クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:介護

05月24日・火
 昼前、高齢者センターの担当者から電話。母が定期でとっている配食サービスを受け取りに出てこない。すわっと飛びだす。駅までの途中で、家人からメッセージ。再度電話があり、配食サービスの担当者がもう一度行ったら、今度は出てきて、ちゃんと受け取った。はあー、と肩の力が抜ける。出る前に送っておいたメールにも、母から返事がある。うとうとしていて、気づかなかったらしい。まあ、あの歳になれば、寝るようなあ。ひいばあちゃんも90超えてから、ふと見ると寢ていることが多かった。まずはひと安心。

 配食サービスは介護保険が使えるもので、母の希望で始めたのだが、こういう役にも立つのだ、とあらためて実感。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月24日には1968年から1995年まで6本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1968 National Guard Armory, St. Louis, MO
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。セント・ルイスで初のショウ。以後1982年08月まで計22回、この都市でショウをしている。
 セット・リストははっきりしないが、DeadBase XI はこの時期に典型的なリストを挙げている。
 一方、オープナーは〈Morning Dew〉という証言もある。別のバンドが前座をして、デッドと交互にそれぞれ二度ステージに立ったとも言う。
 施設は州兵部隊の文字通り兵器庫で、一角にホールがある。当然この名前の施設は全米各地にあり、その一部でホールを開放していたようだ。

2. 1969 Hollywood Seminole Indian Reservation, West Hollywood, FL
 土曜日。フェスティヴァル2日目。やはり1時間半強の一本勝負。
 《Road Trips, Vol.4, No.1》で全体がリリースされた。録音はアウズレィ・スタンリィ。

3. 1970 Ted Askeys Lower Pig Farm, Leycett, Newcastle-Under-Lyme, UK
 日曜日。カナダを除く初の海外公演。この日1日だけイングランドに飛んでいる。Hollywood Music Festival という2日間のイベントの2日目午後の出演。同じ午後の共演はコロシアムとフリー。両日とも午後の部と夜の部があった。
 デッドは2時間半近い一本勝負。〈Casey Jones〉に始まり、最後は〈Dark Star> St. Stephen> Not Fade Away> Turn On Your Lovelight〉で締める。
 ちなみに他の出演者は
05-23 午後
 ファミリー
 ラダ・クリシュナ・テンプル
 夜
 ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース
 フライング・バリトー・ブラザーズ
05-24 夜
 トラフィック
 クイントエセンス
 トレイダー・ホーン
 ブラック・ウィドウ

4. 1972 Strand Lyceum, London, England
 水曜日。このヴェニュー4日連続の2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。第一部6曲目〈It Hurts Me Too〉、13曲目〈You Win Again〉が《Europe '72》でリリースされた。全体が《Europe ’72: The Complete Recordings》でリリースされた。また同時に出た《Europe '72, Vol. 2》に第一部12曲目〈Playing In The Band〉が収録された。
 この〈Playing In The Band〉はまた一つ、角を曲った感覚。バンド全体が轟々と進んでゆく。この感覚は第二部4曲目の〈Truckin'〉の集団即興で再び現れる。第二部3曲目の〈Black Peter〉はこのツアーでは初お目見えで、前年大晦日以来、ほぼ半年ぶりの演奏。引きしまったよいヴァージョン。ビッグ・ジャムは30分近い〈The Other One〉。途中、ガルシア、レシュ、ウィアのトリオの部分から後が盛り上がる。
 とはいえ、この日はラストに向けてのピグペンまつりがハイライト。〈Turn On Your Lovelight〉で、本来の歌の後にピグペンが即興で歌いつづけるのをバンドが支え、さらにそのままインストのジャムになる。この演奏は原始デッドの最良の部分を甦らせる。このピグペンのパフォーマンスは感動的ですらある。加えて、そのままガルシアが〈The Stranger〉を始める。オルガンを弾きながらうたうピグペンが輝き、最後の "one more time!" は絶唱。そしてアンコール〈One More Saturday Night〉のラストはガルシアがギターをはじいて「ピーン」。最高の締め。
 26曲、3時間強。

