クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ポップス

0122日・土

 HiFiMAN HE-R9 の中国系の人が書いたと覚しき英語のレヴュー記事 Cai Qin The Ferryが試聴用の曲として挙げられている。検索すると蔡琴という台湾のシンガーの《民歌》というアルバム収録の〈渡口〉という曲が出てくる。Apple Music にあったので iPad で聴いてみる。なるほど、冒頭の、タブラの大きい方に似たドンという腹の底に響く低音と、やはりタブラの高い方に似た甲高いタイコの対比は、再生装置のキャラを際立たせるだろう。ダイナミック・レンジの幅が広く、録音も優秀。曲もアレンジもうたい手もいい。いわゆる三拍子揃った名録音。AirPods Pro で聴いてもなかなかだったが、カメラ・コネクターで QX-over + 5K Reference につないでみると、これまた勝負にならない。いや、すばらしい。

 アルバムの中で、この曲だけアレンジが突出している。他の曲も、最近の中華ポップスによくある、中国語の歌詞以外は欧米とまるで変わらないメロディやアレンジとは異なるキャラクターがあって、民歌つまりフォーク・ソングなのだろうが、残念ながら、アレンジには媚びが感じられる。演奏や録音は優秀なだけに惜しい、とあたしなどは思う。この〈渡口〉のレベルのアレンジで他もやってくれれば、大傑作になったろうに。

 Tidal にあるもっと前の1979年のアルバムにも収録されているが、こちらはさらに大味なアレンジで面白くない。サウンドの組立てが日本の歌謡曲だ。もっとも、曲そのものの良さはよくわかる。独得の音階と節回しがかえって浮き上がる。

 この人の声は魔術的と評されてもいるが、確かにどっぷりとハマりそうになる魅力がある。あたしと同世代のベテランで大スターのようだ。



##本日のグレイトフル・デッド

 0122日には1966年から1978年まで、4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA

 前日から翌日まで3日間の Trip Festival で、デッドはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとともに2日目と3日目に出演した。ただし、通常のコンサート形式ではない。各1日券2ドル、通し券3ドル。午後8時開始。

 「トリップ・フェスティヴァル」はケン・キージィ&メリー・プランクスターズによるアシッド・テストの拡大版として、この時初めて催された。以後、各地で開催され、デッドはその大半に参加している。アシッド・テストには音楽はつきものとされ、デッドはそれを供給するハウス・バンドのような位置を占めていた。会場内には隅にステージが作られ、バンドはここでできるかぎり絶え間なく演奏をする。場内には他にも演劇が演じられるスペース、ミュージック・コンクレートが流れるスペース、展示や実験のためのスペースなどがおかれ、また踊るためのスペースもあり、参加者は中に入ると自由に行動できる。ピンボール・マシンも置かれたらしい。通常の照明はなく、ライトショーが連続して行なわれる。アシッド・テストであるから、参加者には LSD などの幻覚剤が配られる。当時は LSD はまだ非合法ではない。目的は音楽を聴くことではなく、トリップすること、それによって意識の拡大を経験すること、それを愉しむことである。

 一方、バンドにしてみれば、聴衆の反応は期待できないかわりに、何をどう演奏してもかまわない。とにかく、可能なかぎり絶え間なく音楽を演奏しつづけることが求められた。デッドの演奏スタイル、少なくとも60年代の「原始デッド」のスタイルはアシッド・テストで演奏することから生まれた。またバンドとしての演奏能力もそこで培われた。わが国ではなぜかデッドは「ヘタ」だとする偏見が根強いが、アメリカでは1960年代にすでに、演奏能力は抜群に高いとされている。さらに、デッドがビル・グレアムと出逢うのも、このトリップ・フェスティヴァルの時である。

 この場所の名前だけで日付の記録がないテープが残っている。おそらくこの時のものだろうと推測されている。


2. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 この日付とヴェニューのラベルの付いた74分のテープが出回っていたことから、ショウがあったとされている。が、それ以外にショウが実際に行われた証拠は見つかっていない。この時期のシアトルの地元新聞とワシントン大学の学内新聞の集中的な調査もおこなわれたが、いかなる形での言及も宣伝も見つからなかった。


