クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:小説

Victoria Goddard, The Hands Of The Emperor; 2019
Victoria Goddard, Derring-Do For Beginners; 2023
Ray Robertson, All The Year Combine: The Grateful Dead in Fifty Shows; 2023
Nghi Vo, Mammoths At The Gates; Tordotcom Publishing, 2023
友川カズキ, 一人盆踊り; ちくま文庫, 2019
洲之内徹, さらば気まぐれ美術館, 新潮社, 1988
The Annotated Memoirs Of Ulysses S. Grant, annotated by Elizabeth D. Samet; Liveright Publishing, 1886/2018
バート・S・ホール + 市場泰男, 火器の誕生とヨーロッパの戦争 Weapons And Warfare In Renaissance Europe; 平凡社ライブラリー, 1999/2023


 今年はとにかく Victoria Goddard に明け暮れ、そして洲之内徹を発見した。その合間に石川淳の中短篇を読みつづけ、Elizabeth D. Samet が厖大な、分量として本文と肩を並べ、かつ無数の図版を加えた厖大な注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録に夢中になった。


 まずは洲之内徹である。この人の名前と著書を知ったのは友川カズキの『一人盆踊り』だった。その『一人盆踊り』を教えられたのは、ダーティ・松本のブログである。
 『一人盆踊り』そのものも抜群に面白い読物だった。松本が書いているお地蔵さんにとりつかれた話も確かに面白いが、図書館から借りて読んでみて買う気になったのは、その話の次に入っている「一番下の空」という詩だった。その後の「詩篇供廚房められた中のいくつかも良かった。

 友川はシンガーであり、詩人であり、そして絵を描く。三つめからこの中の一篇「洲之内徹さんのこと」が生まれた。

 この文章は洲之内徹の追悼文である。白洲正子の追悼文の引用でしめくくりながら、これ自身見事な文章だ。こういう文章を書かせる洲之内徹が書いた本は読んでみたいと思わない方がおかしい。図書館には全部そろっていた。まず文庫版『気まぐれ美術館』を読み、『絵の中の散歩』を読み、以下、「気まぐれ美術館」の各巻を読んでいった。読みおえると、「気まぐれ美術館」以外の美術に関するエッセイを集めた『芸術随想』の2巻を、こちらは古書を買って読んだ。洲之内がとりあげた絵が図版として大量に入っていたからだ。

 信じられないくらい面白い。絵についてのエッセイがこんなに面白くなれるものとは知らなんだ。まさに我を忘れて読みふけってしまう。あっさり読んでしまうのはもったいないと、少しずつ読もうとするのだが、ついつい手が伸びてしまう。読みだすとやめられない。書いてあるのは、聞いたこともない絵描きたちのことばかりだ。日本で活動している、していた絵描きたちだ。日本語ネイティヴではない人も数人いる。読みおえた時には、誰もかれも昔から知っている人になっていた。

 とりわけ、最終巻『さらば気まぐれ美術館』だ。この巻に入ったとたん、空気が一変する。悽愴の気を帯びる。これが最後とわかっているのはこちらの話で、書いている本人はまだまだ何年も書きつづけるはずなのに、もうすぐ終りと気づいてしまった感覚がじわじわと這いのぼってくる。

 まず、洲之内はそれまで片鱗もなかったにもかかわらず、いきなり音楽を聴きはじめる。きっかけは友川だ。絵描きの友川のレコードを聴き、ライヴに行ったことで、日本のシンガー・ソング・ライターたちのレコードを聴きだす。周囲が薦めるものを片端から聴く。そしてある日、ジャズを発見する。今度はジャズに溺れこむ。レコードをかけて、以前はそんなに飲めなかった酒を飲みつづけながら、何時間も聴く。人にも無理矢理聴かせる。結局死ぬ間際まで聴きつづける。

 こんな風に死に物狂いで、実際に生きるためにも音楽を聴いていた人間、聴いている有様は見たことがなかった。洲之内の絵を見る眼のことを友川は書いている。もし眼のように耳がものを言うならば、洲之内の耳はさぞかしすさまじく美しい形相を見せていただろう。佐藤哲三や松田正平について語るように、洲之内がコルトレーンやモンクについて語っていたら、と思わざるをえない。

 洲之内徹については散々語られてきたし、これからも語られるだろう。あたしは黙ってその文章をくり返し読むだけでいい。こういう人に出会うと、もっと早く出会っていたかったと思うが、その度に、出会うにはその時が満ちることが必要なのだと自分に言い聞かせる。


 エリザベス・サメトが注をつけたユリシーズ・S・グラントの回想録を読んだのは、Washington Post Book Club で紹介されたからだ。



サメトはこの回想録にとり憑かれ、その研究をするためにウェストポイントの米陸軍士官学校で英語を教える仕事についた。そうして永年研究してきたありったけをこの注にぶちこんだ。と思えるが、おそらくまだまだ出していない、出せかなかったものが山のようにあるのだろう。そういうことも垣間見える。登場する人物などの固有名詞はもちろん、当時の社会、インフラ、テクノロジーなどの状況から、戦争を記録し、叙述する方法やスタイルの多様性、そしてグラント本人と回想録そのものの評価の変遷などなど、およそ紙の本として、一冊本として可能なかぎりの情報を詰めこんでいる。おかげで索引がはじき出された。基本にあるのは、時間的にも空間的にも可能な限り広い文脈で読もうとする姿勢である。例えば参照される文献には古代ギリシャ・ローマはもちろん、中国の古典から現代のものまで含まれる。グラントの本文はもともと滅法面白いが、それをさらに何倍、いや何乗にも増幅する。

 本文とサメトの注とから浮かびあがるグラントという人物も面白い。軍指揮官としてのグラントはアメリカのみならず、世界史上有数といわれる。断片的、ランダムな報告から、現場の地理的環境、状況全体を瞬時に適確に把握し、適切な対応ができる能力、自分が見えないところで敵が何をしようがまったく気にしないでいられる能力、戦場全体を総合的に把握して戦略を立てて実行する能力、そして全軍を一つの目標に向かって動かしてゆく能力を備えた。身長170センチの小男で、風采はあがらない。当時戦場で撮られた写真に映っているのは、どう見てもせいぜいが下士官だ。戦闘の間は丸腰のまま馬で戦場を駆けまわりながら、指示を出す。いったいいつ眠るのだと思えるほどの多忙の合間を縫って、愛妻ジュリアに頻々と手紙を書く。

 戦争に勝つという共通の目標に向かっている集団である軍隊を率いたとき、グラントは無類の強さを発揮した。しかし、一国の政治にはそうした共通の目標はありえず、様々な目標を各々の集団または個人がめざす。そういう集団を率いるとなるとグラントはほとんど無能になる。大統領としては最低の一人とされる。

 南北戦争終結までを扱うグラントの回想録は、62歳の時、詐欺師にひっかかって、全財産を失い、金を稼ぐ必要ができたことから書きはじめられた。ほぼ同時に喉頭がんが発覚して、金を稼ぐのも急がねばならなくなって本格化する。最後の原稿を渡したのは死の5日前。つまりがんが進行する中、1年で書いた。今や、アメリカ文学の古典として、いくつもの版が出ている。サメト注のものは、これら従来の版に冠絶する。


 バート・S・ホール + 市場泰男の『火器の誕生とヨーロッパの戦争』は、タイトル通りの話だが、火器には携帯用の小火器だけでなく、大砲もある。ヨーロッパの戦争はオープン・フィールドでの野戦と攻城戦がほとんどで、したがって初めは大砲が発達する。小火器がモノを言いはじめるのは、後込めシステムとライフルすなわち施条(しじょう)もしくは腔旋が発明されてからだ。それ以前の銃は装填に手間暇がかかりすぎたし、射った弾がどこに飛んでゆくかわからなかったから、使い方が限定されていた。滑腔銃である火縄銃で狙いをつけて撃つ、なんてことはありえないのだ。そしてライフルを施した銃が普及して最初の戦争が南北戦争だ。


火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]
火器の誕生とヨーロッパの戦争(945;945) (平凡社ライブラリー) [ バート・S.ホール ]

 鉄砲や大砲は戦争の仕方をがらりと変えた、という定説を、そうではなかったと論証するのが、著者がこの本を書いたきっかけ。技術、テクノロジーはリニアに一直線に発展するものではないし、革新的なテクノロジーが即座に戦争のやり方を変えたわけでもない。むしろ、曲りくねって、時には改良しようとして逆行することもある。発明されただけで世の仕組みを変えることにはならない。

 情報のデジタル化も同じだ。それ自体では、たとえばCDが一時LPにとって代わったように、旧来の使われ方の中で使われる。これがネットワークと結びついた時、デジタル化の本領が発揮され、あるいはその真の意味が発見されて、情報はメディア、紙やレコードやフィルムから解放された。

 火器は人間ないし他の動物を殺傷する以外の機能は無い。槍、弓矢、刀剣も同様だが、それらは象徴になりうる。火器は象徴にならない。徹底的に工業製品だからか。それだけに、テクノロジーの本質を他よりも剥出しにする。


 石川淳はまずは文庫で読んでいる。エッセイ、随筆については昨年ほぼ読みつくした。『森鷗外』など、あえて読まずにとってあるものもあるが、最初期から最晩年までを網羅する形で、重要なものは読めた。そこで今年は中短篇小説をあらためて読みだし、そしてこちらも文庫で読めるものは読みつくした。

 まず驚いたのはエッセイと小説がほとんど対極といっていいくらいに違うことである。エッセイは漢文とフランス文学とそして江戸文化の分厚く、強靭な教養そのままに、「最後の文人」の面目躍如である。

 中には『諸国畸人伝』のように、諧謔精神たっぷりに対象を選んでいるものもある。その書きぶりは堂々たるもので、あまりに正統的なので、あたしなどはかつがれていることにかなり後になるまで気がつかなかった。正統的な叙述がそもそもかつぐ手法であるわけだ。

 そういうものも含めて、表面的には江戸以来の日本語のエッセイ、随筆の王道をひき継ぐ。これはどう見ても文学、それも「純」をつけたり、ゴチックで強調したりすべき文学だ。このエッセイだけでも石川淳が近代日本文学の巨人の一人に数えられるのも無理はない、とすら思えてくる。

