クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:思想

06月21日・火
論理と歴史―東アジア仏教論理学の形成と展開
師 茂樹
ナカニシヤ出版
2015-06-10


 いやー、難しい。『最澄と徳一』は新書でもあって、ど素人にもわかるように書いてくれているが、こちらは専門家向けで、専門家なら当然熟知していることは説明などしない。あたしのように無学な人間はほとんどお手上げになる。

 一方で、ここでは原典からの引用をすべて現代語訳でしている。原文は脚注に掲載する。ということは、必ずしも専門家だけを相手にしているわけではなく、いわゆるハイ・アマチュア、アカデミアの住人ではないが、その道に突込んでいる人たちや、そこまでいかなくても関心はある人間にもアクセスしやすくしている。そこを頼りにほとんど必死の想いで読んだのだが、途中でへたることもなく、詰まることもなく、一応すらすらと最後まで読みとおせたのは不思議でもある。

 井筒俊彦の『イスラーム思想史』も、読んでいる間はたいへんに面白く、どんどんと読めて、まるで自分の頭が良くなったように感じたものだが、それはもちろん著者がちゃんとわかるように書いてくれているので、読みおわって、さて何を読んだのかと思いなおすと、さっぱり浮かんでこず、ああ、いい本を読んだなあ、という充実感だけが残った。

 こちらはそれよりはもう少し「わかった」感覚があるのは、イスラームに比べれば、仏教にはなにがしかの心組みがあるからだろう。出てくる人名にも馴染はあるし、『最澄と徳一』を読んでいたから、専門用語も少しは見当がつく。こういう本に親近感を持つのは、やはりクリスチャンでもムスリムでもなく、仏教徒ということになるのだろう。神道は宗教とは言えない。では、何なのかと言われると詰まるけれど、まあ、アニミズムの一種じゃないか。

 それにしても、仏教にもその教義をめぐって深刻な対立があり、喧々囂々の論争があったのだ、というのは正直なところメウロコものではある。結局、あたしらが知ってる仏教というのはせいぜいが葬式仏教で、あの世に行くときの心の準備のためにあるようなものだ。一方で、宗教としての仏教の目的ないし宗旨の眼目はそれよりも生きている間に成仏つまりブッダになることだ。死んだ後のことはせいぜいが二の次なのである。そして、いかにブッダになるか、を釈尊が説いたわけだが、その説き方とブッダになるなり方をどう捉えるかが大問題となる。これらをめぐって熱い議論がかわされた。それもインドから中国、朝鮮、日本、それにおそらくはネパール、チベットから中央アジアにかけての広い空間と、数百年ないし千年にわたる時間をかけてだ。ここではそのうち中国、朝鮮、日本の東アジアと、唐の玄奘から最澄・徳一までの時空に枠組みを限って、その論争の内実を描こうとしている。と、あたしは読んだ。

 その際、切口というかとっかかりとしているのが、唯識比量と呼ばれる仏教の論理式だ。三蔵法師・玄奘がインドで立てたとされているもので、これが真が偽か、真とすれば何を言っているのか、をめぐってまず大論争が起きる。

 この論理が成立するかどうか、あたしなんぞにはわからん。本書を読むかぎりでは、いろいろエクスキューズ、限定詞をつけて、その条件の中では成立するのだ、と言っているように見える。そんなにいろいろ条件をつけなくては成立しないことを、わざわざ言う必要もないとも思えてしまう。

 ともあれ、これの解釈をめぐってまず二つに大きく別れ、一方はこれを真としてそこを土台にいろいろ組み立て、もう片方は違うといって、そこからまたいろいろと組み立てる。真とする方は当然ながら玄奘の弟子たち、その系統を汲んだ人たちで、日本では法相宗から最澄にまでいたる。それに対立するのは、インド中観派のパーヴィヴェーカの流れを汲む人たちで、日本では三論宗と徳一にいたる。つまり、この本は、『最澄と徳一』で描かれた論争の背後に広がっている思想と論争の世界を描いている。というよりは、この本で描かれた思想史の中から、その結節点である最澄・徳一論争の部分を材料として取り出して、因明をはじめとする仏教論理学と仏教思想の内実をわかりやすく書いたのが新書版になる。

