クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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09月01日・木
 北側の部屋の窓の下で毎晩鳴いている草雲雀はまだ踏ん張っている。そろそろ1週間か。夜遅くなると元気になるらしい。草雲雀は体は小さいそうだが、声はでかい。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月01日には1968年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Palace Of Fine Arts, San Francisco, CA
 日曜日。San Francisco Palace of Fine Arts Festival というイベントのポスターが残っている。08月30日から09月02日までで、デッドも出演者の一つとして載っている。いつ出演したかははっきりしない。翌日はワシントン州サルタンでの Sky River Festival に出ているので、この日の午後に出たと思われる。夜はフィルモアに出ている。
 このイベントはハイト・アシュベリー診療所のための資金調達ベネフィット。
 Palace Of Fine Arts はサンフランシスコ市街地の北端、ゴールデン・ゲイト・ブリッジ東側マリン地区の海岸に建つ高さ50メートルの記念建造物。1915年のパナマ・太平洋国際博覧会のために建てられたもので、博覧会のための建造物では唯一現存する。国指定史跡で、1964年から1974年にかけて修復された。
 ハイト・アシュベリー診療所は1967年06月にオープンした無料の診療所。現在も存続。後の無料診療所のモデルとされる。場所と時代から一般診療の他、薬物中毒や精神医療に強い。今ではロック・コンサートなどのイベント会場での出張医療サービス、刑務所での精神医療サービスなども行なっている。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。3ドル。リザーヴェイション・ホール・ジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。
 セット・リストは不明だが、この日から〈Jam〉というタイトルで7分半のトラックが2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

3. 1969 Baton Rouge International Speedway, Baton Rouge, LA
 月曜日。ニューオーリンズ・ポップ・フェスティヴァル。土曜日からの3日間。
 デッドはこの日のみの出演。9曲、1時間20分のテープがある。前半は1970年的レパートリィ、後半は典型的1969年、という選曲。
 1969年という年はセット・リストでは毎度お馴染の曲がお馴染の順番で並んでいるのだが、聴ける録音を聴くかぎり、毎回演奏は違って新鮮なのは驚異的だ、と John W. Scott が DeadBase XI で書いている。
 ポスターに出ているアーティストは、バーズ、キャンド・ヒート、シカゴ(トランジット・オーソリティ)、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ドクター・ジョン、The Night Tripper、デッド、アイアン・バタフライ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ジャニス・ジョプリン、Oliver、サンタナ、ティランノザウルス・レックス、ヤングブラッズ。
 Wikipedia によればデッドは3日目、11番目の出演。次がジェファーソン・エアプレイン。
 ウッドストックの2週間後で、聴衆は3万弱。
 The Night Tripper はドクター・ジョンの別名。
 Oliver は本名 William Oliver Swofford (1945–2000) 、1969年、ミュージカル『ヘアー』からのシングル〈Good Morning Starshine〉のヒットで知られる。

0. 1975年のこの日《Blues For Allah》がリリースされた。
 8枚目のスタジオ盤。Grateful Dead Records として3枚目。この年の02月27日から05月07日にかけて録音。エンジニアはダン・ヒーリィ。プロデュースもバンドとヒーリィの連名。ビルボードのアルバム・チャートで最高12位まで上がる。1987年の《In The Dark》以前の最高位。これが売れたのは内容よりも、タイトルとジャケットではないかと下司の勘繰りをしたくなる。

 Steven Schuster が〈The Music Never Stopped〉にサックス、〈Sage And Spirit〉にフルートで参加。スティーヴン・シャスターは元はクラシックのサクソフォーン、クラリネット、ピッコロ、フルート、コントラバス奏者。各地のオーケストラに参加している。一方、ハート、ガルシア、ハンターなどの個人プロジェクト、ジェファーソン・スターシップ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジョージ・クリントン、パーラメント/ファンカデリック、ボビー・ウーマックなどとも共演している。2008年にピアノとドラムスとのトリオのジャズ・レコードを出している。

 トラック・リスト。
Side One
01. Help On The Way (Hunter/ Garcia) 7:21
02. Slipknot! (Garcia, K. Godchaux, Kreutzmann, Lesh & Weir)
03. Franklin's Tower (Hunter/ Garcia) 4:32
04. King Solomon's Marbles 5:16
Part I: Stronger Than Dirt (Lesh)
Part II: Milkin' The Turkey (Hart/ Kreutzmann/ Lesh)
05. The Music Never Stopped (Weir/ Barlow) 4:36

Side Two
06. Crazy Fingers (Hunter/ Garcia) 6:42
07. Sage And Spirit (Weir) 3:07
08. Blues For Allah (Hunter/ Garcia) 12:44
Sand Castles and Glass Camels (Garcia, K. Godchaux, D. Godchaux, Kreutzmann, Lesh & Weir)
Unusual Occurrences In The Desert (Hunter/ Garcia)

 A面の〈King Solomon's Marbles〉、B面の〈Blues For Allah〉の二つの組曲を置くのが特徴的。前者はレシュ、後者はハンター&ガルシアが中心になって作っている。
 A面は前半も〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉はこの形で組曲として演奏されることが多い。つまりこのアルバムは組曲が3つという異例の形だ。組曲好きのデッドの究極の組曲アルバムと呼んでもいいだろう。

 2004年《Beyond Description》収録にあたって、アウトテイクが6曲加えられた。が、ほとんどは独立の曲にまでならないジャムの段階のもの。

 収録曲のデビュー順。
Slipknot! 1974-06-20
Blues For Allah 1975-03-23
Help On The Way 1975-06-17
Franklin's Tower 1975-06-17
Crazy Fingers 1975-06-17
King Solomon's Marbles 1975-08-13
The Music Never Stopped 1975-08-13
Sage And Spirit 1975-08-13

 このアルバムは大休止期の間に録音されたという事情もあり、ライヴでデビューしてある程度揉んでから録音という手順を踏んだ楽曲は無い。この年の4本のショウで少しずつデビューしている。〈Supplication!〉のライヴ・デビューは大休止からの復帰のショウになる。

 最後の演奏順。
Crazy Fingers 1995-07-05
The Music Never Stopped 1995-06-28
Help On The Way 1995-06-22
Slipknot! 1995-06-22
Franklin's Tower 1995-06-22
Sage And Spirit 1980-10-31
Blues For Allah 1975-08-13
King Solomon's Marbles 1975-08-13

 演奏回数順。
The Music Never Stopped 233
Franklin's Tower 221
Crazy Fingers 144
Slipknot! 112
Help On The Way 110
Blues For Allah 3
Sage And Spirit 2
King Solomon's Marbles 1

 〈Blues For Allah〉の3回はいずれも1975年中。それにしても、これだけ極端に二分されるのは、このアルバムだけである。

 〈King Solomon's Marbles〉〈Blues For Allah〉は、やはり失敗作と言わざるを得ないだろう。ただ、この経験があってこそ〈Terrapin Station〉の成功につながったと言えるのではないか。

 ショウで蓄積したものをまとめるというのではなく、ツアーを休止している中で、純粋にスタジオ盤制作だけに集中して、ゼロから作るのはこれが初めてだが、やはりデッドはショウをして初めてまともな活動ができるライヴ・バンドではある。


