クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ワールド・ミュージック

8月20日・金

 Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。




 M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。


 Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。


 Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。

 


 それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。


ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト
ジミ・ヘンドリックス
ユニバーサル インターナショナル
2000-12-13



 音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。


 ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)




4月12日・月

 Grimdark Magazine のニュースレターにざっと目を通すつもりが、なぜか今回はじっくりと見て、サイトにも跳んで全部読んでしまう。どれもこれも面白そうだが、とりあえずインタヴューされていた Marina J. Lostetter のデビュー長篇を注文。壮大なスペースオペラだそうだ。アメリカ人だが最初の長篇はロンドンの Harper Voyager から出た。最新作のファンタジィは Tor からだが。




 散歩の供は Kefaya + Elaha Sorpor, Songs Of Our Mothers, 2019。

kfy+es


 Kefaya はロンドン・ベースのギタリスト Giuliano Modarelli と、キーボーディスト Al MacSween のふたりによるチームだそうだ。後者は名前からするとアイルランド系か。Kefaya は2011年にエジプトの草の根革命の母体となった集団の仇名らしい。

 Elaha Sorpor はアフガニスタンのシンガーでハザラ族出身の由。この人は本物の伝統歌シンガーで、芯のある強靭で伸びやかな声が自然にあふれ出る。相手に何が来ようとびくともしない。

 シンガーはアフガニスタンの伝統歌をそのまま歌い、それにギターとキーボード主体のバンドがバックをつけるというよりは、一聴、まったく無関係に響く音楽を勝手にやっている。それが共鳴して全体としてひじょうにスリリングでかつ地に足のついた面白い音楽になっている。方法論としてはフリア・アイシとヒジャーズ・カールの『オーレスの騎兵』に共通する。

オーレスの騎兵
ヒジャーズ・カール
ライス・レコード
2008-11-02



 ヒジャーズ・カールはアコースティックなサウンドでジャズをベースにしていることを明確に打出しているが、こちらは今風の電子ロック、と言っていいのか、本来アコースティックなサックスないしバスクラなどにもエフェクトをかけたアンサンブルによるものや、まったくフリーのカオス、静謐で端正でスローなジャズ、レゲエの変形のようなビートなど、曲によってかなりの変化を見せる。ドゥドゥックまたはその親戚のリード楽器がふにゃふにゃしたフレーズで縫ってゆくのも気持ちがいい。

 こういう時モノをいうのはドラムスで、CDがまだ来ないのでクレジットはわからないし、たぶん名前を見ても知らない人だろうが、切れ味抜群このドラマーは相当の腕利き。こういうドラマーがスコットランドの伝統音楽もやってくれると面白いんだが。

 このアルバムはセカンドだそうで、Bandcamp ではダウンロードしたファイルは 24/44.1 のハイレゾ・ファイル。録音も文句なし。フリア・アイシとヒジャーズ・カールもワン・ショット・プロジェクトで、この組合せも何枚も出るとは思えないが、どちらも今後は要注意。(ゆ)

 ストリーミングの時代に「アルバム」ガイドってどうなのよ、と思いながら、バラカンさんのソフトでさりげなく深いところを突いてくる文章に誘われてついつい読んでしまい、読んでしまうと聴きたくなる。

 音楽の録音メディアとして「アルバム」、すなわちLPのサイズ、収録時間というのは、作る側にとっても聴く側にとっても、手離せない使い勝手の良さがあるものらしい。確かにLPの片面15〜25分というのは、リスニングの集中力が途切れない、ちょうどいい長さであることは、経験的にわかる。あたしだけではないこともわかっている。この長さは元来はLPの物理的サイズから決定されているので、人間の感覚の科学的測定を基にしているわけではないけれども、これもシンクロニシティの一つなのだろう。新譜がCDリリースされるようになった初期の頃は、皆さん、CDの収録時間一杯に詰めこんでいて、LPを聴くつもりで聴いていると、個々のトラックはともかく、全体としては構成が破綻しているものが多かった。今世紀に入ると別に目一杯詰めこまなくてもいいのだとわかってきて、CDに適切な構成がだんだんできてきた。

 ここに挙げられている52枚のディスク、アルバムはその点ではどれもうまくできてもいるはずだ。何枚か、すでに聴いているものからの類推でもそう思う。あるミュージシャンなりユニットなりの音楽の味見はシングルやビデオ・クリップでできても、まとまった分量を聴いて初めて全体像が垣間見える。中には冒頭の1曲だけのために買ってもいい、というアルバムもある(Salif Keita, Moffou)もあるが、掲げられた人たちはいずれもピックアップされた1枚だけではなくて、そこを入口にして、その世界に分け入り、探検してゆくに値するだけの蓄積を積んでいる。あるいは、あたしにとってのヴァン・モリソンのように、しばらく離れていて、あらためて再度入ってみようと思える人もいる。

 ここには21世紀に入ってからリリースされたものを52枚選び、それぞれに解説をつけている。たいていは、こちらもお薦めというディスクが2枚、追加でジャケットとタイトルが出ている。こちらにま短かいコメントがあるものもあり、無いものもある。

 巻末にバラカンさん生涯の愛聴盤707枚が、ミュージシャンとアルバム・タイトルがずらりと並んでいる。これはバラカンさんの趣味がよくわかる、という以上のものではなさそうだ。あたしは天邪鬼なので、ははあ、あの人がいない、この人もないな、などと思ってしまうが、良い子はそういうことはしないように。

 もっとも、本体の52枚とこの707枚を眺めると、バラカンさんは「南」の音楽がお好きなのだな、と納得する。音楽の嗜好には南北の方向性がある、とあたしは思っている。反対側は絶対聴かないわけではもちろん無いけれど、どうしてもどちらかに偏ってくる。クラシックの場合にもあてはまるはずと思うけれど、そちらはよくわからない。あるいは東西かもしれない。

