クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 昨年行ったライヴ、コンサートの総数33本。同じミュージシャンに複数回行ったのは紅龍3回、新倉瞳&渡辺庸介とナスポンズ各々2回。COVID-19感染とぎっくり腰、発熱を伴う風邪で行けなかったもの数本。どれもこれも良かったが、中でも忘れがたいもののリスト。ほとんどはすでに当ブログで書いている。
















1014 七つの月 @ 岩崎博物館ゲーテ座ホール、横浜
 shezoo さんがここ数年横浜・エアジンでやってきたシンガーたちとのコラボレーションから生まれたアルバム《七つの月》レコ発ライヴ。一級のシンガーたちが次から次へと出てきて、各々の持ち歌を披露する。どなたかが「学芸会みたい」とおっしゃっていたが、だとしてもとびきり質の高い学芸会。シンガー同士の秘かなライヴァル意識もそこはかとなく感じられて、聴き手としてはむしろ美味極まる料理をどんどんと出される。一部二部が昼の部、夜の部に分られ、間に食事するだけの間隔があいたので何とかなったが、さもなければ消化不良を起こしていただろう。

 アルバム《七つの月》は shezoo さん自身は飽くまでも通過点と言うが、それにしても《マタイ》《ヨハネ》も含めて、これまでの全業績の一つの結節点であることは確か。アルバム自体、繰返し聴いているし、これからも聴くだろうが、ここからどこへ行くのかがますます愉しみ。


1017 Nora Brown @ Thumbs Up、横浜
 こういう人のキャリアのこの時期の生を見られたのは嬉しい。相棒のフィドラーともども、オールドタイムを実にオーセンティックにやっていて、伝統の力をあらためて認識させられた。会場も音楽にふさわしい。

1023 Dreamer's Circus @ 王子ホール、銀座
 ルーツ・ミュージックが音楽はそのまま、エンタテインメントとして一級になる実例を目の当たりにする。

1103 Julian Lage @ すみだトリフォニー・ホール、錦糸町
 何より驚いたのはあの大ホールが満杯になり、この人の音楽が大ウケにウケていたことだ。ラージの音楽は耳になじみやすく、わかりやすいものとは対極にあると思えるのだが、それがやんやの喝采を受けていた。それも相当に幅広い層の聴衆からだ。若い女性もかなりいた。あたしのような老人はむしろ少ないし、「ガンコなジャズ爺」はほとんど見なかった。ここでは「ケルティック・クリスマス」を何度も見ているが、ああいうウケ方をしたのは覚えが無い。


1213 モーツァルト・グループ @ ひらしん平塚文化芸術ホール
 レヴューを頼まれて見たのだが、最高に愉しかった。要するにお笑い芸である一方、あくまでも音楽を演奏することで笑わせるところが凄い。音楽家としてとんでもなく高いレベルにある人たちが、真剣に人を笑わせようとする。こういうやり方もあるのだと感心すると同時に、一曲ぐらい、大真面目に演奏するのを聴きたかった。

1228 紅龍, 題名のない Live @ La Cana, 下北沢
 昨年のライヴ納め。ピアノ、ベース、ギター、トランペット、パーカッションというフル・バンドに、シンガー2人。さらに後半、向島ゆり子さんも駆け付けて、最新作《Radio Manchuria》の録音メンバーが1人を除いて顔を揃えるという豪華版。プロデューサーでピアノの永田さんのヴォーカル・デビューという特大のおまけまで付き、まさに2024年を締めくくるにふさわしい夜になった。


 展覧会はあまり行けず。行った中でもう一度見たいと思ったもの。

エドワード・ゴーリー展@横須賀美術館
 これまで思っていたよりも遙かに大きく広く深い世界であることを実感。

田中一村展@東京都美術館
 奄美に行ってからの絵を見ると、ここまでの全てのキャリアはこの一群の絵を描くための準備と見える。奄美大島の一村記念館に行きたくなる。

オタケ・インパクト@泉屋博古館
 同じ美術館で同時開催されていた別の展示を見にいった家人が持ち帰ったチラシで見て勃然とし、会期末近くに滑り込み。まったく未知の、しかし素晴しい画家たちの絵に出会うスリル。日本画のアヴァンギャルドという謳い文句は伊達ではない。(ゆ)

 夕食後、虫の知らせか、めずらしく Twitter をながめているとあらひろこさんの訃報が入ってくる。闘病されていた由。とすると昨年11月に「ノルディック・ウーマン」のステージで見たのが最後。ステージではご病気の様子などはカケラも無く、すばらしい音楽の一翼を担っていた。

 あらさんの生は何度か見ているはずだが、記録に残っているのは2019年10月、馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオ Rauma にハープの木村林太郎さんが加わった時のものだけだ。あれは実にすばらしかった。

 今でこそカンテレもごく普通の楽器で、本朝では本国フィンランド以外で、フィンランドとは無縁の地域としては演奏者人口が最も多い、と他ならぬあらさんに伺った。そうなったことには、あらさんの尽力が大きいのだろう。単に演奏し、作曲する音楽家としての活動にとどまらない、器の大きなところが、あらさんには感じられた。ごく浅いおつきあいしかしていないのに、そう感じられるくらいだ。

 どんなものであれ、異邦の文物が根を下ろすには、それにとらわれたことを幸運としてすべてを捧げる人間が必要だ。

 ご自身の音楽にも器の大きなところは出ている。伝統に深く掘りすすみながら、同時に外からの要素を大胆に注入する。馬頭琴とのデュオというのは、伝統の外にいるからこそ可能なのだし、また伝統にしっかりと根をおろしているからこそ、そこから生まれる音楽に魂が宿る。一方で、鍛えられたバランス感覚と、冒険を愉しむ勇敢さを必要とする危うい綱渡りでもある。そういうことができる人間を一言でいえば、スケールの大きな英雄だ。

 あらさんの音楽を初めて聴いたのはいつだったろう。たぶん2007年のセカンドの《Moon Drops》ではなかったか。2004年のファーストの《Garden》は後追いというかすかな記憶がある。手許に残された音楽はあまりに少ないが、どれも珠玉と呼ぶにふさわしい。

 人は来り、人は去る。されど、音楽は残る。(ゆ)

07月19日・火
 終日、雨が降ったり止んだり。雨雲レーダーでみると、相模湾のあたりに黄色や赤の雲の帯が東西に伸びている。東は房総、三浦両半島の半ば、西は伊豆半島の付け根のあたりが覆われている。雨は強くなく、スポーツセンターのテニスコートでは、遊んでいる人たちも何組かいるくらいだが、こういう雨は歩くととりわけ速歩の時に顔に当るので歩きたくはない。郵便局と公民館への往復に止める。それだけで汗びっしょり。

 公民館で1冊だけなぜか遅れていた井上ひさし『四千万歩の男』講談社文庫版第一巻を受け取る。これでようやく読みだせる。2008年04月、初代 Apple Watch を手に入れてつけだした記録で、今月初め、2,900万歩にこぎつけた。3,000万歩は順調にいけば10月半ば。4,000万歩は順調にいけば2026年。計測開始から18年。伊能忠敬は4,000万歩を17年で歩いている。1日平均6,443歩。そう多くもなさそうだが、忠敬は二歩一間で距離を測りながら歩いているし、いたるところで測量してもいる。




 井上はこの忠敬の行為を愚直な意志のおかげとするが、人間、意志だけでこんなことはできない。こうすることが何らかの形で忠敬には歓びだったはずだ。愉しかったはずだ。かつての国内の国鉄路線全線乗車をした宮脇俊三に通じるところもある。井上も対象に倣って愚直に書いたというが、忠敬の細かい日常の一挙手一投足を書くことが愉しくなっていったにちがいない。いくら恰好の資料があるといっても、愉しくなければ、こんなに長くは書けまい。『四千万歩の男』は文庫版どれも600ページ超、5冊で3,200ページを超える、日本語では珍しい部類の長篇。井上の作品としても最長だろう。

 文庫版第五巻巻末に著者自筆年譜がある。1977=昭和52年02月、著者43歳までのものではあるが、たいへんに面白い。続きがどこかにあるならぜひ読みたい。誕生ののっけから面白いが、最高なのは、1974=昭和49年04月「日本亭主図鑑」をめぐる騒動。
 「ワイセツ罪で逮捕されたストリッパーと共闘もできずに、なにが女権論者か」という著者の問いに対してここでいう「女権論者」も答えているはずで、その答えは知りたい。
 一方で、「女性にとって男性は対立物である、と考えるのは浅はかな二元論である。むしろ、世の中は、"賃金を払うもの" と "賃金をもらうもの" とに分かれていることに早く気づき、ともに手をたずさえて、"賃金を払うもの"と対抗しようではないか」という著者の訴えはまことに理にかなっているのだが、一点、見逃しているところがある。われらが国の男性は女性を前にすると、自分は "賃金を払うもの" であると思いこむ習性がある。この反応は後天的なものではあるかもしれないが、幼少時から刷りこまれているので、その根っ子はほとんど先天的な深さにまで達している。男性自身、そう反応していることを自覚しない。あなたも "賃金をもらうもの" ではないかと指摘すると、バカにするのかとキレたりもする。女性たちはそのことを嫌というほど思い知らされている。その男性からそんな呼びかけをされても、信用するわけにはいかない、と思うのは無理もない。

 男性のその習性になぜ井上は気づかず、あたしは気づいているのか。それが年の功というものだろう。人間年をとると、性による違いが小さくなる。ともに無性に近づく。すると自分の若い頃の男性としてのふるまいが少しは客観的に見えてくる。井上も晩年にはわかっていたはずだ。

 まあ、このことについては「日本亭主図鑑」を読んで、井上が上記の訴えをどのような形でしているか、確認してからにしよう。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月19日には1974年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは4本、うち完全版2本。

0. Keith Godchaux Born
 1948年のこの日、キース・ガチョーがシアトルに生まれる。1980年07月23日、マリン郡で交通事故で死去。
 1971年09月にバンドに参加。ピアノ、キーボード担当。同年10月19日ミネアポリスで初ステージ。1979年02月17日を最後のステージとしてバンドを離脱。

  グレイトフル・デッドの音楽は歴代の鍵盤奏者によって性格が決定される。初代ピグペンではブルーズ・ロックが基調だったものが、キースによってより幅の広い、多彩なものとなり、他のいかなるロック・バンドからも際立つグレイトフル・デッド・サウンドを形成する。ブルーズが全く消えるわけではないが、深く埋め込まれてほとんどそれとはわからなくなり、代わってカントリーとロックンロール、それにジャズが基調となる。

 ガルシアは偉大なプライム・ムーヴァー、第一発動者ではあったが、そうあり続けるために、自分の投げたものを受け止め、投げ返す相手を必要とした。ウィア、レシュ、クロイツマン、ハートは各々に重要な相手ではあったが、ガルシアが最も頼りにしていたのは鍵盤奏者である、というのがあたしの見立てだ。鍵盤奏者の出来如何によってその日のガルシアの調子が決まると言ってもいいくらいだ。他のメンバーの演奏にももちろん耳は傾けていたが、ガルシアのギター、とりわけそのソロは、鍵盤との対話だ。この形を開発し、展開してゆく、その相手がキースだった。ピグペンとの間ではそういう対話がまず無い。ピグペン時代のガルシアのソロは、鍵盤が相手ではなく、ウィアやレシュ、ドラマーたちに投げかけている。キースが登場するにいたって、ガルシアはインスピレーションを引き出すきっかけとして、キースの演奏を使うようになる。あるいは霊感の湧き出し方を測る物差し、さらには落ちないための支えともしてゆく。そして鍵盤奏者に頼るこの形は最後まで続くことになった。デッドに鍵盤奏者が必須だったのは、誰よりもガルシアが鍵盤奏者を必要としていたためである。

 ガルシアがなぜ鍵盤奏者をソロの相手にしたか。1970年から Howard Wales, 続いて Merl Saunders と出会い、セッションをしたことがきっかけかもしれない。あるいは元々ガルシアには鍵盤奏者への嗜好があって、そうしたセッションを始めたのかもしれない。ソーンダースとの演奏をするようになって、ガルシアのギターは変わる。ソーンダースに「音楽」を教えられたことをガルシアは回想している。ギター・ソロを導き出す役割をデッドの中の鍵盤奏者に求める時、ピグペンでは役不足だったのだ。というよりも、ピグペンのオルガン演奏を形成するものは、すでにガルシアの中にもあるので、対話にならなかったのだろう。対話の相手になるには、自分の中には無いものが相手に有る必要があった。

 キースの演奏の水準は参加直後の1972年のヨーロッパ・ツアーと1976年夏の復帰直後をピークとする。後者では複数の曲でソロをとってもいて、かなり良い。それが1978年になって急転直下したようにみえる。かれのソロが必ず入る〈Big River〉を年代順に聴いてゆくと、78年の後半からが深刻だ。デッドのように毎回、違うことをするというのは、もちろん容易なことではない。楽曲でソロをとる場合、創造性がモロに問われる。ガルシアのギター・ソロの変化はその意味では驚異的だ。それは才能だけではなく、自分の中の蓄積を絶えず補給すること、つまりインプットに努めていたことを意味する。ガルシアは音楽はおそろしく幅広いものを聴いていたし、映画も見たし、本も読んだ。あらゆる形で常にインプットしていた。キースの場合、そうしたインプットが不足していったのだろう。そうすると出るものも凡庸になるし、変化も小さくなる。デッドにあって、そういうことは逆に目立つ。当然自覚されたはずで、それを補うために、キースがとった一つの方策がガルシアのソロをコピーすることだった。当然これはガルシアが最も嫌がることだ。そうした音楽の上での不調はプライヴェートにも反映したのだろう。ドナとの関係も破綻してゆき、それがまたバンド活動に悪影響を及ぼしている。結局、1979年初頭、話合いの結果、ガチョー夫妻がそろってバンドを離れることに一同合意する。

 キースにはいくつか好きなレパートリィがあったようだ。デッドの他のメンバーはあまり好き嫌いは出さない、というより嫌いなものは演奏しないが、キースの演奏には嫌いなものは出なくても、好きなところは出る時がある。〈Cassidy〉〈Friend of the Devil〉や〈Scarlet Begonias〉〈Help On The Way〉が代表的で、これらの曲での演奏はほぼ常に活き活きしている。〈Playing in the Band〉 は好みだが 〈Dark Star〉 は得意ではない。ロックンロールの曲でかれのピアノがソロをとることが多いが、あまり好きではないように聞える。


1. 1974, Selland Arena, Fresno, CA
 金曜日。夏のツアー後半のレグのスタート。08月06日ルーズヴェルト・スタジアムまでの9本。
 第二部、レシュとネッド・ラギンの〈Seastones〉後半にガルシア参加。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 17》でリリースされた。
 とりわけ、第二部〈Weather Report Suite〉から〈Eyes Of The World〉へのジャムが異常なまでに良い。

2. 1987 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。20ドル。開演2時。ディランとのツアーの一環。一部、二部、デッド。三部がデッドをバックにしたディラン。
 第三部10曲目〈Queen Jane Approximately〉が《Dylan & The Dead》でリリースされた。
 第三部オープナーで〈Maggie's Farm〉がデビュー。デッドはディラン抜きでもこの年その後数回演奏し、1990年10月に復活させて、1995年04月05日まで計43回演奏。デッドでのヴォーカルはウィア。スタジオ盤収録無し。原曲は1965年の《Bringing It All Back Home》所収。
 〈Queen Jane Approximately〉かなりゆったりとしたテンポ。コーラスはガルシアとミドランド。最後、ディランはコーラスを歌わず、ガルシアとミドランドだけ、小さく繰返すのがかわいい。ディランもノッている。

1989, Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 第二部オープナー〈Box of Rain〉が《Fallout From The Phil Zone》で、第一部クローザーへの3曲〈West L.A. Fadeaway; Desolation Row> Deal〉が《Downhill From Here》で(動画のみ)、第二部2曲目の〈Foolish Heart〉が《Beyond Description》所収の《Built To Last》のボーナス・トラックで、リリースされた。
 〈Box of Rain〉〈Foolish Heart〉どちらも力演。
 前者では "box of rain" のフレーズの入る行をウィアとミドランドがコーラスを合わせるのが良い。レシュはそこはコーラスに任せる。
 後者はすばらしい演奏。ガルシアも熱唱するし、後半のジャムが最高。ミドランドがシンセサイザーで素早いパッセージを連発する。この曲はミドランドあってのものという気がしてくる。
 いずれ全体を出して欲しい。

1990 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 木曜日。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 2曲目〈They Love Each Other〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、アンコール〈U.S. Blues〉を除く全体が《Dave's Picks, Vol. 40》で、その〈U.S. Blues〉が《Dave's Pick, Vol. 41》でリリースされた。
 のっけから前日より良いとわかる。オープナー〈Jack Straw〉の間奏でのガルシアのギター。もっとも、前日の方が良いという人もいる。とまれ、この2日間はミドランド・デッドの最後の輝きとして、繰返し聴かれるに値する。

1994 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 火曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 第一部4・5曲目〈Big River> Maggie's Farm〉でウィアがアコースティック・ギター。
 可もなく不可もないショウらしい。(ゆ)

 昨年11月、In F 以来のこのユニットのライヴ。

 始まってまずぱっと湧いたのが、音がいい。shezoo さんの左手が明瞭に聞える。それに乗る右手も鮮やかだ。なんでも、ピアノを替えられたそうで、その評判がとても良いとのことだが、確かによく鳴る。気持ちよく鳴る。音楽の表情が細かいところまで無理なく、とりわけ集中しなくても聞えてくる。音の粒立ちがあざやか。楽器が良いからといって音楽が良くなる保証はないが、shezoo さんのような人が弾けば、楽器と演奏者の相乗効果は大きい。

 ついでに言えば、shezoo さんは言うところの名手というわけではたぶん無い。テクニカルではもっと巧い人はたぶんたくさんいるだろう。もちろんヘタなはずはなく、自分が描いた音、音楽を引き出す技量は十分だ。それよりも音楽を、楽器を歌わせることが巧い。良い楽器はもちろんだが、それほど条件が揃わない時でも、そこからベストないしそれ以上のものを引き出せる。また、各々の状況に合わせて弾くのも巧い。ここぞと思えばどんどん突込んでゆくし、退き時と判断すれば、すっと引込む。あるいは、『マタイ』の時のように、指揮のための演奏に徹することもできる。それが名人というものだ、と言われれば、別に否やはない。

 石川真奈美さんの声もいい。綺麗に聞える。もともと綺麗なのが、一層綺麗に聞える。こちらも細かいところ、節回しの複雑なところ、拳を握るところ、力を抜くところ、いちいち、よくわかる。声域の広さ、色の多彩さと鮮かさもよくわかる。どうも PA が良いということらしい。PA が良いことは大事だ。その音の良し悪しは全体の出来にもつながる。

 ノーPAにはノーPAの良さがある。ただベルカントだったらあたしは聴きに来ない。ベルカントはどうにも苦手だ。人間の出す声とも思えない。だから、shezoo さんの『マタイ』はあたしにとって理想の音楽になる。クラシックの発声法ではない、しかし一級のシンガーたちによるからだ。

