クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:伝統音楽

 パンデミックをはさんで久しぶりに見るセツメロゥズは一回り器が大きくなっていた。個々のメンバーの器がまず大きくなっている。この日も対バンの相手のイースタン・ブルームのステージにセツメロゥズのメンバーが参加した、その演奏がたまらない。イースタン・ブルームは歌中心のユニットで、セツメロゥズのメインのレパートリィであるダンス・チューンとは違う演奏が求められるわけだが、沼下さんも田中さんも実にぴったりの演奏を合わせる。この日は全体のスペシャル・ゲストとして高梨菖子さんもいて、同様に参加する。高梨さんがこうした曲に合わせるのはこれまでにも見聞していて、その実力はわかっているが、沼下さんも田中さんもレベルは変わらない。こういうアレンジは誰がしているのかと後で訊ねると、誰がというわけでもなく、なんとなくみんなで、と言われて絶句した。そんな簡単にできるものなのか。いやいや、そんな簡単にできるはずはない。皆さん、それぞれに精進しているのだ。

 もう一つ後で思いついたのは、熊谷さんの存在だ。セツメロゥズは元々他の3人が熊谷さんとやりたいと思って始まったと聞くが、その一緒にやったら面白いだろうなというところが効いているのではないか。

 つまり熊谷さんは異質なのだ。セツメロゥズに参加するまでケルト系の音楽をやったことが無い。多少聞いてはいたかもしれないが、演奏に加わってはいない。今でもセツメロゥズ以外のメインはジャズやロックや(良い意味での)ナンジャモンジャだ。そこがうまい具合に刺激になっている。異質ではあるが、柔軟性がある。音楽の上で貪欲でもある。新しいこと、やったことのないことをやるのが好きである。

 そういう存在と一緒にやれば、顕在的にも潜在的にも、刺戟される。3人が熊谷さんとやりたいと思ったのも、意識的にも無意識的にもそういう刺戟を求めてのことではないか。

 その効果はこれまでにもいろいろな形で顕れてきたけれども、それが最も面白い形で出たのが、セツメロゥズが参加したイースタン・ブルーム最後の曲。この形での録音も計画されているということで、今から実に楽しみになる。

 そもそもこのセツメロ FES ということからして新しい。形としては対バンだが、よくある対バンに収まらない。むしろ対バンとしての形を崩して、フェスとうたうことで見方を変える試みとあたしは見た。そこに大きくひと役かっていたのが、木村林太郎さん。まず DJ として、開演前、幕間の音楽を担当して流していたのが、実に面白い。いわゆるケルティック・ミュージックではない。選曲で意表を突くのが DJ の DJ たるところとすれば、初体験といいながら、立派なものではないか。MC でこの選曲は木村さんがアイルランドに留学していた時、現地で流行っていたものという。アイルランドとて伝統音楽がそこらじゅうで鳴っているわけではないのはもちろんだ。伝統音楽はヒット曲とは別の世界。いうなれば、クラシックやジャズといったジャンルと同等だ。そして、伝統音楽のミュージシャンたちも、こういうヒット曲を聴いていたのだ。そう見ると、この選曲、なかなか深いものがある。金髪の鬘とサングラスといういでたちで、外見もかなりのものである。これは本人のイニシアティヴによるもので、熊谷さんは DJ をやってくれと頼んだだけなのだそうだ。

 と思っていたら、幕間にとんでもないものが待っていた。熊谷さんのパーカッションをサポートに、得意のハープをとりだして演りだしたのが、これまたわが国の昔の流行歌。J-POP ではない、まだ歌謡曲の頃の、である。原曲をご存知ない若い方の中にはぽかんとされていた人もいたけれど、知っている人間はもう腹をかかえて笑ってしまった。アナログ時代には流行歌というのは、いやがおうでもどこかで耳に入ってきてしまったのである。デジタルになって、社会全体に流行するヒット曲は出なくなった。いわゆる「蛸壺化現象」だ。

 いやしかし、木村さんがこんな芸人とは知らなんだ。ここはぜひ、適切な芸名のもとにデビューしていただきたい。後援会には喜んではせ参じよう。

 これはやはり関西のノリである。東京のシーンはどうしても皆さんマジメで、あたしとしてはもう少しくだけてもいいんじゃないかと常々思っていた。これまでこんなことをライヴの、ステージの一環として見たことはなかった。木村さんにこれをやらせたのは大成功だ。これで今回の企画はめでたくフェスに昇格したのだ。

 しかし、今回、一番に驚いたのはイースタン・ブルームである。那須をベースに活動しているご夫婦だそうで、すでに5枚もアルバムがあるのに、あたしはまったくの初耳だった。このイベントに行ったのも、ひとえにセツメロゥズを聴きたいがためで、正直、共演者が誰だか、まったく意識に登らなかった。セツメロゥズが対バンに選ぶくらいなのだから悪いはずはない、と思いこんでいた。地方にはこうしたローカルでしか知られていないが、とんでもなく質の高い音楽をやっている人たちが、まだまだいるのだろう。そう、アイルランドのように。

 小島美紀さんのヴォーカルを崇さんがブズーキ、ギターで支える形。まずこのブズーキが異様だった。つまり、ドーナル・ラニィ型でもアレック・フィン型でも無い。赤澤さんとも違う。ペンタングル系のギターの応用かとも思うが、それだけでもなさそうだ。あるいはむしろアレ・メッレルだろうか。それに音も小さい。聴衆に向かってよりも、美紀さんに、共演者たちに向かって弾いている感じでもある。

 そしてその美紀さんの歌。この声、この歌唱力、第一級のシンガーではないか。こんな人が那須にいようとは。もっとも那須が故郷というわけではなく、出身は岡山だそうだが、ともあれ、この歌はもっと広く聴かれていい。聴かれるべきだ、とさえ思う。すると、いやいや、これはあたしだけの宝物として、大事にしまっておこうぜという声がささやいてくる。

 いきなり "The snow it melt the soonest, when the winds begin to sing" と歌いだす。え、ちょっ、なに、それ。まさかここでこんな歌を生で聴こうとは。

 そしてイースタン・ブルームとしてのステージの締めくくりが〈Ten Thousand Miles〉ときた。これには上述のようにセツメロゥズがフルバンドで参加し、すばらしいアレンジでサポートする。名曲は名演を引き出すものだが、これはまた最高だ。

 この二つを聴いていた時のあたしの状態は余人には到底わかるまい。たとえて言えば、片想いに終った初恋の相手が大人になっていきなり目の前に現れ、にっこり微笑みかけてきたようなものだ。レコードでは散々いろいろな人が歌うのを聴いている。名唱名演も少なくない。しかし、人間のなまの声で歌われるのを聴くのはまったく別の体験なのだ。しかも、第一級の歌唱で。

 この二つの間に歌われるのはお二人のオリジナルだ。初めの2曲は2人だけ。2曲目の〈月華〉がいい。そして沼下さんと熊谷さんが加わっての3曲目〈The Dream of a Puppet〉がまずハイライト。〈ハミングバード〉と聞えた5曲目で高くスキャットしてゆく声が異常なまでに効く。高梨さんの加わった2曲はさすがに聴かせる。

 美紀さんのヴォーカルはアンコールでもう一度聴けた。1曲目の〈シューラ・ルゥ〉はこの曲のいつもの調子とがらりと変わった軽快なアップ・テンポ。おお、こういうのもいいじゃないか。そして最後は別れの歌〈Parting Glass〉。歌とギターだけでゆっくりと始め、これにパーカッション、ロウ・ホイッスル、もう1本のブズーキ、フィドルとアコーディオンと段々と加わる。

 昨年のみわトシ鉄心のライヴは、やはり一級の歌をたっぷりと聴けた点で、あたしとしては画期的な体験だった。今回はそれに続く体験だ。どちらもこれから何度も体験できそうなのもありがたい。関西より那須は近いか。この声を聴くためなら那須は近い。近いぞ。

 念のために書き添えておけば、shezoo さんが一緒にやっている人たちにも第一級のシンガーは多々いるが、そういう人たちとはまた別なのだ。ルーツ系の、伝統音楽やそれに連なる音楽とは、同じシンガーでも歌う姿勢が変わってくる。

 後攻のセツメロゥズも負けてはいない。今回のテーマは「遊び」である。まあ、皆さん、よく遊ぶ。高梨さんが入るとさらに遊ぶ。ユニゾンからするりと外れてハーモニーやカウンターをかまし、さらには一見いや一聴、まるで関係ないフレーズになる。こうなるとユニゾンすらハモっているように聞える。最高だったのは7曲目、熊谷さんのパーカッション・ソロからの曲。アフリカあたりにありそうなコトバの口三味線ならぬ口パーカッションも飛び出し、それはそれは愉しい。そこからリールになってもパーカッションが遊びまくる。それに押し上げられて、最後の曲が名曲名演。その次の変拍子の曲〈ソーホー〉もテンションが変わらない。パンデミックは音楽活動にとってはマイナスの部分が大きかったはずだが、これを見て聴いていると、まさに禍福はあざなえる縄のごとし、禍があるからこそ福来たるのだと思い知らされる。

 もう一つあたしとして嬉しかったのは、シェトランドの曲が登場したことだ。沼下さんが好きなのだという。そもそもはクリス・スタウトをどこの人とも知らずに聴いて惚れこみ、そこからシェトランドにはまったのだそうだ。とりわけラストのシェトランドのウェディング・マーチはいい曲だ。シェトランドはもともとはノルウェイの支配下にあったわけで、ウェディング・マーチの伝統もノルウェイからだろう。

 沼下さんは自分がシェトランドやスコットランドが好きだということを最近自覚したそうだ。ダンカン・チザムとかぜひやってほしい。こういう広がりが音楽の深化にも貢献しているといっても、たぶん的外れにはなるまい。

 今月3本のライヴのおかげで年初以来の鬱状態から脱けでられたようである。ありがたいことである。皆さんに、感謝感謝しながら、イースタン・ブルームのCDと、熊谷さんが参加している福岡史朗という人のCDを買いこんで、ほくほくと帰途についたのであった。(ゆ)

イースタン・ブルーム
小島美紀: vocal, accordion
小島崇: bouzouki, guitar

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

スペシャル・ゲスト
高梨菖子: whistle, low whistle

 4年ぶりのこの二組による新年あけましておめでとうライヴ。前回通算6回目は2020年の同月同日。月曜日、平日の昼間、会場は下北沢の 440。今回、最後にあちこちへのお礼を述べた際、中藤さんが思いっきり「440の皆さん、ありがとう」と言ってしまったのも無理はない。3年の空白はそれだけ大きい。言ってしまってから、しゃがみこんでいたのも頬笑ましかった。

 まず初めに全員で出てきて1セット。ジグの定番曲を3曲連ねる。その3曲目のBパートでさいとうさんと中藤さんのダブル・フィドルが高く舞いあがるところでまず体が浮く。昨年末、同じ会場での O'Jizo の15周年記念ライヴでは中藤さんと沼下さんのダブル・フィドルが快感だったのに負けない。沼下さんとの組合せだと流麗な響きになるのが、この組合せだと華麗になる。今回はいたるところでこのダブル・フィドルに身も心も浮きあがったのがまず何よりありがたいことだった。本格的にダブル・フィドルをフィーチュアしたバンドを誰かやってくれないか。その昔、アルタンの絶頂期、《The Red Crow》《Harvest Storm》《Island Angel》の三部作を前人未踏の高みに押しあげていたのも、ダブル、トリプルと重なるフィドルの響きだった。

 演奏する順番を決めるのはじゃんけんで、tricolor 代表はゲストの石崎氏、Cocopelina 代表はお客さんの一人。お客さんの勝ちで Cocopelina 先攻になる。

 かれらの生を見るのは一昨年の11月以来。その間に昨年末サード・アルバムを出していた。それによる変化は劇的なものではないが、深いところで進行しているようだ。アンサンブルのダイナミズム、よく遊ぶアレンジ、そして選曲と並べ方の妙、というこのバンドの長所に一層磨きがかかっている。新譜からの曲だけでなく、その後に作った新曲もどんどん演る。

 4曲目の〈Earl's Chair〉は実験で、有名なこの曲だけをくり返しながら、楽器編成、アレンジを次々に変えてゆく。アニーがブズーキで参加するが、通常の使い方ではなく、エフェクタでファズをかけたエレクトリック・ブズーキの音にして、ロック・バンドのリード・ギターのノリである。これはアンコールでも再び登場し、場の温度を一気に上げていた。

 この日は互いのステージに休んでいる方のメンバーが様々な形で参加した。気心の知れた、たがいの長所も欠点も知りつくしている仲だからこその芸だろうか。これが全体の雰囲気をゆるめ、年頭のめでたさを増幅もする。それにこうした対バン・ライヴならではの愉しさでもある。

 サポートの点で特筆すべきはバゥロンの石崎氏で、終始冷静にクールに適確な演奏を打ちだす。どちらかというと、ビートを強調してノリをよくするよりも、ともすれば糸の切れた凧のようにすっ飛んでいきかねないメンバーの手綱を上手にさばいていると聞えた。tricolor の時にも Cocopelina の時にも飄々と現れてぴたりとはまった合の手を入れるのには唸ってしまった。

 プレゼント・タイムの休憩(今回のプレゼントのヒットは岩瀬氏が持ってきたマイク・オールドフィールド《Amarok》のCD。昨年こればかり聴いていたのだそうだ)をはさんでの tricolor も怠けてはいない。オープナーの〈Migratory〉はもう定番といっていいが、1曲目でアコーディオンとフィドルがメロディを交錯させるのは初めて聴いた。2曲目〈Three Pieces〉の静と動の対照の鮮かさに陶然とする。次のセットの4曲目が実に良い曲。

 次の〈カンパニオ〉というラテン語のタイトルのセットでさいとうさんが加わり、まずコンサティーナ。長尾さんがマンドリン、アニーがギターのカルテット。持続音楽器と非持続音楽器のユニゾンが快感。2曲目でダブル・フィドルとなっての後半、テンポ・アップしてからには興奮する。締めは例によって〈ボン・ダンス〉。しかし、手拍子でノルよりも、じっと聴きこまされてしまう。この曲もまた進化している。

 どちらもアコースティック楽器がほとんどなのに、演奏の変化が大きく、多様性が豊富で、ステージ全体が巨大な万華鏡にも見えてくる。年明け一発めのライヴにまことにふさわしい。今年は元旦からショックが続いたから、こういう音楽が欲しかった。ショックの核の部分は11日の shinono-me+荒谷良一が大部分融解してくれたのに重ねて、今年初めてのアイリッシュ系のライヴでようやく2024年という年が始まった。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、この二つ、演奏とアレンジのダイナミック・レンジの幅が半端でなく大きいから、サウンド担当の苦労もまた大変なものだ。エンジニアの原田さんによると、終った時にはくたくたになっているそうな。あらためてすばらしい音響で聴かせてくれたことに感謝する。(ゆ)


さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar

中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

Special Guest
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

 告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

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 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ

 こういうところでライヴをやってくれるおかげで、ふだん行かない珍しいところに行ける。珍しいとは失礼かもしれないが、このライヴがなければ、まず行くはずのない場所だ。一度来れば、二度目からはハードルが下がる。

 御殿場線に乗るのは生まれてから2度目。最初は御殿場でのハモニカクリームズのライヴに往復した。4年前のやはり秋。御殿場線の駅の中でも谷峨は寂しい方で、これに比べれば御殿場は大都会。言われなければ、こんなところでアイリッシュのライヴがあるなどとは思いもよらない。どころか、降りてもまだ信じられない。それでも駅からそう遠くはないはずで、スマホの地図を頼りに歩く。りっぱな県道が通っているが車もめったに通らない。一緒に降りた地元の人らしき老夫婦は、近くの山陰に駐めてあった軽トラックに乗りこんだ。その先をどんどん行き、角を曲がったとたん、コンサティーナの音が聞えてきた。おお、まちがいない。ここだ、ここだ。

 この店は「スローンチャ」と名づけたライヴ・シリーズを続けていて、今回が18回目。ギターのサムはここでやるのはこれが5回めか6回めになるそうな。他に客がいるのかと思ったら、ちゃんと先客もいて、後から何人もやってくる。半分くらいは車で来たのだろう。

 ここはパンが売りもので、昼飯にクロックムッシュなど二つ三つ買って食べる。なかなか美味。雨が降っていなければ、家で食べるためにいくつか買いこんでいたところではある。飲物ははじめはガマンしてコーヒーにしたが、後でやはり耐えきれずにギネスを飲む。久しぶりでこちらも美味。マスターの話を聞いていると、ビールが美味いそうだが、もう飲めないカラダになってしまった。

 店の建物は宿泊施設を増やすために工事中で手狭ということもあって、すぐ外にモダンなスタイルの天幕を張った下がステージ。その正面、建物から斜めの位置にももう一つ天幕を張って、こちらは客席。少し距離があり、PAを入れている。外の天幕の下で聴くと、音は最高だった。

 生憎の雨模様で、後半、薄暗くなってくると、いささか冷えてきたけれど、山肌を埋めた木々をバックに、脇では薄の穂が揺れている中で聴くアイリッシュはまた格別。サムに言わせれば、この天気もアイルランドになる。

 このトリオでやるのは今回の二連荘が初めてだそうだ。沼下さんのフィドルを生で聴くのはパンデミック前以来だが、どこか芯が太くなって、安定感が増したように聞える。音色がふらつかない。それが須貝さんのフルートと実によく合う。考えてみると、須貝さんがフィドラーとやるライヴを見るのは実に久しぶりだ(記録をくってみたら、2017年の na ba na 以来だった)。この二人のユニゾンは気持ちがいい。片方がハーモニーにずれるのも快感。やはりあたしはフィドルの音、響きが好きなのだ、とあらためて思いしらされる。そして須貝さんのフルートとならぶと、両方の響きにさらに磨きがかかる。須貝さんのフルートには相手を乗せてともに天空を駆けてゆく力があるようだ。

 サムのギターも全体の安定感を増す。一番近いのはスティーヴ・クーニィだとあたしは思っている。派手なことはやらないが、ふと耳がとらわれると、ずんずんと入ってくる。この日は音のバランスも見事に決まっていて、3人の音が過不足なく聞える。それも快感を増幅する。

 前半はオーソドックスなユニゾンを軸に、ジグ、リール、ホーンパイプ? ポルカと畳みかける。曲も地味ながら佳曲が並ぶ。トリッキィなこともやらないし、冒険もしない。そこが気持ちいい。つまり、うまくいっているセッションを聴いている気分。先日の木村・福島組のようなすっ飛んだ演奏もいいし、こういうのもいい。どちらも可能で、どちらも同じくらい愉しい。というのは、アイリッシュの美味しいところではある。

 そう、そして八ヶ岳と木村・福島組の時と同じような幸福感が湧いてきた。それをモロに感じたのは2番目のセットの3曲目のリールが始まったとき、3曲目に入ったとたん、ふわあと浮きあがった。このリールはどちらかというとマイナーなメロディなのだが、気分はメアリ・ポピンズの笑いガスでも吸ったようだ。浮上した気分はワルツでも前半最後のストラスペイでも降りてこない。

 ワルツはベテラン蛇腹奏者 Josephine Marsh の作。その昔サンフランシスコ・ケルティック・フェスティバルに行った時、公式のコンサートがはねてからのパブのセッションで、ロレツも回らないほどべろんべろんに酔っばらいながら、見事な演奏をしていたあのおばさん、いや、あの時はお姉さんでしたね。

 後半は前半よりヴァラエティに富むスタイルということで、ソロでやったり、オリジナルをやったりする。

 スタートはスローなジグのセットで2曲目がいい曲。次はフィドルのソロのリールで始め、一周してからフルートとギターが加わる。シンコペーションのところ、フルートが拍をとばさずに、細かい音で埋めるのが面白い。

 次はフルートのソロで、スロー・エアから2曲目が須貝さんのオリジナル。鳥がモチーフなので、こういうロケーションで聴くのは最高だ。セットの3曲目〈Rolling Wave〉の演奏がいい。

 さらにギターのソロ。サムのオリジナルで〈喜界島の蝶々〉。これを〈町長〉と勘違いした人がいたそうな。そういうタイトルの曲を作るのも面白いんじゃないか。そこから〈Rolling Wave〉と同名異曲。このタイトルの曲はあたしの知るかぎりもう1曲ある。

 後半のワルツは前半のしっとりワルツと対照的な〈Josephin's Waltz〉。元気闊達な演奏で、フィドルとフルートが交替に相手のメイン・メロディにつけるハーモニーが美味しく、この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。もう一度聴きたい。

 ラストは〈Mountain Road〉をたどれば〈Mountain Top〉に行くとのことで、この組合せ。スロー・テンポで始め、2周目(だと思う)でテンポを上げ、3周目でさらにもう一段速くする。かっこいい。マーチ、ストラスペイ、リールと曲の変化でテンポを上げるのは定番だけど、曲はそのままでテンポを上げるのも面白い。そのまま2曲目に突入して、最高の締めくくり。ここでようやくエンジン全開。

 アンコールのスライドがまたいい。セットの2曲目、途中で音を絞って3人でユニゾン、ギターがリズムにもどってまた音を大きくするのに唸る。尻上がりに調子が出てきて、第三部があれば文句ないところだけれど、山あいはもう暗くなりかけ、御殿場線の国府津行きの電車の時刻(1時間に1本)も迫ってきたので、それは次回に期待しよう。

 このトリオもいいし、ロケーションもいいので、どちらも次があれば行くぞと思いながら、また降りだした雨の中を駅に急いだ。(ゆ)

 あたしがアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのは珍しいと思われているらしい。確かに、パンデミック後はその前に比べてずいぶん減っている。それにはいろいろな事情があるので、別にアイリッシュ・ミュージックのライヴに行くのが嫌になったからではない。一番の原因はビンボーで、だからライヴに行く回数そのものが全体的に減っている。2番目の原因としては母親の介護が以前より忙しくなった。母も90代になって、さすがにあちこち衰えてきていて、医者にかかる頻度が増えている。3番目はあたし自身も老化は確実に進んでいて、外出するとくたびれる。かつてのように、連日ライヴをこなすような気力体力はもう無い。先日、八ヶ岳に行ったのはだから本当に呼びよせられたので、自分の意志ではない。あそこにいる間ずっと幸福感に包まれていたのはそのせいもあるだろう。

 だからといって、自分の意志で行こうと決めて行くライヴがつまらないわけでもない。もっとも、どのライヴに行くのも、そこに自分の意志がどれだけ働いているのか、八ヶ岳を体験してみると心もとなくなってくる。本当はいつも呼ばれているのではないか。

