た色もあるが、一応全て違う色にしてある。水星から火星までの軌道が中心の稲妻髑髏の太陽を囲み、各惑星の位置はコンサートの日のものと推測する。また、該当するコンサートについての関係資料、記事の切り抜き、契約書や旅程表、ポスターやラミネートが掲載されている。

30tats66+95


  上が1966年、下が1995年。

 録音エンジニアの分担。

Owsley Stanley — 1966, 1969, 1970, 1972
Dan Healy — 1967, 1976, 1979-1988, 1990—1993
Grateful Dead — 1968
Rex Jackson — 1971
Kidd Candelario — 1973, 1974
Betty Cantor-Jackson — 1975, 1977, 1978
John Cutler — 1989, 1994, 1995

 1967年と1987年の録音はジェフリー・ノーマンがミックスダウンをやりなおしている。

 マスタリングはジェフリー・ノーマンとデヴィッド・グラッサーが分担。各々の分担は記されていない。

 1967年から1978年までの録音は Plangent Processes の John K. Chester と Jamie Howarth によってアナログ・テープからデジタルへの移行とワウフラッター修正が行われた。Charlie Hansen @ Ayre Acoustics にSpecial thanks がある。Ayre はニール・ヤングが作ったデジタル・プレーヤー Pono の根幹部分を担当している。それからすると、このセットを聴くのに最もふさわしいプレーヤーは Pono であろう。

 この技術陣の貢献は大きい。まだ初めの5本ほどを聴いただけだが、音質の良さは従来の公式リリースと比べても一段レベルが違う。楽器の分離と位置が明瞭で、スペースも大きく広い。就中、ヴォーカルの生々しさはライヴ音源であることを忘れさせる。もともとベアの録音は音が良いが、その良さが十全に活かされている。

 さて、それでは30年の旅に発ってみよう。(ゆ)

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