5. 1992 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。

6. 1995 Memorial Stadium, Seattle, WA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。28.25ドル。開演5時。
 まずまずのショウの由。(ゆ)

05月09日・月
 母の家に緊急連絡装置をとりつけるのに立ち会う。介護保険で使えるサーヴィスの中に、警備会社につながる緊急連絡装置を置けるのがある。装置のボタンを押すと警備会社にアラートが行き、警備員が駆けつけるとともに、登録した連絡先、この場合、あたしに連絡が行く。警備会社には鍵を預けておく。

 訊いてみると預っている鍵は都心の一部を担当するその支社だけで数千本は下らないそうだ。預かった鍵は専用の袋に入れて管理番号を書いたシールで封印する。管理番号のコピーが預り証に貼って渡される。

 こちらが母の近くに住んでいないための措置で、本人がボタンを押す必要があるから、いざという時、どこまで役に立つかわからないが、無いよりはずっとマシだろう。緊急連絡のシステムにはオプションで、たとえばトイレなどにセンサーをとりつけ、一定時間、使用されないとボタンを押すのと同様のアラートが発せられるようにもできるそうだ。もっともそれを入れようとすると、介護保険からははずれる。

 テレビのリモコンに入れる電池でそれをやるのもあるが、サブスクリプションでまだ高いと感じる。アマゾンの Ring という手もあるが、WiFi が要るし、人間、たとえ家族による善意のものであっても、監視されるのは嫌なものだ。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月09日には1968年から1987年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本、うち1本が完全版。

1. 1968 Electric Circus, New York, NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。早番、遅番のショウをしたが、セット・リスト不明。

2. 1969 Hall Of Flowers, San Mateo County Fairgrounds, San Mateo, CA
 金曜日。DeadBase XI は5曲のセット・リストを挙げている。

3. 1970 Worcester Polytechnic Institute, Worcester, MA
 土曜日。第一部はアコースティック・セット。その4曲以外のセット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジも出た模様。

4. 1977 Buffalo Memorial Auditorium, Buffalo, NY
 月曜日。開演7時半。
 全体が《May 1977: Get Shown The Light》でリリースされた。
 すばらしい〈Help on the Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉で始まるが、その後の第一部はぐんとタイトではあるものの、飛び抜けたところはあまりない。〈Tennessee Jed〉でのガルシアのソロはとぼけた味でユニークだ。こういうユーモラスなギターは他にはほとんど無いんじゃないか。ザッパでもなかなかこうはいかない。それが、クローザーの〈The Music Never Stopped〉に来て大爆発。性能のいいバネにでも載ったように、弾む弾む。ガルシアのソロは一音一音がきらきら輝いている。どんどんと登りつめ、そのままどこまでも行くかと見える。ようやく降りたかと思うと、まだやめない。
 第二部はその勢いのまま、しかしゆったりと余裕をもって悠々と進む。そして熱気。まさにホットな熱演が続く。〈Ship of Fools〉は転覆沈没した船を腕一本で引き揚げられそうだ。〈Estimated Prophet〉から止まらなくなり、〈The Other One> Drums> Not Fade Away> Comes a Time> Sugar Magnolia〉まで1時間近い。要所要所でガルシアのソロが冴えわたり、バンドもそれに反応して、すばらしい集団即興をくり広げる。〈Comes a Time〉のガルシアのソロ・ギターの音色には哀しみと歓びが同居している。ドナのハーモニーもすばらしく、うーん、この歌のベスト・ヴァージョン。抒情したたるこのギターは、ガルシア一世一代と言いたくなる。この日のこの曲は05月08日の〈Morning Dew〉に肩を並べる。キースのピアノとともにそれを優しくそっと収めてガルシアが軽く示唆して遷移。しばし、ゆるやかに序奏した後、歌が始まるとビートが通る。〈Sugar Magnolia〉のガルシアのソロはむしろ軽やかに、足取り軽く、ワルツのステップでも踏むよう。切れ味鋭いフル・バンドのどん、どんに乗って、ウィアとドナがむしろそっと歌いだし、だんだんとバンドが入ってくる。この2人が声を合わせる Sunshine Daydream の輝きはデッド史上最高だ。アンコール〈Uncle John's Band〉もこの歌のベスト・ヴァージョンと言いたくなる。
 一度だけタイムマシンが使えるとすれば、この1977年05月のデッドの一連のランに飛んでゆきたい。

