クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

執筆はリズ・ドハティ Liz Doherty**。すばらしいフィドラーで、音楽学の博士号も持つ。University of Ulster で講師。Companion 中に独立項目あり。
    
    ホーンパイプはまず楽器名であって、十三世紀まで遡るダブル・リード楽器。スコットランドとウェールズに史料があるそうな。ウェールズでは pighorn と呼ばれた。
    
    ダンスとそのための音楽としては18世紀半ば、おそらくはイングランドから入る。『ポパイ』の主題歌として、おそらく世界一有名なホーンパイプ〈Sailor's hornpipe〉に象徴されるように、船乗りが関係していたらしい。
    
    航海中の娯楽としてダンス伴奏のためにフィドラーないしフィドルの弾ける船員がたいていの船には乗っていたそうな。ミュージシャンを乗せるのがいつ頃から始まったかは知らないが(乞御教示。トロイアに押し寄せたギリシャの軍船にミュージシャンは乗っていたっけ?)、船と音楽の結びつきは強い。客船や商船はもちろん、漁船(特に捕鯨のような遠洋漁業の船)、軍艦にだってミュージシャンは乗っていた(ペリーの「黒船」にも専業の楽隊が乗っていた)。大西洋航路はひと頃、アイリッシュ・ミュージシャンにとって稼ぎどころだった。
    
    ダンスとしては当初はソロ・ダンスで、ダンス・マスターのショー・ピースとして踊られた。床を強く叩いてアクセントを強調するので、男性専用とされたそうな。いまでは、セット・ダンスでも踊られる。
    
    ここでは触れられていないが、ホーンパイプは一拍めと三拍めを強調するビートだけでなく、メロディにも特徴があることは、茂木健が以前指摘している。メロディも「跳ねる」、つまり高低によく跳ぶのが多い。リールをゆっくり演奏するとホーンパイプになるとも言われるけれど、リールではメロディの高低への変化は連続的なことが多いから、どんなリールでもゆっくりにしてアクセントをつければホーンパイプになるとはかぎらない。
    
    このメロディの特徴から、ホーンパイプの演奏に最も適しているのはホイッスルやパイプと思う。とりわけホイッスルで、ぼくが最初にホーンパイプの面白さを教えられたのも、ヴィン・ガーバット Vin Garbutt のホイッスルだった。ガーバットは北イングランド出身のシンガー、ギタリスト、ソングライターだが、母親がアイルランド生まれで、地元のアイリッシュ・コミュニティに入り浸り、そこでホイッスルを覚え、鍛えられた。ここの記事でもホーンパイプの現代の作り手として、ニューカッスルの James Hill という人が特記されているから、北イングランドではホーンパイプが愛好されているのだろう。
    
    それから、最近のアイリッシュ・ミュージックのファンはあまり聴かないかもしれないが、フェアポート・コンヴェンションの《FULL HOUSE》収録〈Flatback capers〉では、〈Carolan's Concerto〉をみごとなホーンパイプとして演奏している。ちなみにメドレーの個々の曲は

Miss Susan Cooper
The Friar's Britches/Frieze Breeches
The Sport Of The Chase
Carolan's Concerto

 以下のビデオは当時のものだが、〈The Friar's Britches〉が抜けている。なお、ここでは普断はベースのペッグがスウォブリックとともにマンドリンで、ベースはニコルが弾いている。念のため。(ゆ)

手引二番めの項目はゴールウェイの音楽訓練プログラム。執筆は編集部。

    1999年に発足したこのプログラムは政府の Community Employment Scheme のもとに、長期失業対策として実施されているそうな。失業対策に職業訓練をするのは常套だが、その「職業」に音楽も含めるのは「音楽の国」アイルランドならではかな。

 とはいえ、伝統音楽中心、というわけではなく、伝統音楽は補助コースのうちの演奏技術のオプションのひとつで、イーリシュ・オコナー  Eilish O’Connor がコーディネーター。ラウズ出身で、ゴールウェイ南部キンヴァラ近郊に住むフィドラー。あ、フィドルの方のジェリィ・オコナー Gerry O'Connor の姉妹じゃないか。ソロ録音《SUGRU/》は良かった。聴き直そう。

 メインのコースには歌唱や楽器演奏だけでなく、楽理、サウンド技術などがあり、補助コースにはアレクサンダー・テクニーク入門や起業もある。アレクサンダー・テクニークというのはちょと面白そうだ。(ゆ)

