クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:日常

 一家揃って妹の墓参り。ちょうど染井吉野が満開で、「桜の里」という名前の通りの花盛り。よく晴れて墓参りにはちょうどよい。町田駅にもどり、息子推薦の魚定食屋・魚恵に行く。なるほど旨い。



 食べて解散。ロフトを覗き、ジェットストリーム・ライト・タッチ、ブルーブラックの単色ボールペンと先日銀座で長蛇の列のレジに恐れをなして買わなかった Kreid の小さめのノートを買う。ブルーブラックの替芯のケースは空っぽ。念のため訊ねてみるが、在庫無し。


 ブルーブラックのおかげで、今まで見向きもしなかったジェットストリームに俄に関心がわく。油性ボールペンでブルーブラックのインクは初めてかもと検索してみると、ジェットストリームは過去に出していた。この記事によれば2010年頃まではブルーブラックは出ていた。


 パイロットは30年以上前に出したことがある。



 油性ボールペンにブルーブラックが無い理由について、このパイロットの課長は黒との判別が難しいことをあげているが、これではゲルインクにはあって、油性には無いことが説明できない。

 真の理由を勘繰ると、インク原料の性質から、安定した製造が難しいのではないか。ロット毎に色が変わってしまうのでは、レギュラーにできない。1回に作った分だけ売りきる限定版にせざるをえない。

 とはいえジェットストリーム発売当初にはカラーインクとして4、5年の間レギュラー販売していたわけだから、安定製造がまったく不可能なわけでもないだろう。とするとやはり売れなかったのか。

 15年前にはブルーブラックは人気が無かったことはありえる。今世紀に入って四半世紀経つ中で、2010年というのは1つの区切りのような気がしている。そこまではまだ20世紀を引きずっていた。2011年の東日本大震災がきっかけかもしれないが、わが国だけのことでもないような気もする。その2010年以降、ブルーブラックへの嗜好が広がってきたのではないか。サクラクレパスがブルーブラックはじめ、各種の「黒」の使い分けを提唱したボールサイン iD を出すのが2021年。これが定着しているのをみても、ブルーブラックのような「黒系」の色を好む人は増えていると見える。万年筆用インクではブルーブラックは定番で、インク・ブームからブルーブラックへの嗜好が広がったことはありえるだろう。


 町田のロフトではシャープペンシルの棚は軒並現物は無く、製品カードを持っていってレジでの渡しになっている。なっておらず、現物が棚にあるのはファーバーカステルのバリオ。これは銘機なのに人気が無いのか。


 サウンドジュリアの動画で知ったカーラ・ボノフの〈The water is wide〉をあらためて Tidal で聴いてみると、かなり良い。間奏のアコーディオンがちょとやり過ぎだが、後半の男声コーラスにゾクゾクする。セカンド《Restless Nights》のクローザー。

 調べるとこの曲のコーラスはジェイムズ・テイラーとJ. D. サウザーとあるが、後ろのはおそらくサウザーだろう。アコーディオンはガース・ハドソン。バンドから離れてはしゃいだのか。

 アルバムは1979年、ラス・カンケル、リック・マロッタ、ワディ・ワクテル、アンドリュー・ゴールド、ダニー・クーチマーなど、有名どころがずらり。リンドレーまでいる。ボノフの声はわずかに粗さがあり、プロデュースのケニィ・エドワーズはかっちりしたロックの体裁を採用してその声を活かし、シティ・ポップにしていない。70年代の良心を留めた1枚。(ゆ)

08月06日・土
 夜、秋の虫が鳴きだしていた。蟋蟀。気温が下がったからか。季節だからか。明日は立秋。
 昼間は蝉が元気だった。かれらもあまりに暑いと動きが鈍るのか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月06日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1966 Pender Auditorium, Vancouver, BC, Canada
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

2. 1967 Palace Ville Marie, Montreal, PQ, Canada
 日曜日。マチネー。ビル・グレアムによるサンフランシスコ・サウンドのショウケースの一環らしい。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。セット・リストの全体は不明。
 DeadBase XI の Edward Sieb のレポートによれば、これは地元ラジオ局主催による市内の広場でのフリー・コンサート。正午開演の予定が遅れた。集まっていたのは2〜3,000人で、その一部は地元のヒッピーたちだった。デッドが先の演奏で、まずガルシアが行方不明のレシュを呼びだした。ジーブはファーストは聴いていたが、そこには無い曲をやったらしい。〈Viola Lee Blues〉と〈Dancing in the Street〉それに〈Alligator> Caution〉はわかったが、それ以外は曲名不明。録音は存在しない。デッドは90分ほど演奏し、まだ続けそうだったが、エアプレインの番ということで途中で打ち切られた。