4. 1979 Holleder Stadium, Rochester, NY
 土曜日。Greg Kihn と The Good Rats というおそらくはローカル・アクトが前座。ヴェニューは高校のフットボール用スタジアムで、屋外のショウ。ほとんど一点の雲ひとつなく晴れて暑かったが、〈Looks Like Rain〉の時、雲が一つ現れて、通り雨がぱらついた。
 オープナー〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo > Franklin's Tower〉が2016年の、第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2017年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 どちらもすばらしい演奏で、このショウの質の高さがわかる。ぜひ、全体を出してほしい。全体にゆったりしたテンポでガルシアも悠々とした歌いまわし。ルーズで、ほとんど投げ遣りにうたっているようで、ここぞというところは決めてくる。
 前者の前半、"Across the Rio Grande" のコーラスの後のガルシアのギターが凄い。後者でもガルシアのギターが尋常でなく、この曲でのいつものギターとは様変わり。
 後者は、このペアのベスト・ヴァージョンの一つ。このペアには名演が多いが、その中でも優に五指に入ろう。両ドラマーが微妙にズレながら作る大きなグルーヴにミドランドがハモンドを乗せ、ガルシアがさらにそれに乗って天空を翔ける。一段落したところでレシュが FOTM のリフを一瞬やるが、ガルシアはさらに引っぱり、さらにすばらしいソロを展開する。ミドランドが思い切り音を引き伸ばし、ハートが先導するようにして同時に全員が遷移する。その後はバンド全体が飛びつづける。3番の歌詞のためにブレイクした後、レシュがベース・ソロを入れ、ミドランドが応じて、しばし二人の掛合い。至福の30分。(ゆ)

08月06日・土
 夜、秋の虫が鳴きだしていた。蟋蟀。気温が下がったからか。季節だからか。明日は立秋。
 昼間は蝉が元気だった。かれらもあまりに暑いと動きが鈍るのか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月06日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1966 Pender Auditorium, Vancouver, BC, Canada
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

2. 1967 Palace Ville Marie, Montreal, PQ, Canada
 日曜日。マチネー。ビル・グレアムによるサンフランシスコ・サウンドのショウケースの一環らしい。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。セット・リストの全体は不明。
 DeadBase XI の Edward Sieb のレポートによれば、これは地元ラジオ局主催による市内の広場でのフリー・コンサート。正午開演の予定が遅れた。集まっていたのは2〜3,000人で、その一部は地元のヒッピーたちだった。デッドが先の演奏で、まずガルシアが行方不明のレシュを呼びだした。ジーブはファーストは聴いていたが、そこには無い曲をやったらしい。〈Viola Lee Blues〉と〈Dancing in the Street〉それに〈Alligator> Caution〉はわかったが、それ以外は曲名不明。録音は存在しない。デッドは90分ほど演奏し、まだ続けそうだったが、エアプレインの番ということで途中で打ち切られた。

3. 1967 Expo '67, Montreal, PQ, Canada
 日曜日。ソワレ。セット・リスト不明。

4. 1971 Hollywood Palladium, Hollywood, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。前売5ドル、当日5.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 第一部クローザー前の〈Hard To Handle〉が《Fallout From The Phil Zone》で、これを含めて第一部からの5曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》ボーナス・ディスクで、第二部 drums 後の4曲目〈The Other One〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉までの7曲が《Dick's Picks, Vol. 35》でリリースされた。全体の4分の3ほどがリリースされたことになる。
 この〈Hard To Handle〉は決定的なヴァージョンとして、ディック・ラトヴァラと Louis Woodbury の両方が DeadBase XI で触れている。この時は電池駆動のテープ・デッキとマイクを持ちこんだ者がいて、ラトヴァラはこのショウの AUD を聴衆録音のレベルを上げるものと讃えている。
 かなり暑い日で、ガルシア入り NRPS の演奏の間に、暑さで気を失う者が続出した由。

5. 1974 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
 火曜日。5.25ドル。開演7時。
 DeadBase XI の Ihor Slabicky のレポートによれば、これは08月02日のショウが雨で延期になったもの。02日の開演前、降りやまない雨の中、ステージに出ていって金属の何かに触れたウィアは、あそこに出ていって感電死するのは御免だと宣言した。
 第一部7曲目〈Eyes Of The World〉、クローザーの3曲〈Playing In The Band> Scarlet Begonias> Playing In The Band〉、それに第二部オープナー〈Uncle John's Band〉の計5曲1時間強が《Dick's Picks, Vol. 31》でリリースされた。〈Eyes Of The World〉はドキュメンタリー《Long Strange Trip》オリジナル・サウンド・トラックにも収められた。
 この後、ひと月休んでヨーロッパ・ツアーに出て、09月21日までに英仏独と回り、帰ると10月下旬ウィンターランド5日間で大休止。したがってこれは東海岸では大休止前最後のショウ。しかし、演奏を聴くかぎりでは絶好調そのもので、なぜツアーを休まねばならないのか、納得はいかない。当時のデッドヘッドたちにもいかなかっただろうと思われる。
 この5曲を聴くと全体も聴きたくなる。〈Eyes Of The World〉は名演の多い曲だが、その中でもこれはベストと言い切ってもいい。ガルシアのギターが流麗に歌い、レシュが長く味わいふかいベース・ソロを披露する。デッドのジャム、集団即興がどんなものか知りたければ、まずこれを聴いてくれと言いたくなる。あるいはロック・ファンよりもジャズ・マニアの方が愉しめるかもしれない。まことに粋な終り方まで、デッドが「オン」になるとこういうことが起きるのだ。
 その後の〈Scarlet Begonias〉をはさんだ〈Playing In The Band〉、本来第二部オープナーの〈Uncle John's Band〉も夢々劣るものではなく、この1時間にはデッドの音楽の魅力が凝縮されている。その魅力を強引にひと言で表すとすれば「哀しみ」になる、とこれを聴くと思う。
 デッドの音楽が歓喜の音楽、祝祭の音楽であることは確かで、その点ではバッハの音楽と軌を一にする。一方で、脳天気にただひたすらわーいわーいとはしゃぎまわるわけでもなく、この世にあって歓びの裏には必ず貼りついて一体となっている哀しみが、やはり一体になっている。その点でもバッハの音楽に通ずる。
 こういうベストの時のデッドの音楽を聴いて引きこまれるところは、「面白うてやがて哀しき」風光だ。何か一色に染められているのではなく、歓びと哀しみが一番大きくはあるが、その他にも名づけようのない感覚がいくつも混じりあう。そこには澄みきって落ちついた、ほとんど悟りの境地とも呼びたいものすら流れている。
 その風光を「哀しみ」と表現するのは、我々の棲むこの世界の土台が「哀しみ」であると捉え、歓びの音楽によってこれを浄化しようとしているからだ。
 むろん、そう論理立てて、意識してやっているわけではない。直感で捉え、捉えたものと格闘する中で現れてきた結果だ。意識としては、前の日とは違うことをやろうとしているだけだ。ただ、その結果は、この1970年代半ばから大休止をはさんで後半にいたる時期の音楽として現われた結果には、特にその色が濃いようにも思う。そしてこの時期以後、デッドがやっていたこと、やろうとしていたことは、音楽による世界の浄化になってゆく、と、こういう演奏を聴いているとあたしには見える。

6. 1982 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 金曜日。開演7時。
 この時期として典型的なショウの由。

7. 1989 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続の楽日。開演7時半。
 最高のショウの一つらしい。(ゆ)

07月13日・水
 昼過ぎ、遠くでみんみん蝉が聞える。昨年も初のみんみんは07月13日だった。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月13日には1967年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1967 P.N.E. Agradome, Vancouver, BC
 木曜日。2.50(カナダ)ドル。ポスターによれば6時と12時の2回のショウらしい。3日間、ヴァークーヴァーでのショウ。後の2日はヴェニューが変わる。Daily Flash、Love-In 前座。続けてシアトル、ポートランドと回る。7月末から8月初めにかけて、今度はカナダ東部に行き、トロントで1週間レジデンス公演をした後、モントリオールに行く。
 Daily Flash は1965年シアトルで結成され、1968年まで活動した四人組バンド。サンフランシスコ・サウンドの先駆をなすと言われる。後、2002年再編。
 Love-In は不明。

2. 1968 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。The Working Class 前座。セット・リスト不明。