手引本文最初の項目は「ア・カペラ」。元はラテン語で「礼拝堂様式で」という意味。楽器伴奏無しの歌唱すなわち無伴奏歌唱のこと。執筆は編集部、つまりフィンタン・ヴァレリー。
    
    ア・カペラというとア・カペラ・コーラスと思ってしまうが、ソロ歌唱もア・カペラと呼ぶ。シャン・ノース歌唱がそうだし、ブリテンの英語のバラッド歌唱も基本は無伴奏だ、とヴォーン・ウィリアムスも言っている。
    
Prince Heathen    ソロのア・カペラの凄さを初めて実感したのはマーティン・カーシィだった。スウォブリックとの第一期デュオの最後の録音《PRINCE HEATHEN》の〈Little Musgrave & Lady Barnard〉。9分を越えるカーシィの無伴奏歌唱はまったくの不意打ちだった。はじめはあっけにとられ、いつ伴奏が加わるのかと待っていたが、いつまでたっても声だけ。やがて、どうやらこれは最後まで伴奏はないらしいと覚ってたじろぐ頃には、その声に完全に圧倒されていた。別に声を張り上げるわけでもなく、目一杯力瘤を作るわけでもなく、ただただ坦々と淡々と、ある悲喜劇を微に入り細を穿って語っていく。らしい。その頃は歌詞を聞き取れるはずもない。ただ、フェアポートがやっているこのバラッドのアメリカ版〈Matty Groves〉で、話の筋だけは知っていた。茫然とするうちに、感傷などカケラもない、いや感情さえも排した歌唱に、だんだんと引き込まれていった。同時にどこにも余計な力の入っていないその声が、スピーカーから風となって吹きつけ、体が後ろに持っていかれそうになっていた。
    
    アイリッシュやスコティッシュを聴きだしてかなり経っても、器楽のソロや伴奏無しのメロディ楽器だけのデュオの録音にはどこかなじめずにいたが、ソロ・ア・カペラの録音に出逢うとむしろ喜び、繰り返し聴けた。それはたぶん、このマーティン・カーシィの歌唱との邂逅が洗礼であったおかげではないか、と思う。
    
    アイルランドのうたとの出会いはクリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディであったから、ア・カペラといえばかなり長い間、ソロもコーラスもブリテン、それもイングランドがほとんどだった。ブリテン群島でア・カペラ・コーラスをうたうのが最も好きなのはイングランド人だろう。ウェールズが僅差で続き、だいぶ離れてスコッチ、そしてアイリッシュ。アイルランドのア・カペラを初めて意識したのは、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《BROKEN HEARTED I'LL WANDER》に入っているアイルランド語のマウス・ミュージックだった。
    
    この記事でアイルランドのア・カペラ・コーラスの例として挙げられているヴォイス・スクォド The Voice Squad を初めて聴いたのは、《ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム-アイリッシュ・ソウルを求めて》のビデオだったし、フォールン・エンジェルズ The Fallen Angels にいたっては2ndの《HAPPY EVER AFTER》1998 が最初だ。CITM のそれぞれの項目によれば、どちらも1980年代末に活動を開始している。ヴォイス・スクォドはイングランドのコッパー・ファミリー、ウォータースンズの影響が濃いが、これはフィル・カラリー Phil Callery が持ち込んだもの、とある。
    
    カラリーのインスピレーションの源にはスカラ・ブレイ Skara Brae も挙げられていて、そういえばかれらや初期クラナドの録音にもア・カペラのトラックがあるはずだが、印象は薄い。どちらも伴奏ありの記憶しかない。
    
    今はアヌーナがいるし、ドニミク・マク・ギラ・ブリージェ率いるドニゴールの Cor Thaobh A' Leithid もある。

    これをお手本として、《CELTSITTOLKE~関西ケルト/アイリッシュ・コンピレーションアルバム》でミホール菱川さんをリーダーにアイルランド語でア・カペラ・コーラスをやったのは快挙だ。Vol.2にはこれが無いのがちょと寂しい。
    
    1920〜30年代にアメリカで流行った男声カルテットによる甘いア・カペラ歌唱を英語で “barbershop (quartet)” 、というのは今回初めて知った。わが国では床屋の客たちは「政談」をするが、アメリカではうたうらしい。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    COMPANION TO IRISH TRADITIONAL MUSIC, ed. by Fintan Vallely, 2nd Edition を頭から読んでゆく、そのご報告。まずは編者から。

