クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:手書き

04月15日・金
 世の中には「手紙の書き方コンサルタント」という商売の人もいるそうな。しかしこれを称する人物でも縦書きはカッコいいことや、インク・ブロッターの存在を「発見」したりしている。そのこと自体は寿ぐべきことではあろう。知らないことを知ることはいいことだ。しかし、コンサルタントでもブロッターを知らなかったり、縦書きを敬遠したりするということ自体は、喜んでもいられない。万年筆やインクがこれだけブームになっているのに、ブロッターの存在は忘れられているのか。それはつまり、インクや万年筆は買うけれど、万年筆やインクで実際に文字を書いてはいない、ということではないか。
 あるいはこの人のように、縦書きで書くことで初めてブロッターの必要性に気づくのだろうか。しかし、ブロッターは日本の発明ではない。インクで書いたなら、ブロッターつまり吸い取り紙で余分なインクを除いて、書いたものがかすれたり、滲んだりしないよう防ぐのは当然の手順だ。そこまでしてインクで書く作業が終る。自然に乾くのを待つのではない。その点は墨とは異なる。
 日本語の文字は縦書き用にできている。横に書くことがデフォルトになったのはごく最近、せいぜいが今世紀に入ってからのことだ。文字を使うようになって以来、千年以上、我々は縦に書いてきた。だから縦に書く方が圧倒的に楽なのだ。嘘だと思うなら、何でもいい、自分が書いたツイッターや LINE のメッセージでもいいから、縦書きと横書きで手書きしてみればわかる。書きやすいから、縦書きの方がきれいに書ける。横書きで字がヘタ、汚ないというのは無理もない。横書きで日本語を美しく書くには訓練が要る。縦書きで美しく書くのは、ある程度の量を書けば誰でもできるようになる。どれくらいの量を書けばそうなるかは人によって異なるにしてもだ。
 縦書きの方が書きやすい理由はもう一つあって、かな漢字混じり文だからだ。日本語以外の言語は使う文字は一種類だ。漢字やハングルだけなら縦でも横でもそう変わらない。日本語は最低でも3種類使う。とりわけひらがなとカタカナは縦書き用に考案されている。日本語の表記は漢字とかなをつなぐ形を工夫している。 
 書くだけでなく、読むのも縦組の方がずっと楽だし、速く読める。というのはまた別の話。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月15日には1967年から1989年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。共演キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1969 The Music Box, Omaha, NB
 火曜日。前売1ドル、当日1.50ドル。開演7時半。KOWH-FM 主催。この年ベストのショウの一つの由。

3. 1970 Winterland, San Francisco, CA
 水曜日。第一部7曲目〈Candyman〉が《American Beauty》2001年拡大版のボーナス・トラックでリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。
 この年ベストのショウの一つの由。これを《30 Trips Around The Sun》のためにマスタリングした David Glasser は作業の途中でプロデューサーのデヴィッド・レミューに、「こいつあ、すげえ」とわざわざ電話をかけてきた。
 ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ビルのようで、グレイス・スリックが最後に、「グレイトフル・デッドが出るから帰らないでね」とアナウンスしているブートレグがあるそうだ。

4. 1971 David Mead Field House, Allegheny College, Meadville, PA
 木曜日。学生3ドル、一般5ドル。開演8時。古くて狭い体育館でのショウ。バンドは聴衆に対してとても愛想がよかった由。年齢的にもひと世代は違わない、学生たちにとっては少し年上の兄さんたちというところ。この時期、大学でデッドを体験した人びとがデッドヘッドとなってゆく。

5. 1978 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
 土曜日。7ドル。開演8時。《Dave’s Picks, Vol. 37》で全体がリリースされた。
 会場はバンドのお気に入りのようで、コーネル大学バートン・ホール同様、やる度に名演を生んでいる。ここでは4回演奏していて、これが最後。大学のあるウィリアムズバーグは観光客向けに植民地時代の街が復刻されている。そこがデッドヘッドに埋まった。またこの日は保護者参観日でもあった。ステージが低く、50センチほどしか高さが無かったので、親密な雰囲気が生まれていた。〈Deal〉のコーダの繰返しはこれが最長と言われる。

6. 1982 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。11.50ドル。開演7時半。ひじょうによいショウの由。

