クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:歌舞伎

 8月は毎年、「納涼歌舞伎」と称して、三部制をとる。各部のチケットの価格も若干安い。

 今年は初めて玉三郎が出演し、夜の部に「新版 雪之丞変化」をかけた。出演は玉三郎、中車、七之助、それに狂言回しの鈴虫役を尾上音之助と坂東やゑ六が分担する。見たのはやゑ六の方。

 「雪之丞変化」はタイトルぐらいは聞いたことはあるが、どんな話かも知らなかった。悪代官に両親を殺された長崎の豪商の息子が、歌舞伎役者の女方として身を立てながら、仇を狙う。それを一座の先輩や江戸の盗賊など周囲が支援し、見事、仇を討つ。という話だそうだ。内容的にも、構成上も、かなりいろいろの含みのある話で、これを4人で2時間で見せようというのはいささか無理がある。その無理を通すために、舞台の上に大小様々のスクリーンを置いて、映像を映す。それは舞台の裏の情景だったり、主人公、雪之丞の演技を見ている観客であったり、あるいは「街の声」、さらには雪之丞が演じる舞台そのものだったりする。雪之丞は念願だった江戸での上演で「京鹿子娘道成寺」を演ずるのだが、玉三郎自身が別の機会に演じた際の映像が映しだされる。

 舞台の上に映像を映して、芝居の一部とする手法は昔からあるものだそうだが、大正時代に法律で禁止されてから、その法律の効力が消えても手法としては復活はしていなかったらしい。なぜ、法律で禁止までされたのか、は知らない。

 しばらくやっていなかった手法を復活する、にしては、どうも準備不足のけしき。意図はわかるが、映し出される素材、その使い方、挿入するタイミングや舞台上の演技とのからみ、いずれも噛み合っているとは言えない。

 その中で面白かったのは、冒頭、仁木弾正を演ずる菊之丞が花道を下がってゆくところを正面から映し、この像を増幅して見せたところ。そしてその後、花道から舞台下の空間に降り、歩いてゆくのを追う映像だ。客席からはふだんは絶対に見えない映像で、舞台の上に再現しても、労力の割りに面白くないだろう。後半にも、舞台上の演技を舞台手前から黒衣が映している映像を舞台の画面に映しだしても見せて、これも面白い。カメラはスマホのようだったが、映像としては充分だ。

 雪之丞を玉三郎が演じ、その先輩女方、星三郎を七之助が演じる、というのはおそらくわざとしたことだろう。これもまた玉三郎による後輩教育の一環だ。その七之助は力演だ。とりわけ、宮島で七之助の星三郎が、玉三郎の雪之丞に、女方としての様々な役の心得を諭し、二人して科白の一節を口ずさみ、芝居をするシーンはすばらしい。ここと、その後、星三郎が江戸公演を前に病死するところがハイライト。この二つのシーンだけが際立っていて、他はつまらない。一カ所だけ、若い雪之丞がとんでもなく甲高い声を出すところ、70近い男があの声をあれだけ綺麗に出すのには感心する。

 この話が語っているものの中では、役者としての覚悟と夢を強調しているのだが、玉三郎の演技にそのリアリティが出ていない。娘道成寺を演じる雪之丞を演じるところはさすがで、道成寺を演じるのは玉三郎ではなく、雪之丞の存在感がきちんと出ている。が、それ以外の、まだ雪太郎と呼ばれている頃の未熟さとか、河原者、河原乞食と呼ばれた役者という仕事への迷いとかになると、どこかに忘れてきたように存在感が薄くなる。科白も二度ほど言い間違えていたし、どうもあまり調子が良くないんじゃないか、とすら思えてくる。ひょっとすると、そうした「初心」をとりもどすための工夫なのかもしれないが。この納涼歌舞伎の第一部「伽羅先代萩」も監修し、この新版では補綴と演出もして、忙しすぎるのかもしれない。玉ちゃんもやはり人間だったか。

 1人で五役の中車は大忙しだが、演技としては敵役の土部三斎が一番良かった。派手なところはあまりないが、芝居の屋台骨を支える役を渋く演じるタイプで、この奮闘を見て、ますます好きになってきた。この人と亀蔵が、今のところ、あたしの贔屓だ。(ゆ)

 何といっても3番目、「京鹿子娘道成寺」。今を去ること20年前、生まれて初めて歌舞伎座に来た時の強烈な体験は、あたしの音楽観をかなり変えたはずだ。当代仁左衛門の襲名披露で、この時の踊り手は記録によれば菊五郎。しかし、この時は踊りはほとんど目に入らず、舞台奥にずらりと並んだ囃子方が繰り出す音楽に圧倒されたのだった。

 歌舞伎座は音響設計が良いのだろう、舞台上の生音が増幅無しに場内隅々までよく届く。今回そのことを実感したのは席が前から四番めで、舞台上の生音がそのまま届く位置だったからだ。役者の科白にしても、楽器の音にしても、肉声感はあるが、音量は三階席でもほとんど変わらない。20年前も、8本の三味線がユニゾンで繰り出すダンス・チューンが場内いっぱいに響きわたるのに、それはもう夢中になった。

 「京鹿子娘道成寺」は踊りの演目の中でも最高峰の一つで、ヒロインを演じる女形は衣裳を次々に替え、また舞台の上でも早変わりする。これを助ける後見も、裃はもちろん、曲げの鬘もつけている。踊りの所作も、ほとんどありとあらゆるものをぶちこんでいるんではないか、と見える。基本は同じだが、役者により、上演により、少しずつ変えてもいるらしい。今回はそのあたりもようやく目に入った。まあ、目の前で演じられるわけだから、いやでも目には入るが、歌舞伎を見る眼も少しはできてきたか。

 しかし、やはりこれは音楽が凄い。着替えのために踊り手が引っ込んでいる間、囃子方だけで演じる時間が何度もあり、とりわけ三味線のユニゾンは、明らかにその演奏を聴かせることを意図して作られている。場内から自然に拍手も湧く。囃子方の演奏に対して拍手が湧く演目は、他にあるのだろうか。