    フィンタン・ヴァレリーさんはフルート奏者であり、研究者であり、ジャーナリストでもあります。フルート奏者としてはアルバムが3枚ある他、チュートリアルも出しています。研究者としては「21世紀アイルランドでフルートはどこに向かうか」で博士号を取得しています。ジャーナリストとしては、Irish Times、Sunday Tribune などに記事やレヴューを寄稿し、『アイルランド百科事典 The Encyclopedia of Ireland』の伝統音楽の項目を担当しています。
    
    著書としてはこれまでに、
    
01. 1998, Blooming Meadows: World of Irish Traditional Musicians, with Charlie Piggot & Nutan
    伝統音楽ミュージシャンたちの肖像
02. 2002, TOGETHER IN TIME
    アントリムのフィドラー John Kennedy についてのモノグラフ
03. 2008, Tuned Out: Traditional Music and Identity in Northern Ireland
    主にノーザン・アイルランドのプロテスタントとアイリッシュ・ミュージックとの関係をさぐったもの。
04. 2008, Sing Up!: Irish Comic Songs & Satires for Every Occasion
    諷刺歌集
05. 2011, Ben Lennon - the Tailor's Twist: Ben Lennon's Life in Traditional Irish Music
    リートリムのフィドラーの写真とかれについての文章
    
があります。

 手元には01と03がありますが、01は大判の美しい本。伝統音楽の演奏で名の知られた人びとはみな良い顔をしてます。一家に一冊本のひとつ。

 03は正面きってとりあげられるのは珍しいテーマ。ノーザン・アイルランドのプロテスタントの音楽というと、夏の「行進シーズン」でめだつ、ファイフ&ランベグ隊がまず連想されます。が、1950年代まではカトリックにまじって普通にアイリッシュ・ミュージックを演奏したりしていたのだそうです。ノーザン・アイルランドで抑圧されてきたカトリックの権利回復運動が立ち上がるのと、どうも歩調を合わせて、伝統音楽から離れてゆくらしい。カナダ人 David A Wilson の Ireland, a Bicycle and a Tin Whistle(1995、『アイルランド、自転車とブリキ笛』で邦訳あり)には、ベルファストのプロテスタント向けパブで、ミュージシャンだとわかった著者がポップスをうたえと迫られるシーンもあります。そのあたりも含めて、アイリッシュ・ミュージックとノーザン・アイルランドのプロテスタントたちの関係をさぐったもの、らしい。実はまだ積読。

    フルートは1960年代から始め、70年代、80年代はプロとしてスコットランド、英国、イングランドをツアーしていました。録音は次のもの。
    
01. 1979, IRISH TRADIITONAL MUSIC
02. 1992, THE STARRY LANE TO MONAGHAN
    with Mark Sinos (guitar)
03. 2002, BIG GUNS AND HAIRY DRUMS
    with Tim Lyons (vocal)
    
    いずれもCDで入手可能。アマゾン・ジャパンではやけに高いですが、Claddagh Records で普通に売ってます。ちなみに Claddagh で買うと、消費税分が表示価格から引かれるます。額は送料とほぼトントン。ぼくも持っていなかったので、注文しました。
    
    01はクラダのサイトの説明によると、アメリカに滞在中に録音したもので、LPとして1984年にリリースされたもの。02のマーク・サイノスもアメリカのギタリストとしてジョン・ドイルやドーナル・クランシーと肩をならべる人。かれらよりも一世代上です。01にも参加。03のティム・ライオンズ (1939-) はコーク出身のすぐれたシンガーでアコーディオン奏者。CITMに項目がありますので、そこへ来たときにあらためて。この03ではフィンタンさんは自作のうたをうたっているらしいです。いずれもクラダのサイトに詳しい説明があります。
    
    また1996年から2003年にかけて開かれた The Crossroads Conference のオーガナイザーの一人でもありました。ちなみに他のオーガナイザーはハミィ・ハミルトン、エンヤ・ヴァレリー、リズ・ドハティ。この会議からは書籍も生まれています。ぼくの手元にあるのはCrosbhealach an Cheoil - the Crossroads Conference, 1996: Tradition and Change in Irish Traditional Musicで、テーマは伝統を「守る」ことと「革新」とをどう考えるか。
    
