クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:文学賞


 ニュージーランドのヒューゴーにあたる賞。ヒューゴー同様、ニュージーランドの全国大会での投票で受賞作が来まる。今年の第37回大会 Au Contraire 2016 は6月第1週末。

 Sean Monaghan の "The Molenstraat Music Festival” が Asimov's 読者賞とオーレアリス賞の候補になっている。また Best Professional Production / Publication のカテゴリーに LETTERS TO TIPTREE の一篇が入っている。その他は、他の賞の候補、ローカス推薦リストとは重ならない。このあたりは地元の刊行物やそこでの発表を優先するという意味合いもあるのではないか。

 サー・ジュリアス・ヴォーゲル(1835-1899)は第8代のニュージーランド首相(1873-75, 76)。1889年に : Anno Domini 2000, or, Woman's Destiny を刊行する。女性が社会の枢要な位置にいる世界を描いたユートピアもので、ニュージーランド最初のサイエンス・フィクションとされる。この本のおかげか、ニュージーランドは1893年、女性が参政権を獲得した最初の国となった。

 なおニュージーランドの首相では現在まで唯一のユダヤ系。


 3月も下旬となり、ヒューゴーのノミネーション締切が近づくとともに、各賞の受賞作が発表されはじめた。


 ディック賞はペーパーバック・オリジナルとして刊行されたもので最も優れた作品に与えられる。受賞作と特別表彰が発表される。BASF賞ではアリエット・ド・ボダールが長篇と短篇の双方を制した。両方を同時に同一作家が受賞したのは初。ド・ボダールのBASF賞は2010年短篇賞以来二度目。長篇で賞を受けたのは初めてで、これまでの4回の各賞受賞はすべて中短編だった。受賞した長篇は4作め。Dominion of the Fallen と名づけられたシリーズの一環。このシリーズは昨年中短編が6本とこの長篇が出た。


 F&SF 3月・4月号の書評欄で Michelle West が取り上げている5冊のうち3冊は2015年の刊行で、ヒューゴーの対象になる。こういうところの書評は基本的に誉めるために取り上げる。自論を展開したり、対象の作品以外のことやものについて何か述べたりするために書かれることは少ない。それでも好みというのはあるし、書き手の誉め具合に波長が合わないことはあるわけで、取り上げられた全部が全部、涎が垂れるというのは滅多にない。ウェストは波長が合う方だが、今回はしかしどれもこれもすぐ読みたくなったのには困った。しかも、ミリタリー・サイエンス・フィクション、純文風ファンタジィ、幽霊屋敷を舞台にした連作、ポスト・アポカリプスの冒険ファンタジィ、そしてハード・サイエンス・フィクションと、作風もバラエティに富んでいる。しかし時間がないよ。植草甚一は毎日1冊、1年365冊読んだことがあって、おまけにその少なくない部分は日本語以外の本だったらしいが、ほんとにちゃんと読んだのか。いや、楽しんで読んだのか。ミステリーはともかく、サイエンス・フィクションやファンタジィはちゃんと読まないと楽しめないのよね。

 すぐ読めるかどうか、5冊の電子本の価格を各サイトで調べる。結構幅がある。電子本で1,000円を超えると買う気が失せる。電子本は結局内容へのアクセス権を買うので、紙の本のように丸ごと自分のものになるわけではないからか。紙の本は読み終ったりして不要になれば、人にあげるなり、売るなりできるが、電子本はそれができない。死ねばそこで終りだ。5冊のなかでは一番読みたい Leah Bobet の AN INHERITANCE OF ASHES が安い Kobo でも 1,700円超えるのに二の足を踏む。紙なら古本が1,500円以下だ。


 をー、F&SFの次号に Yukimi Ogawa が載るとの予告。紙媒体初進出。楽しみだ。この人に注目するのは、日本に棲む日本語ネイティヴ・スピーカーで英語で作品を発表しているところ。Aliette de Bodard もとりあげていた。あらためて調べると Kindle で1本出ているので購入。2014年に出ていてこの年はこれで5本。ざっとみたところでは昨年は1本しか出ていない。

 "In Her Head, In Her Eyes" 電子本付録のインタヴューによれば、日本語で作品を発表したこともあったが、今は英語でしか書けない。英語のリズムが合っている、と本人は言う。母語では距離が近すぎて、おしゃべりになってしまうのだろう。小説はどんなに語るように書かれていても、構成が必要だ。母語ではない英語で小説を書いて成功したのにはコンラッドやナボコフという例もある。が、英語との接し方が異なる。かれらは環境の変化によって英語を強制されたが、オガワは意識して選択している。この点ではアリエット・ド・ボダールもおそらく同じだ。前者ではまず英語は生きるために必要な手段だが、オガワやド・ボダールにとってはツールのひとつだ。言語表現で効果的に表現するためにはあえて一度対象を体の外に出す必要がある。とりわけ散文ではそうだ。体の外に出すために第2言語を使うのは、これまであまり試みられたことはないのではないか。とりわけ、日本語では。英語がそうした作業に最適かどうかは、おそらく人によって異なるのだろう。

