クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:健康

09月02日・金
 午後医者。前回採血した血液検査の結果。コレステロールの値が高いので、次回頸動脈のエコーをしましょう。腹部エコーもやった方がいい。設備の整ったところで人間ドックを受けるならそちら。中性脂肪の値が高いが、この時は昼食を食べた直後だから、これも次回、朝食抜きでやることになる。尿酸値を抑える薬をもらって出る。この薬を飲んでいれば、納豆とかタラコとかばくばく食っていい、ってこたあ、ねえだろうなあ。

 夜はムリウイでアイリッシュ・ミュージックのライヴ。極上のライヴ。これは別記。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月02日には1966年から1988年まで9本のショウをしている。いわゆるレイバーデイ週末で、増えている。公式リリースは2本、内完全版1本。

1. 1966 La Dolphine, Hillsborough, CA
 金曜日。娘たちの社交界デビュー・ダンス・パーティー。
 この頃はチャンスさえあればどこででも何にでも演奏していた。

2. 1967 Cabrillo College Stadium, Cabrillo College, Santa Cruz, CA
 土曜日。この日と翌日にまたがる "Magic Music" と題されたイベント。午後3時から12時。デッドはヘッドライナー。2日間のイベントだが、デッドは翌日リオ・ニドで演奏しているので、出たのは2日と推定されている。セット・リスト不明。
 SCA の資金調達ベネフィット、というのだが、SCA が何を指すか不明。
 共演者はキャンド・ヒート、Leaves, Andrew Staples, Sons of Champlain (ママ), New Delhi River Band, Second Coming, New Breed, Bfd. Blues Band, Gross Exaggeration, Yajahla Tingle Guild, People, Jaguars, Art Collection, Morning Glory, Ben Frank's Electric Band, New Frontier, Chocolate Watch Band, Other Side, E types, Mourning Reign, Imperial Mange Remedy, Omens, Ragged Staff, Talon Wedgeなど。

3. 1968 Betty Nelson's Organic Raspberry Farm, Sultan, WA
 月曜日。Sky River Rock Festival & Lighter Than Air Fair。デッドはポスター等にも掲載されず、フェスティヴァルの最後にサプライズで登場。1時間強8曲のテープがある。なお、ジェイムズ・コットン、ビッグ・ママ・ソーントン、ビリー・ロバーツとジャム・セッションもした。
 フェスティヴァルは08月31日からこの日まで。屋外の臨時の会場で複数日にわたって開催されたロック・フェスティヴァルの最初のものとされる。1970年まで計3回開催された。この年の主な出演者はサンタナ、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ジョン・ファヒィ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ヤングブラッズ、ステッペンウルフ、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、サンズ・オヴ・シャンプリン。サンフランシスコ・マイム・トゥループも出ている。
 見事なショウだそうだ。

4. 1978 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 土曜日。12.50ドル。開演11時。ポスターではウィリー・ネルソン、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。チケットにはウェイロン・ジェニングズの名前もあるが、実際には出ていない。ネルソンの最後の2、3曲にドナが参加。デッドにとって初めてのこのスタジアムでのショウ。この後はエジプトに飛ぶ。
 この年ベストのショウで、〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉はベスト・ヴァージョンの1本といわれる一方で、こんなにひどいショウは見たこともないとバンドを見限る人もいる。

5. 1979 Augusta Civic Center, Augusta, ME
 日曜日。9.50ドル。開演8時。
 見事なショウだそうだ。
 前日に会場に入ったら駐車場にデッドのTシャツを着た長髪の連中がたくさんいた。「あんたら、明日のショウに来たのか」「何のショウだい?」「デッドのショウだよ」「デッドがここでやるのか?」
 メイン州では時間の流れ方が違うという話。

6. 1980 Community War Memorial, Rochester, NY
 火曜日。8.50ドル。開演8時。
 クローザーの〈Space> Iko Iko> Morning Dew> Sugar Magnolia〉が《Dick's Picks, Vol. 21》でリリースされた。
 セット・リストとしては珍しい部類で、普段は第二部で演奏される曲、第一部が定位置の曲がそれぞれ入れ替わったりしている。オープナーが多い〈Alabama Getaway〉がアンコールだったりもする。こういう時は演奏も乗っている。
 第二部クローザーの4曲はいずれもすばらしい。DeadBase XI の Jeff Silberman によれば〈Morning Dew〉はまったく誰も予想していなかった。「この晩、この連中は音楽を演奏するのはやめて、魔法をやりだした」。

7. 1983 Boise Pavilion, Boise State University, Boise, ID
 金曜日。開演8時。アイダホ州で唯一のショウ。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 27》でリリースされた。
 DeadBase XI で Beth Rosenfeld がたいへん面白いレポートを書いている。地元の人たちはデッドのショウとそれに付随するものがどういうものか、まったく知らず、学生たちも駐車場の光景に眼を丸くしていた。警官が一人、様子を見にやってきたが、不在の間にそのパトカーにはバンバーステッカーがべたべたと貼りまくられた。もどって来た警官はしばし茫然と見ていたが、やがて周囲に集まっていたデッドヘッドたちを見渡して、にやりとしたので、一同歓声を上げた。警官はかぶりを振りならが走り去った。
 このショウはツアーのレグとレグのつなぎのショウで、トラベルヘッドも大半は避けていたが、内容はすばらしい。
 施設は全国的なイベントを呼ぶために造られたもので、音響はすばらしいと言われる。当日券はすべてバルコニーで、フロアは半分が椅子が並べられ、後ろ半分にはポプコーンとペプシを売るスタンドがあった。第二部オープナーの〈Hepl on the Way〉トリオの最中に撤収された。会場のスタッフが学生たちで、指定席チケットの確認に熱心だったが、デッドヘッドたちは隙を見て、大して高くもないバルコニーから次々にフロアに飛びおり、後半分で踊りまくった。

8. 1985 Zoo Amphitheatre, Oklahoma City, OK
 月曜日。開演7時。
 見事なショウの由。

9. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 金曜日。このヴェニュー4本連続のランの初日。開演7時半。
 この4本のランは全体が見事なもので、そのオープニングにふさわしいショウだそうだ。この9月、〈Dire Wolf〉を3回もやっている、その初め。(ゆ)

08月04日・木
 皮膚科に架電して、薬だけもらいに行く。帰ってきて、どうも調子が悪い。夕食食べても、眠くてしようがないので、早々に寢てしまう。熱は出ていないから、熱中症だろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月04日には1967年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。

1. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 金曜日。このヴェニュー6日連続のランの5日目。4.50ドル。開演8時半。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。
 セット・リストの一部が残っている。その中の2曲目〈New Potato Caboose〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

2. 1968 Orange County Fairgrounds, Costa Mesa, CA
 日曜日。第1回 Newport Pop Festival 2日目。4ドル。開演10時、終演6時。
 共演ジェファーソン・エアプレイン、ソニー&シェール、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、エレクトリック・フラッグ、キャンド・ヒート、アイアン・バタフライ、ステッペンウルフ。
 セット・リスト不明。
 実際に見た人の証言では、他のバンドよりも長く演奏した。聴衆からファースト・アルバムの曲がコールされるとガルシアは「おれたちゃ、もうあれはやらないよ」と答えた。

3. 1971 Terminal Island Correctional Facility, San Pedro, CA
 水曜日。ここから4日間連続で南カリフォルニアを回る。
 20曲の一本勝負。クローザー〈Not Fade Away > Goin' Down The Road Feeling Bad > Turn On Your Lovelight〉が《Road Trips, Vol. 1, No.3》ボーナス・ディスクでリリースされた。
 ここにアウズレィ・スタンリィが服役しており、かれのためのショウだそうだ。

4. 1974 Civic Convention Hall Auditorium, Philadelphia, PA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。6ドル。開演7時。
 第一部7曲目〈Peggy-O〉からアンコール〈Casey Jones〉まで、第一部から3曲、第二部から7曲、計11曲が《Dick's Picks, Vol. 31》で、オープナーの3曲〈Bertha; Mexicali Blues; Scarlet Begonias〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。全体の半分強2時間7分がリリースされたことになる。

5. 1976 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
 水曜日。7.50ドル。開演2時。夏のツアーの千秋楽。09月24日まで夏休み。
 夏のツアー打ち上げにふさわしい充実したショウのようだ。

6. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.50ドル。開演8時。07月01日以来のショウ。
 第一部クローザー前で〈Althea〉〈Lost Sailor〉がデビュー。
 前者はハンター&ガルシアの曲。1995年07月08日まで計271回演奏。演奏回数順で51位。〈Throwing Stones〉より6回多く、〈Little Red Rooster〉より1回少ない。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。
 一聴地味な曲で、アップテンポでもなく、スロー・バラードでもない。が、味わいの深い曲。
 またこの曲で "Tiger" ギターがデビュー。Doug Irwin へ特注したもので、1990年までメインの楽器となる。
 〈Lost Sailor〉はバーロゥ&ウィアの曲。1986年03月24日まで計145回演奏。08月31日以降〈Saint Of Circumstance〉が後に続けてペアとして演奏された。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。歌詞はコールリッジの「老水夫行 The Rime of the Ancient Mariner」を下敷きにしている。
 DeadBase XI の Gary Ross のレポートによれば、〈Shakedown Street〉から〈Playing In The Band〉に移るまでは普通だったが、その後、ジャムになって徐々に箍が外れ、完全に我を忘れて drums> space になだれこんだ。

7. 1982 Kiel Auditorium, St. Louis, MO
 水曜日。10.50ドル。開演7時。
 第二部の選曲が珍しい。こういう時は調子が良い。

8. 1989 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。07月19日以来のショウ。
 この時期、悪いショウは無い。