0. 1973 History Of Grateful Dead, Vol. 1 release
 この日《History Of Grateful Dead, Vol. 1》がリリースされた。4作目のライヴ盤。ワーナーからの最後のリリース。1970年02月13日、14日のフィルモア・イーストでの演奏からアコースティック、エレクトリック合わせて7曲を収める。どちらも早番と遅番の2回ショウをしているが、どちらも遅番ショウからの選曲。録音とセレクション、プロデュースはアウズレィ・スタンリィ。ために "Bear's Choice" の別名で呼ばれる。"Vol. 2" 以降は出なかった。
 A面がアコースティック、B面がエレクトリック・セット。だが、実際のショウは必ずしもこの順番ではなく、02月13日はこの中では〈Smokestack Lightning〉が一番早く、この後アコースティック・セットとなり、〈Katie Mae〉の次の〈Dark Star〉からエレクトリックにもどる。14日もエレクトリック、アコースティック、エレクトリックの順番。
 2003年の拡大版 CD で02月13日からもう1曲と、02月05日、08日のフィルモア・ウェストでの演奏3曲が加えられた。
 02月13日と14日のショウは各々後半または第二部が《Dick's Picks, Vol. 4》でリリースされた。両日とも遅番ショウ後半のエレクトリック・セットを収める。
 リリースは遅いが、収録された演奏は当時は《Live/Dead》と《Skull & Roses》の間を埋め、つなぐ形だった。また、アコースティック・セットのライヴ録音のリリースも、《Reckoning》以前にはこれだけ。
 加えて、この年03月08日に死んだピグペンへのトリビュートでもある。

 トラック・リスト。
Side one
1. Katie Mae {Lightnin' Hopkins} 1970-02-13 4:46
2. Dark Hollow {Bill Browning} 1970-02-14 3:30
3. I've Been All Around This World {Trad.} 1970-02-14 4:40
4. Wake Up Little Susie {Felice & Boudleaux Bryant} 1970-02-13 2:40
5. Black Peter {Jerry Garcia Robert Hunter} 1970-02-13 7:20

Side two
1. Smokestack Lightning {Howlin' Wolf} 1970-02-13 18:00
2. Hard to Handle {Al Bell Allen Jones & Otis Redding} 1970-02-14 6:14

 聴き直してあらためてベアの耳の良さに感服する。とりわけA面の声と生楽器の音。耳が良いというのは、単に細かい音の違いが聴きとれるとか、耳がそれほど良くない人間には聞えない音が聞えるとかいうだけではない。それは前提だが、それとともに、音楽の肝、どこにフォーカスして録音するべきかを適確に把握している。そしてそこへ向けて、機器を調整し、録音環境を整える能力が高い。

 あたしはここで唯一のオリジナル〈Black Peter〉にダントツに惹かれる。ガルシアの歌唱、ギター・ソロ、ウィアのサポート・ギターが作りだす世界はそれだけで充足している。必要にして十分だ。本来このように演奏され、歌われるために作られたとさえ思える。この歌のベストの演奏と断言する。もちろん、ベストの演奏は一つだけではないにしてもだ。


3. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー6本連続のランの2日目。6.50ドル。開演8時。
 第一部5曲目〈Crazy Fingers〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 ゆったりとしたテンポでガルシアがやや頼りなげに歌い、ドナのコーラスがこれを支える。間奏のガルシアのギターもゆったりとした展開で、ほとんどジャズだが、ジャズのギタリストはこういうすっきりと突き抜けた音はなかなか出さない。本体も良いのだが、一通り曲が終ってからそのまま移行するジャムがすばらしい。初め細かいランニグ・ビートにのるが、やがてスパニッシュ・ジャムになり、さらに核のない、しかし芯の通った、全員が対等に絡みあう形になる。こういう領域に踏みこむのを、バンドも目指し、聴き手は待っている。

4. 1981 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.75ドル。開演7時半。

5. 1984 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。14ドル。開演7時。
 何よりもアンコールに〈Dark Star〉をやったことで記憶される。

6. 1985 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。15ドル、開場正午、開演2時。
 オープナーが〈One More Saturday Night> Fire on the Mountain〉で、第一部のクローザーが〈Bird Song> The Music Never Stopped〉というセット・リストにたがわぬ出来の由。

7. 1989 Robert F. Kennedy Stadium, Washington, D.C.
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21ドル。開場3時、開演5時。ブルース・ホーンスビィ&ザ・レンジ前座。第一部4・5曲目〈Tennessee Jed; Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉にホーンスビィがアコーディオンで参加。
 全体が《Robert F. Kennedy Stadium, Washington, D.C., July 12 & 13, 1989》でリリースされた。それはいいのだが、このタイトルは何とかならなかったのか。
 第二部6曲目〈I Will Take You Home〉の時、スクリーンにミドランドの鍵盤のクローズアップが映し出された。そこには娘たちの写真が飾ってあった。
 ショウの間、ほぼ通して雨が降っていた。

8. 1994 Franklin County Airport, Highgate, VT
 水曜日。32ドル。開演6時。雨天決行。08月04日まで、15本の夏のツアー後半のレグのスタート。ユッスー・ンドール前座。レシュがそこに参加したらしい。地元ヴァーモント州は緑なす山の州 the Green Mountain State と呼ばれるので、ガルシアが緑色のズボンを履いていた。
 John W. Scott は DeadBase XI にこのショウがいかに楽しかったか、長々と書いている。8歳を先頭に3人の子どもたち、3人目はまだ乳飲み子を初めてデッドのショウに連れて行き、やはり子どもたちを連れてきた他のデッドヘッドの家族たちと、フィールドの一角で過ごした。まるで音楽つきのピクニックである。デッドの演奏そのものはあまり良いものではなかったが、子どもたちは十分に楽しみ、またデッドのショウに行きたいと言った。(ゆ)

06月26日・日
 昼前からにいにい蝉の声が聞える。今季初だ。去年は07月13日のみんみんが初蝉だったらしい。

 去年は蝉が多い年だった。今年はどうだろう。こう暑いと去年は比較的少なかった熊が増えるかもしれない。あいつらの鳴き声には風情がない。ただ、うるさいだけ。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月26日には1973年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。

01. 1973 Seattle Center Arena, Seattle, WA
 火曜日。前売5ドル、当日5.50ドル。開演7時。キャンセルとなった05月07日の振替ショウ。
 《Pacific Northwest》で全体がリリースされた。

02. 1974 Providence Civic Center, Providence, RI
 水曜日。5.50ドル。
 〈Seastones〉を第二部として、第三部3曲目〈Jam〉からアンコール〈Eyes Of The World〉までが《Dick's Picks, Vol. 12》でリリースされた。

03. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。
 良いショウのようだ。

04. 1984 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。
 第一部クローザーの〈Looks Like Rain> Might As Well〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 〈Casey Jones〉はオープナーとしては珍しく、客席からのリクエストに答えたものらしい。

05. 1986 Hubert H. Humphrey Metrodome, Minneapolis, MN
 木曜日。20ドル。開演6時。ボブ・ディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの前座をデッドが勤める。セット・リストは二部に別れるが、見た人の証言では一本勝負。
 ヴェニューの音響は良くなかったが、演奏自体は見事だったようだ。

06. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。18.50ドル。開演8時。
 非常に良いショウ。

07. 1988 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
 日曜日。17.75ドル。開演7時半。
 〈Gentlemen Start Your Engines〉など、珍しいものが聴けたショウ。

08. 1992 Soldier Field, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティーヴ・ミラー・バンド前座。
 第一部4曲目〈Loose Lucy〉で、ガルシアが "round and round and round and round and round she goes" と歌うと、女性たちが一斉にくるくると回った。
 良いショウのようだ。

