クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ロック

 クロコダイルは久しぶりで、原宿から歩いていったら場所がわからなくなってうろうろしてしまった。おまけにカモノハシに頼んでおいた予約が通っておらず、一瞬、どうなることかと思った。が、ライヴそのもののすばらしさに、全部ふっ飛んだ。

 思うに、歌にはそれにふさわしい形が決まっているのだ。少なくとも、初めて世に生まれでるにあたってふさわしい形がある。

 一方ですぐれた歌はどんな形でうたわれても伝わるものでもある。無伴奏でも、フルオケ伴奏でも、ソロでもコーラスでも、フリー・リズムでもヒップホップでも。松浦湊の歌もいずれはそうやってカヴァーされていくだろう。いって欲しい。いくにちがいない。

 それでも今は松浦自身のうたで聴くのが一番だ。そして、このバンド、ナスポンズの形で聴くのがベストである。と、ライヴを見て確信した。

 松浦のソロもベストの形だ。とりわけソロのライヴはあの緩急の呼吸、ゆるみきったおしゃべりと、カンカンにひき締まった演奏の往来によって、比べるものもない。歌そのものの本質が露わにもなる。

 だが、このバンド、この面子のバンドこそは、松浦の歌に次元の異なる飛翔力を与える。この乗物に乗るとき、松浦の歌はまさに千里を翔ける。ナスポンズは松浦の歌にとっての觔斗雲だ。同時にガンダムでもある。ナスポンズという衣をまとうことで、松浦の歌は超常的な能力を備えて、世界を満たし、その場にいる者ごと異世界へと転移する。ナスポンズの最初の音が鳴ったとたん、クロコダイルが占める時空はまるごと飛びたち、それぞれに異なる世界を経巡る旅に出る。レコードによってカラダに沁みこんでいるはずの歌が、まったく新たな世界としてたち現れる。

 この面子でなければ、これは不可能だ。そう思わせる。ひとつにはメンバーのレベルが揃っている。全員が同じレベルというよりは、バランスがとれている。そして狂い方が、狂うベクトルがほぼ同じだ。もっともこの狂うベクトルは松浦の歌によって決まっているところも大きい。むしろ、松浦の歌に感応して狂うそのベクトルが同じ、というべきか。そしてどこまで狂うことができるかのレベルがそろっている、というべきなのだろう。このことは録音だけではわからない。生を、ライヴを見て、演奏している姿を見て、音を聴いて初めて感得できる。

 最初から最後まで、顔はゆるみっぱなしだった。傍から見ればさぞかし呆けた様子だっただろう。〈アサリ〉も〈サバ〉も〈わっしょい〉ももちろんすばらしいが、ハイライトはまず〈喫茶店〉、そして買物のうた。さらに〈どうどう星めぐり〉で、松浦の狂気が炸裂する。

 それにしても、つくづく音楽とは狂気の産物だとあらためて思う。音楽を作るとき、演るとき、人は狂っている。聴くときも少しは狂っている。聴くのは作者、演奏者の狂気のお裾分けにあずかる行為だ。少しだけ狂うことで、日常から外れる。日常から外れ、狂うことで正気を保つ。これがなければ、このクソったれな世界でまっとうに生きようとすることなどできるはずがない。そして松浦の歌はそのコトバと曲によって、クソったれな世界が正常であるフリをしていることを暴く。つまるところ、この世界で崩壊もせず暮らしているのだから、われわれは皆狂っているのだ。

 金ぴか、きんきらきんのパンタロンとしか呼びようのない衣裳で松浦が出てきたときには一瞬ぎょっとなったが、歌いだしてしまえば、派手でもなんでもなく、その音楽にふさわしく、よく似合う。時間の経つのを忘れる体験をひさしぶりにする。

 対バンの相手、玉響楽団はうつみようこを核にして、形の上はナスポンズと共通する。狂い方がナスポンズほど直接的ではない。うつみと松浦のキャラクター、世代の違いだろう。うつみのライヴは初体験で、なるほどさすがにと納得する。ちなみにベストは八代亜紀〈雨の慕情〉。実にカッコよかった。それにしても、この人とヒデ坊が並びたっていたメスカリン・ドライブはさぞかし凄かったにちがいない。ただ、あたしにはいささか音がデカすぎた。万一のために持っている FitEar の耳栓をしてちょうどよかった。おもしろいことに、ナスポンズはそこまで音がデカくなく、耳栓なしで聴いてもOKだった。

 ナスポンズはほぼ月一でライヴを予定している。毎月はムリだがなるべくたくさん見ようと思う。当面次は9月。

 夜も10時を過ぎると明治通りも人が少なくなっていた。めったにないほどひどくさわやかな気分で表参道の駅に向かって歩く。敬称略。(ゆ)



玉響楽団 第壱巻「たまゆ~ら」
玉響楽団
ミディ
2017-03-01


02月15日・火

 Tidal でデッド関連の音源を聴く。ジャニス・ジョプリンの《Pearl》はバック・バンドの質の高さは一聴瞭然。ジャニスも水を得た魚のように活き活きしている。ただ、《Cheap Thrills》に比べると、ややコンパクトにまとまっている。これは完成されたシンガーのアルバムだ。

 《Cheap Thrills》はバンドがジョプリンについていけないだけ、ヒロインの野性が表に出る。モンタレーでのあのパフォーマンスを引き出すには、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのヘタさが必要だった、という気もする。つまり、ジャニスというロケットを地上から打ちあげるには、ヘタでもなんでも、闇雲なエネルギー、八方破れの突進が必要だった。しかし、それ以上に、シンガー本来の軌道に乗せるには、まったく能力不足だったわけだ。それはバンド以外の周囲の人間には誰の目にも明らかだったようでもある。今聴いても、それはわかる。

 その本来の軌道の先に何があったか、ついにわからないのは、やはり惜しい。

 ロケットの初段には闇雲な、八方破れの生のエネルギーが必要というのはデッドにも通じる。1960年代の「原始デッド」のショウに感じられるのは同じエネルギーだ。1970年代になると、生々しさ、八方破れな態度は後退し、代わってよりコントロールの効いた、質の高い音楽が現れる。


##本日のグレイトフル・デッド

 02月15日には1968年から1973年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 San Quentin State Prison, San Quentin, CA

 前日のショウの最後に、明日の午後、サン・クエンティン刑務所でカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、デッド、ジェファーソン・エアプレイン、それに他にもいくつかのバンドのメンバーが演奏することが発表された。刑務所外の草の生えた丘の斜面で、トラックの荷台をステージにして、ガルシア、キャサディ、シャーラタンズのメンバー、CJ&F の Barry "the Fish" Melton が演奏した。刑務所の中では囚人たちのストライキが起きるか起きないか、一触即発になった。この草地には500人ほどのヒッピーが集まり、音楽に合わせて踊った。


2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA

 このヴェニュー2日連続の2日目。3時間近い。


3. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI

 前売4ドル、当日5ドル。開演7時半。この年2本めだが、すばらしいショウの由。

 会場は現在は Veterans Memorial Coliseum という名称で、Alliant Energy Center と呼ばれる複合施設の一角をなす多目的屋内アリーナ。1967年オープン、2003-2004年に完全改修されて、座席数10,231。デッドがここで演るのはこれが最初で、以後この年10月、1978、79、81、83年と、計6回ショウをしている。うち1978-02-03の一部が《Dick's Picks, Vol. 18》でリリースされた他、1981-12-03の〈It's All Over Now, Baby Blue〉が《Postcards Of The Hanging》で、1973-10-25の〈Dark Star> Eyes Of The World> Stella Blue〉が2021年の《30 Days Of Dead》で各々リリースされた。

 ここから2月一杯、中部のミニ・ツアー。(ゆ)


 ウッドストックの言い出しっぺの一人 Michael Lang が8日に77歳で亡くなったというニュース。4人の創設者の中では、最もアクティヴに関っていたようにみえる。194412月生まれだから、ガルシアより2歳下、ハートの1歳下、クロイツマンの1歳半上。1969年のウッドストック当時25歳。

 デッドもウッドストックに出てはいる。が、演奏に満足できず、映像、録音のリリースは断った。昨年出たフェスティヴァル全体の録音の完全版ボックス・セットに初めて演奏の全貌が収められた。もっとも、全部を買わせようという商魂が嫌で、あたしは買わなかった。デッドのせいではないにしてもだ。

 デッドは多数のアクトが限られた時間で演奏するフェスティヴァル形式は苦手で、ウッドストックの前年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにも出てはいるが、演奏はすばらしかったという評価もある一方で、ザ・フーとジミヘン、オーティス・レディングとジャニス・ジョプリンの間で、影は薄い。

 オルタモントは会場入りしたものの、雰囲気のあまりの殺伐さに嫌気がさして、ステージに上がらずに引き揚げた。

 フェスティヴァルの演奏で良かったのは、1982年ジャマイカでの Jamaica Wold Music Festival ぐらいのようだ。この時は出演者が誰も彼も時間にルーズで、スケジュールは押しに押し、初日トリのデッドがステージに上がったのは午前3時、というからデッドには合っていた。

 集めた聴衆の数では19730728日、オールマン・ブラザーズ・バンドとザ・バンドと合同で Watkins Glen 60万人を集め、史上最大のロック・コンサートと言われる。単独では19770903日、ニュー・ジャージー州の Raceway Park に単独で10万人を集めた。これはこの年、ハートの自動車事故のために夏のツアーができなかったお詫び(?)のショウ。こちらは《Dick's Picks, Vol. 15》として公式リリースされた。ちなみにこれは Dick LatVala が手掛けた最後の《Dick's Picks》。リリース直前にラトヴァラが急逝したため、現在のアーカイヴ管理者のデヴィッド・レミューがこの後を引き継いだ。


##本日のグレイトフル・デッド

 0109日には30年間で一度もショウをしていない。まったくショウをしていない日が365日のうちに4日ある、その1つ。前に2日と書いたが、ふたつ見逃していた。(ゆ)


0101日・土

 例年通り、近所の神社巡り。小町神社の階段はまだ一気に登れたが、太股が重い。ここ半年、速歩ばかりしていて、階段登りをしていなかったせいか。もう少しやるか。



##本日のグレイトフル・デッド

 元旦には1966年と1967年の2本のショウをしている。


1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR?

 ではあるが、このショウは存在が疑問視されている。SetList Program にはそこにいたという証言もあるのだが、記憶が曖昧。DeadBase XI ではポートランドでのアシッド・テストとして1月のどこかという記載。Deadlist ではこのヴェニューでのイベントは0115日のアシッド・テストのみ。一方、その日にはサンフランシスコの The Matrix でのショウもリストアップされており、そちらは13日と両日を載せたポスターがある。

 ポートランドでアシッド・テストが行われたこと、そこで The Warlocks が演奏をしたことは動かないが、日付が確定できない。通常アシッド・テストは土曜日夜なので1965-12-25ないし1966-01-01になる。07になると The Matrix でのショウは確定している。なおポートランドにはこの名前のヴェニューが2ヶ所あった由。以上、Lost Live Dead の記事より。


2. 1967 Panhandle, Golden Gate Park, San Francisco, CA

 こちらについてはビル・クロイツマンが回想録 Deal でやったと書いている。066pp. ヘルス・エンジェルスと The Diggers のための無料コンサートで、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーも一緒。セット・リスト不明。



##本日のグレイトフル・デッド

 0102日には1969年から1972年まで3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA

 この年最初のショウ。3ドル。共演ブラッド・スエット&ティアーズ、Spirit。セット・リスト不明。

 Spirit 1968年にデビュー・アルバムを出したロサンゼルスのバンド。ギターの Randy California はニューヨークの Jimmy James and the Blue Flames でジミヘンと共演していた。ドラムスはカリフォルニアの継父 Ed Cassidy で、他のメンバーより20歳年上、キャノンボール・アダレィ、ジェリー・マリガン、ローランド・カーク、セロニアス・モンク、リー・コニッツなどと共演した。アルバムはママス&パパスのプロデューサー Lou Adler のレーベルから出てヒット。


2. 1970 Fillmore East, New York, NY

 この年最初のショウ。共演 Lighthouse。オープナーの〈Mason's Children〉が《Fallout From The Phil Zone》でリリースされた後、《Dave’s Picks, Vol. 30》で全体がリリースされた。第一部、第二部ではなく、Early ShowLate Show

 Lighthouse 1968年にカナダ、トロントで結成されたバンド。弦管、ビブラフォンを含む大所帯。ロック、ジャズ、クラシックなど渾然とした音楽で、断続的に現在まで活動。


3. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA

 この年最初のショウ。2.5〜4ドル。キース・ガチョーの東部デビュー。(ゆ)


1227日・月

 東京・あきる野市の「カフェ・トラモナ」が、ジャズを中心に最新の音楽情報などを紹介しているサイト、ARBAN(アーバン)の「いつか常連になりたいお店」で紹介されたよ、とおーさんから知らせてくる。覗いてみると、かっこよく紹介されている。トラモナは常連になりたいというより、居つきたい店だが、居つくには近くに引越さねばなるまい。


 ARBAN の記事ではもっぱらアメリカものが取り上げられているが、マスターの浦野さんはイングランド大好きで、メロディオンを嗜む。イングリッシュ・ダンス・チューンを演奏する、まだわが国ではそう多くない人の1人で、店にもイングランドもののレコードがたくさんある。昔のブラックホーク仲間でも、あたしとは一番趣味が近いかもしれない。


 ああ、それにしても、ああいう店がこの辺りにも欲しいもんだ。誰かやってくれるなら、ウチにあるレコード、全部預けてもいい。



##本日のグレイトフル・デッド

 1227日には1967年から1991年まで14本のショウをしている。公式リリースは2本。


01. 1967 Village Theater, New York, NY

 このヴェニュー2日連続の2日目。共演前日と同じ。


02. 1970 Legion Stadium, El Monte, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。

 第二部3曲目〈Attics Of My Life〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 会場は平均的な高校の体育館よりも狭かったそうだが、アメリカの高校の体育館はばかでかいので、そう狭くはないだろう。デッドのヴェニューとしてはこじんまりした、距離の近いところだったらしい。もっともウィアとガルシアが二人とも聴衆に、スペースがあるから自由に動きまわるよう薦めたという。チケットもぎりの男とピグペンがウィスキーのパイント壜を回し飲みしていたそうな。

 前日に地元のラジオ局 KPPC にガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが出演した。

 〈Attics Of My Life〉はまだよくわからない歌だ。コーダに向けてわずかに盛り上がる。この歌の演奏としては良い。カタチが見える。


03. 1977 Winterland Arena, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。ポスターはガルシアの右手のみを黒バックに白く抜く形で描く。


04. 1978 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の初日。


05. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


06. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


07. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


08. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。13.50ドル。開演8時。


09. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演8時。


10. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演8時。


11. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。17.50ドル。開演7時。


12. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。20ドル。開演7時。E・ストリート・バンドの Clarence Clemons が第二部全体に参加。という情報もあるが、2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされたその第二部2〜4曲目〈Playing In The Band> Crazy Fingers> Uncle John's Band〉では聞えない。

 この並びは珍しい。PITB の後半、フリーの荘厳な集団即興になる。こうなっても聴いていて面白いのがデッドのデッドたるところ。張りつめた即興のなかに、笑いが垣間見える。それがすうっと収まって CF になる。UJB ではガルシアのヴォーカルが時々聞えなくなる。PA の調子が悪いのか、ガルシアがマイクからはずれるのか。コーダに向かって全員でのリピートからガルシアが抜けだして展開するソロがいい。


13. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 前年に続いて、大晦日に向けての4本連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。


14. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 3年連続で、大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演7時。この年末・年越しショウの原動力だったビル・グレアムがこの年死んだため、大晦日にかけてのランはこれが最後。(ゆ)


9月18日・土
##
本日のグレイトフル・デッド

 9月18日には1970年から1994年まで11本のショウをしている。うち公式リリースは5本。しかも完全版が2本ある。これを全部聴いていると、それだけで1日が終る。残念ながら、生きてゆくためには、そんなことはできない。しかし、一度やってみたいよ、朝から晩まで1日デッド三昧。ただ、完全版2本はちょときつい。


01. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー4日連続の2日め。第3部の14曲め〈Operator〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ピグペンのオリジナルのクレジット。ピグペンのヴォーカルはかれにしては自信がなさげ。右でギロをやっているのは誰だろう。NRPS の誰かか。

 三部構成だったが、第1部は2曲だけ。アコースティック・セット。ただし2曲目〈Black Peter〉の途中でガルシアがいきなり演奏を止め、すまないが、こんなのやってられねえ、と言って、そのまま第2部の New Riders Of The Purple Sage のステージに移った。そのためこのセットは1時間。ガルシアはペダルスティール。3曲でウィアがヴォーカル。第3部エレクトリック・デッドはアンコールまで入れて2時間超。


02. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 このショウは存在が疑問視されている。チケットの売行が思わしくなかったためにキャンセルされたという説もあり、元々予定に無かったという説もある。DeadBase XI ではキャンセルされた可能性とある。


03. 1974 Parc Des Expositions, Dijon, France

 2度目のヨーロッパ・ツアーもフランスに入り、ディジョンでのショウ。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。元はアルルに予定されていたが、Wall of Sound を収められる会場が無かったらしい。録音はキッド・カンデラリオ。


04. 1982 Boston Garden, Boston, MA

 東部ツアーの一貫。料金12.50ドル。この会場では合計24回演奏しているが、この次にここに戻るのは9年後の1991年9月。その時にはここで6本連続でやっている。なぜ、これだけ間が空いたかという理由として、この日、火事の際の非常口でバンド(のクルー?)がロブスターを焼いているのを見つかり、2度と来るなと言われたという説がある。


05. 1983 Nevada County Fairgrounds, Grass Valley, CA

 屋外のショウで開演午後2時。料金14.00ドル。会場は松の木に囲まれた芝生の由。


06. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続のレジデンス講演の真ん中。午後7時半開演。料金18.50ドル。前日は休みで、NBC のテレビに出演。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。デヴィッド・レミューはこれをこの年のベストのショウと言う。

 1987年は〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が爆発した年で、7月6日にリリースした《In The Dark》はこの9月までにミリオン・セラーを記録し、この月の間にゴールドとプラチナ・ディスクを獲得。旧作の《Shakedown Street》《Terrapin Station》もゴールドとなる。夏にはボブ・ディランとツアーをしたため、この年のレパートリィ数は150曲に上った。また Bob Bralove の協力でミッキー・ハートが MIDI を導入し、またたく間に他のメンバーにも広がる。これ以後のデッドのサウンドはがらりと変わる。

イン・ザ・ダーク
グレイトフル・デッド
ワーナーミュージック・ジャパン
2011-04-06

 



テラピン・ステーション
グレイトフル・デッド
ワーナーミュージック・ジャパン
2011-04-06


07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の4本目。前日は休み。


08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の4本目。ブルース・ホーンスビィ参加。Road Trips, Vol. 2, No. 1》にアンコールの1曲〈Knockin' On Heaven's Door〉、同ボーナス・ディスクに前半から3曲、後半から4曲収録された。ボーナス・ディスクは持っていない。後半の〈Foolish Heart〉の後の〈ジャム〉は《So Mony Roads》にも収録。

 上記〈Knockin' On Heaven's Door〉ではホーンスビィはアコーディオン。冒頭や中間でいいソロも聞かせる。デッドのこの歌のカヴァーはみな良いが、これは中でも最もゆっくりしたテンポで、ベストの一つ。この時期のガルシアが歌うと、まるで古老が親しい友の葬儀で歌っているように聞える。

 ジミヘン20回目の命日。


09. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続千秋楽。


10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の3本目。〈Drums〉の最中、クロイツマンがイッてしまう。ハートはスティックをヒップポケットに突き刺して、一瞬にやりとしてその姿を眺めたが、すぐにクロイツマンの背後に回って、大きく両腕をはばたかせた。そうだ。


11. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。後半2曲め〈Saint Of Circumstance〉が2017年の〈30 Days Of Dead〉でリリースされた。この時はこの曲は〈Iko Iko〉からのメドレー。ガルシアの調子はまずまずで、全体の演奏はすばらしい。ただ、以前ならガルシアのギター・ソロを待っていたようなところで、あえて待たなくなっているようにも思える。(ゆ)


9月11日・土

 駅前の皮膚科へ往復のバスの中で HS1300SS でデッドを聴いてゆく。このイヤフォンはすばらしい。MP3 でも各々のパートが鮮明に立ち上がってくる。ポリフォニーが明瞭に迫ってくる。たまらん。他のイヤフォンを欲しいという気がなくなる。FiiO の FD7 はまだ興味があるが、むしろ Acoustune の次のフラッグシップが気になる。それまではこの1300で十分で、むしろいずれケーブルを換えてみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 9月11日には1966年から1990年まで、10本のショウをしている。うち、公式リリースは1本。ミッキー・ハートの誕生日。だが、2001年以降、別の記念日になってしまった。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 単独のショウではなく、ジャズ・クラブのためのチャリティ・コンサート。"Gigantic All-Night Jazz/Rock Dance Concert" と題され、他の参加アーティストは John Hendricks Trio, Elvin Jones, Joe Henderson Quartet, Big Mama Thornton, Denny Zeitlin Trio, Jefferson Airplane, the Great Society そして the Wildflower。料金2.50ドル。セット・リスト無し。ジャンルを超えた組合せを好んだビル・グレアムだが、実際、この頃はジャズとロックの間の垣根はそれほど高くなかったのだろう。

