クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:日録

 土曜日が大雨で洪水注意報まで出たからどうだろうと、日曜日の散歩は川へ行くが、水量はほとんど変わっていない。都市部では家屋浸水まで出たそうだが、アスファルトとコンクリートで水の行き場がなくなったためか。この辺りでは、乾ききった田畑や山林が吸いこんでしまって、川には出てこないのだろう。


 散歩の供は Show of Hands 《Where We Are Bound》。前日のライヴのひとつ前のリリース。これも買いのがしていたもの。デュオとしての原点に回帰して録音したもの。近年のデュオとしてのツアーでのセット・リストに、最初の5枚からネットで投票を募った曲を加えた選曲。Fennario、Seven Yellow Gipsies、Banks of Newfoundland, Blackwaterside など伝統曲が多い。Seven Yellow Gipsies などは思わずカーシィ&スウォブリックを連想する。比べるものでもないが、今のフィル・ビアのフィドルはスウォブリックを超えるかとも思う。

 
soh-wwab

 二人だけの充実した演奏にひたっていると、かれらのアルバムを最初から全部聴きなおしたくなってくる。この二人の音楽はイングランドのルーツ系として一個の理想だ。The Bristol Slaver や Exile のような、あるいは Country Life のような曲と上記トラディショナルの曲を、まったく対等に、どちらにも偏らずに、同時代の歌として歌っている。

 伝統歌のうたい手としてはマーティン・カーシィの方が上かもしれないが、ショウ・オヴ・ハンズに並べると、どこか浮世離れした、形而上的なところを感じる。カーシィが貴族的だというのではなく、かれの場合、伝統歌の純化、歌としての独立性を強調するところにその真骨頂があるとみる。意図してそうしているというよりも、音楽家として体質から来るものでもあるだろう。

 ショウ・オヴ・ハンズの二人はいわば地べたを這いまわるようにうたう。やろうと思えば歌唱にしても演奏にしても、もっと精緻に洗練させることもできるだろうが、それをやるつもりはない。あえてぶっきらぼうに、村のエンタテイナーに徹する。そこには反骨としてのロックのスピリットもある。ヒットを飛ばしてリッチになるのはつまらないとする精神でもある。伝統歌もオリジナルも、「ミソもクソも」一緒というと語弊があるかもしれないが、いい歌、うたいたい歌は出自を問わない。とはいえオリジナルもイングランドの伝統にしっかり根を下ろしている。そしてかれらのイングランドは、ちゃんと外とつながっている。

 Exile はいつもと違って、フィル・ビアがリード・ヴォーカルをとる。スティーヴ・ナイトリィがうたうと、亡命者としての境遇を突きはなし、あえて孤高を貫こうとしているように聞える。ビアの歌唱では帰ろうにも帰れない、故郷のなくなった人間の悲哀が痛切に響いてくる。デュオとしてのライヴではこういうこともしているのだろう。(ゆ)

晴暖。

 山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』を読む。この人の作品を読むのはウン十年ぶり。母語で美しい話を読む歓びにひたる。こういう文章を読みたかったのだ、と読むと覚らされる。一つひとつの字、語、節、そして文章全体が、いちいち腑に落ちる。一方で、微妙にずらされる感覚。鉱物の結晶のように明晰明瞭な言葉が連なるのに、すべてが曖昧模糊に移ってゆく。読むそばからぼやけ、焦点がずれ、摑んだはずのものが、指の間から洩れてゆく。それすらも快感。夢と現のあわい、両者が溶けあい、交錯し、また別れ、さらにからみあう一瞬。イメージと見せながら、あくまでも言葉でつむぎだす綱渡り。どこにも着地しないまま浮揚浮遊しつづけおおせる力業。このまま、いつまでも終らないでほしい。せめて、5,000枚あるいは1,000頁くらいは続いてほしい。

 巻末の短文4本は、本篇の一部として書かれながら、はみ出たもののようでもあり、本篇とは独立に、しかしつながりのあるものとして書かれたようでもある。それぞれが独立した話、というよりも散文詩に近い。この短文があることで、本篇の世界が一段と深く、広くなることは確か。

 この本は筆写したくなる。

 1ヶ所だけ、89頁最終行「廃盤品」。「廃盤」はレコード、CDについてのことばで、ここでの舞踏用の靴にはふさわしくない。「廃番品」が妥当ではなかろうか。しかし、この世界ではこのままでよいのかもしれない、とも思ってしまう。