3. 1971 Lane Community College, Eugene, OR

 この年2本目のショウ。これも1時間弱のテープがある。それで全部かは不明。


4. 1978 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR

 7.50ドル。開演7時半。《Dave’s Picks, Vol. 23》で全体がリリースされた。

 有名な前年5月8日のコーネル大学バートン・ホールのショウと並び称されるショウとして知られる。こちらの方が良いという声もある。むろん、どちらもすばらしいし、同じくすばらしいショウはこの2つだけでもない。たとえばバートン・ホールの前日7日のボストンや同年6月のウィンターランドだ。デッドの場合「ベスト」は一つだけではない。それも one of the bests ではなく、The Best が一つだけではないのだ。いくつもあるその一つひとつが The Best なのである。もっともこのショウに人気があるのは〈St. Stephen〉をやっているからかもしれない。デッドヘッドにとって、この頃、この曲が演奏されるだけで特筆大書すべきできごとなのである。

 この年初のツアーではガルシアの喉の調子が良くなく、時には声が出なくなることもあるが、ここでも第一部では出しにくそうで、〈Row Jimmy〉のコーラスのような高い声が出ない。一方、その埋め合せをするように、ギターは絶好調。シンプルで面白いフレーズが後から後からあふれ出てくる。いつもはあまりジャムにならない〈Tennessee Jed〉や〈Row Jimmy〉のような曲でもガルシアが弾きまくるので、他のメンバーも引っぱられる。これに煽られたかウィアのヴォーカルにも力が入り、とりわけ〈Jack Straw〉はまず第一部のハイライト。ガルシアの声はショウが進むにつれて徐々に改善し、第二部〈Ship of Fools〉では、一部かすれながらも聴かせる。その次の〈Samson and Delilah〉でもガルシアのソロがすばらしいが、それが目立たないくらい、全体の演奏が引き締まっている。〈The Other One〉から〈St. Stephen〉そして〈Not Fade Away〉というメドレーは面白く、とりわけ NFA がいい。ここでもガルシアが弾くのをやめたくないと言わんばかりに延々と続ける。

 なお、録音ではいつもと逆にキースのピアノが左、ウィアのギターが右、ガルシアのギターは中央。ピアノの音がいつになく大きく、キースが何をやっているのかが手にとるようにわかる。〈The Other One〉でもいいフレーズを弾く。

 ピークの年1977年の流れは続いている。実際、この流れは4月下旬まで続く。

 会場はオレゴン大学ユージーン・キャンパスにあるバスケットボール・アリーナで、1926年にオープンし、2011年に常時使用が停止されるまでバスケットボール会場としては全米五指に入ると言われた。収容人数は9,087。だが、デッドのショウの際の客席数は7,500とライナーにある。

 オレゴン大学では EMU Ballroom で1回、McArthur Court で3回(これは2回目)、Autzen Stadium 10回、計14回演奏している。(ゆ)


 昨年ハロウィーン以来という夜の音楽のライヴ。パンデミックの半年の間に音楽の性格が少し変わったようでもある。あるいは隠れていた顔が現れたというべきか。こういうユニットの顔は一つだけとは限らないし、また常に変わっているのが基本とも言えるだろうから、やる度に別の顔が見えることがあたりまえでもあろう。また、パンデミックはライヴそのものだけでなく、リハーサルや個々の練習にも影響を与えるだろう。もっとも今回の練習とリハーサルはかなり大変だったとも漏らした。

 2曲を除いて「新曲」、それも普通、こういうユニットではやらないラフマニノフとかラヴェルとかを含む。そりゃあ、リハーサルは大変だったろう。

 どの曲もこのユニットの音楽になりきっているのはさすがだが、いつもの即興が目に見えて少ないのはちょっと物足らなくもある。楽曲の消化の度合いが足らないのではなく、演奏の方向がそちらに向かわないのだろう。つまり、このユニットでやるというフィルターを通すとカオスの即興をしなくても、十分ラディカルになる。

