クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1977年からは 1977-04-29, The Palladium, New York, NY のショウで、曲は〈Brown-Eyed Women〉。

 このショウは第二部の2、6、7曲目が《Download Series, Vol. 1》で、9曲目〈The Wheel〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1977年はデッド2度目のピークの年です。デッドのピークは3度、1972年、1977年、そして1989年後半から1990年夏まで、というのがあたしの見立てですが、この三つがピークであることは大方の一致するところでもあります。むろん、他の年がダメだというのではなく、各々の年、時期にはそれぞれに魅力があります。ただ、この三つの時期のデッドの音楽は他のどの時期をも凌ぐ高みに達し、しかもその高い水準が続きます。

 この年のショウは60本、レパートリィは81曲。新曲はバーロゥ&ウィアの〈Estimated Prophet〉、ハンター&ガルシアの〈Terrapin Station〉、急死したクルーの一人レックス・ジャクソンを悼むドナの〈Sunrise〉、そしてレシュの珍しいロックンロール〈Passenger〉。またカヴァーとして〈Iko Iko〉と〈Jack-A-Roe〉がデビューしています。

 ショウが少なめなのは、06月20日、ミッキー・ハートが車を運転していて道路から飛びだし、腕と鎖骨を骨折、肋骨に罅が入り、肺にも穴があくという重傷を負って、夏のツアーがキャンセルになったためです。復帰は09月03日、ニュー・ジャージー州イングリッシュタウンの自動車レース場で、この日、単独で15万人の聴衆を集めて記録を作りました。

 その間、《Terrapin Station》がリリースされ、またワーナー・ブラザーズからアナログ4枚組のワーナー時代の回顧コンピレーション《What A Long Strange Trip It’s Been》がリリースされました。後者にはシングルだけで出ていた〈Dark Star〉スタジオ盤が収録され、この曲のためだけにデッドヘッドはこのコンピレーションを買わされる羽目になりました。

 この年の04月22日フィラデルフィアから05月28日コネティカット州ハートフォードまでの1ヶ月を超える春のツアーは、有名なコーネル大学バートン・ホールのショウを始め、最高のショウを連日連夜くり広げたことで知られます。このツアー26本のうち、16本の完全版が公式リリースされています。

 04月29日はその中で完全版が公式リリースされていない数少ないショウの一本です。このショウの SBD は外に出ていないらしく、archives.org には AUD が1本だけです。AUD としては音はすばらしい。

 第二部は〈Samson And Delilah〉で始まり、〈Sugaree〉で受けます。この曲はこの春のツアー中にモンスターに育ちます。ガルシアは伸び伸びと歌っています。悠然としたテンポで、ピアノもギターもベースもドラムスも誰も複雑なことはせず、シンプルそのものの音を坦々と連ねてゆきながら、どこまでも登っていきます。5月になると位置が第一部の、それもオープニングの2曲目に進みます。この春のツアーを象徴する曲です。

 間髪を入れずに〈El Paso〉。これはまあこの歌として普通の演奏。その後、かなり長い間があって今回リリースされた〈Brown-eyed Women〉。ガルシアの歌もギターも溌剌としてます。ドナとウィアのハーモニーも決まってます。この後もまたかなり長い間があいて、〈Estimated Prophet〉。この年02月26日にデビューしたばかりで、これが11回目の演奏。とはいえ、もう十分に練れた演奏。歌の終りの方でウィアがいかれたヤツのフリをしている裏で、ドナとガルシアがハミングするのが愉しい。その後のガルシアのソロは〈Sugaree〉と並ぶこのショウのハイライトです。

 また間があって始まるのが〈Scarlet Begonias〉。ここからクローザーの〈Around and Around〉までは途切れなく続きます。〈Scarlet Begonias〉はこの少し前03月18日のウィンターランドのショウから〈Fire on the Mountain〉と組合わされて演奏されるようになりますが、ここではまた単独で、次は〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に続きます。この後も時偶単独で演奏されます。ここではやや速めのテンポで軽快なノリ。ドナのスキャットが効いてます。

 〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がまたすばらしく、ドナのコーラスもキースのオルガンもガルシアのヴォーカル、ギターも冴えわたります。大休止から復帰後のガチョー夫妻の活躍には目を瞠るものがあります。そこから一度は〈Not Fade Away〉に移るのですが、どうも気が乗らなかったらしく、ヴォーカルが出ないまま、フロントのメンバーは引込んでしまいます。このあたり、やりたくない時にはやらないので、確かにデッドは「エンタテインメント」ではありません。

 drums からのもどりは〈The Wheel〉。ガルシアとドナが終始コーラスで歌うこれはベスト・ヴァージョン。〈Wharf Rat〉はガルシアの熱唱が光ります。〈Around and Around〉はかなりゆっくりと入ります。前年の大休止からの復帰後、当初はゆっくりと入って、途中から本来のロックンロールのテンポにどんと上がる形になります。これがカッコいいんですよねえ。ここでもドナのコーラスが効果的。アンコールは〈Uncle John's Band〉。うーん、名曲名演。つくづくこれは不思議な曲ではあります。

 折りしも今年の Dave's Picks の最初のリリース、Vol. 45 がやってきました。1977年の秋のツアーから、10月01日と02日、オレゴン州ポートランドでの2日間のショウを完全収録しています。この時期のショウは比較的短かく、2時間を少し超えるくらいなので、CD2枚で1本収めることが可能です。秋のツアーは春とはまた違った味わいがあるようです。この《30 Days Of Dead》のおさらいが終るまではおあずけです。(ゆ)

 昨年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス・セット《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》が、グラミーの "Best Boxed or Special Limited Edition Package" を受賞しました。中身ではなく、外装での受賞ですが、ゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクは別として、デッドの録音がグラミーはもちろん、何らかの賞を受賞したのは初めてです。

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 2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》を手始めとして、毎年ひとつ、数本から10本ほどのショウの完全版を数十枚のCDにまとめたビッグ・ボックス・セットがリリースされています。このボックス・セットはCDの容れ物の形や収納の仕方に毎回凝っていて、時には2018年の《Pacific Northwest》のように、やり過ぎてひどく大きくなってしまい、送料がぐんと高くなって非難轟々になることもあります。

 今回のマジソン・スクエア・ガーデンも全体のサイズはそう大きくありませんが、やたらに細長く、扱いにいささか困るところもあります。とりわけ、ライナーなどを収めたブックレットもひどく横長になり、読むのにちょっと困りました。CDはリッピングしてしまうので、頻繁に出し入れしませんが、ライナーは読みかえすこともあります。そもそもこのライナーは中身に負けずに楽しみで、これを読むために公式リリースを買っている部分も小さくはありません。

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 グラミーにはベスト・ライナーの部門もあり、デッドのボックス・セットのライナーも2001年の《The Golden Road》の Dennis McNally によるものが候補になっていますが、受賞はまだありません。とはいえ、2015年の《30 Trips Around The Sun》附録の Nicholas Meriwether による "Shadow Boxing the Apocalypse: An Alternate History of the Grateful Dead" は、邦訳すれば優に文庫本1冊以上になり、「史上最長のライナー」と呼ばれたりします。メリウェザーは自身が管理人を勤める UC Santa Cruz の図書館に設けられた Grateful Dead Archives にある資料を駆使して書いていて、中身も充実しています。

 《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》については、別途、書いてみようとは思います。

 昨年11月の《30 Days Of Dead》リリースを年代順に遡って聴くのに戻ります。

 1978年からのもう一本は、29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band〉。ショウのクローザーで、この後のアンコールは〈Werewolves Of London〉と〈U. S. Blues〉。

 〈U. S. Blues〉は SBD も含め、archives.org に上がっているどの録音にも含まれていないので、ひょっとすると存在しないのかもしれません。となると、このショウの「完全版」がリリースされることは無いかもしれません。

 archives.org に上がっている SBD でも、アンコールの1曲目〈Werewolves Of London〉が始まって間もなく AUD にスイッチしているので、SBD ではアンコールもまともに無い可能性があります。

 なお、このショウからは第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉が2012年の《30 Days Of Dead》で、また今回の2曲のすぐ前の〈Stella Blue〉が《So Many Roads》でリリースされています。

 ショウは04月02日から始まる春のツアーの前半も終盤。次の04月22日ナッシュヴィルは《Dave's Picks, Vol. 15》で、さらに次のツアー前半の千秋楽04月24日イリノイ州ノーマルは《Dave's Picks, Vol. 07》で各々全体がリリースされました。

 この日の第二部は〈Samson And Delilah〉に始まり、〈Ship of Fools〉で受け、次の〈Playing In The Band〉の還りが今回リリースのクローザーです。この曲はこの頃にはこんな風に間にいくつかの曲をはさんで、コーダに還る形になっています。還るまでの間はだんだん長くなり、やがて第二部全部になり、ついには日をまたいで、数本後のショウで還るまでになります。ついに還らなかったこともあります。今回は間に drums> jam>〈Stella Blue〉〈Truckin'〉と来て還りました。

 第二部中間に drums> space が決まってはさまるようになるのは2本後の04月24日のショウからです。ここではまだ space がありません。

 Drums に続くのはドラマーたちも入ってビートの効いた集団即興=ジャム。何か特定の曲に依存していない、どこへ行くのかわからない、バンド自身にもわからない、至福の時間。やがて〈Stella Blue〉におちつきます。

 デヴィッド・レミューの言うように、このショウはまだ1977年の余韻が殘っていて、どの曲もひき締まっています。デッドのキャリアの中では一番「真面目に」やっている時期です。とはいえそこはデッドですから、アンコールの〈Werewolves of London〉では、ガルシア、ウィア、ドナがそろって遠吠えを競いあいます。もともとこれはそういう曲ではありますが、こういうことをやるデッドはいかにも楽しそう。この遠吠えがやりたくてこの曲を選んでいるのではないかと思えてしまいます。

 「真面目」というのは、大休止からの復帰後、とりわけ、《Terrapin Station》の録音でプロデューサーの Keith Olsen に鍛えられて、演奏に正面から取組み、その質をとことん高めることの面白さに目覚め、本気になってやりだしたところから生まれた印象です。デッドは本朝に一般に広まっているちゃらんぽらんという誤解とは裏腹に、こと音楽演奏に関してはデビュー当時から本気でとことん突きつめようとしています。もともと至極「真面目」なのです。ただ、これまでは、演奏そのものに溺れる、ないし中毒するところがあって、状況の許すかぎりやりたいようにやりたいだけやり続けるところがありました。そうした欲望の湧きでるままに演奏するよりも、湧いてくるものを一度貯めて鍛えることで余分にふくれないようにすることの面白さと、その結果の美しさに気がついた、ということでしょう。ここでの〈Playing In The Band〉や〈Truckin'〉にもそういう志向が現れています。