7. 1983 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY
 金曜日。10.50ドル。開演7時半。第二部5・6曲目〈He's Gone> Little Star〉が《Dave’s Picks, Vol. 39》でリリースされた。
 〈Little Star〉は時に〈Bob Star〉とも呼ばれる。クレジットはボブ・ウィア。〈The Other One〉の序曲のように聞えると言われる。

8. 1988 Rosemont Horizon, Chicago , IL
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。16.50ドル。開演7時半。
 オープナーが〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉というのは珍しい。こういう珍しいことをやる時は調子が良い。

9. 1989 Mecca, Milwaukee, WI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。最高のショウの一つの由。(ゆ)

6月21日・月

“Copy the whole thing out again in long-hand.”
- Paul Theroux, author of Under the Wave at Waimea

があるのに嬉しくなる。たいていは逆だ。もっとも英語の場合、タイプないしキーボードと画面に向かって打つのがデフォルトだ。初稿を手書きで書く人は多くはない。しかし、別に小説や翻訳ではなくても、レコード評や書評やエッセイでも、試してみる価値はあるかもしれない。今や、あたしらだって、画面に向かってキーボードを打っている。

 これは一度書きあげてからブラッシュアップするための手法ではある。とにかく最後まで書きあげろ、とか、毎日書け、とかももちろんあるが、セルーのこれは初めて見た。

 言わずもがなではあるが、手書きは自分の肉体を使って一字一字書くことで文章に命を吹きこむためにやる、さらにこの場合には文章が生きているか確認するためにやるので、人に見せるためのものではない。作家の肉筆原稿を読んで喜ぶのは研究者ぐらいだ。


 むろん小説を書こうと思ったら、書く前にまず読まねばならない。このペンギンのサイトでも、とにかく「読め」とある。"You can only vomit what you eat." 創作とは、どんな形であれ、食べたものを口から吐くか、尻から出すか、どちらかで、どちらにしても、食べたものしか出てこない。出すには食べねばならない。

 吸収するのは活字からとは限らず、静止画でも動画でも音楽でも、あるいは味覚、嗅覚、触覚からでもいい。それらは蓄積されて材料になる。とはいうものの、最終的な産物が小説であるならば、活字を一番多く吸収することは必要なのだ。それこそ浴びるように、どっぷりと首まで、溺れそうになるくらいに小説に漬かることは必要なのだ。絵を描こうとすれば絵を見る、動画を造るのなら動画を見る、音楽を作ろうとすれば音楽を聴く、旨い料理を作ろうと思えば旨い料理を食べることが必要なのだ。証明はできないが、経験的にわかる。


 もう一つ。ドリトル先生が鸚鵡のポリネシアに語る言葉を敷衍した James Wood の How Fiction Works (2008) からの引用。

Literature differs from life in that life is amorphously full of detail, and rarely directs us toward it, whereas literature teaches us to notice. Literature makes us better noticers of life.

How Fiction Works
Wood, James
Vintage
2009-02-05



 ここで life は人生、暮し、日常をさすだろう。ファンタスティカは life から取り出したものを life の中ではありえない姿に変形して示す。変形することで人間以外の存在、人間がその一部でしかない環境まで視野を広げ、life の本質をより効果的に、より明確に示す。リアリズムよりもさらに良く life を気づかせる。それも、当人にはそうとは気づかせないままに。娯楽に逃避しているつもりで、実は現実が意識の奥に刻みこまれている。そこがまたファンタスティカの面白いところだ。(ゆ)
 



 消せるボールペンが嫌いだ。ボールペンは消せないところがよいのだ。書いた文字が消えてしまってはボールペンでは無い。

 それ以外の筆記具は好きだ。万年筆、つけペン、鉛筆、シャープ、芯ホルダー、クレヨン、筆、チョーク、木炭。ボールペンだって、消せないものは嫌いではない。ゲルインクもいい。ガラスペンはまだ試したことがない。

 日本語は手書きがベストだ。3種類の文字を使い、その混合の仕方も、一定の原則はあるとはいえ、事実上、規則は無い。すべての文字をひらがなだけで書いても、カタカナとひらがなを1字ずつ交互に書いても、あるいは万葉仮名のように漢字だけで書いてもかまわない。こういうテキストを書くのに、AIがどんなに発達しようが、予測は不器用すぎる。勝手気儘に、勝手きままに、かって気儘に書く書き手の気まぐれの予測は不可能だ。