 ちなみにデニィ・ザイトリンは UCSF の精神医学教授でもあるピアニスト、作曲家で、映画『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年のリメイク版)の音楽担当。


2. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA

 2日連続ここでのショウの初日。ここでは1978年まで計4回演奏していて、どれも良いショウのようだ。1976年と1978年のショウは各々《Dave's Picks》の Vol. 4 と Vol. 37 としてリリースされた。

 このショウでは前座の Doug Sahm のバンドからサックスの Martin Fierro とトランペットの Joe Ellis が一部の曲で参加している。マーティン・フィエロはジェリィ・ガルシアの個人バンドにも参加している。またブルース・ホーンスビィが一聴衆として、おそらく初めて見ていたそうだ。


3. 1974 Alexandra Palace, London

 2度めのヨーロッパ・ツアー冒頭ロンドン3日間の最終日。このショウの前半から6曲が《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録された。が、ほんとうに凄いのは後半らしい。

 とはいえ、この前半も調子は良いし、とりわけ最後で、実際前半最後でもある〈Playing in the Band〉は20分を超えて、すばらしいジャムを展開する。この日の録音ではなぜかベースが大きく、鮮明に聞える。アルバム全体がそういう傾向だが、この3日目は特に大きい。ここでは誰かが全体を引張っているのではなく、それぞれ好き勝手にやりながら、全体がある有機的なまとまりをもって進んでゆく。その中で、いわば鼻の差で先頭に立っているのがベース。ガルシアはむしろ後から追いかけている。この演奏はこの曲のベスト3に入れていい。

 それにしても、この3日間のショウはすばらしい。今ならばボックス・セットか、何らかの形で各々の完全版が出ていただろう。いずれ、全貌があらためて公式リリースされることを期待する。


4. 1981 Greek Theatre University of California, Berkeley, CA

 2日連続このヴェニューでのショウの初日。ここでの最初のショウ。前売で11.50ドル、当日13ドル。

 この日は、開幕直前ジョーン・バエズが PA越しにハートに「ハッピー・バースディ」を歌ったそうだ。


5. 1982 West Palm Beach Civic Center, West Palm Beach, FL

 後半冒頭 Scarlet> Fire> Saint> Sailor> Terrapin というメドレーは唯一この時のみの由。


6. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM

 同じヴェニューの2日め。ミッキー・ハート40歳の誕生日。


7. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 地元3日連続の中日。80年代のこの日のショウはどれも良いが、これがベストらしい。


8. 1987 Capital Centre, Landover , MD

 同じヴェニュー3日連続の初日。17.50ドル。6年で6ドル、35%の上昇。デッドのチケットは相対的に安かったと言われる。


9. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 4本連続ここでのショウの3本め。前日の中日は休み。


10. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA

 ここでの3本連続の中日。(ゆ)


9月8日・水

 LRB のチャーリー・ワッツについてのブログに孫引きされた Don Was のコメントを読んで、Tidal で『メイン・ストリートのならず者』デラックス版の〈Loving Cup〉の正規版と別ヴァージョンを聴いてみる。まことに面白い。別ヴァージョンが採用されなかったのはよくわかるが、あたしとしてはこちらの方がずっと面白い。ミック・テイラーのギターもたっぷりだし、何よりもドン・ウォズが「リズムの遠心力でバンドが壊れる寸前」という有様が最高だ。こうなったのは、ワッツがいわば好き勝手に叩いているからでもあって、ストーンズのリズム・セクションの性格が陰画ではあるが、よく現れている。


 対してデッドの場合も、ドラムスがビートを引張っているわけではない。この別ヴァージョンでのワッツ以上に好き勝手に叩くこともある。けれどもリズムが遠心力となってバンドが分解することはない。遠心力ではなく、求心力が働いている。ドン・ウォズの言葉を敷衍すれば、おそらくデッドでは全員がビートを同じところで感じている。だから、誰もビートを刻んでいなくても、全体としてはなにごともなくビートが刻まれてゆくように聞える。このことは Space のように、一見、ビートがまったく存在しないように聞えるパートでも変わらない。そういうところでも、ビートは無いようにみえて、裏というか、底というか、どこかで流れている。ジャズと同じだ。デッドの音楽の全部とはいわないが、どんな「ジャズ・ロック」よりもジャズに接近したロックと聞える。ジャズそのものと言ってしまいたくなるが、しかし、そこにはまたジャズにはならない一線も、意図せずして現れているようにも聞える。デッドの音楽の最も玄妙にして、何よりも面白い位相の一つだ。デッドから見ると「ジャズ・ロック」はジャズの範疇になる。



 FiiO から純粋ベリリウム製ドライバーによるイヤフォン発表。直販だと FD7 が7万弱。FDX が9万。同じ純粋ベリリウム・ドライバーの Final A8000 の半分。DUNU Luna も同じくらいだが、今は中古しかないようだ。FiiO のはセミオープンだから、聴いてみたい。FDX はきんきらすぎる。買うなら FD7 だろう。ケーブルが FDX は金銀混合、FD7 は純銀線。それで音を合わせているのか。どちらも単独では売っていない。いずれ、売るだろうか。いちはやく YouTube にあがっている簡単なレヴューによれば、サウンドステージが半端でなく広いそうだ。こんな小さなもので、こんなに広いサウンドステージが現れるのは驚異という。



##本日のグレイトフル・デッド

 1967年から1993年まで8本のショウ。


1. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 シアトルへの遠征2日間の初日。ポスターが残っていて、デッドがヘッダー。セット・リスト無し。

 ピグペン22歳の誕生日。当時ガルシア25歳。クロイツマン21歳。レシュ27歳。ウィア20歳。ハンター26歳。

 ビル・グレアムは、この日デッドは Fillmore Auditorium に出ていた、と言明しているそうだ。


2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 前日に続いて同じヴェニュー。この日のショウは《Dave's Picks, Vol. 38》に完全収録された。残っているチケットによると料金は5.50ドル。

 ガルシアのギターが左、ウィアのギターが右。

 珍しくダブル・アンコール、それも〈Stella Blue > One More Saturday Night〉というまず他にない組合せ。さらに後半4曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉ではキースがリード・ヴォーカルをとる。この曲はロバート・ハンターとキースの共作でこの時が初演。同月21日まで計6回演奏。《Wake Of The Flood》が初出。〈Here Comes Sunshine〉とのカップリングでシングル・カットもされた。

 〈Weather Report Suite〉も組曲全体としてはこの日が初演。

 演奏はすばらしい。この年は前年のデビュー以来のピークの後で、翌年秋のライヴ停止までなだらかに下ってゆくイメージだったが、こういう演奏を聴くと、とんでもない、むしろ、さらに良くなっていさえする。もっとちゃんと聴いてみよう。


3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 3日連続同じヴェニューでのショウの最終日。


4. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 3日連続同じヴェニューでのショウの中日。


5. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 同じヴェニューで4本連続のショウの初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 前日に続いて同じヴェニュー。後半3曲目〈Terrapin Station〉の後のジャムが《So Many Roads》に収録された。


7. 1991 Madison Square Garden, New York , NY

 1988年に続いて MSG で9本連続という当時の記録だった一連のショウの初日。ブルース・ホーンスビィ参加。


8. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアー初日で、同じヴェニューで3日連続の初日。(ゆ)


9月6日・月

 London Jazz News にチャーリー・ワッツの追悼記事として、2001年のインタヴューの抜粋が出る。なかなか面白い。フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスがジャズが好きで、バンドをやっているのは承知していたが、ワッツがこんなにジャズに入れこんでいたとは不勉強にして知らなんだ。




 ワッツにジョン・マクラフリンとトニィ・ウィリアムスのライフタイム、それにサティのジムノペディを教えたのがミック・テイラーだというのは面白い。テイラーの音楽にこういうものの響きは聞えたことがない。ギターのスタイルはマクラフリンとは対極だし。あの手数の少なさはサティからだろうか。チャーリー・ワッツのジャズのレコードはストリーミングにほとんど出てこない。「いーぐる」で誰か特集してくれないかな。


 『趣味の文具箱』のインク特集を買おうとして版元が変わっているので検索すると、元のエイ出版社は民事再生法を2月に申請。直後に事業の一部をヘリテージに譲渡、とある。このヘリテージというのが臭い。公式サイトには会社の内容の記載がない。譲渡された以外の事業の記載も無い。設立は昨年9月。儲かっている事業だけ残して、他は一気に整理するための計画倒産を疑う。昔、一度、あるレコード会社でやられたことがある。あたしの被害はCD1枚のライナーの原稿料だけだったから大したことはなかったが、今回のこれで致命的やそれに近い被害を受ける人がいないといいんだが。嫌気がさして、買うのはやめる。



##本日のグレイトフル・デッド

 1969年から1990年までの6本。


1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 前日に続いて、ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ヘッダー2日め。この日はエアプレインのメンバーも加わってのジャム・セッション状態だったようだが、演奏時間は前日より短かったらしい。セット・リストはやはりいつものデッドのものとは違う。ロックンロール大会。本当の意味でのデッドのショウとは言えないかもしれない。



2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の1日め。前半最後の2曲が《Dave's Picks, Vol. 38》、後半の大部分8曲が同時に出た《Dave's Picks Bonus Disc 2021》に収録。うち1曲〈Eyes of the world〉は《Beyond Description》にも収録(CD1《Wake Of The Flood》のボーナス・トラック)。


 〈Let It Grow〉は単独の演奏としてはこの日が初演。


 すばらしい演奏だが、とりわけ20分に及ぶ〈Eyes of the world〉が凄い。ガルシアのギターが完全にイッテしまっている。そこへキースがからんでさらに羽目をはずす。これがあるからデッドを聴くのをやめられない。



3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の中日。


4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の最終日。


 自転車のラッパとカズーによる演奏がオープナー。珍しくダブル・アンコール。良いショウだそうで、公式リリースを期待。



5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 秋のツアーの開幕で同じ会場で3日連続の初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の初日。


 ブレント・ミドランド急死後初のショウで、ヴィンス・ウェルニクのデビュー。(ゆ)


8月20日・金

 Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。




 M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。


 Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。


 Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。

 


 それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。


ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト
ジミ・ヘンドリックス
ユニバーサル インターナショナル
2000-12-13



 音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。


 ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)




 Skull & Roses 50周年記念盤ボーナス・ディスクに一部が収録されたので、あらためて聴いてみる。
 この日のショウは FM放送されたのでアナログ時代からブートが出ている。音質はかなり良く、放送局からの流出だろう。今回公式リリースされたトラックはそれと入替えて聴く。

 この日はデッドがフィルモア・ウェストに出た最後の日。フィルモア・ウェストは2日後、7月4日にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスが大トリを勤めて閉鎖された。以後デッドの「ホーム」は音楽専用施設に改装されたウィンターランドになる。

 フィルモア・ウェストの建物はデッドがジェファーソン・エアプレインなどと共同で経営した Carousel Ballroom と同じもので、収録人数は2,500。DeadBase 50 ではカルーセルとフィルモア・ウェストを合わせて59回演奏としている。Deadlists によれば、フィルモア・ウェストだけでは45回。

 今回公式リリースされたのは前半最後の Good Lovin' と後半のほとんどになる。セット・リストでみるとこうなる。

One                                14
01. Bertha [5:47]; 8:03
02. Me And Bobby McGee [5:38]; 7:09
03. Next Time You See Me [3:50]; 5:30
04. China Cat Sunflower [4:50] > 5:43
05. I Know You Rider [5:47]; 7:04
06. Playing In The Band [4:54]; 8:05
07. Loser [6:33]; 9:51
08. Ain't It Crazy (aka The Rub) [3:34]; 5:16
09. Me And My Uncle [3:10]; 3:50
10. Big Railroad Blues [3:35]; 3:50
11. Hard To Handle [7:19]; 8:17
12. Deal [6:13]; 6:30
13. The Promised Land [2:46]; 3:32
14. Good Lovin' [17:16] Grateful Dead 50th 17:47

Two 12
15. Sugar Magnolia [6:41]; 6:59
16. Sing Me Back Home [9:48] ; Grateful Dead 50th 10:16
17. Mama Tried [2:47] ; Grateful Dead 50th 3:08
18. Beat It On Down The Line 2:06
19. Cryptical Envelopment [2:02] > Grateful Dead 50th 2:25
20. Drums [5:16] > Grateful Dead 50th 5:13
21. The Other One [15:40] ; Grateful Dead 50th 15:51
22. Big Boss Man [5:18] ; Grateful Dead 50th 5:27
23. Casey Jones [5:36]; 6:32    (Fillmore: The Last Days)
24. Not Fade Away [3:49] > Grateful Dead 50th 3:57
25. Goin' Down The Road Feeling Bad [7:22] > Grateful Dead 50th 9:39
26. Not Fade Away [3:35] Grateful Dead 50th 2:35

Encore
27. Johnny B. Goode [3:43]; 3:59 (Fillmore: The Last Days)


 この日の演奏をデッドは気に入っておらず、『フィルモア最後の日』には入れないでくれとグレアムに求め、グレアムは怒りくるった。結局 Casey Jones と Johnny B. Goode が収録される。一方でデッドはグレアムに LSD の入った飲物を飲ませるというイタズラをしかけ、グレアムはその体験を大いに喜んだ、と伝えられている。

 しかし、あらためて聴いてみれば、前半こそ、今一つの観はあるものの、前半の半ば過ぎ、Hard to Handle でスイッチが入った後は第一級の演奏が続く。むしろ、Dave's Picks あたりできっちりと出してほしかった。同じく FM放送からのブートが出ている 1971-12-10 は、10月に出るボックス・セットに合わせて独立でもリリースするのを見れば、今回こういう中途半端な形で出したのはやはりデッドのアーカイヴにあるテープに問題があったのだろう。

 その Hard to Handle では珍しく、ウィアもソロをとり、これもなかなか良い。

 公式リリースといえば、Live/Dead の元になったフィルモア・ウェストでのショウの完全版を出したように、Skull & Roses の元になったニューヨークでのショウの完全版を期待しているのだが、これもテープに問題があるのかもしれない。

 1971年は前年、Workingman's Dead と American Beauty で大きく舵を切った、その方向性はゆるがないものの、ここで新たに入ったレパートリィはまだ消化過程で、未完成のものが多い。それぞれの曲がどうなってゆくか、手探りしているところがある。5分しかない Plyaing in the Band で冒頭ウィアは歌詞が出てこない。全体としては曲のアレンジがシンプルで、とりわけコーダがあっさりしている。後にはコーラスになる曲をまだ独りで歌っていたり、リピートがほとんど無かったりする。Mama Tried や The Other One でのウィアのヴォーカルがやや遅めで、余裕があるのも手探りの一つだろう。

 The Other One は Cryptical Envelopment で前後がはさまれ、Drums はごく短かい組曲から、後ろの Cryptical Envelopment が落ち、ドラムスが明瞭に膨らんできている。この後、さらに序奏の Cryptical Envelopment も消えて、特徴的な最低域から駆けあがるベースに始まる形になる。ここでは2番の歌をはさんで前後に〈スペース〉的なジャムを展開しているのが面白い。この不定形なジャムももっと拡大してゆく。過渡期の形だが、このスペースになりそうでなりきらないジャムも面白い。

 一方、Deals でのガルシアのヴォーカルは発音がひどく明瞭だ。ガルシアは歌がヘタだと言われ、実際にそういう部分もあることは否定できないが、Before The Dead のオールドタイム、ブルーグラス時代やこの時期のガルシアはうたい手として、むしろウィアよりも上とも言える。フォーキー時代の録音ではギター一本で十分聴かせるものもある。少なくとも休止期までのガルシアはシンガーとしても精進していたように見える。1980年代以降、うたい手として「ヘタ」になるのは、むしろ意識してそういうスタイルを作ろうとしていたのではないか。ひとつにはブレント・ミドランドの加入で、うたい手として張り合うことをあえて避けたのかもしれない。デッドはインストルメンタルでの緊張感が半端ではなく強烈だから、この上ヴォーカルでも張り合ったのでは、自分たちもリスナーも保たないと、直観したのかもしれない。

 もう一つの可能性として、体力の問題も考えられる。歌はギター演奏に比べれば格段に体力を要求される。いわば指だけ動かしていればいいギター演奏に対して、歌は全身運動だ。1980年代以降、基礎体力が衰えて、両方にエネルギーを割くことが難しくなったのではないか。あの力の抜けた、ふにゃふにゃしたヴォーカル・スタイルは意識してそう作ったというよりは、いわば自然に、否応なくそうなっていったのかもしれない。1986年夏の糖尿病による昏睡にいたるまで、ガルシアが自分の健康の維持には無頓着だったことは明らかで、好物のアイスクリームが常食という時期すらあった。1990年代に入ってのガルシアの容貌はとても50代前半の人間のものではない。

 このショウにもどれば、ブートの音質も悪くないが、公式リリースではまず背景ノイズが消えて、楽曲がより浮上する。一つひとつの楽器、声の輪郭がはっきりする。ブートではピグペンのオルガンがほとんど聞えないが、公式ではちゃんと聞える。ブートでは眼前でやっている感じだが、公式ではホールの広がりがわかる。ガルシアとウィアとピグペンで距離感が異なるのもよくわかる。マイクとの距離のとりかただろうか。ガルシアはやや遠く、ウィアが一番近い。

 ガルシアのギターもこの時期、変わりはじめている。1970年頃から始めた、デッドとは別のソロのギグの成果とも見える。かつてのブルース・ギターをベースとしたものから、明らかにジャズ寄りの手法、フレーズが増えてくる。ここでの Hard to Handle、Good Lovin'、Not Fade Away などのギターはそうした新しいスタイルの代表だ。起伏の少ない、メロディが明瞭にならない、いわゆるロック・ギターとは別世界の演奏だ。もちろんジャズ・ギターとも違う。Good Lovin' ではレシュのベースとのほとんどバッハ的なポリフォニーと言えるものまで聴ける。

 ガルシアのギターは超絶技巧を披瀝しないから、人気投票などでは上位に来ないが、ごくシンプルな音やフレーズを重ねてそれは充実した音楽を生みだしたり、起伏のない、明瞭なメロディにもならないフレーズを連ねて、身の置きどころのないほど満足感たっぷりの音楽体験をさせてくれる。ジャズやインド、アラブの古典音楽の即興のベストのものに並べても遜色ないレベルの演奏を聴かせる。音楽的な語彙が豊冨だし、表現の抽斗の数も多くて、中が深い。こういうギタリストは、ロックの範疇ではまず他にいないし、ジャズでも少ないだろう。ザッパはもっと超絶技巧的だ。むしろ、ザッパと共演したシュガーケイン・ハリスのヴァイオリンの方が近い気がする。

 ラストの Not Fade Away > GDTRFB > NFA はこの時期、ショウの締め括りの定番。2度めの NFA ではピグペンもヴォーカルに参加して、元気がある。ただ、かれが入っている割に十分展開しきったとまでは言えない。

 1971年はいろいろなことが起きている。ハートとピグペンの離脱、キースの参加、レコード会社の設立、デッドヘッドへの呼び掛けと応答。春にはショウの中で、聴衆を巻きこんで、超能力の実験に参加してもいる。そしてこの時期、大学でのショウを積極的に行いはじめる。当時はめだたなかったが、デッドがショウを行った大学はスタンフォード、コーネル、ラトガース、プリンストン、コロンビア、イエール、ジョージタウン、ワシントン、ウィリアム&メアリ、MIT、UCBA、UCLA などなど、アメリカでもトップ・クラスの名門が多い。ここでデッドのファンになった学生たちが、後々デッドヘッドの中核を形成する。こうした大学の卒業生はアメリカ社会の上層部に入るから、デッドヘッドはそうした上層部にも広がる。上院議員やノーベル賞受賞者もいる。後々への布石がたくまずして置かれた年だった。

 1971年は翌年のピークへの助走の時期という認識でいたのだが、こうして聴いてみると、過渡期には過渡期なりの面白さがある。これを機会に71年を集中的に聴いてみるかという気になる。(ゆ)

5月8日・土
 Dave's Picks, Vol. 38 着。発送通知から到着までの間がいつもよりぐんと短かい。今年2回目のリリースとてボーナス・ディスク付き。

 今回は 1973-09-08, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY のショウの完全版にボーナス・ディスクと本体に別れてその前日の同じヴェニューでのショウを収める。

