クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:文房具

 一家揃って妹の墓参り。ちょうど染井吉野が満開で、「桜の里」という名前の通りの花盛り。よく晴れて墓参りにはちょうどよい。町田駅にもどり、息子推薦の魚定食屋・魚恵に行く。なるほど旨い。



 食べて解散。ロフトを覗き、ジェットストリーム・ライト・タッチ、ブルーブラックの単色ボールペンと先日銀座で長蛇の列のレジに恐れをなして買わなかった Kreid の小さめのノートを買う。ブルーブラックの替芯のケースは空っぽ。念のため訊ねてみるが、在庫無し。


 ブルーブラックのおかげで、今まで見向きもしなかったジェットストリームに俄に関心がわく。油性ボールペンでブルーブラックのインクは初めてかもと検索してみると、ジェットストリームは過去に出していた。この記事によれば2010年頃まではブルーブラックは出ていた。


 パイロットは30年以上前に出したことがある。



 油性ボールペンにブルーブラックが無い理由について、このパイロットの課長は黒との判別が難しいことをあげているが、これではゲルインクにはあって、油性には無いことが説明できない。

 真の理由を勘繰ると、インク原料の性質から、安定した製造が難しいのではないか。ロット毎に色が変わってしまうのでは、レギュラーにできない。1回に作った分だけ売りきる限定版にせざるをえない。

 とはいえジェットストリーム発売当初にはカラーインクとして4、5年の間レギュラー販売していたわけだから、安定製造がまったく不可能なわけでもないだろう。とするとやはり売れなかったのか。

 15年前にはブルーブラックは人気が無かったことはありえる。今世紀に入って四半世紀経つ中で、2010年というのは1つの区切りのような気がしている。そこまではまだ20世紀を引きずっていた。2011年の東日本大震災がきっかけかもしれないが、わが国だけのことでもないような気もする。その2010年以降、ブルーブラックへの嗜好が広がってきたのではないか。サクラクレパスがブルーブラックはじめ、各種の「黒」の使い分けを提唱したボールサイン iD を出すのが2021年。これが定着しているのをみても、ブルーブラックのような「黒系」の色を好む人は増えていると見える。万年筆用インクではブルーブラックは定番で、インク・ブームからブルーブラックへの嗜好が広がったことはありえるだろう。


 町田のロフトではシャープペンシルの棚は軒並現物は無く、製品カードを持っていってレジでの渡しになっている。なっておらず、現物が棚にあるのはファーバーカステルのバリオ。これは銘機なのに人気が無いのか。


 サウンドジュリアの動画で知ったカーラ・ボノフの〈The water is wide〉をあらためて Tidal で聴いてみると、かなり良い。間奏のアコーディオンがちょとやり過ぎだが、後半の男声コーラスにゾクゾクする。セカンド《Restless Nights》のクローザー。

 調べるとこの曲のコーラスはジェイムズ・テイラーとJ. D. サウザーとあるが、後ろのはおそらくサウザーだろう。アコーディオンはガース・ハドソン。バンドから離れてはしゃいだのか。

 アルバムは1979年、ラス・カンケル、リック・マロッタ、ワディ・ワクテル、アンドリュー・ゴールド、ダニー・クーチマーなど、有名どころがずらり。リンドレーまでいる。ボノフの声はわずかに粗さがあり、プロデュースのケニィ・エドワーズはかっちりしたロックの体裁を採用してその声を活かし、シティ・ポップにしていない。70年代の良心を留めた1枚。(ゆ)

 マルマンがスパイラルノート ベーシックに150枚の「厚い」ノートを11月22日に発売。



 これまで最大の80枚のほぼ2倍。ようやく出たかと買おうとしたら B5 は楽天、ヤフーの公式ストアで23日にすでに完売。A5はまだある。やはり需要はあるのだ。実験的に横罫だけ出したらしいが、方眼やもっと分厚い200枚も出してほしい。国産のノートはなぜかどれもこれも軽薄に傾いていて、持ち出すには便利ではあるが、メインで使うにはもの足らない。これまではせいぜいが100枚だ。つばめノートに200枚があるが、B5 と A4 だけだし、外装に艷気が無い。

 その昔UCLA門前町のウェストウッドの文具店に、300枚のリング・ノート、しかも安いものが山積みになっていた。紙にはこだわらず、横罫の罫も太くて、左から少し入ったところに1本赤い罫が縦に入っている。ポケット付き用紙が1枚ぐらいはさまるシンプルな作り。ボールペンやシャープペンシルでがんがん書くためのもの。むろん、40年前で、誰もがノートに手書きしていた頃の話だから、今もああいうノートがあるのかは知らない。Amazon.com を見るとスクール用は100枚が上限らしい。なぜか女性用として300枚のノートがある。そういえば日記には1日1ページで400ページ近いものが増えてきた。あれを使う手もあるが、スケジュールのページが邪魔。