3. 1967 Expo '67, Montreal, PQ, Canada
 日曜日。ソワレ。セット・リスト不明。

4. 1971 Hollywood Palladium, Hollywood, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。前売5ドル、当日5.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 第一部クローザー前の〈Hard To Handle〉が《Fallout From The Phil Zone》で、これを含めて第一部からの5曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》ボーナス・ディスクで、第二部 drums 後の4曲目〈The Other One〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉までの7曲が《Dick's Picks, Vol. 35》でリリースされた。全体の4分の3ほどがリリースされたことになる。
 この〈Hard To Handle〉は決定的なヴァージョンとして、ディック・ラトヴァラと Louis Woodbury の両方が DeadBase XI で触れている。この時は電池駆動のテープ・デッキとマイクを持ちこんだ者がいて、ラトヴァラはこのショウの AUD を聴衆録音のレベルを上げるものと讃えている。
 かなり暑い日で、ガルシア入り NRPS の演奏の間に、暑さで気を失う者が続出した由。

5. 1974 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
 火曜日。5.25ドル。開演7時。
 DeadBase XI の Ihor Slabicky のレポートによれば、これは08月02日のショウが雨で延期になったもの。02日の開演前、降りやまない雨の中、ステージに出ていって金属の何かに触れたウィアは、あそこに出ていって感電死するのは御免だと宣言した。
 第一部7曲目〈Eyes Of The World〉、クローザーの3曲〈Playing In The Band> Scarlet Begonias> Playing In The Band〉、それに第二部オープナー〈Uncle John's Band〉の計5曲1時間強が《Dick's Picks, Vol. 31》でリリースされた。〈Eyes Of The World〉はドキュメンタリー《Long Strange Trip》オリジナル・サウンド・トラックにも収められた。
 この後、ひと月休んでヨーロッパ・ツアーに出て、09月21日までに英仏独と回り、帰ると10月下旬ウィンターランド5日間で大休止。したがってこれは東海岸では大休止前最後のショウ。しかし、演奏を聴くかぎりでは絶好調そのもので、なぜツアーを休まねばならないのか、納得はいかない。当時のデッドヘッドたちにもいかなかっただろうと思われる。
 この5曲を聴くと全体も聴きたくなる。〈Eyes Of The World〉は名演の多い曲だが、その中でもこれはベストと言い切ってもいい。ガルシアのギターが流麗に歌い、レシュが長く味わいふかいベース・ソロを披露する。デッドのジャム、集団即興がどんなものか知りたければ、まずこれを聴いてくれと言いたくなる。あるいはロック・ファンよりもジャズ・マニアの方が愉しめるかもしれない。まことに粋な終り方まで、デッドが「オン」になるとこういうことが起きるのだ。
 その後の〈Scarlet Begonias〉をはさんだ〈Playing In The Band〉、本来第二部オープナーの〈Uncle John's Band〉も夢々劣るものではなく、この1時間にはデッドの音楽の魅力が凝縮されている。その魅力を強引にひと言で表すとすれば「哀しみ」になる、とこれを聴くと思う。
 デッドの音楽が歓喜の音楽、祝祭の音楽であることは確かで、その点ではバッハの音楽と軌を一にする。一方で、脳天気にただひたすらわーいわーいとはしゃぎまわるわけでもなく、この世にあって歓びの裏には必ず貼りついて一体となっている哀しみが、やはり一体になっている。その点でもバッハの音楽に通ずる。
 こういうベストの時のデッドの音楽を聴いて引きこまれるところは、「面白うてやがて哀しき」風光だ。何か一色に染められているのではなく、歓びと哀しみが一番大きくはあるが、その他にも名づけようのない感覚がいくつも混じりあう。そこには澄みきって落ちついた、ほとんど悟りの境地とも呼びたいものすら流れている。
 その風光を「哀しみ」と表現するのは、我々の棲むこの世界の土台が「哀しみ」であると捉え、歓びの音楽によってこれを浄化しようとしているからだ。
 むろん、そう論理立てて、意識してやっているわけではない。直感で捉え、捉えたものと格闘する中で現れてきた結果だ。意識としては、前の日とは違うことをやろうとしているだけだ。ただ、その結果は、この1970年代半ばから大休止をはさんで後半にいたる時期の音楽として現われた結果には、特にその色が濃いようにも思う。そしてこの時期以後、デッドがやっていたこと、やろうとしていたことは、音楽による世界の浄化になってゆく、と、こういう演奏を聴いているとあたしには見える。

6. 1982 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 金曜日。開演7時。
 この時期として典型的なショウの由。

7. 1989 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続の楽日。開演7時半。
 最高のショウの一つらしい。(ゆ)

05月23日・月
 あちこちの田圃で田植がすんでいる。この週末にしたのだろう。しかし、年々、稲作をしている田圃は減っている。去年やっていて今年は水も張っていない田圃が目につく。畑にしているのはまだいい方だ。単純に放置して、秋に草刈だけしているところも少なくない。

