クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:多様性

 秋に竹書房から刊行予定のアリエット・ド・ボダールの「シュヤ Xuya」宇宙の作品集(タイトル未定)の原稿改訂を終えて、編集部に送った。とりあえず肩の荷を降ろしたところで、当面は今週末、アイルランドはダブリンでのワールドコン、世界SF大会で、ヒューゴー賞の結果を待つばかりだ。この作品集の核となるノヴェラ「茶匠と探偵」The Tea Master and the Detective とともにシリーズ全体が最終候補に残っているからだ。「茶匠と探偵」の方は一足早く、今年のネビュラ賞最優秀ノヴェラを受賞している。これで、この作品集にはネビュラ受賞作が3本入ることになった。1人の著者の作品集にネビュラ、ローカス、英国SF作家協会の各賞受賞作が計5本も入っているのは、まず滅多にないことではあろう。

 ド・ボダールの作品が日本語で紹介されるのは、これが初めてではない。ことにずいぶん遅くなって、気がついた。SFM2014年3月号にネビュラ、ローカスのダブル・クラウンに輝いた Immersion が故小川隆氏により「没入」の邦題で翻訳されている。原稿の初稿を編集部に送った後でそのことを知り、あわてて読んだ次第。さすがの翻訳で、大いに参考にさせていただいた。記して感謝申し上げる。

 とはいえ、彼女の作品がまとまった形で紹介されるのは初めてではあるし、このシリーズは今のところ、その著作活動の中心を占め、代表作といっていいものでもあるから、まずは簡単に経歴とシリーズ全体の素描を試みよう。

 Aliette de Bodard は1982年11月10日、フランス人の父とヴェトナム人の母の間にニューヨーク市で生まれた。生後1歳で一家はフランスに移住し、パリで育つ。母語はフランス語。英語もほぼバイリンガル。ヴェトナム語は第三言語。小説作品はすべて英語で発表している。2002年にエコール・ポリテクニークを卒業、応用数学、電子工学、コンピュータ科学の学位を持つ。ソフトウェア・エンジニアの仕事につく。既婚で、昨年、第一子を生んだ。

 2006年からオンライン雑誌に短篇を発表しはじめ、2007年に Interzone に進出。同年、Writers of the Future の第一席になる。ちなみに、この賞はSFの新人発掘のため、サイエントロジーの創始者でSF作家のL・ロン・ハバートがアルジス・バドリスをかついで創設したもので、何人も優れた書き手を出している。例えばニナ・キリキ・ホフマン、キャロライン・アイヴス・ギルマン、スティーヴン・バクスター、ショーン・ウィリアムス、トビアス・バッケル、ンネディ・オコラフォー、パトリック・ロスファス、ケン・リウ、ジェイ・レイクなどなど。もっともド・ボダール以降はこれといった人は出ていない。

 この時のワークショップをきっかけに長篇を書きはじめ、苦闘の末、Angry Robot から後に OBSIDIAN & BLOOD としてまとめられる三部作 (2010-11) を出す。異次元世界のアステカを舞台とした歴史ファンタジィであり、ミステリである。構造としてはランドル・ギャレットの「ダーシー卿」シリーズに共通するが、話はずっとダークで苦く、モダンだ。

 精力的に中短編を発表する傍ら、2015年から Dominion of the Fallen と題する長篇シリーズを出しはじめる。第一作 The House Of Shattered Wings は英国SF作家協会賞を受賞している。先月 The House Of Sundering Flames が出て三部作が完結した。The Fallen と呼ばれる、文字通り天から落ちた元天使たちがそれぞれに城館を構え、一族郎党を率いて、魔法を駆使して戦う異次元のパリを舞台としている。このシリーズにも本篇に加えて、中短編を書いている。

 二つの長篇シリーズはファンタジィと呼んでいいが、その他の中短編はシュヤ宇宙も含め、サイエンス・フィクションに分類できるものが大半だ。

 シュヤ宇宙に属する作品はデビュー翌年の2007年から2009年を除いて毎年書き続けている。現在30本、短篇が15、ノヴェレット12、ノヴェラが3。そのうち最も長い On a Red Station, Drifting は4万語で、ほぼ長篇といってもいい。著者がこれまでに発表している中短編全体の三分の一をこのシリーズが占める。

 この30本のうち、5本の作品が、ネビュラ賞3回、ローカス賞1回、英国SF作家協会賞を2回、受賞している。さらに半分にあたる15本は、主な年刊ベスト集のどれかに収録されている。

