クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:仏教

08月30日・月
 初期仏教がなんでこんなに面白いのか、我ながらようわからん。今の仏教とあまりにも違うからか。わが国仏教の問題点は大乗であるだけではなく、そもそも奈良朝に輸入した時の形にあるという佐々木閑の指摘は刺激的だが、それだけでもないような。ゴータマ・ブッダは悟った時、こんなわかりにくいものは他人に教えるのはやめようと決意した話とか、悟りを開くための修行から見た宇宙とか、「私」という現象に実体はないとか、出家して比丘=仏教修行者になることは他人が恵んでくれるものに寄生することだとか、ゴータマ・ブッダは崇拝の対象ではないとか、もうメウロコとかのレベルではない。仏教は一番身近なだけに、なんとなくわかっていたような気分でいたのを、片端から引くり返されてゆく。そこが快感なのだろう、きっと。

 一神教は我々の対極にあるから、かえって対象としてとらえやすい。仏教も本来は我々の心性とはまったく異質な信仰なのは、神仏習合を見てもわかろうというものだが、そうやって表面的には同質なものとみなせるようにしているから、対象にならない。もっとも神仏習合が可能だったのは大乗だからで、テーラワーダが何らかの形で独自にやって来て、国家宗教としてではなく、自発的な活動をして後世に伝わっていたなら、そちらは神仏習合のしようはあるまいとも思える。その点では近代西欧科学と同じく、仏教の宇宙に神はいないからだ。

 仏教の信仰とは、この世は業による輪廻と因果でできていて、煩悩を断たないかぎり、永遠にそこから脱けだせないが、人間はやりようによっては煩悩をすべて断ち、永遠に続く輪廻から脱出してほんとうに楽になることができる、と信じることである。そして生きたままその境地、涅槃に逹することができると信じることでもある。その信仰のどこにも神はいない。輪廻と因果を「造った」のは誰か、なんてことは考えないのだ。それは考えても意味がない。それよりもそこからいかに脱出するかを考える方がよほど大事だ。

 そう信じるか、と言われるとたたらを踏んでためらうけれども、この考え方そのものはなぜかひどく魅力的にみえる。一神教の独善的な宇宙よりもはるかに魅力的だ。一方で、近代西欧科学が明らかにした宇宙は、あまりに巨大であまりに冷たく、その中で生きるにはとりつく島もなさすぎる。知性や生命現象はこの宇宙が生まれた時の計画に含まれているのかすらあやしい。となれば、その宇宙を生きるのを意味あるものと見るのに、仏教の、初期仏教の考え方を応用するのは面白いと思える、ということだろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月30日には1968年から1985年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。セット・リスト不明。3ドル。Reservation Hall Jazz Band、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。
 Reservation Hall Jazz Band はニューオーリンズのフレンチ・クォーターにあるリザーヴェイション・ホールを拠点として1960年代に結成されたバンドで、現在も現役。

2. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日もグレイトフル・デッド名義でフル・メンバー。
 オープナーからの2曲〈China Cat Sunflower> Doin' That Rag〉が2018年の、4曲目〈Easy Wind〉が2019年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 前者は面白い組合せ。〈China Cat Sunflower〉が〈I Know You Rider〉と組み合わされるのはこの年の09月30日。組み合わされた後はほぼ例外なくペアでの演奏になるが、その前はいろいろの曲と組み合わされている。うまくはまる相手を探している感じもある。ここでも歌の後、ギアが入れかわってジャムになる。〈Doin' That Rag〉への転換はやや強引なところもあるが、キャラクターが対照的な曲をつないでみたのだろう。演奏は決まっている。
 〈Easy Wind〉は前日とは違って、もう少しロック寄りか。ガルシアのソロの質も高く、どちらも快演。

3. 1970 KQED Studios, San Francisco, CA
 日曜日。これは地元のテレビ・スタジオでの聴衆を入れてのライヴで、FM で同時放送された。聴衆はまことにやかましいデッドヘッドの一群。5曲、30分弱の演奏。

4. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。8.25ドル。開演7時半。07月08日、同じヴェニュー以来のショウ。夏休み明け。
 第一部5曲目で〈Stagger Lee〉、第二部オープナーで〈I Need A Miracle〉がデビュー。
 〈Stagger Lee〉はハンター&ガルシアの曲。1995年06月18日まで計147回演奏。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。題材はいわゆる「マーダー・バラッド」の一つで、伝統歌として歌われてきたもののロバート・ハンター版。伝統歌の方は1928年のミシシッピ・ジョン・ハートの録音がおそらく最も古いもの。
 〈I Need A Miracle〉バーロゥ&ウィアの曲。1995年06月30日まで計272回演奏。演奏回数順では49位。〈Let It Grow〉よりも3回少なく、〈Little Red Rooster〉と同数で、〈Althea〉より1回多い。大休止後にデビューした曲としては最も演奏回数が多い。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。
 なかなかシュールな歌詞の面白い歌だが、タイトルそのままのコーラスは、やはり「奇跡」が起きるデッドのショウを歌ったものととられたのか、人気が高い。このコーラスをウィアは聴衆に歌わせることが多い。


5. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時。
 第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2011年の、5・6曲目〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者、まことに見事な演奏。この年はまさに絶好調。とりわけ、〈Eyes Of The World〉は極上のジャズ。センスの良いソロが続く。ミドランドも電子ピアノでさりげなくソロをとる。クール。
 リリースされたファイルはどうやら左右逆相になっている。ヘッドフォンで聴く場合、左右逆にすると正常な音になる。

6. 1981 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。10.50ドル。開演7時。

7. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。13.50、15.50ドル。開演8時。

8. 1985 Southern Star Amphitheater, Houston, TX
 金曜日。10ドル。開演9時。短かいショウだが中身は濃いようだ。第一部の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Touch of Grey〉のメドレーがハイライト。(ゆ)

 西欧近代科学はこの宇宙の年齡を約143億年とつきとめた。人類の年齡はせいぜい100万年前。自分たちが住んでいる世界を把握・理解しよう、あるいはできるようになってからとすると、10万年ぐらいか。つまり、宇宙は人類とは無関係に存在している。人類が認識しようがしまいが、宇宙は存在していたし、いるし、これからもいくだろう。もっともそのことを科学がそれこそ認識しはじめたのは、せいぜいがここ200年ぐらいだ。