 今回はバッハは封印。月末に『ヨハネ』が予定されていることでもあるし、バッハが無いことは後になって気がついたくらい、充実したプログラムでもあった。

  中心は shezoo さんが、ここ数年横浜・エアジンでやっている「七つの月」と題されたイベントのために書いた曲。7人のシンガーに shezoo さんが各々にふさわしいアンサンブルを仕立てて歌ってもらう。1曲は新曲を書く。今年も9月に予定されている。そうだ、予約をしなくては。ただ、ヘッドフォン祭がそのど真ん中に入ってしまっているので、一番聴きたい人が聴けない。うぇーん。
 
  オープナーはクルト・ワイルの曲に shezoo さんが詞をつけた〈窓に雨、瞳に涙〉で、ここの間奏のピアノがまず良い。そう、今回は shezoo 流インプロはほとんどなく、大半の間奏がシンプルな音やフレーズを重ね、連ねる形。ピアノの音の良さが引き立つし、またそれが即興の美しさを引き立てる。ピアノのせいか。それとも、アレのせいか、と1人にやにやしてしまう。まあ、いろいろであろう。たまたま、虫の居所がそういう具合だったとか。
 
 3曲目の〈サマータイム〉がまずハイライト。緊張感漲る歌唱に吸いこまれる。その次、shezoo さんの〈窓にかかる空の絵〉の、高く伸びる声に空高く引きあげられる。続く〈悲しい酒〉がさらに良い。前半クローザーの〈終りは始まり〉で、ピアノの左手が常に一定のビートを刻んで、右手が歌の裏で細かいフレーズを小さくつけてゆくのがたまらん。
 
 後半オープナーの〈鏡のない風景〉はライヴでしか聴いたことがないが、今回あらためて名曲と認識する。ピアノが歌にぶつかってゆき、歌を高くはじき出す。連の最後の「いない」の力の抜き方に背筋がぞくぞくする。ここでも間奏のピアノは激することなく、シンプルに坦々とうたう。

 この歌はハンセン病患者が霊感の元だそうだが、より普遍的な歌になっている。自閉症スペクトラムの人の歌にも聞えるし、病気とは別の、自分ではどうしようもない様々な理由から孤立してしまう人の歌にも聞える。たとえば京アニ事件の犯人やその親族の人びとにもあてはまろう。

 エミリー・ディキンスンの〈When night is almost done〉では、ピアノの音の粒がことさらに輝き、その次〈星影の小道> のちの想いに〉がハイライト。まさに、木立ちの中にほのかに光る小道が1本、伸びている。コーダでピアノがぱらんぽろんと小さく音を散らし、そこへシンガーの声がハモるのにうっとり。次の〈からたちの花〉で、この日唯一の shezoo 流インプロが出て、石川さんも声で合わせる。山肌にもくもくと雲が湧きでて、尾根を越えてなだれ落ちてゆく風情。
 
  アンコールの〈The Rose〉に意表を突かれる。ベット・ミドラーのあれを、ごくごくしっとりと、抑えに抑えて、静かに歌う。絶品。
 
 まだ、ライヴを聴くカラダにこちらがなっていない。生の声と音にただただ聴きほれてしまう。生を聴いているというだけで陶然としてしまう。『ヨハネ』ではもう少し受けて立てるようにしたいとは思うものの、どうなるか。
 
 週末の夜の中野はこれからが本番という感じ。駅までのほとんどの店が満員か、それに近い。COVID-19感染者数はどんどんと増えているが、気にしている人など誰もいないようだ。死んでいないからだろうか。なんとなく腑に落ちないところもあるが、すばらしいライヴの余韻はそういうものも吹き消してくれる。(ゆ)

みみたぼ
石川真奈美: vocal
shezoo: piano

セット・リスト
01. 窓に雨、瞳に涙
02. 雨が見ていた景色
03. Summer Time
04. 窓にかかる空の絵>
05. 悲しい酒
06. 終りは始まり

07. 鏡のない風景
08. When night is almost done
09. 星影の小道>
10. のちの想いに
11. からたちの花
12. ひとり林に

Encore
The Rose

2022-07-01, Sweet Rain, 中野, 東京

05月21日・土
 久しぶりのアイリッシュ。久しぶりの生音。それも極上の音楽で、パンデミックが始まって以来の喉の渇きをやっとのことで潤すことができた。終演後アニーが言っていた通り、こういう音楽をやっている人たちが身近にいる、時空を同じくして生きていることが心底嬉しい。アニーもまたその人たちの1人ではある。

 須貝さんからこういうライヴがあるんですけどとお誘いが来た時には二つ返事で行くと答えた。須貝さんが惚れこんだ相手なら悪いはずがない。それにたとえどんなに悪くなろうとも、須貝さんの笛を生で聴けるのなら、それだけで出かける価値はある。

 確かにライヴのためにでさえ、東京に行くのが怖い時期はあった。何より家族の事情で、症状が出ないとしてもウィルスを持って帰るようなリスクは冒せない。しかし、感染者数は減らないとはいえ、死者の数は減っているし、亡くなっている人たちにしてもウィルスだけが原因というわけでもない。明らかにひと頃よりウィルスの毒性は落ちている。だいたい感染力が強くなれば、毒性は薄まるものだ。家族は全員3度目のワクチン接種もすませた。ということで、チャンスがあればまた出かけようという気になっていた。

 木村穂波さんのアコーディオンは初体験。ちょうど1年前、同じムリウィでデュオとして初のライヴをされたそうだ。体験して、こういう人が現れたことに驚嘆もし、また嬉しくもなる。最初に思いだしたのはデイヴ・マネリィだ。木村さんはアイルランドで最晩年のトニー・マクマホンの生にも接してこられたそうだが、そのマクマホンが聴いても喜んだだろう。

 今日は愚直にアイリッシュを演ります、と言われる、まさにその通りに愚直にアイリッシュ・ミュージックに突込んでいる。脇目もふらず、まっすぐにその伝統のコアに向かって掘りすすんでいる。普通の楽器でもそう感じたのが、もう1台の少し大きめの E flat(でいいんですよね)の楽器に替えると、もう完全にアイルランドの世界になる。そして何よりも、それが少しも不自然でない。まるでここ世田谷でこの音楽をやって、目をつむればアイルランドにいるとしか思えなくなるのが、まったく不自然ではなくなる。雑念が無い。これもアニーが終演後に言っていたが、極上のセッションに立ち合っている気分だ。

 須貝さんのフルートがまた活き活きしている。これまでのライヴが活き活きしていなかったわけでは毛頭無いけれど、水を得た魚というか、本当に波長の合う相手を見つけた喜びがこぼれてくる。このライヴの前にケイリーの伴奏で3時間吹いてきて、ちょうどできあがったところ、というのもあるいは大きいのかもしれないが、そこでさらにアイリッシュの肝に直接触れるような演奏を引き出すものが、木村さんの演奏にあるとも思える。

 アニーがそれにギターまたはブズーキを曲によって持ち替えて伴奏をつけるのだが、本当に良い伴奏の常として、聴衆に聴かせるためよりも、演奏者を浮上させるために弾いている。生音だが、アコーディオンもフルートも音の小さな楽器ではなく、たとえばフィドルよりも大きいから、時に伴奏は聞えなくなるが、それは大したことではない。

 そのアニーも伴奏しているうちに自分も演奏したくなった、と言って、後半のオープニングに3曲、ギター・ソロを披露する。これがまた良かった。1曲目、聞き覚えのある曲だなあ、とても有名な曲だよなと思っていたら、マイケル・ルーニィの曲だった。2曲目はジョンジョンフェスティバルの〈サリー・ガリー〉、3曲目は長尾晃司さんの曲。そういえば、前半でアニーの作った曲〈Goodbye, May〉を2人が演奏したのはハイライト。パンデミック中に O'Jizo が出した《Music In Cube》収録の、これまた佳い曲だ。

MiC -Music in Cube-
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2021-03-14


 須貝さん、木村さん、それぞれのソロのコーナーも良い。須貝さんはコンサティーナ。メドレーの2曲目〈Kaz Tehan's〉はあたしも大好きなので歓ぶ。木村さんの演奏はソロで聴くと、独得のタメがある。これまで聴いたわが国のネイティヴの演奏ではほとんど聴いたことがない。こういうのを聴くと、ソロでももっと聴いてみたくなる。

 どれもこれも、聴いている間は桃源郷にいる心持ち。とりわけ引きこまれたのは2曲目のジグのメドレーの2曲目〈Paddy Fahy's〉(と聞えた)と、後半3曲目リズ・キャロル関連のメドレーの2曲目。

 終演後、木村さんに少しお話しを伺えた。もともと歴史が好きでノーザン・アイルランド紛争の歴史を勉強していて、アイルランドに行ったのもそのための由。先日の、ノーザン・アイルランド議会選挙の結果で盛り上がってしまえたのは、歴史オタクのあたしとしては思いがけず嬉しかった。クラシックでピアノを始め、ピアノ・アコーディオンに行き、トリコロールを見て、アイリッシュとボタン・アコーディオンに転向。というキャリアの割りにアイリッシュ・ミュージックの真髄に誰よりも近づいているように聞えるのは、アイルランドの歴史に造詣が深いからだろうか。少なくとも木村さんの場合、歴史を勉強されていることがアイリッシュ・ミュージックへの理解と共感を深める支えになっていると思われる。

 アプローチは人さまざまだから、歴史の代わりに料理でも馬でもいいはずだが、アイリッシュ・ミュージックが音楽だけで完結しているわけではないことは、頭のどこかに入れておいた方が、アイリッシュ・ミュージックの奥へ入ってゆく際に少なからず助けになるはずだ。これがクラシックやジャズや、あるいはロックであるならば、音楽だけに突込んでいっても「突破」できないことはないだろうけれど、こと伝統音楽にあっては、音楽を支えているもの、それがよってきたるところと音楽は不可分、音楽はより大きなものの一部なのだ。極端な話、ふだん何を食べているかでも音楽は変わってくる。

 とまれ、このデュオの音楽はすばらしい。こんなにアイリッシュばかりごりごり演るのは滅多にありませんと終演後、須貝さんに言われて、ようやく確かにと納得したけれど、聴いている間はまるで意識していなかった。ただただ、いい音楽に浸りきっていた。この上はぜひぜひ録音を出していただきたい。とは、お2人にもお願いしたが、重ねてお願いする。あたしが生きて、ちゃんと音楽が聴けるうちに出してください。

 それにしてもアイリッシュはええ。生音はええ。耳が甦る気がする。須貝さん、木村さん、アニーに感謝感謝。それになぜか演奏しやすいらしい場を提供してくれているムリウィにもありがとうございます。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月21日には1968年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは完全版1本にほぼ完全版1本の2本。

1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 火曜日。厳密にはデッドのショウとは言えない。参加したミュージシャンはガルシア、ハート、ヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、エルヴィン・ビショップ、スティーヴ・ミラー、ウィル・スカーレット。何らかのベネフィットで入場料1ドル。ポスターがあるそうだが、未見。

2. 1970 Pepperland, San Rafael, CA
 木曜日。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと共演し、〈Turn On Your Lovelight〉にジャニス・ジョプリンが参加した、という話がある。のだが、DeadBase 50 はこのショウは無かったとしている。

3. 1974 Hec Edmundson Pavilion, Seattle, WA
 火曜日。開演7時。全体が《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》でリリースされた。これについてはまたあらためて。

4. 1977 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
 土曜日。アンコールの〈U.S. Blues〉のみを除く全体が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。
 77年春のツアー前半は確かにピーク中のピークなのだが、では後半が劣るかと言うと、そんなことはまったく無い。と、改めてこれを聴いて思う。
 この日のショウでは、ガルシアのギターがことさらに冴えわたり、この曲のベスト・ヴァージョンだ、と言いきりたくなる瞬間が続出する。オープナーの〈Bertha〉から面白いフレーズが流れ迸る。〈Tennessee Jed〉〈Row Jimmy〉〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のとりわけ FOTM、さらには〈New Minglewood Blues〉のような曲でもすばらしい。〈Samson and Delilah〉〈Estimated Prophet〉、いずれも見事。そして〈He's Gone〉の後半が凄い。歌の後、メインの歌からは完全に外れた集団即興になり、さらに途中からいきなりテンポが急調子に切り替わり、さらに即興が続く。その先頭に立ってガルシアのギターが飛んでゆく。ベースは〈The Other One〉のリフを先取りするが、まずは Drums になる。強烈な「叩き合い」の後、あらためて始まる〈The Other One〉、をを、見よ、ガルシアのギターが天空を翔けてゆく。それをバンドが追いかけて、さらにガルシアを打ち出す。打ち出されたガルシアは遙かな地平線めがけて弧を描いて落ちてゆくが、落ちきらずに、地平線すれすれのところをどこまでも伸びてゆき、やがて〈Comes a Time〉へと降りたつ。ここではヴォーカルもいいが、後半の抒情たっぷりのギターを聴いて泣かないヤツはニンゲンじゃねー。この前では、〈哀愁のヨーロッパ〉のジェフ・ベックも裸足で逃げだそう。いや、そんなもんではない。もっともっとそれ以上の、およそあらゆるエレクトリック・ギター演奏としてこれ以上のものはない、これはこの曲のベスト・ヴァージョン。そこから遷移するのが一転ダイナミックこの上ない〈St. Stephen〉。さらに一転、ドラマーたちがゆったりとビートを叩きだして〈Not Fade Away〉。ここでもガルシアのギターがユーモアたっぷりに跳びまわる。踊れ、踊れ、みんな踊れ。そう叫びながら跳びまわる。踊りまわる。踊りまわりつづける。と思うと、いつの間にか、〈St. Stephen〉のリフが始まっている。この回帰はカッコいい。きちんと始末をつけて一拍置いて〈One More Saturday Night〉。これまたゆったりとしたテンポがそれはそれは気持ち良い。余計な力がどこにも入っていない。間奏のガルシアのギターがきらきら輝きをはなち、ウィアも実に気持ちよさそうに歌う。そう、ロックンロールとは、このゆったりしたテンポでこそ真価を発揮するのだ。
 このショウは実にゆったりしている。もともとこの春の演奏は全体に遅めでゆったりと余裕をもってやっているが、この日はその中でもさらに遅く、これ以上遅くはできないのではないかと思われるほど。そのゆったりしたテンポに乗って、意表をつく美味しいフレーズを連ねられると、参りました、と平伏すしかない。
 ヴォーカルもすばらしく、ガルシアでは〈Comes a Time〉、ウィアは〈Samson and Delilah〉、そして〈He's Gone〉後半のドナも加わった3人の歌いかわしがハイライト。
 この春の音楽の質の高さにドナの貢献は実に大きいと、あらためて思う。
 《Dick's Picks》ではアンコールが収められていないが、〈One More Saturday Night〉での締めを聴くと、これ以上あえて要らない。
 何度でも言うが、1977年春のデッドは幸せで、それを聴くのもまた幸せだ。
 次は翌日、フロリダでもう1ヶ所。

5. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。12ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 かなり良いショウの由。第二部2曲目〈Uncle John's Band〉は16分に及ぶ。西海岸では1980年10月以来で、聴衆の反応は爆発的だった。

6. 1992 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。レックス財団ベネフィット。初日の共演がデヴィッド・グリスマン・クインテット、2日目が Hieroglyphics Ensemble、そしてこの日がファラオ・サンダース。いずれもレックス財団がこの年、寄付をした対象。
 なお、この3日間、デッドは同じ曲をやっていない。かなり良いショウの由。
 Hieroglyphics Ensemble は Peter Apfelbaum が作った17人編成のビッグ・バンド。ピーター・アフェルボームは1960年バークリー生まれのジャズ・ミュージシャン。ピアノ、テナー・サックス、ドラムスを操る。ワールド・ミュージック志向のなかなか面白い音楽をやっている。

7. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。

8. 1995 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演2時。The Dave Mathews Band 前座。Drums にデイヴ・マシューズ・バンドのドラマー Carter Beauford が参加。
 前2日よりずっと良く、この年のベストの1本の由。(ゆ)

05月06日・金
 ヴォーカルの高橋美千子とピアノの shezoo のデュオのライヴ。このお2人がやるわけだから、歌とその伴奏などになるわけがないが、それにしても、その対話の愉しいこと、いつもながら、この時間が終らないでほしいと願う。が、一方で、そういう時間が終るということがその時間の価値を高めることにもなる。人間死ぬからこそ生きることが愉しいわけだ。

 このデュオのライヴを見るのは二度めだが、もちろんお2人はもう何度もライヴを重ねているし、高橋さんのたまひびの片割れであるリュートの佐藤亜紀子氏も入れたたまフラでもライヴをされている。呼吸の合い方もすっかり板についている。つまり信頼関係が確立しているので、おたがいに、相手がどう出ようと、どこまで飛びだしていこうと、受け止め、あるいは一緒に飛びだしてゆける。それが音楽にも現れ、こちらにも伝わって、昂揚感が増す。

 前回は作曲家の笠松泰洋氏の作品を演奏するのがメインの趣旨だったが、今回はお2人が演りたいものを演る。するとメインは shezoo さんの曲になる。shezoo さんの曲は、演奏する人、または形態によって様々に様相を変える。たとえば今や代表作となった〈Moons〉は、初め聴いたときはトリニテで、インストゥルメンタルだった。これもその時々でかなり様相が変わっていたけれども、シンガーによって歌われるようになって、位相ががらりと変わった。実は最初から歌詞はついていたのだそうだが、歌われてみると、なるほど、こちらが本来の姿ではあるだろうと納得される。もっともそれでトリニテでの演奏の価値が落ちるわけではないし、また別の形のインストルメンタル、たとえばサックスとかフルート、ギターとか、あるいはそれこそピアノ・ソロで聴いてみたいものだとも思う。その度に、おそらくまた新たな様相を見せてくれるはずだ。

 高橋さんによって歌われる shezoo さんのうたは実に色彩が豊かだ。ひとつには高橋さんのうたい手としての器による。今回あらためて感服したのは、訓練された声の多彩なことと、その多彩な声の自在なコントロールだ。伝統歌謡のうたい手にしても、あるいはジャズやポピュラーのうたい手にしても、それぞれに訓練を積んでいるが、この人たちはめざすところが各々に違う。そこが面白く、メリットであるわけだけれども、訓練の徹底という点ではクラシックがダントツだ。というのも、かれらは独自の基準ではなく、ある統一された基準、1個の理想に向かって訓練するからだ。その理想は決して到達できないのではあるが、目指すことで生まれる副産物は豊冨で充実している。