 ところが小説は様相がまるで違う。こちらはどう見ても、「異端」と呼ばれておかしくないものばかりだ。小説の王道どころではない。裏街道ですらない。道なき道をかき分けてゆく。石川淳の前に道はなく、石川淳の後ろに道が残る。後を追って辿る者はいそうにない道だ。石川に並べられるのは中井英夫であり、かれが「異端の作家」と呼んだ、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、さらには山田風太郎といった面々だ。小説だけとりだせば、石川淳に最も近い位置に今いるのは筒井康隆ないし円城塔だろう。あるいは川上弘美か。石川淳の中短篇が『新潮』とか『群像』とか『文學界』とか、あるいは『すばる』などの雑誌に発表されたというのは、どういう契機なのだろう。出世作『普賢』が芥川賞をとったからだろうか。というようなことまで思ってしまう。

 しかしまあ面白い。もちろん文庫に収録されるものは精選されているとはいえ、どれもこれも面白い。「おとしばなし」のシリーズのような、カルヴィーノやレムを髣髴とさせるホラ話。半村良の『産霊山秘録』を髣髴とさせる「八幡縁起」のような伝奇もの。あるいは「まぼろし車」のような純粋のホラー。この「まぼろし車」を菅野昭正ほどの読み巧者が完全に読みあやまっていたのは、別の意味で面白かった。そうすると石川淳のキャリア全体が壮大な詐欺に見えてくる。20世紀日本の文学界全体をまんまとかつぎおおせた大詐欺師・石川淳。むろん、その石川淳と、「最後の文人」である石川淳は矛盾しない。同時にその二つの相を持っていたのだ。

 来年は長篇を読む予定だ。『狂風記』だけは読んでいるが、これを石川の長篇の最高傑作と呼ぶのを、あたしはためらう。むしろ『至福千年』や『荒魂』に期待する。


 さてヴィクトリア・ゴダードである。この人について語るのは難しい。ゴダードの作品はかなり人を選ぶからだ。ハマる人はハマるけれども、そうでない人にとってはまったくのゴミにしか思えない性質の小説だ。それに、なぜ、自分がこれにハマるのか、いつも以上にわからない。



 ひとつだけ言えそうなのは、あたしがゴダードを読むのは、そこに希望が語られているからだろう、ということだ。単に希望を持ちましょうと言っているわけではない。脳天気に楽天的な話で希望を抱かせようとするわけでもない。読んでいると、希望が持てそうな気がしてくるのである。具体的にはたぶんそこがゴダードを読みつづける人と棄てる人を分けるのではないか。ゴダードを読んでいると湧いてくる希望の感覚を、なんでこんな感覚が湧いてくるのだといぶかりながらも、話から必然的に生まれてくるものとして認め、受け入れる人と、徹頭徹尾うさん臭いもの、認めてしまっては危ない罠として拒む人が分れるのではないか。

 だから、とにかく文句ない傑作だから読めと、たとえばアン・レッキーの Ancillary Justice 邦題『叛逆航路』を薦めるようにはゴダードを薦めるわけにはいかない。

 しかも、エントリー・ポイントとしてのお勧めも難しい。ベストのエントリー・ポイントが The Hands Of The Emeperor であることはファンの一致するところだが、これは30万語超、邦訳400字詰3,000枚の長篇だ。kindle で902、Apple Book で 1,317 というページ数である。しかも、その長さを実感する小説なのだ。抜群に面白いが、なかなか読みおわらず、読みおえたとき、ああ長かったと思えてしまう。長かった、でも面白かった。そして、もう一度読みたいと思えてくる。



 これだけではない。ゴダードの作品は登場人物など、様々な形でからみ合っていて、一通り読んで終りではなく、もう一度全部読みなおしたくなるのである。

 エントリー・ポイントの2番目の選択肢としては The Greenwing & Dart シリーズの1冊目 Stargazy Pie だが、このシリーズの本当の面白さは巻を追って深まるので、これだけ読んでも、何の話かよくわからないうらみがある。あえて言えば、これを読んでみて、続きを読んでもいい、読みたいと感じられたら脈があるかもしれない。



 中短篇は初期のものは後に長篇で確立するスタイルとは違う。近作は長篇の外伝が多いので、元の長篇を読んでいないと面白さがよくわからない。

 もう一度あえて言えば The Bride Of The Blue Wind は、これまでのゴダードの全作品の中であたしが一番好きなものではある。このノヴェラは語り口が他のものと異なり、Nine Worlds と作者が名づけた世界での神話を語る、ダンセイニを思わせるやや古風なもので、きりりと引きしまった見事な出来だ。登場人物たちも後の他の作品に、いろいろと姿を変えて出てくる。



 そしてこれが例外となる語り口、ゴダードの主要作品の語り口がまた問題だ。ひと言でいえば、のんびりしているのである。毎日の暮しの細々としたことをゆったりとしたテンポで語ってゆく。食べもの、ファッション、買物、子どもたち、ゴシップ、近所づきあい。派手な活劇だけでなく、その裏にあるはずの生活を描く。ヒーローたちが負わされた宿命を進んで担おうという気になるような生活である。

 その語りのテンポはおよそ現代風の、常に何かに追いかけられているようなペースと根本的に異なる。このテンポについてゆけるかどうか、そこまで遅くゆるめることができるかが、おそらくはゴダードを読む第一関門となろう。言いかえると、語る必要のあることのすべてを、必要なだけの時間をかけて語るという姿勢を認め、いくらでも時間をかけていいし、手間暇をかけて語ってもいい、と思えるかどうかである。

 もっともこの人はアクション・シーンが不得手なわけではない。アクション・シーンでもペースは変わらず、一つひとつのシーン、手順をていねいに追いながら、しかも緊迫感が漲る。すさまじいまでの早技がほとんど舞踏に見える。考えてみれば、これはかなりの力業だ。並の筆力ではこうはいかない。ゆっくりていねいに描写すれば、緊張感は犠牲になるのが普通だ。

 あたしはとにかくどハマりにハマった。今年いっぱいかけて、長篇 At The Feet Of The Sun と Nine Worlds ものではない短篇を一握り残して、読みおえた。The Hands Of The Emperor にはやはり感動した。そして、今のところ最新の長篇 Derring-Do For Beginners には夢中になった。新たなシリーズの第一作で、続きを読みたくてしかたがない。

 ゴダードは2014年以来現在までに総数33本の作品を発表している。
短篇 = 7
短中篇 ノヴェレット = 4
長中篇 ノヴェラ = 9
長篇 = 12
 この他に Discord のみで読める短篇が3本。これもあたしは読んでいない。

 来年はゴダードの再読をしながら、また別の人を試すことになろう。誰かにハマるか。Richard Swan か Fonda Lee か Kevin Hearne か。あるいはまったくの新人か。ニー・ヴォはハマりかけている。C. S. E. Cooney もいる。一方、ル・グィンをあらためて読みなおそうという気分もある。ライバーを読んでやろうかとも思う。そうだ、ビーグルもいる。

 と思っていたら、マイケル・ビショップの訃報を Locus の最新号で知る。とすれば、追悼の意味で読むとするか。(ゆ)

09月05日・月
 岩波文庫今月の新刊の1冊『サラゴサ手稿』上巻を注文。三分冊で完訳になる予定。今世紀に入って初めて全貌が明らかになったのだそうだ。Wikipedia によれば、フランス、ポーランド、スペイン、ロシアの図書館に散在していた、まったくの新発見も含むオリジナルのフランス語原稿を集め、突き合わせた批判校訂版が2006年に出ている。この記事によると、1804年版と1810年版の、それぞれ違う原稿があるそうな。この作品の全体像が世に出たのはこれが初めて。以前、東京創元社から完訳が出るという話があったが、いつの間にか立ち消えになっていた。とにかくこれの完訳が出るのはめでたい。

サラゴサ手稿 ((上)) (岩波文庫, 赤N519-1)
ヤン・ポトツキ
岩波書店
2022-09-17



%本日のグレイトフル・デッド
 09月05日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Rancho Olompali, Novato, CA
 月曜日。05月22日の再現? この「楽園」でのサマー・キャンプの打ち上げパーティー?

2. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
  水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。11ドル。開演7時半。
 見事なショウだそうだ。

3. 1982 Glen Helen Regional Park, Devore, CA
 日曜日。US Festival というイベント。17.50ドル。3日間通し券は37.50ドル。開演10時終演6時。
 「アス・フェスティヴァル」はこの年レイバー・デー週末と翌年春のメモリアル・デーすなわち5月末の2度開かれたイベント。一躍億万長者になった Apple 創業者の一人スティーヴ・ウォズニアクがビル・グレアムの協力を得て開催。設営費用はすべてウォズニアクが負担。この年は40万人、翌年は67万人を集めた。
 デッドは3日目のトップ・バッターで "Breakfast in Bed with the Grateful Dead!" と題された。第一部6曲、第二部8曲、アンコール2曲の、デッドとしては短かめのステージ。ちなみにその後はジェリー・ジェフ・ウォーカー、ジミー・バフェット、ジャクソン・ブラウン、トリはフリートウッド・マック。
 会場はロサンゼルスの東、サン・バーディーノ郡デヴォアの公園で、気温摂氏43度に達した。Bill Graham Presents のスタッフは不定期にバケツ一杯の氷を聴衆の上にぶちまけた。
 フェスティヴァルも3日目で、Robin Nixon が会場に着いた時には、酔っぱらってやかましく、他人の迷惑など考えない群衆で一杯だった。ほとんどはデッドのファンでもない。朝一番で出てきたデッドのメンバーもほとんどゾンビーで、つまらなくなくもない演奏。長いジャムなどは無し。何のために来たんだか、とニクソンは DeadBase XI で書いている。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演2時。チケットは「開演7時」と印刷されているのが黒く塗りつぶされ、「開演2時」と赤くスタンプが押されている。開演時刻が急遽変更になったか、チケット印刷の際のミスか。
 アンコールの〈Brokedown Palace〉が途中でぐだぐだになり、一度やめて打合せをしてから、あらためてやりなおすよと宣言して、今度はすばらしい演奏をした。

5. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 月曜日。このヴェニュー4本連続のランの3本目。開演7時半。
 水準は高いが、どこか吹っ切れない出来というところか。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来の、夏休み明けのショウ。
 〈China Doll〉の美しさがわかるショウだそうだ。(ゆ)

09月04日・日
 ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』を読む。うん十年前に買ったまま積読になっていた。読む時がようやく満ちたのだ。と思うことにしている。

 ローマ生まれのいたずら者の毒舌家ジャノッツォが気球に乗ってドイツの上を遊覧し、アルプスの手前で雷に打たれて墜落、死ぬ2週間の「航行日誌」。本文140ページの、長さから言えばノヴェラになる。パウルの作品としては短かい方だ。

 この本の成立は少々変わっている。パウルは畢生の大作『巨人』を1800年から4分冊で刊行する際、その各巻に付録を付ける。読者サーヴィスでもあり、また本篇では抑制した(ほんとかよ)脱線癖を発揮するためでもあった。その第二巻に付けられた二つの付録の片方がこの作品。もう片方は当時の文学、哲学への批判と、自作への批評に対する反駁のエッセイ。ということはこの小説と同じコインの片面をなすのだろう。

 1783年モンゴルフィエが気球で初めて上昇に成功。2年後の1785年、ブランシャールが気球で英仏海峡横断に成功。という時代。気球で旅をする話はこれが初めてではないが、気球によって地表の上を旅することがリアリティをもって書かれたのはおそらく初めてではないか。サイエンス・フィクションの歴史でジャン・パウルの名は見た覚えがないけれど、ここにはほとんどサイエンス・フィクションと呼べるシーンや叙述も出てくる。

 原題をまんま訳すと『気球船乗りジャノッツォの渡航日誌』。人が空を飛ぶのは始まったばかりで、それに関する用語はまだない。したがってパウルは気球を空飛ぶ船に見立てて、航海術の用語を使い、シャレもそれに従っている。そこで訳者は「気球船」と訳す。

 宇宙空間を飛ぶのをやはり我々は船が進むのに見立てている。実際は地表の上を飛ぶのとは違い、完全に三次元の動きになるから、新しい用語や表現が必要になるはずだ。たとえば、右舷、左舷だけでは足らなくなる。斜め45度への移動を呼ぶ用語も作らねばならない。航空術ではすでにあるのか。しかし惑星表面では惑星の重力が働くから上昇下降ですむが、上下のない宇宙空間の移動はまた別の話だ。

 閑話休題。ここではまだ空を飛ぶことすら新しい。城壁に囲まれた市街地に降りても、住人は相手が空から降りてきたことを理解できず、どの門から入ったのかと執拗に問いただしたりする。上空から見る、俯瞰するのは、当時大部分の人間にとってはまだ神の視点、目線だったはずだ。その作用を利用してもいる。ジャノッツォは神ではないが、有象無象でもない。一段上の存在になりうる。そうして上から見ることで見えてくる人間のばかばかしさを、ジャノッツォの口を借りて、パウルは縦横無尽に切りきざみ、叩きつぶす。

 「陽気なヴッツ先生」も同じだが、パウルの批判、嘲笑、痛罵には、自分もその対象に含んでいるところがある。ジャノッツォが怒りくるっているのは相手だけでなく、そういうやつらと否応なく関らねばならない自分にも怒っている。ように見える。絵を見ている自分もその絵に含まれるエッシャーの絵のような具合だ。高みにあって、地上からは一度切れた快感とともに、その地上にやはりつながれていることを自覚してもいる。自分だけは違う、などとは思わない。ジャン・ジャック・ルソーに心酔し、フランス語風に Jean Paul と名乗りながら、「ジャン・ポール」ではなく、ジャン・パウルと仏独混合読みされてきた、そう読ませるものが、その作品にある気がする。そしてそこが、自分のことは棚に上げてしまう凡俗とは一線を画して、パウルの批判、嘲笑、痛罵をより痛烈に、切実にしている。確かに直接の対象である同時代、18世紀末から19世紀初めのドイツの事情そのものはわからなくなっていても、パウルが剔抉している欠陥自体は時空を超えて、21世紀最初の四半世紀にも通底する。どころか、むしろますますひどくなってはいないか。ネット上でグローバルにつながりながら、一人ひとりは、昔ながらの、それこそ18世紀以来のローカルな狭い価値観にしがみつく俗物根性の塊のままではないか。

 ここにはまた地上では絶対に見られない美しさもある。第十一航。オークニーの南にいる、というのだから、いつの間にかここでは北海の上に出ているらしい。その海と空のあわいにあって、ジャノッツォの目に映る光景は、訳者も言うように一篇の散文詩だ。同時代のゲーテと違って、パウルは詩作はしなかったらしいが、散文による詩と呼べる文章は他にもいくつもある。こういう光景を想像でき、そしてそれを文章で表現することを開拓しているのだ、この人は。

  解説で訳者が指摘している著者の話術の効果として3番目の、語る者と語られるものの関係を多重化することで、作品世界とそこで起きていることにリアリティを与える、小説世界の独立性を確保することは、その後の小説の展開を先取りしているし、現代的ですらある。

 ゲーテの古典主義とは袂を別ち、ロマン派の先駆とみなされるのも当然と思われるあふれるばかりの想像力を備え、嵐のような譬喩を連ねて、時にはほとんどシュールレアリスムと呼びたくなるところまで行く。こういうのを読むと、ドイツ語もやっときゃよかった、と後悔する。

 とまれ、ジャン・パウルは読まねばならない。ドイツ文学史上の最も独創的なユーモア長篇作家、と訳者は呼ぶ。

ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉=訳, 現代思潮社/古典文庫10, 1967-10, 170pp.


%本日のグレイトフル・デッド
 09月04日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。3ドル?。チラシには「月曜夜の入場料はすべて3ドル」とあり、その前の週末の入場料は別のように見える。が、そちらの料金はどこにもない。前売料金無し。ちなみにこの前の金・土はジェファーソン・エアプレインがヘッドライナー。後の月曜日は Martha & the Vandellas がヘッドライナー。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。セット・リスト不明。
 デッドにとってこのヴェニューでの初のヘッドライナー。
 Martha & the Vandellas は1957年にデトロイトで結成された黒人女性コーラス・トリオ。1960年代、モータウンの Gordy レーベルから一連のヒットを出した。1967年以降は Martha Reeves & The Vandellas と名乗る。1972年解散。

2. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。11ドル。開演7時半。
 これも良いショウだそうだ。

4. 1980 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。
 第二部3曲目〈Supplication Jam〉からアンコール〈U.S. Blues〉までの10曲が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。

5. 1983 Park West Ski Area, Park City, UT
 日曜日。
 紫の煙をたなびかせながらパラシュートで会場に降りた男がいたそうな。
 ショウは見事。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来、夏休み明けのショウ。
 平均より上の出来の由。(ゆ)

09月03日・土
 今日は歯医者の定期点検。今日はヒマと見えて、先生が雑談する。夜のホメリのライヴまで時間があり、たまたま見つけた喫茶店、カフェではなく、昔ながらの喫茶店に籠もって読書。コーヒーは旨いが、タバコがフリーで二度とは来ない。こういう喫茶店は好きなのだが、タバコをフリーにしないと客が逃げてやっていけないのか。

 読んだのは岩波文庫版ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」。すばらしい。極端なまでの戯画化と思っていると、いつの間にか戯画のまま等身大の、愛すべき肖像になっている。ラストのヴッツ先生死去のシーンの美しさ。ほとんどファンタジィ、しかも書き手がファンタジィを意図しないのにファンタジィになっているところがいい。ジャン・パウルはやはり読まねばならん。

陽気なヴッツ先生 他一篇 (岩波文庫)
ジャン パウル
岩波書店
1991-03-18



 夜はホメリで梅田千晶さんと矢島絵里子さんのライヴ。昨日とはうって変わって、アイリッシュ抜き。ブルターニュ、スウェーデン、クレツマーとオリジナル。これまた極上のライヴ。これも別記。 


%本日のグレイトフル・デッド
 09月03日には1967年から1988年まで6本のショウをしている。公式リリースは5本、うち完全版2本。

1. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。"Russian River Rock Festival" と銘打たれたイベント。8曲のセット・リストがある。
 オープナー〈In The Midnight Hour〉が《Fallout From The Phil Zone》で、6曲目〈Viola Lee Blues〉が《The Golden Road》所収のファースト・アルバムのボーナス・トラックでリリースされた。
 《Fallout From The Phil Zone》のレシュのライナーによれば、聴衆は25人ほどだったが、全身全霊をこめて演奏した。なお、録音はモノーラル。

2. 1972 Folsom Field, University of Colorado, Boulder, CO
 日曜日。学生3.50ドル、一般4.50ドル。開場10時半、開演正午。雨天決行。ポスターには「5時間」の文字がある。
 第二部クローザー前の〈He’s Gone> The Other One> Wharf Rat〉が《Dick's Picks, Vol.36》でリリースされた。
 全体としてもすばらしいそうだ。

3. 1977 the Raceway Park, Englishtown, NJ
 土曜日。10ドル。開演2時。06月09日以来のショウ。ミッキー・ハートの交通事故による負傷で夏のツアーはキャンセルとなった。その「お詫び」のショウ。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドが前座。WNEW で放送された。10万とも15万とも言われる人が集まり、デッド単独としては最大の聴衆。前夜には数万人がゲート前に集まり、混乱を避けるため、午前3時にゲートが開かれた。もっとも DeadBase XI の Ken Kaufman によれば15万人の6分の1はマーシャル・タッカー・バンドがお目当てで、デッドが出る前に立ち去った。さらに MTB とデッドの間の時間に、女性が出産した。医療ヘリが飛んできて、場所をあけてくれとアナウンスが繰返された。終演後、親子ともに元気と発表された。
 デッドはこの後また3週間休んで、月末から秋のツアーに出る。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 15》でリリースされた。

