クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:大正

 ここも3年ぶりだろうか。パンデミックの間にも近隣に変化があったようで、通りの向い側の店が一新された印象。明瞭な記憶があるわけではないが、もっと雑然として、寂れてもいたように思う。それが新しく、かなりシャレた店になっている。

 もっとも木馬亭はあいかわらずで、手作りの公演もあいかわらず。開演直後、客席脇の天井にとりつけられた、舞台を照らす照明にスイッチが入っていなかったのも、スタッフのミスです、と岡さんが言うと、担当者が舞台袖に出てきて一礼してあやまったのも頬笑ましい。

 パンデミック後のライヴ通いを再開してから岡さんを見るのは2度目。まず印象的なのは声がよく通ること。マイクは立ててあるが、やや距離をとり、オフマイク気味。それでも軽々と声が通ってくる。ノーマイクでもいけるんじゃないかと思えるほど。ギターのコード・ストロークの音もシャープかつ豊かな響き。ハーモニカも巧い。つまり、ミュージシャンとしてのレベルがパンデミック前より1枚か2枚、剥けた感覚だ。器もひとまわりは大きくなっている。

 今回は「添田唖蝉坊生誕150周年」記念に《かんからソング IV》として出したCDのレコ発でもある。三部構成で、第一部はギターとハーモニカを伴奏に、「フォーク・ロック」を歌う。第二部はゲストの三遊亭兼好師匠による一席。第三部がカンカラ三線伴奏で唖蝉坊演歌。

 第一部は歓迎のうたから浅草のうた、〈風に吹かれて〉の日本語による替え歌。さらに〈Hard Times Come Again No More〉の日本語版。この2曲がすばらしかった。前者のコーラス、「何度でも言ってくれ、世界が破滅の前夜だなんてウソだろう、ってよ」が心に響く。唖蝉坊もいいが、岡さんには1度、高田渡のカヴァー・アルバムも作ってほしい。

 兼好師匠の噺は終ったばかりの葬式から円楽亡き後の笑点、そして本題はドケチな商人が跡継ぎを決めようと、三人の息子各々に自分が死んだらどんな葬式を出すかを問う。長男は超豪華、次男は盛大なお祭り、そして三男はドケチ。次男のところで祭の囃子を口だけでやってみせるのが見所。この人はこれが得意技なのだろう。あるいはコンサートの客という要素も考えてのことか。リズム感もすばらしく、これだけでも堪能。ちょとホラーなオチまでおおいに笑わせていただきました。

 第三部は明治の演歌師のコスプレです、という扮装で出てくる。あまり特殊なものには見えない。オリジナルに岡さんがオリジナルの詞を付けまくる。〈東京節〉、ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノは〈デタラメ節〉、〈オッペケペー〉は〈オリンピック節〉になる。ラスト前の〈カンカラ節〉も唖蝉坊のメロディにオリジナルのメロディ。

 〈ハテナ・ソング〉というのは1920年、前回の世界的パンデミック、スペイン風邪の時の歌。〈むさらき節〉は一番のみ当時のスタイル、つまりアカペラで歌い、〈四季の唄〉に続けるのがまずハイライト。前回、横浜でのライヴでも披露した唖蝉坊の故郷、大磯の地元自慢のうた〈磯自慢〉は15番まである歌詞のうち6番まで。国立劇場でもうたったという〈鉄道唱歌〉の元歌である〈汽車の旅〉。これも唖蝉坊だそうな。そして、これも横浜でハイライトだった〈ヤカ節〉。今回のベスト・シンギング。シンガーとしての岡大介の良いところが全部、ベストの形で出ていた。うーん、こうなると、沖縄島唄でも1枚、ぜひ作ってほしい。アンコールの〈月ぬかいしゃ〉がまたすばらしい。カンカラ三線のコード・ソトロークにぞくぞくする。

 木馬亭は唖蝉坊の息子の知道が出演したことがあるそうで、岡さんがここにこだわるのもそのためという。実際、こうして何度も見ていると、こちらもここで見るのが一番しっくりする。出るともうまだ温もりの残る夜。浅草寺の境内を抜けてゆくと、外国からのお客さんの姿も増えてきたようだ。(ゆ)