 高橋さんの声の核心ないし土台になるのは、アンコール1曲目で歌われたバッハの『マタイ』の1曲の声だろう。前回原宿で実感した、実の詰まった、慣性が大きい声である。一方で、オペラのアリアでも歌うような声も出すのは、クラシックのうたい手としては当然だろう。面白いのは、その上で、たとえて言えば場末の落ちぶれた酔いどれシンガーが出すような声、ここでは〈人間が失ったもの〉でのひしゃげた声も使うし、むしろストレートな伝統歌謡のうたい手とも響く声も出す。ただ多彩なだけではない。目隠しされて聴いたらすべてを1人の人間が出しているとはわからないほど多彩なそうした声を完璧にコントロールしている。一小節の中で変えるようなことすらする。そして音量の大小、力の強弱、響かせ方、すべてがいちいち決まってゆく。これは快感だ。そして、それらがその場での即興、二度は繰り返せない一度かぎりの即興として決まってゆく。この快感を何と言おう。

 そう、それはベストの時のグレイトフル・デッドの即興を聴く快感に通じる。〈Black is the colour of my true love> 海を渡る人〉の後で、聞き手には言えない、演奏者同士だけに通じる幸せと言われていたのが、ああ、あのことだなと想像がついたのもデッドを聴いているおかげではあるだろう。かれらもまた必ずしも聴衆に向けて演奏しているわけではない。むしろ、おたがいに対して、またはバンド全体として演奏しているのだが、それをその場で聴いている人間がいて反応することが、またミュージシャンたちの音楽にはね返る。

 そういうこともあって、この2曲のメドレーがまずハイライト。この2曲、どちらも有名な伝統歌で、ごくオーセンティックなものからすっ飛んだものまで、無数のヴァージョンがあるし、名演もまた数多いが、これはあたしの聴いた中ではどちらもベストの一つ。高橋さんはニーナ・シモンを挙げておられたが、あたしはそれに少なくとも匹敵していると思う。〈海を渡る人〉はフランス人作曲家がフランス語版、それも合唱曲に編曲している版がベースの由で、そちらも聴いてみたくなる。

 そこからの shezoo ナンバー・パレードは、これまたデッドのショウの出来の良い第二部を聴く気分。際だっていたのは〈人間が失なったもの〉で即興になり、どこまでも飛んでいってぎりぎりの果てと思えるところから一気に回帰して歌にもどる。ちょうど、つい先日聴いた1977年05月05日コネティカット州ニューヘイヴンでのショウの終り近くの〈St. Stephen〉とまるで同じだったのだ。これも歌の後、ほとんどまったく別世界とも思えるところに飛んでゆき、ひとしきり遊びまわって、これからいったいどうなるのだと感じた瞬間、またテーマの歌にもどるのである。この回帰が言わん方なくカッコいい。それと同じ快感が背筋を駆けぬけた。

 高橋さんのようなうたい手の音楽をデッドの音楽に並べるのは我田引水ではあるだろうが、こういう人がたとえば〈Sugaree〉を歌ったらどうなるだろうと、フォーレの〈秘密〉を聴きながら思ってしまう。〈Sugaree〉もまた「秘密」を歌っているのだと気づかされる。まあ、小林秀雄を借りれば、あたしは今グレイトフル・デッドという事件の渦中にいるから、何でもかんでもデッドに結びついてしまう。

 他の選曲も面白く、ブラジル版バッハとか、レーナルド・アーンの歌曲とか、珍しいものも聴ける。アーンはプルーストの親友として、作中の作曲家のモデルと言われて名前だけ知っていたが、作品を聴くのは初めてだった。この人はちょと面白い。

 ピアノの音がやけに良くて、エアジンの楽器はこんなに音が良かったっけ、と失礼ながら思ってしまうが、あるいは shezoo さんの腕のせいか。前回の原宿は楽器が特殊だからなのかとも思ったが、こうなると、演奏者のせいであることも考えなければいけない。うーん、たまフラは生で見たいぞ。

 それにしても高橋さんはクラシックの声楽家として一家を成しながら、こういう音楽をされているのは実に嬉しいことである。もっとも shezoo さんも元はといえばクラシックの訓練をきっちり受けているわけで、お2人の資質、志向は共鳴しやすいのかもしれない。まあ、クラシックとジャズというのもまた共通するところの大きいものではある。ヨーロッパでは new music と呼ばれてクラシックとジャズの融合する音楽が一つの潮流になっているのも、見ようによっては当然かもしれない。

 高橋さんはふだんはパリにおられて、次の帰国は7月の由。その時にはまた shezoo さんといろいろ企んでいるそうな。それまで生きている目標ができるというものだ。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月06日には1967年から1990年まで8本のショウをしている。公式リリースは4本。

1. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

2. 1970 Kresge Plaza, MIT, Cambridge, MA
 水曜日。前々日ケント州立大学で起きた学生射殺事件への抗議集会の一環として行なわれた屋外のフリー・コンサート。1時間強の演奏。翌日同じ MIT の DuPont Gym でのショウの予告篇になる。ひどく寒かったそうな。

3. 1978 Patrick Gymnasium, University of Vermont, Burlington, VT
 土曜日。開演8時。オープナー〈Sugaree〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この曲がオープナーになるのは珍しい。

4. 1980 Recreation Hall, Pennsylvania State University, University Park, PA
 火曜日。12ドル。開演8時。オープナーの2曲〈Alabama Getaway> Greatest Story Ever Told〉と第一部7曲目〈Far From Me〉を除き、《Road Trips, Vol. 3, No. 4》でリリースされた。

5. 1981 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 水曜日。当初、7日に予定されていた。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 13》でリリースされた。DeadBase XI ではそのディック・ラトヴァラがレポートしている。
 第二部 Drums 前の〈He's Gone〉は前日にハンガー・ストライキで死亡したノーザン・アイルランドの IRA のメンバー、ボビー・サンズに捧げられている。ラトヴァラによれば、この曲の後半、15分がデッド史上最高の集団即興の一つ。

6. 1984 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。18ドル。開演8時。

7. 1989 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演午後2時。レックス財団ベネフィット。

8. 1990 California State University Dominguez Hills, Carson, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演午後2時。
 第二部2曲目〈Samson And Delilah〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)

04月30日・土
 岡大介さんのライヴ。実に久しぶりで、あいかわらず元気。というか、ますます元気。MC はあいかわらず「素朴」だが、歌と演奏は見事なもの。ゲストで出てきたボードヴィルの上の空空五郎も達者な芸。

 材料費3,000円で作ったカンカラ三線を20年使いつづけているそうだが、ひときわ巧くなったように思えるのは、久しぶりのせいか。この楽器、一応音は増幅されるが、サステインというものがほぼ皆無なために声が増幅されるように聞えるのが面白い。岡さんの声に合ってもいるのだろう。

 唄もマイクはあるが、むしろ補助に見える。1曲、史上初の壮士演歌がこれですと〈ダイナマイト節〉を、当時唄われていた形といって、無伴奏、オフマイクで唄ってもまったく問題ない。会場が小さいこともあろうが、声はよく通る。昔から通っていたが、さらによく通るようになったとも聞えるのも久しぶりのせいか。

 この日は添田唖蝉坊生誕150周年記念ということで、唖蝉坊やその弟子の鳥居春陽やの曲を中心に唄う。大正も後半にはヴァイオリン伴奏の演歌も出てくるが、あれは学生のアルバイトなので、演歌とは呼びたくない、と言う。昭和以降の演歌は本来は「艶歌」または「円歌」でしょうというのはその通り。

 現代の唖蝉坊と言ってもいいということで、高田渡の〈生活の柄〉を歌ったのがまずハイライト。そしてその前の沖縄の〈屋嘉節〉が凄かった。岡さんが沖縄の歌をうたうのを聴くのは確かに初めての気がするが、ものの見事にハマっている。カンカラ三線のキレッキレなのにとぼけた響きが音階とメロディのエキゾティズムを増幅する。

 この場合、エキゾティズムとは、あたしが本来備えている基準からは外れながら同時に魂の一番奥に響いてくるという意味だ。「本来備えている基準」はおそらく先天的なもので、自分では変えることができない。一方で自分の感性としてはそれに従うのは金輪際イヤなものでもある。この感性も後天的かもしれないが、意識して作られたものではない。だから、先天的な本来の基準からは決定的に、対極的に外れながら、後天的な感性が共鳴できるところがあたしにとって一番美味しくなる。可笑しくも、怪しくもあるのは、決定的に対極的に外れながらも、どこか底のところで一本つながってもいなくてはならない。そうでないと、決定的対極的に外れているとはわからないからだ。もっともつながっているのはあくまでも隠し味ではある。表向き感じられるのは、本来あるべきところからずれている、そのずれ具合がちょうど良い、という感覚だ。沖縄の音階やメロディがまさにそうだ。これが奄美になると音階が本土と同じになり、「本来備えている基準」に近くなる。沖縄の前に、ブリテン、アイルランドのモードの音階やそれに基くメロディがあたしにとってはベストのずれ具合だ。トラフィックの〈John Barleycorn〉を聴いて捕まったのが最初の遭遇だった。

 カンカラ三線と岡さんの声の組合せがちょうど良いのでもあるだろう。カンカラ三線はもともと沖縄の楽器で、第二次世界大戦直後のモノの無い時代に、米軍が持ちこんだベッドの端材と米軍がくれた缶詰の空缶と米軍のパラシュートの糸で作った、というのは都市伝説の類ではあろうが、まっとうな三線の無い、作れない環境でありあわせで作られ、使われていたことはまず確かだろう。唄われたうたはこの楽器が生まれた時期にうたわれだしたというから合うのは当然とはいえ、ここまではまると意外になってくる。

 「添田唖蝉坊生誕150年祭」という題目には悪い気もするが、ハイライトはこの二つがダントツだった。唖蝉坊の歌も興味深いものではあるのだが、時代のしがらみがどうしてもついてまわる。唖蝉坊が歌っていたのは本人の主義主張というよりはその時代の精神、当時の庶民の声なき声であるから、当時の偏見、風潮がモロに出てくる。とりわけ女性蔑視の色合いが濃いように聞える。共通し、共鳴する部分ももちろん少なくないが、違う部分がどうしても耳につく。カンカラ三線一本の岡さんのスタイルは、うたそのものの持つ性格、エネルギーをストレートに出すものだから、さらに目立つ。生誕150年記念のCDも作るとのことだが、録音ではそこのところは工夫する必要があるように思える。ライヴではOKでも、録音となると話は別だからだ。

 唖蝉坊関係の歌としては、ゲストの空五郎とデュエットでうたった〈東京節〉がやはりすばらしい。「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノ、パイノパイノパーイ」というあれ。これは息子の知道の作だけど、唖蝉坊演歌の真髄を伝える。

 上の空空五郎はボードヴィルということで基本はウクレレ伴奏の歌。岡さんの三線もそうだが、まずこのウクレレが半端でなく巧い。その気になればこれだけでも十分一流で通るだろう。歌もうまく肩の力が抜けて、強すぎず柔かすぎず、ちょうどよい頃合い。これにいろいろ小技が加わる。まず口トロンボーン。「ウクレレを弾き、うたもうたいます、トロンボーンも少々」と言って、ものの見事にトロンボーンの演奏を声でやってのける。ことわりなく聞いたら、これまた楽器そのものの一流の演奏と思いこむにちがいない。そしてタップダンス。ステージにあたるところは板を敷いてあって、演者はそこから出てはいけないらしいが、タップダンス用にその上にもう1枚板が置かれていた。見事にステップを踏むだけでなく、踊りながらうたうこともする。踊れば息があがるから、これは難しいどころではない。さらに冠っていた山高帽を回したり、はずして頭にもどすのに様々なやり方をやってみせる。背中をくるくるとかけ登らせもする。仕上げにうたったオリジナル〈風風刺刺〉がまた良かった。まさに唖蝉坊演歌現代版。昨年秋に出た新譜《Pandemic Love》を売っていたので、買って帰る。

 開演終演オンタイム。客は50人ほどか。大半があたしと同世代か、さらに上。20代はほとんど付添に見える女性が2人ばかり。30代、40代がちらほら。岡さんの歌っている歌は、今の若者が気に入るようなものではないことは確かだが。

 場所は桜木町の駅前から野毛に登る入口にある横浜にぎわい座。黄金週間初日、天気も上々とあって、ウィルスもなんのその、周囲はまさに大にぎわい。その人込みにまじって帰りながらも、ホンモノのライヴにひたって、気分は晴れ晴れ。昨日のイベントの疲れも癒される。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月30日には1967年から1989年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 The Cheetah, Santa Monica, CA
 日曜日。セット・リスト不明。早番、遅番の2回ショウの由。

2. 1977 Palladium, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。8.50ドル。開演8時。全体が《Download Series, Vol. 01》でリリースされた。
 第二部〈Estimated Prophet〉の後、バンドは次に何をやるか、かなり長いこと議論していて、聴衆はありとあらゆる曲名をわめいた。結局始めたのが〈St. Stephen〉で、会場は湧いた。

3. 1981 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC
 木曜日。9ドル。開演7時半。これも良いショウの由。

4. 1984 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.50ドル。開演7時。

5. 1988 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto , CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演午後2時。スタンフォードの学生限定。KZSU で FM放送された。
 オープナーとして〈Good Times (aka Let The Good Times Roll)〉がデビュー。サム・クックの1964年のシングル。1995-05-29まで49回演奏。オープナーが多い。デッド世界では〈Let The Good Times Roll〉と呼ばれるが、サム・クックの原曲のタイトルは〈Good Times〉。
 全体も良いショウの由。

6. 1989 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時半。雨天決行。前日、無料押込みが大量にいたので、この日は入口で赤ん坊のおむつまで検査された。ここでデッドが演奏するのはこれが最後。ショウそのものはすばらしかった由。(ゆ)

04月22日・金
 半年ぶりのライヴ。Music for Isolation はチューバの Gideon Jukes とバリトン・サックスの竹内理恵のデュオ。ギデオン・ジュークスはふーちん・ぎどの片割れで、こちらのデュオはシカラムータのリズム・セクションでもある。どちらのライヴもすばらしかったし、チューバのプレーヤーとしての実力は知っていたから、このギグの案内が来たときには、不見転で予約した。後で Bandcamp で音源を購入して聴いて、またまた感心した。
 
 ふーちん・ぎどやシカラムータとは対極にある音楽だが、底に流れる志向は同じく、実にラディカルだ。低音楽器2本だけでどこまでやれるか。これが実に多様で豊饒な世界を現出する。
 スタートはファースト・アルバムのオープナー。静謐ななかに緊張と弛緩の同居する、あたしにとっては理想の音楽。聴いていると身の引き締まる想いが湧きあがってくるのに、リラックスしている。次は一転、コミカルでアクティヴな、ほとんどダンス・チューン。
 shezoo さんの音楽もそうだが、作曲・編曲している部分と即興の部分の境目が無い。即興のように聞えて、楽譜を見つめている時もあるし、綿密なアレンジをしているようなのに、目をつむって演奏してもいる。
 2人は役割分担を決めていない。というより、おたがいに役割を交換したり、どちらもリードを競ったりする。リズムをキープするのは大変そうに思えるが、どちらも軽々とやっている。
 それにしても低音しかないことの快感に恍惚となる。実に美しいその倍音に身が震える。チューバは時偶「帽子」をかぶせる。直径の異なる二つの円錐を底で合わせ、両端の先端を切り落とし、スペーサーをぐるりにつけたようなものだ。これをかぶせると音が高くなる。実に澄んだ、気品のある音で、他ではちょっと聴いたことがない。
 加えて低音で奏でられることで、メロディの美しさが引き立つ。かなりいろいろなところから素材をもってきているらしく、古い讃美歌や長崎の隠れ切支丹の伝えた歌やどこかのダンス・チューンやバロックあたりを連想する曲もある。讃美歌といえば、アンコールはウクライナの讃美歌だった。
 今回のライヴでは前半、後半それぞれの冒頭に、和服の若い女性の朗読があった。前者はウクライナの民話をもとにしたらしい詩で、疫病で死に絶えた村を、自分も死んだ母親の亡霊が語った末に、その魂が天国へ昇る。後者は日本への留学生が2人の祖母の思い出を語った文章。父方の祖母は独ソ戦開始早々に仕立屋だった夫が戦死し、2人の子どもを1人で育てた。母方の祖母は1933年の惨禍を体験している。この時、ウクライナの穀物が残らずソ連の他の地域に運びだされ、ウクライナでは数百万人が餓死した。気が狂った親が子どもを食べる悲劇も生まれた。プーチン政権が狙っているのもこのウクライナの沃土だろう。しかし、ウクライナが他国の侵略や略奪を受けるのはこれが初めてではないし、そして最後でもおそらく無い。
 この朗読と低音だけの音楽は、決して劇することはないのに張りつめた、しかも余計な力の抜けた体験を生んでいた。
 会場は築150年の古い民家を修復した施設。豊島園の駅から車の往来の頻繁な狭い道を歩き、目印から右に切れこむとなるほど欅の巨木に囲まれて建っている。玄関の脇の土間に受付が置かれ、そこから靴をぬいで広間に上がる。かつては囲炉裏が切られていたのだろう板の間の片側がステージで、向かい合って座布団が2列、椅子が3列。パンデミックを考慮して、30人ほどで満席。客層は結構年齡の幅が広く、男女も半々。
 すばらしい音楽に浸れる幸せを噛みしめて、帰路につく。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月22日には1966年から1988年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版1本。

1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。前売2ドル、当日2.50ドル。開演9時、終演1時。共演ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。

2. 1969 The Ark, Boston, MA 30 Days 2014
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部5曲目〈Doin' That Rag〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 この3日間はこの年のベストのランとも言われるが、中日がその中でもベストと Peter Lavezzoli は DeadBase XI で書いている。ほとんど「完璧」なショウの由。

3. 1971 Bangor Municipal Auditorium, Bangor, ME
 木曜日。3.50ドル、4.50ドル。開演8時。

4. 1977 The Spectrum, Philadelphia, PA
 金曜日。クローザーの〈The Wheel> Terrapin Station〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この日はアンコール無し。
 第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉で、ガルシアは演奏しながら踊っていたそうな。

5. 1978 Municipal Auditorium, Nashville, TN
 土曜日。7.50ドル。開演7時。《Dave's Picks, Vol. 15》で全体がリリースされた。

6. 1979 Spartan Stadium, San Jose State University, San Jose, CA
 日曜日。12.50ドル。屋外施設。開演午前10時。Greg Kihn Band、チャーリー・ダニエルズ・バンド共演。
 ブレント・ミドランドの初舞台。02-17以来、2ヶ月ぶりのショウ。
 DeadBase XI にある3つのレポートは対照的で、これを退屈と片付ける Corry Arnold に対し、他の2人はとりわけ第二部の〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉を中心に、実に良いショウだったとする。Fire の途中で雨が降りだしたが、30分後には止む。別の証言では第一部後半の〈Looks Like Rain〉の最中に雨が降った、ともある。このショウをめぐってはミドランドへの評価を中心に毀誉褒貶が激しいが、いずれにしても聴かねばなるまい。
 Greg Kihn Band は1976年にバークリーで結成されたパワー・ポップ・バンド。現在も現役。

7. 1983 New Haven Coliseum, New Haven, CT
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。12.50ドル。開演7時半。

8. 1986 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 火曜日。このヴェニュー4本連続のランの楽日。開演7時半。レックス財団資金調達ベネフィット。

9. 1988 Irvine Meadows Amphitheatre, Irvine , CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。(ゆ)