 一方で、その10倍、2,000年ほど前に、宇宙は人間の認識によって存在すると捉え、まったく独力で、というのは専用の器具など使わずに、観察と論理だけで、認識によって捉えた宇宙の全体を構築した人たちがいた。ゴータマ・ブッダの仏教から出てきた「説一切有部」というグループの人びとだ。現在のカシミール、ガンダーラのあたりにいたらしい。この人びとが作った一連の書物が「アビダルマ」と呼ばれるものの半分をなす。個々のケースに即して教えたために、実際的断片的だったゴータマ・ブッダの教えを、普遍的に体系化する必要が出てきて、それを試みた書物群だ。その代表作に『アビダルマコーシャ』がある。漢訳タイトルの『具舎論』の名の方がわが国では通りがいい。世親=ヴァスバンドゥが書いたとされる。内容は「説一切有部」の主流にしたがう、仏教の目標である解脱=涅槃=悟りにいたるマニュアルである、と佐々木閑はいう。
 エヴェレストに登るためのマニュアルのようなものだというのだ。そこに書かれていることは、まず第一にエヴェレストとその周辺のヒマラヤ地域についての地理、気象をはじめとする状況だ。その後に必要な装備、事前の訓練をはじめとする準備、そして実際の登山のやり方、となる。
 『具舎論』も同様に、「悟りの山」登頂を目指す者のために、まず悟る場の状況が説明され、悟るために必要な装備、訓練のやり方が説明され、それからいくつものレベルを登ってゆく過程が述べられる。この通りにやっていけば、誰でも悟れる、というわけだ。
 ところで悟るのはこの世でなされる。死ぬ時とか死んだ後での話ではない。仏教はもともと生きながらにして悟ることが目標で、ゴータマ・ブッダはそれを成しとげた。そして、自分がなしとげた悟りにいたるやり方を、やはり生きているうちに悟りたいと願う人びとに教えた。悟るすなわち涅槃に入るのは死んだ時としたのは後に出てきて中国、朝鮮、日本に伝わるいわゆる大乗仏教だ。
 世親は大乗の完成者の一人とされるが、『具舎論』ではそういう自分の考えは一応抑えて、それ以前の説一切有部の理論を説いている。だから、悟るのはこの世での話で、となると悟る場の状況というのはつまりこの世の全体、全宇宙がどうなっているか、ということになる。その説明だけで『具舎論』の半分を占める。

 『仏教は宇宙をどう見たか』はこの『具舎論』前半部分の記述を、仏教の宇宙のとらえ方に無知な人間に解説したエントリー本、入門書ということになる。使われている譬喩や説明の仕方、たとえば仏教用語をより現代的な表現で置き換える手法によって、アビダルマ仏教の宇宙の全体像をとても愉しく学ぶことができる。

 二千年前のインドでは宇宙が人類より古いとか、人間とは無関係に存在しているなどとはわからない。説一切有部の人びとは人間が認識できる宇宙を全体と考え、その全体像を描いた。その際、ただ漠然と眺めたり、あることないこと考えたりしたわけではない。宇宙の全体像を描くのは、悟るためである。悟るための修行に必要なものとして描いた。悟るために修行を積んでゆくと見えてくる宇宙であり、悟りを目指すところから感じとれる宇宙だ。その点では、至極実際的でもある。修行してゆくと、どう見てもこういう風になっているとしか考えられないことがあったり、あるいは実際にそう感じとれる感覚があったりする。それを組み合わせ、足らないところ、隠れているところを推量し、論理の筋を通し、それをまた修行で確認し、という作業を重ねて構築したのが、アビダルマの宇宙だ。望遠鏡のような器具は使っていないかもしれないが、修行するココロとカラダは目一杯使っている。この宇宙は空想の産物ではなく、実際のデータの上に成り立っている。

 こうして現れるアビダルマの宇宙は、いやあ、面白い。どこが面白いか。どこもかしこも面白い。どう、面白いか。さあ、それが難しい。とにかく、ほとんど一気読みしてしまった。

 この世のものはほとんどが虚構ではある。仏教用語では「仮設」と書いて「けせつ」と読ませるのがこの虚構の存在だ。「家」「自動車」「地球」「私」「自我」、みんな仮設だ。表面に見えている、感じられるのはほとんどすべて仮設、この世は虚構世界だ。しかし、その奥に世界を形成する基本的な実在要素がある。これが75ある。宇宙は75の基本要素がさまざまに組合されてできている。繰返すが、「私」「自我」無意識も含めた我はその75の中には無い。「私」は虚構なのだ。これが面白いことの第一点。

 面白いと思ったことの第二点は、この世界は瞬間瞬間に生成し、また消滅している、ということ。「刹那」はもともと仏教用語で、百分の1秒に相当するそうだが、とにかく人間の感覚では捉えられないその刹那の間に、全宇宙が生まれ、消滅している。それを繰り返している。

 これを説明する映写機の譬喩は秀逸だ。映画のフィルムのひとコマずつはそれぞれ違う、まったく別のものだ。コマとコマの間の変化はごく小さいが、まったく同じではなく、まあ、時にはまったく同じこともあるだろうが、まずたいていは違っている。これが1秒に24コマ送られることで、コマの静止画が動画として見える。1コマは百分の4秒になる。全宇宙が巨大な映写機で映写される3D映画なわけだ。

 普通の映写機と違うところがサイズは別としてもう一つある。映写機で映写されるフィルムは下に出てゆくのは1本のフィルムだが、上から入ってくるのは1本のフィルムではない。今映っている瞬間は現在だ。下に出ていったコマは過去である。上は未来になる。未来はあらかじめ決まっているわけではない。映写機の譬喩を使うなら、上には巨大な袋があって、その中ではばらばらなコマが舞っている。現在になる可能性のあるすべての未来がコマとして舞っている。中には絶対に現在にはならないと定まったコマもある。そのうち、現在になる可能性の最も大きなコマが袋の出口に近付いて、映写機のランプに照らされる1刹那前の位置、「正生位」にはまる。次の刹那に下に送られて現在となり、その時には次のコマが正生位にハマっていて、次の刹那には現在だった刹那は過去となり、正生位にハマっていたコマが降りて現在となる。

 このどこが面白いかというと、まず未来も実在していること。現在がどうなるかは1刹那前に決まっていること。そして時間が実在しないこと。コマ、というのは75の実在要素すなわち「法=ダルマ」のうち、何らかの作用をする72の要素から成る全宇宙の姿だが、このコマの未来から正生位、現在、過去への移動を時間の経過と感じているだけなのだ。

 いったいどういう修行をすれば、こういう構造が見えてくるのか、想像もつかないが、しかし、これは無から思いついたことではない、というところがまた面白い。ある時、修行の中で実際にそう見えた人が複数いたのだ。

 面白いことをもう一つ。さっきココロとカラダと書いたが、アビダルマの宇宙ではあたしらが今捉えているような精神と肉体の分け方はしない。だいたい、どちらも実在の要素=法ではないから、もしあるとしても虚構だ。ではどう見るかというと、認識を中心に捉える。眼、耳、鼻、舌、身=皮膚の五つの受容器官と、意と呼ばれる五感以外の受容器官の六つの器官によって捕捉されたものをそれぞれに景色、音、匂い、味、接触・痒み・痛み・温度、記憶・思考として認識する作用が起こるのが「心=しん」であり、この認識に対する反応が起きるのが「心所=しんじょ」になる。このふたつは人間というまとまりの内部のどこかにある。どことは言えない。

 ここでまた面白いのは、認識にはいわゆる外界からの刺激によるものだけでなく、我々が体内感覚と考えているものも含まれる。筋肉痛とか空腹感とか膀胱が一杯だとかいう認識、さらにはそうした認識に対する反応も、眼に映るものや匂いなどとまったく同列に扱われる。

 ここは案外わかりにくいところだ。巻末の附論「仏教における精神と物質をめぐる誤解」にあるように、仏教学者として相当な業績をあげている人でさえ、うっかりすると西欧的な肉体・精神の捉え方に引きずられる。肉体・精神の捉え方はそれだけ吸引力が強いとも言えるけれど、その二分法はアビダルマ宇宙には存在しない。この宇宙は修行者が捉え、修行者のために説かれている。修行者は自己の身体的認識器官を制御し、それによって心・心所の状態を変移させ、煩悩と呼ばれる一群の作用を止めていって、最終的に煩悩がまったく起こらない状態にもってゆく。その状態が涅槃、悟りの山の頂上だ。ここにあるのは人間というひとまとまりの仮設だけで、肉体という「物質」とそれに宿る精神というようなものはどこにも無い。これもまた面白い。