9. 1994 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。32.50ドル。開場5時、開演7時。トラフィック前座。夏のツアーの千秋楽。09月16日まで夏休み。
 トラフィックの最後の2曲〈Dear Mr. Fantasy; Give Me Some Lovin'〉にガルシア参加。
 第一部4〜6曲目〈Walkin' Blues; So Many Roads; Eternity〉でウィアがアコースティック・ギター。第2部オープナー〈Picasso Moon〉とアンコール〈Brokedown Palace〉でブルース・ホーンスビィがアコーディオンで参加。(ゆ)

06月28日・火
 皮膚科に行く。薬だけもらおうとしたら、診察も、と言われる。たまには状態を見ないといかんということらしい。汗をかくとそこが猛烈に痒くなるが、汗疹ではないらしい。飲んでいる尿酸値を下げる薬には、皮膚が痒くなる副作用もあるようだが、それはもっと派手に全身にどっと出るので、あたしのは違うとのこと。とまれ、塗り薬と痒み止めの飲み薬をもらう。飲み薬はひと月分。塗り薬もだいたいひと月でなくなる。
 つまり処方箋をもらって近くの薬局で薬に替える。医者の近くに薬局がくっつくようになったのはいつからだろうか。気がついたらそうなっている。あたしが若い頃は医者の薬は医者のところでもらっていた。間に誰か入れば、その分、値段は高くなるわいなあ。

%本日のグレイトフル・デッド
 06月28日には1967年から1995年まで14本のショウをしている。公式リリースは6本。

01. 1967 Oakland Auditorium, Oakland, CA
 水曜日。3.00、4.00、5.00ドル。
 Young Rascals がヘッドライナー。共演サンズ・オヴ・シャンプリン、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、グラス・ルーツ。ポスターでは Sparrow が載っていて、デッドの名前が無い。プログラムではスパロウの替わりにデッドが入っている。セット・リスト不明。
 ショウ自体がフェイクという説もあるが、Deadlists と DeadBase XI は掲げているので、あったとしておく。
 Sparrow は不明。この時期のものとしては The Sparrows というカナダのブルーズ・ロック・バンドがある。1964年、トロントの東50キロほどのオンタリオ湖北岸の街で結成された。後、ステッペンウルフになる、と Wikipedia にある。しかし、これだけがカナダ東部からオークランドに来るのも不自然だし、単数と複数は英語では厳密だから、混同することはあるまい。

02. 1969 Veterans Auditorium, Santa Rosa, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 読みにくいポスターもちゃんと読みといている人がいて、共演はヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ&ジョーイ・コヴィントンと The Cleanliness and Godliness Skiffle Band。カウコネンたちはホット・ツナの原形。この頃はまだホット・ツナを名乗っていない。この日はガルシアがペダルスティールでかれらのステージに参加した。
 CGSB はバークリーのローカル・バンドで、この辺りでは人気があった。1968年にアルバムが1枚ある。
 オープナーの2曲〈Slewfoot〉〈Silver Threads And Golden Needles〉でガルシアがペダルスティール。4曲目〈Me And My Uncle〉にマーマデュークがコーラス、ピーター・グラントがバンジョーで参加。
 5・6曲目〈Doin' That Rag; High Time〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

03. 1970 Coronation Park, Toronto, ON, Canada
 日曜日。前日に続き、Trans Continental Pop Festival の一環。この日はすべてエレクトリックでやった。セット・リスト不明。

04. 1974 Boston Garden, Boston
 金曜日。5.50ドル。
 第二部〈Seastones〉から第三部全部とアンコールが《Dick’s Picks, Vol. 12》でリリースされた。
 第二部は〈Sugar Magnolia〉前半に始まり、〈Sunshine Daydream〉で閉じる。
 ガルシア用のスピーカーが2つ3つ調子が悪く、クルーが Wall of Sound の足場を5、6メートルも登って、何やらやっていた。

05. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 月曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。
 第一部クローザー前の〈High Time〉が、《Download Series, Vol. 04》と《Dave’s Picks, Vol. 28》で2度リリースされた。
 第二部オープナー〈Eyes Of The World〉の後、ハートの《Diga Rhythm Band》所収の〈Happiness Is Drumming〉がこの時1回だけ演奏された。これが後に〈Fire on the Mountain〉のインストゥルメンタル・パートに発展する。

06. 1979 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA
 木曜日。1ヶ月半ぶりのショウ。ここで3日連続でやり、またひと月休み。

07. 1983 Poplar Creek Music Theatre, Hoffman Estates, IL
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演8時。
 高校2年の時、英語の教師に連れられてこのショウに行き、「バスに乗った」人がいる。デッドヘッドはこうして継承される。

08. 1985 Hershey Park Stadium, Hershey, PA
 金曜日。13.50ドル。開演7時。
 第二部3・4曲目〈Estimated Prophet> Terrapin Station〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第一部は6曲目〈Bird Song〉まで土砂降りの雨。

09. 1986 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開場2時半、開演4時。ボブ・ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの前座。
 かなり良いショウの由。第二部は短かいが内容は充実していた。セット・リストには無いが、第二部 Drums の後、〈China Doll〉と〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉の間に〈Playing In The Band〉の短かい戻りがあるらしい。

10. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演4時。
 この3日間はかなり良いショウらしい。

11. 1988 Saratoga Performing Arts Center, Saratoga Springs, NY
 火曜日。15ドル。開演8時15分。
 第一部クローザー〈Victim Or The Crime; Foolish Heart〉が2016年の、第二部3・4曲目〈Estimated Prophet> Crazy Fingers〉が2021年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 〈Victim Or The Crime; Foolish Heart〉は前の曲が終るとほとんど間髪を入れずに次のフレーズをガルシアが弾きはじめる。ともに力演。前者はいつもよりテンポが遅く、後者は早め。
 〈Estimated Prophet> Crazy Fingers〉前者で、ウィアは歌詞を放りだすように歌う。イカれた自称予言者になりきっている。歌の終りのリピートも「狂って」いる。まず間奏でガルシアが見事なソロを聴かせる。歌の後もいいが、案外早めに切り上げて、後者に移る。
 後者は歌の後の Spanish Jam も含むジャムが見事。
 この4曲聴いても、調子が良いのはわかる。全体の公式リリースを期待。

12. 1991 Mile High Stadium, Denver, CO
 金曜日。24.75ドル。開演6時。雨天決行。サンタナが前座。ブルース・ホーンスビィがアコーディオンで参加。
 ステージの真上に満月が浮かんでいた。
 見事なショウの由。

13. 1992 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。
 第二部4曲目〈Way to Go Home〉が《Ready Or Not》でリリースされた。
 アンコール〈Casey Jones〉は1週間前の 06/20 に RFK Stadium で7年半ぶりに復活。この日の後は年末12/16にオークランドで演奏され、翌1993年03月27日が最後。
 〈Way to Go Home〉はウェルニクの堂々たる歌いまわしとガルシアのすばらしいギター・ソロで、確かに聴きもの。ラストのコーラスも決まっている。この歌は1992年02月のデビューながら、計90回以上演奏されたのも、無理はない。
 この曲にはもう一つ、1994-10-01, Boston Garden での録音が公式リリースされている。聴いてみると、いろいろアレンジを変えている。

14. 1995 The Palace, Auburn Hills, MI
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。27.50ドル。開演7時。
 第一部4曲目〈Black-throated Wind〉でウィアがアコースティック・ギター。この曲はこれが最後。第二部 drums 前の〈Uncle John's Band〉もこれが最後。(ゆ)

06月25日・土
 猛暑だが、1600過ぎに散歩に出る。インターバル速歩での散歩で、これで今週のノルマ達成。帰るとシャツは汗が絞れるくらい。

 1年余り続けてきて、ようやく成果が見えるようになってきた。血圧も下がった感じだし、やると今日みたいに暑くてへろへろになっても、気分はすっきり爽快になる。脚も引き締まってきた。こんなに引き締まったのは、中学・高校時代にバレーボール部にいた時以来かもしれない。あの時よりも締まっているとすら言えそうだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月25日には1978年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1978 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。10ドル。開場午前9時。開演午前11時。Eddie Money, The Outlaws とサンタナが前座。Drums にメリー・プランクスターズのケン・バブズがサンダー・マシーンで参加。
 Eddie Money (1949ー2019) はニューヨーク出身のシンガー・ソング・ライター。1970年代から80年代にかけて Top40 ヒットが11曲ある。
 The Outlaws はフロリダ州タンパで結成されたサザン・ロック・バンドの方だろう。1975年にデビュー・アルバムを出している。
 機器のトラブルで曲間がいつもよりずっと長く、興をそいだが、演奏そのものは良いらしい。

2. 1983 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 土曜日。
 この街での最後のショウ。

3. 1985 Blossom Music Center, Cuyahoga Falls, OH
 火曜日。
 DeadBase XI の Peter Lavezzoli によれば、この年ベストとショウの1本。

4. 1988 Buckeye Lake Music Center, Hebron, OH
 土曜日。開場4時、開演7時。ブルース・ホーンスビィ&ザ・レンジ前座。第一部4・5曲目〈Sugaree〉と〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉にホーンスビィがアコーディオンで参加。
 暑い日で、撒水ホースを備えたトラックが乗り入れた。

5. 1991 Sandstone Amphitheatre, Bonner Springs, KS
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ブルース・ホーンスビィ参加。
 文句なく最高のショウの1本。

6. 1992 Soldier Field, Chicago, IL
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。スティーヴ・ミラー・バンド前座。
 次に何をやるかでガルシアとウィアが角突きあわせていたので、面白いショウになった。

7. 1993 RFK Stadium, Washington, DC
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。ブルース・ホーンスビィ、アコーディオンで参加。スティング前座。スティングの最後の曲〈A Day in the Life〉にはガルシアもステージにいたが、デヴィッド・サンシャスの陰に隠れ、その音もよく聞えなかった。
 最高のショウの一つ、と John W. Scott は DeadBase XI でレポートしている。とりわけ〈Uncle John's Band〉と〈Sugar Magnolia〉で、どちらも最長記録に迫る。
 スタジアムのスクリーンを駆使したキャンディス・ブライトマンのビデオと照明が見事だった由。
 DC でのショウで、副大統領のゴアが娘たちを連れて来ているという噂が飛びかっていたが、確認はできなかった。当時クリントン政権の内相で前アリゾナ州知事の Bruce Babbitt がバックステージにいるのを、スコットは確認している。
 このショウは4台の大型カメラと4台の「口紅」カメラでビデオに収められた。大型カメラの1台はステージ頭上のアームにとりつけられた。