 ただ、こういう「真面目さ」だけを追求することはやはりデッドにはアンバランスと感じられてしまいます。そこで drums や space のような「遊び」、まったく拘束のない、純粋な「遊び」の時間を設けることでバランスをとろうとします。この「遊び」の度が過ぎているとすれば、「真面目さ」もまた過剰なほどなのです。デッドが30年間ハードワーク(毎年平均77本以上のショウ)を続けられたのも、そのバランスがかろうじてなんとかとれていたためでしょう。バランスがとれて安定していたというよりは、崖っ縁を渡るように、あるいは綱渡りをするように、危ういところでとれていたのです。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。

 1978年からは2本、

29日リリースの 1978-04-21, Rupp Arena, Lexington, KY からの〈Truckin’> Playing In The Band
23日リリースの 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉。

 どちらも04月06日フロリダ州タンパから始まる春のツアー中のショウで、後者の05月17日はツアー千秋楽です。

 この年のできごととしては09月14〜16日のエジプトはギザのピラミッドとスフィンクス脇でのショウがあります。これと並び、時代を画する点ではずっと重要であるものに大晦日、ウィンターランド最後の公演があります。

 1978年は年頭から始動し、01月06日から02月03日まで17公演というツアーからスタートします。ショウの総計は80本。レパートリィは86曲。新曲にはまずバーロゥ&ウィアの〈I Need a Miracle〉、ハンター&ガルシアの〈Shakedown Street〉〈Stagger Lee〉〈If I Had The World To Give〉。ドナの〈From The Heart Of Me〉。〈If I Had The World To Give〉は3回しか演奏されませんでしたが、他はいずれも定番になります。ドナの曲は翌年02月のガチョー夫妻の脱退までではあります。

 11月には《Shakedown Street》がリリースされ、これらの新曲が収められました。名目上のプロデューサーはローウェル・ジョージで、おかげで制作過程はお世辞にも順調とはいかず、おまけに完成前にジョージは自分のバンドのツアーに出てしまいます。これもリリース当初の売行きはさほどよくありませんでした。もっともこの頃にはデッドのショウのチケットの会場周辺のダフ屋による相場は額面の5倍になっています。レコードの売行とショウの人気はまるで別物なのでした。

Shakedown Street (Dig)
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2006-03-07



 エジプト遠征ではバンドとクルーだけでなく、観客も一緒に行くことになります。初日の最前列には当時のサダト大統領夫人とその取巻きもいましたが、聴衆のほとんどはアメリカやヨーロッパから飛んでいったデッドヘッドと、その時たまたまエジプト周辺にいたアメリカンたちでした。遠征費用を賄うためライヴ・アルバムも企画されていましたが、録音を聴いたガルシアは即座にダメを出します。とはいえ、その後、2008年に出た後ろの2日間の音源の抜粋を聴くと、どうしてこれがアタマからダメだったのか、首をかしげます。

 ウィンターランドのショウは恒例の年越しショウの一本ではありますが、このヴェニュー最後のコンサートとして、まったく特別なものとなりました。「サタデー・ナイト・ライブ」に出演して仲良くなったブルーズ・ブラザーズに加えてニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座をつとめ、真夜中に登場したデッドは延々朝まで三部にわたって演奏を続けて、終演後、聴衆にはビュッフェ形式の朝食がふるまわれました。この模様は、少なくともデッドのパートは《The Closing Of Winterland》として CD4枚組、DVD2枚組でリリースされました。一本のショウとしては長いショウの多いデッドのものでも最長の一つです。内容もすばらしい。

グレイトフル・デッド/クロージング・オブ・ウィンターランド【2DVD:日本語字幕付】
グレイトフル・デット
ヤマハミュージックアンドビジュアルズ
2013-12-18



 この年に始まったこととして第二部半ばに drums と space がはさまる形が定まったことがあります。聴衆の一部にはトイレ・タイムと心得る人たちもいましたが、録音は通常の楽曲演奏同様じっくり耳を傾ける価値は十分にあります。drums は1980年代後期に MIDI の導入によってサウンド、手法とも格段に多様性を増し、Rhythm Devils と呼ばれるようになります。といってそれ以前がつまらないわけではもちろんありません。

 ドラムスのない、フロントの4人だけによる space も、様々に変化していきます。1960年代から70年代初めには〈Dark Star〉や〈Playing In The Band〉〈The Other One〉など長いジャムに展開される曲で現れていた形が、この頃からここに集約され、楽曲内のジャムはデッド流ロック・ジャズになってゆく傾向が見てとれます。それにしても space のような、まったくの即興、それもフリー・ジャズなどとは対照的に比較的静かな、瞑想的なパートをショウの不可欠の要素として組込んだのは、まことにユニークなやり方です。同時にこのパートはクリエイターとしてこの集団がいかに大きく豊かな想像力、イマジネーションを備えていたかをまざまざと思い知らせてくれます。たとえば Dark Star Orchestra のようなコピー・バンドもショウの再現の一環として space をやりますが、比べるのも気の毒なくらいです。

 さて、まずは 1978-05-17, Uptown Theatre, Chicago, IL から〈Lazy Lightning> Supplication〉です。

 曲はバーロゥ&ウィアのコンビによるもので、このペアは1976年06月03日、オレゴン州ポートランドで初演。〈Lazy Lightning〉は1984年10月31日、バークリィまで、111回演奏。〈Supplication〉はその後単独で演奏され、1993年05月24日、マウンテン・ヴューまで124回演奏。スタジオ盤はウィアの個人プロジェクト Kingfish の1976年03月リリースのデビュー・アルバム冒頭です。デッドのこうした組曲は後から組合わせたものと、初めから組曲として作られているものがあります。もっとも後者は〈The Other One〉や〈Let It Grow〉のようにその一部が独立して演奏されるようになることが多いようにも見えます。

 ちなみに1976年06月03日には他に〈Might As Well〉〈Samson and Delilah〉〈The Wheel〉と、一挙に5曲がデビューしています。

 この05月17日では第一部のクローザーです。なお、この日のショウからは第二部2曲目〈Friend of the Devil〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1978年前半は2度目のピークである前年1977年の流れで、バンドは好調を維持しています。ただ、デッドのアーカイヴ管理人デヴィッド・レミューによれば、この年4月下旬の10日ほどの休みの間に演奏の質が変わり、1977年のタイトな演奏から、ずっとゆるく、ルーズな手触りの1978年版の演奏になります。

 この日は〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉から〈Franklin's Tower〉という珍しいメドレーで始まります。〈Franklin's Tower〉は通常〈Help on the Way> Slipknot!〉との組曲で演奏されますが、時々、独立でも演奏されました。〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉はもともととぼけた、ユーモラスな曲ですが、ここではぐっとくだけた演奏。ゆるいですが、ダレているわけではなく、魅力的な音楽になっているのがデッドたるところ。春風駘蕩というと言い過ぎでしょうが、その気分も漂います。

 この時期には定番となっている〈Me and My Uncle> Big River〉のメドレー、続く〈It Must Have Been The Roses〉というカントリー・ソングの並びでも、緊迫感より、絶妙の呼吸の漫才を見ているけしき。ドナとウィアの声の組合せには魔法があります。ここでの〈Looks Like Rain〉はその好例。そしてオープナーと対をなすおとぼけソング〈Tennessee Jed〉はベスト・ヴァージョン。ガルシアは歌うのを大いに愉しんでいますし、ギターはほとんど落語のノリ。レシュの弦が切れるのも、台本に「ここで弦が切れる」と書かれているようにさえ聞えます。

 こうなると場合によっては聴いていて胃が痛くなるようなこともある〈Lazy Lightning> Supplication〉のペアも、軽々と浮揚し、燦々と明るい陽光のもと、牧神たちが遊んでいます。ガルシアのギターは広い音域を駆使して、ジャズ・ギターとして聴いても第一級でしょう。

 1977年のデッド史上、最もひき締まった演奏はもちろん最高ですが、この時期特有のいい具合にゆるんだ演奏もまたデッドというユニットの面白さを放っています。(ゆ)

 グレイトフル・デッド公式サイトで毎年恒例の《30 Days Of Dead》、昨年のリリースから1979年3本目は 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。

 Peter Monk 作詞、フィル・レシュ作曲で、このコンビの曲はこれしかありません。1977年05月15日にセント・ルイスで初演。1981年12月27日、オークランドが最後で、計99回演奏。演奏された期間は短いですが、頻度はかなり高い。レシュの曲ですが、この頃はかれはヴォーカルをとらないので、初演からしばらくはドナとウィアのコーラスで歌われました。

 レシュの曲としては珍しく、シンプルで軽快なロックンロール。《30 Days Of Dead》ではリリースの多い曲で、2011、2012、2013、2014、2016、2019年と6回登場しています。とられたショウは以下の通り。

1977-05-26, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
1977-10-07, University Arena (aka The Pit') , University Of New Mexico, Albuquerque, NM
1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA
1979-11-24, Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago, IL
1978-05-07, Field House, Rensselaer Polytechnic Institute, Troy, NY

 このうち2013年に登場した 1979-05-07 が今回もリリースされました。このショウの SBD は外には出ていません。Internet Archives にあるものは AUD のみ。かなり上質の AUD ではあります。

 ショウは05月03日からの春のツアーの4本目。このツアーは05月13日メイン州ポートランドまでの計9本。春のツアーとしては短め。ブレント・ミドランドが加わって最初のツアーはやはり試運転の意味もあったのでしょう。なお、第二部後半 space の後のクローザーに向けてのメドレー〈Not Fade Away> Black Peter> Around And Around〉にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・チポリーナが参加しています。午後8時開演。料金10.50ドルのチケットが殘っています。

 〈Passenger〉はショウの第一部クローザー。オープナー〈Don't Ease Me In〉から快調に飛ばします。ガルシアの歌もギターも水を得た魚のよう、というのはこういう状態を言うのでしょう。〈Big River〉ではミドランドが早速電子ピアノでソロを任されています。それも、3コーラスという大盤振舞い。ガルシアもノってきて、ソロをやめません。その後も見事な演奏が続きます。〈Tennessee Jed〉はガルシアの力強いヴォーカルもこの曲特有のおとぼけギターも冴えわたって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。〈New Minglewood Blues〉では再びミドランドが今度はハモンドのサウンドでいいソロを聞かせ、ウィアが粋なスライド・ギターで反応します。

 〈Looks Like Rain〉はウィアが独りでドナの分までカヴァーしていますが、〈Passenger〉ではミドランドと2人で歌います。ガルシアはスライドでおそろしくシンプルなのに聴きごたえのあるフレーズをくり出します。2度目のソロは一転してバンジョー・スタイルの速弾き。どちらも、ギターを弾くのが愉しくてしかたがない様子。

 これは良いショウです。Internet Archives でも7万回以上の再生。《30 Days Of Dead》で何度も出すくらいなら、さっさと全部出してくれい。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead 2022》での1979年の2本目、12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。

