クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:古典

9月14日・火

 グラント回想録11章は米墨戦争のクライマックス、メキシコ・シティへの攻撃を描き、その中で Churubusco の戦いにも触れる。この戦いはメキシコ・シティへの攻撃中最も激しい戦闘になり、アメリカ軍は一時前進を阻止される。ここでアメリカ軍に対抗したのは、移民出身の兵への軍隊内の差別に憤激して脱走し、メキシコ軍に加わった元アメリカ兵だった。中心になったのがアイルランドからの移民だったためメキシコ側で El Batallon de los San Patricios、アメリカから St. Patrick's Battalion と呼ばれた。この一件を音楽にしたのがチーフテンズ最後の傑作《San Patricio》。
 

San Patricio (W/Dvd) (Dlx) (Dig) (Ocrd)
Cooder, Ry
Hear Music
2010-03-09


The Annotated Memoirs of Ulysses S. Grant
Grant, Ulysses S.
Liveright Pub Corp
2018-11-27


 

 このチュルブスコの戦いの描写への注で、サメトはグラントの叙述が同時代の他のものと異なり、戦闘の準備と結果とその影響のみ記すと指摘し、これが ellipsis of battle と呼ばれる漢詩の技法で、戦闘中の英雄的行為の描写は詩に描く価値はないとして省略するものに似ているという。その詩の実例として屈原の "Battle" をアーサー・ウェイリーの訳で挙げている。この英訳はウェイリーが翻訳編集したアンソロジーからの引用。その原詩を求めて『楚辞』を借りたわけだが、調べたところ集中「九歌第二」の第十、国殤篇と判明。小南一郎による訳注の167pp.
 「国殤は、戦いの中で国のために死んだ兵士の霊。この場合は、戦闘馬車に乗った指揮官の霊。殤は天寿を全うせぬまま、非業に死んだ者の魂。あるいは祀る者のいない死者の霊。この篇は、そうした国殤の生前の勇敢な戦いぶりを歌って、その魂を慰めようとする鎮魂歌謡」

と注にある。

楚辞 (岩波文庫)
岩波書店
2021-06-16

 

 この邦訳によればウェイリーの英訳のうち、2ヶ所は疑義がある。それに "Battle" という訳題はいささかずれると言えるだろう。

 原詩の意図としては鎮魂にあって、戦闘描写の省略という手法があるとしても、ここではむしろ結果だろう。一方で、グラントがこの回想録を書いたのも、金を稼ぐことが第一の目的としても、それとともに鎮魂の意図もおそらくあったと推測できることが、図らずも明らかになる。

 グラントは南北戦争を連邦軍(北軍)の勝利に導いた名将ではあるが、戦争の本質的な残酷さをとにかく嫌いぬいていた。勝つためには残酷な結果を招くとわかっている命令を出すのをためらわなかったし、シャーマンの焦土作戦を支持してはいたものの、戦争は無いのがベストと考えてもいた。南北戦争に従軍した他の将軍たちが戦後次々に回想録を出すのを見ながら、かたくなに回想録執筆を拒んでいたのも、嫌いなことをやったのを回想などしたくなかったとも見える。それが、自らの死とそれによる家族の困窮に直面して執筆を決意したとき、死んだ人びとがどう戦ったかではなく、なぜ戦い、どういう結果を生んだかを記すことが何よりの供養と考えたとしても不思議はない。

 そして考えてみれば、戦争で殺された人びとを供養・鎮魂するのに、他の方法があるとも思えない。



##本日のグレイトフル・デッド

 9月14日は1974年から1993年まで7本のショウ。公式リリースは無し。


1. 1974 Olympiahalle, Munich, West Germany)