 あたしは「北」なのである。同じ北米大陸でも、アメリカよりもカナダなのだ。ジョニ・ミッチェルやザ・バンドはここにもいるけれど、ニール・ヤング、マクガリグル姉妹、ブルース・コバーン、マレィ・マクラクラン、スタン・ロジャース、レニー・ギャラント、ジェイムズ・キーラガン、ラ・ボッティン・スリアント、ナタリー・マクマスターの名前は出てこない。ニール・ヤングはあの声がダメと伺ったこともある。まあ、それはわかる。

 アフリカでもサハラの北、ヨーロッパでもアイルランドからフィンランドに至る北部だ。インドだけはどちらかというと南だけど、これは地域よりもサロッドの響きが好きというだけかもしれない。

 バラカンさんの音楽の故郷はニューオーリンズであり、メンフィスであり、オースティンであり、あるいはニジェール河流域である。ロンドンとサンフランシスコもある。それはバラカンさん自身の体験で形づくられているので、世紀が変わっても、こちらは変わらない。52のアクトのうち、21世紀または20世紀末に出てきた人といえるのは7人または組で、これはむしろバラカンさんの年代の人にしては多い方かもしれない。放送の現場にいることのメリットとも言える。

 ここで思うのは、バラカンさんのバランス感覚の良さ、というのはダジャレではないよ。あるいはバラカンさんの基準の安定感、いわゆるブレない感覚だ。つまり、そのアクトが売れているかどうか、レコード会社の大小、流通の有無はまったく関係がない。正直、エイミ・ワインハウスが自殺したと聞いても、あたしなどは、あ、そう、それがどーした、ただの売れ線狙いのねーちゃんだろ、ぐらいにしか思わなかった。それはどうやらとんでもない思い違いらしい。まだ、聴いてません。すみません。しかし、バラカンさんがここまで言うなら、少なくとも一度は聴く価値はあるはずだ。

 あたしは「松平教」信者だったので、「ヒットは悪」という教えが染みついていて、売れてるだけでそっぽを向いてしまう。ケイト・ラスビーはもともと評価していなかったけど、ブレイクしてますます嫌いになった。まあ、自作を歌うようになってからは、バックの引き立てもあってそんなに悪くないけど、伝統歌を歌っていたときは自意識過剰で聴いていられなかった。嘘だと言うなら、彼女がキャリアの初めに Kathryn Roberts と作ったアルバムを聴いてごらんなさい。

 ノラ・ジョーンズもねえ、悪くはないけど、そんなに良いかあ。こういう組立てでこういう歌を歌ってる人はゴマンといるで、なんで、そんなに売れるか。と思ってしまうのは、ビンボー性でせうな。

 ここでもどちらかといえば、目立たないところで独自のことを地道にやってる人へのバラカンさんの愛情がひしひしと感じられるけれど、売れてるからって排除しない、というより、それが音楽の評価にまったく影響しないのは、あたしなどから見ると、見事としか言いようがない。

 むろん、この選択にパブリシティの意識がまったく無いわけじゃない。しかし、たとえリアノン・ギデンスがあって、 Leyla Macalla が無くても、納得はできる。

 52枚、ざっと眼を通して、まず何よりも聴きたい、と思ったのはスティーヴィー・ウィンウッドの Greatest Hits Live。なんと〈ジョン・バーリコーン〉もやってるじゃないですか。それにバックにギターのジョセ・ネトが入っているというのも大きい。この人、ポルトガル人だったんですか。あたしはてっきりブラジルと思ってました。ネトのほとんど唯一のソロ《MOUNTAINS AND THE SEA》1986 はあたしの生涯の愛聴盤の1枚なのだ。

 それから、Jerry Gonzalez Y Los Piratas Del Flamenco。ジャズとフラメンコの融合ではあたしは Jorge Pardo が一番と思ってるし《Miles Espanol》という傑作もあるけれど、これは《Pedro Bacan & Le Clan des Pinini》1997 に近いものらしい。ホルヘ・パルドの《Huellas》は半分で Jeff Ballard がタイコを叩いていて、この人はここにもある Brad Mehldau Trio のドラマーだ。

 とまれ、52枚を Tidal でチェックして、聴けないものを数枚、注文したところ。Aaron Neville のゴスペル盤とか John Cleary のは、アマゾンでも高騰していて、この本でまた上がるかもしれない。そのあたりはいずれどこかで出逢うのを待とう。

 まあ、しかし、Tidal でみると、どの人もほとんど聴けてしまうのは、ストリーミングの怖さ。こんなの全部聴いてたら、他のことは何もできない。しかし、聴きたい。ヴァン・モリソンはあたしは《Back On Top》で買うのをやめていたのだが、まあ、その後、ごろごろ出しているではないか。何、この《It's Too Late To Stop Now》の「続篇」って。ヴァン・モリソンでのバラカンさんの好みもやはり「南」だなあ。あたしは何よりも彼によりも《Veedon Fleece》なのだが、これはかれのアルバムとしては「極北」だろう。

 それにしても、バラカンさんが、どれもよく聴き込んでいるのに感心する。このコロナの時期にも日々出てくる新しいリリースも聴きながら、古いものを、いったいいつ聴いてるんだろう。