 もっともバリトン・サックスを前面に立てて、真正面から律儀にやったラフマニノフやヴィラ・ロボスと、Ayuko さんがゴッホの手紙の一節の朗読をぶちこみ、思いきりカオスに振ったラヴェルで演奏の質やテンションが変わらないのは面白く、凄くもある。しかもこの3曲をカオスをストレートの2曲ではさんでやったのは新境地でもあった。

 一方で、新曲ではない2曲、加藤さんの〈きみの夏のワルツ〉と shezoo さんの〈イワシのダンス〉は、さらに磨きがかかって、とりわけ後者はこの曲のベスト・ヴァージョンといえる名演。

 ラスト3曲〈夏の名残のバラ〉、ジュディー・シルの〈The Kiss〉、アンコールの〈Butterfly〉(Jeanette Lindstrom & Steve Dobrogosz) のスロー・テンポ三連発も下腹に響いてきた。決して重くはないのに、むしろ浮遊感すらある演奏なのに、じわじわと効いてくる。

 今回は加藤さんと Ayuko さんが、それぞれの限界に挑戦して押し広げるのを、立岩さんと shezoo さんが後押しする形でもある。ただ、挑戦とはいっても、しゃにむに突進して力任せに押すのとは違う。このユニットでこの曲をやったら面白そうだと始めたらハマってしまい、気がついたら、いつもはやらないこと、できそうにないことをやっていたというけしきだ。こういうところがユニットでやることの醍醐味だろう。

 エアジンは全てのライヴを配信している。カメラは8台、マイクも各々のミュージシャン用の他に数本は使っている。途中でも結構細かくマイクの位置を調整したりしている。このユニットではとりわけ立岩さんのパーカッションがルーツ系で、ダイナミック・レンジが大きく、捉えるのがたいへんなのだそうだ。アラブで使われるダフなどは、倍音が豊冨で、ビビっているようにも聞えてしまう。確かに、冒頭で枠を後から掌底でどんと叩いた時の音などは、たぶん生でしか本当の音はわからないだろう。

 パンデミックで、ライヴに行くのも命懸けだが、その緊張感が音楽体験の質をさらに上げるようでもある。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocal
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussions
shezoo: piano

 夏のゲンまつりの時、梅田さんからこういうイベントに生梅で出ますと聞いて、チケットを頼んだ。生梅のライヴは久しぶりだし、昨年の coba 主催の Bellows Lovers Nightでこうした形のライヴの味をしめていたからだ。Tellers Caravan はその時に初めて見て、なかなか面白かった。Bellow Lovers Night はかれらの本来のライヴとは違うようだったので、本来の形でのライヴを見たいこともあった。

 今回の出演者を登場の順番にならべる。

 Tellers Caravan(開幕宣言)
 生梅
 玉木勝 Quintet "Flutter-flutter"
 ピクリプ
 #ハピレス
 舞浜国立倶楽部
 Tellers Caravan

 オープニングや合間のところどころ、また#ハピレスの後に、アルヴィースという名で、道化師兼ジャグラーが狂言回しをする。

 テラーズ・キャラヴァンはそのライヴを旅回りとしていて、今回も全体が旅であり、その行く先々で出会ったミュージシャン、バンドの報告をするという形に仕立てている。それぞれのバンドの出番の前に、テラーズ・キャラヴァンのメンバーが出逢いの具合を報告する。生梅なら、妖精の棲む島で会ったという具合だ。

 生梅と#ハピレスを除くとジャズ系のアクト。もっとも各々にタイプやレパートリィは異なるから、多様性は確保されていた。Bellows Lovern Night は「鞴」だけを扇の要にして、音楽のスタイルもプレゼンテーションも非常に幅広く、多様なアクトが見られて、そこが何よりも楽しかった。今回の共通点は見えにくいが、テラーズ・キャラヴァンが一緒にやりたい人たち、ということだろう。これまで聞いたところでは、テラーズ・キャラヴァンの音楽にはジャズの要素ははなはだ薄いが、個々のメンバーはジャズが原点なのだろうか。