山の人魚と虚ろの王
山尾悠子
国書刊行会
2021-02-27




 散歩に出ると鴬が聞えた。それも2度。お伴は Claudia Schwab《Attic Mornings》2017。オーストリア出身でアイルランド在住のヴァイオリニストでシンガーのセカンド・ソロ。1曲を除き、すべて自作。その1作は Aidan O'Rourke の曲。そういえば、ファーストをまだ聴いていなかったが、このセカンドは実に面白い。地元オーストリア、アイルランド、それにインドの音楽に影響されているそうで、フィドラーよりもヴァイオリニストだろう。ダーヴィッシュの Brian McDonough がプロデュースで、ダーヴィッシュ人脈の参加もある。メインのバンドはスウェーデン、エストニア、イングランドのミュージシャンからなる。土台はクラシックなのだろうが、一番近いのはジャズではないか。たとえば自作のジグを自身のフィドルとフリューゲルホーンのデュオでやったりする。2曲だけ参加しているフリューゲルホーン奏者はかなりの遣い手で、このトラックはハイライトだ。ヴォーカルはオーストリアということでヨーデルをフィーチュアするが、歌詞は英語がメイン。上記三つの音楽以外のものもいろいろと入っているようで、それをまとめあげているのがこの人の個性ということになるが、その有り様は20世紀的な強烈な我を押し出す形ではなく、湧きでてくる音楽の流れにまかせて、身は捨てている。

 今日は晴れたので、ヘッドフォンは KSC75 にピチップを貼ったもの。

Claudia Schwab: violin, vocals, compositions

Marti Tarn: bass, piano [07 10], vocals [11]

Stefan Hedborg: drums & percussion, vocals [11]

Hannah James: accordion, foot percussion [01], chorus [01 10]


Special guests: 

Lisa- Katharina Horzer: harp [02 07], yodelling [01]

Seamie O'Dowd: fiddle, guitar [02]

Matthias Schriefl: flugelhorn [07 09]

Brian McDonagh: mandola [06]

Irene Buckley: electronics [06]

Leonard Barry: whistle [02]

Cathy Jordan: bodhran [02]

Wolfgang Schwab: Rastl (yodelling [01]

Anna Schwab: Rastl (yodelling [01]

Sebastian Rastl: Rastl (yodelling [01]

Sophie Meier: Rastl (yodelling [01]


Produced by Claudia Schwab & Brian McDonagh. 

Recorded by Brian McDonagh at the Magic Room, Sligo

Mixed by Brian McDonagh at the Magic Room, Sligo

Mastered by Bernie Becker, Pasadena, CA and Brian McDonagh (track 7, 8 & 9)


 3日連続で医者に通う。

 月曜日、眼科。先月下旬の人間ドックで「左眼底網膜神経線維層欠損疑い」で、要精密検査。視力、眼圧、眼底写真、視野検査をして、昨年夏の時と変化がほとんどないから、まだ緑内障の治療を始めるほどではない。もう一度年末くらいに検査をしてみましょう。

 火曜日、歯科。左下門歯の隣にかぶせていたのが外れてしまったのは割れたためで、作り直し。前回型をとったのがぴたりとはまる。

 水曜日、内科。同じ人間ドックで「右上肺野孤立性結節影疑い」で、要 CT 検査。早速 CT をとってもらうが、何もなし。一応放射線の専門家に出し、腫瘍マーカーもとってみましょう、来週またいらっしゃい。半分以上覚悟していたので、拍子抜け。同時にほっとする。

 久しぶりに電車に乗り、M11Pro > A4000 + final シルバーコート・ケーブル 4.4mm で聴く。秋葉原のファイナルの試聴室で確認はしていたものの、この化けぶりはかなりのもの。まず音量のレベルをアンバランスから2割は落とさねばならない。ステージがわっと広くなり、音楽がぎょっとするほど生々しくなる。ここまでの生々しさは初代T1バランス版に匹敵するか。距離が近いのが違うところ。この組合せは A8000 とタメを張る。ケーブルの値段がイヤフォンより高いが、合計しても A8000 の5分の1。もう1セット買って、遊ぶかとも思うが、それよりはたぶん A3000 を買う方が面白いかもしれない。