 マルマンのサイトを見たら Lyra の代理店もやっている。しかし、今はシャープペンシルはもう作っていないようだ。あそこの  Comfort-Liner 56 は、何の変哲もない、むしろチープに見えるプラスティックの三角軸シャープで、実際値段も安かったが、これまで使ったあらゆるシャープの中でベストの1本。

Lyra Comfort-Liner56

 最高の鉛筆の一つである Art Design pencil はまだある。



 楽天のマルマン公式ストアに注文したスパイラルノート ベーシック A5 150枚着。150枚だがそれほど厚くない。これなら200枚は悠々行ける。300枚も欲しい。(ゆ)

1115日・月

 ハイタイドのオンラインストアでふと目についた HMM Pencil を注文。こういう、良さげなシャープペンシルを見ると、むらむらと買ってしまう。こないだ、Kickstarter Wingback のものを手に入れて、気に入っていて、もうこれで打ち止め、と思ったのだが、やはりダメ。これが 0.5 だったら買わないところだが、おあつらえ向きに 0.7 なのだった。やはりハイタイドが出しているドラフト・ペンシルにも惹かれるが、0.5 だったので買わずにすむ。

 これも台湾製。台湾製の文房具が目につくなあ。
 


##本日のグレイトフル・デッド

 1115日には1969年から1987年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1969 Lanai Theater, Crockett, CA

 Moratorium Day として知られるこの日のワシントン、D..でのベトナム反対大規模デモのための資金集め。休憩無しに2時間超演奏している。

 会場は685席の元映画館。1913年にオープン、1951年にラナイ劇場と改称。少なくとも1958年まで映画館として使用され、後、ライブハウスとなった。ここではこの1回のみ。

 クロケットはサンフランシスコ湾の北のサンパブロ湾東岸、オークランドからバークリー、リッチモンドと北上して、サンパブロ湾から東に伸びるカルキネス海峡の南側。


2. 1971 Austin Memorial Auditorium, Austin, TX

 開演午後8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。

 《Road Trips, Vol. 3, No. 2》で全体がリリースされた。後半ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉のシークエンスが聞きどころ。71年版から72年版へ移ってゆくのが面白い、と言われる。

 《Road Trips》のシリーズは一連の複数のショウのハイライトを収録して、ランと呼ばれる一群のショウ全体像を提示しようという試みだったが、評判は悪く、売行もよくなかった。デッドヘッドはテープで1本のショウ全体を聴くのを好んだし、この前の《Dick's Picks》のシリーズは1本のショウ全体をリリースする方針だったから、失望されたのだろう。結局、1本のショウ全体をリリースする形になってゆく。


3. 1972 Oklahoma City Music Hall, Oklahoma City, OK

 後半5曲目〈Playing In The Band〉、8曲目〈Wharf Rat〉、10〜ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉が《Dave’s Picks, Vol. 11》で、後半4曲目〈Brokedown Palace〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。〈Wharf Rat〉は今年の《30 Days Of Dead》でもリリースされている。計6曲リリースされたことになる。

 30分を超える〈Playing In The Band〉がまずハイライト。30分間、バンド全員が一瞬たりともダレた音を出さない。緊張と弛緩の同居する集団即興が続く。ベスト・ヴァージョンの1本。最後にウィアが Thank you. Wharf Rat〉も、その後もすばらしい。まるでジャズの〈Not Fade Away〉から、だんだんスピードが速くなるロックンロール〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がコーダでぴたりと収まって、レシュのベース一発で〈Not Fade Away〉にぱっと戻る。今度はウィアがコーラスを繰返す。そこにガルシアがギターをかぶせて、エンディング。このエンディングだけで1分近くやる。

 こういうショウを連日やっていたこの年はやはりピークだ。全体を出さないのはテープの損傷か。せめて後半だけでも、全体の公式リリースが欲しい。録音はアウズレィ・スタンリィで、クリアそのもの。


4. 1987 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 開演6時。日曜日のせいか、珍しく早い。

 この年ベストのショウの一つ、らしい。アンコールのハンター&ガルシアの後期の傑作〈Black Mudyy River〉は、デビューからちょうど1年経ち、最初の決定的演奏のようだ。(ゆ)


4月10日・土

 先日の DNB のフリー配信の Sir Victor Gollancz。遺産額28,603GBP。あの大出版人としてはささやかなものではないか。ペンギン帝国を築いた Allen Lane は121,647GBP。4.25倍。


