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RIP Robin Morton (1939-2021)
今度はスコットランドのロビン・モートンが亡くなったという知らせです。今月1日、81歳。突然の死去だった模様。追悼記事がここにあります。
この記事は丁寧で、ちゃんと略歴から書いてくれていて、おかげでモートンがノーザン・アイルランドのアーマー州ポータダウンの出身だとか、スコットランド最高のハーパーの一人 Alison Kinnaird の旦那だとか、初めて知りました。
ロビン・モートンはまず The Boys of the Lough のメンバーとしてぼくらの前に現れますが、ぼくらが最も恩恵を受けたのは Temple Records の主宰者、プロデューサーとしてでした。スコットランドで最も初期の伝統音楽専門レーベルとして、テンプルは一歩踏みこんだ世界を開いてくれました。スコットランドの音楽にぼくらは Topic や Trailer からのアルバムによってまず親しんだわけですが、クラルサッハやスコティッシュ・ゲール語歌謡など、そこには無い側面の音楽を伝えてくれたのがテンプルでした。
上記追悼記事によると、父親の影響でまずジャズに親しみ、コルネットを学びます。ヒーローはルイ・アームストロング。ジェリー・ロール・モートンが芸名で、何らのつながりもないことを残念がっていました。ベルファストでジャズやブルーズのレコードを買っていた店はヴァン・モリソンも常連だったそうです。スキッフルからブルーズ、さらにアパラチアの音楽に至り、遡る形でアイルランドの音楽も発見します。
本業は精神障害者専門のソーシャル・ワーカーで、ロンドンで資格をとり、そちらの仕事も続けていたようです。
資格をもって故郷にもどると、Ulster Folk Club を起ち上げ、これは Ulster Folk Music Society に発展します。ここで Cathal McConnell と出逢い、ギター、バゥロン、コンサティーナを演奏するようになります。またクラブのゲストに招いたことからイワン・マッコール&ペギー・シーガーの知己を得て、イングランド、スコットランドとつながりができます。1967年、カハル・マッコネルとフィドラーの Tommy Gunn と The Boys of the Lough の原型をつくります。バンドの名前は3人でこのタイトルのリールを演奏した時に生まれました。
1970年にエディンバラに移住。精神異常治療の博士号をとるためでしたが、音楽の仕事が忙しくなって、ついに博士号は断念。
一方ボーイズ・オヴ・ザ・ロックはガンが辞めたため、アリィ・ベインと当時その相棒だったハーモニカの Mike Whellans を加え、さらにウィーランズがディック・ゴーハンに交替します。1973年、トレイラーから出たデビュー・アルバムはこの編成でした。ジャケット左からゴーハン、ベイン、マッコネル、モートン。
このバンドはアイルランド、シェトランド、スコットランドのミュージシャンによる最初の混成バンドでした。今や、スコットランド音楽の大御所的存在のアリィ・ベインのキャリアはここに始まります。10年後、アイルランドやスコットランドの伝統音楽を演奏する初めてのオーセンティックなミュージシャンとして来日した時、モートンはいませんでしたが、アリィ・ベインのフィドルとカハル・マッコネルのフルートに、ぼくらが受けた衝撃は大きく深いものでした。
モートンは1970年代、ボーイズをやりながら、ミドロジアン州テンプルの古い教会を自宅兼スタジオに改造します。Topic の録音エンジニア、プロデューサーとして、たとえばゴーハン畢生の傑作《Handful Of Earth》などを作りながら、Topic が出さないようなスコットランドのディープな音楽をこのスタジオで録音し、テンプル・レコードからリリースしたのでした。夫人のアリスン・キナードのハープ、Flora MacNeil、Christine Primrose のガーリック歌謡、さらにはスコットランド伝統音楽をスイングで料理したユニークなバンド Jock Tamson's Barins などが代表です。
プロデューサーとして最大の貢献はバトルフィールド・バンドを育て、スコットランドを代表する、そう、スコットランドのチーフテンズとも言うべき存在に押し上げたことでしょう。
エディンバラに移る前にモートンは Folksongs Sung In Ulster, Mercer Press を出していますが、最後になった仕事もアルスターの歌のコレクションで、完成間近だったそうです。周囲が引きついで、出版される計画だそうです。
