クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:万年筆

 台湾の文具メーカー HAPPYMT の万年筆とインクのセットをクラウドファンディングで支援。もう万年筆はやめようと思っていたのだが、あと1人でプロジェクトが成立になっていたので、これも縁というものだろう、という動機。それに真鍮製ボディというのは気にはなる。


 ここが出してる封蝋のセットはちょと面白い。封蝋の蝋を溶かす仕掛けに趣がある。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月09日には1967年から1991年まで9本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 Panhandle, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 日曜日。デッドは暇さえあると、ここでフリー・コンサートをしていたと言われるが、なぜ、この日だけ DeadBase XI が掲載されているのかはわからない。昼間はここでやり、夜は次のイベントに出たのだろうか。セット・リスト不明。

2. 1967 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 日曜日。"Week of the Angry Arts-West Mobilization" "Spring to end the war in Vietnam" を掲げたコンサート。共演 Sopwith Camel、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ。セット・リスト不明。
 Sopwith Camel は1965年、サンフランシスコで結成された5人組バンド。サンフランシスコ出身のバンドでメジャー・レーベルと契約した2番目で、トップ40・ヒットをとばした最初のバンド。バンド名は第一次世界大戦で英空軍が使用した複葉戦闘機の機種名から。スヌーピーが犬小屋の屋根で操縦しているつもりになっている機種で、アメリカ人にはそちらの方で有名ではないか。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー4日連続の初日。3ドル。この4日間はマイルス・デイヴィスが1時間の演奏をした。マイルスは1ヶ月前にフィルモア・イーストに初出演。フィルモア・ウェストはこれが初登場。Stone The Crows、Clouds 共演。
 デッドは2時間近い一本勝負。後半〈Good Lovin'〉の後、ウィアのアンプが故障し、修理されている間、客席で、ラリった表情の男が立ち上がり、ジューズ・ハープを演奏しながら歌った。その場での即興のように聞えた。終ると警備員が外に連れだした。テープでは〈Cowboy Song〉とされている。
 〈It's A Man's, Man's, Man's World〉が3曲目でデビュー。この年09月18日、フィルモア・イーストまで11回演奏。ジェイムズ・ブラウンの曲。
 Stone The Crows は1969年グラスゴーでマギー・ベルと Les & Alexander Harvey の兄弟を中心に結成されたブルーズ・ロック・バンド。仕掛人はレッド・ツェッペリンのマネージャー Peter Grant。リード・ギタリストのレズ・ハーヴェイが1972年5月のコンサートの折り、ステージ上で感電死したことで知られる。兄のアレクサンダーは後に The Sensational Alex Harvey Band を作る。
 Clouds は1964年にスタートしたスコットランドのトリオらしい。初め The Premiers と名乗り、1-2-3 に改名、さらに Clouds となった。1969年に最初のシングルとアルバムを出した。

4. 1982 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY
 金曜日。9.50ドル。開演8時。

5. 1983 Hampton Coliseum, Hampton, VA
 土曜日。9.50ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。良いスタートの由。この年は3月下旬、いきなりアリゾナ、ネヴァダで始め、サンフランシスコで三連荘のあと、1週間余り置いて、ここから04月26日フィラデルフィアまで、南部、東部を回る。

6. 1987 UIC Pavilion, University of Illinois, Chicago, IL
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。

7. 1988 The Centrum, Worcester, MA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。WCUW で FM放送された。

8. 1989 Freedom Hall, Louisville, KY
 日曜日。開演7時半。この街にちなんで〈Louie Louie〉をミドランドが "Louie-ville Louie-ville" と歌って、客席が湧いた。

9. 1991 Orlando Arena, Orlando, FL
 火曜日。このヴェニュー3日連続の楽日。21.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。(ゆ)

duc note 久しぶりに上京したので、東京駅丸の内口オアゾの丸善に行く。まっすぐ文具売場に上がって、ダック・ノートを買う。このところメインのノートになっているので、ひとつの上のサイズを買う。いま使っているのはB6で、このサイズには方眼は4ミリしかない。一つ上は、正方形に近い、不思議なサイズで、方眼は4ミリと8ミリの2種類。見くらべてみて、8ミリのものはどうも使いにくそうだったので、4ミリにする。さらに上の、いちばん大きなサイズは、形は同じでそのまま1.5倍ぐらいの大きさで、こちらでは8ミリしかない。この大きさはふだんもって歩くにはいかにも大きすぎる。学校ではB5判で平気だったのだが、小さめのほうが使い勝手がよいというのは、真理か、人間が小さくなったのか。