 B5判で26、A4判で30、A5判で20個の穴が穿けられているルーズリーフの紙は日本のみのものらしい。これは一体、いつ、どこで、誰が考案したのか。ISO で決まっているのは二穴のみ。スウェーデン、スペインでは四穴がスタンダード、ドイツでも四穴だが、穴は等間隔ではなく、二つずつ別れる。北米ではレター・サイズに三穴がスタンダード。日本だけがダントツに多い。もちろん穴は最低二つ、せいぜい三つか四つあればすむ。こんなにたくさん穿ける必要はない。用紙もバインダーも製作に手間とコストがおそらく数倍はかかる。原材料もムダだ。

 わが国でルーズリーフの普及が今一つなのも、この穴の多さが原因ではないか。バインダーに綴じこむのが結構な手間だ。安いバインダーのリングは上端が固定されて半分が回転し、開いてリーフを入れ、閉じて下端のラッチをはめるものが多い。リングの半分を横に開くためには平らに開かねばならず、スペースをとる。スペースをとらないレバーでリングが開閉する方式は高くなる。いずれも標準では厚さも不足で100枚綴じるのはきつい。リーフを入れる時、3個ないし4個の穴に入れるよりも神経を使う。つまり使い勝手が悪い。デジタル時代が始まる直前にバイブル・サイズのシステム手帳が大流行したのも、あちらは穴が6個で格段に綴じやすいことも原因の一つではなかったか。

 穴の数が多いことによるメリットとしては、サイズの異なる紙を一つのバインダーに綴じられることがある。アメリカの文具屋でメーカーの Levenger にはそういうシステムがある。わが国でもまったく無いわけでもない。サイズと位置を合わせて穴の穿けたカードも売っている。が、システム展開をしているとは見えない。

 アメリカなどでは子どもたちのノートはルーズリーフがデフォルトだったそうだ。もう30年前だが、ロサンゼルスに半年仕事でいた時も、UCLA の門があるウェストウッドあたりの文房具屋に行くと三穴のルーズリーフの紙、レターサイズという少し幅のある A4 の大きさのものが300枚、500枚の束でまさに二束三文の値段で山積みになっていた。バインダーはダンボール剥出しのものから、高級な革製品まで千差万別。厚さも様々で、大きいのは300枚ぐらいまで優に綴じられた。

 もう今さら紙のノートなど必要ない、既存のシステムで充分なのかもしれないが、紙に書くための筆記具は新製品が絶えないし、ノートの人気も衰えないようだ。3種類ないし4種類の文字を混用する日本語の表記は、手書き文字認識の進化にもかかわらず、デジタル化に抵抗しているようにみえる。スマホ、タブレットの時代にあっても、毎年シーズンには手帳、日記、ノートで大騒ぎする。バイブル・サイズのシステム手帳も根強いらしく、文具の売り場では結構なスペースをとっている。日本語のためのルーズリーフのシステムも、どこか「再発明」してくれないか。

 たとえば穴の位置はそのままで数だけ四つないし三つに減らしたバインダーとそれに合わせた紙。紙質は多少落としてもいい。リーガルパッドぐらいで充分。書き味などはそんなに気にならない。筆記具との組合せにもよるんだし。


 C. J. Cherryh, The Paladin 着。『サイティーン』Cyteen の陰に隠れてしまっているが、『サイティーン』の2ヶ月後に出た珍しく独立のファンタジィ長篇。チェリィにはまったくの独立の長篇は4本しかない。ローカス賞での Best Fantasy Novel 第2位(1位はオースン・スコット・カードの Red Prophet)というのは、ファンタジィではチェリィにとっては最高位。もしこの年こちらも1位になっていれば、SFとファンタジィのダブル・クラウンになっていた。ちゃんと調べたわけじゃないが、ローカス賞のSFとファンタジィのダブル・クラウンはまだいないだろう。ローカス賞はSFとファンタジィとホラーは分けていて、重複選出はしないから、ハードルはとんでもなく高い。それに最も近いか。それにしても、チェリィは一時期は毎年複数の長篇を出し、それが軒並ローカス賞選考で上位入賞している。それもSF、ファンタジィ双方でだ。こんな書き手は他にはまずいないだろう。(ゆ)

The Paladin (English Edition)
Cherryh, C. J.
Baen Books
2016-06-19




 消せるボールペンが嫌いだ。ボールペンは消せないところがよいのだ。書いた文字が消えてしまってはボールペンでは無い。

 それ以外の筆記具は好きだ。万年筆、つけペン、鉛筆、シャープ、芯ホルダー、クレヨン、筆、チョーク、木炭。ボールペンだって、消せないものは嫌いではない。ゲルインクもいい。ガラスペンはまだ試したことがない。