09. 1993 RFK Stadium, Washington, DC
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティング前座。開演5時。ブルース・ホーンスビィがアコーディオンで参加。
 ショウとしてはまずまず。
 Dennis McNally のバンドの公式伝記 A Long Strange Trip, 387pp.(初版ハードカヴァー) に出てくるエピソードはこの2日間のどちらかの時のことではないかと思われる。マクナリーは1994年としているが、平仄が合わない。
 この2日間のどちらかに、民主党の長老上院議員で当時上院外交活動小委員会の委員長だった Patrick Leahy が、舞台裏にいた。そこへホワイトハウスに連絡を入れて欲しいとのメッセージが入る。レーヒィ議員は電話器を所望し、プロダクション・マネージャーの Robbie Taylor が持っていた電話機を貸す。当時はまだ誰もが携帯を持っていたわけではない。議員はホワイトハウスに架電し、国務長官のウォレン・クリストファーと話す。クリントン大統領はイラクへ巡航ミサイルを打ち込むことに決め、その件を議会に通知するために連絡をとってきたのだった。クリストファー長官は用件を述べてから、そちらはラジオの音が大きいですね、とつけ加えた。レーヒィ議員は答えた。
 「ちがう、あれはスティングだよ」
 返事がない。
 議員「ミュージシャンのスティングだ」
 沈黙。
 「グレイトフル・デッドの前座をしてるんだよ」
 ひどく深い沈黙の後、国務長官は答えた。
 「大統領にお時間を割いていただけますか」
 議員がここにいたのは、ガルシアとおしゃべりしていたためである。ガルシアが楽屋でなくステージ裏にいたのは、後でスティングのステージにつきあうためだったろう。レーヒィ議員はガルシアと同世代で、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを備えていた熱心なデッドヘッドだった。
 ここには他の様々なこととともに、アメリカにおけるデッドヘッドがどういう存在かが垣間見える。デッドヘッドとは、髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、改造したワーゲンのミニバスに手作りの商品を積んでツアーするバンドの後をついてまわり、駐車場でお店を広げて持ってきたものを売ってはまた次の会場へと移ってゆく連中だけではない。いや、議員にしても、デッドのショウに来る時にはスリーピースのスーツは脱いで、タイダイとショーツという恰好で来ていた。
 1970年代初頭、デッドは精力的に大学をツアーする。学生向けにはチケットも安く売られた。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所に及ぶ。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成する。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくなく、したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになった。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名だが、その他の実業家(イーロン・マスクはたぶん除く)、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野に浸透している。1ロック・バンドのファン集団というだけでは収まらない。そして、デッドの音楽はこうした人びとのライフスタイルや生活信条を左右してもいる。グレイトフル・デッドとその音楽を抜きにして、20世紀後半から21世紀にかけてのアメリカの社会と文化は語れない。

10. 1994 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演6時。トラフィック前座。
 オープナー〈Hell In A Bucket〉が2015年の、第二部オープナー〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 3日間の中ではダントツに良いらしい。
 3日間、とにかく暑かったそうな。
 〈Hell In A Bucket〉も〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉もいい演奏。前者は引き締まって、ガルシアのソロも、歌の裏で弾いているのも、面白い。
 〈Victim〉はドラムス主導で始まる。ウィアの歌もいいが、その歌の後のジャムがいい。この曲でこういうリリカルなジャムになるのは意外で新鮮。ビートはそのままで、ガルシアは元のメロディから外れたり戻ったりする。そこでビートが消え、軽いジャムが続くうちに、〈Eyes〉のリフが始まる。ウェルニクのピアノが美味しいおかずを入れ、さらにソロをとる。ガルシアが息切れしている分をカヴァーしようとする意図が見える。この集団即興はこの曲のものとしてかなり上の部類。ほとんど唐突に歌にもどる。
 この年はガルシアもまだこういう演奏ができる。翌年にはがくりと落ちる。(ゆ)

05月23日・月
 あちこちの田圃で田植がすんでいる。この週末にしたのだろう。しかし、年々、稲作をしている田圃は減っている。去年やっていて今年は水も張っていない田圃が目につく。畑にしているのはまだいい方だ。単純に放置して、秋に草刈だけしているところも少なくない。

 田植のすんだ田圃、まだ水を張っただけの田圃の上を燕たちが飛びまわる。水面すれすれに飛んでゆくのは、そのあたりに虫が多いのだろうか。燕たちの飛ぶ姿にはとにかく飛ぶのが楽しくてしかたがない、と思わせるところがある。実際にはかれらとしては必死で、楽しそうだというのはこちらの勝手な思いこみだろうが、実に自由自在に、疲れも見せずに飛ぶ姿は見ていて飽きない。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月23日には1969年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1969 Hollywood Seminole Indian Reservation, West Hollywood, FL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。"Big Rock Pow Wow" と題されたフェスティヴァル。デッドとジョニー・ウィンターがヘッドライナー。Sweet Water、Joe South、Aum、NRBQ、Rhinoceros、マディ・ウォーターズ、ティモシー・リアリーが共演。ポスターではイベントは日曜までの3日間だが、デッドの出演は金、土の2日のみ。
 《Road Trips, Vol. 4, No. 1》で全体がリリースされた。デッドの演奏はCDで1時間半の一本勝負。
 ポスターでは Sweet Water だが、おそらくはロサンゼルス出身の7人組 Sweetwater ではないか。リード・シンガーとチェロとフルートを擁した。ドアーズやアニマルズとツアーしている。
 Joe South (1940-2012) はアトランタ出身のシンガー・ソング・ライター。1970年に〈Games People Play〉でグラミー受賞。
 Aum は1968年サンフランシスコで結成されたブルーズ・ロック・トリオ。
 NRBQ は1965年に結成、一度解散して1967年再編。この年、デビュー・アルバムを出している。
 Rhinoceros は1967年にエレクトラ・レコードがオーディションで組んだバンド。ロサンゼルス・ベース。もっともできたバンドは売れるよりも独自性の強いもので、レーベルの目論見はあたらなかった。

2. 1972 Strand Lyceum, London, England
 火曜日。2ポンド。開演7時。終演12時。このヴェニュー4日連続の初日。ヨーロッパ・ツアー最後の4日間のスタート。CD で3時間半。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。今年、50周年記念でアナログ・ディスク化された。
 第一部16曲目で〈Rockin' Pneumonia and The Boogie Woogie Flu〉、第二部クローザーの〈Not Fade Away〉の途中にはさみこみで〈Hey Bo Diddley〉がデビュー。どちらもガルシアの持ち歌。
 前者はこの年の10月23日ミルウォーキーまで、計5回演奏。原曲は Huey Smith の作、1957年のシングル、両面で1曲。タイトルはチャック・ベリーの〈Roll Over Beethoven〉の歌詞の一節から。
 後者はボ・ディドリーの曲で、やはり1957年のシングル。デッドは1972年に3回、1986年、1991年に1回ずつ、計5回演奏。
 ツアー最後のロンドン4日間は、長いツアーの間に蓄積してきたものが一気に噴きだし、最高のツアーの中でも最高のピークを生み出している。今回、50周年記念としてこの4日間のアナログ・セットを企画したのも、内容からすればまったく無理はない。このツアーを代表するランとしてはこの4日間に止めを刺す。ここでは全員が最高のパフォーマンスを見せ、バンドとしても最高の音楽をくり広げる。この初日の演奏を聴くとそのことがまず明瞭に思い知らされる。
 まずめだつのはピグペンの踏ん張りで、たとえば〈Dark Star〉でのオルガンを聴くと、鍵盤奏者として後のメンバーに劣るものではないとわかる。腕というよりセンスの問題だ。どんなにテクニックがあっても、センスの悪い人というのはいるもので、そういう人の演奏は一度はびっくりしても、2度目は飽きる。ピグペンの鍵盤はアンサンブルの一角をしっかりと担いながら、いい味を出している。
 しかしここでの彼のハイライトは第一部半ばの〈The Stranger〉とクローザー前の〈Good Lovin'〉だ。前者のコーダ、詞の無いコーラスをバックに即興的に歌うところ。後者では歌の後の集団即興=ジャムで、オルガンもノッて弾いている。この曲ではガルシアを先頭に、メインのメロディからは離れたすばらしいジャムをくり広げ、そしてまた元のメロディに戻るところが凄い。
 この日の演奏を聞いていると、〈The Stranger〉はアメリカーナ・デッドへのピグペンなりの回答ではないかと思えてくる。このツアーはピグペンがメンバーとして実質最後のランなのだが、この最後の時期にアメリカーナ・デッドの中での自分の位置、役割を確立してみせたとも言える。まさに有終の美だ。
 ガルシアは上記二つの初演に現れるように、ヴォーカルもよいが、この日はギターの調子がよい。2曲目〈Sugaree〉はまだ5年後の予兆はかけらも無いが、ここからしていいソロを聞かせる。〈Tennessee Jed〉〈Next Time You See Me〉、そして〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が花開く。〈Big Railroad Blues〉のような曲でもソロを3コーラスやる。そして〈Playing In The Band〉。このツアー中に育ってきたこの曲の最初の到達点がこの4日間の演奏。
 第二部は2曲目で30分の〈Dark Star〉。一時、ひどくワイルドに切迫するが、結局明るい光が入る。続く〈Morning Dew〉、その数曲後の〈Comes a Time〉と、ショウも後になるにしたがってガルシアのギターが調子を上げてゆく。アンコールの〈Uncle John's Band〉のソロがこの日のベストの出来栄え。
 ただでさえこれまでで最高の音楽を生み出しながら、ここから千秋楽へ向けて、日毎にさらに良くなってゆく。音楽の神は確かに降りてきている。

3. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。12ドル。開演3時。
 非常に良いショウの由。

4. 1992 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。なかなか良いショウの由。

5. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。24ドル。開演5時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。第一部の〈Bird Song〉が特に良い由。(ゆ)

05月22日・日
 連休明けから用水路に水が通りだし、今週初めくらいからあちこちの田圃に水が張られだした。一面水を張り、しばらくそのままにして、土に水を沁みこませてから田植になる。面白いのは田圃の注水口と排水口はずっと開けてあって、ゆっくりだが田圃の中を水が流れている。止めてしまってはだめらしい。田圃は水の管理がたいへんなので、おいそれとは借りられない、と小学校の PTA をしていた時、聞いたことがある。

 田圃に水が入った途端に蛙たちの鳴き声が聞えはじめる。いったいあいつらはそれまでどこにいたのか、いつも不思議だ。まわりには池などはないし、水が張られる前の田圃は田起しをした土があるだけだ。田起しをしているから、土の中にいたわけでもあるまい。用水路も兼ねている小さな川の中なのか。あんな流水の中におたまじゃくしは生きられるのか。雨が降ればどっと濁った水が増える。謎だ。

 とまれ、今年も元気な蛙たちの声が聞えるのはほっとする。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月22日には1966年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Rancho Olompali, Novato, CA
 日曜日。これはショウというよりも丸1日続いたパーティー。
 ノヴァトはサンフランシスコの北30キロほどのサン・パブロ湾(サンフランシスコ湾の北端部分)西側の街。オロンパリは紀元500年頃からここに住みついた先住民のミウォク族が一帯につけた名前で「南の村」ないし「南の人びと」を意味する。先住民の一大集住地となり、スペイン人到来後も先住民が支配していた。カミロ・イニシアと呼ばれるミウォク族のリーダーがここに日干煉瓦で26部屋ある屋敷を建てた。1948年にサンフランシスコ大学がこれを購入した。
 ロサンゼルスで1ヶ月あまり、悲惨な暮しをした後、バンドと一行はサンフランシスコに戻るが、居場所が無い。レシュのガールフレンドのフロレンス(ロージィ・マッギィ)とベアの恋人のメリッサが先行して、滞在先を探した。2人はオロンパリのこの屋敷と周囲の敷地を05月01日から6週間借りることに成功する。こういう肝心なところでツキに恵まれるのがデッドらしい。
 敷地は道路からは50メートルほど引込んでいて、日干煉瓦の家は夏でも涼しく、脇にプールがあり、周囲は「カリフォルニアの黄金の丘」にオークが点在し、気持ちのよい木陰のあるせせらぎも流れていた。バンドにとってここは天国になる。
 サンフランシスコまでは車で30分。仲間のバンドやミュージシャン、その家族、友人たちが入れ替わり立ち替わりやってきもする。
 そしてこの日、デッドはあらためて当時かれらにできるかぎりの告知をしてパーティーを開いた。01月08日のシャーラタンズのコンサート・ポスターの裏に手書きで書かれたポスターには、正午からとされて、料金の表示はない。どれくらいの人間が集まったかも定かではないが、数千ということはなかっただろう。
 屋敷とプールの間にステージを設けて、気の向いたメンバーで四六時中音楽が鳴らされていた。デッドがやっていることもあり、ジェファーソン、クィックシルヴァー、ビッグ・ブラザー、その他がやっていることもあり、メンバーが入りまじっていることもあった。もちろんメリー・プランクスターズもいて、とりわけニール・キャサディのダンスが目を惹いた。
 演劇集団の The Diggers がケイタリングを担当し、食べ物飲み物は常に用意されていた。やってきた人びとのおそらく少なくとも半数は LSD をキメることになった。裸になってプールに入ったり、あたりを歩きまわったりしている者も多かった。陽が落ちて気温が下がってくると自然散会になり、人びとは思い思いに帰っていった。それでも残った連中は屋敷の中でパーティーを続けた。
 世間一般では翌1967年夏が「サマー・オヴ・ラヴ」とされているが、ヒッピーという存在様式を発明した連中にとっては、1966年夏が真の「サマー・オヴ・ラヴ」であり、オロンパリの1日がその頂点だった。

2. 1977 Sportatorium, Pembroke Pines, FL
 火曜日。第一部オープナーとクローザーを含めて6曲、第二部もオープナーとクローザーを含めて10曲、曲数にして全体の3分の2、時間では4分の3が《Dick's Picks, Vol. 03》でリリースされた。
 バンドが解散した直後のリリース。まだショウ全部は収録されない。企画の内容、発売時期は解散前に決まっていたはず。ジャケットの断り書きでは、From The Vault シリーズと異なり、ショウ全体のテープが無いとあるが、額面通りには受取れない。前後は完全版が出ている。ベティ・カンター=ジャクソンが関わっている。あるいは「ベティ・ボード」の1本ということか。この頃は完全ではないから企画が通ったということか。
 〈Sugaree〉に始まり、〈Morning Dew〉に終るというのはバートン・ホールに似ている。そして、これもまたバートン・ホールに劣るとも思えない。違うのは確かで、では、どこが違うかと言われると答えに窮する。あえて言えば余裕の幅だろうか。バートン・ホールの方がわずかながら余裕が大きいかな。こちらは前日の後ということもあるかもしれない。前日はとにかくゆっくりだったが、この日はそこまで遅くはないし、〈Eye of the World〉などは速いと聞える。もっともこの曲もガルシアが歌いだすと、やはりゆったりしている。
 オープナー〈The Music Never Stopped〉からして快調に飛ばす。次の〈Sugaree〉はこのひと月の間にも変化している。5月の頭の頃はあくまでもシンプルに、ほとんど四分音符だけを並べていくような演奏だったのが、少し入り組んだフレーズも混ぜるようになっている。初めはのんびりしているのが、徐々に緊張が高まり、ガルシアもより細かく、より速く刻んでゆく。ウィアが要所要所でハーモニクスでチーンと入れるのが気持ちよい。キースのグリッサンドが決まると同時にガルシアがまた歌いだす。
 後はこの春の他のショウに勝るとも劣らない演奏が続く。第一部クローザー〈Dancing in the Street〉のガルシアのギターがまたユーモラス。キースもシンセでユーモラスな音をたてる。第二部オープナーの〈Help on the Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉もベスト・ヴァージョンと言いたくなる。
 この日、いくぶん他の日より目立つのはドラムスで、〈Samson and Delilah〉など、実に面白い。ドナの〈Sunrise〉で冒頭、ハートが一発どんと叩いて始めるのもカッコいい。この演奏はこの歌のベスト・ヴァージョン。
 ガルシアのギターのこの日のハイライトは〈Estimated Prophet〉、ヴォーカルでは〈Morning Dew〉。この MD は途中、音量を絞る。こういうところがまたデッドの魅力だ。
 《Dick's Picks》では抜粋なので、いずれどこかで全体を聴きたいが、これだけでも十分堪能する。ああ、幸せ。

