クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:日本語

 macOS Sonoma 14.0 でも AquaSKK は問題なく使える。

 毎度のことながらほっとする。

 入力ソースを変更するごとにカーソルのあるところに小さくアイコンが出る。ちょとわずらわしいが、切る方法がわからない。

 ついでながら、ドックの「最近使ったアプリ」が正常に動作するようになった。ドックを再起動しなくてもすむ。(ゆ)

2023-09-30追記
 ドックの「最近使ったアプリ」はやはりダメで、Mac を一度眠らせたりすると、再起動しないと正常に動作しない。




 正直なところ、大部分はあたしにはそこまでの必要はありません、というレベルの話である。これはやはりレファレンスを仕事とする人が最も重宝する、ありがたさを実感する本だろう。

 とはいえ NDL 国会図書館の人文リンク集とパスファインダーを教えてもらっただけでも読んだ甲斐があったというものだ。この2つを使いこなせれば、それだけであたしなどはまずたいていの用は足りるだろう。

 というよりも、それよりも細かく突込んでゆく部分は、せめてこの2つをある期間使ってみて 経験を積んでからでないと、ああそうか、とはならない。内容はまことにプラクティカル、具体的で、しかも一番のキモ、コツはちゃんと抽象化され、応用が効くように説明されている。一方でそれが徹底しているので、実際に自分で必要にかられてやってみないと、実感が湧いてこない。

 とはいえ、当地の市立図書館程度の規模以上の図書館には必備であろうし、あたしのまわりで言えば、編集者、翻訳者、校正・校閲担当者は一度は目を通すことを強く薦める。

 もっとも翻訳上の疑問、調べものは、これまでのところ、とにかくネットの検索をじたばたとやっていれば、なんとかカタがついた。小説の翻訳なら、それですむだろう。少しややこしいノンフィクションをやろうとすると、ここで開陳、説明されている手法がモノを言うかもしれない。

 それにしても、日本語文献のデジタル化はようやくこれからなのだ。NDL の次世代デジタルライブラリーに期待しよう。著者も言うように、戦前からの官報のデジタル化はまさに宝の山になるはずだ。

 148頁に「日本語図書は索引が弱いことにかけて定評がある。」とあるのには、膝を打つと同時に吹き出してしまった。もっとも本書で藤田節子『本の索引の作り方』地人書館の存在を教えられたのには躍りあがった。幸い、地元図書館にあったので、早速借出しを申し込んだ。

 日本語図書に索引が弱いのはやむをえない部分もある。なにせ明治になって初めて入ってきた概念だし、もともと東アジアの知的空間では索引の必要性が薄いからだ。つまり中国に索引が存在しなかったからだ。「索引」ということばからして明治に作られたものらしい。『広漢和』には明治以前の用例が無い。

 ヨーロッパで索引が発達したのは聖書のせいだ。ある言葉が聖書のどこにあるか知る必要が生じたことから生まれた。このあたりは Index, A History Of The, by Dennis Duncan に詳しい。つまり、キリスト教の聖職者は新約だけでも全巻暗記できなかった、ということになる。中国で索引が生まれなかったのは、必要がなかったためだろう。つまり中国の教養人、士大夫は、四書五経だけでなく、その注釈本、詩文、史記以来の史書など「万巻の書」を暗記していたわけだ。アラビアの学者たちも、必要な本は全部頭に入っていた、と井筒俊彦が書いている。あるいはキリスト教の聖職者たちは、聖書を暗記するには忙しすぎたのかもしれない。むろん、中には、ちゃんと頭に入っていて、自由自在に引用できる人間もいたはずだ。 この場合、憶えるのはウルガタ、ラテン語訳のものだったろう。

 ここで扱われるのは日本語の書物、雑誌に現れている情報である。一番調べにくいのが明治大正というのは意外だったが、関東大震災による断絶があるといわれると納得する。空襲による戦災でかなりの書物が消えたというのは承知していたが、関東大震災は盲点だった。前近代、江戸までの場合には質問の出所は近代文献で、範囲が限定されるので、かえって調べやすい。つまり、我々はそれだけ過去の文物と断絶されている。

 英語ネイティヴは16世紀のシェイクスピアをすっぴんでも読める。我々は16世紀に書かれた書物を生では読めない。19世紀半ばまでに書かれた文書を読むには、専門的な訓練が必要になる。学校でならう古文では歯が立たない。たとえ古文で常に満点をとっていてもだめだ。その点では漢文の方がまだ役に立ちそうだ。つまり、中学・高校で習う漢文を完璧にマスターすれば、あとは根気さえやしなえば、史記を原文で読むことはできるのではないか。

 実際には明治になってから書かれた文書でも読めないものが多い。漱石はまだいい。鷗外を読むにはそれなりの準備が要る。露伴を読めるのは、これまた専門家ぐらいだろう。

 つまり、我々が生きている時空はひどく狭いものであることを、あらためて思い知らされる。まあ、空間は多少広がったかもしれない。しかし、その空間は「ただの現在にすぎない」(118pp.)。仏教でいう「刹那」でしかない。そのことは忘れないでおこう。

 本書の内容に戻れば、かつてはベテランのレファレンス司書が必要だったことが、デジタル化のおかげで、ど素人でも、この本にしたがってやればかなり近いところまで行けるようになった。場合によってはより突込んだレファレンス、リサーチができる。調査の専門家でなくても、深く掘ってゆけるようになっている。あとは資料、文献のデジタル化をどんどんと進めていただきたい。とりわけ新聞、雑誌の広告を含めたデジタル化を進めていただきたい。これはすぐに見返りがある仕事ではない。しかし日本語の文化の未来にとっては不可欠の作業だ。(ゆ)

 ようやく掲題の原稿を脱稿して、版元に渡したところです。

 Jonathan Bardon の A History Of Ireland In 250 Episodes, 2008 の全訳です。版元はアルテスパブリッシング。今年のセント・パトリック・ディ刊行はちょと難しいかなあ。




 バードンはノーザン・アイルランド出身の歴史家で、これは250本の短かい話をならべて、アイルランドに人間がやってきた紀元前7000年ないし6500年頃から1965年1月、当時の共和国首相(= ティーシャック)ショーン・レマスとノーザン・アイルランド首相テレンス・オニールの会合までを語った本です。

 歴史になるにはどれくらい時間的な距離が離れればいいのか。歴史家は通常50年、半世紀という数字を出します。直接の関係者が大部分死んでいるからでしょう。とすれば1960年代までは歴史として扱えることになり、本文を1965年でしめくくるのは適切ではあります。

 もともとは同題のラジオ番組があり、2006年から2007年にかけて、BBCアルスタのラジオで毎週月曜から金曜まで1回5分で放送されました。バードンはその放送台本を担当し、その台本をベースにして書物として仕上げています。ただし放送は240回、第二次世界大戦開戦を告げる英国首相ネヴィル・チェンバレンの国民向けラジオ放送で終りでした。バードンはその後に10本書き足して1965年までを描き、さらにエピローグで21世紀初頭までカヴァーしています。

 本書にはオーディオ・ブックもありますが、放送されたものをそのまま使っているので、そちらは240話までで終っています。単なる朗読ではないので、聞いて面白いですが、その点はご注意を。 

 1回5分ですから、各エピソードは短かく、さらっと読めます。放送を途中から聞いたり、時々聞いたりしても話がわかるように一話完結になってもいます。本の方もぱらりと開いたページから読めますし、頭から通読すればアイルランドの歴史を一通り読むことができます。

 一方、内容はかなり濃くて、ここで初めて公けになった史実もありますし、おなじみの事件に新たな角度から光があてられてもいます。14世紀にダーグ湖に巡礼に来たスペインはカナルーニャの騎士や17世紀末にコネマラまで入ったロンドンの書籍商の話などは、たぶん他では読めません。エピソードとはいえ、噂や伝説の類ではなく、書かれていることにはどんなに些細なことでもきちんとした裏付けがあります。歴史書として頼りになるものです。イースター蜂起のようなモノグラフが公刊されているものは別として、ほぼあらゆる点で、アイルランドの歴史についての日本語で読める文献としてはこれまでで最も詳しいものになります。

 短いエピソードを重ねる形は歴史書としてなかなか面白い効果を生んでもいます。通史としても読める一方で、一本のつながった筋のある物語というよりは、様々な要素が複雑にからみあって織りなされている様子が捉えやすくなることです。物語にのめり込むのではなく、一歩退いたところで冷静に見る余裕ができます。

 歴史は無数のできごと、要素が複雑多岐にからみあっているので、すっきり一本の物語にまとめようとするのは不可能、無理にそうしようとすると歪んでしまいます。最大の弊害は物語に落としこめない要素が排除されてしまうことです。そして歴史にとって本当に重要なことが、本筋とされる流れとは無関係に見える要素の方にあることは少なくありません。あるいは、一見傍流の、重要でもないと見えた要素が後になってみると、本筋だったこともよくあります。

 さらに加えて、ベースとする史料そのものからして、初めからバイアスがかかっているのが普通です。またどんなに避けようとしても、書いている本人の歴史をこう見たいという願望が忍びこみやすい。どんな人でも、人間である以上、そうした感情は生まれて当然なので、自分はそんなことはないと思っている人ほどその罠にはまるものです。通史を書くのは難しく、書く人間の力量が試されますし、本当に良い通史がめったにないのもわかります。

 この本では話は連続はしていますが、一本の筋にはなっていません。話が切りかわると、視点が変わりもします。歴史を織りなす何本もの筋があらわれてきます。著者もこの手法のメリットに味をしめたのでしょう、同様の手法でアイルランドとスコットランドの関係史も書いています。

 あたしは本が2008年に出たときに買って読んでみました。アイルランドの一冊本の通史は何冊も出てますが、どれがいいのかよくわからず、手を出しかねていたので、これはひょっとすると面白いかもと思いました。届いてまずその厚さにびっくりしましたが、読みだしてみると実に面白い。一話ずつは短かいので、ショートショートでも読む感覚。どんどんと読めてしまいます。史料の引用のやり方も巧い。ほとんど巻擱くあたわず、というくらいのめり込みました。

 ちょうどその頃はヒマでもあったので、自分の勉強のためにもと日本語に訳すことも始めてみました。可能な時には翻訳にまさる精読はありません。最初の訳稿がほぼできあがった頃、大腸がんが発覚して九死に一生を得る、同時に東日本大震災が重なるということがありました。恢復の日々の中で再度訳稿を読みなおして改訂するのが支えの1本にもなってくれました。

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 その後、訳したところで満足し、他の仕事も入ったりして、しばし原稿は眠らせていました。何かの雑談のおりだったか、もう記憶からはすっぽり落ちていますが、とにかくアルテスパブリッシングのSさんにこんなのがあるんだけどというような話をしたのでしょう。Sさんが乗ってきて、それはウチで出そうという話になったのがもう数年前。それならもう一度、きちんと出すつもりで見直さねばいけない、ということで、他の仕事の合間を縫って、ぼちぼちとやっていたわけです。その間、思いもかけず山川出版社から『アイルランド史』という日本語で読める信頼できる通史も出たので、固有名詞を中心に日本語の表記をこれに倣うようにする作業も入りました。昨年春も過ぎる頃になってようやくまとまった時間がとれるようになり、あらためて馬力をかけて改訂を進めて、ようやくまずはこれ以上よくできないというところまで来ました。
 アイルランドの歴史は海外との関係の歴史です。ことが島の中だけですむなんてことはまずありません。偽史である Lebor Gabala Erenn = アイルランド来寇の書が「史実」と長い間信じられていたのも、この島には繰返し波となって様々な人間たちがやってきたと語る内容が、アイルランドの人びとの皮膚感覚にマッチしたからでしょう。

 対照的に我々日本列島の住民は、列島の中だけで話がすむと思いたがる傾向があります。実は昔から列島の外との関係で中の事情も決まってきているわけですが、そうは思いたくない。アイルランドの歴史とならべてみると、よくわかります。もっともこの列島がもっと南に、たとえば今の沖縄本島の位置に本州がある形だったら、アイルランドのように大陸との関係が遙かに密接になっていたでしょう。今の位置は北に寄っていて、大陸との北の接点の先は文明の中心からはずっと離れ、人口も希薄でした。これが幸か不幸かは時代によって、見方によって変わってきます。

 アイルランドに戻れば、表面的にはその歴史はお隣りとの紛争の連続のようにも映りますが、必ずしも一方的な関係でもありません。また小さな島なのに、その中が一枚岩になったこともないのも興味深い。「うって一丸になろう」なんてことは思いつきもしない人たちなんですね、この島の住人は。常に何らかの形で異質な要素が複数併存していて、それがダイナミズムを生んでいます。つまり、この島では常にものごとや考えが流動していて、よどんで腐ることがありません。

 17世紀以降、アイルランドからは様々の形で大勢の人間が出てゆき、行った先で増えて、アイルランドの文化を伝えることになりました。出ていった人たちは望んで出たわけではありませんし、その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったことは明らかですけれど、時間が経ってみると、ディアスポラは必ずしもマイナスの面ばかりでないこともまた明瞭です。むしろ、ディアスポラ無くして、現在のアイルランドの繁栄は無いとも言えそうです。その点ではユダヤ人が生きのびたのはディアスポラのおかげであることと軌を一にします。ひょっとすると、マイノリティが生きのびるにはディアスポラが不可欠なのかもしれません。少なくとも現在のアイリッシュ・ミュージックの繁栄はディアスポラのプラス面が現れた例の一つでもあります。

 アイルランドという面白い国、地域の歴史を愉しく通覧もできるし、ディテールに突込む入口にもなる本だと、あたしは思います。乞うご期待。(ゆ)

 検索しても出てこないので、念のために書いておく。AquaSKK は macOS Ventura でも問題なく動く。まことにありがたいことである。すべてのアプリで試したわけではないが、Jedit Ω、mi、CotEditor、Pages、egword universal 2、メール、Safari では問題ない。すべて最新ヴァージョン。AquaSKK は 4.7.4 (=4.7.3)。SNS やチャット・アプリは試していない。不悪。(ゆ)

08月14日・日
 公民館に往復。本を3冊返却、4冊受け取り。借りた本はいずれも他の図書館からの借用なので、2週間で返さねばならない。家人が横浜市内に勤めていたときには、横浜市立図書館から借りられたので、自前でまかなえたから延長できた。県立から借りたのが一度あったくらいだ。『宮崎市定全集』全巻読破できたのも、そのおかげだった。厚木はビンボーで、図書館蔵書も少ない。

 ワシーリー・グロスマンの『システィーナの聖母』は茅ヶ崎市立図書館から。所収のアルメニア紀行を確認するため。これは後3分の1ほどを占める。ということで買うことにしよう。が、NYRB 版は NYRB original で、160ページあるから、邦訳よりは分量がありそうだ。英訳も買うか。グロスマンの本としては The People Immortal も邦訳されていない。『人生と運命』の前にあたるのが Stalinglad で、The People Immortal が扱うのはさらに前のバルバロッサ作戦酣で赤軍が敗走している時期だそうだ。そこで、いかなる手段を用いてもナチス・ドイツ軍の進攻を止めろと命じられたある師団の話、らしい。

システィーナの聖母――ワシーリー・グロスマン後期作品集
ワシーリー・グロスマン
みすず書房
2015-05-26

 
Stalingrad
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11

 
The People Immortal
Grossman, Vasily
MacLehose Press
2022-08-18



 アンソロジー『フィクション論への誘い』は横浜市立図書館から。師茂樹氏のエッセイを読むため。プロレスについて書いている。一読、こよなく愛するファンであることがひしひしと伝わってくる。
 プロレスにまつわる記憶では、学生の時、なぜか高田馬場で友人とたまたま夕飯を食べに入った食堂のテレビで、猪木の試合を中継していた。見るともなしに見ていると、いかにもプロレスと思われるまったりとした進行だったのが、ある時点で猪木が「怒る」ことでがらりと変わった。中継のアナウンサーが「猪木、怒った、怒った」と、いかにもこれはヤバいという口調になった。つまりヒールの反則が過ぎたのに猪木が怒った、というシナリオ(「ブック」と呼ばれるそうだ)だったのだろう、と後で思いついたのだが、その時の猪木の変身、本気で怒っている様子、それによる圧倒的な強さは見ていてまことに面白いものだった。後でああいう台本だろうと思ってはみたものの、その瞬間はいかにも猪木が怒りのあまり、そうした打合せや台本を忘れはてて、本気を出しているとしか見えなかった。師氏がここで言うように、本当に思わず本気で怒ってしまったのかどうか、わからないところはまた面白いが、あの猪木の変身ぶりは、プロレスも面白くなるものだ、というポジティヴな印象を残した。猪木といえば、河内音頭の〈アントニオ猪木一代記〉が真先に出てくるのだが、その次にはあの時の印象が湧いてくる。

 ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』上下は鎌倉市立図書館から。第三部『エピローグ』をカットした形。訳者の紹介によればカットするのも無理は無いとは思われる。これもまた未完なのだ。完成しないのは20世紀文学の宿命か。プルーストもムージルもカフカも未完。『鉛の夜』に使われた部分もある由。この上下を2週間では読めないから、買うしかないな。