 いや、そうか、明治期までは漢文、漢語がその役割を果していたのだ、きっと。言文一致は文章語を口語に近づける試みであるとともに、漢文からの脱出運動でもあった。それは見事に成功したわけだが、一方で表現を作る過程の質も変えたこともありうる。文語は日常語とは別の言語と言えるほどだったから、文章を書くことは別の人間になることでもあった。書く対象を体の外に出すのはそういうことも含む。それが言文一致によって、より柔軟で、幅の広い表現能力を備えると同時に、体の外に出す効果は弱くなった。文語そのものは第二次世界大戦終結まで残るが、そちらも口語に影響されて客体化効果は衰弱した。

 というのは脇道に逸れたが、小説を書こうとする人びとは対象を客体化するために、各自何らかの形で第2言語を利用していたのだろう。漱石は英語、鷗外はドイツ語、荷風はフランス語、というのは比較的わかりやすい例だし、戦後にしても大江健三郎はフランス語、村上春樹は英語という具合だ。星、小松、筒井は翻訳を通して第2言語の作物に接触した、ということになろうか。オガワが面白いのは、もう一度日本語にもどるのではなく、そのまま英語で書いていることだ。フランス語やスペイン語で書く日本語ネイティヴ・スピーカーも現れると、さらに面白くなる。

 オガワのような書き手の出現にはネットの存在がおそらく不可欠だろう。オガワをそちらに向けて押しだすとともに、オンライン雑誌が媒体を用意した点においても。マーケットとしては、日本語よりも英語の方が遙かに大きい。

 一方で、では英語の書き手はどうやって客体化しているのか。英語自体の中に客体化のための装置があるのではないか、というのが一応の見立てだ。(ゆ)

 ああ、しかし、もっと速く読みたい。速読がしたいわけじゃない、もっとたくさん読みたい。あれも読みたい、これも読みたい、今すぐ読みたい。でも、今読んでるこれをとにかく読み終らなければ次には移れない。とりわけ、長篇はそうだ。長篇を読みながら短篇を読むことはできるが、長篇の途中で別の長篇を読みだすとどちらも中途半端になりかねない。だから、もっと速く読みたい。

 いや焦ってはいけない。焦るとロクなことはない。肝心のところを読みおとしたり、とんちんかんな読み違えをしたり、あるいはまるで楽しめなくなったりする。おのれに合ったスピードで、とにかく毎日、ごりごりと読んでゆくしかないのだ。


 The Kitchies の受賞作が発表になっている。
 マーガレット・アトウッドのSFF関連の賞の受賞は THE HANDMAID'S TALE(侍女の物語) による1987年度アーサー・C・クラーク賞以来。


 SFWA は今年のケイト・ウィルヘルム記念ソルスティス賞を昨年3月に亡くなったサー・テリー・プラチェットに与えると発表した。

 2008年に創設された賞で、「サイエンス・フィクションまたはファンタジィ世界の風景に重大な影響を与え、スペキュラテヴ・フィクションの分野にとりわけ大きくポジティヴな変化をもたらした個人」に生死にかかわらず与えられる。SFWA取締役会の過半数の賛成を得て、会長が選定する。今年から「ケイト・ウィルヘルム記念」の呼称が加えられた。グランドマスターがデーモン・ナイトで、児童文学がアンドレ・ノートン、ドラマティック・プレゼンテーションがレイ・ブラッドベリ、SFWA自体への貢献を顕彰する賞が Kevin O'Donnell, Jr. とそれぞれ個人名が冠されているのに合わせる意味もある由。ウィルヘルム自身、ソルスティス賞の受賞者の一人。サイエンス・フィクション最高の作家のひとりであるとともに、クラリオン・ワークショップ、SFWAとネビュラ賞創設の牽引役となったデーモン・ナイトの夫人でもある。

 これまでの受賞者はウィルヘルムの他、アルジス・バドリス、オクタヴィア・バトラー、アリス・シェルドン/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、ジョアンナ・ラス、トム・ドハティ、カール・セイガン、スタンリィ・シュミット、マイケル・ウィーラン、テリ・ウィンドリング、マーティン・H・グリーンバーグ、ドナルド・A・ウォルハイム、ジョン・クルート、Ginjer Buchanan。わが国ではあまり知られていなさそうな人について簡単に記すと、ドハティとウォルハイムはそれぞれSFF専門出版社の創設者。シュミットは Analog の編集長をキャンベルと同じく34年間勤めた。ウィンドリングとグリーンバーグはアンソロジスト。クルートは Interzone 創設者の一人で、Science Fiction Encyclopedia の編集長兼執筆者。ジンジャー・ブキャナンはペンギン・グループのSFF部門である ACE と ROC の編集者を30年勤めた。

 サー・テリーの Discworld シリーズは英語圏最大のベストセラーのひとつだが、諷刺とユーモアを旨とするので日本語ネイティヴ・スピーカーにはなじみにくい。とりわけイングランド人のユーモアのセンスにはいらだつ人が多いようだ。