0330日・水

 岡大介さんからライヴのお知らせ。あたしはもちろん予約しました。

 無事、開催されますように。


【横浜にぎわい座四月興行】

★第4 岡大介のカンカラはやり歌★ 

〜添田啞蟬坊生誕150年祭/♪なつかしの横浜 恋の港〜

【今年は添田啞蟬坊生誕150年なのに、どこの街も団体も開催しようとしない。日本歌謡にとって一番大切な人物なのに。ならば自分がやれば良い。まず第一弾は啞蟬坊の故郷・カナガワより、親友の空五郎君と二人で、カンカラ一本エーゾエーゾ!ご予約お待ちしております。】


会場:桜木町「横浜にぎわい座」(045-231-2515 

2022430日(土)

13:30開場 14:00開演 

前売予約2100円 当日2600 

全席指定(マスク着用)


出演:岡大介(カンカラ三線・演歌師)

ゲスト:上の助空五郎(ボードビル)


【予約問合せ】(岡)

070-5012-7290

taisuke@dk.pdx.ne.jp



##本日のグレイトフル・デッド

 0330日には1967年から1995年まで12本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。


01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。セット・リスト不明。ショウ自体が無かった可能性もある。


02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。共演チャック・ベリー。


03. 1973 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY

 開演8時。


04. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアーのスタート。01-13のオークランドでのカンボディア難民救済コンサート参加以来で、本格的な始動。12.50ドル。開演8時。

 第一部7曲目〈Far From Me〉はミドランドの新曲の初演。作詞はバーロゥで、1990-07-22まで73回演奏された。

 この年デッドのショウは86本、レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far From Me〉とウィアの〈Feel Like a Stranger〉。新年早々《Go To Heaven》を録音し、同年4月末にリリースされる。どちらもこれに収録。

 この年のイベントは秋にある。09-25/10-14 にサンフランシスコの Warfield Theatre15本)、10-22/31にニューヨークの Radio City Music Hall(8本)でそれぞれレジデンス公演を行う。この時は珍しく毎回第一部をアコースティック・セットで演奏し、それも含むセレクションが2枚のライヴ・アルバム《Reckoning》と《Dead Set》として翌年リリースされた。またビデオ《Dead Ahead》としても出ている。この2つのレジデンス公演から1本のショウ全体のリリースはまだない。10-0910-10のアコースティック・セットのみの全体は2019年のレコードストア・ディ用に限定でリリースされた。また10-23のアコースティック・セットの冒頭1曲を除く全体が《Reckoning2004年拡大版でリリースされている。

 このアコースティック・セットは60年代に何度も共演したペンタングルからアイデアをもらったとガルシアは言っていた。ジャニスが生きのびていたなら、ジャニスをリード・ヴォーカルにしたアコースティック版グレイトフル・デッドのステージが出現していたかもしれないと妄想してしまう。


05. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。25ドル。開演8時。


06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。13.50ドル。


07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。


08. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ

 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。


09. 1989 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時半。


10. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY

  金曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。オープナーの〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990》で全体がリリースされた。

 前日のブランフォード・マルサリスとの最高のショウの余韻が残っていて、すばらしい出来。人によっては前日よりも良いという。全体としてはそれは言い過ぎだと思うけれど、部分的には前日を凌ぐ、あるいはマルサリスとの共演では出てこないような演奏がとび出す。

 このツアーではガルシアはギターよりもむしろヴォーカルがすばらしい。全盛期の力をとりもどし、年季の入った練達の歌いまわしを聴かせることもする。それが、マルサリスとの共演で一層良くなっている。マルサリスが入った〈Bird Song〉の次の〈The Promised Land〉のコーラスからして俄然違ってくる。声も楽々と出ている。

 この日の第一部では〈Dire Wolf〉や〈Don't Ease Me In〉がそうだし、第二部に入るとオープナーの〈Iko Iko〉からして乗りに乗っていて、〈China Doll〉〈Uncle John's Band〉いずれもすばらしい。そして〈Standing on the Moon〉。これ1曲の歌唱でここまでのツアーのガルシアのヴォーカルのすべてを吹き飛ばすような、まさに絶唱とも言うべきシンギング。こうなると巧拙とか、声がどうとかではない。ここでは歌の後のガルシアのギター・ソロもすばらしく、この歌としてもベスト・ヴァージョンだし、この日のハイライトだし、春のツアー全部の中でもベスト・トラックの一つだ。

 ヴォーカルという点ではウィアも負けてはいない。四半世紀歌いつづけてきて、押しも押されもしない一級のシンガーに成長している。

 面白いのは、マルサリスとの共演以後の4日間は歌がすばらしい。ガルシア、ウィアだけでなく、ミドランドも、レベルが一段上がっている。もともとこの人はシンガーとしては、デッド随一ではあるが、コーラスもリードもさらに良くなっていて、この3人の歌が何よりも聞き物になっている。デッドは長く、スリリングなジャムが最大の売物というのは、必ずしも的外れではないけれども、しっかり歌うバンドがその土台にはでんと座っている。その土台、生地が、最高の形で表に現れたのが、ここからの4日間だ。

 歌が良ければ器楽も充実し、〈Playing in the Band〉はマルサリスの入ったヴァージョンを聴いてみたかった思う。ベスト・ヴァージョンの一つ。〈Little Red Rooster〉でのミドランドのハモンドのソロに熱くなり、〈Picasso Moon〉のアンサンブルの面白さにあらためて眼を見開かされる。

 ここでの3日間を最高の形で締めくくり、翌日は休んで、最後の三連荘、アトランタへ向かう。


11. 1994 The Omni, Atlanta, GA

 水曜日。このヴェニュー3日連続の初日。25.50ドル。開演7時半。アンコール〈Liberty〉が《So Many Roads》に収録された。第一部クローザー前〈New Speedway Boogie〉でウィアがアコースティック・ギター。〈Dark Star〉最後の演奏。


12. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 木曜日。このヴェニュー4本連続の最終日。開演7時半。第二部4曲目〈Samba in the Rain〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)


1222日・水

 このタイトル、とりわけ「仏教史上最大の対決」に惹かれて何だろう、と読んでみたのが大当り。拾い物といっては失礼だが、実に刺激的な本だ。この著者は追いかけよう。



 徳一は徳溢という表記もあって「とくいつ」と読む。平城京で学び、最澄と同時代に会津や常陸で活動し、多数の寺を建立、「伝灯大法師」と呼ばれた。生没年不詳。この論争は仏教の教義をめぐって徳一の天台教学批判に最澄が反論し、5、6年の間に大量の文書の応酬がなされる。二人の論争は最澄の死で一応終るのだが、そこで交わされた文書は200年後にも仏教内部での研究対象になっていた。

 一方で、この論争が単に二人のものではなく、その背後にはインドから東アジア全体に広がる時間的にも空間的にも実に大きく広い思想のドラマがあり、二人の論争はその一つの結節点、それ以前の流れがまとまり、またそこから拡散してゆくポイントになっている、というのがまずこの本の主張だ。

 そこには、最澄だけでなく、空海も含めた遣唐使に同行した留学僧たちによって持ちこまれる仏教の相対化も出てくる。かれらが将来した仏教があたかも仏教の正統の全部であるかのように最澄も主張し、後続もその主張を継承し、さらには20世紀のアカデミアまでもそれを踏襲するのだが、実際に留学僧たちが接した仏教は中国の中でも浙江など沿岸部を中心とした東部のものに限られていて、西に広がった仏教についてはまったく視野に入っていない、という具合だ。

 仏教はあたしらにとって最も身近な宗教だが、その教義についてはまるで知らないことも思い知らされる。徳一と最澄の最大の対立点は、すべての生きものがブッダになれるわけではないという五姓格別説と生きとし生けるものは全部仏になれるのだという一切衆生悉有仏性説なのだ。後者は天台宗はじめ、日本仏教のほとんどが採用した説だから、なじみがある、というよりも仏教ではそう考えると思いこんでいたから、前者はえーってなものである。しかし、著者の言うとおり「ブッダになること以外にも複数のゴールがある、と主張する五姓格別説のほうが」今のあたしらが生きている社会にとってはふさわしいとにも思えてくる。

 この二つの立場は一乗説と三乗説でもある、では「乗」とは何か、を巻頭で説明しているのを読んで、「へー、そうなんですか、いやー、ちーとも知らなんだ」とつぶやくのはあたしだけではあるまいとも思える。

 さらにその前に、この二つの説は大乗仏教内部でのものなので、いわゆる小乗仏教はまた別の話になる。そもそも「小乗」という呼称自体、大乗を名乗った連中がそれ以前からあった仏教に与えたもので、差別用語にもなりかねない。「小乗仏教」は歴史的用例になってもいるが、本来はそちらの方が主流であり、部派仏教と呼ぶ方が適切、というのも初めて知った。

 という風に、まず宗教としての仏教の姿を垣間見させてくれる。

 もっとも著者の主目的はそれではなく、この論争のもつ様々な側面を整理して、思想のドラマのなるべく大きな姿を提示し、一方でそこに現れる思考法や論争のツールを紹介することにある。ここでは「因明=いんみょう」がまず面白い。これは仏教で論理をもって異なる思想間で論争をする際のルールを定めたシステム、なのだそうだ。一度読んだくらいでは漠然としているけれど、極端に言えば仏教とキリスト教の間でも論争ができるように考案されたもの、と言われると、え、それって何?と身を乗りだしたくなる。

 この本の面白さはもう一つ別の次元にもあって、著者は自分が何をやっているか、明瞭に自覚し、しかもそれを巧みに記述する。

 「こういった諸課題を解決するために本書が行っていることは、最澄・徳一論争で筆者がおもしろいと思っているポイントを取捨選択し、複雑な議論をできるだけわかりやすいストーリーに落とし込んで叙述することである(それがうまくいっているかはさておき)。特に、最澄・徳一論争のなかでほとんど注目されることのなかった因明を第四章でとりあげたのは、学問的に重要だという研究者としての判断もあるが、異宗教間対話を前提とする因明を紹介したかった、というモチベーションがあったことは否定できない」202pp.

 この視点はここで紹介される思想のドラマ、思想史全体を展望して、メタ思想史にまで踏みこんでいる。いま現在にあって、千年前の思想のドラマを描くことにどういう意味があるのか、著者は真向から考え、答えを出しながらこの本を書いている。この論争は一乗か三乗かの二項対立などではないし、この時だけ、この二人だけで終るものでもない。異なる宗が交わることなく「空間的に同時存在」するような体制、丸山眞男が批判した「精神的雑居」に似たものを仏教界に基礎づけ、「雑種」を生みださない性格が、最澄・徳一論争における最澄の議論を一つのきっかけとして古代から中世に至る日本仏教のなかで構築され、そしてそれが近代まで維持された。という指摘は刺激的だ。その「最澄の論法の背景にあった思想」は、今でも生きているのではないか。何かというと二項対立に落としこんでカタをつけようとするのはその現れにも見える。世の中で起きていることは複雑なので、それを複雑なまま捉えようとするのは難しいけれど、そうするよう努力することは、人間が人間として生きてゆく上で避けて通れない。単純化すれば効率的に捉えられて、それでいいのだ、としていれば、人でなしになるだけだ。

 著者は1972年生まれだから、来年50歳。学者としては油が乗ってくる頃だ。井筒俊彦なみに頭のいい人だから、どこまで尾いていけるか心許ないが、読めるだけ読んでみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 1222日には1967年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Palm Gardens, New York, NY

 このヴェニュー3日連続の初日。Group Image Christmas と題されたイベント。共演として The Gray CompanyThe Aluminum DreamThe Group ImageMimes with Michael がポスターにはある。前売3ドル、当日3.50ドル。開演9時。

 この日、アウズレィ・スタンリィがオークランドの北の Orinda LSD所持で逮捕され、かれによる LSD 製造がストップした。

 The Group Image は西海岸のサイケデリック・ロックの影響を受けて、この頃マンハタンで活動していた音楽集団で、1968年に1枚《A Mouth In The Clouds》というアルバムを出している。リード・シンガーの1人 Sheila Darla はグレイス・スリックに通じる声とスタイルだが、そのステージはむしろ後のパティ・スミスを連想させた由。Tidal にあり。

 その他のアクトについては不明。


2. 1970 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 前売3ドル、当日3.50ドル。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシア、ペダルスティールで参加。セット・リストの全体像は不明。


3. 1978 Dallas County Convention Center Arena, Dallas, TX

 開演8時。セット・リストは現存するテープによるので、アンコールの有無も含め、実際とは異なる可能性がある。Dead.net ではこのショウは1221日のものとしており、前日1221日の The Summit でのショウが無い。しかし、この両日にはチケットの半券が残っている。

 Dead.net に掲げられたセット・リストではクローザーは〈Wharf Rat〉。(ゆ)


1212日・日

 ウチが米を買っている農家からのニュースレターに、トラクター、コンバインなど農機具の価格が高騰し、壊れても買換えができないので廃業する農家が急増している、という話。農地に資産価値はなく、廃業しても農地は残る。これを近隣の大規模農園経営を志向する農家がタダ同然で借りて、従来考えられなかった大きな面積の農地での経営をしようとしている。この状況がここ数年で急激に進んでいる。しかし、大規模農園を運営するには大規模な農機具導入が欠かせず、それには億単位のカネがかかるので、うまくいかないことも多い。

 この辺りでも水田はどんどん減っていて、ここ数年、2010年代後半から減り方が加速している感じがある。もっともこの辺は土地が広くないので、大規模になるところはまず無い。野菜を栽培する畑になるところが半分くらい。中には田圃1枚全部キャベツ畑になっているところもあるが、ほとんどはいろいろな作物を少しずつやっているから自家用と思われる。一方、あとの半分くらいは放置されて雑草ばかりになっている。中には田植はしたのに、その後放置されて雑草が生い茂り、稲刈りもされないままになっている田圃さえあった。主が病気になったか、あるいは死んだのかもしれない。

 しかしこの状況はK氏も言うとおり、プレーヤーが交替することでパラダイム・シフトが起き、農業が刷新される可能性もある。



##本日のグレイトフル・デッド

 1212日には1969年から1994年まで11本のショウをしている。公式リリース2本。うち完全版1本。


01. 1969 Thelma Theater, Los Angeles, CA

 このヴェニュー3日連続最終日。《Dave's Picks, Vol. 10》で全体がリリースされた。


02. 1970 Sonoma County Fairgrounds, Santa Rosa, CA

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。開場7時半。

 現存しているテープに基くセット・リストでは頭の方が切れている可能性がある。


03. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA

 3日連続の最終日。クローザーの〈Goin' Down The Road Feeling Bad> One More Saturday Night〉の前にウィアがニューヨークの街頭で1万匹の蜜蜂を箱に詰めこんで持っている男に遭う話をする。箱はぶんぶん唸っていた。

 前座は Rowan Brothers。かれらもデッドもともに Nudie スーツ、カントリーのシンガーたちのきんきらきんのアレを着てステージに上がった由。DeadBase XI  Mike Dolgushkin のレポートによる。

 映画『忍冬の花のように』でウィリー・ネルソンたちのバンドがグレン・キャンベルがモデルと言われる共演のカントリー・シンガーのヌーディー・スーツに対抗して、全員がスコットランド・ハイランドのキルトの衣裳に身を固めて出るシーンを思い出す。


04. 1973 The Omni, Atlanta, GA

 6ドル。開演7時。

 DeadBase XI Ross Warner によると、この日のサウンドチェックのテープが出回っていたそうな。


05. 1978 Jai-Alai Fronton, Miami, FL

 ハイアライ jai-alai というのはスカッシュに似たスポーツで、fronton はその競技場をさす。スペイン、ラテン・アメリカで盛んで、フロリダでも行われている。ここはそのための施設として建てられたものをコンサート、カジノにも使っていて、現在は Casino Miami と呼ばれる。収容人数は6,500。デッドはここで3回演奏している。マイアミのこのヴェニューではオールマン、サンタナ、フランク・シナトラ、ブルース・スプリングスティーンなどもやっている。


06. 1980 Swing Auditorium, San Bernardino, CA

 会場は1949年に建てられた屋内アリーナで収容人数は1万。名前はカリフォルニア選出の上院議員にちなむ。プレスリーが好んで、13年連続でここでコンサートをした。1960年代に改装されて、西海岸有数のロック・コンサート会場となる。1964年ローリング・ストーンズ最初のアメリカ・ツアーの出発点。1981年9月、双発セスナ機が突込んで建物が大破し、解体された。

 デッドは1969年からこの年まで計4回、ショウをしている。うち1969年とこの80年は12月。197778年は各々の年の最初のショウ。1977年のショウは《Dave's Picks, Vol. 29》でリリースされた。


07. 1981 Fiesta Hal, San Mateo County Fairgrounds, San Mateo, CA

 Dance for Disarmament と題されたイベント。第一部はジョーン・バエズが参加し、ミドランド抜きのアコースティック・セット。第二部オープナー〈New Minglewood Blues> Little Red Rooster〉とクローザー前の〈Around And Around〉に Matthew Kelly が参加。アンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉にジョーン・バエズが参加してヴォーカルをとる。

 バエズはデッドがジャムをするのを好まず、バック・バンドに徹してもらいたかったらしい。とはいえ、全体の出来は良かった由。DeadBase XI  Mike Dolgushkin のレポートによる。


08. 1990 McNichols Arena, Denver, CO

 このヴェニュー3日連続の初日。21.45ドル。開演7時。


09. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時。第二部4曲目〈Dark Star〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


10. 1993 San Diego International Sports Arena, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の初日。26ドル。開演7時。


11. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー4本連続の最終日。27.50ドル。開演7時。

 第一部3・4曲目〈Me and My Uncle〉〈Maggie's Farm〉でウィアはアコースティック・ギター。Drums Sikiru Adepoju が参加。

 アデポジュは1950年生まれのナイジェリア出身のパーカッショニスト。幼なくして兄弟とともに父親からトーキング・ドラムを伝授される。1985年に Nigerian All-Stars の一員として渡米。その後、Babatunde Olatunji に会い、かれを通じてミッキー・ハートと知り合う。デッドのショウの Drums に参加する他、ハートのプロジェクトに多数参加している。(ゆ)


1129日・月

 昨夜 T3-01 で音がおかしい、高域が伸びきらないと聞えたのは、T3-01 をきちんと耳に載せていなかったためらしい。Sound Warrior  SW-HP10LIVE も、音がおかしいと思ったのは、装着の仕方の問題だったようだ。

 イヤフォンでも耳への入れ方でかなり音が変わるが、ヘッドフォンだからといって甘く考えてはいけない、という教訓。


 シンプルな編成の女性ヴォーカル・シリーズ。岩崎宏美 & 国府弘子《Piano Songs》。これはパンデミック以前のさるオーディオ・イベントでデモに使われていたのに圧倒されて即購入したもの。デモに使われていたオープニングの〈Scarborough Fair〉と〈時の過ぎゆくままに〉がやはり圧巻。とりわけ前者は、国府の力演もあって、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。最後の繰返しなど聴くと、一応ラヴソングとして歌っているようだが、しかし、感傷を徹底して排した歌唱もいい。

