みみたぼ
石川真奈美: vocal
shezoo: piano
北沢直子: fulte, bass-flute
12月20日・月
Top Floor Taivers のアルバムの前作にあたるソロ。ギター、ピアノ、フィドル、アコーディオンをバックに伝承曲、オリジナルを歌う。
筋の通った、気品に満ちた声で虚飾を排し、正面から歌う。声域はソプラノよりはやや低いか。発音も明瞭で、スコッツの響きが快い。ディック・ゴーハンあたりだとごつごつした響きが、とんがり具合はそのままに透明感を帯びる。言語学的には英語の方言だが、スコットランドの人びとは独立した言語だと主張する。沖縄のウチナーグチが言語学的には日本語の方言だが、まるで別の言語に聞えるのと似ている。
歌唱があまりにまっとう過ぎて、芸がないと聞える時もなくはないが、そんな枝葉末節は意に介さず、ひたすら正面突破してゆくと、スコッツの響きとスコットランドのメロディは、ここにしかない引き締まって澄みわたった世界を生みだす。
それを盛りたてるサポート陣は相当に入念なアレンジで、これまたうるさく飾りたてることはせず、贅肉を削ぎおとしながら、歌の世界をふくらませる。あたしなどはいずれも初見参の人たちだが、皆腕は達者だ。打楽器がいないのも適切。
録音、ミックス、マスタリングは Stuart Hamilton で、例によって手堅い仕事。
##本日のグレイトフル・デッド
12月20日には1966年から1969年まで3本のショウをしている。公式リリースは完全版1本。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
前回12月11日から9日ぶりのショウ。メインはオーティス・レディングが3日連続で出演し、それぞれに違うバンドが前座に出る形で、初日がデッド。2日目は Johnny Talbot & De Thangs、3日目がカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ。3ドル。開演9時。セット・リスト不明。
2. 1968 Shrine Exhibition Hall, Los Angeles, CA
このヴェニュー2日連続の1日目。メイン・アトラクションはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュで、デッドは前座。サー・ダグラス・クィンテットも出る、とポスターにはある。出演バンドそれぞれが2ステージとこれもポスターにはあるが、判明しているセット・リストは30分ほどのもののみ。
3. 1969 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
3ドル。開演8時。5本連続の中日。《Dave’s Picks, Vol. 06》で全体がリリースされた。ただし、〈Dark Star〉以下に続くジャムを途切れずに収録するために、CD2とCD3に第一部第二部を入れ換えて収録している。
全体で2時間強。トム・コンスタンティンがキーボードに入ってメンバーは7人。デッド史上最大。このコンスタンティンのオルガンが全篇を貫いてデッドにしては珍しい華やかな味わいを加えている。代わりにガルシアのギターは調子が今一つ。ピグペンも〈Turn On Your Lovelight〉と〈Hard to Handle〉で存在感を示すが、後者の方がいい。〈Lovelight〉では弾丸のような言葉の連発が影を潜める。この二人以外はすばらしい。中でもウィアのヴォーカル、レシュのベースが際立つ。
11月に《Live/Dead》が出ている。当時、破格の3枚組LPだったが、これがデッドの足許を固めた。それまでの3枚のスタジオ盤はやりたいことが四方八方に飛びちっていて、リスナーはもちろん、当人たちにとっても足掛かりにはなり難かった。この3枚によって、デッドなりのスタジオの使い方が見えてきたとしても、本質的にライヴ・バンドであることを確認することにもなった。その結果がこの年2月のフィルモア・ウェストでのショウから抜粋した《Live/Dead》であり、3枚組に7曲しか入っていない点でも破格のアルバムは、デッドが何者かをリスナーに伝えることに成功して新たなファンを獲得した。
この演奏はそこからほぼ1年近くを経て、かなりの変化を示している。それまでのピグペンのデッドからガルシアのデッドへの移行期にある。《Live/Dead》を期待してショウに来たリスナーはとまどったかもしれない。一方で《Live/Dead》1枚目の裏表である〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉という組立ては1969年を象徴するものでもあり、これを生で聴けるのはこの年のデッド体験のコアになっただろう。
録音はアウズレィ・スタンリィだが、音質は今一つ。ヴォーカルは誰もがクリアだが、楽器は中央にかたまり、ややピントが甘い。(ゆ)
11月29日・月
昨夜 T3-01 で音がおかしい、高域が伸びきらないと聞えたのは、T3-01 をきちんと耳に載せていなかったためらしい。Sound Warrior の SW-HP10LIVE も、音がおかしいと思ったのは、装着の仕方の問題だったようだ。
イヤフォンでも耳への入れ方でかなり音が変わるが、ヘッドフォンだからといって甘く考えてはいけない、という教訓。
シンプルな編成の女性ヴォーカル・シリーズ。岩崎宏美 & 国府弘子《Piano Songs》。これはパンデミック以前のさるオーディオ・イベントでデモに使われていたのに圧倒されて即購入したもの。デモに使われていたオープニングの〈Scarborough Fair〉と〈時の過ぎゆくままに〉がやはり圧巻。とりわけ前者は、国府の力演もあって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。最後の繰返しなど聴くと、一応ラヴソングとして歌っているようだが、しかし、感傷を徹底して排した歌唱もいい。
念のために記しておけば、このイングランド古謡はラヴソングなどではなく、香草の名を呪文として唱えて悪魔の誘いからかろうじて逃げる、ほとんどホラーと呼んでいい話だ。
手許のディスクは〈時の過ぎゆくままに〉も含め、数曲が "New Mix Version" になっている。これがどうも疑問。〈Scarborough Fair〉のミックスが "old" とすると、こちらの方が自然に聞える。〈時の過ぎゆくままに〉は歌もピアノもすばらしいが、この "New Mix Version" では、うたい手がピアノの中に立っているように聞えてしかたがない。スピーカーで聴くとまた違うかもしれないが。