 三味線8本に太鼓2、大鼓1、鼓3、笛2という編成は、おそらく歌舞伎でも最大だろう。唄も8人だから、普段なら左右に別れたりする囃子方が、舞台正面奥にずらりと並ぶ。これがまず壮観。そして、ここでの主役は三味線と打楽器だ。能もそうだが、囃子方では持続音楽器の笛が主役にならない。能の「道成寺」では大鼓と鼓だし、ここでは三味線がリードする。20年ぶりにこれを聴けたのはほんとうに嬉しい。むろん、演奏者は入れ換わっているだろうし、20年前と比べてどうだ、なんてのはもちろんわからないが、今回の演奏もやはり圧倒される。

 阿波踊りや河内音頭のビートも凄いけれど、この「京鹿子娘道成寺」の楽曲は、われらが伝統の中のダンス・チューンの一つの極致だ。とりわけ、踊り手不在で囃子方だけで演奏するところは、ボシィ・バンドの絶頂期もかくや、いや、あるいはそれをも凌駕するかもしれない。本物のプロフェッショナルが精魂傾むけるとどうなるかの実例だからだ。歌舞伎はあくまでも娯楽、エンタテインメントであって、観る方は楽しむために来ている。伝統文化の保存とか、口では言うかもしれないが、本心では露ほども気にかけてはいない。そして、その娯楽のために、演る方は命をかけている。そのことは、田中佐太郎の『鼓に生きる』を読んでも伝わってくる。

 ボシィ・バンドと歌舞伎座の囃子方を比較するのがそもそも無意味かもしれないが、あたしの中では、ボシィ・バンドを聴くのも、この「京鹿子娘道成寺」の音楽を聴くのも、愉しいことでは同じなのだ。ただし、ボシィ・バンドは録音でいつでもどこでも聴けるが、この「京鹿子娘道成寺」の音楽の凄さを録音で実感するのは難しい。

 今回の席は、前の方だが上手の端に近いところで、ツケウチが目の前になる。おかげで、ツケウチの人の表情や、叩く様子がわかったのも面白い。

 「京鹿子娘道成寺」以外の演目は、正直、どうでもよかったが、二番目の「絵本牛若丸」は菊之助の息子が丑之助を名告る襲名披露で、これを目当てに来ている客も多かったようだ。いかに梨園の正嫡のひとりとはいえ、5歳の子どもにまともな演技ができるわけもないが、父親、祖父はじめ大の大人がよってたかってこれを一篇の芝居、余興や座興ではない見ものに仕立ててしまうのも、歌舞伎の面白さの一つではある。歌舞伎の演技の様式、「自然な」ものではない、誇張のみからできているような演技の様式で初めて可能なものでもあろう。「襲名披露」というシステムが伝統芸能の根幹を支えていることもわかる。

 歌舞伎は何でもありで、先日、国立の小劇場で見た科白劇も面白かったが、「京鹿子娘道成寺」は「阿古屋」と並ぶ音楽演目の双璧ではある。この方面の歌舞伎はもっと見たい。(ゆ)

 いやもう圧巻というか、圧倒的というか。芝居を見に行って、ライヴの感動、それも並々でない感動を味わった。歌舞伎というのは、実に何でもあり、なのだ。

 何が、って、玉ちゃんの演奏である。

 玉三郎が天才だというのは、さんざん読んでいたし、人からも聞いていた。歌舞伎界ではいわば外様だが、芸と美貌だけで頂点を極めた例外中の例外。歌舞伎の世界におさまらない、スケールの大きな仕事をしている世界人。しかし、とにかく実際に体験するのはまったく別のことだ、とあらためて思い知らされる。

 演し物は「阿古屋」である。『壇浦兜軍記』のなかの一場が独立して演じられるもの。もとは人形浄瑠璃で、歌舞伎になってこの「阿古屋」の場のみが上演されてきた。遊君・阿古屋が身の証をたてるため、箏、三味線、胡弓の三種を演奏する。実際に生で演奏するので、カラオケでも「口パク」でもない。芝居の相手の重忠に対してというよりも、観客を納得させるだけの演奏をしなければならない。歌舞伎役者は演技だけでなく、踊りもできなくてはならないし、したがって楽器のひとつぐらいは素養も身につけるだろう。しかし、この三つを三つとも、水準以上に演奏できるようになるのは、才能に恵まれた者でも簡単ではない。

 玉三郎の演奏は、三つが三つとも水準を超えてますどころではない。どれも名人の域だ。たとえ役者としてダメだったとしても、この腕なら、どれか一つのプロのトップ奏者として十分通用する。それでもさすがにどれもまったく同じというわけではなく、多少は得意不得意はある。というよりも、胡弓は他の二つに比べて、明らかに好きでもあるようだ。もっともこれは胡弓だけ、まったくのソロで即興で演奏するところがあったためにそう聞えたのかもしれない。他の二つは、端で義太夫の三味線と謡がサポートする。このサポートはあるいはユニゾンになり、あるいは合の手を入れ、また一種のハーモニーをつけもする、というように様々で、例えばピアノ五重奏のピアノの位置に箏や三味線や胡弓が来るような按配だ。面白いのは、箏では上手に座った三味線、謡各々4人ずつが合わせ、三味線には、下手にこの時だけ出てきた一組が合わせる。

 この胡弓のソロ即興がまず凄い。テクニックも凄いが、入れてくるフレーズ、出してくる音に圧倒された。背筋に戦慄がたて続けに走る。胡弓の伝統は何も知らないが、明らかに現代のジャズにも通じるフレーズや音が次々に繰り出される。もちろんこんなフレーズや音は、たとえば玉三郎にこの役を伝えた六代目歌右衛門でも絶対に演らなかったはずだ。しかし、今のあたしらにとってはこれこそが醍醐味になる。

