クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:夏

08月26日・金
 陽が昇ると蝉たちがラストスパートとばかりに鳴きかわす。陽が落ちると秋の虫たち、蟋蟀、鈴虫、草雲雀たちがわたしらの番だと鳴きたてる。1年で一番にぎやかな季節。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月26日には1967年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1967 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演 The Creators。

2. 1971 Gaelic Park, New York, NY
 木曜日。4ドル。開演7時。夏のツアーの打ち上げ。10月19日まで休み。デッドが当初の5人、ガルシア、レシュ、ウィア、クロイツマン、ピグペンでステージに立った最後のショウ。次の10月19日のショウではピグペンが離脱してキース・ガチョーが参加する。
 会場はブロンクス、マンハタンの北、ハドソン川からハーレム川が別れるあたりの北にある多目的スポーツ施設。フィールドとダンス・ホール、一時はパブもあった。1926年に Gaelic Athletic Associaton of the Greater New York が購入し、ハーリングやゲーリック・フットボールなどゲーリック・スポーツに使われた。GAA は10年後に破産するが、ニューヨーク市やアイルランド系市民がゲーリック・スポーツの場を守った。1991年にマンハタン・カレッジが購入してからは大学のスポーツ・イベントにも使われる一方、ゲーリック・スポーツの伝統も継承している。ダンス・ホールではアイリッシュ・ミュージックのコンサートが定期的に行われている。
 デッドはこの時1回だけ演奏し、15,000人を集めた。演奏が終ったのは1130過ぎ。ショウはかなり良いもの。
 翌年夏、オールマン・ブラザーズ・バンドがここでやった時には、ガルシア、ウィア、レシュがステージに上がってジャムに加わった。ジェファーソン・エアプレインもここでやったことがあり、その時には Sunshine と呼ばれる若い女性が上半身裸で踊った。

3. 1980 Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH
 火曜日。
 オープナー〈Sugaree〉が2013年の、クローザー〈Comes A Time> Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Casey Jones〉が2019年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 すばらしい演奏で、ぜひ全体を出してほしい。録音も良い。ガルシアもウィアもヴォーカルの調子がよい。ガルシアは自然に声が出ていて、発音も明瞭。〈Lost Sailor〉はテンポを落として、ウィアはじっくり歌う。クローザーに向けてのこの並びも珍しく、面白い。〈Casey Jones〉は後半の緊迫感がたまらない。

0. 1981年のこの日《Dead Set》がリリースされた。7枚目のライヴ・アルバム。
 1980年10月03日から31日までの、サンフランシスコ、ウォーフィールド・シアターとニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのショウから17曲を選び、LP2枚組に収める。04月01日エイプリル・フールにリリースされた《Reckoning》と対をなす。どちらも同じ、ウォーフィールドとラジオシティのショウからの選曲で、《Reckoning》はアコースティック・セットから、こちらはエレクトリック・セットからのセレクション。
 2004年ボックス・セット《Beyond Description》収録にあたって、10曲がボーナス・ディスクで加えられた。こちらは10月07日から10月26日までのショウからの抜粋。

 アルバムの出来としては明らかに《Reckoning》に軍配が上がるのだが、それはここに長いジャムの曲が無いことが大きいだろう。《Steal Your Face》と同じ欠陥だ。たとえば日付順に個々のトラックを聴いてゆくと、むしろそれぞれの出来は極上と言っていい。しかし、この短かいトラックばかりでデッドのショウを聴いた気分になってくれ、というのは無理である。2枚組にするのなら、少なくとも最後の面、できれば2枚目は全部で4曲ぐらいの長いジャムか、長く続くメドレーを収めてほしかった。それはわかっていたのだろう。拡大版 CD に追加で収められたトラックには10分超のものもある。
 この一連のレジデンス公演の全貌が公式にリリースされるのは50周年になるのだろうか。2030年になる。8年後のその時、世界はあるのか。あたしは生きているのか。アコースティック・セットはすでにいくつか完全版が出ているのだから、エレクトリック・セットも《Dave's Picks》などで出してもらいたい。