 念のために記しておけば、このイングランド古謡はラヴソングなどではなく、香草の名を呪文として唱えて悪魔の誘いからかろうじて逃げる、ほとんどホラーと呼んでいい話だ。

 手許のディスクは〈時の過ぎゆくままに〉も含め、数曲が "New Mix Version" になっている。これがどうも疑問。〈Scarborough Fair〉のミックスが "old" とすると、こちらの方が自然に聞える。〈時の過ぎゆくままに〉は歌もピアノもすばらしいが、この "New Mix Version" では、うたい手がピアノの中に立っているように聞えてしかたがない。スピーカーで聴くとまた違うかもしれないが。

Piano Songs
岩崎宏美
テイチクエンタテインメント
2016-08-24



##本日のグレイトフル・デッド

 1129日には1966年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 このヴェニュー4日連続の初日。開演9時、終演午前2時。共演 Jerry Pond。セット・リストはテープによる。全部かどうか不明。また、交換網に出回っているテープはこの日のショウだけのものではなく、4日間の録音から編集したものではないか、という議論もある。テープが出回りだしたのは19971998年の頃で、すでに30年経っている。録音した者、編集した者が誰かも不明。

 Jerry Pond はこの頃デッドと何回か共演というか前座を勤めた。背の高い、人好きのするギタリストでソングライターだった。平和運動に関係する人びとを FBI が追いかけだした時にメキシコに逃れ、シャーマンの弟子となって、かれなりに「悟り」を開いたという。Lost Live Dead の記事のコメントによる。

 この記事自体は、フィルモアのヘッドライナーになろうとしていたこの時期に、デッドがわざわざずっと小さな The Matrix で4日間も演奏したのは、デモ・テープを録音しようとしたためではないか、という推測を語る。


2. 1970 Club Agora, Columbus, OH

 第一部はガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。第二部は休憩無しの2時間。セット・リストはテープによる。

 ガルシアが常になくノっていて、通常ならドラムスになるところ、ガルシアが演奏を止めないので、少しして他のメンバーも入って〈Good Lovin'〉に突入、モンスターとなる、そうだ。


3. 1979 Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH

 7.50ドル。開演7時。

 セット・リスト以外、他には情報無し。


4. 1980 Alligator Alley Gym, University of Florida, Gainesville, FL

 9ドル。開演8時。第一部3曲目〈Candyman〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


5. 1981 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA

 9.50ドル。開演7時半。

 セット・リスト以外、他には情報無し。


6. 1994 McNichols Arena, Denver, CO

 開演7時。

 第一部〈El Paso〉でウィアはアコースティック・ギター。(ゆ)


1121日・日

 シンプルな女声ヴォーカルの録音というので買ってあったのを思い出し、波多野睦美&つのだたかし《アルフォンシーナと海》を聴く。選曲、演奏、録音三拍子揃った名盤。

アルフォンシーナと海
波多野睦美
ワーナーミュージック・ジャパン
2003-01-22



 こういうのに出逢うと、手持ちの機器を総動員したくなる。聴き比べたくなる。機器の性格を露わにする音楽だ。これこそリファレンスにすべきもの。もっとも、こんな風に機材の長所短所がモロに出るのは、かえって都合が悪いこともあるかと下司の勘繰りもしてしまう。

 まずイヤフォンを聴いてみる。最も気持ちのよいのは
Tago Studio T3-02。ついで Acoustune HS1300SS 声の質感が一番なのはファイナル A4000A4000では2人をつのだの真ん前から見上げている感じになる。

 前半はスペイン語圏の曲を並べ、ラヴェル、プーランクのフランスからヴォーン・ウィリアムスのイングランド、そして武満の2曲で締める。この流れもいい。

 ベスト・トラックは〈Searching for lambs〉。波多野はこのイングランド古謡を原曲にかなり忠実に、真向から、虚飾を排して歌う。つのだがそれを支えるよりは、足許に杭を打ってゆくような伴奏をつける。波多野はその杭を踏みながら宙に浮かぶ。途中、波多野が高くたゆたうところで、つのだが低く沈んでゆくのにはぞくぞくする。聴くたびに歌の奥へと引きこまれるアレンジであり、演奏だ。

 武満の2曲は録り方が変わる。それまでより一歩下がった感じ。言葉が変わって、響きも変わるからか。確かに、これくらいの距離がある方が快い。



##本日のグレイトフル・デッド

 1122日には1968年から1985年まで4本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1968 Veterans Memorial Auditorium, Columbus, OH

 1時間半の1本勝負。ビル・クロイツマン病欠。クロイツマンが病欠したのはこの日と2週間後の12月7日の2回だけだそうだ。ハートが単独で叩いたのもこの2回のみの由。

 〈St. Stephen〉の途中でウィアは歌詞をど忘れする。


2. 1970 Middlesex County Community College, Edison, NJ

 セット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座とされる。


3. 1972 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX

 セット・リスト以外の情報が無い。


4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 15ドル。開演8時。秋のツアー千秋楽。後は2日間のオークランドでの年末年越しショウを残すのみ。

 これも情報がほとんど無い。(ゆ)


1120日・土

 昼食をとりながら『青天を衝け』第35回「栄一、もてなす」再放送を見る。畏友の1人に見た方がいいよ、と薦められたもの。グラントが世界周遊旅行の途中日本に立ち寄り、その接待係を澁澤が仰せつかる。グラントはまた澁澤の家を訪問することを望む。

 これを見ているわが国の視聴者はユリシーズ・グラントが何者かは、おそらくどうでもいいことなのだろう。とにかくアメリカのエラいさんが来た、というだけで話としては一応成立するわけだ。

 グラント本人に興味がある我々としては、かれが日本でどのように交流したか、そしてその日本での言動がその後のわが国にどう影響したか、が当面問題になるだろう。それは南北戦争とわが国の関係の一端をもなす。グラントの言葉は澁澤にどういう影響を与えたか。あるいは明治政府や明治の財界にどういう影響を与えたか、与えなかったか。

 Ron Chernow の伝記では第四部 A Life of Reflection のオープニング、40 The Wanderer でこの時の世界周遊を扱かっている。

Grant (English Edition)
Chernow, Ron
Head of Zeus
2017-11-02

 

 グラントが日本まで来たのは、その前のヨーロッパ旅行から帰国することを考えだした時に、海軍長官 Richard W. Thompson から蒸気船 Richmond で地中海からスエズ運河を通り、インド、中国、日本に旅行する提案を受けたからだ。トンプソンとしてはグラントの名声を利用して、ヨーロッパ列強の植民地当局とアジア諸地域にアメリカの存在を印象づけることを狙った。グラントもこれを絶好のチャンスとして、帰国を延ばし、東周りで帰ることにする。

 グラントのヨーロッパ旅行そのものからして、発端はプライベートなもので、私費によるものだったにしても、単なる旅行者というわけにはいかず、むしろ大きな外交イベントの一つとして、各国のアメリカ公使館はグラントに必要な援助を惜しむなという指令を受けていた。

 グラントはインド、ビルマ、シンガポール、香港、上海、北京と、行く先々で現地のトップと面会しているし、清に頼まれた沖縄問題の解決を日本政府にもちかけてもいる。そうなると、自分はもう大統領ではないから、いくらもてなされても見返りはできないというのは、かれの謙遜さの現れと一見見えるが、いささか不誠実といえなくもない。あるいは、グラントは日本政府が期待していることをちゃんと把握していて、自分に過大な期待はかけるなと釘を刺したのか。あるいはまた条約改正は簡単ではないし、その前にやらねばならないことがある、と忠告したつもりだったか。

 チャーノウが引用しているところからすると、劇中でのグラントの科白は、澁澤邸で言ったかどうかは別として、史料に忠実のようだ。

 チャーノウは大統領経験者がより自由でかつ影響力のある立場を活かして、第三者的に対立する勢力の仲介をするという新しい役割を開発した、と評価する。もちろん、この時点ではアメリカはまだアジアに植民地を持っていない。フィリピンを獲得するのは20年後だ。

 澁澤榮一はじめ、日本側で接した人びとがグラントが何をやってきたか、どこまで理解していただろうか。歓迎の言葉の中に、グラントが反乱を鎮圧し、その後、正義をもって国を平和に治めたことは世界が周知しているとの一節があり、グラントはこれに喜んだ、とチャーノウは書く。回想録の中で一貫して南軍を「叛徒」と呼び、戦いはあくまでも反乱を鎮圧しているとみなしたグラントであれば喜ぶのは当然だが、当時のわが国の人びとは、四半世紀前の南北戦争を2年前の西南戦争に重ねて、反乱鎮圧と実際に見ていたのか。とすれば、現在の我々よりも、遙かに切実に捉えていただろう。

 ん、すると西郷は、いやむしろ西郷本人というよりは、西南戦争を企画実行した指導部は南北戦争について研究していたのだろうか。あるいは明治政府側は薩摩の蜂起に対して、南北戦争を想起しただろうか。当時、どれくらいの情報がわが国に入っていたか、入手可能だったか。南北戦争がその後のアメリカを現在にいたるまで規定しているように、西南戦争が現在にいたるまでわが国を規定しているとするならば、南北戦争は西南戦争を通じて、近現代日本の形成に甚大な影響を及ぼしていることになる。

 南北戦争を勝利に導き、反乱を鎮圧したグラントをもてなすことには、明治政府としては外交的な配慮だけでなく、自分たちの正当性の確認の意図もこめていたのかもしれない。


 総じて女優陣の方が演技が自然だ。男優たちは、そういう演出をしているのか、動作がいちいち大袈裟で、実際にはこんな動作は絶対にしない、というふるまいをする。これも歌舞伎の伝統だろうか。女性俳優には歌舞伎の伝統がないから、ナチュラルな演技が規準になる。女形の演技は規準にならない。

 それにしても見ていて少しも面白くない。ストーリーテリングが良くない。というより無い。脚本と演出の両方の効果だろうか。物語を語れていない。場面の一つひとつはまだいいが、つながっていない。語りのメリハリが無い。単調で、ただシーンが並んでゆく。

 いずれにしても、これ以上前も後ろも見たいとは思わない。

 唯一感心したのはカメラ・ワークで、これはたぶんデジタル・ビデオでその場で画面を確認できるようになったことによる変化だろう。新鮮な角度や切り取り方、人物にカメラが追尾する手法、あるいはカメラの前を人物が横切ることを厭わないことに象徴される長回しは面白い。

 ただし全てセット内での撮影で、限られた空間の中でのドラマだ。カメラの視野は常にごく狭い角度の中に収められている。グラント一行が船の上から手を振るシーンはロケだが、カメラが退いたり、パンしたりすることはない。街頭で弁士が演説しているのは屋外のはずだが、そうは見えない。天下国家を論じるよりも、町内会の揉め事に見える。大河ドラマになっていない。あまり大きくない池が並んでいる。

 大河ドラマなるものに初めてハマったのは、中学1年のときの『天と地と』だった。原作が海音寺潮五郎の代表作で、本も買って読み、面白かった。川崎市の郊外に隠居家を建てて住んでいた祖父母のところに正月に泊まりがけで遊びに行き、2キロほど離れてぽつんとあった一番近い本屋、昔田舎にあった本屋と文房具屋を兼ねた小さな店までてくてく歩いて買いに行った。さすがに天下の大河ドラマ原作、そんな小さな店にもちゃんとあった。店番のおばさんから、こんな厚い本を2冊も読むのかね、エライねー、と言われた。体は小さい方だったから、小学生と思われたのかもしれない。角川文庫の上下巻で、それまでに読んだ最も長い話だったはずだが、一気に読んだと記憶する。語り、ストーリーテリングは抜群だった。テレビ・ドラマのタイトル・バックは一面たちこめた霧の中から騎馬軍団が現れ、石坂浩二扮する上杉謙信の采配の一振りで一斉に疾走を始める。ドラマのクライマックス、川中島の一戦の開幕シーンだ。もちろん屋外で、空撮も入っていた。かなりの数の騎馬が走っていた覚えがある。

 天の時も地の利も異なるところで、比べるのは意味が無いかもしれないが、やはりいろいろな意味で「大河」という呼称にふさわしくないほど小さく、流れも淀んでいると見える。

 この列島に暮らす我々はなにかというと小さく縮こまりたがる。「一丸」となりたがる。まとまりたがる。ドラマだけではない。筆記具の世界ではとにかく先の細いものが好まれる。小さな文字を書こうとするかららしい。ちまちまと狭いところにたくさん書きこもうとするらしい。それもまた「職人芸」かもしれないが、あたしはもっと広々としたところを悠々と流れていたい。



##本日のグレイトフル・デッド

 1120日には1966年から1985年まで6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 3日連続の最終日。午後2時から7時まで、Student Non-violent Coordinating Committee のための資金集め。James Cotton Blues BandLothar and the Hand People の他クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、Johnny Talbot & De Thangs が共演。

 Johnny Talbot 1939年テキサス生まれのリズム&ブルーズ・シンガーで、1965年にカリフォルニアのバークリー高校を卒業後、自分のバンド De Thang を作る。フィルモアがまだ黒人向けヴェニューだった頃から出演し、ビル・グレアムもタルボットを出演させた。ファンクの元祖、と公式サイトは言う。


2. 1970 The Palestra, University of Rochester, Rochester, NY

 開演9時。前半というより第一部だけで2時間。第二部が1時間。それにアンコール。

 同じ町でこの夜コンサートをしていたジェファーソン・エアプレインが立ち寄り、第二部にヨウマ・カウコネンが初めから参加し、半ば過ぎからジャック・キャサディも参加した。


3. 1971 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ポスターによれば "Dance Concert"

 KMET FM で放送された。


4. 1973 Denver Coliseum, Denver, CO

 同じ会場の1日目。後半9〜11曲目〈Truckin'> The Other One> Stella Blue〉のメドレーが《Road Trips, Vol.  4, No. 3》でリリースされた。この3曲で約40分。


5. 1978 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH

 後半ウィアは体調を崩し、楽屋で嘔吐した。ために当初ステージに上がれず、バンドはジャムから始め、〈Drums > Jack-A-Roe〉の後、〈Playing in the Band〉を始めるために短時間出てまたすぐ引っこみ、最後の〈Around and Around〉でショウを仕舞うために出てきた、そうだ。別の証言では、〈Jack-A-Roe〉の最後で出てきて、その後はずっといたが、アンコールは無かった由。

 〈Playing in the Band〉ではさまれた2曲のうち後ろの〈If I Had The World To Give〉はハンター&ガルシアによる《Shakedown Street》収録の曲で、ライヴでは3回しか演奏されなかった。このショウがその最後。ただし、その3回はいずれも良い演奏だそうな。


6. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 15ドル。開演8時。アンコール前のラスト〈Sugar Magnolia〉後半のいわゆる Sunshine Daydream の時、ウィアは積みあげられたスピーカーの上に乗って歌ったそうな。(ゆ)


 大田智美、松原智美、水谷風太三氏による野村誠作品演奏。最大三台のアコーディオンによる。

 クラシックのアコーディオン演奏とはどういうものかに興味が湧いて出かけていった。サクソフォンとかアコーディオンとか、通常のクラシックのイメージには入ってこない楽器でクラシックをやっているのは面白い。サクソフォン・カルテットによる『ゴールドベルク』は人生最高の音楽体験の一つだったし、今回もそこまではいかないが、別の意味でたいへん愉しい体験をさせていただいた。

 アコーディオンはコード、和音を伸ばして演奏できる。他にこういうことができるのはオルガンだけで、オルガンはそうそう持ち運びはできない。イリン・パイプのレギュレイターもできることはできるが、メロディを自由自在に演奏するわけにはいかない。聞けばクラシック用楽器の音域はピアノよりもわずかに狭いくらいだそうで、これも携帯できる楽器の中では最も広いだろう。つまりは携帯用パイプ・オルガンというべき楽器なわけだ。ただし、パイプ・オルガンはウインドだが、こちらはリードの違いはある。そのリードは蜜蝋で接着しているので、暑くなると溶ける心配があるそうな。アイルランドのアコーディオンやトリティキシャは螺子止めしてあるんではなかったっけ。

 で、まずこの和音がそのまま伸びるのが快感。右手できれいな和音が伸びるのに、左手のベースが重なると、もうたまりまへん。こういう音がこんなに快感とは思わなんだ。その快感の元にはリードであることもあるようだ。つまり、シャープな音が重なるのが快感なのだ。パイプ・オルガンの快感が天上から降ってくるのを浴びる形とすれば、アコーディオンの快感は体内に直接入ってくる。肌から染みとおってくる感覚。目の前、2、3メートルのところで演奏されているのもあるかもしれない。面白いのは演奏している方も実に気持ちよさそうに演奏している。これは倍音の快感だろうか。バグパイプのドローンは演奏している方にとっても快感だそうだが、あれに通じる気がする。倍音だけでも快感だけど、倍音がメロディを演奏するとさらに快感が増す。

 曲そのものも、今のクラシック、いわゆる現代音楽のイメージとは違って、ずっと親しみやすい。形のあるメロディが次々に繰り出される。ほとんどミュゼットか、タンゴでも聴いているようだ。それにユーモラスでもある。これも現代音楽では珍しいと感じる。音楽の根幹にはユーモアのセンスがある。バッハはもちろん、あの生真面目に眉間に皺を寄せてるベートーヴェンだって、根底にはユーモアのセンスがある。それを感じとるのが音楽を愉しむコツだ、とあたしは思う。宮廷音楽もユーモアは出にくいが、どこかにユーモアがない音楽は死んでいる。野村氏の曲にはユーモアがたっぷり入って、それが楽器の特性と相俟って増幅される。

 野村氏はもともとはいわゆる現代音楽らしい曲を作っていたそうで、アコーディオンの曲を作るようになって、親しみやすい、川村さんの言葉を借りれば「涙腺を刺激する」ような曲を作りだしたそうな。あの、倍音の快感を聴くとやはりそうなるのだろう。それに元々持っていたユーモアのセンスが楽器に促されて噴出したこともあるだろう。もちろんあの楽器でゴリゴリのフリージャズとかやっている人もいるのだろうし、それはそれで面白いところもあるだろうが、あたしとしては、こういう倍音の快感をめいっぱい展開する曲を聴きたい。

 曲としては2曲目の大田氏のソロ「誰といますか」とラストのトリオ「頭がトンビ」がハイライト。前者は古典的に聞えるメロディがズレてゆくのが面白く、倍音もたっぷり。後者は三台のアコーディオンの倍音の重なりに陶然となる。左手のベースが沈みながら沈みきらずに続くのがいい。東日本大震災の時、インドネシアにいて、何もできないまま、この曲をアコーディオン用に編曲することで何とかバランスをとっていたそうな。

 ラスト前の「お酢と納豆」も面白い。千住ダジャレ音楽祭でダジャレ勝ち抜き戦をやった時、出てきたダジャレの一つで「オスティナート」のもじり、だそうだ。「おすとなっとう」という短かいフレーズを繰返しながら、少しずつ変化する。ラヴェルの「ボレロ」と同じ構造だが、ずっと短かく、変化も小さいのが、軽快かつシャープ、ちょっとアイリッシュ・ミュージックにも似ていたりする。