 諷刺とユーモアはサイエンス・フィクションの重要な機能のひとつで、プラチェットはそれを最大限に展開したということだろう。この機能は日本語サイエンス・フィクションでは弱いように思う。初期の筒井やかんべむさしがいるし、星新一と山田風太郎の諸作品でも重要な要素だが、メジャーな扱いは受けていない。ユーモアのセンスでは筒井にも負けない小松左京も、『日本アパッチ族』という諷刺とユーモアが爆発している大傑作を長篇第一作としながら、その後はいたってマジメな作風で通した。

 日本語ネイティヴはマジメが好きで、茶化されるのが嫌いだが、茶化してみて初めて見えたり筋が通ったりすることは少なくない。茶化し茶化されることを嫌うのは、精神的怠惰ないし怯懦といってもいい。別の面から言えば、なにものかに依存つまり中毒しているので、茶化されるとその依存関係が暴露されてしまう故に嫌う。依存ないし中毒の対象はいわゆる薬物だけではない。メディアであったりネット/スマホであったり、あるいは権力幻想であったり、カネであったりする。共依存などの対人関係もある。サイエンス・フィクションはふだんは隠されている依存関係を暴露する時、強力で高機能なツールとなる。ディスクワールドが暴いた依存関係は確認する価値がある。(ゆ)

 Spectrum 23 の最終候補が発表になっている。

 1993年に創設されたファンタジーを意図した絵画と彫刻を顕彰する賞。一昨年から Flesk Publications の John Fleskes が賞のディレクターとなった。選考は選考委員会による。受賞作は5月上旬の授賞式で発表。

 最終候補は
ADVERTISING
BOOK
COMIC
DIMENSIONAL
INSTITUTIONAL
UNPUBLISHED
の六つのカテゴリーで計40本。力作揃い。上記サイトはヴィジュアルが多い割に重くないので、ぜひご覧になるべし。


 Horror Writers Association がアラン・ムーアとジョージ・A・ロメロに生涯業績賞を授与すると発表している。授賞式はブラム・ストーカー賞と同じく5月中旬、ラスヴェガスでのストーカーコン。

 どちらも文字よりもヴィジュアルの分野で活動してきた人を小説家の団体が顕彰するのはおもしろい。


 ローカスはじめこれまで発表になった各賞の候補のどれにも入っていないものが4篇。

 独自のセレクションが9篇。

 クラーク、ストラハン、ドゾアの3冊に共通して収録されているのが4篇。
"Another Word for World", Ann Leckie
"Botanica Veneris: Thirteen Papercuts, Ida Countess Rathangan", Ian McDonald
"Calved", Sam J. Miller これはアシモフ誌読者賞の候補でもある。
"Capitalism in the 22nd Century", Geoff Ryman

 クラークとストラハンで重なるものが1篇。
"A Murmuration", Alastair Reynolds

 クラークとドゾアで重なるのが7篇。
"Gypsy", Carter Scholz 
"Bannerless", Carrie Vaughn
"No Placeholder for You, My Love", Nick Wolven
"Hello, Hello", Seanan McGuire
"Today I Am Paul", Martin L. Shoemaker これはネビュラの候補。
“Meshed", Rich Larson
“The Audience", Sean McMullen

 ストラハンとドゾアで重なるのが3本。
"City of Ash", Paolo Bacigalupi
"Emergence", Gwyneth Jones 
"The Game of Smash and Recovery", Kelly Link

 ストラハンでネビュラの候補と重なるものが4篇。
"The Pauper Prince and the Eucalyptus Jinn", Usman T. Malik 
‘Waters of Versailles", Kelly Robson
"The Deepwater Bride", Tamsyn Muir
"Hungry Daughters of Starving Mothers", Alyssa Wong これはブラム・ストーカー賞の候補でもある。

 ドゾアのベストでネビュラと重なるのは上記シューメイカーの1篇だけ。

 クラークのベスト収録作品でネビュラ候補と重なるのは
"Cat Pictures Please", Naomi Kritzer
“Damage", David D. Levine
の2篇。後者はローカスのリストにも入っていない。

 ヒューゴーの候補として考えられるのはまずこのあたりということになる。


 それにしてもこの Kelly Robson は注目だ。昨年初めて一気に5篇を発表し、そのうち1篇がネビュラの候補、ドゾアとクラークのベストに1篇ずつ収録。いずれもローカスの推薦リストにある。当然ジョン・W・キャンベル新人賞の候補にも入ってくるだろう。ウエブ・サイトの写真ではなかなかチャーミングな女性だが、ヘテロの人には残念ながら同性のパートナーがいるそうだ。そちらも新進のSFF作家。ともにカナダ出身。


 ヒューゴー長篇のノミネートをするために、ネビュラの候補にもなっているアン・レッキーの Imperial Radch 三部作の完結篇 ANCILLARY MERCY を読むために、第一部 ANCILLARY JUSTICE を読みはじめた。急がば廻れ。周知のようにこれはかつて巨大軍艦の AI だったものが ancillary と呼ばれる人間の肉体を使った分身のひとつに封じこめられた存在の一人称だが、語り手は人間をすべて女性代名詞で指す。そのうえで必要な場合には対象が male であることを明示する。これを邦訳ではどう処理しているのか、読みおわったら確認してみよう。