 出発点の玄奘の弟子たちの時代には、ほぼ純粋に唯識比量だけをめぐっての論争だったものが、東アジアに広まるにつれて、他の要素や文脈が入ってくる。三転法輪説やら三時教判やら三乗・一乗の対立やら空有論争やら、という具合だ。その間には玄奘が唯識比量を立てたもともとの事情の伝承がどんどん変えられたりもする。

 難しいのは、その論争でどこがどう違って、何をめぐって争っているか、の部分だ。キリスト教でも、教義をめぐって論争になるその解釈の違いなんてのは、外から見ると、どこがどう違うのか、よくわからないことが間々ある。どっちもまるで雲を摑むようなことを主張していたりする。当事者にとってはゆるがせにできないことで、だからこそ論争するわけだけど、熱くなってるのはわかるが、なにがそんなに違うのよ、と口をはさみたくなったりする。

 ここでも、丁寧にいろいろと補足しながら現代語に訳してくれているし、さらに要点を説明してくれていて、その限りではわかったつもりになるのだが、全体としてみると、どこか茫洋としてしまう。単にあたしの頭が悪いか、老齢でぼけているのかもしれない。本当はすぐにもう一度、あたまから読みなおしたいのだが、この本は神奈川大学図書館からの借り物で、2週間で返さねばならず、一度通読するだけで10日かかったから、そんな時間はない。途中で、あんまり面白いので、買おうとしたら、もう古書しかなくて、15,000円の値がついている。一度返して、また借りるしかない。たぶん、『最澄と徳一』を再読してから、再度挑戦する方が良いかもしれない。あるいは、仏教の教義、論理について、もう少し勉強してからもどるべきだろう。

 1章読むとぐったりして、残りはまた明日と本を閉じるけれど、翌日になると自然に手が伸びて、うんうん唸りながらも読むのが愉しくてしかたがなかった。よくわからないけれど面白い本というのもあるのだ。あたしがこんなに面白く読めるのだから、専門家や突込んだ人たちには相当にエキサイティングなんじゃないか。

 仏教にも教義をめぐって熱い論争があった、というのも面白いし、そういう論争がいつ絶えたのか、どうしてなくなったのか、最澄と空海は論争しなかったのか、などということも湧いてくる。

 それと、借りた本にはどこにも説明がないのだが、本のジャケットに印刷されているものが妙に気になる。実際の因明文献原文の拡大コピーではないかと思われるけれど、これが何で、どういうことを述べているのか、気になってしかたがない。縦組で、家系図のように横に枝が出たり、また戻ったり、何らかの論理を表現しているように見える。漢字ばかりでこういうことをやっているのは新鮮でもある。

 「まえがき」がまず面白い。この「まえがき」の面白さが全巻を通じている気もする。

 筆者は今でも、自分が徳一の研究者であり、日本の法相唯識の研究者だと思っている。ただ、徳一や最澄が引用しているものを遡って調べて論文を書いていた、結果的に朝鮮半島をはじめとする東アジア全域の文献を扱うことになり、そしていつの間にか玄奘三蔵の唯識比量に至ってしった、という次第である。振り返ってみれば、七〜九世紀の東アジアの仏教世界を研究するのに「日本」という枠組みにこだわることはそれほど生産的でないことがわかってきたが、一方で研究成果の受信者である現代の人々(筆者を含む)には近代以降の国民国家的な思考の枠組みが強固に埋め込まれていることも間違いないので、「専門は日本仏教です」と言うべきなのかどか、居心地の悪さを常に感じている。