    以上、裏表紙折り返しのソデにある編者紹介の要点。


    この表紙の絵がとても面白い。Daniel Maclise (1806-70) という人の "Snapp Apple Night" (1833) という絵の由。絵は裏表紙まで続いています。全体はこちら。カヴァーに使われているのは、このうち上4分の1ほどを切り落とした残りの部分です。

    "snap night" というのはハロウィーンのイングランドでの別名、だそうです。

    絵の右手手前、水を張った桶にリンゴが浮かんでいて、少年が手を使わずにこれをとろうとしているらしい。これが「スナップ・アップル」。上記サイトの説明では糸で吊るしたリンゴを食べる形が紹介されてます。
    
    一番右手にイルン・パイパーが座っています。ビールを飲ませてもらってます。その後ろにフィドラーとフルーティストが立ってます。さらにその上にタンバリンが見えます。ただ、このタンバリンは実際に打っているのかはわかりかねます。
    
    ミュージシャンたちの前で男女のカップルが踊ってます。こちらを向いている男性が右手に棒のようなものを掲げてます。表紙ではここに字が重なってよくわかりませんが、あるいはフルートのような楽器か。
    
    という風に見ていくと興味が尽きません。とりわけ気になるのは、左手奥の影になったところに固まっている男たちで、この絵全体がなにかの寓意を意図しているようであります。
    
    それにしても初版の表紙もイルン・パイパーの絵でしたし、アイリッシュ・ミュージックにおけるこの楽器の重要性の現れとも言えそうです。まあ、フィンタンさん自身、パイプもやるそうなので、そのせいもあるのかも。もっとも序文によれば今回楽器の中で最も力が入って、分量も多いのはハープについての記事だそうです。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    表紙にはふつう付いている "A" がありませんが、編者の序文では "The" が付いてます。伝統音楽だけではなく、クラシックやポピュラーも含む Companion to Irish Music も編集が進んでいると聞きますが、伝統音楽に関しては他に二つとない決定版です。
    
    ほぼB5判のハードカヴァー。本文761ページ、伝統音楽関連年表7ページ、18世紀から今年までに刊行された伝統音楽関連文献リスト32ページ、索引32ページ。それ以外に巻頭に編者序文、謝辞、凡例、執筆者リスト、その略号などが22ページ。計854ページ。
    
    文献リストは楽器別、分野別の詳細なもので、いやあ、これはありがたい。
    
    ディスコグラフィがありませんが、これはネット時代の現在、不要と判断したと編者が序文に述べています。個々のミュージシャンの記事の中で代表的なものはあげられています。本とちがって、録音は物理的に店頭で買う形はもはや余計なものだ、という編者の判断はまったく当然。
    
    もちろん活字とて本だけですむはずはないので、サポート・サイトも作るそうです。活字のリファレンスとしては、これが最後の版になるのではと推測します。第三版以降があるとすれば、それはネット上でのものでしょう。
    
    表紙にうたわれている数字によると、主な記事1,800、普通の記事4,000、写真、図版が300枚。
    
    執筆者は200名超。必ずしも学者ばかりではなく、ジャーナリストやマーティン・ヘイズやモイア・ニ・カハシー、ミック・モローニ、ポゥドリギン・ニ・ウーラホーンなどのミュージシャンもかなりな数にのぼります。記事はいずれも署名付きで、イニシャルで示されています。無署名のものは編者によるもの。
    
    編者フィンタン・ヴァレリーの序文によれば、この第二版は初版の五割増し、50万語超といいますから、400字詰原稿用紙換算で5,000枚超。ふつうの文庫版なら10冊分以上です。
    
    楽器、スタイル、歴史、現状、ミュージシャンなどはもちろん、アイルランド本土は各州ごとの概観もあり、またブルターニュ、スコットランド、ウェールズ、マン島、ケープ・ブルトン、ニューファウンドランド、オーストラリア、カナダ(前の二つ以外の、という意味かな)についてもカヴァーしています。特にブルターニュについては質量ともに力を入れたそうな。フランス、デンマーク、ノルウェイ、フィンランド、ドイツにおけるアイリッシュ・ミュージックもとりあげています。そしてもちろんアメリカはまた別。
    
