クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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08月23日・火
 昨夜は眠いが寝つかれず。うつらうつらして0300、0400、0530、0830にトイレに起きる。やはり異物を入れたので、体が懸命に排出しようとしたのだろう。1030起床。起きたものの、半分ぼんやりしている。午後3時頃、すっきりしてくる。あるいは接種から24時間経ったからか。少し動いてみる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月23日には1968年から1987年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Shrine Auditorium, LA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1時間半弱の一本勝負。共演タジ・マハル他、とポスターにはある。初期のデッドはタジ・マハルとよく一緒になる。
 6曲目〈Alligator〉からクローザーの〈Caution (Do Not Stop On Tracks)> Feedback〉までが《Two From The Vault》でリリースされ、同じトラックが《The Golden Road》収録の《Anthem Of The SUn》のボーナス・トラックでもリリースされた。オープナーの〈That’s It for the Other One〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。時間にして半分強がリリースされたことになる。

2. 1969 Pelletier Farm, St. Helens, OR
 土曜日。"Bullfrog 2" という3日間にわたるフェスティヴァルの楽日で、デッドはヘッドライナー。この日のみの出演。タジ・マハル共演。フェスティヴァルに参加した他のミュージシャンはいずれも地元のローカル・アクトらしい。DeadBase XI によれば Mixed Blood, The Portland Zoo, Sabbatic Goat, River, Sand, Notary Sojac, Searchin Soul, The Weeds, New Colony, Chapter Five, The Trilogy, Bill Feldman, Donn Ross, Ron Bruce。
 2時間弱一本勝負のテープが残っている。選曲はこの年の典型的なもの。

3. 1971 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部4曲目〈Sugaree〉、クローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部オープナー〈Truckin'〉から12曲目の〈Sugar Magnolia〉までの計12曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》でリリースされた。この時期〈The Other One〉の中に〈Me and My Uncle〉をそっくり取り込むという試みをしていて、なかなか面白い。
 ヴェニューは1889年オープンの歌劇場で、音響は全米でも最高と言われる。DeadBase XI の Thomas Flannigan によれば、ジェファーソン・エアプレインのライヴ・アルバム《30 Seconds Over Winterland》は、ウィンターランドの聴衆のノイズが30秒間入って、その他はすべてここでの1972年のコンサートの録音だそうだ。
 1976年にここでデッドがやった時、デッドヘッドの一人が踊っていて古いカーテンに偶然火をつけてしまい、以来、デッドは出入り禁止になった。
 ショウはかなり良い。聴衆はシスコやニューヨークほど洗練されておらず、space では口笛やわめき声で文句たらたらだったが、最後にはもっとやれえと叫んでいた、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。

4. 1980 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。11.50ドル。開演7時。このヴェニューでの最初のショウ。ここではひどいショウはやらない。この時も見事な出来という。

5. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Iko Iko〉〈All Along The Watchtower〉にカルロス・サンタナ参加。
 サンタナよりもリンドレーとガルシアの共演があればなあ、と思う。
 ショウはすばらしいそうだ。(ゆ)

08月22日・月
 図書館上の寿荘で COVID-19のワクチン接種4回目。モデルナ。比較的混んでいて、15分前に入って、接種そのものは1402終了。1417まで休憩して出る。注射された左腕上腕の筋肉、力が入ると痛い。頭がぼんやり。ものごとを考えられず。早々に寝る。

 夜、寝る前に書庫の窓を閉めようとすると、草雲雀が鳴いている。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月22日には1968年から1993年まで4本のショウをしている。

 1947年のこの日、Donna Jean Godchaux 旧姓 Thatcher がアラバマ州フロレンスに生まれた。夫キースをジェリィ・ガルシアに引き合わせてバンドに入れた後、コーラスとして参加を要請され、1971年大晦日に初ステージ。1979年02月17日を最後に、キースとともに離脱。

 グレイトフル・デッドのメンバーの紅一点。デッドはジファーソン・エアプレインとは同僚だったし、ジャニス・ジョプリンとも仲が良かったが、女性を積極的に登用しようとはしなかった。60年代のイメージとは裏腹に、デッドの現場はかなりマッチョで、ウーマン・リブの考えからは程遠かった。バンド・メンバーのパートナーたちも、裏で各々のメンバーを支える役割に徹している。もっとも、サン・ラファルのオフィスを預るスタッフも含めて、この女性たちはかなり優秀で、彼女たちのサポートが無ければ、デッドは早々に潰れていただろう。見方を変えれば、そうした優秀な女性たちを周囲に集めたという点では、デッドのメンバーにも甲斐性があったと言えよう。

