クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:奄美

 イーリー・カオルーと読む。漢字表記では以莉・高露。台湾の先住民の一つ、アミ族出身のシンガー・ソング・ライターとのことで、ぜひ、生の声を聴いてくれと言われていた。

 なるほど、違うのである。CDの録音の質は決して低くない。むしろ、かなり良い方だと思う。録音は生の声を捉えていないと聞かされていたから、それを念頭において聴いたつもりだが、その声の質もしっかり捉えているように聞えた。それが、やはり、まるで違うのである。

 どこがどう違うというのが言葉にしにくい。この人の声は天然の声だ。伝統音楽、ルーツ・ミュージックから出てきた優れたシンガーの通例に漏れず、この人も自然に溢れるように声が出てくる。むしろ華奢に見える体のどこからこんな声が出るのだと不思議になるくらい、量感に満ちた声が滔々と溢れだす。声域も広い。伝統音楽のうたい手は一般に声域はあまり広くなく、その代わり出る範囲の声の響きの豊かさとコントロールの効いていることでは、他の追随を許さない。この人は高く通る音域から低く沈む音域まで、かなり広い範囲を自在にコントロールする。強く、張りのある声から、耳許で囁くような声に一瞬で移ることもできる。何か特別の訓練でも受けているのかと思われるくらいだ。その点で肩を並べるのは、マリア・デル・マール・ボネットとかリエナ・ヴィッレマルクのクラスで、スケールの大きさでは、ゲストの元ちとせよりも1枚上だ。

 録音ではこれはわからなかったと思ったのは、中域の膨らみで、倍音をたっぷりと含んだその響きを録音で捉え、きちんと再生するのはかなり難しいだろう。もっとも、こうした膨らみは、伝統音楽のすぐれたうたい手ならまずたいていは備えていて、たとえばドロレス・ケーンやマリア・デル・マール・ボネットは録音でもしっかりわかる。

 しかし、録音との違いは、中域の膨らみだけではない。とにかく、何もかもが違う。一方で、強い個性があるわけでもない。個性の点では元ちとせの声の方がはるかに個性的だ。イーリーさん、と呼ばせてもらうが、イーリーさんの声は、いわばポップスのいいシンガーの声と言いたくなる。CDではまさにそういう声である。唄っている曲の感触、録音の組立てもそれに添ったものでもあって、先住民文化の背景は意識しなければわからない。2曲ほど、伝統曲やそれに則った曲はあるが、それもとりわけルーツを前面に押し出したものではなく、全体としての作りは、上質のポップスだ。むしろ、あえてルーツ色や台湾色は薄めようとしているようにも聞える。エキゾティックなのは言葉だけだ。

 生で聴くと、うたい手として世界でも指折りの存在になる。アジアではちょっと他にいないのではないかとすら思える。テレサ・テンは生で見られなかったが、あるいは彼女に匹敵するのではと憶測してみたくなる。あるいは絶頂期の本田美奈子か。むろん、イーリーさんに「ミス・サイゴン」を唄ってくれと頼むつもりは毛頭ないが、その気になれば、悠々と唄えるだろう。元ちとせと声を合わせた奄美のシマ唄を聴くとそう思える。どうやら、昨日、会場のリハーサルで初めて習ったらしいが、歌のツボをちゃんと押えて、自分の唄としてうたっていたのには、舌をまいた。

 しかも、この人は、一見、そこらにいる、ごくフツーの「隣のおばさん」なのだ。おそらくは、どこまでもフツーで、でも器の大きな、いわゆる「人間の大きな」人なのだろう。その存在感が声に現れているのだ。だとすれば、これは生のライヴでしか、味わえない。少なくとも、一度は生で聴かないと、その凄さは実感できない。いつものように眼をつむって聴いていると、ひどく朗らかなものに、ひたひたと満たされてきて、安らかでさわやかで、しかも充実した感覚が残る。

 サポートするギターとピアノも一級のミュージシャンで、見事なものだが、イーリーさんの大きさに包まれているようにも見える。

 実は元ちとせを生で聴くのも初めてで、なるほど、この人も大したものだ。同時に、世に出ている録音のひどさに腹が立ってくる。この声を台無しにしているのは、ほとんど犯罪だ。前にも書いたが、ダブリンでチーフテンズと録音した〈シューラ・ルゥ〉の現地ミックスはすばらしかったことが蘇ってくる。あのヴァージョンは何らかの形でリリースされないものか。会場で配られたチラシにあった間もなくでるシマ唄集には期待したい。

