クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:台湾

 3年前の正月に初めて体験して仰天したシンガー、台湾の先住民のひとつ、タロコの東冬侯溫が御忍びで来るとのことで、ミニ・コンサートがあります。

 東冬侯溫のあの声は唯一無二。先日来た、やはり台湾の別の先住民の以莉・高露の声も凄かったけど、あの人の声はあくまでの人間の声。東冬侯溫の声はこの世ばなれしているところがあります。人間の喉から出ているとは思えません。少なくとも人間の喉だけから出ているとは思えん。あたしは神とは言いませんが、この宇宙を造り、動かしている力が宿っているように聞えます。これは録音では聴けたとしてもごく一部で、生を聴かないとわからない。歌そのものもたいへん面白い。人の声と歌に多少とも関心があるなら、体験すべきでしょう。

 かれはシャーマンでもあって、3年前のときもコンサートの前に、観客代表も招いて、その場を潔め、また終った後、場を解く儀式もしてました。それも面白い体験でした。今回もやるのかな。

 以下、いただいた情報を転載します。会場は30人も入ればいっぱいのところらしいので、予約は必要でしょう。(ゆ)


「山の記憶を追って  
~タロコの里よりマレビト静かに再来日~」

3年前の来日公演で聴き手を震撼させた台湾・花蓮のタロコのシャーマン後継者、東冬侯温(トントン・ホウウェン)が一番弟子テムー・バサオと共にお忍び来京することになり、急遽ミニライブを企画いたしました。アットホームな場でおしゃべりを楽しみながらのライブとしたいと思っています。ぜひお出かけ下さい。

12/19(水) 19:00開演(20:40終演予定) 

小田急線 読売ランド前駅北口の「ちゅうりん庵」

お代:2500円(前売り当日共)
前座を私共アンチャン・プロジェクトが相務めます。
小さなスペースです。必ずご予約下さい。
ご予約・お問い合わせ:アンチャン・プロジェクト(安場 淳  rxk15470@nifty.com)

 イーリー・カオルーと読む。漢字表記では以莉・高露。台湾の先住民の一つ、アミ族出身のシンガー・ソング・ライターとのことで、ぜひ、生の声を聴いてくれと言われていた。

 なるほど、違うのである。CDの録音の質は決して低くない。むしろ、かなり良い方だと思う。録音は生の声を捉えていないと聞かされていたから、それを念頭において聴いたつもりだが、その声の質もしっかり捉えているように聞えた。それが、やはり、まるで違うのである。

 どこがどう違うというのが言葉にしにくい。この人の声は天然の声だ。伝統音楽、ルーツ・ミュージックから出てきた優れたシンガーの通例に漏れず、この人も自然に溢れるように声が出てくる。むしろ華奢に見える体のどこからこんな声が出るのだと不思議になるくらい、量感に満ちた声が滔々と溢れだす。声域も広い。伝統音楽のうたい手は一般に声域はあまり広くなく、その代わり出る範囲の声の響きの豊かさとコントロールの効いていることでは、他の追随を許さない。この人は高く通る音域から低く沈む音域まで、かなり広い範囲を自在にコントロールする。強く、張りのある声から、耳許で囁くような声に一瞬で移ることもできる。何か特別の訓練でも受けているのかと思われるくらいだ。その点で肩を並べるのは、マリア・デル・マール・ボネットとかリエナ・ヴィッレマルクのクラスで、スケールの大きさでは、ゲストの元ちとせよりも1枚上だ。

 録音ではこれはわからなかったと思ったのは、中域の膨らみで、倍音をたっぷりと含んだその響きを録音で捉え、きちんと再生するのはかなり難しいだろう。もっとも、こうした膨らみは、伝統音楽のすぐれたうたい手ならまずたいていは備えていて、たとえばドロレス・ケーンやマリア・デル・マール・ボネットは録音でもしっかりわかる。