 トラック・リスト。
 
Disc 1
01. Bertha {Robert Hunter & Jerry Garcia} 6:21
02. Me And My Uncle {John Phillips}  3:16
03. Sugaree {Robert Hunter & Jerry Garcia} 8:03
04. Beat It On Down The Line {Jesse Fuller} 3:39
05. Tennessee Jed {Robert Hunter & Jerry Garcia} 8:09
06. Looks Like Rain {John Perry Barlow & Bob Weir} 8:15
07. Brown-Eyed Women {Robert Hunter & Jerry Garcia} 5:49
08. Jack Straw {Robert Hunter & Bob Weir} 5:27
09. Row Jimmy {Robert Hunter & Jerry Garcia} 9:51
10. Weather Report Suite {John Perry Barlow, Bob Weir & Eric Andersen} 15:00


Disc 2
11. Eyes Of The World > {Robert Hunter & Jerry Garcia} 15:23
12. China Doll {Robert Hunter & Jerry Garcia} 6:28
13. Greatest Story Ever Told {Robert Hunter, Bob Weir & Mickey Hart} 5:13
14. Ramble On Rose {Robert Hunter & Jerry Garcia} 6:57
15. Big River {Johnny Cash} 5:02
16. Let Me Sing Your Blues Away {Robert Hunter & Keith Godchaux} 4:10
17. China Cat Sunflower > {Robert Hunter & Jerry Garcia} 8:23
18. I Know You Rider {Trad.} 6:19
19. El Paso {Marty Robbins} 4:51

1973-09-07, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
20. Bird Song {Robert Hunter & Jerry Garcia} 13:27


Disc 3
21. He's Gone > {Robert Hunter & Jerry Garcia} 14:55
22. Truckin' > {Robert Hunter, Bob Weir, Jerry Garcia & Phil Lesh} 11:46
23. Not Fade Away > {Charles Hardin, Norman Petty} 9:03
24. Goin' Down The Road Feeling Bad {Trad.} > 7:55
25. Not Fade Away {Charles Hardin, Norman Petty} 4:17
26. Stella Blue > {Robert Hunter & Jerry Garcia} 7:56
27. One More Saturday Night {Bob Weir} 5:06

1973-09-07, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
28. Playing In The Band {Robert Hunter, Bob Weir & Mickey Hart} 18:16


 ボーナス・ディスクのトラック・リスト。
1 Here Comes Sunshine {Robert Hunter & Jerry Garcia} 11:04
2 Let It Grow > {John Perry Barlow & Bob Weir} 11:33
3 Stella Blue {Robert Hunter & Jerry Garcia} 8:32
4 Truckin' > {Robert Hunter, Bob Weir, Jerry Garcia & Phil Lesh} 10:44
5 Drums > {Bill Kreutzmann}  2:30
6 The Other One Jam > {Bill Kreutzmann, Bob Weir} 7:09
7 Eyes Of The World > {Robert Hunter & Jerry Garcia} 19:02
8 Sugar Magnolia {Robert Hunter & Bob Weir} 9:22

 この結果、09-07の全体の中ではこうなる。

One
The Promised Land [3:04]
Sugaree [7:51]
Mexicali Blues [3:32]
They Love Each Other [5:14]
Jack Straw [4:56]
Row Jimmy [9:04]
Looks Like Rain [6:16]
Deal [5:31]
El Paso [4:24]
Bird Song [13:28] Dave's 38
Playing In The Band [18:34] Dave's 38

Two
Here Comes Sunshine [9:59] Dave's 38
Me And My Uncle [2:43]
Loser [6:32]
Let It Grow [11:06] > Dave's 38
Stella Blue [7:51] Dave's 38
Truckin' [9:26] > Dave's 38
Drums [2:25] > Dave's 38
The Other One Jam [6:50] > Dave's 38
Eyes Of The World [18:16] > BEYOND DESCRIPTION; Dave's 38
Sugar Magnolia [6:15] Dave's 38

Encore
Around And Around

 Eye of the World は BEYOND DESCRIPTION 収録の Wake Of The Flood 拡大版に収録されていた。

 録音は Kidd Candelario。ライナーは David Lemiuex と Jay Kerley。レミューは前任者のディック・ラトヴァラが09-08のショウをことの他好んでいた思い出を語り、カーリィは現場にいた者として思い出を語る。

 このヴェニューはデッドのお気に入りで1973-03-15から1994-03-28まで計42回演奏している。これまでに Dick's Picks, Vol. 13、Go To Nassau、Road Trips, Vol. 1 No.1、Spring 1990、Spring 1990 (The Other One) で公式リリースされている。今回はこのヴェニューでの最も初期の演奏になる。Let It Grow はこの形での初演。

 1972年2月オープンの多目的アリーナでコンサートでの収容能力はこのショウの当時は13,000。ニューヨーク市からロング・アイランドを少し東に行った、Hempstead にある。

 1973年は計73本のショウのうち、これで完全版の公式リリースは13本め。

 09-08は1967年から1993年まで8本のショウがあるが、これまでに1990年のショウから So Many Roads に1曲収録がある。

 09-07は1967年から1990年まで6本のショウのうち、この1973年のみ公式リリースされている。

 ミッキーは不在の時期でメンバーは6人。なお、09-08はこの年の3月8日に27歳で死んだピグペンの28回目の誕生日。

 と、まずは事実確認。聴くのはビショップ No Enemy But Time 再校ゲラが終ってから。(ゆ)

 あちこちにある山桜がどれも満開。

 Grateful Dead、Skull & Roses 50周年記念盤発表。6月25日発売。付録は 1971-07-02, Fillmore West の一部収録。後半中心に10曲。2003年のCD拡大版に入っていた1971-04-06からの3曲は入らないらしい。フィルモア・ウェストでのデッドの最後のショウであるこの日は FM から取ったブートが出ている。音がどれくらい違うか。一緒に出るシャツに惹かれる。


 Library Of America からオクタヴィア・E・バトラーの巻のリリース発表。編者の Nisi Shawl と Gerry Caravan へのメール・インタヴュー。なかなか面白い。しかし、バトラーの評価も高まるばかりだ。へたをするとディレーニィよりも高いかもしれない。ここにもディレーニィへの言及は無いが、バトラーの宣伝だから無理もないか。今やっているバトラーが出ることで、わが国でもこの人にもっと注目が集まるといいんだが。

 ディレーニィの作品は LOA に入るだろうか。Nova は一応入っているが。これに関する LOA サイトの Jeet Heer の記事は「ニュー・ウェーヴ」との差別化を強調しすぎているようにも見える。実質そういう面もあるだろうが、当時読者の受け取り方としては、ディレーニィはディッシュ、エリスン、スピンラッドらとともにアメリカのニュー・ウェーヴ作家の一人だったことは否めない。もちろんニュー・ウェーヴとまとめて呼ばれても、UK とアメリカでは内実が異なっていたのは当然だ。それにムアコックとの関係では「時は準宝石の輪廻のように」という大傑作が生まれている。しかし、まあ、ほんと、Nova までのディレーニィのアウトプットは爆発と呼ばれるにふさわしい。長篇だけではなく、中短篇も凄い。まさに Super Nova だ。

 LOA の Sarah Pinsker の記事を見て Woody Guthrie, Bound For Glory を注文。

Modern Classics Bound For Glory (Penguin Modern Classics)
Guthrie, Woody
Penguin Classic
2004-06-01

 

 ストリーミングの時代に「アルバム」ガイドってどうなのよ、と思いながら、バラカンさんのソフトでさりげなく深いところを突いてくる文章に誘われてついつい読んでしまい、読んでしまうと聴きたくなる。

 音楽の録音メディアとして「アルバム」、すなわちLPのサイズ、収録時間というのは、作る側にとっても聴く側にとっても、手離せない使い勝手の良さがあるものらしい。確かにLPの片面15〜25分というのは、リスニングの集中力が途切れない、ちょうどいい長さであることは、経験的にわかる。あたしだけではないこともわかっている。この長さは元来はLPの物理的サイズから決定されているので、人間の感覚の科学的測定を基にしているわけではないけれども、これもシンクロニシティの一つなのだろう。新譜がCDリリースされるようになった初期の頃は、皆さん、CDの収録時間一杯に詰めこんでいて、LPを聴くつもりで聴いていると、個々のトラックはともかく、全体としては構成が破綻しているものが多かった。今世紀に入ると別に目一杯詰めこまなくてもいいのだとわかってきて、CDに適切な構成がだんだんできてきた。

 ここに挙げられている52枚のディスク、アルバムはその点ではどれもうまくできてもいるはずだ。何枚か、すでに聴いているものからの類推でもそう思う。あるミュージシャンなりユニットなりの音楽の味見はシングルやビデオ・クリップでできても、まとまった分量を聴いて初めて全体像が垣間見える。中には冒頭の1曲だけのために買ってもいい、というアルバムもある(Salif Keita, Moffou)もあるが、掲げられた人たちはいずれもピックアップされた1枚だけではなくて、そこを入口にして、その世界に分け入り、探検してゆくに値するだけの蓄積を積んでいる。あるいは、あたしにとってのヴァン・モリソンのように、しばらく離れていて、あらためて再度入ってみようと思える人もいる。

 ここには21世紀に入ってからリリースされたものを52枚選び、それぞれに解説をつけている。たいていは、こちらもお薦めというディスクが2枚、追加でジャケットとタイトルが出ている。こちらにま短かいコメントがあるものもあり、無いものもある。

 巻末にバラカンさん生涯の愛聴盤707枚が、ミュージシャンとアルバム・タイトルがずらりと並んでいる。これはバラカンさんの趣味がよくわかる、という以上のものではなさそうだ。あたしは天邪鬼なので、ははあ、あの人がいない、この人もないな、などと思ってしまうが、良い子はそういうことはしないように。

 もっとも、本体の52枚とこの707枚を眺めると、バラカンさんは「南」の音楽がお好きなのだな、と納得する。音楽の嗜好には南北の方向性がある、とあたしは思っている。反対側は絶対聴かないわけではもちろん無いけれど、どうしてもどちらかに偏ってくる。クラシックの場合にもあてはまるはずと思うけれど、そちらはよくわからない。あるいは東西かもしれない。

 あたしは「北」なのである。同じ北米大陸でも、アメリカよりもカナダなのだ。ジョニ・ミッチェルやザ・バンドはここにもいるけれど、ニール・ヤング、マクガリグル姉妹、ブルース・コバーン、マレィ・マクラクラン、スタン・ロジャース、レニー・ギャラント、ジェイムズ・キーラガン、ラ・ボッティン・スリアント、ナタリー・マクマスターの名前は出てこない。ニール・ヤングはあの声がダメと伺ったこともある。まあ、それはわかる。

 アフリカでもサハラの北、ヨーロッパでもアイルランドからフィンランドに至る北部だ。インドだけはどちらかというと南だけど、これは地域よりもサロッドの響きが好きというだけかもしれない。

 バラカンさんの音楽の故郷はニューオーリンズであり、メンフィスであり、オースティンであり、あるいはニジェール河流域である。ロンドンとサンフランシスコもある。それはバラカンさん自身の体験で形づくられているので、世紀が変わっても、こちらは変わらない。52のアクトのうち、21世紀または20世紀末に出てきた人といえるのは7人または組で、これはむしろバラカンさんの年代の人にしては多い方かもしれない。放送の現場にいることのメリットとも言える。

 ここで思うのは、バラカンさんのバランス感覚の良さ、というのはダジャレではないよ。あるいはバラカンさんの基準の安定感、いわゆるブレない感覚だ。つまり、そのアクトが売れているかどうか、レコード会社の大小、流通の有無はまったく関係がない。正直、エイミ・ワインハウスが自殺したと聞いても、あたしなどは、あ、そう、それがどーした、ただの売れ線狙いのねーちゃんだろ、ぐらいにしか思わなかった。それはどうやらとんでもない思い違いらしい。まだ、聴いてません。すみません。しかし、バラカンさんがここまで言うなら、少なくとも一度は聴く価値はあるはずだ。

 あたしは「松平教」信者だったので、「ヒットは悪」という教えが染みついていて、売れてるだけでそっぽを向いてしまう。ケイト・ラスビーはもともと評価していなかったけど、ブレイクしてますます嫌いになった。まあ、自作を歌うようになってからは、バックの引き立てもあってそんなに悪くないけど、伝統歌を歌っていたときは自意識過剰で聴いていられなかった。嘘だと言うなら、彼女がキャリアの初めに Kathryn Roberts と作ったアルバムを聴いてごらんなさい。

 ノラ・ジョーンズもねえ、悪くはないけど、そんなに良いかあ。こういう組立てでこういう歌を歌ってる人はゴマンといるで、なんで、そんなに売れるか。と思ってしまうのは、ビンボー性でせうな。

 ここでもどちらかといえば、目立たないところで独自のことを地道にやってる人へのバラカンさんの愛情がひしひしと感じられるけれど、売れてるからって排除しない、というより、それが音楽の評価にまったく影響しないのは、あたしなどから見ると、見事としか言いようがない。

 むろん、この選択にパブリシティの意識がまったく無いわけじゃない。しかし、たとえリアノン・ギデンスがあって、 Leyla Macalla が無くても、納得はできる。

 52枚、ざっと眼を通して、まず何よりも聴きたい、と思ったのはスティーヴィー・ウィンウッドの Greatest Hits Live。なんと〈ジョン・バーリコーン〉もやってるじゃないですか。それにバックにギターのジョセ・ネトが入っているというのも大きい。この人、ポルトガル人だったんですか。あたしはてっきりブラジルと思ってました。ネトのほとんど唯一のソロ《MOUNTAINS AND THE SEA》1986 はあたしの生涯の愛聴盤の1枚なのだ。

 それから、Jerry Gonzalez Y Los Piratas Del Flamenco。ジャズとフラメンコの融合ではあたしは Jorge Pardo が一番と思ってるし《Miles Espanol》という傑作もあるけれど、これは《Pedro Bacan & Le Clan des Pinini》1997 に近いものらしい。ホルヘ・パルドの《Huellas》は半分で Jeff Ballard がタイコを叩いていて、この人はここにもある Brad Mehldau Trio のドラマーだ。

 とまれ、52枚を Tidal でチェックして、聴けないものを数枚、注文したところ。Aaron Neville のゴスペル盤とか John Cleary のは、アマゾンでも高騰していて、この本でまた上がるかもしれない。そのあたりはいずれどこかで出逢うのを待とう。

 まあ、しかし、Tidal でみると、どの人もほとんど聴けてしまうのは、ストリーミングの怖さ。こんなの全部聴いてたら、他のことは何もできない。しかし、聴きたい。ヴァン・モリソンはあたしは《Back On Top》で買うのをやめていたのだが、まあ、その後、ごろごろ出しているではないか。何、この《It's Too Late To Stop Now》の「続篇」って。ヴァン・モリソンでのバラカンさんの好みもやはり「南」だなあ。あたしは何よりも彼によりも《Veedon Fleece》なのだが、これはかれのアルバムとしては「極北」だろう。

 それにしても、バラカンさんが、どれもよく聴き込んでいるのに感心する。このコロナの時期にも日々出てくる新しいリリースも聴きながら、古いものを、いったいいつ聴いてるんだろう。

 こういう本を見ると、ようし、聴くぞう、という気になる。3月からこっち、コロナが始まってからは、翻訳の仕事に大部分の時間をとられてたけれど、Bandcamp が月に一度、すべての手数料をチャラにして、買い手が払ったものは全部ミュージシャンにというキャンペーンをやるので、結構買っていた。それで発見した人もいるし、最大の発見はイングランド伝統歌の女性シンガーが今大豊作になってることで、このあたり、生存証明として、ぼちぼち書くことにしましょう。アイルランドでは Luke Deaton & Jayne Pomplas の《My Mind Will Never Be Easy》2017 が最高。アコーディオンとフィドルの男女のデュオ。やってるのは有名曲、定番曲が多いけど、それがまた実に新鮮。録音、ミックス、マスタリングは Jack Talty で、レーベルはかれのところではないみたいだけど、いい仕事してます。

 アイルランドからは今、日本向け郵便がストップしていて、CDも送れないけれど、Bandcamp は買うとデジタルでもダウンロードしたり、聴いたりできるのはありがたい。(ゆ)

 ヴァイオリンの壷井彰久さんが参加する三つのバンドが一堂に会する企画。4時間以上、休憩が入るとはいえ、弾きっぱなしというのも、いくら好きなこととはいえ、たいへんではあろうが、リスナーとしてはたいへんありがたい。普段、なかなか聴く機会のもてない、Era と KBB のライヴを見られたのは嬉しい。Trinite の時、初めてご覧になる人はいますかと壷井さんが訊いたら、4分の3くらいの手が上がったから、バンドとしても旨味のある企画だろう。

 出番は Trinite、Era、KBB の順で、Era の鬼怒無月さんが、MC の初めに、Trinite のようなバンドをよくトップに持ってきたと半ば感嘆し、半ば呆れていたのはさすがだ。壷井さんはアコースティックから電気への順番なんですと答えていたが、最後まで見てみると、なるほどこの順番でしか、できなかっただろうと納得する。Trinite をトリにしたら、おそらくいかに壷井さんでも参ってしまったにちがいない。

 三つ同居するメリットを活かして、Era のラストで小林武文さんが入り、KBB では小森慶子さんが1曲参加。アンコールの1曲めで鬼怒さん、2曲めではさらに小森さんが再度参加。

 小林さんの入った Era はすばらしく、このトリオのライヴはもっと見たい。小林さんの別の面も見られたのも収獲。

 別の面ということでは、小森さんも同じで、プログレ版小森のバスクラもまたすばらしい。KBB の鍵盤の高橋氏が、「この曲、バスクラ、いいねえ」と言っていたのもうなずける。

 もっとも別の面では、他の誰よりも壷井さんの様々な面を見られたのは、最大の収獲。あたしは Trinite の壷井さんがデフォルトで、他は録音でしか聴いていないから、他の二つは新鮮だった。KBB はあたしには古典的なロック・バンドで、カーヴド・エアやダリル・ウエィを連想してしまった。悪いわけではないし、人気も抜群だが、また見たいとは思わない。こういう三つのバンドが集まる企画がまたあれば別だが。

 Era はずっと面白い。ギターとヴァイオリンだけだが、どちらもエレアコで、時にアコースティック、時に電気効果を駆使して、様々な音を出す。デュオというより重層的だ。対話というより追いかけっこをしたり、たがいに外しあったり、ダンスをしているようにも見えて、スリリングだ。プログレというよりジャズだ。だからここにパーカッションが入るとすれば、小林さんになる。面白いのは、鬼怒さんの曲といって始めた曲がやけにスコットランドを想わせるメロディだったり、他にもケルト系の要素があちこちに入っていて、これならバゥロンをゲストに入れても楽しいのではないか。ケルト系ダンス・チューンは、ヴァイオリニストにとっては魅力があるのか、KBB でいきなりリールを始めたりもしていた。

 こうして比べると Trinite は異色だ。shezoo さんがバンマスで、shezoo さんの曲を演奏するバンドということもあろうが、めざしているところがまるで異なる。他の二つは外向的で、壷井さんのソロもメインのテーマを展開し、あるいはギターと、あるいは鍵盤と競いあう。これはまあ、楽と言うと語弊があるかもしれないが、演奏する分には掛値なしに楽しいだろう。実際、壷井さんの様子を見ていても、他の二つはとにかく楽しさがあふれている。

 Trinite はまず譜面に書かれた曲を演奏するだけでたいへんだ。アドリブでも、曲自体の構造、ベクトルを崩さずにやることが求められる。音楽が内に、求心的に向かう。演奏の楽しさよりも、音楽としての美しさ、完成度を追求する。だから、メンバーは全員、緊張し、集中している。そして、あたしはその緊張と集中に快感を感じる。

 音楽である以上、緊張と集中だけがあるはずはない。そこには必ず弛緩がある。ここが文学や美術とも、他のパフォーマンス・アート、たとえば演劇などとも異なる音楽の面白さだ。緊張し集中しっぱなしでは、音楽は決して良くならない。適度な弛緩が同居して初めて、音楽は音楽になる。だから、Trinite の音楽には、緊張と弛緩が同居する。この緊張と弛緩が同居した音楽でないと楽しめないカラダに、あたしはなってしまっているのだ。これは望んだことでも、意図したことでもない。気がついたら、そうなっていた。おそらくは嗜好の問題なのだ。先日書いたチェルシーズの音楽にも、ゆるゆるの中に1本ぴいんと緊張の糸が通っている。

 ここで言えば KBB に緊張がないかと言えば、あたしには感じられない。あのタイプの古典的ロックは、ひたすら解放を求める。それも、フロントが、メロディ担当が解放を求める。緊張があるとすればリズム・セクションがそれを担う。こういう役割分担が、もうあたしには耐えられない。しかし、ロックが人気を得たのは、おそらくそこ、つまり緊張と弛緩の役割分担がポイントだろう。