##本日のグレイトフル・デッド
11月29日には1966年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA
このヴェニュー4日連続の初日。開演9時、終演午前2時。共演 Jerry Pond。セット・リストはテープによる。全部かどうか不明。また、交換網に出回っているテープはこの日のショウだけのものではなく、4日間の録音から編集したものではないか、という議論もある。テープが出回りだしたのは1997年1998年の頃で、すでに30年経っている。録音した者、編集した者が誰かも不明。
Jerry Pond はこの頃デッドと何回か共演というか前座を勤めた。背の高い、人好きのするギタリストでソングライターだった。平和運動に関係する人びとを FBI が追いかけだした時にメキシコに逃れ、シャーマンの弟子となって、かれなりに「悟り」を開いたという。Lost Live Dead の記事のコメントによる。
この記事自体は、フィルモアのヘッドライナーになろうとしていたこの時期に、デッドがわざわざずっと小さな The Matrix で4日間も演奏したのは、デモ・テープを録音しようとしたためではないか、という推測を語る。
2. 1970 Club Agora, Columbus, OH
第一部はガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。第二部は休憩無しの2時間。セット・リストはテープによる。
ガルシアが常になくノっていて、通常ならドラムスになるところ、ガルシアが演奏を止めないので、少しして他のメンバーも入って〈Good Lovin'〉に突入、モンスターとなる、そうだ。
3. 1979 Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH
7.50ドル。開演7時。
セット・リスト以外、他には情報無し。
4. 1980 Alligator Alley Gym, University of Florida, Gainesville, FL
9ドル。開演8時。第一部3曲目〈Candyman〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
5. 1981 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
9.50ドル。開演7時半。
セット・リスト以外、他には情報無し。
6. 1994 McNichols Arena, Denver, CO
開演7時。
第一部〈El Paso〉でウィアはアコースティック・ギター。(ゆ)
古い知人からもう何年も放置している Mixi にメッセージが来て、驚いた。中身を見て、一瞬茫然となる。ナンシ・グリフィスの訃報だった。
ナンシを知ったのは何がきっかけだったか、もう完全に忘却の彼方だが、たぶん1990年前後ではなかったか。リアルタイムで買ったアルバムとして確実に覚えているのは Late Night Grande Hotel, 1991だ。けれどその時にはファーストから一応揃えて聴きくるっていた。あるいは Kate Wolf あたりと何らかのつながりで知ったか。
あたしはある特定のミュージシャンに入れこむことが無い。もちろん、他より好きな人や人たちはいるけれど、身も世もなく惚れこんで、他に何も見えなくなるということがない。そういうあたしにとって最もアイドルに近い存在がナンシだった。一時はナンシ様だった。
アイドルは皆そうだろうが、どこがどう良いのだ、とは言えない。彼女の声はおそらく好き嫌いが別れるだろう。個性は結構シャープだけど、一見、際立ったものではない。でも、この人の歌う歌、作る歌、そしてその歌い方は、まさにあたしのために作り、歌ってくれていると感じられてしまう。そういう親密な感覚を覚えたのは、この人だけだった。後追いではあったけれど、ほぼ同世代ということもあっただろう。
MCA 時代も悪くはなく、中でも Storms, 1989 は Glyn Johns のプロデュースということもあり、佳作だと思う。優秀録音盤としても有名で、後からアナログを買った。とはいえ、やはりデビューからの初期4枚があたしにとってのナンシ様だ。初めは Once In A Very Blue Moon と Last Of The True Believers の2枚だったけど、後になって、ファーストがやたら好きになって、こればかり聴いていた。でも、ナンシの曲を一つ挙げろと言われれば、Once in a very blue moon ではある。
ナンシのピークはやはり Other Voices, Other Rooms だろう。グラミーも獲ったけど、これはもう歴史に残る。狙った通りにうまく行ったものが、狙いを遙かに跳びこえてしまったほとんど奇蹟のようなアルバム。一方で、あまりに凄すぎて、他のものが全部霞んでしまう。本人もその後足を引っぱられる。それでも、この1枚を作ったことだけで、たとえて言えば、ここにもゲスト参加しているエミルー・ハリスの全キャリアに比肩できる。
と書いてしまうとけれどこのアルバムの聴きやすさを裏切るだろう。親しみやすく、いつでも聴けるし、BGM にもなれば、思いきり真剣に聴きこむこともできる。そして、いつどこでどんな聴き方をしても、ああ、いい音楽だったと思える。でも、よくよく見直すと凄いアルバムなのだ。アメリカン・ミュージックのオマージュでもあり、一つの総決算でもあり、そう、ここには音楽の神様が降りている。選曲、演奏、録音、プロデュース、アルバムのデザイン、ライナー、まったく隙が無い。隙が無いのに、窮屈でない。音楽とは本来、こうあるべきという理想の姿。この頃のジム・ルーニィは実にいい仕事をしているけれど、かれにとっても頂点の一つではあるだろう。
ここにも Ralph McTell の名曲 From Clare to Here があるけれど、ナンシはアイルランドが大好きで、カントリー大好きのアイリッシュもナンシが大好きで、ひと頃、1年の半分をダブリンに住んでいたこともある。チーフテンズとツアーもし、ライヴ盤もある。
今世紀に入ってからはすっかりご無沙汰してしまって、ラスト・アルバムも持っていない。それが2012年。サイトを見ても、コロナの前からライヴもほとんどしておらず、あるいは病気だろうかと思っていた。死因は公表されていない。これを機会に、あらためて、あの声と、テキサス訛にひたってみよう。合掌。(ゆ)