 拡大版 (Ex) も含めた日毎の収録曲は以下の通り。
1980-10-03, Warfield
          Brokedown Palace
1980-10-04, Warfield
          Deal
          Feel Like A Stranger
          Not Fade Away (Ex)
1980-10-07, Warfield
          Shakedown Street (Ex)
1980-10-09, Warfield
          Greatest Story Ever Told
1980-10-10, Warfield
          Row Jimmy (Ex)
          New Minglewood Blues
          Jack Straw (Ex)
          Samson And Delilah
1980-10-11, Warfield
          Loser
          Passenger
1980-10-13, Warfield
          C. C. Rider (Ex)
          Lazy Lightnin' (Ex)
          Supplication (Ex)
1980-10-25, Radio City
          Franklin's Tower
          High Time (Ex)
1980-10-26, Radio City
          Let It Grow (Ex)
          Sugaree (Ex)
1980-10-27, Radio City
          Friend Of The Devil
1980-10-29, Radio City
          Candyman
          Little Red Rooster
1980-10-31, Radio City
          Fire On The Mountain- 
          Rhythm Devils
          Space
          Sugaree


4. 1983 Memorial Coliseum, Portland, OR
 金曜日。開演8時。
 第二部8曲目で〈Wang Dang Doodle〉がデビュー。ウィリー・ディクソンの作詞作曲。1995年07月08日まで計95回演奏。"Wang Dang" は踊り、ダンス・パーティーをさし、タイトルは「愉しい時間」「愉しく過ごす」意味、とディクソンは自伝の中で書いているそうだ。
 クローザー〈Sugar Magnolia〉の後半のジャムが凄いという。

5. 1988 Tacoma Dome, Tacoma , WA
 金曜日。開演8時。サンタナ前座。
 07月31日以来のショウ。この年はこの3週間強が夏休み。
 音響のひどいことではデッドが演奏したヴェニューでも1、2を争うところだそうだ。それにしては良いショウ。

6. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21ドル、開演7時。(ゆ)

07月13日・水
 昼過ぎ、遠くでみんみん蝉が聞える。昨年も初のみんみんは07月13日だった。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月13日には1967年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1967 P.N.E. Agradome, Vancouver, BC
 木曜日。2.50(カナダ)ドル。ポスターによれば6時と12時の2回のショウらしい。3日間、ヴァークーヴァーでのショウ。後の2日はヴェニューが変わる。Daily Flash、Love-In 前座。続けてシアトル、ポートランドと回る。7月末から8月初めにかけて、今度はカナダ東部に行き、トロントで1週間レジデンス公演をした後、モントリオールに行く。
 Daily Flash は1965年シアトルで結成され、1968年まで活動した四人組バンド。サンフランシスコ・サウンドの先駆をなすと言われる。後、2002年再編。
 Love-In は不明。

2. 1968 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。The Working Class 前座。セット・リスト不明。

0. 1973 History Of Grateful Dead, Vol. 1 release
 この日《History Of Grateful Dead, Vol. 1》がリリースされた。4作目のライヴ盤。ワーナーからの最後のリリース。1970年02月13日、14日のフィルモア・イーストでの演奏からアコースティック、エレクトリック合わせて7曲を収める。どちらも早番と遅番の2回ショウをしているが、どちらも遅番ショウからの選曲。録音とセレクション、プロデュースはアウズレィ・スタンリィ。ために "Bear's Choice" の別名で呼ばれる。"Vol. 2" 以降は出なかった。
 A面がアコースティック、B面がエレクトリック・セット。だが、実際のショウは必ずしもこの順番ではなく、02月13日はこの中では〈Smokestack Lightning〉が一番早く、この後アコースティック・セットとなり、〈Katie Mae〉の次の〈Dark Star〉からエレクトリックにもどる。14日もエレクトリック、アコースティック、エレクトリックの順番。
 2003年の拡大版 CD で02月13日からもう1曲と、02月05日、08日のフィルモア・ウェストでの演奏3曲が加えられた。
 02月13日と14日のショウは各々後半または第二部が《Dick's Picks, Vol. 4》でリリースされた。両日とも遅番ショウ後半のエレクトリック・セットを収める。
 リリースは遅いが、収録された演奏は当時は《Live/Dead》と《Skull & Roses》の間を埋め、つなぐ形だった。また、アコースティック・セットのライヴ録音のリリースも、《Reckoning》以前にはこれだけ。
 加えて、この年03月08日に死んだピグペンへのトリビュートでもある。