岸辺なき流れ 上
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28


岸辺なき流れ 下
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28



%本日のグレイトフル・デッド
 08月14日には1971年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 アンコールの1曲目〈Johnny B. Goode〉の前にデヴィッド・クロスビーのために〈ハッピー・バースディ〉が演奏された。これと続く〈Uncle John's Band〉の2曲のアンコールにクロスビー参加。
 オープナーの〈Bertha〉が《Huckleberry Jam》のタイトルの1997年の CD でリリースされた。限定2万枚でベイエリア限定販売。1960年代末にアメリカで最初の家出少年少女のための避難所としてオープンされた Huckleberry House の資金援助のためのベネフィットCD。

2. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.35ドル。開演7時。
 第一部6曲目で〈Easy To Love You〉がデビュー。ジョン・ペリィ・バーロゥ作詞、ブレント・ミドランド作曲。1980年09月03日で一度レパートリィから落ち、1990年03月15日に復活して1990年07月06日まで、計45回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。ミドランドの曲でデッドのレパートリィに入った最初の曲。バーロゥとの共作としても最初。演奏回数では〈Far from Me〉の73回に次ぐ。
 この初演ではウィアがほぼ同時に〈Me and My Uncle〉を始める。ウィアは第二部2曲目〈Ship of Fools〉でも〈Lost Sailor〉を歌いだすので、おそらくは意図的、少なくとも2度目は意図的ではないか、という話もある。
 ショウ全体は良い出来。

3. 1981 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 金曜日。この日がシアトル、翌日ポートランド、その次の日ユージーンと、北西部3日間の初日。9.50ドル。開演7時。
 第二部で4曲目〈Playing In The Band〉の後の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がとんでもなく速かった。

4. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。22.50ドル。開演7時。
 第二部が始まるとともに霧が立ちこめて、そのため第二部は〈Cold Rain And Snow〉〈Box Of Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いたので、聴衆は大喜び。さらに〈Crazy Finger〉をはさんで〈Estimated Prophet〉でウィアが "I'll call down thunder and speak the same" と歌うのと同時に、ステージの遙か後方のシエラ・ネヴァダの麓の丘の上で稲妻が光った。(ゆ)

08月13日・土
 Yiyun Li の新作 The Book Of Goose。FSG のニュースレターから PW のレヴューを読む。1996年、中国からアメリカに移住。ウィキペディアに記事があり、邦訳も5冊ある。エリザベス・ボゥエンが書評している第2次大戦後にフランスでいっとき流行った十代の著者による小説の1本に引っかかり、この本にまつわる話をネタとして書いた架空の歴史小説。ボゥエンが評した実在の本の著者の少女は文盲であることが後に判明する。リーの小説ではこれを巧妙にアレンジしている。面白そうだ。完全に第二言語で小説を書く、という点ではコンラッドの後継の一人。ユキミ・オガワもそうだな。

The Book of Goose: A Novel (English Edition)
Li, Yiyun
Farrar, Straus and Giroux
2022-09-20

 

 八木詠美の『空芯手帳』が Diary Of A Void として英訳されたのも PW の starred review にある。原書は筑摩で各国語版の版権がどんどん売れているらしい。いろいろな意味で国境は薄れている。


 
空芯手帳
八木 詠美
筑摩書房
2020-12-02



%本日のグレイトフル・デッド
 08月13日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 West Park, Ann Arbor, MI
 日曜日。午後のショウで、あるいはフリー・コンサートか。詳細、セット・リスト不明。

3. 1975 The Great American Music Hall, San Francisco, CA
 開演9時。この年4本だけ行なったグレイトフル・デッドとしてのショウの3本目。少数の招待客を相手に、翌月リリースの新譜《Blues For Allah》の全曲を演奏した。曲順はアルバム通りではなく、全体に散らされた。〈King Solomon's Marbles〉は第一部クローザー、〈Blues for Allah〉が第二部クローザー。
 全体が《One From The Vault》でリリースされた。このアーカイブ・リリースはショウの全体が丸々公式にリリースされた初めてのもの。
 FM放送されたため、早くからブートレグがあり、テープも広く出回っていた。
 第一部4曲目で〈The Music Never Stopped〉がデビュー。
 バーロゥ&ウィアの曲で、1995年06月28日まで233回演奏。演奏回数順では58位。〈Dark Star〉より3回少なく、〈Dire Wolf〉より6回多い。タイトル通り、デッドの音楽は止まらないことを象徴する1曲で、セットやショウのクローザーまたはオープナーになることが多い。
 デッドの曲はまずライヴでデビューして最低でも1、2年は揉まれてからスタジオ盤に入ることが多いが、これは珍しく、レコードのために書かれている。
 《Blues For Allah》全体が、白紙状態でスタジオに入ってから曲を作るという手法で制作されたので、このアルバムの曲はどれもライヴで練られてはいない。そのせいか、レパートリィに残った曲も他のレコードに比べて少ない。
 オープナーの〈Help on the Way〉はヴォーカル入りではこれが初演。
 ヴェニューは収容人員470のコンサート・ホール。元は1907年に建てられたホールで Blanco's という名称。一時、Misic Box と呼ばれた。1972年、改修されてこの名前になる。ロックだけではなく、ジャズ、フォーク、カントリー、レヴュー、バーレスクなど演し物は幅広い。当初はジャズが多かった。この日デッドとして出る前にガルシアはマール・ソーンダースやリージョン・オヴ・メアリ、ジェリィ・ガルシア・バンドでも出ている。

4. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.35ドル。開演7時。
 レッド・ロックスで3日間の予定だったが、雨が降りやまず、使えなくなって会場が変更になった。
 アンコール〈Sugar Magnolia〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

5. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。17ドル。開演7時。
 珍しくもアンコールに3曲。

6. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。22.50ドル。開演7時。
 出来は良いようだ。一度は聴く価値があるとのこと。(ゆ)

06月19日・日
 山村修の本をあらためて読んでいる。この人は本当に惜しかった。〈狐〉名義による書評はもちろんだが、それ以外のエッセイがすばらしい。『遅読のすすめ』には大笑いしながら、膝を叩き、唸り、そして、励まされた。そうだ、本はゆっくり読んでいいのだ。いや、ゆっくり読むべきだ。数ではない。著者が何年も、ときには何十年もかけてようやくできた本を、そんなにあわてて読みいそぐのはむしろ失礼ではないか。相応の敬意を払い、その本にふさわしいテンポで読むべし。たくさん読みたいという欲求は否定しないが、だからといって無闇に急ぐのも本末転倒だ。

 それにしても、初めの方の『猫』の引用にはやられた。腹を抱えて、げらげら笑ってしまう。こりゃあ、やっぱりまた読まなくちゃ。

 『気晴らしの発見』がまた凄い。大宅壮一のこんな文章を見つけてくるのには脱帽するしかない。ベンヤミンは気晴らしを芸術の対極においたが、ここでは気晴らしが芸術の域に達している。ベンヤミンも気晴らしのこういう位相に気づいていたら、自殺することもなかったんじゃないか。

 ひいおばあさん同士が姉妹という中野翠が、青空を見る人というのがまたいい。あたしは真青な空よりも雲が浮かんでいる方が好きだが、空を見る気分はわかるつもりだ。近頃周りを見ていると、どうも皆さんうつむいてばかりいるようでもある。たまには顔を上げて、空を見てはいかが。気は勝手に晴れてくれない。晴れるように工夫をして、きっかけを作る必要はある。『鬼平』にも出てくるが、まず笑ってみる。絶体絶命の状況で笑うことで余裕を作る。こういうところ、やはり池波はわかってるなあ、と感心する。戦争体験だろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月19日には1968年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

01. 1968 Carousel Ballroom, Francisco, CA
 水曜日。前売1.50ドル、当日2ドル。開演7時半。共演リッチー・ヘヴンス。Blackman's Free Store のためのベネフィット・イベント。ポスターには "Gratefull Dead" とある。
 セット・リストとして、前半〈Turn On Your Lovelight〉で始まり、〈Not Fade Away〉からまた TOYL に戻るもの、後半、〈Playing In The Band〉から〈Dark Star> The Other One〉をテーマとしたジャムになるもの、が残っている。ここから NFA と PITB の初演とされている。
 〈Not Fade Away〉はこれ以前に、《Rare Cuts & Oddities 1966》に収録された、1966年初めの日付場所不明の録音がある。これも含め1995-07-05まで計565回演奏。演奏回数順では5位。〈Sugar Magnolia〉より36回少なく、〈China Cat Sunflower〉よりも7回多い。スタジオ盤収録無し。アナログ時代のライヴ盤にも収録は無い。クレジットは Norman Petty and Charles Hardin。Hardin はバディ・ホリーが作曲者として用いた名前。Petty はホリーのマネージャーでおそらく名義のみ。The Crickets の1957年のシングルはヒットせず。ローリング・ストーンズが1964年に出したシングルがヒットした。
 当初はピグペンの持ち歌で、後にウィアが受け継ぐ。クローザーになることも多く、その場合、最後のコーラスに聴衆が声と手拍子を合わせ、バンドがステージから去っても延々と続けて、バンドを呼びもどす、というケースがよくある。
 〈Playing In The Band〉はハンター作詞、ウィア作曲。1995-07-05まで計610回演奏。演奏回数順では2位。〈Me and My Uncle〉よりも14回少なく、〈The Other One〉〈Sugar Magnolia〉よりも9回多い。バンドのオリジナル曲としては1位で、文句なくデッドのレパートリィを代表する曲。スタジオ盤はウィアのソロ・ファースト《Ace》収録。ただし、こちらでは歌詞が若干変えている。ハンターが書いた通りのヴァージョンとしては《Skull & Roses》収録のものがある。デッドとしてのスタジオ盤には収録無し。
 デッドの曲は演奏が重なるにしたがって姿を変えてゆくが、この曲はその中でも最も大きく変わったものだろう。当初は5分以内で終る歌だったものが、1972年のヨーロッパ・ツアーの間に中間の集団即興、ジャムの部分が膨らみだし、1973年から、74年頃には30分に及ぶモンスターになる。さらに、途中で他の曲が挿入されるようになり、挿入される曲が複数になって、第二部全体あるいはショウ全体をはさむ。ついにはコーダに復帰するのが複数のショウにまたがるまでになる(とうとう復帰しなかったこともある)。デッドの定番曲の録音を年代順に聴いてゆくのはたいへんに愉しいが、この曲の聴き比べはとりわけ愉しい。
 ウィアの曲らしく、メロディもユニークで、アメリカというよりはイングランドの曲に聞える。フェアポート・コンヴェンションあたりがやってもおかしくない。

02. 1976 Capitol Theatre, Passaic, NJ
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。8.50ドル。開演7時半。
 全体が《June 1976》でリリースされた。

03. 1980 West High Auditorium, Anchorage, AK
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。アラスカ州での公演はこの時のみ。聴衆の半分は本土からやってきたデッドヘッド。当時アラスカでは個人的にマリファナを栽培することは合法だったので、自家製ポットでもてなすモーテルのおやじもいたそうな。
 ショウは見事なもの。

04. 1987 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 そうそう、〈Samson & Delilah〉のコーラスで "Tear this old building down" の "down" をガルシアが「ダウゥゥゥゥン」と伸ばす時は調子が良い証拠。

05. 1988 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 日曜日。このヴェニュー4本連続のランの初日。開演7時。
 第二部オープナーで〈Foolish Heart〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。1995-06-27まで84回演奏。スタジオ版は《Built To Last》収録。
 熱く、乾燥した日で、駐車場が舗装されていないので、舞い上がった土埃が会場の中に飛んできた。人呼んで「ダスト・ボウル・ショウ」。1時間遅れで始まり、第一部は短かかったが、第二部はすばらしい。

06. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。
 第一部クローザー〈Bird Song〉、第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉を初め、非常に良いショウの由。

07. 1991 Pine Knob Music Theatre, Clarkston, MI
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。23.50ドル。開演7時半。
 第二部2・3曲目〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉、Space 後のクローザーを含む3曲の計5曲が《Download Series, Vol. 11》でリリースされた。

08. 1993 Soldier Field, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティング前座。開演6時。
 非常に良いショウの由。

09. 1994 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。28.50ドル。開演2時。Cracker 前座。第一部4曲目〈El Passo〉でウィアがアコースティック・ギター。
 この時期でもこれが最初のショウで人生が変わったという人がいる。

10. 1995 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 月曜日。33.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。ボブ・ディラン前座。(ゆ)

04月15日・金
 世の中には「手紙の書き方コンサルタント」という商売の人もいるそうな。しかしこれを称する人物でも縦書きはカッコいいことや、インク・ブロッターの存在を「発見」したりしている。そのこと自体は寿ぐべきことではあろう。知らないことを知ることはいいことだ。しかし、コンサルタントでもブロッターを知らなかったり、縦書きを敬遠したりするということ自体は、喜んでもいられない。万年筆やインクがこれだけブームになっているのに、ブロッターの存在は忘れられているのか。それはつまり、インクや万年筆は買うけれど、万年筆やインクで実際に文字を書いてはいない、ということではないか。
 あるいはこの人のように、縦書きで書くことで初めてブロッターの必要性に気づくのだろうか。しかし、ブロッターは日本の発明ではない。インクで書いたなら、ブロッターつまり吸い取り紙で余分なインクを除いて、書いたものがかすれたり、滲んだりしないよう防ぐのは当然の手順だ。そこまでしてインクで書く作業が終る。自然に乾くのを待つのではない。その点は墨とは異なる。
 日本語の文字は縦書き用にできている。横に書くことがデフォルトになったのはごく最近、せいぜいが今世紀に入ってからのことだ。文字を使うようになって以来、千年以上、我々は縦に書いてきた。だから縦に書く方が圧倒的に楽なのだ。嘘だと思うなら、何でもいい、自分が書いたツイッターや LINE のメッセージでもいいから、縦書きと横書きで手書きしてみればわかる。書きやすいから、縦書きの方がきれいに書ける。横書きで字がヘタ、汚ないというのは無理もない。横書きで日本語を美しく書くには訓練が要る。縦書きで美しく書くのは、ある程度の量を書けば誰でもできるようになる。どれくらいの量を書けばそうなるかは人によって異なるにしてもだ。
 縦書きの方が書きやすい理由はもう一つあって、かな漢字混じり文だからだ。日本語以外の言語は使う文字は一種類だ。漢字やハングルだけなら縦でも横でもそう変わらない。日本語は最低でも3種類使う。とりわけひらがなとカタカナは縦書き用に考案されている。日本語の表記は漢字とかなをつなぐ形を工夫している。 
 書くだけでなく、読むのも縦組の方がずっと楽だし、速く読める。というのはまた別の話。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月15日には1967年から1989年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。共演キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1969 The Music Box, Omaha, NB
 火曜日。前売1ドル、当日1.50ドル。開演7時半。KOWH-FM 主催。この年ベストのショウの一つの由。

3. 1970 Winterland, San Francisco, CA
 水曜日。第一部7曲目〈Candyman〉が《American Beauty》2001年拡大版のボーナス・トラックでリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。
 この年ベストのショウの一つの由。これを《30 Trips Around The Sun》のためにマスタリングした David Glasser は作業の途中でプロデューサーのデヴィッド・レミューに、「こいつあ、すげえ」とわざわざ電話をかけてきた。
 ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ビルのようで、グレイス・スリックが最後に、「グレイトフル・デッドが出るから帰らないでね」とアナウンスしているブートレグがあるそうだ。

4. 1971 David Mead Field House, Allegheny College, Meadville, PA
 木曜日。学生3ドル、一般5ドル。開演8時。古くて狭い体育館でのショウ。バンドは聴衆に対してとても愛想がよかった由。年齢的にもひと世代は違わない、学生たちにとっては少し年上の兄さんたちというところ。この時期、大学でデッドを体験した人びとがデッドヘッドとなってゆく。

5. 1978 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
 土曜日。7ドル。開演8時。《Dave’s Picks, Vol. 37》で全体がリリースされた。
 会場はバンドのお気に入りのようで、コーネル大学バートン・ホール同様、やる度に名演を生んでいる。ここでは4回演奏していて、これが最後。大学のあるウィリアムズバーグは観光客向けに植民地時代の街が復刻されている。そこがデッドヘッドに埋まった。またこの日は保護者参観日でもあった。ステージが低く、50センチほどしか高さが無かったので、親密な雰囲気が生まれていた。〈Deal〉のコーダの繰返しはこれが最長と言われる。

6. 1982 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。11.50ドル。開演7時半。ひじょうによいショウの由。

7. 1983 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY
 金曜日。10.50ドル。開演7時半。第二部5・6曲目〈He's Gone> Little Star〉が《Dave’s Picks, Vol. 39》でリリースされた。
 〈Little Star〉は時に〈Bob Star〉とも呼ばれる。クレジットはボブ・ウィア。〈The Other One〉の序曲のように聞えると言われる。

8. 1988 Rosemont Horizon, Chicago , IL
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。16.50ドル。開演7時半。
 オープナーが〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉というのは珍しい。こういう珍しいことをやる時は調子が良い。

9. 1989 Mecca, Milwaukee, WI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。最高のショウの一つの由。(ゆ)