 このヴェニュー二夜連続の二晩目。前日は午後7時開演なので、おそらく同じでしょう。07日のインディアナポリスとの間にシカゴで三連荘をしています。

 第二部5曲目 space 前で〈C C Rider〉が初演されています。ウィアの持ち歌であるブルース・ナンバー。原曲はマ・レイニーが1925年に〈See See Rider Blues〉として録音したもので、おそらくは伝統歌。1986年までは定番として演奏されますが、それ以後はがくんと頻度が減ります。1987年のディランとのツアー用にリハーサルされましたが、本番では演奏されませんでした。最後は1992年03月16日のフィラデルフィア。計127回演奏。

 翌日、同じ街でザ・フーのコンサートがあり、ロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントが見に来ていたそうです。

 〈Althea〉は第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉の前で8曲目。この年8月4日オークランドでデビューしたばかり、これが14回目の演奏。1995-07-08のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドまでコンスタントに演奏され、計271回。この時期にデビューしたハンター&ガルシアの曲としては最も演奏回数の多い曲です。全体でも51位。今回の《30 Days Of Dead》でも25日リリースの 1983-09-04, Park West Ski Area, Park City, UT からのトラックにも含まれています。

 そこでも書きましたが、何を歌っているのか、まだよくわかりません。わからないままに、でもこれは傑作だと思います。もっとも楽曲の魅力に感応するまで、かなり時間がかかりました。ガルシア流スロー・バラードとも違って、はじめはむしろ単調に聞えました。〈Sugaree〉や〈Black Peter〉に近いでしょうか。良いと思えだしたきっかけもよくわかりません。くり返し聴くうちに、いつの間にか、出てくるのが愉しみになっていました。

 "Althea" がここで人名であるのは明らかですが、本来は植物の名前、和名むくげ、槿または木槿とされるもの。原産は中国ですが、世界各地に広まっていて、本朝でも野性化しています。園芸用、庭園用としても植えられている由。韓国の事実上の国花。旧約聖書・雅歌に出てくる「シャロンの薔薇」に比定する説もありますが、「シャロンの薔薇」が実際に何をさすか定説は無いとのこと。

 人名としてはイングランドの詩人 Richard Lovelace (1618-1658) の詩 "To Althea from Prison" (1649) が引合に出されます。王の側近なので実名を出せない女性へのラヴソング。こうした仮名としての女性名としてハンターは "Stella" を使っていて、これが2番目。〈Stella Blue〉はガルシアのスロー・バラードの代表作ですが、この〈Althea〉も勝るとも劣らぬ名曲です。

 またギリシャ神話の英雄の一人メレアグロスの母親の名前との指摘もあります。

 歌詞には『ハムレット』からの引用も鏤められていますが、だからと言って意味がすっきり通るというようなものでもありません。まあ、こういうものはあーでもない、こーでもないと、聴くたびにいろいろ考えるところを愉しむものでありましょう。

 1983-09-04はだいぶ慣れて、歌いまわしにも余裕があります。歌の間に入れる間奏もいい。

 ここではまだ歌いきる、演りきることに集中していると聞えます。1週間後に較べると、この日のガルシアはずっと元気で、歌にも力があります。あるいはいろいろな歌い方を試しているようでもあります。1983年に較べると、アルシアとの距離が、物理的にも精神的にも、ずっと近い。ギター・ソロもすぐ側にいる相手に語りかけてます。

 オープナーの〈Jack Straw〉から続く15分を超える〈Sugaree〉がまずハイライトで、ガルシアは例によってシンプル極まりないながら、わずかにひねったメロディを重ね、さらにミドランドがオルガンで熱いソロを展開するのにウィアが応え、それにまたガルシアが乗っていきます。誰もがクールに、冷静とも言える態度なのに、全体の演奏はどこまでも熱く、ホットになってゆきます。その頂点ですうっと引く。これがたまりません。引いたと思えば、さらに飽くまでもクールに続く演奏は、あまりにシンプルでひょっとしてトボけているのかと邪推したくなります。この曲が「化ける」のは1977年春のツアーでのことですが、この演奏はその77年のヴァージョンにも劣りません。

 中間はカントリー・ソングを並べます。〈Me and My Uncle〉からそのまま続く〈Big River〉では、ミドランドが電子ピアノで、およそカントリーらしくない、ユーモラスなソロを聞かせます。こういうソロはこの人ならでは。こういうソロが出るとガルシアも発奮して、この曲では珍しくソロをやめません。続くは〈Loser〉。あたしはこの曲がもう好きでたまらんのですが、これは良いヴァージョン。この歌の主人公は実に様々な顔を見せますが、この日の「負け屋」はほんとうに参っているらしく、ほとんど嘆願しています。ガルシアのギターがまた悲哀に満ちています。ミドランドの〈Easy To Love You〉は〈Althea〉とほぼ同時にデビューしています。これまたみずみずしい演奏。〈New Minglewood Blues〉も元気いっぱいで、ダンプが撥ねまわっているようなビートに載せて、ウィアがすばらしいスライド・ギター・ソロをくり出すので、ガルシアも負けてはいません。

 そして〈Althea〉が冒頭の〈Sugaree〉と対になるハイライトを現出して、ガルシアのヴォーカルが全体をぐんとひき締めます。〈The Music Never Stopped〉で締めくくる第一部。この歌は本来ドナとウィアの2人で歌ってこそのところもありますが、ウィアが踏んばって、ドナの不在を感じさせません。今の姿を見ると、生き残ったメンバーで一番良い年のとり方をしているのはウィアですが、こういうのを聴くと、なるほどと納得されます。それに応えて、ガルシアが引っぱれるだけ引っぱって盛り上げる。

 ミドランドへの交替はまずはかなりのプラスの効果を生んでます。(ゆ)

 昨年11月の《30 Days Of Dead 2022》を時間軸を遡りながら聴いています。

 1979年からは今回3本、セレクトされました。
 オープナー01日の 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA から〈Passenger〉。これは2013年の《30 Days Of Dead》でリリース済み。
 12日の1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA から〈Althea〉。
 そして19日の 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉。

 1979年には大きなできごとがあります。年頭のツアーの終った2月半ば過ぎ、鍵盤奏者がキース・ガチョーからブレント・ミドランドに交替し、キースと同時にドナ・ジーンも退団します。1970年代を支えたペアがいなくなり、ミドランドは鍵盤兼第三のシンガーとして1980年代を担うことになります。今回の3本はいずれもミドランド・デッドの時期です。

 一つの見方として、デッドのキャリアを鍵盤奏者で区切る方法があります。1960年代のピグペン、70年代のキース・ガチョー、80年代のブレント・ミドランド、90年代のヴィンス・ウェルニク。意図してそうなったわけではありませんが、結果としてきれいに区分けできてしまうことは、グレイトフル・デッドという特異な存在にまつわる特異な現象でもあります。デッドとその周囲にはこうしたシンクロニシティが実に多い。

 この年は珍しく年頭01月05日からツアーに出ます。フィラデルフィアから始め、マディソン・スクエア・ガーデン、ロングアイランド、アップステートから東部を回り、さらにミシガン、インディアナ、ウィスコンシン、オクラホマ、イリノイ、カンザス、ミズーリ州セント・ルイスまで、1ヶ月半の長丁場でした。その途中、ドナがまず脱落し、ツアーが終って戻ったキースと相談の上、バンドに退団を申し入れ、バンドもこれを了承しました。

 前年の末からキースの演奏の質が急激に低下します。その原因はむろん単純なものではありませんが、乱暴にまとめるならば、やはり疲れたということでしょう。デッドのように、毎晩、それまでとは違う演奏、やったことのない演奏をするのは、ミュージシャンにとってたいへんな負担になります。デッドとしてはそうしないではいられない、同じことをくり返すことの方が苦痛であるためにそうやっているわけですが、それでも負担であることには違いありません。

 それを可能にするために、メンバーは日頃から努力しています。もっとも本人たちは努力とは感じてはいなかったでしょうけれども、傍から見れば努力です。何よりも皆インプットに努めています。常に違うことをアウトプットするには、それに倍するインプットが必要です。キースもそれをやっていたはずで、そうでなければ仮にも10年デッドの鍵盤を支えることはできなかったはずです。それが、様々の理由からできなくなった、というのが1978年後半にキースに起きたことと思われます。そのため、キースは演奏で独自の寄与をすることができなくなります。そこでかれがやむなくとった方策はガルシアのソロをそっくりマネすることでした。このことはバンド全体の演奏の質を大きく低下させました。

 最も大きくマイナスに作用したのは当然ガルシアです。ガルシアは鍵盤奏者の演奏を支点にしてそのソロを展開します。鍵盤がよい演奏をすることが、ガルシアがよいソロを展開する前提のひとつです。それが自分のソロをマネされては、いわば鏡に映った自分に向って演奏することになります。その演奏は縮小再生産のダウン・スパイラルに陥ります。

 公式リリースされたライヴ音源を聴いていると、1979年に入ってからのキースの演奏の質の低下が耳につきます。したがって鍵盤奏者を入れかえることはバンドとしても考えなければならなくなっていました。ガルシアは代わりの鍵盤奏者を探して、当時ウィアの個人バンドにいたミドランドに目をつけていました。

 ミドランドがアンサンブルに溶けこむためにバンドは2ヶ月の休みをとり、04月22日、サンノゼでミドランドがデビュー、05月03日から春のツアーに出ます。05月07日のペンシルヴェイニア州イーストンはその4本目です。

 この年のショウは75本。レパートリィは93曲。新曲は5曲。ハンター&ガルシアの〈Althea〉〈Alabama Getaway〉、バーロゥ&ウィアの〈Lost Sailor〉と〈Saint of Circumstances〉のペア、そしてミドランドの〈Easy to Love You〉。

 1979年にはかつての "Wall of Sound" に代わる新たな最先端 PA システムが導入されます。デッドはショウの音響システムについては常に先進的でした。目的は可能なかぎり明瞭で透明なサウンドを会場のできるだけ広い範囲に屆けることでした。〈Althea〉やガルシアのスロー・バラードの演奏にはそうしたシステムの貢献が欠かせません。

 この年は世間的にはクラッシュのアルバム《ロンドン・コーリング》でパンクがピークに達し、デッドはもう時代遅れと見る向きも顕在化しています。一方で、この頃から新たな世代のファンが増えはじめてもいて、風潮としてはデッドやデッドが体現する志向とは対立する1980年代のレーガン時代を通じて着実にファン層は厚くなっていきました。ちなみにデッドヘッドは民主党支持者に限りません。熱心な共和党支持者であるデッドヘッドはいます。

 時間軸にしたがって、まずは 1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN から〈Eyes Of The World〉です。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が一度終った次の曲で、ここからクローザー〈Johnny B. Goode〉までノンストップです。