 Trinite の場合、全員が緊張し、同時に弛緩している。そこがたまらない。

 しかし、これは演奏者としては、たいへんくたびれることだろう。まず正確に楽曲を演奏すること、そしてその上で楽曲に魂を籠めることを同時にやらねばならない。そういうことを意識せずにやってしまうのがアイリッシュ・ミュージックの達人だったりするのだが、かれらには伝統という大きな仕掛けがあって、それが支えてくれる。グレイトフル・デッドの音楽も、ほとんど意識せずにやっていると見えるのだが、かれらの場合、なにが土台になっているのか、まだわからない。原動力はおそらくジェリィ・ガルシアという存在なのだろうが、それだけではないはずだ。

 昨夜の Trinite はこれまで見たなかでベストの出来だったが、それにはもう一つの要素がある。会場の音響がすばらしいのだ。ここは椅子を並べれば詰めこんで150というところだろうが、天井が普通の倍はあって、屋根の形がそのまま天井になっている。屋根は針金入りの、おそらくは強化ガラスだろう、透明だ。両側の壁には、床から梁までの角材が縦に並べて張られている。平面ではなく、角材の間には隙間があったり、ところどころとび出したりしている。ステージの背面も、角材を縦横に張ってある。天井からは、エアコンや照明、十六面体スピーカーの他に、正方形の鉄枠にやはり角材を渡したものが、吊るされている。

 こうした仕掛けの上にPAも相当に練りこまれているのだろう。まず4人それぞれの音がかつてなく明瞭に聞える。とりわけ際立つのは、普段は埋もれることの多いバスクラで、最低域も、息だけ出しているときも、はっきり聞える。ヴァイオリンは完全にアコースティックの楽器で、これもまるで洗われたように、それはそれは綺麗な響きだ。ピアノの音も、各種パーカッションの音も、どんぴしゃの大きさで、くっきりと聞える。生楽器の音がこんなに粒がよく立って、それぞれの特性もわかり、はっきりと聞き分けられる会場は初めてだ。これを聴いてしまうと、他の会場ではもう聴けないかもしれないと不安になるほどだ。

 そうすると聞き慣れた曲がまったく初めて聴くように新鮮に聞える。先日出たライヴが嬉しかったのは、何よりもバスクラがはっきり聞えることだったのだが、それがライヴで実現しているのだ。しかも、他の楽器の音も1枚ヴェールを脱いだようなのだ。もう、ずっとこのままここで Trinite を聴いていたい。あるいは、Trinite のワンマンをここで聴きたい。Trinite だけでなく、壷井さんも参加しているシニフィアン・シニフィエもすばらしいはずだ。

 天王洲アイルというところはあたしの家からはまた遠いところではある。周りは完全に人工の環境で、まるでヴァーチャル・リアリティの中に入りこんだ感覚だ。こんなところにというのもヘンかもしれないが、この音で聴けるのなら、千里の道も遠しとはせず、である。それにしても、周りにある食事の店は、どれもおいそれとは入れないようなところばかりで、気軽に食べられるところが何も無いのは夕飯を食べるタイミングを失って、ちょと困った。(ゆ)

 昨夜は「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」の第2回に大勢お越しいただき、ありがとうございました。楽しんでいただけたならば、幸いです。

 バラカンさんも楽しそうでしたし、あたしは心底楽しんでおりました。会場の風知空知のオーディオ・システムはほんとに音がいい。田口スピーカーをはじめとして、アンプなどにも気を遣っておられるのでしょう。加えて、昨夜は音源を出す MacBook での再生用プレーヤー・アプリとして Audirvana Plus を使い、DAC には Chord Mojo を使ってみました。これは一般的な DAC とは一線を画す独自で最先端の D/A テクノロジーを注ぎこんだもので、その威力をあらためて実感しました。とりわけ、低域の表現の良さは半端でなかった。スピーカーの後ろになるあの位置で聴いてあれだけ気持ちよかったのは凄い。なお、《30 TRIPS AROUND THE SUN》からの音源は 96KHz/24bit のハイレゾです。

 昨夜かけた音源のリストです。曲名の次の数字は演奏回数、初演、終演の日付です。


Big River/ Johnny Cash
399回= 1971-12-31 > 1995-07-06
※原曲は〈Ballad Of A Teenage Queen〉 Sun 283 のB面として1957年12月録音、翌年3月リリース。ビルボードで最高14位。
1973-03-28 Springfield Civic Center, Springfield, MA, 4:38, from《Dave's Picks, Vol. 16》

Me And Bobby McGee/ Kris Kristofferson & Fred Foster
118回= 1970-11-06 > 1981-12-11
※最初の録音は Roger Miller による1969年5月のもの。《PEARL》収録のジャニス・ジョプリンのヴァージョンが シングル・カットされてナンバーワン・ヒットとなる。
1972-04-14, Tivoli Concert Hall, Copenhagen, Denmark,6:04, from《Europe ’72: The Complete Recordings》

Goin’ Down The Road Feeling Bad/ (Delaney Bramlett)
298回= 1970-10-10 > 1995-07-05
※今回の原曲はウッディ・ガスリーのもの。デッドは1970年の "Festival Express” の際、Delaney Bramlett から習った。
1978-05-14, Providence Civic Center, Providence, RI, 7:50, from《30 TRIPS AROUND THE SUN》

Desolation Row/ Bob Dylan
58回= 1986-03-25 > 1995-07-02
※原曲は《HIGHWAY 61 REVISITED》(1965)  収録。
1990-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY, 9:55, from《Postcards Of Hanging》

Man Smart (Woman Smarter)/ Norman Span
226回= 1981-07-02 > 1995-06-21
※トリニダードの Norman Span が King Radio の名前で1936年、ニューヨークで録音。作曲もおそらくこの人。1956年にハリー・ベラフォンテがナンバーワン・ヒットさせる。なお今回、聞き比べとしてかけたのはカーペンターズの版。
1992-03-20, Copps Coliseum, Hamilton, ON, Canada, 10:02, from《30 TRIPS AROUND THE SUN》

Hey Jude/ John Lennon & Paul McCartney
Dear Mr. Fantasy/ Traffic
58回= 1984-06-14 > 1990-07-21
※Traffic のデビュー・アルバム《MR. FANTASY》(1967) 収録。
1990-03-22, Copps Coliseum, Hamilton, Ontario, Canada, 13:12, from《Spring 1990》

Not Fade Away/ Buddy Holly
565回= 1968-06-19 > 1995-07-05
※バディ・ホリーの The Crickets の名義で1957年10月リリース。ビルボードでは最高48位。
1979-10-27, Cape Cod Coliseum, South Yarmouth, MA, 9:13, from《30 TRIPS AROUND THE SUN》

Morning Dew/ Bonnie Dobson
259回= 1967-01-14 > 1995-06-21
※グレイトフル・デッド版の歌詞はドブソンによればこの歌詞は Fred Neil によるもの。
1977-06-07, Winterland Arena, San Francisco, CA, 13:14, from《Winterland June 1977: The Complete Recordings》

Turn On Your Lovelight/ Bobby Bland
348回= 1967-08-05 > 1995-06-15
※ボビィ・ブランドのシングルとして1961年リリース。チャートではR&Bで最高2位、ポップスで最高28位。
1990-03-29, Nassau Coliseum, Uniondale, NY, 7:41, from《Spring 1990 (The Other One)》

We Bid You Good Night/ Pinder Family with Joseph Spence
64回= 1968-01-22 > 1991-09-26
※Joseph Spence (1910-84) はバハマの人。1965年にアメリカ人ミュージシャン Jody Stecher と Pete Siegel がバハマで録音したものが今回の原曲。
1969-05-24, Hollywood Seminole Indian Reservation, West Hollywood, FL, 3:21, from《Road Trips, Vol.4 No.1》


 年末からずっと選曲のために、グレイトフル・デッド漬けでしたが、そこであらためて思い知らされたことは、デッドはいくら聴いても聴き飽きるということがないんですね。アイリッシュなどの伝統音楽はそういうところがあります。またかよと思いながらも聴いてみると、いくらでも聴いていられる。ちょっともうげっぷが出るから別のものを聴いてみようという気持ちになりません。デッドも同じで、昨日も朝から晩までデッドを聴き、今日も起きたら聴きはじめて寝るまで聴き、明日も終日デッドを聴くだろう、という生活を2、3週間続けても、その音楽に飽きるということがまるでない。

 同じ曲のヴァージョン違いを30、40、50と聴いて、やはり聴き飽きることがない。いくら毎回違うとはいえ、曲そのものは同じですから、いい加減飽きてもおかしくはないわけですが、そういうことがない。むしろ、これはどうだろう、次はどんな具合だろうとどんどん聴いてゆきたくなります。いつまで聴いても、聴くのをやめたくなるということが全くありません。

 そりゃ、おまえはデッドが好きだからだろう、と言われればそうかもしれませんが、まずたいていのものでは、どんなに優れたものでもどこかで飽きがくるものです。たぶん、これは音楽の優劣の問題ではなく、好き嫌いの問題でもなく、もう少し違う、もっと根本的なところに関わることではないか。ラストの〈Turn On Your Lovelight〉はいくらでも聴いていられそうです、とお店のスタッフもおっしゃっていました。

 昨日はまたデッドの音楽のもつ矛盾した側面に眼を見開かされました。デッドの音楽は基本的に「ゆるい」ものです。いい加減といえばいい加減。少々チューニングが狂っていても、音程がはずれても、歌詞を間違えたり忘れたりしても、まるで問題になりません。一方で、その音楽は実に緻密に組み立てられています。演奏者のからみ合い、ビートの刻み方、曲の構成がそれは細かくなされています。しかも、あらかじめ決めたことに添うのではなく、その場で、即興として生成されてゆきます。

 この二つの側面から生まれる効果の気持ち良さ。いくら聴いても飽きないことには、この快感も寄与しているかもしれません。

 年初めの、寒さの底の月曜日にもかかわらず、ほぼ満員のお客様にご来場いただき、めでたく第3回も行うことになりました。期日、内容はまだ決まっておりません。時期としては春、もう少し暖かくなった頃でしょう。内容についてはまだ白紙です。リクエストがあれば、どぞ。(ゆ)

 直前になってしまいましたが、下北沢・風知空知で明日の19時スタートです。今回はカヴァーを聴きます。カヴァー曲というのは、何をカヴァーするか、いかにカヴァーするか、によって、ミュージシャンの性格、特性が明瞭に出るものでもあります。

 グレイトフル・デッドはすばらしい曲をたくさん作ってますが、同時にカヴァーにもまさにデッドにしかできないような演奏がたくさんあります。レパートリィの2割くらいはそうしたカヴァーでしょう。カントリー、R&B、ブルーズ、フォーク、これまたデッドらしく何でもありで、ディランやビートルズなんかもやってます。中には定番として数百回演奏されたものも少なくありません。実はデッドのレパートリィ全体で演奏回数の最も多いものはママス・アンド・パパスの John Phillips 作の〈Me And My Uncle〉のカヴァーで、620回演奏されています(Deadlists による)。




 こうしたカヴァー曲はほとんどがスタジオ録音には収録されていません。ライヴ音源でしか聴けません。ということで、デッドならではのカヴァーを原曲と聞き比べてみます。

 何を聴くかは明日のお楽しみ。その選曲を一応一昨日の深夜に終えました。一応というのは、ベスト3ヴァージョンを選んだわけで、ここから明日何をかけるかは、ひょっとすると明日その場の選択になるかもしれません。

 もともとは2、3分の曲が、デッドの手にかかると10分、20分となる場合もあって、しかも演奏回数が多いものは手許にあるだけで30、40のヴァージョンになるので、年末から毎日ひたすら聴いていました。他のことは何もできませんでしたが、こうして同じ曲を年代順に聴いてゆくのは、実に面白い。いろいろなことがわかります。曲がだんだんできあがっていって、完成し、また変形してゆく様子やメンバーの交替によって演奏が変わる様子が手にとるようにわかります。その時期のバンドの性格なんかも見えてきます。チャンスがあればそういうところをみんなで聴いてみたいです。

 とまれ、明日は、これがこうなるのかという驚きと、デッドの演奏のすばらしさ、そして多様な側面をお楽しみいただけるよう、努めます。もちろん、おしゃべりのメインはピーター・バラカンさんで、あたしはなるべくでしゃばらないようにします。(ゆ)

 このタイトルは大袈裟なようだが、嘘いつわりのない真正直なものだ。聴けばそれがわかる。うたうことのよろこび。うたうことができることのよろこび。アルバムを作ることができるよろこび。こうしてうたをシェアできる、ともに生きることができるよろこび。そのよろこびはほとんど限りない。そして、今、このうたが聴けることを、河村さんがこのアルバムを作ってくれたことを、あたしは限りなくよろこぶ。

 そのよろこびには、しかし、わずかだがやりきれなさも混じる。この声を、このうたを、ソウル・フラワー・ユニオンの中で聴きたかった。

 河村さんがシンガーとして尋常ならざるものを持っていることを初めて知ったのは、5月にキタカラのライヴを見た時だ。その時も思ったことだが、こうして1枚、アルバムを聴いて、そのヴォーカルにじっくりとひたってみると、デッドのように、ユニオンも2枚看板のヴォーカルでやれたのではないかとあらためて思う。デッドほど対等に並び立つのではなくとも、一晩で2、3曲でも河村さんがうたうことで、また別の世界が開けた可能性は大いにあると思う。

 もっとも、あの当時、これだけのうたを河村さんがうたえたかどうか、それはわからない。バンドを離れて以来の体験があって初めてこのうたが可能になったことはありえる。最近ボブ・ウィアのソロ・ライヴ映像を見て感服したが、デッドが現役の時にこんな風にはうたえなかったはずだ。

 まず河村さんの声がいい。張りのあるテナーで、かすかに甘みがある。よりかかったところがない、品の良い甘みだ。こういう甘みは、ロックやポップスのすぐれたシンガーの声には共通している。ヴァン・モリソンやロバート・プラントにもある。対照的に中川さんの声には甘みはない。それはロック・シンガーというよりフォーク・シンガーの声だ。リチャード・マニュエルではなく、ボブ・ディランだ。こういうことはバンドの中だけで聴いているときにはわかりにくい。ソロとしてうたうのを聴くとよくわかる。河村さんの声は人なつこい声でもあって、かすかな巻き舌がその声を、うたを一層親しいものにする。

 そして河村さんはうたがうまい。全部で72分という、CD限界まで詰めこんだこのアルバムの根幹をなすうた、開幕冒頭の〈渚から〉、〈ローリングビーンズワルツ〉、〈フラクタル〉、タイトル曲、ボーナス・トラックを別として掉尾を飾る〈やわらかな時〉といった曲は、どれもスローなバラードというのは、また別の意味がありそうだが、こうしたうたを、悠揚せまらず、歌詞を明瞭に、安定感をもってうたう。スローなうたで、伸ばさない音がきっちりと支えられるのは実に気持がいい。〈青天井のクラウン〉の二度目のコーラスで一部力を抜いてうたうのがたまらない。

 特に美声でもないし、強い印象で迫ってくる声ではないのだが、人なつこい甘みのある声とうたのうまさ、そして、とにかくうたうことが大好きなその様子が相俟って、聴くほどに深みを増し、また聴きたくなる。

 河村さんを入れて57人のミュージシャンが織りなす世界は多彩だ。ロックンロール、ブルーズ、レゲエ、ポップス、そしてスロー・バラード。入念に作りこんだ、シングル・ヒットしない方がおかしいと思える曲もあれば、自身のエレキ・ギターとアコーディオンだけでうたわれる、きらりと光る小品もある。とはいえ全体としては河村さんの作る曲はすぐれたポップスのセンスが筋を通している。そして時に[11]のように思わず迸りでてしまうこともあるが、いつもは慎重に隠されているユーモアの味。こうした感性もSFUを離れてから身につけたのだろうか。これだけ大勢の、それぞれに個性の強い人たちから持ち味を引き出し、その貢献を裁いて、質の高い音楽を組み上げた河村さんのプロデューサーとしての腕も大したものだ。録音が良いのも嬉しい。

 次はキタカラの録音になるだろうか。ここにもその先駆けと聞えるところもある。とはいえ、まずは、このアルバム、シャッフルではなく頭から通して聴ける、そう聴いて楽しいこのアルバムを何度も聴くことになるだろう。(ゆ)


ミュージシャン
河村博司
朝倉真司
Alan Patton
荒谷誠人
Azuma Hitomi
磯部舞子
伊丹英子
伊藤コーキ
伊藤大地
伊藤ヨタロウ
岩原智
うつみようこ
大久保由希
大熊ワタル
太田惠資
大槻さとみ
奥野真哉
オラン
鹿嶋静
勝山サオリ
我那覇美奈
熊谷太輔
熊坂路得子
クラッシー
小平智恵
小山卓治
佐藤五魚
信夫正彦
白崎映美
鈴木正敏
高木克
高木太郎
多田三洋
Tsunta
塚本晃
寺岡信芳
徳田健
中川敬
中田真由美
中村佳穂
ハシケン
はせがわかおり
福岡史朗
福島ビート幹夫
藤原マヒト
本夛マキ
みっち
茂木欣一
森信行
モーリー
矢野敏広
ユキへい
リクオ
ティプシプーカ
桃梨

トラック・リスト
01. 渚から 6:46
02. この雨に濡れながら 5:37
03. 青天井のクラウン 3:12
04. ワルイ夢 3:03
05. ローリングビーンズワルツ 6:36
06. フラクタル 6:17
07. 嵐に揺れて 5:00
08. あのコと部屋とギターと 4:43
09. あなた 3:00
10. 風に乗って 2:34
11. 愛のテーマ 3:36
12. よろこびの歌 6:59
13. ウチウのテーマ 2:05
14. やわらかな時:イントロダクション 0:46
15. やわらかな時 6:13
16. 満月の夕 5:49

Produced by 河村博司
Recorded @ ウチウスタジオ, 2017-06/09
Drums Recorded @ Orpheus Studio 小岩, 2017-06-26
@ Mannish Recording Studio, 2017-06-20, 22 & 07-14
@ Sound Lab Oiseau, 2017-07-19
@ Ginjin Studio,2017-07-26
Mastered by 木村健太郎 @ Kimuken Studio, 2017-09-11


よろこびの歌
河村博司
ウチウレコード
2017


 バラカンさんが相手なので、あたしとしては気は楽だったんですが、どういう方々がお客さんに来るのかかわらず、また満員御礼ということはそれだけ期待も高いということで、気楽な一方で緊張もするという、まさにデッド的な体験でありました。

 まずは、昨夜、お越しいただきまして、まことにありがとうございました。お客様のなかには、200回以上ショウを体験された猛者もおられて、それでまた緊張が高まったりしました。全体としてはご好評をいただき、お店からもぜひとのことで、次回もやることになりました。篤く御礼申しあげます。何をやるかはいくつか腹案はありますが、まだまったく白紙です。こんなのはどうだとか、ありましたら、どうぞよしなに。

 会場のシステムもすばらしく、さんざん聴いた音源なのに、まったく新たに聴くような発見が多々ありました。田口スピーカーを初めて聴けて、感激であります。

 昨夜聴いた音源です。

01. Bertha
1972-03-27, Academy of Music, NY, NY; Dave's Picks 2015 Bonus Disc 6:57
1990-03-19, Civic Center, Hartford , CT; SPRING 1990 7:09

02. Cold, Rain & Snow
1978-07-07, 1978-07-07, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO; JULY 1978 7:25

03. Cassidy
1972-05, ACE 3:40
1983-10-21, Centrum, Worcester, MA; 30 TRIPS AROUND THE SUN 6:11

04. Uncle John's Band
1970-06, WORKINGMAN'S DEAD 4:44
1990-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY; DOZIN’ AT THE KNICK 10:05

05. They Love Each Other
1973-02-26, Pershing Municipal Auditorium, Lincoln, NE; Dick's Picks, Vol. 28 5:51
1975-09-28, Golden Gate Park, San Francisco, CA; 30 TRIPS AROUND THE SUN 7:28
1976-12-31, Cow Palace, Daly City, CA; LIVE AT COW PALACE 7:13

06. Estimated Prophet
1977-07, TERRAPIN STATION 5:37
1978-04-22, Municipal Auditorium, Nashville, TN; Dave's Picks, Vol. 15 12:35

Encore
07. Around and Around
1978-07-07, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO; JULY 1978 8:44

 途中でフェイドアウトしたトラックもいくつかありましたが、それでも当初予定していた2時間ではとうてい終らず、30分延長させていただいてもギリギリで、どうもすみません。次回はもっと調整をきちんとします。ただ、デッドのことについてしゃべりだすと、バラカンさんも止まらなくなるというのがよくわかりました。自分もそうですが、コントロールはなかなかたいへんです。

 最初の2曲はオープナーの代表として選びました。〈Bertha〉については初期のものと後期のものの聞き比べでもあります。〈Cold, Rain & Snow〉はこんなのんびりした地味な曲からショウを始めるのは確かに不思議です。

