クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ロシア

 セント・パトリック・ディ。高橋創さんはダブリンにいた間、この日は終日家にこもっていたそうだが、気持ちはわかる。アイルランドの音楽は好きだが、こういうお祭りさわぎは好きになれない。

 Shanling M3X は WiFi を省略し、USB DAC 機能もはずし、2.5mmバランス・アウトを捨てて低価格にしたもの。MQA はフルデコードだが、これは ESS9219C の機能。ハードウェア・レンダラーになっている。この最新チップ採用で電力消費も抑え、バッテリーの保ちがよくなっているのもウリか。このチップを採用した初めての DAP のようだ。チップの発表は2019年11月。エントリー・モデルでは AirPlay 2 対応はまずないなあ。

 1500前に出て、公民館で本を受け取り、歩いて駅前。かかりつけクリニック。先週の検査の結果を聞く。肺は問題なし。中性脂肪と尿酸値が高いぞ、気をつけろ。

 借りてきたのは『ローベルト・ヴァルザー作品集第3巻』。『ヤーコプ・フォン・グンテン』と『フリッツ・コハーの作文集』収録。まずは刊行順にしたがい、後者から読みだす。ヴァルザーは近年ますます評価が高くて、New York Review Books が英訳をがんがん出している。なら、あらためて英語ででも読むべえかと思ったら、しっかり邦訳で作品集が5冊も出ていて、その他にも出ている。危惧したとおり、学者訳のところもままあるが、とりあえず邦訳で読んでみるべえ。

 
ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2013-05-31



 もう1冊は山城むつみ『ドストエフスキー』。どうもいよいよドストエフスキーを読むことになりそうな気分。呼ばれているような気分。

 夜、借りてきた『ドストエフスキー』序論を読む。ひじょうに面白い。まずドストエフスキーの「キャラクター」が個々の登場人物の属性として与えられているのではなく、登場人物同士、あるいはその人物と世界との関係に生成される、という指摘。そして自ら理想とする状態、関係が生まれることに賭けて小説を書いた、という指摘。これは当然、ドストエフスキーで終るわけではなく、その後の小説家たちが、少なくともその一部が、小説執筆のコアとしたことだ。たとえばディレーニィ、たとえばル・グィン、たとえばバトラー。というより、今の英語のサイエンス・フィクション、ファンタジィでのキャラクターの描き方の基本は属性よりも関係によるものじゃないか。

ドストエフスキー (講談社文芸文庫)
山城むつみ
講談社
2016-04-08



 この本は二葉亭四迷と内田魯庵、あるいはバフチンはじめ20世紀初めの批評家たちがドストエフスキーから受けた衝撃から説きおこすが、その同じ衝撃を山城も、その山城がちくま文庫版『ドストエフスキー覚書』の解説を書いた森有正も受けている。そういう衝撃、人生を変えるような衝撃を読書から受けたことがあるか、と考えこんでしまう。ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』の衝撃はサイエンス・フィクションに回心したわけで、人生における決定的な衝撃ではあるが、では、あの本ないしヴァン・ヴォクトについて1冊本を書こうという気が起きるか、となると、うーん、唸ってしまう。しかし、今、あたしが読んでドストエフスキーからそういう衝撃を受けられるか。それよりはディレーニィではないかとも思う。両方読みゃあいいわけだが、残り少ない人生、優先順位は考えねばならない。


 その Samuel R. Delany, Letters From Amherst 着。扉に娘の Iva の写真があって、高校卒業時のものの由だが、かなりの美人。母親のマリリン・ハッカーの顔はしらないが、やはり美人なのだろう。巻末に補遺としてそのアイヴァへの手紙が数通、収められ、そのうち2通のタイプされた現物そのままのコピーもある。ディレーニィは手書きではなく、タイプしているらしい。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 ナロ・ホプキンソンの序文はなかなかいい。1960年生まれ。昨年還暦。ディレーニィはほぼリアルタイムだろう。この人はトロントに住んでいて、ジュディス・メリルがやっていた作家塾に参加していたそうな。そこへディレーニィが来て、メリルと対談し、サイン会をした。その時 Dhalgren の、もともと図書館からの回収本を買い、何度も読んでぼろぼろになったものを、ごめんなさいと言いながら差し出すと、ディレーニィは読んでくれたことが大事なのだ、と答えた。そうか、ぼろぼろになるまで読むのだ、あれを。