 A4000 は接続が 2pin というところも気に入った。MMCX はどうも信用できない。A4000 と A3000 は 2pin にしたから、ファイナルはこれで行くのかと思ったら、糸竹管弦はまた MMCX。あれが欲しいとならないのはそれもある。

 聴いていたのは Hanz Araki の最新作《At Our Next Meeting》。アイルランド録音で、プロデュースと録音はドノ・ヘネシー。トレヴァーはじめ、練達のサポート陣で、派手なところはまるでないが、出来は相当にいい。かれの録音の中でもするめ盤になる予感。

ha-aonm 



























Hanz Araki - vocals, flute, whistle, shakuhachi, bodhran
Donogh Hennessy - guitar, baritone guitar, bouzouki, keys
Niamh Varian-Barry - violin, viola
Trevor Hutchinson - bass
Meabh Ni Bheaglaoich - button accordion
Laura Kerr - fiddle
Colleen Raney - chorus

 FRUK のニュースレター。面白そうなものが満載。分量もいつもより多い。しかし、今、読んだり聞いたりしてるヒマはない。今日も散歩の他はひたすら仕事。


 散歩の供は Jon Balke & Amina Alaoui の《Siwan》2009。ノルウェイのピアニストのバルケがモロッコのアラブ・アンダルシア音楽のシンガーを迎え、同じくノルウェイの Bjarte Eike 率いる Barokksolistene とトランペットの John Hassell、アラブ打楽器奏者を集めて作った1枚。アミナ・アラウイの線で買ったものだけど、大当り。アラウイの録音の中でも一番好き。アラウイ自身も楽しんで歌っている。アラブ録音とは録音のやり方が違う。そこは ECM で、こういう歌唱の録り方は心得たもの。ここでこの人がまわすコブシを HD414 のバランス接続で聴くと、歩きながらでも至福の感覚がひたひたと湧いてくる。

 Bjarte Eike のヴァイオリンがまたすばらしい。サイトにはハーディングフェーレを弾いてる写真もあって、かなり型破りで広範囲な活動をしている。われらが酒井絵美さんの先輩のような存在か。ここでのヴァイオリンはほとんどアラブ・フィドルの趣で、それを古楽のアンサンブルが浮上させる。そこにジョン・ハッセルのあのトランペットが響いてくると、異界の情景が出現する。

 こういう、境界線を溶かしながら、各々の特性はしっかり打ち出す、ホンモノの異種交配には身も心もとろける。散歩の足取りも軽くなる。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


陰暖。昼から陽が出る。花粉が多い。散歩していて眼がかゆくなり、くしゃみが出る。夜もやたらとくしゃみ。

 遅れているので、散歩の他は仕事に精を出す。 

 アンディ・アーヴァインからのニュースレターで《Rainy Sundays…Windy Dreams》のデジタル・アルバムを Bandcamp に出品したよ。これはCDを持っていないから、買おう。1989年のドイツ盤と同じで、ボーナス・トラック付き。このジャケット写真はオリジナルLPの裏のものだな。

[注記:《Rainy Sundays…Windy Dreams》は1980年リリースのアンディのソロのファースト。あのポール・ブレディとのデュオ・アルバムの後で期待と不安が混ざりながら針を下ろしたけれど、そんなものは軽く吹き飛ばす快作、傑作。アンディのソロ・アルバムの中では今でも一番好きかもしれない。冒頭14分の「移民歌」メドレーにはノックアウトされる。ジャケットにもあるけど、オールスター・キャストで、プランクシティのメンバーとフランキィ・ギャヴィンの共演は珍しい。プロデュースはもちろんドーナル・ラニィ。録音はウィンドミル・レーンで、ブライアン・マスターソンによるという、最高の組合せ。]

 ここでのアンディのノートで知ったのけど Wundertute は Carsten Linde のレーベルだったのね。カーステン・リンドはデンマークの Tonder Festival のオーガナイザーだったけど、相当な変人らしい。『聴いて学ぶアイルランド音楽』付録CDの権利をとろうと送ったメールの返事には驚いた。

 このアンディのノートは面白い。ルーマニアのトラッド〈Blood and Gold〉はここで紹介されたおかげで以後いろいろな人がカヴァーするが、本来 6/15拍子なのに、みんな 6/8拍子になっちゃってる。ラストのタイトル・トラックに参加しているソプラノ・サックスの Keith Donald は、スタジオに入る直前に歯医者で歯を抜かれていて、まだ麻酔が効いている状態だった。