 〈Cassidy〉は初めがハンター&ガルシアの曲なので、デッドのレパートリィの片方を支えるバーロゥ&ウィアの曲という意味合いもあります。これはウィアの《ACE》からの選曲で、スタジオ版とライヴ版の違いをまず聴いてみたいという趣旨です。《ACE》はスタジオ録音としては名盤といってもいいと思いますが、ライヴ版とは比較にならない、ということがあらためて実感できました。ライヴでの、バンド全体のからみ合い、浮遊感が、聴いたことのないほど気持ち良かった。田口スピーカーのシステムの恩恵でしょう。

 ここまでで時間を使いすぎて、〈Uncle John's Band〉は、ライヴ版を聴きながら休憩とさせていただきました。なお、〈Cassidy〉とこの曲のスタジオ版はバラカンさんがお持ちのLP(イギリス盤)とカートリッジを持参され、アナログでの再生でした。これまた気持よかった。

 〈Uncle John's Band〉のコーラス・ワークはライヴではなかなか再現が難しいですが、インストの展開はやはりライヴが圧倒的で、この1990年03月24日はガルシアのギターがなんともかわいらしい演奏を聴かせます。それと、このうたは本当に歌詞がいい。デッドの曲の通例で、意味はよくわからないところも多いんですが、何度も聴いて歌詞が体に入ってくると、それはそれは気持ちよくなります。一緒にうたいたくなります。

 〈They Love Each Other〉は、時期によって演奏のやり方ががらりと変わる様を聞き比べました。どれもそれぞれに味わいがあると思います。あたしもこの曲は後期のゆったりしたテンポで慣れていましたが、今回のイベントのために様々なヴァージョンを聴くうちに、当初の速いテンポのものもいいなと思うようになりました。

 〈Estimated Prophet〉もスタジオ版との聞き比べ。デッドのライヴのキモであるジャム、集団即興の醍醐味を味わいたく選びました。

 デッドのイベントなので、やはりアンコールは欲しいと思い、〈Around and Around〉を選びました。この曲も時期によって演奏の仕方が変わります。これは休止からの復帰後で、ゆったりしたテンポで入り、半ばから通常のロックンロールのテンポにギアチェンジします。そのカッコよさにはシビれます。


 ということで、今回はイントロとして考えてみました。次回はもう少し、細部にわけ入ってみたいと思っています。

 終了後の質問で、たくさん出ているなかで、どれから聴けばいいのか、と訊かれました。どれでもいいと思います。本当にどれでもかまいません。YouTube にはたくさん映像や音源があります。Internet Archive にはかつてはテープで聴かれていた録音がデジタルの形であがっています。

 それでも何かひとつ挙げろと言われれば、これをお薦めします。

Fallout From the Phil Zone
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2005-02-14


 これはベースのフィル・レシュがバンド解散後の1997年、バンドの全キャリアの中から選んだライヴ音源集です。グレイトフル・デッドというバンドの全体像が、ごくぼんやりではあれ、浮かんでくるかと思います。この中で、ピンと来たトラックと同じ時期の他のライヴ録音を聴いてゆく、というのは一つの方法でしょう。全部OKであれば、もう立派なデッドヘッドです(^_-)。

 実を言えば、あたしがデッドにはまるきっかけの一つがこのアンソロジーでした。バラカンさんから自分はデッドヘッドだと言われた衝撃から探索をはじめ、図書館にあったこのアルバムを聴いて、これならイケる、面白いじゃないか、と実感したことからすべては始まったのであります。

 それにもちろん 30 Days Of Dead があります。毎年11月、ちょうど今月ですね、公式サイトで毎日1曲ずつ、未発表のライヴ録音がMP3の形でリリースされ、無料でダウンロードできます。この30曲は毎年、バンドの全キャリアをカヴァーする形で選ばれています。合計すれば4〜6時間、これだけでたっぷりデッドのライヴに浸れます。

 毎日クイズにもなっていて、その録音がいつのどこの演奏のものか正解がわかれば、レアで豪華な商品が抽選で当ります。これはほとんど不可能に思えるかもしれませんが、多少聞き慣れてくると見当がつくようになり、ネット上のリソースを使って絞りこむこともできるようになります。


 とまれ、まずは日頃なかなか話す相手もいないグレイトフル・デッドのことについて、バラカンさんとおしゃべりでき、またすばらしいサウンドで聴くことができて、あたしとしてはたいへん幸せでありました。これを可能にしてくれた、バラカンさん、アルテスパブリッシングの鈴木さん、風知空知のスタッフの方々、そしておいでいただいた皆様に心より御礼申し上げます。(ゆ)

 というおおけないタイトルを掲げてまずはイベントをやることになって、日々その選曲をしている。基本的に「曲」をライヴで聴こうということで、ある曲の手許にある音源を聴いて、どれをかけるかを決めてゆく。3ヴァージョンほどに絞って、バラカンさんに聴いて1本選んでもらう形。

 まずは代表曲ということになるから、音源も多い。DeadLists のデータベースで演奏回数の一番多いのは Playin' in the Band の604回。次が The Other One の601。Sugar Magnolia、600。この辺りは今回はとりあげないが、取り上げる予定の Bertha が403回で、手許にある音源がムリョ60本以上。これをひたすら聴いてゆく。

 Bertha の初演は1970年12月15日で、最後は1995年6月27日。比較的短かくて、シンプルな曲だから、まだどんどん聴いていける。グレイトフル・デッドは同じ演奏を2度しない、といわれるが、こうして聴いてゆくと、本当に全部違うのには、驚きを通りこして、呆れてしまう。集団だし、聴衆も含めれば、まったく同じ条件になることはありえないわけだから、その条件がそのまま反映されれば、同じショウが二つとないことはむしろ当然ではある。しかし、聴いていると、明らかに違うように演奏しようとしているとわかる。

 意図してこれまでとは違う演奏をしようとすると、ともすればいびつに歪んでしまうものだが、その点でもデッドは不思議なまでに無理がない。公式リリースされた音源に限っているので、当然のことながらどれも演奏の水準は高いわけで、うまくいっているケースばかりではある。リスナー録音も含めて、実際に毎日、毎回聴いていけば、歪みまくった演奏、霊感のかけらもない演奏にも遭遇するだろう。しかし、うまくいったときのデッドの演奏、音楽には、まず無理にやっているところが無いのだ。だから、どんどんと聴いていける。聴いてまったく退屈しない。同じ曲の演奏を次々に聴いていって、飽きないのである。

 アイリッシュなどの伝統音楽では、同じ曲をいろいろなミュージシャンで聞き比べることは醍醐味の一つだ。プレーヤーがある曲を覚える際にも、ベストの方法だろう。デッドの場合、それが違うミュージシャンたちではなく、デッドの中でできてしまう。

 もっともこういう聴き方は、デッドの聴き方としてはあまりいいものとは言えない。デッドの音楽の醍醐味は、1本のショウを、ひとつの話でも読むように、映画の1本を見るように、リニアに聴いてゆくところにある。それもなるべく、一息に、実際のショウと同じように、一晩で聴くところにある。そうすると、各々のショウに固有の流れが見えてきて、その流れのなかで、あらためて個々の曲が活きてくる。そういうコンテクストから外してしまうと、曲の魅力が半減してしまうことが多い。

 それでも、あえてある曲だけを聴き続けていると、それも5つや6つではなく、20とか30とかあるいはそれ以上の数のヴァージョンを聴いてゆくと、そこでようやく見えてくることもある。個々の曲の構造の細かい部分がまずわかってくる。常に同じように演奏される部分と常に変化する部分もわかる。歌詞の言わんとするところがぼんやり感得される。読んだだけでは意味不明のコトバがうたわれるのを何度も聴いていると、感覚として意味が伝わってくる。メロディと詞にしかけられたたくらみが閃くことがある。一つひとつの曲が、カラダの中に入ってくる感じがする。同じ録音を「擦り切れるまで」聴くよりも、少しずつ違う演奏を聴いてゆく方が、カラダの中により深く入ってくる感じがする。

 ひょっとするとその感覚は、リスナーよりも、演奏している側に近いのではないか。演奏している方は、1本のショウとして演っているよりも、常に今演奏しているこの曲を演っているという感覚だろう。次に何をやるのかわからないのだから、ショウ全体の見通しなどたてられるはずはない。むしろ、またこの曲を演っているという感覚ではないか。

 というようなことを考えながら、今日もデッドを聴いている。audiodrug という言葉があるらしいし、デッドといえばドラッグとは縁が深いが、デッドの音楽そのものが、こうして聴いているとドラッグ体験になってくる。

 今日は Cassidy だ。ボブ・ウィアの ACE に収録されているこの曲の録音は1972年の1〜2月。デッドが初めてとりあげるのは、それから2年ほど経った1974年3月23日。以後、1994年10月18日まで335回演奏された。デッドを本格的に聴きだした頃は、この曲はどこがいいのかよくわからなかった。バンドが休止から復帰した後の、1976年、1977年頃の演奏、それもドナ・ガチョーがウィアと並んでリード・ヴォーカルをとっているヴァージョンを聴いてから、だんだん好きになってきた。これはドナがいて初めてできた曲ではないかとすら思ったこともある。実際にはそれはありえないが、一方で、ドナがうたうことで曲としての魅力がはっきりしたということは言えるかもしれない。


 一つ、おことわりがあります。イベントの告知で、デッドの公演数を「2,600本」としているのは実は正確ではありません。ジェリィ・ガルシアの公式サイトの数字によれば、グレイトフル・デッドとしては「2,313本」です。The Warlocks としての10本を足しても「2,323」。この数字は以前から確認しているんですが、なぜか、「2,600」という数字が、頭にこびりついていて、ひょいと出てきてしまいます。

 もっとも、最初期、1965、1966年あたりには、気が向くとサンフランシスコのハイト・アシュベリーからほど近いゴールデンゲート・パークで即席のライヴを頻繁にやっていて、その数は誰にもわからないと言いますから、「2,600」という数字もまったくありえないわけでもなさそうです。(ゆ)


21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」

日時:2017117日(火) 19時開場/1930分開演

会場:風知空知(下北沢駅南口徒歩3分)

出演:ピーター・バラカン×おおしまゆたか

料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 500円)

予約:yoyaku●fu-chi-ku-chi.jp までメールで、

イヴェント名、お名前、枚数、ご連絡先電話番号を明記の上、

お申し込みください。 アルテスパブリッシング

info@artespublishing.com でも承ります。

【ご注意】

整理番号はありません。当日は先着順でご入場いただきます。

ご入場は建物1F右奥のエレベーターをご利用ください。

 グレイトフル・デッドをただ聴いているだけではがまんできなくなり、ヴェテランのデッドヘッドであるバラカンさんを巻き込み、アルテスの鈴木さんを口説いて、こんな企画を立ち上げてみたものの、いざ実行となると、あらためてエライこっちゃと慌てているのが現状。

 まあね、50を過ぎてデッドにハマったファン(あえて「デッドヘッド」とは申しません)から見ると、わが国の今のグレイトフル・デッドの評価やイメージはあまりに貧弱ないし的外れに見える。デッドの録音としてボブ・ウィアの《ACE》が最高とか言われると、ちょっと待ってよと言いたくなるのです。

 一方で、昔からのデッドヘッドの一部にある見方、60年代を知らなければ、とか、実際のライヴを体験しなければデッドはわからん、というのもまた偏ってるよなあ、と思う。

 まあ、とにかく、先入観とか、固定観念とか一度とっぱらって、デッドの音楽に、ライヴの音源に耳を傾むけてみましょうよ、それも1970年代や80年代を聴いてみましょうよ、という趣旨ではあります。

 20世紀もいろいろ大変だったわけだけど、21世紀はもっと大変な時代になっていて、たぶんもっともっと大変な時代になってゆくだろうと思われる。マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパ、それにおそらくはデューク・エリントンと並んで、20世紀アメリカの産んだ最高最大の音楽のひとつであるグレイトフル・デッドの音楽は、その21世紀を生き延びてゆくよすがの一つになるんじゃないか。音楽に「役割」があるとすれば、サヴァイヴァルのためのツールというのが第一と思う。

 ということで、11/07、風知空知@下北沢へどうぞ。(ゆ)

「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」
日時:2017年11月7日(火) 19時開場/19時30分開演
会場:風知空知(下北沢駅南口徒歩3分)
出演:ピーター・バラカン×おおしまゆたか
料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 500円)
予約:yoyaku●fu-chi-ku-chi.jp までメールで、
イヴェント名、お名前、枚数、ご連絡先電話番号を明記の上、
お申し込みください。 ※アルテスパブリッシング
info@artespublishing.com でも承ります。
【ご注意】
整理番号はありません。当日は先着順でご入場いただきます。
ご入場は建物1F右奥のエレベーターをご利用ください。

 Facebook には書きましたが、ここは今、Facebook と連動していないので、おおしまの個人的な宣伝をさせてください。

 2つあります。一つはシンコーミュージックのムック『フェアポート・コンヴェンション』に寄稿しました。アシュリー・ハッチングス関係とフェアポートのアルバム解説の一部です。世界で初めて活字になったものなど、インタヴューがたくさん収録されているので、買って損はないでしょう。


 これを書くために久しぶりにあれこれ関連のを聴きなおしたり、新たに買って(ギャラよりた〜か〜い資料代)聴いたりしましたが、やはり偉い連中だとの想いを新たにしました。〈Tam Lin〉や〈Matty Groves〉はバラッドを現代にどう歌うかのお手本として、リスナーはもちろん、歌ったり演ったりする方にとっても大いに参考になると思うし、〈Flatback Capers〉でのホーンパイプの処理は、躍動感にあふれることではいまだにこれを超えるものは無いんじゃないか。これをロック・バンドがやったというのは凄いことだけど、あるいはロック・バンドだからできたのかもしれません。といって、並のロック・バンド、たとえばゼペリンには到底不可能なことも確かで、これ1曲でフェアポートは現代音楽の歴史に名を刻んだといってもいい。

 それにしてもサンディ・デニー。ルーカスがもう少ししっかりしていたら、とどうしても思ってしまいます。あるいは他に男はいなかったのか。いや、たぶん、もの凄く手のかかる人間だったろうことは推測もつきますがね。生き延びてさえしていたら……。

 もう一つは以前訳した『ギネスの哲学』の電子版が出ました。


ギネスの哲学 ― 地域を愛し、世界から愛される企業の250年
スティーヴン・マンスフィールド
英治出版
2017-10-06



 皆さま大好きなギネスの歴史ですけど、あたしが言うのもなんですが、面白いです。ギネスって、今は合併ででかくなっちゃってますけど、20世紀半ばまで家族企業で、しかも事実上「ギネス」という唯一の商品しか売っていない。それで世界企業になっちゃった。なんで? とは誰しも思うところでしょう。他のものは、ビールとかスタウトとかの銘柄の一つですが、ギネスだけはギネス。これも不思議。

 それとアイルランドの酒なんだけど、大英帝国の飲物にもなっちまった。帝国の端っこのヒマラヤの麓でギネスの壜をみつけて「故郷の味」だと大喜びするイギリス人の話も出てきます。ギネス家はもちろんプロテスタントですけど、ギネスはアイルランドでもブリテンでも、信仰に関係なく、好まれた。これまた不思議。

 それだけでなく、この会社はただ金が儲かりさえすりゃいい、という近頃の風潮とは無縁で、稼いだカネをどう使うかという点でも実に先進的。というよりも、カネってこういう風に使うために稼ぐんだよな、と思わされる。あるいは、儲けたカネの使い方のお手本、というべきか。カネというのは、儲けるだけでは人間をダメにする。儲けたカネはこうして世界をベターにするために、みんなが暮らしやすくなるように使って初めて儲ける意義があるのだとわかります。こういう本を読んでから呑むとギネスは一層旨くなるのですよ。

 もう過ぎちゃいましたが9月24日はギネス創業者のアーサー・ギネスの誕生日で、毎年、世界中のギネスを売ってる店ではお祝いがあるらしい。今年はギネスの醸造最高責任者が来日して、いろいろ実演するらしいです。この本もそれを祝って期間限定で3割引きになってます。どうぞ、買うてくだされ。年越しできるかどうかがそれにかかってます。年越しできないと、来年3月の「アイリッシュ・フィドル講座」もできない。どうぞ、よしなに。

 宣伝ばかりではつまらないので、こちらをどうぞ。(ゆ)


 音楽について書くことの参考になればという下心から読んだのだが、期待した以上に面白い。この本にはいろいろな版があるが、読んだのは市立図書館にあった双葉文庫版。この版の後に The Cellar Door Sessions も出ていて、あたしはこれが一番好きなので、これについて著者が何を言っているかはちと気になる。

 マイルスは一通りは聴いた。これも市立図書館に、幸いなことに初期からめぼしいものは揃っていて、最後は Dark Magus。パンゲアとアガルタは買ってもっている。この二つは出た当時、ミュージック・ライフにもでかでかと広告が出ていたのが印象に残っている。当初は「パンゲアの刻印」「アガルタの凱歌」というタイトルで、広告の中では「刻印」「凱歌」の方が遙かに活字が大きかった。いつのまにか、この二つが落ちてしまったのは惜しい気もする。ニフティサーブの会議室で教えられて、プラグド・ニッケルのボックスも、ちゃんと輸入盤を買っていた。

 聴いたなかで好きなのは上記セラー・ドアとダーク・メイガス。そしてスペインの印象。復帰後はまったく聴いておらず、本書を読んで、やはり一度は聴かなあかんなあ、と思いだした。

 マイルスは一通りは聴いたものの、ザッパやデッドのように、はまりこむまではいっていない。アコースティック時代はプラグド・ニッケルも含めて、ピンとこなかった。セラー・ドアでも一番気に入っているのはキース・ジャレットとジャック・ディジョネット。ジャレットはこんな演奏はこの時でしか聴けないし、ディジョネットはスペシャル・エディションも好きだけれど、このバンドでの演奏はやはりピークだ。

 ダーク・メイガスはなぜかアガ・パンの後と思いこんでいたのだが、本書によると前になる。やはり、この昏さがアガ・パンよりも胸に響いた。終盤、失速するようにぼくには聞えるアガ・パンよりも、最後まで疾走しつづけるところもよい。

 マイルスのトランペットの音も、印象に残っていない。うまいと思ったこともないのは、「ジャズ耳」がぼくには無いということか。ぼくにとってのマイルスは優れたプレーヤーというよりも、バンド・リーダー、ミュージック・メイカーで、むしろクインシー・ジョーンズに近い。ジョーンズよりは現場で、自ら引っぱってゆくのが違う。

 ということで読みだして、いや、蒙を啓かれました。著者はぼくに近いところからマイルスを聴きはじめて、アコースティック時代の勘所もちゃんと聞き取っている。ロックも幅広く聴いている。ルーツ・ミュージックはそれほどでもないようだが、こういう広い耳を養いたい。器用というのではない、それぞれの勘所をちゃんと聞き取る柔軟性と、その上で取捨選択をする度胸を兼ね備えたい。後者はおのれの感性への信頼と言い換えてもいい。

 とはいえ、著者やぼくのように、ジャズよりもロックを先に聴いていて、そちらが青春という人間の耳には、エレクトリック時代の方がピンとくるのだろう。ジャム・セッションが嫌いと言い切る著者の耳は、ジャズが青春だった人びとの耳とは異なる。

 ジャズの定型のソロまわしは、ぼくも嫌いだ。回す楽器の順番まで決まっているのもヘンだ。あれをやられると、どんなに良いソロを演っていても、耳がそっぽを向く。似たことはブルーグラスでもあって、ブルーグラスが苦手なのはそのせいもある。そうすると、あのソロの廻しはアメリカの産物、極限までいっている個人主義の現れとも見える。ジャズのスモール・コンボは、ビッグバンドが経済的に合わなくなって生まれた、とものの本には出ているが、それだけではないだろう。オレがオレがの人間が増えたのだ。同時にそれを面白いと思う人間も増えたのだ。アンサンブルよりも、個人芸を聴きたいという人間が増えたのだ。クラシックでも第二次世界大戦後、指揮者がクローズアップされるようになる。オーディオ、はじめはハイファイと呼ばれた一群の商品の発達も、同じ傾向の現れとみえる。

 その点ではグレイトフル・デッド、それにおそらくはデューク・エリントン楽団は、集団芸であるのは面白い。エリントンを好む人たちのことは知らないが、デッドヘッドは自分だけが楽しむのでは面白くない人たちでもあった。

 マイルスはオレがオレがの人だったことは、本書にも繰り返し出てくる。面白いのは、オレを通そうとして、集団芸にいたるところだ。ザッパの場合、集団芸から出発して、最終的に個人芸を極める。後期になるほど、そのバンドは、ジョージ・セルにとってのクリーヴランド、バーンスタインにとってのニューヨーク、ワルターにとってのコロンビアに似てくる。マイルスとバンドとの関係は、それとは異なる。と本書を読んでいると思えてくる。