 昨年の第10回はやむをえず欠席で残念無念。今年は万全の体制で臨んだ。このところ、岡さんのライヴはこの木馬亭独演会で年に1回見るだけになってしまっているのはもう少し何とかしたいが、ライヴ通い全体の回数を絞ろうと努めているので、なかなか行けない。これだけでも行けるのは、それだけに嬉しい。

 この人の声と歌にはほんとうに元気をいただく。もう、ほんとに、どーしょーもない世の中で、いっそのこと、火星に亡命でもしたいくらいだが、岡さんがうたうのを聴いていると、よおし、もう一丁、やってみるかという気になる。こういう人が、同時代に生きて、唄ってくれていることのありがたさが身に染みる。

 今回は前半一部はカンカラ自由演歌で、例によってカンカラ三線だけを伴奏に、ソロで唄いまくる。後半の二部は昨年出したアルバムのライヴ版で、録音にも参加した武村篤彦氏がエレクトリック・ギター、パーカッションに熊谷太輔さんというトリオで、「フォーク・ロック」をやる。

 今年は〈東京節〉、「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ」というあれの百周年にあたるそうな。これをラストに置いて、鳥取春陽の〈緑節〉に始まり、明治の〈人間かぞえ歌〉から令和の〈人間かぞえ歌〉につなげ、〈値上げ組曲〉〈増税節〉〈カネだカネだ〉と畳みかける。〈ああわからない〉では客席に降りて、中央の通路を後ろまで来る。誰が来ているか確認してます、と笑わせるが、本当に確認もしてる様子。〈十九の春〉は〈ラッパ節〉の替え歌とのことで、次は〈ラッパ節〉。そして〈東京節〉で締める。

 いつものことながら、カンカラ三線のミニマルな伴奏が歌そのものを引き立てる。無伴奏で唄うよりも親近感が生まれる一方で、伴奏には耳がいかない。一昨年は貫禄のようなものを感じたが、今回はむしろ迫力がある。このクソったれな世の中、何するものぞ、という気概。明治、大正、昭和の演歌師たちもこの気概を発散していたのだろう。

 休憩、というほどのこともなく、BGMにしては音が生々しいと思ったら、幕が開いて、3人が演奏している。左にギターの武村氏、真ん中に岡さん、右に熊谷さん。岡さんだけ立っている。岡さんはアコースティック・ギターとハーモニカ。今度は全曲自作の「フォーク・ロック」。

 武村氏のギターはアーシィなセンスがいい。派手なリード・ギターではなく、ちょっとくぐもったトーンで、渋いフレーズを連発する。

 熊谷さんはいわばホーム・グラウンドで、これもむしろ地味に抑え、ブラシを多用して、ややくすんだパステルカラーの味わい。こういうのを聞くと、セツメロゥズあたりでは、フロントに拮抗できるだけの気合いをこめているのがわかる。あちらでこういうドラムスを叩いたら、たぶんぶち壊しなのだ。

 昨年出した《にっぽんそんぐ》収録の全14曲を全部やる。ほとんど一気呵成。フォーク・ロックと言いながら、ディランで言えば《John Wesley Harding》か《血の轍》の趣。熊谷さんはレヴォン・ヘルムだが、武村氏はロビー・ロバートソンというよりはバディ・ミラー。岡さんのハーモニカは初めて聴く気もするが、冴えわたる。

 とはいえ、ここでも声の力をひしひしと実感する。それはまたコトバの力でもあって、「サケサケサケサケサケ」というリフレインに血湧き肉踊る。踊るといえば、常連客の1人で、いつも踊るおっちゃんが、途中でもうたまらんという風に立ち上がって踊りだす。声とコトバにビートの力が加わると、確かにじっとしてはいられない。

 ラストはやはり〈東京〉。これを聴くために通っているようなところもある。

 引っこんだと思ったら、岡さんが1人で飛びだしてきて、アンコール。客席からリクエストがかかり、それに応えてまずアカペラで唖蝉坊の〈むらさき節〉。そしてカンカラ三線で〈春がきた〉。

