すでに何度かやっているそうだが、この組合せは初見参。基本的に二人のオリジナルを演るユニットらしい。二人のオリジナルはアイリッシュを一つのひな型ないし踏み台にしながらも、むしろ自由に作っている。歌もあって、後半は大部分が歌。中には将来定番となり、「伝統歌」になるといいなと思えるものもある。どういうものを期待していたか、自分でもはっきりしないが、こういうものではなかったことは確かで、裏切られて嬉しい。
前半はインストルメンタル。矢島さんは曲によってウッドとメタル(ベーム式)を持ちかえる。どういう基準で選んでいるのかは訊くのを忘れた。ただ、音色、音調はほとんど変わらないと聞える。
矢島さんのフルートは柔かい。先月のセツメロゥズとの共演の時も感じたが、音があまり前に出てこない。どちらかというとささやき声のようだ。その分、引き寄せられる。気がつくと身を乗りだすようにして聴きいっている。親密な演奏だ。もっともライヴが進むにつれ、だんだん音が大きくなるようでもあったのは、こちらの耳が馴れたのだろうか。大きくはなっても迫ってこないところは変わらない。
ベーム式の金属でもウッドでも柔かさは同じ。この二種類を曲によって持ちかえ、しかもほぼ半々というライヴは他にほとんど経験がないから、変わらないのが当然なのかどうかはわからない。
1曲、黒檀製の楽器を使う。珍しいものだろうか。相当にデリケートな楽器で、1日に吹ける時間に制限があり、おろしたての当初は1日1時間以内と厳しい。出す音にも制限があって、あまり高い音は出してはいけない。この日も1曲だけ。他の曲よりも音が太く、身が詰まり、そしてなるほど響きが若い。
この曲〈旅路〉は矢島さんがギタリストの田中庸介氏と共作したものとのことで、しかも途中でテンポが上がり、また戻るという構成もあり、アニーもつけるギターをかなり工夫したそうだ。
そしてもう一つ、アニーのこの日の楽器も特別だった。この日初めて人前で弾いたそうで、メーカーはロゥデンである。アイルランドやブリテンの伝統音楽にとってはマーティン以上に珍重される。マーティンはやはりカントリーやブルーグラスや、あるいはフォークにしてもアメリカン・ミュージックのためのものというところがある。他の音楽で使ってもすばらしいが、アメリカン・ミュージックを弾くと大喜びする。ロゥデンにもツボにはまる音楽があり、少くともその一つはアイルランドやスコットランドの伝統音楽なのだ。
相手が矢島さんなので、この日はアニーの繊細な側面が引きだされていて、それがまたロゥデンに合う。ロゥデンは根が繊細というわけではないけれども、繊細さが必要なところでは他に比べるものがないくらい繊細になれる。アニーのギターはシンプルにコードでビートを刻むのも巧いが、この日はむしろゆったりとメロディを聴かせる曲が多かったから、アルペジオやピッキングを多用する。そして折りに触れてちゃらんと入れる一種の装飾音、高域で入れる合の手がこと外に美しく響くのは楽器のおかげでもあるようだ。これから弾きこまれてどんどん良くなってゆくだろうけれども、楽器のデビューに立会えたのはまたラッキーだった。
後半は歌を続ける。アニーのシンガーとしての成長にはちょっと驚いた。声も出ているし、節回しも良い。近頃はミュージカルや劇中の音楽を担当することが多く、出演もするそうだ。ならば鍛えられるだろう。
後半3曲目「ダブリンの鐘つき人」というミュージカルの挿入歌〈運命を愛せよ〉はこの日のハイライト。続く矢島さんの〈海辺にて〉も良い。ここでは二人でスキャットをかわすのが、現代音楽風でもあり、定型から外れてゆくのが面白い。「去年の夏休みを思い出して」作った曲も出る。これ、いいなあ。ラストの〈見送られる人〉はフルートがスリップジグのようなフレーズを吹き、そしてラストで二人がハモる。矢島さんはうたい手としてはまだまだ精進が要るが、このハーモニーは良かった。
この二人の音楽はやはり親密なもの、英語でいう intimate な音楽で、まさにここホメリのような空間で、生音で聴くのがふさわしい。アルバムも作って欲しいが、それを聴く時は、夜遅く、照明も暗くし、イヤフォンで、できるかぎり小さな音で聴きたいものだ。
ホメリは実に久しぶりで、7時開場なのをすっかり忘れて7時半開場と思いこんでいて、危ういところだった。いい気分は電車で帰る間も薄れず、駅から夜道をうらうらと歩いて帰ったことであった。(ゆ)