 ショウは10月24日から始まる26本におよぶ長い秋のツアー終盤の一本。このツアーは3本後の12月11日のカンザス・シティまで続きます。

 長いツアーも終盤でやはりくたびれてきているのでしょうか。ガルシアの声に今一つ力がありません。全体に第二部は足取りが重い。重いというと言い過ぎにも思えますが、〈Eyes Of The World〉は軽快に、はずむように、流れるように演奏されるのが常ですが、ここでは一歩一歩、確かめながら足を運んでいます。くたびれたようではあるものの、ガルシアはここで3曲続けてリード・ヴォーカルをとってもいますから、踏んばろうと気力をまとめているようでもあります。後半、ギターが後ろに引込んで、もともと大きかったベースと電子ピアノが前面に出て明瞭になります。とはいえ、それによって全体のからみ合いがよりはっきりと入ってきて、ひじょうに良いジャムをしているのがわかります。

 この後はウィアの〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉のペアから space> drums> space ときて、本来のどん底を這いまわる〈Wharf Rat〉。そしてそのパート3から一気に〈Around And Around〉と〈Johnny B. Goode〉のロックンロール二本立てのクローザー。ここへ来て、ずっと頭の上にのしかかっていたものに耐えていた、耐えて矯めていたものを爆発させます。アンコール〈U. S. Blues〉が一番元気。

 疲れたらそれが現れるのを無理に隠そうとはしません。また飾りたててごまかすこともしない。疲れたなりに演奏し、それが自然な説得力を持つのがデッドです。そして結局演奏することで自らを癒す。より大きな危機も音楽に、ショウに集中することで乗り越えてゆきます。このショウはベストのショウではありませんが、デッドの粘り強さがよりはっきりと聴きとれます。(ゆ)

 昨年11月ひと月かけてリリースされた《30 Days Of Dead》を年代順に遡って聴く試み。20日リリースの 1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN からクローザーへ向けての3曲のメドレー〈I Need A Miracle> Bertha> Sugar Magnolia〉です。ショウは04月28日アラバマ州バーミンガムから始まった春のツアー後半の3本目。この後半は6月中旬、アンカレッジでの三連荘で打上げます。

 1980年は01月13日にカンボディア難民支援のチャリティ・イベントに参加しただけで、始動は遅く、03月31日ニュー・ジャージー州パサーイクから。ショウの総数は86本。レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far from Home〉とバーロゥ&ウィアの〈Feel like a Stranger〉。どちらもこの年04月にリリースの新譜《Go To Heaven》収録。

 このツアーの後、07月01日のサンディエゴを終えて1ヶ月半の夏休みに入りますが、その23日、キース・ガチョーが交通事故で死亡します。ピグペン、キース、ブレント・ミドランド、ヴィンス・ウェルニクの4人のデッドの鍵盤奏者はいずれも悲劇的な死に方をしています。

 秋にはサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールで長期レジデンス公演をします。この時は第一部がアコースティック・セット、第二部以降がエレクトリック・セットという構成でした。デッドが集中的にアコースティック・セットを演奏したのは1970年頃以来で、これが最後。ここからは《Reckoning》《Dead Set》というライヴ・アルバムがリリースされました。ライヴ音源を聴くかぎり、デッドはアコースティック・アンサンブルとしても一級で、こういう演奏をもっと聴きたかったものです。

 このショウは第二部だけ SBD があります。
 
 オープナーの〈Feel Like A Stranger〉は2ヶ月前にデビューして、これが16回目の演奏ですが、ミドランドのキーボードとコーラスの効果は歴然。ガルシアのギターもこれに感応しています。

 一度終って〈Ship of Fools〉。歌の裏のミドランドの電子ピアノが美味。ガルシア力唱。とはいっても、力みがないのがこの人の身上。

 やはり一度終って〈Last Sailor〉からは今回リリースされたクローザー〈Sugar Magnolia〉までノンストップ。〈Last Sailor〉は前年夏のデビューで、まだ新しい曲。1986年まではこの曲の後には〈Saint Of Circumstance〉が続きます。この二つは組曲になっていますが、さらに後者自体が少なくとも二つのパートに別れる組曲なので、ペアで演奏すると3曲の組曲に聞えます。このショウでは、後者の後半はまったく曲から離れた集団即興=ジャムになります。必然性は見えないけれど、聴いている分にはまことに面白いこの現象もデッドならではです。

 続くは〈Wharf Rat〉。やや闊達な演奏ですが、ガルシアのヴォーカルはむしろ抑え気味。ここではガルシアは歌っている間、ギターをほとんど弾きません。このヴァージョンはパート3でがらりと雰囲気が変わります。パート3が晴れやかな気分になるのはいつものことではありますが、ここはその切替えが大きい。ガルシアのギターは歌とは裏腹に緊張感が強い。

 イントロからベースのリフが入って〈The Other One〉。始まって間もなく少しの間 AUD になり、また SBD に戻ります。ここにアップされているのは Charlie Miller によるマスターなので、ミラーによる作業でしょう。演奏はいいです。間奏でのガルシアのギターは「ロック」してます。2番の歌詞の後、ガルシアがフリーの即興を続け、他のメンバーは小さな音でこれに反応します。しばし即興を続けてからガルシアも音を絞り、ドラマーたちに讓ります。

 Drums ではまず〈The Other One〉後半では沈黙していたクロイツマンがひとしきり叩いてから、ハートが加わって対話。一度終ってからハートが何やらドラム系ではない打楽器を叩きだし、しばらくしてガルシアがギターでメロディのない音数の少ないフレーズを弾きだして〈Space〉。

 〈Space〉からの曲が今回リリースされた〈I Need a Miracle〉。以下〈Sugar Magnolia〉までほぼ同じテンポ、アップビートな曲で軽快に駆けぬけます。前半はどちらかというとヘヴィに打ちこんできますが、後半は軽やか。この軽やかな〈Sugar Magnolia〉はいいなあ。

 このショウはダブル・アンコールで、一つ目が〈U. S. Blues〉、二つ目が〈Brokedown Palace〉。

 〈U. S. Blues〉は第二部後半の軽やかに弾む感覚が続いてます。ウィアがスライド・ギターでおいしいフレーズを連発します。とてもアンコールではないです。

 〈Brokedown Palace〉は再び AUD。音の良い AUD で、コーラスをきれいに捉えてます。これも明るく開放的な演奏。

 1980年代前半はこれまで公式リリースが少ないですが、こういうショウがあるんですねえ。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの毎年11月恒例の《30 Days Of Dead》2022年版を年代順に遡って聴いています。
 今回は11-16リリースの 1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL から〈To Lay Me Down〉。なお、このショウからは第一部9曲目〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 毎年12月上旬はあまりショウはやりませんが、この年は珍しく11月29日ペンシルヴェイニアから12月09日コロラドにかけて短かいツアーをしています。この後は12日にカリフォルニアで軍縮を訴える音楽イベントをジョーン・バエズとやった後、26日からオークランドで恒例の年末年越しショウに向けての5本連続です。

 1981年はスロー・スタートで02月26日シカゴでの三連荘が最初。それでもショウの数は82本、レパートリィは123曲。デビュー曲は1曲だけで、ミドランドの〈Never Trust a Womon〉でした。この年の出来事としては春と秋の2回、ヨーロッパ・ツアーをしています。春はロンドンで4本連続をやった後、当時西ドイツのエッセンでザ・フーとジョイント。

 この時、New Musical Express の記者でパンクの支持者だった Paul Morley がガルシアに長時間インタヴューをします。パンクにとってはデッドは許しがたいエスタブリッシュメントだったわけですが、ガルシアは持ち前のユーモアと謙虚な態度でいなし、それにあくまでも愛想の良さを崩さなかったため、結果として出た記事ではモーリィが言いくるめられているように見えてしまい、これに怒った読者が数千人、雑誌の定期購読をやめるという事態になりました。今からふり返れば、パンクは表に現れた姿としてはデッドの音楽とは対極に見えても、根っ子ではかなり近いところから発していたので、そんなに怒ることもなかろうと思ったりもしますが、当時は何かと怒ることがカッコいいとされていたのでしょう。

 デッドは10月に再度ヨーロッパに渡り、イングランド、西ドイツ、デンマーク、オランダ、フランス、そしてスペインで唯一のショウをしています。

 また4月に《Reckoning》、8月に《Dead Set》の2枚のライヴ・アルバムが出ました。前年秋のサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのレジデンス公演からのセレクションで、前者がアコースティック・セット、後者がエレクトリック・セット。どちらも2枚組。後にCD化される際、トラックの追加がされています。アコースティック・セットはいくつか完全版が公式リリースされていますが、エレクトリック・セットは部分的なリリースだけです。完全版のリリースは50周年、2030年まで待たねばならないのでしょうか。

 このショウのヴェニューはシカゴ、オヘア空港そばの定員18,500人の多目的アリーナで、デッドはこの時初めてここで演奏し、1988年、89年、93年、94年といずれも春のツアーの一環として三連荘をしています。この時は開演午後8時で、料金は10.50ドルから。この頃になるとデッドヘッドは子どもたちをショウに連れてくるようになっていて、この日は特に多く、ウィアが「今日は子どもの日だね」とコメントした由。

 このショウの SBD はこの頃定番だったカセットではなく、オープン・リールに録音されているそうです。

 〈To Lay Me Down〉は第二部オープナー〈Samson And Delilah〉に続く2曲目で、次は〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉。

 この曲はガルシアのバラードの1曲。ハンター&ガルシアのコンビには、スロー・バラードのジャンルに分類できる曲がいくつもあって、これもその一つ。なお、スタジオ盤としてはガルシアの1972年のファースト・ソロに収められました。ちなみにこのファースト・ソロ収録10曲のうち、〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈Loser〉〈The Wheel〉とこの〈To Lay Me Down〉の6曲がデッドのレパートリィの定番になっています。もっとも〈Loser〉〈The Wheel〉以外の4曲はこのアルバム録音前から演奏されていました。〈To Lay Me Down〉も1970年07月30日初演。1980〜1981年に最も集中的に演奏されました。全体では64回演奏。

 〈Samson And Delilah〉はウィアのヴォーカルはいつもの調子で、ガルシアがギターを弾きまくります。ウィアがこれにスライドを合わせ、ミドランドがハモンドで支える形。

 次の曲が決まるまで、かなり時間がかかります。けれど、この後は〈To Lay Me Down〉からクローザーの〈Good Lovin'〉までノンストップです。

 〈To Lay Me Down〉の演奏はさらにゆったりで、やや投げやりともいえそうに始まりますが、徐々に熱気を加え、最後には相当に集中した演奏になるところが今回選ばれた理由でしょうか。

