ここも3年ぶりだろうか。パンデミックの間にも近隣に変化があったようで、通りの向い側の店が一新された印象。明瞭な記憶があるわけではないが、もっと雑然として、寂れてもいたように思う。それが新しく、かなりシャレた店になっている。
もっとも木馬亭はあいかわらずで、手作りの公演もあいかわらず。開演直後、客席脇の天井にとりつけられた、舞台を照らす照明にスイッチが入っていなかったのも、スタッフのミスです、と岡さんが言うと、担当者が舞台袖に出てきて一礼してあやまったのも頬笑ましい。
パンデミック後のライヴ通いを再開してから岡さんを見るのは2度目。まず印象的なのは声がよく通ること。マイクは立ててあるが、やや距離をとり、オフマイク気味。それでも軽々と声が通ってくる。ノーマイクでもいけるんじゃないかと思えるほど。ギターのコード・ストロークの音もシャープかつ豊かな響き。ハーモニカも巧い。つまり、ミュージシャンとしてのレベルがパンデミック前より1枚か2枚、剥けた感覚だ。器もひとまわりは大きくなっている。
今回は「添田唖蝉坊生誕150周年」記念に《かんからソング IV》として出したCDのレコ発でもある。三部構成で、第一部はギターとハーモニカを伴奏に、「フォーク・ロック」を歌う。第二部はゲストの三遊亭兼好師匠による一席。第三部がカンカラ三線伴奏で唖蝉坊演歌。
第一部は歓迎のうたから浅草のうた、〈風に吹かれて〉の日本語による替え歌。さらに〈Hard Times Come Again No More〉の日本語版。この2曲がすばらしかった。前者のコーラス、「何度でも言ってくれ、世界が破滅の前夜だなんてウソだろう、ってよ」が心に響く。唖蝉坊もいいが、岡さんには1度、高田渡のカヴァー・アルバムも作ってほしい。
兼好師匠の噺は終ったばかりの葬式から円楽亡き後の笑点、そして本題はドケチな商人が跡継ぎを決めようと、三人の息子各々に自分が死んだらどんな葬式を出すかを問う。長男は超豪華、次男は盛大なお祭り、そして三男はドケチ。次男のところで祭の囃子を口だけでやってみせるのが見所。この人はこれが得意技なのだろう。あるいはコンサートの客という要素も考えてのことか。リズム感もすばらしく、これだけでも堪能。ちょとホラーなオチまでおおいに笑わせていただきました。
第三部は明治の演歌師のコスプレです、という扮装で出てくる。あまり特殊なものには見えない。オリジナルに岡さんがオリジナルの詞を付けまくる。〈東京節〉、ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノは〈デタラメ節〉、〈オッペケペー〉は〈オリンピック節〉になる。ラスト前の〈カンカラ節〉も唖蝉坊のメロディにオリジナルのメロディ。
〈ハテナ・ソング〉というのは1920年、前回の世界的パンデミック、スペイン風邪の時の歌。〈むさらき節〉は一番のみ当時のスタイル、つまりアカペラで歌い、〈四季の唄〉に続けるのがまずハイライト。前回、横浜でのライヴでも披露した唖蝉坊の故郷、大磯の地元自慢のうた〈磯自慢〉は15番まである歌詞のうち6番まで。国立劇場でもうたったという〈鉄道唱歌〉の元歌である〈汽車の旅〉。これも唖蝉坊だそうな。そして、これも横浜でハイライトだった〈ヤカ節〉。今回のベスト・シンギング。シンガーとしての岡大介の良いところが全部、ベストの形で出ていた。うーん、こうなると、沖縄島唄でも1枚、ぜひ作ってほしい。アンコールの〈月ぬかいしゃ〉がまたすばらしい。カンカラ三線のコード・ソトロークにぞくぞくする。
木馬亭は唖蝉坊の息子の知道が出演したことがあるそうで、岡さんがここにこだわるのもそのためという。実際、こうして何度も見ていると、こちらもここで見るのが一番しっくりする。出るともうまだ温もりの残る夜。浅草寺の境内を抜けてゆくと、外国からのお客さんの姿も増えてきたようだ。(ゆ)