 こういう本を見ると、ようし、聴くぞう、という気になる。3月からこっち、コロナが始まってからは、翻訳の仕事に大部分の時間をとられてたけれど、Bandcamp が月に一度、すべての手数料をチャラにして、買い手が払ったものは全部ミュージシャンにというキャンペーンをやるので、結構買っていた。それで発見した人もいるし、最大の発見はイングランド伝統歌の女性シンガーが今大豊作になってることで、このあたり、生存証明として、ぼちぼち書くことにしましょう。アイルランドでは Luke Deaton & Jayne Pomplas の《My Mind Will Never Be Easy》2017 が最高。アコーディオンとフィドルの男女のデュオ。やってるのは有名曲、定番曲が多いけど、それがまた実に新鮮。録音、ミックス、マスタリングは Jack Talty で、レーベルはかれのところではないみたいだけど、いい仕事してます。

 アイルランドからは今、日本向け郵便がストップしていて、CDも送れないけれど、Bandcamp は買うとデジタルでもダウンロードしたり、聴いたりできるのはありがたい。(ゆ)

 つい先日創刊40周年記念号を出した fRoots 誌が休刊を発表した。事実上の廃刊だろう。だしぬけの発表で、40周年記念号巻頭では、編集長を降り、次代へ引き継ぐことに楽観的な見通しを編集長アンダースン自身が書いていたから、驚かされた。

 一方で、やはりそうだったか、という感覚も湧いてきた。Kickstarter による資金調達の成功にもかかわらず、その結果は季刊への移行だったし、編集長を次の人間に讓る意向をアンダースンが表明してからも、具体的な進展は示されないままだった。草の根資金調達で得られた資金はつまるところ、リーマン・ショックによる広告収入の激減で負った多額の負債の返済にあてられたことも、わかってきていた。

 ふり返ってみれば、この雑誌は創立者で編集長のイアン・アンダースンの個人誌だった。協力者や執筆者には事欠かなかったにしても、カヴァーする音楽の選択、取り上げる角度やアプローチの態度を決めているのはひとえにアンダースンの嗜好であり、感覚だった。その雑誌が時代からズレるというのは、必ずしもアンダースン自身の感覚や嗜好が時代とズレているからではないだろう。紙の定期刊行物は音楽シーンをある角度で切り取って提示する。その角度の意外性で勝負する。fRoots はその点では際立っていた。端的に言えば、その表紙にとりあげられたことで初めて教えられた優れたミュージシャンたちの多さだ。あるいは既存の、よく知られたミュージシャンでもその表紙になって、新鮮なリブート体験を我々は味わうことになった。

 雑誌制作の性格としては中村とうようの『ニュー・ミュージック・マガジン』に似ていなくもない。ただし、アンダースンと中村では、音楽業界への態度は対極ではあった。業界への影響力を確保することを目指した中村に対し、アンダースンは業界と馴れ合うことを避け、常に一線を画した。ミュージシャンとリスナーの側に立っていた。音楽はミュージシャンとリスナーのものであり、レコード会社や著作権管理会社のものではない、という態度だ。そこが fRoots と Songline の決定的な違いであり、だからこそ fRoots は信頼できたのだった。しかし、おそらくはこのことが、fRoots 存続の可能性を断ったのではないかとも思われる。

 fRoots の手法は媒体が限られていて、ヨーロッパのルーツ・ミュージックに関しては fRoots ないしその前身の Folk Roots がほとんど独占状態だった時には絶大な効力を発揮した。年2回、付録につくサンプラーCDを、我々はまさに垂涎の想いで手にしたし、また期待は裏切られなかった。Songline はカタログ雑誌にすぎなかったから、fRoots を補完するものではあっても、その存在を危うくするものではなかった。

 今世紀に入り、情報の媒体が紙からネットに移る頃から fRoots の存在感が薄れだす。むろん、変化は徐々で、初めはそうとわからない。はっきりしてきたのは2010年代に入ってからだ。いや、たぶん、2008年のリーマン・ショックは fRoots の媒体としての影響力が低下していた事実を明るみに出したのだ。

 fRoots のセレクション、プッシュするミュージシャンと録音の選択やその評価の内実が劣化したわけではない。その点では、各種ネット・マガジンも含めて、最も信用のおけるもので、肩を並べられるものはない。音楽雑誌編集者としてのアンダースンはやはり20世紀最高の1人であることはまちがいない。しかし、情報環境の変化は、意外性を主なツールとした fRoots の手法を不可能にした。紙では遅すぎたし、肝心の音を聴かせることもできず、意表を突くことができなくなったのだ。そして、経営者としてのアンダースンは、その環境に適応することがついにできなかった。

 環境の変化に適応することができなかったとアンダースンを非難するのは不当というものだ。それができている経営者も編集者も、今のところいないのだ。成功しているのはすべて新たに出現した手法であり、人びとだ。パラダイム・シフトが起きるとき、古いパラダイムを担っていた人びとが新たなパラダイムに適応したり、転向したりして起きるわけではない。古いパラダイムを担っていた人びとが新たなパラダイムを持った人びとにとって換わられて、パラダイムは転換する。

 紙の媒体、とりわけ音楽誌のような情報提供を主な機能とする媒体において、今起きているパラダイム・シフトを生き延びる方策を見つけ、あるいは編み出した人間はまだいない。カタログ雑誌つまり宣伝機関としては別だ。それは機能が異なる。fRoots のような、批評すなわち価値判断を含む情報を提供する媒体は消滅しようとしている。メディアは何が出ているか、知らせればいい、価値判断はリスナーがそれぞれにくだすのだ、というのが趨勢なのだろう。しかし、リスナーは本当に自分にとって適切な判断を下せるのか。その判断の基準は何か。