 ご参考までに30本を発表順に掲げておく。

2007-12, The Lost Xuyan Bride, nt
*2008-12, Butterfly, Falling at Dawn, nt, ドゾア
2010-07, The Jaguar House, in Shadow, nt
*2010-11+12, The Shipmaker, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2011-02, Shipbirth, ss
2011-sum, Fleeing Tezcatlipoca, nt
2012-01, Scattered Along the River of Heaven, ss、ホートン
2012-03, The Weight of a Blessing, ss
*2012-06, Immersion, ss, ネビュラ、ローカス各賞、ストラハン
2012-07, Ship's Brother, ss、ドゾア
2012-07, Two Sisters in Exile, ss、ハートウェル
2012-08, Starsong, ss
2012-12, On a Red Station, Drifting, na
*2013-04, The Waiting Stars, nt, ネビュラ賞、ドゾア
*2014-01, Memorials, nt
2014-03, The Breath of War, ss
2014-04, The Days of the War, as Red as Blood, as Dark as Bile, ss、ドゾア
2014-08, The Frost on Jade Buds, nt
2014-11, A Slow Unfurling of Truth, nt
*2015-01, Three Cups of Grief, by Starlight, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2015-10, The Citadel of Weeping Pearls, na、ドゾア、グラン
2015-11, In Blue Lily's Wake, nt、クラーク
*2016-03, A Salvaging of Ghosts, ss、ドゾア、ストラハン
2016-05, Crossing the Midday Gate, nt
2016-07, A Hundred and Seventy Storms, ss
2016-10, Pearl, nt、クラーク
*2017-04, The Dragon That Flew Out of the Sun, ss、ドゾア
2017-08, A Game of Three Generals, ss
*2018-03, The Tea Master and the Detective, na, ネビュラ賞
2019-07, Rescue Party, nt

 ssは短篇、ntはノヴェレット、naはノヴェラの略。ドゾア、クラーク、グラン、ストラハン、ハートウェル、ホートンはそれぞれの編になる年刊ベスト集に収録されていることを示す。

 すべて独立の物語で、登場人物や直接の舞台の重複はほとんど無い。共通するのは、我々のものとは異なる歴史と原理をもつ宇宙で、登場人物たちはヴェトナムに相当する地域の出身者またはその子孫であることだ。初期の数作は地球が舞台で、ここでのシュヤは北米大陸の西半分にある。この世界ではコロンブスと同時期に中国人が新大陸西海岸に到達し、植民している。そのためにスペイン人の征服は阻止され、アステカ文明が存続している。シュヤはこのアステカの後継であるメヒコの支援で中国から独立し、さらにアングロ・サクソンの進出も防いだ。

 後の諸作では宇宙に展開する大越帝国が主な舞台となり、こちらは大越という名が示唆するようにヴェトナム文化の末裔だ。そこでの統治システムは中国の王朝のものがベースになっている。

 AI、VR、ネットワーク、ナノテクノロジーなど、今時のSF的道具立ては一通り揃っている中で、特徴的なのは mindship と deep spaces である。mindship 有魂船と訳したのは、アン・マキャフリィの「歌う船」以来の知性ある宇宙船のヴァリエーションの一つだ。宇宙船やステーションを制御するのは mind と呼ばれ、生体と機械が合体した形をしている。制御することになる船やステーションに合わせてカスタムメイドで設計されるが、一度人間の子宮に入れられ、月満ちて産みだされる。したがって、mind は母親を通じて人間の家族、親族とのつながりをもつ。性別もあり、クィアもいる。高度なサイボーグと言うべきか。永野護『ファイブスター物語』に登場するファティマの、もう少し人間に近い形とも言えよう。

 deep spaces 深宇宙はいわゆる超宇宙、ハイパースペースで、そこに入ることで光速を超えた空間移動ができる。ただし、この空間は人間には致命的に異常で、防護服無しには15分ほどで死んでしまう。有魂船はこの空間に耐えられるよう設計されており、耐性があるので、これに乗れば死ぬことはないが、快適ではない。

