クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:モンゴル

 昼間のアウラとライヴ・ダブル・ヘッダーの後半。

 カルマンはハンマー・ダルシマー、馬頭琴、バゥロンのトリオだが、3人とも歌を唄う。馬頭琴の岡林さんはもともとホーミィもやり、オルティンドーも唄うが、バゥロンのトシさんが近頃本気で唄いだし、それにつられてか小松崎さんも唄う。3人で声を合わせたりもする。もちろんアウラのメンバーのような正規教育をうけた専門家ではないが、それなりに精進もしていて、アウラでは逆に不可能な歌を聴かせてくれる。このあたりが音楽の玄妙なところだ。楽器はそれぞれに目的が決まっていて、その中で最高の音が出るようになっている。声は目的が定まっていない。どのようにでも使える。そして千変万化する。アウラのような極美のハーモニーもあれば、カルマンのような、合うというよりはズレていることが愉しいものがある。

 とはいえ、まずは器楽だ。これは菜花でのルーツ・ミュージック・ライヴ・シリーズ「菜花トラッド」の一環で、これまではPAを入れていたが、今回は生音。これが成功している。最も成功していたのは馬頭琴。馬頭琴も近頃は前面に木を張って、音量を大きくしたタイプが主流だそうだが、岡林さんの楽器は山羊革を張った古風なもの。この響きがたまらない。どこまでも深く、音が内部に膨らんでいって、時空から抜けでたように聞える。澄んだ音だが、ピュアというよりも、いろいろな滋養が溶けこんで、複数の旨みが交響しあっているようでもある。

 岡林さんはこれでアイリッシュ・チューンも弾きこなしてしまうが、楽器のほうも別に無理をしている様子でもないのが、不思議でもあり、あたりまえでもある。本当の名手は、楽器に本来想定されていない歌をうたわせて、あたかも初めからそのために作られているように聴かせることができるものなのだろう。

 小松崎さんのダルシマーは地味な響きがする。この楽器は結構ハデにもなりうるが、健さんの演奏はいい具合にくすんで、おちついている。楽器のせいか、技術によるものかわからない。たぶん、両方のからみ合いではあろう。おそらくは年齡の要素もあるはずだ。いい年の取り方をしている。枯淡の境地、というとよぼよぼの老人に聞えるだろうか。凄いとすぐわかることをやっているわけではないが、聴いていると、いつの間にか引きこまれ、抜けられなくなる。こういう風になるには、技ばかりいくら磨いても無理で、人としての生き方がかかわってくる。

 トシさんのバゥロンは対照的に凄みが出てきた。1曲やったソロも特別に変わったことをやるわけではないのだが、別の世界に運ばれる。とはいえ、それよりも、アンサンブルでの何でもないビートの付け方に年季が入ってきた気がする。生音ということもあって、ブラシを使い、音量を下げ、当りをソフトにしながら、芯はしっかりしている。他の2つの楽器がアンプ無しに増幅される。

 最初はこの組合せでアンサンブルが成り立つのかと思ったりもしたが、生音で何度か聴いていると、無いほうが不思議になってくるから不思議に面白い。

 たぶん、ひとつにはあんまりがっちり決めこまず、ゆるくやっているのもハマっているのだろう。細部まで緻密に計算するのではなく、互いに相手の周りをふうわりとまわるように、相手の反応をうかがいながら、良い意味でいいかげんにやる。そういうことができるのも、各々が達人だからではあるが、そのゆるい円舞のなかに引きこまれると、遙か彼方まで世界が広がるのは、アンサンブルの醍醐味だ。

