Aliette de Bodard
JABberwocky Literary Agency, Inc.
2018-04-02
Subterranean Press から今年3月に書下しで出たノヴェラ。93ページの薄い本である。
舞台としては著者が10年来書き続けている Universe of Xuya シリーズの宇宙で、話はホームズものの再話。ホームズの贋作あるいは特定の話の語り直しというよりは、キャラクター設定と話の骨格を借りたもの。ここではホームズもワトスンも女性で、ワトスン役はPTSDで退役した軍艦というのがミソ。アン・マキャフリィの「歌う船」以来のアイデアだが、今時の話らしく、VR、AR がごく普通に使われている。船のAIはアヴァターを使って人間や他の船のAIと接触する。マイクロ・マシン、ボットも欠かせないこの世界の住人だ。もっとも金のある者はボットよりもインプラントを好むらしい。
視点はワトスン役の軍艦 The Shadow's Child のAI。このAIはコンピュータまたは電子頭脳というよりは永野護の『ファイブスター物語』に出てくるファティマに近いようでもある。話の少し前に叛乱があり、その際、深宇宙で待伏せにあって乗り組んでいた部隊が全滅し、艦自体も航行不能になる。幸い、僚艦が近くを通りかかって救われるが、兵員輸送艦だった彼女は載せていた部隊が全滅したことで重いPTSDを負い、深宇宙へ行けなくなる。そのためもあって退役し、今は短距離の単発の輸送の仕事とお茶のブレンドでかろうじて食べている。このお茶はいろいろな作用を精神にするもので、深宇宙に入っても気が狂わないようにしたり、創造性をかきたてたりできる。相手を肉体的精神的に分析し、最適のものをブレンドする。「影子」はそのマスターでもあり、タイトルの「茶師」はそこからきている。
ホームズ役のロン・チャウが深宇宙にある死体を研究するためと称して、影子を雇うことから話が始まる。そのため、影子はロン・チャウを乗せて深宇宙の縁に入る。影子はPTSDの原因である待伏せの記憶がよみがえるので、深宇宙の奥には入れない。
この宇宙では深宇宙 deep spaces(複数形)は、惑星近傍の空間とは性質を異にし、通常の人間が無防備で入ると気が狂う。物理的にもより苛酷で、近傍空間では宇宙でも人間を保護する shadow skin も深宇宙では役に立たず、ボロボロになる。
ロン・チャウがある難破船の周囲に、他とは異なる死体を発見して、事件が現れる。この死体の謎を解決するストーリーと、影子がロン・チャウの過去を調べるストーリーが平行して進む。ロン・チャウは叛乱前の経歴が空白で、叛乱後、ある金持ちの娘の失踪事件に関連して多額の金を手に入れている。二つはクライマックスで合流し、謎も解け、影子もトラウマを一部克服し、ロン・チャウとの間に絆、一種の信頼関係ができる。当然、このコンビの話はサブ・シリーズとして展開されるだろう。
第二言語である英語で書いているせいもあろうが、記述は簡潔。とはいえ、微妙な心の動き、表情の読み合いはしっかり捉える。表面はハードボイルド的感触だが、叙述はむしろ細部の微妙な綾まで書きこむ。技術的背景などにはスペースは割かない。ファンタジィの要素は随所にあるが、話の組立て、肌触りはサイエンス・フィクションだ。
シュヤ宇宙はアジア系の宇宙であって、キャラクターはいずれも中国やヴェトナムやタイやの名前を持つ。日本名はこの話では出てこない。船の名前も「影子」The Shadow's Child やら「桃園の三人」The Three In The Peach Gardens やら、英語圏出身の書き手では思いつかないものばかり。星系の航行官制は Traffic Harmony だ。ちなみに著者はフランス系ヴェトナム人でニューヨーク生まれ。第一言語はフランス語でパリに住み、エコール・ポリテクニークを出て、ソフトウェア・エンジニアを仕事としているが、小説は英語で発表している。ニュースレターによれば、原稿はまず手書きで書いているらしい。しかも、万年筆を使う。ペンはペリカンや台湾製で、インクと紙は日本製を愛用している。
シュヤ宇宙を舞台としたシリーズは2007年から発表している中短編で、この話が27本め。ノヴェラはこれも含め3本、ノヴェレットが10本、短篇14本。このうちネビュラ2個、ローカス1個、BSFA1個を3本の作品が獲っている。半数は各種年刊ベスト集に収録。しかし、単行本にまとまっているのは2014年のスペイン語版のみ。全部読もうとすれば、各種雑誌、アンソロジーを渡り歩かねばならない。邦訳は無い。というよりも、この人の邦訳は2010年の短篇が1本、SFM にあるだけだ。一体、どうなっているのだ。あるいは、今展開している異次元のパリを舞台にしたファンタジィのシリーズ、Dominion of the Fallen は長篇三部作が中心だから、そちらの邦訳が準備されているのだろうか。
とまれ、まずはシュヤ宇宙の全貌をとらえるべく、作品の蒐集を始めたところだ。(ゆ)