 コンサートの構成はちょっと変わっていて、1時間、イーリーさんが唄ってから元ちとせが交替してうたい、次にイーリーさんのトリオに加わって唄う。そこで休憩が入り、その後、ステージが片付けられて、アミ族の踊りをみんなで踊る。面白かったのは、踊り手になってくれる人、ステージにどうぞと声をかけたら、わらわらとたちまち十数人、上がっていったことだ。チーフテンズのショウのラストでは、毎回おなじみになったこともあって、鎖になって踊る踊り手には事欠かなくなったが、こういうところでも、積極的に踊る人が現れるのは、見ていて気持ちがいい。10年前だったら、こうはいかなかっただろう。

 会場では物販のところに台湾のメーカー Chord & Major のイヤフォンも置いてある。このイヤフォンは音楽のジャンルに合わせた特性のモデルを展開している。ジャズとかロックとかクラシックなどだが、イーリーさんも協力しているのだという。ワールド・ミュージック向けというモデルがそれらしい。こうなると、これでイーリーさんの録音を聴いてみたくなるではないか。

 台湾からは以前、別の先住民部族出身の東冬侯溫(とんとんほぅえん)が来て、この人も凄かった。彼はもう少しルーツに近い位置で唄っているが、録音はやはりかなりモダンな組立てだ。ライヴはしかし、正規の衣裳で、伝統の太いバックボーンをまざまざと感じさせるものだった。やはり島の音楽は面白い。

Special Thanks to 安場淳さん(ゆ)

 安場淳さんとはもうずいぶん前からの知合いのはずだが、ライヴは初めて。与那国の福里さんのライヴに安場さんがサポートで出られたのは見たが、かんじんの Anchang Project としては初体験だった。これなら、「月刊」でも見たい。

 収獲は何といっても台湾のネイティヴのうた。こんなすばらしいポリフォニーがアジアにあったとは、これまで知らなかったのは不覚としか言いようがない。あとで伺うと、曲によっては本来ユニゾンのうたを Anchang オリジナルのポリフォニーにアレンジされたものもあるが、もともとポリフォニーであるうたもあるそうだ。第二次大戦後、ネイティヴはこぞってキリスト教徒となり、教会で合唱するようになり、さらにポリフォニーが盛んになっているともいう。実はかれらは教会で合唱したいがためにキリスト教徒になった、と言われても、このうたを聴くと納得してしまいそうになる。

 ハーモニーだけでなく、メロディもたいへん美しい。天から降ってくるとか、地から湧きあがるというのとは違って、風に乗って漂うような、やわらかい旋律に、なんども背筋に戦慄が走る。

 この台湾から与那国を中心として、沖縄、奄美をもカヴァーするのが Anchang Project のコンセプトということになるのだろう。その台湾、与那国のうたはとてもやわらかい。聴いているととろけてしまいそうにやわらかい。そこでは風も海もやわらかそうだ。すくなくともうたから聴こえるかぎりは。

 この日は「バンド」の名前にわざわざ「ハモリ」と入れてあるように、ほとんどすべてのうたですばらしいはもりを聞かせてくれた。隣の人が、こういうハーモニーを聴いているの眠くなりますね、と言っていたが、それは本当のところ誉めことばだ。退屈で眠くなるのではない、陶然となって意識が遠くなるのだ。

 メンバーは一定しないそうだが、この日は

安場淳:vocal、三線
比嘉芳子:vocal、三線、サンバ
Jojo ??:vocal、electric guitar
?田まき:vocal、笛
田村ゆう:vocal、太鼓

 Jojoとまき両氏のお名前は申し訳ないが、読めない、わからない。

 なんとも不思議だったのは、安場さんも含めて、皆さん 、ごく普通の人だった。というのもヘンだが、ふだんはどんなに普通の人でも、ステージに上がるとミュージシャンとしての顔になるし、オーラをまとう。アイリッシュでもそういう人はいる、というか、伝統音楽ではごくあたりまえのことではある。Anchang Project にはそれが無い。ここはステージといえるものはなかったけれど、それでも「場」としてはステージだ。そこに立っても、誰もミュージシャンの顔をしていない。ところがいざ音を出し、うたいだすと、それは「普通」などではない、特別な現象、りっぱな音楽なのだ。「ふつう」の顔で、姿で、とんでもないことをやっている。そりゃ、確かに音楽はごく尋常な人間が尋常ではないことをやっているのだけれども、ここまで尋常と異常の境目が無いくせに、両者の差が大きいのは初めてだ。いや、驚いた。