 他にも世親が自分のアイデアとして述べている「相続転変差別=そうぞくてんぺんしゃべつ」がカオス理論そのままだとか、仏教にとっての善悪は我々の倫理上のものとは違い、悟るのに役立つ、悟りに近づくことを助けるものが善であり、悟りの邪魔をするものが悪になる、とか、面白い話が続出する。後者は、ここで使われている例を引用すれば、坂道で重い荷車を押している老人を助けることは「業」を生み、悟ることのハードルを上げるから善ではない、というのだ。

 仏教が葬式や仏事のためののほほんとしたものではなくて、切実な必要に応じようとするところに生まれ、精緻でラディカルな思想を生んできたことを知ったのは今年最もスリリングな収獲で、この本はその収獲をさらに豊かにしてくれた。この本にはその前身である『犀の角たち』があり、現在は『科学するブッダ:犀の角たち』として文庫にもなっている。これまた面白そうだ。本書も文庫だし、今回は図書館から借りたが、この内容なら買った方がいいとも思う。繰り返し参照したくなるはずだ。

 それにしてもこのアビダルマ宇宙は、サイエンス・フィクション、ファンタジィの世界設定としても、ちょっとこれ以上のものはないんじゃないか。これは世親が一人で作ったものではなくて、説一切有部の学僧たちが、それも数百年にもなろうかという時間をかけて構築したものだ。いかに知的巨人でも、単独でこんなに完璧なものはできない。もちろん、仏教修行者にとってはリアルな現実そのものなわけだけれど、悟るのは到底ムリなあたしなどからすると、そういう「使い方」が湧いてきてしまう。誰か、これを使って書かないかなあ。

 例えばコスモス映写機の未来の袋の中から望ましい未来のコマを引っぱってくる装置ないし方法を発明するとか、そういう能力を修行によって身につけるとか。「望ましい未来を引き寄せる能力」というのは、ビショップの『時の他に敵なし』の目立たない方のアイデアで、実はこちらが小説の本来の目的ではないかと思えるものだけれど、ビショップがこの映写機のアイデアを読んだわけではないだろう。このアイデアはわが国仏教学の先達の一人、木村泰賢 (1881-1930) が提示したものだから。ビショップは独自に思いついたか、あるいは似たようなアイデアをどこかで見たか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月28日には1966年から1988年まで8本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 I.D.B.S. Hall, Pescadero, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。
 自転車レースと「フォーク・ロック・ダンス」の2日間のイベントの2日目。

2. 1967 Lindley Meadows, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 月曜日。ヘルス・エンジェルスのメンバー Chocolate George 追悼パーティーに出演。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー共演。開演1時。セット・リスト不明。
 手書きらしいポスターの裏には "Chocolate George Will Be Forever..." と書かれている。デッドがここで演奏したことで、確かにその名は長く記憶に留められることになった。

3. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 水曜日。
 ほとんど《Live Dead》そのもののセット・リスト。

4. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。この日は Mickey Hart & the Hartbeats 名義らしい。ウィアとピグペン抜きで、ハワード・ウェールズが鍵盤で入っている。
 1時間半弱のテープがある。
 DeadBase XI の Paul Scotton のレポートによれば、ここは狭いホールの両端に高さ50センチほどのステージがあり、片方でバンドが演奏している間、もう片方でセッティングされていた。バンドの演奏が終ると、聴衆は回れ右をして次のバンドを聴く形。
 出演はフェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、デッドの順。演奏していないバンドのメンバーが聴衆に混じって聴いていた。スコットンはそれと知らずに、たぶんコマンダー・コディの演奏中、レシュとおしゃべりしていた。デッドを見るのは初めてで、デッドが出てもそれとはわからなかった。

5. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。

6. 1981 Long Beach Arena, Long Beach, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第二部5曲目、drums 前で〈Never Trust A Woman〉がデビュー。ミドランドの作詞作曲。1990年07月23日まで計39回演奏。"Good Times" または "Good Times Blues" と呼ばれることもある。
 全体にすばらしいが、とりわけ第二部が「モンスター」だそうだ。

7. 1982 Oregon Country Fairgrounds, Veneta, OR
 土曜日。1972年08月27日のショウの10周年記念 "The Field Trip" というイベント。ロバート・クレイ・バンド、The Flying Karamazov Brothers、Strangers With Candy 共演。開場午前8時。開演午前10時。終演夕暮。
 前の晩と翌日は雨が降ったが、この日だけは晴れて暖かかった。
 第二部オープナーで〈Keep Your Day Job〉、3曲目で〈West L. A. Fadeaway〉がデビュー。
 〈Keep Your Day Job〉はハンター&ガルシアの曲。1986年04月04日まで57回演奏。スタジオ盤収録無し。この曲はデッドヘッド、とりわけトラベルヘッドたちのライフスタイルを真向から批判するものととられて、猛烈な反発をくらい、レパートリィからはずされた。それでも4年間演奏しつづけているのは、さすがと言うべきか。
 アプローチとしては〈Estimated Prophet〉と共通なのだが、こちらはあからさまに、いい加減定職についたらどうだ、と聞えることは確か。もっともトラベルヘッドの一部の生き方に目に余るものがあったことも同じくらい確かだろう。デッドヘッドとて人間の集団、中にはひどい人間もいたはずだ。

 〈West L. A. Fadeaway〉もハンター&ガルシアの曲。1995年06月30日まで、計140回演奏。スタジオ盤は《In The Dark》収録。ボブ・ディランがコンサートでカヴァーしたことがあるそうだ。ディランも1枚ぐらい、デッドのカヴァー集を出してもいいんじゃないか。

 The Flying Karamazov Brothers は1973年結成のジャグリングとお笑いのグループ。

 Strangers With Candy はテレビのお笑い番組で、ポスターには名前があるが、どういう形で出たのかは不明。


8. 1988 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。開演正午。ロバート・クレイ・バンドとジミー・クリフ前座。2番目に出たジミー・クリフは8歳くらいの息子を連れてきて、1曲共演した。どのセットも非常に良かったそうだ。(ゆ)

08月25日・木
 午後、公民館に往復。本5冊返却、9冊受取り。もどって確認し、読む順番を決める。まず、厚木以外の図書館から借りているもの。これらは2週間で返さねばならないので最優先。仏教関係3冊。
 
荒木見悟 (1917-), 新版 仏教と儒教; 研文出版, 1993-11, 横浜市立図書館
佐々木閑 (1956-), 出家とはなにか; 大蔵出版, 1999-09, 海老名市立図書館
小川隆 (1961-), 語録の思想史:中国禅の研究; 岩波書店, 2011-02, 横浜市立図書館

 荒木本は中国の仏教と儒教が中国思想史でどう絡むかを探っている。中国の仏教に関して無知なので、たぶん歯が立たない。まずは小川本からいくか。佐々木閑は同世代だから、次にこれ。荒木本は余裕があれば全部。とりあえず序論だけは読んでおく。

 あとは厚木の本なので、のんびりいこう。

 と思いつつ、ふと佐々木閑『仏教は宇宙をどう見たか:アビダルマ仏教の科学的世界観』をぱらぱらやると、これが面白い。例によってまえがき、あとがき、そして冒頭の章に目を通す。あとがきの一節
 
--引用開始--
 アビダルマ哲学を学んだからといって、それが直接現代科学に役立つわけではないし、そこからなんらかの人生訓を会得できるわけでもない。しかし大切なのは、「みかけの日常世界の背後には、見えない構造が存在しており、それを解明した時、我々自身の世界観・価値観は転換する」という実感を得ることができるという点である。
--引用終了--
240pp.