8. 1994 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。30ドル。開演6時。トラフィック前座。第一部4曲目〈When I Paint My Maserpiece〉でウィア、アコースティック・ギター。
 気温は46度に昇った。

9. 1995 RFK Stadium, Washington, DC
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。32.50ドル。開演6時。ブルース・ホーンスビィ、全篇にピアノで参加。第一部4・5曲目〈Mama Tried> Mexicali Blues〉でウィアがアコースティック・ギター。ディランのセットのアンコール2曲〈It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry〉〈Rainy Day Women #12 & #35〉にガルシア参加。
 休憩中に雨が降り、そこで第二部は〈Box of Rain〉と〈Rain〉でオープン。気温が40度近かったので、雨はむしろありがたかった。
 アンコールの〈Borkedown Palace〉に至って、泣きだす人間が大勢いた。これが最後ということが暗黙のうちに共感されていたようだ。東海岸では最後のショウ。(ゆ)

06月18日・土
 オーラテクトのガムを噛んでいたら、歯にかぶせてあるものがガムにくっついてすっぽりと抜けてしまう。さらに、その隣の歯に詰めてあった金属も抜けてしまう。歯医者に架電し、事情を説明して、予約をねじこんでもらう。

 歯茎の健康のために噛んでいるガムで義歯が抜けるのでは困ったものだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月18日には1965年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本。うちほぼ完全版が1本。

01. 1965 Frenchy's Bikini-A-Go-Go, Hayward, CA
 金曜日。フィル・レシュが入って最初のショウ。The Warlocks 名義。セット・リスト不明。

02. 1966 Veterans Memorial Hall, San Jose, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。2ドル。開演8時。共演ジェイウォーカーズ。セット・リスト不明。

03. 1967 Monterey County Fairgrounds, Monterey, CA
 日曜日。モンタレー・インターナショナル・ポップ・ミュージック・フェスティヴァル最終日。
 ポスターによればデッドは初日16日金曜日の夜に組まれている。開演9時。実際にはこの日曜日の夜に出た。DeadBase XI によれば〈Viola Lee Blues〉〈Cold Rain & Snow〉〈Alligator〉を演奏。
 この日の午後、映画ではトリになっているラヴィ・シャンカールが出ている。夜の共演はブルーズ・プロジェクト、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、The Group With No Name、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンス、スコット・マッケンジー、そしてママス&パパス。
 3日間、フェスティヴァル本体終了後、近くの Monterey Peninsula College のフットボール競技場にすでにあったステージに機材を組み、発電機を持ちこんで、フェスティヴァルに参加したミュージシャンたちが無料でセッションをした。エリック・バードン、ジミヘン、エアプレインやデッドのメンバーなどなど。ロック・スカリーの Living With The Dead の記述から受ける印象とは裏腹に、ガルシアとヘンドリックスが一緒に演奏したことはついに無かった、とブレア・ジャクソンは書いているそうだ。
 The Group With No Name はテヘラン生まれの Cyrus Faryar (1936-) がこのフェスティヴァルに出るために組んだバンドのようだ。ファライヤーの一家はイランからイングランドに移住し、さらにハワイに移る。後、南カリフォルニアに移って、音楽活動をする。キングストン・トリオのデイヴ・ガードとグループを組んだり、Modern Folk Quartet の結成に協力したりした。

04. 1974 Freedom Hall, Louisville, KY
 火曜日。開演8時。
 第一部8・9曲目〈Eyes Of The World> China Doll〉、第二部オープナー〈Loose Lucy〉、4曲目〈Weather Report Suite〉から8曲目〈Stella Blue〉までが《Road Trips, Vol. 2, No. 3》で、第一部クローザー〈Around And Around〉、第二部クローザー〈Sugar Magnolia〉、アンコール〈Morning Dew〉が同ボーナス・ディスクでリリースされた。曲数にして半分がリリースされたことになる。
 第二部後半〈The Other One> It's a Sin jam〉がとりわけすばらしい。

05. 1976 Capital Theater, Passaic, NJ
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 第二部2曲目〈Tennessee Jed〉を除き、全体が《Download Series, Vol. 04》でリリースされた。除かれたのはテープの損傷による。

06. 1983 Saratoga Performing Arts Center, Saratoga Springs, NY
 土曜日。8.00ドル。開演8時15分。
 春のツアー終了から1ヶ月の休みを置いて夏のツアー前半のスタート。28日までの8本。
 すばらしいショウの由。レポートの言葉を借りれば、ハートは雷鳴と決闘し、ガルシアは電光とソロを共演した。第二部8曲目〈Morning Dew〉は全キャリアで1、2を争うものだそうだ。
 この年はソニーのおかげで、デジタル録音をテーパーが利用できるようになった。

07. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 ミドランドの状態がひどかった由。

08. 1992 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。23.50ドル。開演7時。
 かなり良いショウの由。

09. 1993 Soldier Field, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。スティング前座。
 休憩中と第二部 Drums> Space の間、NBA ファイナルの実況が流された。第二部で雷雨が激しかった。ショウ自体はまずまずの由。
 この時の NBA ファイナルはシカゴ・ブルズ対フェニックス・サンズで、この日は第5戦、ブルズの地元シカゴでの試合。結果は108対98でサンズが勝ち、戦績を2勝3敗とした。シリーズは翌々日フェニックスに戻っての第6戦を99対98でブルズが制し、優勝。1960年代のボストン・セルティクス以来の三連覇を達成。この時のブルズはマイケル・ジョーダン率いる黄金時代。

10. 1994 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。28.50ドル。開演2時。第一部5・6曲目〈Me And My Uncle> Maggie's Farm〉でウィアがアコースティック・ギター。この時期としては良いショウの由。

11. 1995 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。33.50ドル。開演6時。ボブ・ディラン前座。
 この頃の演奏は聴くのが辛いだろうが、いずれ、腹をくくって聴かねばならない。ひどい時を聴くことで初めてわかることがある。
 ところでガルシアはキャプテン、船長だったろうか。リーダーで無かったことは確かだが、船長はリーダーではないのか。もし船長がリーダーとすれば、ガルシアは船長では無かった。スポークスマンではあっても、行き先を指し示す者では無かった。
 一方デッドを動かす根本理念がガルシアから出ていたことも確かだ。最も端的に現われるのは、ショウの録音についての考え方だ。あるいはむしろ、どうなるかわからないからやってみる態度、なるべく同じことを繰返さない、昨日とは違うことをやろうとする態度の源泉もガルシアであろう。また、動きだす時最初に動くプライム・ムーヴァーでもあった。ギター・ソロによって、ジャムを起動し、方向を定めるのもガルシアだった。
 しかし、いつギター・ソロを発動するかを決めていたのはウィアだった。ステージの上での音楽監督は、とりわけ大休止からの復帰後はウィアが担った。大休止以前はおそらくレシュとウィアが分け合っていた。より正確には当初はレシュだった役割をウィアが段々と分担し、あるいは奪っていった。
 ガルシアは意志と目的をもった船長というよりは、光と熱の形でエネルギーを放つ太陽にみえる。(ゆ)

05月15日・日
 乾燥機の騒音対策に何かないかと探すと、抽斗の奥から FitEar のライブ用耳栓が出てくる。つけてみるとなかなかよい。これはライブ用で完全に音を遮断しないから、会話もできなくはない。乾燥機の近くにいなければならない時はこれをつけることにする。
 


 サイトによればライブ以外でもいろいろ使えるとある。いや、まったくその通り。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月15日には1970年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本、準完全版1本。

1. 1970, Fillmore East, New York, NY
 金曜日。3.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。早番、遅番の2回のショウ。それぞれ三部制で、アコースティック・デッド、NRPS、エレクトリック・デッドの構成。NRPS にはガルシアがペダルスティールで参加。ボブ・ウィアが一部にヴォーカルで参加。早番は3時間弱、遅番は4時間の録音が残っている。
 早番ショウ第三部2曲目〈Easy Wind〉が《Fallout From The Phil Zone》で、遅番ショウ第一部5曲目の〈Friend Of The Devil〉が《The Golden Road》所収の《American Beauty》のボーナス・トラックでリリースされた後、《Road Trips, Vol.3, No.3》とそのボーナス・ディスクでニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのセットを除く全体がリリースされた。
 遅番ショウ第一部クローザーで〈A Voice From On High〉が初演。ビル・モンローの作詞作曲。この年の08月05日まで、アコースティック・セットで3回演奏された。また1986年の感謝祭ディナーでジェリィ・ガルシア、デヴィッド・ネルソン、サンディ・ロスマンからなる The Log Cabin Boys によっても演奏された。
 ビル・モンローは1954年01月25日にこの曲を録音しているが、スタンリー・ブラザーズによる録音の方が早いという話もある。
 ビル・モンローはガルシアが10代の頃、ブルーグラスに入れこんでいた時のヒーローで、ケンタッキーまで追っかけをしている。バンジョー奏者としてブルーグラス・ボーイズに入るのが夢だった。