5. 1978 Onondaga Auditorium, Syracuse, NY
 火曜日。オープナー〈Franklin's Tower〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 アンコールの〈Werewolves Of London〉で、ウィアが狼の頭をすっぽりかぶっていた。

6. 1979 Broome County Arena, Binghamton, NY
 水曜日。非常に暑い日だったが、エアコンが効かないかオンになっておらず、場内は蒸し風呂。上半身裸になる者が男女を問わず多数、失神する者も相次いだ。
 演奏はまず第二部オープナーで〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がほぼ4年ぶりに、ミドランドが入って初めて復活したことが大きく、全体としても熱気のこもったもの。とりわけ第二部の〈Truckin'〉の切迫感にはすさまじいものがあった。
 レシュがどこかでマイクに近寄り、着ていたフランネルのシャツを示して、「これはピグペンのシャツだよ」と叫んだ。

7. 1981 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 土曜日。このヴェニュー3本連続のランの楽日。10.50ドル。

8. 1987 Laguna Seca Raceway, Monterey , CA
 土曜日。20ドル。開演正午。このヴェニュー2日連続の初日。共演ブルース・ホーンスビィ&ザ・レンジ、ライ・クーダー。
 このショウの後、〈Touch of Grey〉のビデオ撮影が行われ、多数の客が残って見ていた。撮りなおしが何度もおこなわれ、録音された〈Touch of Grey〉を40回ほども聴かされた後、おしまいとなった。(ゆ)

介護認定

02月21日・月

 母の介護認定に立ち会う。耳が遠くなるなどの加齢に伴う体の不具合はいろいろあるが、頭ははっきりしているのがよくわかる。今のところ要支援だが、要介護にはならないかもしれない。

 生きながらえれば、いずれあたしもこういうのを受けるようになるんだろう。幸い、わが親や祖父母でボケた者はいないから、頭だけは保つ可能性が高い。問題は目と耳。この二つは鍛える方法もないなあ。

 「アルジャーノンに花束を」の中篇版は、やはり後半の、主人公がクスリで増進された知能を失ってゆくところがヤマだが、年をとると読むのがだんだん辛くなる。


##本日のグレイトフル・デッド

 02月21日には1969年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版2本。

 Vince Welnick の誕生日。1951年アリゾナ州フェニックス生。2006年06月02日カリフォルニア州ソノマ郡死。享年55歳。死因は自殺。1990年07月、ブレント・ミドランドの急死を受けて、オーディションで選ばれ、メンバーとなる。同年09月07日初ステージ。1995年07月09日のラスト・ショウまで鍵盤とヴォーカルを担当。ジョン・ペリィ・バーロゥと組んで作曲もする。