 おおお、ならば、まずこれを読まねばならない。師茂樹『「大乗五蘊論」を読む』で出てきた概念が出てくる。あれも世親の著作。『具舎論』も世親。もっとも、『具舎論』はそれまでに積み上げられてきて、仏教の一般的に承認されていた世界像を書いている。世親個人の考えとは異なるところが多々ある。『大乗五蘊論』の方が世親の本心に近そうだが、そのベースとなっている世界観は共通だろう。

 この本にはそのきっかけとなった先行本、『科学するブッダ:犀の角たち』がある。これも厚木にあるな。

 あとがきを読んでも、佐々木氏は面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月25日には1967年、72年、93年の3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。
 "Kings Beach Bowl Summer Series" と銘打たれた一連のコンサートの最後。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、The Creators New Sounds、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、そしてデッド。

 The Creators New Sounds は不明。The Creators または New Sounds という名前のバンドはあるが、この時期ではない。


2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー4本連続のランの楽日。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 24》でリリースされた。
 この年は春のヨーロッパ・ツアーと秋のツアーに大きく別れる。その秋のツアーの事実上のスタートがここでの4連荘で、ここから11月26日のテキサス州サンアントニオまでノンストップ。それをしながら《Europe '72》を出し、翌年秋のグレイトフル・デッド・レコーズ発足の準備をする。

 このツアーはピグペンが完全に離れた最初のものでもある。ピグペンの持ち歌のうちの「大曲」が一度消えるかわりに、〈The Other One〉〈Dark Star〉それに、〈Playing In The Band〉が大きく成長し、〈Bird Song〉がその後を追うように大きくなっている。ここでは〈Dark Star〉以外の3曲が揃う。〈Playing In The Band〉15分、〈Bird Song〉10分、そして〈The Other One〉は30分近い。


3. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。24.50ドル。開演7時。
 第一部の〈Friends of the Devil〉〈So Many Roads〉〈The Promised Land〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉〈Attics of My Life〉など、ハイライトの多い良いショウだそうだ。(ゆ)

07月19日・月
 師茂樹『「大乗五蘊論」を読む』を読む。



 
 『大乗五蘊論』は世親すなわちヴァスバンドゥの著作。このタイトルは漢訳で、わが国には漢訳で伝えられた。ここではこの漢訳本を一字一句、丁寧に読む。漢文、読みくだし文、現代語訳に、場合によってチベット訳の邦訳、サンスクリット原文の邦訳も添える。その上で、内容について解説する。

 世親は多作で、この本は比較的初期に属し、小著でもあって、これまではあまり重視されてこなかった。近年、早い時期の注釈書が出てきて、あらためて注目も浴びている。のだそうだ。釈尊直系の部派仏教から唯識派が生まれてくる中間の過程を示しているのも注目される要因であるらしい。世親は部派仏教の一派から大乗に改宗し、唯識派の論客として多数の著作を書いた、とされてきたのが、そうではなく、改宗はしていない可能性も出てきた。『大乗五蘊論』はそれを傍証するものでもあるらしい。世親の改宗はその伝記に書かれているが、高僧伝が必ずしも事実ではなく、むしろ書き手がモデルとしたくなるような生涯を歩んだと書かれることが多かった、というのは、『論理と歴史』に玄奘三蔵の伝記に関して出てきた。

 師氏は『大乗五蘊論』はリニアに頭から読んでゆくものではないだろうと言う。瞑想修行者が修行の折々に必要なところを参照できるようなハンドブックのようなもの、ということらしい。書かれているのは、この世界とそこにいる人間をどう把握するか、一見、抽象的なことだが、修行者からすると、修行の中で目の当たりに実感する具体的なことであるらしい。そこで遭遇する様々なことをどうとらえ、理解するかをこの本で確認できるわけだ。だから、一通り五蘊の説明が終った後で、そうして説明してきたことは別の枠組みから見るとどうなるか、いろいろなケースがあげられる。

 蘊は蘊蓄の蘊で、集まり、集めたものをさす。具体的には色受想行識の五つで五蘊。このうち、色が後になると落とされる。これはつまり、この世界をこの五つの枠組みに分けて捉えることになる。その分け方は緻密で、たとえば眼という器官とその機能とそれによる認識を別々に考える。認知科学の最前線で今これと似た考え方がホットなのだそうだ。また、中には修行の階梯が上がらないと見えないものもある。

 本来は瞑想修行者、悟りを開くために修行している人のためのものではあるが、あたしのようなまったく無知など素人にとって、メリットが一欠片も無いわけでもない。唯識派というより、唯識派と呼ばれるようにになってゆく人びとがこの世界と、その世界と修行する人間との関係をどう見ているかが直截的に書かれているからだ。

 こういう本を読むと、まあ自分は仏教についてなあんにもわかっちゃいないのだなあ、とよくわかる。仏教は一神教に比べて、大雑把でのんびりしていると思っていたが、どっこい、少なくとも同じくらい突込んで、徹底して尖った思考を重ねてきている。師氏の2冊を読んでも自分の無知と仏教の思想の広さ深さは垣間見られたけれど、この本の対象は専門家のための専門書であることで、その広さ深さをいきなり眼前につきつけれらるようでもある。本を開いてみたら、目の前が断崖絶壁だった。

 で、実際には必要になったらいちいちこの本を開くのではなくて、ここに書かれていることは全部頭の中に入れて、つまり暗記しておいて、いつでもさっと参照できるようにしておくものでもある。そりゃあ、まあ、そうだろう。いちいち参考書を開くのでは修行にはなるまい。そういう修行はやさしいものではなく、誰にでもできるものでもない。悟りというのはそういう厳しい修行を完成して初めて得られる、というのは素人にもよくわかる道理だ。やはり念仏だけ唱えればそれでOK、というのは、どうも安直に過ぎないか。

 修行をするに値する人間が、厳しい修行を重ねて初めて悟りを開けるので、そう誰でも、何でもかんでも、仏陀になれるわけじゃあない、という方がまっとうに思えてくる。仏陀になれるかなれないかは生まれた時から決まっているというのは不公平だというのは、公平性をどこか勘違いしていないか。仏陀になれない者は輪廻転生で生まれ変わることになるが、何にも考えずにただぐるぐる回るのではなくて、そこから脱することは可能だと理解し、目指していると、やがて成仏する資格のある存在として生まれかわる、そこで修行が成就すれば仏陀になれる。これなら納得できる。一度でだめなら、また輪廻し転生して成仏可能性を備えて生まれ、再度挑戦することもできる。一切衆生悉有仏性なのはそういう意味で、とにかくこの世に生まれれば、それでOK、あとは念仏唱えさえすりゃあいい、というのは、あんまり虫が良すぎる。