 今回話題のひとつは小学生水谷君の登場。4歳のときからもう8年やっているそうな。楽器は小振りだが、堂々たる演奏で、目をつむって聴くと小学生とは思えない。順調に育ってくれることを願う。

 やはりアコーディオンという楽器はいろいろな意味で面白い。大田氏が中心となっての野村作品演奏会の第2回は再来年だそうだ。生きている目標ができた。



##本日のグレイトフル・デッド

 1114日には1970年から1987年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。


0. 1967 American Studios, North Hollywood, CA

 この日、〈Dark Star〉のシングル盤がここで録音された。この曲のスタジオ版はこのシングルのみで、アルバム収録は無い。


1. 1970 46th Street Rock Palace, Brooklyn, NY

 このヴェニュー4日連続の最終日。セット・リスト不明。


2. 1971 Texas Christian University, Fort Worth, TX

 開演7時半。4ドルと3ドルの2種類あるが、チケットの画像がぼやけていて、詳細不明。4ドルと5ドルと、自由席が2種類あったが、間の柵を守っていたのは小柄な老女たちだったので、みんな乗りこえていた、という証言もある。

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ペダルスティールのチューニングはガルシアがやったが、実際に演奏したのは Buddy Cage

 デッドのショウはすばらしかった。

 前半3・4曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、6曲目〈Sugaree〉と後半全部の計10曲が《Road Trips, Vol. 3, No. 2》のボーナス・ディスクで、前半1011曲目の〈Loser〉〈Playing In The Band〉が昨年の、オープナーの〈Bertha〉が今年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。全体の半分がリリースされている。


3. 1972 Oklahoma City Music Hall, Oklahoma City, OK

 場所柄、カントリー&ウェスタンの雰囲気だったらしい。


4. 1973 San Diego Sports Arena, San Diego, CA

 《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

 この秋のツアーからは完全版リリースが連続している。1029日、30日のセント・ルイスが先日の《Listen To The River》、1本置いて110911日のウィンターランドが《Winterland 1973》、次がこのショウで、次の17日の UCLA でのショウが《Dave's Picks, Vol. 5》、さらに次のデンヴァー2日連続の2日目が《Road Trips, Vol. 4, No. 3》でリリースされた。

 会場の音響はひどかったが、Wall of Sounds に向かっているPAシステムはすばらしく、2曲目で音が決まると、後は気にならなくなった。

 臨月近かったそうだが、それが幸いしたか、このショウのドナの歌唱はうまい具合に力が脱けて、絶妙のハーモニーをかもし出している。

 〈Here Comes the Sunshine〉が長いジャムになる。こんなになるのは聴いたことがない。どの歌もすばらしい演奏。


5. 1978 Boston Music Hall, Boston, MA

 ショウよりも周囲の警官の方に注意が惹かれるショウらしい。


6. 1987 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 このヴェニュー2日目。1987年を代表するショウのようだ。(ゆ)


 2月の shezoo さんの『マタイ2021』で登場した4人のシンガーのうち、一番強烈な印象を受けたのが行川さをりさんだった。この時が初見参でもあったけれど、それだけでなく、粘り強く、身の詰まった声には完全にやられた。他の御三方が劣るというわけでは全然無いけれど、行川さんの歌う番になると一人で盛り上がっていた。その行川さんと shezoo さんのピアノ、それに田中邦和氏のサックスというトリオのライヴ。初体験。

 このトリオの名前は shezoo さんオリジナルの1曲からつけられていて、その曲は前半の最後。行川さんの声の粘りが効いている。今回初めてわかって感嘆したのは、大きく張るときだけではなく、小さい声を途切れずに続けるときの粘りだ。冒頭の Butterfly でまずそれにノックアウトされる。それに張り合うようにサックスも小さく、ほとんどブレスだけのようだが、そこにちゃんと音を入れて小さく消えるのがなんとも粋。この曲は先日、エアジンでの夜の音楽でもアンコールでやって、いい曲だけど歌うのはたいへんだろうなあと思っていた。奇しくも今回はこの曲から始まる。奇しくも、というよりこれは shezoo さんの仕掛けか。

 2曲めは行川さんの詞に shezoo さんが曲をつけたチョコレート猫。ここで早速即興になる。夜の音楽では曲目にもよるのか、珍しく即興が少なかったけれど、今回はたっぷり入る。shezoo さんのライヴはこれがないとどうも物足らない。行川さんは声で積極的に即興に参加してゆく。全体にあまり激しくならない。声が細いまま、しっかりとからむ。ここだけでなく、行川さんは即興に必ずからむ。音を伸ばしたり、細かく刻んだり。shezoo さんのアンサンブルにシンガーのいるものは多い、というか、近頃増えているが、ここまで即興にからむ人は他にはいない。声が即興にからむと、ピアノもサックスもそれを中心にするようだ。楽器同士だと対抗するところを、声が相手だと盛りたてる方向に向かうのか。行川さんの声の質のせいもあるか。こういう身の締まり方、みっしりと中身が詰まっている感覚の声は、他にあまり覚えがない。

 後半はバッハから始まる。シンフォニア第13番からメドレーでマタイの中から「アウスリーベン」。あの2月の感動が甦る。これですよ、これ。シンフォニアのスキャットもすばらしい。やはりこれが今日のハイライト。それにしても、やあっぱり、この『マタイ』、もう一度生で聴きたい。2月の公演の2日め、最後の全員での演奏が終った瞬間、全身を駆けぬけたものは、感動とかそんな言葉で表現できるようなところを遙かに超えていた。超越体験、というと違うような気もするが、何か、おそろしく巨大なものに包みこまれて生まれかわったような感覚、といえば最も近いか。

 後半は充実していて、カエターノ・ヴェローゾがアルゼンチンのロック・シンガーの歌をカヴァーしたのもいい。クラプトンの「レイラ」のような、他人の奥さんへのラヴ・ソングで、結局その奥さんを獲ってしまったというのまで同じらしい。いきなり即興から入り、ヴォーカルは口三味線ならぬ口パーカッション。ちょっとずらしたところが、うー、たまりません。

 なつかしや「朧月夜」は、このトリオにしてはストレートな演奏。でも、これもいい。そしてラストは、おなじみ Moons。イントロのピアノがまた変わっている。この曲、やる度に変わる。名曲名演。アンコールは「天上の夢」。この日、サックスが一番よく歌っていた。

 行川さんは出産・育児休暇で、このユニットの生はしばらく無いのはちょと寂しいが、コロナ・ワクチン接種を生きのびれば、また見るチャンスもあろう。まずは行川さんの歌を生で至近距離でたっぷり味わえたのは大満足。この日のライヴは5月のものが延期になったので、あたしにはラッキーだった。場所は東急・東横線が引越したその跡地に引越した Li-Po。街の外観は変わったが、若者の街なのは相変わらず。昔からそうだったけど、こういうライヴでも無ければ、老人に縁は無いのう。(ゆ)

というサイトに松岡莉子さんの New Biginnings について書きました。

 最初に聴いたとき、こりゃあ、いい、どこかに書こうと思ったまま書けないでいたのですが、依頼をいただいて、即座に頭に浮かんだのがこのアルバムでした。書くためにあらためて聴きなおしだして、いや、やっぱりいいアルバムです。

New Beginnings
松岡莉子
New Beginnings
2020-03-03

 

 今回はこのアルバムの「大胆さ」の方に焦点を当てましたけれど、伝統へのリスペクトもしっかりと地に足が着いたものです。留学先で地元だけでなく、いろいろなところから来ている人たちとつきあったのも大きかったのではないかな。

 サイトにはこれからいろいろな人がいろいろなアルバムについて書かれるようです。(ゆ)

6月17日・木

 市から介護保険料通知。昨年の倍になる。年収2,000万以上の金持ちはいくら稼いでも金額が変わらない。「不公平」だ。金があればあるほど、収入に対する保険料の比率は減るんだぜ。余裕のある奴はますます余裕ができる。その1割しか年収のない人間はちょっと増えると月額倍増って、そりゃないだろう。

 散歩の供は Ariel Bart, In Between
 Bandcamp で購入。ファイルは 24/44.1 のハイレゾ。

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 ハーモニカ・ジャズ。ピアノ・トリオがバック。チェロも数曲で参加。いや、いいですねえ。ハーモニカの音か、この人の音か、線は細いが芯はしっかり通っているというやつで、繊細な抒情と骨太な叙事が同居している。ハーモニカの音には軽さとスピードもありながら、鋭どすぎない。それにわずかに音が濡れている。文字通り瑞々しい。とんがったことをしないで、まあ普通のジャズをしている一方で、惰性でやっているのでもなく、故意にそうしているわけでもなく、自然にやっている感じが新鮮さを醸しだす。聴いていて、またか、とは思わない。はっと驚くようなこともないが、むしろじわじわと効いてくるするめ盤の予感。曲はすべて本人のオリジナル。愁いのある昏いメロディはあるいはセファルディム系だろうか。参加ミュージシャンの名前だけではアラブ系の人もいる。

 1998年3月生まれ。7歳からクロマティック・ハーモニカを吹いているそうな。The New School University in New York でジャズ演奏の学位を取得。ベーシストの William Parker と2枚、Steve Swell and Andrew Cyrille がポーランドのレーベル Not Two から出したアルバムに参加。本人のリーダー・アルバムとしてはこれが初めて。ようし、追いかけましょう。


 夜は YouTube の宿題をかたづける。MacBook Air (M1, 2020) から AirPlay で FiiO M11Pro に飛ばし、DSD変換して聴く。YouTube 側はノーマルでも聴くのは DSD だ。M11Plus は本家ではリリースされたが、国内販売開始のアナウンスはまだ無い。数が少なすぎて、回せないのか。やはり M17 狙いかなあ。

 スナーキー・パピーの Grount Up Records が提供する The Secret Trio のライヴ音源が凄い。凄いとしかいいようがない。ウードはアラ・ディンクジャンではないか。お久しぶり。お元気なようで何より。



 shezoo さんに教わった、行川さをりさんの YouTube 音源をあれこれ視聴。Asu とのデュオ Kurasika の〈写真〉。向島ゆり子さんがすばらしい。Kurasika と上田健一郎による、どこでもスタジオにしてしまう「旅するレコーディング」もいい。これはまさにクーキー・マレンコが言っていたものではないか。周囲の音も音楽の一部で、でかいせせらぎの音が歌とギターに耳を引付ける。うぐいすは絶妙の合の手を入れてくれる。引き込まれて、次々に聴いてしまう。(ゆ)






5月25日・火 > 最新版 2021-06-10

 頼まれたことから思いついて、ケルト系、北欧系、その他主にヨーロッパのルーツ・ミュージックを志向する国内アーティストでCDないし音源をリリースしている人たちをリストアップしてみる。この他にもいるはずだし、ゲーム関連を入れるとどんと増えそうだが、とりあえず、手許にあるもの。ソロも独立に数えてトータル95。

3 Tolker
Butter Dogs
Cabbage & Burdock
coco←musika
Cocopeliena
Craic
Drakskip
Emme
fiss
Gammal Gran
Handdlion
Hard To Find
Harmonica Creams
hatao
hatao & nami
John John Festival
JungRAvie
Kanran
Koji Koji Moheji(小嶋佑樹)
Koucya
Luft
Norkul TOKYO
O'Jizo
oldfields
Rauma 
Rinka
Satoriyakki
Si-Folk
tipsipuca
Toyota Ceili Band
Tricolor
u-full & Dularinn
あらひろこ
安城正人
稲岡大介
上野洋子
上原奈未
生山早弥香
扇柳トール
大森ヒデノリ
岡大介
岡林立哉
おとくゆる
樫原聡子
風とキャラバン
神永大輔
亀工房
川辺ゆか&赤澤淳
木村林太郎
きゃめる
櫛谷結実枝
熊沢洋子
功力丈弘
五社義明
小松大&山崎哲也
さいとうともこ
酒井絵美
坂上真清
佐藤悦子 勝俣真由美
セツメロゥズ
高垣さおり
高野陽子
田村拓志
ちゃるぱーさ
東京ヨハンソン
豊田耕三
内藤希花&城田じゅんじ
中村大史
奈加靖子
生梅
西海孝
猫モーダル
野間友貴
馬喰町バンド
秦コータロー
服部裕規
バロンと世界一周楽団
日花
ビロビジャン
鞴座
福江元太
ポッロヤキッサ
本田倫子
マトカ
丸田瑠香&柏木幸雄
村上淳志
守安功&雅子
安井敬
安井マリ
山崎明
悠情
遊佐未森
ロバの音楽座

 整理の意味も含めて、全部聴きなおして紹介するか。データベースにもなるだろ。(ゆ)

2021-06-10 改訂
2021-06-08 改訂

2021-06-02 改訂
2021-05-31 改訂
2021-05-28 改訂
2021-05-27 改訂

 昨年ハロウィーン以来という夜の音楽のライヴ。パンデミックの半年の間に音楽の性格が少し変わったようでもある。あるいは隠れていた顔が現れたというべきか。こういうユニットの顔は一つだけとは限らないし、また常に変わっているのが基本とも言えるだろうから、やる度に別の顔が見えることがあたりまえでもあろう。また、パンデミックはライヴそのものだけでなく、リハーサルや個々の練習にも影響を与えるだろう。もっとも今回の練習とリハーサルはかなり大変だったとも漏らした。

 2曲を除いて「新曲」、それも普通、こういうユニットではやらないラフマニノフとかラヴェルとかを含む。そりゃあ、リハーサルは大変だったろう。

 どの曲もこのユニットの音楽になりきっているのはさすがだが、いつもの即興が目に見えて少ないのはちょっと物足らなくもある。楽曲の消化の度合いが足らないのではなく、演奏の方向がそちらに向かわないのだろう。つまり、このユニットでやるというフィルターを通すとカオスの即興をしなくても、十分ラディカルになる。

 もっともバリトン・サックスを前面に立てて、真正面から律儀にやったラフマニノフやヴィラ・ロボスと、Ayuko さんがゴッホの手紙の一節の朗読をぶちこみ、思いきりカオスに振ったラヴェルで演奏の質やテンションが変わらないのは面白く、凄くもある。しかもこの3曲をカオスをストレートの2曲ではさんでやったのは新境地でもあった。

 一方で、新曲ではない2曲、加藤さんの〈きみの夏のワルツ〉と shezoo さんの〈イワシのダンス〉は、さらに磨きがかかって、とりわけ後者はこの曲のベスト・ヴァージョンといえる名演。

 ラスト3曲〈夏の名残のバラ〉、ジュディー・シルの〈The Kiss〉、アンコールの〈Butterfly〉(Jeanette Lindstrom & Steve Dobrogosz) のスロー・テンポ三連発も下腹に響いてきた。決して重くはないのに、むしろ浮遊感すらある演奏なのに、じわじわと効いてくる。

 今回は加藤さんと Ayuko さんが、それぞれの限界に挑戦して押し広げるのを、立岩さんと shezoo さんが後押しする形でもある。ただ、挑戦とはいっても、しゃにむに突進して力任せに押すのとは違う。このユニットでこの曲をやったら面白そうだと始めたらハマってしまい、気がついたら、いつもはやらないこと、できそうにないことをやっていたというけしきだ。こういうところがユニットでやることの醍醐味だろう。

 エアジンは全てのライヴを配信している。カメラは8台、マイクも各々のミュージシャン用の他に数本は使っている。途中でも結構細かくマイクの位置を調整したりしている。このユニットではとりわけ立岩さんのパーカッションがルーツ系で、ダイナミック・レンジが大きく、捉えるのがたいへんなのだそうだ。アラブで使われるダフなどは、倍音が豊冨で、ビビっているようにも聞えてしまう。確かに、冒頭で枠を後から掌底でどんと叩いた時の音などは、たぶん生でしか本当の音はわからないだろう。

 パンデミックで、ライヴに行くのも命懸けだが、その緊張感が音楽体験の質をさらに上げるようでもある。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocal
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussions
shezoo: piano

 横浜・エアジンで玉響のライヴ。石川氏が入っているので買ってみた玉響のデビュー《Tamayura》があまりに良いので、ライヴに行く。

tamayura
玉響 〜tamayura〜
玉響
2021-03-10

 

 ライヴを見るのはミュージシャンの演奏している姿を確認するのが第1の目的だが、まず前原氏が面白い。体はほとんど動かさず、ギターも動くことなく、手と指だけが動いている。フィンガー・ピッキングだが、時にどうやって音を出しているのか、指が動いているとも見えないこともある。冒頭と第二部途中で MC をするが、させられてますオーラがたっぷり。人前でしゃべる、というより、しゃべることそのものがあまり得意ではないオーラもたっぷり。ギターを弾いていられさえすればいい、そのためにはどんなことでも厭わない、という感覚。まことにもの静かで、控え目だが、芯は太く、こうと決めたらテコでも動きそうにない。ソロをとる時も譜面を見つめていて、あれ、予め作曲ないしアレンジしてあるのかなとも見えるが、演奏はどう聴いても、そうとは思えない。さりげないところと、すっ飛んでいるところがいい具合にミックスされている。楽器はクラシックで、お尻にコードが挿さっているが、シンプルな増幅のみらしい。少なくともこのアンサンブルでは、エフェクタなどはほとんど使っていないように聞える。4曲め Pannonica でのソロ、5曲め Calling You でのソロ、それにアンコール Softly as in a Moring Sunrise でのソロが良かった。

 Calling You は録音はしたけれど、CDからは外したものの由。いつもと違って速めのテンポのボサノヴァ調。前半ピアノ、後半ギターがソロをとり、どちらもいい。

 太宰氏もあまり体を動かす方ではない。鍵盤をいっぱいに使うけれど、上半身はそれほど動かない。この人のピアノは好きなタイプだ。リリカルで、実験も恐れず、ギターや歌にも伴奏より半歩踏みこんだ演奏で反応する。それでいて、ソロの時にも、控え目というほど引込んではいないが、尊大に自我を主張することはしない。

 このトリオの面白さはそこかもしれない。独立している個のからみ合いは当然なのだが、そのからみ合い方がごく自然でもある。自己主張のあまり相手の領域に土足で踏みこむのでもなく、ひたすら相手を盛りたてることに心を砕くのでもなく、絶妙の距離を保ちながら、音をからみ合わせる快感を追求する。

 石川氏のヴォーカルも突出しない。歌とその伴奏ではなく、歌はあくまでも対等の位置にある。かなり多種多様な性格の声と唄い方を駆使するのがあざとくならない。一方、変幻自在というよりも歌に一本筋が通って、ひとつの方向に導く。このピアノとギターにその声がうまくはまっている。

 そしてアレンジの面白さ。知っている曲だとよくわかるのは、一見かけ離れた新鮮さによってもとの楽曲の良さがあらためて感得できる。あたしにそれが一番明瞭なのは Yesterday Once More で、とりわけあのコーラスをゆっくりと、一語一音ずつはっきりと区切るように歌われる快感は他ではちょっと味わえない。