 2度目のヨーロッパ・ツアー(3度目のヨーロッパ遠征)はロンドン、ミュンヘン、パリの3ヶ所で、ミュンヘンはこの1日のみ。アンコール3度という出血大サービス。


2. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt

 デッドの海外遠征でおそらく最も有名なエジプト、ピラミッド脇での3日間の初日。当時デッドのマネージャーをしていた Richard Loren がバンドの休止中に観光で行ったピラミッドを見て、ここでデッドの演奏を見たいと思いついて始まった前代未聞、空前絶後の企画。この企画のため、デッドはそのキャリアで2度めの記者会見も行う。チーフテンズは西側のポピュラー音楽のバンドとしておそらく初めて中国に行ったが、ピラミッドには行かなかった。商売を考えたら、中国に行く方がよほど筋が通る。しかし、商売の常道には背を向けるのがデッドの常。エジプト政府公認ではあった(この初日には当時の大統領サダトの夫人が最前列で見ていた)が、財政援助されたとしても、元はとれなかったはずだし、その後の商売に貢献した形跡もない。ライヴ・アルバムを出す予定もあったが、帰国後、テープを聴いたガルシアは使えないと判断した。30年後の2008年になって《Rocking The Cradle》として出る。ただし、これには、ボーナス・ディスクを含めても、この初日の音源は1曲も採用されていない。この日はアンコール無し。

 まさにこのデッドのエジプト遠征中、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が、カーター米大統領の仲介でキャンプ・デーヴィッド山荘で会談し、歴史的合意に至っているのは、デッドにつきもののシンクロニシティの一つではある。

 エジプト遠征直前、デッドはロゥエル・ジョージをプロデューサーに迎えて《Shakedown Street》となるアルバムの根幹を録音している。


3. 1982 University Hall, University of Virginia, Charlottesville, VA

 大学でのショウでこの時期としては珍しくポスターが残っている。料金12.50ドル。


4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 当時記録を作った最初の9本連続 MSG の初日。キングコングをフィーチュアしたポスターが面白い。料金20ドル。


5. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 この時は6本連続の初日。


6. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 2度目の MSG 9本連続の6本め。こういう時は3日やって1日休む。ブルース・ホーンスビィ参加。


7. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続の最終日。(ゆ)


9月13日・月

 図書館から借りた『楚辞』岩波文庫版は出たばかりの新訳新注だった。

楚辞 (岩波文庫)
岩波書店
2021-06-16






 パラパラやり、解説を読んでみれば、これはかなり面白い。「詩経」よりも面白そうだ。ちゃんと読んでみよう。漢文を習ったのは高校が最後だが、その頃は屈原は「離騒」の作者と教えられた。今はすっかり伝説の人になってしまった。「史記」列伝に記事があっても、他の文献にまったく出てこないし、決定的なのは「淮南子」にひと言も無いことだそうだ。聖徳太子も似たようなもんなんだが、あちらはまだ実在を信じている人が多い。

 楚は長江中流域の洞庭湖周辺のあたりをさす。黄河文明に対して長江文明の方が古いという話もあるくらいで、「詩経」に対して「楚辞」は南方文化の代表になるらしい。だいたい「離騒」が天上界遊行の話だとは今回初めて知った。高校の時習ったことで覚えてるのは、屈原がどこかの淵に身を投げて死んだということだけで、「離騒」はその遺書だと思っていた。とんでもない、古代中華ファンタジーではないか。

 グラント回想録へのサメトの注釈のウラを取ろうとしたら、瓢箪から駒が出た部類。しかもちょうど新訳新注が出るというのは、やはりシンクロニシティ、呼ばれているのだ。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月13日には1981年から1993年まで5本のショウをしている。うち公式リリースは1本、1曲。


1. 1981 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA

 この会場3日連続最終日。アンコールの〈Brokendown Palace〉が良かったそうだ。このタイトルはスタインベックの Cannery Row(缶詰横丁) に出てくる、ホームレスたちが居座った大きな倉庫か納屋の呼び名が原典、というのを最近知る。福武文庫版の邦訳では「ドヤ御殿」。うーむむむむ。ハンガリー系の作家 Steven Brust Brokendown Palace という長篇がある。かれのファンタジー Dragaera Empire ドラーガラ帝国シリーズの1冊で、これだけ独立した別系統の話。ハンガリーの民話をベースにしながら、デッドの歌の歌詞が鏤められているそうな。地図に出ている地名はデッドの歌のタイトルのハンガリー語訳の由。ハンターとバーロゥも含め、デッドのメンバー全員一人ひとりに捧げられている。著者はドラマーでもあるので、クロイツマンとハートは別記。

キャナリー・ロウ―缶詰横町 (福武文庫)
ジョン・スタインベック
福武書店
1989-05T


Brokedown Palace (Vlad Taltos)
Brust, Steven
Orb Books
2006-09-05

 