 マイルス本人の意識としては集団芸を追求しているつもりはたぶん無かったであろう。しかし、その方法は、自分はバンドの上に立って指揮統率し、一個の楽器としてこれを操って目指す音楽を実現しようとする、というよりは、自分もメンバーとなったバンド全体から生まれる音楽がどうなるか、試しつづけた、と本書を読むと思える。

 マイルスとしては、いろいろなメンバーで、あれこれ試す、ライヴをやったり、スタジオに入ったりして、試してみるのが何よりも面白い。それを商品に仕立てるのはどうでもいい、とまでは思っていなかったとしても、めんどくさい、テオ、おまえに任せた、とは思っていただろう。

 ザッパは商品に仕立てるところまで自分でやらないと気がすまなかった。デッドはマイルス同様、商品を作るのはめんどくさいが、しぶしぶやっていた。他人に任せても思わしい結果が出ない。つまり、デッドはテオ・マセロに恵まれなかったし、そういう人間は寄りつかなかった。それにとにかく演奏することを好んだ。

 マイルスもライヴは好きだっただろう。ただ、スタジオで、好きなように中断したり、やりなおしたり、組合せを変えてみたり、という実験も同じくらい好きだった。ライヴで試してみることと、スタジオで試してみることはそれぞれにメリット、デメリットがあり、出てくるものも異なる。その両方をマイルスは利用した。

 そのことはどうやら最初期から変わっていない。パーカーのバンドのメンバーとして臨んだ時から、モー・ビーとのセッションまで、一巻している。

 デッドは幸か不幸か、サード、Aoxomoxoa を作った体験がトラウマになったのではないか。そのために、それ以前から備えていたライヴ志向が格段に強化され、ライヴ演奏にのめり込んでいったようにみえる。

 それにしても著者の断言は快感だ。のっけからマイルス以外聴く必要はないと断言されると、あたしなどはたちまちへへーと平伏してしまう。もちろん、そんなことはない。ザッパもエリントンも聴かねばならない(ジャズを聴くんだったらモンクとミンガスも聴かねばなるまい)。デッドはもっと聴かねばならない。しかし、一度断言することもまた必要だ。そこで生まれる快感から、人の感性は動きだすからだ。

 そしてとにかくまず聴いてナンボだということ。本書全体がマイルスを聴かせるための仕掛けなのだが、その前に著者がまず徹底的に聴いている。ここに書いてあることに膝を叩いて喜ぶにせよ、拳を振り上げるにせよ、著者がマイルスをとことん聴いていることは否定できない。たぶん、著者は何よりもその報告をしたかった。聴いてみたことの記録を残したかったのだ。ここまで聴いて初めて、何かを聴きましたと言えるのだ、と言いたかったのだ。モノを言うのは聴いてからにしろ。タイトルは『聴け!』だが、内実は『聴いたぞ!』だ。『おまえは聴いたのか?』だ。

 もちろん、いつ何時でもそんな風に聴かねばならないわけではない。ユーロピアン・ジャズ・トリオの代わりに、In A Silent Way を日曜のブランチのBGMにしたっていい。オン・ザ・コーナーをイヤフォンで聴きながら、原宿を散歩したっていい。ただ、本書のような聴き方をすることが、マイルスの音楽には可能であることは、頭の隅に置いておくことだ。そうすれば、マイルスの音楽はそれぞれのシチュエーションにより合うように、その体験をより楽しめるようになるはずだ。

 これはマイルスの音楽の聴き方であって、同じ聴き方がザッパやエリントンやデッドにもあてはまるわけではない。何よりも音楽の成り立ち方が異なる。それぞれにふさわしい聴き方を編み出してゆく必要がある。というよりも、それを見つけることこそが、音楽を聴くということなのだ。バッハとモーツァルトでは聴き方を変えねばならない。ビートルズとストーンズでは聴き方は違う。ふさわしい聴き方を見つけるためにはとにかくとことん聴かねばならない。そもそもマイルスの音楽が自分に合うかどうかすら、聴いてみなければわからない。

 「ついでにいえば、ぼくはこうしたムチャクチャな商売のやりかた、2度買い3度買いさせて反省の色もない業界の強引なやりかたこそがファン激減の最大要因と考えている」(11pp.)

 音楽を真剣に聴く人間が激減している最大要因もそこにあるとあたしも考える。その背後には著作権への勘違いないし濫用がある。とはいえ、悪いのは「業界」ばかりではない。

 「つけ加えれば、ジャケットが紙になろうが、オトが良くなろうが、音楽を最深部で捉えていれば、“感動”の大きさに変化はないとうことを知るべし」(12pp.)

 つまり、そのことを知らない人間、音楽を聴くのではなく、所有することで満足する人間が多すぎる。ジャケットが紙になったから、オトが少し良くなったからと、同じ音源を2度買い3度買いする人間がいるから、業界もそれを商売のネタにする。できる。

 音楽はそれが入っている媒体を所有するだけでは、文字どおりの死蔵なのだ。紙の本は所有するだけで読まなくても、そこから滲みでるものがある。音楽は、レコードやファイルをいくら所有しても、何も滲みでてはこない。紙の本を読むためには、そのためのハードウェアは要らない。しかし、音楽を聴くには、演奏してもらう場合のミュージシャンも含めて、そのためのハードウェアがいる。楽譜を読めたとしても、聴くのとは異なるし、すべての音楽が楽譜にできるわけでもない。

 そう見るとデジタル本をいくら持っていても、滲みでてくるものは無いなあ。

 漱石全集のように断簡零墨まで集めた全集を読破することで読書力は飛躍的に高まる。骨董品の鑑定力を身につけるためには、良いもの、ホンモノをできるだけ多く見るしかない。音楽もまた、一個の偉大なアーティストを徹底的に聴くことで、聴く力が養われる。音楽をとことん聴くこと、聴いたことを表現することにおいて、これは一つの到達点だ。ここをめざすつもりはないが、この姿勢は見習いたい。(ゆ)

 冷静に見ると、このバンドは tipsipuca + のギターが中村さんから河村博司さんに変わっただけなのだが、初めてこの編成でやると聞いたときにすでにまったく別のバンドという印象を受けたのだった。どういうことになるのか、まるで予想がつかなかった。この日のライヴが楽しみだったのも、そこである。どうなるか、わからない。そこが面白い。だから、ちょうど同じ時刻に、しかもすぐ近くでジョンジョンフェスティバルやザッハトルテがやると聞いても、乗り換えようなどとは思わなかった。いささか乱暴かもしれないが、あちらはどういうことになるか、だいたい予想はつく。もちろん行けば新たな体験ができるだろうし、思わぬことも起きるだろう。しかし、それでもまず「想定の範囲内」でもあろう。こちらはとにかく、お先真っ暗なのだ。あたしは生来「新しもの好き」なのだ。

 そしてその期待はみごとに応えられた。それとも、裏切られた、とこの場合言うべきだろうか。つい先日のホメリでのビール祭りも新たな生命体の誕生に立ち合えたのだが、ここでもまたひとつ、新しいバンドが誕生していた。その両方に熊谷さんがいるというのも偶然ではないだろう。

 河村さんが入ることはいろいろな意味で面白い。まず、メンバーの年齢の幅が大きくなる。伝統音楽では年齡の違う人たちが一緒にやることは普通だ。マイコー・ラッセルとシャロン・シャノンとか、ジョー・ホームズ&レン・グレアムとか、ダーヴィッシュとか、わが国の内藤希花&城田じゅんじとか、最近では Ushers Island とかがすぐに思い浮かぶ。年齡が違うというのは、体験が異なる。すると音楽も違ってくる。違う音楽が混ざりあうのは「異種交配」のひとつの形であり、「混血」は美しくなるものだ。熊谷さんも言っていたが、同じビートを刻んでも、ギターの音が違ってくる。

 たとえばリールやホーンパイプでも、きゃめるの時よりもわずかにゆっくりのテンポで、メロディの面白さが引き立つ。河村さんのギターの刻みによるのだろう。

 〈Growing〉についてのMCで熊谷さんが、この曲を tipsipuca + でやるときは、米や麦の芽が出てすくすくと育ってゆくイメージなのだが、キタカラでやると、すでに育ってわさわさと茂っている感じになる、というのは、河村さんと中村さんのギターの違いを言いあてて妙だった。

 河村さんはずっとロックをやってきた一方で、ドーナル・ラニィたちとの共演も体験している。アイリッシュのコアと最先端を両方同時に体験している。今盛りのわが国アイリッシュ・シーンで活躍している人たちでもなかなかできない。年の違いはこういうところにも出る。

 河村さんが加わるもう一つの成果は曲、レパートリィも拡がることだ。河村さんのオリジナルもよかったし、なんといっても、アンコールの〈満月の夕〉はこういう組合せで初めて出てくるものだろう。それにしても河村さんのヴォーカルは初めて聴いたが、みごとなものだ。グレイトフル・デッドがジェリィ・ガルシアとボブ・ウィアの二人のシンガーによってレパートリィを多様化していたように、SFUでもやれたのではないかと妄想してしまう。

 〈満月の夕〉では熊谷さんも達者なヴォーカルを披露した。ケルト系のすぐれた打楽器奏者はほとんどうたわないが、熊谷さんは、カレン・カーペンターとは言わないが、レヴォン・ヘルムになれるかもしれない。

 このバンドは、だから三つの、それぞれに出自の異なる音楽が一緒にやることで生まれる相乗効果を狙っていて、それはまず120%目標を果たしていた。高梨さんと酒井さんの演奏も、明らかにきゃめるや tipsipuca + の時とは違う。それが最も良く出ていたのは、後半の〈ナイトバザール〉、そしてアンコール前の〈The Mouth of the Tobique〉メドレーだ。後者は演奏は「めちゃめちゃ」だったが、それはそれは楽しかった。

 この日の予想のつかなさの最たるものは、けれども、もう一人のゲストだった。SFUとかつて同じ音楽事務所に所属していて、河村さんが録音について教えたという縁と、酒井さんの幼馴染でもあるという二重の縁による Azumahitomi さんである。あたしは名前を聞くのも初めてだったが、そちらの方面では名の通った方だそうだ。Azuma さんはシンガーとしての参加で、彼女がうたった〈サリー・ガーデン〉が最大のハイライトだった。ゲストとして呼ばれて序奏が始まって、あー、またこれかよ、と内心覚悟したのだが、うたいだした途端、思わず坐りなおした。後で聞けば、この曲はメジャー・デビューしたアニメのテーマ曲の「B面」だったそうで、うたいこんでもいるのだ。このうたを小細工もなく、真向正面からうたわれて、こんなに感動したことは初めてだ。正直、今さらこのうたでこんなに感動するとは思わなかった。

 Azuma さんのうたは後半の〈ダニー・ボーイ〉も、彼女のオリジナルもすべてすばらしかった。宅録の第一人者とのことだが、この人はまず第一級のうたい手だ。バンドの演奏も単なるバック・バンドではない。〈サリー・ガーデン〉では、間奏で酒井さんがメロディをぐんと低い音域で弾いたのも絶妙だった。こうなると、キタカラもカルテットのみならず、リード・シンガーを入れたクィンテットというのもいいのではないかと思えてくる。少なくともあたしとしてはその形を見たし、聴きたい。

 この日は三つの音楽の流れのファンが集っていたようで、それぞれのファンが互いに他のミュージシャンたちのファンになっていたようだ。「異種交配」にはそういう効果もある。

 キタカラにはぜひぜひ続けて、いずれは録音も出していただきたい。そしてこういう試みが、他でも現れてくれることを期待する。(ゆ)

 ボックス・セットのトラック・リストと各CDのタイムをリストアップしておく。各ショウの後の時間は合計時間。


Show 01 of 16: 2015-09-15, The Southland Ballroom, Raleigh, NC 1:41:46
Disc 1 61:39
1. Flood
2. Bent Nails
3. Kite
4. Young Stuff

Disc 2 40:07
5. Tio Macaco
6. Little Wing; Superstition
7. Lingus


Show 02 of 16: 2015/09-24, Royce Hall, Los Angeles, CA 1:25:30
Disc 1 61:53
1. Flood
2. Binky
3. Bent Nails
4. Kite

Disc 2 23:37
5. What About Me?
6. Shofukan
7. Sleeper


Show 03 of 16: 2015-10-05, O2 Academy Bristol, Bristol, UK 1:42:24
Disc 1 61:15
1. Bent Nalis
2. Outliner
3. 34 Klezma
4. Flood
5. Sharktank

Disc 2 41:09
6. Thing of Gold
7. Young Stuff
8. Quarter Master
9. What About Me?


Show 04 of 16: 2015-10-06, Hammersmith Apollo, London 1:43:25
Disc 1 68:03
1. Strawman
2. Flood
3. Bent Nalis
4. What About Me?
5. Thing of Gold

Disc 2 35:32
6. Tio Macaco
7. Lingus
8. Shofukan
9. Quarter Master


Show 05 of 16: 2015-10-08, L'Obseratoire, Cergy, France 1:44:24
Disc 1 73:09
1. Intelligent Design
2. Skate U
3. Whitecap
4. Kite

Disc 2 31:15
5. What About Me?
6. Quarter Master
7. Ready Wednesday
8. Lingus


Show 06 of 16: 2015-10-13, Theatre Municipal, Tourcoing, France 1:55:21
Disc 1 65:26
1. Bring Us The Bright
2. 34 Klezma
3. Bent Nalis
4. Flood
5. Thing of Gold

Disc 2 49:55
6. What About Me?
7. Ready Wednesday
8. Shofukan
9. Quarter Master


Show 07 of 16: 2015-10-16, Tivoli Vredenburg, Utrecht, Netherlands 1:42:53
Disc 1 63:03
1. Shofukan
2. What About Me?
3. Sleeper
4. Kite
5. Outliner

Disc 2 39:50
6. Tio Macaco
7. Lingus
8. Quarter Master
9. Groove (Quarter Master)


Show 08 of 16: 2015-10-18, De Oosterport, Groningen, Netherlands 1:40:40
Disc 1 71:02
1. Binky
2. Skate U
3. What About Me?
4. Thing of Gold

Disc 2 29:38
5. Tio Macaco 13:19
6. Ready Wednesday 17:04
7. Lingus 12:24


Show 09 of 16: 2015-10-21, Palladium, Warsaw 1:41:17
Disc 1 58:40
1. Bent Nalis
2. 34 Klezma
3. Skate U
4. What About Me?
5. Young Stuff

Disc 2 42:37
6. Tio Macaco
7. Sleeper
8. Quarter Master
9. Shofukan
10. Ready Wednesday


Show 10 of 16: 2015-10-26, WUK, Vienna 1:59:52
Disc 1 57:37
01. Whitecap
02. Skate U
03. Bent Nails
04. Go
05. 34 Klezma
06. Thing of Gold

Disc 2 62:15
07. Tio Macaco
08. Young Stuff
09. Shofukar
10. Ready Wednesday
11. What About Me?


Show 11 of 16: 2015-10-31, Schlachtof, Bremen, Germany 1:55:18
Disc 1 53:04
01. Sharktank
02. 34 Klezma
03. Go
04. Skate U
05. Bent Nalis

Disc 2 62:14
06. Whitecap
07. Sleeper 13:11
08. What About Me?
09. Shofukan
10. Lingus


Show 12 of 16: 2015-11-07, Nasjonal Jazzscene, Oslo, Norway (late show) 1:48:41
Disc 1 52:56
1. Flood
2. Bent Nails
3. Go
4. Binky

Disc 2 55:45
5. Sharktank
6. Shofukan
7. Quarter Master
8. Lingus


Show 13 of 16: 2015-11-08, La Cigale, Paris 1:42:04
Disc 1 44:29
1. Whitecap
2. Celebrity
3. Kite
4. Outliner
5. Go

Disc 2 57:35
6. Binky
7. Tio Macaco
8. Sleeper
9. Shofukan


Show 14 of 16: 2015-11-09, CRR Concert Hall, Istanbul 1:38:37
Disc 1 46:04
1. Kite
2. Bent Nails
3. Binky
4. What About Me?

Disc 2 52:33
5. Thing of Gold
6. Tio Macaco
7. Ready Wednesday
8. Shofukan


Show 15 of 16: 2015-11-15, Niceto Club, Buenos Aires 1:54:31
Disc 1 51:02
01. Flood
02. Skate U
03. 34 Klezma
04. Kite
05. What About Me?

Disc 2 63:29
06. Thing of Gold
07. Tio Macaco
08. Shofukan
09. Lingus


Show 16 of 16: 2015-11-16, Teatro Nescafe de Las Artes, Santiago, Chile 1:46:07
Disc 1 49:39
1. Flood
2. Outliner
3. Binky
4. What About Me?
5. Young Stuff

Disc 2 56:28
6. Tio Macaco
7. Sleeper
8. Lingus
9. Shofukan


 ついでにこの時のツアーでダウンロードで買えるライヴのリスト。
*をつけたのは上記ボックス・セットに入っているもの。
 
09/12/15 The Historic Scoot Inn, Austin, TX
09/13/15 Howlin' Wolf, New Orleans, LA
09/14/15 Variety Playhouse, Atlanta, GA
09/15/15 Southland Ballroom, Early Show - Raleigh, NC
*09/15/15 Southland Ballroom, Late Show - Raleigh, NC
09/16/15 Ardmore Music Hall, Ardmore, PA
09/17/15 Berklee Performance Center, Boston, MA
09/23/15 Belly Up, Solana Beach, CA
*09/24/15 Royce Hall, Los Angeles, CA
10/01/15 O2 Academy, Leeds, UK
10/02/15 The Ritz, Manchester, UK
10/03/15 O2 Academy ABC, Glasgow, UK
10/04/15 The Institute, Birmingham, UK
*10/05/15 O2 Academy, Bristol, UK
*10/06/15 Hammersmith Apollo, London, UK
10/07/15 Concord 2, Brighton, UK
*10/08/15 L'observatoire, Cergy, FR
10/10/15 Theatre Novarina, Thonon-Les-Bains, FR
10/11/15 Le Rocher de Palmer, Cenon, FR
10/12/15 Le Bikini, Toulouse, FR
*10/13/15 Theatre Municipal, Tourcoing, FR
10/14/15 Ancienne Belgique, Brussels, BE
*10/16/15 Tivoli Vredenburg, Utrecht, NL
10/17/15 Parkstad Limburg, Heerlen, NL
*10/18/15 De Oosterport, Groningen, NL
10/20/15 Eskulap, Poznan, PL
*10/21/15 Palladium, Warsaw, PL
10/22/15 CSJF, Prevov, CZ
10/23/15 Jazz Days Festival, Bratislava, SK
10/24/15 Jazz Days Festival, Žilina, SK
*10/26/15 WUK , Vienna, AUT
10/27/15 Alte Feuerwache, Mannheim, DE
10/28/15 Im Wizemann, Stuttgard, DE
10/29/15 Ampere, Munchen, DE
10/30/15 Huxley's Neue Welt, Berlin, DE
*10/31/15 Schlachthof, Bremen, DE
11/01/15 Live Music Hall, Koln, DE
11/02/15 Mojo, Hamburg, DE
11/03/15 Fermaten, Herning, DK
11/04/15 Stockholm Konserthuset, Stockholm, SE
11/06/15 Nasjonal Jazz Scene, Early - Oslo, NO
11/06/15 Nasjonal Jazz Scene, Late - Oslo, NO
11/07/15 Nasjonal Jazz Scene, Early - Oslo, NO
*11/07/15 Nasjonal Jazz Scene, Late - Oslo, NO
*11/08/15 La Cigale, Paris, FR
*11/09/15 CRR Konser Salonu, Istanbul, TR
11/13/15 Vivo Rio, Rio de Janeiro, BR
*11/15/15 Niceto Club, Buenos Aires, AR
*11/16/15 Teatro NESCAFE de las Artes, Santiago, CL

 お愉しみを。(ゆ)

 世事にうとくなって、スウォブリックの死去さえ、ひと月以上経ってから知る有様だが、知った以上はひとこと書かないわけにはいかない。

 スウォブリックを初めて聴いたのは、いわゆるケルト系ダンス・チューン、より正確にはアイリッシュのダンス・チューンを初めて聴いたのと同時だった。すなわち、かれが演奏するアイリッシュのダンス・チューンを聴いたのだった。

 バンドはフェアポート・コンヴェンション。録音は1977年に出た《LIVE AT L.A. TROUBADOUR》。いわゆる「フルハウス」フェアポートがその絶頂期にアメリカはロサンゼルスの有名なライヴハウスに出たときのライヴ。この録音は権利関係の問題からか、ついにCDになっていない。

 数年してロサンゼルスに滞在していた時、このライヴハウスに行ってみた。手前がバー、その奥がホールという普通の構造。ホールはかなり細長く、入って右手、長い方の辺に低いステージがある。客席は三階ぶんくらいまであったと記憶する。当時はポスト・パンクの頃で、その時出ていたバンドも1曲2分くらいの、メロディの起伏のほとんどない曲を次々にやっていた。客で来ているらしい若い娘が2人、ステージの前に出て、体をまっすぐに立て、両腕をぴたりと胴につけて細かく跳ねながら、それに合わせて首を左右に高速で振るという、ダンスともいえない動作を曲が演奏されている間ずっとしていた。2人がまったく同じ動作をステージの前、左右に別れてやっているのは、ロボットに見えた。