 複数のアクトが入れ替わり立ち替わり出てくる形の公演では、思わぬ「発見」、出逢いがまず何よりの楽しみだ。今回はピクリプ。テナー・サックスとガット・ギターのデュオ。

 サックスは50前後、ギターは30代でともに男性。ギターはその一つ前にでた Flutter-flutter にも参加し、そちらではエレクトリック・ギターを弾いていた。おそらくはガット・ギターの方が得意なのだろう。MCからすると、マヌーシュ・ギターが原点らしい。このユニットではマヌーシュのようにリズムを刻むだけではなく、ピッキングでメロディも弾けば、複雑なビートも刻む。その呼吸がかなりいい。電気楽器より活き活きしている。

 サックスの方はジャズが原点ではあるが、モダンのように音符を撒き散らすのではなく、ゆったりじっくり聞かせるタイプ。この形はヘタをするとイージー・リスニングになるが、この人はたとえば一音を長く延ばして聞き手を引きこむ力がある。ハイライトは好きなのでとやった『千ちひ』のテーマ。メロディの変奏の展開が実にいい。

 そして、この二人の関係がまたいい。これもまた丁々発止ではなく、ゆったりとあせらず、時には互いにくるくると回ったりしながら、刻々と変化する速度と距離が山を下る渓流のようだ。結成14年目にして来月初めて出すというファースト・アルバムは楽しみだ。

 トップ・バッターで出てきた生梅は、スケールが一つ大きくなっている。PAのせいか、中原さんの声の響きが深い。別人の声のようだ。二人ともMCが格段にうまくなっている。中原さんは二人のお子さんを育てながらなのに、パイプもホィッスルも腕を上げているのには感服する。ロウ・ホイッスルの強弱の音の出し入れが巧い。装飾音を入れるパターンの語彙も増えている。このデュオの形は意外にハープの音も際だつのは、故意にそうしているのだろうか。梅田さんの切れ味も一番映える。これはあらためてワンマンでたっぷりと浸りたいものである。最後にやったオリジナルの〈森の砂時計〉は名曲の感、あらたなり。生梅は初めてという聴衆がほとんどだったようで、この曲が一番ウケていた。

 今回はPAがすばらしい。どのバンドも、各楽器のバランスがとれ、また個々の楽器が明瞭で、全体として大きすぎず、小さすぎず、みごとにどんぴしゃにはまっていた。ドラム・キットは右奥に置かれていたが、音は中央から左右に広がる形にミックスされていた。生梅の二人によれば、ステージ上のマイクの配置もキマっていたそうだ。各アクト間の配置替えもてきぱきとさばき、これらのスタッフはどこにもクレジットが無かったが、一番の功労者だ。

 おそらくは Bellow Lovers Night での経験が楽しく、自分たちもああいうことをやってみたいというのがこのフェスティヴァルを企画した動機ではあろう。リスナーにとっても、こういう形の企画はワンマンや対バンでは得られない楽しさがある。仕込みや運営の苦労はとんでもなく大きいだろうが、1回だけで終らせず、続けてほしいと願う。こういう企画を実現することで、演奏だけしていたのでは身につかないものが得られるはずだ。それは音楽家としての器となって返ってくる。

 途中15分の休憩が二度入って、14時過ぎから19時半まで、5時間を超えるのは、歌舞伎並みだ。そのせいか、観客も女性が圧倒的で、男性の客は両手で数えるほど、というのは歌舞伎座よりも女性比率がずっと高い。ただし、年代はぐんと若く、20代がほとんどではないかと思われた。さすがにくたびれ、また腹が減ってがまんできなくなり、アンコールが終ったところで、一足先に失礼した。昼間は台風の前兆で、いきなり雨が降ってきたりしていた空はきれいに晴れて、星がまたたいている。(ゆ)

 想像を遙かに超えた音楽だった。

 初めてのライヴだが、国内の初物としては例外的に「予習」を充分に積んでライヴに臨んだ。tricolor の《BIGBAND》ライヴの時よりも聴き込んでいたかもしれない。しかし、そこから想像していたものとはまるで別物の音楽を聴かせてくれたのだ。

 まず驚いたのは、加藤さんの上達ぶりだ。上達と言っては失礼になるかもしれない。テクニックだけではない。音楽家としての器がひとまわりもふたまわりも大きくなっている。加藤さんのそうした変身は『夢十夜』全夜上演の時にも明らかだったが、あの時よりもさらに一段と大きくなっている。もっともあちらはあくまでも朗読がメインだったので、こちらは音楽だけでの勝負ではある。