2. 1983 Manor Downs, Austin, TX

 機器のトラブルがひどくて、まともな演奏に聞えなかったらしい。


3.1987 Capital Centre, Landover , MD

 同じヴェニュー3日連続の最終日。


4. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続の5本め。


5. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA

 後半8曲目、Space の後の〈Easy Answers〉が《Ready Or Not》に収録。この曲は Bob Bralove, Bob Weir, Vince Welnick & Rob Wasserman というクレジット。作曲に関ったためか、ウェルニクのソロもある。変わった曲で、しかも曲として仕上がっていないように聞える。この年の6月にデビュー、最後まで演奏されて44回。ライヴでもう少し変わったか。90年代デッドを象徴するようなところもある。

 ショウ全体はこの時期でベストの出来のひとつだったそうだが、この曲はショウの中で最低の出来のようで、どうしてこれを選んだのか、意図を疑う。《Ready Or Not》は90年代の良い演奏のサンプラーのはずだが。

 曲自体は Rob Wasserman のアルバム《Trio》用にウィアが書いた曲の一つで、この曲の3人目はニール・ヤング。ウィアが2曲書いたうちのこちらをワッサーマンは選んだそうだ。ニール・ヤングのギターとウィアのヴォーカルならそれなりに聴ける。(ゆ)

Ready Or Not
Grateful Dead
Rhino
2019-11-29


Trios by Rob Wasserman
Rob Wasserman
Grp Records


 作品の数は少ないし、こんなことをやろうという人間も他にいなかろうから、この際、キャサリン・マクリーンの全作品を読んでみようと思いたった。もちろん全作品を読まねばならない作家は他にもたくさんいるが、作品の数が少ないというのは有利だ。ただ、実際にやろうとすると、大きな問題が浮上する。

 Katherine MacLean は今年9月、94歳の高齢で亡くなった。デビューは1949年10月の Astounding。最後に小説を発表したのは1997年2月、やはり Analog だった。作品は長篇4本に中短編45本、ではあるが長篇のうち1本は中篇3本をまとめたもの、別の長篇1本は中篇の拡張版。長篇版だけでなく、原型も読んでみるつもりではある。他に Charles Dye 名義でおそらくマクリーンが代筆していると思われる短篇が1本。この作品数の少なさが災いしてか、あるいはウォルター・M・ミラー・ジュニア(この人もあらためて全作品を読みなおしたい書き手の1人)のような決定的な長篇を書かなかったせいか、アメリカでもまともに評価されているとは言い難い(フェミニズムの方面からも無視されている)が、サミュエル・ディレーニィがマクリーンをネビュラのグランド・マスターに選ぶべきだ、と言ったのは的を射ていた。

 ネビュラにはグランド・マスターとならんで Author Emeritus がある。SFF界に大きな貢献をしたが、その後忘れられた書き手を顕彰するもので、1995年から2010年まで14人に授与されている。マクリーンは2002年にこれに選ばれている。ちなみにジュディス・メリルが1996年に選ばれている。

 他の受賞者を貶めるわけではないが、メリルと並んでマクリーンの影響力の大きさはレベルが違うように思う。デヴィッド・ハートウェルはジュディス・メリルとヴァージニア・キッドとともに1950〜60年代にSFをひっくり返した女性にマクリーンを挙げている。Virginia Kidd (1923-2003) は作家、アンソロジスト、リテラリー・エージェントとして活躍した。エージェントとしての活動が最も大きく、ル・グィン、キャロル・エムシュウィラー、ティプトリー、アン・マキャフリィ、ジョアンナ・ラス、ラファティ、ジーン・ウルフなどを顧客とした。

 あたしがマクリーンの名を知ったのはSFMで「雪だるま効果」を読んだ時だ。掲載は1965年7月号だが、この号は古本で買ったから、ずっと後になってだ。1976年6月の再録の時かもしれない。訳は深町さんで、その後、浅倉さんが編んだ講談社文庫のアンソロジー『世界ユーモアSF傑作選2』に入っている。ネビュラを獲ったノヴェラ The Missing Man も深町さんの訳「失踪した男」をSFMで読んでいるはずだが、よくわからなかったというのが正直なところ。しかし、メリルがあちこちで名前を挙げてもいて、気になっていたのだろう、本は目につくと買っていた。もっとも中短編のうち2冊ある作品集に収録されているのは20本にすぎない。それ以外のほとんどは初出の雑誌やアンソロジー掲載のみだ。
 当初ネックになると思われたのは1950年代の雑誌掲載のみの短篇群なのだが、これは幸い、野田昌宏文庫に1冊を除いて掲載誌の存在が確認できたので、近々閲覧に赴く予定。無い雑誌は Authentic Science Fiction Monthly #54, 1955-02。これは英国の雑誌でチャールズ・L・ハーネスの "The Rose" を掲載したことで知られる。