 N. K. ジェミシンが1972年生まれ。ンネディ・オコラフォーは1974年生まれ。ホプキンソンのデビューが1996年。オコラフォー、2000年。ジェミシン、2004年。ホプキンソンのデビューが36歳でやや遅い。


 駅前まで歩くお伴は Show of Hands《Backlog 1987-1991》。

Backlog 1987-1991
Hands On Music
1999-01-01


 
 ショウ・オヴ・ハンズは1987年2月にデュオとして最初のギグを行う。ファースト・アルバム Show Of Hands はその直前に録音し、カセットのみでリリースした。会場で売るためだ。2年後の1989年末にセカンド Tall Ships を録音して翌1990年初めにリリース。1991年にフルタイムのデュオとして活動を開始し、サード Out For The Court をリリースする。ここまではいずれもカセットのみで、ライヴ会場で手売りされた。当時はインターネットも無く、販売ルートはきわめて限られていた。レコードの国際的流通網にカセットはほとんど乗らない。ごく稀に気合いの入った業者がミュージシャンと直接連絡をとって入れることがあったぐらいだ。この3枚(3本?)のアルバムもその存在を知ったのはこのコンピレーションが出たことによる。

 このアルバムはその3枚計36トラックから15のトラックを選んで1995年にリリースされた。内訳はファーストから6、セカンドから3、サードから6。スティーヴ・ナイトリィによるライナーによれば、1992年の Live に収めたものは省いたそうで、そちらにはファーストとセカンドから5トラックが入っている。それ以外は楽曲、演奏面で時間の選別に耐えられなかったものということになる。

 二人ともこの時点で未経験な若者ではない。フィル・ビアは Paul Downes との Downes & Beer 以来のキャリアを持ち、一級のうたい手にして、およそ弦楽器全般についてのエキスパートであり、類稀なギターとフィドルの奏者として、デュオを組む前にはアルビオン・バンドのメンバーだったし、ストーンズの Steeler's Wheels にも貢献している。スティーヴ・ナイトリィもイングランドの West Country のアンダーグラウンド・ロック・シーンで名の知られたシンガーであり、教師として食べながら、音楽活動はやめていなかった。ソングライターとしての力量はこれ以後のショウ・オヴ・ハンズでの軌跡が証明してゆくことになる。いずれにしても、ミュージシャンの技量としてはどこからも文句の出ない水準にすでにある。

 カセット・リリースではあるけれど、録音の質は高い。CD化にあたって当然デジタル・マスタリングはしているはずだが、おそらく元の録音の質が高いと思われる。設備の整ったスタジオではなく、ビアの自宅などでの録音のようだが、良い録音は設備ではない、良い耳が肝心だということのすぐれた証明の一つだ。ビル・リーダーの自宅居間で録られたバート・ヤンシュのファーストと同じ。

 今、あらためて聴くと、かなりアメリカ寄り、あるいはポップス的、ポピュラー音楽の「主流」寄りの楽曲が多い。「ヒット狙い」のような曲もある。ビアももともとブルーズ大好き、アメリカン大好きなわけで、ここでもシャープなブルーズ・ギターを弾きまくる。聴く者の感性に鋭どい錐を突きこんでくるような、こういうギターはアメリカンのギタリストにはなかなか弾けないだろう。かれらは斧でざくざくと切りきざむ。

 面白いのは、ナイトリィの曲と歌は、キンクスやストーンズとは異なるのはもちろんだが、聴いていると、どこかグレイトフル・デッドのアコースティックでの演奏を聴いている気分になることだ。デッドの音楽にはアメリカン離れしたところがあって、イングランドやスコットランドの伝統音楽の影響というと強すぎる、根っこがつながっている感覚がある。ショウ・オヴ・ハンズの音楽が出発点において、デッドの音楽と根っこがつながっていると言うと言い過ぎだろうが、根っこをたどってゆくと、それほどかけ離れたところに辿りつくわけではないと思わせる。