 トラック・リスト。
Side one
1. Katie Mae {Lightnin' Hopkins} 1970-02-13 4:46
2. Dark Hollow {Bill Browning} 1970-02-14 3:30
3. I've Been All Around This World {Trad.} 1970-02-14 4:40
4. Wake Up Little Susie {Felice & Boudleaux Bryant} 1970-02-13 2:40
5. Black Peter {Jerry Garcia Robert Hunter} 1970-02-13 7:20

Side two
1. Smokestack Lightning {Howlin' Wolf} 1970-02-13 18:00
2. Hard to Handle {Al Bell Allen Jones & Otis Redding} 1970-02-14 6:14

 聴き直してあらためてベアの耳の良さに感服する。とりわけA面の声と生楽器の音。耳が良いというのは、単に細かい音の違いが聴きとれるとか、耳がそれほど良くない人間には聞えない音が聞えるとかいうだけではない。それは前提だが、それとともに、音楽の肝、どこにフォーカスして録音するべきかを適確に把握している。そしてそこへ向けて、機器を調整し、録音環境を整える能力が高い。

 あたしはここで唯一のオリジナル〈Black Peter〉にダントツに惹かれる。ガルシアの歌唱、ギター・ソロ、ウィアのサポート・ギターが作りだす世界はそれだけで充足している。必要にして十分だ。本来このように演奏され、歌われるために作られたとさえ思える。この歌のベストの演奏と断言する。もちろん、ベストの演奏は一つだけではないにしてもだ。


3. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー6本連続のランの2日目。6.50ドル。開演8時。
 第一部5曲目〈Crazy Fingers〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 ゆったりとしたテンポでガルシアがやや頼りなげに歌い、ドナのコーラスがこれを支える。間奏のガルシアのギターもゆったりとした展開で、ほとんどジャズだが、ジャズのギタリストはこういうすっきりと突き抜けた音はなかなか出さない。本体も良いのだが、一通り曲が終ってからそのまま移行するジャムがすばらしい。初め細かいランニグ・ビートにのるが、やがてスパニッシュ・ジャムになり、さらに核のない、しかし芯の通った、全員が対等に絡みあう形になる。こういう領域に踏みこむのを、バンドも目指し、聴き手は待っている。

4. 1981 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.75ドル。開演7時半。

5. 1984 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。14ドル。開演7時。
 何よりもアンコールに〈Dark Star〉をやったことで記憶される。

6. 1985 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。15ドル、開場正午、開演2時。
 オープナーが〈One More Saturday Night> Fire on the Mountain〉で、第一部のクローザーが〈Bird Song> The Music Never Stopped〉というセット・リストにたがわぬ出来の由。

7. 1989 Robert F. Kennedy Stadium, Washington, D.C.
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21ドル。開場3時、開演5時。ブルース・ホーンスビィ&ザ・レンジ前座。第一部4・5曲目〈Tennessee Jed; Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉にホーンスビィがアコーディオンで参加。
 全体が《Robert F. Kennedy Stadium, Washington, D.C., July 12 & 13, 1989》でリリースされた。それはいいのだが、このタイトルは何とかならなかったのか。
 第二部6曲目〈I Will Take You Home〉の時、スクリーンにミドランドの鍵盤のクローズアップが映し出された。そこには娘たちの写真が飾ってあった。
 ショウの間、ほぼ通して雨が降っていた。