 これはライヴだけではなくて、本でもレコードでも同じだ。よくよく考えてみれば無数にある選択肢の中からなぜそれを拾いあげるかに、自分の意志がどれくらい入っているか、きわめてあやしくなってくる。ある本をいきなり無性に読みたくなる。あるレコードをいきなり無性に聴きたくなる。そういう体験は何度かあって、これはもう明瞭に呼ばれているとわかるが、そこまでではなくても、ふと手にとる、目について、読んでみる、聞いてみるのも、実は呼ばれているという気がしてくる。

 だいたい、ある本を読む、レコード(音源)を聴く時、そこに「自己の意志」はどれくらい入っているのか。他の人はみんな明確な意志を持って、よし、これを読むぞ、これを聴くぞ、と決意して読んだり聴いたりしているのだろうか。もちろん仕事のため、勉強のため、というような義務的な読書、リスニングは別である。ついでにここに、どの曲を演るか、を入れてもいいだろうが、あたしは演奏はできないから、それについては何も言わない。自分のことを顧みてみれば、次に何を読むか、聴くかは、なりゆきまかせのことがほとんどだと思われる。つまり明瞭に、自分の心と体の状態、人生全体の状況、今いる環境、割りあてられる時間の長さ、等々を勘案し、では、これを読もう、聴こうと決める、なんてことはまずやらない。なんとなく、これあ面白そうだ、と思ったものを手にとる。

 『本の雑誌』の目黒さんは、これから何をどういう順番で読むか、綿密なスケジュールを立て、それが崩れてはまた立てなおしするのが、何よりの愉しみだと言っていた。それなら、「自分の意志」は多少とも入るだろうとも思われる。あたしもマネをして読書計画などたててみたりもするが、まず守れたためしはない。聴く方はもう最初から放棄している。聴くのは、短かければ1枚30分、長くても3〜4時間というところだから、とにかく手許にたまったものを片っ端から聴いていくこともできる。本は読破するのに数ヶ月というのも珍しくはないから、順番くらいは一応決めておいた方がよい気もする。もっとも、篠田一士ではないが、ある長い本を読んでいる途中で、別の本、たとえば中短篇集を読みだすとか、小説を読みながら、紀行を読むとか、そういうことはよくやる。

 とまれ、つらつら思うに、あたしの場合、何かを読む、聴くというところに、あたし自身の意志などというものはほとんど作用していないようだ。だいたい、その前に「あたしの意志」なるものがあるのかすらあやしい。となれば、ある本を読む、レコードを聴くのは、向こうが呼んでくれているのに答えたと思う方がむしろすっきりする。

 ライヴの場合、どのライヴに行くかというのはもう意志とはまず関係がない。そもそも、関心のあるすべてのミュージシャンのスケジュールを完璧に把握し、自分の行動範囲内で行われるギグを確認し、その中から選んで出かける、なんてことはやるつもりもない。まともにそんなことをしだしたら、ほとんど毎日、どこかへ出かけなければならない。そんな金力も体力も無い。だから、ライヴについては、たまたま何らかのツテで知ったものだけを対象にして、その中から行けるものに行く。「たまたま何らかのツテで知る」というのは、表現を変えれば、呼ばれているのと同じだ。

 そう、このギグもやはり呼んでくれていたのだ。これを知ったのは7月の須貝知世&木村穂波デュオのライヴの時で、八ヶ岳と一緒だった。場所もデュオの時と同じムリウイ。今度は夜。行く行くと予約を頼んでいた。

 そうして、期待どおり、すばらしく愉しい体験だった。というよりも、あの幸福感にまた浸されたのである。最初の曲が始まったとたん、八ヶ岳のときのあの幸福感にふわあっと包みこまれた。それから最後まで、音楽が鳴っている間、ひたすら幸福だった。この幸福感はどこから来るのかなんてことは考えもしなかったし、今でもどうでもいい。面白いことに、曲が終ると幸福感もちょっと軽くなる。音楽が鳴っている間だけ、ひたすら幸福なのである。

 もう一つ面白いことに、1週間前の Bosco さんのギグではこういう幸福感は感じなかったのだ。かれが演るのがアイリッシュではなく、オールドタイムであるから、というだけのことだろうか。バスコさんのギグも音楽の愉しさでは勝るとも劣るものではなかったし、ああ、ここでこうして聴いているのは幸せと思ったものの、八ヶ岳とここで感じた幸福感とは少し違った。どこがどう違うというのは、今はもうわからないのだが、違うことだけは覚えている。アイリッシュの方がなじみがあるからだろうか。それだけでもないような気もする。この違い、幸福感の違いはどうでもいいことかもしれないが、あたしにとってはどこかで大事なことのような気もするから、とりあえず記録しておく。

 木村&福島の音楽にもどれば、ここでの音楽のまず選曲が面白い。アイリッシュのダンス・チューンには無数の選択肢があるわけで、そこからどれを選ぶかは、また「呼ばれる」かどうかが関ってきそうだが、それは別として、何を選び、どの順番で演るかは、演奏者の腕の見せどころ、というよりも、たぶんアイリッシュを演奏するまず最初の愉しみであり、最大の愉しみの一つではないか。一応確認したら、お手本にした演奏のままのセットもあり、独自に組んだセットもあるそうだが、どちらにしても、どれもこれも実に面白い選曲であり、組合せだ。意表をつかれるのだ。次の瞬間、ぴったりはまったそのはまり具合が快感となる。聴いたことのある曲でも、驚くほど新鮮な顔を見せる。たいていのセットで最後の曲が一番光るのは、その組合せがうまくいっているからだろう。つまり、選曲眼も良く、かつ良い組合せを作る能力が高い。

 そして、その曲そのものがまた面白い。中にはひどくトリッキィな、メロディ上ではテンポが一瞬ごくゆっくりになるように聞えたりするものもある。こんなのアイリッシュにあるのと抗議したくなりながら、それがリピートされていくうちに、アイリッシュかどうかなんてのはどうでもよくなり、いやあ、おもしれえ、と内心で声をあげている。

 福島さんのフィドルは初見参で、演奏する姿勢同様どっしりとした安定した土台の上に音が流れてゆくのは気持がいい。芯も太くて、木村さんの蛇腹に相対してゆるがない。あたしは Seamus Creagh を連想した。この音は好みだ。始めて3ヶ月というブズーキで披露したソロ演奏も良かった。フィドルに比べると繊細な面がよりはっきりと表に出る。3ヶ月でそこまで弾くのは大したものだと長尾さんが溜息をついていた。

 木村さんのアコーディオンも須貝さんの時に比べるとより奔放で、羽目をはずしている。と見えて、押えるところはきっちり押えている。このデュオはいいなあ。木村さんはソロもいいのだが、相手によって七変化するのが、あたしにはたまらん。

 その二人をうまく煽っていたのが長尾さんのギター。ぐいぐいと背中を押していったり、すっと引いてやわらかく受け止めたり。こういうところはベテランの味ですねえ。

 途中でキーを半音上げるという裏技もくり出す。ひょっとするとアイリッシュで感じる幸福感はこの音の高さ、高音の快感がベースにあるのかもしれない。

 福島さんは高橋創さんにつきあってもらって作った録音を Bandcamp に上げている。値段をつけず、タダで聴けるようにしている。もったいない。高崎での録音だそうで、ひょっとしてかの Tago Studio なのかな。

 それとは別に、このデュオにもぜひぜひ録音を、アルバムを作ってほしい。木村さん、頼みますよ。須貝さんのと1枚ずつ。

 終るまでおたがい気がつかなかったが、村上淳志さんが来ていて、久しぶりに会えて嬉しかった。村上さんのおかげでハープを聴く幅が広がったので、感謝多謝なのである。村上さんといい、梅田さんといい、ハープをやる人は面白い。

 たまたま読んでいた本に引きずりこまれて夢中になっていて、開演前もぎりぎりまで読み、休憩中も読み、帰りの電車でもずっと読みつづける。こんな風に、寸暇を惜しんで本を読むのも久しぶりである。音楽と本が共鳴して、また別の幸福感が生まれていたようだ。(ゆ)

 40年ぶりということになろうか。1970年代後半、あたしらは渋谷のロック喫茶『ブラックホーク』を拠点に、「ブリティッシュ・トラッド愛好会」なるものをやっていた。月に一度、店に集まり、定例会を開く。ミニコミ誌を出す。一度、都内近郊の演奏者を集めてコンサートをしたこともある。

 「ブリティッシュ・トラッド」というのは、ブリテンやアイルランドやブルターニュの伝統音楽やそれをベースにしたロックやポップスなどの音楽の当時の総称である。アイルランドはまだ今のような大きな存在感を備えてはおらず、あたしらの目からはブリテンの陰にあってその一部に見えていた。だからブリティッシュである。トラッドは、こうした音楽のレコードでは伝統曲のクレジットとして "Trad. arr." と書かれていることが多かったからである。フランスにおけるモダンな伝統音楽の優れた担い手である Gabriel Yacoub には《Trad. Arr.》と題した見事なソロ・アルバムがある。

 この愛好会についてはいずれまたどこかで書く機会もあろう。とまれ、そのメンバーの圧倒的多数はリスナーであって、プレーヤーは例外的だった。そもそもその頃、そうした音楽を演奏する人間そのものが稀だった。当時明瞭な活動をしていたのは北海道のハード・トゥ・ファインド、関西のシ・フォークぐらいで、関東にはいたとしても散発的だった。バスコと呼ばれることになる高木光介さんはその中で稀少な上にも稀少なフィドラーだった。ただ、かれの演奏している音楽が特異だった。少なくともあたしの耳には特異と聞えた。

 その頃のあたしはアイルランドやスコットランドやウェールズやイングランドや、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の存在を知り、それを探求することに夢中になっていた。ここであたしにとって重要だったのはこれらがヨーロッパの音楽であることだった。わが国の「洋楽」は一にも二にもアメリカのものだったし、あたしもそれまで CSN&Y で洗礼を受けてからしばらくは、アメリカのものを追いかけていた。「ブラックホーク」で聴ける音楽も圧倒的にアメリカのものだった。そういう中で、アメリカ産ではない、ヨーロッパの音楽であることは自分たちを差別化するための指標だった。

 もちろんジャズやクラシックやロックやポップス以外にも、アメリカには多種多様な音楽があって、元気にやっているなんてことはまるで知らなかった。とにかく、アメリカではない、ヨーロッパの伝統音楽でなければならなかった。だから、アメリカの伝統音楽なんて言われてもちんぷんかんぷんである。オールドタイム? なに、それ? へー、アパラチアの音楽でっか、ふうん。

 高木さんの演奏する音楽がオールドタイムであるとは聞いても、またその演奏を聴いても、どこが良いのか、何が魅力なのか、もう全然まったく理解の外だった。ただ、なにはともあれ愛好会の定例会で生演奏を聞かせてくれる貴重な存在、ということに限られていた。不遜な言い方をすれば、「ブリティッシュ・トラッド」ではないけれど、生演奏をしてくれるから、まあいいか、という感じである。

 こういう偏見はあたし一人のものではなかった。当時は若かった。若者は視野が狭い。また誰も知らないがおそろしく魅力的な対象を発見した者に特有の「原理主義」にかぶれてもいた。たとえば上記のコンサートには「オータム・リヴァー・バレー・ストリング・バンド(つまり「秋川渓谷」)」と名乗るオールドタイムのバンドも参加していたのだが、その演奏を聞いた仲間の一人は、こんなのだめだよ、トラッドじゃないよ、と言いだしたものだ。

 振り返ってみると、オールドタイムをやっている人たちも居場所を求めていたのだろう。当時、アメリカの伝統音楽といえばブルーグラスとカントリーだった。この人たちも結構原理主義者で、オールドタイムは別物としてお引取願うという態度だったらしい。実際、ある程度聴いてみれば、オールドタイムがブルーグラスでもカントリーでもないことは明瞭ではある。音楽も違うし、音楽が演奏される場も異なる。ブルーグラスもカントリーもあくまでも商業音楽であり、オールドタイムは共同体の音楽だ。共同体の音楽という点ではまだ「ブリティッシュ・トラッド」の方に近い。もちろん「ブリティッシュ・トラッド」も商業音楽としてわが国に入ってきていたけれども、共同体の音楽という出自を忘れてはいないところは、そもそもの初めから商業音楽として出発したブルーグラスやカントリーとは別のところに立っていた。

 さらに加えて、高木さんの演奏は、その頃からもう一級だった、という記憶がある。オールドタイムという音楽そのものはわからなくても、演奏の技量が良いかどうかは生を聴けばわかるものだ。少なくともそうでなければ、よくわからない音楽の演奏を愉しむことはできない。

 当時の高木さんはどこか栗鼠を思わせる細面で、小柄だけどすらりとしたしなやかな体、伸ばした髪をポニーテールにしていた。このスタイルもおしゃれなどにはまったく無縁のあたしにはまぶしかった。

 と思っていたら、いきなり高木さんの姿が消えたのである。定例会に来なくなった。あるいはあたしが長期の海外出張で定例会を休んでいた間だったかもしれない。オールドタイムを学ぶために、アメリカへ行ってしまったのだった。そう聞いて、なるほどなあ、とも思った。念のために強調しておくが、その頃、1970年代、80年代に、留学や駐在などではなく、音楽を学びに海外に行くなどというのはとんでもないことだった。しかも高木さんのやっているオールドタイムには、バークリーのような学校があるわけでもない。各地の古老を一人ひとり訪ねあるいて教えを乞うしかないのだ。それがいかにたいへんなことかは想像がついた。同時にそこまで入れこんでいたのか、とあらためてうらやましくもなった。ちなみに、アイルランドやスコットランドやイングランドの伝統音楽を学びに現地に行った人は、あたしの知るかぎり、当時は誰もいない。例外として東京パイプ・ソサエティの山根氏がハイランド・パイプを学びに行っていたかもしれない。

 それっきり、オールドタイムのことは忘れていた。はっきりとその存在を認識し、意識して音源を聴きあさるようになったのは、はて、いつのことだろう。やはり Mozaik の出現だったろうか。その少し前から、ロビンさんこと奥和宏さんの影響でアメリカの伝統音楽にも手を出していたような気もするが、決定的だったのはやはり2004年のモザイクのファースト《Live From The Powerhouse》だっただろう。ここに Bruce Molsky が参加し、当然レパートリィにもオールドタイムの曲が入っていたことで、俄然オールドタイムが気になりだした、というのが実態ではなかったか。

Live From the Powerhouse
Mozaik
Compass Records
2004-04-06



 そこでまずブルース・モルスキィを聴きだし、ダーク・パウエルを知り、そして少したってデビューしたてのカロライナ・チョコレート・ドロップスに出くわす。この頃、今世紀の初めには古いフィドル・ミュージックのヴィンテージ録音が陸続と復刻されはじめてもいて、そちらにも手を出した。SPやLP初期のフィールド録音やスタジオ録音、ラジオの録音の復刻はCD革命の最大の恩恵の一つだ。今では蝋管ですら聴ける。オールドタイムそのものも盛り上がってきていて、この点でもブルース・モルスキィの功績は大きい。後の、たとえば《Transatlantic Sessions》の一エピソード、モルスキィのフィドルとマイケル・マクゴゥドリックのパイプ、それにドーナル・ラニィのブズーキのトリオでオールドタイムをやっているのは歴史に残る。



 かくてオールドタイムは、アイリッシュ・ミュージックほどではないにしても、ごく普通に聴くものの範囲に入ってきた。その何たるかも多少は知りえたし、魅力のほどもわかるようになった。そういえば『歌追い人 Songcatcher』という映画もあった。この映画の日本公開は2003年だそうで、見たときに一応の基礎知識はすでにもっていた覚えがあるから、あたしがオールドタイムを聴きだしたのは、やはりモザイク出現より多少早かったはずだ。


Songcatcher
Hazel Dickens, David Patrick Kelly & Bobby McMillen
Vanguard Records
2001-05-08


 一方、わが国でも、アイリッシュだけでなく、オールドタイムもやりますという若い人も現れてきた。今回高木さんを東京に呼んでくれた原田さんもその一人で、かれのオールドタイムのライヴを大いに愉しんだこともある。いや、ほんと、よくぞ呼んでくれました。

 高木さんはアメリカに行ったきりどうなったか知る由もなかったし、帰ってきてからも、関西の出身地にもどったらしいとは耳にした。「愛好会」そのものも「ブラックホーク」から体良く追い出されて実質的に潰れた。あたしらは各々の道を行くことになった。それが40年を経て、こうして元気な演奏を生で聴けるのは、おたがい生きのびてきたこそでもある。高木さんは知らないが、あたしは死にぞこなったので、嬉しさ、これに過ぎるものはない。

 まずは高木さんすなわち Bosco 氏を呼んだ原田豊光さんがフィドル、Dan Torigoe さんのバンジョーの組合せで前座を努める。このバンジョーがまず面白い。クロウハンマー・スタイルで、伴奏ではない。フィドルとのユニゾンでもない。カウンター・メロディ、だろうか。少しずれる。そのズレが心のツボを押してくる。トリゴエさんは演奏する原田さんを見つめて演奏している。まるでマーティン・ヘイズを見つめるデニス・カヒルの視線である。曲はあたしでも知っている有名なもので始め、だんだんコアなレパートリィに行く感じだ。

 フィドルのチューニングを二度ほど変える。これはオールドタイム特有のものらしい。アパラチアの現場で、ソース・フィドラーたちが同様に演奏する曲によってチューニングを変えているとはちょっと思えない。こういうギグで様々な曲を演奏するために生じるものだろうが、それにしても、フィドルのチューニングを曲によって変えるのは、他では見たことがない。それもちょっとやそっとではないらしく、結構な時間がかかる。それでいて、「チューニングが変わった」感じがしないのも不思議だ。あたしの耳が鈍感なのかもしれないが、曲にふさわしいチューニングをすることで、全体としての印象が同じになるということなのか。チューニング変更に時間がかかるのは、原田さんが五弦フィドルを使っていることもあるのかもしれない。

 二人の演奏はぴりりとひき締まった立派なもので、1曲ごとに聴きごたえがある。最後は〈Bonapart's Retreat〉で、アイルランドの伝統にもある曲。同じタイトルに二つのヴァージョンがあり、それを両方やる。バンジョー・ソロから入るのも粋だ。これがアイリッシュの味も残していて、あたしとしてはハイライト。この辺はアイリッシュもやる原田さんの持ち味だろうか。

 この店のマスターのお父上がフィドラーで、バスコさんの相手を務めるバンジョーの加瀬氏と「パンプキン・ストリング・バンド」を組んで半世紀ということで、2曲ほど演奏される。二人でやるのはしばらくぶりということで、ちょっとぎごちないところもあるが、いかにも愉しくてたまらないという風情は音楽の原点だ。

 真打ちバスコさんはいきなりアカペラで英語の詩ともうたともつかないものをやりだす。このあたりはさすがに現場を踏んでいる。

 そうしておもむろにフィドルをとりあげて弾きだす。とても軽い。音が浮遊する。これに比べればアイリッシュのフィドルの響きは地を穿つ。あるいはそう、濡れて重みがあるというべきか。バスコさんのフィドルは乾いている。

 今でもわが国でアイリッシュ・ミュージックなどでフィドルを弾いている人は、クラシックから入っている。手ほどきはクラシックで受けている。まったくのゼロからアイリッシュ・ミュージックでフィドルを習ったという人はまだ現れていない。高木さんはその点、例外中の例外の存在でもある。見ているとフィドルの先端を喉につけない。鎖骨の縁、喉の真下の窪みの本人から見て少し左側につけている。

 加瀬さんがバンジョーを弾きながら2曲ほど唄う。これも枯れた感じなのは、加瀬さんのお年というよりも音楽のキャラクターであるとも思える。もっともあたしだけの個人的イメージかもしれない。

 バスコ&加瀬浩正のデュオは2001年に Merl Fes に招かれたそうで、大したものだ。そこでもやったという7曲目、バスコさんが唄う〈ジョージ・バック?(曲名聞きとれず)〉がハイライト。オールドタイムはからっとして陽はよく照っているのだが、影が濃い。もっとも、この日最大のハイライトはアンコールの1曲目、バスコ&加瀬デュオに原田、ダニーが加わったカルテットでの〈Jeff Sturgeon〉(だと思う)。オールドタイムでは楽器が重なるこういう形はあまりないんじゃないか。このカルテットでもっと聴きたい。

 それにしても、あっという間で、ああ、いいなあ、いいなあと思っていたら、もう終っていた。良いギグはいつもそうだが、今回はまたひどく短かい。時計を見れば、そんなに短かいわけではないのはもちろんだ。

 原田さんの相手のダン・トリゴエさんは、あの Dolceola Recordings の主催者であった。UK Folk Radio のインタヴューで知った口だが、ご本人にこういうところで会うとは思いもうけぬ拾いもの。このギグも、御自慢の Ampex のプロ用オープン・リール・デッキで録音していた。動いているオープン・リール・デッキを目にするのはこれまた半世紀ぶりだろうか。中学から高校にかけて、あたしが使っていたのは、Ampex とは比較にもならないビクターの一番安いやつだったけれど、FM のエアチェックに大活躍してくれた。オープン・リールのテープが回っている姿というのは、LPが回っているのとはまた違った、吸い込まれるようなところがある。CDの回るのが速すぎて、風情もなにもあったものでない。カセットでは回っている姿は隠れてしまう。

 帰ろうとしたときに加瀬さんから、自分たちもブラックホークの「ブリティッシュ・トラッド愛好会」に出たことがあるんですけど覚えてませんか、と訊ねられたのだが、申し訳ないことにもうまったく記憶がない。だいたい、愛好会でやっていたこと、例会の様子などは、具体的なことはほとんどまったく、不思議なほどすっぽりと忘れている。ほんとうにあそこで何をやっていたのだろう。

 このバスコさんを招いてのギグは定例にしたいと原田さんは言う。それはもう大歓迎で、ぜひぜひとお願いした。オールドタイムにはまだまだよくわからないところもあって、そこがまた魅力だ。(ゆ)

Bosco
Bosco
Old Time Tiki Parlou
2023-04-07



バスコ・タカギ: fiddle, vocals
加瀬浩正: banjo, vocals
原田豊光: fiddle
Dan Torigoe: banjo

 7月の下旬に須貝知世&木村穂波デュオのライヴに行ったら、8月最終週末にこんなイベントがあります、とアナウンスがあった。聞いた途端に行こうと思った。その時はわからなかったが、呼ばれていたのだ。

 少し経って、あらためて路線や乗換えを調べだして、行こうと思ったことが自分で不思議になった。誰かに誘われるとか、仕事がらみでないかぎり、あたしが自分で動くということはまず無い。どっしり根を下ろした人間なので、そういうフェスティヴァルがあると聞いただけで行こうという気になるのは、いつものあたしなら考えられないのだ。