 それよりも、全篇読破の最大の障碍になりそうなのが1963年の "Six Scenes in Search of an Illustration" の中の1篇である。George H. Scithers (1929-2010) が編集発行していたファンジン Amra, V2n27, 1963-11-16 に掲載された。この号の中央に挿入された Roy G. Krenkel (1918-83) のイラスト 'Swordsman and Saurians' に合わせて6人の書き手が1篇ずつ書いたもの、らしい。ページ数からして各自1ページのショートショートと思われる。

amracover

 Amra (1956-1982) は “swords & sorcery” の呼称を最初に使った媒体として知られ、ロバート・E・ハワードをはじめとしたこのサブジャンルに特化していた。1964年と68年の2度、ヒューゴーの Best Fanzine を受賞している。サイザーズは後1977年に Asimov's 誌創刊編集長となり、さらに2度、ヒューゴーを受賞する。

 マクリーン以外の書き手は Fritz Leiber, John Pocsik, Michael Moorcock, Richard Eney, L. Sprague de Camp。このうち Dick Eney (1937-2006) はワシントン、D.C.周辺の住人で、サイエンス・フィクション草創期からのファン。小説作品として発表したのはこれのみらしい。John Pocsik はまったく不明だが、やはりファン・ライターの一人だろう。

 推測だが、この年D.C.で開催されたSF大会 Discon I でヒューゴー賞のプロ・アーティストをクレンケルが受賞したことの祝賀ないし記念のための企画ではないか。プロの4人が協力したのも当時のSF界の親密さの現れ、ないしサイザーズの人脈であろう。

 クレンケルは Amra でソード&ソーサリーのイラストを描いたことでドナルド・ウォルハイムに注目され、DAW Books のE・R・バローズもののカヴァーを描くことになり、後のヒロイック・ファンタジイはじめ、ファンタジィのイラストレーションに大きな影響を与えた。1960年代のバローズ復権の立役者とされ、その貢献の大きさはバローズの遺族も認めている。Ace, DAW, Lancer などのペーパーバックのヒロイック・ファンタジイものの表紙を数多く描いている

ERBMoonMaid


 ライバー、ムアコック、ディ・キャンプはヒロイック・ファンタジイのつながりからここにいるのはわかるが、マクリーンの作品はヒロイック・ファンタジイとは無縁だ。なぜ、参加したのか、また、これがどんな作品か、気になる。のではあるが、全部で20ページしかないファンジンは、さすがに野田さんのコレクションにも無い。ここに無ければ、国内には無いだろう。アメリカのどこかの大学図書館にでも行かないと見られそうもない。

 ライバーやムアコックを全篇読破しようとすれば、同じ問題にぶつかるわけだし、他の作家でも同様のものはあるだろう。知らなければ知らないですんでいたが、ISFDB にはこういうものまで出ている。(ゆ)

 Science Fantasy, Vol.10, No. 28, 1958BookFinder で出てきた一番安いものを注文してみたら、60年前のものとは思えないほど綺麗な本が届いた。

sfv10n281958


 この古雑誌を買ったのは目玉作品の Harry HarrisonKatherine MacLean の共作ノヴェラ Web of the Norns を読むためである。二人の共作は2本ある、その2本めで、今のところ、この雑誌掲載のみだ。もう1本の Web of the Worlds (1953) は Damon Knight の Rule Golden とのカップリングで2012年に単行本として復刻されている。

 ハリィ・ハリスンも過小評価されていないか。SFWAのグランド・マスターではある。SFを読みだした頃、創元文庫の『死の世界』三部作は愛読した。ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号の冒険』『非A』『武器店』とともに、SFの面白さの基本を教えてくれた作品だ。あたしの場合、これにクラークの『地球幼年期の終わり』と『銀河帝国の崩壊』が加わって、土台になる。その次の基礎が『終着の浜辺』までのバラードと光瀬龍の宇宙年代記。続いてメリルの『年刊傑作選』によって一気に世界が広がった。