 一度きちんと終って間髪を入れずに〈Estimated Prophet〉。七拍子のこの曲は、当初はウィアが「ワン・ツー・フォー……」と数えて始まっていますが、この頃になると、いきなり始めています。歌のコーダではウィアがいかれたヤク中になりきっての熱演。いつもここは熱演になりますけど、この日の熱演はひときわ熱が入ってます。ウィアが歌を終らせるのを待ちかねたようにガルシアが2度目のソロ。1度目以上にメロディからはすっ飛んで、ギターの音色もどんどんと変えて、デッド流ロック・ジャズの精髄。

 いつの間にかビートが変わっていて、これという切れ目もなく〈Eyes Of The World〉に入ります。〈Estimated Prophet〉もわずかに速いテンポでしたが、こちらもそのまま疾走します。ガルシアも〈Estimated Prophet〉の後半から、細かい音を素早く連ねます。それにしても「世界の目」とは、世界を代表して見る目か、世界の中心としての目なのか。それとも両方を含めたダブル・ミーニングなのか。歌が終ってからのインスト・パートではガルシアの「バンジョー・スタイル」ギターが渦を巻き、バンドを引きこみます。やがてガルシアとウィアが残り、ウィアが締めて Drums にチェンジ。

 ビル・クロイツマンは10本ショウをやる毎にドラム・キットのトップの革を張りかえていたそうですが、ここでの叩きぶりを聴くと、さもありなんと納得できます。後半、ハートが背後に並べた巨大太鼓を叩くと、捕えきれずに、音が割れています。

 Space ではウィアとガルシアがまずスライド・ギターで音を散らし、ハートが様々なノイズを出すパーカッションを操り、おそらくレシュが背景を作って、ミドランドが風の音を送りこむ。いつもはドラマーたちは引っこみますが、この日はハートが殘って、いろいろな音を加えています。

 次の曲は〈Not Fade Away〉ですが、様々なサウンドや手法を試すように延々とイントロを続け、やがて前半とは対照的に遅めのテンポで曲本体が始まります。お祭りの曲というよりは、おたがいの間隔を広めにとり、ガルシアのソロも考えながら弾いている表情。

 続くは〈Wharf Rat〉。あたしの大のお気に入り。これが出てくると顔がにやけてしまいます。この曲は三つのパートからなる組曲になっていて、デッドの組曲好きが最も成功している例でもあります。パート2のガルシア、ウィア、ミドランドのコーラスが、うー、たまらん。ここでもガルシアは歌のメロディからはとび離れたギターを弾きますが、ここではジャズになりません。でもこれはロック・ギターでしょうか。どうでもいいことかもしれませんが、ギタリストとしてのガルシアはジャンルの枠組みにはおさまらない器の大きさを備えています。その点ではジミヘンもザッパも及ばないところがあります。よくあるロック・ギタリスト・ベスト100とかに現れるのはギタリスト・ガルシアのごく一部でしかない。

 クローザー〈Good Lovin'〉もゆったりとしたテンポで、前に突込まず、八分の力で半歩、いやほんの5ミリほど足を退いたところで演っています。クールというのともちょっと違う。ほんのわずか踏むところがずれると冷たく生気を失いかねない、軽やかな綱渡り。

 アンコールは〈Brokedown Palace〉。なんということもない演奏ですが、名曲に堕演なし。

 このショウはアメリカでは衛星ラジオ Sirius のデッド・チャンネルで放送もされているそうです。1980年代はガルシアの健康問題もあって、ショウの質が定まらず、そのせいか、他の時期に較べると評価も高くありませんが、良いものはやはり良い。公式リリースが待たれます。(ゆ)

 1989年からはもう1本 02月06日の Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA から〈Cassidy; Tennessee Jed〉が18日にリリースされました。こちらはこの年2本目のショウで、つまりは1989年の始めと終りからのセレクションをそろえたのでしょう。

 ショウは最初の三連荘の中日。3日置いてロサンゼルス国際空港の東隣のイングルウッドで三連荘したあと、ひと月空けて03月27日、アトランタから春のツアーが始まります。

 この2曲は第一部クロージングの2曲。このショウは選曲と並びが尋常でなく、何となくというふぜいで〈Beer Barrel Polka〉を始め、一度終り、音が切れてからいきなり始まるのは〈Not Fade Away〉。普通ならショウのクローザーやそれに近い位置に来る曲です。これは全員のコーラスによる曲ですが、その歌にこめられたパワーがはちきれんばかり。ガルシアのソロもシャープ。一度終って間髪入れず〈Sugaree〉が続きます。ガルシアの声が力強い。ギターも絶好調。さらに間髪入れずに〈Wang Dang Doodle〉。ややおちついたかとも聞えますが、コーラスではやはり拳を握ってしまいます。ガルシアのソロもミドランドのオルガン・ソロもなんということもありませんが、耳は引っぱられます。こういう異常な選曲と並びはバンドの調子が良い徴です。

 続く〈Jack-A-Roe〉では、ガルシアは3番の歌詞が当初出てきませんが、もう1回まわるうちに思い出します。このギターはデッド以前のフォーキー時代を連想します。

 次の〈Queen Jane Approximately〉は1987年のディランとのツアーからレパートリィに入りました。第一部の真ん中あたりでウィアがディランの曲をうたうのが、しばらく定番になり、"Dylan slot" などと呼ばれました。ガルシアがヴォーカルをとるディラン・カヴァーは第二部に入るのが多いようです。

 肝心の〈Cassidy〉は中間部のジャムがいきなりムードが変わり、無気味で不吉な響きを帯びます。まるで別の曲。そしてまたコーラスで元に戻る。こりゃあ、いいですねえ。こういう変化もデッドの味わいどころ。

 〈Tennessee Jed〉ではガルシアの力一杯の歌唱にちょっとびっくり。この時期の特徴かもしれません。後半のギター・ソロがまたすばらしい。ちょっとひっぱずした、ユーモアたっぷり、お茶目なフレーズ。こういうとぼけた曲のとぼけた演奏もまたデッドならではです。

 ザッパにもユーモラスな曲はありますが、こううとぼけた演奏はまずやらない。ユーモラスな演奏はしますが、どうもマジメにユーモアしている感じがあります。フロ&エディの時期のライヴにはとぼけたところもありますが、それはザッパよりもフロ&エディが引張たように見えます。

 デッドはマジメなのか、フマジメなのか、冗談でやっているのか、真剣なのか、よくわからない。そこが日本語ネイティヴにとってデッドのわかりにくさになっているのかもしれません。けれども、デッドは自分たちの音楽にあくまでも誠実だったことは確かです。

 ヴェニューは1914年にオークランド市街の中心部に建てられた多目的施設で、現在は国指定の史的建造物になっています。中にあるアリーナの収容人員は5,500弱。デッドは1985年02月からこの1989年02月07日まで、計34回、ここで演奏しています。1989年になると、デッドには小さすぎるようになりますが、ビル・グレアムにとっては何かと使い勝手がよかったのでしょう。

 ちなみに、1976年の復帰後は、ロッキー山脈西側のショウはビル・グレアム、東側は John Scher が担当プロモーターになります。グレアムはデッドにとっては最も重要で、関わりも深かったわけですが、コンサートをいわば自分の所有物とみなすグレアムの態度にはデッドはどうしてもなじめませんでした。プロモーターとアーティストの関係としてはシェーアとの方がしっくりいっていたようです。(ゆ)

 かなりのショックでありました。再生のシステムが違えば音も変わり、したがって、そこから受ける体験の質も変わるのは当然ですが、いざ実際に体験してみると、そのあまりの違いの大きさにいささか茫然としてしまいました。

 ことに、最後にかけた1990-03-29 の、ブランフォード・マルサリスの入った〈Bird Song〉のすさまじさは、まったく初めて聴くものでした。このトラックはもう何十回となく、それもヘッドフォンやイヤフォンだけでなく、「いーぐる」のシステムでも聴いていますが、こんなに体ごともっていかれたことはありませんでした。これはもうまず劇場用PAスピーカーとそしてレーザーターンテーブルの組合せのおかげでありましょう。

 この日はもともとはレーザーターンテーブルの試聴会で、お客さんが持ちこまれたアナログ盤をレーザーターンテーブルで再生し、ホール備えつけのPAスピーカーで聴くという趣旨の企画で、もう何度もここでやっているそうです。あたしは途中で入ったので、聴けたのは3枚3曲ほどでしたが、どれもすばらしい音と音楽で、システムの素性の良さはよくわかりました。とりわけ、エゴラッピンの3枚めからの曲はあらためてこのユニットの音楽を聴こうという気にさせてくれました。

 どれも実に新鮮な響きがするのは、レーザーターンテーブルのメリットでしょう。洗われたように、いわば獲れたての新鮮さです。レコード盤の溝の中の、針が削っていない部分を読み取るからではないかと思われます。

 イベントの最後の1時間ほど、グレイトフル・デッドのライヴ音源をアナログ盤でかけてみたのは、ひとつには11/23に、同じこの場所で、こちらはデッドのライヴ音源ばかり、アナログ盤で聴くというイベントを予定しており、そのいわば公開リハーサルとしてでした。どんな具合になるのか、やってみようというわけ。

 お客さんの中にはデッドを聴くのも初めてという方もおられたので、簡単に説明しましたが、デッドは普通のロック・バンドではなく、同じライヴは二度しなかったので、スタジオ盤で判断せずにライヴ録音、それもできれば1本のショウをまるまる収めたものを聴いてください、ということを強調しました。「できれば」1本だけではなく、何本か、聴いてから判断してくれ、と言いたいです。「いーぐる」の後藤マスターは、まず黙って100枚聴いてからジャズが好きか嫌いか判断しろ、と言われてますが、デッドも100本とはいいませんが、少なくとも10本は聴いてから判断してほしい。

 この日かけたのは以下の録音です。

1. 1972-08-27, Veneta, OR: Sunshine Daydream
The Promised Land

2. 1966-07-29, P.N.E. Garden Aud., Vancouver, Canada
Cream Puff War

3. 1969-02-28, Fillmore West, San Francisco, CA
IV-5. Death Don't Have No Mercy (Reverend Gary Davis)

4. 1980-10-09, The Warfield, San Francisco, CA
Cassidy

5. 1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
The Music Never Stopped

6. 1990-03-29, Nassau Coliseum, Uniondale, NY
Bird Song

 以下、各トラックについて、簡単に。

1. 1972-08-27, Veneta, OR: Sunshine Daydream
The Promised Land

 同時に撮られた映像があるので、音はアナログから再生して同期できないか、という試みでした。映像と音を別々に再生し、せーので再生ボタンを押すという、はなはだ原始的、アナログ的な方法で、何度かの試行ののち、少しズレたものの、まあ楽しめる程度におさまる形になりました。

 この1972年はデッドのピークの一つで、春には2ヶ月、22個所にわたるヨーロッパ・ツアーを成功させています。この時の全録音がリリースされています。個々のショウの録音も入手可能です。あたしはこの22本を聴いてゆくことでデッドにハマりこみました。