8. 1994 Franklin County Airport, Highgate, VT
 水曜日。32ドル。開演6時。雨天決行。08月04日まで、15本の夏のツアー後半のレグのスタート。ユッスー・ンドール前座。レシュがそこに参加したらしい。地元ヴァーモント州は緑なす山の州 the Green Mountain State と呼ばれるので、ガルシアが緑色のズボンを履いていた。
 John W. Scott は DeadBase XI にこのショウがいかに楽しかったか、長々と書いている。8歳を先頭に3人の子どもたち、3人目はまだ乳飲み子を初めてデッドのショウに連れて行き、やはり子どもたちを連れてきた他のデッドヘッドの家族たちと、フィールドの一角で過ごした。まるで音楽つきのピクニックである。デッドの演奏そのものはあまり良いものではなかったが、子どもたちは十分に楽しみ、またデッドのショウに行きたいと言った。(ゆ)

06月26日・日
 昼前からにいにい蝉の声が聞える。今季初だ。去年は07月13日のみんみんが初蝉だったらしい。

 去年は蝉が多い年だった。今年はどうだろう。こう暑いと去年は比較的少なかった熊が増えるかもしれない。あいつらの鳴き声には風情がない。ただ、うるさいだけ。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月26日には1973年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。

01. 1973 Seattle Center Arena, Seattle, WA
 火曜日。前売5ドル、当日5.50ドル。開演7時。キャンセルとなった05月07日の振替ショウ。
 《Pacific Northwest》で全体がリリースされた。

02. 1974 Providence Civic Center, Providence, RI
 水曜日。5.50ドル。
 〈Seastones〉を第二部として、第三部3曲目〈Jam〉からアンコール〈Eyes Of The World〉までが《Dick's Picks, Vol. 12》でリリースされた。

03. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。
 良いショウのようだ。

04. 1984 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。
 第一部クローザーの〈Looks Like Rain> Might As Well〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 〈Casey Jones〉はオープナーとしては珍しく、客席からのリクエストに答えたものらしい。

05. 1986 Hubert H. Humphrey Metrodome, Minneapolis, MN
 木曜日。20ドル。開演6時。ボブ・ディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの前座をデッドが勤める。セット・リストは二部に別れるが、見た人の証言では一本勝負。
 ヴェニューの音響は良くなかったが、演奏自体は見事だったようだ。

06. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。18.50ドル。開演8時。
 非常に良いショウ。

07. 1988 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
 日曜日。17.75ドル。開演7時半。
 〈Gentlemen Start Your Engines〉など、珍しいものが聴けたショウ。

08. 1992 Soldier Field, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティーヴ・ミラー・バンド前座。
 第一部4曲目〈Loose Lucy〉で、ガルシアが "round and round and round and round and round she goes" と歌うと、女性たちが一斉にくるくると回った。
 良いショウのようだ。