 それが最も明瞭に現れたのは後半トップの〈鳥の歌〉。テーマでも即興でも、揺るぎのない土台の上に、芯が一本ぴいんと通った美しい音がおおぶりの絵を描いてゆく。太い筆で黒々と一気にしかし悠揚迫らず書いてゆく。音を伸ばす時の響きが微動だにしないままに伸びてゆくその快感! 即興では shezoo さんがかなり煽るのにしっかり応えてゆくが、クラスタの連続になっても乱れている感じがしない。壮大な建築物が構築されてゆくようだ。サキソフォーンという楽器は、なんというか、もっとヤクザな楽器ではなかったか。

 歌のバックをつけるときでは、確固たる存在感がありながら、その存在感によって歌を押し上げる。今回は歌が多かったのだが、そのどれにあっても、シンガーを立てながら、器楽としても存分に唄う。あたしとしては理想に近い。

 その歌がまたすばらしい。Ayuko さんはうたい手としては実に幅の広い人で、それこそ歌であれば、ばりばりのジャズやソウルからど演歌まで唄える、それもそれぞれのスタイルのメリットを充分に活かしながら、なおかつ自分の歌としてうたえる人とみえる。例によって shezoo さんの名曲〈Moons〉も良かったが、その次の〈朧月夜〉にまずノックアウトされる。

 しかし本当の圧巻は後半2曲め〈星めぐりの歌〉とフォークルの〈悲しくてやりきれない〉の連続パンチ。もう何もかも忘れて聴き入る。惹きこまれる。日本語の歌をライヴで聴くことの醍醐味、ここにあり。これは到底コトバにならない。生きててよかった。

 その後のユーミン〈春よ、こい〉もいい。アンコールのクルト・ワイルもいい。もう、この人の唄うものなら何でもいい。何でも聴きましょう、とい気になる。shezoo さんが誘ってくれなければ、この方たちと演ることは無かったと言われるが、まったく、shezoo さんがこのバンドを組んでくれなければ、あたしがこのうたい手の歌に会うことは無かっただろう。いやもう、感謝感謝である。

 パーカッションの立岩さんは、終演後にいろいろお話しさせていただいて楽しく、ザッパの《In New York》が好きとおっしゃるのには嬉しくなった。あたしもあれが一番好きだ。ダラブッカや大型で浅いチューナブルのバゥロン、シンバル、鈴(膝に付けたりもしていた)などを駆使して、ここぞというところに、くぅー、たまらんというアクセントを入れてくる。アンコールでは、バゥロンをブラシで軽く叩くのが粋。今回はどちらかというと押えていたようにも思うが、もう少し広いハコで、存分に「叩きまくる」のを聴いてもみたい。今日は「音や金時」で、パーカッションのソロがあるそうだが、残念ながら、John Carty と重なってしまった。3月の「夜の音楽」はエアジンだから、期待しよう。ゆかぽんともうお一人の打楽器奏者のトリオで、ホメリで演られたこともあるそうで、あそこにゆかぽんがフルサイズのビブラフォンを持ちこんだというのに驚く。また演る計画というから、それは何としても見に行かなければ。それにしても shezoo さんが組むパーカショニストはほんとうに面白い人ばかりだ。

 その shezoo さんは、このバンドではバンマスではなく、一人のメンバーとして対等に参加しているとのことで、ピアノも弾きまくる。とりわけ良かったのは前半最後、〈君の夏のワルツ〉のソロ(ここでは冒頭のシェイクスピア、ソネット第18番の朗読でも、Ayuko さんがメリハリをつけて、朗読と歌の間を綱渡りするのがすばらしい)。即興でもかなり羽目を外し、他のメンバーを煽る。こういう shezoo さんを見て聴くのは楽しい。まあ、たとえば トリニテでこういうことをすれば、おそらくぶちこわしになるだろう。以前はあそこでも shezoo さんにもっと羽目を外してもらいたいと思ったこともあったが、何度かライヴを見ているうちに、そうではないことが腑に落ちてきた。そういう意味では、来月のエアジンでの「七つの月」の時に、それぞれの組合せで shezoo さんがどう変貌するのかも見てみたいものの一つではある。