 田植のすんだ田圃、まだ水を張っただけの田圃の上を燕たちが飛びまわる。水面すれすれに飛んでゆくのは、そのあたりに虫が多いのだろうか。燕たちの飛ぶ姿にはとにかく飛ぶのが楽しくてしかたがない、と思わせるところがある。実際にはかれらとしては必死で、楽しそうだというのはこちらの勝手な思いこみだろうが、実に自由自在に、疲れも見せずに飛ぶ姿は見ていて飽きない。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月23日には1969年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1969 Hollywood Seminole Indian Reservation, West Hollywood, FL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。"Big Rock Pow Wow" と題されたフェスティヴァル。デッドとジョニー・ウィンターがヘッドライナー。Sweet Water、Joe South、Aum、NRBQ、Rhinoceros、マディ・ウォーターズ、ティモシー・リアリーが共演。ポスターではイベントは日曜までの3日間だが、デッドの出演は金、土の2日のみ。
 《Road Trips, Vol. 4, No. 1》で全体がリリースされた。デッドの演奏はCDで1時間半の一本勝負。
 ポスターでは Sweet Water だが、おそらくはロサンゼルス出身の7人組 Sweetwater ではないか。リード・シンガーとチェロとフルートを擁した。ドアーズやアニマルズとツアーしている。
 Joe South (1940-2012) はアトランタ出身のシンガー・ソング・ライター。1970年に〈Games People Play〉でグラミー受賞。
 Aum は1968年サンフランシスコで結成されたブルーズ・ロック・トリオ。
 NRBQ は1965年に結成、一度解散して1967年再編。この年、デビュー・アルバムを出している。
 Rhinoceros は1967年にエレクトラ・レコードがオーディションで組んだバンド。ロサンゼルス・ベース。もっともできたバンドは売れるよりも独自性の強いもので、レーベルの目論見はあたらなかった。

2. 1972 Strand Lyceum, London, England
 火曜日。2ポンド。開演7時。終演12時。このヴェニュー4日連続の初日。ヨーロッパ・ツアー最後の4日間のスタート。CD で3時間半。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。今年、50周年記念でアナログ・ディスク化された。
 第一部16曲目で〈Rockin' Pneumonia and The Boogie Woogie Flu〉、第二部クローザーの〈Not Fade Away〉の途中にはさみこみで〈Hey Bo Diddley〉がデビュー。どちらもガルシアの持ち歌。
 前者はこの年の10月23日ミルウォーキーまで、計5回演奏。原曲は Huey Smith の作、1957年のシングル、両面で1曲。タイトルはチャック・ベリーの〈Roll Over Beethoven〉の歌詞の一節から。
 後者はボ・ディドリーの曲で、やはり1957年のシングル。デッドは1972年に3回、1986年、1991年に1回ずつ、計5回演奏。
 ツアー最後のロンドン4日間は、長いツアーの間に蓄積してきたものが一気に噴きだし、最高のツアーの中でも最高のピークを生み出している。今回、50周年記念としてこの4日間のアナログ・セットを企画したのも、内容からすればまったく無理はない。このツアーを代表するランとしてはこの4日間に止めを刺す。ここでは全員が最高のパフォーマンスを見せ、バンドとしても最高の音楽をくり広げる。この初日の演奏を聴くとそのことがまず明瞭に思い知らされる。
 まずめだつのはピグペンの踏ん張りで、たとえば〈Dark Star〉でのオルガンを聴くと、鍵盤奏者として後のメンバーに劣るものではないとわかる。腕というよりセンスの問題だ。どんなにテクニックがあっても、センスの悪い人というのはいるもので、そういう人の演奏は一度はびっくりしても、2度目は飽きる。ピグペンの鍵盤はアンサンブルの一角をしっかりと担いながら、いい味を出している。
 しかしここでの彼のハイライトは第一部半ばの〈The Stranger〉とクローザー前の〈Good Lovin'〉だ。前者のコーダ、詞の無いコーラスをバックに即興的に歌うところ。後者では歌の後の集団即興=ジャムで、オルガンもノッて弾いている。この曲ではガルシアを先頭に、メインのメロディからは離れたすばらしいジャムをくり広げ、そしてまた元のメロディに戻るところが凄い。
 この日の演奏を聞いていると、〈The Stranger〉はアメリカーナ・デッドへのピグペンなりの回答ではないかと思えてくる。このツアーはピグペンがメンバーとして実質最後のランなのだが、この最後の時期にアメリカーナ・デッドの中での自分の位置、役割を確立してみせたとも言える。まさに有終の美だ。
 ガルシアは上記二つの初演に現れるように、ヴォーカルもよいが、この日はギターの調子がよい。2曲目〈Sugaree〉はまだ5年後の予兆はかけらも無いが、ここからしていいソロを聞かせる。〈Tennessee Jed〉〈Next Time You See Me〉、そして〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が花開く。〈Big Railroad Blues〉のような曲でもソロを3コーラスやる。そして〈Playing In The Band〉。このツアー中に育ってきたこの曲の最初の到達点がこの4日間の演奏。
 第二部は2曲目で30分の〈Dark Star〉。一時、ひどくワイルドに切迫するが、結局明るい光が入る。続く〈Morning Dew〉、その数曲後の〈Comes a Time〉と、ショウも後になるにしたがってガルシアのギターが調子を上げてゆく。アンコールの〈Uncle John's Band〉のソロがこの日のベストの出来栄え。
 ただでさえこれまでで最高の音楽を生み出しながら、ここから千秋楽へ向けて、日毎にさらに良くなってゆく。音楽の神は確かに降りてきている。

3. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。12ドル。開演3時。
 非常に良いショウの由。

4. 1992 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。なかなか良いショウの由。

5. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。24ドル。開演5時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。第一部の〈Bird Song〉が特に良い由。(ゆ)

05月04日・火
 1週間ぶりにインターバル速歩をやると気分爽快。やらないとなんとなく物足らないレベルまでは来た。が、くたびれる。1週間休んだだけで、帰ってから、気がつくとこっくりこっくりしている。今週は何とかノルマの4回をこなせそうだ。
 この間、04月29日に、Apple Watch のムーブの1日の目標1,250回達成。ムーブの目標は1日330キロカロリーで、これは自分で勝手に決めたレベルだからあまり意味はないが、それでも500、1,000、1,250と積みあがってくると満足感がある。次の1,500回まではなんだかんだで300日近くかかるだろう。順調にいって来年の01月か02月。

##本日のグレイトフル・デッド
 05月03日には1968年から1991年まで、10本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

01. 1968 Low Library Plaza, Columbia University, New York, NY
 金曜日。セット・リストは一部。ドキュメンタリー "Columbia Revolt" の中で2曲演奏シーンあり。YouTube にあり。
 ビル・クロイツマンが回想録 Deal, 2015 の中でこの1件について書いている(097pp.)。学生のストライキでコロンビアのキャンパスが閉鎖されていた。それでバンドのイタズラ魂に火がついた。一行はパン屋のトラックに乗って構内に忍びこみ、この建物の前の石段にすばやくセットアップして、フリー・コンサートを行なった。まったく何の告知もなかった。ただ、やるのが面白い、それだけでやった。ケガした者も逮捕された者もいなかった。少数の学生を驚かせたにすぎず、新たなファンとしては数日後のセントラル・パークでのフリー・コンサートで摑んだ方がずっと多かったではあろうが、それは問題ではない。

02. 1969 Sierra College, Rocklin, CA
 土曜日。夜はウィンターランドに出ているので昼間のショウ。セット・リストは一部のみだが、それだけでも2時間はやっている。

03. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
 このヴェニュー2日連続の2日目。ジェファーソン・エアプレイン、モンゴ・サンタマリア共演。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、第一部の〈That's It For The Other One〉だけでも最高の由。

04. 1970 Field House, Wesleyan University, Middletown, CT
 日曜日。東部大学ツアー3本目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティール。セット・リストは残っているテープに基き、不完全。
 入っているアナウンスには、この日ニューヘイヴンであったデモで催涙ガスを浴びて目が痛い人には医務室に目薬が用意してある、というものと、翌日のヴェトナム反戦全国デモに参加するよう呼びかけるものがある由。