 判断基準は知識と経験によって作られる。ここで肝心なのは、快楽原則による経験のみではうまくいかないことだ。聴いて気持ちがよいものを選ぶだけでは、使える判断基準を作れない。ひとつには「気持ちがよい」ことに基準が無いからだ。もう一つには、砂糖や阿片のように、無原則な快楽追及はリスナー自身の感覚を破壊するからだ。だから、批評すなわち知識が必要になる。批評とは対象のプラス面だけでなく、どんなものにも必ずあるマイナス面も把握し、両者の得失を論じ、全体として評価する行為だ。片方だけでは批評にならない。

 fRoots の重要さはそこだった。世に氾濫する音楽に対して、批評を働かせていた。しかもその軸がぶれなかった。音楽伝統に根差したものであること。伝統へのリスペクトがあること。ミュージシャン自身に音楽表現へのやむにやまれぬ欲求があること。この雑誌が選び、プッシュする音楽は聴いて楽しく、美しく、面白く、哀しい。そして時間が経ってもその楽しさ、美しさ、面白さ、哀しさが色褪せない。かつて付録についていたCDを今聴いても、面白さは失せていないし、それどころか、今聴く方が面白い場合も少なくない。その時、流行っているから、売るために金をもらったからプッシュするのではなく、他の様々な音楽と並べてもより広く聞かれる価値があると判断してプッシュしていたからだ。

 現在とってかわろうとしている新たなパラダイムは、批評を必要としないのだろうか。対象に無条件に没入することは一時的には至福かもしれない。一方で、中毒の危険性は致命的なまでに高い。対象から一度距離をとり、その利害得失を冷静に測ることは、あるドラッグの性格と致死量を測定することに等しい。そのドラッグによってどのような体験が可能となり、どこまでは致命的な中毒に陥らずに摂取できるか。それは、いつ、どこにあっても、何に対しても重要だ。そして現在は、新たなドラッグ、摂取の仕方も効果も致死量も様々に異なるドラッグが、日々考案され、リリースされている。入手も従来より遙かに簡単だ。ドラッグは何もヘロインやアルコールやニコチンや砂糖だけではない。中毒性のあるものは何でもドラッグになる。テレビもゲームもSNSも、音楽もアニメも演劇も、すべてドラッグになる。むしろ、批評が必要とされていることでは今は空前の時代なのだ。新たなパラダイムにふさわしい批評のあり方、手法や伝達方法がまだ見つかっていないだけなのだ。

 fRoots にもどれば、たとえ雑誌の継続発行は途絶えても、この雑誌が築いてきた批評が消滅するわけではない。40年間の蓄積もまた、他には無いユニークなものだ。

 とりあえず、イアン・アンダースンよ、長い間、ご苦労様。ありがとう。ゆっくり休んで、あなたのもう一つの顔、優れたミュージシャンとしての活動に本腰を入れてくれますように。(ゆ)

 ハモクリの対バンの相手として「踊ろうマチルダ」という名前を聞いたときに、すぐピンとこなかったのは、やはりそういう感性が鈍っているからであろう。妙な名乗りだと思いはしたものの、それが〈Waltzing Matilda〉からのものであると連想が働かなかったのは、我ながら、あまりに鈍い。鈍すぎる。最初のギター・インストのフレーズが、明らかにブリテンのトラディショナルのものを敷衍していて、その音階を使っていても、まだ、へーえ、こんなこともやるんだくらいだった。

 がーんと一発やられたのは、3曲めにシーシャンティを唄います、と言ってやおら〈Lowlands Away〉を唄いだしたときだった。しかもアカペラである。本来のビートからはぐんとテンポを落とし、悠々と朗々と唄う。まさか、東京のど真ん中で、こんな本格的なシャンティの歌唱を生で聴けるとは。まったく意識せずに、Lowlands, lowlands away, My Joe と小さく合わせてしまっていた。

 こうしたカヴァーはこれくらいで、ほとんどはオリジナルだが、そのそこここに明らかな「トラッド」の影響が聞える。影響というよりは借用と言ってみたい気もする。〈Lowlands Away〉にも彼の地の伝統へのリスペクトは明らかだが、一方で、そこからは一歩離れて、自由に使っているところも感じられる。音階とかフレーズとか具体的なものよりも、より精神的な、歌つくりの際のアプローチ、態度において、ブリテンやアイルランドのフォーク・ミュージックのそれに倣っていると見える。〈夜明け前〉〈風景画〉〈おとぎ話〉などの曲はいずれも一聴強烈な印象を残す。

 とはいえ、ハイライトはラストの〈化け物が行く〉だった。その声と発音がもともと強力な歌詞をさらに増幅し、聴いていて体のうちが熱くなった。こういう体験は実に久しぶり。かつて辺野古の海岸で見た渋さ知らズやモノノケ・サミット以来だろうか。

 この人はかなり人気があるらしい。少なくともこの日、会場に来ていた半分はかれのファンだった。清野さんが、ハモクリ初めての人と踊ろうマチルダ初めての人と挙手をもとめたとき、それぞれほぼ半分の手が上がっていた。むろんその人気に、かれの楽曲がブリテンやアイルランドの伝統音楽をその土台の一部にしていることはほとんど寄与していないだろう。しかし、こういう音楽を素直に受け入れている人が大勢いるというのは、正直、驚くとともに嬉しくもなる。というのも、かつては、この手の音楽には拒絶が先に立っていたからだ。

 アイリッシュ・ミュージックの隆盛もひとつには与っているかもしれない。この日もアンコールでの共演でかれは〈Laglan Road〉を唄った。一方で、今わが国に行われているアイリッシュ・ミュージックは圧倒的にインストゥルメンタルだ。そして、踊ろうマチルダの音楽はあくまでも歌である。こういう人が現れ、そして受け入れられているのを見るのは、実に嬉しい。あえて欲を言えば、アンコールでは〈Laglan Road〉ではなく、それこそ〈Waltzing Matilda〉を唄ってほしかった。