    そう、日本も独立項目があります。東京と西日本、経済と見出しが立てられてます。執筆は山下理恵子さんと山本拓史さん。この記事には2000年にゴールウェイでバスキングしている3人の日本人ミュージシャンの写真があります(367pp.)。左からバゥロン、フルート、コンサティーナで、バゥロンとフルートが男性、コンサティーナは女性。どこかでお顔を見たような気もしますが、どなたでしょう。
    
    初版は事典として使うだけでしたが、今回はこれをとにかく頭から読んでいこうと思います。途中で報告するかもしれません。
    
    いずれにしても、いやしくもアイリッシュ・ミュージックに積極的な関心を持つ向きは、何はともあれ、1冊購入すべき基本中の基本ではありましょう。この際、英語が読める読めないは関係ありません。読めなければ、これで勉強すればよい。語学の勉強には強い関心を持つ対象について書かれたものを読むのが一番の近道です。
    
    たとえすぐには読めなくとも、手元に置いておくだけで価値のある本であります。すぐれた本はそこから栄養素が滲み出るものです。森林浴のように、本から出るものは体と心に沁みこみます。それによってアイリッシュ・ミュージックとのつながりはさらに深まります。そしてその向こうに広がるアイルランドの文化や社会とのつながりも深まります。それがまた音楽への、ダンスへの、あるいはそこから演劇や美術や文芸や映画や料理やその他もろもろへのつながりへと還ってきます。
    
    ただ参考書として使うだけではなく、編者の言うとおり、ここから新たな関心が生まれ、アイリッシュ・ミュージックがさらに豊かになり、ひいてはアイルランドの伝統文化が豊かになり、さらに人類全体にとっての貢献が生まれることがなによりです。
    
    本としては安いとは言えませんが、ギネスにすれば6〜7杯分です。それくらいの節約で買えるのなら、その効験に比べれば実に安い。コストパフォーマンスから言えば、こんなに大きなものはそう無いでしょう。
    
    明日から今月の抗がん剤点滴入院なので、実際に読むのは来週から。さて、1年で読み終えられるかな。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    フィンタン・ヴァレリー Fintan Vallely の編纂になる COMPANION TO IRISH TRADITIONAL MUSIC の第二版が出ました。Cork University Press から今年6月に予定されていましたが、刊行が延びていました。版元やアマゾンのサイトでは600ページになっていますが、実際は800ページを超えているらしい。
    
    この本はアイリッシュ・ミュージックに関する百科事典です。項目はABC順で、楽器、曲やリズムのスタイル、ミュージシャン、地名などの固有名詞、ダンスや伝統行事、その他、およそアイルランド伝統音楽に関することを網羅しています。アイリッシュ・ミュージックについて何か知りたければ、まずはこれを読むことでしょう。一方で相当深いところまで書かれていますから、これをネタにするだけで「通」にもなれます。
    
    初版はもちろんこの種の本としては初めてのもので、ぼくなどもさんざんお世話になりました。第二版が準備されてることはずいぶん前に伝わってきていて、楽しみにしていました。
    
    編者のフィンタンは、ナイアル、キアランのヴァレリー兄弟の、叔父さんかいとこのどちらかにあたる人で、本人もフルート奏者として優れているそうな。この本の他にも、デ・ダナンの初期のメンバーであるチャーリー・ピゴットと、写真家の Nutan と組んでアイリッシュ・ミュージックのミュージシャンたちの姿を写真と文章で描きだした Blooming Meadows: The World of Irish Traditional Musicians や、ノーザン・アイルランドのプロテスタントたちとアイルランド伝統音楽の関係を探った Tuned Out: Traditional Music and Identity in Northern Ireland などの著書もあります。
    
    アイリッシュ・ミュージックの網羅的な参考書としては、これと THE ROUGH GUIDE TO IRISH MUSIC (ISBN1-85828-642-5) があれば、まず万全です。後者は残念ながら絶版ですが、古書で手に入ります。COMPANION が学問的な立場から書かれているとすれば、こちらはリスナーの立場から、各ミュージシャンに焦点をあてて紹介した本です。楽器別になっていて、代表的な録音も挙げられており、多少とも重要性のある人は漏らさず載っています。
    
    本書とは別に COMPANION TO IRISH MUSIC も編集が進んでいるはずですが、まだ出ませんね。こちらは伝統音楽のみならず、クラシックやポピュラーも含めた、アイルランドで現在行われている音楽全体をカヴァーするものの由。(ゆ)

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