 山梨というのも作用したかもしれない。これが茨城とか群馬とかだったら、おそらく動かなかったにちがいない。山梨は神奈川からは隣になる。実際に行ってみれば、北杜市は山梨でも一番奥で、結構な時間がかかった。結局は群馬や茨城に行くのとそう変わらないかもしれない。とはいえ、気分としてはすぐお隣りである。一方、都心を越えてその向こうへゆくのは、心理的に負担がかかる。都心は壁なのだ。

 しかし、たぶん一番大きいのは、須貝さんには人を呼ぶ力があるのだ。それは表現が強すぎるというなら、その周りに人が集まってくる星まわりに生まれている。あるいはそれを人徳と呼んでもいい。そういう力、星まわり、人徳はどうやら北杜市に移ってから身についたもののようでもある。いや、それよりはもともと備わっていたものが、北杜市という土地の持っているものとの相乗効果で顕在化したのだろう。それはいろいろな形であらわれていたが、何よりもこのフェスティヴァルそのものが生まれたのは、須貝さんが移住したからである。

 昨年に続いて今年が第2回目。会場は清里一帯の4ヶ所。あたしはそのうち3ヶ所を訪れることになった。8月最後の週末金曜日夜の hatao & sam のライヴに始まり、日曜午後の tricolor のライヴまでの2日半。規模も参加者の数も小さなものではあったけれど、なんとも愉しい。参加者のほとんどが何らかの楽器をやっていて、その人たちはもちろん愉しかっただろう。

 日曜日に小海線が止まってしまい、小淵沢の駅まで車で送ってくださったのは名古屋から来ていた方で、昨年も参加し、あまりに愉しかったので、名古屋に帰ってからあちこち言いふらしたそうな。そのおかげで今年は名古屋から5人見えていたという。

 観光に来たついでにやってきたイングランド人一家も大いに愉しんでいた。日曜の朝食後、食堂で自然発生で始まったセッションのとき、母親は生涯2番目に愉しいとまで言っていた。母親とその二人の息子は、観光で京都に来て、京都の「ケルトの笛屋さん」でフェスティヴァルのチラシを見、オーガナイザーの斎藤さんに水曜日に電話をかけてきたのだそうだ。オクスフォードでスロー・セッションを10年主催していて、母親と長男はフィドル、次男はギターを持ってきていた。3人ともなかなかの遣い手で、とりわけ長男は一級のフィドラーだった。こういう人たちがやってくるというのも、須貝さんが呼んだのだ。かれらが帰ってから宣伝して、来年は海外からの参加者が増えるかもしれない。

 一方で、あたしのような、楽器演奏にはまるで縁のない人間でも、その場にいることがひどく愉しかった。ふり返ってみれば、土曜日の午後、折りからの土砂降りの雨の中に着いた瞬間から1日半、どっぷりとアイリッシュ・ミュージックに漬かりこんで、その間、ずっと幸福感に包まれていた。あの土地一帯がしあわせの国で、そこに入ると誰でもいつでも幸福感に包まれる。まるでそんな感覚。日曜の夜、新宿行きの臨時特急の座席にすわりこんで、初めてくたくたにくたびれていることに気がついた。休みなしに、幸福感に包まれつづけるのは、くたびれることなのだ。それにしてもあの愉しさは、いったい、どこから生まれていたのだろう。

 まず第一に挙げるべきはオーガナイザーとスタッフのチームの尽力だ。それぞれの企画がスムーズに運んでゆく。計画に無理がないし、スタッフの動きも急いでもいないし、無駄がない。少なくともそう見えるし、実際にもそうでなければこうはいかない。

 オーガナイザーの斎藤さんによると、昨年は当初からフェスティヴァルをやろうと計画していたわけではなく、別の形で始めながら、途中で、えい、フェスティヴァルにしちゃえとやったそうだ。今年は始めからフェスティヴァルをする計画をたてた。フェスティヴァルの一つの特徴は、複数の企画が同時に別々のところで進行することだ。参加者はそのうちどれかを選ぶ。選ぶ方は簡単だが、用意する方は単純に作業が同時進行するイベントの数だけ倍になるわけではない。そのまた倍くらいの作業量になる。そうした量も大きく、質も求められる作業をこなしてイベントが滑らかにおこなわれるようにするのは誰にでもできることではない。企画・立案・運営にたずさわったスタッフの皆さんには心からの感謝を表します。

 とはいえ、後から思うと、それだけではない。単にみごとに仕事をしているだけではなかった。参加した者が、そこにいること、参加していることが愉しいと感じられる何かを発散していたようだった。それが地元住民主体だったろうスタッフの方々からたちのぼるのか、北杜という風光からたちのぼるのか、その合体なのか、あたしにはまだわからない。とにかく、少なくともあたしはあそこにいる間じゅうその魔法にかけられていたように感じられる。

 あたしは土曜日午後の木村穂波さんによるアイルランドの歴史と音楽の講演と、その夜の須貝知世&木村穂波デュオによる投げ銭ライヴを見た。日曜日は午前中、長尾晃司さんによる伴奏についてのワークショップを見学し、午後、tricolor のライヴを見る。正式のプログラムには入っていなかったが、土曜日夜のライヴの後はセッションとなり、何といってもこれがハイライトだった。

 木村さんの講演の会場は「八ヶ岳コモンズ」。なかなか面白い施設で、廃校になった小学校をそのまま、机や椅子の備品も含めて貸出しているようだ。図工室では機械の音がしてなにやら作っていたし、体育館では夏休みの課外授業らしきことをやっていた。

 講演の会場は階段状になった音楽教室。黒板の上に幕を下ろしてスライドを映し、その前で木村さんがアイルランドの歴史のポイントを話す。そしてそれに関連する楽曲を hatao、須貝、木村の三氏が演奏する。

 この形は面白い。歴史と音楽の結びつけ方は少々強引なところもあるが、アイリッシュ・ミュージックの楽曲は裏で歴史とかたく結びついていることを具体的な形で示すのは効果的だ。聴衆はことばの上だけではなく、音楽を伴なった体験として記憶する。より深く刻まれる。

 木村さんは現地に住んでの体験もまじえるから、話がより具体的に、生々しくなる。ノーザン・アイルランド社会の分断の実際もよくわかる。もっとも、分断されているとはいえ、ユニオニスト、ナショナリストそれぞれの居住地域の間に壁があるわけではなく、人間はその気になりさえすれば自由に往来できる。とすれば、その境界に住んでいる人間はいるはずだから、どういう暮らしをしているのかも気になってくる。

 休憩をはさんで質疑応答。共和国とノーザン・アイルランドの音楽は違うのか。ジャガイモ飢饉の時はジャガイモが全滅したというが、その時アイルランドの人たちは何を食べていたのか。アイリッシュ・ミュージックは貧乏人の音楽だが、貧乏人が楽器を買えたのか。ドイツではナチスと結びついたため、フォーク・ミュージックは戦後タブーとなったが、アイルランドで伝統音楽とナショナリズムの結びつきはあるのか。いや、面白い。

 共和国とノーザン・アイルランドで音楽が違うわけではない。ただし、ノーザン・アイルランドでは意識して伝統音楽を選んでやっている。
 ジャガイモ以外には食べるものが無かったので、たくさんの人が死んだ。
 楽器を買えたかどうかは不明。
 アイルランドでも伝統音楽とナショナリズムは結びつく傾向がある。ナショナリズムの表現として伝統音楽をやっている人も少なくない。

 あたしなりに補足すれば、ノーザン・アイルランドでアイリッシュ・ミュージックをやっているのはナショナリストに限られる。かつてはプロテスタントのユニオニストたちにもアイリッシュ・ミュージックをやっている人もいたのだが、1960年代以降、いわゆるノーザン・アイルランド紛争が始まると次第に減り、今はまったく消えてしまったそうだ。ユニオニストの伝統音楽としては7月12日を中心とするいわゆるオレンジ行進に付添うファイフ&ドラム・バンドぐらいだ。一方、カトリックのナショナリストがアイリッシュ・ミュージックを熱心にやるのは、自分たちの帰属意識の表現でもあり強化手段でもあるのは、共和国と通じる。

 楽器はパイプを除けば、皆工夫して手に入れていたようだ。アコーディオン、コンサティーナは工業製品でかなり安く流通していたし、フィドルは手許にある材料で作ってもいた。ブリキのフィドルも残っている。ホィッスル、フルートはもっと簡単に作れる。パイプは地主・領主などの富裕層が買い与え、御抱えのパイパーとして雇うという慣習があった。かつてのハープの地位にパイプがとって替わったわけだ。

 また楽器は演奏者から演奏者へ代々受け継がれてもいた。今でこそ、アイリッシュ・ミュージック用の楽器は優れた製作者が何人もいて、良い楽器が次々に生まれているが、かつてはそうではなかった。例えばフルートは19世紀イングランド製が最高とされて、古い楽器が大切に使われていた。アイリッシュ・ミュージックの楽器は自分の所有物ではなく、一時的な預かりものであって、死ねば次の人に渡すべきものと考えられてもいた。パイプもリアム・オ・フリンが使っていたセットはレォ・ロウサムが作ったもので、Na Piobairi Uliieann が管理し、オ・フリンの前はウィリー・クランシーが使っていた。今は Colm Broderic という若手パイパーに貸与されている。

 講演が終ると hatao さんの軽トラ改造キャンピングカーに乗せてもらって、宿である竹早荘に向う。



 ここは宿泊だけでなく、その晩の須貝&木村デュオの投げ銭ライヴと翌日の長尾さんの伴奏ワークショップの会場でもある。

 昔なつかしい民宿の趣で、枕カバー、掛布団カバー、シーツは自分でそれぞれかけるし、扉に鍵なんかない。トイレ、洗面所は共同。周囲は雑木林。ウエブ・サイトの写真は真冬に撮ったものだろうが、夏は緑一色の真ん中にある。この建物の前の庭では焚き火もできる。周りは静かで、夜は虫の声もあまり聞えなかった。そういえば、蝉の声もほとんど聞いた覚えがない。標高1300メートル前後だからか。

 夕食はビュッフェ方式。和食とエスニックの折衷のような、何だかわからないが旨い。味噌汁もあって、実になっている菜っ葉がふだん味噌汁では食べつけないものだが妙に旨く、訊いたら空芯菜だった。ご飯もあったが、おかずだけでお腹がいっぱい。デザートに配られたバナナのアイスクリームがまた絶妙で、ますますお腹いっぱい。

 こうしていい気分になったところで、須貝&木村デュオのライヴとなる。ギターは長尾さん。このデュオはアニー、先日の松野氏、そして今回の長尾さんと見ているが、それぞれ味わいは違いながら、全体の印象は変わらない。根幹のデュオの音楽はゆるがない。その味の違いを書きわけるのは無理だが、今回は音楽の流れがめだっていると聞えた。前回の松野氏の時はビートの存在が大きくて、跳ねている印象だった。ギターそのものは逆で、長尾さんの方がビートが強く、松野氏はより柔かいのは面白い。

 今回は曲を何回くり返すかはあまり厳密に決めていないそうで、ものによっては興にのって何度もリピートする場面もある。なかなかいい。

 それにしてもこのデュオは本当にいい。聴くたびに良くなる。アイリッシュ・ミュージックでは楽器の組合せはジャズ以上に自由だが、フルートとアコーディオンという組合せはあまり聞かない。若さにまかせて突走るのでもなく、わざわざ誰も知らないような曲を探してくるような偏屈でもなく、いわゆる玄人好みの渋い演奏だけでもない。華やかさがあって、バランスが実にちょうどいい。最初に聴いた頃に比べると、須貝さんのフルートが太くなっている。自ら北杜市に移住しようとしていて、今回のフェスティヴァルでもスタッフの一角をつとめていたサムは、北杜市に来てから須貝さんの笛の音が太くなったという。たぶん単純に太くなっただけではないのだろうが、表面では太く聞える。人を呼びよせる人徳が表に出てきたのが、フルートの音にも現れているのだろう。

 このお二人にはぜひぜひ、アルバムを作って欲しい。今のこの音楽を形として残しておいてほしい。音楽の姿は常に変わっているからだ。変わったその姿もいいはずだが、今のこの音楽とは違うものになる。

 長尾さんのサポートも例によって見事で、極上の音楽を堪能する。

 ところが、もっとすばらしいものがその後に待っていたのだ。ライヴが終って少しして同じ食堂で始まったセッションである。入りたい人は全員どうぞというので20人以上が円く座る。その外側にも何人かいる。まだ楽器を始めたばかりの人たちだ。その中の一人は1曲しか参加できなかったけれど、すごく愉しかったと後で言っていた。

 イングランドからの3人も楽器を持ってきた。それから真夜中12時の門限まで、延々途切れることなく続いたセッションは、たぶんこのフェスティヴァルの華であり、これが最高と、参加していた人たちは誰もが思ったのではないか。

 はじめはなるべく全員がやれるような曲が出ていた。最年少の斎藤さんの9歳の息子さんもホィッスルで曲出しをする。面白いのは日本人はほぼ全員参加している曲にイングランド人たちは入らない。知らないらしい。逆にかれらが出す曲についていく人は少ない。hatao さんとか須貝さん、木村さんぐらいだ。こういうものにもお国柄が出るらしい。1時間半ほどたったあたりでちょっと休憩の形になり、そこで半数が抜けた。風呂に入る人もいれば、寝る人もいる。それからがまた凄かった。須貝さんの旦那がフルートで渋いスロー・エアを披露もした。かれに会ったのは引越す前、東京でだが、その時はこんな姿は想像できなかった。気がつけばサムの夫人もコンサティーナを手にしている。ここに来るとみんなこうなるのだろうか。イングランド人の兄貴のフィドル・ソロも出た。これにはサムがギターでいいサポートをつけた。音楽は違うが雰囲気は完全にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルである。あたしはとにかくもう陶然として、ひたすら音楽を浴びていた。いいセッションはリスナーにとっても最高の音楽なのだ。

 あとで気がついたが、フィドルを持っていたのは、イングランド人二人と斎藤さんだけだった。笛が圧倒的に多い。次に蛇腹。バゥロンが一人。わが国のネイティヴにとってフィドルは敷居が高いらしい。斎藤さんもごく小さい頃ヴァイオリンを習った、習わされた経験を持っている。わが国にもフィドルの名手は多いが、皆クラシックから入っている。アイリッシュでゼロからフィドルを始めてモノにしている人はまだいないのか。

 日曜日の朝御飯はもう少し普通の和食に近く、これまた結構な味。コーヒーも旨い。コーヒーさえ旨ければ、あたしは文句は言わない。

 朝食が終って少しして、またセッションが始まった。今度は数人で、イングランドの二人が引張る形。この時だけ、ここだけではなく、結構あちこちで自然発生的にセッションがあったらしい。そういえば、夕食前、宿の庭の焚き火を囲んでやっている人たちもいた。そういう即席のセッションもフェスティヴァルならではだろう。

 誰が考えたのか知らないが、伴奏ワークショップというのはなかなか乙な企画だ。長尾さんという恰好の講師が来たからかもしれない。どちらかというと講義形式で、リール、ホーンパイプ、ジグ、スライド、ポルカとリズム別に伴奏をつける勘所を簡潔に説明し、実演する。実演には須貝さんがフルートでつきあう。須貝さんが同じ曲を演奏するのに、違う手法で伴奏をつけてみたりする。伴奏の付け方で曲の印象が変わるのがわかる。こういうのはリスナーにとってもありがたく、面白い。

 参加者は多くないが、どなたも自分なりにかなり明確な問題意識をもって臨んでいたようだ。具体的な質問がぽんぽん出る。

 以前、トシバウロンとやった楽器別アイリッシュ・ミュージック講座のギターの講師にも長尾さんを頼んだのは、この人は自分のやっていることをきちんと言語化できるからだ。質問にもていねいに答えている。こういう人がわが国アイリッシュ・ミュージックの弦楽器伴奏の第一人者であることの幸運を、われわれはもっと噛みしめるべきだろう。

 参加した最後のイベントは森の音楽堂での tricolor のライヴだ。午前中は伴奏ワークショップと同じ時間帯にここで中藤、中村両氏によるスロー・セッションが行われていた。



 ここは響きがとてもいい。スロー・セッションでも楽器の響きがそれはきれいだったそうだ。

 面白いのは、客席側は平面に椅子を並べることもできるが、階段状の座席がステージ対面の壁に折り畳まれる形で造りつけになっていて、電動でこれが前にすべり出る。座席もスイッチ一つで起きあがる。最後部は天井近くまで届く。席は当初、平面に設営されていたが、ミュージシャンの要請もあり、この階段席に変更になった。あたしは大喜びで最上段の真ん中に座った。平面と階段ではそれだけで音も違う。階段のどの段にすわるかでも変わる。中段から下が普通にはおそらくベストだろうが、tricolor のサウンドの設定もあるのか、最上段で聴くフィドルとコンサティーナの音があたしには実に魅力的だったのだ。

 オープナーは〈マイグレーション〉。これで始めて〈アニヴァーサリー〉で締める、というのが、このところの tricolor のライヴの定番らしいが、この2曲の威力をあらためてライヴで体験すると、それもまことにもっともだとしか思えない。〈マイグレーション〉が始まったとたん、実に久しぶりに生で聴くその音に、ああ、帰ってきたと涙腺がゆるんだ。ここでゆるんだ涙腺は、ラストの〈アニヴァーサリー〉にいたって、とうとう溢れだした。この2曲、とりわけ〈アニヴァーサリー〉ラストの爛僖奪侫Д襯戰覘瓩砲亘睨,宿る。レコードですら聴くたびにこみあげてくるものがある。ましてやライヴである。ほとんど3年ぶりのだ。それも、清里という「しあわせの国」で。

 もちろんこのふたつだけではない。前半6曲目、須貝さんが入っての〈マウス・マウス〉の弾む愉しさ。後半オープナーの〈Railway Polka〉もいい。アニーがアヴァンギャルドなアコーディオンを聞かせる。須貝さんは出てからは出ずっぱり。その次がまた凄い。今年出した絵本とCDをセットにした Nook に収録の〈Ennistymon Set〉。これには hatao さんも加わってのクインテット。須貝さんはホィッスルを手にする。音の厚みにぞくぞくする。そしてお待ちかね〈夢のつづき〉。アニーはもうシンガーとしても一級だ。須貝さんのフルートの太い音がアニーの声と溶け合って、あたしは桃源郷にいる。続く〈ボンダンス〉で、アニーが手拍子を求める。聴衆には演奏者も多いからか、ここまでダンス・チューンでも手拍子が出ない。それにしても愉しい曲で、あたしはリールから盆踊りビートに戻るところがとりわけ好き。もとに戻るところの愉しさは、グレイトフル・デッドで味をしめた。〈アニヴァーサリー〉では再び hatao さんが加わり、今度はダブル・フルート。アニーはピアノに回る。アンコールは午前中のスロー・セッションでやったポルカを本来のテンポでやって幕。

 開演前、休憩、終演後にロビーで hatao さんがケルトの笛屋さんを開店していて、人だかりが絶えない。斎藤さんの息子さんは初めて目にし、吹いてみたのだろう、高価なホィッスルに夢中になっていた。

 ひとつお願い。今回は個々のイベントごとにチケットを買う形しかなかった。どのイベントにも自由に出入りできる通し券ないしパスの形のチケットも販売してください。

 今夜はこの北杜市のアイリッシュ・ミュージック・コミュニティの核でもある Bull & Bear で打上げがあるそうだが、帰らねばならない。清里ではまだかんかん陽が照っていたが、小淵沢まで降りてくると、周囲には山が迫り、陽は夕焼けを残してすでに山の向うに入っていた。甲州の山は険しい。小淵沢から新宿までの間に二つの駅にしか止まらない特急は、夕闇の底を縫ってひた走る。来年も来るべえ。生きてあるかぎり、杖をついてでもひとりで動けるかぎり、このフェスティヴァルが開かれているかぎりは何度でもまた来よう。来年は24、25日になるか。いつの間にか眠っていて、ふと気がつくと列車は八王子に着こうとしていた。(ゆ)

2023-09-10 追記
 イングランドからの3人の楽器は本人たちが持ちこんだものではなく、かれらの依頼でオーガナイザーが手配して貸したものだった由。後で教えられた。
 

 ベルリンで開かれたコンシューマ向け電子機器の見本市 IFA でデノンが CEOL N-12 なるCDレシーバーを発表したそうな。
 


 CDプレーヤー、FMラジオ、ストリーマーが一体になっている。WiFi、イーサネット、Bluetooth でつなげられる。AirPlay2、Tidal、Amazon Music HD、Spotify などを聴くことができる。Bandcamp もOKだろう。USB入力もあるから、NAS 内のオーディオ・ファイルも再生できる。HDMI ARC をサポートしてテレビにもつなげられる。ヨーロッパでは10月01日、699EUR で発売。そのまま換算すれば11万円強。

 あたし的に問題なのはモデル名が "CEOL" であること。知ってる人は知ってるが、これはアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語で「音楽」を意味することば。デノンにアイリッシュ・ミュージックのファンがいるのか、は別として、アイリッシュ・ミュージックやスコティッシュ・ミュージックを聴くにふさわしいマシンなのか。

 どこかで試聴できればいいんだが、こういう大手メーカーのマスプロ製品をまっとうに試聴するのは案外難しい。試聴機を借りられればベストだが、そういうシステムがあるかどうか。問合わせてみるか。(ゆ)

 パート3の合同演奏で、ジェ・ドゥーナのフィドルの舞さんは涙で唄えなくなってしまった。後を追いかけているバンドに自分たちの曲がうたわれ、新たな光を当てられるのを目の当たりにするのは感情を揺さぶられるだろう。いかに揺さぶられても、泣いてしまって演奏できなくなるのはプロじゃない、というのは酷だ。

 その少し前、後手のジェ・ドゥーナの3曲目を浴びていて、あたしも涙がにじんできた。こちらはワケがわからない。音楽に感動したからか。それも無いとはいえない。これは佳い曲だ。しかし、そういう時は背筋にぞぞぞと戦慄は走っても、涙まではにじんでこないのがふつうだ。あたしが老人だからか。それもあるかもしれない。老人はなにかと涙もろくなる。老人夫婦がおしゃべりしていても、子どもたちの小さい頃とか、死んだ親たちのこととかを思いだして、涙が出てくることは珍しくない。だけど、目の前の音楽は過去のことではない。いま、ここで、起きている。自分はそこに浸っている。

 そう、たぶん、いま、ここ、ということなのだ。不思議にいのちながらえて、いま、ここで、この音楽を浴びていられることが、むしょうに嬉しかったのではないか、と今、これを書きながら思う。自分が生きのびていることと、ジェ・ドゥーナが出現してくれたことが、ともに嬉しかったのだ。

 ジェ・ドゥーナは生を見たかった。月見ルのHさんから教えられて、録音を2枚聴いて、ぜひ生を見たい、と思った。ようやく生を見られたかれらは、期待以上だろうという期待をも軽く超えていた。

 まず驚いたのはその音楽がすでに完成していることだ。メンバー各自の技量の高さは言うまでもない。時に舌を巻くほどに皆巧いが、若い人たちの技量が高いことは世界的な現象でもあって、今さら驚くことではない。少なくとも人前でやろうという程の人たちは、ジャンルを問わず、実に巧いことは経験している。駅前の路上で演奏している人たちだって、技術だけはりっぱなものだ。ジェ・ドゥーナの技術はまた一つレヴェルが違うが、伝統音楽やそれを土台にした音楽は、ジャズ同様、テクニックのくびきがきついので、それだけをとりだして評価すべきものでもない。

 その高い技術によって実現されている音楽は、すでに独自の型を備え、その型を自在に駆使して、新鮮な音楽を次々にくり出す。そこには未熟さも、将来に期待してくださいというような甘えも一切無い。胸がすくくらいに無い。今持てるものをすべて、あらいざらいぶち込んでもいる。それが、先ほどの、いま、ここ、の感覚を増幅する。とにかく音楽の活きがよい。とれたて、というよりも、いま、ここで一瞬一瞬生まれている。そのみずみずしさ!