 この女性代名詞の件は公式サイトの FAQ でジェンダーの意味は含めていないと著者がことわっている。ラドチャアイ語ではジェンダーが無く、英語では有る。したがって英語に翻訳する場合には何らかのジェンダーを付けねばならない。とはいうものの、女性男性どちらでもよかったならばなぜ女性を選んだか、ということは残る。そこに必要以上の意味を読もうとするのは本筋から外れるかもしれないが、しかし英語で読む場合、女性代名詞が生む効果は無視できない。また、「元」の言語にジェンダーがないという設定によって英語ではジェンダーがあることが浮き彫りになる。

 日本語にもジェンダーは有る。当然ながら、英語におけるジェンダーの現れ方とは異なる。そこで女性キャラクターの台詞を邦訳する際のいわゆる「女ことば」の処理は翻訳者にとっては大問題だ。両性の台詞の言葉づかいを全く同じにすると、日本語の文章語としては不自然になることが多いのだ。

 そして語り手 Breq のジェンダーは自分にはおそらくわからないと著者は言う。それはこの物語にとっては重要ではなく、そして代名詞ではこちらを選んだために、はっきりさせる必要がなくなったからだ。というのが著者の回答。つまり、Breq のジェンダーがどちらであってもこの物語は成立する。ジェンダーが無いということもありうる。(ゆ)


叛逆航路 (創元SF文庫)
アン・レッキー
東京創元社
2015-11-21


アン・レッキー
東京創元社
2016-04-21



 英国の Kitschies の第6回の最終候補が発表になっている。受賞作発表は3月7日。選考は部門別の選考委員会。

 英国のゲーム、ウエブ・サイト開発会社がスポンサーの賞で、「スペキュラティヴで、ファンタジィの要素を含む、先進的で知的で面白い作品」に与えられる。小説、デビュー作、カヴァー・アート、デジタルの4つの部門。デジタル部門は電子本だけでなく、インタラクティヴ・フィクション、ゲームなども含む。

 小説のうちN・K・ジェミシンの THE FIFTH SEASON はネビュラ、Dave Hutchinson の EUROPE AT MIDNIGHT が英国SF作家協会賞の候補にもなっている。この2冊と Adam Roberts の THE THING ITSELF はローカスの推薦リストにも収録。また、デビュー作はすべて他のリストには無い。 

 賞の名前の "kitschy" は「キッチュ」から来ているのだろう。わざと古めかしい装いをまとった、浅薄で俗物的なものをさす。この場合はむろん逆説的用法。"bad" がすごく良いことであるのと同じ。


 オーストラリア国内で、またはオーストラリア市民によって発表された、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、障碍をテーマとする優れたスペキュラティヴ・フィクションに与えられる。主催はオーストラリア・サイエンス・フィクション財団(ASFF)。2010年、メルボルンの第68回世界SF大会 Aussiecon 4 で第1回の受賞作が発表・授与された。選考は選考委員会による。ASFF は1975年、オーストラリア初の世界SF大会 Aussiecon の運営のために設立された。受賞作発表は3月末のオーストラリアSF大会 Contact 2016。ディトマーと、サイエンス・フィクションでなみはずれた業績に与えられる A. Bertram Chandler Award と同時。ノーマ・キャスリン・ヘミング (1928-1960) はオーストラリアの女性SF作家のパイオニア的存在。

 7本の最終候補のうち2本が Aurealis の候補と重なる。1本はヤングアダルト長篇、もう1本は短篇。


 受賞作発表は5月17日の StokerCon。1987年創設で、主催は Horror Writers Association。対象は全世界で英語で発表されたもの。HWA の会員資格は国籍を問わない。ただ、ストーカー賞の対象は基本的に英語による作品。ノミネートは協会員の推薦と各部門別の推薦委員の推薦。ここから会員の投票により最終候補と受賞作が決まる。この賞は「最優秀作品 best」を選ぶのではなく、「すぐれた作品 superior」を選ぶとわざわざ断わっている。複数の受賞作が可能なようにルールを作っている由。

 ホラー、ダーク・ファンタジィの分野は専門の書き手が多く、媒体も別で、他のリストとはほとんどまったくといっていいほど重ならない。サイエンス・フィクションやダークではないとされるファンタジィでもホラーやダークな要素を重要なモチーフにしている作品はあるが、それとはどうも選ぶ基準が違うようでもある。例外的に Alyssa Wong の "Hungry Daughters of Starving Mothers” はネビュラの短篇部門最終候補に入り、ローカスの推薦リストにもある。また Stephen Jones 編 THE ART OF HORROR: An Illustrated History がローカスの推薦リストにある。

 なお、賞のノミネートの参考として推薦リストが発表されている。こちらにはサイエンス・フィクション、ファンタジィとして出ているものも含まれる。


 こうして並べてくると、前年の成果を確認・表彰する各賞の発表は3月から始まり、8月のヒューゴー賞発表はその締めくくり、総仕上げになるわけだ。(ゆ)