 日本語は手書きがベストだ。3種類の文字を使い、その混合の仕方も、一定の原則はあるとはいえ、事実上、規則は無い。すべての文字をひらがなだけで書いても、カタカナとひらがなを1字ずつ交互に書いても、あるいは万葉仮名のように漢字だけで書いてもかまわない。こういうテキストを書くのに、AIがどんなに発達しようが、予測は不器用すぎる。勝手気儘に、勝手きままに、かって気儘に書く書き手の気まぐれの予測は不可能だ。

 この文章は Mac 上のテキスト・エディタ miAquaSKK のインプット・メソッドで書いている。AquaSKK は SKK の macos 版だ。SKK は予測をしない。漢字とかなの区別は書き手が意図的に指定する。shift キーを押しながらアルファベットを押すと、そこから始まる文字は漢字になる。漢字の終りすなわち送り仮名の開始も同様に指定できる。後は同音異義語の候補を選択するだけだ。辞書への登録もその場で、別ウィンドウなどは開かず、テキストの上でしてしまう。日本語インプット・メソッドの中では手書きに最も近い使用感を備える。

 それでも手書きにはかなわない。書くスピードも手書きにはかなわない。デジタル・テキストが手書きに優るのは、書いたものを編集する時だ。書きなおし、改訂、順序の入替えなどについては、手書きはデジタルの敵ではない。だから、書く時は手書きでも、仕上げはデジタルになる。

 アリエット・ド・ボダール『茶匠と探偵』邦訳の初稿は手書きで書いた。もともと、翻訳の初稿は手書きが多い。紙はなんでもいい。そこらにあるものを使う。原稿用紙、チラシの裏、前の本のゲラの裏、とにかく空白で、書ける紙ならば何でもいい。筆記具もその時々の気分で選ぶ。今日は万年筆、明日はシャープペンシル、明後日はゲルインク。章が変わると書く道具も変えてみる。時には1枚の紙ごとに変えてみる。

 それでも贔屓はあって、シャープペンシルを偏愛している。それも芯径0.7mmのもの。舶来の製品にはこの芯径が多い。国産は0.5mmがほとんどだ。ペンテルの Smash は銘機として名高いが、0.7mm は廃番になってしまった。『茶匠と探偵』でも、初めはいろいろ使っていたのだが、だんだんシャープペンシルが多くなり、最後は1機種に絞られた。無印良品の「ABS樹脂最後の1mmまで書けるシャープペン」だ。ツラが気に入って、つまり外観に惹かれて買った。これで 0.7mm があれば最強、他のものはもう要らないレベル。手にぴったりとなじみ、いくら書いても疲れない。良い筆記具は書く文字も綺麗に見える。このシャープペンシルで書く文字は、自分史上最高に美しい。そして、できてくる翻訳文も良くなってくるように思われる。『東京人』の特集で川崎和男は「手の起電力が脳から発想を引き出す」という。手で書くことで、脳が動きだすことは実感する。もう1つ、脳がよく動くのは歩くことだが、歩きながら翻訳はあたしにはできない。数ある翻訳者の中には、歩きながら原文を読み、口述翻訳して録音する人もいるかもしれない。あたしはせいぜい、手で書くことで脳を活性化する。

 だけではたぶん無い。翻訳は脳だけでやるわけではない。全身を使う作業だ。肉体労働なのだ。翻訳の前の本を読むことからして、肉体労働、全身を使う作業だ。翻訳はこれに手書きが加わる。手で文字を綴ることは、眼と手だけの作業ではない。

 筆記具は水物だ。イヤフォン以上に水物だ。イヤフォンは音が出るだけで、こちらから何か働きかけるわけではない。筆記具はそれだけではタダのモノだ。こちらが握り、何かを書きだして初めて筆記具となる。だから、同じ筆記具を使っても、人によって使用感が異なる。同じペンをある人は銘機といい、別の人はゴミというだけではない。同じ人間が、時と場合によって筆記具の使用感が変わる。昨日、最高に書きやすかった筆記具が、今日はどうやってもうまく書けないこともある。かつてプラチナの製図用 Pro-Use、短かい方だ、あれの0.7に惚れこんだ。もう夢中になっていくらでも書けた。それが、何かの事情でしばらく使わずにいて、ある日、手にとるとダメなのである。どうやってもあのフィット感がもどってこない。それでも、他のものに比べれば書きやすいことは確かだが、まるで自分の手の延長に思えた感覚は消えていた。今度の無印良品ABS樹脂のシャープペンシルではその感覚だった。並べてみると長さもほぼ同じ。重さはABS自死とアルミでだいぶ違う。