 ハモクリはブルターニュはロリアンで毎年開かれている Interceltic Festival の国際バンドのコンテストで優勝したそうだ。もっとももうそう言われても驚くほどのことではなくなってしまった。むろん、めでたいこと限りないが、今のハモクリなら、むしろ当然とすら思える。その時にやった曲〈St. Sebastian〉を、トリオでやったのが、個人的にはハイライト。もう一つのハイライトはアンコールの最後。

 それにしても、終演後、出ようとしたら後ろで誰かが、「3人の結束がハンパない」と言っていたが、まさにその通り、完全に一個の有機体になっている。今回の収獲はしかしそれ以上に、ドラムスの田中祐司氏の融合ぶりが一段と深まっていたことだ。これを見てしまうと、かつてのかれはただ叩きまくり煽りまくっていただけとも思えるくらいに、すっかりアンサンブルの一員になっている。ドラムスが入るときにも、全体の一体感がまったく揺るがない。パワフル一方ではなくて、神経も細かく、小技も巧く、こう言っては失礼かもしれないが、すばらしいドラマーであることを改めて認識させられる。

 これはやはり痛烈にカッコいい。ロリアンで優勝したなら、次は Celtic Connections かケンブリッジか WOMAD か。どこへ出ても、悠々と話題をさらうだろう。ベースにアイリッシュやケルトやブルーズがあることはまぎれもないが、ハモクリ・ミュージックとして確立している。次は11/24横浜で「ハモクリ祭」だそうで、そこではさらに鍵盤が加わるそうだ。うーん、残念、その日は別の用事が入ってしまっている。無理矢理動かしてみるか。

 WWW はオール・スタンディングだが、段差がついていて、ステージが見やすい。天井も高く、音響もかなりいい。ただ、入口がひどくわかりにくい。もう一つの入口の別のライヴの関係者に訊ねてようやくわかったくらいだ。その人ももう何人も訊かれたと言っていたから、あたしだけではないのだ。(ゆ)

新しい夜明け
踊ろうマチルダ
BACKPACK RECORDINGS
2017-09-20


ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 こういう対バンはたいてい面白い。先日のジョンジョンフェスティバル vs. 馬喰町バンドもそうだったが、とりわけ、ミュージシャンがこの連中と一緒にやりたいと思ってやる対バンはまずはずれがない。というより、意想外の面白さが出るものだ。面白くなるだろうという期待を良い方に裏切る。

 NRQ というバンドは初耳だが、もう11年目だそうで、もちろんあたしなんぞの知らない優れたバンドは山のようにある。New Residential Quarters つまり新興住宅地の略だそうだが、NRBQ の本名を誰も知らないように、今や NRQ としか呼ばれないらしい。編成がユニークだ。二胡とエレクトリック・ギターとコントラバス、それにドラムスとサックスの持ち替え。このドラムス、サックスが中尾勘二氏というのは意外だった。まったく世代が異なるからだ。伝統音楽の世界では異世代メンバーのユニットは珍しくないが、これはそういうバンドなのか。中尾氏はシカラムータにもいて、あちらも異世代だが、シカラムータはまあ伝統音楽バンドといってもいい。

 聴いてみれば、うーん、これはまた分類不可能の音楽だ。実に面白い。まずギターが尋常でない。あたしがまず連想したのは、グレイトフル・デッドのボブ・ウィアのギター。ウィアのギターは通常のリズム・ギターではないし、リード・ギターではもちろんないが、サイド・ギターというのもあたらない。というよりその全てが含まれる。基本的スタンスはガルシアを煽りながら、全体をまとめる。デッドのジャムは誰も一定のビートをキープしていないことが多いが、そこで筋を通しているのがウィアのギターだ。

 牧野氏のギターはもちろんウィアとはまた異なるが、立ち位置としては近いところにいるように見える。バンドのリード楽器は一応二胡になるだろう。それを煽りながら、時に勝手にリードを奪うときもある。もっとも中尾氏がドラムを叩くときには一応ビートをキープするから、ギターはまた別のことをやっている。では何をやっているかというと、これがよくわからない。一定のことをやっているわけではない。常に変わっている。やはり全体に筋を通しているとは言えそうだ。

 ダブル・ベースがまた面白い。これまた勝手なことをやっている。アルコでリードをとることもよくある。この楽器の名手は皆一定の枠からはみ出しているものだが、服部氏はまた奔放だ。

 中尾氏のドラムスはたぶん生では初めて。シンプルにビートをキープしているように一見聞えるけれど、ここぞというところでふわっとはずれる。これも譬えていえばレヴォン・ヘルムだろうか。

 吉田氏の二胡もはずれるといえばおそらくこの中では最もはずれているだろう。普通二胡ではおよそ弾くことはないだろうと思われるメロディやフレーズを頻発する。ラストの曲では楽器を振り回しながら弾く。二胡のサウンドは西洋の擦弦楽器のようなキレが無い。西アジアのケマンチェに近いのは当然といえば当然。キレのいいギターと対照的なのが面白い。

 こういう編成で、では何をやるか。曲はオリジナルらしいが、乱暴にいってしまえば、ニッポンのメロディーを備える。ノスタルジックというよりはキッチュだろう。パロディよりもバーレスク。真正面を向くのではなく、半歩下って斜めを向いている。その角度がいい。おそらくは計算と試行錯誤を混合しながら探りあてている。聴く者の中に沈みこんでくる音楽だ。おちつかせる。しかし地面に押しつけることもない。どこまでも沈みこむ。まるで、地殻を造るプレートがその境界で沈みこんでゆくようだ。プレートのように、どこかで跳ね返るのか。今回はそこまではいかなかった。