 徳一と最澄に突込みながら、関心の赴くままに対象を広げていったのも面白いし、国民国家どころか「日本」という概念すらあったかどうか、あったとして我々のものとどこまで重なるのか大いに検討の余地がある時代であることを認識していて、さらにそれを対象とした研究の受け手のことまで考えているのもまた面白い。こういう人は信用できる。次は『「大乗五蘊論」を読む』だな。『大乗五蘊論』が何たるかも知らんのだが。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月21日には1967年から1995年まで14本のショウをしている。公式リリースは3本。

01. 1967 Polo Field, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 水曜日。セット・リスト不明。
 夏至祭、と DeadBase XI にある。この日、夜明けから日没まで行なわれた由。フラワー・ムーヴメント、ヒッピー文化のイベントの一つ。無料のコンサートに参加したバンドは他にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、the Mad River, the Phoenix。
 The Mad River は1966年04月、オハイオ州イエロー・スプリングスの Antioch College で結成された5人組バンド。名前は近くを流れる川からとられた。1967年03月、バークリーに拠点を移し、ここでリチャード・ブローティガンの知己を得て、大いにプッシュされた。キャピトル・レコードから1968年と69年にアルバムを出す。
 The Phoenix は不明。この名前のバンドは多すぎる。

02. 1969 Fillmore East, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サヴォイ・ブラウン、バディ・マイルズ・エクスプレス共演。
 早番、遅番の2回。テープでは早番は1時間弱。遅番は1時間半強。しかし DeadBase XI での Mick Levine のレポートによれば、11時に始まった遅番は、バディ・マイルズ、サヴォイ・ブラウンとデッドで4時間を超え、デッドがついにステージから去った時には朝5時半。
 早番3曲目で〈High Time〉がデビュー。遅番でも演奏された。ハンター&ガルシアの曲。1995-03-24まで、134回演奏。1970年07月12日を最後にレパートリィから落ち、1976年06月09日に復活。1978、83、89年を除いて、毎年、時偶演奏された。ハーモニー・コーラスがウリの曲で、したがって1976年、77年の、ドナの入っている時期が最も美しく映える。

03. 1970 Pauley Ballroom, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。アメリカ・インディアンのためのベネフィット。残っているセット・リストはテープにより、そのテープは全体を収めてはいないと思われる。

04. 1971 Chateau d'Herouville, Herouville, France
 月曜日。05月30日までの春のツアーと07月02日からの夏のツアーの間に、この1日だけフランスに飛んだショウ。本来はあるフェスティヴァルに出るためだったが、イベントは雨のためにお流れとなった。デッドは泊まっていた城をホテルにしたものの裏のプール脇に即席のステージを作って演奏した。翌年春のヨーロッパ・ツアーの布石の一つではあろう。
 第一部半ば〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉がドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。

05. 1976 Tower Theatre, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。8.50ドル。開演7時。
 第一部後半〈Scarlet Begonias; Lazy Lightnin'> Supplication; Candyman〉の4曲が《Download Series, Vol. 04》でリリースされた。

06. 1980 West High Auditorium, Anchorage, AK
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 アラスカへの唯一の遠征の締めはなかなか良いものらしい。

07. 1983 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
 第一部がすばらしい由。

08. 1984 Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
 木曜日。開場2時、開演5時。ザ・バンド前座。アンコールの3曲にザ・バンドのメンバー参加。
 第二部3曲目で〈Never Trust a Woman〉がデビュー。これが2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ミドランドの作詞作曲。1990-07-23まで39回演奏。スタジオ盤収録無し。
 非常に良いショウの由。

09. 1985 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。16.50ドル。開演8時。
 冷たい雨が降っていた。が、ショウは相当に良い由。

10. 1986 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演5時。
 第二部3曲目〈He's Gone〉は2日前に死んだバスケットボール選手の Len Bias (1963-1986) に捧げられた。ドラフト全体の2位でボストン・セルティクスに指名された2日後に急死。
 ショウはすばらしいものの由。