 散歩の供は John Kirkpatrick Band《Force Of Habit》。《Welcome To Hell》の前年のリリースでライヴ盤。冒頭から全開だが、2曲目〈The Cheshire Rounds> The Old Lancashire Hornpipe〉は Albion Country Band《Battle Of The Field》収録のトラックで、もろまんまのアレンジ。マイケル・グレゴリーはロジャー・スワロゥが乗りうつったようだし、グレアム・テイラーのギターはマーティン・カーシィそのまま。このアレンジはジョンカークによるはずだし、この編成でこれ以上のものができようとも思われない。もちろんすっかり覚えていて、次にどの楽器がどういう音を出すか、全部わかっているのだが、それでもかっこいい。

 アンコール前〈Princess Royal〉は《Morris On》のアレンジ、ほぼそのまま。これもこれ以上のアレンジはないんじゃないか。最後のリピートで音をぐっと下げるのが粋。

 全体に曲自体はセカンドの方がいい。ライヴ向けの選曲、ライヴで聴いて聴き応えのあるもの、聴かせどころのあるものを選んでいる。中では〈Blue Baloon〉の歌唱が光る。そんなに良い曲とも思われないが、歌唱力で聴かせてしまう。それに Dave Berry のベースがよく響くのと、フィドルとリコーダーの Paul Burgess がここでもいい仕事をしている。バージェスって誰だっけと調べると、Old Swan Band、Edward II & the Red Hot Polka、English Country Dance Band のメンバーだった。そりゃ、いいはずだ。

 それにしてもこのバンドの録音はもっと聴きたいものだ。

 リスニング・ギアは onso の 4.4mm ケーブルに換えた HD414 で、M11Pro。
 

Date: 2021-03-05 金曜日
陰暖。
 日付が変わってから楽天で山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』などいろいろ注文。

山の人魚と虚ろの王 [ 山尾悠子 ]
山の人魚と虚ろの王 [ 山尾悠子 ] 

 昨夜、よく眠れなかったので、散歩はやめて仕事に精を出す。

 C. S. E. Cooney, The Witch in the Almond Tree を読む。これはエロティカと作者が呼ぶ。ポルノとの違いはと言えば、セックス描写そのものが目的なのではなく、物語の本筋は別にあり、セックス描写はその物語を語るために必要なもの、としておこう。ただしセックス描写は作品の読書体験の大きな部分をなす。謝辞によれば、こうしたエロティカはオンラインの自己出版の初期に多く出てきたそうだ。普通のルートでは出せない作品を出すための方便でもあるのだろう。そういう作品は作家が愉しみとして書くことが少なくない。ここでの濡れ場もなかなかに愉しい。作者も愉しんで書いているのがわかる。 

The Witch in the Almond Tree : and other stories (English Edition)
Cooney, C. S. E.
C. S. E. Cooney Presents
2020-10-23

 

 半村良の『石の血脈』や、あるいは一時期の夢枕貘、菊池秀行などの伝奇ものはエロティカと呼べるだろう。こうした伝奇ものではセックスと並んで暴力の提示も娯楽の重要な要素だが、クーニィは暴力描写にひるまないにしても、話の本筋に必要なもの以上には書かない。もっとも彼女の描く暴力は物理的なものよりももっとおぞましい形をとる。

 アーモンドの樹というのはどんなものだろうと思って見たら、梅や李に近いそうで、花が咲いた樹は遠くから見ると桜や梅によく似ている。これがたくさん集っているところは花の時期には壮観だろう。

 暴力抜きのセックスを出すとなれば話は必然的にラヴ・ストーリーになる。ここでの愛情関係は二重三重にからみあっていて、相手には死者や亡霊も含まれる。もっともこの話自体は手法を変えれば大長編にもできるものをさらりと軽く書いているところも魅力の一つだ。

 濡れ場のあるラヴ・ストーリーといえばパラノーマル・ロマンスはその最たるものだが、こういうエロティカの場合は話の本筋がロマンスそのものとは別にあるということだろう。まあ、パラノーマル・ロマンスもマーケティング上の分類、売り方の問題なので、話の中身で厳密に分ける必要もない。パラノーマル・ロマンスも、30代後半独身のヒロインとハッピーエンドの鉄則以外は何でもありで、濡れ場がウリではないものもあるし、今は多様化で中心のカップルも異性同士とはかぎらない。そういえば、このクーニィの話にもトランスジェンダーの要素がある。