 それにしても、古代インドの思考は相当に異質で、いくら師氏が懇切丁寧に説明してくれても、一度や二度読んだくらいで、すとんとわかるものではない。もっといろいろと他の書物を読む必要もある。仏教は今のあたしらにとってはほとんど先天的に刷りこまれていて、今さら距離を置くことも難しいと思っていたけれど、こうしてみると、刷りこまれているのはそのごく一部、それもかなり通俗化した形なので、1枚薄いベールをめくってみれば、十分に異質で面白いものとわかる。一切衆生悉有仏性を通俗的に解釈して、仏教は生きものに優しいと思うのは実は勘違いで、仏教の核心には生命への強烈な否定があるとも見える。少なくとも表面的な生命は輪廻転生して苦を続けるだけだと否定して、そこからの離脱を目指す。これはラディカルな目標だ。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月18日には1967年から1990年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Masonic Temple, Portland, OR
 木曜日。開演8時。共演 Poverty's People、U.S. Cadenza、Nigells。セット・リスト不明。
 当時ポートランドにはデッドヘッドが723人いて、全員が顔を揃えた。ファースト・アルバムとサウンド的には変わらない。ガルシアはレス・ポールを弾き、ピグペンはオルガンの上で飲みつづけていた。ドラマーは1人だけ。フェンダーのアンプが目一杯の音量で鳴っていた。ライト・ショーは無し。
 共演しているのはいずれも地元ポートランドのバンドの由。
 Poverty's People はもと Poverty's Five というワシントン州 Centralia 出身のガレージ・ロック・バンドで、1967年にこの名前に改名。1965年結成、68年まで活動。1966年にシングルが1枚ある。
 U.S. Cadenza は1965年から1969年まで活動。再編して今でもやっているらしく、Facebook のページがある。サンフランシスコ・サウンドのアクトの前座を勤めた。
 Nigells もポートランドのバンドの由だが、不明。

0. 1968年のこの日、《Anthem Of The Sun》がリリースされた。
 2作目のスタジオ盤。トム・コンスタンティンを含む7人編成。前年の09月から12月にかけてハリウッド、ノース・ハリウッドとニューヨークのスタジオで録音したものと、11月10-11日のロサンゼルス、シュライン・エクスポジションでのショウ、この年01月から03月にかけての、ユーレカ、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、タホ湖でのショウの録音を合成して作られた。スタジオ盤とロサンゼルスのライヴ録音のプロデューサーは Dave Hassinger だったが、スタジオでのデッドのふるまいに愛想を尽かし、ニューヨークのスタジオ・セッションの途中でロサンゼルスに帰ってしまう。デッドはスタジオでの録音の機材とその可能性に夢中になり、アルバム制作そっちのけで「遊び呆けた」らしい。ハシンガーが脱けた後はバンドとダン・ヒーリィとボブ・マシューズのエンジニア陣で作りあげた。
 トラック・リスト。
Side One
That's It For The Other One
I. Cryptical Envelopment (Garcia)
II. Quadlibet For Tender Feet (Weir)
III. The Faster We Go, The Rounder We Get (The Grateful Dead)
IV. We Leave The Castle (The Grateful Dead)
New Potato Caboose (Lesh/Petersen)
Born Cross-Eyed (Weir)

Side Two
Alligator (Lesh/McKernan/Hunter)
Caution (Do Not Stop On Tracks) (McKernan)

 A面の〈That's It For The Other One〉は II. の後、I. に戻る。III と IV はライヴ版と異なる。とりわけ IV はプリペアド・ピアノを主体としたミュージック・コンクレート。

 このアルバムには2種類のミックスが存在する。リリース当初のものと、1971年、フィル・レシュが手掛けたものだ。時間も若干異なる。その後のアナログ・リリースと当初のCDリリースはこのリミックスを使っている。2018年の50周年記念デラックス版には、CD 1 に両方のミックスが収められた。聴き比べると、71年リミックス版はA面の IV が顕著に異なる。ベースが前に出て、ドラムスが引っこむ。迫力は増しているが、ごちゃっとしている。あたしとしては、リミックスは疑問の箇所が多く、よりつまらない。



 アルバムとしては、今聴いても、かなり面白い。ビージーズ風コーラスをフィーチュアしてヒットを狙ったと覚しき〈Born Cross-Eyed〉 は曲自体の出来が良くないし、〈Caution〉も未完成なところがある。それでもアルバムとして通して聴くとそういう欠陥はあまり気にならない。ファーストからは格段の進歩、あるいはむしろジャンプ、ステップぐらいはしている。当時にあって、それほど過激ではない一方で、デッドとしての特徴はすでに出ている。売れるものではなかったにせよ、質は水準を軽く超えている。スタジオでの実験も、当時聴けばともかく、今の耳には実験とはわからないくらいだ。


2. 1972 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
 火曜日。4.50、5.50ドル。開演7時。三部制。2日前のコネティカット州ハートフォードと2本だけ、東海岸でやっている。ピークのこの年のショウらしく、見事な1本だそうだ。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、第一部でのより長く、よりスペーシィになった〈Bird Song〉の復活に歓び、第二部の〈Dark Star〉に、会場ごと他の世界に持っていかれたという。

3. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 日曜日。7.50ドル。開演8時。このヴェニュー6本連続のランの楽日。
 休憩中、ビル・グレアムが奇妙な仮面を客に配って、つけさせた。第二部が始まると、客電が点いたままになり、仮面の群れがバンドに向かってわめいたのは、実に可笑しかった、と Bernie Bildman が DeadBase XI で書いている。

4. 1982 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。12ドル。開演4時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 ダブル・アンコールは聴衆の求めに応じたもの。全体としても良いショウの由。とりわけ第二部後半。

5. 1989 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 火曜日。21.50ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 全体はビデオに撮影されており、2012年04月に Century 系列の映画館で短期間公開された。
 見たショウが100本クラスのデッドヘッドたちが、第二部はベストと言う。滑らかに1本につながっている。
 第一部が終る頃降りだした雨で駐車場がひどいぬかるみになり、車がはまりこみ、これを引き出そうとしたレッカー車もはまりこむ始末で、終演後、駐車場から出るまでに4時間以上かかった由。

6. 1990 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 40》でリリースされた。
 確かに良いショウで、文句のつけようもないのだが、春のツアーにはある輝きがわずかながらくすんでいる感じがある。十分に展開しきったという感覚が薄い。第一部の方が充実している。次のシカゴの3日間に顔を出す、ミドランドのデーモンが、すでにその影を落としているというべきか。
 なお、この《Vol. 40》に収められたこの日と翌日の2本はすばらしく録音が良い。(ゆ)

06月21日・火
論理と歴史―東アジア仏教論理学の形成と展開
師 茂樹
ナカニシヤ出版
2015-06-10


 いやー、難しい。『最澄と徳一』は新書でもあって、ど素人にもわかるように書いてくれているが、こちらは専門家向けで、専門家なら当然熟知していることは説明などしない。あたしのように無学な人間はほとんどお手上げになる。

 一方で、ここでは原典からの引用をすべて現代語訳でしている。原文は脚注に掲載する。ということは、必ずしも専門家だけを相手にしているわけではなく、いわゆるハイ・アマチュア、アカデミアの住人ではないが、その道に突込んでいる人たちや、そこまでいかなくても関心はある人間にもアクセスしやすくしている。そこを頼りにほとんど必死の想いで読んだのだが、途中でへたることもなく、詰まることもなく、一応すらすらと最後まで読みとおせたのは不思議でもある。

 井筒俊彦の『イスラーム思想史』も、読んでいる間はたいへんに面白く、どんどんと読めて、まるで自分の頭が良くなったように感じたものだが、それはもちろん著者がちゃんとわかるように書いてくれているので、読みおわって、さて何を読んだのかと思いなおすと、さっぱり浮かんでこず、ああ、いい本を読んだなあ、という充実感だけが残った。