 なお、これらはシュヤ宇宙もの以外の作品にも、また違った形で登場する。

 シュヤの宇宙はアジアの宇宙だ。ここでの人間関係はアジアの大家族をベースとしている。先祖崇拝、長幼の序、親孝行、輪廻転生、観音信仰といった我々にも馴染のある習俗が根幹となる。一方で、欧米の潮流、LGBT や個人の自由の割合も小さくない。とりわけ重要なのは女性の地位と役割だ。重要な登場人物はほとんどが女性だ。ここは我々の世界でのアジアの伝統的文化とは決定的に異なる。行政官や兵士、科学者のような、我々の世界では男性が圧倒的な分野でも、ここではごくあたりまえに女性が担っている。我々の世界とは男女の役割が逆転しているといってもいいほどだ。話の中で重要なキャラクターでジェンダーが明確ではない者もいるが、かれらも基本的には女性とみなした方が適切だろう。このジェンダーの逆転は故意になされているからだ。

 今回の作品集は30本の中から9本を選んだ。上記リストで行頭に*を付けてある。選択の基準はまず受賞作は全部入れる。各種年刊ベスト集に収録されたものはできるだけ入れる。その上で、2008年から2018年の間の各年から1本ずつ選ぶ。

 受賞もしておらず、どの年刊ベスト集にも採られていないにもかかわらず選んだのは Memorials だ。この年には5篇発表していて、うち1篇がドゾアのベスト集に収録されている。しかし、あえてこの作品にしたのは、著者の特質が最も鮮明に現れていると考えたからだ。

 このことからも明らかなように、今回採用した作品が、各々の年で文句なしのベストというわけでもない。たとえば2012年には8本発表しているうち半分の4本が各種年刊ベスト集に採録されたが、各々に作品が異なる。3本ほど入手できていないが、読んだかぎりでは、このシリーズの各篇はどれをとっても極めて水準が高く、凡作と言えるものすら無いといっていい。今回と同程度の質の作品集は軽くもう1冊できる。というよりも、いずれは全作品を、これから書かれるであろうものも含めて、紹介したいし、またする価値はある。今のところ、最新作は先月出たばかりのオリジナル・アンソロジー Mission Critical 収録の Rescue Party(傑作!)で、さらに、今年後半に Subterranean Press からノヴェラが予定されている。こちらは「茶匠と探偵」のゆるい続篇になるそうだ。

Mission Critical
Peter F Hamilton
Solaris
2019-07-09



 なお、シュヤ宇宙の作品が1冊にまとめられるのは、今回が二度めである。最初は2014年に出たスペイン語版 El ciclo de Xuya である。前年までのシュヤ宇宙作品をほぼ網羅し、書下しノヴェレットを加えている。我々の本の直前に、英語圏では初の本格的な作品集 Of Wars, And Memories, And Starlight が Subterranean Press から出る。発表されている収録作品の大半はシュヤ宇宙ものだが全部ではない。

Of Wars, and Memories, and Starlight
Aliette De Bodard
Subterranean Pr
2019-09-30



 「堕天使のパリ」ものも実に魅力的だし、シリーズもの以外にも優れた作品は多い。今のアメリカの文化現象のキーワードである「多様性」の点でも、SFFにおいてその一角を担って、大いに推進している。ド・ボダールは今現在、最も「ホット」な作家であり、これからさらなる傑作を書いてくれるだろう。困るのは、作品発表の場が極めて広く、多岐にわたっていて、全部追いかけようとすると、各種雑誌、アンソロジーを小まめにチェックする必要があることだ。

 もっとも、今の時代、中短編中心に書いている作家にはついてまわることかもしれない。(ゆ)

 本来ならちゃんと読んでから書くべきだろうが、こういうめでたいことはまずは注意喚起しておいてもいいでしょう。
 AOL じゃない、LOA から出た新刊だ。Library Of America は、アメリカ文学の古典を、学問的にしっかりした校訂をほどこし、永年読みつづけられるよう、瀟洒だが頑丈なハードカヴァーとして出しているNPO法人だ。ホーソーン、メルヴィル、トウェインからアップダイクまで、ここに収録されることはアメリカの書き言葉による art の古典として末永く読み継がれるべきものと認定されたことを意味する。ハードカヴァーだが、各巻は通常の4、5冊分が収録されて、コスパは高いし、絶版にしない。