05. 1972 Olympia Theatre, Paris, France
 水曜日。ヨーロッパ・ツアー11本目。このヴェニュー2日連続の初日。22フラン。当時のレートで6USD。アメリカ国内でデッドのショウの料金がこのレベルになるのは1977年。開演8時。実際に演奏が始まったのは9時頃。終演は午前1時半。
 第一部7・8曲目〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、13曲目〈Tennessee Jed〉、第二部11曲目〈Jack Straw〉が《Europe '72》でリリースされた。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされるとともに、第一部4曲目〈Sugaree〉が《Europe '72, Vol. 2》に収録された。
 DeadBase XI の Bob Welle によれば、第一部が終ったところで、ほとんどのフランス人の客は終ったものとして帰ろうとした。その時、フランス人女性がステージに跳び上がり、フランス語でショウがまだ終っていないことをアナウンスし、大歓声が上がった。
 ウェルはずっとヨーロッパ大陸を旅していて、当時の共産圏にまで足を伸ばした。ために、デッドについては《Workingman's Dead》が最新情報だった。デッドのツアーのことは、チューリヒのユースホステルで会ったデッドヘッドたちから聞き、ちょうどパリに行くところだったから、そこに留学していた友人を通じてチケットを入手する。パリでもデッドヘッドに遭遇するが、かれらがショウの準備として聴いていたのは《American Beauty》と《Live/Dead》だった。実際のショウではメンバーが増えていることに驚き、新たなメンバーの貢献と初見参の新曲に喜ぶ。
 パリという場所にはどこか魔法があるのかもしれない。誰にでも、いつでも起こりうるものではないのだろうが、うまくはまった者、タイミングがたまたま合った者、あるいは自ら魔法を呼びおこすことができる者には魔法が起きることがある。
 場所はオランピアである。収容人員2,000はデッドにとってはちょうど良い。ドイツのヴェニューはクラシック用コンサート・ホールで、それに比べれば、ミュージック・ホールと呼ぶべきここはデッドの性格にはより近いだろう。名のあるアーティスト、ミュージシャンがパリでやるならばここ、というヴェニューだ。あたしにとってはアラン・スティヴェールのここでのライヴ盤を歴史的名盤として愛聴している。もっともここでのライヴ盤が代表作となっているアーティストはたくさんいる。デッドにとってもここでの2日間はフランクフルトに並ぶツアー中のピークとなる。
 オリジナルの《Europe '72》にとられた〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉は確かにすばらしく、このペアがもっている潜在的な魅力が現れだしている。〈He's Gone〉はわずかにテンポが遅くなり、ガルシアの声がうまく力が抜けている。"smile, smile, smile" を強調しないのもいい。〈Playing In The Band〉がますます良くなり、そして〈Good Lovin'〉はこれまでのベストの出来。ガルシアのギターが冴える。〈Sing Me Back Home〉はもう少し後の方が良くなるが、形はできてきた。
 第二部では冒頭〈Greatest Story Ever Told〉でガルシアのギター・ソロがいきなり炸裂する。そして〈Me And Bobby McGee〉を丸々含む〈The Other One〉の長い長い演奏。パリの聴衆はこれをどう聴いたのだろうか。ガルシアの切れ味のよいギターを核とした集団即興の醍醐味。こういう演奏はある時は聞きいり、ある時は聞きながし、流れに身をゆだねるのが、最近のあたしの聴き方だ。むろん、聴き方はいくつもあるので、その時の気分で選べばいいし、あるいは新たな聴き方をあみだすのも面白い。ビートにのったり、フリー・リズムになったり、あるいはそのどちらでもなかったり、千変万化する音楽は聴くたびに様相も変える。
 そのまま続く〈Wharf Rat〉がまたすばらしく、ガルシアのギター・ソロがウィアに煽られて離陸する。〈Jack Straw〉では歌の役割分担が初めて現れる。つまりここで Shannon と呼ばれるキャラをガルシアが歌い、主人公の Jack Straw をウィアが歌う。これまではウィアが1人で歌っていた。〈Sugar Magnolia〉では、後半、ウィアがあまりわめかないうちにガルシアがビートを刻みだして〈Not Fade Away〉。ここでも間にはさまる〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉でも、ガルシアのギターが聞き物。リリカルなコーダから〈Not Fade Away〉にもどると、今度はピグペンとウィアが掛合いをする。ツアー後半ではこの掛合いがなくなるから、ここの愉しさは貴重だ。

06. 1977 The Palladium, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー5本連続のランの4本目。8.50ドル。開演8時。
 この春、悪いショウは無い。

7. 1979 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
 木曜日。春のツアーのスタート。05-13 メイン州ポートランドまで9本。

08. 1986 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。16ドル。開演午後2時。
 全体が《30 Trips Around The Sun》でリリースされた。
 始め曇って寒く、雨も降っていたのが、途中から晴れ、第二部では陽が降りそそいだ。クローザーの〈Sugar Magnolia〉の後、ウィアが出てきて、ガルシアのアンプが凍りついた、と言ってアンコールは無し。ショウそのものは良い由。

09. 1987 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演午後2時。
 第二部が良かったらしい。

10. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 DeadBase XI に書いているブレア・ジャクソンによれば、このヴェニューは規模がちょうどよく、音響がよく、場内どこで聴いても音が良くて、悪い席というものがない。そして、デッドはここでは常に良いショウをする。この時期になるとデッドがやる会場はスタジアムや大規模屋内アリーナで、メンバーの顔も見えないことがほとんどだが、ここはそうした中で息抜きになる。
 ここはサクラメントにある収容人員14,000の屋外アンフィシアターで、デッドは1984年06月から1995年06月まで、計24本のショウをしている。1991年にはこの5月の三連荘とともに8月にも三連荘をしている。
 この日のショウは凡庸とするデッドヘッドが多いが、ジャクソンは3本ともそれぞれに良いところがあっていずれも水準は高いとしている。(ゆ)