2. 1977 St. Louis Arena, St. Louis, MO
 日曜日。7.50ドル。開演7時。《May 1977》で全体がリリースされた。
 第一部9曲目で〈Passenger〉がデビュー。Peter Monk の詞にフィル・レシュが曲をつけたもの。1981-12-27、オークランドまで99回演奏。レシュの曲だがリード・ヴォーカルはウィア。ガルシアは普通スライド・ギターを弾く。
 第二部6曲目〈St. Stephen〉から次の〈Not Fade Away〉に移る際に〈Iko Iko〉が歌われ、この曲の初演とされる。この3曲、切れ目なくつながっている。1995-07-05まで計183回演奏。だいたいにおいて時期が遅くなるにしたがい、とりあげられる頻度が増えていった。スタジオ版としてはジェリィ・ガルシアのソロ・アルバムを集めたボックス・セット《All Good Things》収録の《Cats Under The Stars》に、録音セッションからのアウトテイクが収められた。
 セカンド・ラインに載せて歌われるニューオーリンズ・ソングの代表作として、ドクター・ジョンのヴァージョンなどが有名。1950年代初めに James "Sugar Boy" Crawford によって、2曲のインディアンのチャントに曲をつけられてできた。"iko iko" は勝利の歌、"jack-a-mo" が戦いに赴く歌。クロフォードは〈Jack-a-Moe〉として録音。これを The Dixie Cups が〈Iko Iko〉として1964年に録音。こちらに著作権が与えられた。アメリカの著作権のホラー・ストーリーの一つであろう。
 とまれ、デッドはこれを好み、ガルシアの持ち歌として様々な形で歌った。ガルシアは自分のソロ・プロジェクトでも歌っている。
 ここでは〈St. Stephen〉は一通り歌ったところで切り上げ、〈Not Fade Away〉のビートが始まり、ガルシアが軽くスロを弾いたりして、なかなか完全に移行しない。と、いきなりガルシアが "Hey Now" と歌いだし、ドナとウィアが即座に応える。とすれば、この日どこかでデビューさせることはおそらく決まっていて、リハーサルもしていたのだろう。ワン・コーラス歌ったところで、一拍置いて、今度は〈Not Fade Away〉を歌いだす。
 ここでのガルシアのギター・ソロが良い。この日もガルシアのギターは絶好調で、第一部3曲目〈Row Jimmiy〉やその次の〈New Minglewood Blues〉あるいは〈Lazy Lightning〉のような、普段あまりギター・ソロを展開しない曲や、クローザーの20分近い〈Dancing In The Street〉、第二部オープナー〈Estimated Prophet〉から〈Eyes Of The World〉にかけてのギターは凄い、としか言いようがないものばかりだが、この〈Not Fade Away〉では低音域だけを使って渋いソロを弾きまくる。次第にビートがフリーになり、メインのメロディから離れたすばらしいジャムになる。ひとしきり演った後、ガルシアがまだポロンポロンやっているうちにウィアがリフを弾きだして〈Sugar Magnolia〉。ここでの歌の後、Sunshine Daydream の前のガルシアのソロはこの世のものとも思えない。ほとんどのどかな、老農夫が春の日の午後を愉しんでいるけしき。テンポが遅いとも思えないが、ひどくのんびりしている。駘蕩として悠々たる気分。こういう余裕が音楽をさらに豊かにしているのもこの時期の特徴に思える。原始デッドはもっとギラギラしているし、1980年代以降は余裕がだんだんなくなってゆく。
 ゆったりとした余裕はアンコールの〈Uncle John's Band〉にも引き継がれて、ここでもガルシアがそれはそれはすばらしいギターを聴かせる。ギターだけとればこの歌のベスト・ヴァージョン。マイクの調子が今一つなのが惜しいが、そんなことも気にならないくらいだ。
 この時はセント・ルイスは1日だけで、次は中1日置いてアラバマ大学。

3. 1980 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 木曜日。11.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 第一部10曲中6曲、第二部の1曲を除く全体とアンコール、計16曲が《Go To Nassau》でリリースされた。

3. 1981 Athletic Center, Rutgers University, Piscataway, NJ
 金曜日。11.50ドル。開演7時。この施設は大学の本体とは離れたところにある。
 良いショウの由。第一部クローザー前の〈Looks Like Rain〉や第二部3曲目〈Estimated Prophet〉の途中で、空に電光が走った。

4. 1983 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。開演3時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 クローザーの〈Not Fade Away〉にジョン・チポリーナが、Drums にアイアート・モレイラとフローラ・プリムが参加。
 第二部開始前、サウンドマンのダン・ヒーリィの誕生日を盛大に祝った。
 なかなか良いショウの由。

5. 1993 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 土曜日。開演2時。スティング前座。
 第二部オープナー〈Here Comes Sunshine〉でガルシアが "Here comes sunshine" と歌いだした瞬間、雲が切れて陽が射した。あまり良いショウではないらしい。スティングは良かった。(ゆ)

05月14日・土
 昨日の晩、遅くなって左耳に鈍痛を感じる。耳朶の裏のツボをマッサージすると幸い消えるが、原因をいろいろ考えて思いあたったことがある。家人が花粉症でここ3ヶ月近く、洗濯物は室内干しにして、乾燥機を2台終日フル稼動させていた。大きな音ではないが、うるさいと感じる音で、それがとにかく朝から晩まで一瞬の休みもなく鳴っている。となるとその音で耳がダメージを受けてもおかしくない。左は乾燥機に向いている方だ。

 ここはモロに南東に向いていて、晴れさえすれば洗濯物を干すにはこれ以上のロケーションは見当らない。しかし、家人はとにかく乾燥機が大好きで、ちょっとでも雨が降りそうだと外には出さずに部屋干しにして乾燥機のスイッチを入れる。

 今日は朝飯をすませると、書庫にしている部屋に逃げこむ。かなりの本を倉庫に移して居場所は確保したし、スピーカーも置いてある。本が多いから紙が音を吸って、かなり静かだ。乾燥機の音が聞えないだけで心底ほっとする。精神的にも圧迫されていたのだ。

 なるべく耳を休ませるため、散歩にもいつものように音楽は持参しないことにした。音楽を聴かずに散歩するのも、それはそれで新鮮だ。デッドは聴かねばならないが、ヘッドフォンやイヤフォンではなく、スピーカーにして、音量も小さめにする。島津さんのスピーカーは小音量でもちゃんと音楽を聴ける。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月14日には1966年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版2本。

1. 1966 Veterans Memorial Hall, Berkeley, CA
 土曜日。2ドル。開演午後9時、終演午前1時。"The Final Solution" と題されたダンス・イベント。セット・リスト不明。

2. 1970 Meramec Community College, Kirkwood, MO
 木曜日。三部制で、第一部はアコースティック・デッド。第二部はガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ミッキー・ハートも参加したそうな。第三部エレクトリック・デッド。アンコール〈Cold Jordan〉には NRPS のデヴィッド・ネルソンがマンドリン、マーマデュークがバス・ヴォーカルで参加。
 第三部クローザーに向かっての4曲〈New Speedway Boogie> St. Stephen> Not Fade Away> Turn On Your Lovelight〉が《Road Trips, Vol.3, No.3》のボーナス・ディスクでリリースされた。
 第三部11曲目で〈Attics Of My Life〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。1995-07-02まで計51回演奏。途中1972-10-28を最後にレパートリィから落ち、1989-10-23に復活して、以後最後まで散発的に演奏された。スタジオ盤は《American Beauty》収録。全曲ハーモニー・コーラスで歌われるが、ひどく歌いにくそうなメロディ・ラインの曲。ガルシアの曲の中では最も救いが無いものの一つに聞える。
 〈New Speedway Boogie〉のジャムの中で〈Nobody's Fault But Mine〉のメロディが現れ、この曲の初演とされる。

3. 1974 Harry Adams Field House, University of Montana, Missoula, MT
 火曜日。第二部3曲目〈Row Jimmy〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 09》で全体がリリースされた。

4. 1978 Providence Civic Center, Providence, RI
 日曜日。《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

5. 1980 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 水曜日。10.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続のランの初日。この年のベストとも言われる。

6. 1983 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。開演5時。このヴェニュー3日連続のランの中日。良いショウの由。

7. 1993 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。開演2時。このヴェニュー3日連続のランの初日。スティング前座。
 日陰で50度近い気温で、ショウの始まる直前、黒い雲がやってきて20分間、スコールを降らせ、聴衆はずぶ濡れになった。雷も鳴り、落雷で猫が1匹死んだ。門の外にある樹に登って忍びこもうとする人間があまりに沢山登ったので、とうとう樹が倒れた。客席後方、左側でマシュマロの投げあいが起き、かなりの間、続いた。(ゆ)

05月04日・火
 1週間ぶりにインターバル速歩をやると気分爽快。やらないとなんとなく物足らないレベルまでは来た。が、くたびれる。1週間休んだだけで、帰ってから、気がつくとこっくりこっくりしている。今週は何とかノルマの4回をこなせそうだ。
 この間、04月29日に、Apple Watch のムーブの1日の目標1,250回達成。ムーブの目標は1日330キロカロリーで、これは自分で勝手に決めたレベルだからあまり意味はないが、それでも500、1,000、1,250と積みあがってくると満足感がある。次の1,500回まではなんだかんだで300日近くかかるだろう。順調にいって来年の01月か02月。

##本日のグレイトフル・デッド
 05月03日には1968年から1991年まで、10本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

01. 1968 Low Library Plaza, Columbia University, New York, NY
 金曜日。セット・リストは一部。ドキュメンタリー "Columbia Revolt" の中で2曲演奏シーンあり。YouTube にあり。
 ビル・クロイツマンが回想録 Deal, 2015 の中でこの1件について書いている(097pp.)。学生のストライキでコロンビアのキャンパスが閉鎖されていた。それでバンドのイタズラ魂に火がついた。一行はパン屋のトラックに乗って構内に忍びこみ、この建物の前の石段にすばやくセットアップして、フリー・コンサートを行なった。まったく何の告知もなかった。ただ、やるのが面白い、それだけでやった。ケガした者も逮捕された者もいなかった。少数の学生を驚かせたにすぎず、新たなファンとしては数日後のセントラル・パークでのフリー・コンサートで摑んだ方がずっと多かったではあろうが、それは問題ではない。

02. 1969 Sierra College, Rocklin, CA
 土曜日。夜はウィンターランドに出ているので昼間のショウ。セット・リストは一部のみだが、それだけでも2時間はやっている。

03. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
 このヴェニュー2日連続の2日目。ジェファーソン・エアプレイン、モンゴ・サンタマリア共演。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、第一部の〈That's It For The Other One〉だけでも最高の由。

04. 1970 Field House, Wesleyan University, Middletown, CT
 日曜日。東部大学ツアー3本目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティール。セット・リストは残っているテープに基き、不完全。
 入っているアナウンスには、この日ニューヘイヴンであったデモで催涙ガスを浴びて目が痛い人には医務室に目薬が用意してある、というものと、翌日のヴェトナム反戦全国デモに参加するよう呼びかけるものがある由。

05. 1972 Olympia Theatre, Paris, France
 水曜日。ヨーロッパ・ツアー11本目。このヴェニュー2日連続の初日。22フラン。当時のレートで6USD。アメリカ国内でデッドのショウの料金がこのレベルになるのは1977年。開演8時。実際に演奏が始まったのは9時頃。終演は午前1時半。
 第一部7・8曲目〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、13曲目〈Tennessee Jed〉、第二部11曲目〈Jack Straw〉が《Europe '72》でリリースされた。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされるとともに、第一部4曲目〈Sugaree〉が《Europe '72, Vol. 2》に収録された。
 DeadBase XI の Bob Welle によれば、第一部が終ったところで、ほとんどのフランス人の客は終ったものとして帰ろうとした。その時、フランス人女性がステージに跳び上がり、フランス語でショウがまだ終っていないことをアナウンスし、大歓声が上がった。
 ウェルはずっとヨーロッパ大陸を旅していて、当時の共産圏にまで足を伸ばした。ために、デッドについては《Workingman's Dead》が最新情報だった。デッドのツアーのことは、チューリヒのユースホステルで会ったデッドヘッドたちから聞き、ちょうどパリに行くところだったから、そこに留学していた友人を通じてチケットを入手する。パリでもデッドヘッドに遭遇するが、かれらがショウの準備として聴いていたのは《American Beauty》と《Live/Dead》だった。実際のショウではメンバーが増えていることに驚き、新たなメンバーの貢献と初見参の新曲に喜ぶ。
 パリという場所にはどこか魔法があるのかもしれない。誰にでも、いつでも起こりうるものではないのだろうが、うまくはまった者、タイミングがたまたま合った者、あるいは自ら魔法を呼びおこすことができる者には魔法が起きることがある。
 場所はオランピアである。収容人員2,000はデッドにとってはちょうど良い。ドイツのヴェニューはクラシック用コンサート・ホールで、それに比べれば、ミュージック・ホールと呼ぶべきここはデッドの性格にはより近いだろう。名のあるアーティスト、ミュージシャンがパリでやるならばここ、というヴェニューだ。あたしにとってはアラン・スティヴェールのここでのライヴ盤を歴史的名盤として愛聴している。もっともここでのライヴ盤が代表作となっているアーティストはたくさんいる。デッドにとってもここでの2日間はフランクフルトに並ぶツアー中のピークとなる。
 オリジナルの《Europe '72》にとられた〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉は確かにすばらしく、このペアがもっている潜在的な魅力が現れだしている。〈He's Gone〉はわずかにテンポが遅くなり、ガルシアの声がうまく力が抜けている。"smile, smile, smile" を強調しないのもいい。〈Playing In The Band〉がますます良くなり、そして〈Good Lovin'〉はこれまでのベストの出来。ガルシアのギターが冴える。〈Sing Me Back Home〉はもう少し後の方が良くなるが、形はできてきた。
 第二部では冒頭〈Greatest Story Ever Told〉でガルシアのギター・ソロがいきなり炸裂する。そして〈Me And Bobby McGee〉を丸々含む〈The Other One〉の長い長い演奏。パリの聴衆はこれをどう聴いたのだろうか。ガルシアの切れ味のよいギターを核とした集団即興の醍醐味。こういう演奏はある時は聞きいり、ある時は聞きながし、流れに身をゆだねるのが、最近のあたしの聴き方だ。むろん、聴き方はいくつもあるので、その時の気分で選べばいいし、あるいは新たな聴き方をあみだすのも面白い。ビートにのったり、フリー・リズムになったり、あるいはそのどちらでもなかったり、千変万化する音楽は聴くたびに様相も変える。
 そのまま続く〈Wharf Rat〉がまたすばらしく、ガルシアのギター・ソロがウィアに煽られて離陸する。〈Jack Straw〉では歌の役割分担が初めて現れる。つまりここで Shannon と呼ばれるキャラをガルシアが歌い、主人公の Jack Straw をウィアが歌う。これまではウィアが1人で歌っていた。〈Sugar Magnolia〉では、後半、ウィアがあまりわめかないうちにガルシアがビートを刻みだして〈Not Fade Away〉。ここでも間にはさまる〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉でも、ガルシアのギターが聞き物。リリカルなコーダから〈Not Fade Away〉にもどると、今度はピグペンとウィアが掛合いをする。ツアー後半ではこの掛合いがなくなるから、ここの愉しさは貴重だ。

06. 1977 The Palladium, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー5本連続のランの4本目。8.50ドル。開演8時。
 この春、悪いショウは無い。

7. 1979 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
 木曜日。春のツアーのスタート。05-13 メイン州ポートランドまで9本。

08. 1986 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。16ドル。開演午後2時。
 全体が《30 Trips Around The Sun》でリリースされた。
 始め曇って寒く、雨も降っていたのが、途中から晴れ、第二部では陽が降りそそいだ。クローザーの〈Sugar Magnolia〉の後、ウィアが出てきて、ガルシアのアンプが凍りついた、と言ってアンコールは無し。ショウそのものは良い由。

09. 1987 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演午後2時。
 第二部が良かったらしい。

10. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 DeadBase XI に書いているブレア・ジャクソンによれば、このヴェニューは規模がちょうどよく、音響がよく、場内どこで聴いても音が良くて、悪い席というものがない。そして、デッドはここでは常に良いショウをする。この時期になるとデッドがやる会場はスタジアムや大規模屋内アリーナで、メンバーの顔も見えないことがほとんどだが、ここはそうした中で息抜きになる。
 ここはサクラメントにある収容人員14,000の屋外アンフィシアターで、デッドは1984年06月から1995年06月まで、計24本のショウをしている。1991年にはこの5月の三連荘とともに8月にも三連荘をしている。
 この日のショウは凡庸とするデッドヘッドが多いが、ジャクソンは3本ともそれぞれに良いところがあっていずれも水準は高いとしている。(ゆ)

04月25日・月
 皮膚科に架電し、塗り薬をもらいにゆく。処方箋をもらって薬局で受け取り。大腸がん切除後の抗がん剤治療以来、あちこち、いきなり痒くなる症状は、軽くなったりひどくなったり、ぐずぐずと続いていて、塗り薬は欠かせない。痒み止めの飲み薬もあるが、そう継続して飲みつづけていいものか、どうも怪しく思えて、なるべく飲まないようにしている。皮膚も老化しているし、この症状は死ぬまでつきあうのであろう。つきあえるだけでもありがたいことではある。生きているわけだから。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月25日には1969年から1983年まで6本のショウをしている。公式リリースは4本、うち完全版1本。

1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。5ドル。開場7時半、閉場午前3時。SRC、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド共演。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセットがひどく長かったので、デッドは1セットのみ。翌日、デッドはお返しをした。
 2曲目〈Doin’ That Rag〉が2016年と2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 SRC は地元のバンドの由。

2. 1970 Mammoth Gardens, Denver, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ジョン・ハモンド前座。セット・リスト不明。

3. 1971 Fillmore East, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー5日連続のランの初日。5.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 第一部クローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部2曲目〈Beat It On Down The Line〉から10曲目〈Sing Me Back Home〉までが4曲目の〈Bertha〉を除いて《Ladies & Gentlemen…》でリリースされた。計10トラック。CD ではあちこちに散在している。
 《Skull & Roses》と《Ladies & Gentlemen…》収録の音源は主にこの5日間からのもの。

4. 1977 Capitol Theatre, Passaic, NJ
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。8.50ドル。開演8時。《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

5. 1981 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 アコースティックの短い1セット。バークリーでは10年ぶりのショウ。

6. 1983 The Spectrum, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.50ドル。開演7時。第二部後半〈Space〉からアンコール〈(I Can't Get No) Satisfaction〉まで6曲が《Dave’s Picks, Vol. 39》でリリースされた。(ゆ)

0408日・金

 医者。先月採血した検査の結果。尿酸値は5.1に下がる。が、薬は継続して6以下にしておくことが肝要。さもないと腎臓がいかれて透析になるよ。つまりは死ぬまで薬は続けるわけだ。やれやれ。薬を飲んでりゃ、納豆は食べていいのか、訊くのを忘れた。



##本日のグレイトフル・デッド

 0408日には1971年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA

 木曜日。このヴェニュー2日間連続の2日目。ネッド・ラギンがキーボードで参加。第一部と第二部の間は機器調整のためだけの短時間の可能性もあるらしい。内容は良い由。

 第一部7曲目で〈I Second That Emotion〉がデビュー。同じ0429日までに7回演奏される。最後は1989-10-13のデヴィッド・レターマン・ショーにガルシアとウィアが出た時の演奏。ジェリィ・ガルシア・バンドでは1994年まで定番のレパートリィ。原曲はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの196710月のシングル。


2. 1972 Wembley Empire Pool, London, England

 土曜日。1ポンド。開演7時。一時会場に決まっていた Commodore のチケットも残っており、こちらは1.50ポンドとある。

 第一部クローザー前の〈Looks Like Rain〉が2001年の《Europe '72》拡大版でリリースされた。また、これを含む10曲が《Steppin' Out with the Grateful Dead》でリリースされた。このアルバムはこのツアー中イングランドで行われた8本のショウからの抜粋で2002年にリリースされたもの。その上で、全体が《Europe ’72: The Complete Recoddings》でリリースされた。

 Gary Lambert がライナーでこの最初のロンドン2日間を前後編の2本でひとつとしているのは妥当ではある。この2日間で、この時期のデッドの形は一通り提示される。