 ヴォーカル以外はすべて生音。こういうところも小さいハコならでは。極上と食べたミュージシャンが口を揃えるピザはお腹いっぱいで食べられなかったし、座るところに迷ったりもしたが、音楽はもうちょっとこれ以上のものはなかなか無い。今年のベスト・ワンは決まった、とはまだ言わないが、5本の指には充分入ってくるだろう。3月のエアジンが実に楽しみだ。

 ここも駅からはほど近く、吉祥寺という街はこういう店を(あたしには)隠していて、あなどれない。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano
 

 当然のことながら、2日連続の2日めは前日とはまったく形を変えてきた。まずドラムス、パーカッションの田嶋ともすけ、バンジョーの高橋創の両氏がサポートで加わる。楽器はすべてPAを通す。ステージ上にユニークな装飾を施す。そしてスペシャル・ゲスト。前日が、会場の性格を活かし、いわば「すっぴんで勝負」だったとすれば、この日は年に一度のお祭りだ。

 田嶋さんの演奏を見るのは実に久しぶりだが、大きく成長している。テクニックもだが、音がよく太り、そして強い芯がぴんと通っている。これはJJFはもちろん、もっといろいろな組合せで見たい。

 高橋さんのバンジョーは、水を得た魚のよう、というのはこういうことをさすのだろう。じょんのフィドルの弦が切れてやりきれなかったのでと言って第2部で再演したチューンでのフィドルとの「バトル」はもちろんだが、その他でもいたるところでバンジョーが入るのが、曲を立体化し、全体の演奏を豊饒にしていた。必ずしも伝統に固執せず、結構即興で自由に弾くのも楽しい。これまでわが国には本格的なアイリッシュ・バンジョー・プレーヤーがいなかったこともあるが、バンジョーがアンサンブルの中でこれほど新鮮に響くのは珍しくも嬉しい。高橋さんにはぜひバンジョー・アルバムを出していただきたい。

 トクマルシューゴ氏はあえて何も聴かずに臨んだ。海外からデビューしたのも、JJFと一緒にやろうというのも面白い。〈藤色の夜明け〉も〈サリー・ガリー〉も、異質の音楽が出逢う面白さがいっぱいだ。もともと器楽曲に歌を持ち込む、それも伝統的なものではなく、ポップスを持ち込むのが、こんなにスリリングになるとは、確かに予想外だった。この形はもっといろいろな曲で試してもいいんじゃないか。というよりも、聴いてみたい。

 けれどもまったく意表を突かれたのは、まずトクマル氏自身の曲で、ここではJJFがまるでもう何十年も一緒にやっているように聞えた。そしてアンコールの〈海へ〉。この1曲のためだけでも、今日来た甲斐はあった、と思えた。なんといってもトクマル氏の歌唱だ。一級のうたい手によって唄われると、まるで本人のオリジナルに聞える。トシさんもじょんもアニーも、グレイトフル・デッドのジェリィ・ガルシアのように、うたい手として一級ではないが、味のある唄を聴かせるうたい手なのだ。それがJJFのウリでもある。しかし、一級のうたい手によって唄われる〈海へ〉は、まったく新しい様相を見せる。もともと良い歌だと思ってはいたが、ここまで良い歌だとはまるで思いがけなかった。

 とはいうものの、なのである。あたしが一番感銘を受けたのは第2部冒頭、3人だけで演った2つのチューンのセットだった。3人とも座り、両側の二人は向き合う。最初はスコットランド、2番めはアイルランドの曲を組み合わせたもの。ごくありふれた、と言うと語弊があろうか。曲そのものは選びぬかれてもいるし、アレンジも凡庸からは程遠いが、表面的にはギミックも派手なところもない、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンのどこにでもありそうな演奏だ。なんでもない曲をさりげなく演る。それでいて聞えてくる音楽は極上。まさに、今、ここでしか聴けない。ああ、もう他に何も要らない。良い音楽に浸って、幸福感がふつふつと湧いてくる。バンドの実力はこういうところに出る。