 箏にしても、三味線にしても、ソロこそないが、演奏の際立っていることはあたしでもわかる。つまり、ジャンルや形態を超えた音楽として独り立ちしている。役者が演技としてやっているのではなく、一個の音楽家がそこで演奏しているのだ。それも超一流の、その楽器、ジャンルではトップの音楽家が、最高の演奏を繰り広げている。

 もう一つ、凄かったのは唄だ。箏と三味線は演奏しながら唄う。この声がまず凄い。ちゃんと若い遊女の声だ。70近い男性の声ではない。訓練だけで、発声法だけではあれは無理なんじゃないか。日頃からよほど精進もし、また手入れも怠らないのだろう。

 見たのが千穐楽だったのは残念で、こうと知っていたなら、一幕見で通うところだ(実際、この回の一幕見は売切れていた)。毎回、このレベルで演奏しているのか、確かめたくなる。

 たぶん、玉三郎の本当の凄さはそこなのだろう。三週間半の公演中、毎回、このレベルでの演奏を聞かせるのだろう。つまり、これは演奏であると同時に演技でもある。超一流の音楽家を演ずる、それも実際の音楽の生演奏によって演ずる。たとえば、モーツァルトを舞台で演ずるとして、そこでモーツァルトが作ったのと同じレベルの新曲を次々に作曲してみせるとすれば近いのかもしれない。

 今回は夜はABに分れ、Aは玉三郎自身が「阿古屋」を演じ、Bはこれを児太郎と梅枝が交互に演じた。玉三郎自身が実際に演じるのは、だから通常の半分の回数になる。昼は『於染久松色読取(おそめひさまつうきなのよみとり)』で壱太郎(かずたろう)が一人七役をやる。つまり、今月の歌舞伎座は玉三郎が若手の女方に自分の芸を伝えるという企画。となると、ますます、児太郎と梅枝それぞれの「阿古屋」も聞きたかったところだ。

 この玉ちゃんの演奏に、他はすべて吹っ飛んでしまった。二番目の『あんまと泥棒』、三番目のこれも児太郎と梅枝による『二人藤娘』もそれぞれに面白かったのだが、玉三郎の音楽の余韻に、今ひとつ舞台に身が入らない。正直、さっさと出て、夜の銀座をうろうろしながら余韻にひたっていたかったぐらいである。

 これはショックだ。今年はたいへん良いライヴに恵まれた嬉しい年ではあったが、最後の最後にこんなものを聴かせられてしまうとは。他が全部吹っ飛んでしまうほどのショックである。まあ、玉三郎というのがそもそも特別なので、これと比べられる「音楽家」は今のわが国ではいないのかもしれない。つまり、音楽家としての器の問題だ。ジャンルとかスタイルとか、あるいは技倆とかとは別の、存在のあり方の問題だ。先日の Bellows Lovers Night で coba と内藤さんが見せたものに通じるもの。貫禄やスケールの大きさとして顕れることもあるもの。

 玉三郎の場合、それに蓄積が加わる。超一流の芸術家が、精進と実践を営々と重ねてきて、ある閾値を超えて初めて産まれるもの。玉三郎が阿古屋を演じるのは、1997年の初演以来これが11回目。練習を始めたのは14歳の時だそうだ。

 演技と演奏の関係、パフォーマンス芸術というのものありよう、ということまで、いろいろと湧いてきてしまう。少なくとも、玉三郎の「阿古屋」を、音楽をなりわいとする人間は体験すべきだ。こういうものがありうるということ、実際にやってのけている人間がいるということを実感すべきだ。玉三郎がまだこれを演るかどうかはわからない。とりあえず、3月に京都南座で「玉三郎特別公演」として演る。

 歌舞伎恐るべし。わが国伝統芸能のなかで、民間の興行として、観客を集めることで続けているのは歌舞伎ぐらいではないか。文楽や能が国家の保護に甘えているとは言わないが、大衆芸能として生きつづけている歌舞伎は、その故にこそ芸の深化、伝統の継承に命をかけている。そのことが玉三郎という一個の存在に結晶している。伝統の継承とは古いものを古いままに繰り返すことではないのだ。その時その時に演る人間、見聞する人間が面白いと感じられる形でやりなおすことだ。歌舞伎はそれを、たぶん意識して、やっている。(ゆ)

 平成中村座は、コクーン歌舞伎同様、十八世勘三郎が始めた。江戸時代の芝居小屋を再現している。舞台の間口は今の歌舞伎座の半分くらいか。奥行も、歌舞伎座で普通使われる部分のやはり半分ぐらい。客席もこれに応じて狭く、定員は確か856。歌舞伎座なら桟敷になるような、舞台と直角に、メインの客席に向けた席が1階両脇と2階に設けられている。ここも別に桟敷ではなく、普通の席で前後二列ある。面白いのは2階席が緞帳の向こうまで伸びていることで、桜席と呼ばれるここに座れば、舞台の上で進行しているものは準備も含めて全部見える。花道の長さは歌舞伎座の3分の2くらいだろうか。

 舞台との距離が短かいから、役者の顔もよく見えるのはいいが、その両側の舞台とは直角を向いて座る席だったので、後半、腰が疲れて、座っているのが苦痛になってくる。椅子そのものも江戸規格らしく、小さくて、まるで小学校の椅子に座っている按配。しかも体を捻らねばならない。夜の三部構成のうち、最後の「忠臣蔵」が1時間半あるので、後半は時々体を動かして何とか凌ぐ。

 舞台の狭さは囃子方に皺寄せが行く。第二部の踊りでは笛、鼓、太鼓の4人が下手の緋毛氈に座り、長唄と三味線が上手にしつらえた台に座る。こちらは我々の席からは幕の陰になってほとんど見えない。

 江戸の再現として、客は靴を脱いで客席にあがる。ビニール袋が配られ、履物はそれに入れて席まで持ってゆく。本来なら下足番がいて、履物はすべて預かったはずだが、そこまでやる気は主催者の側にはどうやら無い。