 初日に〈The Other One〉をやり、こちらで〈Dark Star〉をやっている。30分を越える演奏はロンドンの聴衆にとってはまったく新しい体験であったろう。まず最初の3分の1、歌の前のジャムがすばらしい。ドラムスは後景に退き、まずガルシアのギターとベース、次にガルシアのギターを中心とした全員参加のジャム。1番の歌の後、ビートが消えてフリーになり、ひどく静かになり、ピアノとドラムスを中心にまた徐々にビートが現れる。そこに乗るガルシアのギターが冴えている。

 全体にかなりゆったりと余裕のあるテンポ。〈Deal〉や〈Looks Like Rain〉もかなりゆっくりだし、〈Case Jones〉も前半、テンポが変わりはじめる前はのんびりとしている。意識して遅くしているようでもある。〈Looks Like Rain〉ではこの時期だけ、ガルシアがペダルスティールを弾く。あまりこの楽器らしくない音を出すが、演奏はすばらしい。このツアーでのガルシアのギターは冴えまくっているのが、こちらにも出ている。第二部でピグペンがヴォーカルをとるスロー・ブルーズの〈It Hurts Me Too〉では、一級のブルーズ・ギターを披露する。

 〈Playing In The Band〉も遅めのテンポで始まり、歌の後のジャムは元のメロディからは完全に離れてジャズになっている。曲の初めにウィアがドナを紹介する。ドナの参加はまだまだ少ない。

 クローザーの〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉はこのツアー中、0511日のロッテルダムでの演奏が最後になるが、形は定まらないままに各々の演奏の質が上がっていて、これまでのベスト・ヴァージョン。

 アンコールが〈One More Saturday Night〉なのは、この日が本当に土曜日だからか。とはいえ、次のニューカッスルでも3本続けてこれをアンコールにしている。ウィアが1番の後、"Mr. Garcia" と促して始めるガルシアのソロがことさらに見事。

 まずは最高の形でツアーが始まった。次は3日後のニューカッスル。


3. 1978 Veterans Memorial Coliseum, Jacksonville, FL

 土曜日。オープナー〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉がことにすばらしい由。


4. 1982 Onondaga Auditorium, Syracuse, NY

 木曜日。11ドル。開演7時半。ここからニューヨーク州アップステート3ヶ所を回る。ここもデッド・カントリーの一つ。


5. 1985 The Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演5時。


6. 1988 The Centrum, Worcester, MA

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。17.50ドル。開演7時半。WCUW FM放送された。この年最短のショウの一つの由。


7. 1989 Riverfront Coliseum, Cincinnati, OH

 土曜日。開演8時。クローザー前の〈Black Peter〉で、男がステージに上がりこみ、クルーが素早く排除した。ショウは良かった。


8. 1991 Orlando Arena, Orlando, FL

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。21.50ドル。開演7時半。


9. 1994 Miami Arena, Miami, FL

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。25ドル。開演7時半。(ゆ)


0316日・水

 昨日、COVID-19のワクチン接種3回目を受けた家人は、注射されたところの筋肉の痛みに加え、今日になって発熱。上下した後、午後、38度になり、もらっておいた解熱剤を飲む。38度あって、だるいと言いながら、なんだかんだ家事をしている。えらいもんだ。あたしなどは37度でももう起きあがれない。

 夜半、デッドを聴いていて、〈Eyes of the World〉のすばらしいジャムに陶然としていると地震。なかなか揺れがおさまらないので、ヘッドフォンを外して様子を見る。ここは震度4だが、特にモノが落ちることもない。が、揺れ方と揺れている時間が、3/11の時にあまりに似ているので背筋が寒くなる。音楽にもどって聴きつづける気になれず、今日はもう仕舞いにして、あれこれニュースをネットで物色した後、寝る。

 11年目のこれも余震ということになるのか。大きな地震があるたびに、次はこっちだ、と思う。このままいつまでも関東に大地震が来ないということはない。どうせ来るものなのだから、さっさと来てくれ、あたしらがまだ元気なうちに、と思ったりもする。



##本日のグレイトフル・デッド

 0316日には1967年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 残っているポスターではこの日までの7日連続のショウ。ただし、これも実際に行われたかは不明。


2. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。オープナーからの3曲〈Dark Star > China Cat Sunflower > The Eleven〉が《So Many Roads》でリリースされた。

 この3曲、まだ演奏されはじめて間がなく、いずれも速いテンポ。歌が始まるのも早い。1968年にはこの組合せが多く演奏される。

 DS ではガルシアのソロが長くなりだしていて、充実している。CCS もまだ跳ねてはおらず、流れるように演奏される。〈I Know You Rider〉と組み合わされるのは翌年秋。The Eleven はガルシアよりもレシュがリードをとる。ガルシアは遠慮しているのか、やりにくいのか、前2曲ほど積極的にソロを弾かない。どちらも良いジャム。なお、《So Many Roads》ではフェイドアウトする。


3. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uinondale, NY

 金曜日。5.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の初日。中2日休んで、再びここでやる。

 オープナーの〈China Cat Sunflower> Jam> I Know You Rider〉が2015年の、第一部7曲目〈Box Of Rain〉が2014年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈China Cat Sunflower> Jam> I Know You Rider〉はこのセットのお手本のような演奏。CCS 後半のジャムがすばらしい。

 〈Box Of Rain〉ではドナがよい働きをしている。レシュのぎくしゃくした歌唱が、彼女がつけるハーモニー・コーラスによって角が丸くなり、歌としての品位が上がっている。


4. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 水曜日。このヴェニュー3日連続の初日。18.50ドル。開演7時。第一部がことに良いショウの由。


5. 1990 Capital Center, Landover, MD

 金曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の最終日。全体が《Spring 1990》でリリースされた。

 ちょっととぼけた〈Let The Good Times Roll〉で始めたせいか、第一部は前日よりはおちついて、引き締まった演奏が続く。〈New Minglewood Blues〉はかつてはカウントをとってウィアがいきなり歌いだしていたが、ここではイントロがつく一方で、全体によく弾む。ミドランドの声と鍵盤の貢献が大きい。クローザー前の〈Bird Song〉でガルシアのギターのギアが入る。MIDI でいろいろと音を変える。すると霊感が湧くらしく、面白いフレーズが流れ出てくる。第一部クローザーの〈Blow Away〉はミドランドの曲ではベストだと思う。いいリフだ。

 第二部は前日の煽られて、前のめりの感覚がもどる。緊張と弛緩が同居しているのが、デッドの良いショウの特徴だが、緊張の方にバランスが傾く。オープナーの〈Scarlet Begonias〉からいつもの〈Fire on the Mountain〉に行かずに〈Estimated Prophet〉に行くのも、前のめりの現れに見える。しかし、この後半のガルシアのソロがすばらしく外しまくる。エッジが立っているのは〈Ship Of Fools〉では裏目に出ているところもあるが、〈Man Smart (Woman Smarter) 〉でのガルシア、ウィア、ミドランドの声の掛合いから、一度ぴしゃりと曲が終り、数拍間があって、ガルシアが前の曲の流れを引き継いで始めるジャムでは、即興をより奔放にする。DrumsSpace を経て、〈The Other One〉で再びインテンシヴになったところで〈Stella Blue〉。こういうところがデッドたる所以。しかも、センチメンタルにならない。デッドの音楽には何でもあるが、欠けているものもある。安易な感傷性と陳腐さだ。この曲などセンチメンタルの極致になってもおかしくないが、そうはならない。なぜ、そうならないのか、まだよくわからない。しかし、この湿ってもドライでもない、しかし感情の量では不足のない演奏は気持ちが良い。アンコールのストーンズ〈The Last Time〉で声を合わせるガルシアとウィアに足許をすくわれる。


6. 1992 The Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の中日。かなり良いショウだった由。


7. 1993 Capital Centre, Landover , MD

 火曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。当時の副大統領アル・ゴアが来ていたという。


8. 1994 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 水曜日。27.50ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。ガルシアのヴォーカルが良かった由。(ゆ)


0315日・火

 今日は家人が3回目のワクチン接種。同居している二人が同じ日ではない方がいいだろうとの判断で、日をずらす。前回と同じく、注射されたところの筋肉痛があるという。

 あたしは歯医者の定期健診。一時、半年ほど休んだが、左下親不知がぐずぐずになって抜いてから、また月1回通うのが復活。その度に、帰りに桜台のコペでパンを買う口実になるので、文句は言わない。レジに、17日、ワクチン接種で臨時休業と出ている。前日16日は定休日だから、スタッフ全員一斉に受けるのかな。

 歯医者はなにごとも無し。左上奥がひと頃、噛むと痛んだが、懸命に磨いたら、ほぼ治った。それとオーラテクト・ガムのおかげでもある。あたしの場合、こいつは効くのだ。歯医者が状態が良いよ、と言うのも、これを噛んでいるためもあるだろう。遺憾なことに、ドラッグストアでは売っているところがほとんど無い。やむなく、ネットでボトルをまとめて買っている。



##本日のグレイトフル・デッド

 0315日には1967年から1990年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

 1940年のこの日、Phillip Chapman Lesh がバークリーに生まれた。

 1964年秋、 the Warlocks のライヴに行ったところ、客席にいたレシュをステージの上から見つけたガルシアが、うちでベースを弾けと誘ったのに応じて参加。

 ギターを経由せずにいきなりベースを演奏しはじめた点でまずユニークだ。加えて、ロック・バンドに加わる前は、前衛音楽をやっていた点でもユニークだ。その結果、デッドのベースは、他のロック・バンドで多少とも比べられるものを持たない、まことにユニークな存在となった。その演奏はおよそロック・バンドのものではなく、強いて分類すればジャズになるだろう。ロック・バンドの中にあってジャズをやっている。デッドの音楽のユニークさの、そう3分の1はレシュのベースが生み出していると言っても過言ではない。