 Clarkesworld の編集長 Neil Clarke が選ぶ年刊傑作選の第1巻が今年7月に出る。その内容が Clarkeのサイトに発表されている

 収録作品は31本で、ローカスの推薦リストとの重複も多いが、重なっていないものが10本ある。

 これで年刊傑作選は、ドゾア、ストラハン、ホートンと合わせて4種、加えて、
BEST AMERICAN SCIENCE FICTION (Hill & Adams), 
BEST WEIRD FICTION (Koja & Kelly), 
WILDE STORIES 2015: Best Gay Speculative Fiction (Berman), 
BEST HORROR (Datlow), 
BEST DARK FANTASY & HORROR (Guran), 
BEST AUSTRALIAN FANTASY AND HORROR (Grzyb & Helene), 
FOCUS 2014: Highlights Of Australian Short Fiction (Wessely)
と周辺も含めれば少なくとも11種。史上最多ではないか。それだけこの種のものが売れるというのはわかる気もする。よほど熱心な読者でも、もう追いかけきれないからだ。


 試みに、ローカス推薦リスト収録作品発表媒体の上位5つ、Asimov's、Clarkesworld、F&SF、Lightspeed、Tor.com  に2015年1年間に発表された新作中短編はトータル293本(英語初訳も含む)。これ以外の雑誌、オリジナル・アンソロジーや個々の中短編集、ウエブ・サイト、ジャンル外の媒体もあるから、昨年1年間に英語で発表されたSFF関連の中短編はおそらく500本前後になるだろう。いかにネイティヴとて、これを全部読むなんてことはそれを仕事にでもしていないかぎり、よほどの精進が必要になる。オーストラリアにはとにかく「全部」読むという活動をしている集団があって、ジョナサン・ストラハンもその年刊傑作選収録作品選出にあたって協力をあおいでいるくらいだ。


 第50回ネビュラ賞の候補作が発表された。同時にドラマティック・プレゼンテーションを対象にしたレイ・ブラッドベリ賞、ヤングアダルト作品を対象にしたアンドレ・ノートン賞の候補も発表されている。受賞作発表は5月中旬のネビュラ賞週末。

 各部門の候補はアメリカSFF作家協会員(SFWA)のノミネーションと投票によって絞られ、6本の候補が挙げられるのが原則だが、長篇は7本。うちローカスの推薦リストにないものが3本。ノヴェレットで Asimov's 誌から3本入っているが、2本は Asimov's 読者賞の候補にもローカスの推薦リストにも入っていない。ローカスの推薦リストにないものは、ノヴェラで1本、ノヴェレットで3本、短篇で1本。また、アメリカ以外の英語圏からの作品は無い。ネビュラの対象は協会員の作品である必要はないが、アメリカ国内とインターネット上で発表されたものに限られる。アメリカ国外での作品もアメリカで出版されれば対象になるが、英国以外の英語圏で発表された作品のアメリカ版が出るのはまだ稀だ。その点では英語による発表であれば全世界が対象であるヒューゴーの方が範囲が広い。

 ローカスによれば、今年は初めて候補になる作家が多い。過去の受賞者は3人で、マイケル・ビショップが16回候補になって3回受賞、アン・レッキーが2回候補になって1回受賞、ケン・リウが8回候補になって1回受賞。未受賞者ではN・K・ジェミシンが4回め、ローレンス・M・ショエンが3回め。次の波が来ているということか。

 ビショップは近年、ほとんど作品を発表していなかったので、復活は嬉しい。(ゆ)


 コンプトン・クルック賞はボルティモア・サイエンス・フィクション・ソサエティ(BSFS)が1983年から毎年選定する賞で、過去2年間に刊行された作品を対象とする新人賞。5月末の Balticon 50 で発表。コンプトン・クルック(1908-1981)は Towson State College の生物学・生態学教授で、Stephen Tall のペンネームで小説も書いていた。主な作品は宇宙探検船 Stardust 号のシリーズ。このシリーズは発表雑誌が Worlds of Tomorrow, If, Galaxy, F&SF とバラけているのが珍しい。F&SF掲載の中篇 "Mushroom World" は面白かった記憶がある。BSFS の中心メンバーの一人でもあり、新人発掘に熱心だった。

 カーネギー・メダルは児童文学の分野で世界で最も権威のある賞の一つで創設は1933年。グリーナウェイ・メダルはイラストに与えられる。翻訳児童書の表紙や箱に金色のメダルが付けられているのはよく目にする。『ローカス』がSFF関連作品のリストを挙げている。最終候補が3月15日発表。受賞作発表は6月20日。