 見ていると、即興と聞えるところも緻密なアレンジをほどこしているようでもあり、入念なリハーサルを重ねているはずだが、そうは聞えない。たった今、思いつきで、というよりも内からあふれ出てくるものをそのまま出しているけしきだ。

 アレンジをしている時は内からあふれ出てくるのかもしれない。それをアレンジとして定着させるにはくり返し演奏しているはずだが、くり返しによって音楽がすり切れることがまるでない。名手、名演というのはそういうものではある。クラシックは楽譜通りに演奏するものだが、名演とそうでないものは截然とわかる。キンクスのレイ・デイヴィスは最大のヒット曲〈You Really Got Me〉を、文字通り数えきれない回数ステージで演奏しながら、毎回、いつも初めて演奏するスリルを感じると言う。おそらく音楽を新鮮で優れたものにするのは、その能力、演りつくしたとみえる楽曲を、初めて演奏するスリルをもって演奏できる能力なのだろう。ジェ・ドゥーナはそれを備えている。

 そしてそのアレンジが新鮮なのだ。いやまずその前に曲そのものがいい。ベースにしているアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンには無数の曲があり、もう新しいものはできないとも思えるが、ジェ・ドゥーナの作る曲はわずかに規範からはずれていて、はっとさせられる。しかも、何度聴いても、はっとさせられる。どこがどうはずれているのか、あたしなどにはわからないが、はずれかたが遠すぎず、近すぎず、絶妙としか言いようがない。

 そしてその佳いメロディーを展開するアレンジのアイデアが、やはりアイリッシュ・ミュージックの慣習からはずれている。ルナサが出てきたとき、そのアレンジのアイデアの豊冨なことと効果的なことに驚いた。プランクシティ以来のアイリッシュ・ミュージックの現代化はいかにアレンジするかの積み重ねでもあるけれど、ルナサはその中でも抜きんでていた。ジェ・ドゥーナのアレンジのアイデアはそこからまた一歩踏みだしている。おそらくクラシックの素養が働いているのではないかと思うが、それだけでは無いようでもある。ジャズの香りが漂うこともある。ヒップホップも入っているのは、今の時代、むしろ無いほうがおかしい。かと思えば、たとえばギターのアルペジオなどには1970年代とみまごうばかりの響きが聞える。

 こうした要素を演奏としてまとめあげるセンスがいい。確固として揺るぎない伝統を柱とする音楽に外からアプローチする場合、こういうセンスの有無は大きくモノを言う。このセンスはおそらくは先天性のもので、眠っているものを目覚めさせることはできても、全く無い人間が訓練で身につけられるものではないだろう。曲は面白いものが作れても、アレンジのセンスの無い人はいる。アレンジのセンスが必要ないジャンルやフォームもある。とまれ、ジェ・ドゥーナのメンバーはこのアレンジのセンスをあふれるほどに備えていることは確かだ。

 生を見てあらためて思う、ここまで音楽とスタイルを完成させてしまって、次にどこへ行くのだろう。余計なお世話ではあるが、初めにやりたいことをやり尽くしてしまって燃えつきたバンドを見てきてもいる。老人は心配性なのだ。若い時のように、時間が無限にあるとはもう感じられないからだ。そうわかっているから、心配が半分、そんな杞憂はあっさりはねのけてくれるだろうという期待が半分である。当人たちにとってはあっさりなどではないかもしれないが、傍から見る分には涼しい顔をして、またあっと言わせてくれるだろう。

 一方でことさらに変わる必要もないとも思える。無理に変わろうとして、崩れてしまっては元も子もない。むしろ、今の形をとことんまで深く掘りさげてゆくのもまた愉しからずや。いずれにしても、JJF を超えてゆくのを、JJF にはやりたくてもできないことをやるのを見たい。めざせ、ブドーカン! いや、そうではない。あんなところでジェ・ドゥーナを見たくはない。もっと音のまともな、もっと親密な、そして大きな空間で見たい。あるいは別の、あたしなどには思いもつかない姿を見たい。こちらとしては、とにかく、生きてそれを見られるよう、養生と精進に努めるばかりだ。


 ジョンジョンフェスティバルも収まりかえってはいなかった。じょんはオーストラリア、トシバウロンは京都、アニーは東京で、ふだん、おいそれとはリハーサルもできないと思われるが、そんなことは微塵も感じさせない。ネット上でやってもいるのだろうか。

 JJF が先に出てきたときには、ほほお、先手ですかと思い、すぐに、さすがだなと思いなおした。そして音が出た瞬間、うむうと唸った。じょんのフィドルがまた変わっている。切れ味が増している。パンデミックがとにもかくにも収まって、ヨーロッパにも行き、ライヴの機会が増えたからだろうか。アニーがピアノに座るケープ・ブレトン様式のラストの8曲メドレーは、JJF ならではの演奏。貫禄といっては重すぎるか、風格を見る。

 初めて対バンして、7曲も一緒にやるのは前例が無いとトシさんが言っていたが、この合同演奏は良かった。ダブル・フィドルの華麗な響き、ホィッスルのジャズ風の遊び、アニーが持ち替えるマンドリンやピアノの粋、ギター2本の重なり、そしてパーカッション二人の叩き合い。JJF の曲での口パーカッションも効いていた、と記憶する。久しぶりにほぼ立ちっぱなしだったが、もう1、2時間はそのまま聴いていたかった。アンコールの〈海へ〉が終るまで、足の痛みも感じなかった。会場を出て、外苑前の駅に向かって坂を登りだしたら、脚ががくがくしてきた。

 それにしても良いものを見せて、聴かせていただいた。生きるエネルギーをいただいた。ミュージシャンにも、Hさんにも感謝多謝。(ゆ)

 チーフテンズのフィドラー、ショーン・キーンが亡くなった。享年76。7日日曜日の朝、突然のことだったそうな。心臓が悪いとのことだったから、何らかの発作が起きたのか。

 これでチーフテンズで残るはケヴィン・コネフとマット・モロイの二人になった。

 ショーンのフィドルはバンドの華だった。チーフテンズの歴代メンバーは全員が一騎当千のヴィルチュオーソだったけれど、ショーン・キーンのフィドルとマット・モロイのフルートはその中でも抜きんでた存在だった。そして、この二人は技量の点でも音楽家としてのスケールの大きさの点でも伯仲していた。ただ、マットにはどこか「求道者」の面影がある一方で、ショーンは明るいのだ。

 美男子というのとは少し違うが、背筋をすっくと伸ばしてフィドルを弾く姿は、バンド随一の長身がさらに伸びたようで、誰かがギリシャ神話の神のどれかが地上に降りたったようと言っていたのは当を得ている。後光がさしていると言ってもいい。表面いたって生真面目だが、その芯にはユーモアのセンスが潜んでもいる。

 そして、そのフィドルの華麗さ。圧倒的なテクニックを存分に披露しながら、それがまったく鼻につかず、テクだけで魂のない演奏に決してならない。アイリッシュ・ミュージックは実はジャズ同様、「テクニックのくびき」がきついものだが、また一方でテクニックだけいくら秀でても、たとえばセッションの「道場破り」をやるような人間は評価されない。

 ショーンのフィドルは華麗なテクニックにあふれながら、同時にその伝統を今に担い、バンドの仲間たちと、リスナーとこれをわかちあえる歓びに満ちて、輝いている。マットがテクだけだとか、輝いていないというわけではもちろんなく、これはもう性格の違いだ。チーフテンズの顔といえばパディ・モローニだが、チーフテンズの音楽の上での顔はショーン・キーンのフィドルなのだ。モローニだって、その気になれば有数のパイパーだが、音楽の上でそれを前面に押し出すことはしなかった。

 ショーン・キーンのフィドルがチーフテンズの音楽の顔であることの一つの象徴は《In China》のラスト・トラック〈China to Hong Kong〉冒頭のフィドルだけの演奏だ。中国のどこかの伝統曲とおぼしき曲をアイリッシュ・ミュージックのスタイルで弾いて、しかも一個の曲として聴かせてしまうトゥル・ド・フォースだ。異なる伝統同士の異種交配のひとつの理想、ひとつの究極だ。

 ショーン・キーンにはチーフテンズ以外にもソロや、マット・モロイとの共演の録音がある。そこではチーフテンズとは別の、伝統のコアにより近い演奏が聴ける。ショーン個人としては、むしろこちらの方が本来やりたかったこととも思える。こうしたソロ・アルバムを作ることで、チーフテンズとのバランスをとっていたのかもしれない。

 76歳という享年は今の時代若いと思えるが、チーフテンズの一員としての活動やソロ・アルバムによって与えてくれた恩恵ははかりしれない。心からの感謝を捧げるばかりだ。(ゆ)

 夕食後、虫の知らせか、めずらしく Twitter をながめているとあらひろこさんの訃報が入ってくる。闘病されていた由。とすると昨年11月に「ノルディック・ウーマン」のステージで見たのが最後。ステージではご病気の様子などはカケラも無く、すばらしい音楽の一翼を担っていた。

 あらさんの生は何度か見ているはずだが、記録に残っているのは2019年10月、馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオ Rauma にハープの木村林太郎さんが加わった時のものだけだ。あれは実にすばらしかった。

 今でこそカンテレもごく普通の楽器で、本朝では本国フィンランド以外で、フィンランドとは無縁の地域としては演奏者人口が最も多い、と他ならぬあらさんに伺った。そうなったことには、あらさんの尽力が大きいのだろう。単に演奏し、作曲する音楽家としての活動にとどまらない、器の大きなところが、あらさんには感じられた。ごく浅いおつきあいしかしていないのに、そう感じられるくらいだ。

 どんなものであれ、異邦の文物が根を下ろすには、それにとらわれたことを幸運としてすべてを捧げる人間が必要だ。

 ご自身の音楽にも器の大きなところは出ている。伝統に深く掘りすすみながら、同時に外からの要素を大胆に注入する。馬頭琴とのデュオというのは、伝統の外にいるからこそ可能なのだし、また伝統にしっかりと根をおろしているからこそ、そこから生まれる音楽に魂が宿る。一方で、鍛えられたバランス感覚と、冒険を愉しむ勇敢さを必要とする危うい綱渡りでもある。そういうことができる人間を一言でいえば、スケールの大きな英雄だ。

 あらさんの音楽を初めて聴いたのはいつだったろう。たぶん2007年のセカンドの《Moon Drops》ではなかったか。2004年のファーストの《Garden》は後追いというかすかな記憶がある。手許に残された音楽はあまりに少ないが、どれも珠玉と呼ぶにふさわしい。

 人は来り、人は去る。されど、音楽は残る。(ゆ)

 Peatix からの知らせで、マイケル・ルーニィ、ジューン・マコーマックとミュージック・ジェネレーション・リーシュ・ハープアンサンブルの公演の知らせ。パンデミック前に松岡莉子さんが手掛けていた企画が、二度の延期を経て、ようやく実現したものの由。ルーニィとマコーマックの夫妻だけでも必見だが、九人編成のハープ・アンサンブルが一緒なのはますます逃せない。即座にチケットを購入。






http://tatsutoshi.my.coocan.jp/WindsCafe316.html

 いつものように早めに着くと、3階のホールの扉が開いていて、三味線の音が聞える。なにか、すごく響きがいい。この日は晴れて空気が乾いており、こういう時は三味線は音が良くなるのだそうだ。

 響きが良く聞えたのはもう一つ理由があって、山中さんが2本持ってきた三味線の片方が、プラスティックを張ったものだったこともある。こちらはまったく音を吸わずに反射するから、響きがシャープで明朗になる。もう1本は従来の犬の皮を張ったもので、弾き比べをすると、明らかに音が柔かく、音程も低めになるように聞える。あまりいい例ではないだろうが、フラット・ピッチのイリン・パイプのようだ。なぜ、プラスティックの楽器を持ってきたかは後で書くが、撥も鼈甲とプラスティックとがあって、犬の皮の楽器をプラスティックの撥で弾いても、プラスティックの楽器を鼈甲の撥で弾いても、やはり音が変わる。さらには、同じ撥でも、張りだした上の両端がまったく同じではなく、どちらを使うかで音は変わるのだそうだ。

 山中さんはパンデミックが始まる前は、1年365日のうち360日近く、何らかの形で仕事をされていた。公演やリハーサルや、あるいは教授などで、三味線を弾かない日はなかったそうな。それが、ある日を境にぱったりと無くなった。そうすると、ゲームばかりやっていたという。たまに三味線を弾いても、まったく面白くない。音楽家、演奏家といわれる人たちは、人前で演奏することが止まるととたんに腕が落ちる由だが、それはたぶん、モチベーションが落ちて、演奏することが楽しくなくなるからではないか。

 山中さんはそこで尺八をあらためてやり始めた。うたもうたい始めた。そうして尺八やうたが上達するにつれて、ようやく三味線も再び楽しくなり、また上手くなっていった。ということで、この日は1曲、尺八で高橋竹山の〈竹〉という曲をやる。竹山も尺八を吹いた。雨の日はカドヅケで三味線は弾けない。代わりに尺八を吹いたわけだ。

 山中さんの尺八がまた実によいのは、やはり音楽家としてのセンスが抜群なのだろう。巧いことは巧いがセンスの無い人というのはいるものである。そういうのに当ると気の毒にもなるが、聴かされる方はたまらない。困ったことに、センスというのは鍛えてどうなるというものではない。多少、磨くことはできるだろう、たぶん。

 いつものようにまず前半は山中さんのソロとおしゃべり。上に書いたようなことをおしゃべりしながら、即興をやる。初めはなにか新しい作曲かとも聞えたが、聴いているうちにだんだんこれは即興だろうと思えてきた。かなり長い演奏で、 津軽三味線の様々なテクニック、フレーズを次々に展開してゆく。時折り、そこから外れて、をを、と声をあげたくなる瞬間もある。見事に締めてから、「今のは適当にやりました」。とはいえ、こういう風に弾いていると、かれこれ35年間弾いてきて、初めて出現したフレーズがあるとも言う。

 前半の締めは〈じょんがら節〉。プラスティックの楽器を鼈甲の撥で弾く。確かに、プラスティックの楽器+プラスティックの撥と犬の皮の楽器+鼈甲の撥の中間の響きがする。

 後半、山本さんの唄は〈あいや節〉からで、伴奏は犬の皮の楽器。曲によって楽器を使いわける。1曲目からよく声が出ている。こりゃあ、今日は調子がいいぞ。山本さんの唄にはグルーヴがある。それが明瞭に出たのは3曲目〈よされ節〉。スピードに乗った速弾きの三味線伴奏に、唄はゆったりしたグルーヴでうねってゆく。これですよ、これ。

 4曲目〈鯵ヶ沢甚句〉からプラスティックの楽器の伴奏。山中さんが聴衆に手拍子をとらせる。これは初めての気がするが、悪くない。

 6曲目〈津軽山唄〉は尺八の伴奏。これがまたいい。

 7曲目〈津軽三下がり〉で犬の皮の楽器に替え、次の 〈りんご節〉で、またプラスティックの楽器。ここで山本さんの声に一段とハリが出る。中音域がぐわっと押し出してきて、圧倒される。

 9曲目の〈じょんがら節〉で、新節と旧節の違いを山中さんが説明する。新節はどんどん上に上がってゆくメロディ。旧節にまた新旧があり、新旧節は新節と対照的に下がってゆくメロディ。そして旧の旧節は踊りの伴奏で、とても速い。踊りの伴奏が速いというのは面白い。アイリッシュ・ミュージックでも同じで、同じダンス・チューンの演奏でも、ダンスの伴奏はとんでもなく速くなる。聴くだけの場合にはゆっくりになるのだ。

 メロディで音が上がってゆくのは、その方が華やかで明るくなるかららしい。歌謡曲やポップスに対抗して生まれてきたそうな。あたしはやはり下がってゆく、おちついたメロディの方が好み。

 お二人とも実に久しぶりに人前で演奏されるそうで、とりわけ、山本さんはパンデミックが始まって以来、ほぼ初めての由。そのせいか、この日は途中で歌詞を忘れることが再三ある。津軽民謡は歌詞で聴かせるものではなく、自由な即興の「はあ〜」や、歌詞の最後をコブシを回して延ばすところが肝なので、歌詞をまちがえたとて大勢に影響はないのだが、カラダに染みこんでいるはずの歌詞が出てこないのは唄っていて気分が悪くなるのだろう。とりわけ山本さんは稼ぐために唄うのではなく、唄うのが楽しいから唄うので、気持ちよく唄えないのはガマンならないのだ、きっと。リハーサルでは気持ちよさそうに唄っていたそうだから、この春80歳になったから物忘れがひどくなった、ということでもないだろう。

 聴衆が入っての本番はやはり緊張し、その緊張がやりがいを生む。今日はリハーサルでは乾いていた空気が、人が入るとやや湿り気を帯びる。その湿り気に気が引き締まる。しかし、本番の空白が長かったために、その緊張が仇となった、ということらしい。

 なので、来年春、捲土重来を期すことになる。あたしとしては、理由はなんであれ、このお二人の生が聴けるのなら、それもこのカーサ・モーツァルトのような小編成の生楽器や声を聴くには最高の環境で聴けるのなら、何の文句もなく、双手をあげて賛成する。

 ところでプラスティックを張った三味線である。山中さんがこれを作って公演でも使っているのには主に二つ理由がある。一つはまずプラスティックの楽器の質が上がって、人前での演奏に使ってもまったく問題ないレベルになったこと。従来は、稽古にはともかく、とても人前で弾くには耐えられなかったのだそうだ。それがここ数年で急速に良くなってきた。これを促進したのは、犬の皮そのものの入手が困難になってきたことがある。

 もう一つの理由は、比較的最近、外国人の前で演奏した時、演奏の後の質疑応答で、いつまで犬の皮を使っているのか、という質問をされたことである。これから海外に演奏に行く際、動物由来の材料を使っていることが支障をきたす原因になりかねなくなる、という判断だ。撥の鼈甲もそろそろ危ないらしい。

 海外から来た聴衆の指摘に山中さんは素早く反応したわけだが、楽器、とりわけ伝統的な楽器の材質の問題は一筋縄ではいかない。実際、犬の皮の楽器のやわらかく、低めの響きは、プラスティックではまだ出ないし、ひょっとするとついに出ないかもしれない。楽器は形だけでなく、それを作っている材料も含めて成り立つものだ。バゥロンは山羊革が伝統だが、たとえばプラスティックに替えて、あの響きが出るのか。あるいはプラスティック三味線のように、響きが変わるだろうか。すると、それは同じ楽器と言えるのか。

 それにプラスティックそのものが、今や悪者扱いされている。レジ袋はダメだが、三味線はOK、というわけにもいかないだろう。

 倫理的問題の前に、犬の皮の供給が途絶える可能性もあるらしい。三味線に張られた皮は破れるのだそうだ。いつ破れるのかはわからない。張ったばかりですぐに破れることもある。いずれにしても、使っていればいつかは必ず破れる。だから、必ず予備の楽器か皮を持っている、と山中さんは言われる。

 ちなみに、棹の方はもっとずっと長く保つが、弾いていると弦の下がえぐれてくるそうだ。溝があまりに深くなると、鉋で削って平らにしてもらう。またえぐれてくぼむ。また削る。で、だいたい30年くらいでもうこれ以上削れなくなるほど薄くなり、その楽器は役目を終える。

 一応イベントについての制限もなくなったものの、患者数はまた増えていて、第9波という声も聞え、どうもすっきりしない。それでも、このお二人の音楽、地の底からどくどく湧いてくるような音楽を浴びせかけられると、言いようのない幸福感に浸される。生きていてよかったと心底思う。これからも生きてあるかぎりは、精一杯生きようとも思えてくる。ジャンルとか、形態とかは関係ない。お二人の人間としての存在の厚みが、そこを通ってくる音楽を太く、中身がみっちり詰まったものにしている。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

山本謙之助: 唄
山中信人: 三味線, 尺八
 

 新興の版元カンパニー社から『新版 ECM の真実』が出て、その記念のイベントがあり、著者の稲岡邦彌氏とバラカンさんが出るというので、行ってみた。なかなかに面白い。

 あたしにとって ECM とは、ジャズ的に面白くルーツ・ミュージックを料理した音楽を聴かせてくれるレーベル、である。だから、そこから一枚選ぶとすれば、Anouar Brahem, Barzakh, 1990 になる。 これであたしは ECM を「発見」するからだ。つまり、そこからの新譜をチェックする対象のひとつに ECM が入ったわけだ。

Barzakh
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-04-11



 なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。

Thimar
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-01-25

 

 ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。

Nordan
ECM Records
1994-09-19



Agram
ECM Records
1996-09-16




Frifot
ECM Records
2017-08-01


 実を言えばノルウェイの Agnes Buen Garnas がヤン・ガルバレクと作った Rosensfole が1989年に出ているのだが、これは後追いだった。ガルバレクは1993年の Twelve Moon でもガルナスと、サーミ出身のマリ・ボイネを起用する。

Rosensfole
Garbarek, Jan
Ecm Import
2000-08-01

 
トウェルヴ・ムーン
ヤン・ガルバレク・グループ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-02-21



 北欧勢では Groupa の Mats Eden の MILVUS が1999年。

Milvus
Mats Eden
Ecm Import
2008-11-18



 Terje Rypdal がいるじゃないかという向きもあろうが、あたしから見るとかれはジャズの人で、ルーツ=フォーク・ミュージックの人ではない。ガルバレクも同じ。もともとルーツ=フォークをやっていた人の録音が ECM から出るのが面白いのである。