3. 1981 Warfield Theatre, San Francisco, CA
 金曜日。アコースティック・セット。ベースがレシュではなく、ジェリィ・ガルシア・バンドのジョン・カーン。「反原発」団体のためのベネフィット。この後は07月02日のヒューストンまで休み。

4. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。12ドル。開演5時。このヴェニュー3日連続のランの中日。なかなかのショウの由。

5. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの中日。(ゆ)

0321日・月

 散歩の帰り、温水幼稚園の裏で恩曽川の向こう側を飛ぶ燕を見る。昨年は23日、一昨年は28日だった。



##本日のグレイトフル・デッド

 0321日には1969年から1994年まで13本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。


01. 1969 Rose Palace, Pasadena, CA

 金曜日。4ドル。共演ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェスロ・タル。セット・リストは不明。

 DeadBase XI Louis Woodbury によれば、ピグペンと思われる人物がステージで爆竹に点火してマイクを向けた。それはでかい音がした。一方で、アンプの真ん前で、スピーカーに頭を突っこまんばかりにしている男もいた。すでにでかい音が鳴っているとは思っていなかったのだろう。


02. 1970 Capitol Theater, Port Chester, NY

 土曜日。このヴェニュー2日連続のランの2日目。早番、遅番のショウ。遅番の4曲目〈Friend Of The Devil〉から10曲目〈Katie Mae〉までアコースティック・セット、その前後はエレクトリック・セット。

 DeadBase XI Stu Nixon のレポートは当時初めてデッドのショウに行ったティーネイジャーの体験を語って興味深い。率直に言えば、何をやっているのか、わからなかった。この時期、デッドは《Live/Dead》のバンドからアメリカーナ・デッドに急速に変わっていて、一つのショウの中で、性格の異なる歌を連ねて、様々な顔を見せ、リスナーはむしろ混乱する。また、サウンドの音量が大きく、偶然から同行することになった叔父は第二次世界大戦の前線の音に比べる。


03. 1971 Exposition Center, Milwaukee, WI

 日曜日。前売3.50ドル、当日4ドル。開演2時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。飛行機に間に合わせるため、8曲1時間足らずのショウ。


04. 1972 Academy of Music, New York, NY

 火曜日。このヴェニュー7本連続の初日。このウォームアップ・ランの後、0401日に、デッドは2ヶ月のヨーロッパ・ツアーへ出発する。第二部オープナーからのメドレー〈Truckin'> Drums> The Other One> Wharf Rat〉が2015年の《Dave's Picks Bonus Disc》でリリースされた。

 初演が2曲。〈Looks Like Rain〉と〈The Stranger (Two Souls In Communion)〉。

 〈Looks Like Rain〉はバーロゥ&ウィアの曲。この初演ではガルシアがペダルスティールを弾いた。19950630日まで418回演奏。演奏回数順では16位。スタジオ版はウィアのソロ・ファースト《Ace》収録。

 〈The Stranger (Two Souls In Communion)〉はピグペンの作詞作曲。ヨーロッパ・ツアーの千秋楽0526日のロンドンが最後。計13回演奏。回顧ボックス・セットの《The Golden Road》に収録されるまで〈Two Souls In Communion〉として知られた。


05. 1973 Utica Memorial Auditorium, Utica, NY

 水曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。前売5ドル、当日6ドル。


06. 1981 Rainbow Theatre, London, England

 土曜日。このヴェニュー4本連続のランの2本目。6ポンド。開演7時。


07. 1985 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。17.50ドル。開演7時半。


08. 1986 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。

 第一部、クローザー前〈Supplication〉からクローザー〈Let It Grow〉に移る際、ウィアは後者を歌いだしているが、バンドはまだ前者を演奏しつづけ、かなり面白いことになったそうな。全体のクローザー〈Sugar Magnolia〉では、ウィアがステージを左右に走りまわった。


09. 1990 Copps Coliseum, Hamilton, ON, Canada

 水曜日。25.50CAD20.90USD。開演7時半。このヴェニュー2日連続のランの初日。オープナーの〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉が《Without A Net》でリリースされた後、全体が《Spring 1990 (The Other One)》でリリースされた。

 ツアーの初めは気分が昂揚するのだろう、つんのめるような演奏で始まることが多い。この1990年春のツアーもキャピトル・センターでの最初の3日連続のランでは、テンポも速く、演奏もアグレッシヴ、エネルギーの爆発をもて余しているように見える。ハートフォードではいくぶんおちついて、奔馬のようなエネルギーを乗りこなしてくる。そして3箇所め、すぐ近くとはいえ、国境を越えた異国でやるのは気分転換にもなったのだろう。オンタリオ州ハミルトンでの2日間は、差し手引き手の呼吸が合い、緊張と弛緩のバランスのとれた、デッドとして理想的な、充実したショウを展開する。

 この日はオープナーからしてこれまでに比べればのどかなと言えるほどの曲から始まる。対するウィアの〈New Minglewood Blues〉は引き締まって、ミドランド、ウィア、ガルシアとソロをとる。ガルシア、ウィア、ミドランド各々の曲をまずやるのがこのツアーの一種の決まりらしい。次の〈Far from Me〉ではガルシアが味のあるギターで盛り上げる。ウィアの溌剌とした〈Queen Jane Approximately〉に続いて、ガルシアがこれを歌うのが愉しくてしかたがないんだよと言わんばかりの〈Loose Lucy〉。15年ぶりに復活したツアー初日に続く演奏。ギターも音が軽い。

 その次の〈Victim Or The Crime〉がまずハイライト。この頃のこの曲の通例で、実に威厳をもって歌われ、それに応えてガルシアのギターが覚醒する。この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。ギターも目覚めれば歌もさらに良くなって、次の〈Standing On The Moon〉のガルシアの歌唱はこの日ここまでのベスト。そして第一部クローザー〈The Promised Land〉では、ミドランドがハモンドで活きのいいソロを聴かせるのに、ガルシアも反応して、軽快に弾きまくる。

 第二部はミドランドがハモンドとシンセサイザーを曲芸のように弾きわける〈Hey Pocky Way〉がまず楽しく、〈Crazy Fingers〉はリリカルに、〈Cumberland Blues〉はユーモアたっぷりに歌う。〈Crazy Fingers〉のコーダではスパニッシュ・ジャムも飛びだし、〈Cumberland Blues〉では、ウィア、ガルシア、ミドランドのコーラスに聴きほれる。

 そして〈Estimated Prophet 〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉までがノンストップ。〈Estimated Prophet 〉では語り手の「いかれたデッドヘッド」をウィアがユーモラスに演じ、ミドランドのピアノのバック、ガルシアのソロも美味。ガルシアは MIDI でほとんど小節ごとに音色を変えてゆく。〈He's Gone〉は歌のラストの "Nothing gonna bring him back." のリピートの3人の掛合いに顔がにやけてしまう。そしてその後の、軽く、隙間だらけの音でさりげなく織りなされるジャムが、くー、たまらん。緊密な絡み合いの即興はこういう風にもできるのだ。

 Drums も Space も MIDI で様々な音を重ねる。クロイツマンもハートもユーモアのセンスがある。Space では宇宙空間を漂っているよりは、絶え間なくおしゃべりを続けている感覚。ガルシアとウィアで対話していて、レシュが加わり、終り近くになってミドランドが参加。