 オーリアリス賞はディトマーと並ぶオーストラリアの賞。両者の違いはディトマーはヒューゴー、オーリアリスはネビュラといえば当たらずといえども遠からずか。オーストラリアには SFWA に相当する組織はなく、この賞はもともとは雑誌 Aurealis を発行していた Chimera Publications が1995年に始めた。ディトマーとオーストラリア児童書評議会賞を補完するものという位置づけ。現在は Western Australian Science Fiction Foundation がキメラ社の代理として運営している。選考は選考委員会による。今年はホラー長篇部門の候補が出ていない。今年から SARA DOUGLASS BOOK SERIES AWARD が加わった。これは複数巻にわたるシリーズを全体として表彰しようというもので、WASFF による試験的な設置。第1回は2011年から2014年の間に完結したシリーズが対象。サラ・ダグラス(1957-2011)はサウス・オーストラリア州出身の歴史学者でオーストラリアを代表するファンタジィ作家の由。オーリアリスも数回受賞している。発表は3月25日 Natcon 会場。

 シリーズを全体として顕彰しようというのはもっともだ。ヒューゴーでもロバート・ジョーダンの『時の車輪』全巻が候補になったこともある。

 当然といえば当然だが、どの賞もほとんどと言っていいほど、候補作が重ならない。とりわけ、カーネギーとローカス推薦リストの Young Adult 部門の作品がまるで違うのは面白い。
 
 また SFWA は32人めのデーモン・ナイト記念グランド・マスターにC・J・チェリィを選んだ。5月中旬のネビュラ賞発表式で同時に表彰される。
 
 チェリィは今年74歳。1976年に長篇 GATE OF IVREL でデビュー。1977年にジョン・W・キャンベル記念新人賞を受賞。1978年の第4作 FEDED SUN: Kesrith がヒューゴー、ネビュラにノミネートされて注目される。『ダウンビロウ・ステーション』1981『サイティーン』1988それに「カサンドラ」1978でヒューゴーを得ている。しかしネビュラには縁が無い。もう永年、ノミネートすらされていない。とはいえ、彼女の作品を敬愛する作家は少なくないようだ。ジョー・ウォルトンによる Tor.com での再読連載を読めば、チェリィの全作品を読みたくなるが、長篇は2015年末現在で74冊。約半分は Union-Alliance 宇宙と呼ばれる未来史シリーズで、邦訳のある『色褪せた太陽』三部作や『ダウンビロウ・ステーション』『サイティーン』『リムランナーズ』はいずれもこれに属する。わが国でよく知られた未来史シリーズはハインライン、アシモフ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、ポール・アンダースンなどなど、いずれも主に中短編で構成されるものが多い。チェリィの「連合・同盟シリーズ」はそれを長篇でやっている。一つひとつは独立した話だが、背景を共通とし、キャラクターも重複する。それもある話ではほんのちょい役だけのキャラが別の話では主役を張るというように、様々なつながりをする。だから、そうしたつながりを知った上で再読すると、また別の楽しみができる。こちらの最新作は『サイティーン』の続篇にあたる REGENESIS, 2009 だ(これについては Chris Moriarty の F&SF 掲載の書評を参照)。最近力を注いでいるのは Foreigner 宇宙で、異星に漂着した地球人を視点にして現在16冊。

 チェリィはまたゲイであることを公表している。今年のスーパーボウルのハーフタイム・ショウではレインボウ・カラーが会場を彩っていた。会場のあるサンフランシスコへ敬意を表したのかもしれないが、どちらかといえば保守的とされるフットボールの世界でもそういう演出がされるのは、アメリカ社会での LGBT の位置を示しているのかもしれない。今年、チェリィがグランド・マスターに選出されたのも、大統領選挙があることを考えると同様の意味があるとするのは深読みがすぎるか。とはいえ、ローカス推薦リストにあげられた中短編を読んでいると LGBT やジェンダーの在り方を問うものが目につく。

 なお、これまでのグランドマスターでチェリィより後にデビューしているのは2012年のコニー・ウィリス。女性ではアンドレ・ノートン (1984)、ルグィン (2003)、アン・マキャフリィ (2005)、ウィリスと来て、チェリィは5人目。
(ゆ)

 英国SF作家協会賞Asimov's 誌読者賞、それにディトマー賞のそれぞれ最終候補が発表されている。

 前二者は『ローカス』の推薦リストと重なるところも多いが、もちろん独自のものもある。
英国SF作家協会賞では

Novel
Chris Beckett, Mother of Eden, Corvus

Short stories
Paul Cornell, “The Witches of Lychford”, Tor.com
Gareth L. Powell, “Ride the Blue Horse”, Matter

がローカスのリストにはない。それにノンフィクション部門はほとんどが雑誌などに発表された短かいものなので、『ティプトリーへの手紙』以外は重ならない。

 『アシモフ』誌の方はローカスのリストにあって読者賞の候補にないものもある。これも当然ではあるが、このあたりを読み比べるのも面白い。大部分が PDF の形でネット上に公開されている。

 ディトマーはオーストラリアのヒューゴーに相当する賞で、対象はオーストラリア国籍または在住の人の作品と業績。挙がっている作品はほとんどが他では見ない。発表媒体では Tor. com と F&SF が重なるくらいだが、どちらの作品もローカスの推薦リストには入っていない。こういう視点の多様性はここでも大事。この賞に付随する賞として批評作品に与えられる William Atheling Jr 賞の候補に『ティプトリーへの手紙』が入っているのが目を引く。これ、どこか邦訳を出さんかねえ。それぞれの書き手によって訳者を分けて。