 一方でガルシアは意志の強い女性に弱いところがある。ライヴ会場でドナがガルシアの袖をつかんで、夫のキースを売り込んだ、というより捩じ込んだという話は、相手がガルシア以外では成立しなかったろう。ピグペンに代わる鍵盤奏者を見つけるのが焦眉の急になっていたという事情はあったにしても、である。

 ドナのおかげで、デッドはキースとともにドナという女性シンガーを手に入れ、それによってピグペンのバンドから決定的に離陸する。ドナの声は70年代デッドを特徴づける。〈Playing in the Band〉や 〈The Wheel〉、あるいは〈Looks Like Rain〉、〈Danicn' in the Street〉などの曲はドナの声が入ることで形を整える。一方〈Cassidy〉〈The Music Never Stopped〉などはドナの声を前提に作られているように聞える。あるいは1976-10-09 オークランド(Dick's Picks, 33)での〈One More Saturday Night〉のように、後ろで流す彼女のスキャットがうたに新たな様相を加えることもあった。

 女声が入ることは、音楽をカラフルにする。音の性質が異なるし、発想も異なる。集団での演奏を旨とするデッドにあっては、他のメンバーとは違う角度からアプローチする。デッドを貫く「双極の原理」がここでも作用して、ドナの声とうたは、ジェリィ・ガルシア・バンドとは異なってバック・コーラスに留まらず、デッドの音楽をより複雑で豊饒なものにしている。ガルシアとウィアの声は必ずしも相性が良いとはいえないが、ドナの声がその間にはいって両者をつなぐ。それはまた他のメンバーへの刺激ともなった。ドナが参加していた間に1972年と1977年の2度、バンド史上のピークが生まれるのは偶然ではないだろう。そして全体としてみても、70年代はバンドが最も幸福な10年間だ。

 ドナの歌唱スタイルは1974〜76年の休止期を境に変わる。休止期前は役割を定めかねているところがある。専用のモニター・スピーカーが用意されず、自分の声が聞えないので、とにかく大きく張りあげたという事情もあるようだ。休止期以後、それまでレシュが担当していた高域のハーモニーを肩代わりする。それによって力を抜くことを覚え、上記のスキャットのように、音楽の流れに見事に溶けこみ、ふくらませるようになる。参加する曲も大幅に増え、参加の仕方もより重要になる。また、ハーモニーは必ずしも上ではなく、ウィアが上でドナが下になることもある。1970年代後半のコーラスの美しさはデッドのキャリアの中でも輝いている。ドナを嫌うデッドヘッドは少なくないが、この時期には皆沈黙する。


1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。3ドル。
 第一部3曲、第二部6曲のセット・リストがあるが、テープによるものらしい。第一部はもう1曲やったという情報もある。
 選曲、演奏は1969年のパターンが始まっている。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。4.50ドル。開演7時。
 これは DeadBase の編者の一人 Mike Dolgushkin の最初のショウで、そのレポートを書いている。これを見るまでに、ドルガシュキンはソロも含めてレコードは全部買い、テープも少し聴いていたから、何をやるかはだいたいわかっていた。それでも第一部後半の〈Playing In The Band〉と第二部の〈The Other One〉には有頂天になった。会場に入る前に比べて、一千倍も気分が良くなっていた。

3. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Good morning Little Scoolgirl〉〈In the Midnight Hour〉にサンタナが参加。
 ショウ自体はすばらしい。
 開演前、近くで第二次世界大戦中の双発機による模擬空中戦のショーがあり、ステージ裏に二人、パラシュート降下した。これに対する歓声を自分に対するものと勘違いしてガルシアは張り切った。
 場所はオークランドのほぼ真東200キロの山の中の町。ここで 'Mountain Aire' という名称で10年続いた一連のコンサートの最後。

4. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。インディゴ・ガールズ前座。26ドル。開演2時。
 90年代ベストの1本、と言われる。オープナーの〈Jack Straw〉でギターの調子がおかしく、ウィアはギターを振り回して八つ当たり?したらしい。(ゆ)

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