 『茶匠と探偵』初稿を手書きで書こうと決めたのは、著者が万年筆マニアであることが理由の1つだ。著者は原稿は手書きではないという。本職はソフトウェア・エンジニアだし、手書きよりもキーボードを打つ方がはるかに楽だろう。それでも、原稿になる前のアイデア出しとメモ、ブレーンストーミングでは万年筆とインクを使っているそうだ。


 ケイト・ウィルヘルムはリング・ノートにボールペンで書いている写真がある。

kw+note+pen

 サミュエル・ディレーニィの自宅の朝食のテーブルにはノートとボールペンが載っていた。

20180907 A writer's kitchen table in a septembre morning

 Paul Park は1983年にマンハッタンのアパートと職を捨ててアジアへの旅に出た。ヒマラヤをトレッキングし、インド、ビルマ、ネパール、それに東南アジアを回った。最初の長篇 "Soldiers Of Paradise" (1987) はその旅の途中、ラジャスタンから黄金の三角地帯にいたる、あるいはマンダレーからジョクジャカルタまでの、安ホテルや借り部屋で、ノートやメモの切れ端に書かれた。当然手書きだ。宇野千代は『東京人』の特集でも宣伝されている三菱鉛筆の uni で書いた。初めは2Bを使っていたのが、年をとるに連れて濃く柔かくなり、最後は6Bだったそうだ。名著『森のイングランド』を川崎寿彦は鉛筆で書いた。
 『東京人』の特集で林真理子は文学賞に応募してくる作品が長くなる傾向を認めている。不要な描写が多いと言うが、手書きでは節約しなければならない体力も、キーボードを叩くためには浪費できるのは事実だ。もっとも、漢文あるいは漢字かな混じり文を書くのと、アルファベットだけを書くのとでは、同じ手書きでも必要なエネルギーが異なるのか。ギボンもディケンズもバルザックもドストエフスキィもトルストイも、プルーストですら手書きであの厖大な著作を残した。日本語で2,000枚は超大作だが、英語圏のエンタテインメント、とりわけエピック・ファンタジィではほぼ同じ分量である20万語が今やデフォルトの長さといっていい。しかしそこに「不要な」描写、叙述は無い。異質な世界、現実にはありえない世界を、十分なリアリティをもって構築するには、微に入り、細を穿った描写、記述が必要なのだ。

 『茶匠と探偵』はそんなに長くない。9本合計で75,700語。邦訳原稿は580枚弱になった。良質の短篇集は数冊の長篇に匹敵する、とは筒井康隆の名言だが、この本にまさにあてはまる。手書きで書いた初稿を改訂しながら、Mac に打込む。Mac でも縦組みで書き、編集印刷するのは簡単になった。今回は復活した ezword Universal を使った。インプット・メソッドはむろん AquaSKK だ。打込んだものをプリント・アウトしてさらに改訂し、それに従ってデジタル・テキストを修正する。そういう作業を繰返して原稿を完成する。もちろん、編集者や校正者とのやりとりで、さらに改訂することになるわけだが、それをやるにしても、まずは土台を固めておかねばならない。もうこれ以上改訂しても良くはならないところまで持っていっておかなくてはならない。より正確に言えば、これ以上改訂しても、良くなったのか、変わらないのか、悪くなったのか、判断できなくなるところまで持っていっておかねばならない。

 改訂の作業は面白くない。翻訳で一番面白いのは、やはり最初の、まずヨコのものをタテにしてゆくところだ。そして、ここは手書きでやるのが一番面白い。鉛筆やシャープペンシルを使うときでも、消しゴムは使わない。どんどん線で消し、その横に新たに書きこみ、さらに別のところに書いた文章をそこに線ではめ込み、それが重なって、どこからどこへどうつながるのか、わからなくなることもある。1段落全体に×をつけて、新たにやりだすこともたまにある。

 『東京人』の特集を眺めながら、やはり手書きは基本、文章を書くことの一番下の土台だと思いなおす。これからも翻訳の初稿は手書きでやろう。筆記具は新しいものが続々と出る。気に入らないものの方が多いが、時々、ピンとくるものがある。三菱 uni EMOTT には久しぶりにときめいた。『東京人』を本屋で買って、昼飯を食べながら眼を通し、帰りに文房具屋で、とりあえずブルーとレッドを買った。(ゆ)

茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-11-28


 あけましておめでとうございます。
今年が皆様にとって充実した年になりますように。

 当ブログでも昨年からの積み残しがいろいろありますが、ぼちぼち行こうと思うとります。年もとりましたし、病気もしました。なにごともぼちぼち。急がず、されど休まず。

 今年のライヴ開きは 01/12 のアンチャンプロジェクト&東冬侯温(トン・トン・ホウ・ウェン)。台湾先住民のシンガー。まったく聴いたことがありませんが、アンチャンの安場さんの強力推薦なので、まことに楽しみであります。

