クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

 安部公房は首から下げる式の大きな画板に原稿用紙を置いていつも書いていた。安部にとっての書斎はこの画板だった。というのを読んで、いい話だ、あたしも画板に MacBook を置いて書いたら楽そうだ、と思っていたら、この本を見て、書庫は欲しいと思うようになった。実家を畳んだとき、預けてあった本の大部分は処分し、どうしても残しておきたい本だけ持ってきたのだが、段ボールに入れて積んだままだ。どこに何があるのかももうわからない。読みたい本があって、そういえばあれは持っていたはずだと、データベースを検索するとちゃんと入っている。が、どうにも出てこない。探しまわる労力を考えると、古本を買うほうが安いし早いと注文してしまう。


 コレクターではないつもりだが、本もレコードもなんだかんだでそれぞれ1万タイトルはある。30年も追いかけていれば、塵も積もるのだ。これの背中が一望できるようにしたい。とは思う。読みたい、聴きたいというよりも、すいと抜きだしてパラパラやったり、ジャケットを眺めたり、ライナーを読んだりするだけでいい。ひょっとすると本やレコード同士が共鳴したり、呼びあったりして、思わぬ反応が生まれるかもしれない。


 本書はそういう願望、欲望にもならない、遙かな願望には最適の書庫を建てる話だ。そこがまず面白い。東京の、それも23区内という超過密地帯では、プロの協力が不可欠だ。それでもあやうく「ガセ」を掴まされかけるというスリルもある。


 なぜ、こういう建物を建てる気になったか。そこがまた面白い。著者はあたしの一歳下、父親はともに同じ昭和2年生まれ、ということも面白い。あたしの父親は貧乏人の次男坊だったから、松原の父親のようには壊れなかったが、やはりよくわからない人物だった。そもそも父親の実家がよくわからないイエだった。次男ということもあり、父は婿養子に来たから、あたしが継ぐべきイエは母親のそれだが、これまたあって無いようなもの。昭和のはじめに静岡の田舎から単身上京した祖父が「初代」ということになる。この祖父が自分の実家とは交際が無かったからだ。ウチで法事というのは、祖父以後のホトケさんが対象になる。つまり、松原のような事情はあたしには無縁なのだが、だからこそ、知らない世界だからこそ面白い。松原の祖父のような人間は他にも多数いたはずで、昭和の日本を支えたのはこういう人びとだったのではないか。


 堀部安嗣という建築家の考え方が面白い。とりわけ興奮したのは、この書庫から触発されて設計してみた公共図書館のアイデア(162pp.)。そもそもこの書庫を思いつく源泉となったスウェーデン市立図書館には憧れていたが、この堀部版図書館があれば、その街に引越したいくらいだ。


 この図書館のプランに付随して堀部が述べる図書館の役割には共感する。


「今の時代、図書館の最も重要な役割は街で浴びた情報から自分を避難させ、情 報を洗い落とすところにあるといっていいかもしれないし、今後そのような役割 が重視されてゆくような気がする。情報を集める場所だった図書館が、有象無象 の情報から身を守り、自分にとって本当に必要な情報だけを得られる場所となっ てゆく。」165pp. 


 図書館もだが、本、書物の役割がそもそもそれじゃないか。つまり情報を濾過し、取捨選択して整理し、知識として使えるようにする。 出版の役割もそこにあるんじゃないか。


 この構想をもう一歩進めるならば、図書館は大きなものが1ヶ所に集中している必要はない。情報はクラウドにあればいい、その方がむしろ利用しやすく、されやすい。エネルギーは1ヶ所で作らなくてもいい。必要なところで必要なだけ作ればいい。従来は不可能だったことも、テクノロジーの発達は可能にしている。図書館もまた、小さな書庫、1万冊を収蔵する書庫が10軒あれば10万冊、100軒あれば100万冊。そしてそれぞれが特色を持つ。堀部の公共図書館プランの1つの円筒が独立した形だ。それが街のあちこちにある。そこを歩きまわる。途中にすてきなカフェもあって、いま借りてきた本に目を通す。


 阿佐ヶ谷の書庫は松原の死後、どうなるであろうか。息子あるいは弟子が讓り受けて使うことになる可能性が最も高い。しかし、「地域に開放」して、誰でも利用できるようにすることもできる。


 この書庫も完璧ではない。ここでは階段を登り降りできなくなるという可能性は考慮されていない。もちろん、ここにエレヴェータを設置することはかぎりなく不可能に近いだろうし、できたとしてもとんでもなく高価になるだろう。


 とはいえ、そういう設備のある書庫もあっていいはずだ。


 それにしても、一番の面白さは、1万冊の本とばかでかい仏壇を8坪の土地に収めるという松原隆一郎の挑戦に、堀部安嗣が応えてゆくところだ。そして出した、円筒を螺旋階段でつなぐという回答の面白さ。さらに、円筒の建物、つまり塔を建てるのではなく、立方体の内部をくり抜くという面白さ。外から見れば窓が少ない以外は特にめだつものではないが、一度中に入ると、これに似た空間は、今この瞬間では、地球上にはまず無いだろう。これは「バベルの図書館」の極小版ではないか。