 ウェルニクがミュージシャンとして一流だったとしても、グレイトフル・デッドに入ったことが果して幸せだったかどうか。

 デッドは毎回違うことをやろうとし、集団即興をめざした。そのためメンバー間の関係は通常のバンドとは比較にならないほど密接となる。実際、ロージィ・マッギィは回想録 Dancing With The Dead の中で、1960年代にすでにメンバー間の関係は恋人や妻ですら伺い知れず、間に入ることなど思いもよらないほど密接だったと述べている。そういう深くからみあった集団に、結成から四半世紀経って参加し、他のメンバーと「うまくやってゆく」には、ミュージシャンである前に一個の人間として、よほどの覚悟とコミュニケーション能力と、そしておそらく確固として確立した自己が必要だろう。そして、たとえそうした資質を十二分に備えていたとしても、さらにその上に、かなりの重圧も感じられただろう。他のメンバーとしては特に圧力をかけているつもりはなくとも、かれらとして当然のことをやることが、新メンバーには圧力になりうる。デニス・マクナリィはデッドの歴史を描いた著書 A Long Strange Trip の中で、参加して間もなく、あるショウの後で呆然と佇むウェルニクを見つけた時のことを書いている。その日のショウはひどい出来で、ウェルニクはそれが自分のせいだと思いこんでいたのだった。マクナリィはひどい出来のショウはバンドとして珍しいことではなく、ウェルニクの責任ではないことを言って聞かせる。

 ウェルニクは前任のミドランドとほぼ同世代で、加入したとき39歳。人生において冒険する年齡ではもはや無い。己の才能に自信をもち、デッドに新たな要素を持ち込む意気に燃えていたわけでもなかった。あの時のデッドに必要だったのは、おそらくそうした新しい血、若く、溌剌とした新人であったろう。しかし、ミドランドの死の衝撃は、残りのメンバー、就中ガルシアの保守化をもたらした。いわば安全牌を求めさせた。後継の人選において、やってみなはれをやってみる気にはどうしてもなれなかった。

 ウェルニクはリハーサルと録音による勉強で、レパートリィの各曲に詳細なノートを作り、それを持って初ステージに臨む。かれが目指したのは皆の足を引っ張らないことだった。ガルシアがブルース・ホーンスビィに参加を求めたのは、選んでしまったウェルニクにはミドランドの代役、つまり自分のソロの霊感の元としての役割が勤まらないことを覚ったためだったであろう。これは本来、ウェルニクからすれば屈辱でしかない。その場で辞表を叩きつけてもおかしくはなかった。しかし、かれはどうやらそういう性格ではなかったし、また貧困のどん底にあったのを、デッドに拾われて救われてもいた。辞めるわけにはいかなかった事情もある。

 ウェルニク時代のライヴ音源の公式リリースが少ないので、バランスのとれた評価をしにくいが、歴代鍵盤奏者のなかでデッドヘッド間の人気が最も低いことは確かだ。キースもミドランドもプラス・マイナスどちらの評価もあり、強い否定論者もいると同時に熱狂的に評価する者もいる。ウェルニクには、どちらにしても熱意が感じられない。むしろどう評価すべきか、決めかねているようでもある。

 聴いた範囲でのウェルニクは、衰えてゆくガルシアをカヴァーすることに努めている。新しいことを持ち込むよりも、欠けてゆくところを埋めようとしている。またそれがかれとしては等身大、背伸びせずにできる精一杯のところだったようにも見える。

 2002年に The Other One から除外されたことはウェルニクには大きなショックで、結局これがかれの命取りとなった。The Other One を「ファミリー再結集」とした4人におそらく悪気は無かっただろう。というよりも、おそらくはウェルニクはこのプロジェクトの当初からまったく考慮に入れられていなかったのではないか。かれらにとって「ファミリー」とは60年代から続いていた関係であり、1990年になって入ってきた者は一時的滞在者であって、家族とはみなしていなかったのだ。しかし、ウェルニクにしてみれば、グレイトフル・デッドの一員であったことは、人生最大の歓びであり、誇りであった。それを否定されたことは、人間として否定されたのと同じことだった。

 グレイトフル・デッドに出逢って、まずたいていの人間の人生は良い方に変わる。しかし、ずっと良いままである保証もまた無い。そして、良いままであるか、悪い方に変わるかには、当人のコントロールが及ばない。もう1度しかし、ウェルニクにしても、では、デッドに拾われない方が良かったかと訊かれれば、たとえ後でそういう仕打ちを受けるとわかっていたとしても、まず十中八九、拾われて良かったと答えるだろう。