 場所は浅草・浅草寺本堂の裏にテントを建てている。平成中村座はもともとここが発祥の地の由。開演に合わせて行くと、浅草は完全に観光地となり、各国からの観光客に国内の人間も入り乱れている。早く着いたので、隅田川の土手でグレイトフル・デッド・イベントの準備にリスニングをしていると、目の前を高齢者白人観光客の団体さんが通ってゆく。対岸にはスカイツリーが立っている。川面は案外船の往来がある。空には鷗。雲はあるが、空は明るく、風が無いので、寒くはない。休日とて、客席には男性の姿もかなりある。しかし、歌舞伎座には必ずいる外国人、少なくともそれと知れる外国人は皆無。確かにこれは敷居が高かろう。チケットをとるのも大変である。

 歌舞伎のチケットは相撲と同じで、贔屓筋から売ってゆく。各俳優の後援会員、次に松竹歌舞伎会、そして一般客の順。それぞれに対してチケットの発売日が設定されている。うちは2番めの松竹歌舞伎会だが、それでもとれたのは、この横向きの席の、それも後ろの方だ。まあ、休日ということもあるだろうが、中村一族の後援会員も多いだろう。先月の歌舞伎座での勘三郎七回忌追善興行では、大物が揃ったので、各々の後援会員が殺到して、多少とも良い席はまったく残っていなかった。後援会の会費は安いものだそうだが、我々は誰か特定のファンというわけでもない。優遇するのなら、通っている頻度に応じて優遇するというのも、歌舞伎全体のファン(かみさんはともかく、あたしなんぞは、まだファンになる前の段階だが)に対するものとして、意義があるんじゃないか。それとも各々の後援会に全部入れというのか。

 閑話休題。

 その平成中村座、次は平成ではなくなるから、まあいわゆる最後の平成中村座夜の部は「弥栄芝居賑」「舞鶴五條橋」「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」。

 「弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)」は、ご挨拶の一場。中村一族最長老の扇雀、芝翫から勘九郎、七之助以下、一族が勢揃いして興行の口上、御礼を宣べる。勘九郎が平成中村座の座元、七之助が座元の女房、勘九郎の二人の息子、勘太郎と長三郎がその「夫婦」の息子。芝翫は平成中村座がある「猿若町」名主、扇雀は芝居茶屋「扇屋」亭主。

 まずは扇雀と芝翫が出て、マクラを振り、そこへ勘九郎、七之助らが出てきて舞台に並んで座り、挨拶する。二人の男の子もそれぞれにやる。襲名披露の口上に似ているが、真面目一方でああいうユーモアは無い。続いて、花道の端から端まで、贔屓の親分、姉御が勢揃いして名乗りを上げる。10人以上で20人はいなかったはずと、筋書を見ると16人のようだ。これが順番に五七調に整えたいわくを述べて名乗るわけだが、後の方の人は自分の順番がくるまで、結構長い間待たされるわけで、いざ、自分の番が来たときには調子が狂うこともあるんじゃないかと思ったら、案の定、一人、科白をつっかえた。

 一方、この間、正面の舞台では、さきほど挨拶した連中が立ったまま、名乗りを聴き、相手の顔を見ている。子どものうち、年長の勘太郎はそれでもじっと立っているが、弟の方は顔は花道を見ているが、片脚をひねったりしている。

 さあ、では、芝居を見ることにしましょうと一堂が引っ込むと、舞台が綺麗になって奥の壁に勘三郎の動画が映しだされる。この時、あらかじめ知っていたか、打ち合わせがあったか、大向こうから「待ってました」と声がかかった。それにどんぴしゃのタイミングで画面の勘三郎が「待っていたとはありがてえ」と応える。こういうのはシビれるねえ。

 動画はどうやら平成中村座での勘三郎を撮ったものを短かく畳みかけてゆくもの。かなり面白い。中では『俊寛』のシーンが印象に残る。記録が残っているのなら見てみたい。

 芸の広かった勘三郎の色々な側面ごとにまとめてあるらしく、最後に喜劇になったところで画面が凍る。もとになっているコンピュータがフリーズしたらしい。やがて幕が引かれ、化粧途中の七之助が舞台袖に出てきて挨拶し、幕間となる。

 「舞鶴五條橋」は三つの場からなる舞踏。

 ここでは勘太郎が大活躍。開幕からしばらくは独りで踊るし、最後の五條橋では父親の弁慶を相手に牛若丸を舞う。これが見せるのだ。7歳の子どものやることとして立派というのではなく、一個の芸になっている。幼ない頃から舞台に立って喝采を受けることは悦びだろうが、それよりも舞うことが嬉しいのが現れている。体を見事に動かすこと、所作がぴたりと決まることが、愉しくてしかたがないのだ。そう感じさせるのも訓練、教育のうち、といえばそれまでだが、伝統の力というのはこういうところに出る。

 かみさんに言わせれば、あの子は腹が座っているのだそうで、訓練だけではない天稟もあるのだろうが、小さな体が美しく動くのを見るのは愉しい。

 ひとつにはこの中村座の空間のサイズもあるだろう。歌舞伎座の舞台ではおそらく広すぎる。この小さな空間だから、あの体でも映える。

 二つ目の場は、福之助と虎之助の若者二人の溌剌とした舞が気持ちよい。基本的に滑稽な踊りだが、ユーモラスな仕種を重ねながら、気品も失わない。二人はいわばハーモニーをとったり、ユニゾンになったり、カウンターメロディをつけたり、あるいはソロにもなったりする。ここでの音楽はやはりダンス・チューンで、そりゃアイリッシュのようなスピードはないが、しっかりとビートはあり、体が動く。やっぱり舞踏はあたしにとっては歌舞伎の愉しみのひとつだ。

