クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:三線

04月30日・土
 岡大介さんのライヴ。実に久しぶりで、あいかわらず元気。というか、ますます元気。MC はあいかわらず「素朴」だが、歌と演奏は見事なもの。ゲストで出てきたボードヴィルの上の空空五郎も達者な芸。

 材料費3,000円で作ったカンカラ三線を20年使いつづけているそうだが、ひときわ巧くなったように思えるのは、久しぶりのせいか。この楽器、一応音は増幅されるが、サステインというものがほぼ皆無なために声が増幅されるように聞えるのが面白い。岡さんの声に合ってもいるのだろう。

 唄もマイクはあるが、むしろ補助に見える。1曲、史上初の壮士演歌がこれですと〈ダイナマイト節〉を、当時唄われていた形といって、無伴奏、オフマイクで唄ってもまったく問題ない。会場が小さいこともあろうが、声はよく通る。昔から通っていたが、さらによく通るようになったとも聞えるのも久しぶりのせいか。

 この日は添田唖蝉坊生誕150周年記念ということで、唖蝉坊やその弟子の鳥居春陽やの曲を中心に唄う。大正も後半にはヴァイオリン伴奏の演歌も出てくるが、あれは学生のアルバイトなので、演歌とは呼びたくない、と言う。昭和以降の演歌は本来は「艶歌」または「円歌」でしょうというのはその通り。

 現代の唖蝉坊と言ってもいいということで、高田渡の〈生活の柄〉を歌ったのがまずハイライト。そしてその前の沖縄の〈屋嘉節〉が凄かった。岡さんが沖縄の歌をうたうのを聴くのは確かに初めての気がするが、ものの見事にハマっている。カンカラ三線のキレッキレなのにとぼけた響きが音階とメロディのエキゾティズムを増幅する。

 この場合、エキゾティズムとは、あたしが本来備えている基準からは外れながら同時に魂の一番奥に響いてくるという意味だ。「本来備えている基準」はおそらく先天的なもので、自分では変えることができない。一方で自分の感性としてはそれに従うのは金輪際イヤなものでもある。この感性も後天的かもしれないが、意識して作られたものではない。だから、先天的な本来の基準からは決定的に、対極的に外れながら、後天的な感性が共鳴できるところがあたしにとって一番美味しくなる。可笑しくも、怪しくもあるのは、決定的に対極的に外れながらも、どこか底のところで一本つながってもいなくてはならない。そうでないと、決定的対極的に外れているとはわからないからだ。もっともつながっているのはあくまでも隠し味ではある。表向き感じられるのは、本来あるべきところからずれている、そのずれ具合がちょうど良い、という感覚だ。沖縄の音階やメロディがまさにそうだ。これが奄美になると音階が本土と同じになり、「本来備えている基準」に近くなる。沖縄の前に、ブリテン、アイルランドのモードの音階やそれに基くメロディがあたしにとってはベストのずれ具合だ。トラフィックの〈John Barleycorn〉を聴いて捕まったのが最初の遭遇だった。

 カンカラ三線と岡さんの声の組合せがちょうど良いのでもあるだろう。カンカラ三線はもともと沖縄の楽器で、第二次世界大戦直後のモノの無い時代に、米軍が持ちこんだベッドの端材と米軍がくれた缶詰の空缶と米軍のパラシュートの糸で作った、というのは都市伝説の類ではあろうが、まっとうな三線の無い、作れない環境でありあわせで作られ、使われていたことはまず確かだろう。唄われたうたはこの楽器が生まれた時期にうたわれだしたというから合うのは当然とはいえ、ここまではまると意外になってくる。

 「添田唖蝉坊生誕150年祭」という題目には悪い気もするが、ハイライトはこの二つがダントツだった。唖蝉坊の歌も興味深いものではあるのだが、時代のしがらみがどうしてもついてまわる。唖蝉坊が歌っていたのは本人の主義主張というよりはその時代の精神、当時の庶民の声なき声であるから、当時の偏見、風潮がモロに出てくる。とりわけ女性蔑視の色合いが濃いように聞える。共通し、共鳴する部分ももちろん少なくないが、違う部分がどうしても耳につく。カンカラ三線一本の岡さんのスタイルは、うたそのものの持つ性格、エネルギーをストレートに出すものだから、さらに目立つ。生誕150年記念のCDも作るとのことだが、録音ではそこのところは工夫する必要があるように思える。ライヴではOKでも、録音となると話は別だからだ。