 一方、ようやくローカスのリストの作品を読みだした。まずは Tamsyn Muir, The Deepwater Bride。F&SF, 2015-07+08号掲載のノヴェレット。タムシン・ミュアーはニュージーランド出身で、アメリカを経て今は英国在住。ISFDB によれば発表した作品はこれが4作目。これまではネット・マガジンで、紙の雑誌には初登場。最近作は Lightspeed に短篇がある。Clarion 2010 の卒業。

 話は異界の王が花嫁を娶りにやってくるお伽話のヴァリエーションで、地球温暖化と LGBT をからめたところが斬新。加えて、語り手の高校生が未来が見えてしまう女性の家系の一人というのも面白い。未来は見えるが、見えたことを「予言」しても未来は変わらない。唯一、自分がいつどうやって死ぬかは見えない。ただし、長生きできないことだけは先例からわかっている。こういう存在にとっては日常は退屈そのものになり、それを破るものに関心を持つのも自然ななりゆき。したがって、海底の王が花嫁を娶りにやってくるという事態が「見えた」とき、花嫁候補を探しにでかけ、候補に目星がつくとその相手につきまとうのもまた当然ではある。つまりこれはほとんど純粋なラヴ・ストーリーなのだが、それをそうと感じさせない語り口はなかなかのものだ。他の作品も読みたくなる。もっともこれが昨年のベストだ、とまではいかない。

 余談だが、海底の王がやってきて街が水没するというのは『十二国記』序章の『魔性の子』のラストにシチュエーションがそっくりだ。ただし、こちらはむしろユーモアたっぷりで、読みながら何度も吹き出してしまう。


 続いては Jeffrey Ford, The Winter Wraith。F&SF, 11+12月号掲載の短篇。今からすれば一昨年の冬の寒さがとても厳しく、乗り切るのに難儀したということをキット・リードとネット越しにしゃべっていて、リードがふと "the Winter Wraith" という文句を出した。それって、短篇のタイトルとしてはすてきじゃないか、と返すと、どうぞ、やってみなはれ、と言われたので書いたのがこれ。ということで、大平原の真只中に一軒だけ建つ家のクリスマス・ツリーがおかしくなる、というところから話が始まる。ホラーというよりも怪談の趣。ただ、オチがない。どうも近頃の短篇にはオチがないものが結構あるように思う。そりゃ、確かにオチがなくちゃならないというのは一昔前の、いわば前世紀的な考えで、一つの作品として完結していればオチは必要ない、というのはわからないでもない。これも別に煽っているわけではない。しかしどうも話が尻切れトンボのように、ポカンと放りだされてしまうのはやはり腑に落ちないのだ。それともこちらの読み方が間違っていて、これはそもそもそういう話ではなく、むしろ法螺話、ダークなユーモア綺譚というべきものなのか。それとも筋で読む話ではなく、雰囲気にひたるべきものか。

 フォードの作品は The Coral Heart、それで斬られると真赤な珊瑚になって死ぬという妖剣とその持主の話、ムアコックのストームブリンガーのパスティッシュから出発しているソード&ソーサリーものが良くて、あちらではちゃんと話にケリをつけていた。もう一篇、Tor.com に発表されたノヴェレット The Thyme Fiend がやはりローカスのリストにある。この人は1981年にデビューしているが、本格的に書きだしたのは90年代、40代後半からだ。ウルフとかマッキリップ、シェパード、ジョン・クロウリー、ポール・パークといった書き手に肩を並べるとのことで、いずれちゃんと読もう。(ゆ)

 ヒューゴーの編集部門、とりわけ Best Editor: Long Form について、マーティンがこれは事実上、生涯功労賞になっていると書いたら、そんなことはない、毎年ベストの編集者を選ぶのがタテマエだと食いついた人がいた。ルールの上ではそうだが、実際に前年の仕事を元に選ばれているわけではない、というマーティンの反論にはうなずける。誰が何を編集しているかは、どこかに発表されているわけではない。

 そこで、マーティンは知合の編集者たちに呼び掛けて、昨年編集した本のタイトルを教えてもらい、ブログで発表している。一種のファン・サーヴィスではある。


 さてヒューゴー賞事務局から PIN コードが送られてきた。候補作のノミネートと投票にはこのコードが必要になる。

 候補作のノミネートの締切は3月末日23:59。2015年と1940年に発表された、または英語化された作品が対象。後者はレトロ・ヒューゴー賞だ。

 それにしてもレトロ・ヒューゴーのカテゴリーも通常のヒューゴーと同じなのは、どうなんでしょうねえ。1940年にポドキャストがあった、というのはそれ自体サイエンス・フィクションだ。Best Graphic Story というのもなあ。アメコミはもちろんあったわけだけど、うーん『リトル・ニモ』も対象になるかなあ。Dramatic Presentation は『ファンタジア』で決まり、でしょう。