 印象的だったのは「黒一点」のエレキ・ギターで、ほとんどリチャード・トンプソンか、という瞬間さえあった。この人たちはいったい何者なのだ。

 mois cafe は「モワ・カフェ」と読み、下北沢の駅にほど近いが、ちょっとわかりにくいところにある。古い民家を改造した施設で、ライヴが行われた2階は30人も入れば満席。天井を吹き抜けにし、壁をとりはらって一つの空間にしてある。床が板張りなのも改装だろう。ギターの小さなアンプでリード・ヴォーカルにも軽く増幅をかけている他はアンプラグドでもよく音は通る。

 この日は特別料理付きで、ラフテー丼と春野菜のクリーム煮バケット付きのどちらかという献立。あたしは野菜にしたが、なんとも美味でありました。

 ライヴの案内ではこのカフェは今月末で突如閉店、ということだったが、閉店がひと月延びたそうである。あの美味さなら、他の料理、飲み物も旨いにちがいない。どこか、古い友人の家で、のんびりくつろいでいるような感じにもなる。雨でも降ってあまり遠くへでかけたくないときに、好きな本、それも静かな画集か、良い写真のたくさん入った本でもかかえて寄ってみたいところではある。ほんとうはこういう都会のどまんなかではなくて、うちから30分くらい歩くと、木立のなかにほっとあると嬉しい。

 ごちそうさまでした。(ゆ)

来週末ですが、東京・世田谷で「奄美フェスティヴァル」があるそうです。くわしくはこちら

    坪山豊、築地俊造、中村瑞希という豪華なラインナップ。関東でこの3人がいっしょに聴けるチャンスは稀でしょう。
    
05/13(金)18:30開場 19:00開演
世田谷パブリックシアター
前売り5,000円 当日5,500円 全席指定

8aafc586.jpg    奄美と沖縄はいつのまにか別個に考えていた。未知の土地への関心はいつも音楽からなのだが、奄美と沖縄にもやはり音楽から入っていて、するとこの二つはかなり違って響いていた。
   
    順番は沖縄の方が先だ。きっかけはチャンプルーズ。〈ハイサイおじさん〉であり〈東崎(あがりざち)〉である。
   
    奄美はずっと後になって、きっかけは里国隆だった。これはある意味で不幸な出会いだったかもしれない。里のうたは奄美の伝統からは独立した、独自のうただったからだ。だから奄美のシマ唄にはもう一度出逢わねばならなかった。一方で、里のうたの強烈な個性に、奄美の独自性に眼を開かれたのは確かだ。奄美は本土とはもちろん、沖縄とも違うという刷り込みが、里から入ることによってなされたのだ。
   
    さらに後になって、奄美と沖縄のシマ唄の違いが音階にあると教えられる。奄美までは本土音階。沖縄は琉球音階。今回、初めて教えられたのは、音階の境界が行政区画の境界である与論島と沖縄本島の間ではなく、沖永良部島と徳之島の間にあること。言われると、確かに後半のうたくらべでは沖永良部のうたは琉球音階で、聞きなれた奄美シマ唄とは違う。
   
    そういえば沖永良部島のうたはそれとして聞いたことはなかったので、会場で売られていたCDを購入。おそらくは同じことは他の島にも言えるので、島によってそれぞれに個性的なうた、レパートリィがあるはずだ。そういうものをきちんと聞きたい。先日聞いた、与那国の唄者を思いだした。
   
    とまれ、奄美と沖縄は違うと思っていた本土の人間にとっては、この両者をつなぐという発想には脳天逆落としをくらったような衝撃があった。言われてみれば、なぜ違うのか。その淵源は400年前の薩摩の侵攻、植民地化にある、と言われて、なるほどと思う一方で、それがどうしてこれだけの違いになるのかはまだ分明ではない。その点はこれから、パネラーの一人でもあった上里隆史氏の著作などで追いかけよう。
   
