クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ライヴ

 Dead.net から今年のビッグボックス《Here Comes Sunshine 1973》の案内がきたので、早速注文。送料70ドル。計256.98USD。円安がまた進行しているし、送料は相変わらずだが、やむをえん。


 
 収録されるショウは以下の5本。CD17枚組とダウンロード。

1973-05-13, Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
 第一部クローザー〈Playing in the Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリース。
 
1973-05-20, Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA

1973-05-26, Kezar Stadium, San Francisco, CA
 第二部6曲目〈Box or Rain〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリース。

1973-06-09, RFK Stadium, Washington, DC

1973-06-10, RFK Stadium, Washington, DC
 第一部クローザー前〈Bird Song〉が2011年の、第二部4曲目〈Here Comes Sunshine〉が2017年の《30 Days Of Dead》で、第三部オープナー〈It Takes A Lot To Laugh It Takes A Train To Cry〉が《Postcards Of The Hanging》で、各々リリース。

 この06-10のショウが独立でCD4枚組、LP8枚組で各々リリース。

 この5本は4月2日までの春のツアーと6月22日からの夏のツアーの間の時期で、この期間、ショウはこれで全部。

 RFK Stadium の2日間はオールマン・ブラザーズ・バンドとの双頭ヘッドで、ダグ・ザームとウェット・ウィリーが前座。9日はデッドが先、10日はデッドが後。10日第3部にはマール・ソーンダース、ディッキー・ベッツ、ブッチ・トラックスが参加。

 ライナー執筆陣の一人 Ray Robertson は《Dave's Picks, Vol. 45》に続いての登場で、あのライナーはなかなか良かったので楽しみ。(ゆ)

 デッドのスタジオ盤リリース50周年記念シリーズとして《American Beauty》が10月30日発売と発表になってます。CD3枚組でオリジナルのリマスターと 1971-02-18, Capitol Theater, Port Chester, NY のショウが完全収録されます。 

 CDの他に限定カラー・ディスク・アナログ盤とその他記念商品が Dead.netオンリーで出ています。いずれも予約可能。

 収録される1971年2月18日のニューヨーク州ポート・チェスターのキャピトル・シアター公演は、24日まで6夜連続のショウの初日。この日は一気に5曲もの新曲が披露されたことでも有名です。初披露の新曲は

Bertha(オープニング)
Loser(前半4曲め)
Greatest Story Ever Told(前半5曲め)
Wharf Rat(前半10曲め。〈Dark Star〉にはさまれる形)
Playing in the Band(後半2曲め)

 このうち、〈Bertha〉は前年末12月15日にサンフランシスコの The Matrix での演奏記録があり、これが公に演奏された初めと思われます。が、この時は Grateful Dead としてではなく、Jerry Garcia & Friends の名義、メンバーはデヴィッド・クロスビーとガルシア、レシュ、ハート。会場はデッドも草創期に演奏したことがある、「30人も入れば一杯の」小さなハコです。DeadBase 50 によれば定員104。

 この5曲はいずれもその後デッドのレパートリィの定番中の定番になりますが、グレイトフル・デッドとしてのスタジオ盤には収録されていません。〈Bertha〉と〈Wharf Rat〉は1971年の《Skull & Roses》が公式リリースとしては初出。つまりこの2曲にはスタジオ版が存在しません。〈Greatest Story Ever Told〉と〈Playing in the Band〉は1972年のボブ・ウィアの初のソロ《Ace》、〈Loser〉はジェリィ・ガルシアの初のソロ《Garcia》1972年に、それぞれ収録されます。

 ウィアの《Ace》については、参加メンバーが実質デッドなので、これをデッドのアルバムに含める向きもありますが、デニス・マクナリーのバンド公式伝記 A Long And Strange Trip によれば、録音の主導権は完全にウィアがとっているので、アルバムとしてはデッドのものとは別物とみるべきでしょう。