 狭義の文学、つまり小説、詩、エッセイ、歴史などだけでなく、『憲法制定議論』として、合州国草創期の憲法制定議会の議事録があったり、第一次、第二次の世界大戦、ヴェトナム戦争の報道記事を集めた巻があったり、オーデュボンの巻ではあのイラストがフルカラーで入っていたり、なかなか面白い。今世紀に入ってから、サイエンス・フィクションの収録にも積極的で、ヴォネガット、ディック、ル・グィンが集められているし、ラヴクラフトの一巻や50年代クラシックの長篇9本を集めた2巻本もある。
 一方で、オリジナルのアンソロジーも多数出している。宇宙開発草創期の様々な文章を集めたもの、ニューヨークに関するもの、音楽にまつわるものなど様々。ピーター・ストロウブが編集してポオから現代までの fantastika を集めた巨大な2巻本は世界幻想文学賞の最優秀アンソロジーを受賞している。
 今回はパルプからル・グィンまでの女性の書き手による中短編25本を集めたもの。カヴァーは1965年の「宇宙服」。撮影はリチャード・アヴェドン。収録されているのは Clare Winger Harris の "The Miracle of the Lily" (1928) からル・グィン「九つの命」Nine Lives (1969) まで。半分ぐらいはあたしでも知っているが、半分はまったく初めて聞く名前。

 ジュディス・メリルの「ママだけが知っている」、キャスリン・マクリーン「接触感染」、ゼナ・ヘンダースン「アララト」、あるいは、ソーニャ・ドーマン「ぼくがミス・ダウであったとき」など、有名な作品もある。ティプトリーは「エイン博士最後の飛行」(1969) で、そりゃ、そうだよなあ、これしかない。

 編者のヤスゼクに言わせれば、サイエンス・フィクションが男性のものだったなどというのは「伝説」の類で、女性の書き手もしっかりいて、しかも重要な作品を書いている、ということになる。まったく、その通り、と目次の中で知っているものを拾っているだけでも思う。そして、そうした書き手がこれまできちんと評価されていない、というのもうなずける。つまりはこういうアンソロジーが必要なのだ。

 一方で、こういう本が出るのは、とりわけ2010年代に顕著になっているSFFにおける女性の進出が背景にあるだろう。今年のヒューゴー、ネビュラの最終候補作のリストは面白い。ネビュラでは長篇から短篇まで4つの小説部門の最終候補に作品が残った書き手23人中、男性が7人。ヒューゴーでは21人中、なんとたったの3人なのだ。念のため、もう一度言うが、この数は女性の書き手の数ではない、男性の数だ。昨年はネビュラが23人中、男性が8人、ヒューゴーは23人中7人。この二つでは重複も多いから、合わせてみると、今年は33人中男性が9人、昨年は36人中11人になる。

 ちょっと調べてみたら、2011年が分水嶺になっている。ネビュラもヒューゴーもこの年、初めて女性の数が男性を上回る。合算も同じ。ネビュラは以来、男性の数は着実に減っていて、今年は最低の比率(30.4%)。ヒューゴーでは例の "Sad Puppy" 騒動で、2014から2016年までは男性が上回るが、昨年はまた引っくり返り、今年は上記の数字になった。ネビュラでは今世紀に入ると女性の数が増えはじめ、着実に増えている。ヒューゴーでは2009年までは男性が7〜8割を維持していたのが、2010年にがらりと様相が変わる。

 両賞のすべての年を調べたわけではないが、少なくとも1970年代まではほぼ男性ばかりだ。1980年代までは女性の作品が最終候補に残るのはまだ例外に属する。もっともほとんど一面男性ばかりの中に、女性がちらほらという風景は1980年代に変わりはじめている。1990年代になると女性は比率はまだ小さいが、確実に一角を占める。

 2010年代のこの様変わりの原因はもちろん単純ではないが、確実に言えるのは、書き手、読み手双方に女性が増えたのだろう。おそらく書き手の増え方の方が急激ではあるだろうが、読み手の増加も小さくないだろう。きっかけの一つは「パラノーマル・ロマンス」のブームではないか、というのが、あたしの見立てだ。あれでロマンスものの男性の読者が、それ以前の5%以下から3割に増えたそうだが、一方で、ロマンスものからSFFに流れた女性読者もかなりいたんじゃないか。比率としてはそう大きくはなくとも、絶対数では大きいだろう。そしてそのパラノーマル・ロマンスのブームが絶頂になるのは2011年なのだ。

 ロマンスものというと、わが国ではハーレクインのイメージだろうが、アメリカでは小説として出版されるものの半分はロマンスものだ。SFFも『スター・ウォーズ』以来成長を続けて、今ではロマンスものに継ぐぐらいになってはいるが、規模の点ではまだロマンスものの敵ではない。小説出版では、少なくとも点数と売上においては、他のジャンル、SFF、ミステリ、スリラー、なんじゃもんじゃ、全部ひっくるめても、ロマンスものにはかなわない。ハーレクインだけではなく、大手版元はどこもロマンス専門のインプリントを持っている。書き手の数も相応して多く、作家組合の Romance Writers of America は会員数1万を超える。ちなみにSFWAの会員数は2,000人弱だ(これだって凄い数字だ。人口比でいえば、わが国のSF作家クラブの会員が700人いなくてはならない)。