 Space から現れる〈I Need A Miracle〉はこの日最もハードでアグレッシヴな演奏で聴かせる。その次の〈Wharf Rat〉でのガルシアの歌唱がこの日のベスト。速めのテンポで軽く歌う一方で、Part 2 を3人のコーラスでたっぷりと時間をかけて歌う。それに対して Part 3 を跳びはねるように歌った後のガルシアのギター・ソロもこの日のベスト。ミドランドがハモンドで煽りまくる。〈Throwing Stones 〉はアレンジが変わっていて、コーダでウィアが、追加の歌詞だろうか、延々と歌いつづけ、ところどころでガルシアとミドランドが声を合わせるのが面白い。中間のジャムは聴き応えがある。〈Turn On Your Lovelight〉はこの頃は終始ウィアが独りで歌う。ガルシアは MIDI でサックスの音を出す。やはりこの曲のクローザーは盛り上る。

 アンコールは〈Knockin' On Heaven's Door〉。ガルシアのクールなギターにミドランドがホットなオルガンで応じる。ガルシアがカヴァーするディラン・ナンバーでも、この曲は格別で、並外れた音楽体験をくぐり抜けてきた後で、静かな感動が湧いてくる。これ以上はないエンディング。

 デッドのライヴを聴く醍醐味、ここに極まる。


10. 1991 Capital Centre, Landover, MD

 木曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。22.50ドル。開演7時半。


11. 1992 Copps Coliseum, Hamilton, ON, Canada

 土曜日。26.50カナダ・ドル、22.50USD。開演7時半。このヴェニュー2日連続の2日目。第一部クローザー〈So Many Roads〉が2017年と2019年の、5曲目〈Peggy-O〉が2021年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。


12. 1993 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。


13. 1994 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 月曜日。このヴェニュー2日連続のランの2日目。25.50ドル。開演7時半。この年ベストのショウの1本の由。(ゆ)


0320日・日

 久しぶりに散歩。様々な花が開き、いつもは桜が終ってから出てくる樹々の若葉も、もううっすらと萌えでているものもある。陽射しは暖かいが、風は冷たい。春は名のみの、風の寒さや。鴬は確かにまだ聞えない。

 1600宅急便。下取りにした古い iPhone 8 の回収。回収した後から「明日、回収に伺います」という Apple からの通知がメールとメッセージで来る。アメリカ時間でやってるんじゃないか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0320日には1967年から1994年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。


01. 1967 Fugazi Hall, San Francisco, CA

 月曜日。DeadBase XI には "Album release party" とあり、ファースト・アルバムのリリースを祝ったものらしい。厳密にはショウではない。


02. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 水曜日。KMPX-FM のストのための資金集め。


03. 1970 Capitol Theater, Port Chester, NY

 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。共演 Catfish。遅番ショウの7曲目で〈Friend Of The Devil〉が初演。ハンター作詞、曲はガルシアと John Dawson。ジョン・ドーソン (1945-2009) はニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジの創設メンバーの一人でリード・ヴォーカル。《Aoxomoxoa》にも参加している。19950624日まで、計311回演奏。演奏回数順では39位。スタジオ盤は《American Beauty》収録。ガルシアの曲では〈Loser〉と並んで、あたしが個人的に最も好きな曲。楽曲自体、最高の名曲の一つと思う。

 デッドのクルー中核の一人で、ガルシアと最も親しかったスティーヴ・パリッシュの回想録 Home Before Daylight のタイトルは、この歌のコーラスの一節

If I got home before daylight, I just might get some sleep tonight

からとられている。これに限らず、デッド関連の書物やアーカイブからのボックス・セットは、デッドの歌の歌詞の一節からタイトルをとることが多い。

 Catfish はデトロイトで1960年代に結成されたブルーズ・ロック・バンドがあるが、これかどうかは不明。


04. 1971 Iowa Fieldhouse, University of Iowa, Iowa City, IA

 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティールで入る。第一部、第二部、ともにクローザーはピグペンのヴォーカルで、いきなり現れて舞台をさらっていったそうな。


05. 1977 Winterland, San Francisco, CA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。第一部9曲目〈Estimated Prophet〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ガルシアが MIDI かエフェクタで、ラッパのような、ひしゃげたサウンドでとるソロが面白い。曲からは完全に離れた、ジャズ的即興。ベスト・ヴァージョンの一つ。この頃は冒頭でウィアが "One, two, three, four, five, six, seven" とカウントし、"seven" でドラムスがどんと入って始まる。


06. 1981 Rainbow Theatre, London, England

 金曜日。ヨーロッパ・ツアー初日。このヴェニュー4本連続のランの初日。6ポンド。開演7時。


07. 1986 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 木曜日。こヴェニュー3日連続のランの中日。13.50ドル。開演8時。

 〈Box of Rain〉が12年ぶりに第一部クローザーで復活。13,000の聴衆の歓声にレシュの声がかき消された。長い間、演奏されなかった曲の復活を喜ぶのは、デッドのショウをリアルタイムで追いかけていて初めて理解できるのだろう。


08. 1991 Capital Centre, Landover, MD

 水曜日。このヴェニュー4本連続のランの3日目。22.50ドル。開演7時半。


09. 1992 Copps Coliseum, Hamilton, ON, Canada

 金曜日。22.50USD または26.50CAD。開場6時半。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。全体が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。

 リリース当初聴いた時には、ガルシアの調子が斑と聞えて聴くのが辛かったのだが、今回聴きなおしてみれば、これはすばらしい。ポスト・ミドランドではベストの1本、というのもうなずける。やはり、一度聴いただけではだめだ。

 ガルシアは衰えが隠せないが、ここではよく踏ん張っているし、ギターが絶好調ではない分をヴォーカルで埋め合わせて余りある。ウェルニク、ホーンスビィはじめ、バンドもガルシアを盛りたてている。

 ウィアが例によって気合いの入った〈Hell in a Bucket〉でオープンすれば、ガルシアが味わいふかい〈Althea〉で応じる。その次の〈The Same Thing〉がいい。ウェルニクがハモンドで冴えたバックをつけ、ガルシアも手数の少ないスライド・ギターを展開する。ウィア、ホーンスビィ各々のソロも熱い。ホーンスビィは〈Mexicali Blues〉とそれからつながる〈Maggie's Farm〉でもいいソロを聴かせる。後者では、ウィア、ガルシア、ホーンスビィ、ウェルニク、レシュとリード・ヴォーカルをとる。前3人は当然だが、ウェルニクとレシュもまったく負けていない。〈Bird Song〉は悪くなりようがないとも思えるが、ホーンスビィとの掛合いからガルシアが MIDI で笛の音を出して遊びまくる。ベスト・ヴァージョンの一つ。間髪を入れずにウィアがコードを弾きだす〈Johnny B Goode〉でもガルシアが軽快なソロを聴かせ、ホーンスビィが受ける。最高だ。

 第二部オープナーの〈Shakedown street〉では、後半、ガルシアのギターを核に延々と続くジャムがだんだん面白くなる。初めはガルシアのギターに霊感が宿らず、どうなることかと思うが、周りに支えられて良くなってゆく。〈Man smart, women smarter〉でも、一度ガルシアのギターの勢いが鈍るが、ウェルニクのシンセ・ソロが良く、これに刺激されて再度とるガルシアのソロは復活している。DrumsSpace をはさんでの〈Dark Star〉でもウェルニクがガルシアを支える。むしろ〈Standing on the Moon〉でのガルシアの歌は絶唱と言っていい。ホーンスビィのピアノ・ソロに煽られたか、コーダでのガルシアのソロはこの日のベストの出来。そのノリで〈Turn On Your Lovelight〉でガルシアは MIDI でサックスを吹く。シンセが聞えるから、ここでのオルガンはホーンスビィらしい。