 このショウでは Ned Lagin がキーボードを担当しました。

 ここから始まる6本のキャピトル・シアターの連続公演(22日は休み)はデッドのショウの中でもベストのランつまり一連の連続公演の一つとしても名高いものです。これまでに2日め19日のショウが《Three From The Vault》2007として、4日目21日のショウがつい先日出た《Workingman's Dead》50th Anniversary Deluxe Edition に公式リリースされています。また最終日24日のショウのうち3曲が2010、2012、2013と2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。4回で3曲というのは2012年と2013年が同じ曲のため。今回出る18日も2016年に〈Loser〉、2017年に〈Bertha〉がそれぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされています。このランは《Skull & Roses》用にマルチトラック録音されているそうなので、他の3本もいずれ何らかの形で出るでしょう。

Three From the Vault (Dig)
Grateful Dead
Rhino / Wea
2007-07-17


Workingman's.. -Deluxe-
Grateful Dead
Rhino
2020-07-10



 《Skull & Roses》には結局この2月の録音は使われず、その後の4月のフィルモア・イーストでの録音が主に収録されました。ひょっとすると来年《Skull & Roses》50周年記念盤としてこれらの完全版が出るかもと期待しましょう。

 この連続公演はまたブルックリンの  Dream Laboratory に協力してテレパシーの実験が行われたことでも知られます。ステージ後方のスクリーンに映し出された図形を聴衆はテレパシーで Dream Laboratory に送るよう努めることを要請されました。実験の結果はテレパシーが成立したとされています。

 会場のあるポート・チェスターはマンハッタンから北東にロング・アイランド海峡沿いに約70キロほど行ったコネティカット州との境のすぐ前にある町。キャピトル・シアターは1926年に建てられた1,800人収容のコンサート会場です。当初は映画館として造られ、1970年代にコンサート会場に改修されました。今世紀初頭は使われる頻度が減りましたが、2011年に大改修されて、再び盛んにライヴが行われています。

 デッド以外にもジャニス・ジョプリン、パーラメント-ファンカデリック、トラフィック、デヴィッド・ボウイ、ストーンズ、フィッシュなどがここでライヴをしています。2011年の改修後の柿落しはディランでした。

 デッドはここで1970年3月20日から1971年にかけて計13日18本のショウをしています。その最後がこの6本です。

 1971-02-18のショウはまた、ミッキー・ハートがこれを最後に3年半、バンドから離れたものでもあります。

 デッドのマネージャーをしていたミッキーの父親の Lenny Hart (1919-1975) は、1970年3月、多額のバンドの金を持って失踪します。レニーは独自の教会の牧師もしていて、デッドが稼いだカネをそちらに流用していたのがバレ、責任を追求される直前に高飛びしたのでした。翌年6月サン・ディエゴで発見され、裁判で有罪とされて半年の懲役刑に服します。バンドは民事訴訟することはせず、代わりにハンター&ガルシアが〈He's Gone〉を作りました。この歌はレパートリィの定番となり、とりわけ、周囲の誰かが亡くなると追悼として演奏されました。

 この事件は当然ミッキーには大変なショックでした。もともと父親をマネージャーに薦めたのはミッキーでもありました。他のバンド・メンバーやクルー、スタッフがミッキーを責めることは一切ありませんでしたが、自責の念からショウに出ることもままならなくなります。1971年2月のツアーにも同行し、超能力実験をやった心理学者が催眠術をかけて、18日の初日にはステージに何とか上がりますが、終演後、ハートの状態を危ぶんだ心理学者はかれをロング・アイランドの実家に連れていきました。復帰するのは1974年10月20日、ウィンターランドでの、デッドがライヴ活動を休止する最後のショウでした。

 《American Beauty》は《Workingman's Dead》とともに、デッドのスタジオ盤としてはダントツに評価が高く、また実際、質も高いものであります。かの「ブラックホーク」にもこの2枚はありましたし、あたしがデッドにハマる前に聴いていたのもこの2枚だけでした。この2枚はまたピグペンのバンドからガルシアのバンドへというデッドの方向転換の軌跡でもあり、これを促進したものでもあります。

 この次のスタジオ盤は1973年の《Wake Of The Flood》になるので、50周年記念盤もしばらくは出ませんね。もっとも、デヴィッド・レミューの口振りでは、今年はもう一つ、隠し玉があるかもしれません。(ゆ)

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