0115日・土

 Washington Post Book Club のニュースレターで昨年アメリカの成人は平均して年12冊強の本を読んだ、というギャラップの調査結果をとりあげている。この数字は1990年以降で最低。1冊も本を読まなかった人は17%で変わらず。ただし、多読の人の数が激減して、全体の数が減少した。年10冊以上読む人の割合は27%で、2016年以来8%の減少。それ以前に比べても4%以上減っている。この減少は大学院生やそれ以上の年齡でとりわけ顕著。つまり、自由な時間の使い方として、読書の人気は落ちている。というのがギャラップの結論。

 一方で、電子本、オーディオ本、デジタル雑誌を1年で100万回以上貸出した公共図書館の数は記録的な増加をしている。そうだ。


 わが国ではどうかとちょと検索してみると、2015年4月の調査で月平均2.8冊という数字が出てきた。ということは年33冊以上。3倍だ。が、1冊も読まなかったのは3分の1。こちらも倍である。この調査では月10冊以上が8.2%21冊以上は出ていないが、こちらも3分の1。つまり、日本語では本を読む人間はたくさん読むが、読まない人間が多い。アメリカでは、英語とは限らないが、本を読む人間の数そのものは多いが、一人あたり数は読まない。

 それに、ここでは本の中身まではわからない。マンガも入れているのか。回答者によって入れたり入れなかったりかもしれない。アメリカでの調査には comics は入っていないと見ていい。もっともこちらもそれ以上の中身まではわからない。

 引きこもりで読書量は増えたと言われるけれど、日本語ネイティヴは本を読むのが好きでない、というより習慣にない人が多い気がする。というのは上の数字からも当たっていそうだ。新聞、雑誌は読んでも、本は読まないという人たちだ。もともと江戸時代までは読書はほんの一部のものだった。とすれば、明治以降でここまで増えた、とみるべきか。

 日本語ではマンガがほとんど遺伝子に組みこまれている。『源氏物語』にも早くから『絵巻』が作られた。物語を絵で語る技術をわれわれは磨いてきている。漢字かな混じり文がその原型だろうし、そもそも漢字かな混じり文を発明したのは、言語からの要請だけでなく、絵に対する感受性が鋭いこともあったのだろう。その感受性がどこから来ているのかはわからないが。マンガは絵が漢字、ネームがかなに相当する。

 だから、文字だけで物語を語ることも読むこともあまり得意ではない。文字を読んでイメージを思い描くのが苦手なのではないか。日本語では大長編は例外だ。饒舌よりも簡潔が尊ばれる。量はある閾値を超えると質に転換することに、あたしらはようやく気がつきはじめたところだ。本はもちろん小説や物語ばかりではないが。

 あたしはといえば、昨年は54冊。うちマンガは3冊。英語33冊。日本語21冊。頁合計12,294。1冊平均227頁。一番厚い本は Michelle West, The Sacred Hunt Duology, 858頁。日本語で一番厚かったのは平出隆『鳥を探しに』660頁。



##本日のグレイトフル・デッド

 0115日には1966年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR または The Matrix, San Francisco, CA

 どちらのショウだったか、定まっていない。後者はポスターがあり、ほぼ確定か。前者は元旦に行われたとの推測もある。


2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 2ドル。子どもは無料。開演午後2時。前2日の追加公演だろう。ジュニア・ウェルズ・シカゴ・ブルーズ・バンド、ドアーズというラインナップ。セット・リスト不明。


3. 1978 Selland Arena, Fresno, CA

 前売6.50ドル。当日7.50ドル。開演7時半。ガルシアははじめ声が出なかったが、だんだん良くなった。第二部の〈Playing In The Band〉はこの時期としては珍しく30分近い演奏。

 この曲は演奏回数610回で第2位だが、トップは〈Me and My Uncle〉なので、デッドのオリジナルとしてはこれがトップになる。これだけの回数演奏したのは、この曲を演奏するのがそれだけ愉しかったのだろう。これが5分で終る(デッドとしては)ごくありきたりの曲から30分を超えるモンスターに成長し、さらに他の曲をはさんだり、時には日をまたいではさんだりするようになってゆく様は、何とも興趣が尽きない。しかも、そのどれ一つとして同じことの繰返しが無い。こういう現象もデッド宇宙ならでは。


4. 1979 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA

 8.50ドル。開演7時半。第一部と第二部の出来の差が大きいらしい。ここでも〈Playing In The Band〉がスピリチュアルだったそうな。デッドの音楽はめくるめく集団即興になって聴く者を巻きこんでもみくちゃにもすれば、深閑としたスピリチュアルな時空を現出して吸いこんで解き放ちもする。(ゆ)


 みみたぼはシンガーの石川真奈美さんとピアノの shezoo さんのデュオ。あたしは初体験だが、もう4年やっているのだそうだ。「みみたぼ」って何だろうと思ったら、「みみたぶ」と同じ、と辞書にある。どういう訛かわからないが、みみたぶではユニットの名前にはならないか。

 歌とピアノは対等に会話するが、ピアノが歌を乗せてゆくこともある。逆はどうだろう。やはり難しいか。一方で、ピアノが歌に反応することはありそうだし、実際そう聞える瞬間もある。そういう瞬間を追いかけるのも愉しそうだ。次はそうしてみよう。今回2人のからみが一番良かったのは、後半最初のリチャード・ロジャースの〈Blue Moon〉。

 歌は石川さんのオリジナル、shezoo さんのオリジナル、ジャズのスタンダード、バッハ、歌謡曲。この振幅の大きさがいい。

 中でもやはりバッハはめだつ。石川さんも参加した2月の『マタイ』で歌われた曲。あの時の日曜日の方を収録した DVD がもうすぐ出るそうだ。いや、愉しみだ。あれは生涯最高の音楽体験だった。生涯最高の音楽体験はいくつかあるけれど、その中でも最高だ。今、ここで、『マタイ』をやることの切実さに体が慄えた。その音楽を共有できることにも深く歓んだ。DVD を見ることで、あの体験が蘓えるのが愉しみなのだ。石川さんもあれから何度か、いろいろな形でこの歌を歌われてきた、その蓄積は明らかだ。それはまた次の『マタイ』公演に生きるだろう。

 バッハの凄さは、どんな形であれ、その歌が歌われている時、その時空はバッハの時空になることだ。クラシックの訓練を受けているかどうかは関係ない。何らかの形で一級の水準に達している人が歌い、演奏すれば、そこにバッハの時空が現出する。

 その次のおなじみ〈Moons〉が良かった。石川さんはもちろん声を張って歌うときもすばらしいが、この日はラストに小さく消えてゆく、その消え方が良かった。消えそうで消えずに延ばしてゆく。『マタイ』の前のエリントンもそうだし、この〈Moons〉、そしてホーギー・カーマイケルの〈Skylark〉。

 ここでは封印していた?インプロが出る。でも、いつものように激しくはならない。音数が少なく、むしろ美しい。

 shezoo 流インプロが噴出したのは後半2曲目〈Blue Moon〉の次の〈砂漠の狐〉。これが今回のハイライト。いつもよりゆっくりと、丁寧に歌われる。グレイトフル・デッドもテンポが遅めの時は調子が良いけれど、こういうゆったりしたテンポでかつ緊張感を保つのは簡単ではないだろう。ラスト、ピアノが最低域に沈んでゆくのにぞくぞくする。

 エミリー・ディキンスンの詩におふたり各々が曲をつけたのも面白かったが、ラストの立原道造の〈のちの想いに〉に shezoo さんが曲をつけたものが、とりわけ良かった。声がかすれ気味なのが歌にぴったり合っていた。

 アンコールの歌謡曲〈星影の小道〉が良かったので、終演後、服部良一の〈昔のあなた〉をリクエストする。雪村いづみがキャラメル・ママをバックに歌った《スーパージェネレーション》で一番好きな曲。歌詞もメロディも雪村の歌唱も、そしてバックも完璧。〈胸の振子〉もいいけれど、このデュオには〈昔のあなた〉の方がなんとなく合う気がする。

スーパー・ジェネレイション
雪村いづみ
日本コロムビア
1994-11-21


 このアンコール、ア・カペラで歌いだし、ピアノに替わり、そしてピアノとうたが重なる、そのアレンジに感じ入る。

 shezoo さんは以前はインストルメンタルが多かったけれど、ここ数年はシンガーとつるむことが多くなっているのは嬉しい。いいうたい手を紹介してもらえるのもありがたい。願わくは、もっと録音を出してくれますように。配信だけでも。(ゆ)


1012日・火

 久しぶりに中野に徃き、時間があったのでタコシェに入る。panpanya の単行本が揃っているのに嬉しくなる。そうだ、この人がいたのだ。『楽園』編集長の飯田からデビュー作『蟹に誘われて』を教えられて、面白かった。その頃、東急・田園都市線沿線に住んでいたから、妙にねじれたリアリティもあった。久しぶりの再会で、最新刊『おむすびの転がる町』を買う。それと気になる絵のついたハードカヴァーを平積みしてある。イラスト原画の展示もしている。ついつい買ってしまう。宮田珠巳『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』。絵は網代幸介。版元、大福書林は聞き慣れない。後でサイトを見ると、なるほど変わった本を出している。ここもマイクロ版元で、買切りでやっているのか、カヴァーはない。





##本日のグレイトフル・デッド

 1012日は1968年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。


1. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 3本連続の中日。前半3曲目の〈St. Stephen〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この時期、ウィアとピグペンをメンバーから外す話がレシュから出ていて、このアヴァロン・ボールルームの3日間にピグペンは不在。しかしこのショウは初期デッドのベストの1本と言われる。


2. 1977 Manor Downs, Austin, TX

 予約5ドル、当日6ドル。午後5時開場、午後7時開演。雨天決行。このチケットは珍しく開場時間が書いてある。

 ジョニー・ウィンターが前座で、デッドのステージにも殘り、ガルシアとソロをやりあった由。


3. 1981 Olympia Halle, Munich, West Germany

 1年に2度めのヨーロッパ・ツアー。25マルク。良いショウだった由。


4. 1983 Madison Square Garden, New York , NY

 前日に続く2日目。さらに良かったそうだ。


5. 1984 Augusta Civic Center, Augusta, ME

 このヴェニュー2日連続の2日目。どちらも良いショウだったそうだが、こちらの方が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。12.50ドル。午後8時開演。


 この年、デッドは64本のコンサートを行い、125曲を演奏した。主なツアーは3つ。春の中西部、東部、南部(14日間)。夏の西部、中西部、カナダ、西部(22日間)。秋の北東部(17日間)。新曲はいずれもミドランドの〈Don't Need Love〉と〈Tons Of Steel〉。またミドランドがトラフィックの〈Dear Mr Fantasy〉をとりあげ、以後、ショウのハイライトのひとつになる。

 ビジネス面では2つ、動きがあった。1つは Rex Foundation の設立。もう1つは Taper's Section の設置。

 前者はダニィ・リフキンの発案による自前のチャリティ財団で、バンド・メンバー、東西のプロモーターのビル・グレアムとジョン・シェール、著名なデッドヘッドでプロ・バスケットボールのスター、ビル・ウォルトンなどが評議員となり、コンサートの収益から5,000から10,000ドルを様々な団体、個人に寄付する。間に入るものを省くことで、相手に確実にカネが渡るようにした。

 後者は1027日、Berkeley Community Theatre でのショウから導入された。音響コントロール、サウンドボード席の直後にテーパー用の席を設けた。サウンドボードの前にテーパーたちのマイクが林立してエンジニアの視界を遮ることを防ぐことと、他の客たちとの軋轢を防ぐため。

 どちらもデッドが創始したイノベーションではある。こうした決定は全社会議と呼ばれる、バンド・メンバー、クルー、スタッフが集まる会議で決定される。議長はふつうレシュが勤めた。

 人事面でもひとつ動きがあった。ロック・スカリーが過度の飲酒でクビになった。かれはメディア担当も兼ねていたので、その不在は人気が高まっていたデッドのメディアとの関係に悪影響をおよぼすことがスタッフから指摘され、ガルシアの推薦で Dennis McNally が専任として加わった。マクナリーはここから始まるパブリシストとしての体験をも大いに組み込んで後に初の信頼できるバンドの伝記を書くことになる。


 この年、レーガンが大統領に再選されたことは、デッドとその世界にとっては悪いニュースだった。レーガンはあらゆる点でデッドの対極にいたからだ。しかしそのことがデッドの人気を高めるひとつの要因にもなった。ショウの中は外部世界からの避難所としての役割を増した。デッドとは無関係にレーガンの標榜するアメリカに反発する人は多く、その一部がデッドを「発見」してゆく。デッド世界への圧力はそれまでより高まった。バンドへのプレッシャーは内外から大きくなる。その大部分はガルシアにかかることになる。それに耐えるため、ドラッグの使用量が増える。しかし、音楽面では同じプレッシャーは演奏をドライブし、エネルギーを与え、この年秋のツアーは70年代後半以来のベストとも言われた。


 この会場では1979年秋とこの84年秋の合計3回演奏している。公式リリースは今回が初めて。ここは多目的ホールを中心とした複合施設で、メイン・ホールの収容人数は6,777。地元の大学、高校のスポーツをはじめとする競技会が主な使用目的。コンサートにもよく使われているようで、1977年春、プレスリーも公演している。同じ年の夏、ここでの再演が予定されていた前日に死去が発表された。1996年秋、シカゴ・ブルズのスター、デニス・ロドマンがパール・ジャムのコンサートに来てクライマックスでステージにあがり、リード・シンガーのエディー・ヴェダーをおんぶしてステージを歩きまわった。ヴェダーはロドマンの背中でうたい続けた。

 メイン州オーガスタは州の南部、大西洋に近い人口2万弱の街。17世紀前半からヨーロッパ人が入植した。北緯42度線より緯度にして2度北。ボストンの北北東250キロ、インターステイト95号線沿いにある。こういうあまり人がいなさそうなところでコンサートがよく行われるのも面白い。

 実際、すばらしい出来で、まず選曲が異常。こういう通常のパターンからは外れた選曲の時は、ショウの出来も良いことが多い、とニコラス・メリウェザーは言う。演奏をやめたくない、という気持ちがひしひしと伝わってくる。デッドはとにかく演奏したかったのだ。とりわけこうしてノった時、「オンになった時」はそうだ。前半ラストの〈The Music Never Stopped〉も凄いが、後半2・3曲目〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉の各々後半のジャムの高揚感には持っていかれる。

 〈Space〉はまずガルシアが入り、2つ3つの音を叩くようにしてドラムス、打楽器とからむ。だんだん他のメンバーが入ってきてのジャムがいい。やや軽みのある、蕪村のようなジャム。そして〈Playing In The Band はやはりなかなか本番へ移らない。そしてアカペラ・コーラスの後、また延々とジャムが続き、いつの間にか〈Uncle John's Band に移っている。切れ目なく、〈Morning Dew〉へと突入する。ガルシアのヴォーカルがいつになく良い。声がよく伸びる。この日はこれまでになくいきむが、それも様になっている。ギターも絶好調。この時期、サウンド・エンジニアの Dan Healy はヴォーカルにリヴァーヴをよくかける。この日はウィアが声を嗄らしていて、それをカヴァーする意味もあるのか、少なくとも3分の1は何らかの形でかけている。それが最も効果的なのもこの〈Dew〉。


6. 1989 Meadowlands Arena, East Rutherford , NJ

 午後7時半開演。これも良いショウだったそうだ。この頃になるとチケットの贋物問題が大きくなり、印刷にも様々な工夫がされるようになる。


 翻訳作品集成サイトの雨宮さんが、『時の他に敵なし』をまったく読めない、とされているのに、ぎゃふんとなる。困ったことである。ビショップはマニアの好き心をくすぐる時もあるけれど、一方でSFFのマーケットの存在など忘れたように、その「約束ごと」に徹底的に背を向けることがある。これなどはその極北の例かもしれない。書き手のツボにははまるのだ、たぶん。こういう作品を書いてみたい、と思わせる。あるいは、こういうのは自分には書けないと思わせる。

 しかし、読み手にとっては要求するレベルが高い。サイエンス・フィクションの「約束ごと」の一つは、核になるアイデアは何らかの形で明瞭に示すことだ。最後に誰の目にもわかる形で提示することでカタルシスを与える、というのが典型的だ。次に多いのは冒頭ないし初めの方で提示しておいて、そこから生まれるドラマを描く。

 ところがここではそういうことをまったくやらない。時間旅行というアイデアは提示されるけれど、これは核になっているアイデアの片方の側面だけだ。もう一つの、裏の側面と合わせて初めて全体像が現れる。そして裏の側面の方は、意図的に隠されているわけではないけれど、巧妙に散らばされていて、あたしには再読してようやく見えはじめた。翻訳をやりながら、だんだんに見えてきて、ここがそうなら、そうか、あそこはこういうことか、いや、それならあっちにもあったぞ、と徐々につながってきた。再校ゲラで初めて、ああ、そういうことだったのか、とだいぶはっきりしたところまできた。まだ全部わかったという自信はない。1年くらいあけて読みかえしてみてどうなるか。とはいえ、わからなくても面白くないわけではなく、見えなかったことがだんだんに見えてくるそのプロセスはむしろスリリングだった。見えてみると、その記述の仕方はストーリーに溶けこんでいて、その巧さにまた唸った。