 Jon Balke を知るのはもう少し後で、Amina Alaoui の入った2009年の Siwan からだ。知ってからはバルケの Siwan は追っかけの対象である。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。

Arco Iris
Alaoui Ensemble, Amina
Ecm Records
2011-06-28


 
 さらにフィンランド ノルウェイの Sinikka Langeland が2007年の Starflowers から ECM で出しはじめる。

Starflowers (Ocrd)
Langeland, Sinikka
Ecm Records
2007-08-21



 フィンランドでは Markku Ounaskari, Samuli Mikkonen, Per Jorgensen の Kuara が2010年。

KUARA-PSALMS & FOLK SO
OUNASKARI, MARKKU
ECM
2018-10-05



 この流れでの最新作は先日出た Anders Jormin, Lena Willemark, Karin Nakagawa, Jon Falt による Pasado En Claro, ECM2761だ。2015年 Trees Of Light 以来のこのユニットの新作。

Pasado En Claro
Anders Jormin
Ecm Records
2023-03-03



Trees of Light
Lena Wille
Ecm Records
2015-05-26



 南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。

Songs of an Other (Ocrd)
Yannatou, Savina
Ecm Records
2008-09-09

 

 同じギリシャから Charles Lloyd & Maria Farantouri の Athens Concert が2011年。

アテネ・コンサート
マリア・ファランドゥーリ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-09-07



 サルディニアの Paolo Fresu, A Filetta & Daniele di Bonaventura の Mistico Mediterraneo も2011年。

Mistico Mediterraneo
Fresu, Paolo
Ecm Records
2011-02-22



 アルバニアの Elina Duni のカルテット名義の MATANE MALIT: Beyond The Mountain が2012年。

Matane Malit
Duni, Elina -Quartet-
Ecm Records
2012-10-16



 イラン系ドイツ人の Cymin Samawatie & Cyminology, As Ney が2009年。

As Ney (Ocrd)
Cyminology
Ecm Records
2009-03-09



 こういう人たちは ECM で教えられたので、まったく ECM様々である。

 という具合ではあるが、それにしても、June Tabor, Iain Bellamy & Huw Warren, QUERCUS が2013年に出たときは驚いた。

Quercus
Quercus
Ecm Records
2013-06-04



 が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。

Skirting the River Road
Williamson, Robin
Ecm Import
2003-08-12

 
American Stonehenge
Robin Williamson
Criminal
1978T


 あたしにとってこういう音楽を聴かせてくれるのが ECM である。そりゃ、キース・ジャレットは聴きますよ。ラルフ・タウナーも好きだ。パット・メセーニ(ほんとは「メシーニー」が近い)、それにもちろんガルバレク、リピダルはじめ北欧のジャズの人たちもいい。ECM としてはこのあたりが主流になるんだろうけど、ただ、それはあたしにとってはサイド・ディッシュなのである。というよりデザートかもしれない。スイーツという味わいではないけれど、あたしの中の位置としてはそれが一番近い。

 上に挙げたようなルーツ系の ECM は一方で、ここでしか聴けない音楽、各々のミュージシャンの、他ではなかなかに聴けない音楽を聴かせてくれる。ふだん出すようなレコードとはまったく違うアプローチの音楽だ。中にはヴィッレマルク&メッレルのように、ベストと言いきってもいいようなものすらある。ルーツ系 ECM のレコードは、主食としてもたいそう美味しく、そして珍しい味なのだ。

 昨日のイベントでは、このあたりの話も出るかなとほのかに期待していたが、そこまで行かなかった。『新版 ECM の真実』でも、1990年代から顕著になるこのあたりの動きは、あっさり飛ばされている。ECM のファンでも ECM をジャズのレーベルと認識している大半の人にとっては、ワケわからん世界なのだろう。ウィリアムスンのように、あたしでさえワケわからんものすらあるので、無理もないといえば無理もない。ただ、ヨーロッパの伝統音楽のファンは聴かない手はない。北欧しか聴きませんという向きも、ECM の北欧系ルーツ・ミュージックは聴く価値がある。

 稲岡氏の話でまず面白かったのは、ECM が当初クラシックのリスナーを購買層に想定していたというところ。わが国でジャズのリスナーとクラシックのリスナーの数を比べれば1対10ぐらいだろう。ヨーロッパではこの差は何倍にもなる。アイヒャーがめざしたのは、ジャズのミュージシャンを起用するが、クラシックのリスナーにも抵抗感の小さな音楽だった、というのだ。ピアノ・ソロなどはその典型で、クラシック・ファンはピアノ・ソナタなどで、ピアノ・ソロには慣れている。グレン・グールドやフリードリッヒ・グルダのような人もいる。加えて、クラシック・ファンは音楽に金を使う。レコードを買うのもシングル単位ではなく、アルバム単位だ。

 なるほど、チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックをクラシック・ファンに売りこもうとしたのも戦略としては同じだ。いずれにしても、各々の音楽の従来のリスナー以外の人たちに聴かせようとした。どちらもそれぞれの名前をブランドにしようと努めた。今では ECM から出るものなら、未知のミュージシャンでも音楽の質は保証されると信頼されるようになっている。チーフテンズも、そのコンサートやレコードに失望されることはないという信頼感があった。

 稲岡氏の話でもう一つ、ECM のあのサウンド、アンビエントやリヴァーブ成分が多いとされるあのサウンドは、教会の響きなのだ、という話。これまた言われてみれば、そりゃそうだとうなずいてしまう。だから、小さい頃から教会の響きには慣れているヨーロッパのリスナーにしてみれば、ごく自然な響きになる。アメリカの、ブルー・ノートの音はなるほど、狭いクラブでの響きだ。もっとも、ルーツ系のアルバムでは、いわゆるECMサウンドはあまり強くない。むしろ、楽器や声のそのままの響きを大切にしている。

 一方、バラカンさんから出た、ECM が出てからジャズがまったく別のものになった、というのにも、膝を叩いてしまった。コルトレーンが死んだところにひょいと出てきたリターン・トゥ・フォーエヴァーは ECM だったのだ。昨日のイベントで流された、1971年ドイツでのライヴという、マイルス・デイヴィスのバンドで、大はしゃぎで電子ピアノを弾きまくっているキース・ジャレットの姿はもう一つの象徴に見えた。『ビッチェズ・ブリュー』50周年記念のトリビュートとしてロンドン・ベースのミュージシャンたちが作った London Brew などは、エレクトリック・マイルスのお父さん、ECMのお母さんから生まれた子どものように、あたしには聞える。

London Brew
London Brew
Concord Records
2023-03-31



 会場で買った『新版 ECM の真実』を読みながら帰る。ぱらぱらやっていると、本文よりも、今回増補されたインタヴューや対談、それと『ユリイカ』と『カイエ』表4(裏表紙)に「連載」されたエッセイ広告に読みふけってしまう。(ゆ)

 ラティーナ電子版の "Best Album 2022" に寄稿しました。1週間ほど、フリーで見られます。その後は有料になるそうです。

 今年後半はグレイトフル・デッドしか聴かなかったので、ベスト・アルバムなんて選べるかなと危惧しましたが、拾いだしてみれば、やはりぞろぞろ出てきて、削るのに苦労しました。

 ストリーミング時代で「アルバム」という概念、枠組みは意味を失いつつある、と見えますけれども、いろいろな意味で便利なんでしょう、なかなかしぶといです。先日、JOM に出たアイリッシュ・ミュージックに起きて欲しい夢ベスト10の中にも、専門レーベル立上げが入ってました。

 もっとも、あたしなんぞも、CD とか買うけれど、聴くのはストリーミングでというのが多くなりました。Bandcamp で買う音源もストリーミングで聴いたりします。

 とまれ、今年もすばらしい音楽がたくさん聴けました。来年も音楽はたくさん生まれるはずで、こちらがいかに追いかけられるか、です。それも、肉体的に、つまり耳をいかに保たせるかが鍵になります。年をとるとはそういうことです。皆さまもくれぐれも耳はお大事に。(ゆ)

 5年ぶりの来日とのことで、前回2017年の来日は見逃していた。あたしが見たのはその前年の初来日で、神谷町の寺の本堂でのライヴだった。この時は個々の楽曲はすばらしいのだが、全体としてはどうも単調で、あまり楽しめなかった記憶がある。

 今回はその時の印象とは見違えるばかりで、楽曲、編曲、演奏、構成、四拍子そろったすばらしいコンサート。人の声とそのハーモニーの多彩な響きを堪能させていただいた。こうなるとヴァルティナと肩を並べる、しかも対照的な音楽を聴かせてくれる。見ようによってはこちらの方が一層洗練されている。ヴァルティナはむしろ野生が華麗なテクノロジーの衣をまとっている。

 中央、椅子の前に大型38弦のカンテレが置かれ、その他に肩から吊るして体の前でギターのように弾く15弦のカンテレを各々が持つ。少ないときはどれか一つ、多い時は大型と小型3台。大型の楽器の前には4人のメンバーが交替で座る。ここに座った者が一応リード・ヴォーカルもとるようだ。

 小型の方はもっぱらリズム・ギターの役割。大型はメロディに加えてベースの役割が大きい。この低音は倍音たっぷりで、しかも芯が通って、軽いのに浸透力がある。ホールいっぱいに拡がってゆくのがなんとも快い。

 前半は劇的な構成で、とりわけ、4曲目『千と千尋の神隠し』のテーマ・ソングを日本語とフィンランド語で歌ったのがまずハイライト。先日の「ノルディック・ウーマン」と同じく、ただ日本産の歌をサービスしてますではない。まず完全に自分たちの音楽として消化したうえで演奏している。正直、歌詞など、こちらの方がすなおに入ってくるし、楽曲の良さもあらためて染みてくる。

 続くマイヤがリードをとる曲では、ヴァルティナを想わせる呪術的な響きが現れてぞくぞくする。あたしなどはこの響きに最もフィンランド的なものを感じてしまう。その次はベース・ワークがすばらしく、コーラスも重心が低くしてなお美しい。そしてその次7曲目。ユッタが大型の前に座り、まずハーモニクスのイントロからモダンな展開をした後のコーラスが、これまで聴いたこともないほど荘厳で可憐でしかも尖っている。歌詞のないコーラスでの即興に身がよじられる。底にビートが流れていて、時に表に現れる。声の重なりが倍音を生み、それがまた全体を増幅する。

 続くのはフィンランドとは親戚のハンガリーの伝統歌をフィンランド語に置きかえた歌。ロメオとジュリエットのストーリーをもつ歌だそうで、メロディは確かにハンガリーに聞えるけれど、これまた自家薬籠中のものにしている。

 プログラムには無いアカペラの曲で前半を締めくくる。

 ここまでで、もう十分来た甲斐はあったし、パンデミックの前からしても、指折りのライヴと思う。

 後半は前半ほどドラマチックではないのだが、どれもこれも前半で上がったままの高い水準の曲と演奏が続く。熊の歌のようなユーモラスなところも顔を出す。小型のカンテレの方がチューニングに手間がかかるらしく、その間をやはりメンバーが交替に MC をする。クリスマスは何が楽しみか。ユッタが音楽ソフト用の新しいプラグインをおねだりしたというのが印象に残る。この人がリードをとる曲はよりモダンで尖った感覚がある。ラストは無印良品のCDにも入れた伝統曲。生で聴くとまた格別。そしてアンコールは〈聖夜〉「きよしこの夜」のフィンランド語版。カンテレの響きが一段と映え、最後の余韻が消えてゆくのに背筋に戦慄が走る。こういう終り方をされると、もうこの後は何があっても余計になる。

 ここは西国分寺駅前にある、定員400人程のホール。客席の傾斜が急で天井が高い。カンテレや声のハーモニーを美しく聴かせてくれる。外に出ると着込んでいても寒気に身がひきしまるけれど、こういう音楽にはやはりこの寒さがふさわしい。(ゆ)

 さいとうさんのフィドル・ソロや、やはりさいとうさんの Jam Jumble のライヴは見ているが、ココペリーナとしてのライヴは初めて。アルバムとしては2枚目、フル・アルバムとしては初の《Tune The Steps》には惚れこんでいたから、ライヴはぜひ見たかった。パンデミックもあって、4年待つことになった。この年になると4年待てたことにまず歓んでしまう。

 生で聴くとまず音の芯が太い。さいとうさんのフィドルの音の芯がまず太いのだが、フルートとギターも芯がしっかりしている。

 面白いのはフルートと対照的にバンジョーがむしろ繊細だ。普通はもっと自己主張する楽器だが、ここでは片足を後ろに退いている。その響きとフィドルの音の混ざり具合が新鮮。

 線の太さと繊細さの対照はギターでも聞える。曲のイントロやつなぎのパート、フィドルまたはフルートのどちらかだけとのデュオの形では、かなり緻密な演奏なのが、トリオになってビートを支えると太くなる。

 もっとも、ギターという楽器はどちらも可能で、アニーにしても長尾さんにしても、やはり繊細さと線の太さが同居している。のだが、それに気付いたのがこのトリオを生で見たとき、というのも面白い。アイルランドやアメリカなどのギタリストにはあまりいないようにも思える。ミホール・オ・ドーナルはそうかな。

 録音ではイントロやつなぎを中心に、かなり大胆でモダンなアレンジをしている部分と、ギターにドライヴされるユニゾンで迫る部分の対比がこのバンドの肝に見えた。それは生でも確認できたのだが、曲のつなぎは2曲目の b から c へのようにさらに面白くなっている。

 生で気がついたのはメインの部分でもさいとうさんか岩浅氏のどちらかがメロディを演奏し、もう片方がそこからは外れて即興をしている。ドローンもよく使う。これをごく自然に、まるでそもそもこういう曲ですよ、と素知らぬ顔でやる。つまり対比させるというよりも、同じ地平でやっている。

 見方によってどちらにもとれる。ユニゾン主体の、実にオーセンティックな演奏にも聞えるし、少々無茶な実験もどんどんしてゆく前衛的演奏にも聞える。両極端が同居している。

 選曲にもそれは現れて、耳タコの定番曲と聴いた覚えのない新鮮な曲が入り乱れる。

 ひと言でいえば、よく遊んでいる。こんなに遊ぶアンサンブルを他に探せば、そう Flook! が近いか。ココペリーナの方が伝統曲を核にしているし、あえて言えばココペリーナの方が洗練されている。どこか上方の文化の匂いが漂う。

 歌が2曲。前半の〈青い月〉と後半の〈Hard Times Come Again No More〉。どちらも良いが、後者では他のお二人もコーラスを合わせたのがハイライト。チューンでのハイライトは後半冒頭〈Cup of Tea〉から〈Earl's Chair〉のメドレーに聴きほれる。

 今回は石崎元弥氏がバゥロンとパーカッションでサポート。これが実に良い。これまた、もともとカルテットだと言われてもまるで不思議がないほどアンサンブルに溶けこんでいた。後半冒頭、トリオでやったのもすっきりとさわやかだったが、石崎氏が入ると、演奏のダイナミズムのレベルが一段上がる。

 さいとうさんのフィドルのどっしりとした存在感に磨きがかかったようでもある。フィドルでもフルートでも、こういう肝っ玉母さん的なキャラはあたしの好みなのだ。ソロは別格だし、Jam Jumble も楽しいが、やはりココペリーナをもっと聴きたくなる。

 満席のお客さんにはミュージシャン仲間が顔を揃えていた。あたしのように楽器がまったくできない人間は2、3人ではなかったか。これもまたこのバンドの人徳であろう。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle, concertina, vocals
岩浅翔: banjo, whistle, flute, vocals
山本宏史: guitar, vocals

石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 ジョンジョンフェスティバルは一回り大きくなっていた。2年10ヶ月ぶりというライヴだとメンバーが認めなければ、実はパンデミックの間中、3人でどこか山の中か、それこそオーストラリアの奥地に籠って、ひたすら演奏していました、と言われても納得しただろう。それともパンデミックのない別の次元に行って、ライヴをしまくっていたのかもしれない。

 パンデミックは音楽に携わる人たちに平均(というものがあるとして)以上に大きな圧力をかけていたわけだが、その圧力を逆手にとって、精進を重ね、ミュージシャンとしてそれぞれ1枚も2枚も剥けた、ということなのだろう。その上で再び一緒になってみれば、その間のブランクはまったく無かったかのように、カチリとはまった。そうなると、各々が大きくなった分が合わさり、そこにバンドとしてと作用が働いて、1+1+1が4にも5にもそれ以上にもなる。逆に言えば、それだけ、休止前は頻繁にバンドとして演奏していたことでもある。

 このレベルの人たちに言うのはおかしいかもしれないが、3人ともそれぞれに巧くなっている。どこという個々に指摘できるようなものではなく、全体として伸びている。最初の曲が終る頃には、正直舌を巻いていた。あえて言えば、じょんのフィドルは細かい音のコントロールが隅々までよく効いている。アニーのギターのコード・ストロークの切れ味がさらに良くなっている。トシバゥロンの低音の響きの芯が太くなっている。

 そう聞えたのはあんたが老いぼれた証だといわれても返す言葉はないが、これだけは確かに言えるのは、歌が巧くなっている。まずじょんの英語。やはり日本語を話す相手は息子さんだけ、という環境にいれば、いやでも英語は巧くなる。英語が英語らしく聞えるのは、日本語ネイティヴの場合、発音そのものよりも呼吸が変わっているのだ。〈Sweet Forget-me-not〉でのじょんの息継ぎが英語話者のものなのだ。それは日本語の歌にも良い作用を及ぼして、〈思いいづれば〉でもラストの〈海へ〉でも、じょんの歌が映える。いよいよシンガーとしても一級といえるレベルになってきた。

 アニーもあちこちで歌っているし、トシさんは今最も中心にやっているみわトシ鉄心のトリオが歌中心のバンドでもあり、シンガーとしての精進を重ねていることが、ありありとわかる。たとえば、ラストの〈海へ〉のコーラス、就中アカペラ・コーラスには陶然となった。確かにこの歌は別れの歌、それも聴きようによっては、この世に別れを告げるとも聞こえる歌だが、陰々滅々にならず、むしろ後に生き残る者たちを鼓舞するとも聞える。とにかく今回は、歌の曲があたしにとってはハイライト。これらはこのまま録音されたものを繰り返し聴きたい。

 インストルメンタルは3人とも思いきりはじけていた。このトリオはなぜかそういう気にさせるらしい。他のバンドや組合せを見ているのはアニーが一番多いからその違いが一番よくわかるが、後の二人もおそらく、ジョンジョンフェスティバルでやる時は、他の組合せや演奏の場でやるときとは、様相が変わっているにちがいない。しかも今回は、溜まっていたものを爆発させる勢いがあった。それもだんだん強く大きくなっていった。スピードではパンデミック前の方が速かったかもしれないが、こんなに演奏がパワフルに聞えたことはない。まるでロックンロールのパワー・トリオだ。しかも演奏が粗くならない。力任せにハイスピードでやりながら、粗雑とは縁遠い。じょんのフィドルを筆頭に、細部までぴたりぴたりと決まってゆく。それでいて大きなグルーヴがぐうるりぐうるりと回ってくる。こんな演奏ができるのは、このバンドだけだ。

 そういうはじける曲と、じっくりとむしろ静かに聴かせる曲との対比もまた心憎い。こちらではトシさんの友人 Cameron Newell の作った〈トシ〉がハイライト。

 ダブル・アンコールの曲がまた良かった。〈Planxty Dermot Glogan〉。じょんのフィドルが高音で引っぱりながら少し音をずらすのがくう〜たまらん。

 「解散せずにすみました」とアニーが言うが、こうなればもう大丈夫。何年ブランクが空こうが、ジョンジョンフェスティバルは不滅です。とはいえ、できれば1年、いや半年ぐらいでまた演ってもらいたい。

 アンコールの1曲目は〈サリーガリー〉で盛り上げておいて、2曲目はしっとりと収める。のはこういう時の常道ではあるが、しかし、そう簡単に収まってはおらず、思っていた以上に興奮していたらしい。あるいは単純な興奮とは違うのかもしれない。終演後もどこか地に足がついていない感覚で、体の中が高ぶっていた。もっと生きろ、とどやされている気分。

 そう、もっとライヴを見よう。ジョンジョンフェスティバルは来年までは無いし、オーストラリアまで行くカネは無いが、アニーやトシさんのプロジェクトをもっと見に出かけよう。まずはみわトシ鉄心だが、信州、名古屋あたりまでなら何とかなるだろう。(ゆ)

ジョンジョンフェスティバル
じょん: fiddle, vocals
アニー: guitar, piano, vocals
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
 




 まさか、こんなものが出ようとは。いや、その前にこんな録音があったとは、まったく意表を突かれました。Bear's Sonic Journal の一環として出たこの録音は1973年10月01日と1976年05月05日のサンフランシスコでのチーフテンズのライヴの各々全体を CD2枚組に収めたものです。

 このリリースはいろいろな意味でまことに興味深いものであります。

 まず、チーフテンズのライヴ音源として最も初期のものになります。それも1973年、サード・アルバムの年。デレク・ベルが加わって、楽器編成としては完成した時期。ライナーによれば、パディ・モローニの手許には1960年代からのアーカイヴ録音のテープもあるようですが、RTE や BBC も含めて、チーフテンズのアーカイヴ録音はまだほとんど出ていません。これを嚆矢として、今後、リリースされることを期待します。

 アイリッシュ・ミュージックのライヴのアーカイヴ録音は RTE や BBC などの放送用のリリースがほとんどで、1970年代前半のコンサート1本の全体が出るのは、あたしの知るかぎり、初めてです。

 次にこの1973年のアメリカ・ツアーの存在が明らかになり、それもその録音、しかも1本のコンサート全体の録音の形で明らかになったこと。チーフテンズが初めて渡米するのは1972年ですが、この時はニューヨークでのコンサート1回とラジオ、新聞・雑誌などのメディアでのプロモーションだけでした。公式伝記の『アイリッシュ・ハートビート』ではその次の渡米はここにその一端が収められた1976年のもので、1973年の初のアメリカ・ツアーは触れられていません。というよりも、1973年そのものがまるまる飛ばされています。

 ここに収められたのは、急遽決まったもので、すでに本体のツアーは終っています。サンフランシスコの前はボストンだったらしく、あるいはアメリカでもアイルランド系住民の多い都市を2、3個所だけ回ったとも考えられます。

 そして、これはより個人的なポイントですが、ジェリィ・ガルシアとチーフテンズの関係がついに明らかになったこと。もう一人のアメリカン・ミュージックの巨人フランク・ザッパとパディ・モローニの関係は『アイリッシュ・ハートビート』はじめ、あちこちで明らかになっていますが、グレイトフル・デッドないしジェリィ・ガルシアとのつながりはこれまで見えていませんでした。