 レシュはまた、デッドの音楽の土台の形成、その出発点に大きく関っている。サイケデリックと呼ばれることが多いが、デッドの初期の音楽、とりわけ即興はむしろ前衛やフリージャズに近い。音楽的なトリップにドラッグも関わっていたことは否定するまでもないが、その点はコルトレーンの音楽にヘロインが関っていたことからかけ離れたものではない。コルトレーンやマイルス同様、サイケデリックよりもよりクールに醒めた、ネットワーク的な音楽である。この要素は Space Drums または Rhythm Devils の形で最後までショウに組込まれていた。

 60年代のデッドはピグペンのバンドであると同時にレシュのバンドでもあった。表に立つピグペンを、裏でレシュが支える形だ。そしてフリーな、スペーシーな即興を主導する。特に60年代末、68年、69年には〈The Eleven〉や〈New Potato Caboose〉などレシュの曲が頻繁に演奏され、そこで展開される集団即興をレシュが主導している。ピグペンが初段となってバンドのロケットを打ち上げたとすれば、レシュはその進む方向を定めていた。

 《Live/Dead》録音後の1969年春から後にアメリカーナと呼ばれることになる音楽に方向転換したことは、ガルシアがピグペンから主導権を奪う形となり、ここでピグペン〜レシュの軸がガルシア〜レシュの軸に転換する。しかしこの方向はレシュにとってそれまでほど居心地の良いものではなかったらしい。その主導権は徐々に後退しはじめ、休止期を境にほぼ完全にウィアに移る。1976年以降のデッドの音楽を主導したのはガルシア〜ウィアの軸だ。レシュのベースはユニークな要素としてキャリア後半のデッドの音楽をユニークなものにし続けるが、前半のような、主軸となって牽引する形ではなくなる。Rolling Stone 誌の2015年のインタヴューで休止期を境に失われて戻らなかったものがある、と言っているのは、あるいはこのこと、つまり主導権の移動とそれによって初期のよりフリーで混沌とした演奏態度の後退を示唆しているのかもしれない。

 レシュはまたおそらくメンバーやクルーの中で最も冷静な頭脳の持主でもあった。そして、関係者の誰もが信頼できる相手でもあった。メンバー中最年長ということもあったかもしれない。全社会議の議長はたいていレシュが勤めた。レシュ以外に議長をつとめられる人間はいなかったのだろう。クロイツマンも信頼されていたが、かれは表にたって皆をまとめる性格ではない。また、ショウのための契約書でバンド側を代表して署名していたのもレシュだった。この点、ガルシアはデッド宇宙の中心で、いわば太陽系の太陽のような存在だったが、太陽と同じく、最終的に信頼できる相手ではなかった。

 1972年にドナ・ジーン・ガチョーが入るまでハーモニーの高音部を担当する。ハーモニーをつけるときは問題ないが、リード・ヴォーカルをとる時はなぜかひどくヘタになり、絶対音感の持ち主にもかかわらず、ほとんど音痴にまで聞える。絶対音感と歌が歌えることは別の能力なのか。



1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA


2. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。2.50ドル。ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ビル。セット・リスト不明。

%Bill Kreutzmann, Deal, 094pp.


3. 1969 Hilton Hotel, San Francisco, CA

 土曜日。"The Black and White Ball" というイベントでサンフランシスコ交響楽団のための資金集め。こういうベネフィット・イベントに出ているというのも面白い。シスコという街の音楽コミュニティの性格だろうか。

 トム・コンスタンティンによれば、当初メンバーは古い映画に出てくる白黒の囚人服を着て出るということだったが、実用的ではないということになり、結局ガルシアが海賊、ハートが快傑ゾロ、コンスタンティンは三角形の帽子までかぶった教会の鐘鳴らしに扮した。残念ながらPAの準備が遅れて、すべては台無し。

 〈Hard To Handle〉がデビュー。曲のクレジットは Alvertis Isbell, Allen Jones & Otis Redding。ピグペンの持ち歌で19710826日まで演奏されてレパートリィから落ち、1982年の年末、1230日、31日だけ復活。この時はゲストのエタ・ジェイムズがヴォーカルをとり、タワー・オヴ・パワーがサポートした。計111回演奏。


4. 1973 Nassau Veteran Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。5.50ドル。午後7時開演。ピグペンが死んで初めてのショウ。このヴェニュー初のショウ。

 会場は197202月オープンの多目的アリーナで、コンサートの店員は15,500。ロングアイランド、ニューヨーク市域東端から11キロ東に位置し、陸軍飛行場の跡地に建てられた。東京で言えば、幕張というあたりだろうか。ホッケーのニューヨーク・アイランダーズの本拠、バスケットのニューヨーク・ネッツのかつての本拠。プレスリーをはじめ、メジャー・アーティストによるコンサートは数えきれない。

 デッドはこの三連チャンを皮切りに199403月下旬の5本連続のランまで、計42本のショウをしている。うち10本が公式リリースされ、そのうち6本が完全版。


5. 1990 Capital Centre, Landover, MD

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。フィル・レシュ50歳の誕生日。1曲終るごとに "We want Phil!" がコールされた。結局、6曲目に〈Just Like Tom Thumb's Blues〉がレシュのリード・ヴォーカルで演奏される。《Terrapin Station  (Limited 3CD Collector's Edition)》で全体がリリースされた。この春のツアー16本のうち、このショウだけ《Spring 1990》《Spring 1990 (The Other One)》のボックス・セットに入っていない。

 この時期の特徴の一つは、ウィアやミドランドの存在感が大きくなり、ガルシアとタメを張ったり、掛合いをしたり、時にはお株を奪ったりするようになっている。たとえば〈Cassidy〉でのウィアのギター・ソロからのジャムや、〈Samson And Delilah〉で、歌の裏にミドランドがつける美味しいサポートだ。かつての、ガルシアのギターが常に核になり、他のメンバーはその周りをとり巻いていたのとは、完全に様相が変わっている。ガルシアとしてもそれを歓迎し、むしろ二人を煽ったり、二人にリードをとるよう促したりもしている。そして、二人の演奏を足がかりにして、独りだけでは届かないところへ行こうとしているようでもある。

 このショウは全体にテンポが速い。何かに追われているようだ、と言ってみたくもなるくらいだ。切迫感とはまた違う、ひたすら先を急ぎ、実際、どんどんと進む。進めないことで緊張が高まるのではなく、あふれ出てくるエネルギーを制御しかねている感覚もある。ほとばしるエネルギーということでは、前日よりもずっと大きい。最初から最後まで、全力疾走で駆けつづける。50になったレシュを筆頭に、みな40代後半であることを思えば、心配になるほどだ。アンコールはビートルズの〈Revolution〉は意表を突く選曲で、ガルシアが良いギターを聴かせる。

 〈Just Like Tom Thumb's Blues〉でのレシュの歌唱はまともで、どうしてこういう風に自作では歌えないのか、不思議になる。この曲は5年前の19850327日のナッサウが初演で、19950628日まで、計59回演奏。(ゆ)


0311日・金

 夜中、頻繁にトイレに起きる。膀胱満杯。微熱がある感じで、眼が覚めても寝た気はしない。どうしても郵便局に行かねばならず、出かける前に念のため熱を測るが平熱。ただ、頭はぼんやりしている。午後になってだんだんダルさが募り、1500前、寢てしまう。1800過ぎまで眠る。だいたい1〜2時間おきに小用に通うのは2回目と同じ。目覚めると、空腹感を覚えて、食事するとだいぶ回復。全体としては2回目と同じ状態。



##本日のグレイトフル・デッド

 0311日には1967年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー7日連続の2日目。セット・リスト不明。


2. 1968 Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 月曜日。3ドル、3.50ドル、4ドル。開演7時半。ポスターによれば、共演クリーム。となれば、デッドはたぶん前座。セット・リスト不明。


3. 1971 University Centre Ballroom, Northern Illinois University, DeKalb, IL

 これはどうやらキャンセルされたらしい。


4. 1992 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 水曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。ブルース・ホーンスビィ参加。


5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 木曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の最終日。Space に続いて Ken Nordine "word jazz" を2曲やった。

 Ken Nordine (1920-2019) はアメリカの声優、シンガー。深く響く声の持ち主で、コマーシャルや映画の予告篇に多数登場し、「名前は知らなくても、皆その声は知っている」と言われた。

 1957年に The Fred Katz Group とともにアルバム《Word Jazz》を発表したことで知られる。ジャズ・コンボの演奏をバックに小噺、ジョークを語る形。その「曲」にはなかなかシュールなものもある。

 デッドとの縁は1990年に、大晦日のオークランドからのラジオ放送の総合司会をガルシアから依頼されたことによる。放送のため、ノーダインはガルシア、ハート、それにハムザ・エル・ディンとともに即興を録音する。ここから《Devout Catalyst1991と《Upper Limbo1992のアルバムが生まれる。

 1990年の大晦日年越しショウはブランフォード・マルサリス、リバース・ブラス・バンド、ハムザ・エル・ディンが参加し、全体が FM で全国放送された。(ゆ)


0310日・木

 親族の勤務先の職域接種で3回目のワクチン接種。前2回はファイザーで、今回はモデルナ。都心まで出かける必要はあるが、会場そのものはがらがら。解熱剤をもらい、15分待機して、ぶらぶらと帰る。普段は階段を使うところも今日はエスカレータ。歩く速度もわざとゆっくり。入浴はできるが、注射した箇所はこするな。今日は何ごとも無い。

 着くのが早すぎたので、あたりを散歩。文京区の古いところで、大通りからちょっと入ったところに出世神社なるものがある。春日局の拝領地があったところの由。神社の境内?は狭い公園になっていて、社殿のすぐ脇の斜面を利用してすべり台が造られたりしている。こうなると、あまりありがたみは無い。それでも注連縄などは新しい。