 松原の挑戦に堀部がみごとに応えて、松原はかれにとって理想の書庫兼仕事場を手に入れた。ここからどんな仕事を生み出すか、今度は松原が堀部に挑戦されているわけだ。この書庫にふさわしい仕事を生み出すことができるか。それは松原自身の課題であるが、一方で、環境と創造性の関係の点からは、より広い「世間」の関心も呼ばずにはいまい。


 この本を読もうとしたきっかけは月刊『みすず』7月号の植田実「住まいの手帖」105「阿佐ヶ谷の書庫」。この号ではもう1冊、酒井啓子「若者は『砂漠』を目指す」に啓発されて、ブノアメシャン『砂漠の豹 イブン・サウド』を読んでいる。そして今日の Al Jazeera の記事 "Bringing Arab opera to a Western stage" のネタになった新作オペラの原作 Cities of Salt は、そのイブン・サウドが建てたサウディアラビアで1932年、石油が見つかったことから起きる大騒動を描いて、20世紀アラブ文学の代表作とされる。この長篇5部作はサウディアラビアでは発禁、著者のアブドルラーマン・ムニフはサウディアラビア市民権を剥奪されている。となると、読む価値はあるだろう。(ゆ)

教えられることは多い。丸山眞男と福沢諭吉はもちろんだが、アイザイア・バーリンと大佛次郎。『鞍馬天狗』とはそういう話だったのか。
    
    とはいえ、最も心に刻まれた一節。
    
    1994年09月22日、大正大学司書研修セミナーでの講演をもとにした「私の図書館体験」のなかで、敗戦後、国会図書館を軌道に乗せた中井正一について触れた文章。


    一九四七年頃かと思いますが、国会図書館の副館長として活動しておられた頃の中井さんの思い出を、鶴見俊輔氏が語っていて、たいへん面白い。
    鶴見さん自身の言葉によると、氏はその頃神経症的な心理状態に入っていて、何も書くことができずまいっていた。そこで、そのことを中井さんに相談すると、次のように答えられたということです。

    そういう時には、大きな活字で書いてある中国の歴史の本をよむがよい。国会図書館をやめろ、というビラを電信柱にはられて、いやがらせを受けたことがあってまいったが、そういう時に『資治通鑑』(宋の司馬光の撰、二九四巻)を毎日すこしずつ読むと、志を立てた人が出て何かやっては殺され、また別の人物がたって何かやって殺される歴史のリズムがつたわってきて、自分の毎日についてわりに平然として受け入れることができるような気がしてきた。
    (中略)
    (その『資治通鑑』の一節に)帝王の悪政を諫める臣下があれば、

    主上怒而煮之
    主上怒而炙之
    主上怒而裂之
    主上怒而斬之
    等々。

    助言者として政治に関与するインテリの位置あるいは運命の象徴的記述であります。これを読むと、ソクラテスが毒杯を贈られたのは、まだなまぬるい、と申せましょう。
291-292pp.


    あえて蛇足。ここで「インテリ」と呼ばれている人びとは歴史的に見れば古代から清朝までの中国知識人階級であるが、21世紀に敷衍すれば政治に関与しようとする人間は、地位、階級にかかわりなく誰にでもあてはまる。民主主義では誰でも政治に関われる一方で、民主主義にあっても権力が主権者に均等に配分されているわけではないからだ。そして権力とは人を殺してその責任を問われない権能だ。だから権力の行使には必ず人殺しが付随する。
    
    そして、何らかの形で文化活動をする人間はすべて政治にかかわっている。音楽をする、絵を描く、俳句をひねる、いや、こうしてブログを書いたり、YouTube に動画をアップしたり、U-Stream で放送したり、ついったーでつぶやくことも文化活動だ。さらにはそうした発信だけでなく、受信すること、音楽を聴く、動画を見る、文章を読む、ファッションに身を包む、いや、あるサイトにアクセスするだけでも文化活動になる。
   
    文化が政治とは関係ないと考えるのは、政治の本質を見誤るものだ。政治とははやい話、メシを喰ったり、糞をひり出したりすることも含まれる。そして文化とは何をどう喰うか、喰ったものをどうひり出すかから始まる。屋外で鼻をかむことを禁じた政権に統治される国では、屋外で鼻をかむ人間は「反政府分子」、今風にいえば「テロリスト」とみなされる。9/11の直後、FBIは図書館利用者の閲覧履歴を提出することを図書館に求めようとした。
   
    つまりは今のような「リセット」の時期にあっては、誰もが「インテリ」にならざるをえない。当人の意志にかかわりなく、生きようとただあがくことだけで、政治に関わる「インテリ」とみなされる。
    
    となれば、「畳の上で死ぬ」よりも、権力を保持する者に殺されてなお史書に名が残るほどの何かをするのも一興ではある。「畳の上」で死のうが、処刑台の上で八つ裂きにされて死のうが、死ぬことに変わりはない。スティーヴ・ジョブズの死に妹が見てとったように、人間にとって死ぬことは畢竟一種の「苦行」、一歩一歩階段を登るように達成することなのだから。(ゆ)

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