 後半のハモニカクリームズの音楽はまったく対照的で、まずその対比が面白い。いつもと違って、二つのバンドが同じ曲を共演することはなかったが、これはまず不可能だろう。ハモクリの音楽は聴く者を浮上させるからだ。

 前回、スター・パインズ・カフェの時は音が大きすぎて、後半はメロディも聞えなかった。今回はハコのサイズもあり、適度の音量で、かれらのあの面白いメロディ・ラインを存分に愉しめた。今回はバックが渡辺庸介さんであることも良かった。田中祐司氏だと完全にロック・バンドになって、フジ・ロックのようなところでは良いだろうが、あたしの趣味からはちょと外れる。ハモクリはやはり広い意味でのワールド・ミュージックであってほしい。

 このバンドは当初の頃からするとずいぶん変身してきていて、もはやケルト・バンドとは呼べない。ケルトの要素はあるが、むしろ隠し味になってきている。全体としては独自のハモクリ・サウンドが確立してきている。そこにはブルーズもケルトもあるが、もう一つ、何か別のものが生まれているように聞える。それが何か、まだよくわからない。新作の《ステレオタイプ》はその何かが初めて前面に出てきているようでもある。おそらくそれには田中氏のドラムスの方が良かったのだろう。

 まあ、あたしはとにかくナベさんの演奏が好きなのではある。この人は何をやっても面白く聴ける。たとえばトリニテのようなバンドに入ったとしても、面白いにちがいない。熊谷太輔さんもそうだが、いいバンドやアンサンブルを聴くと、ここにナベさんや熊谷さんが入ったらどうなるだろうと妄想してしまうのだ。

 終演後、長尾さんと話していて、ハモクリとトリコロールでは客層が違う、ジョンジョンフェスティバルではまた違うと言われる。重なる部分もあるが、中核は異なるそうだ。おそらくはフロントに立つミュージシャンのキャラの違いによるものなのだろうが、長尾さんも、ハモクリのときは服装も、演奏スタイルも変えている。あたしなどは、どれも面白く、愉しませてもらっているが、これはたぶん良いことだ。何にしても、多様性の大きいことが大事なのだから。

 ハモクリはフジ・ロックに出た後、ヨーロッパ・ツアー。帰ってくると09/14にまた渋谷で対バン。この相手も初耳なので、たいへん楽しみ。(ゆ)


レトロニム
NRQ
Pヴァイン・レコード
2018-05-16



ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


    この場合のハープはブルース・ハープのハープではなく、竪琴。楽器はペダルのある形ですが、クラシックで一般的なグランド・ハープよりはひと回り小さな、ケルティック・ハープに近いサイズです。

2010-08-01追記
    ビデオでは小型の楽器に見えるんですが、実際にはフルサイズのグランド・ハープである、との指摘をいただきました。
    フランスのカマックというハープだそうで、「従来のハープに比べてペダル操作の戻りが早く、速いジャズの演奏には大変適しています」とのこと。
   
    そのハープで主にジャズを弾くのがこの古佐小氏で、カリフォルニアをベースに活動しているらしい。
   
    ハープといえば、スーザン・マキュオンの《BLACKTHORN》でコロンビア人のハーパーが大活躍していて、かれもジャズを志向してました。
   
    で、その古佐小氏が、オレゴンのリード楽器担当ポール・マッキャンドレスとのデュオで来日するそうです。YouTube にはプロモ・ビデオがあがってます。これを見るかぎり、本番のライヴは相当期待できます。詳しくは下記特設サイトをどうぞ。




 《オレゴンのリード奏者 ポール・マッキャンドレス + ハープ奏者古佐小基史 来日コンサート》

清澄で耽美的な世界と親しみやすさを併せ持つ驚異の芸術集団オレゴンのリード奏者ポール・マッキャンドレスと、ジャズ・ハープで新地平を切り開いている古佐小基史による注目のデュオ公演!!

☆とき:10/01(金)18:30開場 19:00開演
☆ところ:音楽の友ホール
(東京メトロ東西線 神楽坂駅1番出口より徒歩1分)
〒162-8716 東京都新宿区神楽坂6-30
TEL:03-3235-2115
☆チケット:前売り4,000円   当日4,500円
       発売中 全席自由 整理券による番号順の入場等はありません。
☆チケット販売:disk union下記の店舗, e+(イープラスチケットサービス)
  Disk Union  *お茶の水ジャズ館/TEL:03-3294-2648
   *新宿ジャズ館/TEL:03-5379-3551
*新宿プログレッシブロック館/TEL:03-3352-2141
*渋谷ジャズ/レアグルーヴ館/TEL:03-3461-1161
*吉祥寺ジャズ&クラシック館/TEL:0422-23-3533
*横浜関内店/TEL:045-661-1541

☆コンサート特設サイト

☆コンサート情報ブログ



Thanx! > 飯野さん@M-23 PRODUCE

    この場合のハープはブルース・ハープのハープではなく、竪琴。楽器はペダルのある形ですが、クラシックで一般的なグランド・ハープよりはひと回り小さな、ケルティック・ハープに近いサイズです。
   
    そのハープで主にジャズを弾くのがこの古佐小氏で、カリフォルニアをベースに活動しているらしい。
   
    ハープといえば、スーザン・マキュオンの《BLACKTHORN》でコロンビア人のハーパーが大活躍していて、かれもジャズを志向してました。
   
    で、その古佐小氏が、オレゴンのリード楽器担当ポール・マッキャンドレスとのデュオで来日するそうです。YouTube にはプロモ・ビデオがあがってます。これを見るかぎり、本番のライヴは相当期待できます。詳しくは下記特設サイトをどうぞ。




 《オレゴンのリード奏者 ポール・マッキャンドレス + ハープ奏者古佐小基史 来日コンサート》

清澄で耽美的な世界と親しみやすさを併せ持つ驚異の芸術集団オレゴンのリード奏者ポール・マッキャンドレスと、ジャズ・ハープで新地平を切り開いている古佐小基史による注目のデュオ公演!!

