クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:マリンバ

 會田瑞樹氏のライヴをようやく見られた。Winds Cafe 最多登場者ながら、なぜかいつもスケジュールが合わなかったり、こちらが体調を崩したり、何らかの理由で、ついにカーサ・モーツァルトでは見ることがかなわなかった。川村さんに1回ぐらいは見たでしょうと言われたが、やはり見ていない。この人のパフォーマンスを見て憶えていないはずがないと、実際に見て思う。

 「打楽器百花繚乱」という通しタイトルから想像していたのは、ヴィヴァルディ『四季』のCDジャケットにあるように、叩けば音が出る大小様々なものが所狭しと並んでいる光景だった。ところが会場に入ってみると置かれていたのは、正面にヴィブラフォンつまり鉄琴、右側にマリンバつまり木琴だけ。あれれ、というのが第一印象。ヴィブラフォンとマリンバが打楽器であることはわきまえているつもりだったが、あれらはどうしてもサントゥールの仲間に見えてしまう。あちらはどうやら弦楽器だ。こちらはむしろガムランやチャラパルタの仲間ということなのだろう。どちらも独りでは演奏できないことは大分違うけれども(チャラパルタは独りでもまったく不可能ではない、はず)。

 今回の内容は当日までヒミツだった。川村さんからは會田氏の名前から「樹」または「木」がテーマとして出されていたが、それについて答えることはラストの木琴、マリンバによる演奏で見事に果たされることになった。

 プログラムはまずヴィブラフォンのソロで、モーツァルト、バッハ、ブラームス、ドヴォルザーク各々の有名曲と、細川俊夫編曲の〈サクラ〉それに水野修孝の〈ヴィブラフォンのための三章〉を一気に演奏する。

 ヴィブラフォンという楽器は1920年代にアメリカで開発され、中でも Deagan 社の Vivraharp というモデルが有名になったのだそうで、會田氏の楽器もそのディーガン社製。電気で残響を増幅できる。

 ソロの演奏はどれもかなり残響を残すのがヴィブラフォンの味に聞える。

 2番目の演目はゲスト瀧沼亮氏を迎え、氏の〈コンサートのためのコンクレート〉の演奏。紹介文に「奇士」とあるが、瀧沼氏は六尺豊かな大男という表現がぴったり。単純に背が高いだけでなく、並はずれた存在感がある。ガクランにジャージのズボン、幅広のネクタイに黒縁眼鏡、長髪を後ろに束ね、帽子をかぶっている。

 作品は本人のパフォーマンス付き朗読、會田氏のヴィブラフォンとマリンバとセリフ、それに聴衆がそれぞれに出す音から成る4楽章。ご本人はこれまで美術、舞台表現のメディアで活動してきた由で、「演技」は堂に入ったもの。テキスト内容はシュールリアリスティック、會田氏は直角に置いた2つの楽器の間を跳びまわりながら声も出す。我々も思い思いに手や体を叩いたりして音を出す。なかなか楽しい。

 休憩をはさんで第二部はまず朝吹英一(1909-93)の3曲〈火華〉〈風鈴〉〈水玉〉のヴィブラフォンによる演奏。朝吹はヴィブラフォンを初めてわが国に輸入し、演奏し、そのための作曲をした人。財界の実力者の息子で本人も企業経営をしながら、ヴィブラフォンの啓蒙と演奏の活動を続けた。この3曲はそのヴィブラフォン用の代表作。各々に鮮明に性格が異なる。タイトルが各々の曲のキャラクターを端的に表す。楽器の特性や特有のテクニックを聞かせるためのいわゆるショウ・ピースではあるが、くり返し聴きたくなる曲だ。あたしとしては〈風鈴〉が一番心に響いたが、ころころと音がころがる〈水玉〉もいい。〈火華〉はもう少し涼しい時に聴きたい。

 その次が意表を突かれて、何よりも一番面白く楽しんだ。金関寿夫詞、間宮芳生曲の〈カニツンツン〉。金関は北米インディアンの詩の訳者として認識していたが、詞の中にもインディアンの種族の名やその語彙からとられたと覚しき音が聞えた。これは佐原詩音氏のピアノを伴にして、會田氏が、歌うというより声と体で演じる。確かにこの「曲」は声でうたうだけでは収まらない。各地で演じられているそうだが、これをまた見るためだけに會田氏の公演に行きたくなった。

 続いては佐原氏のピアノ・ソロ。鮮やかなものである。そして同じく佐原氏のアレンジで〈ほたるこい〉と〈われは海の子〉をヴィブラフォンとピアノで演奏する。遊び心満載のアレンジ。〈ほたるこい〉は聴衆もうたうようけしかけられる。〈われは海の子〉は八分の九拍子、アイリッシュのスライドでおなじみのリズムでよくスイングする。まさに波に揺られる感覚。

 というようにかなり多彩な内容で、お腹いっぱいになっていたのだが、ラスト1曲でこれがほとんど全部すっとんでしまった。

 山川あをい作曲の〈マリンバのための「UTA」〉第4番。

 ここまで會田氏は瀧沼作品を除いて暗譜で演奏していた。クラシックの人には珍しいと感心していたのだが、これは譜面を見てやる。曲自体は高校生の時に出逢って演奏しはじめてから20年、数えきれないほど演っていて、カラダに刻みこまれている。が、なぜか今日は譜面を見ながらやりたくなったのだそうだ。これが暗譜の演奏とどれほどの違いを生んでいたのかはわかる由もないが、この演奏は実に心に染み入った。

 後で川村さんも言っていたように「感動」とは違う何か。その世界に持っていかれたわけでもない。ひたひたと満たされる感覚、だろうか。音楽に包みこまれ、包んだ音楽がそのまましみこんで満杯になる。