 このユニットの歌は楽しい。トシさんはこのところ凝っているマウス・ミュージック、リルティングを披露し、また良くなっている。打楽器奏者だからか、ビートの拾い方が巧い。これを伴奏に踊れるだろう。輪唱、ユニゾン、ハーモニーと、繰り出す技も結構多彩だ。アウラでは声の出し方は皆同じで、だからこそハーモニーが綺麗に響くわけだが、こちらは発声のしかたも三人三様で、揃っていてもズレている。そこが何とも楽しい。音楽ではどちらもアリなのだ。ということは、どんなものでも、どちらもアリなのだ。岡林さんはオルティンドーを聴かせて、これももっと聴きたい。

 菜花トラッドでは食事が付く。この日はモンゴルへのトリビュートで、ホーショールと呼ばれる揚げぎょうざというかミートパイというか、がメインで、これにじゃがいもと人参を小さな賽の目に切って茹でてマヨネーズであえたものとレタスのサラダがつく。ホーショールの中の肉はたぶん豚肉。いつもながら、実に旨い。味付けがうまくて、調味料などなしに、ぱくぱく食べられる。野菜もサラダもまことに結構。揚げたてて熱々。何度来てもたまりまへん。

 菜花はクラフト・ビールを出す店に改装するそうで、新装オープンまで菜花トラッドもお休み。そちらはまた楽しみではありますなあ。(ゆ)

カルマン
小松崎健: hammered dulcimer, vocals
岡林立哉: 馬頭琴, khoomii、 vocals
トシバウロン: bodhran, vocals

流離う音楽
Karman カルマン
KONPEIカムパニー
2014-05-25


 Rauma はカンテレのあらひろこさんと馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオで、今年で結成10周年の由。きゃめるも Tricolor も Rauma もみんな10年前に始まっている。

 Rauma は10年目にして初めてのCD《深い海》を出し、そのレコ発ツアー、秋の章、千秋楽がこのライヴ。ハープの木村さんが華を添える。

 カンテレという楽器の音を初めて聴いたのは、まだCDが無い、LP全盛の頃の Martti Pokela のアルバムだった。ジャケットの絵などから、前に水平に置いて指で弾く、ツィター属のひとつとはわかったが、その響きはまったく聴いたことのない深いものだった。

Kantele the Old & New
Martti Pokela
Arc Music
1994-06-15



 あらためてあらさんに確認したら、共鳴弦があるわけでなく、張られている弦が互いに共鳴してああいう響きになるのだそうだ。弾く弦そのものの共鳴を増幅、利用する楽器はおそらく他には無いのではないか。

 ご多分に漏れず、本家のフィンランドでも第二次世界大戦後は一時廃れるが、マルティ・ポケラの登場で息を吹き返し、彼がシベリウス・アカデミーで講座を開くにいたって、若い世代にも広がっているそうだ。わが国はフィンランド国外で、フィンランド移民もほとんどいないところでは最も演奏者数が多いと言われているらしい。

 カルデミンミットなどでカンテレそのものの生演奏は聴いたこともあるはずだが、あらさんの演奏はまた格別だ。フィンランドも含め、世界でも有数の演奏者によるものなのだから。

 Rauma はこれに馬頭琴が組み合わさる。というのも、おそらくは世界でも他に例は無いだろう。フール・フーントゥがフィンランドに行って、共演したことはあるかもしれないが。

 馬頭琴とホーミィといえばあたしはまず岡林立哉さんなのだが、嵯峨さんも優れた演奏家だ。モンゴルやトゥバの伝統音楽を演奏する人はわが国でも増えていて、この日使われた、これも伝統的な撥弦楽器のドシュプルールは何と国産というのには驚いた。

 嵯峨さんの馬頭琴はどちらかというと柔かく、艷があって、あらさんのカンテレとよく合う。岡林さんの演奏は、比べてみると骨が通って、より原初的な響きがある。

 《深い海》はすっかり愛聴盤で、とりわけタイトル曲がすばらしい。終り近く、カンテレが〈てぃんさぐの花〉のメロディをさりげなく混ぜるのがたまらない。今回はレコ発で、アルバム内の曲が多かったが、ふだんはもっと即興が多いのだそうで、こういう遊びもそういう即興の中から生まれたものなのだろう。