 この文章は Mac 上のテキスト・エディタ miAquaSKK のインプット・メソッドで書いている。AquaSKK は SKK の macos 版だ。SKK は予測をしない。漢字とかなの区別は書き手が意図的に指定する。shift キーを押しながらアルファベットを押すと、そこから始まる文字は漢字になる。漢字の終りすなわち送り仮名の開始も同様に指定できる。後は同音異義語の候補を選択するだけだ。辞書への登録もその場で、別ウィンドウなどは開かず、テキストの上でしてしまう。日本語インプット・メソッドの中では手書きに最も近い使用感を備える。

 それでも手書きにはかなわない。書くスピードも手書きにはかなわない。デジタル・テキストが手書きに優るのは、書いたものを編集する時だ。書きなおし、改訂、順序の入替えなどについては、手書きはデジタルの敵ではない。だから、書く時は手書きでも、仕上げはデジタルになる。

 アリエット・ド・ボダール『茶匠と探偵』邦訳の初稿は手書きで書いた。もともと、翻訳の初稿は手書きが多い。紙はなんでもいい。そこらにあるものを使う。原稿用紙、チラシの裏、前の本のゲラの裏、とにかく空白で、書ける紙ならば何でもいい。筆記具もその時々の気分で選ぶ。今日は万年筆、明日はシャープペンシル、明後日はゲルインク。章が変わると書く道具も変えてみる。時には1枚の紙ごとに変えてみる。

 それでも贔屓はあって、シャープペンシルを偏愛している。それも芯径0.7mmのもの。舶来の製品にはこの芯径が多い。国産は0.5mmがほとんどだ。ペンテルの Smash は銘機として名高いが、0.7mm は廃番になってしまった。『茶匠と探偵』でも、初めはいろいろ使っていたのだが、だんだんシャープペンシルが多くなり、最後は1機種に絞られた。無印良品の「ABS樹脂最後の1mmまで書けるシャープペン」だ。ツラが気に入って、つまり外観に惹かれて買った。これで 0.7mm があれば最強、他のものはもう要らないレベル。手にぴったりとなじみ、いくら書いても疲れない。良い筆記具は書く文字も綺麗に見える。このシャープペンシルで書く文字は、自分史上最高に美しい。そして、できてくる翻訳文も良くなってくるように思われる。『東京人』の特集で川崎和男は「手の起電力が脳から発想を引き出す」という。手で書くことで、脳が動きだすことは実感する。もう1つ、脳がよく動くのは歩くことだが、歩きながら翻訳はあたしにはできない。数ある翻訳者の中には、歩きながら原文を読み、口述翻訳して録音する人もいるかもしれない。あたしはせいぜい、手で書くことで脳を活性化する。

 だけではたぶん無い。翻訳は脳だけでやるわけではない。全身を使う作業だ。肉体労働なのだ。翻訳の前の本を読むことからして、肉体労働、全身を使う作業だ。翻訳はこれに手書きが加わる。手で文字を綴ることは、眼と手だけの作業ではない。

 筆記具は水物だ。イヤフォン以上に水物だ。イヤフォンは音が出るだけで、こちらから何か働きかけるわけではない。筆記具はそれだけではタダのモノだ。こちらが握り、何かを書きだして初めて筆記具となる。だから、同じ筆記具を使っても、人によって使用感が異なる。同じペンをある人は銘機といい、別の人はゴミというだけではない。同じ人間が、時と場合によって筆記具の使用感が変わる。昨日、最高に書きやすかった筆記具が、今日はどうやってもうまく書けないこともある。かつてプラチナの製図用 Pro-Use、短かい方だ、あれの0.7に惚れこんだ。もう夢中になっていくらでも書けた。それが、何かの事情でしばらく使わずにいて、ある日、手にとるとダメなのである。どうやってもあのフィット感がもどってこない。それでも、他のものに比べれば書きやすいことは確かだが、まるで自分の手の延長に思えた感覚は消えていた。今度の無印良品ABS樹脂のシャープペンシルではその感覚だった。並べてみると長さもほぼ同じ。重さはABS自死とアルミでだいぶ違う。