09. 1993 RFK Stadium, Washington, DC
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティング前座。開演5時。ブルース・ホーンスビィがアコーディオンで参加。
 ショウとしてはまずまず。
 Dennis McNally のバンドの公式伝記 A Long Strange Trip, 387pp.(初版ハードカヴァー) に出てくるエピソードはこの2日間のどちらかの時のことではないかと思われる。マクナリーは1994年としているが、平仄が合わない。
 この2日間のどちらかに、民主党の長老上院議員で当時上院外交活動小委員会の委員長だった Patrick Leahy が、舞台裏にいた。そこへホワイトハウスに連絡を入れて欲しいとのメッセージが入る。レーヒィ議員は電話器を所望し、プロダクション・マネージャーの Robbie Taylor が持っていた電話機を貸す。当時はまだ誰もが携帯を持っていたわけではない。議員はホワイトハウスに架電し、国務長官のウォレン・クリストファーと話す。クリントン大統領はイラクへ巡航ミサイルを打ち込むことに決め、その件を議会に通知するために連絡をとってきたのだった。クリストファー長官は用件を述べてから、そちらはラジオの音が大きいですね、とつけ加えた。レーヒィ議員は答えた。
 「ちがう、あれはスティングだよ」
 返事がない。
 議員「ミュージシャンのスティングだ」
 沈黙。
 「グレイトフル・デッドの前座をしてるんだよ」
 ひどく深い沈黙の後、国務長官は答えた。
 「大統領にお時間を割いていただけますか」
 議員がここにいたのは、ガルシアとおしゃべりしていたためである。ガルシアが楽屋でなくステージ裏にいたのは、後でスティングのステージにつきあうためだったろう。レーヒィ議員はガルシアと同世代で、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを備えていた熱心なデッドヘッドだった。
 ここには他の様々なこととともに、アメリカにおけるデッドヘッドがどういう存在かが垣間見える。デッドヘッドとは、髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、改造したワーゲンのミニバスに手作りの商品を積んでツアーするバンドの後をついてまわり、駐車場でお店を広げて持ってきたものを売ってはまた次の会場へと移ってゆく連中だけではない。いや、議員にしても、デッドのショウに来る時にはスリーピースのスーツは脱いで、タイダイとショーツという恰好で来ていた。
 1970年代初頭、デッドは精力的に大学をツアーする。学生向けにはチケットも安く売られた。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所に及ぶ。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成する。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくなく、したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになった。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名だが、その他の実業家(イーロン・マスクはたぶん除く)、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野に浸透している。1ロック・バンドのファン集団というだけでは収まらない。そして、デッドの音楽はこうした人びとのライフスタイルや生活信条を左右してもいる。グレイトフル・デッドとその音楽を抜きにして、20世紀後半から21世紀にかけてのアメリカの社会と文化は語れない。

10. 1994 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演6時。トラフィック前座。
 オープナー〈Hell In A Bucket〉が2015年の、第二部オープナー〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 3日間の中ではダントツに良いらしい。
 3日間、とにかく暑かったそうな。
 〈Hell In A Bucket〉も〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉もいい演奏。前者は引き締まって、ガルシアのソロも、歌の裏で弾いているのも、面白い。
 〈Victim〉はドラムス主導で始まる。ウィアの歌もいいが、その歌の後のジャムがいい。この曲でこういうリリカルなジャムになるのは意外で新鮮。ビートはそのままで、ガルシアは元のメロディから外れたり戻ったりする。そこでビートが消え、軽いジャムが続くうちに、〈Eyes〉のリフが始まる。ウェルニクのピアノが美味しいおかずを入れ、さらにソロをとる。ガルシアが息切れしている分をカヴァーしようとする意図が見える。この集団即興はこの曲のものとしてかなり上の部類。ほとんど唐突に歌にもどる。
 この年はガルシアもまだこういう演奏ができる。翌年にはがくりと落ちる。(ゆ)

06月23日・木
 燕が巣立っている。巣立ったばかりの若鳥たちだろう、電線に並んでいる。その周りを親鳥が、ほら、おいで、愉しいよというように飛びまわっている。燕はとまっているよりも、飛んでいる時が本来の在り方なのではと思えるほど飛ぶのが巧い。また愉しげに飛ぶ。それでも若く、巣立ったばかりのときは、まだ飛ぶのが怖いのか。それでももう少しすると、穂が出はじめた田圃の上を、群れをなして飛びまわる姿が見られるようになる。今年巣立った鳥たちも、飛ぶ歓びを覚えたように。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月23日には1974年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版1本。

 1941年のこの日、Robert Hunter がカリフォルニア州アロヨ・グランデに生まれた。アロヨ・グランデはサンタ・バーバラから101号線を北上すると、サン・ルイス・オビスポの手前になる。2019年09月23日、カリフォルニア州サン・ラファルで死去。享年78歳。

 デッドは専属の作詞家を一人ではなく二人までも抱えたが、その最初の一人。

 ガルシアとは1961年頃から1964年初めにかけて、様々なアコースティック・ユニットで音楽活動を共にした。フォークやブルーグラスで、楽器はギター、ベースを担当し、歌も唄った。後にはソロ・ミュージシャンとしてライヴ活動もし、アルバムも出している。