--引用開始--
年の初めに--花綵列島の北と南の民が集って--
2015年1月12日(月・祝)開場16:30、開演17:00〜
スペース・オルタ http://spacealta.net/ (新横浜駅下車、横浜線沿いに徒歩7分)
   横浜市港北区新横浜2-8-4オルタナティブ生活館B1
   TEL&FAX:045-472-6349/留守電・FAXでの前売り予約可
列島弧から南洋の島々の唄を中心に歌うアンチャンプロジェクトが、台湾東部のタロコ族の伝統芸能を元に世代と国を越境しながら活動する東冬侯温(トントン・ホウウェン)をゲストに、首都圏に暮らすアイヌの方々も迎えて愉しむステージです!
料金:当日2,000円 前売り1,500円(お屠蘇付き)
問合せ先:TEL&FAX:045-472-6349/留守電・FAXでの前売り予約可、 安場:rxk15470(@)nifty.com
--引用終了--

 今年最初のイベントは 01/31 四谷・いーぐる連続講演での「いーぐるでデッド Vol. 1」です。ジャズと関連のあるグレイトフル・デッドの録音を聴きます。翌月 02/28 「Vol. 2」では、コンサートのライヴ録音丸々1本を聴きます。いつのものにするかはまだ思案中。

 今年はグレイトフル・デッド結成50周年、ジェリィ・ガルシア没後20年。ということで、いろいろ音源、資料が出るでしょう。できるかぎり、いやぼちぼち追いかけるつもりです。デッドはひとつの宇宙といえるくらいの広がりが見えてきて、面白くなってきました。

 3月までには本が1冊出ます。旧著『アイリッシュ・ミュージックの森』を改訂したもの。アルテスパブリッシングからです。今年はもっとうたの勉強をしようと思います。

 読みたい本が積みあがるばかりで全然消化できませんが、重点としてはマラザン・シリーズとマイケル・ビショップとサミュエル・ディレーニィとキャスリン・マクリーンあたり。それに武田泰淳全集。岩波文庫の『滅亡について』を読んで、やはりこの人は読むべしと決意した次第。

 


 ハードウェアではいよいよモバイルが先頭に立って、こちらも面白くなってきました。これまでにないタイプの製品も出はじめて、楽しくなりそうです。個人的にはニール・ヤングが主導している Pono がどう展開するか。半年以上待ってやってきたプレーヤーは音も好みだし、使い勝手も良いし、バランス駆動もできるし、で期待以上。イヤフォンやヘッドフォンを出す計画もあり。ミュージック・ストアの方はわが国での開店は正直期待していませんが、ひょっとすると地殻変動が起きるかもしれないと思わせてもくれます。

 ヘッドフォンでは平面駆動の選択肢が広がるのが楽しみです。イヤフォンは昨年末に聴くチャンスのあったファイナルオーディオデザインの新作 heaven VIII と VII が、ファイナルとしても一段新しい次元に入って、今年はもう少し聴きこみたい。

 鉛筆では Palomino Blackwing の良さがようやくわかりだしました。

 どうやら20世紀以上に「激動」になっている今世紀、なんとか今年も楽しく生き延びたく、ぼちぼちと精進したいものです。なにとぞ、よしなにお願いもうしあげます。(ゆ)

    本日は本誌4月通常号の配信日ですが、諸般の事情により、1日遅れます。乞うご容赦。


    ちょっと余談。
   
    もう10年前でしょうか。ダイヤルQ2という電話サーヴィスがありました。インターネット前夜だったかな。どういうサーヴィスかももう忘れてますが、今でいう出会い系が大挙進出して、多額の電話代を請求するというのでポシャったのではなかったか。と思ったら、無くなったわけではないらしいですね。
   
    その出会い系のひとつ Valentine Call という名前の入った黄色いボールペンが手元にあります。数本手に入ったうちの最後の一本。どこでもらったのかはすでに歴史の霧の彼方ですが、これが今にいたるも残っていたのは、なんとも書き味が良いためです。それはもう、ヘタな高級ボールペンもかないません。握りとペン先の滑かさとのバランスがすばらしい。ひょっとすると、たまたま一本もらって、あまりの書き味の良さに、さらに数本、ねだった可能性もあります。この宣伝用ボールペンの書き味の良さは作家の笹本祐一氏も認めていて、ずいぶん前ですが、ふたりで盛りあがったことがありました。
   
    当然、既製品に名入れしたもののはずですが、元の製品がわかりませんでした。国産ではなかろうとは思われました。キャップのデザインといい、キャップをはずして現われる部分の細工のスマートさといい、ヨーロッパのものであることはまずまちがいありません。軸の名入れの一角には MALAYSIA の文字がありますから、名入れ自体はそこでやったのでしょうが、ボールペン本体の製造はともかく、設計はマレーシアのものとも思えません。
   
    今よく見ると、キャップの縁に白鳥のマークがレリーフになっています。これは削りでもしなければとれませんから、そのままになったのでしょう。それにしても、このマークにはつい先ほどまで、まったく気がつきませんでした。
   
    それでですね、先日、新宿の東急ハンズでボールペンを物色していて、スタビロのコーナーをなにげなく見たときです。をを、あれはひょっとして……まちがいない!
   
