最高のライヴ。好敵手にめぐりあった名人同士がたがいに秘術を尽して渡りあう。
このところ shezoo さんのライヴはデュオが多い。いずれも一騎当千の人たちばかりなのは当然として、shezoo さんとの息の合い方もぴったりなのには毎回驚かされる。そういう相手を選んでいるといってしまえば、それまでだし、やってみたらダメだった相手と人前でライヴはしないであろう。それにしてもなのだ。とてもこの2人が一緒にやってまだ日が浅いとは到底思えない。いや、何度も共演してきたというだけのことでもない。
今回はしかしこれまでの誰とよりもハマった組合せだ。まるでお互いがお互いのために生まれてきたようだ。各々のもっているものが余すところなく相手によって引き出され、1+1が正二十面体になる。
それを深く実感させられたのは〈神々の骨版 Dies Irae〉。初めのトリニテでのヴァージョンは普段はフロントでメロディを担当するヴァイオリンとクラリネットが二音から成る短かいフレーズを延々と繰返す。繰返しながらもフレーズは少しずつ変わってゆく。音をきちんと止めるので、聴いているだけで息が詰まるような緊張感がみなぎる。シンプル極まるフレーズのユニゾンで繰返されるのをバックに、パーカッションがゆっくりとソロを始める。それにだんだん熱がこもり、のってきて、やがて奔放に盛大に爆発する。
今回はピアノがいつものフレーズを繰返すが、音を切らない。弦を開放して音が響くのにまかせる。まずそこが新鮮。いっそさわやかなそのビートに対して、声が、ぶつかるのでもない、乗っかるのでもない。その周りをとびまわる。様々な声、実に様々な声がピアノが繰返すフレーズを足掛かり、手がかりにして高速のポルタリングをする。とんぼを切る。シュパっと駆けのぼったかと思うとふわりととび降りる。横っ飛びに飛ぶ。声でそれをやる。何なのだ、この人は、とのけぞった。
蜂谷さんは初見参である。ライヴは愚か、録音すら聴いたことはなかった。shezoo さんの選んだ相手ならという信頼感もあって予習はしなかった。こういう時は全くの不見転でびっくりさせてもらうのを楽しむ、わけだが、それにしてもだ。
この人はまず声の種類が異常に多い。訓練された声楽家の声から幼女声、ドスの効いた低音、極上のソウル・シンガーの声、等々々。しかもどの声にも歌っている人間の一個の個性が鮮明に刻印されている。
異常なまでに多様なその声のコントロールがまた凄い。時には一音ずつ変わってゆく。真の七色変化。さらに各々の声の選択、使用が曲想に符合してゆく。妙な声、ズレた声、不適切な声が無い。
いや、こういう言い方はちがう。
メインのメロディにせよ、インプロにせよ、同じ声でワン・コーラス歌うことはほとんど無い。にもかかわらず、メロディとしてはもちろん、即興にあっても全体の統一感、連続感が崩れない。大きくうねるかと思うと、細部にもぐりこむ。その一瞬一瞬がもろにツボを押してくる。声の質、音量の大小、強度が、あたしにとっての理想に限りなく迫ってくる。
shezoo さんのピアノはこの声を引出し、煽り、ジャブをかませる。同時に shezoo さんも即興に飛びたってゆく。shezoo さんの即興はかつては全宇宙をその音で満たそうとしていた。近頃は満たそうとするところは変わらないが、満たす対象が同じ宇宙でも内宇宙に変わってきた。広さよりも深さを求める。
これがまた蜂谷さんの声と共鳴する。お互いやりたい放題勝手なことをしていて、各々に耳を集中すればどちらも全然違うことをやっているのに、全体としては美しくバランスのとれた音楽が聞えてくる。バッハのポリフォニー、グレイトフル・デッドの集団即興だ。まとまっているのではない。個々の要素はバラバラなまま、一つの音楽としてやってくる。だからデュオという、アンサンブルの形としては最低限なのに、音はとんでもなく豊饒で、大きく広がり、実がぎっしりと詰まっている。
やる曲がどれも至上の名演に聞える。
蜂谷さんはマイクも2本使う。片方は普通、もう1本は声にリバーブがかかる。マイクとの距離も計算し、近づいたり離れたり、スタンドに置いたり、手に持ったり。
鉦、親指ピアノなどのパーカッションの使い方もセンスがいい。店内のスピーカーの上にあった筒からヒモが出ているものも手にとる。振るとしゃかしゃか鳴り、ヒモを引っぱるとドカンと鳴る。〈ムジカ丸〉という蜂谷さんが最初に作ったというまことに「フザケた」歌でこれを鳴らしまくる。そしてピアニカ。左手で支え、右手で弾いて、shezoo さんの即興に真向から挑む。
蜂谷さんの曲も面白いが、聴きなれた shezoo さんの曲が全く新しい姿を現すのにゾクゾクする。〈タワー〉、そして〈Moons〉はベスト・ヴァージョンと言い切ろう。圧巻は各シンガーが用意した詩に shezoo さんが曲をつけるという今回の決まりによる歌〈ツキツキキツツキタタク〉。ほとんど意味のない、オノマトペだけのような歌がモノを言いはじめるのだ。歌による遊びというより遊びそのものであり、歌以外の何ものでもない。やっている本人たちが最高に愉しんでいる。至福。
今年の「七つの月」のうち、スケジュールが合ったのは結局この千秋楽だけだったのだが、これに当ったのは心底嬉しい。
ますます生きづらくなる一方の世の中だが、これでまたしばらくはしのげそうだ。ぜひ再演を。そして録音も。(ゆ)
蜂谷真紀: vocal, pianica, percussion
shezoo: piano