 こちらはそれよりはもう少し「わかった」感覚があるのは、イスラームに比べれば、仏教にはなにがしかの心組みがあるからだろう。出てくる人名にも馴染はあるし、『最澄と徳一』を読んでいたから、専門用語も少しは見当がつく。こういう本に親近感を持つのは、やはりクリスチャンでもムスリムでもなく、仏教徒ということになるのだろう。神道は宗教とは言えない。では、何なのかと言われると詰まるけれど、まあ、アニミズムの一種じゃないか。

 それにしても、仏教にもその教義をめぐって深刻な対立があり、喧々囂々の論争があったのだ、というのは正直なところメウロコものではある。結局、あたしらが知ってる仏教というのはせいぜいが葬式仏教で、あの世に行くときの心の準備のためにあるようなものだ。一方で、宗教としての仏教の目的ないし宗旨の眼目はそれよりも生きている間に成仏つまりブッダになることだ。死んだ後のことはせいぜいが二の次なのである。そして、いかにブッダになるか、を釈尊が説いたわけだが、その説き方とブッダになるなり方をどう捉えるかが大問題となる。これらをめぐって熱い議論がかわされた。それもインドから中国、朝鮮、日本、それにおそらくはネパール、チベットから中央アジアにかけての広い空間と、数百年ないし千年にわたる時間をかけてだ。ここではそのうち中国、朝鮮、日本の東アジアと、唐の玄奘から最澄・徳一までの時空に枠組みを限って、その論争の内実を描こうとしている。と、あたしは読んだ。

 その際、切口というかとっかかりとしているのが、唯識比量と呼ばれる仏教の論理式だ。三蔵法師・玄奘がインドで立てたとされているもので、これが真が偽か、真とすれば何を言っているのか、をめぐってまず大論争が起きる。

 この論理が成立するかどうか、あたしなんぞにはわからん。本書を読むかぎりでは、いろいろエクスキューズ、限定詞をつけて、その条件の中では成立するのだ、と言っているように見える。そんなにいろいろ条件をつけなくては成立しないことを、わざわざ言う必要もないとも思えてしまう。

 ともあれ、これの解釈をめぐってまず二つに大きく別れ、一方はこれを真としてそこを土台にいろいろ組み立て、もう片方は違うといって、そこからまたいろいろと組み立てる。真とする方は当然ながら玄奘の弟子たち、その系統を汲んだ人たちで、日本では法相宗から最澄にまでいたる。それに対立するのは、インド中観派のパーヴィヴェーカの流れを汲む人たちで、日本では三論宗と徳一にいたる。つまり、この本は、『最澄と徳一』で描かれた論争の背後に広がっている思想と論争の世界を描いている。というよりは、この本で描かれた思想史の中から、その結節点である最澄・徳一論争の部分を材料として取り出して、因明をはじめとする仏教論理学と仏教思想の内実をわかりやすく書いたのが新書版になる。

 出発点の玄奘の弟子たちの時代には、ほぼ純粋に唯識比量だけをめぐっての論争だったものが、東アジアに広まるにつれて、他の要素や文脈が入ってくる。三転法輪説やら三時教判やら三乗・一乗の対立やら空有論争やら、という具合だ。その間には玄奘が唯識比量を立てたもともとの事情の伝承がどんどん変えられたりもする。

 難しいのは、その論争でどこがどう違って、何をめぐって争っているか、の部分だ。キリスト教でも、教義をめぐって論争になるその解釈の違いなんてのは、外から見ると、どこがどう違うのか、よくわからないことが間々ある。どっちもまるで雲を摑むようなことを主張していたりする。当事者にとってはゆるがせにできないことで、だからこそ論争するわけだけど、熱くなってるのはわかるが、なにがそんなに違うのよ、と口をはさみたくなったりする。

 ここでも、丁寧にいろいろと補足しながら現代語に訳してくれているし、さらに要点を説明してくれていて、その限りではわかったつもりになるのだが、全体としてみると、どこか茫洋としてしまう。単にあたしの頭が悪いか、老齢でぼけているのかもしれない。本当はすぐにもう一度、あたまから読みなおしたいのだが、この本は神奈川大学図書館からの借り物で、2週間で返さねばならず、一度通読するだけで10日かかったから、そんな時間はない。途中で、あんまり面白いので、買おうとしたら、もう古書しかなくて、15,000円の値がついている。一度返して、また借りるしかない。たぶん、『最澄と徳一』を再読してから、再度挑戦する方が良いかもしれない。あるいは、仏教の教義、論理について、もう少し勉強してからもどるべきだろう。

 1章読むとぐったりして、残りはまた明日と本を閉じるけれど、翌日になると自然に手が伸びて、うんうん唸りながらも読むのが愉しくてしかたがなかった。よくわからないけれど面白い本というのもあるのだ。あたしがこんなに面白く読めるのだから、専門家や突込んだ人たちには相当にエキサイティングなんじゃないか。

 仏教にも教義をめぐって熱い論争があった、というのも面白いし、そういう論争がいつ絶えたのか、どうしてなくなったのか、最澄と空海は論争しなかったのか、などということも湧いてくる。

 それと、借りた本にはどこにも説明がないのだが、本のジャケットに印刷されているものが妙に気になる。実際の因明文献原文の拡大コピーではないかと思われるけれど、これが何で、どういうことを述べているのか、気になってしかたがない。縦組で、家系図のように横に枝が出たり、また戻ったり、何らかの論理を表現しているように見える。漢字ばかりでこういうことをやっているのは新鮮でもある。

 「まえがき」がまず面白い。この「まえがき」の面白さが全巻を通じている気もする。

 筆者は今でも、自分が徳一の研究者であり、日本の法相唯識の研究者だと思っている。ただ、徳一や最澄が引用しているものを遡って調べて論文を書いていた、結果的に朝鮮半島をはじめとする東アジア全域の文献を扱うことになり、そしていつの間にか玄奘三蔵の唯識比量に至ってしった、という次第である。振り返ってみれば、七〜九世紀の東アジアの仏教世界を研究するのに「日本」という枠組みにこだわることはそれほど生産的でないことがわかってきたが、一方で研究成果の受信者である現代の人々(筆者を含む)には近代以降の国民国家的な思考の枠組みが強固に埋め込まれていることも間違いないので、「専門は日本仏教です」と言うべきなのかどか、居心地の悪さを常に感じている。

 徳一と最澄に突込みながら、関心の赴くままに対象を広げていったのも面白いし、国民国家どころか「日本」という概念すらあったかどうか、あったとして我々のものとどこまで重なるのか大いに検討の余地がある時代であることを認識していて、さらにそれを対象とした研究の受け手のことまで考えているのもまた面白い。こういう人は信用できる。次は『「大乗五蘊論」を読む』だな。『大乗五蘊論』が何たるかも知らんのだが。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月21日には1967年から1995年まで14本のショウをしている。公式リリースは3本。

01. 1967 Polo Field, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 水曜日。セット・リスト不明。
 夏至祭、と DeadBase XI にある。この日、夜明けから日没まで行なわれた由。フラワー・ムーヴメント、ヒッピー文化のイベントの一つ。無料のコンサートに参加したバンドは他にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、the Mad River, the Phoenix。
 The Mad River は1966年04月、オハイオ州イエロー・スプリングスの Antioch College で結成された5人組バンド。名前は近くを流れる川からとられた。1967年03月、バークリーに拠点を移し、ここでリチャード・ブローティガンの知己を得て、大いにプッシュされた。キャピトル・レコードから1968年と69年にアルバムを出す。
 The Phoenix は不明。この名前のバンドは多すぎる。