    スタビロの一番安い80円のボールペン Liner 808 だったのです。キャップの白鳥は Schwann-Stabilo の「スワン」でした。軸の材質も同じ。色が違うだけ。ブルーを買いましたが、紺に近いシックな色。対して配布物のほうは、まさに広告主の性格を正確に反映した品のないイエロー。
   
    いやもう、長年の謎が解けて、爽快な気分です。
   
    それにしても、スタビロはマーカー、ハイライターのメーカーと思ってましたが、こんなすばらしい製品も出していたのですね。これは他のボールペン製品も気になってきます。土曜日は近くまでいったので、ニコタマのエトランジェ・ディ・コスタリカに行って、スタビロの CULT pureCULTジェルローラーボールpointViscoColor Gel などを買ってきました。さて、これらの使い心地はどうでしょうか。(ゆ)

duc note 久しぶりに上京したので、東京駅丸の内口オアゾの丸善に行く。まっすぐ文具売場に上がって、ダック・ノートを買う。このところメインのノートになっているので、ひとつの上のサイズを買う。いま使っているのはB6で、このサイズには方眼は4ミリしかない。一つ上は、正方形に近い、不思議なサイズで、方眼は4ミリと8ミリの2種類。見くらべてみて、8ミリのものはどうも使いにくそうだったので、4ミリにする。さらに上の、いちばん大きなサイズは、形は同じでそのまま1.5倍ぐらいの大きさで、こちらでは8ミリしかない。この大きさはふだんもって歩くにはいかにも大きすぎる。学校ではB5判で平気だったのだが、小さめのほうが使い勝手がよいというのは、真理か、人間が小さくなったのか。

 ダック・ノートに較べると、他のノートはモールスキンも見劣りがする。中の紙や製本はもちろんなのだが、表紙の布張りがよい。手触りが抜群。ざらりとしているが、品格がある。色もシック。さらによいのは、どちらの表紙も表にできることだ。右開きにしたとき表になるほうの右片隅に、小さく "MARUZEN" と入っているだけなのである。右開きで縦書きに使いたいのだが、国産の方眼ノートでも、左開きを前提につくられている。今のところ、例外には出遭っていない。伊東屋が和綴じのノートを出しているが、あろうことか、左開きである。和綴じのノートに横書きで書けというのだ。和服でオリンピックの百メートル走に出ろ、というのか。

 パソコン、ワープロで横書きはまだわかる。しかし、日本語の文字はどれも縦書き用にできている。横組み用の日本語フォントのデザインや、レイアウト・ソフトが字組、行組でみんな苦労しているのはそのためだ。屋名池誠の『横書き登場―日本語表記の近代』が明らかにしているように、明治に横組みが生まれるまで、生まれてから千年以上、日本語はすべて縦に書かれ、組まれていた。日本語は縦に書くときにいちばん楽に書けるし、また読めるのも理の当然だ。横組みの普及は日本語の柔軟性の現れではある。が、日本語の生理には反している。本質的に無理をしている。そのことは忘れるわけにはいかない。

 とはいえ、このご時世である。左開きのノートを作れ、というのは無理難題の部類に入るだろうことは承知している。しかし、どちらからでも使える、ぐらいのデザインはできるはずだ。それがただのひとつも無いとは、なにか大切なものを脇に置いていないか。

 丸善のダック・ノートは、その中で、どちらからでも使える形に一番近い。これを見つけたときには、安堵感のあまり、気を失いそうになった。

 今のところ、唯一の欠点は、ネットで買えないことである。丸善の法人向けサイトでは買えるようだが、個人での登録はできない。手に入れるためには、丸善の店舗まで出かけていかねばならない。まあ、ひとつぐらい、そういうものがあってもよかろう。なんども足を運ぶのがどうしてもできないなら、行けるときに大量に買って、送ってもらえばよい。