 唖蝉坊関係の歌としては、ゲストの空五郎とデュエットでうたった〈東京節〉がやはりすばらしい。「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノ、パイノパイノパーイ」というあれ。これは息子の知道の作だけど、唖蝉坊演歌の真髄を伝える。

 上の空空五郎はボードヴィルということで基本はウクレレ伴奏の歌。岡さんの三線もそうだが、まずこのウクレレが半端でなく巧い。その気になればこれだけでも十分一流で通るだろう。歌もうまく肩の力が抜けて、強すぎず柔かすぎず、ちょうどよい頃合い。これにいろいろ小技が加わる。まず口トロンボーン。「ウクレレを弾き、うたもうたいます、トロンボーンも少々」と言って、ものの見事にトロンボーンの演奏を声でやってのける。ことわりなく聞いたら、これまた楽器そのものの一流の演奏と思いこむにちがいない。そしてタップダンス。ステージにあたるところは板を敷いてあって、演者はそこから出てはいけないらしいが、タップダンス用にその上にもう1枚板が置かれていた。見事にステップを踏むだけでなく、踊りながらうたうこともする。踊れば息があがるから、これは難しいどころではない。さらに冠っていた山高帽を回したり、はずして頭にもどすのに様々なやり方をやってみせる。背中をくるくるとかけ登らせもする。仕上げにうたったオリジナル〈風風刺刺〉がまた良かった。まさに唖蝉坊演歌現代版。昨年秋に出た新譜《Pandemic Love》を売っていたので、買って帰る。

 開演終演オンタイム。客は50人ほどか。大半があたしと同世代か、さらに上。20代はほとんど付添に見える女性が2人ばかり。30代、40代がちらほら。岡さんの歌っている歌は、今の若者が気に入るようなものではないことは確かだが。

 場所は桜木町の駅前から野毛に登る入口にある横浜にぎわい座。黄金週間初日、天気も上々とあって、ウィルスもなんのその、周囲はまさに大にぎわい。その人込みにまじって帰りながらも、ホンモノのライヴにひたって、気分は晴れ晴れ。昨日のイベントの疲れも癒される。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月30日には1967年から1989年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 The Cheetah, Santa Monica, CA
 日曜日。セット・リスト不明。早番、遅番の2回ショウの由。

2. 1977 Palladium, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。8.50ドル。開演8時。全体が《Download Series, Vol. 01》でリリースされた。
 第二部〈Estimated Prophet〉の後、バンドは次に何をやるか、かなり長いこと議論していて、聴衆はありとあらゆる曲名をわめいた。結局始めたのが〈St. Stephen〉で、会場は湧いた。

3. 1981 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC
 木曜日。9ドル。開演7時半。これも良いショウの由。

4. 1984 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.50ドル。開演7時。

5. 1988 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto , CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演午後2時。スタンフォードの学生限定。KZSU で FM放送された。
 オープナーとして〈Good Times (aka Let The Good Times Roll)〉がデビュー。サム・クックの1964年のシングル。1995-05-29まで49回演奏。オープナーが多い。デッド世界では〈Let The Good Times Roll〉と呼ばれるが、サム・クックの原曲のタイトルは〈Good Times〉。
 全体も良いショウの由。

6. 1989 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時半。雨天決行。前日、無料押込みが大量にいたので、この日は入口で赤ん坊のおむつまで検査された。ここでデッドが演奏するのはこれが最後。ショウそのものはすばらしかった由。(ゆ)

 昨年の第10回はやむをえず欠席で残念無念。今年は万全の体制で臨んだ。このところ、岡さんのライヴはこの木馬亭独演会で年に1回見るだけになってしまっているのはもう少し何とかしたいが、ライヴ通い全体の回数を絞ろうと努めているので、なかなか行けない。これだけでも行けるのは、それだけに嬉しい。

 この人の声と歌にはほんとうに元気をいただく。もう、ほんとに、どーしょーもない世の中で、いっそのこと、火星に亡命でもしたいくらいだが、岡さんがうたうのを聴いていると、よおし、もう一丁、やってみるかという気になる。こういう人が、同時代に生きて、唄ってくれていることのありがたさが身に染みる。