 あるいは読めないのは構成の複雑さからだろうか。この話は大きく2つ、主人公が過去に「実際に」旅立つまでと、旅立った先の過去での部分に分けられて、各々の章が交互に並ぶ。旅立つまでの部分の各章は時間軸に沿ってではなく、入り乱れて並んでいる。入り乱れていることにもちゃんと理由が述べられる。各章のタイトルに年号が記されているけれど、それだけではあたしは混乱してしまいそうだったから、作業用に目次を作った。原書には目次はなく、したがって訳書にも入れなかった。目次を作るという手間をかけるかどうかは読者の判断だろうし、手間をかけるのも楽しめる。それにひょっとすると、こういう構成をとったのには、読者を混乱させる意図もあるかもしれない。担当編集者のハートウェルと一緒に、綿密に確認したというのは、書き手自身も混乱してしまいそうになったことも示唆する。

 あたしはとにかく面白くてしかたがないのだが、どう伝えればこの面白さが伝わるか、困ってもいる。裏のアイデアは見つけるのが楽しい、自分で読み解いて初めて快感がわくので、明かしてしまってはそれこそネタバレで、興醒めもいいところだ。ヒントを出すのさえためらわれる。

 雨宮さんのコメントが困ったことなのはもう一つある。読めないのは話の問題ではなく、あたしの訳の問題であるかもしれないからだ。そうであるなら、訳としては失格だ。原文は読めないどころではない、すらすらと読める。むしろ最もすらすら読める文章の一つだ。それが読めないとすれば、日本語としてはOKでも、小説の邦訳としては落第なのかもしれない。どこをどう直せば読める翻訳になるのか、見当がつかないから、途方に暮れる。(ゆ)

時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31


6月23日・水曜日
 
 Cayin N6ii-Ti R-2R チタニウム・リミテッドエディション。DAC チップの供給に難があるのを逆手にとったのか、ラダー式を採用。AirPlay は無し。マザーボード交換は面白いんだが、その他にこれというのが無い。I2S はあるけど、つなぐものが無い。FiiO は AirPlay、DSD変換、THXアンプとそろっている。当面、これを凌ぐものはなさそうだ。


 Oさんに教えられた平出隆の本を図書館からあるだけ借りてくる。詩集はあとまわしで、まずは散文。『左手日記例言』が無かったのは残念。『鳥を探しに』は購入以来誰も開いたこともないようなまっさらな本。この厚さ、しかも二段組み。いいなあ。こうこなくっちゃ。この長さだけで、読もうという気がもりもり湧いてくる。

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左手日記例言
平出 隆
白水社
1993-06-01


4月20日・水

 上半身の痒いのがだいぶ収まる。やはり入浴時の洗いすぎだったのだろう。手が痒かったのも、殺菌力もある強い石鹸で頻繁に洗っていたからだったらしい。手洗い消毒用石鹸の手につける量を減らしたら、痒みは出なくなる。

 インターバル速歩で公民館に往復。本1冊返却、2冊借出し。借りたのは小山田浩子『穴』新潮文庫と『ローベルト・ヴァルザー作品集 4 散文小品集I』。小山田浩子はこれの英訳が今年のローカス推薦リストのホラーに挙げられていたため。なるほど、面白そうだ。こういう作品が芥川を獲るようになったのも時代の推移か。以前だったら意地でも与えなかっただろう。
 
穴 (新潮文庫)
浩子, 小山田
新潮社
2016-07-28


 ヴァルザーは先日ウン十年ぶりに再読した『ヤーコブ・フォン・グンデン』ですっかりヴァルザー熱が復活してしまったため。ヴァルザーの本領である短文、小品を集めたもの。早速最初の1篇「グライフェン湖」を読んで陶然となる。文章を読む歓び、ここにあり。そう、ヴァルザーの魅力は何が書かれているか、ではなくて、どう書かれているか、なのだ。日本語とドイツ語のネイティヴ、それぞれに相手の言語に通じた2人の共同作業である訳文もこれ以上のものはあるまい。ヴァルザーはこうした短文を二千数百篇残したそうだが、もちろんここに訳出されたのはそのごく一部。英訳も読んでみるか。第5巻は死後発見された長篇とさらに小品。この2冊は買ってもいいかなあ。

ローベルト・ヴァルザー作品集4: 散文小品集I
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2012-10-17



 Monstress, Vol. 4、Jackie Kay, Bessie Smith 着。Monstress はこっちが先に来た。

 Jackie Kay という人は現在スコットランドの桂冠詩人で、ベッシー・スミスのこの伝記は1997年初版の再刊。スコットランド人の母、ナイジェリア人の父に1961年に生まれ、誕生と同時にスコットランド人夫婦の養子となる。2歳上の兄も同じ夫婦の養子になっていて、グラスゴーの、周りに自分たち兄妹以外に黒人がまったくいない環境で育つ。12歳の時、父がプレゼントしてくれた2枚組 Any Woman's Blues でスミスの歌に出逢い、生涯の友となる。この出逢いから話は始まる。スミスは別格だった。14歳の時、カウント・ベイシーとともにやってきたエラ・フィッツジェラルドを生で聞いたが、エラの声は娘らしく、くすくす笑っていた。スミスの剥出しの生の声は、それまで存在すら知らなかった場所に引きずりこむ(13pp.)。ジャケットのスミスの写真を見て、自分と同じ色をしていることで黒人としての自覚が目覚める。本人も差別を受けている。

 All black people could at some point in their life face racism or racialism (I could never understand the difference) therefore all black people had a common bond.  It was like sharing blood. [16pp.]

 母親とともに南アフリカの政治犯たちにクリスマス・カードを送る。家の中にはネルソン・マンデラ、ソルダド(ソレダ)・ブラザーズ、アンジェラ・デイヴィス、カシアス・クレイ、カウント・ベイシー、デューク・エリントンといった人たちのイメージがたくさんあった。ケイはこうした黒人たちと家族であることを想像する。その家族をつないでいたのはスミスの歌う声だった。

 スコットランドで生まれ育った黒人の詩人が書いたブルーズ・シンガーの伝記、というのはそれだけで興味が湧く。加えてこの本の評価は高いから期待しよう。
 アマゾンに予約注文していた Subterranean Press の The Best Of Elizabeth Hand は発送日未定になったので、BookFinder で検索すると、普通に売っている。アマゾンをキャンセルして、AbeBooks で注文。同時にアマゾンに注文した The Best Of Walter Jon Williams はそのままにしてみる。果たして来るか。Subterranean のはモノはいいんだが、どれも限定版で、直接注文すると送料がバカ高く、本体と同じかそれより高い。アメリカの海外配送料金の高さは引き下げられるべし。(ゆ)

 『本の雑誌』新年号恒例の今年のジャンル別ベスト10で、鏡明氏が『茶匠と探偵』をなんとSFの1位に推してくださった。なんともありがたいことである。鏡氏には面識がないので、この場を借りて御礼申し上げる。


本の雑誌451号2021年1月号
本の雑誌社
2020-12-11


 鏡氏がそこにつけた「今年にかぎっていえば」という条件もうなずける。なに、ヒューゴーやネビュラの受賞作にしても、後から振り返れば、最終候補の他の作品の方がふさわしいと思えるケースはままある。それでも受賞した、という事実は残るわけだ。「1位」というのはやはり特別なものだ。

 それに10年までスパンを広げればベスト20ぐらいにはなるというのだから、それだって立派なものだ。ヒューゴーやネビュラの最終候補に残るのは、それだけで大したものなのだ。マーティンが「ヒューゴー落選パーティー」をやっているのは伊達ではない。原則毎年5本だから、10年でベスト作品は50本。その中でも半分より上になるわけだ。

 一方で、『茶匠と探偵』に実現している「今年」の要素も適確に読みとっていただいていて、さすがというか、これまたありがたいことである。もちろんこの「今年」の要素、「多様性」をキーワードとする流れは今年で終るわけではなく、少なくとも次の10年、おそらくは今世紀前半を特徴づけるものになるだろう。SFWA の今年のグランド・マスターにナロ・ホプキンソンが選ばれたり、F&SFの新編集長にシェニー・レネ・トーマスが就任したり、鏡氏自身、今年のベストに女性作家が多いことにあらためて驚かれたりしているのは、その一端に過ぎない。

 『茶匠と探偵』は翻訳だけでなく、作品選択から関ったので、入れ込みも一入だから、この評価は単純に嬉しい。編集担当Mさんから教えられて、早速本屋に駆けつけてふだん買わない雑誌をいそいそと買い込んできた。

 『本の雑誌』に限らず、日本語の雑誌を買わなくなって久しい。もともとあたしは雑誌読みではなく、本読みなので、雑誌も表紙から裏表紙まで舐めるような読み方をする。日本語の雑誌ではこの読み方は正直しんどい。昔はSFMや幻想と怪奇や奇想天外など、そういう読み方でも読める雑誌もいくつかあった。SFMもいつの頃からか、細切れの記事が増えて、アンソロジーのようには読めなくなった。結局今定期購読しているのは F&SF と Asimov's、Interzone のような、アンソロジー形式の雑誌だけだ。

 もっとも『茶匠と探偵』の作品選定はあとがきにも書いたように、受賞作や年刊ベストに収録されたものを優先したから、そう苦労したわけでもない。表題作は入れることを決めた時点ではまだネビュラ受賞は決まっていなかったが、質量ともに抜きんでてもいたし、その時点で最新作でもあったから、これまたほとんど自動的だった。あとがきにも書いたけれど、唯一、あたしの趣味で入れたのは「形見」の1篇である。このシュヤのシリーズで後世、最も評価が高くなるのは、実はこれではないか、とさえ思う。それにしてはアメリカでの評価が今一つなのは、これがヴェトナムとアメリカの関係を下敷にして、しかもヴェトナム側から描いていることが明瞭で、そこがヴェトナム戦争に反対賛成とは関係なく、アメリカの読者には居心地がよくないからではないかと勘繰っている。

 鏡氏が中国SFよりも中国的に感じられた、というのも興味深い。一つには、固有名詞などをなるべく漢字にしたせいもあるかもしれない。一方で、著者のルーツであるヴェトナムの文化にはかなり中国的な要素も入っていることもあるだろう。ヴェトナムと中国との関係は日本と中国との関係に似ている。朝鮮半島はもう半歩、中国に近い。影響の強弱、距離感など、ヴェトナムと日本がほぼ同じと思う。だから、その中の中国的要素は我々の中の中国的要素と共鳴するところが多いのではないか。そして我々が中国的と思うものは、今の中国SFに現れる中国的なものとはまた別のものなのではないか。

 そう言えば著者のアリエット・ド・ボダールは『紅楼夢』を繰返し読んで溺れこんでいるそうだ。シュヤ・シリーズ中最も長い、ほとんど長篇の長さのノヴェラ On A Red Station, Drifting は『紅楼夢』の圧倒的影響下に書いたと自分で言っている。著者にとっての中国は18世紀清朝のイメージがメインなのかもしれない。この話も、アクションはほとんど無い、むしろ心理小説なのに、息をつめて一気に読まされてしまう傑作。そう、このシュヤのシリーズはどれも、いざ読みだすと、息をつめて一気に読まされてしまう。他の作品、シリーズ以外の独立の諸篇や、著者のもう一つのシリーズ Dominion of the Fallen のシリーズの作品とは、その点、味わいが異なる。無駄な描写や叙述が無く、骨太な物語を細やかに描いてゆく、凛としてすがすがしい文章はどれにも共通するけれど、シュヤの諸篇はそこにもう一つ、読む者をからめとって引きこみ、物語に集中させる、英語でいう "intensive" な側面があるように思う。

 とまれ、これをきっかけに本が売れてくれればさらに嬉しい。あたしのおまんまに影響するのはもちろんだが、残りの作品も早く訳せという鏡氏の要請にもより早く応えられる。実際、『茶匠と探偵』の内容を決めた時点で「第2集」の内容もほぼ決めていた。『茶匠と探偵』に収めたのは2018年までの作品だが、昨年、今年と1本ずつシュヤものは発表していて、どちらも入れたい。とりわけ今年のノヴェラ Seven Of Infinities は傑作で、ノヴェラ「茶匠と探偵」のゆるい続篇、つまり有魂船と人間のペアが殺人事件の謎に挑む形。あちらはホームズものがベースだったわけだが、今回はアルセーヌ・ルパンものがベース。有魂船がルパンだ。タイトルはルパンものの短篇「ハートの7」を下敷にしたもので、麻雀の牌、おそらく萬子の七をさす。内容は『奇巖城』の換骨奪胎。たぶん。というのも『奇巖城』を読んだのはウン十年前で、ラスト以外もう忘れている。こういう話を読むと、ルパンものをまたまとめて読みたくなりますね。あたしは新潮文庫の堀口大學訳で、『バーネット探偵社』が好きだった。ルパンが私立探偵になるやつ。ビートルズかストーンズか、にならってホームズかルパンかと言われれば、あたしは躊躇なくルパンです。今度は偕成社版で読んでみるかな。

Seven of Infinities
Bodard, Aliette De
Subterranean Pr
2020-10-31



 こういう時、あー、フランス語やっときゃなあ、と思う。そうすれば、バルザックもデュマもルブランも、うまくすればプルーストも、原書で読めたのにい。

 ということで、皆様、2020年日本語によるSFでベスト1に輝く『茶匠と探偵』をどうぞ、買うてくだされ。もう買うてくださった方は宣伝してくだされ。ひらに、ひらに。(ゆ)


茶匠と探偵
ド・ボダール,アリエット
竹書房
2019-11-28

アマゾン

茶匠と探偵 [ アリエット・ド・ボダール ]
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楽天

 こういうことを書きだすと、キリが無くなる懼れが大いにある。それはもういくらでも出てくる。『S-Fマガジン』、「S」と「F」の間にハイフンが入るのが本来の誌名だが、表紙、目次、奥付を除いて、本誌の中でもハイフンは付いていないから、ここでもハイフンなしで表記する。むしろあたしなどには SFM の方がおちつく。

 今年2月号の創刊60周年記念の「私の思い出のSFマガジン」に目を通して、同世代が多いのが少々不思議だった。SFM に思い出を持つのがその世代が多い、ということか。また、われわれの世代が SFM が最も輝いていた時代に遭遇したということか。あるいは単純に年をとったということか。

 あたしが初めて買ったのは1970年10月号、通巻138号。理由もはっきりしている。石森章太郎の『7P(セブンピー)』である。これを学校に持ってきたやつがいて、ぱらぱら見たときだ。この連載は雑誌の真ん中あたりにあるグラビア紙を使ったいわゆる「カラー・ページ」に7ページを占めていた。毎回、著名なSF作家に捧げられている。この号は「ジュール・ヴェルヌに」。石森が得意とした、というより、トレードマークに作りあげた、擬音だけで科白つまりネームが一切無いものの一つ。これがもう大傑作。このシリーズでも1、2を争う傑作である。何回読んでも、今読んでも、笑ってしまう。何に笑うのか、よくわからないのだが、可笑しい。なに、どんな話かって? 自分で探して読んでくれ。ここであたしが筋を書いてもおもしろくもなんともない。

 で、だ、これを読んで、こいつはぜったいに持っていなくてはならない、となぜか思った。この頃、まだあたしは図書館というものの利用法をよくわかっていなかった。学校の図書館には入りびたり、それなりに本も借りて読んでいたが、しかし本当に読みたいものは持っているのが当然だった。図書館にはなぜか世界SF全集もSFシリーズもあって、どれも群を抜いて最も貸出頻度が高かったが、自分では借りたことがない。とにかく、この雑誌は持っていなくてはならない。その日の帰りに買ったはずだが、どこで買ったのかの覚えは無い。学校の近くか、家の近くか、どちらかの本屋のはずで、いずれにしても昔はよくあった小さな本屋だ。そして、それから毎号買いだした。なぜか定期購読はしなかった。結局ずっと買いつづけ、社会に出て、出版社に就職してからは、問屋を通して8掛けで買えたから、定期を頼んでいた。会社を辞めたとき、もういいや、とそれきり買わなくなった。実際、いつ頃からだろう、買っても読むことはまず無くなっていた。

 話が先走った。とにかく1970年10月号、ということはおそらく二学期が始まった直後だろうか。それから何年かは毎号表紙から裏表紙まで舐めるように読んだ。広告のコピーも漏らしはしない。大学に入った頃からバックナンバーを漁りだした。だんだん遡ってゆき、ついには創刊号から揃えた。これには今は亡き、神田の東京泰文社にもっぱらお世話になった。ここは洋書と翻訳ものがメインで、この店にお世話になったSFファン、ミステリ・ファンは多いはずだ。野田さん、伊藤さん、それに植草甚一も常連の1人だったと記憶する。

 雨宮さんのサイトで見ると、この号には主なものでは、シルバーヴァーグ『時間線をのぼろう』の連載第2回と、光瀬龍「都市」シリーズ最終回の「アンドロメダ・シティ」、そして筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』連載第1回が載っている。いや、たぶんバックナンバーはもっと早く漁りだしていたはずだ。なんといってもシルバーヴァーグの第1回を読まねばならなかったのだから。

 あたしはこの時がシルバーヴァーグには初見参だ。この年の4月に『時の仮面』が浅倉さんの訳でSFシリーズから出たのが初の単行本のはずで、それまではSFMと福島さんが編んだアンソロジーで中短編が訳されていただけだから、書籍として出ていた長篇主体に読んでいたあたしが触れるチャンスはまず無かった。『時の仮面』は『時間線をのぼろう』の連載終了後、まもなく買って読んだはずだ。