 フェアポートの《トゥルバドール》を聴いたのはもちろん渋谷のブラックホークで、冒頭のマタックスの「カン、カン」に続いてスウォブリックのファズ・フィドルが弾きだした途端、体に電流が走った。この「カン、カン」からして、アイルランドのケイリ・バンドへのオマージュであり、パロディであると知るのは、遙か後年、そのケイリ・バンドの録音を聴いた時だ。

 ここでフェアポートがやっているのは踊るための音楽ではなくて、聴かせる、聴くための音楽で、松平さんが「一瞬も眼を離せないボクシングの試合」に譬えた、スウォブリック、トンプソン、マタックスのせめぎ合いは、フェアポート自身、空前にして絶後である。それが最高潮に逹するのはB面の〈Mason's Apron〉で、ここでの印象があまりに強いので、この曲は誰のものを聴いてものったりくたりに聞える。

 スウォブリックの最大の功績は、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンをロック・バンドのドライヴで演奏するスタイルを作ったことだ。これと並んで大きいのが、フィドルをロック・バンドのリード楽器にしたことだ。そしてどちらも、スウォブリックを本当の意味で継承する存在はその後出ていない。

 スウォブリックはしかしそれだけの存在ではなかった。次にかれのフィドルが深い刻印をあたしの感性に刻んだのは、サイモン・ニコルとのデュエットで出した《CLOSE TO THE WIND》での〈シーベグ・シーモア〉だった。ニコルのアコースティック・ギターから始まり、スウォブリックのフィドルも生だ。デイヴ・ペッグが途中からベースで加わる。2人に支えられて、スウォブリックは奔放な変奏を重ねる。この曲は演奏者を狂わせる、とかれはどこかで言っている通り、曲を極限まで展開してみせる。《トゥルバドール》とは対極的な静かな狂気だ。やがてペッグが離れ、おちついてゆくのだが、最後の最後にひらめかせる捻りに、あたしはいつも投げとばされて伸びる。来ることはむろんわかっていて、身構えてもいるのだが、いつも投げとばされる。

 この曲には名演も数あるなかで、この演奏はダントツでベストだ。誰に聴かせても、途中から黙りこむ。そしておわると皆一様に溜息をつく。

 もう一つ、スウォブリックのフィドルの冴えに感銘したのは歌伴だ。相手はマーティン・カーシィではない。カーシィとのデュオは文句はつけようがないが、本当の良さがまだあたしにはわからない。たぶん聴き込み不足なのだろう。

 スウォブリックの歌伴のひとつの究極はA・L・ロイドの〈The Two Magicians〉だ。この曲自体、ロイドが様々な版から編集した、ほとんど創作といってよいものだが、これがロイドとスウォブリックの飄逸なうたとフィドルで演奏されると、なんともたまらないおかしみがにじみ出る。解釈のしかたによっては、このうたは今では政治的に正しくないとされかねないが、本来は知恵比べ、一種のゲーム、ユーモアとエスプリをたたえた遊びをうたったものなのだ、とこれを聴くとわかる。スウォブリックのフィドルの軽みはロイドのうたを浮上させ、舞い上がらせ続ける。

 スウォブリックのキャリアのハイライトは他にもたくさんある。晩年の、本人のふんふんという唸り声だけが伴奏のソロ・ライヴもいい。「フルハウス」フェアポートの再編による《SMIDDYBURN》が出たときには狂喜乱舞したし、今でも聴けば興奮する。マーティン・ジェンキンズとの Whippersnapper は目立たないが重要な実験だ。

 録音も多い。全部きちんと聴こうとすれば、残りの人生がつぶれそうだ。フィドルという楽器の可能性がそこに尽くされているとは言わないが、これだけいろいろなフィドルを弾ける人間はまあ一世紀に一人ではないか。かれが数ある楽器のなかから、フィドルをおのれの楽器として選びとったことは人類にとってとても幸せなことだった。そう、かれはフィドルを選びとったのだ。フィドルを含む伝統の中に育ったのではない。だからこそ、あれほど多種多様なフィドルを弾けたのだ。あたしにとって、かれはフィドラーであって、断じてヴァイオリニストではなかった。

 スウォブリックの前にスウォブリック無く、スウォブリックの後にスウォブリックはいない。

 さらば、スウォブ。ありがとう。合掌。(ゆ)

 毎月1回、ユニバーサル・ジャズとディスク・ユニオン新宿ジャズ館の主催で行われる新譜紹介イベント。今月のお題は「鍵盤ジャズ」。

 ユニバーサルが紹介したのはまずチック・コリアと小曽根真のピアノ・デュオ・アルバム。これまでの二人の録音にバラバラに収録されていたデュオのトラックを集め、未発表の即興演奏の録音を加えたもの。初めての二人だけの日本全国ツアーに合わせたものだそうな。ピアノ2台というのはほとんど初体験だけど、悪くない。このあたりはあたしはまだぜんぜん未開拓なので、結構面白いではないですか。

 その次のケニー・バロンのトリオは、うーん、「おジャズ」という感じであたしはパス。BGMになっちゃうのよね。

 面白かったのはその次の2枚、Snarky Puppy の鍵盤奏者二人それぞれのソロ。Bill Laurence《AFTERSUN》はトリオプラス1形式で、ベースとドラムスもスナーキー・パピーのメンバーなので、たぶんSPの音楽をやるのにどこまで編成を小さくできるか、やってみましたというけしきでしょうか。

 Cory Henry の方はこの人の原点にもどって、教会でハモンド B3 を弾きまくったライヴ《THE REVIVAL》。パーカッションが入るトラックもあるそうだが、聴いたのはソロによるゴスペル。いや、楽しい。ハモンドって、音程によって音色が変わるようで、その効果を知り尽くして即興をやる。1台のはずなのに、何台もの違う鍵盤を操っているように聞える。根柢ではビートをしっかりきざんでいて、うーん、こんなのを生で聴かされたら、イスラームのアザーンではないけれど、一緒になって "O Lord!" とか叫んでしまいそうだ。

 Snarky Puppy というバンドは面白い。ジャズ、ロック、ポップスなどなどポピュラー音楽のあらゆるジャンルを横断する音楽をやっているようだ。公式サイトにあるビデオ〈I Asked〉は、ヴェーセンとベッカ・スティーヴンスを組み合わせてすばらしい音楽を作っている。

 これは《FAMILY DINNER 2》の中の1曲で、即注文。

 ヘッドフォン・マニアとしては、このビデオではミュージシャンはもちろん、聴衆も全員ヘッドフォンをつけているのは見逃せない。教会の中で、しかもミュージシャン同士が向かい合って録音するため、PAを使わないようにしたからなのだろうが、あたしも体験してみたい。ヘッドフォンがオーディオ・テクニカ製というのは、何かトクベツの理由があるのか。ATH-M50xBL ですね。こうなると、このモデル、聴いてみたいぞ。BL は限定版ですでに生産完了。まあ、音は変わらないんだろうけど、でもこのブルーとブラウンは綺麗。映像では映えますな。ん、ひょっとして見映えから選んだのか。それにしても、聴衆まで全員かぶらせるとなるとハンパではない台数が必要なはずで、アメリカのオーディオ・テクニカが協力したのかしらんと勘繰ってしまう。

 ユニバーサルからのもう1枚は菊池雅章のラスト・コンサート、2012年10月、上野の文化会館小ホールでのノーPAのソロの ECM からのライヴ盤《BLACK ORPHEUS》。何も申し上げることはございません。へへー。

 ユニオンからはまずアルメニアのティグラン・ハマシアンの先輩ピアニスト、Vardan Ovsepian がブラジルの Tatiana Parra とのユニット Fractal Limit で作った録音《HAND IN HAND》。悪くないです。そのうちアルメニア・ジャズの特集とかできるようになるといいなあ。

 次はイギリスの Greg Foat という鍵盤奏者のバンドの《CITYSCAPE/LANDSCAPE》。Go Go Penguins もそうだけど、このあたりの英国ジャズも面白い。まとめて聴いてみたいな。

 喜んで即購入してしまったのはその次の2枚で、まずスイスの Stefan Rusconi のトリオにフレッド・フリスが参加した《LIVE IN EUROPE》。ピアノ・トリオはフリスに似合う器量で、フリスも大喜びというところ。アヴァンギャルドの比率がちょうどいい。整った部分とすっ飛んでいる部分がきっちり別れていないで、混じり合っている、その具合がちょうどいい。

 もう1枚はスペインの Naima  の《BYE》で、Enrique Ruis を核としたトリオ。Rafael Ramos のドラムスの切れ味がいいのと、Louis Torregrosa のベースが凄い。チェロを通りこしてほとんどヴィオラか。Afrodisian Orchestra とか Jorge Pardo とかのスペイン風味はあまりというかほとんどないけど、これだけ面白ければ文句はないです。

 もう1枚は Jamie Saft 率いる New Zion Trio にブラジルの Cyro Baptista と Saft の奥さんが参加した《SUNSHINE SEAS》。レゲエ/ダブとジャズとの融合、だそうですが、あたしにははずれ。

 今回も面白かったです。ユニバーサル、ユニオンの皆様、ご苦労様でした。ありがとうございます。また来月も楽しみです。来月は 06/08、お題は「ECM とその周辺、その2」。なんでも世界初お目見え先行披露音源があるそうな。(ゆ)

 今年の 30 Days of Dead が全曲公開されて、ダウンロードできる。

 今年は最古が1966年3月25日、最新が1994年10月13日。おまけに1994年からの録音が3曲も入っている。

 つまり、この30曲合計4時間47分53秒を聞けば、1966年から1994年までのデッドの歴史をライヴ音源で追えるわけだ。しかも無料。

 録音年月日順のリストを掲げておく。先頭の番号は配信された日付。

22 You Don’t Have to Ask 06:45 1966-03-25, Troupers Hall, Los Angeles, CA
17 St. Stephen 03:49 1968-10-12 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
07 Dark Star 22:17 1969-04-20, Clark University, Worcester, MA
15 New Potato Caboose 13:20 1969-06-08, Fillmore West, San Francisco
25 Operator 02:33 1970-09-18, Fillmore East, NY, NY
03 Comes a Time 08:12 1971-10-30 Taft Auditorium, Cincinnati, OH
28 Box of Rain 05:10 1972-12-31, Winterland Arena, San Francisco, CA
08 China Cat Sunflower> I Know You Rider 12:40 1973-03-16, Nassau Veteran Memorial Coliseum, Uniondale, NY
16 The Other One> Jam> I Know You Rider 25:27 1973-03-31, War Memorial, Buffalo, NY
24 Black Throated Wind 06:25 1973-10-23, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
23 China Doll 05:26 1974-06-23, Jai-Alai Fronton, Miami, FL
11 Uncle John’s Band> U. S. Blues 13:18 1974-07-25, International Amphitheatre, Chicago
02 Crazy Fingers 15:03 1976-07-13 Orpheum Theatre, San Francisco
04 Estimated Prophet 08:43 1977-05-04, The Palladium, NY
30 Uncle John’s Band 10:16 1977-09-29, Paramount Theatre, Seattle, WA
01 Sunrise 04:06 1977-11-02 Field House, Seneca College, Toront, ON, Canada
09 The Music Never Stopped 08:55 1978-05-07, Field House, Rensselar Polytechnic Institute, Troy, NY
19 Ship of Fools 07:30 1978-07-08, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
13 Lost Sailor> Saint Of Circumstance 12:21 1979-10-31, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
10 He's Gone> Jam 22:57 1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago
26 Althea 07:58 1982-09-09, Saenger Theatre, Los Angeles
21 Far from Me 04:11 1983-04-13, Patrick Gymnasium, University of Vermont, Burlington, VT
14 My Brother Esau 05:26 1984-04-14, Coliseum, Hampton, VA
06 Feel Like a Stranger 09:16 1986-04-19, Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
18 Blow Away 08:43 1989-05-27, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA
12 Foolish Heart 10:18 1989-07-10, Giants Stadium, East Rutherford, NJ
27 They Love Each Other 07:14 1990-07-19, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
20 Hell in a Bucket 06:39 1994-06-26, Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
29 Lazy River Road 06:37 1994-07-31, The Palace, Auburn Hills, MI
05 Dupree's Diamond Blues 06:18 1994-10-13, Madison Square Garden, NY

 お楽しみを。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの結成50周年記念ボックスセット 30 TRIPS AROUND THE SUN の出荷が始まったよ、という通知が来てほどなく現物がやって来た。発送したらトラッキング・ナンバーも知らせるということだったが、通知もなく、いきなりモノが DHL でやってきた。輸入消費税をとられた。

30TATS outbox 2

30TATS inbox
 

 ひと通り開封し、スクロールで番号を確認してから、本をとりだす。電子版も買ってしまったら、本の PDF がダウンロードできたので、ひととおり眼は通していた。

30TATS book
 

 この本は英語書籍のふつうのハードカヴァーの大きい方のサイズ。たぶん人工とおもうが、革装のソフトカヴァーというべきか。糊付け製本ではなく、糸綴じで、背がオープンになっており、ぺたんと開くことができる。全288ページ。

 半分の151ページがニコラス・メリウェザー Nicholas Meriwether による "Shadow Boxing the Apocalypse: An Alternate History of the Grateful Dead。

 反対側が表紙になって135ページの "Dead Heads Tell Their Tales"。

 2つの間にボックスセット全体のクレジットと、バンドの歴代全メンバーの名前と担当がある。

 つまり、2つの本が背中合わせになっている。なので、ぺたんと開けるようになっているのだろう。これはなかなか良い製本で、たいへん読みやすい。

 印刷やレイアウトはしっかりしていて、写真や図版も鮮明。これは PDF ではちょっとかなわない。あちらは拡大するとボケてしまう。

 PDF 版には、これに加えて、デヴィッド・レミュー David Lemieux による "Show Notes"と、ジェス・ジャーノゥ Jesse Jarnow による "Song Chronology"がある。


 "Show Notes" はCD版では個々のショウのCDパッケージに印刷されている。30本の録音のそれぞれについて、リイシュー・プロデューサーのレミューが簡潔に解説する。それぞれの年でその録音を選んだ経緯を述べてから、聴き所をあげる。デッドといえども当然調子の良し悪しはあるわけで、1980年代前半などは選ぶのに苦労しているし、もちろん1975年は大問題だ。この年4回だけおこなわれたコンサートのうち、1回は30分だけ、1回はテープが無く、1回は《ONE FROM THE VAULT》として既に出ている。残りの1回が今回収録されたわけだが、これがリリースの要望も多かった9月28日、ゴールデンゲイト・ブリッジ公園でのフリー・コンサートだ。

One From the Vault
Grateful Dead
Arista
1995-10-24

 

 各年での収録コンサートの選択にあたっては公式に未発表のもののうち、その年を象徴し、ハイライトとなるようなものを選んだということだが、それに加えて、なるべく珍しい選曲、組合せを提供しようともしている。

30TATS CDs


 "Song Chronology" は、スクロール、巻紙に印刷されている。PDF版ではタイトルの下に、演奏された時期とひとことがある。巻紙ではそれぞれが、どのショウで演奏されているかを色分けした表になっている。順番は時系列だ。〈I Know You Rider〉(Trad.)に始まり、〈Childhood's End〉(Lesh)に終る198曲。オリジナルは全て入っているが、カヴァーは一部(19曲)で、ディランやチャック・ベリーは入っていない。

30TATS scroll


 メリウェザーは University of California Santa Cruz の図書館に置かれた Grateful Dead Archives の管理人を勤める。このエッセイの長さは70,000語超。邦訳すれば400字詰原稿用紙換算で700枚以上。300ページの文庫なら優に2冊分。グレイトフル・デッドの歴史を書いた本の中で最も短かいものになり、ライナー・ノートとしてはおそらく史上最長だ。

 1965年から1年毎に1章として、デッドの歴史を書いてゆく。ボックスセットに選ばれている毎年のコンサートのコンテクストを提供することが主眼だ。まずその年を総括し、そして大きな出来事をほぼ時系列で追う。ライヴ本数、レパートリィの曲数、新曲の数などの数字も押える。主なツアーの時期と行き先、リリースされた録音、そしてショウや録音へのメディアの反応を述べる。その際、上記アーカイヴからの資料が、ヴィジュアル、テクスト双方からふんだんに引用される。'60年代、'70年代、'80年代、'90年代について各々イントロがあり、さらに全体の序文と結語がつく。この全体の序文と結語、それにショウについての注記が公式サイトに公開されているが、これはダウンロードしたものよりも拡大されている。

 とりわけ目新しい事実が披露されているわけではないが、従来あまりなかった角度からの分析は新鮮だ。レパートリィの数など具体的に上げられると、あらためて驚かされもする。例えば1977年にデッドが演奏したレパートリィは81曲。これだけでも驚異的だが、1980年代後半には数字はこの倍になる。

 1970年代初めにデッドは精力的に大学をツアーしているが、これによってデッドの音楽に出逢ってファンになった学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成するという指摘は目鱗だった。デッドのメンバーやクルーで大学を出ているのはレッシュくらいだが、デッドの音楽と歌詞に学生たちは夢中になったのだ。

 これで思い出すのは1970年代後半、ある東部の大学でのベニー・グッドマンのコンサートでの話だ。体育館を改装した多目的ホールの会場にやってきたグッドマンは中に3歩入って内部を見渡すと、床に唾を吐いて言った。
 「くそったれ、またファッキン体育館か」
そして回れ右して出てゆき、客電が落とされる5分前までもどってこなかった。ちなみにまだシットとかファッキンとかまともに印刷できなかった頃で、グッドマンのような大物の口からこういう言葉が出たことに聞いた方は驚いている。この時の演奏はなかなかご機嫌なものではあるが、目立つのは女性ヴォーカルの方で、グッドマンの存在感はあまりない。

 むろん、デッドとグッドマンでは、天の時も地の利もまるで違うから、同列には論じられないが、2つの世代の交錯がぼくには象徴的に見える。

 メリウェザーが繰り返して描くのは、デッドの音楽がうみだす共同体生成とヒーリングの効果である。内外からかかる圧力やそこから生まれる軋轢、様々な障碍も音楽が帳消しにし、乗り越えることを可能にしてゆくその作用だ。

 最も印象的なシーンのひとつは1995年3月オークランドのスペクトラムでの3日連続公演の3日め、ファースト・セットの最後に突如、録音から20年ぶりに〈Unbroken Chain〉が初めてステージで演奏されたところだ。デッドヘッドの unofficial anthem になっていたこの曲がついに目の前で演奏されるのを見た聴衆の歓声は演奏を掻き消すほどだった。その瞬間がデッド体験最高のハイライトになったファンも多かった。

 ちなみに、これはレシュの息子のリクエストによるそうだ。

 そして7月9日の最後のコンサート。ぼろぼろになりながら、なお持てる力をすべて絞り出して〈So Many Roads〉をうたうガルシアの姿。スピリチュアルな響きさえ湛えたその姿は聴衆だけでなく、バンド仲間をも動かし、レシュはガルシアがアンコールとした〈Black Muddy River〉の絶望と諦観の余韻を〈Box of Rain〉の希望と決意へ拾いあげる。この一節はメリウェザーの力業=トゥル・ド・フォースだ。

 グレイトフル・デッドとしてのこの最後の演奏の録音は、ボックスの蓋に収められた7インチ・シングルのB面にカットされている。A面に入っているのは、1965年11月、The Emergency Crew として録音した最初の録音のうちの〈Caution〉、その時の録音したもののうち唯一のオリジナル曲だ。

 メリウェザーが提供するパースペクティヴに映しだされるデッドの歩みは、こういう現象が30年にわたって続いたことは奇蹟以外のなにものでもないと思えてくる。そしてその余沢をぼくらも受けているわけで、これからも受ける人は増えこそすれ、減りはしないのではないか。


 "Dead Heads Tell Their Tales" は50周年を記念して募集したデッドヘッドからの手紙を集める。初めてのライヴの体験、デッドヘッド同士の交歓、自分にとってデッドとは何か、ささやかなエピソードから深淵なコメントまで、ほんのひと言から、1,000語(四百字詰め原稿用紙換算約10枚)以上の長文まで、語り口も内容も実に様々だ。

 ぼくとしては、この部分を最も興味ぶかく読んだ。デッドヘッドとその世界がどういうものか。ひいてはデッドが生み出した世界がアメリカにおいてどういう位置にあり、いかなる役割を担ってきたか。ごく断片的で表層的ではあれ、初めて現実感と説得力をもって伝わってきたからだ。