 『忠臣蔵』は大星由良之助すなわち大石内蔵助が芝翫、遊女おかるが七之助、平右衛門が勘九郎、斧九太夫が亀蔵。ここは何と言ってもおかるが芝居の要だが、七之助はどうだろう。うーん、どこがどうというのではないが、物足らないのだ。先月の揚巻が良かったので期待が高すぎたか。

 悪いわけじゃあない。演技としては文句ない。んが、揚巻にはあった、一種突き抜けたところ、その場をぎゅうっと摑んで一気に異次元へ持ってゆくところが感じられない。七之助ならこれくらいはやるだろう、というところで留まっている。巧い役者が巧くやっていると見える。しかし、それでは七之助の場合、平板に見えてしまう。

 そりゃまあ、調子の波もあるだろう。まだ開幕3日めということもあるかもしれない。先月は大物揃いで、緊張していたのが、今月はいわば仲間うちでほっとしたこともありえる。またまたかみさんの言葉を借りれば、揚巻は同じ舞台の玉三郎にかなりシゴかれたはずで、それと比べるのはあるいは酷とも言える。七之助が大成してゆくところを見たいというこちらの期待もある。

 同様なことは勘九郎にも言えて、こちらは役柄で得していて目立たないが、あんた、それで本当に親父が喜ぶと思うのか、と言いたくなる。これまた悪いわけじゃない。水準は軽く超えていよう。しかし、平成中村座を特別の空間にするものには届いていない。わざわざこうした場をつくる以上、歌舞伎座には無いものを出すことは基本だろう。それが勘太郎の舞だけというのでは、やはり物足らないと言わざるをえない。こちらとしては、舞台に夢中になって、椅子の座りごこちの悪さなど忘れされてもらいたいのだ。無理な姿勢で見ていて、終ってから体が痛くなったとしても、我を忘れて吸いこまれた舞台の後なら、それすらが気持ちよいものになる。

 あるいは勘九郎、七之助の中では、父親が始めたものを続けようという意識なのかもしれない。だとすれば、それでは続けられないはずだ。伝統というのは、それを守ろうとすると守れないものなのだ。常に新たなことをやる。つまり、先代が面白いと思ってやったことを繰り返すのでなく、自分たちが心底面白いと思えることをやってゆくと、それが結果として伝統を継ぐことになってゆくのだ。

 コクーン歌舞伎や平成中村座という器を受け継ぐことも含んで、新たな場、空間、あるいは手法を編み出し、試みてゆくことが、勘三郎のやり残したことを継ぐことになる。海老蔵が歌舞伎座にプロジェクション・マッピングを持ち込んだのは、そうした試みの一つだ。むろんまだごく表面的な使い方だが、劇場空間の構築に新たな可能性を開いたことは確かだ。

 してみれば、平成中村座が今回で終るのはかえって絶好のチャンスかもしれない。新たな年号を冠した中村座は、平成中村座とは異なるものに自然になれる。あるいは江戸の再現をもっと徹底する。下足番などは枝葉末節だが、芝居の質として、または演目や興行の形として、原点を確認するのはアリだろう。アイリッシュ・ミュージックもそうだが、伝統芸能にあっては古いものは新しいものになりうる。それは古いものの単なるリピートにはなりえない。古いものが今を生きる我々にとって意味のある、新たな姿を現わす。それはスリリングなのだ。

 それにしても、筋書に出ているアラーキーが撮った法界坊の写真を見ても、勘三郎の平成中村座を一度は見てみたかったものよのう。(ゆ)

 演し物は『盟三五大切』。この話は遙か昔、コクーン歌舞伎での初回の公演で見ている。まだ歌舞伎を見るのが二度目かそこらの時で、むろん話など何もわからず、ただ、はめられたと覚った直後の源五兵衛の演技、その後の血みどろのシーン、その流血によってさらに狂ってゆく源五兵衛の凄惨が印象に残った。それと最後の、源五兵衛が数右衛門として赤穂義士に呼ばれる急転直下のところのすばらしく派手な演出も面白かった。歌舞伎はこんな仕掛けもするのか、と感心したが、もちろんそれはコクーンでのもので、歌舞伎座ではあんなことはやらない、と今回、わかった。

 コクーンでの源五兵衛は当時はまだ勘九郎、後の勘三郎で、席が花道のすぐ脇だったので、呆然として足許もあやしく去ってゆく顔と演技を見られたのは、後々財産になるくらいのものだった。

 今回は源五兵衛の幸四郎も熱演と言っていいと思うが、それ以上に、三五郎の獅童がいい。かれとしてはおそらく嵌まり役で、本人も嬉々として演じている。最後に樽の中から出てきた後はもうちょっとだが、前半、やくざな三五郎はすばらしい。とりわけ、源五兵衛から百両巻き上げた後、開き直り、斬るものならさっさと斬ってみろいとタンカを切るところ、そして、鬼横丁に引っ越してきて、小万に怖くないかと問い詰められて、こええと認めるところ。対照的なシーンだが、どちらも見事。七之助の小万は、まあ、かれならこれくらいはやるだろう。一番よかったのは、源五兵衛の家に押しかけてきて、女房をきどるところ。

 もっとも今回個人的に最優秀演技賞をあげたいと思ったのは、源五兵衛の従者、八右衛門の橋之助。前半のかなり重要な役回りだが、コクーンではまったく記憶に残っていない。本質的に軽い人物の軽さをうまく出し、しかも、その軽さのまま、退き際に万感の思いをこめる。溌剌としている。獅童も七之助も若く、全体に若さがはじける感じの舞台で、この人もまだ20代前半の若さが良いほうに出ている。

 演出としては、小万を殺した後、その首をふところに傘をさして花道をひきあげる源五兵衛を、他の照明を全部落とし、花道の奥から照らし出したのは工夫。舞台の壁に映しだされるその影に、鬼と化した男の悽愴な孤独が出ていた。源五兵衛の残酷は、女に迷って大義を棄ててしまった己に対するやりきれなさに駆りたてられてもいることが、よくわかる。