11. 1987 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演3時。

12. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時。ケーブル TV のペイ・バイ・ヴューで全国放映された。画像、音声ともに見事な由。第二部、2曲目〈Hell in a Bucket〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉まで、drums> space を除いてクラレンス・クレモンスが参加。
 ショウそのものも最高だそうだ。

13. 1993 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。
 かなり良いショウの由。

14. 1995 Knickerbocker Arena, Albany, NY
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。30ドル。開演7時。
 Deadlists によれば、第一部は1時間、第二部は1時間半強。ガルシアはふらふらで、今何を演っているか、いちいち教えられなければならないような状態だったが、それでも2時間半のショウをしている。
 クローザー〈Morning Dew〉はこれが最後の演奏となった。この曲も含め、全体としてかなり良いショウの由。(ゆ)

1222日・水

 このタイトル、とりわけ「仏教史上最大の対決」に惹かれて何だろう、と読んでみたのが大当り。拾い物といっては失礼だが、実に刺激的な本だ。この著者は追いかけよう。



 徳一は徳溢という表記もあって「とくいつ」と読む。平城京で学び、最澄と同時代に会津や常陸で活動し、多数の寺を建立、「伝灯大法師」と呼ばれた。生没年不詳。この論争は仏教の教義をめぐって徳一の天台教学批判に最澄が反論し、5、6年の間に大量の文書の応酬がなされる。二人の論争は最澄の死で一応終るのだが、そこで交わされた文書は200年後にも仏教内部での研究対象になっていた。

 一方で、この論争が単に二人のものではなく、その背後にはインドから東アジア全体に広がる時間的にも空間的にも実に大きく広い思想のドラマがあり、二人の論争はその一つの結節点、それ以前の流れがまとまり、またそこから拡散してゆくポイントになっている、というのがまずこの本の主張だ。

 そこには、最澄だけでなく、空海も含めた遣唐使に同行した留学僧たちによって持ちこまれる仏教の相対化も出てくる。かれらが将来した仏教があたかも仏教の正統の全部であるかのように最澄も主張し、後続もその主張を継承し、さらには20世紀のアカデミアまでもそれを踏襲するのだが、実際に留学僧たちが接した仏教は中国の中でも浙江など沿岸部を中心とした東部のものに限られていて、西に広がった仏教についてはまったく視野に入っていない、という具合だ。

 仏教はあたしらにとって最も身近な宗教だが、その教義についてはまるで知らないことも思い知らされる。徳一と最澄の最大の対立点は、すべての生きものがブッダになれるわけではないという五姓格別説と生きとし生けるものは全部仏になれるのだという一切衆生悉有仏性説なのだ。後者は天台宗はじめ、日本仏教のほとんどが採用した説だから、なじみがある、というよりも仏教ではそう考えると思いこんでいたから、前者はえーってなものである。しかし、著者の言うとおり「ブッダになること以外にも複数のゴールがある、と主張する五姓格別説のほうが」今のあたしらが生きている社会にとってはふさわしいとにも思えてくる。

 この二つの立場は一乗説と三乗説でもある、では「乗」とは何か、を巻頭で説明しているのを読んで、「へー、そうなんですか、いやー、ちーとも知らなんだ」とつぶやくのはあたしだけではあるまいとも思える。

 さらにその前に、この二つの説は大乗仏教内部でのものなので、いわゆる小乗仏教はまた別の話になる。そもそも「小乗」という呼称自体、大乗を名乗った連中がそれ以前からあった仏教に与えたもので、差別用語にもなりかねない。「小乗仏教」は歴史的用例になってもいるが、本来はそちらの方が主流であり、部派仏教と呼ぶ方が適切、というのも初めて知った。