 樋口一葉が近くに住んだという銘板もある。それでたしかみすず書房が近いはずだがと思いだす。紙工とか印刷とか製本とか、出版を支える仕事の小さな会社がいくつもある。目についたところでは一番元気そうなのは紙工が社名についた会社。ただ紙工は昔は本の函を作るのがメインだったと思うが、今は何をやっているのだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0310日には1967年から1993年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー7日連続の初日。7本連続ではない。休み無しの1週間通し公演。San Francisco Chronicles に小さな告知があり、会場の宣伝も残っている。後半?の宣伝には The Coasters が前座とある。セット・リスト不明。

 会場は有名なロサンゼルスのヴェニューの支店。

 The Coasters 1955年にロサンゼルスで結成されたリズム&ブルーズ・グループで、1950年代、一連のヒットを持った。現在も現役。ロックンロールの殿堂入りした最初のグループ。キャリアからいえば、デッドが前座をしてもおかしくないが、この頃は人気が衰えていたからだろうか。


2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY

 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。12.50ドル。開演7時半。これも良いショウの由。


3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 日曜日。Drums の後の〈Stella Blue〉が良い由。1980年代以降はこの位置で歌われることが多くなり、印象深い演奏も増える。


4. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 水曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の中日。前日とは打って変わってパワフルなショウの由。(ゆ)


0308日・火

 自分の医者に行く。尿酸値を下げる薬を1ヶ月飲んでの採血。待合室で血圧を測ると159/66。これは高いね、と診察室で測ると129/77。これなら安心だが、30も変わるかねと医者が驚く。インターバル速歩タオル握りは効いているらしい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0308日には1968年から1992年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA

 金曜日。"Jefferson Airplane & Friends" という名目で、デッドが前座。このヴェニュー2日連続の初日。ロサンゼルスの LA Free Press に広告がある由。セット・リスト不明。

 会場はアナハイムのディズニーランドの向いにあった円形のアンフィシアターで、客席が舞台をぐるりと囲む形。すぐに潰れたそうな。なぜか客はバンド名を "Dreadful Great" と間違えて読んでいた。


2. 1970 Travelodge Theatre in the Round, Phoenix, AZ

 日曜日。1時間半強のテープがあり、この日のものとされる。7曲目〈Hard To Handle〉から13曲目〈Wake Me Shake Me〉の途中までアコースティック。〈Wake Me Shake Me〉からテープ最後の〈Turn On Your Lovelight〉まで、正体不明のシンガーが参加し、ハーモニカを吹く。

 次は10日空いてニューヨーク。


 1973年のこの日、Ronald Charles 'Pigpen' McKernan が、長年のアルコールの過剰摂取による臓器不全で死去した。享年27歳。最後のショウは19720617日のハリウッド・ボウル。そこではピグペンは歌っていない。後に、ピグペンの父親は、息子とすばらしい人生を共にしてくれたことで心からの感謝を述べた手紙をバンドに送った。

 ジェリィ・ガルシアがピグペンと出逢うことでグレイトフル・デッドとなるバンドが The Warlocks として出発する。さらに、バンドが支持者を集めてゆくのに、ピグペンが果たした役割は限りなく大きい。ピグペンを生で体験してデッドヘッドになった人びとと体験せずにデッドヘッドになった人びとの間には越えがたい溝があるように思われる。録音を聴くかぎりでは、原始デッドはピグペンのバンドであり、ワーナーが最初の契約書を送った相手として想定していたのはピグペンをフロントとするブルーズ・ロック・バンドだったろう。ピグペン時代のデッドはいわばロケットの初段とも言える。そこは最も大きな推進力を必要とする。そして、ロケットがうまく飛びあがることができれば、初段は燃え尽きて切り離される。


3. 1992 Capital Centre, Landover , MD

 日曜日。23.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。

 そこらじゅう警官だらけで、検問がいたるところにあり、デッドヘッドが多数逮捕された由。



##本日のグレイトフル・デッド

 0307日には1970年と1981年の2本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1970 Santa Monica Civic Auditorium, Santa Monica, CA

 土曜日。合わせて75分ほどのテープが出回っており、この日のものと推定されている。そこに入っているセット・リストは恐らく一部。


2. 1981 Cole Field House, University of Maryland, College Park, MD

 土曜日。9ドル。開演7時。ボブ・マーレィ&ウェイラーズが前座の予定だった由。一級のショウらしい。(ゆ)


0307日・月

 母の眼科受診に付き添う。白内障手術後初めての受診。病院での所見で眼の表面に傷が多かったのでそれを治す目薬が退院の朝に急遽追加された。今日の所見ではかなり良くなっているので、その薬は中止。目薬は4種類になった。念のため、訊ねると、種類と頻度は減ってゆくが、最低でも1ヶ月から2ヶ月は続ける由。一つさすごとに5分はあけろというので、4種類さすと最低でも15分はかかる。母は高齢で動作も遅いから、ひとつさすのに5分はかかる。全部で結局30分以上。とまれ、経過良好ということだから、目薬はちゃんと自分でさせているわけだ。診察前の視力検査では手術前とあまり変わらず、もう少し出てもいいはずだが、高齢者の場合、視力の回復が遅れることがある、と主治医の弁。視野はずいぶん明るくなったと本人は言うから、手術したメリットは出ている。



##本日のグレイトフル・デッド

 0306日には1981年から1994年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1981 Stanley Theatre, Pittsburgh, PA

 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。


2. 1992 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。23.50ドル。開演7時半。


3. 1994 Blockbuster Desert Sky Pavilion, Phoenix, AZ

 日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。23ドル。開演5時。

 サウンド・エンジニアの Dan Healy がこのショウを最後にクビになった。原因は今一つ、定かではない。この時期、ウィアのヴォーカルにディレイやリヴァーブなどの効果をかけることが多く、ためにウィアはモニターが聴こえづらかった。スティングが前座をした時、同様の操作でPAの調子がおかしく、これによって問題が表面化した。という説が一つ。ヒーリィがヘロインを入手するため、 SBD をヨーロッパのブートレグ業者に売っていたことが発覚した、という説が一つ。その他にもいくつかある。

 ヒーリィがウィアのヴォーカルにエフェクトをかけた理由もよくわからない。時には、喉の調子が良くないのをカヴァーすることもあるから、そのせいかとも思うが、たいていはこれは要らないよ、と思える。あるいはデッドのスタッフが例外なく感じていた過剰なまでのストレスへの対策の一つなのかもしれない。デニス・マクナリーの本によれば、最後には俺をクビにしろとさかんに言っていたともある。辞任する気にはなれなかったのか。

 ヒーリィはアウズレィ・スタンリィが作ったPA工房の Alembic のメンバーでもあり、デッド草創期からのファミリーの一人で、長くサウンド・エンジニアを勤め、復帰後のデッドのPAシステムの音響改善に貢献している。1980年代以降の公式録音の担当者でもある。(ゆ)


 昨日で大腸がんの開腹手術を受けてから丸5年経過しました。この間、再発、転移の徴候はなく、まず大腸がんは治ったといえることになります。

 抗がん剤治療の後遺症は、意識してみると足先の痺れはまだ残っているなというのと、体の表面があちこちいきなり痒くなるのがあります。後者は抗がん剤なのか、老化現象かわからないですが。
 
 ほっとしたというよりは、不思議に生きながらえた、という想いです。手術前に言われた最悪のケースならば、とっくにこの世におさらばしていたわけで、そうならずにここまでこれたのはやはりありがたい。どんなクソったれな世の中でももう少し、生きられるところまでは生きていたい。手術後1年くらいは、とにかく生きていること、まともにものが食べられて、それがきちんと排泄されることだけで嬉しかったものですが、だんだん慾が出てきました。お迎えがいつ来てもいいというよりは、今日はまだ来てほしくないという方が強いです。
 
 心がけているのは無理はしない。動作はゆっくり着実に。適度の負荷をカラダとココロに毎日かける。エレベーター、エスカレーターは使わず、階段はチャンスと思う。歩幅を大きめに意識して歩く。野菜を多く、肉は少なく、緑茶を粉にして飲む、夜9時過ぎたらものを食べない。竹踏みは毎日欠かさない。水分をとる。
 
 これで効果があるぞ、と大声で言えるようなことはありませんが、こういうことをしている方が気持ちがよい、調子が良いと思えるようにはなりました。

 課題としてはもう少し歩くのを増やしたい。毎日歩いてはいますが、4,000歩前後で、長時間歩くのを増やしたい。入院する前は1万歩以上、ほとんど休まずに歩くことも多く、すれすれでセーフだったのもそのおかげかとも思っています。歩くといろいろ発見もあって楽しいんですが、本を読みながらは歩けないのでねえ。

 肉食が増えて、わが国でも大腸がんは増えているそうです。自覚症状が無いことが多いので、健康診断はきちんと受けましょう。ぼくも腸閉塞になるまで、自覚症状はまったくありませんでした。少なくともおなかがおかしいという自覚はありませんでした。それと野菜を食べましょう。野菜が高いとかいったって、がんになるよりはマシじゃないですか。スイーツはなるべくフルーツを。シュークリームよりリンゴの方が安い。"An apple a day keeps the doctor away." という諺もあります。

 手術前に言われた最悪のケースというのは、がんが腸から外へ出て、がん細胞が腹腔内に飛び散った状態です。がん細胞が腹腔内に散っているかどうかは開腹してみないとわからないそうです。ぼくの今回の場合はがんは腸を破って外へ出ていましたが、まだまとまっていて、飛散してはいませんでした。腹腔内に溜まっていた水の中にもがん細胞はありませんでした。またがんが1ヶ所だったことも幸いだったでしょう。

 現在わが国では二人に一人はがんにかかると言われて、がんは特別な病気ではなくなりました。またぼくのように治ることも珍しいことではない。とはいえ、やはりならないですめばその方がいいものではあります。抗がん剤治療というのはほんとうに「治療」といえるのかという疑問も残りました。

 近所には別々の部位のがんの摘出手術を3回受けた人もいます。元気に飛びまわっておられます。それに比べればぼくなどはかけだしですが、こればかりはかけだしで終りたいものであります。(ゆ)

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