死の世界〈第1〉 (1967年) (創元推理文庫)
ハリー・ハリスン
東京創元新社
1967



 しかしここではハリスンではなく、マクリーンが目的だ。マクリーンの中短篇集の作品を選んでくれという依頼もあって、あらためて読みだしてみたのだが、全部で50本弱ある中短編のうち、単行本にまとめられているのは3割ほど。全体像を摑もうとすれば、古い雑誌を集めるしかない。

 この中篇に編集部のつけたマクラによれば、マクリーンにしても、この頃はまだアメリカの作家だったハリスンにしても、その作品がイギリスの雑誌に掲載されるのはこれが初めて、とある。また、元は長篇だったものを、編集部の要請で短縮したものだ、ともある。元の原稿がどこかに残っているとすれば、読んでみたい。もっともこの頃は35,000語あれば長篇だったから、もともとそんなに長くはないかもしれない。

 これが雑誌掲載のみで終っていることには、それなりの理由があるはずだ。それを確認するために、この雑誌を買った。前作と関係があるのか、無いのかも、読んでみなければわからない。そして、読むためには、初出雑誌を手に入れるしかない。こういう古いSF雑誌の図書館、野田昌宏文庫はアメリカものはまあまあだが、イギリスのものは手薄のようだ。それに、ここは大宅壮一文庫とは異なり、新たな蔵書の獲得、受け入れは行っていないらしい。

 それにしても、この表紙のモダンなことはどうだ。ほとんどシュールレアリスムではないか。描き手の Brian Lewis は前年からカヴァー絵を担当して、洗練された表紙を生んでいるが、これはその中でも出色。

 雑誌の発行元 Nova Publications は New Worlds の発行を続けるために編集長の John Carnell が仲間とともに設立した。Science Fantasy は1950年に創刊され、1951年からカーネルが New Worlsd の編集長と兼ねる。New Worlds よりもファンタジィ寄りで、毎号ノヴェラを1本と短篇という構成。1964年に Nova は倒産するが、Roberts & Vinter が引き取り、Kyril Bonfiglioli を編集長にする。1966年に Impulse と改名。ハリスンは1966年10月から半年、編集長を務める。

 アメリカの雑誌との違いで目立つのは、内部にイラストが一切無いところ。ひたすら活字だけがならんでいる。F&SF も作品にはイラストを付けないが、ひとこまマンガを載せている。

 広告も自社広告のみであるのは、創刊当時の『SFマガジン』にも通じて、どこかほほえましい。

 さて、このハリスンとマクリーンの共作を読む順番をどこに押しこもうか。(ゆ)

 無知で妹背山婦女庭訓三笠山御殿の段はほとんどわからず。とりわけ、蘇我入鹿役の楽善のセリフがまったくわからない。他の役者のは七、八割方はわかるから、必ずしもこちらだけの問題ではないだろう。と思ったら渡辺保は「口跡は明晰」と言うから、やはりあたしにはまだ「歌舞伎耳」ができていないのだろう。

 いかにも歌舞伎の古典もの。長い話の一部だけを抜き出して語るのは、世界のどこでも伝統芸能では普通に見られる。ただし、その場合、聴き手ないし観客がその語りを楽しむには話の全体像を知っている必要がある。そこが無知なので、充分楽しめない。

 いいなと思ったのは松緑の鱶七。きびきびして、かつゆったりと大きな動き。何だかなあと感じたのは官女たち。いじめているのはわかるのだが、完全に型にはまっているように見えて、憎らしさが出てこない。渡辺の言うとおり男の地声を出すのは興醒めする。

 文屋は菊之助の舞い。先月の喜撰よりもずっと面白い。ひょっとすると3階の上から見たからかもしれない。この角度の方が動きがずっとよく見える。踊りは上から見るべきか。

 六人の腰元が群舞につくが、菊之助を先頭に後ろに六人直線に並んで踊るあたり、『リバーダンス』冒頭のシーンを連想する。どちらが先、というよりはおそらくは各々独立に思いついたのではないか。菊之助の舞は見ているだけで相当にハードなもので、動きがゆっくりなだけに、難しい姿勢、動きを美しく見せるのは並大抵の精進ではなかろう。相当に基礎訓練を積んでいるはずだ。美しいだけでなく、コミカルでもある。先の菊之助を先頭にした群舞でも、後ろに並んだ腰元たちが、菊之助から将棋倒しになる。