 今回は前半一部はカンカラ自由演歌で、例によってカンカラ三線だけを伴奏に、ソロで唄いまくる。後半の二部は昨年出したアルバムのライヴ版で、録音にも参加した武村篤彦氏がエレクトリック・ギター、パーカッションに熊谷太輔さんというトリオで、「フォーク・ロック」をやる。

 今年は〈東京節〉、「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ」というあれの百周年にあたるそうな。これをラストに置いて、鳥取春陽の〈緑節〉に始まり、明治の〈人間かぞえ歌〉から令和の〈人間かぞえ歌〉につなげ、〈値上げ組曲〉〈増税節〉〈カネだカネだ〉と畳みかける。〈ああわからない〉では客席に降りて、中央の通路を後ろまで来る。誰が来ているか確認してます、と笑わせるが、本当に確認もしてる様子。〈十九の春〉は〈ラッパ節〉の替え歌とのことで、次は〈ラッパ節〉。そして〈東京節〉で締める。

 いつものことながら、カンカラ三線のミニマルな伴奏が歌そのものを引き立てる。無伴奏で唄うよりも親近感が生まれる一方で、伴奏には耳がいかない。一昨年は貫禄のようなものを感じたが、今回はむしろ迫力がある。このクソったれな世の中、何するものぞ、という気概。明治、大正、昭和の演歌師たちもこの気概を発散していたのだろう。

 休憩、というほどのこともなく、BGMにしては音が生々しいと思ったら、幕が開いて、3人が演奏している。左にギターの武村氏、真ん中に岡さん、右に熊谷さん。岡さんだけ立っている。岡さんはアコースティック・ギターとハーモニカ。今度は全曲自作の「フォーク・ロック」。

 武村氏のギターはアーシィなセンスがいい。派手なリード・ギターではなく、ちょっとくぐもったトーンで、渋いフレーズを連発する。

 熊谷さんはいわばホーム・グラウンドで、これもむしろ地味に抑え、ブラシを多用して、ややくすんだパステルカラーの味わい。こういうのを聞くと、セツメロゥズあたりでは、フロントに拮抗できるだけの気合いをこめているのがわかる。あちらでこういうドラムスを叩いたら、たぶんぶち壊しなのだ。

 昨年出した《にっぽんそんぐ》収録の全14曲を全部やる。ほとんど一気呵成。フォーク・ロックと言いながら、ディランで言えば《John Wesley Harding》か《血の轍》の趣。熊谷さんはレヴォン・ヘルムだが、武村氏はロビー・ロバートソンというよりはバディ・ミラー。岡さんのハーモニカは初めて聴く気もするが、冴えわたる。

 とはいえ、ここでも声の力をひしひしと実感する。それはまたコトバの力でもあって、「サケサケサケサケサケ」というリフレインに血湧き肉踊る。踊るといえば、常連客の1人で、いつも踊るおっちゃんが、途中でもうたまらんという風に立ち上がって踊りだす。声とコトバにビートの力が加わると、確かにじっとしてはいられない。

 ラストはやはり〈東京〉。これを聴くために通っているようなところもある。

 引っこんだと思ったら、岡さんが1人で飛びだしてきて、アンコール。客席からリクエストがかかり、それに応えてまずアカペラで唖蝉坊の〈むらさき節〉。そしてカンカラ三線で〈春がきた〉。

 今年も無事、聴けた。地震のくる来年はどうだろうか。すでに10月4日と決まっている。

 月明かりの浅草は昼間の喧騒はさすがに収まっていたが、まだ余韻に浸りたい人がわさわさいる。1人、ベンチに腰を下ろし、本堂を眺めている白人のおばさんは、ベテランの旅行者の雰囲気。こういう人に岡さんの歌を聞かせたら、何と言うだろう。(ゆ)

岡大介: vocal, カンカラ三線
武村篤彦: electric guitar
熊谷太輔: drums

にっぽんそんぐ ~外国曲を吹き飛ばせ~
岡大介 武村篤彦 仲井信太郎
off note / Aurasia
2018-04-29






かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう
小林寛明 岡大介
オフノート
2008-02-03


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