4. 1980 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
 水曜日。10.50ドル。開演7時半。
 全体が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。
 〈Althea〉〈Candyman〉〈Hight Time〉〈He's Gone〉〈Black Peter〉〈Brokedown Palace〉と「哀しい」曲が集中したショウ。

5. 1985 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。14.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈The Music Never Stopped> Don't Ease Me In〉が2011年の、オープナー〈Feel Like A Stranger > They Love Each Other〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部オープナーが〈Cryptical Envelopment> The Other One> Cryptical Envelopment〉で、〈Cryptical Envelopment〉はこの年06月に13年ぶりに復活してこれが復活後5回目の演奏で最後でもある。
 〈Feel Like A Stranger〉、最後のコーラスでウィア、ガルシア、ミドランドが歌いかわすのが見事。

6. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 土曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。
 アンコールの2曲目、ショウの最後に〈Ripple〉が演奏されて聴衆は狂喜乱舞した。1981年10月16日以来で、デッドとしてはこれが最後の演奏。この時の演奏はガンで死のうとしていた若者のリクエストに答えたもの。(ゆ)

08月21日・日
 シュティフターがあまりに面白いので、買ってあるはずの本を探して、前に本を積んで普段アクセスできない奥になっている本棚を捜索。『晩夏』を除いて無事発見。ついでにいろいろ、探していた本が出てくる。ピーター・S・ビーグルの第2作品集 The Rhinoceros Who Quoted Nitzsche が見つかったのは嬉しい。よし、あらためて作品集を読むぞ。ストルガツキー兄弟の本も出てくる。読み返したかったデヴィッド・リンゼイの長篇第二作 The Haunted Woman も見つかる。これは『アークチュルスへの旅』とはうって変わって、ほとんど古典的な幽霊屋敷譚として始まりながら、どんどん逸脱していく傑作という記憶があるが、結末を忘れてしまっている。いやあ、読む本はほんとにキリがない。

 しかし『晩夏』はどこへ行った? こうなるとまた別の本棚を捜索せねばならぬ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月21日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。
 すばらしいショウのようだ。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の初日。
 ピークのこの年のベスト・ショウの呼び声が高い。
 〈Black-throated Winds〉の後でレシュが、ピグペンはヨーロッパでヘパティティスを貰ってきたので、半年間は野菜を食べる他は何もしてはいけないことになっている、と説明した。
 ここでの〈Dark Star〉は他に似たもののないユニークで無気味で不思議な演奏だと、ヘンリー・カイザーが DeadBase XI で書いている。これはおそらくかれのアルバム《Eternty Blue》のためのリサーチの一環だろう。このアルバムはデッドのカヴァー・アルバムでも出色の1枚。選曲も、参加ミュージシャンも面白い。〈Dark Star〉で〈A Love Supreme〉をはさむということをやっている。

3. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演7時半。
 第一部は古い曲中心。第二部はドラマーたちのソロで始まり、〈Uncle John's Band〉がほぼ第二部全体をはさむ。アンコールに〈Albama Getaway〉というのも珍しく、すばらしいショウだそうだ。

4. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。
 オープナーが〈Cassidy〉は珍しい。ので、これも良いショウのようだ。

5. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。06月26日以来、ほぼ2ヶ月ぶりのショウ。26ドル。開演2時。
 インディゴ・ガールズ前座。第二部4曲目〈Truckin'〉から〈Good Morning Little Schoolgirl > Smokestack Lightnin'〉、drums> space 後の〈The Last Time〉まで、ヒューイ・ルイスがハーモニカで参加。
 ヴェニューも、ユージーンの街もデッドとデッドヘッドに良い環境を提供し、ショウはすばらしいものになった。
 母親に連れられてきていた幼ない女の子にもガルシアは好ましい印象を与えたらしい。(ゆ)

08月20日・土
 文庫棚の整理をしていて出てきた岩波文庫のシュティフター『森の小道・二人の姉妹』をふと読みだしたら止まらなくなって、「森の小道」を一気読みしてしまう。これはいいノヴェラだ。甘いといえば甘いのだが、どこにも無理がない。語りそのものも、語られている人間たちとそのふるまいも、まったく自然に流れる。現実はこんなもんじゃない、などというのは野暮に思えてくる。こういうことがあってもいいじゃないか。

森の小道・二人の姉妹 (岩波文庫)
シュティフター
岩波書店
2003-02-14



 シュティフターは昔出ていた作品集も有名な『晩夏』も買ってあるが、例によって積読で本棚の奥に埋もれている。これは掘り出さないわけにはいかない。

 なぜかドイツ語の小説が読みたくなる。それも長いやつ。ムージル、ブロッホ、ヤーン、マン兄弟、ヨーンゾン。それにジャン・パウル。『巨人』はどういうわけか地元の図書館にあって、読みかけたことがある。なるほどマーラーの曲はこの通りだと思えるほど、なかなか話が始まらないので、その時は落っこちたが、今なら読めそうだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月20日には1966年から1987年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演ソプウィス・キャメル。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。3ドル。共演カイレイドスコープ、アルバート・コリンズ。セット・リスト不明。
 ポスターによればコリンズは同じヴェニューの直前16〜18日の3日間、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、イッツ・ア・ビューティフル・デイのランにも出ている。

3. 1969 Aqua Theater, Seattle, WA
 水曜日。1時間半強、一本勝負のテープが残っている。アウズレィ・スタンリィのマスター・テープに "8/21/69" とあるために DeadBase 50 でも21日とされているが、ポスターでは20日になっている、として DeadLists では20日にしているので、それに従う。
 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Sanpaku 共演。
 7曲目〈New Minglewood Blues〉から次の〈China Cat Sunflower〉とそれに続くジャムにチャールズ・ロイドがフルートで参加。
 2曲目で〈Easy Wind〉がデビュー。ロバート・ハンターの作詞作曲。ピグペンの持ち歌で、1971年04月04日まで45回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》所収。ハンター自身のアルバムでは《Live '85》所収。途中でテンポが急激に変わるユニークな構造。
 Sanpaku の名前は日本語の「三白眼」の「三白」から来ていると思われるが、詳細不明。言葉そのものは1960年代半ばに英語に取り入れられているそうだ。

4. 1972 San Jose Civic Auditorium, San Jose, CA
 日曜日。
 ここも名演、力演、熱演を生むヴェニューで、このショウも見事だそうだ。

5. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。

6. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。学生12.50、一般13.50ドル。開演2時。
 全体に熱いショウの由。デッドは大学で演るのが好きらしい。多目的ホールでも、ここやグリーク・シアターのような立派なところでも、選り好みはしない。

7. 1987 Park West Ski Area, Park City, UT
 木曜日。16.25ドル。
 ユタ州では1969年04月12日から1995年02月21日まで9本のショウをしていて、いずれも外れはないという。このショウも目を瞠る出来だそうだ。(ゆ)

08月15日・月
 ワシーリー・グロスマンの Stalingrad 着。1,000ページ超。

Stalingrad (English Edition)
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11



 序文と後記によると、これは For A Just Cause(むろんそういう意味のロシア語のタイトル)として1954年にソ連で初版が出た本の英訳。だが、この本は当時の検閲を通るため、大幅な削除がされている。後、二度、再刊され、最後の1956年版はフルシチョフによる「雪解け」期に出たため、削られたものがかなり復活している。

 モスクワのアーカイヴには手書き、タイプ、ゲラの形のテキストが9つある。このうち第三版がかなりきれいなタイプ原稿で、手書きの訂正が入っている。分量からしても、最も完全に近い。以後の版では第五版と第九版に新たな要素がある。

 この英訳版は1956年の刊本をベースに、プロットはそれに従いながら、第三版のタイプ原稿から追補した。ただし、そっくり全部ではない。この本と『人生と運命』は本来1本の作品として構想されていた。1956年版が終っているところから『人生と運命』が始まる。原稿第三版には『人生と運命』と1本とみた場合に、プロットに違背する部分がいくつかある。その部分を外した。

 本文の決定は訳者の一人 Robert Chandler とグロスマンの最新の伝記の著者の一人 Yury Bit-Yunan があたった。ロシア語の校訂版が存在しない現時点での最良のテキストを用意するよう努めた。

 ロバート・チャンドラーは序文で、本書刊行本の成立事情を解説している。この小説はもちろんグロスマン自身のスターリングラード体験が土台になっているが、執筆の動機としてはむしろ外からの、それもスターリン政権から暗黙のうちに示されたものだった。この独ソ戦はソ連にとってまず何よりもナポレオン戦争の再現だった。だから戦争遂行のため、『戦争と平和』が利用される。実際、スターリングラードでロシア軍の最も重要な指揮官も『戦争と平和』に頼った。ロディムツェフはこれを3回読んだ。チュイコフは作中の将軍たちのふるまいを己のふるまいの基準とした。
 そして戦後にあって、この勝利を永遠のものとするような小説作品、20世紀の『戦争と平和』を政権は手に入れようとする。グロスマンはトルストイに挑戦することに奮いたったのだ。

 グロスマン自身、戦争の全期間を通じて、読むことができたのは『戦争と平和』だけだった、と述懐している。これを二度読んだという。スターリングラードの戦場から娘にあてた手紙にも書く。
「爆撃。砲撃。地獄の轟音。本なんて読めたもんじゃない。『戦争と平和』以外の本は読めたもんじゃない」

 政権は自分に都合のよいヴァージョンを得ようとして、グロスマンに原稿を「改訂」させようとする。一方で、グロスマンはスターリン政権末期のユダヤ人弾圧の標的にもされる。For A Just Cause として本篇がまがりなりにも刊行されたのは、ひとえにスターリンが死んだからだ。

 こうなると、『戦争と平和』も読まねばならない。あれも初めの方で何度も挫折している。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月15日には1971年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 非常に良いショウだそうだ。
 デッドヘッドのすべてがバンドと一緒にツアーしていたわけではなく、地元に来ると見に行く、という人たちも当然いた。むしろ、その方が多かっただろう。
 ヴェニューはバークリー高校の敷地内にある。収容人員3,500弱。この時期、ビル・グレアムがフィルモアと並んでここを根城にコンサートを開いている。デッドの2週間前がロッド・スチュワート付きフェイセズ、デッドの翌週末がスティーヴン・スティルス。その週はさらにフランク・ザッパ、プロコル・ハルム、そして9月半ばにレッド・ツェッペリン。とポスターにはある。