 ダック・ノートに較べると、他のノートはモールスキンも見劣りがする。中の紙や製本はもちろんなのだが、表紙の布張りがよい。手触りが抜群。ざらりとしているが、品格がある。色もシック。さらによいのは、どちらの表紙も表にできることだ。右開きにしたとき表になるほうの右片隅に、小さく "MARUZEN" と入っているだけなのである。右開きで縦書きに使いたいのだが、国産の方眼ノートでも、左開きを前提につくられている。今のところ、例外には出遭っていない。伊東屋が和綴じのノートを出しているが、あろうことか、左開きである。和綴じのノートに横書きで書けというのだ。和服でオリンピックの百メートル走に出ろ、というのか。

 パソコン、ワープロで横書きはまだわかる。しかし、日本語の文字はどれも縦書き用にできている。横組み用の日本語フォントのデザインや、レイアウト・ソフトが字組、行組でみんな苦労しているのはそのためだ。屋名池誠の『横書き登場―日本語表記の近代』が明らかにしているように、明治に横組みが生まれるまで、生まれてから千年以上、日本語はすべて縦に書かれ、組まれていた。日本語は縦に書くときにいちばん楽に書けるし、また読めるのも理の当然だ。横組みの普及は日本語の柔軟性の現れではある。が、日本語の生理には反している。本質的に無理をしている。そのことは忘れるわけにはいかない。

 とはいえ、このご時世である。左開きのノートを作れ、というのは無理難題の部類に入るだろうことは承知している。しかし、どちらからでも使える、ぐらいのデザインはできるはずだ。それがただのひとつも無いとは、なにか大切なものを脇に置いていないか。

 丸善のダック・ノートは、その中で、どちらからでも使える形に一番近い。これを見つけたときには、安堵感のあまり、気を失いそうになった。

 今のところ、唯一の欠点は、ネットで買えないことである。丸善の法人向けサイトでは買えるようだが、個人での登録はできない。手に入れるためには、丸善の店舗まで出かけていかねばならない。まあ、ひとつぐらい、そういうものがあってもよかろう。なんども足を運ぶのがどうしてもできないなら、行けるときに大量に買って、送ってもらえばよい。

 これに書くのは丸善の「エターナル・ブルー」を入れたペリスケ。このインクは日本橋店を改装したときに、記念に発売したもの。そろそろ無くなるので補充しようとインク売場に行くが、見あたらない。店員に聞いたら、もともと500個限定発売だったのだそうだ。ただし、注文していただければ作ります、という。あちこちの文具店でオリジナル・インクを売るのが流行のようになっているが、これはみなセーラーが作っている。「エターナル・ブルー」もセーラーのインク・ブレンダーとして有名な石丸氏のオリジナル作品だそうだ。注文があると、特注して作ってもらう由。特注だが、一個から注文可能で、価格は2,100円。容器の形は変わったそうだが、容量50ccも同じ。これもこの店まで買いに来なければならないから、交通費を足せば3,500円ぐらいにはなるが、それだけの価値のあるインクではある。

 「エターナル・ブルー」はコバルトとブルー・ブラックの中間の色だと思うが、コバルトほど浮つかずにおちつきがありながら、ブルー・ブラックのように沈みこまない。そのバランスが絶妙。書いた直後と時間が経ってからの色の変化が少ない。書いていて、じつに気持がよいし、後で読みかえすときにも視認性がよい。白い紙でもよいが、ダック・ノートのクリーム地にまたよく合う。

 セーラーの石丸氏はインク工房として全国を回っているので、そこに行けば作ってもらえるかもしれない。

 ペリスケと「エターナル・ブルー」の組合せはなぜかはまっている。ペリスケはとくに優れたペンではないかもしれないが、妙に手になじむ。万年筆は使っているとペン先が磨かれて手の癖に合ってくるというが、これがそうなのか。いま使っているペリスケはペン先の製造にミスがあるらしく、一ヶ所引っかかってインクがかすれるところがあるのだが、気にしないでふだん使いに使っていたら、いつの間にか手放せなくなってしまった。(ゆ)

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