 アンコール〈U.S. Blues〉もガルシアはギターよりも歌で聞かせる。

 鍵盤の二人はうまく役割分担をしている。ホーンスビィが外から、ウェルニクは内にもぐりこんで、ガルシアの衰えをカヴァーし、ガルシアも応えて踏んばる。90年代のガルシアの歌唱は、巧いとはいえないかもしれないが、味わい深く、説得力もある。


10. 1993 The Omni, Atlanta, GA

 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。


11. 1994 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 日曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。25.50ドル。開演7時半。(ゆ)


0129日・土

 午前中は冷たい風が時折り強く吹いていたが、午後、散歩に出るとやんでいる。そうすると、陽射しには春の気配がそこはかとなく感じられなくもない。あちこち梅も開きだしている。節分とか立春とか、ああいう節気は太陽暦にあてはめても意味は無いと思うが、太陽暦でも2月となれば12月や1月とは違ってくる。もっとも温暖化にもよるので、若い頃はもっと寒かった気もする。

 しかし、そうなると、ああ花粉も近い。



##本日のグレイトフル・デッド

 0129日には1966年から1987年まで、4本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 このヴェニュー2日連続の2日目。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。


1966 Sound City Recording Studios, San Francisco, CA

 ショウではなく、アシッド・テストを家でもできるようにと制作されたLPの録音。ケン・キージィとメリー・プランクスターズがこのスタジオに入り、いつもアシッド・テストでやっていることをやり、そこへデッドが合流して演奏した。一晩、6〜8時間分録音されたマスターテープを Jim the Host が持ち帰ってLPに編集した。が、その後でテープは行方不明となり、ジムも死んで、事は迷宮入りとなった。LPそのものもレアで、200807月、ロンドンで500ポンドの出物があった。モノクロのジャケットには、デッドらしきミュージシャンの写真もはめこまれている。セット・リストなどが残るような性質のものではない。


2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。開演8時。この日曜日のイベントはデッドのショウではなく、International Society for Krishna ConsciousnessISKCON、通称ハーレー・クリシュナ)がヘイト・アシュベリーにサンフランシスコ寺院を開設するためのベネフィット。共演はモビー・グレープとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。ポスターには無いが、ジェファーソン・エアプレインも出たという。アレン・ギンズバーグと ISKCON 創設者 Swami Bhaktivedanta Prabhupada も出演。セット・リスト不明。

 デッドは普通、特定の宗教や宗教団体とは関係をもたないが、ハーレー・クリシュナは宗教とは見なさなかったのかもしれない。


3. 1968 PSC College Center Ballroom, Portland State College, Portland, OR

 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとの年頭の北西部太平洋岸ツアーの一環。

 PH Phacter Jug Band というバンドもポスターにはある。1966年から69年にかけて、このポートランドをベースに活動した9人編成のバンド、とネット上にはある。

 セット・リスト不明。


4. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 16.50ドル。開演8時。春節祝賀3日連続公演の中日。なお、この時の新年は卯年なので、ポスターにはウサギの頭蓋骨がフィーチュアされ、チケットにもウサギのシルエットと稲妻マークがある。(ゆ)


9月30日・木

 今日は比較的気温は暖かかったけれど、つくつく法師が聞えなかった。昼過ぎから雨が降ったせいか。明日も雨の予報で、台風が去った後、復活するか。もっとも、もう10月。今まで残っていた方が遅いくらいではある。


##9月30日のグレイトフル・デッド

 1966年から1993年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本。

01. 1966 Commons, San Francisco State College, San Francisco, CA

 サンフランシスコ州立カレッジ、キャンパスでのトリップ・フェスティヴァル。アシッド・テストのひとつ。金曜日午後3時から日曜日の午後3時まで。チケットは2ドル。共演は Mimi Farina, The Only Alternative, The Committee & Congress of Wonders。つまり、イベント全体はノンストップで続く中、デッドとこういうミュージシャンたちが、順番にステージに立っては一定時間演奏していたのだろう。

 アシッド・テストなので、セット・リストは無し。

02. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA

 2日連続の2日目。

03. 1969 Cafe Au Go Go, New York, NY

 3日連続の2日め。

 〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉の組合せが初めて演奏された。〈China Cat Sunflower〉はメキシコにいたロバート・ハンターがガルシアに送った一群の詞の一つで、スタジオ版は《Aoxomoxoa》収録。1968-01-17, Carousel Ballroom で初演。〈I Know You Rider〉は1966-03-12、ロサンゼルスの Danish Center で初演。この二つは以後最後までほぼ組み合わせて計533回演奏された。〈China Cat Sunflower〉単独では557回。〈I Know You Rider〉単独は548回。回数順では組合せでも各々単独でも6位。

04. 1972 Reeves Field, American University, Washington, DC

 学生ユニオンが主催した屋外でのフリー・コンサート。天気はよく、演奏も上々だったそうな。

05. 1976 Mershon Auditorium, Ohio State University, Columbus, OH

 6.50ドル。夜8時開演。前半最後の〈Scarlet Begonias〉が《Live At Cow Palace: New Years Eve 1976》のボーナスCD《Spirit of '76》でリリースされた。が、持っていない。後半冒頭の〈Lazy Lightnin' > Supplication〉が2014年と2018年の2度、《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 Supplication でのジャムがいい。デッド流ポリフォニーになったり、ピアノとウィアのリズム・セクションを土台に、ガルシア、レシュ、2人のドラマーが各々にリードをとったり、一瞬の弛みもなく変化してゆく。その中を貫いてゆくガルシアのギターがまた絶好調。

06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続の5本目。第一部アコースティック・セット、最後から2番目の〈Oh Babe It Ain't No Lie〉が《Reckoning》でリリースされた。原曲は Elizabeth Cotton

 ガルシアのヴォーカルはあまりにソフトで、歌詞がほとんど聞きとれない。この歌はデッドとしては15回、1980年の一連のレジデンス公演の後、翌年3回、1984年に1回のみ。なお10-23 Radio City Music Hall でのヴァージョンが2004年の《Reckoning》再発の際、ボーナス・トラックとしてリリースされている。

 スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections1975 のアウトテイクが、2005年の《All Good Things》ボックス・セットでのリリースの際に収められた。ガルシアの個人プロジェクトのアコースティック・セットでは何度も歌われている。他のヴァージョンも聴くと、歌詞はいくらかはっきりしているが、どうやら、声はできるだけ出さずに、歌詞もできるだけ明瞭に発音しないように、つぶやきとして唄おうとしているようだ。歌よりも、シンプル極まりない、ただ、のんびりとポロンポロン弾いているようで、妙に耳が惹きつけられるギターがメイン。

All Good Things: Jerry Garcia Studio Sessions
Garcia, Jerry
Rhino / Wea
2004-04-19

 

 このジェリィ・ガルシア・バンドやジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドのライヴ音源を聴いていると、アコースティックの編成はこちらの方がふさわしく、やりたいこともでき、デッドの面子でアコースティックでやる意義はあまり無い。とガルシアは判断したのかもしれない、と思えてくる。ベース一つとっても、ジョン・カーンとフィル・レシュではまったく別世界なのだが、レシュのスタイルはやはりエレクトリックで真髄を発揮するものではある。デッドをメリー・プランクスターズのバス "Further" に喩えれば、アコースティックのデッドはロバの挽く四輪馬車ともいえて、それはやはりカッコ悪い。というより、つまらない。愉しくない。とバンドが考えたとしてもおかしくはない。デッドがデッドになるためには、最低限のスピードは必要なのだ。

07. 1981 Playhouse Theatre, Edinburgh, Scotland

 この年2度めのヨーロッパ・ツアー初日。チケット5ポンド。開演7時。スタンリー・マウスのポスターがすばらしい。

08. 1988 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の初日。

09. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の中日。この年の最短と思われる短いショウ。MIDI を本格的に導入して、新しいおもちゃで遊んでいるけしきだったらしい。

10. 1993 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続、千秋楽。(ゆ)


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