04月28日・木
 明日のイベントのため、新宿のホテルに前泊。チェックインしようとすると機械がエラーを返す。こういう時のために近くにいた担当者が来て、同姓同名の方がいるので、と電話番号アタマの三桁を訊かれる。あたしの名前は珍しいものではないが、そうよくあるものでもない。全校生徒数2,000名の中高一貫校時代6年間で同姓は他に1人しかいなかった。シンクロニシティというやつであろうか。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月28日には1967年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1967 Stockton Ballroom, Stockton, CA
 金曜日。セット・リスト不明。

2. 1968 Electric Factory, Philadelphia, PA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。

3. 1971 Fillmore East, New York, NY
 水曜日。このヴェニュー5日連続のランの4日目。第二部後半〈Dark Star> St. Stephen> Not Fade Away> Goin' Down the Road Feeling Bad> Not Fade Away〉にトム・コンスタンティン参加。
 第二部5曲目の〈The Other One〉が《Skull & Roses》で、第一部から6曲、第二部から6曲が《Ladies & Gentlemen…》でリリースされた。時間にして全体の約7割がリリースされたことになる。

4. 1980 Boutwell Auditorium, Birmingham, AL
 月曜日。春のツアーのスタート。ここから05月16日まで14本が前半。

 この日《Go To Heaven》がリリースされた。オリジナル・アルバムとして16作目。アリスタで3作目。ミドランドが加わった最初のスタジオ盤。Gary Lyons のプロデュース。録音はサン・ラファルのウィアのスタジオ Club Front。収録曲。
Side 1;
1. Alabama Getaway (Garcia/ Hunter)
2. Far From Me (Mydland)
3. Althea (Garcia/ Hunter)
4. Feel Like A Stranger (Weir/ Barlow)
19:16

Side 2;
1. Lost Sailor (Weir/ Barlow)
2. Saint Of Circumstance (Weir/ Barlow)
3. Antwerp's Placebo (The Plumber) (Kreutzmann/ Hart)
4. Easy To Love You (Mydland/ Barlow)
5. Don't Ease Me In (Trad.)
19:13
38:29

 ハンター&ガルシア2曲、バーロゥ&ウィア3曲、ミドランドは単独で1曲、バーロゥと組んで1曲。珍しくカヴァー曲の〈Don't Ease Me In〉が入っている。
 アルバム・チャートでは最高位23位。
 2004年の回顧ボックス・セット《Beyond Description》でボーナス・トラックが6曲、いずれもライヴ音源が加えられた。
 収録曲はいずれも定番となったから、その意味での「ヒット率」は高いが、アリスタの5枚はどれも印象が薄い。どこか「お仕事」として作り、出しているところがある。アルバムを作るのは契約上、やむをえないからやっていると言いたげだ、というのは後からふり返ってみての感覚だろうか。手を抜いているわけではないが、どこか心ここにあらずと聞えてしかたがない。デッドがやりたかったのはバンドとしてライヴで演奏することで、スタジオ盤ではそれはできない。デッドはロック・バンドとみなされていたから、そのアルバムもロック・バンドの作り方をする。つまり、個別に録って組み立てる。ジャズのように、全員が同時にスタジオに入って、せーのでやるわけではない。次の《In The Dark》まで7年も空くのも、ガルシアの昏睡のためだけではない。スタジオ盤を作るなどという気になれなかったのではないか。
 いずれにしても、リスナーから見たデッドのスタジオ盤は、他のロック・バンドやポピュラー・アクトのアルバムとは位置付けも意味合いもまったく違ってくる。膨大なライヴ音源を聴いていると、スタジオ盤は馬鹿らしい、というと語弊があるかもしれないが、せいぜいが刺身のツマ、お茶うけにしか聞えない。バンドの現役当時テープを聴いていた人たちも、同様に感じられたはずだ。それに何より、その頃は実際のショウがあった。スタジオ盤は出れば買って1度は聞くが、まずたいていはそれっきり棚の上に飾られていた、というのが実態ではなかったか。
 たとえスタジオ盤をリアルタイムで聴いていたとしても、デッドを聴きつづけようという気にはあたしも到底なれなかっただろう。


5. 1985 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演午後2時。アンコール2曲目〈She Belongs To Me〉が《Garcia Plays Dylan》でリリースされた。

6. 1989 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。第一部クローザー前で〈Picasso Moon〉がデビュー。バーロゥ&ウィアの曲。1995-06-25まで77回演奏。スタジオ盤は《Built To Last》収録。

7. 1991 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。23.50ドル。開演1時。ブルース・ホーンスビィ参加。サンタナ前座。第一部クローザーの〈Bird Song〉にカルロス・サンタナが参加。
 ショウが始まる前、グラウンドのど真ん中にネットを張ってバレーボールをしている連中がいた由。プロモーターのビル・グレアムもそれを見ていたが、何も言わなかったらしい。
 ここはラスヴェガス郊外の砂漠の真ん中に1971年10月にオープンした4万のスタジアム。収容人員は当初の15,000から1978年に32,000に拡張されていた。フットボール・スタジアムとしてはB級で、カレッジや高校が主なユーザー。デッドはここを好み、この1991年から1995年まで毎年春にショウをしている。計14回。(ゆ)