 今年も無事、聴けた。地震のくる来年はどうだろうか。すでに10月4日と決まっている。

 月明かりの浅草は昼間の喧騒はさすがに収まっていたが、まだ余韻に浸りたい人がわさわさいる。1人、ベンチに腰を下ろし、本堂を眺めている白人のおばさんは、ベテランの旅行者の雰囲気。こういう人に岡さんの歌を聞かせたら、何と言うだろう。(ゆ)

岡大介: vocal, カンカラ三線
武村篤彦: electric guitar
熊谷太輔: drums

にっぽんそんぐ ~外国曲を吹き飛ばせ~
岡大介 武村篤彦 仲井信太郎
off note / Aurasia
2018-04-29






かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう
小林寛明 岡大介
オフノート
2008-02-03


 今年で九年め。来年は十周年。2018年9月30日。何をやるのか、今から楽しみ。

 実に久し振りの岡さんのライヴ。一部は演歌をさらっと4曲。〈復興節〉の現代版から始まり、次の〈ストトン節〉がまずはハイライト。岡大介入魂のオリジナル歌詞をこれでもかとぶちこんだスペシャル版で、うたい終って、今日はもうこれで終りという気分です、という。全国回りながらうたううちに好きな歌謡曲が2つできました、とうたったのが〈王将〉と〈大東京音頭〉。

 前者は大阪のうたということで登場したのが、桂九雀師匠。落語はそれほど好きではないが、大いに笑わせていただきました。教養の無い成金の隠居がステイタスが欲しくてデタラメにやる茶の湯で皆が迷惑する噺。上方の方だけど、あんまり関西弁は強くない。あるいは東京というので手加減されたのかもしれない。

 シンガーのライヴに落語家が出るというのも、岡さんのものくらいではないか。確かに諷刺を旨とするところで演歌と落語は通底するところもあるし、パフォーマンス、それもコトバと声によるものという点では似ているが、普通はストレートにはつながらない。あるいは寄席というのは本来こういうものなのかもしれない。うたも落語も同列なのかもしれない。落語にはリズムやメロディは一見無いが、間のとりかたや声の抑揚は無ければ文字どおり噺は始まらない。とすれば、演歌は落語のエッセンスをぎゅっと絞りこんだもので、落語は演歌をある典型的具体的状況のもとに展開したものとも言える。両方続けて体験すると、それぞれがより深く訴える。

 第三部は唖蝉坊を中心とした、明治大正昭和の演歌乱れ撃ち。もちろん、原曲そのままではなく、時に岡さんのオリジナルの歌詞が入る。〈炭坑節〉の後に、この元歌をやったのは面白かった。

 十年、うたい続けて、それもほとんどストリートや流しでうたい続けて、これだけうたえる人は、今ちょっといないのではないか。マイクからはずれてうたっても、声はよく通る。貫禄がついてきたと言ってもいい。その割にステージングがあまり上達していないのは、あるいはこれが岡大介のキャラかもしれない。客の煽りに乗ってしまうのも、ひょっとすると芸人としては失格と言われかねないが、本質的にシャイな若者、年齡とは関係ない永遠の若者が、好きな唄をうたいたい一心でひたすらうたっている潔さをあたしは見る。

 うたにもいろいろあるが、岡さんの唄はコトバで勝負するタイプだ。聞いて歌詞が明瞭にわかることが命。そしてその歌詞で筋の通らないことを笑いとばす。聴く者にカタルシスを与え、元気をもたらす。

 舞台に現れず、袖で叩いて岡さんを支えた打楽器も良かった。

 頭の方で「ぼくがやっているのはうたです、音楽じゃありません」と言い切ったのには一瞬えっと思ったけど、聴いてゆくうちに、納得させられた。このうたは、音楽というよりも落語のような話芸にずっと近いのだ。そして、それはうたというものの本質の一つであろうとも教えられる。ひょっとすると、うたと音楽を同じ範疇に含めるのは、勘違いなのかもしれない。

 すっかり元気をもらって出てみれば、浅草寺はライトアップされていて、まだまだ観光客もたくさん歩いている。半月が鮮やか。(ゆ)

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