 それにしてもクーニィはどれを読んでも愉しい。
 

晴暖。
 Grimdark Magazine がヒューゴーを狙うぞと、昨年出した T. R. Napper の作品集 Neon Leviathan から The Weight of the Air, The Weight of the World をフリーでダウンロードできるようにして、投票を呼びかけているので、早速ダウンロード。オーストラリアの作家だそうだ。ついでにその作品集をアマゾンで注文。

Neon Leviathan
Napper, T R
Grimdark Magazine
2020-02-15

 

 正午に出て公民館で本をピックアップ。リクエストを出す。散歩代わりに歩いて駅前。歩いていると沈丁花があちこちで満開。木蓮に似て少し小さい白い花もいくつも見かける。辛夷だろう。チャバッタでパンを買い、有隣堂、成城石井でヨーグルトなど買物。ヨーグルトはずっと共進牧場のジャーマン・ヨーグルトだったが、ここのところよつばのバターミルク・ヨーグルトもちょいちょい食べる。慶福楼で昼食。

 歩くお供は Eilis Kennedy, Westward, 2016。彼女を「発見」したセカンド《One Sweet Kiss》2005 以来11年ぶりの3作めで、これが出た時は喜んだ。最上級の天鵞絨の手触りはこういうものかと思われる声のテクスチャは健在で、歌唱には一層磨きがかかり、その声にぴったり合うように選びぬかれた選曲、William Coulter の練達のプロデュース、わざわざアレンジャーもクレジットされたすばらしいアレンジとくれば、現在、アイルランド最高のシンガーの宝物。ラストはこともあろうにドヴォルザーク『新世界より』第二楽章のあのメロディに詞をつけたものだが、この人がうたえば立派なアイリッシュ、どっしりと地に根を張ったフォーク・ソングになる。録音もすばらしい。リスニング・ギアはサンシャインのディーレン・ミニを貼ったKSC75 > M11Pro。

Westward
Eilis Kennedy
Imports
2017-03-10

 

 慶福楼で昼食を食べながら、借りてきた小平邦彦『怠け者数学者の記』を読みだす。やはりべらぼうに面白い。

 有隣堂のレジで Bun2 というPR誌を拾う。ニューヨーク文具レポートに出ていたカキモノのノートをチェックするが、薄すぎる。オリジナルのノートを作れるというが、ページ数は増やせないようだ。

 同じニューヨーク文具レポートに

日本の文具には機能に加えて、ユニークな付加価値のあるものが多い。

とあるが、基本となる機能が不充分なので、何かくっつけてなんとか商品にしようとしているものが多い。機能だけで真向勝負という商品はごく稀だ。

 ノートにしても、アメリカのごく普通の三穴のルーズリーフのようなものがない。バインダーが頑丈で、リングも大きく、大量に入る。A4を幅広くしたレターサイズのリフィルも300枚500枚が束になって安く売られていて、がんがん書ける。紙質なんて気にしない。ノートは紙質よりもがんがん書ければいいのだ。今どきだからどこかにないかと思っているが、国内でふつうに売られているところは見当らない。あってもバカ高かったりする。ふうむ、ダイソーにあるらしいが、少し前の情報。近くの100円ショップに行ってみるか。三穴のパンチは普通に売っているから、これと A4 のコピー用紙を買うのが現実的かもしれん。

 トンボ初の油性ボールペンはいかにもチープだ。定価180円ではこんなものだろうが、先の細いボールペンを主に買うのは若者で、若者は安くないと買ってくれないとこういう定価設定にしているのか。

 夜、C. S. E. Cooney, Jack o' the Hills を読む。第一部 Stone Shoes は発表2作めで、第二部 Oubliette's Egg を加えたノヴェラ全体は10作め。ブラック・ユーモアをたたえたコミカルな基調のお伽話。ちびのジャックと、石でできた靴をはかせることでかろうじてその動きを抑えられるほどの巨人のその兄プディングの、地下牢王女に縛り首王子に父親はギロチン王を相手にした冒険。二人の出生にはそれぞれ不思議ないきさつがあるらしい。シンプルなプロットとほとんど抱腹絶倒なまでに過剰な描写、それによって描かれる鮮烈なイメージはすでに確立している。この人の話はどれもほぼこのパターンなのだが、一方で1作ずつが独立したスタイルと味わいを備えて、それぞれに異なる楽しみを体験できる。読んでいて実に楽しい。