 グレイトフル・デッドに参加するのは1967年、〈China Cat Sunflower〉を含むいくつかの詞をガルシア宛にメキシコから送ってからだ。サンフランシスコにもどり、ガルシアと歌を作りはじめる。〈Dark Star〉はバンドと共に作った最初の作品と本人は言う。やがてバンドのショウ、ツアーに同行しはじめ、ステージには上がらないが、バンドの正式メンバーに数えられる。

 ハンターを得たことは、グレイトフル・デッドにとって測り知れないメリットをもたらす。ガルシアとのコンビ、ずっと数は減るがウィアとのコンビによるナンバーは、ユニークな世界を展開する。その詞の世界は、ディランのそれに匹敵できる数少ない例の一つだ。およそ、ロックやポピュラー音楽の一般的な歌詞とは次元が異なり、英語による言語表現の限界に挑戦する。意味や含蓄は必ずしも明瞭ではないが、様々なイマージュや感覚を喚起する。デッドの音楽との相乗効果で、そこで生まれるものは常に千変万化し、音楽を聴く体験をより豊饒にする。デッド世界ではその詞が伝えようとするものをめぐって、昔から議論が盛んだ。もちろん決定的な結論など出ず、常に新しい解釈が可能でもある。邦訳は愚か、大意を日本語で述べることも無意味だ。日本語ネイティヴとしては各自の英語力を総動員して、自分なりの把握を試みるしかない。

 その詞に幻覚剤の影響があることは確かだ。1960年代初めに、軍部がスタンフォード大学医学部と提携して行なったLSDの人体実験にハンターは参加し、そこで決定的な体験をしている。

 バンドと音楽の上では行動を共にしてはいるものの、日常生活では共にしていなかったらしい。また、他のメンバーほどエキセントリックな振舞いはしなかったようでもある。デッドのメンバー、クルーはエピソードには事欠かないのだが、ハンターにまつわるエピソードはほとんど見聞しない。デッドの中核メンバーでありながら、傍観者的立場にあった点で、デッドのファミリー・メンバーとしては異色だ。ということは、より普通の人だったと言えるかもしれない。


1. 1974 Jai-Alai Fronton, Miami, FL
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第二部6〜8曲目〈Dark Star Jam> Spanish Jam> U. S. Blues〉が《So Many Roads》でリリースされ、第一部7曲目〈Let It Rock〉が《Beyond Description》でリリースされ、第一部クローザー〈China Doll〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、全体が《Dave's Picks, Vol. 34》でリリースされた。
 第一部7曲目で〈Let It Rock〉がこの時一度だけ演奏された。一方、ガルシアのソロ・プロジェクトでは1970年代初めのマール・ソーンダースとのバンドから1990年代のジェリィ・ガルシア・バンドまで、通して150回以上演奏された。チャック・ベリーの曲で、1960年の《Rockin' At The Hops》収録。
 休憩時間中に〈Seastones〉がデビュー。フィル・レシュとネッド・ラギンによるシンセサイザー音楽。この年のショウの一部で「演奏」された。
 公式リリースされるようなショウでも、ダメだあ、という人はいる。

2. 1976 Tower Theatre, Upper Darby, PA
 水曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。8.50ドル。開演7時。
 2曲目〈Sugaree〉が《Dave’s Picks, Vol. 28》でリリースされた。
 オープナー〈The Music Never Stopped〉の前にウィアが〈Yellow Dog Story〉をひとくさりやった。
 第二部4・5曲目の〈Cosmic Charlie; St. Stephen〉の2曲が共に演奏されるのは、1970年10月31日以来。この年の09月25日にもう一度だけある。
 〈Sugaree〉はすばらしい。まだ翌年春の域までは行かないが、これもいい演奏。ドナのコーラスが控え目なのも、ここでは合っている。