    薩摩藩の琉球諸島植民地化については、また別個の勉強が必要だ。シマ唄にはこの植民地支配をネタにしたうたもたくさんあり、アイルランドの例を援用すれば想像はある程度つく。幕末、倒幕を経済的に支えた資源がここから出ていたであろうこと、明治期になってたとえば西郷兄弟が植民地政策のいわば尖兵になるのもここですでに経験があったからだろう、と推測もつく。が、その内実はもっと勉強しなければならない。
   
    このイベントは発案者・企画者である喜山壮一氏が与論島出身であることから出発している。奄美と沖縄の間にあって、双方をつなぐ位置にある島。政治的には奄美に属する一方で、文化的には沖縄とつながる。与論島のうたをまだ聞いたことがないが、それは琉球音階のはずだ。喜山氏はりんけんバンドを初めて聞いた時、そのことばが半分くらいはわかり、そしてあのビートに血湧き肉躍ったという。毎日沖縄本島北部のヤンバルを眺めて育った喜山氏にしてみれば、そこと自分の生まれ育った島の間に境界があるほうがおかしく感じられたのだろう。
   
    ちなみにこの「ヤンバル」を、パネラーの一人、奄美大島出身の圓山和昭氏が知らず、上里氏に説明を求めたのには正直のけぞった。沖縄とは縁のないヤマトンチュであるぼくが聞きかじっていることばを奄美大島出身者が知らなかったのは、奄美と沖縄の間の遥かな距離をはからずも顕わにした瞬間だった。
   
    前半のシンポジウムは、奄美出身者、沖縄出身者二人ずつの四人が、それぞれの地元と相手への想いを語りながら、つなぐもの、手立てを考える形で進行した。四人は奄美、沖縄出身とはいえ、それぞれに生い立ちも事情も異なる。そこから、奄美、沖縄のとらえ方にも、微妙な違いが出てくる。
   
    その違いも興味深かったのだが、東京生まれ東京育ちの人間にとって、それぞれがよって立つ「シマ」を明確に背負っていることがまず印象的だった。本人たちにとって、それは必ずしもプラスの作用だけを持つ要素ではないのだろうが、そもそもそんな「シマ」などはじめから無い人間にはまことにまぶしい。この人たちにはなにはともあれ、語るべき、考えるべき「シマ」がある。たとえば「港区と渋谷区をつなごう」などという発想は、どうひっくりかえってもありえない。そもそもこの二つは独立してもいないのだから。
   
    そうなのだ。つなぐにはまず、それぞれが独立していなければならない。奄美とは何か。沖縄とは何か。いやむしろもっと細かく、与論島とは何か、宮古とは何か、沖縄本島、奄美大島それぞれの集落が何か。
   
    シンポジウムの一応の「結論」がそういうことになったのは、むしろ当然と、納得した。
   
    前半が共通要素を探るというよりも、たがいの違いがあぶりだされていたのは、ことばというメディアの性格かもしれない。それとは対照的に、うたを媒介にした後半は、その違ううたをならべ、比較することで事実上「つながっている」世界が現出していた。
   
    同じうたの各地のヴァージョン、または同じ系統のうたを聞きくらべるというのは、ヨーロッパの伝統音楽でも個人的に時々やるので、単独で聞いているだけでは見えない部分が見えてきて楽しい。今回はこれをライヴで聞かせてくれるので、まことに贅沢な体験だった。
   
    4曲めの〈畦越い(あぶしぐい)〉(ハイヤセンスル)系ではカチャーシーが始まって踊りだす人もいて、最後の〈六調〉では、会場全体、出演者も観客も一体になって踊りくるっていた。八重山にも〈六調〉があるのは、今回初めて知ったことのひとつではある。

    イベントの模様は数台のカメラで記録されていたし、いずれシンポジウムも含めて、どこかに記録が発表されることを期待しよう。
   
    喜山氏も冒頭に言っていたように、奄美と沖縄をつなぐのは、喜山氏にとって切実な問題意識から出ている。正直なところ、ヤマトンチュであるぼくには、その切実感は遠い。しかし、両者が底ではつながっているという認識は、両者それぞれの音楽を聞くときに、また新鮮な体験をもたらしてくれる。この日の後半の体験はまさにそれだった。メウロコというよりも、まったく新しい奄美音楽、沖縄音楽、そして両者が統合された琉球音楽が、あそこには現出していた。
   