Jack o' the Hills: (Wonder Tales) (English Edition)
Cooney, C. S. E.
Papaveria Press
2016-03-31


 気温は低いのだろうが、陽光が強くて、暖かい。

 散歩で下古沢の北側の縁を回ると、市が造っている新しい道の工事現場を見下ろす。道路本体ではなく、排水池らしい。このあたりは前は山林だったはずで、林業が行われていたのかどうか。踏みつけ道の脇に、無名の社があるので参詣。一応鳥居があり、それとは直角に社がある。どこにも名前はない。後でネットで調べても出てこない。扉は閉まっている。そこが一帯の頂上で、少し下った奥の方に、こちらは以前は畑だったらしい庭ともつかないところに桜の大きな樹があって、もうそろそろ満開。地上では2本に別れているが、地下ではつながっているのかもしれない。

 散歩のおともは The John Kirkpatrick Band, Welcome To Hell, 1997。あらためて聴くと、この人のシンガーとしての偉大さに打たれる。リチャード・トンプソンも長年精進して、今では第一級のうたい手だが、ジョンカークの前では色を失う。同世代ではもちろん、イングランドの伝統歌の男声のうたい手として、肩を並べられるのはマーティン・カーシィぐらいではないか。それに、こういう組立て、ドラムス、ベース、エレクトリック・ギターというロック仕立ての編成をバックにこれだけ堂々と歌えるのは、他には見当らない。ジョン・タムスもいいが、カークパトリックに比べてしまうと弱いと聞える。サイモン・ニコルはB級。男声女声の枠をはずせばイライザがかろうじてタメを張れるか。しかも、このアルバム、ほとんどがかれのオリジナル。いずれもイングランドの伝統に深く根差した佳曲。蛇腹の天才、シンガー、作曲家と天は三物をこの人に与えた。近年イングランドのダンス・チューンの名曲佳曲がぞくぞく発掘・復刻されているけれど、ここにはその先駆もあって、《Morris On》 以来、イングランドのダンス・リヴァイヴァルは常にこの人がリードしてきたことをあらためて思い知らされる。

 Graeme Taylor のエレクトリック・ギターは、分をわきまえて、かつカークパトリックの歌や蛇腹を強力にプッシュする。かつての耳をふさぎたくなるやり過ぎは完全に影をひそめた。Michael Gregory のドラムスもやはり進化はうかがえるもので、曲によってビートをきっちり叩き分けるし、何よりダンス・チューンでの躍動感はなかなかの水準。

 久しぶりに聴いて、傑作の観新た。ジョンカークの数多い録音の中でも五指に入る。

John Kirkpatrick: vocals, accordion, concertina
Dave Berry: bass, double bass, electric bass, tuba
Michael Gregory: drums, percussion
Paul Burgess: fiddle, recorder, keyboards, chorus
Graeme Taylor: guitar, banjo, mandolin, chorus


Complete John Kirkpatrick Band
Kirkpatrick, John Band
Fledg'ling UK
2013-08-06



 FiiO M11Pro は生産完了になっていた。そろそろ次が出る頃ではある。

 Elizabeth Hand, Glimmering 改訂版着。キム・スタンリー・ロビンスンの序文はこの作品そのものよりも、この作品が使っている近未来のディストピアという形、サブジャンルの効果、威力を説く。著者のまえがきによると、発表された1997年当初は近未来の警告の書としての性格が強かったわけだが、この2012年改訂版の数年前に、むしろ改変歴史ものとして読めるのではないかとイギリスのある批評家から示唆を受けたことで、復刊を考えはじめた。2009年後半に、気候変動についてした講演の聴衆の一人から改訂のアイデアをもらった。書いてから14年たって初めて読みなおし、改訂することにした。かなりのカットをほどこした上で、先の聴衆の一人で親しくなった人物の提言を受けて、ラストのトーンを初版よりもいくらか希望を持てるものにしている。

 ということで、予定していた順番をすべて捨てて、これを読みはじめる。なんといっても、破局が起きるのが1997年3月26日、メイン・キャラの一人 Jack の誕生日、ときては読まないわけにいかない。

Glimmering
Hand, Elizabeth
Underland Press
2012-06-26


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