 小説作品は『アスタウンディング』での「キャンベル革命」が実を結びはじめた頃だから、結構ありそうだ。ちょっとみると1月号にはハインラインの「鎮魂歌」が掲載されている。をを、『グレー・レンズマン』の連載最終回もあるぞ。でも、これ、本になるのは1951年だよな。こりゃあ、面白い。「レンズマン・シリーズ」本篇4冊は1937年から1948年にかけて雑誌連載されているのに、本になるのは1950年からなんだ。柴野さんが訳者あとがきにでも書いていたとしたら、見逃していた。おや、『銀河パトロール隊』は昨年のレトロ・ヒューゴーにノミネートされている。そう、ルールによればどんな形でも1940年に発表されたものが対象だから、『グレー・レンズマン』も今年候補になる資格がある。ちなみに『銀河パトロール隊』は受賞していない。この年のベスト長篇はT・H・ホワイトのアーサー王シリーズ ONCE AND FUTURE KING『永遠の王』第1部 THE SWORD IN THE STONE。

 ふむ、レトロ・ヒューゴーの方は結構読んでいるかもしれない。アシモフ、クラーク、ハインラインはすでに活躍してるし、ブラッドベリも本格的に書きはじめている。(ゆ)

 ローカスの2015推薦リストが出てしまった。別に出てしまって悪いわけじゃない。むしろ、これだけ早く出してもらえるのはありがたい。
 
 これは同時に始まったローカス賞の投票の参考用ではあるが、ローカス周辺や業界の読み手たちによる推薦だから、好みに合う合わないはあってもまったくの大外れは無いはずだ。ヒューゴーのノミネートにしても、このあたりから手をつけるのがまずは妥当だろう。

 自分でちゃんと読んでいて、このリストにも即座にケチをつけられるくらいであるのが理想であるわけだが、第2言語で書かれたものをそんなにたくさんは読んでいられない。第1言語で書かれたものだって、そうそうは読めないのだ。ジョー・ウォルトンは家でベッドに入ったまま他に何もしないときには1日で4、5冊かたづけるそうだが、あたしにはそんな芸当は不可能だ。だいたい本ばかり読んでもいられない。音楽も聴かねばならないし、ライヴにも出かけなければならない。しっかしまあ、みごとに一つも読んでいないぞ。まあ、去年はとにかくグレイトフル・デッドに明け、グレイトフル・デッドに暮れていたし、このところ旧作ばかり読んでいるから当然の結果ではあるわけで、今年はその逆をいってみようというのが後からとってつけた意図ではある。

 だから、こういうリストを参考に、今年前半は昨年の収獲を消化、消費ではない、消化することに努めよう。もっともアンソロジーの中の年刊傑作選はいずれも一昨年の作品を収録しているから、これらを読めば2年分の上澄みは味わえる。そう言えばこの選考者の中には年刊傑作選の編者もドゾアとホートンとストラハンと3人も入っている。

 個人的にはノンフィクションの部門に関心がいくのはやはり年のせいか。とりわけイリノイ大学出版局が出しているサイエンス・フィクション作家のモノグラフ・シリーズは全部読んでみたい。こんなのが出ているのも今回知って、ジョン・ブラナーは注文してしまった。これは昨年のではない。2013年刊行だ。こういう旧作を見つけてしまうのも困ったものだ。

 LETTER TO TIPTREE はキンドル版が安かったので買ってしまった。しかし、これはよくぞ作ってくれたものだ。あたしとしては第二部のル・グィンとラスとの往復書簡が一番関心があるが、第一部も面白い試みだ。わが国の作家たちの書簡集も出してほしい。『SFの国』展で展示されていた半村良から小松左京への書簡を読むと切実に思う。

 さあて、まずは中短編の手許にあるやつからかな。(ゆ)



 

 2016年のワールドコン MidAmeriCon II @ Kansas City, MO の Supporting Member に登録する。50USD。

 なぜこの年になって生まれて初めてコンヴェンションに関係する気になったかというと、01/31までにサポーティング・メンバーになるとヒューゴーの候補作をそれ自体は買わずに読めるらしいからだ。サポーティング・メンバーはヒューゴーの投票権があり、候補作が版元から電子版で送られてくるそうな。長篇は全部ではないらしいが、50ドルで15本以上の作品が読めるならお釣りが来る。これを教えられたのはブランドン・サンダースンのブログだ。

 これまでもヒューゴー、ネビュラの最終候補作を読んでみようとしたことはあったが、長篇はともかく、中短編は結構集めるのが大変だったりして、結局完全制覇したことは一度もない。

 たとえ送られてこなくても、ノミネートと投票の権利はできたから、インセンティヴにはなると期待。

 今年は年頭からジーン・ウルフにはまったり、パトリシア・A・マッキリップを「発見」したりして、昨年以上に小説が読めそうだ、ということもある。

 さあて、ノミネーションの締切が3月末日。それから投票まで4ヶ月でどれだけ読めるか。
3月下旬には Locus の推薦作品リストが出るだろうから、その上位から片付けてみよう。(ゆ)

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