2. 1981 Memorial Coliseum, Portland, OR
 土曜日。北西部3日間の中日。10ドル。開演7時半。
 充実したホットなショウの由。

3. 1987 Town Park, Telluride, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。20ドル。開演2時。Olatunji and the Drums of Passion 前座。KOTO FM で放送された。オラトゥンジのバンドは前座だけでなく、コンサートに先立って、メインストリートを太鼓を叩きながら練りあるいた。
 ここはジャズとブルーグラスのフェスティヴァルで有名なところだが、音楽を味わうにふさわしい環境の場所らしい。デッドの音楽は、たとえばキース・ジャレットのピアノ・ソロのように、演奏される場、場所を反映する。シスコとニューヨークでは、その音楽は同じだが違う。ここでもやはり違っていたようだ。こういうショウはその場にいて初めて全体像が把握できるのだろう。後で音だけ聴くのではやはり届かないところがある。
 一方で、すべての現場に居合わせるわけにもいかない。ソローが歩きまわった場所に今行っても、同じ光景は見られない。しかしソローが歩きまわったその記録を読んで疑似体験することはできる。(ゆ)

08月14日・日
 公民館に往復。本を3冊返却、4冊受け取り。借りた本はいずれも他の図書館からの借用なので、2週間で返さねばならない。家人が横浜市内に勤めていたときには、横浜市立図書館から借りられたので、自前でまかなえたから延長できた。県立から借りたのが一度あったくらいだ。『宮崎市定全集』全巻読破できたのも、そのおかげだった。厚木はビンボーで、図書館蔵書も少ない。

 ワシーリー・グロスマンの『システィーナの聖母』は茅ヶ崎市立図書館から。所収のアルメニア紀行を確認するため。これは後3分の1ほどを占める。ということで買うことにしよう。が、NYRB 版は NYRB original で、160ページあるから、邦訳よりは分量がありそうだ。英訳も買うか。グロスマンの本としては The People Immortal も邦訳されていない。『人生と運命』の前にあたるのが Stalinglad で、The People Immortal が扱うのはさらに前のバルバロッサ作戦酣で赤軍が敗走している時期だそうだ。そこで、いかなる手段を用いてもナチス・ドイツ軍の進攻を止めろと命じられたある師団の話、らしい。

システィーナの聖母――ワシーリー・グロスマン後期作品集
ワシーリー・グロスマン
みすず書房
2015-05-26

 
Stalingrad
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11

 
The People Immortal
Grossman, Vasily
MacLehose Press
2022-08-18



 アンソロジー『フィクション論への誘い』は横浜市立図書館から。師茂樹氏のエッセイを読むため。プロレスについて書いている。一読、こよなく愛するファンであることがひしひしと伝わってくる。
 プロレスにまつわる記憶では、学生の時、なぜか高田馬場で友人とたまたま夕飯を食べに入った食堂のテレビで、猪木の試合を中継していた。見るともなしに見ていると、いかにもプロレスと思われるまったりとした進行だったのが、ある時点で猪木が「怒る」ことでがらりと変わった。中継のアナウンサーが「猪木、怒った、怒った」と、いかにもこれはヤバいという口調になった。つまりヒールの反則が過ぎたのに猪木が怒った、というシナリオ(「ブック」と呼ばれるそうだ)だったのだろう、と後で思いついたのだが、その時の猪木の変身、本気で怒っている様子、それによる圧倒的な強さは見ていてまことに面白いものだった。後でああいう台本だろうと思ってはみたものの、その瞬間はいかにも猪木が怒りのあまり、そうした打合せや台本を忘れはてて、本気を出しているとしか見えなかった。師氏がここで言うように、本当に思わず本気で怒ってしまったのかどうか、わからないところはまた面白いが、あの猪木の変身ぶりは、プロレスも面白くなるものだ、というポジティヴな印象を残した。猪木といえば、河内音頭の〈アントニオ猪木一代記〉が真先に出てくるのだが、その次にはあの時の印象が湧いてくる。

 ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』上下は鎌倉市立図書館から。第三部『エピローグ』をカットした形。訳者の紹介によればカットするのも無理は無いとは思われる。これもまた未完なのだ。完成しないのは20世紀文学の宿命か。プルーストもムージルもカフカも未完。『鉛の夜』に使われた部分もある由。この上下を2週間では読めないから、買うしかないな。

岸辺なき流れ 上
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28


岸辺なき流れ 下
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28



%本日のグレイトフル・デッド
 08月14日には1971年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 アンコールの1曲目〈Johnny B. Goode〉の前にデヴィッド・クロスビーのために〈ハッピー・バースディ〉が演奏された。これと続く〈Uncle John's Band〉の2曲のアンコールにクロスビー参加。
 オープナーの〈Bertha〉が《Huckleberry Jam》のタイトルの1997年の CD でリリースされた。限定2万枚でベイエリア限定販売。1960年代末にアメリカで最初の家出少年少女のための避難所としてオープンされた Huckleberry House の資金援助のためのベネフィットCD。

2. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.35ドル。開演7時。
 第一部6曲目で〈Easy To Love You〉がデビュー。ジョン・ペリィ・バーロゥ作詞、ブレント・ミドランド作曲。1980年09月03日で一度レパートリィから落ち、1990年03月15日に復活して1990年07月06日まで、計45回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。ミドランドの曲でデッドのレパートリィに入った最初の曲。バーロゥとの共作としても最初。演奏回数では〈Far from Me〉の73回に次ぐ。
 この初演ではウィアがほぼ同時に〈Me and My Uncle〉を始める。ウィアは第二部2曲目〈Ship of Fools〉でも〈Lost Sailor〉を歌いだすので、おそらくは意図的、少なくとも2度目は意図的ではないか、という話もある。
 ショウ全体は良い出来。

3. 1981 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 金曜日。この日がシアトル、翌日ポートランド、その次の日ユージーンと、北西部3日間の初日。9.50ドル。開演7時。
 第二部で4曲目〈Playing In The Band〉の後の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がとんでもなく速かった。

4. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。22.50ドル。開演7時。
 第二部が始まるとともに霧が立ちこめて、そのため第二部は〈Cold Rain And Snow〉〈Box Of Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いたので、聴衆は大喜び。さらに〈Crazy Finger〉をはさんで〈Estimated Prophet〉でウィアが "I'll call down thunder and speak the same" と歌うのと同時に、ステージの遙か後方のシエラ・ネヴァダの麓の丘の上で稲妻が光った。(ゆ)

08月13日・土
 Yiyun Li の新作 The Book Of Goose。FSG のニュースレターから PW のレヴューを読む。1996年、中国からアメリカに移住。ウィキペディアに記事があり、邦訳も5冊ある。エリザベス・ボゥエンが書評している第2次大戦後にフランスでいっとき流行った十代の著者による小説の1本に引っかかり、この本にまつわる話をネタとして書いた架空の歴史小説。ボゥエンが評した実在の本の著者の少女は文盲であることが後に判明する。リーの小説ではこれを巧妙にアレンジしている。面白そうだ。完全に第二言語で小説を書く、という点ではコンラッドの後継の一人。ユキミ・オガワもそうだな。

The Book of Goose: A Novel (English Edition)
Li, Yiyun
Farrar, Straus and Giroux
2022-09-20

 

 八木詠美の『空芯手帳』が Diary Of A Void として英訳されたのも PW の starred review にある。原書は筑摩で各国語版の版権がどんどん売れているらしい。いろいろな意味で国境は薄れている。


 
空芯手帳
八木 詠美
筑摩書房
2020-12-02



%本日のグレイトフル・デッド
 08月13日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 West Park, Ann Arbor, MI
 日曜日。午後のショウで、あるいはフリー・コンサートか。詳細、セット・リスト不明。

3. 1975 The Great American Music Hall, San Francisco, CA
 開演9時。この年4本だけ行なったグレイトフル・デッドとしてのショウの3本目。少数の招待客を相手に、翌月リリースの新譜《Blues For Allah》の全曲を演奏した。曲順はアルバム通りではなく、全体に散らされた。〈King Solomon's Marbles〉は第一部クローザー、〈Blues for Allah〉が第二部クローザー。
 全体が《One From The Vault》でリリースされた。このアーカイブ・リリースはショウの全体が丸々公式にリリースされた初めてのもの。
 FM放送されたため、早くからブートレグがあり、テープも広く出回っていた。
 第一部4曲目で〈The Music Never Stopped〉がデビュー。
 バーロゥ&ウィアの曲で、1995年06月28日まで233回演奏。演奏回数順では58位。〈Dark Star〉より3回少なく、〈Dire Wolf〉より6回多い。タイトル通り、デッドの音楽は止まらないことを象徴する1曲で、セットやショウのクローザーまたはオープナーになることが多い。
 デッドの曲はまずライヴでデビューして最低でも1、2年は揉まれてからスタジオ盤に入ることが多いが、これは珍しく、レコードのために書かれている。
 《Blues For Allah》全体が、白紙状態でスタジオに入ってから曲を作るという手法で制作されたので、このアルバムの曲はどれもライヴで練られてはいない。そのせいか、レパートリィに残った曲も他のレコードに比べて少ない。
 オープナーの〈Help on the Way〉はヴォーカル入りではこれが初演。
 ヴェニューは収容人員470のコンサート・ホール。元は1907年に建てられたホールで Blanco's という名称。一時、Misic Box と呼ばれた。1972年、改修されてこの名前になる。ロックだけではなく、ジャズ、フォーク、カントリー、レヴュー、バーレスクなど演し物は幅広い。当初はジャズが多かった。この日デッドとして出る前にガルシアはマール・ソーンダースやリージョン・オヴ・メアリ、ジェリィ・ガルシア・バンドでも出ている。

4. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.35ドル。開演7時。
 レッド・ロックスで3日間の予定だったが、雨が降りやまず、使えなくなって会場が変更になった。
 アンコール〈Sugar Magnolia〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

5. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。17ドル。開演7時。
 珍しくもアンコールに3曲。

6. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。22.50ドル。開演7時。
 出来は良いようだ。一度は聴く価値があるとのこと。(ゆ)

07月19日・火
 終日、雨が降ったり止んだり。雨雲レーダーでみると、相模湾のあたりに黄色や赤の雲の帯が東西に伸びている。東は房総、三浦両半島の半ば、西は伊豆半島の付け根のあたりが覆われている。雨は強くなく、スポーツセンターのテニスコートでは、遊んでいる人たちも何組かいるくらいだが、こういう雨は歩くととりわけ速歩の時に顔に当るので歩きたくはない。郵便局と公民館への往復に止める。それだけで汗びっしょり。

 公民館で1冊だけなぜか遅れていた井上ひさし『四千万歩の男』講談社文庫版第一巻を受け取る。これでようやく読みだせる。2008年04月、初代 Apple Watch を手に入れてつけだした記録で、今月初め、2,900万歩にこぎつけた。3,000万歩は順調にいけば10月半ば。4,000万歩は順調にいけば2026年。計測開始から18年。伊能忠敬は4,000万歩を17年で歩いている。1日平均6,443歩。そう多くもなさそうだが、忠敬は二歩一間で距離を測りながら歩いているし、いたるところで測量してもいる。




 井上はこの忠敬の行為を愚直な意志のおかげとするが、人間、意志だけでこんなことはできない。こうすることが何らかの形で忠敬には歓びだったはずだ。愉しかったはずだ。かつての国内の国鉄路線全線乗車をした宮脇俊三に通じるところもある。井上も対象に倣って愚直に書いたというが、忠敬の細かい日常の一挙手一投足を書くことが愉しくなっていったにちがいない。いくら恰好の資料があるといっても、愉しくなければ、こんなに長くは書けまい。『四千万歩の男』は文庫版どれも600ページ超、5冊で3,200ページを超える、日本語では珍しい部類の長篇。井上の作品としても最長だろう。

 文庫版第五巻巻末に著者自筆年譜がある。1977=昭和52年02月、著者43歳までのものではあるが、たいへんに面白い。続きがどこかにあるならぜひ読みたい。誕生ののっけから面白いが、最高なのは、1974=昭和49年04月「日本亭主図鑑」をめぐる騒動。
 「ワイセツ罪で逮捕されたストリッパーと共闘もできずに、なにが女権論者か」という著者の問いに対してここでいう「女権論者」も答えているはずで、その答えは知りたい。
 一方で、「女性にとって男性は対立物である、と考えるのは浅はかな二元論である。むしろ、世の中は、"賃金を払うもの" と "賃金をもらうもの" とに分かれていることに早く気づき、ともに手をたずさえて、"賃金を払うもの"と対抗しようではないか」という著者の訴えはまことに理にかなっているのだが、一点、見逃しているところがある。われらが国の男性は女性を前にすると、自分は "賃金を払うもの" であると思いこむ習性がある。この反応は後天的なものではあるかもしれないが、幼少時から刷りこまれているので、その根っ子はほとんど先天的な深さにまで達している。男性自身、そう反応していることを自覚しない。あなたも "賃金をもらうもの" ではないかと指摘すると、バカにするのかとキレたりもする。女性たちはそのことを嫌というほど思い知らされている。その男性からそんな呼びかけをされても、信用するわけにはいかない、と思うのは無理もない。

 男性のその習性になぜ井上は気づかず、あたしは気づいているのか。それが年の功というものだろう。人間年をとると、性による違いが小さくなる。ともに無性に近づく。すると自分の若い頃の男性としてのふるまいが少しは客観的に見えてくる。井上も晩年にはわかっていたはずだ。

 まあ、このことについては「日本亭主図鑑」を読んで、井上が上記の訴えをどのような形でしているか、確認してからにしよう。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月19日には1974年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは4本、うち完全版2本。

0. Keith Godchaux Born
 1948年のこの日、キース・ガチョーがシアトルに生まれる。1980年07月23日、マリン郡で交通事故で死去。
 1971年09月にバンドに参加。ピアノ、キーボード担当。同年10月19日ミネアポリスで初ステージ。1979年02月17日を最後のステージとしてバンドを離脱。

  グレイトフル・デッドの音楽は歴代の鍵盤奏者によって性格が決定される。初代ピグペンではブルーズ・ロックが基調だったものが、キースによってより幅の広い、多彩なものとなり、他のいかなるロック・バンドからも際立つグレイトフル・デッド・サウンドを形成する。ブルーズが全く消えるわけではないが、深く埋め込まれてほとんどそれとはわからなくなり、代わってカントリーとロックンロール、それにジャズが基調となる。

 ガルシアは偉大なプライム・ムーヴァー、第一発動者ではあったが、そうあり続けるために、自分の投げたものを受け止め、投げ返す相手を必要とした。ウィア、レシュ、クロイツマン、ハートは各々に重要な相手ではあったが、ガルシアが最も頼りにしていたのは鍵盤奏者である、というのがあたしの見立てだ。鍵盤奏者の出来如何によってその日のガルシアの調子が決まると言ってもいいくらいだ。他のメンバーの演奏にももちろん耳は傾けていたが、ガルシアのギター、とりわけそのソロは、鍵盤との対話だ。この形を開発し、展開してゆく、その相手がキースだった。ピグペンとの間ではそういう対話がまず無い。ピグペン時代のガルシアのソロは、鍵盤が相手ではなく、ウィアやレシュ、ドラマーたちに投げかけている。キースが登場するにいたって、ガルシアはインスピレーションを引き出すきっかけとして、キースの演奏を使うようになる。あるいは霊感の湧き出し方を測る物差し、さらには落ちないための支えともしてゆく。そして鍵盤奏者に頼るこの形は最後まで続くことになった。デッドに鍵盤奏者が必須だったのは、誰よりもガルシアが鍵盤奏者を必要としていたためである。

 ガルシアがなぜ鍵盤奏者をソロの相手にしたか。1970年から Howard Wales, 続いて Merl Saunders と出会い、セッションをしたことがきっかけかもしれない。あるいは元々ガルシアには鍵盤奏者への嗜好があって、そうしたセッションを始めたのかもしれない。ソーンダースとの演奏をするようになって、ガルシアのギターは変わる。ソーンダースに「音楽」を教えられたことをガルシアは回想している。ギター・ソロを導き出す役割をデッドの中の鍵盤奏者に求める時、ピグペンでは役不足だったのだ。というよりも、ピグペンのオルガン演奏を形成するものは、すでにガルシアの中にもあるので、対話にならなかったのだろう。対話の相手になるには、自分の中には無いものが相手に有る必要があった。

 キースの演奏の水準は参加直後の1972年のヨーロッパ・ツアーと1976年夏の復帰直後をピークとする。後者では複数の曲でソロをとってもいて、かなり良い。それが1978年になって急転直下したようにみえる。かれのソロが必ず入る〈Big River〉を年代順に聴いてゆくと、78年の後半からが深刻だ。デッドのように毎回、違うことをするというのは、もちろん容易なことではない。楽曲でソロをとる場合、創造性がモロに問われる。ガルシアのギター・ソロの変化はその意味では驚異的だ。それは才能だけではなく、自分の中の蓄積を絶えず補給すること、つまりインプットに努めていたことを意味する。ガルシアは音楽はおそろしく幅広いものを聴いていたし、映画も見たし、本も読んだ。あらゆる形で常にインプットしていた。キースの場合、そうしたインプットが不足していったのだろう。そうすると出るものも凡庸になるし、変化も小さくなる。デッドにあって、そういうことは逆に目立つ。当然自覚されたはずで、それを補うために、キースがとった一つの方策がガルシアのソロをコピーすることだった。当然これはガルシアが最も嫌がることだ。そうした音楽の上での不調はプライヴェートにも反映したのだろう。ドナとの関係も破綻してゆき、それがまたバンド活動に悪影響を及ぼしている。結局、1979年初頭、話合いの結果、ガチョー夫妻がそろってバンドを離れることに一同合意する。

 キースにはいくつか好きなレパートリィがあったようだ。デッドの他のメンバーはあまり好き嫌いは出さない、というより嫌いなものは演奏しないが、キースの演奏には嫌いなものは出なくても、好きなところは出る時がある。〈Cassidy〉〈Friend of the Devil〉や〈Scarlet Begonias〉〈Help On The Way〉が代表的で、これらの曲での演奏はほぼ常に活き活きしている。〈Playing in the Band〉 は好みだが 〈Dark Star〉 は得意ではない。ロックンロールの曲でかれのピアノがソロをとることが多いが、あまり好きではないように聞える。


1. 1974, Selland Arena, Fresno, CA
 金曜日。夏のツアー後半のレグのスタート。08月06日ルーズヴェルト・スタジアムまでの9本。
 第二部、レシュとネッド・ラギンの〈Seastones〉後半にガルシア参加。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 17》でリリースされた。
 とりわけ、第二部〈Weather Report Suite〉から〈Eyes Of The World〉へのジャムが異常なまでに良い。

2. 1987 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。20ドル。開演2時。ディランとのツアーの一環。一部、二部、デッド。三部がデッドをバックにしたディラン。
 第三部10曲目〈Queen Jane Approximately〉が《Dylan & The Dead》でリリースされた。
 第三部オープナーで〈Maggie's Farm〉がデビュー。デッドはディラン抜きでもこの年その後数回演奏し、1990年10月に復活させて、1995年04月05日まで計43回演奏。デッドでのヴォーカルはウィア。スタジオ盤収録無し。原曲は1965年の《Bringing It All Back Home》所収。
 〈Queen Jane Approximately〉かなりゆったりとしたテンポ。コーラスはガルシアとミドランド。最後、ディランはコーラスを歌わず、ガルシアとミドランドだけ、小さく繰返すのがかわいい。ディランもノッている。