04月27日・水
 仕事のイベントの準備をし、1972年5月のロンドンのデッドのショウを聴き、ブログを書く。それだけで1日が終る。生活はできるだけシンプルがいい、とすれば理想の生活、だわなあ。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月27日には1968年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。

1. 1968 Electric Factory, Philadelphia, PA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。セット・リスト不明。

2. 1969 Labor Temple, Minneapolis, MN
 日曜日。1時間半超の一本勝負。〈Turn On Your Lovelight〉がオープナーとクローザー。全体が《Dick's Picks, Vol. 26》でリリースされた。

3. 1971 Fillmore East, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー5日連続の中日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。第二部6曲目〈Searchin'〉から7曲、ビーチ・ボーイズ参加。うち2曲はビーチ・ボーイズのみ。
 第一部3曲目〈Bertha〉と6曲目〈Me And Bobby McGee〉が《Skull & Roses》で、第一部クローザー〈Casey Jones〉、第二部クローザーの2曲〈Uncle John's Band; Turn On Your Lovelight〉が《Ladies & Gentlemen…》でリリースされた。
 ビーチ・ボーイズ参加の部分が賛否両論なのは、さもありなん。
 DeadBase XI のトム・コンスタンティンの記事によれば、ディランがこのショウを見ていた。

4. 1977 Capitol Theatre, Passaic, NJ
 水曜日。このヴェニュー3日連続の楽日。8.50ドル。開演8時。ニューヨークの WNEW-FM で放送された他、ほぼ全体が YouTube に上がっている。この年の春のツアーに悪いショウ無し。

5. 1984 Providence Civic Center, Providence, RI
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。良いショウの由。

6. 1985 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演2時。〈Dancing In The Street> Bertha〉というオープナー、〈Scarlet Begonias> Eyes Of The World〉という第二部のオープナー。とても楽しいショウの由。

7. 1991 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。23.50ドル。開演1時。サンタナ前座。第二部オープナーからの3曲〈Sugar Magnolia> Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)

0203日・木

 妹の祥月命日とて、墓参りに行く。

 2年前、卵管から始まったがんで死んだ妹は樹木葬を選んだ。言葉は聞いたことはあったが、実際にどういうものかは知らなかった。もっとも方式がこれと決まっているわけではなく、場所によって多少手順が異なるようではある。妹が選んだところのものは、芝生に円筒が埋められていて、灰を骨壺から専用の袋に移し、この袋を地中の円筒に入れ、土をかぶせる。1本の円筒に4人分まで入れられる。こういう方式だから、ペットの灰も一緒に入れることができる。樹木葬用とされている墓地はすでに半分ほどが埋まっていて、ペットも一緒の墓も結構な割合であるようだ。墓標などは無く、埋めた場所の手前の石板に名前が彫られている。ここには入る予定の人間の名前も彫られているが、寺の墓のように、まだ生きている人間の名前が朱く塗ってあることはない。ここでは生者も死者も区別がない。しかも戒名などではなく、生前の名前だ。ペットも共に入っている人は名前の横に印がある。

 つまり、土に還って、樹木の養分になる、という意味で樹木葬なのだろう。芝生の周りには様々な樹が植えられているが、墓地自体はまだ新しく、樹々もそれほど大きくはない。それでも春になれば、いろいろな花が咲くはずだ。

 真冬の平日の昼間とて、他に墓参する人の姿もほとんど無い。こういう方式だから、花は買っていったが、線香は持っていかなかった。埋葬には立ち合ったから、どこに埋まっているかはわかるが、一面芝生で徴があるわけでもない。手を合わせたものの、拝む対象が芝生ではいささか拍子抜けする。本人は満足なのだろうが、残された者には一抹の寂しさというか、手持ち無沙汰になる。中には、重い墓石の下には入りたくないと、樹木葬を選ぶ人もいるそうだが、死んでしまったら重いもなにもわからんのではないか。

 古人の墓を訊ねあるき、お参りりして掃除したり、記録をとったりする人を「掃苔家」と呼ぶそうだが、相手が樹木葬を選んでしまっていては、「掃苔」もできまい。やはり、何か墓標はあってほしい、というのは、生き残ったものの身勝手だろうか。

 インド人には墓が無い。灰にしてガンジスに流すからだ。そのインド人も、ガンジーにだけは墓を作った。

 第二次世界大戦後最大のドイツ語作家の一人ウーヴェ・ヨーンゾンは、晩年テムズ河口シェピィ島に棲み、ここで死んで島の墓地に墓がある。墓の上に平らに置かれた石板にはただその名前だけが彫られている。生没年すら無い。それでもやはり墓標はある。その前に立って、名前の彫られた板を見下ろすことができる。