☆とき:10/01(金)18:30開場 19:00開演
☆ところ:音楽の友ホール
(東京メトロ東西線 神楽坂駅1番出口より徒歩1分)
〒162-8716 東京都新宿区神楽坂6-30
TEL:03-3235-2115
☆チケット:前売り4,000円   当日4,500円
       発売中 全席自由 整理券による番号順の入場等はありません。
☆チケット販売:disk union下記の店舗, e+(イープラスチケットサービス)
  Disk Union  *お茶の水ジャズ館/TEL:03-3294-2648
   *新宿ジャズ館/TEL:03-5379-3551
*新宿プログレッシブロック館/TEL:03-3352-2141
*渋谷ジャズ/レアグルーヴ館/TEL:03-3461-1161
*吉祥寺ジャズ&クラシック館/TEL:0422-23-3533
*横浜関内店/TEL:045-661-1541

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Thanx! > 飯野さん@M-23 PRODUCE

    キキオンのライヴがあるそうです。をを、鞴座との共演ですね。

08/01(日)東京・下北沢・lete
open 19:00 start 20:00 <2 stage>
予約2,000円+drink / 当日2,300円 +drink

09/23(木・祝)東京・吉祥寺・MANDA-LA2
open 18:30 start 19:30 2,500円+ 1drink order
w/ 鞴座 (from 大阪)
金子鉄心: イルン・パイプ(アイリッシュ・バグパイプ)ほか管楽器
藤沢祥衣: アコーディオン
岡部わたる: guitar, per

キキオン
vo.concertina.etc.十時由紀子 / g.bouzouki 小熊英二 /accordion.etc.佐々木絵実

Thanx! > 小熊さん@キキオン

    本日 02:00 予定で今月号を配信しました。未着の方はご一報ください。
   
   
    明日、いやもう今日ですが、東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」での連続講演第409回「文明の衝突」をおこないます。15:30スタートです。
   
    ついさっきまで選曲と組合せをやっていました。まずまず、おもしろいラインナップになったと思います。録音の優秀盤も結構あって、これを「いーぐる」のシステムで聴くのも楽しみのひとつです。
   
    また寒くなっていますが、良い音楽を聞いて暖まりましょう。(ゆ)

 ペンタングルのCD4枚組ボックス《THE TIME HAS COME 1967-1973》の国内仕様(BVCZ-37042/45, 税込8,400円)がBGMジャパンから発売されています。国内プレスではなく、輸入盤にライナー翻訳と歌詞、歌詞対訳を入れた別冊をパッキングした形。

 こういう仕様は従来は輸入業者がやっていて、レーベルには断りなしに勝手に輸入盤に帯を付けて国内流通させるため「勝手帯」と呼ばれたものでしたが、レーベル自体がやるとなると「勝手」ではないですねえ。ちなみに国内の流通網にのせるには帯を付けることが必須なのだそうな。

 ただ、ケースとほぼ同じサイズの別冊がシュリンク・パックされていて、流通ではいいのでしょうが、買ってシュリンクを破ると、元のケースと日本語冊子は別々になるわけで、保存にはまことに不便です。ユーザーの身になって考えていない点で、商品としては失格と言わざるをえないでしょう。


 このボックスの内容について言えば、個人的にはあまり出来のよいボックスとは思いません。普通こういうボックスは、これだけ聞けば全体像もわかり、他では聞けないものも聞けるお買い得品なのでしょう。が、このボックスはレア物に重点が置かれていて、熱心なマニア向けに作られているようなのですが、しかしほんとうにレアなのは最後の1枚だけで、これだけ聞くためにボックスを買うのは引きあいません。これからペンタングルを聞こうと言うのなら、ファーストから《ソロモンズ・シール》までのオリジナルを一つひとつ聞いていった方が、楽しみは大きいと思います。BGMでは現在オリジナル・ペンタングルの正規盤も紙ジャケ仕様ですべて出しています。あの6枚には音楽の神が宿った輝きがあって、時空を超えた音が響いています。全部 iPod  に入れて(できれば Apple Lossles 以上の音質で)シャッフルで聞くことをお薦めします。(ゆ)

 今年のグラミー賞候補作が発表になってます。

 今年はケルト系のものはなし。
 代わりにノルウェイの冬のダンス・パーティを再現した(?)《HAMBO IN THE SNOW》があります。フィドル&ヴォーカル、ハーディングフェーレ、アコーディオン&ベースのトリオ。国内のオンライン・ショップでは見あたりません。レーベルのサイト、Amazon.com では買えます。

 このレーベルはミュージシャンが自作の権利を持てるようにと、エンジニアが作った会社だそうです。つまり、ミュージシャンは自作の権利を持てないのがふつうなわけ。なので、レーベルの音楽傾向はかなり種々雑多のようです。また、エンジニアが作っただけあって、録音自体にも気を使っているようです。


Field 16 ― World Music
Category 72
Best Traditional World Music Album
(Vocal or Instrumental.)