 冒頭、じょんのフィドルのマイクの調子が悪く、スタートが遅れ、さらに2曲めの途中でフィドルの弦が切れた。これもまたライヴというものだ。何が起きるかわからない。演奏者だって常にベストの状態で演奏しているわけではない。今回はたまたま切れてしまったから、かえって弦を貼りかえるしかなくなった。たとえば、切れそうなことに気がついて、これをかばいながら最後まで演る、ということもありえるはずだ。

 そういうハプニングや事故があるからライヴは面白いのだ。演奏する側の条件、聴くこちら側の体や心の調子、会場の状態、すべてが最高にどんぴしゃに合うことなど、むしろ稀だろう。一度交換した弦の調子が悪く、お客として来ていたベチコさんが渋谷の楽器店に弦を買いに走ることになった。こんなことは、他のコンサートなどではありえないだろうが、それもライヴの忘れられない記憶の一部になってしまうのがアイリッシュのゆるさではある。

 ステージ上の装飾は天然の素材を使いながら、シュールリアリスティックな要素も盛り込んだもので、これまたJJFの世界にふさわしい。トシさんの上に、円錐の下に房がたくさん垂れた形に藁を編んだと見えるものが下がっていた。立ち上がったとき、トシさんがこの中に頭を入れてバゥロンやタンバリンを叩くのが、さらにシュールな世界を生んでいた。なんか夢に出てきそうでもある。

 年が暮れるまでにはまだ何本かライヴに行くことにしているが、今年のライヴはやはりこれで締めくくり、という想いが帰り道に湧いてきた。すばらしいライヴをたくさん見られたし、おかげでこのクソッタレな世界でなんとか生き延びられ、どうやら年も越せそうだ。その2018年の掉尾を飾るのはこの2日間の饗宴ではある。アイリッシュをベースとして、そこから生まれる音楽の様々な相をたっぷりと味わうこともできた。これを可能にしてくれたミュージシャン、スタッフ、関係者の皆さんに、最大の感謝を捧げる。

 いやさ、ほんとに、いいライヴだったあよ。(ゆ)

 このタイトルは大袈裟なようだが、嘘いつわりのない真正直なものだ。聴けばそれがわかる。うたうことのよろこび。うたうことができることのよろこび。アルバムを作ることができるよろこび。こうしてうたをシェアできる、ともに生きることができるよろこび。そのよろこびはほとんど限りない。そして、今、このうたが聴けることを、河村さんがこのアルバムを作ってくれたことを、あたしは限りなくよろこぶ。

 そのよろこびには、しかし、わずかだがやりきれなさも混じる。この声を、このうたを、ソウル・フラワー・ユニオンの中で聴きたかった。

 河村さんがシンガーとして尋常ならざるものを持っていることを初めて知ったのは、5月にキタカラのライヴを見た時だ。その時も思ったことだが、こうして1枚、アルバムを聴いて、そのヴォーカルにじっくりとひたってみると、デッドのように、ユニオンも2枚看板のヴォーカルでやれたのではないかとあらためて思う。デッドほど対等に並び立つのではなくとも、一晩で2、3曲でも河村さんがうたうことで、また別の世界が開けた可能性は大いにあると思う。

 もっとも、あの当時、これだけのうたを河村さんがうたえたかどうか、それはわからない。バンドを離れて以来の体験があって初めてこのうたが可能になったことはありえる。最近ボブ・ウィアのソロ・ライヴ映像を見て感服したが、デッドが現役の時にこんな風にはうたえなかったはずだ。

 まず河村さんの声がいい。張りのあるテナーで、かすかに甘みがある。よりかかったところがない、品の良い甘みだ。こういう甘みは、ロックやポップスのすぐれたシンガーの声には共通している。ヴァン・モリソンやロバート・プラントにもある。対照的に中川さんの声には甘みはない。それはロック・シンガーというよりフォーク・シンガーの声だ。リチャード・マニュエルではなく、ボブ・ディランだ。こういうことはバンドの中だけで聴いているときにはわかりにくい。ソロとしてうたうのを聴くとよくわかる。河村さんの声は人なつこい声でもあって、かすかな巻き舌がその声を、うたを一層親しいものにする。