3. 1984 City Island, Harrisburg, PA
 土曜日。11.50ドル。開演7時。
 前年に比べると劣るショウの由。

4. 1988 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 木曜日。このヴェニュー4日連続の楽日。開演7時。
 第二部2曲目で〈Believe It Or Not〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。翌月にかけてさらに3回、09月と10月に1回ずつ、そして1990年03月22日が最後で、計7回演奏。スタジオ盤収録無し。《Built To Last》用に録音はされたが、収録はされず。アウトテイクが《So May Roads》に収録。
 アンコールで〈Blackbird〉を演ったが、うまくいかず、メンバーは笑いくずれ、会場も大笑い。最後は〈Brokedown Palace〉で締めた。

5. 1990 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。22ドル。開演正午。リトル・フィート前座。
 アンコール〈One More Saturday Night〉の後、ビル・グレアムが、「この土曜の午後をすばらしいものにしてくれたリトル・フィートとグレイトフル・デッドにお礼を言おう」と呼びかけた。
 オープナー〈Feel Like a Stranger〉が2017年の、5曲目〈Far from Me〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。これもいずれ完全版が欲しい。
 リトル・フィートもすばらしく、この時期のデッドに外れ無し。
 〈Feel Like a Stranger〉〈Far from Me〉とも力演。

6. 1992 Star Lake Amphitheater, Burgettstown, PA
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。22.50ドル。開演7時。
 第二部3曲目〈So Many Roads〉が《Ready Or Not》でリリースされた。
 まずまずのショウらしい。
 〈So Many Roads〉はガルシアのギターが、この曲には珍しく粋に響く。ラストのリピートのガルシアの絶叫に客席が湧く。この曲ではいつもは冷静なガルシアもエモーショナルになる。

7. 1993 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 第一部3曲目〈Lazy River Road〉が2017年の、第一部クローザー〈Easy Answers〉が2018年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部 drums 前の〈Terrapin Station〉からがすばらしかったそうだ。DeadBase XI で David Steinberg が、興奮して書いている。これが始まる前にはもう出ようかと思ったが、以前にもそう思ったとたん、とんでもないことが起きた。この時も同じ。この〈Terrapin〉から drums/space を経て〈Dark Star> The Wheel〉と続くメドレーこそは、こういうものがあるからデッドのショウにもどってくるのをやめられない、と言う。
 〈Lazy River Road〉はこの年の02月21日にデビューしている。悪い曲ではない。たとえば〈Ripple〉と比べても、曲としてそれほど劣るとは思えない。ただ、ガルシアにはもう少し気合いを入れるというか、背筋を伸ばして歌ってくれないかとは思う。しかしこの歌はこういう風に、外は風の吹きすさぶ山小屋の中で、ぬくぬくとしながら、語りかけるように歌われるべきものなのだろう。
 〈Easy Answers〉はウィアの熱の入れ方とやる気の無いように聞えるコーラスが対照的。故意にやっているようでもある。「イージーな答え」は実は少しも「イージー」ではないことを、このコーラスに籠めていると聞える。裏で弾いているガルシアのギターが面白く、上記のスタインバーグは評価しないが、これはこの歌のかなり良いヴァージョン。こういうやり方もあると思わせるあたり、デッドらしい。ウェルニクの踏ん張りも効いている。(ゆ)

9月30日・木

 今日は比較的気温は暖かかったけれど、つくつく法師が聞えなかった。昼過ぎから雨が降ったせいか。明日も雨の予報で、台風が去った後、復活するか。もっとも、もう10月。今まで残っていた方が遅いくらいではある。


##9月30日のグレイトフル・デッド

 1966年から1993年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本。

01. 1966 Commons, San Francisco State College, San Francisco, CA

 サンフランシスコ州立カレッジ、キャンパスでのトリップ・フェスティヴァル。アシッド・テストのひとつ。金曜日午後3時から日曜日の午後3時まで。チケットは2ドル。共演は Mimi Farina, The Only Alternative, The Committee & Congress of Wonders。つまり、イベント全体はノンストップで続く中、デッドとこういうミュージシャンたちが、順番にステージに立っては一定時間演奏していたのだろう。