 という風に、まず宗教としての仏教の姿を垣間見させてくれる。

 もっとも著者の主目的はそれではなく、この論争のもつ様々な側面を整理して、思想のドラマのなるべく大きな姿を提示し、一方でそこに現れる思考法や論争のツールを紹介することにある。ここでは「因明=いんみょう」がまず面白い。これは仏教で論理をもって異なる思想間で論争をする際のルールを定めたシステム、なのだそうだ。一度読んだくらいでは漠然としているけれど、極端に言えば仏教とキリスト教の間でも論争ができるように考案されたもの、と言われると、え、それって何?と身を乗りだしたくなる。

 この本の面白さはもう一つ別の次元にもあって、著者は自分が何をやっているか、明瞭に自覚し、しかもそれを巧みに記述する。

 「こういった諸課題を解決するために本書が行っていることは、最澄・徳一論争で筆者がおもしろいと思っているポイントを取捨選択し、複雑な議論をできるだけわかりやすいストーリーに落とし込んで叙述することである(それがうまくいっているかはさておき)。特に、最澄・徳一論争のなかでほとんど注目されることのなかった因明を第四章でとりあげたのは、学問的に重要だという研究者としての判断もあるが、異宗教間対話を前提とする因明を紹介したかった、というモチベーションがあったことは否定できない」202pp.

 この視点はここで紹介される思想のドラマ、思想史全体を展望して、メタ思想史にまで踏みこんでいる。いま現在にあって、千年前の思想のドラマを描くことにどういう意味があるのか、著者は真向から考え、答えを出しながらこの本を書いている。この論争は一乗か三乗かの二項対立などではないし、この時だけ、この二人だけで終るものでもない。異なる宗が交わることなく「空間的に同時存在」するような体制、丸山眞男が批判した「精神的雑居」に似たものを仏教界に基礎づけ、「雑種」を生みださない性格が、最澄・徳一論争における最澄の議論を一つのきっかけとして古代から中世に至る日本仏教のなかで構築され、そしてそれが近代まで維持された。という指摘は刺激的だ。その「最澄の論法の背景にあった思想」は、今でも生きているのではないか。何かというと二項対立に落としこんでカタをつけようとするのはその現れにも見える。世の中で起きていることは複雑なので、それを複雑なまま捉えようとするのは難しいけれど、そうするよう努力することは、人間が人間として生きてゆく上で避けて通れない。単純化すれば効率的に捉えられて、それでいいのだ、としていれば、人でなしになるだけだ。

 著者は1972年生まれだから、来年50歳。学者としては油が乗ってくる頃だ。井筒俊彦なみに頭のいい人だから、どこまで尾いていけるか心許ないが、読めるだけ読んでみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 1222日には1967年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Palm Gardens, New York, NY

 このヴェニュー3日連続の初日。Group Image Christmas と題されたイベント。共演として The Gray CompanyThe Aluminum DreamThe Group ImageMimes with Michael がポスターにはある。前売3ドル、当日3.50ドル。開演9時。

 この日、アウズレィ・スタンリィがオークランドの北の Orinda LSD所持で逮捕され、かれによる LSD 製造がストップした。

 The Group Image は西海岸のサイケデリック・ロックの影響を受けて、この頃マンハタンで活動していた音楽集団で、1968年に1枚《A Mouth In The Clouds》というアルバムを出している。リード・シンガーの1人 Sheila Darla はグレイス・スリックに通じる声とスタイルだが、そのステージはむしろ後のパティ・スミスを連想させた由。Tidal にあり。

 その他のアクトについては不明。


2. 1970 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 前売3ドル、当日3.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティールで参加。セット・リストの全体像は不明。


3. 1978 Dallas County Convention Center Arena, Dallas, TX

 開演8時。セット・リストは現存するテープによるので、アンコールの有無も含め、実際とは異なる可能性がある。Dead.net ではこのショウは1221日のものとしており、前日1221日の The Summit でのショウが無い。しかし、この両日にはチケットの半券が残っている。

 Dead.net に掲げられたセット・リストではクローザーは〈Wharf Rat〉。(ゆ)


このページのトップヘ