 これに書くのは丸善の「エターナル・ブルー」を入れたペリスケ。このインクは日本橋店を改装したときに、記念に発売したもの。そろそろ無くなるので補充しようとインク売場に行くが、見あたらない。店員に聞いたら、もともと500個限定発売だったのだそうだ。ただし、注文していただければ作ります、という。あちこちの文具店でオリジナル・インクを売るのが流行のようになっているが、これはみなセーラーが作っている。「エターナル・ブルー」もセーラーのインク・ブレンダーとして有名な石丸氏のオリジナル作品だそうだ。注文があると、特注して作ってもらう由。特注だが、一個から注文可能で、価格は2,100円。容器の形は変わったそうだが、容量50ccも同じ。これもこの店まで買いに来なければならないから、交通費を足せば3,500円ぐらいにはなるが、それだけの価値のあるインクではある。

 「エターナル・ブルー」はコバルトとブルー・ブラックの中間の色だと思うが、コバルトほど浮つかずにおちつきがありながら、ブルー・ブラックのように沈みこまない。そのバランスが絶妙。書いた直後と時間が経ってからの色の変化が少ない。書いていて、じつに気持がよいし、後で読みかえすときにも視認性がよい。白い紙でもよいが、ダック・ノートのクリーム地にまたよく合う。

 セーラーの石丸氏はインク工房として全国を回っているので、そこに行けば作ってもらえるかもしれない。

 ペリスケと「エターナル・ブルー」の組合せはなぜかはまっている。ペリスケはとくに優れたペンではないかもしれないが、妙に手になじむ。万年筆は使っているとペン先が磨かれて手の癖に合ってくるというが、これがそうなのか。いま使っているペリスケはペン先の製造にミスがあるらしく、一ヶ所引っかかってインクがかすれるところがあるのだが、気にしないでふだん使いに使っていたら、いつの間にか手放せなくなってしまった。(ゆ)

 モールスキンの新製品 City Notebook にダブリンがあったので買ってみる。モールスキンも次々に新製品を出すようになった。同封のカタログにはレポーターを横開きにして、専用の紙を使った水彩用とか、18ヶ月、12ヶ月の週間日記帖が出ている。

 City Notebook は都市を対象としたトラベル・ノートという意味付けらしい。巻頭に都市の街路図、旅行の準備用のページ、交通手段関係の連絡先、単位換算等の役に立つ情報、白紙のメモが76ページ、ラミネートの見出しのついたテーマ別メモが96ページ、ミシン目が入って1枚が8枚に切取れるルース・ノートが4枚。裏の見返しに、トレーシング・ペーパーの束とポケット。テーマ別メモは前半が見出しにアイコンが印刷してあり、後半は見出し部分は空白。ここに貼る用のシールも入っている。
 地図のセクションにはダブリンだと DART と LUAS の路線図もある。街路図はロンリー・プラネットと提携しているようだ。そんなに詳しいものではなく、主な道路と建物、DART の線路だけ。ただし、道路の索引があるから、住所さえわかれば、その場所には行き着ける。
 栞のひもが3本。背表紙に DUBLIN の文字の型押し。見返しの次のタイトル・ページにオルダス・ハクスリィのエピグラフ。

 「独自の趣味を持つ旅人にとって唯一役に立つガイドブックは、自分で書いたものになる」

 自分のためのガイドブックを作るつもりで街を探索するのも、また楽しからずや。

 出ている都市は現在はヨーロッパだけ。東京は京都とともに来年予定。それにはぜひ、古地図、縄文から明治までの地図も入れて欲しいものだ。いや、それは自分で作れ、だろう。

 使いこなしているわけではないが、モールスキンは新製品が出ると買ってしまう。これをもつと何か書きたくなる。書かせるオーラのあるノート。それもラージ・サイズはだめだ。オリジナルの、この掌に収まるサイズがいい。とは言え、何を書くわけでもないのだが。何も書くことがないときは、本を書き写す。

 モールスキンのヒットで、形だけは似たノートが雨後の筍のように現われたが、オーラは欠片もない。ロディアの新しいノートには少し期待。

 使うのはもっぱらスクエア、方眼だ。縦にも横にも書けるから。絵も描ける。横罫は書き方を縛り、思考と感覚を縛る。日本製のノートはまだ横罫が圧倒的。方眼は少ない。ミドリのトラヴェラーズ・ノートは方眼と無地を用意し、日記も方眼にしたのは見識。しかし、同じ会社が出しているA5判スリム・ノートは全部横罫。

 同封のカタログの商品由来は日本語もある。ここで「モレスキン」と表記しているのは、見識を疑う。現在のメーカーがあるイタリアの言葉ではそう読むのかもしれないし、元のフランスでもそう呼ぶのかもしれないが、この日本語は妙なものを連想させる。

 さて、このダブリンのノートに何を書くか。当分、現実には行けそうもない。空想の旅の記録でもつけてみよう。アイルランドの文化空間への、空想の旅。(ゆ)

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