 『時間線をのぼろう』はいろいろな意味で強烈で、それからしばらくシルバーヴァーグは手に入るかぎり読むことになる。この時期のものでは『夜の翼』が最高だと今でも思うけれど、伊藤さんがいかにも楽しそうにやっている『時間線をのぼろう』は、作品そのものの質とはまた別にSFを読む愉しさを教えられた。当然これがそのまま単行本になるのだと思っていたから、中村保男版が出たときにはずっこけた。一人称が「私」になっているのを見ただけで、買う気が失せた。これは翻訳そのものの質の問題ではなく、自分の感覚と合うか合わないか、のところだ。固有名詞の発音とならんで、人称の問題は結構大きい。

 光瀬龍のシリーズは『喪われた都市の記録』としてまとめられるものだが、この最終回は収録されなかった。代わりに、散文詩のようなものが加えられた。単行本刊行当時、石川喬司がやんわりと批判したけれど、あたしもこれは失敗だったと思う。この「アンドロメダ・シティ」も成功しているとは言えないが、この方向でもう一段、突込むべきだったろう。光瀬の悲劇は福島正実と別れてから、かれの器をあつかえる編集者にめぐり逢えなかったことだ。当時の編集長・森さんは今回60周年記念号の寄稿で自ら述べているように、早川のSF出版を会社の屋台骨にした手腕の持ち主だが、光瀬には歯が立たなかった。

 『脱走と追跡のサンバ』は筒井の最初の転換点となった傑作だが、高校1年のあたしに歯が立つはずもない。これまた筒井初体験だったから、なおさらだ。いったい、何の話なのか、さっぱりわからなかった。筒井は後に塙嘉彦と出会って完全に化けるけれど、かれにとって編集者はおそらく踏み台で、光瀬にとってほど重要なパートナーではなかった。とまれ、この連載はしかし、あたしにとっても重要だった。というのは、わけがわからないまでも、とにかく連載にくらいつき、読んでゆくうちに、ある日、ぱあっと眼の前が開けたからである。言うまでもない、半ばにいたって、それまで逃げていた語り手が攻守ところを変え、追いかけだした時だ。小説を読むとは、こういうことなのだ、と教えられた。右も左もわからない五里霧中でも、とにかくくらいついて読んでゆけば、ユリイカ!と叫びたくなる瞬間が必ずやってくる。それが、優れた小説ならば。

 この1970年代前半の SFM に遭遇したのは、やはり幸運だったと思う。森優編集長は福島時代の編集方針とは対照的な新機軸をいくつも打出し、雑誌にとっての黄金時代を将来したからだ。あたしにとってまず興奮したことに、半村良と荒巻義雄が、ほとんど毎号、競うようにして力の籠もった中篇を発表していった。小松左京を売り出したときの福島さんの手法にならって、意図的に書かせたのだ、と森さんに伺った。この時期の半村の作品は後に『わがふるさとは黄泉の国』、荒巻のは『白壁の文字は夕陽に映える』にまとめられる。あたしにとっては半村はまず「戦国自衛隊」の書き手だった(後の改訂版は読んでいないし、読もうとも思わない)。これらの中篇を助走として、半村は翌年『産霊山秘録』へと離陸し、さらに『亜空間要塞』へと飛躍する。山野浩一、河野典生、石原藤夫が本格的に書きだしたのも、おそらく森さんの慫慂があってのことだろう。

 「戦国自衛隊」は前後100枚ずつの分載で、これには興奮した。その気になれば大長編にもできる素材とアイデアを贅肉をそぎおとし、200枚という分量にまとめる。あたしの中篇、ノヴェラ好きは、たぶんここが淵源だ。同様に興奮したのが、2冊めに買った1970年11月号と12月号に分載されたハインラインのこれもノヴェラ「ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業」だ。訳はもちろん矢野さん。その後、原文でも読んだけれど、ハインラインで一番好きな作品。あたしにはこれと『ダブル・スター』があればいい。これはちょっとハインラインらしくないとも思えるダークな話。一見ファンタジィなんだが、実はわれわれの棲むこの宇宙そのものの成立ちに関わる壮大な話でもある。

 この11月号と12月号の間に臨時増刊「秋の三大ジャンボ特集」がはさまる。これも強烈だった。光瀬の時間ものの嚆矢「多聞寺討伐」に始まり、平井和正の「転生」があり、石森、藤子、永井が揃い、そして松本零士がブラケット&ブラッドベリの「赤い霧のローレライ」をコミック化している。原作はずっと後に鎌田さんの訳が出たが、未だに読んでいない。この時の衝撃で、もう満足。極めつけは、ハワードのコナン「巨像の塔」。

 コナンものはなぜか『ミステリ・マガジン』で先に紹介されているが、当時のあたしはそちらには目もくれていなかったから、これも初体験。もっとも、本当にコナンものをおもしろいと思ったのは、後になって前年1969年秋の臨時増刊を読んだとき。「秋の小説カーニバル」と題されたこの号は、SFM史上最強のラインナップの一つでもある。小松左京「星殺し」筒井康隆「フル・ネルソン」平井和正「悪徳学園」、そして星新一「ほら男爵の地底旅行」という、それぞれの代表作が並び、巻末にカットナー、クラーク・アシュトン・スミス、そしてハワードの各々のヒロイック・ファンタジイの中篇がどーんと控える。カットナーとスミスもハワードに優るとも劣らない傑作だが、この雑誌掲載のみだ。

 とにかくこの時期の SFM は翻訳、オリジナルがともに恐しいほど充実している。「戦国自衛隊」前篇が載った1971年9月号にはディレーニィの「時は準宝石の輪廻のように」(訳は小野耕世さん)、ニーヴンの「終末も遠くない」があり、後篇の翌月号にはディック「小さな町」、ル・グィン「冬の王」、スタージョン「海を失った男」という具合だ。

 森さんの新機軸の一つに、ヒューゴー、ネビュラ受賞作候補作の特集がある。1971年8月号がその最初のはずで、ル・グィン「九つのいのち」、シルバーヴァーグ「憑きもの」、そして、エリスン畢生の傑作「少年と犬」。ここにも半村良の隠れた傑作「農閑期大作戦」があったりする。

 1972年8月号のラファティ特集は今ひとつピンとこず、そのふた月前、6月号のロバート・F・ヤング特集はツボにはまった。とりわけ中篇「いかなる海の洞に」は泣きました。これまで邦訳されているヤングは全部読んでると思うけど、これがベスト。次点は「妖精の棲む樹」。なぜか特集に入らず、翌月に掲載。ひょっとして翻訳が間に合わなかったか、頁数の関係か。作家特集ではさらにそのふた月前のエリスン特集も忘れがたい。何てったって「サンタ・クロース対スパイダー」。つまり、この年は1月に当時のソ連作家、4月エリスン、6月ヤング、8月ラファティという具合だった。

 とはいうものの、なのである。1冊だけ選べ、と言われるなら、やはり1973年9月号をあげねばなるまい。ここには半村の『亜空間要塞』の連載が始まっている。これと続篇『亜空間要塞の逆襲』こそは半村の最高傑作ではないかと秘かに思う。河野典生がこの年に書きつづけていた、これも彼のベスト、というより日本語ネイティヴによるファンタジィの最高傑作のひとつ『街の博物誌』の1篇「ザルツブルグの小枝」。そして、この号はヒューゴー・ネビュラ特集として、クラーク「メデューサとの出会い」とアンダースンのベストの一つ「空気と闇の女王」。今、こう書いても溜息が出る。表紙の絵も含めて、この号はあたしにとっての SFM 60年の頂点なのだ。

 森さんのもう一つの功績はニュー・ウェーヴを本格的に紹介したことだ。もっともこの点ではメリルの『年刊傑作選』と『終着の浜辺』までのバラードの諸作によって、創元文庫の方が先行していた。あたしにとってのラファティの洗礼は『傑作選』に収められた「せまい谷」や「カミロイ人」連作だったし、バラードには夢中になった。それでも、1972年9月号と1973年5月号のそれぞれの特集と1974年6月号のムアコック特集は新鮮だった。この最初の特集のジャイルズ・ゴードンやキース・ロバーツがすんなりわかったわけじゃない。ウブな高校3年にそれは無理だ。しかし、アメリカのものとは違う英国のSFの土壌というものがあることは強烈に叩きこまれた。そこにはたぶん、その頃聴きはじめていたイギリスのプログレの影響もあっただろう。

 ニュー・ウェーヴについてはもっと前、1969年10月号が最初で、次の1970年2月号はもっとわかりやすかった。どちらも後追いだが、後者で紹介されたゼラズニィ「十二月の鍵」には痺れた。浅倉さんの筆がことさらに冴えてもいて、ゼラズニィの中短編では一番好き。

 ヒロイック・ファンタジイ、ニュー・ウェーヴと並んでクトゥルーの紹介も、1972年9月臨時増刊号がたぶん本格的な本邦初紹介だろう。たとえ初ではなくても、SFM でまとめて紹介されたことは大きい。あたしもこのとき洗礼を浴びた1人だ。もっとも、クトゥルーには結局入れこまなかった。ラヴクラフトは創元の全集の他、いくつか原文でも読んだけれど、むしろサイエンス・フィクションの作家だというのがあたしの見立て。クトゥルーはやはりダーレス以降のものではないか。「インスマゥス」は象徴的かもしれないが、ラヴクラフトの本領は「過去の影」や「異次元の色彩」「銀の鍵」や「カダス」で、「狂気の山にて」も立派なサイエンス・フィクションだ。というのは余談。

 こうして見ると、中3で沼澤洽治=訳の『宇宙船ビーグル号の冒険』によってSFに捕まったあたしは、高校の3年間に SFM とメリルの『年刊傑作選』で土台を据えられたことになる。

 SFの黄金時代は12歳というにはいささか遅いが、人生80年なら今の人間の精神年齡は実年齢の8掛という山田風太郎理論にしたがえば、ぴったり重なる。(ゆ)

 先日、中川さん@SFUから電話が来て、アンディの詩集が出るんやけど、知っとる? 世間知らずのあたしが知るはずがない。たまたま松井ゆみ子さん@スライゴーからも出るんですよー、とメール。そこについていたサイトを見てみてびっくり仰天。なんとなんと柴田元幸氏の訳ではないか。こりゃ、たいへんだ。

 アンディのレパートリィから21曲、それもオリジナル、トラディショナルほぼ半々。伝統歌を柴田氏がどう料理されているのか、それはそれは気になる。

 いったい、何を収録したのだろう。書名にもなっている Never Tire of the Road は別として、West Coast of Clare はまず確実だろう。Blacksmith も入っているはずだ。Martinmass Time はどうだろう。Viva Zapata、Edward Connors、Curragh of Kildare、Patrick Street、Forgotten Heroes... いや、3月の刊行が楽しみだ。イラストも特別のものらしい。

 刊行が03/20になってるが、センパトには間に合うんだろうか。あたし? もちろん、予約しますよ。10冊くらい買って、あちこち配ろうか。

 いやあ、しかし、アンディの歌やアイルランドの伝統歌を、柴田氏のような人の日本語で読める日が来るとは、まったく思いもよらなかった。柴田氏がやられることになった経緯も知りたいものである。(ゆ)

 恒例のアウラのクリスマス・コンサート。今年は現メンバーでの初のフル・アルバム《クリスマス・ソング・ブック》を出した、そのレコ発コンサートでもある。

 フル・アルバムを新たに録音するのはやはりいろいろと大変なことであって、それによってミュージシャンやバンドが成長するきっかけにもなる。アウラの場合、まことに大きく作用したらしい。MC でも、かなり苦労したことは触れられていたが、それ以上に、演奏そのもの、歌唱そのものにその成果ははっきりと出ていた。

 アウラの歌でこれほど感動したのは初めてだ。

 あたしにとって、音楽への反応のレベルとして通常最高なのは、つくづくしみじみといいなあ、と思えることである。音楽を聴いてきて、ほんとうによかった、この愉しみがあってしあわせ、これで明日も生きていけると心の底から湧いてくるときである。アウラのライヴでそういうことは何度もあった。ヘンデルの〈ハレルヤ〉や〈荒城の月〉などはその例ではある。

 今回はそこを突き抜けてきた。聴いていて背筋に何度も戦慄が走る。この感覚、状態はもう言葉にはならない。読書や絵を見てそうなることもあるが、音楽での感動は遙かにずっと大きく、深い。自分という存在が根柢から揺さぶられる感覚。時間が止まる、あるいは時間が無くなってしまう感覚。物理的な次元からぽっかりと離れる感覚。人が唄う、伴奏も増幅も無く、人が唄うのを聴くだけで、そういう状態にほおりこまれる。

 そのきっかけの1つになっていたのは星野さんの低音。例によってアレンジを変えているのが、今回はアウラに可能な声域を上から下まですべて使うことを目指したように聞える。そこで下に膨らんでゆく声が、どこか胸の奥底にあるツボにびんびんと響いて、たまらない快感を生む。冒頭の〈Gaudede〉からそれが起きる。

 広い声域を目一杯使うアレンジと、それを十全に展開するシンガーたちの声の効果が最も大きく出ていた、とあたしには聞えたのは〈戦場のメリー・クリスマス〉だった。器楽曲に歌詞を載せるのがアウラの基本だが、この曲には歌詞は無い方がいい、とあえてスキャットで唄ったのはまさにどんぴしゃ。これはこの曲の1個の究極の演奏ではある。

 それに続く〈カッチーニのアヴェ・マリア〉もまた凄い。従来の録音からテンポをわずかに落とし、十分にタメて唄う。こういうタメは出そうとして出るものでもないだろう。個々のメンバーの力量とアンサンブルとしての力量がともに上がってきて、自然に出てくるものと思える。あるいは、そこまでのレベルに達して初めて可能になるものだろう。

 もう1つのハイライトは後半の〈White Christmas〉。星野さんのリードが効いていて、ひたすら聴きほれる。それが飛びぬけているのではなく、低くのびる声に導かれて、歌の世界にもっていかれるのだ。難易度がとんでもなく高い難曲だと後で明かしたが、すでに立派なものだ。

 これまでは、良くなったところが比較的はっきりわかるところがあって、ああここがすばらしい、とか、あそこが巧くなったなあ、と見えていたのだが、今回は初めから最後まで渾然一体となってまことにすばらしい音楽に浸っていた。明らかにレベルの次元が変わっている。こうなってくると、たとえば〈Wexford Carol〉をアウラの歌で聴いてみたくなる。

 沖縄・金武町の観光大使に続いて、長野・駒ヶ根市の応援団に任命されたそうだが、この分だと大使や応援団になってくれという依頼が全国各地から殺到するのではないか、と要らぬ心配をしたことではある。(ゆ)


アウラ
畠山真央
池田有希
菊池薫音
奥脇泉
星野典子

クリスマス・ソング・ブック
アウラ
トエラ・クラシックス
2019-11-27


 昨年の第10回はやむをえず欠席で残念無念。今年は万全の体制で臨んだ。このところ、岡さんのライヴはこの木馬亭独演会で年に1回見るだけになってしまっているのはもう少し何とかしたいが、ライヴ通い全体の回数を絞ろうと努めているので、なかなか行けない。これだけでも行けるのは、それだけに嬉しい。

 この人の声と歌にはほんとうに元気をいただく。もう、ほんとに、どーしょーもない世の中で、いっそのこと、火星に亡命でもしたいくらいだが、岡さんがうたうのを聴いていると、よおし、もう一丁、やってみるかという気になる。こういう人が、同時代に生きて、唄ってくれていることのありがたさが身に染みる。

 今回は前半一部はカンカラ自由演歌で、例によってカンカラ三線だけを伴奏に、ソロで唄いまくる。後半の二部は昨年出したアルバムのライヴ版で、録音にも参加した武村篤彦氏がエレクトリック・ギター、パーカッションに熊谷太輔さんというトリオで、「フォーク・ロック」をやる。

 今年は〈東京節〉、「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ」というあれの百周年にあたるそうな。これをラストに置いて、鳥取春陽の〈緑節〉に始まり、明治の〈人間かぞえ歌〉から令和の〈人間かぞえ歌〉につなげ、〈値上げ組曲〉〈増税節〉〈カネだカネだ〉と畳みかける。〈ああわからない〉では客席に降りて、中央の通路を後ろまで来る。誰が来ているか確認してます、と笑わせるが、本当に確認もしてる様子。〈十九の春〉は〈ラッパ節〉の替え歌とのことで、次は〈ラッパ節〉。そして〈東京節〉で締める。

 いつものことながら、カンカラ三線のミニマルな伴奏が歌そのものを引き立てる。無伴奏で唄うよりも親近感が生まれる一方で、伴奏には耳がいかない。一昨年は貫禄のようなものを感じたが、今回はむしろ迫力がある。このクソったれな世の中、何するものぞ、という気概。明治、大正、昭和の演歌師たちもこの気概を発散していたのだろう。