Folksongs Sung In Ulster の序文で、モートンは面白いことを書いています。この本ははじめ Ulster Songs と題することを考えていた。ただ、そうすると、収録された歌の一部はアルスターの歌ではないではないかと指摘する人もいるかもしれない。そういう歌はアルスターが舞台ではない点では確かにそうだ。しかし、こういう見方は、伝統歌の伝わり方や社会の中での役割からして、不必要なまでに料簡が狭すぎる。アルスターが舞台ではない、たとえばイングランドから伝わった歌の中にはまた、ヨーロッパ大陸の古い歌にまで遡れるものもある。とすれば、これはイングランドの伝統歌と呼ぶべきか、あるいはヨーロッパの伝統歌と呼ぶべきか、あるいは他の名前を考えるか。それならアルスターで歌われているのだから、アルスターの歌でいいではないか。世界の中のこのアルスターという地域の人びとにとってそれらの歌は何か訴えるものがあって、その伝統に入った。であれば、歌がどこの起源であれ、それはアルスターの歌だろう。
ここには伝統というものがある限定された地域で初めて意味をもつことと、それは常にその外部と広く遠くつながっているという認識があります。伝統を相手にするとき、一見矛盾するこのことを忘れないでおくことが肝要でしょう。
モートンはこの序文でもうひとつ、このタイトルがこれらの歌は実際に歌われている、生きた歌であることも示唆していることも強調しています。実際、この本は収録された50曲すべてに対して、どこの誰から採録したかのリストがあります。こうして紙に印刷するのは歌うためのヒント、シンガーにとっては素材となり、歌っていない人にとっては歌うことへの誘いとなることを願ってのことでした。モートンがその後の活動で示してくれたのは、この生きている伝統、生きてほざいている伝統の姿です。
スコットランド音楽、そしてアルスターの歌の紹介に縁の下の力持ちとしてモートンは大きな存在でした。現在のスコットランド音楽の活況はかれが築いた土台の上に建っていると言って、言い過ぎではないでしょう。ぼくらの音楽生活を豊かにしてくれた先達に、心からの感謝を捧げます。合掌。(ゆ)
##本日のグレイトフル・デッド
10月24日には1969年から1990年まで、6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
2日連続の1日目。3.50ドル。共演ジェファーソン・エアプレイン、Sons of Champlin。1時間弱のショウ。
Sons of Champlin は1965年にマリン郡で Bill Champlin が中心になって結成。シャンプリンは後、シカゴに参加する。サンズ・オヴ・シャンプリンはホーン・セクションを備え、ギタリストはジャズの素養があり、シャンプリンはブルー・アイド・ソウルの一角と言えるシンガーだった。60年代、サンフランシスコ・シーンを、ジェファーソン・エアプレイン、デッドなどとともに代表する。つまり、この日はシスコのメジャー・バンド3つが揃い踏みしたわけだ。この日の順番はダグ・カーショウ、サンズ・オヴ・シャンプリン、デッド、エアプレイン。この3日前、10月21日にジャック・ケルアックが死んでいる。
2. 1970 Kiel Opera House, St. Louis, MO
この施設は Kiel Auditorium と同じ建物で、二つのホールが背中合わせに造られており、間の仕切りを取り払って、一つのホールとして使うこともできた。オペラ・ハウスはその半分の片方の名前。もう片方と全体はオーディトリアムと呼ばれた。先日出た《Listen To The River》ボックス・セットに収められた1973年10月末のショウはこの大きく使う方で、9,300人収容。このオーディトリアムにデッドは1969-02-06に出ている。その時はアイアン・バタフライの前座だった。
この日の第一部はガルシア入りのニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。第二部が2時間弱のエレクトリック・デッド。オープナーの〈Dancing In The Street〉がすごかったらしい。
3. 1971 Easttown Theatre, Detroit, MI
このヴェニュー2日目。前半9・10曲目〈Black Peter; Candyman〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