 しかし、録音との違いは、中域の膨らみだけではない。とにかく、何もかもが違う。一方で、強い個性があるわけでもない。個性の点では元ちとせの声の方がはるかに個性的だ。イーリーさん、と呼ばせてもらうが、イーリーさんの声は、いわばポップスのいいシンガーの声と言いたくなる。CDではまさにそういう声である。唄っている曲の感触、録音の組立てもそれに添ったものでもあって、先住民文化の背景は意識しなければわからない。2曲ほど、伝統曲やそれに則った曲はあるが、それもとりわけルーツを前面に押し出したものではなく、全体としての作りは、上質のポップスだ。むしろ、あえてルーツ色や台湾色は薄めようとしているようにも聞える。エキゾティックなのは言葉だけだ。

 生で聴くと、うたい手として世界でも指折りの存在になる。アジアではちょっと他にいないのではないかとすら思える。テレサ・テンは生で見られなかったが、あるいは彼女に匹敵するのではと憶測してみたくなる。あるいは絶頂期の本田美奈子か。むろん、イーリーさんに「ミス・サイゴン」を唄ってくれと頼むつもりは毛頭ないが、その気になれば、悠々と唄えるだろう。元ちとせと声を合わせた奄美のシマ唄を聴くとそう思える。どうやら、昨日、会場のリハーサルで初めて習ったらしいが、歌のツボをちゃんと押えて、自分の唄としてうたっていたのには、舌をまいた。

 しかも、この人は、一見、そこらにいる、ごくフツーの「隣のおばさん」なのだ。おそらくは、どこまでもフツーで、でも器の大きな、いわゆる「人間の大きな」人なのだろう。その存在感が声に現れているのだ。だとすれば、これは生のライヴでしか、味わえない。少なくとも、一度は生で聴かないと、その凄さは実感できない。いつものように眼をつむって聴いていると、ひどく朗らかなものに、ひたひたと満たされてきて、安らかでさわやかで、しかも充実した感覚が残る。

 サポートするギターとピアノも一級のミュージシャンで、見事なものだが、イーリーさんの大きさに包まれているようにも見える。

 実は元ちとせを生で聴くのも初めてで、なるほど、この人も大したものだ。同時に、世に出ている録音のひどさに腹が立ってくる。この声を台無しにしているのは、ほとんど犯罪だ。前にも書いたが、ダブリンでチーフテンズと録音した〈シューラ・ルゥ〉の現地ミックスはすばらしかったことが蘇ってくる。あのヴァージョンは何らかの形でリリースされないものか。会場で配られたチラシにあった間もなくでるシマ唄集には期待したい。

 コンサートの構成はちょっと変わっていて、1時間、イーリーさんが唄ってから元ちとせが交替してうたい、次にイーリーさんのトリオに加わって唄う。そこで休憩が入り、その後、ステージが片付けられて、アミ族の踊りをみんなで踊る。面白かったのは、踊り手になってくれる人、ステージにどうぞと声をかけたら、わらわらとたちまち十数人、上がっていったことだ。チーフテンズのショウのラストでは、毎回おなじみになったこともあって、鎖になって踊る踊り手には事欠かなくなったが、こういうところでも、積極的に踊る人が現れるのは、見ていて気持ちがいい。10年前だったら、こうはいかなかっただろう。

 会場では物販のところに台湾のメーカー Chord & Major のイヤフォンも置いてある。このイヤフォンは音楽のジャンルに合わせた特性のモデルを展開している。ジャズとかロックとかクラシックなどだが、イーリーさんも協力しているのだという。ワールド・ミュージック向けというモデルがそれらしい。こうなると、これでイーリーさんの録音を聴いてみたくなるではないか。

 台湾からは以前、別の先住民部族出身の東冬侯溫(とんとんほぅえん)が来て、この人も凄かった。彼はもう少しルーツに近い位置で唄っているが、録音はやはりかなりモダンな組立てだ。ライヴはしかし、正規の衣裳で、伝統の太いバックボーンをまざまざと感じさせるものだった。やはり島の音楽は面白い。

Special Thanks to 安場淳さん(ゆ)

 安場淳さんとはもうずいぶん前からの知合いのはずだが、ライヴは初めて。与那国の福里さんのライヴに安場さんがサポートで出られたのは見たが、かんじんの Anchang Project としては初体験だった。これなら、「月刊」でも見たい。