 とはいえ、ハイライトだったのは、嵯峨さんがドシュプルールを伴奏にホーミィもまじえ、トゥバ独特のダミ声で唄ったトゥバの現代曲、ソ連時代の国策道路建設を称える曲。本来、愛国歌の一種のはずだが、日本語の歌詞もまじえて今うたわれると、すばらしい批判の歌になる。ドシュプルールのビートもあって、まるでブルーズなのだ。砂漠のブルーズがあるなら、こちらは草原のブルーズだ。

 これに合わせるカンテレがまたスリリング。カンテレの弦にもハープのようなレバーがついているが、弾いておいてこのレバーを操作し、音を揺らす。スライド・ギターの効果だ。たぶん、こんな奏法は伝統には無いと思われるが、ドシュプルールのビートとの掛合いはそれは愉しい。

 それに続く、ポケラ作曲の〈トナカイの子守歌〉はアルバムにも入っている曲で、カンテレと馬頭琴の溶け合い方が一層美しい。ポケラのトナカイはもちろんサーメの人びとのトナカイだが、トゥバにもトナカイの放牧をやっている人たちがいるのだそうだ。

 さらに木村さんが加わってのトリオも面白い。まずは嵯峨さんが、自分の生まれた年のヒット曲です、といってやった〈名前のない馬〉。しかも日本語版である。原曲はリアルタイムで聞いてもいて、好きな曲のひとつでもあるが、日本語でうたわれるとまた別物。そして、ここでのカンテレの間奏がみごとの一言。あらさんは伝統はきっちり身につけているが、だからこそだろう、冒険も好きなのだ。

 〈エレノア・プランケット > バタフライ〉のメドレーでは、ハープ、馬頭琴、カンテレがそれぞれにリードを取り、またハーモニーをつける。

 3人でのアンコールはアヌーナの Michael McGlynn が娘が生まれた時に作った〈アシュリン〉で、カンテレのソロから始まり、馬頭琴が受け、ハープがピッキングでハーモニーをつける。こういうのを聞いていると、トリオでの録音も欲しくなる。

 木村さんは前座で唄いまくる。こちらでは『閑吟集』からの「山椒哀歌」に続けて、〈私の小舟〉から〈The Flower of Maherally〉につなげたのがハイライト。

 木村さんは伝統歌もいいが、オリジナルも聴きごたえがある。ご母堂の実家、秋田の鹿角で霊感を得て、藤野由佳さんが詞をつけたという曲は出色。高域のリフが言わんかたなく美しい。

 音楽に心のすみずみまで洗われた一夜だった。

 Rauma の名前の由来がなかなかに深いものであったが、ここには書けない。(ゆ)


訂正 2019-10-27
 Martti Pokela は男性だという指摘をいただき、訂正しました。このジャケットですっかり女性だと思いこんで、確認したこともありませんでした。どうも、すみません。
Thanx > 坂上さん

    今月の情報号を本日正午予定で配信しました。未着の方はご一報ください。


    最近「お友だち」にさせていただいた Nekojarashi さんの MySpace のブログがおもしろいです。東京周辺のライヴにまめに通ってはレポートを書かれていて、まことにありがたい。編集部にはこういうマメさがないのでねえ。

    waits のセッションで加わった馬頭琴とホーミーの人はどなたでしょうね。先日、岡林さんのライヴを見てから、あらためて馬頭琴には興味が湧いてます。あの時は岡林さんが弾くモンゴルのダンス・チューンにトシさんがバウロンを合わせて、それがとても良かったのでした。
   
    ホーミーはアルタイ山脈の周りで発達している喉笛で、部族や地域によって少しずつ違うそうで、みんな、オレとこが本家、いやオレとこが元祖と言い張ってるらしいですね。岡林さんはモンゴルで仕込まれたということですから、トゥバで習った人がいたら、聞いてみたい。(ゆ)

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