 このライヴはその前日、ベイエリアの FMラジオ KSAN にチーフテンズが出演した際に、ジェリィ・ガルシアがそこに同席し、チーフテンズの演奏に感心したガルシアが、翌日の Old & In The Way のコンサートの前座に招いたのです。ガルシアはチーフテンズの泊まっているホテルに、ロック・ミュージシャンがよく使う、車長の長いリムジンを迎えによこし、これに乗りこもうとしているパディ・モローニの写真があるそうな。Old & In The Way のコンサートはベアすなわちアウズレィ・スタンリィが録音したものがライヴ・アルバムとしてリリースされてブルーグラスのアルバムとしては異例のベストセラーとなり、2013年には完全版も出ました。その前座のチーフテンズのステージも当然ベアは録音していた、というわけです。

 アウズレィ・スタンリィ (1935-2011) 通称ベアは LSD がまだ合法物質だった1960年代から、極上質の LSD を合成したことで有名ですが、グレイトフル・デッド初期のサウンド・エンジニアでもあり、またライヴの録音エンジニアとしても極めて優秀でした。1960年代から1970年代初頭のデッドのショウの録音で質のよい、まとまったものはたいていがベアの手になるものです。また音楽の趣味の広い人でもあり、デッドだけでなく、当時、ベイエリアで活動したり、やって来たりしたミュージシャンを片っ端から録音しています。その遺産が現在 "Bear's Sonic Journal" のシリーズとして、子息たちが運営するアウズレィ・スタンリィ財団の手によってリリースされていて、チーフテンズのこの録音もその一環です。

 実際この録音もまことに質の高いもので、名エンジニアのブライアン・マスターソンが、この録音を聴いて、ミスタ・スタンリーにはシャッポを脱ぐよ、と言った、と、ライナーの最後にあります。

 ガルシアがラジオに出たのは、当時デッドのロード・マネージャーだったサム・カトラーが作ったツアー会社 Out Of Town Tours で働いていたアイルランド人 Chesley Millikin が間をとりもったそうです。

 ガルシアはデッドの前にはブルーグラスに入れあげて、ビル・モンローの追っかけをし、ベイエリア随一のバンジョー奏者と言われたくらいです。当然、ブルーグラスのルーツにスコットランドの音楽があり、さらにはカントリーやアパラチア音楽のルーツにアイリッシュ・ミュージックがあることは承知していました。チーフテンズのレコードも聴いていたでしょう。当時クラダ・レコードはアメリカでの配給はされていませんでしたが、サンフランシスコにはアイリッシュ・コミュニティもあり、アイルランドのレコードも入っていたはずです。母方はアイルランド移民の子孫でもあり、ガルシアがアイルランドの伝統音楽をまったく聴いたことがなかったとは考えられません。

 少しでも縁がある人間とは共演したがるパディ・モローニのこと、ガルシアやデッドとの共演ももくろんだようですが、それはついに実現しませんでした。デッドの音楽とアイリッシュ・ミュージックの相性が良いことは、Wake The Deadという両者を合体したバンドを聴けばよくわかります。

 The Boarding House でのこのコンサートの時にも、チーフテンズと OAITW 各々のメンバーが相手のステージに出ることはありませんでした。アイリッシュ・ミュージックとブルーグラスでは近すぎて、たがいに遠慮したのかもしれません。デッドは後に、セント・パトリック・ディ記念のショウに、カリフォルニア州パサデナのアイリッシュ・バンドを前座に呼びますが、チーフテンズが前座に入ることはついにありませんでした。大物ミュージシャンがデッドの前座を勤めた1990年代でも無かったのは、1990年代前半はアイリッシュ・ミュージックが世界的に大いに盛り上がった時期で、チーフテンズがそのキャリアの中でも最も忙しかったこともあるのでしょう。

 一方、1976年の方は、チーフテンズ初の大々的北米ツアーで、この時のボストンとトロントの録音から翌1977年に傑作《Live!》がリリースされます。そのツアーの1本の2時間のコンサートを全部収めているのは貴重です。チーフテンズはバンドとして、その演奏能力のピークにあります。

 一つ不思議なのは、バゥロンがパダー・マーシアになっていることで、ライナーにあるゴールデン・ゲイト・ブリッジを背景にしたバンドの写真は1976年のものとされており、そこにはパダー・マーシアが映っています。メンバーの服装からしても、10月ではなく、5月でしょう。しかし、このツアーの録音から作られた上記《Live!》ではジャケットにはケヴィン・コネフが入っていて、クレジットもコネフです。

 考えられることはこのサンフランシスコのコンサートはツアーの初めで、まだマーシアがおり、ツアーの途中でコネフに交替して、ボストンとトロントではコネフだった、ということです。

 この時は、ベアはチーフテンズを録るために、会場の The Great American Music Hall に機材を抱えてやってきています。ベア自身、祖先はアパラチアの入植者たちにつながるそうで、マウンテン・ミュージック、オールドタイムなどに対する趣味を備えていました。

 こうしたことは子息でアウズレィ・スタンリィ財団を率いる Starfinder たちによるライナーに詳細に書かれています。このライナーはクラダ・レコードを創設し、チーフテンズ結成を仕掛け、パディ・モローニのパトロンとして大きな存在だったガレク・ブラウンとその家族、つまりギネス家にも光をあてていて、これまたたいへんに興味深い。

 演奏もすばらしい。特に1976年の方は、やはりこの時期がピークだとわかります。チーフテンズの音楽は基本的にスタジオ録音と同じですが、それでもライヴでの演奏は活きの良さの次元が違います。

 ソロもアンサンブルもとにかく音が活きています。たまたまかもしれませんが、あたしには目立って聞えたのがマーティン・フェイのフィドル。いろいろな意味で存在感が大きい。面白いこともやっています。

 加えてデレク・ベルのハープ。ベアの録音はその音をよく捉えています。クライマックスのカロラン・チューンのメドレーの1曲〈Carolan’s Farewell To Music〉のハープ・ソロ演奏は絶品で、こういう演奏を生で聴きたかったと思ったことであります。

 そして、コンサートの全体を聴けるのが、やはり愉しい。構成もよく考えられています。各メンバーを個々にフィーチュアするメドレーから始めて、アップテンポで湧かせる曲、スローでじっくり聴かせる曲を巧妙に織りまぜます。

 何よりも、バンドが演奏を心から愉しんでいるのがよくわかります。パディ・モローニの MC にも他のメンバーが盛んに茶々を入れます。言葉だけでなく、楽器でもやったりしています。皆よく笑います。これを聴いてしまうと、我々が見たステージはもう「お仕事」ですね。

 ゲストがいないのも気持ちがいい。バンドとしての性格、その音楽の特色がストレートに現れています。チーフテンズの録音を1枚選べと言われれば、これを選びたい。

 演奏、録音、そしてジャケット・デザイン、ライナーも含めたパッケージ、まさに三拍子揃った傑作。よくぞ録っておいてくれた、よくぞ出してくれた、と感謝の念が湧いてきます。おそらくパディ・モローニも、同じ想いを抱いたのではないか。リリースの許可をとるためもあって、スターファインダーたちはテープをもってウィックロウにモローニを訊ねます。モローニは近くに住むブライアン・マスターソンの自宅のスタジオで一緒にこの録音を聴いて、大喜びします。モローニが亡くなったのは、それからふた月と経っていませんでした。チーフテンズ結成60周年を寿ぐのに、これ以上の贈り物はないでしょう。(ゆ)

 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

 言葉はあまりよくないかもしれないが、とれたての新鮮な音楽、というのが、しきりに湧いてきた。ひとつにはフルートの瀧澤晴美さんがリムリックの大学院を卒業して3日前に帰国された、その歓迎ライヴということがある。その卒業コンサートで演奏した曲を、ここでも演奏されたりする。

 瀧澤さんのフルートは、たとえば須貝知世さんのそれを思い浮かべてみると、やや線が細く、繊細な感じがする。一方でしなやかで、強靭なところもある。もっとも今回は隣が木村さんで、おまけに木村さんが「新兵器」のメロディオンを持ちこんできたから、その究極とも言える音の太さは強烈で、あれと並んでしまうと、どんな音でも細く聞えるかもしれない。それでも、ソロで、その卒業演奏の曲、曲名がよく聴きとれなかったが、Bobby Gardner の娘さんの曲で、とりわけラストのテンポを落としたところは、繊細かつ新鮮なみずみずしさがしたたるようだ。

 昨年10月末の Castle Island のイベントでのセッションで習ったというジグのセットは伝統曲とリズ・キャロルともう1曲、オリジナル曲の組合せが、実にモダンで新鮮に響く。リズ・キャロルが入ればなんでも新鮮になるところはあるにしても、もう一段レベルが上がって、モダンかつ新鮮になる。たぶん、曲の組合せの効果だろうが、今、アイルランドで演奏されているセットという事実も後押ししているかもしれない。

 レパートリィでも新鮮さは増幅される。2020年の Young Scottish Traditional Awards 受賞のパイパーの作った曲というだけで新鮮だが、〈Toss the Feathers〉のような曲が入ったセットすら、新鮮になるのは面白い。たぶんこういう新鮮な感覚は、ライヴでしかわからないだろうとも思う。これをまんま録音してみても、すり抜け落ちてしまうんじゃないか。

 メンバーが若いことも、新鮮な感覚に寄与しているとも思われる。木村さんが同年代のメンバーを集めたそうで、4人とも20代半ば。やはりこの時にしか出ない音、響きというのはあるものだ。かつて Oige のライヴ盤を聴いたとき、文字通り「青春」まっただなか、という響きに衝撃を受けたものだが、あの感覚が蘓える。むろん天の時も地の利も違うので、音楽が同じわけではないけれど、若いというのは特権的な魅力がある。年をとるとそういうところがよくわかる。

 このメンバーはダンス・チューンでは音のころがし方が快い。フルートは持続音で、あんまりころころところがる感じがしないものだが、どこがどういうものか、この日はジグもリールも、全体としてよくころがっていると聞えた。流れるよりはころがる感じ。ごろんごろんではなく、ころころころだ。この点も含めて、4曲目のホップ・ジグからの4曲のセットがこの日のハイライト。どれも佳曲で、しかも、だんだん良くなる。選曲の妙だ。

 選曲と組合せが巧いのは木村さんのメロディオン・ソロでも愉しかった。楽器の特性を活かす選曲でもある。

 木村さん以外、初体験というのも新鮮さを加えていたかもしれない。フィドルの福島さんはどっしりと腰の座った、安定感あふれる演奏で、頼もしい。どういうわけかわが国の一線で活躍しているフィドラーは女性がほとんどなので、小松大さんに続く男性の登場はうれしい。やはり両方そろっているのが理想だ。時間に余裕があるので、とやったソロも良かった。オープン・チューニングという「反則技」を使ったそうだが、スロー・エアからジグは、有名曲なのに初めて聴く気がした。

 杉野さんのギターは音数が少なめで、ミホール・オ・ドーナルとデニス・カヒルの合体のように聞える。やはりどちらかというとリスナーに向けてよりもプレーヤーに向けて演奏している。後で確認すると、高橋創さんがお手本だそうで、改めて納得。。

 前回の木村さんのライヴと同じく、アイリッシュばかりのセレクションも気持ちが良い。スコットランド人の曲も、アイルランドにいる幼い女の子のためだそうで、あまりスコティッシュの感じがしない。

 清流に浸かって、内も外もすっかり綺麗に洗われた気分。わずかにしても若返った感じすらある。まことにありがたい。ご馳走様でした。

木村穂波(ボタンアコーディオン、メロディオン)
福島開(フィドル)
瀧澤晴美(アイリッシュフルート)
杉野文俊(ギター)

08月03日・水
 Mick Moloney がニューヨークで77歳で亡くなったそうです。

 アイルランドとアメリカを往ったり来たりするアイリッシュ・ミュージックのミュージシャンは少なくありませんが、アイルランドからアメリカに渡って腰を据えたのは珍しく、さらに現在のアメリカのアイリッシュ・ミュージックの発展に貢献したことではまず右に出る人はいないでしょう。彼がいなければ、あるいはアメリカに腰を据えなければ、チェリッシュ・ザ・レディースやソーラスは生まれなかったと思われます。

 1944年リムリック生まれ。音楽に目覚めるのはウィーヴァーズやアルマナック・シンガーズの録音を聞いたことで、そこから生まれ故郷周辺、とりわけシュリーヴ・ルークラの伝統歌謡とダンス・チューンに向かいます。

 ぼくが彼の名前を知るのはジョンストンズに参加してからです。そこではポール・ブレディのギターとともに、マンドリンで、後にプランクシティが完成させる「対位法的」バッキングやアレンジを始めています。もっともその前にドーナル・ラニィらとともに Emmet Spiceland をやっていたことを、JOM の追悼記事で指摘されました。これはブラザーズ・フォーに代表される「カレッジ・フォーク」をアイルランドで試みた初期のグループの一つで、アイルランドではヒットもしています。

 1973年にアメリカに移住。この頃はアメリカではまだアイリッシュ・ミュージックは移民共同体内部のものでした。様相が変わるのはモローニによればアレックス・ヘイリーの『ルーツ』です。これはアフリカ系アメリカ人である自分の「ルーツ」を探った本で一大ベストセラーになるとともに、他の民族集団が各々のルーツに関心を向けるきっかけにもなります。アメリカが多様なルーツを各々にもつ移民集団から成る社会であるという認識が定着するのもこれがきっかけだそうです。各民族集団の文化的活動への公的資金援助も増え、アイルランド系はすでに組織化されたものが多かったために、その恩恵を受けた由。

 1980年代前半はアイルランドは不況で、アメリカへの移民が増え、ミュージシャンも多数移住します。ミホール・オ・ドーナルとトゥリーナ・ニ・ゴゥナルの兄妹や、後にアルタンのメンバーとして来日もするダヒィ・スプロール、さらにはケヴィン・バークなどが代表です。こうした人びとの刺激もあり、アメリカのアイリッシュ・ミュージックはこの時期ルネサンスを迎えます。ミック・モローニはその中心にあって、演奏、制作、メディア、研究のあらゆる分野でこのルネサンスを推進しました。

 ソロ・アルバム《Strings Attached》を出し、The Green Fields Of America を結成してツアーし、チェリッシュ・ザ・レディースが誕生するきっかけとなったコンサートを主導し、シェイマス・イーガンのソロ・ファースト《Traditional Music Of Ireland》や、アイリーン・アイヴァーズとジョン・ウィーランのデュオ・アルバム《Fresh Takes》をプロデュースします。

 1992年にフォークロアとフォークライフの博士号を取得。アメリカにおけるアイリッシュ・ミュージックの歴史の研究家としてニューヨーク大学教授などを歴任。その業績にはアメリカ、アイルランドから表彰されています。2014年には TG4 の Gradam も受けています。

 個人的にはジョンストンズ時代の溌剌とした演奏と、1980年代、Robbie O'Connell と Jimmy Keane と出した《There Were Roses》のアルバムが忘れがたいです。

 まずは天国に行って、愉しく音楽していることを祈ります。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月03日には1967年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 木曜日。このヴェニュー6日連続のランの4日目。ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ共演。
 セット・リスト不明。

2. 1968 The Hippodrome, San Diego, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。3ドル。開演8時半。カーリィ・クックズ・ハーディガーディ・バンド、マヤ共演。
 セット・リスト不明。
 James "Curley" Cooke は1944年ウィスコンシン生まれで2011年ワシントン州で死んだブルーズ・ギタリストのようだが、このバンド名では出てこない。この時期にハーディガーディをフィーチュアしていたとすれば、少なくとも20年は時代に先んじている。ハーディガーディでブルーズをやっているのは、まだ聞いたことがない。
 Maya もこの時代のミュージシャンは不明。

3. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。バレー・アフロ・ハイチ、アルバート・コリンズ共演。
 サックスが〈Dark Star〉に参加し、他の曲にヴァイオリンも参加しているが、誰かは不明。サックスはチャールズ・ロイド、ヴァイオリンは David LaFlamme または Michael White が推測されている。

4. 1982 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。
 ヴェニューは屋外のアンフィシアターで、コンサートの他、演劇、ミュージカルにも使われ、音響が良い。デッドのサウンドはすばらしかった、と Tom Van Sant が DeadBase XI で書いている。ショウも決定的な出来。

5. 1994 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開場5時、開演7時。トラフィック前座。
 第一部4曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。
 DeadBase XI でのこのショウについての記事で、John W. Scott はデッドのヴィデオ・ディレクター Bob Hartnett へのインタヴューを載せている。これは実に興味深い。一つには、デッドのショウは音楽だけでなく、照明や映写イメージも含めた、総合的な作品になっていた。当時すでにU2の ZooTV ツアーやローリング・ストーンズのコンサートなどもそうした「総合芸術」になっていたが、デッドのものは、その中でも最先端の機材と技術と素材を駆使したものであることが、このインタヴューからわかる。
 ハートネットはキャンディス・ブライトマンと協力して、会場のビデオ画面に映しだすヴィジュアルを指揮していた。バンドが演奏する曲に合わせたイメージを映しだす。あらかじめ大量の素材をいくつかのセットにしたものをレーザーディスクに用意しておいて、演奏に応じて送りだす。デッドの音楽は何がどれくらいの長さ演奏されるのか、事前にはまったくわからないのだから、照明とスクリムのイメージ担当のブライトマンにしても、ビデオ・スクリーン担当のハートネットにしても、その仕事は難しいなどというレベルではない。06月のラスヴェガスではヴィジュアル組は本番3日前に現地に入って、入念にリハーサルをしている。
 ラスヴェガスでは暑さのために、機器がどんどん壊れた。このビデオ・プロジェクティングのチームはステージの下に陣取る。精神的、物理的ないくつもの理由からここがベストの配置なのだが、気温の上がり方は半端ではない。
 この年、この08月初旬まで炎熱の夏のツアーが組まれたのは、サッカーのワールド・カップ・アメリカ大会のためでもある。デッドのヴェニューはワールド・カップの試合会場と重なるところが多く、そのあおりでスケジュールはかなり無理の大きいものになった。
 このジャイアンツ・スタジアムでは初めて、屋外のステージでバンドのためのエアコン・システムが組まれた。特別仕立てのものだが、クルーやスタッフにはその恩恵は及ばない。
 インタヴューの最中、クルー、スタッフへの放送が入る。トラフィックのステージにガルシアが参加する可能性がある、それに備えて、トラフィックの最後の2曲では全員配置につくように、という指示だった。必ず入るとわかっているわけではなく、入るかもしれないというだけで、全員が用意している。
 ショウそのものは、スコットの記憶では前座のトラフィックの演奏ばかりが記憶に残るものだった。
 ベテランのデッドヘッドたちには我慢のならない出来かもしれない。しかし、バンド・メンバーだけでなく、デッドヘッドたちもまた老いてはいなかったか。少なくとも若くはない。(ゆ)

07月25日・月
 朝、起きると、深夜、吉田文夫氏が亡くなったという知らせが、名古屋の平手さんからメールで来ていた。あの平手さんがメールを送ってくるのはよほどのことだ。吉田氏は平手さんが主催している滋賀県高島町でのアイリッシュ・ミュージック・キャンプの常連でもあったから、平手さんにとっては喪失感は大きいだろう。あたしはついに会うことがかなわなかった。もう一昨年になるか、25周年ということで初めてでかけたキャンプには、吉田氏は体調不良で見えなかった。がんの治療をしていることは聞いていた。

 吉田氏は関西でアイルランドやスコットランドなどの伝統音楽を演奏する草分けの1人だった。関東のあたしらの前にはシ・フォークのメンバーとして現れた。シ・フォークは札幌のハード・トゥ・ファインドとともに、まだ誰もアイリッシュ・ミュージックのアの字も知らない頃から、その音楽を演奏し、レコードを出していた稀少な存在だった。この手の音楽を愛好する人間の絶対数、といっても当時はタカの知れたものだが、その数はおそらく一番多かったかもしれないが、関東にはなぜかそうしたグループ、バンドが生まれなかったから、あたしらはハード・トゥ・ファインドやシ・フォークに憧れと羨望の眼差しを送っていたものだ。その頃はライヴに行くという習慣がまったく無かったので、どちらにしてもツアーで来られていたのかもしれないが、バンドとしての生を見ることはなかった。

 今世紀も10年代に入る頃から、国内のアイリッシュ・ミュージック演奏者が爆発的に出てきたとき、吉田氏の名前に再会する。関西の演奏者を集めた Celtsittolke のイベントとオムニバス・アルバムだ。東京でトシバウロンが Tokyo Irish Company のオムニバス・アルバムを作るのとほぼ同時だったはずだ。

 Celtsittolke には正直仰天した。その多彩なメンバーと多様な音楽性に目を瞠り、熱気にあてられた。関東にはない、猥雑なエネルギーが沸騰していた。関東の演奏家はその点では皆さんまじめで、行儀が良い。関西の人たちは、伝統に敬意を払いながらも、俺らあたしら、勝手にやりたいようにやるもんね、とふりきっている。そのアティテュードが音楽の上でも良い結果を生んでいる。アイリッシュ・ミュージックの伝統は、ちっとやそっと、揺さぶったところで、どうにかなるようなヤワなものではない。どんなものが、どのように来ても、あっさりと呑みこんでゆるがない。強靭で柔軟なのだ。そのことを、関西の人たちはどうやってかはわからないが、ちゃんとわきまえているようでもある。少なくとも吉田氏はわきまえていたようだ。Celtsittolke はそうした吉田氏が長年積み重ねてきたものが花開いたと見えた。

 結局、その生演奏にも接しえず、言葉をかわしたこともなかったあたしが、吉田氏について思い出を語ることはできない。今はただ、先駆者の一人として、いい年のとり方をされたのではないかと遠くから推察するだけだ。アイリッシュ・ミュージックやスコットランドの伝統音楽と出逢い、ハマりこんだことは人生において歓びだったと思いながら旅立たれたことを願うのみである。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月25日には1972、74、82年の3本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1972 Paramount Theatre, Portland, OR
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。シアトル、ポートランドのミニ・ツアー。どちらも "Paramount Theatre"。シアトルのには "Northwest" がついているが。
 ピークのこの年らしいショウの1本という。