 08-27のショウは、デッドの友人の1人である作家のケン・キージィの親族が経営する酪農場救済のためのチャリティ・ショウで、真夏の屋外での昼間のショウです。このライヴは全篇録画もされ、ここから Sunshine Daydream というタイトルのテレビ用映画が作られました。公式リリースにはこの映画を収めたDVDまたはブルーレイも同梱されました。映画の画像は後半、バンドの演奏からは離れて、客席や周囲の様子、さらに当時の流行にしたがってサイケ調の抽象映像になってゆきますが、なかなか面白いものではあります。


2. 1966-07-29, P.N.E. Garden Aud., Vancouver, Canada
Cream Puff War

 一昨年に出たデッドのデビュー・アルバム50周年記念デラックス盤に同梱された録音。デッドの最初の海外公演でした。ちなみに最後の海外公演もカナダでした。曲はガルシアの単独作品です。なお、この頃の録音の通例でリード・ヴォーカルはすべて左に寄っています。

 これはまた、1本のショウ全体またはそれに近い録音が残っている最も初期のものの一つです。録音したのは当時デッドのサウンド・エンジニアだったアウズレィ・スタンリィ。「ベア」の通称で呼ばれていたこの男は、デッドが関係するイベントでのLSDの供給者として有名ですが、一方優秀なサウンド・エンジニアでもあり、後に巨大な「ウォール・オヴ・サウンド」に発展するデッドのライヴ・サウンドの改善に大きく貢献しています。また、ショウ全体の録音を始めたのもスタンリィで、初期の録音はほとんどが彼の手になります。

3. 1969-02-28, Fillmore West, San Francisco, CA
Death Don't Have No Mercy (Reverend Gary Davis)

 デッドがベイエリアのローカル・バンドから飛躍したアルバムがこの年に出た最初のライヴ・アルバム《Live/Dead》で、その元になったのは2月末から3月初めにフィルモア・ウェストに出たときの録音です。その4日間の全録音が2005年に出ました。

 これはブルーズ・ナンバーですが、珍しくピグペンではなく、ジェリィ・ガルシアがリード・ヴォーカルをとり、しかも結構真剣に唄っています。ガルシアはある時期から自分の歌唱スタイルを決めて、そこからはずれなくなりますが、この頃はまだちゃんと唄おうとしています。


4. 1980-10-09, The Warfield, San Francisco, CA
Cassidy

 1980年の秋にサンフランシスコの The Warfield Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall でレジデンス公演を行います。この時には第一部を全員アコースティック楽器を使い、二部と三部はいつものエレクトリックでの演奏をしました。ここからはアコースティックの演奏を集めた《Reckoning》とエレクトリックの演奏を集めた《Dead Set》の二つのライヴ・アルバムが出ています。そのうち、10-09 と 10-10 のアコースティック・セットを完全収録したアナログとCD各2枚組が、今年のレコードストア・ディ向けにリリースされました。そのうち10-09の分から選びました。

 アコースティック楽器ですが、後半いつものデッド流ジャムを繰り広げていて、とてもスリリングです。アコースティックでの演奏をもっとやってもらいたかったと、こういうものを聴くと思わざるをえません。


5. 1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
The Music Never Stopped

 デッドにとって最も重要な関係にあったプロモーターのビル・グレアムは年越しライヴが大好きで、かれが生きている間は毎年、デッドはベイエリアで年越しライヴを行っています。その一つからの選曲。

 デッドのショウはたいていが二部構成で、この曲は第一部の最後や第二部の冒頭に演奏されることが多く、これは第一部のラスト。最後のウィアのMCによれば、この後、新年へのカウントダウンがあった模様。


6. 1990-03-29, Nassau Coliseum, Uniondale, NY
Bird Song

 1990年春のツアーはデッドの最大のピークの一つです。それを象徴するのがこの日のショウで、フィル・レシュの友人が自分の友人であるブランフォード・マルサリスをこの前日03/28に連れて来ます。楽屋に挨拶に来たブランフォードに、ガルシアは翌日、楽器をもって遊びにこないかと誘います。誘いにのってやって来たブランフォードが、リハーサルもなにも無しにいきなりステージに現れて演奏したのがこのトラック。前半はこれだけでしたが、後半はアンコールまでほぼ出突っ張り。この時のツアーは二つのボックス・セットでリリースされていますが、この日のショウの録音だけは Wake Up And Find Out というタイトルで独立に売られています。

 ブランフォードはスティングの《Bring On The Night》での演奏も有名ですが、本人としても、全体としても、デッドとの共演の方が遙かに良いと、あたしなどは思います。

 ここではガルシアとマルサリスが、まるで昔からずっとやっていたかのようなすばらしい掛合いを展開し、バンドもこれに反応して盛り立てます。その様子が、レーザーターンテーブルとPAスピーカーのシステムで、まさにその現場に居合わせたように再現されたのでした。

 11-23には、レーザーターンテーブルでアナログ盤でデッドのライヴ録音を聴いてゆきます。映像とのアナログ的同期ももう少しうまくいくようにします。(ゆ)

 昨日は梅雨の中休み、というよりはもう真夏の1日に、下北沢は風知空知での「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門第4回」にお運びいただき、まことにありがとうございました。テーマが地味で、よりコアだったのですが、一応楽しんでいただけたようで、ほっとしております。聴いた楽曲、音源は以下の通りです。

Dark Star
18:56 1969-05-23, Hollywood Seminole Indian Reservation, West Hollywood, FL
ROAD TRIPS, Volume 4 Number 1

The Eleven
15:13 1969-02-28, Fillmore West, San Francisco, CA
Fillmore West 1969: The Complete Recordings

Dire Wolf
4:56, 1970-05-02, Harpur College, Binghamton, NY
Dick's Picks, Vol. 8

New Speedway Boogie
6:26, 1970-05-15, Fillmore East, New York, NY
Road Trips: Vol 3, No 3

Friend Of The Devil
3:42, 1970-06-07, Fillmore West, San Francisco, CA
30 Days Of Dead 2017

Ripple
5:35, 1971-04-29, Fillmore East, New York, NY
Ladies And Gentlemen...The Grateful Dead

Brokedown Palace
5:51, 1971-11-15, Austin Memorial Auditorium, Austin, TX
ROAD TRIPS, Vol. 3 No. 2

Greatest Story Ever Told
4:22, 1971-02-19, Capitol Theater, Port Chester, NY
Three From The Vault

Wharf Rat
9:08, 1971-12-14, Hill Auditorium, Ann Arbor, MI
Dave's Picks Bonus Disc 2018


 風知空知はテラス側が屋根も開けられるので、昨日は大きく開いて、気持ちのよい風が入っていました。夏にはなかなかいいものですね。

 演奏もアコースティックが多かったのですが、デッドの曲の良さを堪能できて、あたしは幸せでありました。デッドは実に多様な確度からアプローチできるのが、また楽しいものです。

 1969年と1971年の〈Dark Star〉の違いは面白かったと思います。バラカンさんも、《Live/Dead》のものが頭に焼きついているとのことでしたが、今回、いろいろのヴァージョンを聞き比べられて、あらためて面白くなったそうです。

 このイベンドですが、一応次回で区切りをつけることになりました。本が出た後で、あらためてまた何回かできればと思っております。その時にはアナログ盤大会もできるといいなと希望を抱いております。

 なので、次回はまだ聴いていない名曲の数々、いや、デッドのレパートリィは300〜500曲はあって、頻繁に演奏され、また人気もある名曲もまた数多くて、4回かけても聴いていないものはたくさんあります。そういう名曲の名演を選んで、ライヴ音源で聴いてみようということになりました。といっても、やはり1曲が長いので、マックスでも12曲、おそらくは10曲ぐらいになるでしょう。時期はまだ未定ですが、8月後半ないし9月前半になろうかと思います。

 さあて、いよいよ、本を作らねばなりません。今年じゅうにはたして出るか。(ゆ)

 来週火曜日になってしまいました。場所はいつもと同じ、下北沢の風知空知です。タグチ・スピーカーがすばらしいサウンドで鳴ってます。

 田口さんは最近はもっぱら平面型のユニットを使ったスピーカーを作られていて、その意味では風知空知のスピーカーはより古いユニットを使ったものですが、さすがにタグチ・スピーカーの名に恥じない、すばらしいサウンドです。

 今回のテーマは「《LIVE/DEAD》と《Skull & Roses》の間」にしてみました。前者の録音が1969年1月末〜3月2日のサンフランシスコ。後者の録音が1971年4月のニューヨーク。この約2年の間はグレイトフル・デッドの経歴の中でも最も重要かつ興味深い変化の時期である、というのがあたしの見立てで、それを実際の音源で確認してみようというわけです。

 《LIVE/DEAD》は1969年11月のリリースで、デッドとしては4作めで初のライヴ・アルバム。デッドにとっては《AOXOMOXOA》の製作で負った多額の借金返済のためのものでありましたが、評価もセールスも良く、バンドとしての地位を確立します。バラカンさん始め、これによってデッドのファンになった人も多い。あたしも図書館からCDを借りてファーストから順番に聴いていった時、これはイケると思ったのはこのアルバムでした。

 《Skull & Roses》は1971年9月のリリースで7作めにあたり、2本めのライヴ・アルバムです。これは何よりもバラに飾られた骸骨のジャケット・イラストと「デッドヘッドへの呼び掛け」によって、デッド史を画するものになります。前者のイマージュからこのアルバムは正式タイトルの《GRATEFUL DEAD》よりも《Skull & Roses》と呼ばれてきました。当初、バンドとしては《SKULLFUCK》というタイトルにしたいと言い出して、ワーナーがパニックになったというのはデッド世界では有名な話です。後者は名前と住所を送ってくれという "Dead Freaks Unite!" と題された呼び掛けがジャケットに印刷され、これによって Dead Heads と呼ばれる巨大かつ強固なファン・ベースができることになります。この呼び掛けに欧米はもとより、当時の共産圏や、台湾、日本からも手紙が集まりました。

 《LIVE/DEAD》に現れたのはそれまでのグレイトフル・デッドです。一方でピグペンをフロントとしたブルーズ・ロック・バンドであり、他方、アシッド・テストのハウス・バンドを出発点として培ってきたサイケデリックなジャム・バンドでありました。加えて、フィル・レシュがその理論を試す実験音楽のバンドという側面もあります。

 《Skull & Roses》でのデッドは、ブルーズ色が後退し、フォークとジャズをベースにした独自のロックンロールとそこからの集団即興を追求するバンドとなり、以後、1995年の解散まで、性格は変わりません。