 アシッド・テストなので、セット・リストは無し。

02. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA

 2日連続の2日目。

03. 1969 Cafe Au Go Go, New York, NY

 3日連続の2日め。

 〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉の組合せが初めて演奏された。〈China Cat Sunflower〉はメキシコにいたロバート・ハンターがガルシアに送った一群の詞の一つで、スタジオ版は《Aoxomoxoa》収録。1968-01-17, Carousel Ballroom で初演。〈I Know You Rider〉は1966-03-12、ロサンゼルスの Danish Center で初演。この二つは以後最後までほぼ組み合わせて計533回演奏された。〈China Cat Sunflower〉単独では557回。〈I Know You Rider〉単独は548回。回数順では組合せでも各々単独でも6位。

04. 1972 Reeves Field, American University, Washington, DC

 学生ユニオンが主催した屋外でのフリー・コンサート。天気はよく、演奏も上々だったそうな。

05. 1976 Mershon Auditorium, Ohio State University, Columbus, OH

 6.50ドル。夜8時開演。前半最後の〈Scarlet Begonias〉が《Live At Cow Palace: New Years Eve 1976》のボーナスCD《Spirit of '76》でリリースされた。が、持っていない。後半冒頭の〈Lazy Lightnin' > Supplication〉が2014年と2018年の2度、《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 Supplication でのジャムがいい。デッド流ポリフォニーになったり、ピアノとウィアのリズム・セクションを土台に、ガルシア、レシュ、2人のドラマーが各々にリードをとったり、一瞬の弛みもなく変化してゆく。その中を貫いてゆくガルシアのギターがまた絶好調。

06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続の5本目。第一部アコースティック・セット、最後から2番目の〈Oh Babe It Ain't No Lie〉が《Reckoning》でリリースされた。原曲は Elizabeth Cotton

 ガルシアのヴォーカルはあまりにソフトで、歌詞がほとんど聞きとれない。この歌はデッドとしては15回、1980年の一連のレジデンス公演の後、翌年3回、1984年に1回のみ。なお10-23 Radio City Music Hall でのヴァージョンが2004年の《Reckoning》再発の際、ボーナス・トラックとしてリリースされている。

 スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections1975 のアウトテイクが、2005年の《All Good Things》ボックス・セットでのリリースの際に収められた。ガルシアの個人プロジェクトのアコースティック・セットでは何度も歌われている。他のヴァージョンも聴くと、歌詞はいくらかはっきりしているが、どうやら、声はできるだけ出さずに、歌詞もできるだけ明瞭に発音しないように、つぶやきとして唄おうとしているようだ。歌よりも、シンプル極まりない、ただ、のんびりとポロンポロン弾いているようで、妙に耳が惹きつけられるギターがメイン。

All Good Things: Jerry Garcia Studio Sessions
Garcia, Jerry
Rhino / Wea
2004-04-19

 

 このジェリィ・ガルシア・バンドやジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドのライヴ音源を聴いていると、アコースティックの編成はこちらの方がふさわしく、やりたいこともでき、デッドの面子でアコースティックでやる意義はあまり無い。とガルシアは判断したのかもしれない、と思えてくる。ベース一つとっても、ジョン・カーンとフィル・レシュではまったく別世界なのだが、レシュのスタイルはやはりエレクトリックで真髄を発揮するものではある。デッドをメリー・プランクスターズのバス "Further" に喩えれば、アコースティックのデッドはロバの挽く四輪馬車ともいえて、それはやはりカッコ悪い。というより、つまらない。愉しくない。とバンドが考えたとしてもおかしくはない。デッドがデッドになるためには、最低限のスピードは必要なのだ。

07. 1981 Playhouse Theatre, Edinburgh, Scotland

 この年2度めのヨーロッパ・ツアー初日。チケット5ポンド。開演7時。スタンリー・マウスのポスターがすばらしい。

08. 1988 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の初日。

09. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の中日。この年の最短と思われる短いショウ。MIDI を本格的に導入して、新しいおもちゃで遊んでいるけしきだったらしい。

10. 1993 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続、千秋楽。(ゆ)


このページのトップヘ