 収獲は何といっても台湾のネイティヴのうた。こんなすばらしいポリフォニーがアジアにあったとは、これまで知らなかったのは不覚としか言いようがない。あとで伺うと、曲によっては本来ユニゾンのうたを Anchang オリジナルのポリフォニーにアレンジされたものもあるが、もともとポリフォニーであるうたもあるそうだ。第二次大戦後、ネイティヴはこぞってキリスト教徒となり、教会で合唱するようになり、さらにポリフォニーが盛んになっているともいう。実はかれらは教会で合唱したいがためにキリスト教徒になった、と言われても、このうたを聴くと納得してしまいそうになる。

 ハーモニーだけでなく、メロディもたいへん美しい。天から降ってくるとか、地から湧きあがるというのとは違って、風に乗って漂うような、やわらかい旋律に、なんども背筋に戦慄が走る。

 この台湾から与那国を中心として、沖縄、奄美をもカヴァーするのが Anchang Project のコンセプトということになるのだろう。その台湾、与那国のうたはとてもやわらかい。聴いているととろけてしまいそうにやわらかい。そこでは風も海もやわらかそうだ。すくなくともうたから聴こえるかぎりは。

 この日は「バンド」の名前にわざわざ「ハモリ」と入れてあるように、ほとんどすべてのうたですばらしいはもりを聞かせてくれた。隣の人が、こういうハーモニーを聴いているの眠くなりますね、と言っていたが、それは本当のところ誉めことばだ。退屈で眠くなるのではない、陶然となって意識が遠くなるのだ。

 メンバーは一定しないそうだが、この日は

安場淳:vocal、三線
比嘉芳子:vocal、三線、サンバ
Jojo ??:vocal、electric guitar
?田まき:vocal、笛
田村ゆう:vocal、太鼓

 Jojoとまき両氏のお名前は申し訳ないが、読めない、わからない。

 なんとも不思議だったのは、安場さんも含めて、皆さん 、ごく普通の人だった。というのもヘンだが、ふだんはどんなに普通の人でも、ステージに上がるとミュージシャンとしての顔になるし、オーラをまとう。アイリッシュでもそういう人はいる、というか、伝統音楽ではごくあたりまえのことではある。Anchang Project にはそれが無い。ここはステージといえるものはなかったけれど、それでも「場」としてはステージだ。そこに立っても、誰もミュージシャンの顔をしていない。ところがいざ音を出し、うたいだすと、それは「普通」などではない、特別な現象、りっぱな音楽なのだ。「ふつう」の顔で、姿で、とんでもないことをやっている。そりゃ、確かに音楽はごく尋常な人間が尋常ではないことをやっているのだけれども、ここまで尋常と異常の境目が無いくせに、両者の差が大きいのは初めてだ。いや、驚いた。

 印象的だったのは「黒一点」のエレキ・ギターで、ほとんどリチャード・トンプソンか、という瞬間さえあった。この人たちはいったい何者なのだ。

 mois cafe は「モワ・カフェ」と読み、下北沢の駅にほど近いが、ちょっとわかりにくいところにある。古い民家を改造した施設で、ライヴが行われた2階は30人も入れば満席。天井を吹き抜けにし、壁をとりはらって一つの空間にしてある。床が板張りなのも改装だろう。ギターの小さなアンプでリード・ヴォーカルにも軽く増幅をかけている他はアンプラグドでもよく音は通る。

 この日は特別料理付きで、ラフテー丼と春野菜のクリーム煮バケット付きのどちらかという献立。あたしは野菜にしたが、なんとも美味でありました。

 ライヴの案内ではこのカフェは今月末で突如閉店、ということだったが、閉店がひと月延びたそうである。あの美味さなら、他の料理、飲み物も旨いにちがいない。どこか、古い友人の家で、のんびりくつろいでいるような感じにもなる。雨でも降ってあまり遠くへでかけたくないときに、好きな本、それも静かな画集か、良い写真のたくさん入った本でもかかえて寄ってみたいところではある。ほんとうはこういう都会のどまんなかではなくて、うちから30分くらい歩くと、木立のなかにほっとあると嬉しい。

 ごちそうさまでした。(ゆ)

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