 それと、源五兵衛が仮寓に引上げてきて、小万の首を据え、その前で飯を食おうとして、まず小万の首に箸でさしだすと首が口をぱっと開けたのも絶妙。その前の無残な小万殺しの場面で落ち込んだ見る側の気分がほっとまぎれる。

 カーテンコールのように、幕切れに、舞台で幸四郎、獅童たちが客席に向かって挨拶したのも珍しく、なかなか気持ちがいい。

 席は三階右端の前から3列め。舞台を見下ろせるのはいいし、ツケ打ちの真正面にもなって、よく見える。ただ、花道はほとんど見えず、出てきた役者たちが演技をするあたりがかろうじて見えるくらい。三階は一人で来ている男性の客が多い。折りをみて役者に声をかける人たちもその中にいるわけだ。開演前や、途中の20分の休憩で夕食を食べている人も多い。我々は今回は劇場に入る前に、四丁目の竹葉亭で食べる。実に久しぶりに鯛茶漬を食べられたのも嬉しい。(ゆ)

 昼とはがらりと変わって、こちらは音楽と舞踏の劇。それも能とオペラも取り入れて、素人にもまことにわかりやすい、サーヴィス満点の組立て。正直、これまで歌舞伎座で見た中では最初から最後まで楽しめて、抜群に面白かった。

 開幕、紫式部と翁による序があって、いきなりカウンターテナーの独唱。伴奏は古楽器のアンサンブルで、チェンバロ、バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ、リコーダーという編成だが、チェンバロだけのときもあり、1曲、鼓も加わって、これは良かった。

 カウンターテナーは黒一色の装束、対してもう一人のテノールは白の装束。それぞれ闇と光の象徴だそうな。この二人が折りに触れて出てきて、独唱し、また重唱する。歌詞は英語、ラテン語、その他の言語もあるらしい。ステージだけでなく、花道や客席の通路でも唄う。いずれも一級のシンガーで、わが国伝統文化にも多少は通じているようで、演出もあるのだろうが、全体に違和感なく溶け込んでいる。歌詞の意味はとれないが、感情はよくわかる。ハイライトは、源氏の須磨落ちの場面にカウンターテナーが唄うところ。馬に騎った海老蔵の光源氏の孤独が際立つ場面。

 能の方は主に怨霊などの裏の現実を担当していて、時に囃子方もステージに席を設けて出る。能はまったくの無知なのだが、どちらかというと急調子で切迫感、緊張感に満ちた舞台を造るのは、おそらく普段とはだいぶ違うのだろう。しかし、その切迫感、緊張感は歌舞伎でも現代劇でもあたしなどは見たことも無いほど、すばらしくシャープかつ重厚で、場内の空間全体が巻きこまれる。

 一方で能の舞いはやはり静が主な要素で、どんな動きをし、音楽が鳴っても、静謐そのものだ。動そのものの歌舞伎の舞いとの対照が鮮やかで、どちらも映える。

 話は源氏物語の開巻から源氏が須磨から呼び戻され、太政大臣に任ぜられてこれからわが世の春を謳歌しようというところまでで、ラストはその源氏を祝う祝祭で、世をあげて踊る。このクライマックスに典型だが、普段は前半分だけで、回転舞台は場面転換に使われるのを、後ろ半分まで広く開け、舞い踊る群衆を載せたまま舞台が回る。ここだけでなく、前述の須磨落ちの場面など、奥まで舞台を一杯に使うところが多い。これも新機軸なのだろう。これに加えて、プロジェクション・マッピングも使って、舞台がいつもよりさらに大きく広く見える。

 演出もコクーン歌舞伎の手法をとりいれて、誇張した仕種や科白の現代的表現など、新しい試みをしている。これに一番応えて、とあたしには見えたが、伸び伸びと楽しんで演技していたのが源内侍の右若で、役柄も面白い。まあ、歌舞伎というのは何でもありで、また何でもできるのだ。

 舞いでは六条の御息所の生霊に殺される葵の上の児太郎が印象に残る。源氏は気づかず、独りで苦しみ、死んでゆく様を舞いの形で演じる。ラストの群舞で、前面左に若い、小学生か中学生ぐらいの子が二人いて、小学生に見える方が装束だけでなく、動作もどう見ても女の子だったが、後で確認すると市川福之助だった。女形への準備としてこういうところからやるのかもしれないが、感心してしまう。

 今回は花道の左側、真ん中から少し後ろの左端という席で、かなり面白い。花道は舞台よりもずっと役者の肉体に近いし、そこからまた少し離れるので、見やすい。主役級が花道から出る時には、至近距離で見られる。ラストに近く、帝に召された源氏が出てくるときの海老蔵は威風辺りを払って、さすがの存在感。千両役者とまではまだだろうが、三百両くらいはあるんじゃないか。この演目は花道での演技や踊りも多く、いろいろ楽しめた。海老蔵の宙乗りも花道の上でやるから、これまたよく見える。

 昼夜出ずっぱりの海老蔵親子のおかげか、客席は文字通り満席。しかし、歌舞伎座は意外に小さく、満席でも2,000弱。このサイズが舞台を最も楽しめるという経験値なのだろう。

 今回は歌舞伎以外の共演者も多いからか、珍しくカーテンコールをやる。やっぱりこれはいいものだ。(ゆ)

 『三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや)』は古典を補綴復活した通し狂言。太閤記のうち、本能寺から大徳寺法要までの秀吉の三段跳びを描くが、合戦とか交渉とかなどは一切出てこない、のが歌舞伎なのだろう。つまり、集団劇ではなく、あくまでも個人と個人のからみあいで描く。歌舞伎だけでなく、舞台というのはそういうものか。ステージの上で大規模戦闘シーンなど、できようはずもないわいなあ。一方、歌舞伎は役者の肉体のもつ表現力を徹底的に引き出し、利用して、そこに特別の空間を作り、カタルシスを産む。見栄はそのための最も効果的かつ特徴的な手法ではある。こちらはこちらで、テレビや映画では不可能だ。どんな映像でも、生身の存在から発するカリスマにはかなわない。