 そして河村さんはうたがうまい。全部で72分という、CD限界まで詰めこんだこのアルバムの根幹をなすうた、開幕冒頭の〈渚から〉、〈ローリングビーンズワルツ〉、〈フラクタル〉、タイトル曲、ボーナス・トラックを別として掉尾を飾る〈やわらかな時〉といった曲は、どれもスローなバラードというのは、また別の意味がありそうだが、こうしたうたを、悠揚せまらず、歌詞を明瞭に、安定感をもってうたう。スローなうたで、伸ばさない音がきっちりと支えられるのは実に気持がいい。〈青天井のクラウン〉の二度目のコーラスで一部力を抜いてうたうのがたまらない。

 特に美声でもないし、強い印象で迫ってくる声ではないのだが、人なつこい甘みのある声とうたのうまさ、そして、とにかくうたうことが大好きなその様子が相俟って、聴くほどに深みを増し、また聴きたくなる。

 河村さんを入れて57人のミュージシャンが織りなす世界は多彩だ。ロックンロール、ブルーズ、レゲエ、ポップス、そしてスロー・バラード。入念に作りこんだ、シングル・ヒットしない方がおかしいと思える曲もあれば、自身のエレキ・ギターとアコーディオンだけでうたわれる、きらりと光る小品もある。とはいえ全体としては河村さんの作る曲はすぐれたポップスのセンスが筋を通している。そして時に[11]のように思わず迸りでてしまうこともあるが、いつもは慎重に隠されているユーモアの味。こうした感性もSFUを離れてから身につけたのだろうか。これだけ大勢の、それぞれに個性の強い人たちから持ち味を引き出し、その貢献を裁いて、質の高い音楽を組み上げた河村さんのプロデューサーとしての腕も大したものだ。録音が良いのも嬉しい。

 次はキタカラの録音になるだろうか。ここにもその先駆けと聞えるところもある。とはいえ、まずは、このアルバム、シャッフルではなく頭から通して聴ける、そう聴いて楽しいこのアルバムを何度も聴くことになるだろう。(ゆ)


ミュージシャン
河村博司
朝倉真司
Alan Patton
荒谷誠人
Azuma Hitomi
磯部舞子
伊丹英子
伊藤コーキ
伊藤大地
伊藤ヨタロウ
岩原智
うつみようこ
大久保由希
大熊ワタル
太田惠資
大槻さとみ
奥野真哉
オラン
鹿嶋静
勝山サオリ
我那覇美奈
熊谷太輔
熊坂路得子
クラッシー
小平智恵
小山卓治
佐藤五魚
信夫正彦
白崎映美
鈴木正敏
高木克
高木太郎
多田三洋
Tsunta
塚本晃
寺岡信芳
徳田健
中川敬
中田真由美
中村佳穂
ハシケン
はせがわかおり
福岡史朗
福島ビート幹夫
藤原マヒト
本夛マキ
みっち
茂木欣一
森信行
モーリー
矢野敏広
ユキへい
リクオ
ティプシプーカ
桃梨

トラック・リスト
01. 渚から 6:46
02. この雨に濡れながら 5:37
03. 青天井のクラウン 3:12
04. ワルイ夢 3:03
05. ローリングビーンズワルツ 6:36
06. フラクタル 6:17
07. 嵐に揺れて 5:00
08. あのコと部屋とギターと 4:43
09. あなた 3:00
10. 風に乗って 2:34
11. 愛のテーマ 3:36
12. よろこびの歌 6:59
13. ウチウのテーマ 2:05
14. やわらかな時:イントロダクション 0:46
15. やわらかな時 6:13
16. 満月の夕 5:49

Produced by 河村博司
Recorded @ ウチウスタジオ, 2017-06/09
Drums Recorded @ Orpheus Studio 小岩, 2017-06-26
@ Mannish Recording Studio, 2017-06-20, 22 & 07-14
@ Sound Lab Oiseau, 2017-07-19
@ Ginjin Studio,2017-07-26
Mastered by 木村健太郎 @ Kimuken Studio, 2017-09-11


よろこびの歌
河村博司
ウチウレコード
2017


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