スロー・バラードの〈Black Peter〉をこれだけゆっくり歌って、この歌のベスト版と言える歌唱を聞かせるガルシアは大したうたい手だ。巧い下手の範疇ではない。
〈Candyman〉との間にピアノの小さなトラブルを治す間があり、テープが一度切れて、途中から始まる。これは他の形では出せないだろう。《30 Days Of Dead》はこういう、演奏自体はすばらしいが、録音にちょっとした傷があって、正式なCDの形では出せないものが聴けるのが嬉しい。 こちらもいつもよりかなりスロー・テンポ。ガルシア熱唱。
4. 1972 Performing Arts Center, Milwaukee, WI
2日連続の2日目。まずまずのショウの由。
5. 1979 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
8.50ドル。7時半開演。12月上旬まで続く秋のツアーの初日。この年は珍しく年初からツアーに出て、2月17日で打ち上げ。この日でキースとドナが離脱する。代わりの鍵盤要員はすでにウィアのバンド Bobby and the Midnites にいたブレント・ミドランドとガルシアとウィアは当りをつけてはいたが、デッドに参加するのはそう簡単なことではない。ミドランドが加わってのショウの最初は4月22日になる。以来このショウはミドランドにとって25本目。
後半オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
頭が一瞬切れているようだ。わずかに遅めのテンポ。こりゃあ、ベスト版の一つ。こういう演奏をされるともう降参するしかない。このペアがバンドにもファンにも人気があるのは、こういう演奏がとび出すからだ。レシュが〈Fire On The Mountain〉のリフを始めても、ガルシアはいっかな演奏をやめず、他のメンバーも乗ってゆく。ミドランドははじめオルガンで参戦するが、今一つ音が負けると見て、シンセに切替え、〈Fire〉に入ってからは電子ピアノになって、後半、ソロもとる。コーダになってテンポが上がり、切迫感がにじむ。これぞデッドを聴く醍醐味。23分間のトリップ。
6. 1990 Sporthalle, Hamburg, Germany
ドイツ最終日。かちっとした良いショウだった由。〈Help On The Way >Slipknot! > Franklin's Tower〉は今回のヨーロッパ・ツアーで唯一ここだけの演奏。ここから始まる後半は最後まで全部つながった。(ゆ)
Celtic Fiddle Festival 新譜
3年ぶりの5作目《EQUINOX》が
バークが設立した新レーベル Loftus Music からリリースされています。
公式発売は2月だそうですが、
上記サイトでは購入可能です。
試聴もできます。
うーむ、2005年の4作目《PLAY ON》を見逃していたぞ。
バークはグリーン・リネットとは例外的にうまく行っていたらしい。
メンバーは
Kevin Burke: Fiddle
Christian Lemai/tre: Fiddle
Andre/ Brunet: Fiddle & Foot-tapping
Ged Foley: Guitar
アイリッシュ、ブレトン(ブルターニュ)、フレンチ・カナディアンの
三つの地域のスタイルとレパートリィのフィドルの、
何と言ったらいいんだろう、
融合というにはたがいの個性が際立っているし、
合奏というにはバンドとして一体化しているし、
饗宴、でしょうか。
発売に合わせて、
アメリカ東部のツアーをおこなう由。
なお、現在はクリスチャン・ルメートルは抜けて、
アイリッシュではおなじみの John Carty が入ってます。
ジョンはバンジョーも弾くので、
バンドのサウンドはまた変わってるようです。
ちなみに、このレーベルは
自分が関わる録音をリリースするためにバークが設立したもので、
これまでにパトリック・ストリートの、
5年ぶりの新作《ON THE FLY》と
自身が友人のギタリスト Cal Scott と作った《ACROSS THE BLACK RIVER》
を出しています。
どちらもすばらしく、
パトリック・ストリートはあいかわらず成熟したアイリッシュ・ミュージック。
ケヴィン・バークのほうは、
前作のライヴからはいくぶん以前の「機関車」と呼ばれた頃にもどった感じもありますが
基調はマーティン・ヘイズにも通じる音数の少ない、ゆったりした音楽。(ゆ)