 休憩、というほどのこともなく、BGMにしては音が生々しいと思ったら、幕が開いて、3人が演奏している。左にギターの武村氏、真ん中に岡さん、右に熊谷さん。岡さんだけ立っている。岡さんはアコースティック・ギターとハーモニカ。今度は全曲自作の「フォーク・ロック」。

 武村氏のギターはアーシィなセンスがいい。派手なリード・ギターではなく、ちょっとくぐもったトーンで、渋いフレーズを連発する。

 熊谷さんはいわばホーム・グラウンドで、これもむしろ地味に抑え、ブラシを多用して、ややくすんだパステルカラーの味わい。こういうのを聞くと、セツメロゥズあたりでは、フロントに拮抗できるだけの気合いをこめているのがわかる。あちらでこういうドラムスを叩いたら、たぶんぶち壊しなのだ。

 昨年出した《にっぽんそんぐ》収録の全14曲を全部やる。ほとんど一気呵成。フォーク・ロックと言いながら、ディランで言えば《John Wesley Harding》か《血の轍》の趣。熊谷さんはレヴォン・ヘルムだが、武村氏はロビー・ロバートソンというよりはバディ・ミラー。岡さんのハーモニカは初めて聴く気もするが、冴えわたる。

 とはいえ、ここでも声の力をひしひしと実感する。それはまたコトバの力でもあって、「サケサケサケサケサケ」というリフレインに血湧き肉踊る。踊るといえば、常連客の1人で、いつも踊るおっちゃんが、途中でもうたまらんという風に立ち上がって踊りだす。声とコトバにビートの力が加わると、確かにじっとしてはいられない。

 ラストはやはり〈東京〉。これを聴くために通っているようなところもある。

 引っこんだと思ったら、岡さんが1人で飛びだしてきて、アンコール。客席からリクエストがかかり、それに応えてまずアカペラで唖蝉坊の〈むらさき節〉。そしてカンカラ三線で〈春がきた〉。

 今年も無事、聴けた。地震のくる来年はどうだろうか。すでに10月4日と決まっている。

 月明かりの浅草は昼間の喧騒はさすがに収まっていたが、まだ余韻に浸りたい人がわさわさいる。1人、ベンチに腰を下ろし、本堂を眺めている白人のおばさんは、ベテランの旅行者の雰囲気。こういう人に岡さんの歌を聞かせたら、何と言うだろう。(ゆ)

岡大介: vocal, カンカラ三線
武村篤彦: electric guitar
熊谷太輔: drums

にっぽんそんぐ ~外国曲を吹き飛ばせ~
岡大介 武村篤彦 仲井信太郎
off note / Aurasia
2018-04-29






かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう
小林寛明 岡大介
オフノート
2008-02-03


 このユニットは服部阿裕未さんが歌を唄うのがテーマの一つだが、いきなり歌で始まったのには、ちょっと意表を突かれた。ジブリの〈風の通り道〉。この歌を聴くたびに、あたしは辻邦生が水村美苗との往復書簡集『手紙、栞を添えて』のエピローグとして書いた「風のトンネル」を思い浮かべる。辻のほとんど絶筆といっていいこのエッセイは、軽井沢の家から浅間山に向かって風が開いたトンネルに、自分の表現活動の源泉ないし根幹またはその両方を認め、その生涯をまとめあげた美しい文章で、宮崎駿が示そうとしたものとは、まああまり関りは無い。無いのだが、この歌を聴くたびにこの文章が思い浮かぶ。逆はあまりないが、歌は文章を呼びおこす。そしてその文章を読むときの、静謐な時間の味が甦る。

 服部さんの歌唱は精進の跡が歴然としている。シンガーとしての実力が上がったというよりは、プレゼンテーションのコツを摑んでいる。人前で歌を唄うのは、ただその実力を常にフルに発揮すればいいということではたぶん無いのだ。ライヴの場の設定によっても、一つのギグの中においても、どこまで力を出すかは変わってくるのだろう。たとえばここでの歌唱と、後の〈想い出づれば〉での歌唱では、実力の出し方は明らかに違った。

 アレンジも良くなっている。コンサティーナとブズーキのバックは静かに始まって、徐々に盛り上げてゆく。ライヴの後で高梨さんがしきりに「按配」を気にしたと言っていたのがよくわかる。バックの音量が大きすぎず、小さすぎず、実にうまく「按配」されている。

 歌が半分。前回もやったスザンヌ・ヴェガの〈The Queen and the Soldier〉も格段に良い。これは三拍子の曲であることに初めて気がついた。服部さんの歌はスイングしている。

 〈Johnny's Gone for a Soldier〉は悲劇を明るく唄うのがミソで、ここでもホーンパイプの〈Rights of Man〉と組み合わせて楽しいが、服部さんの声は愁いを帯びていて、どうやっても明るくなりすぎない。意識してうたっているとすればたいへんなものだし、生来のものであるなら、ますます貴重だ。

 そしてとどめは〈想い出づれば〉。John John Festival もやっている明治の唱歌を、やはりコンサティーナとブズーキをバックに正面切って唄う。唱歌とか歴史とかいう前に、一個の良い歌として唄いきる。しかも伴奏楽器とアレンジによる斬新なシチュエーションの中で唄われて、これは今の、現代の歌として聞える。歌詞は意味云々の前にまず美しい。言葉の響きが美しい。明治の人びとはヨーロッパの文物に出会って、これを日本語に移すために苦闘した。その苦闘によって日本語はそれ以前とは次元を異にするほど幅の広い表現能力を獲得した。いわゆる小学校唱歌もまたその苦闘の一環でもあり、またその最上の成果の一つでもある。こういう歌を聴くとそう思う。それらはまたアイルランドやスコットランドの伝統歌のメロディを採用することで、そうした伝統歌そのものへの我々の回路を開いてもくれたが、ここではそのメロディもあたかも我々自身の伝統のようにも響く。

 この方向はぜひ探究してほしいし、本人たちも何か摑んだものがあったらしい。この日唄った〈Uncle Rat〉はアイルランドのわらべうただが、日本語のわらべうたまで含めた日本語の歌のアイリッシュ的解釈を集めて1枚アルバムを作ってもいいのではないか。

 歌がよくなるとダンス・チューンも良くなる。という法則があるわけじゃないが、これもまた良くなっている。前半のポルカでは音を伸ばさずにスタッカートのように切るのが面白く、アンコールのリールではうまく回っているセッションの趣が味わえた。が、個人的ハイライトは後半のジグのセット。コンサティーナ、アコーディオン、ブズーキという組合せが珍しいことはご本人たちも自覚しているそうだが、こんなに面白いものとは今回の発見。とりわけ、コンサティーナが低くふくらむところやコンサティーナとアコーディオンがからみ合うところは、もうたまりまへん。こういう低い音の膨らみは蛇腹楽器ならではだ。笛ではできないこういうことをやりたくてコンサティーナに手を出したという高梨さんの気持ちもよくわかる。

 こういうユニットを聴くのにホメリはぴったりではある。サイズも響きも、増幅無しに聴いて気持ちがいい。ちょうど繊細なイラストの展示もしていて、これまた彩の音楽に雰囲気がぴったりだった。こういう音楽を生で聴くと、耳の健康にも良いように思うのは錯覚とばかりは言えまい。(ゆ)



 いやあ、めでたい。ようやく出てくれました。ほんとはちゃんと全部読んでからレヴューすべきでしょうが、嬉しくて、とにかく紹介だけしときます。安い本ではないけれど、いやしくもアイルランドに関心があるならば、一家に1冊。せめて、地元の図書館には購入希望を出しましょう。

 これまで日本語で読めるアイルランドの通史としては、『アイルランドの風土と歴史』ぐらいしかまともなものは無かった。序章で上野も言うとおり、「イギリス史」の付録でしかなかったわけです。今さら「国別」の歴史かとおっしゃる向きもあるかもしれんけど、国よりも地域として見ればそれなりのまとまりもあるし、なにより把握がしやすい。宮崎市定の言うとおり、志は世界史でも、いっぺんに世界の歴史を書いたり読んだりするわけにもいかんわけで、宮崎が中国という空間の歴史を書いたように、アイルランドという空間の歴史をまずは読みましょう。

 それにしてもこれまでアイルランドの通史が出なかったのは、研究者がわが国にほとんどいなかったため、という上野の指摘にはなるほどと思いました。その昔、音楽からアイルランドの歴史に関心が湧いたとき、日本語で読めたのは松尾太郎と堀越智の本ぐらい。文学研究はたくさんあったけれど、歴史の本はとにかく無かった。松尾は経済史、堀越はノーザン・アイルランドが対象で、各々に面白くはあるけれど、全体像や、近代以前の歴史を知りたいと思うと、役に立たない。

 上野格と故堀越智の両氏は同い年で、あたしの親父の世代ですが、こういう本を出せるのは感無量ではないかと拝察します。

 面白いのは女性の執筆者が多いことで、これほど女性が多いのは、他の歴史の分野でもあんまりないんじゃないか。あたしは大いに言祝ぐことだと思います。こないだ、グレイトフル・デッド関係で Rosie McGee の Dancing with the Dead-A Photographic Memoir をすこぶる面白く読んだんですが、女性から見ると見えることや感じることが男性のものとはやはりまるで違ってくるんですよね。

 アイルランドの歴史の場合は女性が進出しているとして、スコットランドの歴史なんて、どうなんでしょう。うーむ、しかしスコットランドやウェールズの歴史をわが国で研究するのはこうしてみるとなかなか大変かもしれませんね。「イギリス史」に呑みこまれちまう。アイルランドは島が別だからまだやりやすいところがある。この「世界歴史大系」のシリーズで『スコットランド史』とか『ウェールズ史』が出るなんて、まずありえない。

 それはともかく、近現代ばかりでなく、古代や中世を研究する人が出てきてくれたのは嬉しい。この本で何がありがたいといってあたしとしては第一章と第二章が一番ありがたい。あのややこしい中世の様相をぱっと一望のもとに見せてくれるんじゃないか。とともに、アイルランド語固有名詞の日本語化です。これでとにかく一応の基準ができる。それにしても「ブリアン・ボールヴァ」ですか。そりゃあ、「ブライアン・ボルー」は英語名ですけどね。皆さん、これからは「ブリアン・ボールヴァ」でっせ。

 もう一度それはともかく、クロンターフの戦いはヴァイキングと「アイルランド王」ブライアン・ボルーが戦って「外国勢力」を撃退したわけじゃあない、あれは国内対立の延長だとちゃんと書かれていて、あたりまえと言やああたりまえなんだけど、胸がすっきりしました。

 蛇足だけど、『アイルランドの風土と歴史』が参考文献に上がっていないのは疑問。そりゃ、学術的には深いものじゃないかもしれんけど、原書の執筆者たちは当時のアイルランド史学界トップの人たちだし、日本語としてはとにかくこれが唯一の頼りという時代が長かったんだから、わが国におけるアイルランドの歴史像形成に一役かっていることは否定できんと思うんですが、どうでしょう。参考文献はそういうもんじゃないと言われればそれまでですが。

 一方であたしが訳したテレンス・ブラウンのアイルランド現代文化史が入っていて、もちろんあたしのせいじゃなくて、原書が優れているからですが、日本語ネイティヴのアイルランド史研究にあたしも僅かながら貢献できたかと思うと、ちょっぴり嬉しい。

 それにしても、政治・経済中心で、文化史、社会史の視点がほとんど無いらしいのはねえ。補説で少し補われているとはいうものの、うーん、ちょっとなあ。これまた、そういう研究をしている人がいない、または適当な執筆者がいないのかもしれませんし、スペースの余裕が無いのもあるんでしょうけどね。音楽を歴史の文脈で研究するのが難しいのもわかります。とはいえ、ハープが国の紋章になるくらいなんだから、補説の一つぐらいはあててもよかったんじゃないですかねえ。それこそハープが国の紋章になるのはどういう経緯で、なぜなのか、とかね。

 なにはともあれ、これで土台が据えられました。アイルランドの歴史の各分野の研究がこの上にどんどんと積み上げられてゆくことを期待します。そして、同僚向けの学術論文ばかりじゃなくて、あたしらのような素人も楽しく読めるような、そう、中国史の宮崎市定のような本がたくさん出ますように。

 なぜアイルランドかと問うことで見えてくることがある、という序章での上野の指摘はその通りでしょう。アイルランドから見たブリテン、ヨーロッパ、北米やオーストラリア・ニュージーランド、あるいは世界の歴史を読みたい。それも日本語で書かれたものが読みたい。アイルランドはユニークな地位を占めると思います。小さいが故に、ヨーロッパの北西の端という辺境の位置の故に、中心では見えず、かつ本質を貫くような視点を持てる。ここを出発点として、日本語ネイティヴによるアイルランドの歴史研究が大きく花開きますように。(ゆ)

 いやあ、興奮しました。ジャズに限らず、音楽に関する本でこんなに興奮して読んだのは、『文化系のためのヒップホップ入門』以来。あれも「世界が変わってゆく」のを実感しながら読んだもんですが、これまた「ジャズから見た世界」が根底からひっくり返されてゆく快感を満喫しました。もう、ばりばり音楽が聴きたくなってます。

 村井さんの『あなたの聴き方を変えるジャズ史』が、いわば北米大陸の上空から見たアメリカ音楽史の鳥瞰図をジャズにフォーカスして語ったものとすれば、こちらは地上に降りて、今新たな高みに登りつつある地点から、過去100年を眺めたものと言えるでしょうが、内容は遙かにラディカルです。ジャズの「正史」はほとんど完全にひっくり返されてます。「頑固なジャズおやじ」は読んではいけない。これは、最近ジャズを聴きだした、これからジャズを聴いていこうという人のための本です。

 鍵はヒップホップです。『文化系のためのヒップホップ入門』を読んでいたのはそれこそ「参照項」としてありがたかった。あれを読んでもヒップホップを聴きたいとは思いませんでしたし、今でもそうは思いませんが、ヒップホップによってポピュラー音楽の様相ががらりと変わってしまったことは納得していました。ただあたしの理解では、ヒップホップはポピュラー音楽でもいわば上部構造を変えたので、伝統音楽につながる下部構造まではその作用はまだ降りてきていなかった。しかし、この本を読むと、少なくともジャズはヒップホップによってものすごく大きく変化しています。ありていにいえば、ヒップホップによって、再生された。今のジャズの復活と盛り上がりは、物心ついたときにはヒップホップがあって、これを他の音楽と同様に聴いて育ってきた人たちによって、新たな音楽として立ち上がってきている。

 ヒップホップの重要なファクターとして過去の資産の再利用があります。過去の録音で使えそうなものを発掘するわけです。この場合の選択基準はその録音がジャズをどう変えたかとか、音楽としてどれだけ質が高いかとかではない。それで踊れるか、気持ちよくなれるか、になる。この評価軸の変更、というよりも、新たな評価軸によって見たジャズの100年は、当然、これまでの「正史」とはまったく違うものになる。そして、今、ここ数年、ということは2010年代に入ってからですね、劇的に復活し、盛り上がっているジャズを生みだしているミュージシャンたちは、この新しいジャズ観を共有し、それを土台にしています。

 ひと言でいえば、これまでリスナーの視点から書かれてきた「正史」が、ミュージシャンの視点によって別のものとして書き換えられている。それも、文字によってではなく、音楽そのものによって。

 これはスリリングです。しかもそうして書き換えている音楽を、ミュージシャンだけでなく、共有するリスナーも登場している。たとえばグレッチェン・パーラトの LIVE IN NYC で歓声をあげている聴衆は若い人たちでしょう。パーラトの音楽はジャズとしか呼べないし、本人もジャズをやっていると思っているのでしょうが、リスナーは必ずしもこれがジャズだと思っていないかもしれない。少なくとも、そのジャズはその人にとって他の音楽から飛び抜けた特別のものではなく、パーラトを聴く同じ人が、ヒップホップも聴けば、ロックや、クラシックや、あるいはアイリッシュだって聴いている。というのは筆が先走りしましたが、つまり聴いている方もヒップホップを聴いて育っている。

 この「聴いて育つ」というのは、必ずしもそれを熱心に聴いたということではなく、否が応なく耳に入る、音楽を聴こうとすれば、いや聴こうとしなくても、よほど意識的に排除するか、隔離教育でもされないかぎり、好き嫌いの前にごくあたりまえに入ってくることです。

 ヒップホップが音楽的素養の一部になっている人たちが、ミュージシャンでもリスナーでも増え、中心になってきたことが、ジャズの今の隆盛を招いた。その地点から振り返ると、これまでの「正史」で大きく扱われていた「巨人」たちは後景に退き、評価されなかったり、目立たなかったりした人たちや録音が脚光を浴びるわけです。評価が低かったり目立たなかったりしたのは、必ずしも音楽の質が低い、つまらないというだけではなく、評価が難しい、よくわからない、その時の流れから一見飛び離れている、ということも多かった。そういう人たちや録音も、今新しい地点から見ると、わかってくることがある。

 たとえば本書の第1章でとりあげられるのは、まずモンクであり、次にドルフィーであり、そしてブッカー・リトル、ディジー・ガレスピー。これが実はジャズの本質だ、こいつらの面白さがわからなければ、ジャズがわかったとは言えない、と言われると、トウシロのあたしだってええっとのけぞります。しかし、お三方の議論は説得力充分で、よおし、こいつら聴いたれ、ともりもり意欲が湧いてきます。