 レコ発なので、CD収録曲中心。即興はもちろん録音とはまた違い、まずはそこが楽しい。3人とも抽斗は豊冨で、録音よりさらに良い時もいくつもある。配信も見て、記録したくなる。

 配信用もあるせいか、サウンドもすばらしく、アコースティックな小編成の理想的な音だ。エアジン、偉い。ごちそうさまでした。(ゆ)

玉響
石川真奈美: vocal
太宰百合: piano
前原孝紀: guitar

 散歩に出ると、半導体エネルギー研究所本社脇の玉川にかかる橋の上に燕が5、6羽舞っている。渡りの直後のせいか、まだ子育てしていないせいか、ひどく元気。昨年は28日だったので、1週間早い。川はさすがに少し水量が増えている。風が冷たい。
 
 O'Jizo の新作 MiC: Music in Cubic。また新境地を開いている。毎回、もうこれ以上のものはできないだろうと思うのだが、それを凌ぐ進境を見せる。それも方向転換などの裏技ではなく、正面突破してくる。今回目立つのは中村さんのアコーディオンだが、それ以上に楽曲がいい。感覚のツボにずぼずぼとはまってくる。1曲だけマイケル・マクゴールドリックの曲があるが、それが突出しない。このパンデミックの最中に、これだけのものを作るのには感嘆する。あるいは最中だからこそか。本当に実力のあるアーティストは条件が厳しいときほど底力を発揮するのだろう。トータル30分未満というのも、ヘビロテにはちょうどいい。

MiC -Music in Cube-
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2021-03-14

 

 Rachel Hair & Ruth Keggin のクラウドファンディングに参加。ケギンはマン島のシンガー。これは楽しみだ。


 Delany, Letters From Amherst、4通め。1991-03-16。前3通と宛先は異なるが、書いていることは日常の主なできごと、自分の動静。実際、この前の、叔父ヒューバートの葬儀について書いた3通め(のコピー?)を同封し、先にそちらから読んでくれと言う。こうして、自分の日常のできごとを複数の人間に手紙で知らせているのだろうか。

 ここに収められた手紙はそれぞれ、中心に一つのイベントを置いている。今回はマサチューセッツ大学の若い教師の焼身自殺だ。ブッシュ政権のイラク進攻に抗議してのことだった。このことを報じる新聞を可能なかぎり集めてみるが、記事は混乱している。現場がすぐそこに見えるレストランの名前からして、正確に報道しているものは少ない。この時期、全米各地で抗議の焼身自殺が相次いだが、ディレーニィのほとんど目の前で起きたこのことは、大学全体にもディレーニィ個人にも深い傷を残す。大学では学部長が6人辞任し、学長、副学長も不在となり、評議会も解散状態になる。ディレーニィの学部長も辞任したので、かれはまた学部長代理をする羽目になる。この年度には州外から優秀な学生が集まり、とりわけ大学院のクラスはエキサイティングなことになっているのが救いではある。しかし、ある日、現場の前の例のレストランで朝食を食べていると、食べおえる頃に急に吐気を覚え、地下のトイレで食べたものをあらいざらいもどしてしまう。その勢いはまるで自分も含めたレストラン全体が混乱の結節点となって、自分が存在論的船酔いにでもなったようだった。

 この嘔吐の場面は後から思いかえして書いているわけだが、それにしてもその客観化の徹底には舌を巻く。これが作家の眼というものか。

 この嘔吐が事件とその余波、報道をめぐる混乱に同調したものかどうかは、本人にもわからない。しかし、こうして書かれてみれば、まったく無関係とは言えないだろう。

 もう一つ、あらためて気がついたのは、ディレーニィは移動にバスを使っている。前の手紙からこの時までの間にメイン州オロノのメイン大学に1週間、特別講義に行くのにもバスを使う。ボストンでの乗り継ぎを含め、片道9時間。アマーストとマンハタンの往復にもバスを使っている。こちらは片道4時間半。車を持っていないのはわかる。バスを利用しているのはもちろんディレーニィだけではないし、利用者が一定以上いるからバスが走っているわけだが、アメリカでは車は必須と思いこんでいたから、ちょっと意外。東部の人間にはあたりまえのことなのだろうか。そう言えば John Crowley の The Solitude も主人公が長距離バスで移動している途中で降りてしまうところから始まっていた。Wikipedia によれば、アマーストを通る路線をやっているバス会社は二つある。(ゆ)

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 寒中お見舞い申し上げます。今年はいつも以上にのらりくらりとなるでありましょう。どうぞ、よしなに。

 オンラインになった『ラティーナ』の昨年のベストアルバムに参加しました。以下にリンクを張りました。来週火曜日19日までは無料で誰でも見られます。それ以後は定期購読者のみ、閲覧できます。

[2021.01]Best Albums 2020-1

[2021.01]Best Albums 2020-2

 あたしのはここにあります。
[2021.01]Best Albums 2020-3

 各アルバムには Spotify のリンクを編集部がつけてます。聴いてみて気に入ったら、ぜひ音源も購入しましょう。少しでもミュージシャンたちを支援しましょう。

 Grateful Dead の Dave's Picks, Volume 35 は試聴のリンクがありません。これは限定発売で、本家 Dead.net でも発売後は試聴できません。ふだんはこのシリーズはベストアルバムには選ばないんですが、収録された1984年4月のフィラデルフィアでのショウがあまりにすばらしく、Dave's Picks のみならず、デッドのアーカイヴ・ライヴ音源の公式リリース全体の中でも屈指の出来栄えなので選びました。こういうものも出ているというお知らせの意味もあります。

 あたしの選んだものは、デッド以外の海外タイトルはほとんどが Bandcamp で買えます。あそこで買うとミュージシャンへの見返りも他より大きいので、できるだけ Bandcamp を利用するようお願いします。CDを購入すると、すぐにファイルをダウンロードして聴くこともできます。時にはハイレゾ・ファイルが来ることもあります。

 昨年はスタジオでの録音も大きく制限されたでしょうから、今年は新譜の数は減ると予想されます。ライヴ配信、ライヴ音源の販売は増えるでしょうが、さて、どうなりますか。(ゆ)

 COVID-19 が始まって一度停まったライヴ通いが再開したのはこのユニットのライヴだった。そして今年最後のライヴもこのユニット。それはもうすばらしいもので、生の音楽を堪能させていただいた。

 あたしにとって生の音楽が再開したそのライヴのゲストが桑野氏。それはそれはすばらしかったのはリスナーにとってだけでなく、むしろミュージシャンにとって一層その感覚が強く、ぜひもう一度、ということになった。加藤さんは甲府でのライヴで、やはり忘れがたい演奏をして、これまた透明な庭のお二人が熱望しての再演。

 ということで、今回は全曲を4人全員でやる。前回は桑野さんはお休みで、shezoo、藤野のデュオでやる時もあったが、今回はゲストというよりも完全にバンドである。このままカルテットとしてやってもいいんじゃないか、いや、むしろやって欲しいと思えるほどの完成度。単に優れたミュージシャンが集まりましただけでは、こうはならない。この4人の相性が良いというか、化学反応、それも良い反応が起きやすい組合せなのにちがいない。

 shezoo さんのバンドはいろいろ見ているが、いつもその組合せの妙に感心する。こういうハマった組合せをよくもまあ見つけてくるものよ、と見るたびに思う。しかも、その各々に個性が異なる。shezoo さんは共通だし、加藤さんのように他にも共通するメンバーもいるが、どのバンドも各々に音楽の性格が違う。そして新しいものほど、メンバー間の関係がより対等になっているようにもみえる。あたしにとっては一番古いトリニテはshezoo さんの楽曲を演奏する楽隊という性格が基本だが、最近の夜の音楽はバンマスというか、言いだしっぺは shezoo さんだが、一度バンドが動きだすと、楽曲も持ちよりだし、音楽を作るプロセスも対等だ。トリニテではやはりフロントの二人とリズム・セクションという役割分担がどうしてもできる。最近のユニットではそこも対等になっている。この透明な庭はデュオということもあって、今回も藤野さんがしきりにあおっていたように、MCも二人ができるだけ対等に担当する。

 桑野、加藤が加わった4人での演奏は、アレンジは作曲者がやったようだが、どちらも全員をフィーチュアすることを目指したらしい。それがまず現れたのが2曲めの藤野さんの〈晩夏光〉。加藤さんのバリトン・サックスが下から全体を持ちあげる中でヴァイオリンがどこかクラシック的なメロディを奏で、そのままソロに突入する。桑野さんはライヴはほとんどやらず、「ひきこもり」で音楽を作り、演っているそうだが、こういうソロはもとライヴで聴きたい。と、うっとりしていたら、バリトン・サックスのソロが炸裂して驚いた。こういう言い方はもう失礼かもしれないが、加藤さんは見る度に進歩している。腕が上がっている。よほどに精進しているはずだ。単に練習しているだけでなく、いろいろ聴き、見て、読んで、広く深く吸収もしているはずだ。音楽家としての厚みが増している。次の shezoo さんの〈空と花〉でもヴァイオリンからサックスへソロを渡し、そしてラストの音の消え方が絶品。前半最後の shezoo さんの〈タワー〉では藤野さんのアコーディオンから、加藤さんがバリトンとアルトを持ちかえて、各々にソロをかます。アコーディオンの音色が美しい。

 アコーディオンに限らず、サックスもヴァイオリンも音色が実に美しい。バランスもばっちりで、先週も思ったことだが音倉のPAのエンジニアさんはすばらしい仕事をしている。

 後半は新曲を並べる。透明な庭のセカンドのためのものだそうだ。はじめ shezoo さんの曲が3曲並ぶ。どれも良かったが、ハイライトはやはり〈Dreaming > バラコーネ1〉。前回桑野さんが加わった時のダントツのベストだったけれど、加藤さんが加わって音の厚みとダイナミズムがさらに大きくなる。そうなると藤野さんが高域で小さく奏でるソロの美しさが引き立つ。この曲、演る度に変化し、良くなってゆく。この先、どうなるか、実に楽しみだ。

 次の藤野さんの〈ヒライス〉の中間部でアコーディオンとヴァイオリンがケルト系のダンス・チューンのようなフレーズをユニゾンで演ったのには降参しました。粋だよなあ。

 全員羽目を外しての即興でも、一瞬もダレることもなく、ムダな音も無い。いつもはライヴだけで満足してしまうが、今回はアーカイヴでもう一度聴きたいと思う。このまんまDVDにしてもいいんじゃないか。

 shezoo さんはこの後、来年2月の『マタイ受難曲2021』に向けて本格的な準備に入るので、それまでは透明な庭はお預けになる。COVID-19 がどうなるか、予断は許されないが、ライヴを再開できたら、ぜひまたこのカルテットでやっていただきたい。

 『マタイ』はもちろん2日ともチケットを買いました。とにかく無事、公演ができますように。そして、それにできるかぎり万全のコンディションで行けますように。

 ライヴ通いについては回数が激減したのはやむをえないが、行けたライヴはどれもすばらしかった。とりわけ、3月の、ライヴそのものが中断された直前のクーモリと Tricolor の対バンとこの「百年に一度の花」は中でも際立つ。終り良ければなべて良し。困難な条件を乗りこえてライヴを開催してくれたミュージシャンたちと会場のオーナー、スタッフの皆さんには、感謝の言葉もない。ありがとうございました。(ゆ)

Invisible Garden
透明な庭
qs lebel
2020-02-01


 まったく不見転のミュージシャンのライヴに行ったのは、高橋創さんと須貝知世さんがバックで出るというからである。この二人が揃うなら、メインの人がどうあれ、つまらないライヴになるはずがない。おまけに須貝さんは年末に山梨に引越すから、ひょっとするとしばらくライヴはコロナが収まっても見られないかもしれない、という事情もあった。ヒロインのシンガー・ソング・ライターは須貝さんと大学の同じゼミで、近頃、偶然パン屋さんで再会した、という縁だそうだ。

 結論から言えば、また追っかけたい人が一人増えた。うたい手としても歌つくりとしても、かなりな人だ。キャッチーなメロディを作る才能もあり、カルト的にブレイクしてもおかしくない。あたしとしては、MCでしゃべることをもう少し整理してほしいところではある。

 ご本人もアイリッシュ・ミュージックは大好きとのことで、そのきっかけが『タイタニック』、しかも例の三等船室のダンス・パーティーというのは定番ではあるが、そのおかげでこのメンバーでのライヴをしてくれたのだから、文句を言う筋合いもない。冒頭は須貝、高橋のお二人に、高橋さんがいつも一緒にやっているパーカッションの熊本比呂志さんの3人で、その『タイタニック』のダンス・チューンのメドレーからこれまた定番の〈Raise Me Up〉。この時点ではこりゃあ我慢大会かなと一瞬危惧したのだが、しかし、この歌がまず良かった。この歌も散々あちこちで聴かされているが、これはベスト・ヴァージョンの一つだ。サポートの良さもあるが、本人の歌唱に説得力がある。エモーショナルだがセンチメンタルにはならない。力を籠めるところが充実していて上滑りにならない。声量も不足はなく、だから、後の方で、バックも目一杯音を出しても負けることがない。高橋さんも思いきって弾けて楽しかったと言っていた。

 4曲めで自作の〈涙の海〉。アイデンティティ崩壊して、自分が無くなってしまったことがあり、そこからの回復のイメージから作ったという。その時に友人に連れだされて見た映画『モアナと伝説の海』に励まされてニュージーランドへ渡り、1年放浪したそうで、その映画のテーマが前半ラスト。日本語と英語とマオリ語で歌った、そのマオリ語版が良かった。このヴァージョンが一番言葉とメロディが溶け合っていた。原曲は知らないが、マオリの伝統音楽を使っているのか。

 後半は自作を並べる。その冒頭、自身のギターのみで歌った〈勾玉のワルツ〉がこの日のハイライト。ここでは5年前のリベンジとて、ベリーダンサーがその歌に合わせて踊った。曲、演奏、ダンス、三拍子揃った名曲名演。こういうものが体験できるのがライヴなのだ。あまりに良かったので、これが入っているシングルも買う。

 〈東京ガール〉は海外でのバスキングで日本語で歌っても一番反応が良かったということで、英語ヴァージョン。高橋さんのバンジョーがいい感じ。この日販売されたミニ・アルバムにも収録されていて、こちらでは高橋さんがスティール・ギターも入れてるそうだ。これは日本語の歌の英訳版だが、アンコールは〈We Are The World〉の日本語版。「訳」ではなく、原曲が言わんとしているところを日本語で言おうとしてみて作ったという。もっとも翻訳とはそういうものだ。

 それにしても〈ポラリス〉は名曲だ。

 このメンバーはヒロインの音楽によく似合う。先は見えないが、ぜひまたこの形でライヴをやって欲しい。音倉はたぶん二度目だが、音のバランスも良く、天井が高く見えて、意外に広々している。年末になってこういうライヴを見られたのは嬉しい。終り良ければすべて良し。(ゆ)

詠美衣: vo, guitar
高橋創: guitar, banjo
須貝知世: flute, whistle, low whistle, percussion
熊本比呂志: percussion, chorus

 ああ、生のフィドルの音はこんなにも気持ちのよいものだったのだ。もちろん名手の奏でるフィドルだからこそではあるだろう。久しぶりのせいか、マイキーはフィドルの腕が上がったように聞える。冒頭、いきなりポルカで始めるが、ビートがめだたない。まるでポルカではないかのように、細かい装飾音に支えられてメロディが浮きたつ。その次はホーンパイプからジグ。その次はカロラン・チューンからリール。ギター・ソロで始まり、フィドルが加わる。曲種と楽器のこの転換がひたすら心地良い。とりわけ斬新な工夫でもない、特別なことではないよというように、実際もう特別なことではないのだろうが、風景が変わってゆくのは快感だ。もう、これがアイリッシュかどうかなんてことはどうでもよくなるが、それでもこれはアイリッシュならではの快感だ。

 前半のしめくくりにトシさんが歌う。去年あたりから、あたしが見るライヴではトシさんの歌が最低で1曲は入っている。やはり歌っていると巧くなるもので、今回はもう一段の工夫もあって、レベルが上がった。芸は Bucks of Oranmore のメロディにオリジナルの歌詞をのっけるのだが、マクラとしてその歌詞を一度講談調に演じる。コロナが流行りだす頃から京都に移って、あちらの友人の提案だそうだが、講談はトシさんのキャラ、ミュージシャンとしてのキャラにも合っている。あの風采で和服に袴をつければ講談師で通りそうだ。誰もアイリッシュ・ミュージシャンとは思うまい。それでリルティングとか、こういう既存のメロディに物語りをのせるのをやったらウケるかもしれない。バラッドというのはそもそもそうやってできている。たとえばラフカディオ・ハーンの怪談をアレンジしてみるのはどうだろう。

 高橋さんのギターはマイキーのフィドルとの呼吸の合い具合がさらに練れてきたと聞える。後半の1曲めでコード・ストロークでソロをとったのは良かった。引田香織さんたちとやっている「ブランケット」の成果だろうか。高橋さんは去年からスティール・ギターをもう80を超えたわが国の名手に習っているそうで、そのスティール・ギター風で Danny Boy をやる。確かに素直に聞けばこのメロディは綺麗なのだ。困るのはこれに余計な感傷をこめてしまうからだ。高橋さんのギター・ソロからフィドルとバゥロンが加わった演奏は、これまで聞いたこの曲の演奏でもベスト3に入る。マイキーのCDにはぜひ入れてもらいたい。

 ギター・ソロから3人のアンサンブルという転換はその前の Banks of Cloudy から Blackbird のメドレーも同じで、これも良かった。こいつもぜひCDに入れてください。まあ、この日の演目はどれもCDで残す価値はあるとは思う。

 マイキーは来年6月に次の任地ウクライナへの転任が決まったそうで、日本にいられるのはあと半年。なんとしてもその間に、CDだけは出してほしい。マイキーが去るのは残念だが、マイキーと入れかわりにコンサティーナを演られる妹さんが来日するそうで、なにせ、マイキーの妹さんだから、楽しみだ。

 20名限定で満席。こんな時によく来てくださいました、とミュージシャンたちは言うが、こんな時だからこそ、なのだ。こんな時によくも演ってくれました、なのだ。みんな、飢えているのだ。きっと。あたしは少なくとも飢えている。配信は確かに新しいメディアで、ふだんライヴに行けないような人たち、スケジュールが合わない、遠すぎる、などなどで行けない人たちにも生演奏に接するチャンスを生んだ。とはいえ、なのだ。それはそれでケガの功名として、ライヴの、それもノーPAの生音のライヴは格別なので、こういうライヴを体験できる幸運にはただひたすら感謝するしかない。

 ムリウイはビルの屋上の一部だし、周囲に高い建物は無いので、店の外に出れば街中としては空が広い。その宙天に冷たく輝く月がことさら目にしみる。思いの外に寒くなり、おまけに来てゆく服をまちがえたので、帰りの駅からのバスでは胴震いが止まらない。それでも、音楽のおかげだろう、風邪をひかずにすむ。(ゆ)