02. 1969 Fillmore East, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サヴォイ・ブラウン、バディ・マイルズ・エクスプレス共演。
 早番、遅番の2回。テープでは早番は1時間弱。遅番は1時間半強。しかし DeadBase XI での Mick Levine のレポートによれば、11時に始まった遅番は、バディ・マイルズ、サヴォイ・ブラウンとデッドで4時間を超え、デッドがついにステージから去った時には朝5時半。
 早番3曲目で〈High Time〉がデビュー。遅番でも演奏された。ハンター&ガルシアの曲。1995-03-24まで、134回演奏。1970年07月12日を最後にレパートリィから落ち、1976年06月09日に復活。1978、83、89年を除いて、毎年、時偶演奏された。ハーモニー・コーラスがウリの曲で、したがって1976年、77年の、ドナの入っている時期が最も美しく映える。

03. 1970 Pauley Ballroom, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。アメリカ・インディアンのためのベネフィット。残っているセット・リストはテープにより、そのテープは全体を収めてはいないと思われる。

04. 1971 Chateau d'Herouville, Herouville, France
 月曜日。05月30日までの春のツアーと07月02日からの夏のツアーの間に、この1日だけフランスに飛んだショウ。本来はあるフェスティヴァルに出るためだったが、イベントは雨のためにお流れとなった。デッドは泊まっていた城をホテルにしたものの裏のプール脇に即席のステージを作って演奏した。翌年春のヨーロッパ・ツアーの布石の一つではあろう。
 第一部半ば〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉がドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。

05. 1976 Tower Theatre, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。8.50ドル。開演7時。
 第一部後半〈Scarlet Begonias; Lazy Lightnin'> Supplication; Candyman〉の4曲が《Download Series, Vol. 04》でリリースされた。

06. 1980 West High Auditorium, Anchorage, AK
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 アラスカへの唯一の遠征の締めはなかなか良いものらしい。

07. 1983 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
 第一部がすばらしい由。

08. 1984 Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
 木曜日。開場2時、開演5時。ザ・バンド前座。アンコールの3曲にザ・バンドのメンバー参加。
 第二部3曲目で〈Never Trust a Woman〉がデビュー。これが2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ミドランドの作詞作曲。1990-07-23まで39回演奏。スタジオ盤収録無し。
 非常に良いショウの由。

09. 1985 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。16.50ドル。開演8時。
 冷たい雨が降っていた。が、ショウは相当に良い由。

10. 1986 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演5時。
 第二部3曲目〈He's Gone〉は2日前に死んだバスケットボール選手の Len Bias (1963-1986) に捧げられた。ドラフト全体の2位でボストン・セルティクスに指名された2日後に急死。
 ショウはすばらしいものの由。

11. 1987 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演3時。

12. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時。ケーブル TV のペイ・バイ・ヴューで全国放映された。画像、音声ともに見事な由。第二部、2曲目〈Hell in a Bucket〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉まで、drums> space を除いてクラレンス・クレモンスが参加。
 ショウそのものも最高だそうだ。

13. 1993 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。
 かなり良いショウの由。

14. 1995 Knickerbocker Arena, Albany, NY
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。30ドル。開演7時。
 Deadlists によれば、第一部は1時間、第二部は1時間半強。ガルシアはふらふらで、今何を演っているか、いちいち教えられなければならないような状態だったが、それでも2時間半のショウをしている。
 クローザー〈Morning Dew〉はこれが最後の演奏となった。この曲も含め、全体としてかなり良いショウの由。(ゆ)

1222日・水

 このタイトル、とりわけ「仏教史上最大の対決」に惹かれて何だろう、と読んでみたのが大当り。拾い物といっては失礼だが、実に刺激的な本だ。この著者は追いかけよう。



 徳一は徳溢という表記もあって「とくいつ」と読む。平城京で学び、最澄と同時代に会津や常陸で活動し、多数の寺を建立、「伝灯大法師」と呼ばれた。生没年不詳。この論争は仏教の教義をめぐって徳一の天台教学批判に最澄が反論し、5、6年の間に大量の文書の応酬がなされる。二人の論争は最澄の死で一応終るのだが、そこで交わされた文書は200年後にも仏教内部での研究対象になっていた。

 一方で、この論争が単に二人のものではなく、その背後にはインドから東アジア全体に広がる時間的にも空間的にも実に大きく広い思想のドラマがあり、二人の論争はその一つの結節点、それ以前の流れがまとまり、またそこから拡散してゆくポイントになっている、というのがまずこの本の主張だ。

 そこには、最澄だけでなく、空海も含めた遣唐使に同行した留学僧たちによって持ちこまれる仏教の相対化も出てくる。かれらが将来した仏教があたかも仏教の正統の全部であるかのように最澄も主張し、後続もその主張を継承し、さらには20世紀のアカデミアまでもそれを踏襲するのだが、実際に留学僧たちが接した仏教は中国の中でも浙江など沿岸部を中心とした東部のものに限られていて、西に広がった仏教についてはまったく視野に入っていない、という具合だ。

 仏教はあたしらにとって最も身近な宗教だが、その教義についてはまるで知らないことも思い知らされる。徳一と最澄の最大の対立点は、すべての生きものがブッダになれるわけではないという五姓格別説と生きとし生けるものは全部仏になれるのだという一切衆生悉有仏性説なのだ。後者は天台宗はじめ、日本仏教のほとんどが採用した説だから、なじみがある、というよりも仏教ではそう考えると思いこんでいたから、前者はえーってなものである。しかし、著者の言うとおり「ブッダになること以外にも複数のゴールがある、と主張する五姓格別説のほうが」今のあたしらが生きている社会にとってはふさわしいとにも思えてくる。

 この二つの立場は一乗説と三乗説でもある、では「乗」とは何か、を巻頭で説明しているのを読んで、「へー、そうなんですか、いやー、ちーとも知らなんだ」とつぶやくのはあたしだけではあるまいとも思える。

 さらにその前に、この二つの説は大乗仏教内部でのものなので、いわゆる小乗仏教はまた別の話になる。そもそも「小乗」という呼称自体、大乗を名乗った連中がそれ以前からあった仏教に与えたもので、差別用語にもなりかねない。「小乗仏教」は歴史的用例になってもいるが、本来はそちらの方が主流であり、部派仏教と呼ぶ方が適切、というのも初めて知った。

 という風に、まず宗教としての仏教の姿を垣間見させてくれる。

 もっとも著者の主目的はそれではなく、この論争のもつ様々な側面を整理して、思想のドラマのなるべく大きな姿を提示し、一方でそこに現れる思考法や論争のツールを紹介することにある。ここでは「因明=いんみょう」がまず面白い。これは仏教で論理をもって異なる思想間で論争をする際のルールを定めたシステム、なのだそうだ。一度読んだくらいでは漠然としているけれど、極端に言えば仏教とキリスト教の間でも論争ができるように考案されたもの、と言われると、え、それって何?と身を乗りだしたくなる。

 この本の面白さはもう一つ別の次元にもあって、著者は自分が何をやっているか、明瞭に自覚し、しかもそれを巧みに記述する。

 「こういった諸課題を解決するために本書が行っていることは、最澄・徳一論争で筆者がおもしろいと思っているポイントを取捨選択し、複雑な議論をできるだけわかりやすいストーリーに落とし込んで叙述することである(それがうまくいっているかはさておき)。特に、最澄・徳一論争のなかでほとんど注目されることのなかった因明を第四章でとりあげたのは、学問的に重要だという研究者としての判断もあるが、異宗教間対話を前提とする因明を紹介したかった、というモチベーションがあったことは否定できない」202pp.