 パラノーマル・ロマンスの爆発は、ロマンス業界にとってほとんど革命だったわけだが、ひょっとするとその余波、というには大きな波がSFF界をも襲っているのかもしれない。点数や売上、上記のような読者層の変化もさることながら、ロマンス作家の地位が上がったのだ。つまり、ロマンス作家の一部がジャンルの外へ突破した。ロマンス専門のインプリントではなく、本体のブランドからハードカヴァーとして新刊が出るようになった。そうすると、これらの作家は通常ロマンスものは読まないがSFFのジャンルは読む読者にも読まれるようになる。同時にそれまでロマンスものしか読まなかった読者たちが、こうした作家たちを追いかけてジャンルの外へ出てゆく。パラノーマル・ロマンスはファンタジィの形を借りたロマンスだ。したがってジャンルから出た、旧ロマンス作家たちの本は本屋でもオンラインでも、SFFのところにある。パトリシア・ブリッグスの本をアマゾンで買ったら、N・K・ジェミシンの本を薦めるメールが来るわけだ。あるいはアンソロジーで、ロマンス出身の書き手と、ジャンルとしてのファンタジィ出身の書き手が同居することも多い。

 ロマンス作家は例外なく女性だ。たとえ本当は男性であるケースも絶無ではないのだろうが、表に出ている姿、写真とかウエブ・サイトに載る映像はすべて女性だ。あたしもひと頃、パラノーマル・ロマンスは集中的に読んだが、どれもこれもよく出来ている。一定の面白さを保証してくれる。ハッピーエンド、ヒロインの一人称視点、そして30代前半独身のヒロイン、というのがロマンスものの掟だが、それ以外では、ほとんど何でもありである。そして、シリーズものがほとんどだが、どれもこれも設定、キャラクターの造形と配置が実にうまい。あまりにうまいので、これを全部一人で考えて書いているとは信じられなくなるくらいだ。実はプロダクション方式で、作家として表に出ているのは看板じゃないかと勘繰りたくなる。

 SFFに入ったパラノーマル・ロマンスは urban fantasy と呼ばれる。チャールズ・ド・リントのように、パラノーマル・ロマンス以前から現代都市を舞台にしたファンタジィを書いている作家もいるが、この頃では、かれらの作品も urban fantasy と呼ばれる傾向がある。確かに、ファンタジィの書き手には女性が昔から多いとは言えよう。ネビュラもヒューゴーも作品の内容はサイエンス・フィクションに限定していない。また、限定できるはずもない。それでも、どちらかといえばヒューゴーの方がサイエンス・フィクションの比率が高い傾向はあったかもしれない。2000年代までヒューゴーの男性比率が高かったのは、その反映ということもありえる。そのヒューゴーも、しかし今年は85%以上が女性の書き手の作品である。来年はどうなるのか。Sad Puppy ならずとも、心配になってくるではないか。

 とはいえ、かつては男性が独占していたのだから、これからしばらくは女性が独占してちょうど釣合がとれるというものだろう。もっとも、この性別は書き手の名前からの推測である。ということは生物学的な性別だ。SFFに限らず、文学にも限らず、今の文化のキーワードは「多様性」である。ニューヨーク・コミック・コンでの多様性をめぐるパネル・ディスカッションで Charlie Jane Anders の言うとおり、より多様なジェンダーの、より多様な肌の色の、より多様な世界観の、より多様な出身の書き手による作品が求められているし、また書かれるだろう。LOA に LGBT をテーマとしたアンソロジーが登場するのも、案外近いかもしれない。理想は The Future Is Diversity! ではある。

 まあ、われわれが住んでいるのは残念ながら理想の世界では無いから、まずは The Future Is Female! を突破口として、これをじっくり読むことにしよう。編者のヤスゼクは、今を色彩る女性作家たち、C・J・チェリィ、N・K・ジェミシン、ンネディ・オコラフォー、アン・レッキー、ジョー・ウォルトン、マーサ・ウェルズ、それにあたしとしてはオクタヴィア・バトラーとアリエット・ド・ボダールも加えたいが、こうした作家たちが出現した背景には、パルプ以来の長い伝統があるのだ、とも言っている。そういえば、Pauline Hopkins もいるじゃないか。さあ、お楽しみはこれからだ。(ゆ)

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