 9月下旬からそろそろとライヴに行きだした。しかし、どこかまだ腰が定まらない。かつてのように、いそいそわくわくというわけにはいかない。おそるおそるというほどでもないが、おたがい仮の姿のようなところがある。いや、ミュージシャンたちはそのつもりではないだろう。むしろ、一層魂をこめて、一期一会、次は無いかもしれないというつもりでやっているのだろう。問題はこちらにある。リハーサル、と言ってみるか。ライヴを見るのに練習もへったくれもないと言われるだろうが、毎月2、3回、多いときには週に2回というペースでなにかしらのライヴに通っていると、勢いがついているのだ。ランナーズ・ハイというのはこういうものではないかとすら思えてくる。それがぱたりと止まった。それは、まあ、いい。ちょうど仕事も佳境に入って、正直、ライヴに行かずにすむのがありがたいくらいだった。

 その仕事も一段落ついた頃、配信ライヴを見たり、ぽつりぽつりとライヴに行ってみたりしだした。どうも違う。同じではない。COVID-19は今のところ無縁だが、こちらの意識ないし無意識に影響を与えているのか。

 ひとつの違いは音楽がやってくる、そのやってくるあり方だ。ひょっとするとライヴがあった、そこに来れたというだけで野放図に喜んでしまっているのだろうか。どこを見ても、なにが聞えても、すばらしいのだ。個々の音、とか、楽曲とか、どの演奏とか、そんな区別などつかない。もう、全部手放しですばらしい。音が鳴りだすと、それだけで浸ってしまい、終ると目が覚める感覚。どんな曲だったか、どんな演奏だったか、何も残っていない。手許を見れば、曲目だけは一応メモしてあるが、それだけで、いくら眺めても、個々の曲の記憶はさっぱりない。ただ、ああ、ありがたや、ありがたや、と想いとも祈りとも呪文ともつかないものがふわふわと湧いてくる。

 今回はいくらか冷静になれた。冷静というよりも、酔っぱらっていたのが、少し冷めたと言う方が近いかもしれない。

 真先に飛びこんできたのは加藤さんのサックスの音。これまでの加藤さんのサックスはやわらかい、どんな大きく強い音を出してもあくまでもやわらかい響きだった。この日の加藤さんの音の押し出しは、これは無かった。パワフルだが力押しに押しまくるのではなく、音が充実していて、ごく自然に押し出されてくる。確信と自信をもってあふれ出てくる。たとえば最盛期のドロレス・ケーンのような、本物のディーヴァの、一見何の努力もせずに自然にあふれてくるように流れでる声に似ている。力一杯でもない。八分の力ぐらいだろうと見える。それでもその音はあふれ出て空間を満たし、聴く者を満たす。

 次に浮かびあがったのは Ayuko さんの声。谷川俊太郎の「生きる」に立岩潤三さんが曲をつけた、というよりもその曲をバックに自由に読む。後のMCでは読む順番もバラし、自由に入れかえていたそうだ。普通に朗読するように始まったのが、読む声も音楽もいつしかどこまでも盛り上がってゆく。いつもの「星めぐりの歌」は、これまでいろいろ聴いたなかで最もテンポが遅い。そして、ラスト、立岩さんの〈Living Magic〉のスキャット。

 そこまではわかった。らしい。アンコールの〈エーデルワイス〉が歌いおさめられると、やはり夢から覚めた。ふっと、われに返る。立岩さんが何をやっていたか、shezoo さんが何をやっていたか、覚えていない。あれだけダイナミック・レンジの広い各種打楽器の音が配信できちんと伝わるだろうか、いや、このシンバルを生で聴けてよかったと思ったのは覚えている。〈Moons〉のピアノのイントロがまた変わったのもぼんやり浮かんでくる。

 ライヴ、生の音楽をそのまま体験するのは、やはり尋常のことではないのだ、とあらためて思いしらされる。音楽の送り手と受け手が、その音楽が鳴っている空間を共有することには、時空を超越したところがある。非日常にはちがいないが、読書や映画やゲームに没頭するのとは決定的に異なる。パフォーマンス芸術ではあるが、演劇や舞踏の劇場空間とも違う。何なのだろう、この異常さは。

 あたしはたぶんその異常さに中毒してしまっているのだ。ライヴの全体に漬かってしまって、ディテールがわからないのは、禁断症状の一種なのかもしれない。もう少しまた回数を重ねれば、靄が晴れてきて、細部が聞えるようになるのだろうか。

 このライヴは同時配信されて、まだ見ることもできるが、見る気にはなれない。以前はライヴはそれっきりで、再現のしようもなかった。そしてそれで十分だった。いや、一期一会だからこそ、さらに体験は輝くのだ。

 ライヴの配信、あるいは配信のみのライヴというのは、また別の、新しい媒体なのだ。まだ生まれたばかりで、手探り、試行錯誤の部分も大きい。梅本さんから苦労話もいろいろ伺ったが、おそらくこれからどんどんそのための機材、手法、インフラも出てくるだろう。それはそれでこれから楽しみにできる。

 しかし、ライヴの体験は、その場で音楽を共有することには、代わるものがない。COVID-19は世界のもろさをあらためて見せつけている。世界は実に簡単に、派手な効果音も視覚効果もなく、あっさりと崩壊する。その世界のなかで、生きていることの証としてライヴに行く。それができることのありがたさよ。

 この日はハロウィーン。そしてブルー・ムーン。雲一つない空に冷たく冴えかえる満月に、思わず遠吠えしそうになる。(ゆ)


夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano


 眼の前の楽器から音が出ている。生音を聴いている。そのことが、どれほどの快感か、最初の一音であらためて思い知らされる。もちろん、ただ生の音が出てりゃあいいってもんではない。そういえば、コロナこの方、深夜の駅前の路上演奏も耳にしていない。そもそも深夜に駅前にいることが無いせいではあるが、いかにライヴに飢えているとはいえ、あれを聴いても少しも気持ち良くはならない。

 アコーディオンの藤野由佳さんとピアノの shezoo さんのデュオ、透明な庭の、本来は春にレコ発でやるはずだったもの。shezoo さんもいろいろな人とやるが、この組合せにはちょっと意表を突かれた。だから、ぜひライヴを体験したかった。そしてライヴを見てみれば、藤野さんはこの形がベストだと思う。少なくともあたしにはそうだ。これはミュージシャンの腕とか音楽の出来不出来の問題ではなく、相性のハナシだろう。あたしはダンス・チューンをやる時や、オオフジツボでの藤野さんがどうしてもピンと来ない。どこかズレている感覚がどうしてもとれない。聴いていておちつかない。音楽に浸ることができない。

 それがどうだ。この人のアコーディオンはこんなに歌うものだったのか。shezoo さんの音楽の、例によってどこまでが作ってあって、どこから即興なのかわからない、即興かと思えばきっちりアレンジしてあり、アレンジかと思うと毎回全然違うことをやる、次に何が起きるかわからない面白さが横溢している。音楽にずっぽりはまりこめる。

 2曲目の〈ひまわり〉。ゆったりしたフリーのインプロが気持ちよい。そしてその次の《Tower》がハイライト。全体にどちらかというとゆったりと、朗らかに、光と闇が同居した感覚。曲もいい。

 壷井彰久さんが参加しているいろいろなバンドでの演奏を並べたライヴを聴いた時に思ったのは、御本人が一番やりたくて、楽しそうにやっているのはプログレのバンドなのだが、その音楽家としてのポテンシャルを最も広く深く展開しているのは shezoo さんとのトリニテだということだった。やりたくないことを無理矢理やらされているのではむろん無い。こんなことがやれるのかと自分でも驚いている感覚があったのだ。そしてやってみれば実に楽しい。

 藤野さんも同じところがある。二つ例がそろえば十分だろう。shezoo さんは相手が自分でも気がつかない可能性を引き出し、開拓し、最高の形で提示することが無類に巧いのだ。

 この日はヴァイオリンに桑野聖氏が加わった。あたしはまったくの初見参だが、まず音色がなんともいえずに美しい。こういう膨らみのある弦の音はたまらん。音数は多くないが、適確にツボを押えてくる。これはあたしだけの感覚ではなく、shezoo さんもしきりに強調していた。演っていて、ここに音が欲しいなと思って行こうとすると、すでにヴァイオリンがそこにいるのだそうだ。後半2曲めのワルツ〈So Far 2〉がハイライト。その次の〈永遠〉ではラストの全員の不協和音がいい。

 しかし、最後に凄いものが待っていた。アンコール前の〈ドリーミング > バラコーネ1〉のメドレー、とりわけ後半の〈バラコーネ〉。トリニテではない編成でやったこの曲のベストだったし、トリニテのライヴも含めても、3本の指に入る。何がいいとかはもうわからないくらい、すべてが別次元に跳んでいる。この曲にはこんな位相もあったのだ。引張っているのはヴァイオリンだが、アコーディオンの部厚い音がこれをぐいと持ち上げ、ピアノが全体を下から押し上げる。これはぜひこの編成でライヴ録音を聴きたい。マスクをしているのも完全に忘れていた。

 5ヶ月ぶりのライヴで、マスクを着けたままライヴを見るのはもちろん初めてで、もうわずらわしくてわずらわしくて、二度とこんなこと、誰がするかとまで思ったのだが、こういうのを聴いてしまうと、やっぱりガマンするかという気にもなる。

 昼間のライヴで出ればまだ炎天、影を拾って帰る。やっぱり、生はええ。(ゆ)

Invisible Garden
透明な庭
qs lebel
2020-02-01


 山中さんはこれ以外の3月のライヴは全部中止になり、ほぼ1ヶ月ぶりの公演の由。人前で演奏することの歓びと緊張をあらためて感じたと言われる。あたりまえだったことがあたりまえでなくなると、そのあたりまえが奇跡の連続であることにあらためて気づくのは、演者もリスナーも同じ。

 その緊張感からか、歓びからか、あるいは両方の作用か、演奏の質はさらに上がっている。このレベルの人に延びしろなどというのは失礼だが、このレベルの人が、前より明らかによくなっていると実感させるのは、並大抵の精進の結果ではないはずだ。これまで聴いたことのある曲のはずなのに、まったくの初体験に聞える。そして一つひとつの音、フレーズがくっきりと明瞭でかつ芯が通り、体にぶつかってくる感じさえする。オリジナル曲のベースは津軽三味線なのだろうが、そういう範疇は完全に超えて、三味線という楽器による同時代音楽に他ならない。疫病の流行という現下の事態がその音楽をさらに大きなものにして、音楽はわれわれを、世界を包みこむ。

 山本さんの歌も凄い。これまたこれまでで最高の歌唱だ。唄うことの歓び、唄えることの愉しさに満ち満ちて、滔々と流れこんでくる。山中さんに言わせると、同じ曲でも他の人のは「民謡」だが、山本さんのは歌なのだ。これには深く納得する。「人がそこにいて唄っている」のだ。何かの型にはめようとか、誰かの為に、とかいった他念がない。歌は山本さんの奥から流れ出てくる。山本さんという存在を蛇口としてほとばしる。だから山中さんが伴奏をつけるのは山本さんだけだ。

 山本さんが人前で唄う機会はそう多くないらしい。民謡協会の大会などに出るときは1、2曲が普通だそうだ。ここでは7曲。何を唄うかは何も決めておらず、その場で2人で相談して決めてゆく。それがまたいかにも楽しげだ。〈津軽山唄〉は普通は尺八伴奏でうたうものだそうで、フリーリズムだが、山中さんが三味線でつける伴奏にはどこにも無理がない。

 人間が生きるのに音楽はやはり必要なのだ。人はパンのみにて生くるものにあらず。しかり、人が人らしく生きるには音楽は必須である。そして音楽とは生が基本。ライヴは文字通り、なにものにも替えがたい。

 山本さんと山中さんのMCがまた巧い。ウケようという雑念は無いが、ウケるだろうことを冷静に計算してもいる。たくらんでいるのか、いないのか、いや、やはりたくらんでいるのだろうが、そうとは見せない。そこが気持ちいい。

 大いに笑わせてもらい、最高の音楽を聴かせていただき、免疫力もぐんと上がった気分。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

山中信人:三味線
山本謙之助:歌

 いや、もう最高。さいこう。サイコー!

 対バンの楽しみは片方が初体験の時が一番愉しい。tricolor はいろいろな場で見ていて、録音も聴き込んでいる。かたや kuumori はメンバーすら知らなかった。むろん、故意に知らなかったのだ。

 先行は tricolor。いきなり〈アニヴァーサリー〉で始めるという反則技。と思ったら、長尾さんが、今日はどれくらいはじけられるかがテーマです、と言って、マスクをして歌をうたう。お客として来ていた熊谷太輔さんを呼びこんで、1月、同じハコでやったセッション・ライヴの時にやった曲、長尾さんの〈Hare's March〉をやる。kuumori のドラマー、長尾さんとは旧知の田嶋トモスケさんをゲストに迎える。全体に、演奏のテンションがいつになく高い。たしかにはじけている。このトリオはどちらかといえば、肩に力の入らない、ぶだん着の音楽をぶだん着のままで演奏するのが身上で、またそれがライヴでも魅力だった。今回は気合いがどんと入っている。ライヴができる歓びがそのまま音にあらわれている。

 それを浴びるこちらも嬉しい。〈アニヴァーサリー〉が始まったとたん、全身の力がほーっと抜ける。不足していた栄養分を注入されて、ココロとカラダが歓んでいる感覚がひしひしと湧いてくる。飢えていたのだ。生演奏に、ライヴに。生演奏そのものは、02/22のいーぐるでのイベントで、三味線を1曲聴いているけれど、それくらいでは、むしろ飢餓感をかきたてられる方が大きかった。そうだ、やはりぼくらには音楽が必要なのだ。ライヴが必要なのだ。こういう危機の時にこそ必要なのだ。百年前の関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行の演奏に、人びとが家々から飛びだしてきて、大歓迎したという話を思い出す。

 ぼくらは危険がいっぱいの世界に生きている。今は新型コロナがクローズアップされているけれど、温暖化による極端な気象はいつなんどき災厄を生みかねない。去年の台風では相模川は文字通りのぎりぎりセーフだったけど、今年も大丈夫という保証は無い。それに、いずれ近いうちに地震もくる。要はリスクの大きさを見定めて、バランスをとって生きてゆくしかない。

 新型コロナは正体がわからず、我々に免疫が無いことが不安を生んでいるわけだが、免疫は感染しなければ獲得できない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。病気にかかりたくはないが、かかるときはかかる。新型コロナで死ななくても、がんで死ぬこともある。専門家によれば、この新型コロナウィルスが消滅することは無い。これから数年の間にわが国の大多数の人間が一度は感染する。できることは爆発的感染のピークの山をできるだけ低く、遅くすること。それは成功しつつあるように見えるけれど、一方でピークが長く延びる可能性もある。

 いずれにしても、いくらマスクをつけても、感染しない保証など無い。それはインフルエンザやノロも同じ。どちらもやはり治療法は無い。症状が出れば対症療法しかできない。個人としてできることは、感染しないことよりも、感染しても症状が出ないようにすることだ。つまり、免疫力を上げるように努めることだ。

 免疫力を上げる一番手っ取り早い方法は笑うことである。アメリカの編集者として有名なノーマン・カズンズは免疫疾患のひとつとされる膠原病を喜劇の映画を見て笑うことで治し、『笑いと治癒力』を書いた。

 もう一つ、手軽な方法は感動することだ。文学でも美術でもパフォーマンス芸術でも、何でもいい、感動すること。カタルシスはその一部、おそらくは重要な部分だが、それに限られないだろう。どちからといえば感涙にむせるよりも、おもしろかったあ\(^O^)/と万歳する方がたぶん効果的。

 kuumori のライヴは最高の音楽と至高の笑いを結びつけて、免疫力向上機能をこれ以上ないほどたっぷり備えていた。音楽を聴きながら、こんなに気持ちよく笑ったのは、ほんとうに久しぶりだ。かれらはコミック・バンドではない。冗談を連発するわけでもない。音楽だけとりだせば、技術も志もセンスも第一級のクオリティだ。何よりも音楽の根柢に潜む「狂気」を表面すれすれに湛えている。

 どこか「狂って」いない音楽はBGMでしかない。耳を傾むけるに価する音楽には狂気が宿る。狂っている場所も狂い方も様々だが、必ずある。モーツァルトもジョン・レノンもマイルスも、皆、狂っていた。

 kuumori の4人のメンバーはそれぞれに狂気を表に出す。長尾さん流に言えば、はじける。最も派手にはじけていたのはバンジョーの桑原達也(以下敬称略)。デヴィッド・ボウイにちょっと雰囲気が似ている。バンジョー自体はベラ・フレックも真青。ダブル・ベースの刀禰和也は特定の条件下ではじけることにしているらしい。そのベースの骨太なことは、あたしは生ではこれまで聴いたことがない。ドラムスの田嶋友輔は、久しぶりに見るけれど、ドラマーとしての器がぐんと大きくなっている。刀禰+田嶋の生みだすグルーヴの快感こそは、狂ったリズム・セクションの真骨頂。そして、リーダーとして一見一番おちついているように見えるギター(マヌーシュ・ジャズで使う、穴が小さな楕円形のアコースティック・ギター)&ヴォーカルの加勢明は、たぶん、狂い方が一番徹底している。

 歌がまたいい。日本語ポピュラー・ソングの王道ど真ん中を行くメロディに、視点を巧妙にずらした、予想を裏切る歌詞をのせる。唄いあげるのではなく、むしろ、坦々と唄う。静かな狂気だ。

 始まった途端に思わず座りなおしたが、一発がんとまともにくらったのは3曲めの〈ブルーグラス〉。このバンドの素顔が現れた。バンジョーのソロに背筋に戦慄が走る。その後はもうずっと上がりっぱなし。繰り出される曲のどれもこれもびんびんと響いてくる。7曲目〈ビューティフル〉からアニーがアコーディオンで参加し、音の厚みがぐんと増す。バンジョー桑原とアニーの丁々発止も底抜けに愉しい。アンコールでは桑原が頭のうしろでバンジョー・ソロをかませば、アニーもあのでかいアコーディオンを頭に載せて弾く。

 kuumori のはじけ方が頂点に達したのは、〈さおり行きの各駅停車〉での桑原のパフォーマンスで、満場爆笑の渦。

 ああ、これですよ。ライヴの愉しさ、ここにあり。もちろん、いろいろな条件がうまく重なった。良い条件とばかりは限らない、悪い条件もまたポジティヴな作用をしていた。それも含めてすべてがうまくはまり、回転したときのライヴは、ここまで行けるのだ。こうなれば、ウィルス、何するものぞ。

 演っている方も気持ち良いのだろう、演奏は終る気配もなく続き、とうとう打ち上げた時にはすでに23時。最終深夜バスに乗るため、挨拶もそこそこに、下北沢駅への坂道をダッシュするのもまた愉しからずや。ミュージシャン、空飛ぶこぶたやのスタッフ、そして共にライヴを愉しんだお客さんたちに、感謝また感謝。(ゆ)

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