 他の3人はともかく、モンクはジャズ離れしたところがあって、自分がやりたいことができるのはとりあえずジャズの界隈だから、そこでやってるという感じがしてます。ザッパがロックを「使った」ようなもんですな。でも、ジャズでやったということはやはり後につながるものが出てくるので、かれのような音楽が可能であるというのはジャズの懐の深さにもなるし、またその深さをさらに深くしている。

 第2章で語られるのは、ジャズの形。あたしはジャズは方法論という点では中村とうようの意見に賛成ですが、ここでの議論を読んでみると、ジャズは疑似伝統音楽ではないかと思えてきました。伝統がないところでも人はやはり伝統を求める。音楽とは基本的には伝統音楽です。ローカルな社会の求めに応じて生まれ、口承によって伝えられている。クラシックも含めて、今、音楽とされている商業音楽は20世紀以降、録音技術によって生まれたもので、音楽の本来の立場からすれば歪んだ形でしかない。ロックやレゲエとは異なり、ジャズは自然発生している。つまり商品として売るために作られたものではなく、ローカルな社会のために生まれている。アメリカは他の旧大陸の社会のような伝統が無いので、様々な形で疑似伝統を作りますが、ジャズもその一つだった。今のクラシックも疑似伝統音楽の様相があると見えます。

 その最も顕著な側面は過去の資産の参照とともにコミュニティ意識と教育制度です。ミュージシャンたちは、ヒップホップで育ちながら、自分の表現の形態としてはジャズを選びとっている。まあ、ジャズに選ばれた、という言い方もできるでしょうけど、それはまた別のお話。そしてジャズをやるために様々な形で教育をされている。これがバークリーのような形をとるところが疑似たる所以です。そこで教えられることは、もともとは口伝えで習ってきたもので、かつてはジャズもそうだった。ただ、理論としてシステマティックに伝えるというのは、音楽伝統をオープンにもします。その理論を身につければ、誰でも、極端にいえば、アルファ・ケンタウリ人にだってジャズはできる。

 アイリッシュ・ミュージックがいま世界中に拡がっているのも、独自の教育制度があるからではないか。つまりセッションです。アイリッシュ・ミュージックのセッションとはどういうものかは、もうすぐアルテスパブリッシングから出るガイド本を見ていただきたい、とこれは宣伝ですが、セッションの特徴の一つは個人の師匠から弟子という形よりも、集団のなかで伝え、また伝えられてゆく様相が大きいことです。

 バークリーのような形になると、教師として優れた人からたくさんの弟子が出ることがありますが、音楽そのものとしては、その教師に属するのではなく、コミュニティに属する。

 加えて、今のジャズが個人の才能を表に出すのではなく、集団として、アンサンブルとして、バンドとして、全体の音楽としての質を重視する。これもあたしには、伝統音楽としての本来の在り方に近いように見えます。

 ジャズは疑似伝統として生まれたけれど、すぐ商業化されたことで、急速に拡大発展します。サッチモからコルトレーンまでの展開は、商業化の圧力によって猛烈に加速されたわけです。当然これは相当に無理が重ねられたので、商業化がフュージョンで極点に達すると、その反動がきます。資源が枯渇したわけです。それでも80年代はまだベテランも健在で、ワールド・ミュージックを促した動きもあって、多様性が確保できたのでかなり面白かったわけですが、90年代に入って、世代交替するともういけません。ジャズは「死に」ました。そして、ヒップホップによる革命を経て初めて生き返った。おそらくこれは文字通り生き返ったので、音楽の形としては、かつてのものとはまるで別のものです。

 ただ生き返ったものはジャズとして生き返った。方法論というのはここのところで、「ジャズの精神」ともいえるかもしれない。つまり、ミュージシャンがやりたいことを優先する。売れることを優先するのではない。いや、売れることも少しは考えるかもしれないけれど、それよりはこういうことをやったら面白いだろうということをやる。

 この本の冒頭に出てくるエスペランサ・スポルディングの音楽は、昔だったらジャズとは呼ばれない。ロックに分類されていたでしょう。たとえばキャプテン・ビーフハートの音楽に表向きは近い。ザッパの一部にも通じる。あえて言えば、彼女のうたの「異様な曲想」(後藤)には、ラル・ウォータースンのつくるうたの異様さと同質なものをあたしは感じます。ラルは北イングランドの伝統音楽ファミリー、ウォータースンズの一員で、兄弟のマイクとの共作《BRIGHT PHOEBUS》という傑作がありますが、これやその後息子のオリヴァー・ナイト Oliver Knight のサポートで出したソロの諸作に収められた曲は、イングランドからしか出てこないものでありながら、その伝統とはまったくかけ離れたところに立っている。他の伝統やポピュラー音楽からもかけ離れている。つながりがあるとすれば、そしてつながりはあるはずですが、それはビーフハートやモンクの音楽や、そうスポルディングの音楽を生んでいる何かになるでしょう。少なくともそう聞えます。


Bright Phoebus
Lal Waterson & Mike
Domino
2017-08-04



 ラルの娘のマリィ Marry Waterson も、母の衣鉢を継ぐうたを作り、うたっていて、嬉しいですが、これは余談。

 一方でスポルディングの音楽はやはりまぎれもないジャズとあたしにも聞える。もちろん、それはこれを何と呼ぶかと問われた上での話で、これがジャズだからどうこうということではありません。ジャズであろうとなかろうと、これはいい音楽だし、面白い。でも、であります。されど、なんだけど、やっぱりこれをジャズとして、他の音楽とならべてみるとまた別の面白さが出てくる。あるいはジャズの(疑似)伝統の中でのつながりをたどってみると、また別の面白さが出てくる。

 たぶん、そういうことなんでしょう。単独の、孤立したものとして聴くよりも、つながりを辿り、参照項を確認して、またもどってくると、あらたな面白さが生まれる。それが音楽を聴く楽しさなんです。ヒップホップはそれを、曲の中に組込んだ。それによって引用や参照した先に跳ぶわけです。これはデジタルのつながり方です。リンクをクリックして跳ぶのと同じ。アナログの、こいつの隣にはあいつがいてとか、レーベルが同じとかとはまったく違う。ブルーノート1500番台というくくりは通用しない。

 ヒップホップのつながり方がデジタルと同じになるのは、おそらく今の時代に共通する要素であって、インターネットが社会全体を変えていることの反映でもあるのでしょう。ネットは音楽の引用、参照先だけではなく、楽曲や録音の伝達のしかた、ミュージシャンやリスナーの意識まで変えています。ストリーミングと YouTube の時代に、もはや音楽も変わらざるをえない。

 音楽の基本はライヴです。これは動かない。録音でしか生まれない音楽もたくさんあるし、そもそも過去の資産の引用、参照となると録音で初めて可能になるわけですが、でも、音楽はまずライヴです。生身の人間がそこで演奏する、うたう。すべてはそこから始まる。たとえ、ギター1本の弾き語りでも、音だけで聴いているのと、ギターを弾きながらうたう姿を見るのとでは、音楽が入ってくる度合いが違います。ただ、本書の末尾で後藤さんも指摘するように、一度ライヴを見れば、その後は録音だけ聴いても想像できるようになる。だから YouTube は音楽にとっては革命です。間接的でも、とにかく演奏し、うたっている姿が見られる。かつてはそれは写真の1、2枚から想像するしかなかった。その写真すら無いこともたくさんあった。

 そしてストリーミング。この本を読みながら、聴きたいと思ったその瞬間に聴くことができる。ジャズの音源はまずたいていは出てきます。廃盤で市場ではアホみたいな値段がついているものも定額で聴けます。今あたしは Tidal を試してますが、アイルランドの個人がプライヴェートで出したばかりものはさすがに出てきませんけど、fRoots 誌が薦めている録音の8割は出てきます。しかも、その音源ファイルを手許に持っている必要もない。大容量の外付ストレージを買い、バックアップに気を使わなくてもすむのです。音楽を聴くことについて、こんなに集中できる環境はこれまでなかった。ブツが無くては、などというのは、音楽が好きなのではなくて、単なる所有慾でしかない。

 というのは酷かもしれませんが、リスナーにとっては、今は天国です。こんなに音楽を聴けるようになったことはかつてありません。当然、そのことは今生まれてくる音楽に影響します。ミュージシャンはまずリスナーであるからです。そして、生まれが異なる音楽を、様々にこねあわせ、一つの楽曲として提示するのに、ジャズほど柔軟性が高く、面白くなる方法論もありません。

 そしてこの変化はまだ止まったわけではない。変化の真最中でもあります。これからどうなるか、誰にもわからない。村井さんが言うように、クラークの『幼年期の終り』で突破してゆく子どもたちのように、従来から聴いてきた人間にとっては、まったく理解できない、鑑賞できないものになる可能性もあります。ひょっとするとその方が高いかもしれない。でも、じゃあ、変化を止めてくれ、とはあたしは言いません。たとえそうであろうと、この先を見たい。今起きていることを楽しみつつ、これがどうなるのか、見届けるまでは死ねない。生きている間にその変化が一段落しないことも大いにありえますが、それでも生きているかぎり、音楽を聴いて楽しむことができるかぎりは、その変化を追いつづけたい。

 だから、あたしは今、ほんとうに久しぶりに、猛烈に音楽が聴きたくなっています。

 いや、しかしこれは困ったことでもあります。今のジャズを聴き、その参照項を聴き、あるいはそこから派生する枝を聴き、となると厖大なんてもんじゃない。それに、ジャズばかり聴いているわけにもいきません。ジャズを活性化しているその同じ動き、大きな変化は、あらゆる音楽を活性化してもいます。アイリッシュ・ミュージックのようなルーツ音楽を見ても、それは明らかです。いったいどう時間を割りふればいいのか。音楽だけ聴いているわけにもいきません。読みたい本は山のようにあり、どんどん増えています。活性化されているのは音楽だけでもないのです。歌舞伎や文楽も見たいし、絵も見たい。まったくパニックに陥りそうです。

 むろんここに書いたことは、この本がカヴァーしていることのごく一部にすぎません。あたしにとって当面一番面白かったところだけです。語られていることの密度の濃さは恐しいもので、掘ってゆくともっと面白いことはいくらでも出てくるでしょう。何か溜まっていたものが、一気に吹き出た感じもあります。タイムリーといえば、まさに今出るべくして出た本でもあります。そして、おそらくこの本自身が、参照項として利用されてゆくでしょう。お三方と、この本を造らられた方々には心より感謝します。

 唯一の欠点。索引が無い!(ゆ)


100年のジャズを聴く
後藤 雅洋
シンコーミュージック
2017-11-16



 今年で九年め。来年は十周年。2018年9月30日。何をやるのか、今から楽しみ。

 実に久し振りの岡さんのライヴ。一部は演歌をさらっと4曲。〈復興節〉の現代版から始まり、次の〈ストトン節〉がまずはハイライト。岡大介入魂のオリジナル歌詞をこれでもかとぶちこんだスペシャル版で、うたい終って、今日はもうこれで終りという気分です、という。全国回りながらうたううちに好きな歌謡曲が2つできました、とうたったのが〈王将〉と〈大東京音頭〉。

 前者は大阪のうたということで登場したのが、桂九雀師匠。落語はそれほど好きではないが、大いに笑わせていただきました。教養の無い成金の隠居がステイタスが欲しくてデタラメにやる茶の湯で皆が迷惑する噺。上方の方だけど、あんまり関西弁は強くない。あるいは東京というので手加減されたのかもしれない。

 シンガーのライヴに落語家が出るというのも、岡さんのものくらいではないか。確かに諷刺を旨とするところで演歌と落語は通底するところもあるし、パフォーマンス、それもコトバと声によるものという点では似ているが、普通はストレートにはつながらない。あるいは寄席というのは本来こういうものなのかもしれない。うたも落語も同列なのかもしれない。落語にはリズムやメロディは一見無いが、間のとりかたや声の抑揚は無ければ文字どおり噺は始まらない。とすれば、演歌は落語のエッセンスをぎゅっと絞りこんだもので、落語は演歌をある典型的具体的状況のもとに展開したものとも言える。両方続けて体験すると、それぞれがより深く訴える。

 第三部は唖蝉坊を中心とした、明治大正昭和の演歌乱れ撃ち。もちろん、原曲そのままではなく、時に岡さんのオリジナルの歌詞が入る。〈炭坑節〉の後に、この元歌をやったのは面白かった。

 十年、うたい続けて、それもほとんどストリートや流しでうたい続けて、これだけうたえる人は、今ちょっといないのではないか。マイクからはずれてうたっても、声はよく通る。貫禄がついてきたと言ってもいい。その割にステージングがあまり上達していないのは、あるいはこれが岡大介のキャラかもしれない。客の煽りに乗ってしまうのも、ひょっとすると芸人としては失格と言われかねないが、本質的にシャイな若者、年齡とは関係ない永遠の若者が、好きな唄をうたいたい一心でひたすらうたっている潔さをあたしは見る。

 うたにもいろいろあるが、岡さんの唄はコトバで勝負するタイプだ。聞いて歌詞が明瞭にわかることが命。そしてその歌詞で筋の通らないことを笑いとばす。聴く者にカタルシスを与え、元気をもたらす。

 舞台に現れず、袖で叩いて岡さんを支えた打楽器も良かった。

 頭の方で「ぼくがやっているのはうたです、音楽じゃありません」と言い切ったのには一瞬えっと思ったけど、聴いてゆくうちに、納得させられた。このうたは、音楽というよりも落語のような話芸にずっと近いのだ。そして、それはうたというものの本質の一つであろうとも教えられる。ひょっとすると、うたと音楽を同じ範疇に含めるのは、勘違いなのかもしれない。

 すっかり元気をもらって出てみれば、浅草寺はライトアップされていて、まだまだ観光客もたくさん歩いている。半月が鮮やか。(ゆ)

 今回の目玉は関島岳郎氏だ。予め知ってはいたものの、実際にチューバを抱える姿を見たときには感激した。ショックといってもいい。そして、期待は遙かに超えられたのだった。

 奈加さんの歌唱もまずまた一段と良くなっている。もともと備わっているものが一層磨かれてきた観があるのは、微妙なタメのためかたで、〈Molly Malone〉や〈Scarborough Fair〉でのコーラスには陶然とさせられた。とりわけ後者の、"Parsley, sage, rosemary and thyme" の "thyme" のところの丸み。

 毎週一度、アイルランド語のレッスンを受けているそうで、2曲目のアイルランド語のうた、カトリックの母からプロテスタントの息子へ呼びかけるうたや、〈人魚のうた〉には、その精進の跡が歴然としている。スコティッシュ・ガーリックでジャコバイト・ソングをうたったのもすばらしかった。

 ここで登場したのが、great bass recorder。関島さんの身長より高いものに、S字型の吹き口をつける。意外に音域は高く、ギターの方が低い音が出るそうだし、この下にコントラバスもあるそうだが、むしろこのぐらいの低域がちょうど良いのだろう。チューバに似て、ベースもできるし、メロディも吹ける。

 この低域のドローンが、うたのバックにあると、うたが一段と映えるように聞えたのは、奈加さんの声との組合せのせいかもしれない。〈Greensleeves〉でのバス・リコーダーのドローン、アンコールの〈ダニー・ボーイ〉でのチューバのドローンがことさらに良かった。後者でチューバがメロディを吹いたのも、なんとも新鮮。余分な感傷が流れおちて、メロディの美しさが際立つ。〈Scarborough Fair〉でのチューバ・ソロの味わいも深い。

 永田さんはピアノはもちろんだが、昨日はトイ・ピアノやカシオトーンも駆使して、面白い効果を挙げていた。最初、小型の鉄琴かと思っていたら、トイ・ピアノをピアノを右側に置いて、ピアノの高域とつなげて使う。カシオトーンは〈人魚のうた〉のバックでテルミンそっくりの音を出す。操作のやり方を見ていても、テルミンかと思ったら、カシオトーンと明かされた。こういう、不定形で、フリージャズにも通じるバックのつけかたは、今のところアイリッシュ系では永田さんの独壇場。

 冒頭に「今日はアイリッシュ・ミュージックには日頃親しんでいない方が多いので」と言っていた割には、なかなか凝った選曲。それも順番もよく考えられていて、休憩無しだが、うたの世界を堪能させていただいた。来年また伊勢神宮で奉納演奏が決まったそうだが、神さまばかりでなく、われわれ下々の者にももっとうたっていただきたい。

 4人掛けのテーブルには、後から渋いながら迫力のある初老の男性と北中さんご夫妻が一緒になった。この店は席は指定だから、それなりの意図があったのかもしれない。あたしもそうだが、北中さんご夫妻も、この男性、あとで元上々台風の紅龍氏と判明したが、皆さん、眼をつむって聴き入っていたのは面白い。

 それにしても関島さんは若々しくて、北中さんがあえてお年を訊いたら56歳というのに驚く。10歳は若く見える。明後日4日には吉祥寺のマンダラ2で「関島岳郎オーケストラ」という、それこそオール・スター・キャストのビッグ・バンドのライヴがある。どういうことになるのか、わかりませんとおっしゃっていたが、あのメンツなら面白くないわけがない。行けないのが残念。