 そこにはピグペンの健康問題、それに伴うトム・コンスタンティン、そしてキース・ガチョーの参加、Festival Express といった外面的条件も働いていたでしょう。1969年はもちろんウッドストックとオルタモントの年でもあり、デッドはどちらにも関わります。もっともデッドにとっては、翌年のジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンの相次ぐ死去の方が直接間接に影響は大きかったようでもあります。オタモントからは〈New Speedway Boogie〉、ジャニスの死からは〈Bird Song〉が生まれました。

 オルタモントについては、別の角度からですが、デッドにとって大いにプラスの結果を生むことになります。これでローリング・ストーンズのロード・マネージャーをクビになった Sam Cutler をデッドは雇い、カトラーの手腕のおかげでツアーからの収入が大幅に増えたからです。72年のヨーロッパ・ツアーもイングランド人のカトラーがいたから実現したとも言えます。

 こうした変化を音で聴こうというわけですが、言うは易し、行うは難しで、掲げてはみたものの、実際どうすればいいのか、しばらくは途方にくれていました。とにかくこの時期のライヴ音源を聴いてみて、ひょっとするとこれでいけるかという方向性がようやく見えてきました。

 ひとつは〈Dark Star〉の聞き比べ。これまでの3回ではこの曲は聴いていません。故意に避けたわけではありません、めぐりあわせでそうなったんですが、この曲はやはりデッドを象徴し、またこの曲を演奏することでデッドがデッドになっていったとも言えるものではあります。これの1969年版と1971年版を比べてみるのが一つ。

 もう一つは、69、70、71の各々の年を代表するような曲を聴いてみる。69年にしか演奏されなかった曲とか、70年にデビューしてずっと演奏されつづけた曲とかです。この時期はオリジナルやカヴァーのデビューが大量におこなわれた年です。ニコラス・メリウェザーによれば1969年のレパートリィ97曲のうち、実に63曲が初登場しています。つまりここからレパートリィががらりと入れ替わっているわけです。

 これまでの3回で聴いた曲は避けたので、こんな曲を聴こうということになりました。やや地味かもしれませんが、よりディープとも言えそうです。

The Eleven, 1968-01-17
St. Stephen, 1968-06-14
Dire Wolf, 1969-06-07
New Speedway Boogie, 1969-12-20
Friend Of The Devil, 1970-03-20
Attics Of My Life, 1970-05-14
Ripple, 1970-08-18
Brokedown Palace, 1970-08-18
Greatest Story Ever Told, 1971-02-18
Wharf Rat, 1971-02-18
One More Saturday Night, 1971-09-28

 日付はデビューの日。

 それにしても1969年という年は面白い。ビートルズが Abbey Road、ローリング・ストーンズは Let It Breed、ジョニ・ミッチェルは Clouds、キンクスは Arthur を出し、レッド・ツェッペリン、ニール・ヤング、サンタナ、そしてマリア・デル・マール・ボネット各々のデビュー・アルバムが出ています。CSN&Yの Deja Vu、ザ・バンドの The Band、ペンタングルの Basket Of Light、フランク・ザッパの Hot Rats、キャプテン・ビーフハートの Trout Mask Replica もこの年です。一方、ボブ・ディランが Nashville Skyline を出せば、フェアポート・コンヴェンションは Liege & Lief を出す。そして留めにマイルス・デイヴィスの Bitches Brew が出ます。

 やはり一種の分水嶺の年であると見えます。グレイトフル・デッドもまた、そうした時代の流れを作るとともに、独自の道を歩みはじめる。その様がうまく聞えるかどうか。さても、お立会い。(ゆ)


Live/Dead
Grateful Dead 
Rhino
2003-03-03



The Grateful Dead (Skull & Roses)
Grateful Dead
Rhino
2003-03-22


 グレイトフル・デッドをただ聴いているだけではがまんできなくなり、ヴェテランのデッドヘッドであるバラカンさんを巻き込み、アルテスの鈴木さんを口説いて、こんな企画を立ち上げてみたものの、いざ実行となると、あらためてエライこっちゃと慌てているのが現状。

 まあね、50を過ぎてデッドにハマったファン(あえて「デッドヘッド」とは申しません)から見ると、わが国の今のグレイトフル・デッドの評価やイメージはあまりに貧弱ないし的外れに見える。デッドの録音としてボブ・ウィアの《ACE》が最高とか言われると、ちょっと待ってよと言いたくなるのです。

 一方で、昔からのデッドヘッドの一部にある見方、60年代を知らなければ、とか、実際のライヴを体験しなければデッドはわからん、というのもまた偏ってるよなあ、と思う。

 まあ、とにかく、先入観とか、固定観念とか一度とっぱらって、デッドの音楽に、ライヴの音源に耳を傾むけてみましょうよ、それも1970年代や80年代を聴いてみましょうよ、という趣旨ではあります。

 20世紀もいろいろ大変だったわけだけど、21世紀はもっと大変な時代になっていて、たぶんもっともっと大変な時代になってゆくだろうと思われる。マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパ、それにおそらくはデューク・エリントンと並んで、20世紀アメリカの産んだ最高最大の音楽のひとつであるグレイトフル・デッドの音楽は、その21世紀を生き延びてゆくよすがの一つになるんじゃないか。音楽に「役割」があるとすれば、サヴァイヴァルのためのツールというのが第一と思う。

 ということで、11/07、風知空知@下北沢へどうぞ。(ゆ)

「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」
日時:2017年11月7日(火) 19時開場/19時30分開演
会場:風知空知(下北沢駅南口徒歩3分)
出演:ピーター・バラカン×おおしまゆたか
料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 500円)
予約:yoyaku●fu-chi-ku-chi.jp までメールで、
イヴェント名、お名前、枚数、ご連絡先電話番号を明記の上、
お申し込みください。 ※アルテスパブリッシング
info@artespublishing.com でも承ります。
【ご注意】
整理番号はありません。当日は先着順でご入場いただきます。
ご入場は建物1F右奥のエレベーターをご利用ください。

 ボックス・セットのトラック・リストと各CDのタイムをリストアップしておく。各ショウの後の時間は合計時間。


Show 01 of 16: 2015-09-15, The Southland Ballroom, Raleigh, NC 1:41:46
Disc 1 61:39
1. Flood
2. Bent Nails
3. Kite
4. Young Stuff

Disc 2 40:07
5. Tio Macaco
6. Little Wing; Superstition
7. Lingus


Show 02 of 16: 2015/09-24, Royce Hall, Los Angeles, CA 1:25:30
Disc 1 61:53
1. Flood
2. Binky
3. Bent Nails
4. Kite

Disc 2 23:37
5. What About Me?
6. Shofukan
7. Sleeper


Show 03 of 16: 2015-10-05, O2 Academy Bristol, Bristol, UK 1:42:24
Disc 1 61:15
1. Bent Nalis
2. Outliner
3. 34 Klezma
4. Flood
5. Sharktank

Disc 2 41:09
6. Thing of Gold
7. Young Stuff
8. Quarter Master
9. What About Me?


Show 04 of 16: 2015-10-06, Hammersmith Apollo, London 1:43:25
Disc 1 68:03
1. Strawman
2. Flood
3. Bent Nalis
4. What About Me?
5. Thing of Gold

Disc 2 35:32
6. Tio Macaco
7. Lingus
8. Shofukan
9. Quarter Master


Show 05 of 16: 2015-10-08, L'Obseratoire, Cergy, France 1:44:24
Disc 1 73:09
1. Intelligent Design
2. Skate U
3. Whitecap
4. Kite

Disc 2 31:15
5. What About Me?
6. Quarter Master
7. Ready Wednesday
8. Lingus


Show 06 of 16: 2015-10-13, Theatre Municipal, Tourcoing, France 1:55:21
Disc 1 65:26
1. Bring Us The Bright
2. 34 Klezma
3. Bent Nalis
4. Flood
5. Thing of Gold

Disc 2 49:55
6. What About Me?
7. Ready Wednesday
8. Shofukan
9. Quarter Master


Show 07 of 16: 2015-10-16, Tivoli Vredenburg, Utrecht, Netherlands 1:42:53
Disc 1 63:03
1. Shofukan
2. What About Me?
3. Sleeper
4. Kite
5. Outliner

Disc 2 39:50
6. Tio Macaco
7. Lingus
8. Quarter Master
9. Groove (Quarter Master)


Show 08 of 16: 2015-10-18, De Oosterport, Groningen, Netherlands 1:40:40
Disc 1 71:02
1. Binky
2. Skate U
3. What About Me?
4. Thing of Gold

Disc 2 29:38
5. Tio Macaco 13:19
6. Ready Wednesday 17:04
7. Lingus 12:24


Show 09 of 16: 2015-10-21, Palladium, Warsaw 1:41:17
Disc 1 58:40
1. Bent Nalis
2. 34 Klezma
3. Skate U
4. What About Me?
5. Young Stuff

Disc 2 42:37
6. Tio Macaco
7. Sleeper
8. Quarter Master
9. Shofukan
10. Ready Wednesday


Show 10 of 16: 2015-10-26, WUK, Vienna 1:59:52
Disc 1 57:37
01. Whitecap
02. Skate U
03. Bent Nails
04. Go
05. 34 Klezma
06. Thing of Gold

Disc 2 62:15
07. Tio Macaco
08. Young Stuff
09. Shofukar
10. Ready Wednesday
11. What About Me?


Show 11 of 16: 2015-10-31, Schlachtof, Bremen, Germany 1:55:18
Disc 1 53:04
01. Sharktank
02. 34 Klezma
03. Go
04. Skate U
05. Bent Nalis

Disc 2 62:14
06. Whitecap
07. Sleeper 13:11
08. What About Me?
09. Shofukan
10. Lingus


Show 12 of 16: 2015-11-07, Nasjonal Jazzscene, Oslo, Norway (late show) 1:48:41
Disc 1 52:56
1. Flood
2. Bent Nails
3. Go
4. Binky

Disc 2 55:45
5. Sharktank
6. Shofukan
7. Quarter Master
8. Lingus


Show 13 of 16: 2015-11-08, La Cigale, Paris 1:42:04
Disc 1 44:29
1. Whitecap
2. Celebrity
3. Kite
4. Outliner
5. Go

Disc 2 57:35
6. Binky
7. Tio Macaco
8. Sleeper
9. Shofukan


Show 14 of 16: 2015-11-09, CRR Concert Hall, Istanbul 1:38:37
Disc 1 46:04
1. Kite
2. Bent Nails
3. Binky
4. What About Me?

Disc 2 52:33
5. Thing of Gold
6. Tio Macaco
7. Ready Wednesday
8. Shofukan


Show 15 of 16: 2015-11-15, Niceto Club, Buenos Aires 1:54:31
Disc 1 51:02
01. Flood
02. Skate U
03. 34 Klezma
04. Kite
05. What About Me?