 さてもさても、だ。歌舞伎の筋や設定に論理とかリアリティを求めてはいけない、と歌舞伎指南書にはあるが、あたしなどはどうしてもそういうものを引きずってしまう。あんまりだー、と心中叫んでしまうのだ。だってさあ、藤吉郎が奴つまり奴隷となっていた松下嘉兵衛の娘とできて、子どもまで孕ませておいて出奔、娘も後を追って出奔、しかしめぐりあえず放浪の途中で生みおとしたその息子が行方不知となる。娘は備中高松の陣中で秀吉となった藤吉郎と再会、一方、赤子の方は明智光秀の妻に拾われて、嗣子として育てられる。山崎の合戦の後、隠棲していた嘉兵衛の家にいろいろ偶然が重なって全員が集まって、実の親子の再会も束の間、重次郎と呼ばれていたその息子は養父の後を追って自刃。これってあんまりでないかい。しかも、そのドラマが第二幕で延々と繰り広げられる。

 歌舞伎は筋ではない、むしろ絵、一つひとつの場面において存在感あふれる人間が作り出すイマージュなのだ。それも、声と動きも伴う動と、見栄に代表される静との組合せから生まれる、ある感情を運ぶイマージュだ。筋はその組合せにひとつの流れを作り、スムーズに転換してゆくためにあるので、それ自体の合理性はむしろ邪魔なのだ。と頭では一応理解している。つもりではあるものの、なのだ。

 展開されるストーリーに、一定の合理性、ストーリーそのものの中だけでもいい、最低限の合理性が無いと、どうしてもシラけてしまう。おまけに子役のスタイル。大人同様、子役にもいくつか演技のパターンがあるらしく、今回は型にはまった、甲高い声で、音を延ばし、あえて不自然に単調に科白を発声するスタイルで、伝統のものではあるのだろうし、これをこういうところで使うにはそれなりの理由もあるかもしれないが、やはりどうにもシラけてしまう。

 まあ、歌舞伎を見る功徳の一つは、そうした、近代以降の、合理性を全ての土台に置こうとする姿勢へのいわばアンチテーゼ、と言ってはまた近代にひきずられるが、あるいは合理性とは対極にあって、やはり人間をつくっている土台を、1個のイマージュとして与えられることにあるのだろう。そもそも土台は他にもある、合理性だけではないことは、サイエンス・フィクションやファンタジィによって教えられたことでははなかったか。しかし、歌舞伎の非合理性は、「合理に非ず」とも言えない、もっとまったく別の、合理、不合理、非合理とは異なる性質のものにおもえる。しかもそれは、西欧近代のような舶来ものではなく、我が身の内に感得されるものでもある。自分がその中で生まれ育った文化から出てきている。つまりはシラけると言いながら、その実、結構楽しんで、面白く見ているからだ。ただ、その面白さ、楽しさが、たとえばいい映画を見るとか、傑作小説を読むとかで味わう面白さ、楽しさとは、相当に異なる。

 これがどういう面白さ、楽しさなのかは、まだよくわからない。しかし、退屈でどうしようもない、とか、二度と見ようとは思わない、とかいう反応が、自分の中で皆無であることだけは確かだ。誘われれば、いそいそと同行する。歌舞伎ではすべてが型にはまっていて、各々の型が一定の意味ないし役割を持つ。そういう意味や役割や含蓄がまだわからないのだろう。たとえば、どういうところで見栄を決めるか、なぜ、ここで見栄が入るのか、よくわからない。だから、時に不意をつかれてつんのめる。そうしたものは、本で読んだりして知ることができる部分もあるが、核心のところは実際の舞台を見てゆくうちに沁みこんでくるはずだ。これはライヴやコンサートなどでも同じだ。どんなものであれ、表現はすべからく、受けとる側にもそれなりの訓練を必要とする。生のパフォーマンスだけでなく、録音を聴いたり、本を読んだりすることにも訓練は必要だ。

 だから、あたしなどはまだまだ表面的なパフォーマンスを見ているだけだろうが、印象に残ったのは光秀と左馬助の一人二役の獅童と、第二幕で松下嘉兵衛の老妻を演じた東蔵のふたり。老女の役は難しかろうと素人眼にも思えるが、東蔵はみごとに老女に化けてみせた。ことに二幕三場の「松下嘉兵衛住家の場」。いい演技だと感心するのをすっかり忘れるほどだ。獅童は、動きのキレ、よく通る声と明晰な発音、見栄を切るときの存在感、どれも良く、調子が今一つな主役の海老蔵を完全に喰っていた。パンクの入った、まだまだ無尽蔵のエネルギーを秘めているような、しかし危うい、ひとつ間違えば、歌舞伎なんぞにぷいと背を向けてしまいそうな、ああいう存在はあたしの好みではある。

 もう一つ、面白かったのは二幕一場の最後で秀吉が重次郎のお守り袋を拾う場面。ここは科白が一切無く、ただ7、8人の人物が全員スローモーションで動き回り、絡み合う。一種の舞いと呼ぶべきだろうが、すばらしく幻想的で、異界の場に引き込まれる。

 今回は2階東の桟敷。前回の直下になり、花道は出るところから全て見えるし、舞台も上から見下ろす形で、舞台床に照明で描かれる模様もよく見える。前回のように、舞台の上手3分の1が見えないなんてこともない。舞台裏、大道具の裏の仕掛けも見えてしまうが、それはもちろんご愛嬌。ここはなかなかいい。テーブルがあるので、弁当を買って持ち込む。足回りも余裕がある。

 海老蔵の親子出演で、客席はほぼ満席。それにしても、わが国の文化は女性が支えている、と客席を見渡すと思えてくる。学生風から、手を引かれてかろうじて歩いている人まで、彼女たちが切符を買い、毎月通ってくれるおかげで歌舞伎も続けられるのだ。