2. 1974 International Amphitheatre, Chicago, IL
 木曜日。二部としてレシュとラギンの〈Seastones〉が演奏された。
 第三部9・10曲目、〈Uncle John's Band> U.S. Blues〉が2015年の、第一部3曲目〈Black-Throated Wind〉が2016年の、第一部2曲目の〈Loose Lucy〉が2019年の、アンコール〈Ship Of Fools〉が2020年の、〈Loose Lucy; Black-Throated Wind〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。つまり5曲がリリースされていることになる。
 きっちりした演奏。Wall of Sound の時期で音は良い。この日の録音はベースがはっきり聞える。ウィアのギターが小さめ。キースはこの頃にはすでにピアノだけではなく、オルガンも弾いている。
 この5曲はどちらかというと歌を聞かせる曲で、ガルシアは曲ごとに歌い方を変えている。〈Loose Lucy〉ではメリハリをつけ、〈Uncle John's Band〉ではややラフに、時にメロディを変え、〈Ship Of Fools〉ではごく丁寧に。〈U.S. Blues〉はギアがちょっとはずれて、歌詞が不安定。結局、ちゃんとケリを着けはする。
 〈Black-Throated Wind〉はウィアの独壇場になる曲。良い曲なのだが、ウィアの曲は時に、きっちりと構成が決まっていて、崩しようがないことがある。これはその典型。ずっと聴いていると、だんだん息が詰まってくる。

3. 1982 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10ドル。開演7時半。
 1週間ぶりのショウで夏のツアーのスタート。08月10日までの12本。アリゾナ、コロラド、テキサス、オクラホマ、ミズーリ、ミネソタ、ウィスコンシン、アイオワを回る。
 ショウは良いものだそうだ。(ゆ)

0326日・土

 今年の TG4 Gradam Ceoil Award が発表され、ドロレス・ケーンが生涯業績賞を受賞。ようやく、という感じが無いでもないが、とにかく受賞はめでたい。今さらといえば、スカラ・ブレイもグループ賞を受賞。メインの受賞者はパディ・グラッキン。となると、今年はこの賞の25周年ということで、あげそこなっていた人たちにあげる意味もあるのか、などというのはゲスのカングリというものであろう。何にしてもめでたい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0326日には1967年から1995年まで、9本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版3本。


01. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 日曜日。この日についてはポスターが残っており、共演としてクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、Johnny Hammond & His Screaming NighthawksRobert Baker が上げられている。デッドがヘッドライナー。

 David Sorochty によれば Oakland Tribune 1967-03-26日付に記事があり、そちらでの共演者はチャールズ・ロイド・カルテットと The Virginians としているが、DeadBase 50 はこれを誤りとしている。


02. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA

 火曜日。このショウについては存在を疑問視する向きもある一方で、DeadBase XI には John Crutchfield 15歳でこれを見た時のレポートを書いている。0308日と09日のこのヴェニューでのショウについては、LA Free Press の広告で確認されているが、こちらについては、少数の証言のみではある。

 ジェファーソン・エアプレインの前座で、内容はこの時期の典型的なものだったようだ。


03. 1972 Academy of Music, New York, NY

 土曜日。このヴェニュー7本連続のランの5本目。5.50ドル。開演8時。全体が《Dave's Picks, Vol. 14》でリリースされた。


04. 1973 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD

 月曜日。6.50ドル。開演7時。第一部2曲目〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉が2011年と2021年の、11曲目〈Brown-Eyed Women〉が2017年の各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。


05. 1983 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV

 土曜日。14ドル。開演7時。オープナーの〈Jack Straw〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


06. 1987 Civic Center, Hartford, CT

 木曜日。15.50ドル。開演7時半。第二部4曲目〈He’s Gone〉が2010年の、第一部クローザー前の〈Bird Song〉が2017年の各々《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave’s Picks, Vol. 36》で全体がリリースされた。


07. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 木曜日。15.50ドル。開演7時半。


08. 1990 Knickerbocker Arena, Albany, NY

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部オープナーからの3曲とクローザーの2曲、それにアンコールが《Dozin' At The Knick》でリリースされた後、全体が《Spring 1990》でリリースされた。

 春のツアー10本目。これで4箇所を3日ないし2日の連続公演で回ってきているが、そろそろ疲れが出てくる。このショウの後半はその疲れの影響と思われるものが現れる。とりわけバンドの1番弱い部分、ガルシアに影響が大きい。この時、ガルシアは47歳だが、外見は年上のレシュよりよほど老けて見える。ほとんど60代といってもいいくらいだ。ガルシアは生命を使いはたして死んだのだというバラカンさんの指摘は正鵠を射ていると思う。毎晩ステージの上で「絶えず流れ落ちてくる流砂を片脚だけで一輪車をこいで登ろうとする」ことを続けるのは、身も心も削ることではあろう。

 それでもそうした影響が最小限で、ショウとしては前2日ほどのピークではないが、デッドの水準としても高いところに留まるのがこの春のツアーである。とりわけ第一部は、ここだけとれば前2日を凌ぐとも言える出来だ。

 久しぶりにホットでアグレッシヴな〈Hell In A Bucket〉でスタートするが、ラフにはならず、タイトに締まる。そのまま突走らず、〈Dupree's Diamond Blues〉でタメるところが見事。ゆったりしたテンポでガルシアは歌詞をはっきり発音する。宝石店強盗で裁かれる話をユーモラスに演奏するのがデッドの身上。ガルシアの後でミドランドがピアノ・ソロをとり、ワン・コーラスやったところで終るつもりが、もっとやれと促されたか、さらにワン・コーラス。こういうソロはもっと聞きたい。次のミドランドの〈Just A Little Light〉も18日よりもかっちりとして出来がいい。このツアーの16日に復活して2度目の演奏である〈Black-Throated Wind〉では、ウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターがすばらしい。この歌は1990年のこの一時期だけ、歌詞がかなり変わっている。次の〈Big Railroad Blues〉は1年半ぶりの登場で、次はまた1年半後なのだが、楽しいロックンロール。ガルシア、ミドランドのハモンド、またガルシアと、活き活きしたソロが続く。〈Picasso Moon〉ではこれまた久しぶりにレシュが低域のハーモニーをつける。この後も数曲で参加する。ここでも後半のガルシアのソロが面白い。ガルシアのギターは次の〈Row Jimmy〉でも好調で、MIDI で音を二重にし、裏の音は幕を張るようだ。後半レゲエのビートになってはずみ、一層ユーモラスになる。第一部は〈Blow Away〉で盛り上がって締める。

 この日は珍しい曲をやろうとしているのか、第二部オープナーは〈Built To Last〉。計18回演奏でこれが最後。これも好調の時にやってみてうまくゆくか試したのかもしれない。ほぼ生音の Drums、やはり面白い Space まで高水準の演奏が続く。乱れが現れるのは、〈Dear Mr. Fantasy〉から次の曲へ移るところで、一瞬だがためらうような感じになる。結局スティーヴィー・ウィンウッドを続けて〈Gimme Some Lovin'〉になって、流れは維持される。問題といえるのはクローザーの〈Morning Dew〉。ここではガルシアはギターが離陸せず、代わりに歌で聞かせる。ガルシアの疲れをカヴァーするように、ドラムスが積極的になって、劇的な盛り上げをする。いささかラフだが、クライマックスとしてはちょうどよい。

 ガルシアはくたびれてはいるものの、このツアーを通じて歌唱はすばらしく、アンコールの〈Brokedown Palace〉も申し分ない。この曲はそもそも、インプロを展開するものでもない。


09. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。(ゆ)


0223日・木

 Martin Hayes, Shared Notes 読了。面白い。いろいろな意味で面白いのは、かれの録音に通じる。学校の作文以外、文章を綴ったことがない、という割りには、平易な言葉で深遠なことをさらりと言ってのける。音楽の核心をわかりやすい表現で伝える。まずは、よほど頭がいいのだ。

 幼少年期の東クレアの農村地帯で偉大なフィドラーの父のもと、伝統音楽にどっぷり浸って育ち、その最良の部分を魂に刻みこまれて、音楽以外のことをやりたいとも思えなくなりながら、当時はそれで食べられるわけもなく、結局アメリカへ逃げださざるをえなくなる。その点ではかれの世代のアイルランドの若者の辿る一つの典型でもあるのだろう。ただ、そこからがこの人の真骨頂。もともと、少年期に伝統音楽に浸り、コンペティションにも出るのだが、音楽への態度が同世代の人たちとはまるで違っている。音楽が刻みこまれた魂の奥底に耳を傾け、そこから流れでてくるものに忠実に演奏しようとする。およそ少年の態度ではない。こと音楽に関しては、この人はまったく年齡不相応なのだ。そのことは成長してからも変わらない。

 いろいろ失敗もするし、辛い目にも遭うが、つまるところ自分が受けついだ音楽にたちもどり、そこに正直に生きることで道が開けてくる。その際、この人は結果がどうなるかということをまったく考えない。自分の中の音楽に忠実にふるまえば、結果はおのずとついてくることを信じる。自分の音楽そのものと、それに忠実であるプロセスを信頼する。そして今のかれの位置、アイリッシュ・ミュージックの伝統の化身であると同時に、その最も先鋭なところを切り開く開拓者であるその位置は、一重にその信頼がもたらしたものだ。

 もちろん、これは自伝であるから、マーティン・ヘイズとしてはそう考えたい、ということではある。とはいえ、そう言われて納得してしまうだけの説得力もまたある。かれの音楽という動かしがたい要素が厳然として存在するからだ。

 ここには、かれが取組んできた様々なユニット、プロジェクトについて、その胚胎から結実までの内幕も率直に書かれている。これを読みながら聴きなおせば、一段と興趣は深まる。

 生まれてからパンデミック直前までの己の歩みをたどるなかに、音楽についての様々なコメントが鏤められている。読みながら、いやもう、いちいち、膝を叩いて、そうだ、そうだよ、まさにあんたの言うとおりと、そればかり言っていた。マーティン・ヘイズとグレイトフル・デッドは同じことをしていると、あらためて納得できる。ここにはデッドは出てこないが、聴けば同じことをやっていると共感するはずだ。

 それにはまた、かれが実に幅広く、様々な音楽を聴いていることもある。あたりまえではあるのだが、ミュージシャンは自分がやっている音楽、ジャンルの外を聴こうとしないことも少なくない。ひとつにはアイリッシュ・ミュージックという確固たる基盤がゆるぎなくでんとあって、いつでもそこに戻って立つことができることは大きいだろう。伝統音楽はみなそうだが、だからこそ、何が来てもコラボレーションできる。

 ここにはまた、1度や2度読んだだけでは呑みこみきれないたくさんのことが書かれている。まずは、彼の録音を一つひとつ聴きなおしながら、ゆっくりと読みなおそう。次には彼が聴いている音楽をともに聴きながら読みなおすこともできる。さらには、かれの足跡の背景を勉強して読みなおすことになるだろう。この本を入口としてアイリッシュ・ミュージックの世界にもう1度入りなおそう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0223日には1966年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。


1. 1966 Unknown Venue, Unknown, Unknown

 演奏・録音箇所不明で日付がどうしてわかるのか、正直わからないが、ともあれこの日、どこかで演奏したテープが残っていて、6曲収められている。そのうち冒頭の〈Standing on the Corner> Mindbender (Confusion's Prince)〉7分弱が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。音質は後の録音に比べると良くないが、聴けないわけではない。ヴォーカルは左に寄り、ドラムスは右に寄る。

 どちらもオリジナルで1966年にのみ演奏された。どちらもガルシアがリード・ヴォーカル。

 〈Standing on the Corner〉は当時のバンド全員によるオリジナル。この録音も入れて、記録があるのは4回。これが一番古く、最新は19660729日のヴァンクーヴァーで、これを含むショウはファースト・アルバムの50周年記念盤でリリースされた。

 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作。196511月の The Emergency Crew 名義のデモ録音の1曲でそちらは《The Birth Of The Dead》で聴ける。この日の録音はライヴでの今のところ唯一のもののようだ。

 未完成ないしどうということはない曲だが、すでにバンドとしての性格は出ている。必ずしもピグペンが常にフロントに立っていたわけでもないこともわかる。


2. 1968 The Kings Beach Bowl, Kings Beach, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。1時間強の演奏全体が《Dick's Picks, Vol. 22》でリリースされた。《Dick's Picks, Vol. 22》ではこのショウと翌日のショウの全体が2枚の CD に収められている。

 1時間強の一本勝負。冒頭〈Viola Lee Blues〉から〈Turn On Your Lovelight〉までノンストップ。これに〈Born Cross-Eyed> Spanish Jam〉がアンコールの形。エネルギーの塊となって驀進する。ピグペンの存在感の大きさに納得する。演奏技術とか、音楽性の豊かさとか、美しいメロディとか、そういういわば既存の尺度からははずれたパフォーマンス。この当時のロックの範疇だが、これを生で体験するのは、音楽を聴くよりもトリップに近い。やっている方も、音楽演奏でトリップ体験を生みだそうとしているようだ。それも、自分たちがまずそういう状態になり、それを共有するという態度。自分たちはクールに醒めて、聴衆に体験してもらうのではない。おそらくジャズのミュージシャンが演奏する態度に近い。

 スパニッシュ・ジャムの淵源は何だろう。マイルスの《Sketches Of Spain》をガルシアやレシュは当然聴いているはずだ。が、それだけでもないような気もする。


3. 1970 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX

 1時間強のショウ。05曲目の〈Monkey And The Engineer〉から10曲目の〈Uncle John's Band〉までアコースティック・セット。そのうち06曲目の〈Little Sadie〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈Little Sadie〉は19世紀にまで遡ると言われる古い伝統歌で、様々なタイトルのついた様々なヴァージョンがある。ガルシアがここで歌っているのは1930年に Clarence Ashley が録音したヴァージョンに近い。このタイトルのもとでは、アシュリーのヴァージョンがスタンダードだそうだ。デッドはこの曲を19691219日フィルモア・オーディトリアムで初演し、1970年と1980年に、合わせて7回演奏している。スタジオ盤収録は無し。

 ガルシアはおそらくデッド以前のフォーキー時代にも歌っていたと思われ、自分のソロ・プロジェクトのショウでも40回ほど演奏している。いずれもほとんどがアコースティック。ガルシアの録音としてはデヴィッド・グリスマン、トニー・ライスとの《The Pizza Tapes》にある。

 この日、ウィンターランドではグレイトフル・デッドのためのベネフィット・コンサートが行われている。出演はジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、サンタナ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス。


4. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続の5本目。これも良いショウのようだ。


5. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA

 4.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部2・3曲目〈Weather Report Suite> Stella Blue2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。これも今年5月の《Dave's Picks, Vol. 42》でリリースされることが予告されている。

 どちらも見事だが、とりわけ〈Stella Blue〉コーダに向かうガルシアのソロには背筋に感動の戦慄が走る。

 〈Weather Report Suite〉は三部からなり、〈Prelude〉はウィア作曲のインストルメンタル、〈Part 1〉はウィアとエリック・アンダースンの共作、〈Let It Grow (Part 2)〉はバーロゥ&ウィアの作。19730908日、ニューヨーク州ユニオンデイルで初演。組曲としての最後は19741018日のウィンターランド。大休止の後は〈Let It Grow〉のみが演奏され、最後は19950702日。組曲としては47回演奏。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。〈Let It Grow〉は275回演奏。演奏回数47位。

 〈Prelude〉は中世音楽風で、ジョン・レンボーンあたりが弾いてもおかしくない。

 〈Stella Blue〉はハンター&ガルシア。19720617日、ハリウッドで初演。19950706日まで計328回演奏は32位。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。ガルシアのスロー・バラードの中でも最高の名曲と思う。名演も多い。


6. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。Drums にババ・オラトゥンジが参加。

 デビュー曲が二つ。第一部5曲目の〈Way To Go Home〉と第一部クローザーの〈Corrina〉。

 〈Way To Go Home〉はハンター作詞、ウェルニク&ブララヴ作曲。19950628日まで、計92回演奏。スタジオ盤無し。

 〈Corrina〉はハンター作詞、ハート&ウィア作曲。19950709日のラスト・ショウまで、計77回演奏。スタジオ盤無し。《Ready Or Not》のタイトルはこの曲の詞からとられた。

 《Ready Or Not》は1992年以降にデビューしてスタジオ盤が存在しないオリジナル曲をライヴ音源で集めたもの。選ばれた音源がそれぞれの歌のベスト・ヴァージョンとは限らないが、すべて公式では他にリリースされていないショウからとられている。収録曲とショウは以下の通り。

Liberty – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY

Eternity – 1995-04-02, The Pyramid, Memphis, TN

Lazy River Road – 1993-03-25, Dean Smith Center, Chapel Hill, NC

Samba in the Rain – 1995-03-30, The Omni, Atlanta, GA

So Many Roads – 1992-06-23, Star Lake Amphitheatre, Burgettstown, PA

Way to Go Home – 1992-06-28, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN

Corrina  – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY

Easy Answers – 1993-09-13, The Spectrum, Philadelphia, PA

Days Between – 1994-12-11, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA


7. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。

 第二部オープナー〈Iko Iko〉で、シキル・アデプチュとデルガード・コールマンがマルディグラ・パレードをした。第二部半ばの Drums からアンコールまでオーネット・コールマンが参加。Drums Space にはコールマンに加えて Graham Wiggins がディジリドゥーで参加。

 ロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉が第一部5曲目でデビュー。19950702日まで、計35回演奏。スタジオ盤収録無し。

 これは AUD を聴いた。コールマンのアルバム《Virgin Beauty》でのガルシアの客演はかなりうまくいっているが、こちらは上々の出来、とまでは言えない。コールマンの個性が強すぎて、デッドの音楽に溶けあわず、バンドはいささか持てあましている。ジャズのサックス奏者としては、ブランフォード・マルサリス、デヴィッド・マレィとコールマンが共演していて、マルサリスはまるで昔からのメンバーのように溶けこんでいる。マレィも AUD で聴くかぎり、まずまずうまくいっている。デッドの音楽は表面は柔軟そうに見えるが、中心にはごく硬い芯があり、容易な混淆や交配を許さない。コールマンの音楽も性格は同じで、いわば磁石の同極のようなものだろう。(ゆ)


0214日・月

 スタッフのKさんから ICF中止の連絡。蔓延防止が0306日までになったから、ひょっとするとできるかも、とあえかな期待をしていたが、実行委員会の掲げる中止の理由を見ると納得する。何より、ダンスなどは密にならざるをえないし、フルート、ホィッスルなどはマスクはできない。3回目のブースター接種は遅々として進まず、PCR検査すらままならない。となると、オミクロン株でクラスターが発生する可能性を小さく見積ることはできない。さらに参加者は全国から来るわけで、長距離移動をすることになる。

 オンラインでミニ・イベントを計画しているとのことで、詳細後日。まあ、アイルランドの歴史などは実演は必須ではないから、むしろこのブログなどで複数回に分けて記事を書き、質問はコメント欄でやりとりすることもできるだろう。いつでも参照できるように残るから、その方がベターかもしれない。どうですかね。もちろん、そちらにはデッドの記事は載せません。ジェリィ・ガルシアは母方がアイルランド系だけどね。



##本日のグレイトフル・デッド

 0214日には1968年から1988年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 バレンタイン・デー祝賀。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。デッドが演奏し、CJ&F が演奏し、またデッドが演奏した。このデッドの部分の全体が《Road Trips, Vol.2 No.2》でリリースされた。CJ&F とデッドの後のセットが FM放送された。また、このショウの録音が《Anthen Of The Sun》で使われた。

 ここから3月下旬まで、カリフォルニア州内各地で演奏する。

 原始デッドの音楽が完成するのは翌年になるが、粗削りなところも含めて、唯一無二の音楽は確立している。熱心なファン、後にデッドヘッドと呼ばれる人たちがすでについていて、聴衆による録音も始まっている、というのもさもありなんと思われる。

 この頃はまだレパートリィも少なく、演奏そのものもそれほど多様多彩なスタイルや手法や表現語彙をもっているわけではない。繰返しも多い。にもかかかわらず、聴いて退屈することがない。一瞬たりとも目を離せない。すべてを聴きとるべく、耳をそばだててしまう。

 ガルシアのギターはリードはとるが、いわばフツーのロック・ギターの範疇で、後の限りなく溢れでてくるような美しく面白く耳がよじれるようなフレーズ、メロディはまだ聴けない。むしろ、レシュのベースの方がこの時点では器が上だ。アンサンブルを指揮しているのもレシュに聞える。〈Dark Star〉は6分の短かく、テンポの速い演奏で、それよりは〈The Eleven〉や〈That's It for the Other One〉、あるいは〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉などの曲でのジャムが面白い。ベースが主導している点でも、これも後にわっと出てくるジャズ・ロックよりもジャズ的でもある。しかし、ジャズではどんなにホットになった時でも、ここまでのアナーキーでエネルギーが迸る演奏にはならない。エレクトリック・マイルスが目指して届かなかったのは、この領域ではなかったかとすら思う。技術的には、たとえば《セラー・ドア》のバンドの方が遥かに上だが、ジャズではたとえフリーであっても、ここまで羽目を外すことは不可能なのだ。能力の問題ではなく、音楽への態度の問題ではないか。ジャズではどんなにフリーになろうと、ジャズをやる以上守ってしまう暗黙のルールではない、ルール以前の、前提の一種だろうか、意識せずに従うものがある。

 デッドは羽目を外しつつ、なおかつ、ある統一感、一体感が通っている状態になる。ソロの回しではなく、バンド全員が同時に参加しての即興であり、なおかつフリーではない。つまりデッドはジャズを演ろうとはしていない。ロックを演ろうともしていない。この時点でのロックは、「何でもあり」の段階だ。何がロックか、少なくとも演る方はあまり気にしていない。売れることはまだ二の次で、その前に、何か面白いこと、新しいこと、意識を変革することを演ろうとする。あるいはこの最後のもの、意識の変革が鍵だろうか。ジャズは基本的に自分たちを、社会を変えようとはしない。結果的に変えることはあっても、それが目的ではなく、現状の枠の中での自己実現をめざす。1960年代、ロックは社会を変えようとした。作家はなべてベストセラーをめざすのと同じ意味で、ロック・ミュージシャンはなべてヒットをめざした。その中でデッドはヒットによって社会全体を一夜にして一挙に変えるという手法はとらなかった。自分たちが演りたい音楽ができる環境を、ニッチを生みだそうとした。ロックはそのための手段だ。

 マイルスの音楽はあくまでも個人の音楽だ。デッドは音楽によってコミュニティを生みだし、デッドの音楽はそのコミュニティの、コミュニティによる、コミュニティのための音楽になる。だから、1980年代、デッドのショウは保守化したアメリカの中のバブルになる。その泡の中には60年代の精神が保たれた。そして〈Touch of Grey〉のヒットによってその泡が破裂すると、コミュニティの精神がアメリカ全土に散らばったのだ。その側面、副産物の一つとして、IT産業によるアメリカ経済の再生がある。

 だが、一方でデッドを守ってもいた泡が消えたことで、デッドは社会と直接対峙せざるをえなくなる。デッドの音楽はニッチのコミュニティだけではなく、社会全体が求めるものになる。その要求の大きさに、今度はデッド自身が潰された。