Disc 2 63:29
06. Thing of Gold
07. Tio Macaco
08. Shofukan
09. Lingus


Show 16 of 16: 2015-11-16, Teatro Nescafe de Las Artes, Santiago, Chile 1:46:07
Disc 1 49:39
1. Flood
2. Outliner
3. Binky
4. What About Me?
5. Young Stuff

Disc 2 56:28
6. Tio Macaco
7. Sleeper
8. Lingus
9. Shofukan


 ついでにこの時のツアーでダウンロードで買えるライヴのリスト。
*をつけたのは上記ボックス・セットに入っているもの。
 
09/12/15 The Historic Scoot Inn, Austin, TX
09/13/15 Howlin' Wolf, New Orleans, LA
09/14/15 Variety Playhouse, Atlanta, GA
09/15/15 Southland Ballroom, Early Show - Raleigh, NC
*09/15/15 Southland Ballroom, Late Show - Raleigh, NC
09/16/15 Ardmore Music Hall, Ardmore, PA
09/17/15 Berklee Performance Center, Boston, MA
09/23/15 Belly Up, Solana Beach, CA
*09/24/15 Royce Hall, Los Angeles, CA
10/01/15 O2 Academy, Leeds, UK
10/02/15 The Ritz, Manchester, UK
10/03/15 O2 Academy ABC, Glasgow, UK
10/04/15 The Institute, Birmingham, UK
*10/05/15 O2 Academy, Bristol, UK
*10/06/15 Hammersmith Apollo, London, UK
10/07/15 Concord 2, Brighton, UK
*10/08/15 L'observatoire, Cergy, FR
10/10/15 Theatre Novarina, Thonon-Les-Bains, FR
10/11/15 Le Rocher de Palmer, Cenon, FR
10/12/15 Le Bikini, Toulouse, FR
*10/13/15 Theatre Municipal, Tourcoing, FR
10/14/15 Ancienne Belgique, Brussels, BE
*10/16/15 Tivoli Vredenburg, Utrecht, NL
10/17/15 Parkstad Limburg, Heerlen, NL
*10/18/15 De Oosterport, Groningen, NL
10/20/15 Eskulap, Poznan, PL
*10/21/15 Palladium, Warsaw, PL
10/22/15 CSJF, Prevov, CZ
10/23/15 Jazz Days Festival, Bratislava, SK
10/24/15 Jazz Days Festival, Žilina, SK
*10/26/15 WUK , Vienna, AUT
10/27/15 Alte Feuerwache, Mannheim, DE
10/28/15 Im Wizemann, Stuttgard, DE
10/29/15 Ampere, Munchen, DE
10/30/15 Huxley's Neue Welt, Berlin, DE
*10/31/15 Schlachthof, Bremen, DE
11/01/15 Live Music Hall, Koln, DE
11/02/15 Mojo, Hamburg, DE
11/03/15 Fermaten, Herning, DK
11/04/15 Stockholm Konserthuset, Stockholm, SE
11/06/15 Nasjonal Jazz Scene, Early - Oslo, NO
11/06/15 Nasjonal Jazz Scene, Late - Oslo, NO
11/07/15 Nasjonal Jazz Scene, Early - Oslo, NO
*11/07/15 Nasjonal Jazz Scene, Late - Oslo, NO
*11/08/15 La Cigale, Paris, FR
*11/09/15 CRR Konser Salonu, Istanbul, TR
11/13/15 Vivo Rio, Rio de Janeiro, BR
*11/15/15 Niceto Club, Buenos Aires, AR
*11/16/15 Teatro NESCAFE de las Artes, Santiago, CL

 お愉しみを。(ゆ)

 このボックスセットの趣旨はまず第一に、グレイトフル・デッド30年のそれぞれの年を1本の未発表ライヴで代表させ、それを並べることでリスナーそれぞれがある歴史の流れを体験できるようにするというものだ。ならば、まずは1本ずつ時系列で聴いてゆくのがそれに応えることになる。

 1966年から1980年までの前半15本を一通り聴きおえた。個々のショウについては別の機会に述べることにして、ここでは半分聴いたところでの全体的なつかみをしてみる。

 まず述べるべきは66年から70年にいたるバンドの飛躍的成長だ。原点から飛び出した軌跡はまず急速に上昇し、ちょうど放物線を描くように飛躍の幅を縮めながら70年で形としては完成する。その後も上昇は続くが、その差はわずかになり、むしろ内部の質的な変化に移行する。

 このことはむろん当初から予想してはいたが、これほど明確に、しかも三段跳のように大きく伸びてゆくのは予想を超えていた。その意味で1966年と67年の違いはたいへん面白い。ここにその1つが収められた1966年夏の演奏を聴いて、メディアは注目したし、ワーナーは契約書を送ってきたわけだが、ここではかれらはまだいわば「普通の」ロック・バンドで通る。しかし67年には明らかにグレイトフル・デッドとして唯一無二の特徴を現している。68年にはその特徴が明確な形をとりはじめ、69年にほぼ完成し、70年で変身過程が完了する。

 この発展過程は自然発生的なものには見えない。どこからか、強い圧力がかかって、通常ではありえないほど加速されているようにみえる。その圧力もおそらく1つところからだけではなく、かれら自身の内部からのものもあっただろう。アメリカの作家E・E・スミスの『レンズマン・シリーズ』に出てくるレンズの子どもたち、次の宇宙を担う存在として人工的に生み出された超人たちを思い出した。

 デッドは1965年から66年にかけて、「アシッド・テスト」のハウス・バンドをつとめることでバンドと音楽の基礎を鍛えてゆくが、その過程にすでにそうした加速度的変化を促進するものがあったのかもしれない。

 この時期のデッドの加速度的変化は年齡不相応なものでもあって、たとえばバンドとしての思春期や青春期がほとんど見えない。幼年期から一足飛びに成熟してしまう。演奏技術の上で未完成であることとは別に、音楽そのものはいきなり成熟した姿で現われる。

 これはやはり無理を重ねていることでもあって、かれらが1974年にツアーを停止しなければならないと感じたのは、そこから生じた要素も大きかったのではないか。1976年や77年になってようやく音楽をやっている歓びをあらためて味わっている感覚がある。遅れてきた青春を楽しんでいるようにみえる。

 60年代にはまだ技術的に未熟なところも散見されるが、70年代に入るとその方面の不安も払拭して、1972年にはむしろ無類に上手いバンドのひとつになる。

 1970年以降の内部の変化もまた興味深い。ピグペンが脱けた後の72年、休止期開けの76年、ガチョーク夫妻からブレント・ミドランドへ交代する80年は、それぞれに鮮やかに変化する。66年当初から右肩上がりで上がってきた演奏の質が77年を頂点にして78、79年とやや下降し、80年に再び上昇する。

 下降するといっても相対的な話で、個々にとりだせば、どのショウもすばらしい。すでに100本以上の公式リリースがあるのに、よく、これだけのものが残っていたと感心する。

 ここまで質の良い録音を揃えることができたのは、おそらく技術上の改善も貢献したのだろう。テープ修復、デジタル変換、あるいはサウンド補修などの技術が進展することで、従来公式にはとてもリリースできなかった録音でも、きちんとした形でリリースすることが可能になったのではないか。

 というのも、元のテープや録音に何らかの問題があるショウがいくつかあるからだ。テープそのものが損傷していたり、おそらくは物理的原因(たとえばたまたまマイクの電源が切れていた、など)で、一時的にサウンドがおかしくなったりするところが聴きとれる。1976年はどういうわけか、ほとんどモノーラルで、すべての楽器とヴォーカルが中央に集まっている。しかし、個々の楽器やヴォーカルはそれぞれ明瞭に聞えるし、何より音楽の質の高さは、そんなことを忘れさせる。どのような形であれ、この録音をこの形で聴けるのは幸福だ。

 そして全体にとにかく音質がすばらしい。とりわけヴォーカルがそれは生々しく、はっきり聞える。コーラスでは、個々の声がきちんと聞き取れてしかもしっかりハーモニーになっている。デッドのウリは器楽の集団即興が最大ではあろうが、うたもそれに劣らぬ柱だったのだ。このうたがあってこその器楽なのだ。デッドのハーモニーは「ヘタ」という定説があるが、あれはひょっとすると録音のミックスやマスタリングがちゃんとされていなかったためではないかと勘繰りたくなる。

 それでまず再評価したのがドナ・ジーン・ガチョークで、この人の貢献は相当に大きい。ハーモニーの核になり、彼女が入ることでガルシアとウィアの声をつないでいる。あらためて彼女の入っている録音を聴き直したくなったし、これまでほとんど関心が湧かなかった彼女のポスト・デッドの活動も俄然気になってきた。

 ガルシアのうたもよく聞える。こうやって聴くと、実に不思議なシンガーだ。うまくはないし、発声法もいいかげんだし、声域も狭いし、表現も単調だ。その欠点が「あばたもえくぼ」になるわけでもない。いわゆるヘタウマとも言えない。しかし、そうしたことを突き抜けてくるこの説得力はいったいどこから生じるのか。ただでさえ単調なメロディを繰り返す〈Peggy-O〉のようなうたを、一見何の工夫もなく、ぼそぼそとうたうだけで、聴き手をうたの世界に引き込んでしまう。

 総合的にウィアの方がシンガーとして上だとは思うが、ガルシアの持ち歌をウィアがうたっても、説得力、うたを聴かせる力では到底かなわないだろう。そして、逆は案外、おもしろい味になったのはないかとも思ってしまう。あるいはこのあたりは、シンガーというよりは音楽家、いやアーティスト、芸術家としての器量の違いかもしれない。

 もっともデッドの曲は特定の演奏者を想定してつくられているようでもある。ガルシア、ウィアの作るうたはもちろん各々自分でうたうのが最もふさわしいように作っているが、それだけでなく、たとえば〈Feel Like a Stranger〉はガチョーク夫妻がいたらこういう曲にはならなかっただろう。これはミドランドが入ったことでこういう形になった。79年と80年を続けて聴くとそう思われる。


 1本聴くと、その前後のものが聴きたくなる。同じツアーや同じ年の他の録音、同じ会場の別の録音が聴きたくなる。今はその欲求は封じて、ひたすら 30 TRIPS AROUND THE SUN を聴いている。EUROPE '72 完全版より本数は多いが、個々のショウの時間は短いので、まだ時間をとりやすい。もっとも、あともう少しだとついつい夜更かしもしてしまう。

 1980年代末から1990年にかけては比較的よく聴いているが、80年代前半はほとんど未知の世界だ。この時期は公式リリースも少ない。デッドにとっては、いわば「どん底」と言える時期ではある。しかし、ガルシアの昏睡とそれに続く時期を除いて、デッドは活動をやめなかった。ベテラン・バンドの多くがパンクのあおりを受けて、事実上引退をしていたのとは対照的だ。そこでデッドはどういう演奏をしていたか。どういう音楽を展開していたか。そして1990年の頂点を超えて、90年代をいかに凌いだか。

 そういうことを一応のテーマとして、後半15本を聴こうと思う。(ゆ)

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