 惚れぼれするようなパッセージがあるわけでもなく、劇的に盛り上がることもない。むしろシンプルなメロディが、流れるのではない、寄せてくる。演奏するのもそう難しくなさそうにも見えるが、案外そうでもないかもしれない。shezoo さんの《神々の骨》の〈怒りの日〉のように、シンプル極まるがきちんと演奏するには極限の集中を要する曲もある。あれは聴く方も集中させられるけれど、この〈UTA〉はそういうことはない。一方でこれはマリンバによる一つの極限の音楽にも聞える。アンコールはついにやらなかったのも当然。何をやってもこれの後では蛇足でしかない。

 ゲイリー・バートンのような人もいてヴィブラフォンは面白いと思うけれども、あたしとしてはマリンバの太いくせに繊細な響きに惹かれる。

 とまれようやく會田デビューができた。次は旋律を叩けない打楽器を叩きまくる會田氏を見て聴いてみたいものだ。

 奏者のためもあってきつめの冷房の室内から外に出ると暑気が襲ってきた。この調子だといずれ夏のイベントには参加できなくなるだろう。少なくとも昼間のイベントには。13時半開場となると一日で最も暑い時間に会場に向うことになる。Winds Cafe もかつてはもっと遅い涼しくなる時間にやっていた。またああいう時間帯での開催の検討をお願いしますよ、川村さん。(ゆ)


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 マリンバ、ビブラフォンの Ronni Kot Wenzell とフィドルの Kristian Bugge のデュオは初見参。このいずみホールは2022年のカルデミンミットのすばらしいライヴを味わわせてもらったところ。まあ、あのレベルの再現は難しいと思いながら入る。ここは天井が高く、響きが良くて、カルデミンミットのカンテレの倍音と声のハーモニーを堪能した。今回その響きの良さをまず実感したのは金属製のビブラフォン。深く長い残響がよく伸びて気持ち良い。ウェンゼルは左のこれと、右のフルサイズの木製マリンバを使いわけるが、演奏スタイルも異なり、木琴はピアノの左手の役割で、リズム・セクション。鉄琴はより細かく、裏メロまではいかないが、カウンター的にフィドルにからむ。ブッゲの方も心得ていて、鉄琴のサステインと戯れてもみせる。こういうところ、デンマーク人は芸が細かい。

 そのフィドルの響きのしなやかで繊細な響きを生んでいたのは、演奏者の腕か、楽器の特性か、ホールの響きか、あるいはその全部が合体したおかげか。その響きが最もモノを言ったのはアンコールの〈サクラ〉だった。「さくらあ、さくらあ、やよいのそらあはあ」のアレである。正直、始まったときには、えー、これかよーと内心頭を抱えたのだが、曲が進むにつれて、嫌悪が感嘆に変わっていった。

 違うのだ。こんな〈サクラ〉は聴いたことがない。ひどく繊細で、ひめやかで、透明。美しい音、美しい響きが続いて、滑かで官能的な〈サクラ〉が浮かびあがる。日本人では絶対に思いつかないような〈サクラ〉。このセンスはクラシックではない、伝統音楽のものだ。1つの伝統からもう1つの伝統へのリスペクト、あえかなラヴレター。

 静かに弾ききってお辞儀をした、そのままの姿勢からもう一度楽器をとりなおして、元気いっぱいのダンス・チューンになだれこんだのはお約束だが、あの〈サクラ〉の後なら何でも認めましょう。

 先日のドリーマーズ・サーカスもそうだったが、デンマーク人というのはセンスがいい。デンマーク音楽に接した初めはハウゴー&ホイロップ。かれらの選曲とアレンジのセンス、それに強弱のダイナミズムに度肝を抜かれたわけだが、ドリーマーズ・サーカスといい、このウェンゼル&ブッゲといい、その点はみごとに同じだ。

 そもそもフィドルと木琴、鉄琴の組合せが面白い。マリンバは先述のようにピアノの役割も兼ねるが、ピアノよりもやわらかい響きはフィドルを包みこむ時にも相手を消さない。音の強弱、大小の対比もずっと大きく、アクセントの振幅がよりダイナミックになる。

 一方でビートをドライヴする力は大きくなく、スピードに乗るダンス・チューンでも切迫感はない。するとブッゲのフィドルの滑らかな響きが活きる。

 鉄琴はミドル・テンポからスローな曲で使っていたと思う。「ああ、いい湯だ」と言いたくなる第一部6曲目〈Canadian air〉、哀愁のワルツに聞える第二部2曲目〈Duetto fagotto〉がいい。あたしとしては、ウェンゼルが鉄琴のソロで奏でた〈虹の彼方に〉やアバの〈アライヴァル〉などのゆったりめの曲に耳を惹かれる。〈虹の彼方に〉は、まだ子どもの頃、母親の葬儀で演奏して以来、どこのどんなコンサートでも必ず演奏しているそうだが、こういう演奏で亡くなった人は虹の彼方の国へ赴くと告げられると、天国や極楽よりもいいところなんじゃないかと思えてくる。

 客席を二つに分けて、違うビートを手で叩かせ、それに乗る演奏をするあたり、エンタテイナーとしても手慣れている。伝統音楽を伝統音楽のまま一級のエンタテインメントにするのは、元はといえばアイルランド人の発明だが、昨今、デンマークがそのお株をとってしまった観もあると、あらためて思う。

 ウェンゼルの方は初耳だったが、ブッゲはあの Baltic Crossing のメンバーだったと知って、なるほどと納得。

 カルデミンミットのような感動まではやはり行かなかったが、もっと気楽にいい音楽をたっぷりと浴びさせていただいて、やはりこのホールは縁起がいい。(ゆ)

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