 このショウにもどれば、上に挙げた〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉はどれも明瞭なメロディをもたず、いくつかの決まりごとに従い、後は即興でやるようなスタイルで、ここにも現れる〈Spanish Jam〉のもう少しフォーマットが固まっているものだ。あるいはこれらはアシッド・テストでのアナーキーな即興の直系の子孫かもしれない。原始デッドの象徴的な曲だ。どれも1970年以降、演奏されなくなる。

 レシュと並んでピグペンの存在が大きい。元気でもあって、コトバがどんどん出てくる。声に力もある。こういう歌を聴いていると、アーカイブ録音の中から選んで、ベスト・オヴ・ピグペンを編んでみたくなる。もちろん、かれもまたデッドの中でこそ力を発揮できたので、デッド抜きには存在すら考えられないが、それでも、火が点いた時のピグペンは単身宇宙を支配する。惜しむらくは、その絶頂期が早すぎて、まっとうな録音があまり残っていないことだ。

 とまれ、これらの録音は原始デッドの最高の姿の一つを捕えたものとして、まことに貴重だ。


2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA

 このヴェニュー2日連続の初日。セット・リストはテープに基き、おそらくは不完全。この年の典型的なもの。


3. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー3本連続の最終日。早番ショウは1時間強。2曲目の〈Dark Star〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、ドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。遅番ショウの3・5・6曲目〈Hard to Handle〉〈Dark Hollow〉〈I've Been All Around This World〉が《History Of The Grateful Dead, Vol. 1》で、オープナーの〈Casey Jones〉と、11曲目〈Dancing In The Street〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが《Dick's Picks, Vol. 4》でリリースされた。遅番ショウは前半がアコースティック・セットで、〈Dancing In The Street〉からエレクトリック・セット。合計2時間10分強。

 公式リリースを聴くかぎり、こちらの方が前日より上と思う。アコースティックでの3曲もピグペン、ウィア、ガルシア各々のリード・ヴォーカルが各自持ち味を発揮する。エレクトリック・セットに入ると、ガルシアのギターがすばらしく、どの曲でも多様なフレーズを連発、というよりも無限と思われるほど絶え間なく流れだす。60年代とは様変わりしている。とりわけ、後半〈Not Fade Away〉や〈Caution〉での長いソロは、くー、たまらん。しかもそのガルシアのソロだけが突出するわけではないところがデッドの面白さで、ここはたとえばザッパのソロとは位相が対極にある。ガルシアのギターにからみつき、あるいは対峙して、他のメンバーもそれぞれに独自の演奏をする。ガルシアがまたそれに応じる。それが重なりあって、バンド全体が一体となって駆ける。〈Caution〉ではオルガンも参加し、これはピグペンのはずだ。このエレクトリック・セットは終始切迫感に満ち、ジャムはまるで崖っ縁を渡ってゆく感覚が続く。内側から溢れるエネルギーが否応なく崖っ縁を渡らせる。危ういスリルと落ちるはずのない安定感が同居している。〈Caution〉の後の〈Feedback〉がまたすばらしい。電気楽器本体のマイクをPAのスピーカーに向けて、故意にハウリングを起こさせるわけだが、ここではコントロールが効いていて、それまでの嵐のような演奏とは打って変わった静謐な世界。宇宙空間を渡りながら瞑想している気分。後の Space にも通じる美しい音響空間が現出する。こういうことをやる「ロック・バンド」は他に無い。そしてデッドはこの位相を不可欠の要素としてショウに組み込んでゆく。まるで、これが無いと本当には愉しくないんだよ、と言わんばかりだ。止めはまたもや途切れ目なく続けるアカペラ・コーラスの〈And We Bid You Goodnight〉。

 1970年はロックにとっては「驚異の年」だが、その中にあっても、この音楽はすでにジャンルを突き抜けている。


4. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 この会場5本連続の最終日。ゆったりとした、なかなか良いショウのようだ。

 この後はひと月休んで、0319日から春のツアーに出る。


5. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 開演8時。バレンタイン・デー・ショウ。マルディグラ記念でもあり、ドクター・ジョンが前座。第二部冒頭にブラジルの打楽器集団 Batukaje がマルディグラ・パレードをした。また Drums にハムザ・エル・ディンが参加。

 1980年代後半から90年代にかけて、デッドのショウでは、この日のドクター・ジョンのように、本来スターとしてメイン・イベントに立つべきミュージシャンたちが、嬉々として前座を勤める姿がしばしば見られる。(ゆ)


 30日午後に母が亡くなった、とイライザ・カーシィがツイートしていました。イライザの母ならばノーマ・ウォータースン。イングランドのフォーク・ミュージックの無冠の女王とも言われる傑出したうたい手であります。

 ノーマはまず弟妹の Mike Elaine (Lal)、それにいとこの John Harrison との The Watersons の一員として姿を現します。4人は出身地、北イングランドの伝統歌をアカペラ・コーラスで歌い、1960年代、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァル新世代の登場を告げ、後続の若者たちに衝撃を与えたのでした。60年代後半、ヨークシャーのある街で、自分たちのギグを終えたザ・フーがウォータースンズが歌っているところを探して聴きにきた、という話も伝えられています。

 ぼくがウォータースンズを初めて聴いたのは1977年の《Sound, Sound Your Instruments Of Joy》でした。ちょうど、ブリテンの伝統音楽に入れこみだしたばかりの頃で、その精妙かつ野趣あふれるハーモニーに夢中になったのでした。これはイングランドの教会で日常的に歌われてきた聖歌を集めた1枚ですが、説教臭さも抹香臭さもかけらもなく、まじりけのない歓びに溢れた、美しい歌が詰まっているアルバムです。聖歌集だということさえ、当初はわからず、伝統的なクリスマス・ソング集だとばかり思いこんでいました。実際、そう聴いてもかまわないものでもありましょう。


 

 続いてノーマが妹のラルとの二人の名義で出した《A True Hearted Girl》はまたがらりと趣が変わって、軽やかな風に吹かれるような歌を集めていて、こちらも当時、よく聴いたものです。

 とはいえ、一人の独立したうたい手としてノーマを見直したのはずっと下って1996年、ハンニバルから出た《Norma Waterson》でした。名伯楽 John Chelew のプロデュースのもと、リチャード・トンプソン、ダニィ・トンプソン、Benmont Tench に、なんとロジャー・スワロゥという、これ以上は考えられない鉄壁の布陣をバックに、悠々と、のびのびと、歌いたいうたを天空に解きはなつその声に、完全にノックアウトされたのでした。就中、冒頭の1曲〈Black Muddy River〉の名曲名唱名演名録音にはまったく我を忘れて聴きほれたものです。曲がロバート・ハンター&ジェリィ・ガルシアの作になることはクレジットを見ればわかりましたが、それがグレイトフル・デッドのレパートリィの中でどういう位置にあるのか、多少とも承知するのは何年も後のことです。ノーマ自身、それが誰の歌であるか、知らないままに歌いだした、とライナーにありました。ある日誰からともなく送られてきていたカセット・テープに入っていて、ただいい曲だとレパートリィに加えたのだそうです。

Norma Waterson
Waterson, Norma
Hannibal
1996-06-11

 

 この人は年をとるにしたがって、存在感が大きくなっていきました。セカンド、サードとソロを出し、一方で 夫マーティン・カーシィと娘イライザとのユニット Waterson: Carthy の一員として、あるいは再生ウォータースンズのメンバーとして、その評価は上がる一方で、ついにはマーティンの叙勲とともに、一家はイングランド・フォーク・シーンのロイヤル・ファミリーとまで呼ばれるようになりました。それには、English Folk Dance and Song Society 会長にもなったイライザの活躍もさることながら、いわば女族長としてのノーマのごく自然な威厳ある佇まいも寄与していたようにも思えます。

 生前最後の録音はイライザとの2010年のアルバム《Gift》から生まれた Gift Band との2018年の《Anchor》になりました。

Anchor
Waterson, Norma / Carthy, Eliza & Gift Band
Topic
2018-06-01

 

 先日、イライザはパンデミックによって一家が困窮しているとして、ファンに財政支援を訴えていました。そこではノーマが肺炎で入院しているともありました。ここ数年、いくつかの病気を患い、2010年には一時昏睡に陥ってもいたそうです。

 弟マイクは2011年に、妹ラルは1998年に亡くなっています。

 自分でも思いの外、衝撃が大きくて、すぐにはノーマの歌を聴きかえす気にもなれません。今はまず冥福を祈るばかりです。合掌。



0131日・月

##本日のグレイトフル・デッド

 0131日には1969年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL

 5ドル。開場7時半。閉場午前3時。このヴェニュー2日連続の初日。シカゴ初見参。1981年まではほぼ毎年のようにシカゴでショウをしている。Grassroots 共演。セット・リスト無し。

 ポスターでは Grassroots と一語で、これが The Grass Roots と同一であるかはわからない。後者は1966年にデビューしたブルー・アイド・ソウルのグループとウィキペディアにある。こちらは1967年に〈Let's Live for Today〉というベスト10ヒットをもっている。

 ポスターには1月下旬から3月上旬までの出演者が日付とともに掲げられている。デッドとグラスルーツの前は Buddy Rich OrchestraBuddy Miles ExpressRotary Connection。後はヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル。以下、ティム・ハーディン、スピリット、The Move。ジェフ・ベック、サヴォイ・ブラウン、マザー・アース。ポール・バターフィールド、B・B・キング。ポール・バターフィールド、ボブ・シーガー・システム。ジョン・メイオール、リッチー・ヘヴンス。チケット代金、開場、閉場時刻はすべて同じ。


2. 1970 The Warehouse, New Orleans, LA

 このヴェニュー3日連続の2日目。フリートウッド・マック、ザ・フロック前座。

 8曲演奏されたところで、レシュのアンプがトラブルにみまわれ、5曲25分ほど、アコースティックで演奏され、またエレクトリックにもどってさらに5曲、40分ほど演奏される。


3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL

 9.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。最高のショウの一つだった由。この後のショウの録音を聴けば、容易に想像がつく。(ゆ)


0128日・金

 Mandy Morton のボックス・セットなんてものが出てきて、思わず注文してしまう。こういうの、ついつい買ってしまうなあ。Magic Ladyは結構よく聴いた覚えがある。スプリガンズよりも好みだった。スカンディナヴィアで成功して、アルバムを出していたとは知らなんだ。この人とか、Mae McKenna とか、Carole Pegg とか、一流とは言えないが、B級というわけでもない、中途半端といえばそうなんだが、でも各々にユニークなものをもっていて、忘れがたいレコードを残してくれている。

After The Storm: Complete Recordings
Morton, Mandy / Spriguns
Grapefruit
2022-02-11

 

 それで先日バートの諸作と一緒に Loren Auerbach のアルバムのデジタル版も買ってあったのを思い出して聴いてみる。

 後にバートと結婚して、おまけにほとんど相前後して亡くなって、今は同じ墓に葬られているそうだけど、この人の出現は「衝撃」だった。ミニ・アルバムとフル・アルバムがほとんどたて続けに出たのが1985年。というのは、あたしはワールド・ミュージックで盛り上がっていた時期で、アイリッシュ・ミュージックは全体としてはまだ沈滞していて、パキスタンやモロッコ、ペルシャ、中央アジアあたりに夢中になっていた。3 Mustaphas 3 のデビューも同じ頃で、これを『包』で取り上げたのは、日本語ではあたしが最初だったはずだ。"Folk Roots" のイアン・アンダースン編集長自ら直接大真面目にインタヴューした記事を載せていて、まんまとだまされたけど、今思えば、アンダースン自身、戦略的にやったことで、ムスタファズの意図はかなりの部分まで成功したと言っていいだろう。

 そこへまったく薮から棒に現れたオゥバックには「萌え」ましたね。表面的には Richard Newman というギタリストが全面的にサポートしているけれど、その時からバートがバックについてることはわかっていたという記憶がある。

 この人も一流と呼ぶのにはためらうけれど、このハスキー・ヴォイスだけで、あたしなどはもう降参しちゃう。バートと結婚して、バートのアルバムにも入っていたと思うが、結局自分ではその後、ついに録音はしなかったのは、やはり惜しい。あるいはむしろこの2枚をくり返し聴いてくれ、ここにはすべてがある、ということだろうか。実際、リアルタイムで買った直後、しばらくの間、この2枚ばかり聴いていた。今聴いても、魅力はまったく薄れていないのは嬉しい。

 その頃のバートはと言えば、1982年の《Heartbreak》、1985年の《From The Outside》、どちらも傑作だったが、あたしとしてはその後1990年にたて続けに出た《Sketches》と《The Ornament Tree》を、まさにバート・ヤンシュここにあり、という宣言として聴いていた。とりわけ後者で、今回、久しぶりにあらためて聴きなおして、最高傑作と呼びたくなった。一種、突きはなしたような、歌をぽんとほうり出すようなバートの歌唱は、聴きなれてくると、ごくわずかな変化を加えているのが聞えてきて、歌の表情ががらりと変わる。ギターもなんということはない地味なフレーズを繰返しているようなのに、ほんの少し変化させると急にカラフルになる。聞き慣れた〈The Rocky Road To Dublin〉が、いきなりジャズになったりする。デイヴ・ゴールダー畢生の名曲〈The January Man〉は、バートとしても何度めかの録音だと思うが、さあ名曲だぞ、聴け、というのではさらさらなくて、まるでそこいらにころがっている、誰も見向きもしないような歌を拾いあげるような歌い方だ。選曲はほとんどが伝統歌なので、これも伝統歌として歌っているのだろう。聴いている間はうっかり聞き流してしまいそうになるほどだが、後でじわじわと効いてくる。録音もいい。
 

 あたしはミュージシャンにしても作家にしても、あまりアイドルとして崇めたてまつらないのだが、バートについてはなぜか「断簡零墨」まで聴きたくなる。ジョン・レンボーンもアルバムが出れば買うけれど、我を忘れて夢中になることはない。ことギターについてはレンボーンの方が上だとあたしは思うが、「アコースティック・ギターのジミ・ヘンドリックス」などと言わせるものをバート・ヤンシュが持っている、というのはわかる気がする。

 ボックス・セットも来たことだし、あらためてバート・ヤンシュを聴くかな。デッドとバランスをとるにはちょうどいい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0128日には1966年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 2日連続このヴェニューでの初日。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。


2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の2日目。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。


3. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 16.50ドル。開演8時。この年最初のショウ。春節に合わせたこのヴェニュー3日間の初日。ビートルズ〈Get Back〉の唯一の演奏だが、ウィアのヴォーカルがひどく、これをカヴァーしようとしてか、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリィがその声にかけたエフェクトがさらに輪をかけてひどかった。その他にも、大きなミスや歌詞忘れが目立った。ガルシアは前年夏の糖尿病による昏睡から回復してステージにもどったのが前年12月半ばだから、調子がよくないのも無理はないと言える。

 ガルシアは復帰にもっと時間をかけるべきだったかもしれない。より十分な準備をすべきだった、とも言える。しかし、かれはガマンできなかったのだ。一応演奏ができ、歌がうたえるならば、ステージに立たずにはいられなかった。

 ガルシアはいろいろなものに中毒していた。ハード・ドラッグだけではなく、映画にも中毒していたし、サイエンス・フィクションにも中毒していたし、絵を描くことにも中毒していた。しかし、何よりも、どんな麻薬よりも中毒していたのは、人前で演奏することだった。グレイトフル・デッドとしてならばベストだが、それが何らかの理由でかなわない時には、自分のバンドでショウをし、ツアーをしていた。ガルシアの公式サイトではガルシアが生涯に行った記録に残る公演数を3,947本としている。うちデッドとしては2,313本だから、1,600本あまり、4割強は自分のプロジェクトによる。とにかく、ステージで演奏していないと不安でしかたがなかったのだ。

 スタートは吉兆ではなかったとしても、1987年という年はデッドにとっては新たなスタートの年になった。ガルシアの病気により、半年、ショウができなかったことは、バンドにとっては休止期と同様な回春作用をもたらした。ここから1990年春までは、右肩上がりにショウは良くなってゆく。1990年春のツアーは1972年、1977年と並ぶ三度目のピークであり、音楽の質は、あるいは空前にして絶後とも言える高さに到達する。

 1987年のショウは87本。1980年の89本に次ぎ、大休止からの復帰後では2位、1972年の86本よりも多い。このおかげもあってこの年の公演によって2,430万ドルを稼いで、年間第4位にランクされた。以後、最後の年1995年も含めて、ベスト5から落ちたことは無い。

 87本のうち、全体の公式リリースは4本。ほぼ全体の公式リリースは3本。

1987-03-26, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-03-27, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ, Giants Stadium

1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-09-18, Madison Square Garden, New York, NY, 30 Trips Around The Sun

1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA, Live To Air (except 5 tracks)

 07-1214はディランとのツアーでどちらも第一部・第二部のデッドだけの部分は完全収録。第三部のディランの入ったステージは一部が《Dylan & The Dead》でリリースされている。

 ガルシアが死の淵から生還し、デッドが復帰したことの影響は小さくない。ニコラス・メリウェザーは《30 Trips Around The Sun》の中で、ポール・マッカトニーのツアーへの復帰の直接の動機が、ガルシアの恢復と復帰だったことを記している。

 ツアーの面ではこの年、デッドはディランとスタジアム・ツアーをする。おかげでこの年のレパートリィ数は150曲に逹した。このツアーからは《Dylan & The Dead》がリリースされた。当時のレヴューでは軒並み酷評されて、「出すべきではなかった」とまで言われたが、今、聴いてみれば、見事な出来栄えで、どうしてそんなにボロクソに言われたのか、理解できない。同じものを聴いていたのか、とすら思える。われわれが音楽を聴くのは、つまるところコンテクストによるのだ、ということだろう。コンテクストが変われば、評価は正反対になる。

 また、このツアーのおかげで、以後、デッドのレパートリィにディラン・ナンバーが増え、1本のショウの中でディランの曲が複数、多い時には3曲演奏されるようにもなる。

 年初にこの春節ショウの後、2月一杯を休んで新譜の録音をする。Marin Vetrans Auditorium をスタジオとして、ライヴ形式で録音されたアルバムは0706日《In The Dark》としてリリースされ、9月までに100万枚以上を売り上げてゴールドとプラチナ・ディスクを同じ月に獲得する。さらに旧譜の《Shakedown Street》と《Terrapin Station》もゴールドになった。《In The Dark》からシングル・カットされた〈Touch of Grey〉はデッドの録音として唯一のトップ10ヒットともなる。デビューから22年を経て、デッドはついにメインストリームのビッグ・アクトとして認知されたのだ。それもデッドの側からは一切の妥協無しに。このことは別の問題も生むのだが、デッドは人気の高まりに応えるように音楽の質を上げてゆく。

 音楽面で1987年は新たな展開がある。MIDI の導入である。ミッキー・ハートが友人 Bob Bralove の支援を得て導入した MIDI は、またたく間に他のメンバーも採用するところとなり、デッドのサウンドを飛躍的に多彩にした。Drums Rhythm Devils に発展しただけでなく、ガルシアやウィアはギターからフルートやバスーンなどの管楽器の音を出しはじめる。ブララヴはデッドの前にスティーヴィー・ワンダーのコンピュータ音楽のディレクターを勤め、後には《Infrared Rose》もまとめる。(ゆ)


0127日・木

 Tim O'Brien の昨年の新譜《He Walked On》着。アマゾンで予約したら、結局入荷せずで注文キャンセルになり、あらためて AMP で注文。ようやく入手。オブライエンは Sugar Hill Flying Fish などのマイナー・レーベルからデビューしたが、そこを卒業するとメジャーには行かずに、自前のレーベルでやりだした。だから、ずっとコンスタントに新譜を出している。しかも、どれもこれも質が高い。深く音楽伝統に棹さしていて、アメリカ人離れしているほどだ。だから、《Two Journeys》でアイルランドの名立たる連中と互角に渡りあえる。かれの音楽を好むのは、同世代というのもあるだろう。不満といえば、ライヴ盤を出してくれないことぐらい。

He Walked on
O'Brien, Tim
Howdy Skies
2021-07-09

 
Two Journeys
O'Brien, Tim
Sugarhill
2002-07-09

 それで思い出して、Hot Rize のサイトに行き、あるだけの CD DVD を注文。CD8枚。1枚品切れ。DVD1枚。送料が CD 4枚分以上。本体合計価格の半分弱。海外にいるアメリカ人やヨーロッパ人が、よくこれで文句を言わないものだ。一度、Smithonian Folkways CD Bandcamp で注文したら、送料が CD と同じくらいで、なんでこんなに高いんだと思ったら、FedEx で送ってきた。そりゃ、高くつくわなあ。1枚だけ品切れだった《Shades Of The Past》をアマゾンで注文。本体1,800円に送料380円。2割強。これでも高いと思うね。
 

 ストリーミングではとにかくクレジット情報やライナーがまったく無いから、やはりブツが必要なのだ。先日の《グレイトフル・デッドを聴きながら》も、バックのアコースティック・ギターがやたら良くて、いったい誰だ、と知りたくなり、CD を買った。ギタリストはディレクターでもある菊池琢己という人。名前を知ったからって、すぐにはご利益はないが、名前だけでもわかれば一応はおちつく。いずれまたどこかで遭遇するかもしれない。

 それに、ミュージシャンへの還元では、ブツも買った上でストリーミングで聴けば、両方から収入があるはずだし。

 こないだ、JVC だったか、ブックレットだけダウンロード販売するサービスを始めたが、Bandcamp あたりがやってくれないか。もっとも、あそこは、何を売るかはミュージシャンに任せているから、サイトとしてのサービスはやらないかもなあ。ミュージシャンによっては Bancpamp 内のページにクレジット情報を載せたり、デジタル版を買うと、ブックレットを PDF で付けてくれる人もいるが、全部じゃないしねえ。



##本日のグレイトフル・デッド

 0127日には1967年と68年の2本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の初日。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。ポスターには開始時刻や料金が入っていない。

 この日のものとされる7曲1時間強のテープが出回っているが、それが実際にこの日のものかどうかは定かではない。また、確定するためのデータも無い。1967年のいつかのものではある。

 この頃はテープが残っているだけでも奇蹟的だ。その点ではアウズレィ・スタンリィ通称ベアは先駆者で、サウンド・エンジニアでもあったから、自分が担当したコンサートはデッドに限らず録りまくっていた。その成果が "Bear's Sonic Journals" として、息子たちがやっている財団から次々にリリースされている。ロックだけではなく、アリ・アクバル・カーンなんて人のものもある。

 デッド最初期のサウンドボード録音はたいていがベアの手になり、音も良い。


2. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。午後9時から午前2時まで。(ゆ)


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