《MUSIC OF CENTRAL ASIA VOL. 2: Invisible Face Of The Beloved: Classical Music Of The Tajiks And Uzbeks》
The Academy Of Maqam
[Smithsonian Folkways Recordings]

《ENDLESS VISION》
Hossein Alizadeh & Djivan Gasparyan
[World Village]

《HAMBO IN THE SNOW》
Andrea Hoag, Loretta Kelley & Charlie Pilzer
[Azalea City Recordings]

《GOLDEN STRINGS OF THE SARODE》
Aashish Khan & Zakir Hussain
[Moment Records]

《BLESSED》
Soweto Gospel Choir
[Shanachie]


Category 73
Best Contemporary World Music Album
(Vocal or Instrumental.)

《TIKI》
Richard Bona
[Decca]

《M'BEMBA》
Salif Keita
[Decca]

《WONDER WHEEL》
The Klezmatics
[Jewish Music Group]

《LONG WALK TO FREEDOM》
Ladysmith Black Mambazo
[Heads Up International]

《SAVANE》
Ali Farka Toure
[World Circuit/Nonesuch]

 デンマークのフォーク&ルーツ音楽を代表するミュージシャン12組がライヴを行い、ネットでストリーミング放送するとともに、後日、自由にダウンロードできるようになるそうです。仕掛けたのはデンマークを代表するレーベルの GO' Danish Folk Music

 サイトはこちら

 ライヴのネット中継、ネット配信はあたりまえですが、ネットでの中継、配信を前提に、そのためにわざわざライヴをするのは初めてではないでしょうか。少なくともフォーク&ルーツ音楽シーンではこれまで聞いたことがありません。

 ライヴが行われるのは現地時間の今月26日から29日の4日間。連日3組ずつ、計12組。会場はユトランド半島東部の港街フレゼレシャにある ‘Bruunske Pakhus’(サイトはこちら。ただし、当然デンマーク語です。英語ページは見つからず)。ライヴそのものも無料だそうですが、上記の会場に予約が必要。デンマークおよびその付近在住、またはその頃にあちらにいらっしゃる方はトライされてはいかがでしょう。

 また、毎日ライヴの前に、様々なテーマでの講演もあるそうです。

 ライヴそのものはいずれも現地時間(グリニッジ標準時+1時間)の19:00から23:00まで。
 各ミュージシャンのサイトへのリンクは上記公式サイトにあります。

11/26
TRIO MIO
EIVOR
PHONIX

11/27
SUSSIE NIELSEN BAND
ZAR
INSTINKT

11/28
KASI/R
TUMULT
HENRIK JANSBERG BAND

11/29
HAUGAARD & HOIRUP
SERRAS
AFENGINN

 ぼくは半分ほどしか聞いたことがありませんが、それから判断するかぎり、どれも一級のミュージシャンばかりです。Kasi/r のよう生だ10代の若手から、ハウゴー&ホイロップまで、世代もスタイルもジャンルの幅も広い。ハウホイだけが飛びぬけているわけでもなく、デンマーク音楽の層の厚さ、今のシーンの活況がわかります。このイベントはおそらく自体を画するものになるはず。

 なかなかデンマークにまで来られない世界中の人びとに、デンマーク音楽のすばらしさを伝えたいという熱意には感服します。

 ホント「なぜ、いま?」ですが(^_-)、まあ、著者と直接会う機会はなかなかないので、イベント自体はありがたいことです(もっともぼくは行けそうにないんですが)。

 岩波新書で『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記―』を出された久保田麻琴さんがサイン会を行い、またサラーム海上さんとトーク・イベントをされるそうです。

 この辺の音楽は金沢大学の粕谷さんも書かれているように、アイルランドを聞くぼくらにとっても参考になることが多いと思います。

   *   *   *   *   *

「なぜいま?」という疑問は抱かれるむきもあるかもしれませんが、満を持して(!?)新書刊行記念のサイン会ならびにトーク・イベントが開催されますので、ご案内させてください。

★サイン会
初のCD付き 岩波新書  『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記―』
刊行記念
日時:11/18(土)16:00〜
場所: 啓文堂 吉祥寺店
定員:先着50名様
※ 新書お買い上げの方に整理券配布
ご予約・お問い合わせ先:
啓文堂書店 吉祥寺店(0422-79-5070)

★トーク・イベント:
日時:11/18(土)19:00開場 19:30開始
司会・進行は、自らも最近最新刊『PLANET INDIA プラネット・インディア』を刊行したばかりの「よろずエキゾ風物ライター」のサラーム海上氏です。
場所:茶房 高円寺書林
会費:前売り:1800円 当日:2000円(1ドリンク付き)
ご予約・お問い合わせは⇒
茶房高円寺書林 03-6768-2412 庚申通り庚申塔前左折

岩波のHPにもご案内を掲載しております:

当日は、スペイン・アフリカへの旅から戻られた直後の久保田さんの最新の音との出会いについても伺えるかもしれません。


Thanx! > 上田麻里さん@岩波書店新書編集部


 マジョルカ島出身の偉大なシンガー、地中海のディーヴァ、マリア・デル・マール・ボネットの最新作《amic, amat》が今月17日、ビーンズ・レコードから出ます。

○Beans Records BNSCD-8821
定価3,150円(税込み)
解説=白石和良

 通算25作目。スタジオ録音のオリジナル盤としては《CAVALL DE FOC(炎の馬)》 (1999) 以来でしょうか。47頁におよぶ豪華ブックレット付きだそうです。

 今回はダマスカスのアラブ古典音楽の楽団と組み、かの傑作《SALMAIA》(1995) や 《CANCONS DE LA NOSTRA MEDITERRANIA》(1982) の流れを汲む、地中海音楽絵巻です。その中に、故郷マジョルカの典雅な合唱曲が織りこまれているのがまた良い。なぜかブルース・スプリングスティーンが1曲(^_-)。

 お近くのレコード店にない場合にはこちら

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