1. 1969 Dream Bowl, Vallejo, CA

 このヴェニュー2日連続の初日。Country Weather、It's A Beautiful Day、サンズ・オヴ・シャンプリン、Blues Helping、サンタナ共演。第二部とアンコールのセット・リストが残る。ショウ自体は原始デッドの好例、と言う。

 It's A Beautiful Day の結成は1967年で、この年06月にファースト・アルバムをリリースする。

 Country Weather はサンフランシスコ郊外で1966年、高校生によって結成され、当初は The Virtues と名乗った。1967年、チェット・ヘルムズの薦めで改名し、オリジナルを作って演奏するようになる。正式な録音は無いが、1969年にプロモーション用に5曲録音している。1973年解散。

 Blues Helping という名のバンドは不明。


2. 1970 Civic Center Arena, San Antonio, TX

 開演6時。6ドル?。イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ジョン・メイオール、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。出演はこの順番で、デッドがトリ。セット・リストは不明だが、後半、原始デッドの定番をやり、〈Turn On Your Lovelight〉の途中で客電が点いたのは、いい加減終れとの合図らしい。


3. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続の4本目。《Workingman’s Dead》50周年記念盤で全体がリリースされた。

 前2本同様、このショウもすばらしい。全体としてゆったりとしたうねりのあるショウ。テンポが遅めで、ガルシアのソロもくだけてメロウで、流れるようにうたう。このランでデビューした新曲はまだフォーマットが固まらず、手探りしてもいる。どれもコーダがあっさりしている。

 ピグペンの出番は3曲だが、どれも腰の入ったブルーズで、かれのハーモニカ、いやブルーズ・ハープもいい。第二部後半の〈Wharf Rat> Truckin'> Casey Jones> Good Lovin'〉の畳みかけは、決して急いではいないのだが、集中の度合いが高まってゆく。

 〈Good Lovin'〉で歌の後、クロイツマンが5分ほど、独りでドラムを叩く。あるいはハートが不在でも心配するな、というデモンストレーションの意味もあるかもしれない。ギターが小さく戻ってだんだん大きくなってジャムになる。ピグペンも戻って即興の歌をつらねる。このあたり、同じジャムでも前年の原始デッドとは明らかに変わっている。より複雑で洗練されて、音楽の中へもう一歩踏みこんでいる。

 〈Good Lovin'〉から間髪を入れずにウィアがコードをアコースティックの響きで弾きはじめる〈Uncle John's Band〉の風格には新生デッド、アメリカーナ・デッドへの手応えを感じる。


4. 1973 Assembly Hall, University Of Illinois, Champaign-Urbana, IL

 このヴェニュー2日連続の初日。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 なるほど良いヴァージョン。CCS 後半のジャムでウィアが渋いソロを聴かせる。ここはかれがリードをとる数少ないところだが、ここでは定型の結論のメロディに向かって霊感に満ちている。ガルシアがこれを軽く受け、徐々に引き継いで IKYR へ移る。メロディらしいメロディを弾かず、軽快に音を散らす。くー、たまらん。ラストのソロでは、中域でほぼ同じ音を繰返してから、高く飛翔する、ガルシア得意のパターン。


5. 1982 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA

 11.75ドル。開演8時。良いショウの由。

 サンフランシスコ、サンディエゴ、このロサンゼルスと回り、次は03月13日にネヴァダ州リノに飛ぶ。


6. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。第二部2・3曲目〈Uncle John's Band〉〈Terrapin Station〉、6曲目〈Eyes Of The World〉にアイアート・モレイラが参加。ホーンスビィはいないが、この年の五指に入るショウだそうだ。


7. 1993 Oakland Coliseum Arena, Oakland,, CA

 24ドル。開演7時。1月下旬の3日連続に続いて、再びここで3日連続のショウをする、その初日。マルディグラ祝賀。新曲デビューが3曲。第一部3・4曲目〈Lazy River Road〉〈Eternity〉と第二部オープナー〈Liberty〉。