    同時にそのそれぞれが独立していること、その中でもまた島=シマによって、独自のうたがあり、踊りがあることも浮かびあがってくる。奄美のシマ唄、沖縄音楽という漠然としたとらえかたではなく、与論島のうた、宮古のうた、久米島のうた、ヤンバルのうた、奄美大島竜郷町の集落・円(圓山氏の出身地)のうた、が浮かびあがってくるはずだ。
   
    むしろ、奄美音楽、沖縄音楽、あるいは琉球音楽は、それら個々の音楽の集合体であるのだろう。
   
    かくて、この最も身近な「ワールド・ミュージック」、薄くはあってもどこかで確実に血がつながっていながら異質の音楽との新たなつきあい方まで示されたのだった。
   
    後半のミュージシャンは初めてその音楽を耳にする方がほとんどだった。シーサーズの持田さんは別として、一度でも聞いたことのあるのは加計呂麻島出身の徳原大和氏ぐらい。かれは確か朝崎郁恵さんのライヴでサポートしていた。とはいえ、当然のことながら、皆さんまことに達者。伝統の厚さをあらためて思いしらされる。
   
    異色といえば、持田さんに狩りだされた大熊ワタルさんのうたを聞けたのは予想外の儲けもの。かれがステージでうたったのは初めてか。
   
    願わくはこの試みが今回だけでなく、今後も様々の形で継続されていかれんことを。(ゆ)

    東京・西荻窪の「ガティータ」で、奄美の牧岡奈美さんのライヴが、今度の日曜日にあるそうです。

    メールまたは電話で予約が必要とのこと。
    小さな店なので、ノーPA だそうです。
   
    牧岡さんは若手実力者ひしめく奄美でも、一頭地を抜いた存在。《シツルシマ》は傑作です。


奄美シマ唄〜牧岡奈美ソロ・ライヴ@Gatita
03/15(日) 17 : 00オープン/17 : 30スタート
3000円(1ドリンク&おつまみ2品付)


Thanx! > 鈴木さん@アルテス

 バゥロンのトシさんに誘われて、奄美の唄者、朝崎郁恵さんのライヴに行く。トシさんがバゥロンで朝崎さんのバックに入るという。録音でも朝崎さんはアフリカ系も含む多彩な打楽器を活用しているから、バゥロンを入れようというのも不思議はないが、バゥロンの性格の影響があるかないか、聞いてはみたかったのだ。

 朝崎さんはまず声の人である。童顔の人がいるように、童声の人もいる。むろん単に幼い声ではない。ネオテニーの一種といえなくもないか。もっとも童顔ほど多くはないだろう。うたの上手下手の前に、この声は癖になる。もっとずっと聞いてきたくなる。その上で、上手下手は超越したうた。低いうたいだしからコブシを回しながら昇ってゆき、すっと裏返る。これさえあれば他に何もいらない。

 朝崎さんはアップテンポがお好きのようで、レゲエが大好きという言葉に嘘はないだろうし、そういううたは確かに楽しい。それでもやはりハイライトはスローの極致〈スラヨー節〉だった。こちらも大島紬を粋に着こなしたピアノの江草啓太氏も、うたの勘所、朝崎さんの声の特質をきちんと掴んでいる。弾いているフレーズは奄美のものではない。これはジャズと呼ぶべきものだろう。奄美ジャズではない、西洋音楽としてのジャズを奄美に対置して違和感が全くない。力業だ。

 十年前にどこぞのレコード会社のディレクターに、すっぴんの奄美島唄は三曲で飽きると言われてショックを受け、こうした試みを始めたそうだ。十年の精進のあとは明らかで、ライヴの現場でも現代の設定としてひとつの完成を見せている。奄美の伝統と無縁の人にも聞かれるようにする努力の成果はまぎれもない。

 それを認めた上で、すっぴんの朝崎さんをぜひ聞きたい。十年の精進で得たものがあれば、当然失われたものも小さくないはずだ。十年前から時代は変わっている。もうそろそろ、朝崎さん本来のうたを聞きたい。一晩に一曲でもいい。無心にひたすらうたに没頭する朝崎さんの声を聞きたい。あえかなコブシの陰影を味わいたい。

 それにしても、現代的設定にあって、唄者としての存在感は圧倒的だった。声の出てくる源が違うのだ。その体のどこかに別の世界に通じる弁があって、そこから滔々とうたが流れこんでくる。それはもう溢れてくる。

 一朝一夕に成ることではない。「前座」に出て、コーラスと三味線を担当していた若い男女の二人はまだ自分の喉から声が出ていた。まあ、それが若さだろうし、若さの魅力もある。