 書き手もまことに多種多様。The Warlocks 時代からのファンもいれば、ガルシア死後の若いファンもいる。ヨーロッパから遠く憧れつづけた人たち、同時代に生き、しかもスタジオ録音は全部聞き込んでいながらついに一度もライヴを体験しなかったアメリカ人もいる。ブレア・ジャクソンやビル・ウォルトンなどのビッグ・ネーム・ファンや、スタンリー・マウスやハーブ・グリーンなど関係したアーティスト、あるいはツアーのシェフを勤めたシェズ・レイ・セウェル Chez Ray Sewell、ビル・クロイツマンの息子ジャスティンなども含む総勢180人が口を揃えて言うのは「デッドに出逢って人生は良い方に変った」ということ、そしてその変化をもたらしてくれたことへの感謝の気持ちである。

 もちろん、デッドに出逢ったことで悪い方へ人生が変化した人もいたはずだ。ここは祝いの場であるからそういう声は出てこない。その点はどこか別のところでバランスをとる必要はあるだろう。

 とはいうものの、ここに溢れるポジティヴなエネルギーと心からの感謝の想いをくりかえし浴びていると、ひとまずそういうマイナス面は忘れて、この歓喜にこちらの身もゆだねたくなってくる。デッドはオアシスなのだ。せちがらい、クソッタレなこの世界で、まことに貴重なプラス・エネルギーを浴び、充電できる場なのだ。

 文章だけでなく、ファンたちが贈った様々なヴィジュアル・アートがページを飾る。肖像画やパッチワークや彫刻、バンバーステッカー、さらにはイラク戦争に従軍した兵士がトルコであつらえた骸骨と薔薇の画を編みこんだ絨緞。そこにあふれるのは、ミュージシャンたちの姿とならんで髑髏と骸骨すなわち死の象徴だ。

 Grateful Dead と名乗った瞬間、かれらは死の象徴を歓びのシンボルへと換える道へ踏み出した。

 死の象徴があふれるデッドのコンサートでは奇蹟が起きる。その実例もまた数多くここには記録されている。

 駐車場に "I need a miracle." と書いたプラカードを持った青年がすわっていた。そこへ薮から棒にビル・グレアムが自転車に乗ってあらわれ、青年の前に乗りつけるとプラカードをとり、チケットを渡して、あっという間に消えてしまった。チケットを渡された青年はただただ茫然としていた。

 幼ない頃性的虐待を繰り返し受け、収容施設からも追いだされた末、デッドヘッドのファミリーに出会って救われた少女。事故で数ヶ月意識不明だったあげく、デッドの録音を聞かせられて意識を回復し、ついには全快した男性。コンサートの警備員は途中で演奏がやみ、聴衆が静かに別れて救急車を通し、急に産気づいた妊婦を乗せて走り去り、また聴衆が静かにもとにもどって演奏が始まる一部始終を目撃した。臨時のパシリとなってバンドのための買出しをした青年は、交通渋滞にまきこまれ、頼まれて買ったシンバルを乗せていたため、パニックに陥って路肩を爆走してハイウェイ・パトロールに捕まるが、事情を知った警官は会場までパトカーで先導してくれる。初めてのデッドのショウに間違ったチケットを持ってきたことに入口で気がついてあわてる女性に、後ろの中年男性が自分のチケットを譲って悠然と立ち去る。

 Dennis McNally によれば、90年代の絶頂期、デッドが発行した招待状=無料入場券は年間60万ドル相当に達していた。

 それだけではない。デッドはプロがやってはいけないとされることを残らずやっていた。コンサートの契約書には、[最短]演奏時間が書きこまれていた。ラミネートと呼ばれるバックステージパスの斬新でユニークなデザインと製作に毎回莫大な金と手間をかけていた。ライヴ・サウンドの改善のために、カネに糸目をつけなかった。レコードを出しても、そこに収録した曲を直後のツアーで演奏することは避けた。聴衆がコンサートを録音し、録音したテープを交換することを認め、後には奨励した。等等等。それ故に誰にも真似のできない超大成功をおさめたわけだ。そして、この「成功」にカネの割合は小さい。

 なぜ、デッドはそういうことをしたか。それはたぶん、かれらの資質だけでなく、あの1960年代サンフランシスコという特異な時空があってこそ生まれたものでもあるだろう。デッドは60年代にできたその土台に最後まで忠実だったこともこの本を読むとはっきりわかる。80年代のレーガンの時代にも、90年代にも、デッドのコンサートは60年代エトスのオアシスであり、そこへ行けば Good Old Sixties の空気を吸ってヒッピーに変身することができた。

 一方でそれにはまた、とんでもないエネルギーと不断の努力が必要でもある。「努力」というのはデッドには似合わない気もするし、日本語ネイティヴの眼からはいかにもノンシャランに見えるかもしれない。しかし、眉間に皺を寄せ、日の丸を染めぬいた鉢巻を締め、血と涙と汗を流し、歯を食いしばっておこなう努力だけが努力の姿ではない。日本流のものとは違うが努力以外のなにものでもないことを、デッドは30年間続けた。ともすれば、こんなに努力しているボクちゃんエラいという自己陶酔に陥りがちなスポ根的努力とは無縁な、しかし誠実さにおいてはおそらく遙かに真剣な努力を、デッドは重ねていた。

 ステージの上で毎晩ああいうことをやるのはどんな感じかとファンに訊ねられたガルシアはふふふと笑ってこう答える。
 「そりゃな、一輪車を片足だけでこいで、砂が流れ落ちてくる砂丘を登ろうとしているようなもんだよ」

 そうして努力しても、常に報われるとは限らない。むしろ、シジュフォスと同じく、虚しく終ることも多かったはずだ。しかし、成功した時のデッドのショウはまさしく奇蹟としか思えない。その奇蹟を捉えた記録を年1本ずつ30本集めたのがこのボックスということになる。(ゆ)

 本が届いたときには驚いた。本文だけで620ページの、活字の詰まったA5判のハードカヴァーだった。紙が良いのか、2ヶ所に挿入されたクラビア頁のせいか、アメリカの本にしてはやたら重い。計ってみると1キロを超えている。この1キロ強の荷物を、読み終わるまで、どこへ行くにも持って歩いた。面白くて暇さえあれば読まずにはいられなかったからだ。

 著者デニス・マクナリー(1949-)はデッドの Publicist つまり、対メディア対策の責任者だった。ロック・バンドのPRマンという肩書で人を見てはいけないのである。ちなみに「PR」は日本語では「宣伝」あるいは「パブリシティ」とほぼ同義だが、アメリカでは "public relations" の略であり、渉外担当の方が近い。時には人と人を結びつけるフィクサーのようなこともやる。

 著者はアマーストの University of Massachusetts でアメリカ史の博士号を得ているし、1979年にはジャック・ケルアックの伝記も出している。本を書く態度はむしろ学者のそれだ。デッドのライヴに接するのは1972年。その体験から、戦後アメリカのカウンターカルチュアの歴史を2巻で書くことを思い立つ。第1巻がケルアックの伝記。2巻めがデッドの歴史である。ケルアックの伝記をマクナリーはデッドに送り、その後、サンフランシスコに移って、『サンフランシスコ・クロニクル』紙にデッドの年越しコンサートについての記事を書く。マクナリーに会ったガルシアは、マクナリーがケルアックの伝記の著者であることを知ると、デッドの歴史を書くことを提案する。1983年、マクナリーはビル・グレアムから頼まれて、記録管理者の仕事を始める。その翌年の夏、新たなメディア担当の必要性が出てきたとき、ガルシアの推薦でマクナリーがこの仕事につくことになった。デッド公式サイトにニコラス・メリウェザー書いている UC Santa Cruz のデッド・アーカイヴ収蔵品についての記事に、1984年7月11日付でマクナリーがデッドの広報担当に就任したことをメディアに伝えるガルシアの書簡の写真がある。以後、かれはデッドのツアーにも同行し、バンド・メンバーやクルーだけでなく、かれらの家族、親族、友人たちとも深くつきあうことになる。その結婚に際してはビル・クロイツマンが花婿付添人を勤めているし、ロバート・ハンターは〈He's Gone〉の自筆歌詞を贈った。

 グレイトフル・デッドといえども人間の集団であるからには、その内部の人間関係は複雑怪奇であるし、さらに通常の集団ではありえないほど密接にからみ合っていて、しかも常に変化している。デッドと外部世界とのインターフェイスを果たすためには、そうした関係をも裁いていかねばならない。時にはメンバーの一人が直接言い難いことを他のメンバーに伝えるメッセンジャーにもさせられる。

 そうして鍛えられた皮膚感覚と、おそらくはもともと備えている観察力、そして大量のデータを処理する学者としての能力によって、これは幇間本でもなければ、内幕暴露ものでもなく、外殻をなでるだけのタレント本でもなくなっている。副題 The Inside History of the Grateful Dead とある。公式ないし公認のグレイトフル・デッドというバンドの伝記という位置付けだ。グレイトフル・デッドという集団、バンドを核とし、クルー、スタッフがその周りを固める、緊密に結びあった人びとへの愛情を底流としながらも、叙述はあくまでも冷静だ。個人ではなく、人間集団の伝記、しかも関係者のほとんどがまだ生きているということからくる制限はあるにしても、第一級の著作物にちがいない。

 構成は2本の柱から成る。メインの方は、ガルシアの両親から筆を起こし、ガルシアの遺灰がサンフランシスコ沖の太平洋に播かれるまでを時系列で追う。こちらはバンドの最初の5年間、1970年までに極端に力を入れ、70年代半ばの休止期以降はざっくり、80年代以降はすばやく駆けぬける。もともとこれはカウンターカルチュアの歴史として書かれているわけだから、1960年代に叙述が集中するのはむしろ当然だ。

 一方で、デッドがバンドとしても共同体としても最も幸せだったのは、おそらくは1970年代、1972年と77年およびそれぞれの前後の時期ではなかったか、とこれを読むと思う。80年代後半のヒット・シングルなどは、デッド現象全体から見れば、デッド共同体内部でいえば、大した意味を持たない。むしろそれによってデッドや昔からのデッド共同体は「迷惑」を蒙る。バンドはヒットによって、破滅の淵に立たされる。もう一発ヒットがあったら、バンドは崩壊していた、という記述は切実だ。

 キャリアの後半、80年代のデッド世界で起きていた最も重要なことは、1つはダン・ヒーリィによるライヴ・サウンドの革命であり、いま1つはデッドヘッド現象だった、と著者は指摘する。後者が前者を支える構図だが、それに加えてアメリカ国内での経済中心の移動も関っているらしい。この時期、東部の重厚長大産業から、カリフォルニアの宇宙航空、バイオ、娯楽、そしてデジタルへと移る。カリフォルニアだけで世界第8位の経済規模をもつ。80年代のオーディオはデジタルが生まれる一方で、アナログがピークに達した。一方でバンドの演奏は袋小路に陥っている。これが打開されるのは、皮肉にもガルシアの昏睡になる。

 メインの各章を縫うように Interlude 幕間として置かれるサブのラインでは著者の直接体験したことを中心の素材としている。当然、1980年代以降が主な対象だ。メインの表向きの客観的歴史はバンドのキャリアの前半に集中し、後半はサブの裏側の主観的エピソードを積重ねてカヴァーする。ここではデッド共同体、特に核であるバンド、そのすぐ外側を囲むクルー、スタッフの活動が具体的に描かれる。「全社会議」の様子や議題、サン・ラファエルの本部のスタッフ(ほぼ全員女性)やバンドとともに移動するクルー(ほぼ全員が男性)、そしてバンドの弁護士の性格、役割、ふるまいが、ツアーのある1日を追う形で述べられる。

 早朝、食事担当(ケイタリング)が作る卵とベーコンの匂いから始まり、深夜、ステージから降りてきたバンド・メンバーが、同じケイタリング担当から各々に注文しておいた夜食を受取って車に乗り込み、空港から次の街へと飛び立ってゆく一方で撤収が完了し、クルーが立ち去るまでが描かれる。会場への人員機材の到着、設営とテスト、バンドの到着、音出し、開場。コンサートが進行していく間のステージや楽屋の様子。その叙述に鏤められたメンバー、クルーやスタッフの間の関係は、個別の記述ではあるが全体を示唆する。この部分は内部にいた人間にしか書けないし、適度の距離をとった記述は信頼感を増す。一人称の代名詞を避け、自らのことも Scrib すなわち「書記」ないし「記録係」と呼ぶ。

 サブ・ラインの記述は序章から始まる。コンサートが始まる直前、扉が締められたが、バンドはまだステージに現れない、あの輝かしくも宙ぶらりんな瞬間から始まる。その時間を断ち切り、ショウの幕を切って落とすのは、進行を仕切るプロダクション・マネージャー、ロビー・テイラーの「客電」の一言だ。

 それが口にされるまでの短かい間に、著者はまだミュージシャンのいないステージの上を描写する。やがて、サウンド・ディレクターのダン・ヒーリィと、照明ディレクターのキャンディス・ブライトマンが、ガードマンに付き添われて、客席の中に設けられている席に向かう。ステージ上のモニタ担当エンジニア、ハリィ・ポプニックが席に着いたのを見つけて、聴衆の歓声が大きくなる。ツアー・マネージャーのジョン・マッキンタイアが楽屋でバンド・メンバーに声をかける。「みんな、時間だよ」。それぞれの儀式を切り上げて、メンバーはだいたい一列になってステージへと出てゆく。テイラーがヘッドセットにかがみこんでつぶやく。「客電」。

 それとともに会場付属の照明が消され、ショウが始まる。デッドはある時期から音響と照明はすべて自前のものを使っていた。専用の機材を揃え、専門のスタッフを抱えていた。音響システムは有名な「ウォール・オヴ・サウンド」を頂点とするが、80年代以降も当時最先端の機材を惜しみなく投入している。ライト・ショウも、アシッド・テストの頃からデッドのショウの重要な要素であったし、80年代以降は巨大なシステムを作っていたことは、ライヴ・ビデオでもよくわかる。1回のショウに注ぎこまれる電気の量は莫大だ。

 本書の最大のメリットの一つは、こうした裏方たちの存在が大きく取り上げられていることだ。グレイトフル・デッドは6人のメンバーだけがデッドだったのではなく、ロバート・ハンター、ジョン・バーロゥの二人の作詞家を含めたものだけでもなく、クルー、スタッフまで含めた集団だった。デッドのクルーは長く勤めた者が多く、リーダー格のラム・ロッド・シャートリフは音楽業界で一つのバンドのために働いた最長記録の保持者ともいわれる。報酬もバンド・メンバーと変わらず、全体会議などでの発言権も同じ。表には出ないが、かれらなくしてバンドの活動はありえなかった。

 ブレント・ミドランドの死に関連して、デッドの「仕事」は、誰にとってもおそろしくシビアな側面をもっていたことが語られる。メンバーにとってもそうだが、クルーをはじめとするスタッフについてはさらに厳しかった。たとえばデッドにはセット・リストというものが無かった。今日何をやるか、次に何をやるか、バンド・メンバーすらわからない。音響と照明のスタッフの仕事はとんでもなく難しくなる。誰もが、一晩に一度は、もうダメだ、やってられるか、やめてやると思うことがあった。それを支え、つなぎとめていたのは唯ひとつ、ガルシアへの愛情だ、と、著者はキャンディス・ブライトマンの証言を引用する。

 そしてそのガルシアは、ファンや聴衆からの有形無形の圧力と、その肩に生活がかかっている人間が多すぎる重みに圧し潰されていた。メンバーやクルーをつなぎとめるかれへの愛情は、ともすれば負担にすりかわりえる。経済的な成功もかえって重圧となる。ジャニス・ジョプリンに起きたことは、時間はかかったにしても、やはりガルシアに追いついたのだった。1992年以降、ガルシアの健康が明らかに悪いにもかかわらず、ツアーをやめることができなかったのはその現れだ。デッドがガルシアを酷使し、血を吸っていたというジョン・カーンの非難はまったく的外れでもない。

 あるいはむしろ、ガルシアが30年保ったことの方が驚異なのかもしれない。ガルシアは読書家だったし、映画は「狂」のつくほどのマニアだったし、音楽はおそろしく幅広く聴いていた。絵も描いた。そうした活動の積重ねが防壁として働いた。ジャニスやミドランドにはそうしたものが無かった。

 デッドの共同体はさらに大きい。デッドヘッドをも含むからだ。その中には上院議員やノーベル物理学賞受賞者もいる。デッドを聴きながら操縦していた空軍のパイロットもいる。1994年、ニューヨークの舞台裏にいたデッドヘッドの上院議員のところへホワイトハウスから電話がかかってくるところは抱腹絶倒だ。この上院議員 Patrick Leahy は民主党で、上院最長老の一人。ガルシアの同世代。Wikipedia の記事によれば、議員としてのオフィスにもデッドのテープ・コレクションを備えている。さらには本人はデッドヘッドではないが、ジョセフ・キャンベルがコンサートに来て、感心したという話もある。

 著者の視野はさらに広い。デッドのビジネス面での関係も抜目なく押えている。ただし、ビジネスの手法よりは人物とそれぞれとの関係に焦点をあてる。プロモーターとレコード会社が主な対象だ。この方面で圧倒的に興味深いのはビル・グレアムである。

 デッドにとって良くも悪しくも最も重要なプロモーターはグレアムだった。著者によれば、グレアムはデッドの音楽がめざすところをきちんと評価し、尊敬もしていた。そして、デッドと本当に親密な関係になりたいと願っていた。デッド・ファミリーの一員になりたかった。だからデッドをあらゆる方法で援助している。ライヴのブッキングだけでなく、金を貸してもいるし、1976年の「復帰」にも大きく貢献している。一方で、デッドにはグレアムの性格、イベントを自分の「作品」「所有物」と考え、偏執狂的なまでに完璧を求める性格がどうしても容認できなかった。だから、グレアムに頼り、利用し利用されつつも、グレアムを全面的に受け入れることはついにしなかった。

 一方、興行主としてのグレアムは、ショウを救う、守ることについては尊敬に値する。1973年ロング・アイランドのナッソウ・コリシアムでのデッドのショウの始まる前、数千人の若者たちが入口に殺到したとき、グレアムは拡声器を掴んで単身その前に立ちはだかった。ある少年が「カネの亡者!」とあざけると、グレアムは20ドル札をとりだして相手の足元に投げつけてから、そいつのチケットをビリビリに引き裂いた。群衆はしばしの間静かになっただけだったが、ひとつ対応を間違えれば、1979年12月3日、シンシナティのザ・フーのコンサートでサウンド・チェックを本番と思いこんだ群衆がなだれこみ、11人が圧死するのに匹敵するような大事故になっていたところだ。この時コンサートのプロモーターはバンドのロード・マネージャーと夕食を食べに行って不在だった。

 グレアムは近寄りたくは金輪際ない人間だが、傍で見ている分にはたいへんに面白い。自伝は読み物としては格好だろうが、書いてあることを鵜呑みにするわけにはいかないのはもちろんだ。ぜひとも誰か、きちんとした伝記を書くべきだが、それにはデッドのメンバーも含めて、もう少し関係者が死ななければなるまい。

 興味深いという点ではもう一人、アウズリィ・スタンリィ、通称ベア(熊)がいる。かれはデッドのサウンド・エンジニアを勤めてもいて、内部の一人ではあるが、いささか異なった位置にいる。一般にはアシッド・テストをはじめとするLSDの供給者として知られる。生まれる時代がほんのわずかずれていれば、一流の科学者として名を成していたのではないか。ドクロに稲妻のロゴは、ウッドストックの楽屋でどのバンドも似たようなツール・ケースを使っていることから区別のためにかれが思いついた。このロゴの稲妻に先端が13個ある、というのは本書で初めて知る。星条旗の星、つまり13州と同じ。この人は著者にとっても捉えがたいのか、あるいはまだ書けない部分が多々あるのか、そのイメージは必ずしも明瞭でないが、それだけにますます興味を惹かれる。

 グレイトフル・デッドが残したものは、時間が経つにつれて重要性を増しているようだ。1本のコンサートを丸ごと録音した音源がそのまま作品群として繰り返し鑑賞される最初の、そして現在のところ質量ともに抜きんでて最大の実例だ。録音は音楽の姿をまったく変えてしまったが、その技術の適応の実例としても、ベストのひとつである。そこはほとんど無限の豊饒の宇宙である。その一方で、やはり固有の世界観を土台とし、様々な暗黙のさだめがある。その方言やスラング、ジャーゴンを理解し、その音楽が生まれてきた背景を把握することは、より深く聴きとり、それぞれにより豊かに体験することを可能にする。

 今年結成50周年を迎えて、30年の活動を1年1本ずつ選んだ未発表の30本のコンサート録音でカヴァーするボックス・セット《30 TRIPS AROUND THE SUN》が秋にリリースされる。あるいはそれを待たずとも、ネット上で公開されている聴衆録音で同様なことは可能だ。すでに公式リリースされている録音だけで自分なりの「30年セット」を組みたてることもできる。マクナリーによるこの公式伝記をそうした航海の座右に置いて、豊饒の海に棲むものや起きることをより精密に聴きとりたいと思う。(ゆ)

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