07月24日・日
Washington Post Book Club のニュースレターで紹介されていた Alec Wilkinson, A Divine Language の電子版の無料サンプルを読んで、そのまま購入。
Wilkinson, Alec
Farrar Straus & Giroux
2022-07-12
この人はノンフィクションに分類される本を10冊書いていて、これが11冊目。前作 The Ice Balloon は飛行船で北極探索をしようとしたスウェーデン人の話。その前 The Protest Singer はピート・シーガーについての短かい本。その前 The Happiest Man In The World は型破りのホームレス、ポッパ・ニュートリノの「伝記」。デビュー作 Midnight は25歳で就職したマサチューセッツ州ウェルフリート、つまりケープ・コッドの先端から一つ南の町の警察官としての経験を書いたもの。警官になる前はバークレーでロック・ミュージシャンをしていて、ディランのバンマスであるトニィ・ガルニエと一緒にやったこともある。LSD の体験もしている。60年代末の話だ。デッドヘッドではないまでも、デッドを知らないはずはない。
かれの父親の一番の親友は The New Yorker の小説担当編集を長らく勤め、作家でもある William Maxwell で、父親の頼みで Midnight の原稿を読んでもらえたことから、マクスウェルに「弟子入り」し、The New Yorker で働きはじめる。1952年生まれ。
ウィリアム・マクスウェルはもう1人のマクスウェル、マクスウェル・パーキンスの次の世代を担った編集者でその担当作家の1人はサリンジャーだった。『ライ麦畑』を書き上げたとき、サリンジャーはマクスウェルの別荘に車を走らせ、そのベランダで夫妻に読んで聞かせた。別荘があったのはケープ・コッドで、それが建つ同じ道沿いの家でウィルキンソンは育った。おかげでかれはウェルフリートの2,000人の住人を知っていた。警官になれたのはそれが理由だ。
出たばかりの A Divine Language は65歳になったウィルキンソンが一念発起して、数学をモノにしようとする。1年余りのその奮闘の記録、だそうだ。副題に "Learning Algebra, Geometry, and Calculus at the Edge of Old Age"。数学の才に恵まれてシカゴ大学の教授をしている姪の支援を受けながら、若い頃に失敗した数学をイチから学びなおそうとする。高校を卒業できたのは、数学の試験でカンニングをしたおかげだった、という告白からこの本は始まる。老いを感じる時、人は何かを学ぶことで知的衰退を遅らせようとする。新たな言語を学んだり、詩集を1冊暗誦できるようにしたり、という具合だ。ウィルキンソンの場合はなぜか数学だった。それも趣味ではなく、きちんと学問の訓練を受ける形でだ。数学のあのにやにや笑いを吹きとばしてやりたいという一心からである。
当然、著者は、その本道を学ぶだけでなく、数学を様々な角度から攻めたてる。その歴史、作ってきた人びと、数学者集団の特性、数学と世界の関係。電子版の無料サンプルを読んでいるだけでも、著者の博識には読書欲をかきたてられる。断片が引用される本を次から次へと読みたくなる。
そしてもちろんここには老いること、困難な課題にくらいついていくこと、そしてこの世界の表に現れない本質的な秩序についての考察が鏤められている。
この人の文章は一見簡潔でドライだが、ユーモアがこぼれ出る。こぼれ出るのがわかっていて、こぼれ出るのに任せているようだ。あるいは本人にとっては特段ユーモラスなことを書こうとしているわけではなくても、読んでいると思わず腹を抱えて笑ってしまう。読むのがたいへん愉しい。
というわけで、The Protest Singer と The Happiest Man In The World も注文してしまった。
%本日のグレイトフル・デッド
07月24日には1987年と1994年の2本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA
金曜日。開演7時。ディランとのツアーの一環。
第一部、第二部がデッド、第三部がデッドをバックにしたディラン。第一部と第二部のデッドのみのセットの全体が《View From The Vault IV》で DVD と CD で別々にリリースされた。DVD の方は第一部5〜7曲目〈Friend Of The Devil〉〈Me And My Uncle> Big River〉が省かれている。
また第三部5曲目〈I Want You〉が《Dylan & The Dead》でリリースされた。
見た人によると、最初にディランがソロで数曲やったらしい。
第3の黄金時代へと向かいはじめている時期で、演奏はすばらしい。第二部はほぼ1本につながった70分。
2. 1994 Soldier Field, Chicago, IL
日曜日。32.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の2日目。トラフィック前座。
前日に比べると劣るようだ。ガルシアだけが不調というわけではなく、〈It Must Have Been Roses〉ではウィアが二度も歌詞を間違えた。とはいえ、輝きはまだところどころあり、印象に残るショウという人もいる。
二度、同じところの歌詞を間違えた、ということは、歌詞をいちいち思い出しながら歌っているのではなく、自動的に口をついて出てくるようになっているのだろう。それが何かの拍子に、別の似たフレーズと置き換わってしまうわけだ。
デッドのレパートリィは少ないときでも50、1980年代には常時100を超え、1987年以降は150曲前後で推移した。これはステージで実際にやった曲を集めて、重複を除いた数だ。デッドは演奏する曲をその都度その場で決めている。ということは150にも及ぶ数の曲はいつ何時でも演奏できたわけだ。動画を見ると初期の頃から歌詞は一切見ていない。150曲の歌詞はすべてアタマにというよりも、カラダに刻みこまれていたわけだ。
1993年頃になってガルシアが歌詞を忘れたり、間違えたりすることが多くなるのが問題になる。これは動脈硬化で、脳に十分な量の血液が行かなくなるためだと後にわかる。当面、本人の努力でどうなるものでもないから、歌詞を映しだすプロンプターを用意することで解決をはかった。だからここではガルシアが「正しい」歌詞をうたっていて、ウィアの方が違う歌詞を同時にうたってしまった。それも二度も。ウィア自身、自分で自分に呆れはてたとかぶりを振るのが画面に大映しになったそうだ。
もっとも調子の良い時でも、歌詞のスタンザの順番が入れ替わったり、スタンザの前半が次のスタンザの後半にくっついたり、ということは稀ではない。むしろ、歌詞のまちがいがまったく無いショウの方が少ないと言ってもいい。デッドの場合、調子が良い時には、そういう「ミス」はまったく気にならない。あはは、またやってら、と聴いている方は文字通り笑って許す。ミスが気になるのは、全体の演奏の質がよくないときだ。
この年の夏のツアーは長く、このショウでは疲れている様子が目立ったらしいが、この後08月04日のジャイアンツ・スタジアムまで、4箇所、7本残っている。(ゆ)