1989, Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 第二部オープナー〈Box of Rain〉が《Fallout From The Phil Zone》で、第一部クローザーへの3曲〈West L.A. Fadeaway; Desolation Row> Deal〉が《Downhill From Here》で(動画のみ)、第二部2曲目の〈Foolish Heart〉が《Beyond Description》所収の《Built To Last》のボーナス・トラックで、リリースされた。
 〈Box of Rain〉〈Foolish Heart〉どちらも力演。
 前者では "box of rain" のフレーズの入る行をウィアとミドランドがコーラスを合わせるのが良い。レシュはそこはコーラスに任せる。
 後者はすばらしい演奏。ガルシアも熱唱するし、後半のジャムが最高。ミドランドがシンセサイザーで素早いパッセージを連発する。この曲はミドランドあってのものという気がしてくる。
 いずれ全体を出して欲しい。

1990 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 木曜日。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 2曲目〈They Love Each Other〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、アンコール〈U.S. Blues〉を除く全体が《Dave's Picks, Vol. 40》で、その〈U.S. Blues〉が《Dave's Pick, Vol. 41》でリリースされた。
 のっけから前日より良いとわかる。オープナー〈Jack Straw〉の間奏でのガルシアのギター。もっとも、前日の方が良いという人もいる。とまれ、この2日間はミドランド・デッドの最後の輝きとして、繰返し聴かれるに値する。

1994 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 火曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 第一部4・5曲目〈Big River> Maggie's Farm〉でウィアがアコースティック・ギター。
 可もなく不可もないショウらしい。(ゆ)

07月05日・火
 楽天の月初めのポイント5倍デーとて、山村修の謡曲にまつわるエッセイ、J. M. Miro の Ordinary Monsters 電子本、それに珈琲豆など必需品をあれこれ注文。

 (ここに楽天のアフィリエイトのリンクを貼ろうとしたが、手続きが難しすぎてよくわからん)


%本日のグレイトフル・デッド
 07月05日には1969年から1995年まで、4本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演バディ・マイルズ・エクスプレス。
 前日は一本勝負だが、この日は2セットに分けたらしい。

2. 1978 Omaha Civic Auditorium, Omaha, NE
 水曜日。
 《JULY 1978: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。

3. 1981 Zoo Amphitheatre, Oklahoma City, OK
 日曜日。第二部11曲目〈Stella Blue〉が《Long Strange Trip》サウンドトラックでリリースされた。
 ガルシアの声が少し掠れている。これくらいの方がこの歌にはふさわしいとも思える。いつもより少しドライに、言葉を投げだすように歌う。ギターは積極的に、三連符での上昇下降を繰返す。哀しみと諦観が同居しているようでもあるが、その両者の間に関係が無い。諦観というよりは、ついに届かないことを承知しながらも、試みずにはいられない、そのこと自体を我が身に引受ける姿勢、だろうか。それが哀しいのではなく、その背後にある人間存在そのものへの悲哀に聞える。この歌に名演は多いが、これは3本の指に入る。

Long Strange Trip (Motion Picture Soundtrack)
Grateful Dead グレートフルデッド
Rhino
2017-06-08



4. 1995 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。28.50ドル。開演7時。
 第一部6曲目、クローザー前〈El Paso〉でウィアはアコースティック・ギター。
 残りこれを含めて4本。このショウが最後となった曲が多数ある。
 ディア・クリークでの件を受けて、駐車場に入るところでチケットの有無をチェックされた。チケットを持っている人びとは不便さを受け入れた。
 ショウの後、大雨が降りだし、バルコニーないし納屋がキャンプ場の上に崩れおちた。(ゆ)

 Washington Post Book Club のミュースレターで Amanda Gorman の詩を訳すことが白人にできるか、という議論が持ち上がっているという話。カタラン語の訳者ははずされ、オランダ語の訳者は辞任したという。翻訳という仕事の性質を理解しない行き過ぎ。あまりにアメリカ的発想。Washington Post も "weird" と言っている。中東、トルコまで含めたアジア諸国はどうなるのだ。アラビア語はいるかもしれないが、ペルシャ語や北欧の諸言語はどうだ。文芸翻訳は専門家ではだめなのだ。母語話者である必要がある。詩の翻訳となればなおさらだ。詩の翻訳が可能か、あるいはどこまでいけば翻訳として認められるかは、また別の問題。

 夜、ローベルト・ヴァルザー『ヤーコプ・フォン・グンテン』読了。凄え。傑作とか名作とか、そんな枠組みは超えている。こいつは英訳でも読んでみよう。記録を見たら、なんと1991年に読んでいた。完全に忘れていた。筑摩の『ローベルト・ヴァルザーの小さな世界』でヴァルザーに最初に夢中になった時らしい。当時、他に邦訳はこれしかなかった。当然、眼のつけ所も感応するところも異なる。今の方がよりヴィヴィッドに、切実に迫ってくる。

 今回まず連想したのはマンの『魔の山』だった。どちらも閉鎖空間にたまたま入りこんだ、ほとんど迷いこんだ人物に、入ったことで自らの新たな位相が現われ、その空間を通じて世界と向き合う。そこに映しだされる世界像に読者は向き合うことになるのだが、ヴァルザーの世界像は平面ではなく、読む者の内面に浸食し、やがて読者の世界をも覆いつくす。そしてその世界は徹底的におぞましく、それ故に蠱惑に満ちる。

 どこかに着地しそうでしない文章。通常の価値判断のことごとく逆手をとる態度。人間らしく生きることが、この上なく非人間的な人間を生みだす人間の「原罪」を読む者はつきつけられる。冷徹に観察されて、美しい文章で描かれた、その原罪がごろんと目の前にころがされる。

 マンの『魔の山』は19世紀までの、第一次世界大戦で滅ぶことになる世界、人間は自分のやることをコントロールできると信じられた世界を提示する。ヴァルザーが見ているのは、カフカの『城』が建つ世界であり、竜のグリオールが横たわる世界であり、夜空に燐光が明滅して電波受信がロシアン・ルーレットになった世界のもう一つの顔だ。この世界はつい先日読んだ山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』の世界にもつながっており、文章の気息、着地しそうでしない叙述も共通する。一つひとつは短かい断片を重ねてゆくスタイルも同じだ。

 ヴァルザーの場合、マンのような息長く、読む者を引きずるように長く話を続けることはできなかったらしい。結局3冊めのこれが最後の長篇となり、他はすべてごく短かい。ショートショートと呼ぶにはオチがない。もともとオチを期待するような話ではなく、デビュー作である『フリッツ・コッハーの作文集』にある「作文」というのが一番近いようだ。とにかく、ヴァルザーは読めるものは全部読まねばならない。

ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2013-05-31


が発表になっている。

 Locus 執筆陣はじめ、編集者、書評家、ブロガー、批評家など、主に読みのプロのグループ約40名の合意によるリストだ。900を超えるタイトルから、サイエンス・フィクション、ファンタジィ、ホラー各々の長篇、デビュー長篇、ヤング・アダルト長篇、短篇集、アンソロジー、ノンフィクション、画集・アートブック、それにノヴェラ、ノヴェレット、ショートストーリィの部門で、各々20〜30本(中短篇は合計で124本)のタイトルがリストアップされている。英語圏のSFFの昨年の収獲としてはまずこれが土台になる。発表もいつもこの時期で早いから、ヒューゴー、ネビュラの候補作もこのあたりが中心だ。

 このリストは上記プロたちがそれぞれに出した推薦リストを擦り合わせたもので、当然、あれがない、これがないというものは多々ある。すでに最終候補が発表になっているフィリップ・K・ディック賞の候補6本のうち、ここにも入っているのは半分だけだ。

 このリストは同時にローカス賞の候補作リストでもあり、読者の投票で受賞作が決まり、6月に発表になる。今やヒューゴー、ネビュラに並ぶ賞になってきた。投票数からいえば、おそらく Goodreads のものが一番多いのだろうが、あちらは人気投票でベストセラーに票が集まる傾向がある。

 ざっと見て、中短篇のリストではオンライン・マガジンからのものが圧倒的なのはあいかわらずだ。今年のリストでは Beneath Ceaseless SkyUncanny Magazine の活躍が目につく。ここ2、3年、急速に内容を充実させてきていて、LightspeedClarkesworld と「四強」になってきた観がある。もう一つ Tor.com もあるが、これは基本無料なので別枠。他の4つもネット上でタダで読めるが、定期購読ないし各号ごとに販売している。これからも質の高い、愉しい中短篇が読めるように、ちゃんと払うものは払いましょう。直接でなくても、アマゾン、Apple Bookstore、楽天 kobo ストアでも買える。

 紙版からの三誌、AnalogF&SFAsimov's の質がとりわけ落ちたとも思えないが、オンライン・マガジンは今の時代、やはり目につきやすいということだろうか。この三誌も今や紙よりも電子版での定期購読の方が多いそうだが、ネット上での存在感が薄いことは否めない。F&SF の編集長が Shere Renee Thomas に変わることがどう出るか。


 あたしとしては中短篇にアリエット・ド・ボダールが4篇も入っているのは嬉しいが、ノヴェラ部門に2篇入っているのは、票が割れて、受賞には不利だろう。この2つはアリエットが書いている2つのシリーズ「シュヤ」と "Dominion of the Fallen" 各々に属するもので、どちらも優劣つけがたい。

 1人で4篇をこのリストに送りこんでいるのはアリエットだけで、続くのは上記 Shere Renee Thomas と  Usman T. Malik の各々3篇。アリエットの作品は玄人受けするところがあるとも言えよう。確かに Seven of Infinities などは、フランスの心理小説を読んでいる気分になるところもあって、英語圏SFFとしては珍しい部類かもしれない。

 昨年のものとしてはあたしは Adrian Tchaikovsky の Firewalkers を大いに愉しんだので、長篇ないしノヴェラに出てこないのは不満ではあるが、この人はアリエットとは対照的で、いささかあざといところもあって、プロにはあまり評価されていない。ディック賞の候補になっている The Doors Of Eden もこちらのリストには無い。Firewalkers はそのあざとさが良い方に作用して、ラストのどんでん返しが見事に決まり、読後感の爽やかさは、近頃ちょっと珍しい部類。

