01月22日・土
HiFiMAN HE-R9 の中国系の人が書いたと覚しき英語のレヴュー記事に Cai Qin の〈The Ferry〉が試聴用の曲として挙げられている。検索すると蔡琴という台湾のシンガーの《民歌》というアルバム収録の〈渡口〉という曲が出てくる。Apple Music にあったので iPad で聴いてみる。なるほど、冒頭の、タブラの大きい方に似たドンという腹の底に響く低音と、やはりタブラの高い方に似た甲高いタイコの対比は、再生装置のキャラを際立たせるだろう。ダイナミック・レンジの幅が広く、録音も優秀。曲もアレンジもうたい手もいい。いわゆる三拍子揃った名録音。AirPods Pro で聴いてもなかなかだったが、カメラ・コネクターで QX-over + 5K Reference につないでみると、これまた勝負にならない。いや、すばらしい。
アルバムの中で、この曲だけアレンジが突出している。他の曲も、最近の中華ポップスによくある、中国語の歌詞以外は欧米とまるで変わらないメロディやアレンジとは異なるキャラクターがあって、民歌つまりフォーク・ソングなのだろうが、残念ながら、アレンジには媚びが感じられる。演奏や録音は優秀なだけに惜しい、とあたしなどは思う。この〈渡口〉のレベルのアレンジで他もやってくれれば、大傑作になったろうに。
Tidal にあるもっと前の1979年のアルバムにも収録されているが、こちらはさらに大味なアレンジで面白くない。サウンドの組立てが日本の歌謡曲だ。もっとも、曲そのものの良さはよくわかる。独得の音階と節回しがかえって浮き上がる。
この人の声は魔術的と評されてもいるが、確かにどっぷりとハマりそうになる魅力がある。あたしと同世代のベテランで大スターのようだ。
##本日のグレイトフル・デッド
01月22日には1966年から1978年まで、4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
前日から翌日まで3日間の Trip Festival で、デッドはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとともに2日目と3日目に出演した。ただし、通常のコンサート形式ではない。各1日券2ドル、通し券3ドル。午後8時開始。
「トリップ・フェスティヴァル」はケン・キージィ&メリー・プランクスターズによるアシッド・テストの拡大版として、この時初めて催された。以後、各地で開催され、デッドはその大半に参加している。アシッド・テストには音楽はつきものとされ、デッドはそれを供給するハウス・バンドのような位置を占めていた。会場内には隅にステージが作られ、バンドはここでできるかぎり絶え間なく演奏をする。場内には他にも演劇が演じられるスペース、ミュージック・コンクレートが流れるスペース、展示や実験のためのスペースなどがおかれ、また踊るためのスペースもあり、参加者は中に入ると自由に行動できる。ピンボール・マシンも置かれたらしい。通常の照明はなく、ライトショーが連続して行なわれる。アシッド・テストであるから、参加者には LSD などの幻覚剤が配られる。当時は LSD はまだ非合法ではない。目的は音楽を聴くことではなく、トリップすること、それによって意識の拡大を経験すること、それを愉しむことである。
一方、バンドにしてみれば、聴衆の反応は期待できないかわりに、何をどう演奏してもかまわない。とにかく、可能なかぎり絶え間なく音楽を演奏しつづけることが求められた。デッドの演奏スタイル、少なくとも60年代の「原始デッド」のスタイルはアシッド・テストで演奏することから生まれた。またバンドとしての演奏能力もそこで培われた。わが国ではなぜかデッドは「ヘタ」だとする偏見が根強いが、アメリカでは1960年代にすでに、演奏能力は抜群に高いとされている。さらに、デッドがビル・グレアムと出逢うのも、このトリップ・フェスティヴァルの時である。
この場所の名前だけで日付の記録がないテープが残っている。おそらくこの時のものだろうと推測されている。
2. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA
この日付とヴェニューのラベルの付いた74分のテープが出回っていたことから、ショウがあったとされている。が、それ以外にショウが実際に行われた証拠は見つかっていない。この時期のシアトルの地元新聞とワシントン大学の学内新聞の集中的な調査もおこなわれたが、いかなる形での言及も宣伝も見つからなかった。
3. 1971 Lane Community College, Eugene, OR
この年2本目のショウ。これも1時間弱のテープがある。それで全部かは不明。
4. 1978 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR
7.50ドル。開演7時半。《Dave’s Picks, Vol. 23》で全体がリリースされた。
有名な前年5月8日のコーネル大学バートン・ホールのショウと並び称されるショウとして知られる。こちらの方が良いという声もある。むろん、どちらもすばらしいし、同じくすばらしいショウはこの2つだけでもない。たとえばバートン・ホールの前日7日のボストンや同年6月のウィンターランドだ。デッドの場合「ベスト」は一つだけではない。それも one of the bests ではなく、The Best が一つだけではないのだ。いくつもあるその一つひとつが The Best なのである。もっともこのショウに人気があるのは〈St. Stephen〉をやっているからかもしれない。デッドヘッドにとって、この頃、この曲が演奏されるだけで特筆大書すべきできごとなのである。
この年初のツアーではガルシアの喉の調子が良くなく、時には声が出なくなることもあるが、ここでも第一部では出しにくそうで、〈Row Jimmy〉のコーラスのような高い声が出ない。一方、その埋め合せをするように、ギターは絶好調。シンプルで面白いフレーズが後から後からあふれ出てくる。いつもはあまりジャムにならない〈Tennessee Jed〉や〈Row Jimmy〉のような曲でもガルシアが弾きまくるので、他のメンバーも引っぱられる。これに煽られたかウィアのヴォーカルにも力が入り、とりわけ〈Jack Straw〉はまず第一部のハイライト。ガルシアの声はショウが進むにつれて徐々に改善し、第二部〈Ship of Fools〉では、一部かすれながらも聴かせる。その次の〈Samson and Delilah〉でもガルシアのソロがすばらしいが、それが目立たないくらい、全体の演奏が引き締まっている。〈The Other One〉から〈St. Stephen〉そして〈Not Fade Away〉というメドレーは面白く、とりわけ NFA がいい。ここでもガルシアが弾くのをやめたくないと言わんばかりに延々と続ける。
なお、録音ではいつもと逆にキースのピアノが左、ウィアのギターが右、ガルシアのギターは中央。ピアノの音がいつになく大きく、キースが何をやっているのかが手にとるようにわかる。〈The Other One〉でもいいフレーズを弾く。
ピークの年1977年の流れは続いている。実際、この流れは4月下旬まで続く。
会場はオレゴン大学ユージーン・キャンパスにあるバスケットボール・アリーナで、1926年にオープンし、2011年に常時使用が停止されるまでバスケットボール会場としては全米五指に入ると言われた。収容人数は9,087。だが、デッドのショウの際の客席数は7,500とライナーにある。
オレゴン大学では EMU Ballroom で1回、McArthur Court で3回(これは2回目)、Autzen Stadium で10回、計14回演奏している。(ゆ)