 〈Lazy River Road〉はハンター&ガルシア。最後は1995年07月09日のラスト・ショウ。計65回演奏。スタジオ盤収録無し。

 〈Eternity〉はウィリー・ディクソンとボブ・ウィアの曲。1995年07月08日まで、計43回演奏。スタジオ盤収録無し。ベースの Rob Wasserman が《Trio》のアルバムを作った時、ウィアとディクソンを組み合わせた。スタジオでのセッションで、ウィアが思いついていたコードとメロディをディクソンに示し、ディクソンは気に入ってその場で詞を書いた。二人でさらに揉んで、ブリッジを加え、ディクソンが詞を整えて曲ができた。

 〈Liberty〉は1995年07月06日まで、計56回演奏。スタジオ盤はハンターのソロ《Liberty》収録。アンコールで演奏されることが多い。


8. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT

 28ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続の最終日。《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

 オープナーの〈Salt Lake City〉はバーロゥ&ウィアの曲で、この時1度だけ演奏された。スタジオ盤はウィアのソロ《Heaven Help The Fool》収録。

 2015年にバンド結成50周年を記念してリリースされたビッグ・ボックス・セット《30 Trips Around The Sun》は、1966年から1995年までのデッドの30年を、各年1本ずつ代表するショウの完全版によって紡ごうとする企画で、《Europe '72: The Complete Recordings》と並んで、アーカイヴからのリリースとしてこれまでで最大規模のものだ。この日のショウは1995年で初めて全体がリリースされたショウで、この年のショウで全体がリリースされているのは、今のところ、この他には無い。ということはこの年のベストのショウと見ることができる。この録音については、以前、書いている

 1995年の悪評に対して、悪いものばかりではないことの証拠としてこのショウを挙げる向きもある。が、その場での体験はまた別だろう。デッドのショウを実際に体験しているか否かでも、捉え方は変わってくるだろう。まったくの後追いでこの録音を聴くかぎり、これがベストの出来であるならば、他のショウの出来は推して知るべしだ。《30 Trips Around The Sun》のショウを順番に聴いてきて、ここに至る時、そのいたたまれなさをどこに持っていけばいいのか、わからなくなってもだえる。このショウを再度聴きかえす気にはまだなれない。

 一方で、このショウはグレイトフル・デッドが常に前を、前だけを見て進んでいったことの証しでもある。あたしらは通常、未来に向かって背中を向け、後ろ向きに過去を見ながら後ずさってゆく。ところが、こいつらは過去をふり向くことをせず、顔をまっすぐ未来に向けて進んでいった。そこに何があるか、起きるか、わからないことをものともせずに、というよりは、わからないからこそ進んでみるという風情だ。その結果、かかっていることを意識しなかった圧力におし潰されてばったりと倒れた。そのまさに倒れようとする姿、倒れてゆく姿を捉えたものがこれである。なんと、こいつらは、自分たちが倒れようとしていることすら、自覚していないようだ。倒れおわり、2度と起きあがれないとわかって初めて、自分たちが倒れた、潰れたことに気がついた。生き残ったメンバーだけではない。ガルシア本人にしてからがそう見える。

 グレイトフル・デッドが過去をふり返らなかったというのは、過去を尊重しなかったというわけではない。先人たちが積みあげてきた遺産、伝統にはむしろ人一倍敬意を払っている。数多いカヴァー曲のいずれもが原型を止めないほど変えられている。オリジナルを作るのと同等の熱意をもってエネルギーを注ぎこみ、大切にくり返し演奏されている。それは過去を簒奪して商品化することではなく、自分たちもまた伝統の一部となることを目指している態度だ。その点では、デッドはアイリッシュ・ミュージックなどの伝統音楽の演奏家に立ち位置が近い。スタジオ録音の質の高さよりも、ライヴの、生演奏の場を確保し、その質を上げることを何よりも重視した点でも、伝統音楽家と呼んでいい。

 この日のショウでは、表面的な出来不出来とは別に、そうしたデッドの基本的性格が図らずも露わになる。それを確認するためにも、やはりこのショウはいずれ聴きなおさねばなるまい。(ゆ)


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