 このリストにもどれば、もちろんあたしなどはほとんど読んでいないので、よりどりみどりなのだが、とりあえずぱっと目についたアンソロジーの A Sinister Quartet を注文した。Mike Ashley, C.S.E. Cooney, Amanda J. McGee & Jessica P. Wick の4人のノヴェラを集めたもの。冒頭クーニィのは長篇の長さのもので、デビュー長篇のリストにも上がっている。Amazon の読者レヴューではクーニィの1作でも5倍の値段の価値があるとも言われているから、期待しよう。


A Sinister Quartet (English Edition)
Wick, Jessica P.
Mythic Delirium Books
2020-06-09

 

 ローカス賞投票締切は4月15日で、それまでにどれくらい読めるかなあ。(ゆ)

 トマス・フラナガン Thomas Flanagan を知ったのは New York Review of Books のニュースレターだった。そこでそのエッセイ集 THERE YOU ARE: Writing on Irish & American Literature and History, 2004 を知り、読んでみた。検索してみるとこの本が出ている。シェイマス・ヒーニイが序文で触れているのはこれだった。
 
 わが国ではミステリ作家として知られている。というよりもミステリ作家としてしか知られていない。本国アメリカでは逆にミステリを書いていたことはほとんど知られていない。まず第一にアイルランドの文学と歴史の泰斗であり、次に近代アイルランドを描いた歴史小説三部作の作者であり、それがすべてだ。

 1949年から1958年にかけて、26歳から35歳にかけて、フラナガンは7本の短篇を EQMM に発表している。そのうち2本は当時同誌が行なっていた年次コンテストでトップになっている。この時期かれは修士と博士をとったコロンビア大学の准教授だった。どこで読んだか忘れたが、これらの短篇は家賃を払うために書かれたという説があるが、分量からしても、当時の身分からしても、冗談ととるべきだろう。

 ちなみに『アデスタを吹く冷たい風』文庫版解説およびウィキペディアの記事では、「カリフォルニア大学バークレー校の終身在職教員」とあるが、母校 Amherst College ウエブ・サイトのバイオグラフィによれば、バークレーにいたのは1978年までで、78年から96年まではニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の教授を勤めている。96年に教職から引退してからバークレーに住み、執筆に専念した。

 4人の祖父母はいずれもアイルランドはファーマナ出身の移民だった。かれは移民三世になる。上記エッセイ集 THERE YOU ARE の表紙に使われた写真は24歳の時のフラナガンで、タバコを加えて見下ろしているのは、コロンビアの大学院生というよりは、アイルランド系マフィアの鉄砲玉だ。



 今、翻訳で読んでも、ジャンルに関係なくなかなか優れた作品と思うが、アメリカでは全く忘れられていて、単行本にもなっていない。アイルランドを舞台とした長篇三部作はテレビにもなり、ベストセラーだったが、短篇がまったく顧られないのは、形式や狙いが異なるとはいえ、いささか不思議でもある。ヒーニィの言及が無ければ同名異人かと思うほどだ。

 長篇第一作 The Year of the French (1979) のテレビ・ミニシリーズ版 (RTEとフランスのテレビ局の合作、1982) の音楽を担当したのがパディ・モローニで、この音楽をチーフテンズでやったアルバムもある。チーフテンズは、ミュージシャンとして「出演」もしている。

The Year of the French
Chieftains
Shanachie
1990-02-20

 
 作品の初出を調べようと思って検索してみたが、EQMM の全てを網羅した Index はみつからない。唯一見つかったものも不完全で The Fine Italian Hand と The Cold Winds of Adesta しか載っていない。わかった限りのデータを発表順に書いておく。

玉を懐いて罪あり The Fine Italian Hand, 1949-05
アデスタを吹く冷たい風 The Cold Winds of Adesta, 1952; 1969-07(再録)
良心の問題 The Point of Honor, 1952
獅子のたてがみ The Lion's Mane, 1953
うまくいったようだわね This Will Do Nicely, 1955
国のしきたり The Customs of the Country, 1956
もし君が陪審員なら Suppose You Were on the Jury, 1958-03

 どれも言葉のトリックだ。何をどう書くか、そしてより重要なことには書かないかの工夫によって読者の意表をつく。だからなおさらこれは原文で読みたくなる。韻律やダジャレなどに頼るものではないから、翻訳でも十分楽しめるが、原文にはおそらくより微妙な遊びやひっかけがあるはずだ。

 もっともミステリとは畢竟言葉のトリックではあろう。すべての手がかりが読者の前にそろっている、わけではない。

 すぐれたミステリはみなそうだろうが、これもまた謎解きだけがキモではない。謎が解けてしまったらそこでおしまいではない。むしろ、あっと思わされてから、頭にもどって読みなおしたくなる。それには周到な伏線だけでなく、むしろその周囲、ごく僅かな表情やしぐさの描写の、さりげないが入念な書込みがある。細部を楽しめるのだ。

 もう一つの魅力は舞台の面白さで、これはとりわけテナント少佐ものに顕著だ。軍事独裁政権下の探偵役、それも型破りで有能な人物はそれだけで魅力的だ。つまりサイエンス・フィクションやファンタジィ同様、設定自体がキャラクターの一つになっている。ランドル・ギャレットの「ダーシー卿シリーズ」と同様の形だ。テナント少佐はダーシー卿に比べればずっと複雑な性格で、おそらく読みかえすたびに新たな面、新たな特性に遭遇することになるだろう。ダーシー卿の場合、あの世界全体の表象として現れているので、かれ個人の側面は薄い。テナント少佐の世界は現実により近いので、世界を説明する必要はない。それだけ個人のキャラクターに筆を割ける。これが長篇ならば別だが、中短編の積み重ねで世界を作ってゆく場合には世界設定と個人のキャラクターとしての厚みと深みはトレードオフになる。

 テナント少佐が住み、働いている「共和国」は Jan Morris 描くところの Hav を思わせる。地中海沿岸のヨーロッパのどこかであること、出入口がほとんど鉄道1本であることが共通するが、それだけではない。時代からとり遺された感覚、ノスタルジアとアナクロニズムの混淆、そして頽廢の雰囲気。現代の時空にそこだけぽっかりと穿いた穴。そして奇妙に現代の世界を反映するそのあり方。歪んでいるが故にかえって真実を映す鏡。真実の隠れた部分が拡大されて映る鏡。

 この国はかろうじて危うい均衡を保っていて、テナント少佐自身がまたその中で危うい均衡を保っている。しかし、現実というのはどっしり安定して動かない、などということはおそらくあったとしてもごく稀で、たとえば極盛期清朝のように、一見磐石に見えても実際には危うい均衡を保っているだけなのだ。磐石に見えれば見えるほど、それは崩壊の瀬戸際にある。これらの物語は、テナント少佐の綱渡りを描いてもいて、その緊張感が面白さを増すのは、ふだん見えない、見ないようにしている危うさが眼前に現れるからだ。

 テナント少佐を支えるものは何であろうか。将軍の先も長くないことだろうか。といってとって代わって政権をとる意志も能力も自分には無いことはわかっている。そういう意味では、テナント少佐についてはもっと読みたかった。コロンビアからバークレーに移ってからは著者は短篇を書くことはなかった。フラナガンのなかでは学者、教育者としての側面とともに小説家としての存在も消しがたくあったのだろうが、そのエネルギーは長篇執筆に向けられた。短篇を書くほどの余裕は無かったのかもしれない。

 しかしここに現れた短篇作家としての力量は中途半端なものではない。EQMMはじめダイジェスト版の雑誌に書いている作家によくいる、一定の水準は超えるが、突破した傑作は書けない職人とも一線を画す。ジョイスに傾倒し、初めてダブリンを訪れた際には、空港からホテルまでのタクシーの中で、ジョイスに関係のある場所を残らず指摘してみせたという伝説の持主であれば、ここに『ダブリン市民』の遠い谺を聞き取ることも可能だろう。もし本気で作家として身を立てようとしたならば、おそらくは後にかれがその批評の対象としたような作家たちに肩を並べていただろう。あるいはこれらの作品を書いたのが家賃稼ぎというジョークがジョークではなく事実だったとしたら、つまり生活のために小説を書かねばならなかったとしたら、シルヴァーバーグのように作家として大成していたかもしれない。名門アマースト大学を出て、コロンビアで博士号をとるとそのまま教授陣に加わる頭脳と才覚の持主だったことがはたして本人にとって、そして世界にとって幸福なことだったか。本人はおそらく幸福だったのであろう。しかし、世界はおかげでより貧しくなった。

 この7本をミステリ・ファンがどう読むかは知らない。本国では忘れられたその作品を独自に集めてハヤカワ・ミステリの1冊として出したところを見れば、正当な評価をしている。しかし、その本は復刊希望で多くの票を集めながら、長いこと品切れのままだった。

 実際、どれもストレートな形の「ミステリ」ではない。殺人事件の解決もあるし、どれも謎解きがメインテーマだ。しかし、「ミステリ」と言われて一般の人が思い浮かべるものからはずれている。謎解きはあくまでも中心の推進剤だが、作者の関心はむしろ謎のよってきたるところに置かれている。なぜ、こんな謎が生じるのか。事件を誰が起こしたかよりも、なぜ生じたか。当然それは作者が生きている時空に起きていることにつながる。探偵が現れて活躍するための事件ではなく、事件は起こるべくして起こり、探偵はいやいやながら、やむをえず介入する。事件は日常的で、それだけ切実だ。

 一方でどれにもゲームの匂いがある。ある厳密なルールにしたがって書いてみて、どういうものが出てくるか、試しているようにもみえる。その点でぼくの読んだかぎり最も近いのは中井英夫の『とらんぷ譚』の諸篇だ。

 こうなってくるとやはり長篇を読まざるをえなくなる。1798年、ウルフ・トーンの叛乱からアイルランド独立戦争までを描く三部作。小説という形で初めて可能な歴史の真実の提示がどのようにされているか。NYRB版で合計2,000ページ超。(ゆ)








The Tenants of Time
Thomas Flanagan
NYRB Classics
2016-04-05


The End of the Hunt
Thomas Flanagan
NYRB Classics
2016-04-05


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