こもりうたというジャンルが成立するかどうか、あやしいところがある。あたしは子どもたちを寝かしつけるのに、ソウル・フラワー・ユニオンの〈満月の夕〉とか、上々颱風の〈連れてってエリシオン〉とか、栗コーダー・カルテットの音楽を使っていた。なんだってこもりうたになるものだ。〈歓喜の歌〉でも、セックス・ピストルズだって、コルトレーンだって、アイラーだって、こもりうたになる。だろう。たぶん。
一方でこもりうたという型もある。こどもを寝かしつけるためには、滑らかなメロディで、ゆったりしたテンポ、うたいやすいうたであるべしという考えに沿って作られ、できてきたうた。もっともクラシックの名立たる作曲家たちによるものは、実際にこどもたちに向かってうたわれたかどうか。同時代のヨーロッパの富裕な市民の家庭ではうたわれたかもしれない。
佐藤氏のうたうこもりうたは、後者に属するものではあるが、どうも、子どもを寝かしつけるためにうたわれてはいないようだ。こもりうたが本当に成功すれば、聴き手は途中ですやすや眠るはずだ。このコンサートで、聴衆が全員、途中で眠ってしまったならば、大成功ということになるのか。
聴きながら、これは子どもたちに聴いてもらいたいと思って、終演後、出口にいたKさんにそのことを言ったら、大人のためのコンサートに先立って、子どもたちのためのライヴをやっていたそうだ。どんな反応だったのかまでは聞きそびれた。皆、眠ってしまったのだろうか。
大人の聴衆の中には眠っていた人もいたが、大部分は眠らずに聴き入っていたようだ。あたしも眠らなかった。むしろ、CDの《こもりうた》収録の曲を題材にした「紙芝居」に引き込まれていた。
この試みは面白い。ただうたってゆくだけでは、よく知られたうたばかりのため、単調になりやすい。いかに生とはいえ、CDとそれほど違うアレンジにもなるまい。お話を語って、そのなかにうたを配置し、うたってゆくと、うたそのものにも新たな角度から光があたる。話自体の出来はともかく、試みとしては成功していた。これならば、今度は話を先につくって、ふさわしいうたを選んでゆく形も可能だろう。
佐藤氏はクラシックの声楽の訓練を受けているわけだが、クラシックの声楽につきまとうとあたしには感じられていた嫌らしさがまったく無い。これは佐藤氏が所属していたアウラもそうだし、アヌーナなどのアイルランドのシンガーたちもそうだ。もちろん、伝統音楽のうたい手たちの声とは一段異なる。地声の延長ではなく、断絶ないし飛躍があるのは確かだが、その方向が人間的と感じられる。人の声としての潤いと温もりがある。
じゃあ、たとえばオペラなんかの声にはそういうものが無いのか、といえば、あたしは無いと答える。あれはどこか不自然だ。まるで声帯だけ別のものに交換したサイボーグみたいだ。交換じゃなければ、声帯だけ異様に発達してるんじゃないか。もちろん、聴く人が聴けば、あれこそは天上の声ともなるんだろうが、あたしはとにかくてんでダメなのだ。
だから初めて《こもりうた》のCDを聴いたときには驚いた。ポピュラーのシンガーがうたうものとも一線を画していた。訓練というのは恐しいもので、うたの表面をなぞるのではなく、一番の底まで降りてゆくことができるようになる。うたが作られた、生まれたその瞬間にまで遡ることができるようになる。そこからうたわれると、聞きなれたというよりも、ミミタコというよりも、もっと心身に刷りこまれているうたが、独立の存在として輝きだす。生まれて初めて聴くように響きだす。
共演のオルガンがまたいい。伴奏の域を超えたもう一つの声になっていることはもちろんだが、オルガンそのものとしても新鮮だ。チープな電子オルガンの軽みと、大規模なパイプ・オルガンの深みが不思議に同居している。このオルガニストとの再会がこうしたうたをうたいはじめたきっかけと言う。であれば、二人の共演はぜひ続けていただきたい。
コンサートでは1台の電子オルガンの一種らしいものが使われていた。このオルガンがこの教会にあって、外部の使用に公開されていることで、《こもりうた》のライヴ演奏が可能になったのだそうだ。アルバムに収録されている曲は、時代も場所も様々で、それぞれにふさわしいオルガンを生でつけようとすると、通常なら何台もの異なった楽器が必要になるらしい。実際、曲によって様々な音が響いていた。おそらくは増幅のところに仕掛があるので、PAシステムが必要なのだろう。ヴォーカルもそれに合わせるためか、生ではなく、PAを通していた。もっともかなり巧妙に調整したとみえて、限りなく生に近い響きだった。
あるストーリーを語るということからすると、案外オペラに近いようでもある。カラン・ケーシィの《SEAL MAIDEN》も思い出す。そういえば、あそこにもそれは美しいこもりうたが入っていた。佐藤氏の《こもりうた》でも、ウェールズの伝統歌はハイライトの一つだ。
せっかちに季節を先取りした冷たい雨が降っていたけれど、体のなかは、いい音楽でほどよくほくほくしている。新井薬師駅前のファミマにも大粒玉子ボーロがあってますますいい気分。(ゆ)