 『茶匠と探偵』初稿を手書きで書こうと決めたのは、著者が万年筆マニアであることが理由の1つだ。著者は原稿は手書きではないという。本職はソフトウェア・エンジニアだし、手書きよりもキーボードを打つ方がはるかに楽だろう。それでも、原稿になる前のアイデア出しとメモ、ブレーンストーミングでは万年筆とインクを使っているそうだ。


 ケイト・ウィルヘルムはリング・ノートにボールペンで書いている写真がある。

kw+note+pen

 サミュエル・ディレーニィの自宅の朝食のテーブルにはノートとボールペンが載っていた。

20180907 A writer's kitchen table in a septembre morning

 Paul Park は1983年にマンハッタンのアパートと職を捨ててアジアへの旅に出た。ヒマラヤをトレッキングし、インド、ビルマ、ネパール、それに東南アジアを回った。最初の長篇 "Soldiers Of Paradise" (1987) はその旅の途中、ラジャスタンから黄金の三角地帯にいたる、あるいはマンダレーからジョクジャカルタまでの、安ホテルや借り部屋で、ノートやメモの切れ端に書かれた。当然手書きだ。宇野千代は『東京人』の特集でも宣伝されている三菱鉛筆の uni で書いた。初めは2Bを使っていたのが、年をとるに連れて濃く柔かくなり、最後は6Bだったそうだ。名著『森のイングランド』を川崎寿彦は鉛筆で書いた。
 『東京人』の特集で林真理子は文学賞に応募してくる作品が長くなる傾向を認めている。不要な描写が多いと言うが、手書きでは節約しなければならない体力も、キーボードを叩くためには浪費できるのは事実だ。もっとも、漢文あるいは漢字かな混じり文を書くのと、アルファベットだけを書くのとでは、同じ手書きでも必要なエネルギーが異なるのか。ギボンもディケンズもバルザックもドストエフスキィもトルストイも、プルーストですら手書きであの厖大な著作を残した。日本語で2,000枚は超大作だが、英語圏のエンタテインメント、とりわけエピック・ファンタジィではほぼ同じ分量である20万語が今やデフォルトの長さといっていい。しかしそこに「不要な」描写、叙述は無い。異質な世界、現実にはありえない世界を、十分なリアリティをもって構築するには、微に入り、細を穿った描写、記述が必要なのだ。

 『茶匠と探偵』はそんなに長くない。9本合計で75,700語。邦訳原稿は580枚弱になった。良質の短篇集は数冊の長篇に匹敵する、とは筒井康隆の名言だが、この本にまさにあてはまる。手書きで書いた初稿を改訂しながら、Mac に打込む。Mac でも縦組みで書き、編集印刷するのは簡単になった。今回は復活した ezword Universal を使った。インプット・メソッドはむろん AquaSKK だ。打込んだものをプリント・アウトしてさらに改訂し、それに従ってデジタル・テキストを修正する。そういう作業を繰返して原稿を完成する。もちろん、編集者や校正者とのやりとりで、さらに改訂することになるわけだが、それをやるにしても、まずは土台を固めておかねばならない。もうこれ以上改訂しても良くはならないところまで持っていっておかなくてはならない。より正確に言えば、これ以上改訂しても、良くなったのか、変わらないのか、悪くなったのか、判断できなくなるところまで持っていっておかねばならない。

 改訂の作業は面白くない。翻訳で一番面白いのは、やはり最初の、まずヨコのものをタテにしてゆくところだ。そして、ここは手書きでやるのが一番面白い。鉛筆やシャープペンシルを使うときでも、消しゴムは使わない。どんどん線で消し、その横に新たに書きこみ、さらに別のところに書いた文章をそこに線ではめ込み、それが重なって、どこからどこへどうつながるのか、わからなくなることもある。1段落全体に×をつけて、新たにやりだすこともたまにある。

 『東京人』の特集を眺めながら、やはり手書きは基本、文章を書くことの一番下の土台だと思いなおす。これからも翻訳の初稿は手書きでやろう。筆記具は新しいものが続々と出る。気に入らないものの方が多いが、時々、ピンとくるものがある。三菱 uni EMOTT には久しぶりにときめいた。『東京人』を本屋で買って、昼飯を食べながら眼を通し、帰りに文房具屋で、とりあえずブルーとレッドを買った。(ゆ)

茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-11-28


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