 ステージのあるフロアのひとつ上、地下一階にあたるテラスのようなところで聞いたせいか、トシさんのバゥロンは今ひとつよく聞こえなかった。いつものように実に楽しそうに叩いていたが、あとで聞くと、冷や汗ものだったそうな。奄美のビートや揺れは慣れるまでは結構時間がかかるらしい。確かに一番乗っていたのは、ピアノ・ソロと渡りあっていたときと、最後の六調のところだった。

 この日はオープニング・アクトとして、ビューティフル・ハミングバードという女性シンガーと男性ギタリストのデュオが出た。このシンガーも声の人で、珍しいほど密度の濃い声の持ち主。声域も広く、下から上まで無理がない。高い方では気持ちよく裏返るところも奄美に通じる。ややもすると、声に頼るところも見えるが、この声では仕方ないと思えてしまう魅力だ。

 それでも一個のミュージシャンとして突き抜けるには、一度この声を捨てるくらいの覚悟が要るのではないか。ともすれば高くなりがちの声を比較的低く抑えた〈冬のこども〉がハイライト。この曲の入っているファースト《空ヘ》を買ってみたが、全体の出来としてもこの曲がベスト。

 バゥロンの影響を云々するにはまだ早かったようだが、人の声の玄妙さを、あらためて思い知らされた夜ではあった。(ゆ)

 バウロンのトシさんが、なぜか奄美の朝崎郁恵さんと仲良くなり、ライヴでサポートすることになったそうです。今度の日曜日です。

 奄美にバウロン、というのは新しい風を起こすかも。

 また、今月末には東京でザッハトルテのライヴをやはりサポートするそうです。
こいつは見逃せない。

 詳しくはこちら


--引用開始--
【ライブアース松山】
05/18(日)
場所:「道の駅」風早の郷風和里すぐ上
(北条スポーツセンター駐車場)
料金:賛同費確認のためチケット制とさせて頂きます。
☆高校生以上 / 前売賛同費(入場料)1000円
           当日賛同費 1500円
☆中学生以下 / 無料
 (保護者同伴、または生徒手帳持参に限ります)
運営:ライヴ・アースまつやま実行委員会 089-943-9696

☆“LIVE EARTH”とは、アフリカ貧困撲滅支援コンサート “LIVE 8”(2005年)でエミー賞を受賞したケビン・ウォールと、気候の危機を訴えた映画「不都合な真実 - An Inconvenient Truth」の作者であり元アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴアを中心に発足した “SOS” が主催する、「地球温暖化の危機」解決に向けたグローバル・キャンペーン・プロジェクト。

 世界各地でこの思いに賛同するミュージシャンが中心となりライブイベントを開催し、その収益を環境や自然保護に役立てるという活動です。

 “LIVE EARTH” の収益の全ては、Alliance for Climate Protection(気候保護同盟)とその会長であるアル・ゴアが中心となり、気候の危機の解決を目的とするグローバル・プロジェクト基金を設立し、それを基に新たな取り組みを継続的に実施していきます。


【LIVE】朝崎郁恵 月例会
05/22(木)
開場18:30 開演19:30
前売¥2500(ドリンク別) 当日¥3000(ドリンク別)
チケット取扱
 月見ル君想フ 店頭&web
 おぼくり 電話予約 03-5466-7441(平日10時ー18時)  
 朝崎郁恵HP お問合せフォーム からも、ご予約可能です。
問合せ 月見ル君想フ  03-5474-8115

 今回の月例会は、ゲストに、その歌声が各方面で話題のビューティフルハミングバードを迎えてお送りします!

 朝崎郁恵は、ピアノに江草啓太を配し、遠く近く、記憶の底を衝き動かすパフォーマンスを見せてくれることでしょう。

 一方、風や空のことを歌う、歌とアコギの二人組・ビューティフルハミングバードは、住友林業やブリヂストン等、数々のテレビCMでその歌声が使用され、また、ノンPAの「耳をすまそうコンサート」を各地で成功させるなど、今、最も注目のユニットです。

 奄美の唄と東京の歌。奥底で通じる「うた」の力に触れる一夜です。


05/30(金)@下北沢440
ザッハトルテ《おやつは3ユーロまで》発売記念ライブ
下北沢440-four forty- (世田谷区代沢)
open 19:00/ start 19:30〜
前売¥2500/ 当日¥3000(オーダー別)
★ゲストミュージシャン★
功刀丈弘(フィドル)
hatao(アイリッシュフルート)
本岡トシ(バウロン)
--引用終了--

