何といっても3番目、「京鹿子娘道成寺」。今を去ること20年前、生まれて初めて歌舞伎座に来た時の強烈な体験は、あたしの音楽観をかなり変えたはずだ。当代仁左衛門の襲名披露で、この時の踊り手は記録によれば菊五郎。しかし、この時は踊りはほとんど目に入らず、舞台奥にずらりと並んだ囃子方が繰り出す音楽に圧倒されたのだった。

 歌舞伎座は音響設計が良いのだろう、舞台上の生音が増幅無しに場内隅々までよく届く。今回そのことを実感したのは席が前から四番めで、舞台上の生音がそのまま届く位置だったからだ。役者の科白にしても、楽器の音にしても、肉声感はあるが、音量は三階席でもほとんど変わらない。20年前も、8本の三味線がユニゾンで繰り出すダンス・チューンが場内いっぱいに響きわたるのに、それはもう夢中になった。

 「京鹿子娘道成寺」は踊りの演目の中でも最高峰の一つで、ヒロインを演じる女形は衣裳を次々に替え、また舞台の上でも早変わりする。これを助ける後見も、裃はもちろん、曲げの鬘もつけている。踊りの所作も、ほとんどありとあらゆるものをぶちこんでいるんではないか、と見える。基本は同じだが、役者により、上演により、少しずつ変えてもいるらしい。今回はそのあたりもようやく目に入った。まあ、目の前で演じられるわけだから、いやでも目には入るが、歌舞伎を見る眼も少しはできてきたか。

 しかし、やはりこれは音楽が凄い。着替えのために踊り手が引っ込んでいる間、囃子方だけで演じる時間が何度もあり、とりわけ三味線のユニゾンは、明らかにその演奏を聴かせることを意図して作られている。場内から自然に拍手も湧く。囃子方の演奏に対して拍手が湧く演目は、他にあるのだろうか。

 三味線8本に太鼓2、大鼓1、鼓3、笛2という編成は、おそらく歌舞伎でも最大だろう。唄も8人だから、普段なら左右に別れたりする囃子方が、舞台正面奥にずらりと並ぶ。これがまず壮観。そして、ここでの主役は三味線と打楽器だ。能もそうだが、囃子方では持続音楽器の笛が主役にならない。能の「道成寺」では大鼓と鼓だし、ここでは三味線がリードする。20年ぶりにこれを聴けたのはほんとうに嬉しい。むろん、演奏者は入れ換わっているだろうし、20年前と比べてどうだ、なんてのはもちろんわからないが、今回の演奏もやはり圧倒される。

 阿波踊りや河内音頭のビートも凄いけれど、この「京鹿子娘道成寺」の楽曲は、われらが伝統の中のダンス・チューンの一つの極致だ。とりわけ、踊り手不在で囃子方だけで演奏するところは、ボシィ・バンドの絶頂期もかくや、いや、あるいはそれをも凌駕するかもしれない。本物のプロフェッショナルが精魂傾むけるとどうなるかの実例だからだ。歌舞伎はあくまでも娯楽、エンタテインメントであって、観る方は楽しむために来ている。伝統文化の保存とか、口では言うかもしれないが、本心では露ほども気にかけてはいない。そして、その娯楽のために、演る方は命をかけている。そのことは、田中佐太郎の『鼓に生きる』を読んでも伝わってくる。

 ボシィ・バンドと歌舞伎座の囃子方を比較するのがそもそも無意味かもしれないが、あたしの中では、ボシィ・バンドを聴くのも、この「京鹿子娘道成寺」の音楽を聴くのも、愉しいことでは同じなのだ。ただし、ボシィ・バンドは録音でいつでもどこでも聴けるが、この「京鹿子娘道成寺」の音楽の凄さを録音で実感するのは難しい。

 今回の席は、前の方だが上手の端に近いところで、ツケウチが目の前になる。おかげで、ツケウチの人の表情や、叩く様子がわかったのも面白い。

 「京鹿子娘道成寺」以外の演目は、正直、どうでもよかったが、二番目の「絵本牛若丸」は菊之助の息子が丑之助を名告る襲名披露で、これを目当てに来ている客も多かったようだ。いかに梨園の正嫡のひとりとはいえ、5歳の子どもにまともな演技ができるわけもないが、父親、祖父はじめ大の大人がよってたかってこれを一篇の芝居、余興や座興ではない見ものに仕立ててしまうのも、歌舞伎の面白さの一つではある。歌舞伎の演技の様式、「自然な」ものではない、誇張のみからできているような演技の様式で初めて可能なものでもあろう。「襲名披露」というシステムが伝統芸能の根幹を支えていることもわかる。

 歌舞伎は何でもありで、先日、国立の小劇場で見た科白劇も面白かったが、「京鹿子娘道成寺」は「阿古屋」と並ぶ音楽演目の双璧ではある。この方面の歌舞伎はもっと見たい。(ゆ)