 ぜひこのトリオでのライヴをまた見たい。次の録音には、関島さんをぜひ入れていただきたいものだ。アイリッシュは高域に偏る傾向がある。アイルランド人というのは世界で2番目に高音の好きな連中という話もあるくらいで、われわれ低音好きの日本語ネイティヴにはときに物足らなくなる。チューバやバス・リコーダーは、低音のドローンができるのが強味だ。ベースでもアルコがあるけれど、チューバやバス・リコーダーの音の柔かさは癖になる。(ゆ)

 BBEdit の本体がフリーになったぞと Bare Bones から知らせてきたので、本体とマニュアルをダウンロード。追加機能を使いたければ、買ってくれ。TextWrangler は macOS 次期ヴァージョンからサポートされない。
 
 テキスト・エディタを提供するのはなかなか大変だ。なにせ、頂点の Emacs がタダなのだ。しかし今や、文章を書こうというほどの人間なら、テキスト・エディタは必須のツールで、これ無しには書けなくなってしまった。と言うそばから、この文章は DevonTHINK で書いている始末だ。必ずしもテキスト・エディタを使う必要もまた無くなってしまった。

 とはいえ、少し真剣に文章を書こうとする、たとえばブログの記事を書こうとするとやはり mi を起動する。ふだんボールペンで書いていて、仕事には万年筆を使う。というのに似ていなくもない。しかし一冊の本の翻訳のような長い文章ではなくても、レコードのライナーや雑誌の記事など、4,000字またはそれ以下の文章でも、仕事となるとエディタを使うのは、我ながら何故だろう。

 普通に日本語の文章を書くかぎり、文章の入力、編集能力では、DevonTHINK と mi はそれほどの違いはない。カーソル移動もグローバルで設定できる。画面の気分の問題か。

 一番の違いはエディタでは縦書きができることだろうか。たとえ最終形態が横組であっても、書くときは縦書きが一番おちつくし、書きやすい。ことばもよく出てくる。文章の不備、改善が必要なところもよくわかる。もう何十年も日本語でも横組の文章を読み、また書いてもきているのだが、とりわけリニアな文章は縦書き、縦組でないとおちつかない。これはもう、個人的な体験というよりは、生まれてこの方、千年にわたって、縦に書かれてきた言語に備わる慣性、重みではないか。もっとも小説家の若い知人は、下書きは横書きで書き、最後に原稿にするときだけ縦にすると言っていたから、縦書きに磁力・重力を感じるのは、やはり字を書く初めが縦だったという世代的なものだろうか。

 昔、角川で横組で小説を出したことがあったが、全く売れなかった。今なら商売として成立するだろうか。たとえば村上春樹を横組で出せば、一気に小説も横組に転換するのかもしれない。紙の本は今のSP盤のようなものになるか。

 しかし、手で書くときは、縦に書く方が圧倒的に書きやすいように日本語はできている。これが漢字ばかりならば横でもほとんど変わらないだろう。実際中国では新聞も横組だ。ハングルも確か横組主流ではなかったか。漢字やハングルは縦にも横にもできるから横になる。それが、カナ漢字混じり文では、縦の方が楽に書ける。かなの字体がそうできている。縦に書く点で日本語は世界で唯一の言語だろう。

 もっとも少なくとも2種類、カタカナを含めれば3種類、さらにアルファベットも数えれば4種類の文字を日常的に使用する点ではまちがいなく世界で唯一つだ。

 日本語が大文明を造れなかった理由の一つかもしれない。

 文字を書くのが初めから横書きという世代、さらには手で書くことがほとんどなくなる世代にとって、縦書きは我々にとっての候文や擬古文のようなものになるのかもしれない。しかし、我々が年を経るにしたがい、候文や擬古文に郷愁を感じ、あるいは江戸以前の古典、漢文に魅力を感じるように、若い新しい世代も年齡を重ねると縦書きの良さを認めるかもしれない。

 外に出ると、スマホの画面で文章を打ちこんでいる姿を圧倒的に多く眼にするにしても、手で何やら書いている人も結構頻繁に見る気もする。文具店の筆記具売り場は相変わらず大きいし、新製品も活発に出ている。必ずしも学生向けだけではない。シャープペンシルもビジネス向きの「高級感」のある製品が必ず出ているようだ。

 メモや手帖への書き込み、アイデアの覚書など、パーソナルな筆記にあっても横書きの方が何かと使い勝手が良いことは否めない。しかし、たまに手紙などで縦書きをするときの安堵感、おちつき、しっくりなじむ感覚は、そうした便利さを補って余りある。考えるために書くときは、さらに縦書きが威力を発揮する、ように思われる。

 そう、こういう日記も、たまにはエディタで縦書きで書いてみよう。

 なんとも面白い講演だった。日本におけるラテン音楽の吸収、といえば、歴史的には安土・桃山時代に南蛮文化の一環として入ってきたものが最初のはずだが、その痕跡は残らなかった。音源として残っているのは昭和初期のSP音源が最古の由。当時、アメリカ、ヨーロッパではやっていたラテン音楽を一早く模倣・移入したもの。当時はやっていたものを一早く模倣・移入するというこの姿勢はその後20世紀を通じて一環している。マンボ、チャチャチャ、そしてついにはドドンパという日本独自のものまで生まれる。

 戦前の音源もおもしろかったが、思わず姿勢を正したのは戦後に入ってからだ。後藤さんは全部リアルタイムで聞いて、ご母堂や自分もうたっていたとおっしゃるが、ぼくも昨日かかったヴァージョンそのままではなくても聞いていた曲が次々に出てくる。確かにこうして聞かされればラテンとわかるが、当時はもちろんそんな認識はない。最初に聞いたラテンはたぶん『狼少年ケン』の主題歌だ。『冒険ガボテン島』もあった。

 そうして昭和の歌謡曲を作ってきたものの、小さくない部分がラテン音楽だとよくわかる。なにも言われずに聞けば、ムード歌謡、演歌にしか聞こえないうたまで出されると、歌謡曲って実は雑種、混淆音楽であることが見えてくる。岡本さんによれば、こんにちの意味での演歌なる呼称はそんなに古くない。1960年代後半に始まるのではないか。

 そうしたラテンの要素が1970年代に入るとさっぱりと消える。断絶が起きる。そして1980年代に入ったとたん、オルケスタ・デ・ラ・ルスが颯爽と登場する。そのルーツは1976年のファニア・オールスターズの来日になる。これはいわばわが国サッカーにおけるメキシコ・オリンピックの銅メダルのようなものだろう。まったく新しい世代がラテン音楽をやりだした。さらには沖縄のディアマンテスのような存在まで出現する。流行しているからというよりも、単純にかっこいい、楽しいということでやりだす。このあたりはアイリッシュ・ミュージックとも共通する。

 今回はタンゴがない。フラメンコもない。そちらは戦前からの長い歴史をもち、独自の展開をとげてきていて、今回の文脈からははずれるわけだ。後藤さんによればジャズ喫茶の前にタンゴ喫茶なるものがあったそうだ。そちらはそちらで、また別に企画されるようなので、これは楽しみだ。いーぐるのシステムでカマロンが聞けるぞ。

 それにしてもこういう文脈で聴く歌謡曲はなかなかすごい。美空ひばりは多少心組みもあったが、郷ひろみとか中森明菜とか、シンガーとして見直した。本田美奈子はラテンをうたっていなかったかな。トニー谷と共演している宮城まり子というのも他にあれば聞いてみたい。先日夢中で読んだ堀井六郎の昭和歌謡の本もあらためてこの角度から読みなおしてみたくなる。歌謡曲というスタイルまたはジャンルは、どうしても好きになれなかったが、このあたりがとっかかりになりそうだ。

 やはり知らないジャンルのこういう紹介は刺激になる。足元にあって存在は否応なく知っているものに、意外な角度から照明を当てられると、思わぬ魅力に気がつかされる。

 岡本さんの、もう好きで好きでたまらないんです、という姿勢にも共感する。選曲のためにあれこれ聴いているだけで、ひとりで盛り上がってしまった、というのもよくわかる。

 いーぐるの連続講演はこのところ面白そうなものが目白押しで、毎週でも行きたいもんだが、霞を食って生きていくわけにもいかないのが哀しい。(ゆ)
 

 松田美緒氏が『クレオール・ニッポン』をリリースするのを記念して、ライヴがあります。

*2014/12/04(木)19:00開演(18:30開場)
*会場:sonorium(ソノリウム・井の頭線永福町駅から徒歩7分)
*出演:松田美緒(vo)、鶴来正基(p)、渡辺亮(per)、沢田穣治(b)
*料金:前売3500円、当日4000円(全自由席)
*チケットご予約:メール(infoアットマークartespublishing.com)または電話(アルテスパブリッシング 03-6805-2886)でご予約のうえ、当日会場でご精算。
*チケットご購入:Peatix、イープラスで前売チケットをご購入いただけます。

 これはふつうのCDではなく、アルテスパブリッシングからのリリースで、本の形です。まあ、CDのライナーが大幅にあふれ出て、ブックレットなんぞでは収まらなくなったので、いっそのこと本の形にしまった、ということでしょう。


 ニューヨークに Ellipsis...(ドットも含めて名前)という出版社というかレコード会社というか、があって、ハードカヴァーにCDが付いた本をさまざまなサイズで出していました。音源もテキストもとびきりでした。マウス・ミュージックを集めたものは国内販売もされました。今もあるのかな。検索してもそれらしいのは出てこないなあ。

 本の方では収録されているうたの出自、それとの出逢い、うたに籠めた想いが、簡潔に綴られています。

 また、録音にパーカッションで参加している渡辺亮氏が、やわらかいタッチと色使いのイラストを描いてもいて、魅力を増しています。

 一足お先に拝読、拝聴させていただきましたが、内容はすばらしい。今年のベスト1を笹久保伸さんの《秩父遥拝》と争います。

秩父遥拝
笹久保 伸
CHICHIBU LABEL/BEANS RECORDS
2014-09-07

 

 伝統歌はある土地に根づいたもの、というのは確かですが、一方で伝統歌は旅をします。人とともに移り、移った先でまた根をおろす。日本語のうたが、時間的にも空間的にも、広がってゆくのをありありと感じます。

 ここでうたわれているうたのほとんどは、一度その姿が見えなくなってもいます。〈こびとのうた〉や、〈子牛の名前〉は、こんにちふつうにはうたわれていません。そうしたうたに、あらためて今のうたとしての命をよび起こす。うたい手の「選曲眼」の良さにも感服しますが、こうしてあらためてうたわれて姿を見せたうたに、うたい手を選んだうたの力も感じます。うたはこうして生き残ってきたのでしょう。

 本番のリリース前にライヴ、というのも珍しいかもしれませんが、生でいきなり聴くという出逢いもまた粋なものです。その昔、ヌスラト・ファテ・アリ・ハーンの何度目かの来日のとき、いきなり生に接して、おれの人生変わった、とわめいていた友人がいましたが、これもそれくらいのインパクトはありそうです。

 別の見方をすれば、音楽は本来は生で初めて耳にするもので、まず録音で聴く、というのは、人間の歴史でいえばごく最近の話ではありますね。(ゆ)

 武田百合子は1個の才能を備えていたではあろうが、一方で作家・武田百合子が生まれるには、泰淳という存在が必要であっただろう。泰淳と出会わず、たとえば画家や写真家と結婚していれば、視覚芸術の方面で一家を成したことだろう。

 ラストに近く、泰淳最後の夏の章を読みながら、手術を受ける前のことを思いかえしていた。夜だんだん眠れなくなっていた。はじめはなかなか寝つかれないという程度だったものが、やがて一晩中輾転として朝を迎え、かろうじて午前中浅い眠りをとる、という状態になった。夜眠れない症状は、手術を受ける前年の秋頃から急速に悪化していったようだ。そして、2011年の2月のはじめ、腸閉塞の症状が出る。それからはモノを食べられなくなった。食べれば腹が痛むからだ。バナナなどを、少しずつ食べてはごろごろしていた。市販の腸の薬など飲んでみて、それで何とか排便はできたりしたが、痛みは去らない。

 そういう風に弱ってゆくのを、泰淳はもっとゆっくり辿っていた、と想像する。すると、ここに現れる泰淳の感覚が手にとるようにわかる。気がする。感情や思考はわからない。しかし、かれが感じていただるさや眠い上に眠い感じ、めまいはわかる。気がする。

 そして、そこから、ここに至る泰淳の姿があらためて立ち上がってくる。リスを観察する泰淳。草を刈る泰淳。『富士』を書く泰淳。文字通り、身を削って巨大な作品を書きつづける作家。そして、その傍にあって、作品を書かせる女。百合子がいなかったならば、作家・武田泰淳もまた、存在しなかった。『富士』が生まれることもなかった。たとえ、時には身を震わせて怒らせられることがあっても、その怒りも含めて、作家は女を必要としていた。

 『森と湖のまつり』の不思議な吸引力。読んだことをすっぽりと忘れさせる『富士』。『滅亡について』に展開される、深く透徹した洞察とそれを適確に伝える表現力。『十三妹』のクールなユーモア。中国文学や仏教の知識と体験、戦争などの表向きの影響とは別の次元で、泰淳に圧倒的な影響をおよぼし、あるいはいっそ支配していたのは、百合子の存在であったのだろう。

 富士の麓のこの空間とこの時代は、おそらく百合子の力がもっとも純粋に作用し、最も効果を発揮する時空であったのだ。それが『富士』を生む。泰淳をして『富士』を生ませる。身を削ってまで、生みおとさずにはいられなくする。

 十数年越しにこの日記を読み終わった今こそ、『富士』を読まねばならない。(ゆ)

富士日記〈上〉 (中公文庫)
武田 百合子
中央公論社
1997-04-18


大正から昭和にかけての「風狂と反骨の演歌」を21世紀に受け継ぐ岡大介さんの恒例、浅草は木馬亭での独演会が今年もあるそうです。10回、ということはあと最低6回か。なんとか生きて見届けたいもの。
今年はゲストが面白い。この方にこういう側面があるとは不勉強で初めて知りました。
日本語、にかぎらず、うたを聴きたい方はぜひ、岡さんのライヴを体験してください。

--引用開始--
今年もやります!

◆岡大介浅草木馬亭独演会2012◆

〜風狂と反骨の演歌師・添田唖蝉坊 生誕百四十年記念うた会〜

10/13(土)
17:30開場 18:00開演
会場:浅草木馬亭
(03-3844-6293)
台東区浅草2−7−5
前売・予約3000円 当日3500円(全席自由)
☆チラシ持参の方は前売り料金
☆前売り、当日関係なく並んだ順でお入り頂きます

★予約・問合せ
Tel: 070-5012-7290

出演:岡大介(唄、カンカラ三線)
ゲスト:土取利行(太鼓、三味線、唄)
マルチ演奏家。70年代に坂本龍一、近藤等則、等とフリーミュージックシーンで活躍。75年よりパリのピーター・ブルック国際劇団の音楽監督、演奏家として30年に渡り活動。日本古代楽器の演奏研究家としても知られる。

山脇正治(ベース、三線)
弦楽器奏者。90年代よりネーネーズをはじめとする知名定男のプロジェクトに長年参加。

【口上】
岡大介です。木馬亭独演会も今年で4回目になります。いつも応援ありがとうございます。(10回は続けます!)今年は、この方の歌のお陰で今の岡大介がある。♪ノンキだね〜、♪マックロケノケ〜などの産みの親、スーパースター演歌師・添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)生誕140年にかけまして、郡上八幡より故・桃山晴衣さんの“演歌”の意志を受け継ぐ土取利行さんをお呼びして、「ニッポン音楽復興! 純・演歌の会」に致します。ご紹介頂いた山脇さんのベースの音で厚みも増して、今年も元気いっぱいに歌い上げます! みなさま今年も是非是非お越し下さい!!
--引用終了--


Thanx! > 岡さん

唄とかんから三線の岡大介さんとラッパ二胡の小林寛明さんのコンビによる「かんからそんぐ」浅草木馬亭独演会が今年もあるそうです。
    
    サポートはいつもの中尾勘二(サックス、クラリネット)、関島岳郎(チューバ)、熊坂路得子(アコーディオン)の三氏に、今年は Modern Irish Project をはじめとして活躍著しい田嶋友輔さんのドラムが加わるという超強力布陣。これは見逃せないでしょう。
    
    それにしても、ライヴ録音または録画を出してくれ。

今年もやります!

岡大介と小林寛明の“かんからそんぐ”
【浅草木馬亭独演会!】〜ニッポン音楽復興エーゾエーゾ!カンカラ楽隊ふたたび〜

10/01(土)
開場17:30
開演18:00
前売予約2,500円
当日3,000円(全席自由)
チケットあります!
予約・問合せ(岡)
Tel:07050127290
taisuke@dk.pdx.ne.jp

会場「浅草木馬亭
台東区浅草2-7-5
Tel:03-3844-6293

〈楽士〉
岡大介(うた、カンカラ三線、ギター)
小林寛明(ラッパ二胡、二胡)
中尾勘二(サックス、クラリネット)
関島岳郎(チューバ)
熊坂路得子(アコーディオン)
田嶋友輔(ドラム)

【帰って来ました“カンカラ楽隊”♪ ジンタカタッタと日本のリズムを取り戻せ! 皆さま今年も是非お越し下さい! よろしくお願い致します。】

岡大介

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