 この視点はここで紹介される思想のドラマ、思想史全体を展望して、メタ思想史にまで踏みこんでいる。いま現在にあって、千年前の思想のドラマを描くことにどういう意味があるのか、著者は真向から考え、答えを出しながらこの本を書いている。この論争は一乗か三乗かの二項対立などではないし、この時だけ、この二人だけで終るものでもない。異なる宗が交わることなく「空間的に同時存在」するような体制、丸山眞男が批判した「精神的雑居」に似たものを仏教界に基礎づけ、「雑種」を生みださない性格が、最澄・徳一論争における最澄の議論を一つのきっかけとして古代から中世に至る日本仏教のなかで構築され、そしてそれが近代まで維持された。という指摘は刺激的だ。その「最澄の論法の背景にあった思想」は、今でも生きているのではないか。何かというと二項対立に落としこんでカタをつけようとするのはその現れにも見える。世の中で起きていることは複雑なので、それを複雑なまま捉えようとするのは難しいけれど、そうするよう努力することは、人間が人間として生きてゆく上で避けて通れない。単純化すれば効率的に捉えられて、それでいいのだ、としていれば、人でなしになるだけだ。

 著者は1972年生まれだから、来年50歳。学者としては油が乗ってくる頃だ。井筒俊彦なみに頭のいい人だから、どこまで尾いていけるか心許ないが、読めるだけ読んでみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 1222日には1967年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Palm Gardens, New York, NY

 このヴェニュー3日連続の初日。Group Image Christmas と題されたイベント。共演として The Gray CompanyThe Aluminum DreamThe Group ImageMimes with Michael がポスターにはある。前売3ドル、当日3.50ドル。開演9時。

 この日、アウズレィ・スタンリィがオークランドの北の Orinda LSD所持で逮捕され、かれによる LSD 製造がストップした。

 The Group Image は西海岸のサイケデリック・ロックの影響を受けて、この頃マンハタンで活動していた音楽集団で、1968年に1枚《A Mouth In The Clouds》というアルバムを出している。リード・シンガーの1人 Sheila Darla はグレイス・スリックに通じる声とスタイルだが、そのステージはむしろ後のパティ・スミスを連想させた由。Tidal にあり。

 その他のアクトについては不明。


2. 1970 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 前売3ドル、当日3.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティールで参加。セット・リストの全体像は不明。


3. 1978 Dallas County Convention Center Arena, Dallas, TX

 開演8時。セット・リストは現存するテープによるので、アンコールの有無も含め、実際とは異なる可能性がある。Dead.net ではこのショウは1221日のものとしており、前日1221日の The Summit でのショウが無い。しかし、この両日にはチケットの半券が残っている。

 Dead.net に掲げられたセット・リストではクローザーは〈Wharf Rat〉。(ゆ)


10月10日・日

 岩波文庫『梵文和訳 華厳経入法界品』中巻、梶山雄一による解説。初期仏教思想の中に「入法界品」を位置づける試み。
 仏教は太陽系、銀河、全宇宙、という概念を、我々のものとは違うとしても持っている。全宇宙まで視野に入れている。この地球というよりインドの中に、全宇宙が入る、ことを考える。キリスト教とイスラームの視界には地球以外の世界は入っていないように見える。天国はあるが、それは地球と無縁、切り離された遥か彼方にあるわけではない。遙か高く、直接行けないにしても、我々人間の頭上にある。地獄は足許の地下深くにある。それだけだ。世界の外、地球の外は埒外だ。そこに何かがいて、何かが起きているとしても、それは神とその僕たる人間の関知するところではない。というよりも、世界の外、地球の外ということを思いつかない。地球と人間の世界、それが全て。ユダヤ教にいたってはパレスティナだけが全てで、それ以外のことは関わりが無い。しかし、仏教も時代が下るにつれて、だんだん地球のことだけに関心の対象を絞るように見える。


梵文和訳 華厳経入法界品 ((中)) (岩波文庫 青 345-2)
岩波書店
2021-08-19






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本日のグレイトフル・デッド

 1010日は1968年から1994年まで、7本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 3日連続の最終日。この3日間は情報が錯綜していて、事実確定が難しい。セット・リストは一応あるが、"Jam' とされたトラックが3つもあり、その他の曲もタイトルに "jam" がついていて、まっとうな演奏ではないようだ。メンバーも一部でポール・バターフィールドがハーモニカを吹いているとされ、いや、それは違うという説もある。前2日同様、ウィアとピグペンが不在または一時的に外されていて、Mickey & the Hartbeats という名義だったとも言われる。


2. 1970 Colden Auditorium, Queens College, New York, NY

 4ドル。大学の在学生は3.50ドル。夜7時開演。テープとセット・リストは残っていて、それによると1時間半の一本勝負。招聘に関わった人物によると、バンド・メンバーの半分が空港からタクシーでどこかへ行ってしまい、実際のスタートは夜11時を過ぎていた由。


3. 1976 Oakland Coliseum Stadium, Oakland, CA

 前日に続いて The Who とのダブル・ビル。デッドが先の演奏。全体が《Dick’s Picks, Vol. 33》でリリースされた。


4. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 15本連続の12本目。第一部アコースティック・セット全体が前日のものとともに2019年のレコードストア・ディ用タイトルとしてアナログとCDでリリースされた。このアルバム・タイトルが《The Warfield, San Francisco, California, October 9 & 10, 1980》という、身も蓋もないもの。3曲目の〈Jack-A-Roe〉は《Reckoning》にも収録。第二部の7、8、ラストの〈Row Jimmy〉〈New Minglewood Blues〉〈Jack Straw〉と第三部の3曲目〈Samson And Delilah〉が《Dead Set》でリリースされた。〈Row Jimmy〉〈Jack Straw〉は2004年の《Beyond Description》ボックス・セットで追加。

 《Dead Set》は全体の印象は散漫だが、個々の曲を聴くとすばらしい。この一連のレジデンス公演はショウの質は高く、そこから選びぬいているので、当然ではある。アルバム全体として愉しめないのは、一本のショウとして聴けるようにならべてあるとはいえ、良いショウには必ずある流れが現れてこないためだ。デッドの場合、各々の曲が作品というよりも、1本のショウがひとつの作品なのだ。


5. 1981 Stadt Halle, Bremen, West Germany

 この年2度目のヨーロッパ・ツアー。オープナーの〈Shakedown Street > Bertha〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 演奏は良いのだが、音のバランスが悪く、ガルシアのギターが遙か遠くで鳴っている。何か接続が悪いらしく、時折り、瞬間的にオンになるが、すぐ遠くなる。ヴォーカルはしっかり入っている。


6. 1982 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA

 12ドル。午後2時開演。80年代ベストのショウの一つという声もある。


7. 1994 USAir Arena, Landover, MD

 30ドル。夜7時半開演。この頃は出来不出来の差が大きいが、全員がそろってダメというのも少ないようだ。どこかしら良いところがあり、人によってはベストとも言う。このあたりも面白い。(ゆ)


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