 ユーモラスというのとはまた少し違うようにも感じる。自他の区別をつけない日本文化の性格が現れているようでもある。笑いは文化のコアに直結していて、日本語の笑いは英語のユーモアとはおそらく別なのだ。日本の舞ではダイナミズムやスピード感がごく小さいが、こういうコミカルかつ優雅な舞はヨーロッパには見当らない。

 野晒悟助は独立した話でもあり、婦女庭訓よりもわかりやすい話で、なかなか面白い。ただ悟助役の菊五郎が高齢で、動きにキレがまったく無いので、乱闘シーンがアクロバットだけになる。見得はあるけれど、その前後とつながらず、苦しいように見えた。もっとも立ち回りの四天が音羽屋と大きく書いた傘を駆使して、アクロバットや絵を作っていたのは、うまい開き直りではある。それを言えば、引っくり返って、赤褌を剥き出しにするのも、緊迫感が漲るはずの乱闘シーンをうまくひっぱずす。二幕の冒頭で悟助の若党が浄瑠璃を唸る代わりに「長崎は今日も雨だあった〜」とうたいだすのも、その後で悟助が「今、ヘンなうたが聞えなかったか」と当てるのも、効いている。

 婦女庭訓でも感じたが、シリアスな話と思っているといきなりはずすセリフや動きをはさむのは面白い。ヨーロッパ流の喜劇、悲劇の別とは異なる。女殺油地獄の立ち回りもそうだが、シリアスとユーモアが一つのシーンに同居することが可能だし、それをともにうまく出すのが歌舞伎や浄瑠璃の醍醐味でもあるだろう。とはいえ、これは基調はコメディなのだろう。ここでも堤婆の仁三郎役の左團次のセリフがほとんどわからない。となると、あるパターンのセリフが聞き取れないのだろうか。どちらも悪役だ。

 ラスト、返しの乱闘シーンのバックの音楽が面白い。ほとんどダンス・チューンだ。ここはセリフがなく、掛け声とこの音楽、それに床を棒で叩くツケだけで進行する。ツケはここぞという動きを強調するアクセント。演じられているドラマの緊迫感を出すのは音楽だ。3階だとこのツケ打ちの音の反響が聞えるのが楽しい。

 今回は3階東の袖、桟敷上の席で、ここからは舞台の上手ほとんど3分の1は見えない。その代わり、黒衣の動きがよく見えるのが楽しい。舞踏の時の後見が舞台の奥を中央へ移動する際の足の運び。蹲踞のまま歩くのは、相当に筋力が要るはずだが、それをいとも簡単にさっさと進む。

 踊りの動きがよく見えるとともに、役者の足さばきもよく見える。女形の歩き方の美しさは初めて腑に落ちた。細かく小さく足を出して、するするすると進む。和服の女性の歩きかたはあれが基本になる。そうしてみると役のキャラによって歩き方が異なる。というよりも、歩き方によって役のキャラを表しているのだ。とりわけ花道に出てくる時の歩き方だ。舞台に出る最初だから、そこでまずキャラクターを観客に印象づける。花道に出てくる時は舞台に向かって歩くしかない。こういう手法は、自然な演技を旨とする舞台では難しいだろう。

 歌舞伎は仕種の一つひとつがある意味を備えている。具体的な意味のときも抽象的なもののときもある。しかし、まったく無意味、あるいは単に日常世界での体の動きそのままということは、おそらく皆無なのだ。そういう意味を的確に読みとれるようになると、本当に面白くなってくるのだろう。

 席は脚の前に空間がなく、脚を組むこともままならないし、幅が狭く、胡座もかけないので、窮屈。これまでの席は、1階右後方、1階東桟敷、2階花道真上最前列。2階花道の真上が一番面白く見られた。ただし、ここも最前列は前が窮屈。

 歌舞伎座の昼が16時10分前終演で、16時には夜の部開場、16時30分開演というのはなかなか凄い。まだ昼の部の客が客席から出終らないうちに、マキタを持った作業員がどんどん入ってくる。(ゆ)

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