 もっとも、ではあたしは墓標が欲しいかと訊かれれば、別に欲しくはない。あたしは欲しくはないが、墓標は死者のためのものではなく、生きていかなくてはならない者たちのためにある。葬式をどうするか、墓はどうするかは、生きのこった者の課題だ。生きのこった者は、葬式のやり方や墓の心配をすることで、空いた穴を埋めようとする。だから、どう埋められるかは、生きてゆくはずの人間たちの好きにまかせればいい。死んだ人間にはどちらにしても違いはない。もっとも、死んだ人間が仏教徒で、その葬式をキリスト教やヒンドゥー教のやり方でやるのは、死者に対するリスペクトに欠けるというものだ。死者に対する敬意さえはっきり示されれば、あとはどんな形でやっても、故人が化けて出ることはないはずだ。

 樹木葬にはもう一つ、家から離れる意味がある。寺の墓は家のものだ。先祖代々の墓だ。そこに入れるのは家が認めた者だけだ。樹木葬ならば、誰とでも一緒に入れる。ペットもOKだ。一緒に入る人間を選ぶこともできる。後からの押しかけを死者に拒むことはできまいが、家の墓なら、生前嫌いぬいていた人間と同じ墓にならざるをえないこともあろう。妹が樹木葬を選んだのは、あるいはそちらの意味の方が大きかったかとも思う。ならば、墓参りで手持ち無沙汰になるくらいのことは、たいしたことではない。



##本日のグレイトフル・デッド

 0203日には1968年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1968 Crystal Ballroom, Portland, OR

 このヴェニュー2日連続の2日目。

 〈That's It for the Other One〉が演奏され、〈The Other One〉のその後標準になる歌詞が初めて歌われる。この歌では「カウボーイ・ニール」としてニール・キャサディが歌われるが、そのキャサディがこの日、亡くなった。バンドがそれを知るのは、ツアーから戻った後だった。


2. 1969 Guthrie Theatre, Minneapolis, MN%

 存在が疑問視されているが、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジを前座として行われたと、トム・コンスタンティンはリストアップしている由。


3. 1978 Dane County Coliseum, Madison, WI

 第一部のオープナー〈Cold Rain And Snow〉とクローザー〈The Music Never Stopped〉を含む5曲と第二部の3曲目〈Estimated Prophet〉からアンコール〈Johnny B. Goode〉までが《Dick's Picks, Vol. 18》でリリースされた。

 《Dick's Picks, Vol. 18》はここからの3日間からの抜粋。この日と05日の各々半分強に、04日から2曲加えている。

 全体がリリースされなかったのにはそれなりの理由があろうが、まったく惜しい。とはいえこれだけでもすばらしいショウで、0122日よりもさらに全体の油がよく回っている。絶好調の時のデッドのみに可能な世界。1977年の、引き締まった演奏はそのままだが、たとえばバートン・ホールを中心とした春のツアーやその後のウィンターランドの頃の演奏とはまた変わってきている。音楽の流れ方がわずかだが決定的に違う。あちらが華麗なら、こちらは流麗と言おうか。

 ガルシアの喉の調子はまだ万全ではなく、曲によってかすれる。途中、良くなるが、第二部ではまたかすれる。

 しかし、そんなことはまったく気にならないくらい、ギターがノリまくっている。 They Love Each Other〉の間奏、〈Looks Like Rain〉のコーラスでのウィアとドナのヴォーカルとの掛合い、そしてクローザーの〈The Music Never Stopped〉と、第一部から聴き所が多いが、第二部の〈Estimated Prophet〉では、そのギターに神が降りてきている。このギターはジャズとしか呼びようがないが、バンド全体としてみれば、これはジャズではない。ロックでもない。グレイトフル・デッド・ミュージックとでも呼ぶしかない。しかし、もう何でもいい。スケール一杯に使い、ロックやジャズのエレクトリック・ギターの表現、語彙、フレーズを残らず動員し、技術的にはとりわけ難しくはない、むしろ、誰でも弾けそうな、しかしデッドのガルシアにしか弾けないギターを続ける。デッドを聴く醍醐味、ここにあり。その後もまったく勢いは衰えないが、〈Playing In The Band〉では、半ばでそのガルシアのギターが消え、ピアノ、ベース、ウィア、ドラマーになるところが、実にこの曲らしく、もうたまらん。この曲ではなぜか、ガルシアのギターが突出することがまず無い。キースも元気で、1年後に脱けるとは到底思えない。


4. 1979 Market Square Arena, Indianapolis, IN

 ここから11日のセント・ルイスまで中西部を回る。キース・ガチョー最後のツアー。

 このショウでは〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が1年以上の間を空けて演奏された。さらに〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉という、デッドのレパートリィでも最も面白く、人気も高いペアが3組、揃い踏みという稀なことが起きた。(ゆ)


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