 ついに出ます。奄美の牧岡奈美の新作。昨年夏に6曲入りのサンプラーを聞いて以来、早く出ないかと一日千秋の思いで待ち焦がれていました。そのサンプラーは、iPod のHDの該当箇所がすり切れるのではないかと思うくらい聞いてます。これまでの成果は単なる基礎固め、土台を据えただけだったのです。これは跳んでます。一見ヴォーカルとバックがたがいにまったく独立して音楽をやっているように聞こえます。唄とバックが引張りあい、押しあい、あるいは距離を保ってぐるぐる回りあい、かと思えば、境目もわからぬほどからみあう。その中から、これまたあるいはピーンととんがり、あるいはじわじわと染みだすうた。

 うたも楽器のそれぞれも、難しいことは何一つやっていない。少なくともそう聞こえる。一つひとつはごくごく単純な音、単純なフレーズを、ゆるやかに重ねてゆく。隙間の多い、ゆったりと流れてゆく音楽。知らず知らず引込まれてゆく先は、そもそもうたが生まれてくるところ。この世とあの世の間、人のこころと「現実世界」の間にあるが、目にも見えず、触れることもかなわぬところ。ただ、うたを聞くこと、うたに聴き入ることによってのみ、存在を感じることができるところ。そして、このアルバムを聞く功徳は、そのうたの故郷が、他のどこでもない、今、ここにあると実感されること。

 サポートは

まやバルー=フルート
森俊也=ベース、ギター
竹田裕美子=ピアノ
あずまけいこ=ヴァイオリン
河西堅=ギター、ウクレレ、マンドリン

ということなんですが、いただいた資料にはパーカッション担当がいないぞ。肝ですよ、こういうアンサンブルでは。しかも、この人、異常にセンスが良い。

 収められたうたには牧岡さんの出身地、喜界島の「八月踊り唄」のうちの2曲もある由。「八月踊り唄」がCDに入ったのは史上初だそうです。喜界島といえば、黒糖の銘酒「朝日」の故郷でもありますね。確かに、このCDも「朝日」のように、飲み口はさわやか、飲みこんだあとにコクが残ります。

 タイトルは《シツルシマ》。全13曲。05/13発売。ジャバラ・レコード JAB-39。本体価格2,700円。配給はメタ・カンパニー

 6月のチーフテンズの来日公演のゲストに元ちとせが入ってますが、この組合せで録音もしていて、もうすぐリリースされます。これは新聞記事にもなっているのかな。

 今回録音したのは2曲だそうで、1曲はいまどきのJポップ調ですが、もう1曲が〈シュール・アルーン〉で、これは絶品です。いわずとしれた名曲で、また名演の多い曲ですが、名だたる名演の中においてもこれは一、二を争う録音だと思います。

 元ちとせは周囲の思惑は別として、本人はどこまでも音楽伝統の中に生きている人なんでしょう。伝統の中で生き、うたっていることは、一時的刹那的な環境でうたうのとは本質的に違う。伝統歌をうたうことで、元ちとせ本来の資質が現れているようです。

 そこにはまたチーフテンズのバックも大きく作用していると思います。元ちとせの伝統歌のうたい手の資質を引きだしているわけです。

 沖縄音楽とアイリッシュ・ミュージックの親近性はつとに指摘もされ、実例もありますが、奄美の裏声があそこまではまるとはちょっと意外でもありました。ただ、これにはこの曲の特性もあるかもしれません。

 加えて、コーラス部分のアイルランド語のみごとさ。パディ・モローニも驚いたそうですが、これもまた伝統歌謡のうたい手としての資質の大きさを物語るものでもあります。元ちとせはアイルランド語はもちろん、英語もからきしダメだそうで、この唄に関しては完全な「耳コピ」だった由。だからこそ、まるでアイルランド語が母語であるかのような歌唱ができたのだと思います。

 ということで、チーフテンズと元ちとせの組合せは歴史を画する、というと大げさかもしれませんが、それくらいのインパクトはあります。録音のリリースも楽しみですが、ライヴもまたひじょうに楽しみであります。できればこのコンビでフル・アルバム1枚作って欲しい。

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