 今回は昼が15時終演、夜は16時半開演なので、余裕がある。が、それにしても、出入口と地下鉄につながる昇降口は設計ミスだ。(ゆ)

 うーん、変わったなあ、とまず思った。コクーン歌舞伎は中村勘九郎後の十八世勘三郎と串田和美の組合せから生まれたわけで、勘九郎が勘三郎になって抜けた後は次世代に受け継がれ、今回も勘三郎の次男七之助が主演だ。前回見たのは勘三郎が生きている時で、その息がまだかかっていたのだろう。今回はしかし完全に串田の世界である。以前は思い切り現代化した歌舞伎であったのが、今回は歌舞伎様式の串田劇だ。それはたぶん無理もないので、串田とバランスをとるには勘三郎クラスがいなければならないだろう。

 それが悪いわけではない。実際、面白さで言えばこれで4回目のコクーン歌舞伎では最初に見た第3弾『盟三五大切』に並ぶ面白さだった。現代劇としての歌舞伎というこの企画の目標からしても、かなり成功していると思う。象徴しているのは、クライマックスで主人公与三郎の「正体」が明かされ、すべては夢、悪夢であり、すべて忘れて一からやりなおせると告げられた与三がこれを否定する場面だ。どん底の、クソったれの、文字どおり生きながら地獄を経巡るのも同然の人生を送り、今なおお先真っ暗でありながら、それらを帳消しにして「再起動」することを、与三は拒否する。

 この場面がまず凄いのは、与三の「正体」が明かされる形が、歌舞伎や浄瑠璃に典型的な、サポート役の死に際の告白であることだ。古典劇を見ていて、それはないだろうとあたしなどはすぐ思ってしまう。それまで市井の平凡な人間のドラマと思っていたものが、実は貴種流離譚で、主人公は特別な存在でしたとやられるのは、ほとんど裏切りとすら感じられる。

 演劇の面白みはしかしここにあるので、冷静に読んだらリアリティのカケラも無い話が、役者の演技一つ、その肉体の存在によってリアルそのものになってしまう。今回も中村扇雀の観音久次の説得力は見事だ。ここは全篇のなかで最も「歌舞伎」的で、芝居を見る醍醐味を存分に味わえた。

 それに対して七之助の与三は現代劇の様式で応える。古典劇なら主人公は黙ってその運命を受け入れ、貴種として再生、つまりリブートされるにまかせ、めでたしめでたしとなる。そうはしないところがコクーン歌舞伎だ。「嘘だー」と叫ぶ与三は、まさに我々の一人、踏みつけられ、運命に翻弄される平凡な人間の一人として、その運命を拒否する。歌舞伎の様式と対照的な七之助の演技は、磐石の重みをもって迫る扇雀の演技に対抗し、これを押し返す。

 運命を拒んでも、与三に未来が開けるわけではない。しかしその拒否は、人として生きるぎりぎりのところから出てきたものであると観る者にはわかる。

 芝居としては面白く観ることができたのだが、なぜかかすかながら不満が残った。一つは串田色が強すぎることだろう、たぶん。もう一つはヒロインお富のせいだ。

 これは難しい役柄だろうと思う。脚本にするにも、演ずるにも、明確なイメージが摑みにくい。比べれば与三はシンプルだ。変わる必要もない。お富は変わらねばならない。その時々、シーンによって、性格が変わってゆく。同じシーンの中でさえ大きく変化する。梅枝の演技がまずいとも見えなかった。何かあるとすれば演出だ。というよりも歌舞伎側に串田に拮抗できる存在がいないことがここでマイナスに出てしまったのではないか。つまり変わってゆく中に通っているはずの芯が見えなくなっていたのだ。だから、最後に「与三さん、お逃げ」という声の力が不足する。リブートを拒否した愛する人間をもう一度世界に送り出す力が弱いのだ。与三が世界を逃げぬけるにはその押し出しは不足なのだ。

 脚本は木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が瀬川如皐の『与話情浮名横櫛』をベースに、講談や落語の「お富与三郎」を加え、創作も入れて構成しなおした、とある。コクーン歌舞伎第11弾『佐倉義民傳』の脚本を書いた鈴木哲也が協力。補綴というよりも、これはオリジナルと言っていいと思うが、こうなると原作も読んでみたくなる。ひたすらダウン・スパイラルな話らしいが。

 コクーンは毎回音楽が面白く、今回も Dr. kyOn が手掛け、舞台向かって左端の舞台に近い側に Dr. kyOn のアップライト・ピアノ、その手前にパーカッション、右手舞台側にダブル・ベース、その手前に鳴り物。開演、2回の幕間の終り、そして最後、カーテンコールの後と、メインテーマを演奏する。他に役者のうち3人が裃袴姿でトランペットを奏するシーンが一つあった。ダブル・ベースだけ増幅していたようだ。

 ただ、物語が面白くて、劇中の音楽は耳に入らなかった。むしろ、歌舞伎座では舞台右袖でやる、床に置いた板を2本の棒で叩くものは、歌舞伎の様式にしたがい、効果的に使われていた。

 セットも工夫がこらされて、作り付けは使わず、いずれも最低限必要な要素を組み立てたシンボリックな仕掛け。どれも車輪がついていて、移動できる。静的なシーンと動的なシーンの入替えがスムーズだし、動的なシーンの流動性はすばらしい。

 シアターコクーンはいい劇場、というのは、あたしらの席は作り付けのコンソール卓席に近い、かなり後ろの方だったが、舞台は近く、よく見えるし、声もよく通る。満席の上、立ち見の人もいた。あいかわらず若い男は少ないし、スーツ姿はいないが、歌舞伎座よりは男性の姿が多い気がする。

 コクーン歌舞伎はこのところ一年置きだから、次は2020年になるだろうが、歌舞伎側の成長を見届けるためにも、また見たいものではある。もっとも串田の後継者はいるだろうか。(ゆ)

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