 あるいはアメリカにおけるデッドとイングランドにおけるショウ・オヴ・ハンズの立ち位置、音楽的な立ち位置に共通点があるということか。ショウ・オヴ・ハンズはあくまでもナイトリィのオリジナルが中心で、 Nancy Kerr & James Fagan や Boden & Spears に比べれば軸足は伝統音楽のど真ん中に置いてはいない。一方でそのナイトリィのオリジナルも音楽伝統には深く棹さしていて、伝統音楽とのその距離の取り方が魅力ではある。デッドの音楽も、アメリカ音楽のあらゆるジャンル、形式をとりこみながら、さらに広く外の要素も注入して独自の音楽を作っている。

 もっともここに収められた曲でその後のレパートリィにも残っているのはレナード・コーエンの First We Take Mahattan ぐらいだ。Now We Are Four - Live でのこの曲の演奏でのビアのフィドルは一世一代とも言えるものだが、当初からフィドルは弾きまくっていたのだった。

 ビアのフィドルはスウォブリックとは異なるイングランドの伝統を汲む。2曲あるダンス・チューンも、ケルト系というよりはオールドタイム寄り。

 このアルバムのウリのひとつはラストに置かれた22分におよぶ Tall Ships で、これはセカンド・カセットのA面全部を占めていた。どうやら歴史的裏付けがあるらしいある話を、様々な曲のメドレーで語る。ショウ・オヴ・ハンズが1991年にフルタイムのデュオとして本格的に始動する、その一つのジャンプボードになったのが、この曲だった。原型はナイトリィが1970年代末にベースの Warwick Downes とやっていた時に生まれた。ウォリックは Paul の兄弟のようだ。

  話はこうだ。ナポレオン戦争の直後、イングランド西部の海岸にある村で、不漁と不作が続き、切羽詰まった村人は断崖の上で偽の明りをともし、沖合を通る商船を断崖の麓の岩礁に誘って難破させることを試みる。企みは成功するが、溺れた水夫の一人はその村出身の若者だった。1年前、村を出て船乗りになっていたのだった。(ゆ)

 実に久しぶりにアイリッシュ・ダンスのサイト Air の掲示板を覗いたら、『リバーダンス』のオリジナル・ビデオが YouTube に上がっているという書き込みがある。



 この書き込み自体今年の3月で、YouTube へのアップは2016年1月なので、まったく何を今さらではあるのだが、念のため、書いておく。

 これは明らかに最初に出た初演時の公式ビデオそのままで、テープでしか出ていなかったので、よくぞアップしてくれたと感謝にたえない。アメリカでは PBS で放映されたようで、これはその録画なのかな。

 マイケル・フラトリーが出ている唯一のビデオで、やはり彼のダンスは華がある。スケールが大きい。マリア・パヘスと絡み合うシーンはハイライトの1つだが、これが可能だったのはフラトリーだけで、プリンシパルがコリン・ダンに交替してからはこのシーンは消えてしまった。替わりに加えられたのが「タップの応酬」のシーンで、あれはあれでいいんだが、フラトリーとパヘスの「対決」はやはり並べられるものがない。

 もう1つ、これはアイルランド製作で、後のビデオのようなアメリカン・マーケット向けではない。つまり1つのカットが長いのである。おちついて見られる。

 その他にもモイア・ブレナック、デイヴィ・スピラーンが出ているのもこれだけだし、ゴスペル・シンガーのグループもここにしかいない。ロシアン・ダンスのチームもこの時がベストだと思う。

 1999年に初来日するまで、上演されている現地で見ることができた幸運な例外を除いて、われわれはこのビデオを「擦りきれるまで」見るしかなかった。しかし、まあ、何度見たことだろう。音楽ビデオでもそう何度も見ることはあたしはまず無いが、これだけは最低でも50回は見ている。そして何度見ても、冒頭、フィドルのリフに導かれて最初の集団のステップがじゃらんと鳴った途端、背筋がぞぞぞとする。続いての多人数のステップと、ビル・ウィーラン畢生の音楽が相俟って胸が熱くなる。一度集団が引っこむ入れ替わりにフラトリーが飛びだしてきて展開するソロの華麗さ。そして、その後、フラトリーを先頭に集団がずあああと出てきてのダンスのスリル!

 これはやはり歴史に残るパフォーマンスなので、こうしていつでも見られるようになったのはまことに嬉しい。ニューヨーク版やジュネーヴ版しか見たことがなければ、ぜひ一度はご覧あれ。(ゆ)

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